ころんた日記


2020年12月の日記



すこし寒いけど晴れて良かった。がんばらねば。今年の元旦さまは「真実」で、抽象的すぎて、いろいろかんがえすぎてついに何のことかわかんなかったけど、2021年の元旦さま、良い事を教えてくれると良いなあ。


避けていた幕末を日本人ならちゃんと歴史勉強しろ、という事だったんだろなあ。まさかこの年で新しいおべんきょうするとわ。長生きはするもんだ。


元旦の自治会の顔合わせなるものがよくわからず祝い事なら喪中を理由に欠席しようと自治会長さんに問い合わせ。でなくも問題なくてよかった。でも年明け集客イベントは結構の通達が来て驚く11日まで自粛要請なのに?昼から夜おそくまで・・・夕飯ぬきかい。というか子供あつめるイベント・・・信じられない。


明日は「新●月Project with 北山真」何人かの関係者各位にメールでお詫びやね(T-T)資料を多少小出しにはしたものの全く達成できなかった。京極さんにも反対に気を遣っていただきほんとうに申し訳なかった(/_;)ぐちぐち言っても仕方ないや。もう新年は始まってるんだ。パワーアップしてもどっちゃる。


ばたばた。さぼったところは目をつぶろう。来年の課題はさらに断捨離だなー。 いけばなは花材が松南天だが、さすがに喪中なので金銀はやめて、先日の招き猫だけ置いた。


朝から土砂降りやんけ( ゚Д゚)昨日のうちに外ある程度やっておいてよかた。午前中には止むらしいが。BSつけたら「エール」の総集編やってた。しまった。でも丁度いっくんの「栄冠は君に輝く」からだった♪家の中で出来る事をやっておこお。来年こそはちゃんとしよう。と毎年思いつつ何十年経ったことか('◇')ゞ


駅伝沿道応援行かれないので、「あまこま」で予習しつつ、昨年の旗をテレビの前で降る事にするだ。


島田沖田、ほんとに二十歳くらいにしか見えない時もあるし、晩年の総司の実年齢二十五〜二十六歳に見える時もある。
木屋町二條だったか、BGMまで止めさせてしまったくらい大失言して音声まで止めてしまった総司なのだが、土方さんのフォローも全然まじめに受け止めてなくてケロケロ。
このがき、と思う間もなく、超まじめな熱血教官の声をきくや「噂をすれば影だ」「鬼の影だ♪」とかさらにふざけて土方さんに「そうし!」って怒られてる。このがき。
これ、史実通り一時もまじめにならかった、総司のまんまなのであろー。
そだ栗塚土方さん左右田斎藤さん二人から告白されたらリンダこまっちゃう、んだけどそしたら、総司を養子にして良いお医者さんに見せるんだっけ。
んでも時として、島田沖田このガキがライバル。特に『海鳴りが呼ぶ』で土方さん斎藤さんにいたわられててしっと。いや病人なんだから。って、ころ自分で自分がわけわかんなくなったりしち。


しっかし、コロナ禍でテレビ映画「新選組血風録」を観てしまい、まさかの幕末、それも新選組かい。勝海舟の見方もちょっと変わったもんなー。
「土方歳三」がここまでカッコいいなんて。そして島田さんと同じく最初は何の関心もなかった沖田総司に、気が付けばどんどん知りたくなる。総司はたたかう菩薩・童子なのかもしんない。


とわいえ、明日は今年最後の満月。朝いちばんやらなければならないのは新●月ファンへの「詫び」だな(T-T)コロナの事は全く個人の事とは別として、んでももろもろリセットの年だったので、パワーアップして復帰せねば。


いやーいちにち動いた。きょうはこのくらいにしておいてやろう(池之めだかちゃん風)。あたたかくてたすかった。一日ガンガンどろんこ。つーちーにまみれてよぉー♪土いじりする時は素手が気持ちいいので爪マックロ。
あとは明日もうすこし外回り綺麗にして、年神さまに来ていただかなければ。喪中だけど、父も気にしないし(^m^)でお正月のいけばなをあしたいけて♪


年末らしいきもちの良い冬の朝。あしたは、満月。


総司は近藤さん土方さんの巨頭の弟分だが、思想をもたない、天才剣士という以外は、いわばごく「ふつうの人」。 ネットのどこかに書かれていた天使の心を持った殺人鬼という解釈は、岡田以蔵と勘違いされているのでないかなあ?まして新選組という組織の役割を考えたらちがうと思う。
総司は新選組幹部、組織の中でナンバー3の立場(山南敬助亡き後は)の人で、天才剣士であり有能な指揮官だ。
暗殺剣を奮う役割も担う事もあったが、これはあくまでも組織の「職務」であり言われるまま人形のように人を斬ってはいない。
岡田以蔵は本当に可哀想だ。総司は可哀想ではない。むろん、人を斬る事について、島田順司さんも言うように「人を斬る事によって自分が傷つかないわけがない」。
自らを子供と自己規定し、その立場に自分を置きながら、組織の幹部として行動する。この複雑さ、でも、でもあくまで「ふつうの人」。
なんかころなりの総司像がすこし見えて来たような気がする。あくまで、ころなりの。


近藤さんについては、もういちど、きちんと松浦玲先生の「新選組」を読まねば。


録画しておいた歴史捜査五稜郭土方歳三を見る。もお土方さんのカッコよさに釘づけ。喧嘩屋のスケールでかすぎ。近藤さんもいなくなり、総司もいなくなり(多分いついなくなったかは知らなかったろうが)でも新選組副長として闘い散った。憧れの日野がうつり土方愛さんのお話もあって、良かった♪あらためて、番組の主旨とは全然関係ないけど、近藤・土方・沖田のパワーバランストライアングルと環境の変化をふと考えてしまった。本人たちの意思ではないのに、活動停止せざるをえなかったいくつかのバンドに似てる。でもそんなバンドも主旨にブレはないので、今も、それは残る。新選組副長と名乗った土方さん。残り続けるものは、時代代わろうと、ブレは、ない。だから、かっこいい。


「いやだなあ」結局司馬さんの術中にはまってる。菩薩さまだ。


今日は『魔人カルナディスの追憶』と『新選組の旗は行く』が交互にあだまのなかにっ。


さ、さむい。曇ってるから陽もささずさむい。んでもそうだった、クリスマス明けたらもう実は新年。スタート切ってるんだよね。この一週間で何をするかで今後が決まる。ぼーっと生きていてはだめなんだよね。朝もはよからバタバタ。でも考えてみたら毎年実家にもちよる料理を作らなくていいんだから、楽なのだ、そうなのだ。


そか、島田沖田の笑顔、以前から誰かに似てる、どこかで見たはずだ、と思っていたけど♪思い 出せない♪でも今日テレビ見てなぞがとけた。奈良でお会いした、中宮寺の菩薩半跏像だ。暖かく優しい、アルカイック・スマイル。


京都南座にゃんと仁左さまの熊谷陣屋!きゃっ。吉右衛門さん、前幸四郎さんのは歌舞伎座で観てるのだが、仁左さまのは初めて!


実家行って外回り綺麗にしてお花うえたりして整えた。明日はおととが泊りがけで行くそうなので、あとは任せよう。まるうが亡くなってしまったで、今まで買った事のない「うろこき」さんで買ってみようかと、もうひとつの「かまぼこ通り」に行ったのだがなんか遠くていいかと結局やまじょうさん。ここは「ブラタモリ」でタモさんとおうみちゃんがが製作体験したところ。早瀬の干物で地元応援。デパートでいろいろお買い物。す、すかす歩いてるとHALの『トリプレット・カラーズ』と春日八郎先生の二拍子『新選組の旗は行く』があだまの中で交互に響いてあだまが(@_@)


新●月Project with 北山真 11.4は結局年内にも書けなかったが、他の要因はともかくも、もっと文章まともに書けないとまだダメだよん、と新月さまがブレーキかけていたのかも。


こんなマッチ箱みたいな家の掃除がなぜ未だに終わらんのだ(@_@)普段さぼってるからだ、そうか。自問自答(-人-;)でも今日も再び実家行き。


つまりこういう総司の「甘ったれた言い方」をする「子供」にやはりヒントがあると思ってる。
どうして元服したのに、幼名からの呼び名をそのまま名前にしたのだろう。幼名そうじろう。9歳ー11歳で試衛館の内弟子になって、大人たちや近藤先生が、ろうをとってそうじ、そうじって呼んでた。で、元服してからその「呼び名」をそのまま字だけ変えて総司にした。ずっと子供の時のまま「そうじ」って呼ばれたかったのかなあ。。
山川さんが言われる近藤・土方の関係性のなかで自らを子供と自己規定した。
司馬さんの総司愛、その存在をあまりに純粋で聖域にしてしまったり、木村さん、山川さんの男性側からの総司愛はひたすら総司を純粋無垢においてる、ように思える。菩薩とか童子とか。
それに対して、銀河系一の総司ファンである森満喜子さん(萌え(*^-^*)はじめ女性作家さんたちは聖域ではなく、純真な生身の若者として、一歩ひいて愛しているように思える。 いやいろんな本を読み比べてるわけでもないので、単なる感想だが、こんな事を先日途中までまとめかけてそのままなのだった。ツメのあまいころ。


新選組関連はテレビ映画「新選組血風録」のころ勝手な妄想感想はともかく、史実に関連することは書きなぐってアップするのではなく、ちょと考えて推敲してからアップしないといけないと反省。
何項目か書きためてるが、結論にいたってないまま、はんぱにたまってるなあ(゜゜) 「歴史学者」の先生たちの本をきちんと読破してないのもいけない。
ううすかすころ、「新選組血風録」を楽しく観る事が出来れば良いだけだったのに(^-^;


ネットで散見していた「沖田総司に捧げるバラード」という本は、てっきり大内美予子さんの作品かエッセイ集と思っていたら、島田順司さんの文も掲載されているのとつい先日知り、ミーハーころ、途端に焦ったりしち。
以前検索しても密林等にはないのがわかっていたので、諦めてはいたのだが、古書店のサイトに在庫があるのを発見し、喜んで注文して、先日とうちゃこ。かんちがいしてた、いろんな人の寄稿文集だった。
さすがに掃除やらなんやらで、年内じっくり読むの時間的に難しいので、年明けひきこもりのおたのしみ。そういつつ、ぱらぱらめくってしもた。
なんと歴史学者平尾先生の文まで掲載されている。島田さんの瑞々しい詩。
おおうちみよこさんの妄想可愛い、てかこんな方だったんだ(*^-^*)
しかし一番面白かったのは「沖田総司書簡」の書家の方の分析だった。
「おもかげ抄」だったか、森満喜子さんがやはり佐藤彦五郎宛について「くだけた言いかた」という指摘していて、土方の姉のおのぶさんの嫁ぎ先佐藤彦五郎家に総司が子供の頃から可愛がられていたとは知っていたが、これがほんとうに良くわかる。
「お手紙しまーす」?みたいな口調。
で、さらに藤田真寿美さんが、やはりこの同じ書簡を見ていただいた書家の方の指摘内容は全く同じなのだが、この書家の方の言い回しだと「甘ったれた言いかた」だそうだ(^m^)
そんなもう二十歳過ぎてるのに、甘ったれた言葉遣いで書簡を送ってしまう佐藤家と総司の関係がほほえましい。
また誤字も多いそうで、佐藤彦五郎、「まったく総司は・・・と苦笑いしてる顔が目に浮かぶ」と書かれてるけど、ほんとになんかこちらもにやにやしてしまう。
彦五郎さんも、おのぶさんも、総司落ち着いて書け!ってつっこみ入れただろなあ。
森さんがほかの書簡について、書家の方に分析してもらった「急いで書いてる」そうだが、少年時代弟子たちに稽古つけるのに、ものすごく短気でぼこぼこにしてしまった性格が思い出される。
激務の合間、実際時間もなかったかもしれないが、急いで書いて誤字脱字が多いとか(総司の事を言えないころ)「無骨な人」「聡明な人」「教養が高い」など書簡から浮かぶ150年前に生きた若者のひととなり、が楽しかった。

ほかじっくりお正月読むのがたのしみ。昭和四十九年、まさに沖田総司ブームの時に刊行されたんだね。


昨日のエスカレーター書き忘れ。もちりんころの後ろにずらっと行列が移動しただ。ハーメルーンじょうたい。しかし法律で歩行禁止すればいいのに。東日本大震災の時「階段」の一列に待つ人が座り、隣の一列を歩く人の為に空けていた、というのと意味が全く違うもん。いや、もうイライラしてないよ(^-^;


1月2日3日は「風の谷のナウシカ歌舞伎」の放映が朝からBSであるので、こちらを録画してえんえんテレビで駅伝観戦。今年の駅伝を最後に父が沿道で応援を出来て良かったなあ。今回は出来ないからね。


きょうはHAL&RINGだったんだなー。ライブもすごかったすごい天気だった。9.11への想い。どうもパソコンとプリンタがダメでまたまたスキャナできずで仕方ないので古いデータでツイートするしかないか。またまた短くまとめるつもりがスレッド複数になってしもた。ま、いっか。


コロナ禍でふたつだけ良かった事がある。ひとつは先生のアトリエでいけばなのお稽古をスタート出来た事で先生やベテランの大先輩がたの作品を見ながら刺激を受けた事。
もうひとつはテレビ映画「新選組血風録」と出会って(でも再会のはず)、いままで自分が顧みてこなかったまさか幕末の歴史の勉強をはじめた事。
勝者によって抹消された歴史を学ぶ、という事がじぶんにとって新鮮だ。ミッシングリングに惹かれるサガかにゃ。
そして近藤・土方・沖田ほか隊士の人物像。過去、近藤さんは今宵の虎徹は血に飢えてる、土方さんは手段を選ばない鬼の副長、沖田は労咳で夭折した薄幸の美剣士のイメージが一般的で、でもそんなんじゃない事がわかった。もっとも沖田美剣士説は司馬さんの罪が大きいよー。沖田愛が強すぎて「色小姓にしたいような美貌」とか「可愛い唇」なんて書いてしまったんだから。
ちょいと「新選組血風録」を楽しむために、苦手な幕末の流れを知ろうと思っただけなのに、気づくと魅力ある人物の掘り下げまでしてる事が信じられない。新選組は沼だなあ。
とにかくこの作品が素晴らしすぎて、映像では、ヌーベルバーグはもちろんの事、過去のフランス映画の事など思い出した。
そういえば高校時代のみんなと何年か前に映画の話になって「ころちゃんはフランス映画観る事が出来るんだよねー。」と言われて、みんなは「フランス映画はにがてなんだ」と言ってたのを思いだした。
脚本、監督、音楽、役者ほかすべて、いやもちろん、突っ込みどころもあるけれど、こんな豊かになる作品にこれから出会う事はないじゃなかなあ。


幕末で一番好きな偉人は、西郷さんでも大久保さんでもなく、篤姫さんと和宮さんという二人の女性だ。お二人とも無血開城を実現させた。特に篤姫さんは最後まで、嫁した「徳川の人間」である事を貫き、短い生涯終えた。
新選組の事を知るようになってから、このお二人から見て、新選組は、歯牙にもかけないとるに足らない存在だったろうが、ちょっと困った存在だったんだろうな・・・。


でもへんなの、ちょっと前は小田原駅のエスカレーターみんなちゃんと左右両方に立って乗ってたのに。って毎日乗ってるわけではないからわかんないけど。イライラしてるのはぢつはちと体調いまいちでいかん。昨年のインフルエンザのきょうふが。
こゆ体調の時は富士山丸の栗塚土方さんが必要だだ。再び病人の総司を突き飛ばして・・・島田沖田可愛いとか言っていたくせに、こういう時は総司がライバル!自分でもわけがわからん。


写真 写真
小田原駅着いたら、エスカレーターがものすごい長蛇の列。はて?と思ってふと見やると、右側ががら空きで数人の人が歩行して昇ってる。
未だに元気にエレベーターの右側を歩く人の為に空けるのにこんな長い列をつくって待つ、なんてへん。だってこのものすごい長蛇の列、時間帯もあって、杖ついてるおじいちゃん、おばあちゃんも多く立ってるのつらいのに、じっと順番待ってるんだよ?
と、なんかものすごくハラ立ってきて、左側のひとたちを走って追い抜いて、右側に乗って動くもんかと腕組みして仁王立ちしたった。
べつに腕組みする必要なかったんだけどね。誰からも文句は言われなかったが、なんかもんのすごくイライラした。
で、その勢いでイライラずんずん実家に向かってる途中で、ふくねこちゃんに会えた。途端にイライラ消えた。
写真とらせてくださいと、あたま下げて写真を撮らせてもらってふくちゃんちゃんみて なんか自分でにやにやしてしもた。
イライラはいかんなあ。恥ずかしい。
エスカレター、単にすうっと右側に立てばかっこよかったのに(^-^;
昨日お妖さんに教わったばかりなのにね。光の呪文。
このふくねこちゃんに会えた日は、すごく縁起が良いのだ。欲張らないように、帰りはふくねこちゃんに会ってはいけないと、違う道を行った。
買い物して帰る。


写真
先生が、実はクリスマスも正月も、花材や器の色が基本同じです。先日までクリスマスだった作品を正月にそのまま変えた作品がありますので、それを感じ取っていただければ、との事でころもちとまねっこ。 これはいけなおしも何もせず、ただ金モールやオーナメントを取り払い、複数花器のひとつだけをそのまんま残して、単に横にまねきねこおいただけ。でもこれでお正月に見えるのが不思議。
お正月の花材はまたきちんといける


先生の作品を掲載する事は出来ないけど、先生のアトリエにはあちこちにたくさんの数のいけばな作品が常に展示替えされてて、美術館のなかでお稽古してるみたい。先日のお稽古の時その作品の一つは赤い花器をポストみたいにみたて、可愛いお年玉袋がいっぱいつまってて、その上にはきれいな紐やらでまた別のお年玉袋をつなげて小さな花器に可愛い生花と柚子が乗っかってて・・・という遊び心満載の作品を先生に解説していただきながらみてて、う、たのしいっと思ってたら、すかさず先生が腕つんつんしてきて「ころんたさんこういうの得意でしょ?」って(^-^;遊び心♪


本来のクリスマスは今日なのに、朝もはよからクリスマスバージョン撤去。お正月の花材が控えてるからねー(@_@)


そんな・・・中村泰士さん、なかにし礼さんが(/_;)ご冥福をお祈りいたします。


「新選組血風録」の栗塚さん島田さんの事が描いてあると知り、注文しておいた黒金ヒロシさんの「伝説 日本チャンパラ狂」がちょうどクリスマスプレゼントみたいに届いた。「新選組血風録」のところしか読んでないけど、いいなあ(*^-^*)
ただ一点許せないミスがある(`´)島田さんのお名前のルビが全部「じゅんじ」と間違ってる(`´)正しく「じゅんし」でなければ、島田さんが自己紹介で自分の名前はじゅんしです、と伝えた時、それを聞いて結束さんが「清音のそうしの方が沖田のイメージにぴったりだ」と、のちに史実と間違えられたほど、沖田総司の読みを「おきたそうし」にした意味に通じないではないか。


Facebookは結局一度投稿しただけでそれきりだ。まだクリスマスとか、お祝いの言葉とか書きこむ気にはならないので、週明けに一度投稿できたら、かな。年明けからスタートときめよう。


あしたはリース回収に実家にいかねば。


一昔前は、クリスマスにはクリスマスの映画とか音楽番組があったのに全くないんだね。コドモの頃読んだディケンズの「クリスマス・キャロル」ちょっと怖いけど好きだった。 ジム・キャリーの映画「クリスマス・キャロル」最高だった。もう一度観たいにゃ。


本当なら今年公開のはずの映画「燃えよ剣が来年になったと発表されて、今また司馬さんの原作「燃えよ剣」が読まれてるらしい。これがきっかけでNET栗塚さん島田さんのテレビ映画「新選組血風録」「燃えよ剣」も若い人に観てもらえるといいなあ。もっとも「燃えよ剣」の方はDVD三巻の途中までしかみてなくて、まだあと購入してないけど、まあぼちぼち。
んでもって、今日は松竹映画の方の「燃えよ剣」が深夜放映されるんだけど、最初のバラガキのぎらぎらした感じは原作どおりなんだけど、なにせあまりのつまらなさに10分で白旗をあげたんで、これが「栗塚旭の燃えよ剣」って思われたらちょっとさびしいなあ。
んでもTwitterでやたら美おじいちゃんになった栗塚サンタが「メリー栗塚マス!」ってにこにこ番宣しててもお可愛いのなんの♪いちおう録画。すかす録画いっぱいたまってるけど、結局観ないままハードディスクがいっぱいになるので仕方なく削除したもの多し。
よく考えなかったので、あとからCDRにも焼ける機械があると知った。CDデッキは実家のおふるなので、ブルーレイ見られないし。ツメはひたすらあまいころ。


すかす、プログレファン、とまではおこがましくて名乗れないが一応日本のプログレバンドのファンサイト管理人が、ふと気づくと二拍子の「新選組の旗は行くをくちずさんでいるというのはいかがなものかと(゜゜)


美狂乱。たしかにライブでぶちのめされたが、結局ライブの時だけで美狂乱の音源をその後聴く事もなかったなあ。とふと思ったけど、てかそもそもまだ当寺は美狂乱はメジャーデビューしてなかったんだよね。メンバーチェンジもかなりあったようで輪郭もよくわかんない。一枚かったCDは誰かに貸して戻ってきてないなあ(・_・?)。


で、司馬さんの「燃えよ剣」の中で山南さんが総司に向かって「君は神さまとか諸天とかがこの世にさしむけた童子」という言葉を思い出した。
司馬さんがモデルにした純真な若い兵士さんも、司馬さんが実際に本人もこんな人だったと思います、という総司も、ああ、こういう役目だったんだろな。
童子。菩薩さま。


「フタまんガ」以外にもマンガを読んでいるのだ。なにを隠そう「めちゃコミック」と「LINEマンガ」に登録してるのだ。お気に入りは魔木子先生の「うらめしや」山本まゆり先生の「緒方克己心霊ファイル」小林薫先生の「強制除霊師 斎」曽根まさこ先生の「呪いの招待状」あずみきし先生の「死役所」。おひるやすみ?のたのしみやね。こうしてみると、お気にいりの傾向にブレはないなあ。
今一番好きなのはうらめしやのお妖さんシリーズで、絵が美しいうえに毎回ほろっと涙涙。お妖さんと夫の佐治と息子の光太と普段は可愛い仔犬の姿のシロ。
3時くらいに目が覚めて寝付けず、ポイントを使い果たして「光の呪文」を読んでしまったらもう、おもわず笑顔になりながらも涙がぼろぼろでて感動。ネタバレになるからあんまり書けないけど、今回のゲスト?の娘が回りをどんどん笑顔にしてく、最後のお妖さんの彼女はこんな役目の人だったんじゃない?っていう説明が、すとんと腑におちて、ほんとうに素敵な話だった。
イブの朝に読むに良い話だった。


イブといえば、十年以上前かな連れて行ってもらったお寿司屋さんでなぜかお品書きのひとつを「東海道」と読んでしまってこれなんだろう?とつい口にしてしまって笑われたのをいまとうとつに思い出しただ。


イブやね。イブ、の思い出は、やはりコドモの頃。生の樅ノ木にオーナメントや綿で雪つけてイルミネーション巻き付けて、母がオーブンからトリ出す熱々のオナカに詰め物した鶏丸焼き、父が初めてアイスクリームのクリスマスケーキを買ってきて歓声あげた事、「てんとうむし」から流れるビング・クロスビーだなー。


年末年始?言われなくたってどこにもいかねーよ。実家にも集まらないし、箱根駅伝もテレビで観る。
でもね♪どうしても宴会をやらないといけない時は、コンパニオン呼んでお酌してもらうと感染防止対策になるらしいよ!是非お試しを(`´)!


らめら、「豹がタレントたべてゲップ」豹ががおいしいの食べたあと舌なめずりして毛づくろいしてる図が浮かんでしまった。


美狂乱佐藤さんから連絡あり組曲完成との事。一時間の大曲。今日は新月クリスマスパーティの紹介なので明日だにゃ。


TVKは鉄ヲタ、小田原駅から大雄山線。ヲタいいなあ。てか、知らないところがいっぱい。650円のお刺身定食すごすぎる。


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いけばな反省会。日替わりワンコインランチ。今日はてんどん。追加でオーガニック紅茶とりんごのかるくてふんわりシフォンケーキたのんだ。でも反省会は濃いのだ。


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若松、千両、オレンジピンポンマム、デンファレ。依代若松、ピンポンマムを昇る朝日にみたてた。先生がブラインドおろしたら偶然障子みたいになった。


萬斎ちゃんオリンピックから外(さ?)れたんだ。オリンピックの原点に帰ろうとしていた萬斎ちゃん。これで、このオリンピックがどんなもんかはっきりわかったかな。萬斎ちゃん早く逃げて〜。開催国側からやめます、って言うとお金払わないといけないのかな?日本人なら誰でも知ってる「きんちょーの夏、湿気と暑さと熱中症じごくの夏」にどうしてもオリンピックをやらないといけない大きな力をもったひとたちが居るんだなあ。


さむいがこれから暖かくなるらしい。やはりマスクは不織布マスクが最適なんだ。そこいらへんを歩くときは布やウレタンでだいじょうぶ。てことかな。いずれにしろ不織布マスクだね。今日のお稽古はお正月の花。


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23日のシルエレのクリスマスパーティを思い出してた。あの日がまさか四半世紀後信じられない未來につながるとわ。


「水曜どうでしよう」ジャングルリベンジの続き、ちっこい、にゃんこみたいな可愛い豹じゃった。おなか抱えて笑ってしまう。大泉洋さんさいこう。ぶら美、まりちゃんの博識がすてき。行きたかった美術展たくさんあったなー。


で、ちと体調悪い時に浮かぶのが、『海鳴りが呼ぶ』の場面。
土方さん、山崎さんの死を総司に隠して(て海軍式水葬で空砲何発も撃ってる音響いてばれないわけないんですが)水葬が終わったあと船の病室へ降りて行き、暗い表情で臥せっている年の離れた弟を慈しむように優しい笑みを浮かべて「船がだいぶ揺れて来た。具合はどうだ?」と総司に語りかける場面があって、萌え(*^-^*)
んでも栗塚さんと島田さん、実年齢は1歳しか違わないのに、ちゃんと年の離れたお兄ちゃんと弟に見えるので役者さんってすごい。
で、ころこんな風に、ちと弱気になってる時に、この場面が浮かぶと、この時ばかりは病人の総司を突き飛ばして、割り込んで「土方さんそのせりふはわたしにっ!」と心の中で叫ぶ妄想ころ。
「これって変?いや、恋?!」
という疑問を、「新選組血風録」をリアルタイムで少女時代に「夢中になって観てたわよぉ」というAちゃんにLINEしてみた。夢中になって観てたけど、詳細は覚えてなくて、ただ「沖田総司がカッコよかった」のだけ覚えてるそう。
で、
「変も恋もどっちも同じようなもんだから、どっちでも良いんじゃない」
という達観したお返事。なるほど
「そういえばわたし最近目が霞んで、変も恋も字の区別つかないんだ〜」と返すと
「わたしもよ」とのお返事。
「そうね、わたしたち、お年頃だもんね♪」
と、LINEしたのだが、会話はここで終わった。Aちゃん、なんか怒ってるのかなあ(゜゜)


と、いかんな、ころ、かぜっぽくてヤバい。一年前はインフルエンザ(@_@)ほんとに何年かぶりにインフルエンザになったけど、しぬかと思った。さすがのころも今年は予防注射うとうかなと思ったところへ病院休診。どっちみちコロナで打つ事なんかできなかったね。


史実の総司は大坂から江戸へ向かう富士山丸の病人怪我人ばかりの部屋で、すでに肺患が悪化していて、船が揺れてみんなと同様苦しんでいたにも関わらず、冗談ばかり言って皆を笑わせ、自分も笑いころげて、「笑うと咳が出てあとが困るな」とか言ってたそうだ。これを聞いていた近藤さんが江戸に帰って妻のつねさんに「あの若さで死に対して悟りきった人間も珍しい」とその明るさを悲しんだという。
普段から冗談ばかり言って笑っていたという総司なので、ここでことさらにみんなを励まそう、などと意図的なものでなく、天性のものなのだろう。病気、怪我、さらに揺れる船の辛い帰還。総司に区分的にもせめて救われた同じ病室内の隊士たちもいただろう。
ただし、他の船で江戸に着いた元気な隊士たちはかなり『脱走』したようだ。


『長州の間者』が好きすぎる。河野寿一監督が「脚本に敗けた」と言ったと「テレビ映画新選組血風録の世界」に書いてあった。前半30分新選組隊士が一人も出てこない。結束さん、すごい冒険だ。でももうすっかり深町サイドの目線になってしまって、後半出てくる近藤さんも土方さんも沖田も不気味でしかたない。むろん松永も。
で、後半新選組に害を成す者へは容赦ない総司。部下の深町に親切にお茶すすめてくれて。それがまた観てるこちらには怖くてしかたない。獲物いたぶるような意地悪までたっぷりいれて「たくさん飲んでおけばいいのに」ひー。
言い訳する深町に「武士らしくしたまえ!!!」の恫喝と、部下を駆使して追い詰め冷静な一刀両断の処断。
屯所での末っ子アイドルの総司でなくて、幹部としての沖田総司の存在感に圧倒される。
とくべつ好きな回は、つい何度も感想書いてしまうなあ。とくべつ好きな回はたくさんあるけどぉ。


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あしたは今年最後のいけばなのお稽古。お正月。あせるー。いや喪中なんだけどね。それ忘れてて、昨日もつい、ドン・キホーテで今日が大安吉日だから縁起物今日買いましょう!とアナウンスしてたんで、つい実家のぶんと2つ買ってしまい、し、しまった。ただ実家はお正月行かないことにしたし、無人なので、防犯上お飾りしてもいいかも。暮れに行くというおととの判断に任せることにした。


タッチタイピング検定は20年くらい前に3級までは取ったけど、ここどまりだったなー。それ以上はもうめんどくさくなったのと仕事にそこまでいらなかったので練習もしなかったけど、せめて2級までとっておけば両日記の更新頻度はもっと増えたかと思ったが、いや新月日記は速度ではないので違う話だ。「


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きょうもガンガンいかねば。さすがにあせるなあ、


帳面みたら昨年は22日からインフルでダウンしてた(;_ _) 二つの食事会の時、すでに体調悪かったと思われ。このインフル診てもらった病院の先生が夏に急逝してしまい、病院がずっと休診してるので、と、とにかく今風邪ひいたりインフルエンザには絶対なれない。近所の皆さんも困ってる。


さむ!朝から自治会仕事。勝手に自分でひと手間かけてるだけだけどコロナ感染拡大防止。 だってやだもん。


100均で買った柚子で夜はのんびりお風呂。柚をぎゅーっと絞った香が湯気とともに香るのがなんと贅沢。


TVKおそるべし。始めてよしもとみてしもた。きがくるいそうだ(*´▽`*)さらに21時から最近はハマってる大泉洋さんの「水曜どうでしょう」。深夜のサファリに豹を観に行く企画だが、手違い?でジープではなくてトラックの荷台に乗せられてガイドさんも人から聞いただけで単なるノリで・・・おそろしすぎる。大泉さんの「豹がタレント食べてゲップして帰る絵かよ!」がツボに。緑のサファイヤのように輝く目は結局ハクビシンだったが、こ、この続きは?
BSで「モスラ対ゴジラ」!ザ・ピーナッツのモスラ!こりは録画しただ。


新●月は綾織り。


これはコロナ禍になってからずっと儀式みたいなもんで、みんなそうかもしんないけど、買ってきたもの、表面洗ったりアルコール消毒しないと、ダメだ。さすがに本は洗えないのでアルコール。セリアとか他雑貨は表面洗ってみんなベランダに出してしまった。間違ってるんだかわかんない、ただ、これしないときもちわるい。ごぞんじのようにズボラなのに、昔から手だけは異常に洗ってた。そのなごりかなあ。


んでもって、お買い物に、駅ビルとか地下街行ったけど人がいっぱいだあ。
デパートというのはないので単に駅ビルだけどね。
やっと本屋に行かれたので、昨年プレゼントしてもらって知ったので2021年の「あまこま」買った。本屋で買いたかった。なんせ最近新選組関係の古書ばっかりネットでお取り寄せだったし地元には本屋はないし。やはり新しい本のにおいを本屋さんで、が楽しい。背表紙見てるだけで楽しい。
ほかあまり、ちゃんとしたお買い物せず、ひさびさに服とかカルディでちまちまいろいろたくさん。
小田原ミナカの事テレビでしきりに宣伝してたが、人ごみすごそうで、ちかづくのやめた。たかが小田原なのにあの程度の人で疲れてしもた。


昼間暖かくてたすかったなー。先日の草刈り植木工事で実家すっきりできもちよい。た、ただ水仙もすべて切られてしまったので今年は水仙が花材が(^-^;球根はちゃんとのこってますと言ってくれていたので来年のおたのしみ。でも実家から球根掘ってきたので数本だけど我が家で咲いてくれそう。


きょうは冬至!実家の水撒きにいかねば。


夕方ケーブルテレビなにげにつけたら映画「タイタニック」の終盤の方だった。やっぱりすごい。ラストはねー、もう、笑顔になって涙の素敵なラストで。ロードショーで観たけど、もう23年前の作品だったんだ。


いや、なんせ一次資料が発見されない限り、専門家もうごけないよね。どこかの蔵とか押入れとか。でもたとえ一次資料が発見されてもそれが事実とは限らない場合がある。いずれにしろ、本人書簡や日記含め親族が記した日記手記もほとんど処分されてしまったのだから(-人-;)


『菊一文字』やっぱりいいなー。


山種美術館で竹内栖鳳「班猫」Tシャツが発売!・・・なんだけど、なじぇかTシャツだとあんまりかわいくない・・・。トートバッグならほしいのにな。


いずれにしろ喪中なのでお正月はと思いつつ、喪中関係ない一族なので正月から宴会は必須だったが、さすがにコロナではねー。じっとしてテレビで駅伝観戦という喪中かんけいなく違うお正月。せめてその前にミニミニツリーでも飾ろうかと思ったが23日の最後のいけばな教室で、お正月の花材がきてしまうのだった。玄関が間違い探しの絵のようになるなあ。


「歴史学者」による最新の研究がきちんと出ているのかどうか、という事まで調べないといけなんだろけど、いくらなんでも、もお史実の沼はこのあたりにしておかないと、キャパが。「島田魁日記」未読だし。てか、新選組関係以外の本最近全然読んでないぢゃん( ゚Д゚)


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チョコレートでお抹茶でいっぷくしただ。さむい。


さむい。じわじわ焦る。今年もロイズのアドベンドカレンダー買いそびれちゃったなあ。一夜城のイルミネーション、小田原城イベント。行きたいけど、観たいけど、行かないもんね( ´・・)


で、なにげに検索したら総司忌の研究者の講演に行かれた方のブログを読む事ができて、なんと古嵩俊太郎のごうもん(到底書けない)は事実ではないという説があるそうだ。だから司馬さんもそれを知ってて「燃えよ剣」にも書いてない、との事。
ころ、恥ずかしながら、古嵩俊太郎捕縛を池田屋の前夜と勘違いしてたんだけど、史実ちゃんと読むと古嵩は5日の明け方捕縛、京都の町を火の海にすると自白、で夕方には池田屋を襲撃。
その前に当然届だしたり、会津に援軍以来したりとか、ものすごいスピードで手配していてるし、さらに当日新選組隊士は30人くらい食あたりで(^-^;寝込んでて使い物にならないので池田屋には近藤さん、総司、新八っつあん、藤堂平助の四人(裏は養子の周平とサノさんでかためて)で斬り込んだわけで、神業すぎる!と、ただただ、すごーいと思っていただ。
でもこの研究者によると、すでに1日には倒幕浪士を新選組は捕縛して自白させて、綿密な襲撃計画が練られていたとの事。
古嵩俊太郎へ土方さんが行ったという壮絶なごうもんは、「鬼の副長」を強調するための創作という可能性もあるそうだ。時間的にありえない、という仮説のようだ。
なにぶんにも16年前のブログなので、最近の研究でどうなのか、きちんと解明されているのか、最新の研究書読んでないしで勉強不足でわかんないけど、なんとなく、疑問におもっていたことが、この仮説が正しいなら、つじつまが合うなあと、思うにわかなのだった。


土方さんのカッコよさ。
函館戦争で榎本は軍資金をなんと函館の人たちから税金として無理やり徴収する。
土方さんはただでさえ戦争の恐怖を与えてるのだから、そんな事しちゃだめだと一人反対したけど、榎本は強硬。すると土方さんは、ぜめて貧しい農家にはこれを返さねば、と貧しい農家を一件一件回って、そのお金を返した。
函館戦争で戦死した幹部は土方さんただ一人。貧しい農家からも戦争資金に税金という形で無理やりお金とった榎本も大鳥も、新政府に仕えて偉くなってる。ふーん。
歴史にもしはないけれど、土方さんが戦死せず生き残っていたらどうしていただろうか。それはわかんない。
でもやっぱり、死に場所を探していたのかもしれないけど、こんなエピソードからしたら、 生きて、良い為政者になってほしかった。
やはり土方さんは「東へと」向かってからが真の本領発揮してると、にわかファンも思う。おじさま歴史学者に、にこにこ、うっとりと口ぐちに「かっこいいです」と言わしめてしまう。
それが土方歳三。


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中村屋ファミリーみなくっちゃ。で、良かった。2010年の歌舞伎座さよなら公演の勘三郎さん、勘九郎ちゃん、七之助ちゃんの連獅子、ころ観てるんだよねー。
西側の三階席という悲惨な席ではあったけど、これを観たという事はすごいことだったんだなー。
土砂降りの雨の浅草での連獅子(/_;)すごいすごい。歌舞伎座が完全な感染対策をしてるのは良くわかってるけど、まず東京には到底移動できないのでまだまだ行かれないけど、またいつか。でも辨松さんのお弁当は二度と食べられないんだなあ。


スマホが大音量で鳴ってびっくりした。伊豆(-人-;)


なじぇか突然聴きたくなって、スティーブ・ヒレッジの「L」。唯一このアルバムを何で買ったか不明だが、多分、ラジオでオンエアされた『ルナ・ミュージック組曲』に一目?惚れしたんだと思う。
でも、ちょっとおかしな放題だよね?今は『月光組曲』と訳されてるのかな。当時は『ルナ・ミュージック組曲』だったよ。LPもCDも両方持ってる。
んでもって、ヒレッジ村上とはあの新●月Project with 北山真 11.4の後の有志との飲み会後、解散した後もさらに川崎の路上で新月についてまたえんえんと語り合い、固く握手をしてわかれたっきりだ。
コロナのせいで、未だ約束を守れてないや・・・。


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ど根性トマト。12月だよー。まだほかに青い実がいっぱいついてるけど、もはやこれまで( ´・・)がんばったね。


小田急、今日も人身事故(;_ _) 小田原には月曜日に行く事にしてよかった。一夜城のイルミネーションや小田原城でイベントがあるそうだ。あしたはおととが泊りがけで行くが、イベントにはいかないだろうなあ。


コロナ禍で外食できず、いままでそこまで観てなかったテレビとかなりのお友達になってしまった五月にテレビ映画「新選組血風録」観て原作読みかえして、原作「燃えよ剣」読んで土方さのかっこよさや新選組について、ドラマみるうえである程度新選組の事はもちろん幕末の事もすこしは知らないと、とちょとだけお勉強しはじめて、なんか今は新選組の事というより、若くして病に倒れた天才剣士、沖田総司が短くも謎の多い一生をどう生きたのか、に、今は興味が絞られている。

専門歴史学者の先生方ですら、総司に対する筆致が、やや感傷的になり、この若者の死を痛ましく綴っている。
たとえば自分の息子とか親戚の若者とか教え子の学生とか、重ね合わせてしまうんだろね。
当時は享年数え年25歳が有力だった1970年代に書かれた文の「満年齢なら24、あるいはまだ23歳、あまりに短すぎる」という文に胸が詰まる。

若ければ若いほどその悲劇の物語性は強まるけど、一年でも長生きしてほしかったと願っていた。
今は新たな研究で、享年数え年27歳が有力のようで、誕生日が6月1日、あるいは7月上旬だったそうなので、せめて26歳の誕生日を迎えた時生きたんだ、とすこし嬉しいけど、それでも若すぎるのには間違いない。

試衛館に内弟子になったのが数え年9歳。現代だと小学校2年生。
剣の腕前が早熟だったのでもっと剣の修行をきちんとさせた方がよい、というのもあるけど、軽輩といえど、歴とした武家の子ではあるのだが、両親共に早く失い親代わりに育ててくれた姉夫婦に子供が生まれる事になり、いわば口減らしの意味合いが強かったのではないだろか。
内弟子は雑用家事一切やってそれからようやく剣の稽古。8歳の子がそんなむちゃな、と思ったが(でも「おしん」とか見てると口減らしの奉公はもっと小さいか)、生年説が1842年なら数え年11歳。8歳と10歳ならだいぶちがうかんじ。

母の実家が日野だったというのもあり小さな時から面識はあったんだろう。
日野の佐藤彦五郎家(土方さんの姉の嫁ぎ先)や近藤先生の実家のひとたちや、町田小野路の小島家で、大きくなってからも、いかに可愛がられていた、というのが書簡からもよくわかる。

でも、内弟子生活は辛かっただろね。
そこで、剣には厳しかっただろうけど、父代わり兄代わりに育ててくれた近藤若先生の存在はほんとに大きかったと思う。
つづく。



TVK「わたしと神戸ルミナリエ」見る。


一月以降、東京行かれず、しょうじき疎外感も感じていたけど、今はもう、そんな事ぢゃない。みんなみんな、生活様式が変わってるんだからね。当分東京には行かれそうもないけんね。


今日は予定によると小田原に行こうと思っていたのだが、SNOWのアップを朝しようと思っていたので、なんとくきょうはいっかと思った。そしてらなにも考えずに私鉄の駅に行ってたら、人身事故で半日ダメだったようだ。


寒い。12月は楽しい新月月だけど、はる、たんがどんどん具合が悪くなっていった月でもある。さむいから、にゃんこをもってる人いいなあ。
総司が旅立ったのは新暦で夏だが、なんだか総司の旅だちを意識してしまう。
「わが青春の沖田総司の中で島田さんは「総司を演じると、人恋しくなってしまう」と綴ってる。
総司をことさらにひとりぼっちにしたいわけではないが、史実では、どうも江戸で姉と再会した記録はないらしい・・・。
子母沢寛氏によると、総司は姉夫婦が毎日のように見舞いに来て、とあったが、そんな事はありえない。
たしか熊田悦子さんのエッセイだったと思うが、お光さん林太郎さん夫婦にはまだ幼い子供が三人いて、そんな中、労咳の弟の世話にいって、うっかりうつってしまって子供にもうつってはいけないし、まして官軍包囲の中そんな頻繁に見舞いになど行かれなかっただろう、とあって、頷いた覚えがある。
ただ、比較的近いところには住んでいたようなので、官軍の隙を見て時々面会には来た、とは思いたい。
そして子母沢寛氏による植木屋平五郎宅で総司を世話していた「ばあさん」は、多くの小説に登場するが、森さんの「おもかげ抄」によると、あくまで平五郎に雇われている人で、総司専属の世話人ではない。せいぜい食事を出したり、総司が外に出しておいた洗濯物を交換する程度の世話しかしてないはずとの事。
なにせ労咳という病気なのだがら、うつっては大変から少しでも接触は避けただろう。プロの看護人でもない限り、つききりで看病、などという事はありえない。
そういえば『風去りぬ』でも、姉のお光さんが「汚れものはお縁側のすみに出しておくんですよ」という台詞があったっけ・・・。あれは労咳患者と、世話する人のリアルな描写だったんだ。結束さんだもんね。
あれほど、小さな子供の頃からずっとたくさんの大人たちの中で育って、成長してからもたくさんの人に囲まれて冗談と笑いを絶やさず、常に回りにいろんな人がいて、苦しい富士山丸の中ですらみんなを笑わせて、自分も笑って、笑ったあとは咳がでていけない、って言ってた総司。
クリスマスのイルミネーションが現代の冬の街を彩って点滅してるけど、でもでも最期にいろんな人が、いろんな形で去っていったけど、誰も居なかったかもしれないけど、総司が旅立った夏、すぐ近くの川から蛍がたくさんたくさん、綺麗な灯を点滅させていたよ、きっと。
月のない、晩だったそうだ。
で、調べてみたら、1868年7月19日は、月齢新月の前夜だった。専称寺に運ばれたのは深夜だというので、日付変わって新月の夜だったんだろね。


そだ!大阪から新選組隊士全員が富士山丸に乗船したのではない。新八っつあんは順動丸だ。で、品川で新選組隊士は下船するが、病人怪我人はそのまままた舟で神田和泉橋の医学所に入院してるので、もしも甲陽鎮撫隊に総司が同行してないとしたら、大阪で別れたまま総司と新八っつあんは会ってない。


寒杉。あたまキンキンする;


寒いが今日も庭いじり。がんばろう。


100均で買った大根と柚子。ネットにでてた簡単漬物レシピをアレンジ。大根千切りにして塩してすこしおいておいてもみもみ。酢、無添加昆布の塩漬け、柚子たっぷり、お砂糖ちびっと入れてしばらくおいてもみもみ。うまっ(^〜^)


うん。んでもって、ほぼ自分を取り戻してきたと思う。「新●月Project with 北山真」は年内できるかわかんないけど、自分でしめきりはきめない。ただ、新月さま降臨されたら一気にできるだろう。以前のように。


SNOWパーティをTwitterにあげようとして四苦八苦。なぜかサイトへのリンクが拒絶されるので仕方ないから写真を二度に分けて張り付けた。えらい時間がかかってしもた。しかしいろんな告知のつめあわせだったんだなー。隔世の感あり(゜゜)


朝寒杉。ベランダに出した野菜が凍ってるう。SNOWパーティの日もこんなに寒かったのかなあ。風邪でヨレヨレで生まれて上京し、初めて降り立った江古田の駅のホームでばったり会った時「ゾンビみたいだよ♪」と言われた事は忘れておらんぞ。


Facebook、じっくり復帰?は来週からにしよう。


トップが8人で高級ステーキ会食して、GO toの話したとかうそついて、ほんとは野球の話を楽しくして、さらに会食ハシゴして。医療従事者の方々はまずどんな気持ちがするのだろう。普通の人がみんながまんしてるのに、怒り通り越して、呆れ。他の国の首相がカメラまっすぐ見て自分の言葉で話してるのに、菅さんだけは早口で原稿読むだけ。国民のことは他人事なんだな。


おととと話して、箱根駅伝の沿道応援も自粛だし、黒岩知事からも神奈川県外出自粛要請が出たので、正月実家宴会は中止する事にした。駅伝はずっとテレビ観戦だにゃ。


公開延期されていた映画「燃えよ剣」が来年10月に公開されるそうだ。この映画が制作されたという時点では何の関心もなかったわけだが、なんかへんなきもち。おし司馬さんが存命なら、ご本人がおっけ出すような内容なら良いが。こわいもの見たさで見てしまうかなあ。
愛嬌だけではない、この複雑な沖田総司像がどう演じられるのだろう。
24日に放映される栗塚さんの松竹映画映画「燃えよ剣」は以前10分でリタイアするつまらなさだったが(T-T)ただおまけエ映像の「栗」スマスだけを目当てにみるだ。


古くからのファンの方々には「フルボッコ」されてしまうのを承知で、沖田総司ファンのバイブルとされてる大内美予子さんの小説「沖田総司」は苦手だった。合わなかった。
司馬さんキャラの沖田総司が一人歩きした印象で、とにかく発症以降からのなりきり総司の心情が、えんえんと続いておなかいっぱいだった(;_ _)
「わが青春の沖田総司」で島田さんご自身が語る沖田総司像とも乖離してるように個人的に感じる。
だが同署に大内さんの脚本が掲載され、この小説と同じ脚本の沖田を島田さんが演じている。舞台人として他の解釈の沖田を演じられたのだと思うが、最後に「言いたい事」を扮装を解いてから「島田順司」として沖田と戦争を舞台から語りかけてる。
でも小説じだいは合わなかったけど、文藝別冊での戸部新十郎さんと大内美予子さんの対談を読んで、戦争を体験された大内さんのメッセージと島田さんの思い、沖田総司と言うフィルターを通じて伝えたい事は同じなんだ、と思った。
大内さんの脚本の最後の「母」の切ない言葉は近藤勇に仮託した当時の国家に対してで、心を揺さぶられる。
実際の舞台見たら、号泣してただろうなあ。


そういえば大河「新選組!」は見てないのだが、この植木屋平五郎を演じたのが島田さんで、土方の兄石翠先生を演じたのが栗塚さんだったそうで、「新選組血風録」「燃えよ剣」のファンのひとたちは大喜びだったそうな。再放送してくれないかなあ。


寒くなってきたところで、いけばなをクリスマスバージョンにしようと思っているが、イメージわかず。


裏に土運んだりガンガンやっていたら、みぞれみたいのが降って来た。寒杉。


写真 写真 写真 写真 写真 写真 写真
近所の洋食屋さんで久しぶりにランチしてみた。サラダ、アミューズ、今回はハンバーグ選んで、デザートはマスカルポーネのアイス、紅茶で1500円なのでまあまあでしょ?ただ紅茶だけが残念だった(-人-;)


佐藤正治さんからドラム組曲のYOU TUBE紹介頂いた。来週全パート完成だそうなので、掲示板に紹介しよう。「地」が一番好きだな。


DDR、また来週あたりから発信させてもらおう。Phonogenixにつづく希望の星。


さまざまな本読んで、つくづく子母沢寛氏が聞き取り調査をしたおかげでさまざまな逸話が残ってほんとうにありがたいのだが、「創作」と「史実」の違いだけは明確にしてほしかった。
山南敬助脱走そのものが事実かどうか不明なのだが、切腹前に、山南敬助の恋人「明里」との別れを書いているけど、この女性は全く架空の人物。それを屯所になっていた八木家の息子の証言として、あたかも事実のように書いてる。
総司の黒猫の話もだけど、今ではいろんな検証でこれは創作と解明されてるものの、当時の歴史専門研究家たちもこれを全く事実として著書に書いたりしてる。
今だにその虚実に悩まされてるので、子母沢寛氏、功績大きいが罪も大きいなー。
なにより一次資料がなさすぎるのが、最大の原因だけどね。
総司はもとより隊士たちが故郷に送った書簡は全て焼かれてしまったのだろう。
新選組隊士だった、などいう痕跡を残しては、一族にまで罪の類が及ぶ。歴史は勝者がつくる。
土方家は商売をやっていたので、大きな蔵があったから、あれだけの遺品や書簡を官軍の目から逃れて隠す事ができたと土方愛さんが言ってた。
これから、どこかの子孫の家の蔵とか押し入れから、こっそりかくしてあった、そんな資料が出てくるのを期待するにゃ。


ぎょうてん!きのうTwitterに高田馬場BIG・BOXの事かいて対バンの美狂乱の佐藤正治さんのドラムがすごかった、と書いたら、なんとご本人からコメントといいね!が)'0'(ひさびさに椅子からころげおちる案件。


さむーい。きょうは2005年に「新●月●全●史」の発売日。んでもって帳面めくってみたら昨年ついに鎌倉に行かれた日だったんだ。「ファム・デ・バトー・アオキ」。感動だったなー。


Facebookに復帰はしたけど、まだみなさんの投稿を見てまわるまでの気力はないや。Twitterと違って「友達」の距離が近いというのもあるのかも。、DDRについては、京極さんから概要教えていただき、ぼちぼち、やっていく。京極さん、ほんとに紳士だ(/_;)


ぶら美「石岡瑛子」。学生時代渋谷パルコ前通りかかって、覚えてるのもいっぱいだけど、それ以上にこんな業績のある方だったんだ。かっこよすぎる。「シルクドソレイユ」は二回だけ観に行ってるけど、この衣裳も石岡さんだったんだ。驚いたのは「白雪姫」の映画の主人公がフィル・コリンズのお嬢さん、って、ゴロ―さんだからね。プログレファン以外感動しないよお、ツボ。なにもかもかっこよく素敵だった。良いものを観た♪


赤ワイン消費。やっすいぶたにくうすぎりだけど、こりにフレッシュディル抱かせて赤ワインとハインツの小袋デミグラスソースに漬けこんで、パプリカズッキーニはシリコンスチーマーにイン、レンジでチン、玉ねぎスライスたくさんして、かぼちゃもスライスしで、ベジブロスにコンソメ入れて自家製ドライハーブのバジルとタイム(これしかドライつくれなかった)入れてスープは一度IHからはずして、いっこの鍋でジャガイモこふきいもにして、もう一個の鍋でにんじんのグラッセにして、フライパンにエリンギ炒めてからにんにくスライス玉ねぎ入れて仕込んでおいたブタニク入れてじゅーじゅー、赤ワイン再び投入してじゅーじゅーがんばれメルロー、塩胡椒してマキシマム振ってお皿に敷いたプリーツレタスの上に過熱した野菜類置いてフライパンからじゅーじゅーのお肉置いて、野菜スープと一緒に熱々をうまっ(^〜^)


Facebookに戻るのに一番気になっていたのが不義理をしていた京極さん。でもほんとに涙がでるほどあたたかい言葉を頂き言葉もない(/_;)DDR!


折り返しだー。Facebookにちょと近況報告しただけで、気持ちに折り合いがつくとは思わなかった。Twitterとちがって、知り合い、というのもあるのかな。いけばな作品にいいね!が嬉しい。参ったたぬきは目でわかる。ふっきる。


あれえ?なんかFacebookに自分の投稿読み返したら、いままで一滴も出なかった初めて涙が出て来た。区切りだ。今日は、新月。つぎいこう、次。


今日が今年最後の新月なので、Facebookに戻るなら今日しかない、と思ってさんざん迷って、やっぱりやめよう・・・とかうじうじしてた。アクセスしたがデザイン変わってるし、どおしようやめようかとか思ったけど思い切って投稿。スルーされるのは問題ないけど、なんで突然姿消したかは言っておかないと、登場もせず突然他の人にリアクションするのもおかしいし。なんせコミュ障なのだった。でも一区切り。今日の大仕事は唯一、これ。


かたづかにゃい。半年通ってた超初心者向け茶道教室の「学校茶道」という教科書に「盆略点前」のお稽古が写真付きで載っているが、こんなん今優雅に練習してるばやいではない。


そか、「Out of Control」!あの伝説の、三越ビアガーデン。何がかなしうて会社帰りに疲れを癒しにビアガーデンに来たのにクリムゾン(それも21世紀!)やクイーンを聞かされなくちゃいけんのじゃ。ハワイアンの真逆を行くのぉ。


がーん。昨日東京GOODという番組で都内の新選組ゆかりの地をあるいたそうな。しらなかったくすん。というかいろんなツイートに埋もれて、告知を見損なっていたんだなー。
でもアーカイブ映像を見る事が出来て良かった。興味あるひとは駄菓子屋掲示板にリンク張ったのでみてね。面白かったが沖田総司終焉の地が今戸神社になってしまっていた)'0'(ちげーし。
んでもって、「佐藤彦五郎資料館」のツイートによると、番組解説した伊東さんからの連絡で、何時間も時間をかけて撮影した部分と、にゃんと「沖田総司終焉の地は現在千駄ヶ谷が確実です」と言った部分がカットされてて、番組のアーカイブ映像をみたら、完全に今戸が終焉の地としてしか放映されておらず、知らない人はこれが本当と思ってしまうでわないか。いちおう「諸説あります」のテロップがあったけど。
今戸神社が総司終焉の地とされてるのは新八っつあんが、沖田総司は今戸の松本良順先生の家でしんだ、と記してるからだが、これは新八っつあんの思い込み。
富士山丸で大阪から江戸に着いてから、近藤先生と総司は松本先生の神田和泉橋の病院で治療をうけ、近藤先生はどんどん怪我が良くなり、総司は今戸の松本先生の自宅で療養に入る。
新八っつあんが最後に総司に会ったのが、甲陽鎮撫隊出撃前なのかどうか不明だが、すでに総司の病状がかなり悪化しているのは重々承知。
すでに京都でも総司が体調崩して出動出来ない時は一番隊と自分の二番隊共に率いてるくらいなので総司の病状は熟している。新八っつあんが如何に有能かという事もここで分かる。
その後、甲陽鎮撫隊敗退後、江戸で新八っつあんと近藤先生はケンカ別れをしてその後新八っつあんは江戸を離れ、東へと。
甲陽鎮撫隊の時点で総司は既に千駄ヶ谷に転居していた筈なので、総司に会ってはいないのかもしれない。あるいは会っても、今どこにいるの?なんて世間話はしないね。今戸に居た事までは知ってるのだから、あの病状ではそのまま今戸で亡くなったのだろう、と思って記したのだろう。
そもそも、官軍が包囲している江戸、存在すら知られては匿った人や関わった人すら罰せられるような状態で、生年月日や本名すら記されず「いなかった人」とされてしまった総司が千駄ヶ谷で没した事を誰かに知らせるなんてありえないから、新八っつあんが転居の事を知らなければあのまま今戸で、と思うのは当然だにゃ。
新選組の帳簿?みたいのに、総司を匿った千駄ヶ谷の植木屋の離れの改築費用の出費記録と同時に、隊士たちが総司へお見舞い金を出し合ってる記録があるので千駄ヶ谷が終焉の地が今は間違いない。
・・・という事をおそらく伊東さんは説明して、千駄ヶ谷が終焉の地、と結論づけて説明したと思われるが、肝心のこの部分をカットされてしまったんだねー( ´・・)ええっだったにちがいない。写真でしか知らないけど、千駄ヶ谷は、もう植木屋跡もなく、地味な終焉の地の案内板があるだけだが、絵的には今戸神社は碑が立ってるし命日の七月十九日に大々的なイベントがあるので、番組はそれが良かったんだろな。


寒い。こりが正しい冬やね。寒いのは苦手だが、でも冬暖かいときもちわるい。すかす未だにぬか漬けが出来るくらいあったかい。きゅうりの糠漬けと焼きたらこがあればこれだけでごはん食べられる。でもぬか漬けは今日までが限界かな。白菜の漬物にそろそろ切り替えよう。柚子も100均でいっぱい売ってる。いかん柚子仕事もしないと。


あしたは新月。作業がんがんいかねば。


一年前の鎌倉小町通り。三次会にももちろん行きたかったのに、体調いまいちで、あの時の女性に申し訳なかった(/_;)数日後の飲み会もいまいちだったのは、翌週すぐ寝込んだので、体調管理出来てなかったんだな(/_;)いかん。


木村幸比古さんの「新選組と沖田総司」届く。んが、あれれ、想像していた硬質の歴史書と違って、甘いエッセイ風だ。総司愛を感じるが、うーん。総司ははんぶんはこんな子ぢゃない!逸話が子母沢寛氏三部作から一歩もでてないなあ。なのでとうぜん、こ、ここにも黒猫がっ!さらに、闇にへだつやまで堂々と引用されてる。先生これちがいます( ´・・)!
んでも、ここちがうし(なんて少しは言えるようになったころ)偏り過ぎですけど、とひっかかり、いがいがしつつも、木村さんのきらきらした総司愛はわかった( ^^) _U~~元新選組隊士で御陵衛士の油小路の怨念に満ちた阿部十郎以外は、敵であっても総司の人柄の悪口を言ってる人は一人もいないもんね。ところどころつっこみはしたけど、おもしろかった。
「軍人に変身できたのは土方歳三だけだった」の文にうんうん!
歴史学者でも研究者でもない、沖田総司が最初何者かすら知らずに、沖田総司を演じた島田さんの文を、あらためて本で読んだばかりなのだが、沖田総司像は島田さんが言われるような人だったというのが、一番すとん、と腑に落ちる。当たり前か。
いろいろ読んでみるといろんな解釈のちがいがおもしろいのぉ。この本に「天然理心流」の五つの形が書かれてて初めてちゃんとしたのを読んでこれは嬉しい。


今日はこのくらいにしておいてやろう(池乃めだかちゃん風)。


結局ずっと食器棚にはりついて、断捨離にはまり終わらず(@_@)


12月。年は違えど、ほんとに新●月イベントがたくさんあったんだなー。まさに新月月。


師走と言うのに、もっとでかい整理しないといけないのに、ひきつづき母からもらった茶道具整理してて、鉄瓶をみて、ふと、『風去りぬ』で姉お光さんが「お土瓶のお水を替えて来てあげます。」という場面を思い出し、土瓶に水が入ってるのは、総司ちゃんと薬飲んでるんだなー。
司馬さんの原作には、松本先生の薬はこっそり捨てても、土方さんが届けた労咳に効くという「虚労散」という、くっそまずい怪しげな薬だけは、なんか効きそうな気がして、ちゃんと飲んでいた、とあるけど、史実では、もう千駄ヶ谷転居時点で、松本良順先生も江戸から去ってるし、宇都宮城戦闘中の土方さんがそんなん届けるわけもなく、薬、どうしてたんだろう?
と、休憩おわり。


朝さむ。冬のさむさが始まるにゃ。かんちがいしてた。今日はSNOWパーティでわない、高田馬場BIG・BOXだ。


「わが青春の沖田総司」大変な金額だったけど、購入できて本当に良かった。島田さんご自身が語る沖田総司は「厳しい生活を持った男」。試衛館時代から続く「規定」。
総司を演じた島田さんだから言える総司像。
山川健一さんは沖田総司は「自己規定」したと書いてる。おもしろい。
謎が多すぎて、それは総司が命を落とした場所も時期も、まさに官軍に包囲された真っ只中だったから、本人の情報一切を親族含めて回りの人たちの手によってあたかも「存在しなかった人物」として痕跡を消されてしまったからに他ならない。
でも、間違いなく短い命を生き切った若者は存在した。
沖田総司自身が、沖田総司へのミッシング・リング。
謎が多いと追いかけたくなる。知らず知らずのうちに、この沼が沖田総司に絞られてしまった。


役所の予算とかさ、「どうでも良い物」への予算消費しないといけないわけ?そんなのを全部削って医療従事者に回せないのか?ほんとにおかしい(`´)


さむくてらめら。鼓星の美しさを観てねることにするだに。


調べれば調べるほど、天才剣士としての実力、新選組大幹部としての実力は当然として、ほか史実とされる沖田総司のそのひととなり、複雑な立場の立ち位置、それは病に冒される以前からの痛ましさを感じる。
これを、「新選組血風録」で、沖田総司役に抜擢されるまで、沖田総司がどんな人物すら知らなかった島田さんが、一瞬のうちに抜擢され、そして沖田総司のフィルターを通して、後世へ強いメッセージを残した。
細かな背景など知らなくても、この作品の沖田総司を観れば、それが、わかる。
何度観ても見飽きることは、ない。メッセージは送り手も、受け手も、心情が刻々と変わる。だから。


「EARTH」観て「METAGAIA」聴いてうるうるしてる。んでもって、じぶんはかなり新月関連について体系的に詳細に記憶してるつもりが、2018年くらいまでの数年間が、不思議な事だが、ごっそり抜けてる(@_@)ころ、おひるごはんたべたっけ?


そういえば、月初に高校時代じみーなプログレ者だったので、派手なQUEENファンの同級生がうんぬん、と書いたと思ったが、生徒会自体がEL&Pやらフロイドやらのファンで音楽かけまくりだし、プログレ者はたしかに数は少なかったが、決して迫害されたマイノリティではなく、むしろはんたいに「選民意識(でたー)」がつおかった。
あたしたち、ちょっとあなたたちとは違うから、ふふんみたいな(^-^;やだねー。せいぜい五大バンドしか聴いてなかったくせにね。まあいなかの女子高だからゆるしてちょんまげ。
んでも1年生の時、坂をもすこし登ったところにある小田原高校に三年生に巻上公一さん二年生に北村昌士さんが居たんだから、なんどそれを思っても、すごい空間にいたんだなー。
ころは居ただけ、だけど。


うう。いろんな素敵なものがいっぺんに買える「デパート」に行きたい。銀座に行きたい、えーん。もお東京は外国だと思うことにしよう。


というわけで、食器棚整理。台をつかわないと取れないところにあった抹茶碗を普段使いようの位置にする。並べきれない、これはさすがちと、というのだけ箱に入れたまま仕方ないので高いところへ。あまり好きでない茶碗たちは実家に置いたままなのだが、その中で、どおもあまり好きではないのに、なぜか「これが要らないっていうの?」と母が言ってる気がしてるのをもってきてる。


抹茶碗、箱にはいってきちんと紐で結ばれてるのは、すきなのが多いんだけど、いちいちほどいて使ったあときちんと・・・とか考えるとめんどくさくなってしまうんだ。もう箱から出したまま、どんどん使えばいいんだ、うん。


きょうもあたたかい朝。いけばなのお稽古で11月早々二回続けてクリスマスだったので、なんかもおいいかなと、いつもなら小さなツリーくらい出すのだがやってない。でも一気に寒くなるようなので、いけばなの花材もクリスマスあるし、ちょっと雰囲気だけでもつくった方がいいかなー。さすがに師走意識してきて年神さまに来ていただけるようにしないといけん。焦り。って毎年こんなかんじだ(^-^;


戻りたいなあと、ライブみておもった。


ころTwitterへの北さまコメント、ボーカリストとしてわ、だね。良かった。新●月。


一月歌舞伎も楽しそう。んでも今日幸四郎さんと猿之助さんの対談のなか、元通りの生活に戻れることなどない、そのうえで歌舞伎を・・・、という意味の言葉に胸のすくような思いがした。そう、元通りの生活に戻れるわけがない、ではそのうえで、自分がどうするか。そゆことだな。


おもいで話だけど、Phonogenixライブに新月メンバがのりのりだったというのは、新月の看板が重すぎるので、Phonogenixは背負うものがないので?再結成ライブ前に肩慣らしでいいから、というのをつさまがどこかに書いておられたよおな、これ新●月日記か。もすこしちゃんと思い出してから新月日記に書こう。うれしいがずっと続いてる。


1984年のPhonogenixの事は、自分で書いたくせにぜんぜん覚えてなくて自分のブログで調べてみた。た、たしかに大御所のみなさんだ)'0'(エヴァンゲリオンの大森俊之さんだけは、あの北村さんの追悼イベントで一言二言だけ言葉を交わした。親切な方だった。大御所ってそうなんだよね(*^-^*)


う。いかん新●月がらみのところがこそこそちびっとづつ長くなっていく。んでもんでも、ライブは良いねo(^-^)o余韻が良いん♪しかし、配信ライブだったからφ(..)メモメモ出来だけど、てかメモしたにも関わらずあれしか書けないけど、かつて、ライブそのものの時はみんな脳みそにメモ(註:ライブの事だけで他、生活に必要な事はメモできん)できたのになー。あと夕べのは自分の字が汚すぎて読めないのもあった(^-^;


文がひどいのはべつとして、まだ書けるのか(゜゜)


最近は紅茶ではなくもっぱらお抹茶。
作法も何もなくただ、ポットのお湯で茶筅でしゃかしゃか、裏千家だったので、泡をたてて。なんかお抹茶のみたい、が『あかね雲』での島田沖田の美しい正座姿に刺激されてというミーハーな理由だからだったりしち。


寒い朝。でもライブの幸せの余韻でほんわか。配信ライブはビール飲みながらゆったり、ちょっとφ(..)メモメモできていいかも。でもやはりシルエレで生で観たかったなあ。春くらいには東京に行かれるようになるんだろか(゜゜)新●月掲示板に感想追記したけどひきこもり生活で読書ざんまいとネットで朝だというのに目がだめで、書き込みにひとくろう。


Phonogenixおわった・・・。はー(*^-^*)シリウス。


Phonogenix配信待ち(*^-^*)始まるまで昭和のアニソン番組観てる。


小松の親分さんが(/_;)


ふぉのじぇ。ぶじに観る事ができるだろうか(-人-;)どきどきでもお落ち着かない。すかす、17人て、ほぼ貸し切りのシルエレうらやましすぎる。けっきょくPhonogenixまでにFacebookにはもどれなかったなあ。


文藝別冊に掲載の、横山登美子さんによる文に、司馬作品の沖田総司のキャラクターは司馬さんが戦地で出会った、いつもにこにこ笑っていた純真な若い兵士で、また沖田総司研究家の森満喜子さんから提供された資料をもとに、という意味の事が書いてあった。
司馬さんご自身が直接取材された内容、史実とされている証言、子母沢寛氏の新選組三部作を参考に、いつもにこにこ笑っていた純真な若い兵士をイメージして作りあげた沖田総司像。
でも、森さんは司馬さんから直接「沖田は実際にあのような人物だったと思います」と聞いたと著書「おもかげ抄」にある。

取材や史料から、思い浮かんだのか、彼のような人だっただろうとイメージを描いて司馬さんが戦地で出会った青年が沖田総司キャラクターのモデル。

特攻隊の生き残り、二度と帰らない特攻隊士を何人も見送った経験のある結束信二さんが初対面の島田順司さんの複雑で多彩な魅力的な印象をいわば「あてがき」として沖田総司に投影した。
また、島田さんの名前の読みが「じゅんし」なので、「おきたそうじ」より清音だけの「おきたそうし」の方が沖田のイメージにぴったりだという事で、役名をおきたそうしにして、これがまさか史実と勘違いされるほどの影響力になるとまでは、思ってもみなかっただろう。

その島田順司さんは結束さんが戦地に赴いている小学生の時、広島の疎開先で原爆の光を見て、被爆した方々がトラックで目の前に運ばれて来たのを目の当たりにしている。
「新選組血風録」の根底にあるのは、監督も作者も演者も皆、場所や年齢は違えども、共通した「戦争体験」であって、これは想像力だけでは到底補えない。

上月プロデューサーが島田さんを一目見た瞬間「これ沖田総司!」とこれ以上ピッと来た事はない、というくらいイメージにぴったりだったという事も、原作者が沖田総司にこめたもの、をすでに島田さんが持っていたからだと思ってしまう。

むろん、有名な話で、土方の扮装をした栗塚さんを見た時、初対面の司馬さんが「わたしが書いた土方歳三がはあなただ」と言った事、第一回目の映像を観た司馬さんが、「わたしがタイムトンネルを抜けて土方、沖田、近藤に会ったら、ああいう顔をしていたでしょう」と言われたほど、上月プロデューサーの慧眼が素晴らしいという事だ。

司馬さんが沖田総司に投影したのは戦地でいつもにこにこしていた純真な若い兵士。
結束さんは同朋たちが次々と出撃していく姿を見送り終戦を迎える。
島田さんは著書「わが青春の沖田総司」で、子供時代に被爆された方々が、目の前に運ばれている姿を見ている。

のちに原爆記念会館に行ったとき、フラッシュバッグでむごさに泣き、そしてあんなに近いところにいたのに「ボクはこうして生きている」と思う。

また戦争とは別として、島田さんは沖田総司が亡くなった五月(新暦では七月)に、実のお兄さんがわずか二十二歳で病院で亡くなり、尊敬する先輩が病院で亡くなった事を記している。
「わが青春の沖田総司」の中に収録されている「終焉そして邂逅」で島田さんが語っているのは沖田総司のフィルターを通してのまさに「戦争」と「死」。
これらを踏まえた上で、テレビ映画「新選組血風録」を観ると籠められた台詞のひとつ、ひとつ、が深い意味を持ってくる。

個人的に結束さんのオリジナル作品『強襲十津川屋敷』で一番それを強く感じるのは、暗殺する相手も知らされないまま「鉄砲玉」となり、相手が替え玉ともしらないまま一刀両断される十津川郷士の若者千葉大輔の話で、なぜ?なんのために?の疑問を封じ込められたまま、命令通り突撃し、一瞬のうちに命を落とす。

この理不尽さ、虚しさ。

「十津川郷士は敵かもしれないが、あの人はいちばんつまらない死に方をしましたね。」
と、替え玉となって十津川郷士千葉大輔を斬った本人の総司が怒っている。 千葉大介にそうさせた力に対して、怒ってる。
そして深く悲しみ、傷ついている。
運ばれていく千葉の遺体に付き添いながら、悲しみ、くるしみの表情を浮かべる総司は、もしかしたら、千葉の姿に自分をも投影したいたのもしれない。

司馬さんの沖田総司、結束さんの沖田総司。この沖田総司は、島田さんだから演じる事が出来た、いや島田さんにしか出来ないのではないだろうか。
歴史学者松浦玲先生が著書「新選組」で「新選組血風録」に触れ、「沖田については原作に込められているものを遥かに上回る爆発的人気を呼び起こした」と記している。

「原作に込められているものを遥かに上回る」。この言葉を「わが青春の沖田総司」を読んで、それがなぜだったのか、すこし見えてきたような気がする。
ううでも文才なさすぎで言いたいことがまとまらない(/_;)



「わが青春の沖田総司」購入。先月だったから古書店のサイトで見た時、あまりの高額にウロウロ考えて又そこを覗いたら売れてしまった、と後悔したのだが、違うサイトを見ていたらしく、まだ売っているのを発見。
定価980円の本が美術書並みのプレミアがついてるけど、もうこれ逃したら二度と購入できないだろうと、もう躊躇う事なくぽち。キャリア決済だったので、貯まったポイント使って少しだけ安く買えた。
すかす過去購入した本で一番の高額だが後悔しない。
一番読みたかった、舞台で島田さんご自身が語る、沖田総司と戦争問題。
一見飛躍しすぎるように思えるが、島田さんが子供時代に体験されたヒロシマの原爆の光と、被爆された方々を目の当たりにしている、戦争を知っている島田さん世代を、沖田総司を考える時にまず理解してほしい、という事。
戦いの中へ赴く若者の心の傷。ベトナム戦争の事も引用して語られ、沖田総司は正義の為に人を殺してしまったけど、それで彼が傷つかないわけがない、という事。
この5ページの為だけにでも、この金額の対価には充分すぎるほどだった。
もちろん転載したいただいた撮影秘話を改めてやはり縦書きの文章で改めて読めるのがより作品を楽めるので嬉しいし、わくわくした。
同人芝居はたのしそうだが、この対談は難しいなあ。
写真が楽しい。、


まずツイキャスに登録することからだー。


あしたのPhonogenix。録画配信がないのが悲しい。リアルタイムで観る事ができるかどうか( ゚Д゚)ツイキャスのいみもわからなかったりしち。


写真 写真 写真

朝もはよから「良く笑う人でした」という総司の笑顔だけをいけた。
花器はオレンジと白の明るい色にして、ガーベラとコキアを手前に爽やかな明るさを強調して、でも剣の道は貫く。
口伝では、富士山丸の病室で、自分も寝たきりの病人のくせに、冗談ばかり言ってみんなを笑わせて「笑うと後から咳が出ていけないなあ」と言って笑ってた総司の雰囲気が少しでも表現できたかな。
近藤さんは、富士山丸でこの言葉を聞いて、江戸に戻ってから妻のつねさんに「あの若さで死に対してあんなに悟りきった人間も珍しい」と、その明るさを切なく思ったと伝わってる。
悪化してるのに「病気はどんどん良くなってるから、もう大丈夫。」心配しないで、って書いてる時も、もしかしたら咳しながらも微笑んでいたのかもしれない。
司馬さん、結束さんが書いている、土方さんが総司に向けて言った「生まれ変わったらお前のような人間になりたい」が、あらためて沁み入る。


あらためて録画しておいたBS「上意射ち」観る。先日観た時同様、「行間」がうすくてわかりづらく、二人の心情がどうもいまいちつたわらない不満はあるけど、それは結束さんの「新選組血風録」ばかり観てるので、あのクオリティを求めるのは贅沢すぎで、良く出来た作品だと思った。じーんときた。
細やかな伏線がたくさんあって、笛や手つなぎとか、月日の経過と共に茶菓子がしょぼくなって金子の渡し方がぞんざいになってとか。
松也くんの、追手四人を斬る鬼気迫る殺陣場面はさすがで、でもその追手となったかつての朋輩たちを斬った哀しみも、武士を捨てた永山くんの思いも、ななみちゃんのかわいらしい娘から凛とした妻から母への成長とか、梅雀さんの圧倒的な存在感。
追う方も追われる方も「上意射ち」のあまりの理不尽さ。ラストがあまりにせつなく悲しい。

作品が良かったから、松也くんのぽちゃぽちゃもみんな「許す」だったんだねー。
まるで死装束にも見える白の襦袢姿で仇を討ち、その後は一切手向かいせず斬られ、血まみれになって粛々として許嫁の元へ旅立つ松也くんの細かな表情の演技、そして、冒頭からの伏線「笛」。笛の音だけに思いを託す永山くん。
よかった。
原作も池波正太郎さんだし、こんなにちゃんとした時代劇を作ろうと思えば作れるぢゃん。

コロナ以降、かつてからは信じられないほどテレビを見てしまって「エール」、「テセウス」とか「半沢直樹」とか良いドラマもあったけど、あとは、なぜか芸をやらない芸人さんたちがひな壇に座ってる番組ばかりで、テレビっていつの間にこんなになってしまったんだなーと思った。
この「上意射ち」もBSで、地上波ではなかなかもう、質の良い作品を観る事は難しくなってるのだろうか。特に時代劇はお金がかかりすぎるので、もう地上波では制作されないと聞く。で、ステレオタイプのひな壇バラエティがゴールデンタイムを席捲してるわけだ。

新八っつあんの「浪士文久報国記事」を、史実は訂正してドラマ化してくれんかの。



課題は「年の瀬〜おりふしの花」。沖田総司でいけてみたかったので、3種類の組み合わせの中から、前回と同じくアメリカンフォリー。それにガーベラと白いミニコキア。
写真 写真 写真

写真 写真 写真

電車のなかで千駄ヶ谷で一人ぼっちの総司、をまず表現してみたいと思ってた。
奥の花器にアメリカンフォリーをとことん整理して一枝だけをいけた。真ん中はガーベラとコキアで試衛館時代の明るく可愛い時代。手前にもっとも活躍してた京都時代をひょうげん。
真ん中の枝は総司の佩刀。
総司の短すぎる一生を貫いたのは「剣」の道。

先生にかなり恐縮のおほめを頂いたが今日は真に受けて良いみたいだった(*^-^*)
でもその後神の手は、あたりまえだが千駄ヶ谷があまりに寂しいので、そこにガーベラが1輪試衛館から抜かれて千駄ヶ谷に入り、もう一本の試衛館のガーベラと「ささやき合うようにしましょう」先生がこうした。
うんうんうんうん。最期にひとりぼっちの総司と一番明るく楽しかった試衛館時代の総司が、ささやき合ってる。なんか心情がより深くなった。これだ、これだよー。
なんかちょっと涙ぐみそうになった。

島田順司さんが千駄ヶ谷での総司を演じるにあたり、思いやった文章がうかぶ。
総司は闘ったんだよ。絶望と孤独の中で旅立ったなんて、総司に失礼だ。
総司はこころの中で、初めてゆっくりとたからものをとりだして、ほこりをは らって眺めて、またそれを大切にしまうんだ。
そうだよ、それが、こうやってつながる事が総司の一生だよー。先生なんでわかるんですか?
千駄ヶ谷の総司と、試衛館の総司が、ガーベラ同士が、語り合ってる。

ごく稀に、それはほんとに何十回に一回くらいなんだけど、じぶんで、今回は自分の意図をちゃんと作品に出来たと思える時、もちろん先生にはころが何をイメージしていけたのなんか、わからないけど、先生、どうしてこうしたい、というのがわかるんですか?って、驚く事がある。
先生すごすぎる。



写真 写真
このにゃんこに時々会えると嬉しい。いつもだまって写真撮らせてくれるo(^-^)o


ねむい。さむい。今日のいけばなのお稽古は午後からでよかった。どんな花材でどんな課題かな。超ベテラン先輩方と一緒の教室は緊張するが、毎回花展出品のような作品を診る事が出来る。
すかす、新しい花材がくるので、朝もはよから前回の花材をいけなおし。赤い実はべんりだなー。黒の花器ふたつにわけて、クリスマスぽいひむろ杉はとりあえず器にいれておく。


朝ふつうに寒い冬だ。昨日は疲れすぎてパソコン開く気力もなかった(-人-;)
んでも実家裏みちがえるようにすっきりして、写真おととに送ったら美しさに感動してた。あとはじぶんたちで除草剤撒いたりちまちまメンテしないともとの黙阿弥。
沈丁花はやはり枯れてしまっていた(/_;)、嬉しかったのはダメかと思ってた五葉松の、枯れた葉とか枝切ってくれて残った枝が青々してた。うるうる嬉しい。
職人さんたちすごい。10時とお3時に暖かいコーヒー差し入れるんだけど、それ飲んだら休憩とっとときりあげて10分くらいしか休まないでガンガン(^^)/
もうひとつ嬉しかったのは、職人さんたちが帰った後。とおりかかった若い女性に声をかけられて、父が元気か聞いてくれた。ひさしぶりにここに来たのですが、変わらず懐かしいと言ってくれて母が亡くなる数日前に会ったそうで、ほんとうに驚いたと言ってた。明るく元気な方で、父母と会うと話が弾んだと言ってくれてうるうる。お世話になったお礼を言ってなんか清々しい気持ちになった。
外には出られないので、二日間ひたすら実家にひきこもって、あちこち魔窟のように湧いてくる物をばかすか整理断捨離。父母の叔母のと両方なのですさまじい。でも多少進んだかんじ。


きのうはバス遅延のうえめずらしく大渋滞で焦った。きょうもおべんとう。ことしは、初めて大収穫できた紫蘇の実の、醤油漬けと塩漬けが良い仕事してる。寒いが日中の寒暖差が。


1867年12月7日は総司が自分の病気はもうどんどん良くなってるのでだいじょうぶ、という悲しいウソの手紙を書いた日。


グレッグの命日だったんだよね(/_;)だんだん、あっちがにぎやかになりすぎる。


一日缶詰だし朝早いのでお店もあいてないので、お弁当つくってもっていく。自分のお弁当もってたべるなんてしばらくぶり。はっきりいってわれながらんまい(^〜^)すかすプロすごいなあ。しごとガンガン。あしたも。家から出られなかったので、気になるところをかなりガンガン整理できてよかった。帰宅したら、ご近所さんからのプレゼントが置いてあった。とれとれ大根に、その大根メインにしたきんぴら。録画しえおいた鎌倉の養老先生とにゃんこのまるの映像みて、ねる。明日も、はやい。


グレッグ。ありがとう、としか、言えない。ころが初めて出会ったプログレのボーカルによるメッセンジャー。


さむいが昼間はあたたかくなるらしい。なんかえんえん史実と司馬さん原作と脚本と上月プロデューサーと島田さんを考えてしまった。♪気になりだすととまらないくせ♪いかねば。


はやぶさ2o(^-^)o


明日実家行き朝早いので、「逃亡者」は録画。


昨日放映された「上意討ち」。梅雀さんの存在感、桜庭ななみちゃんのかわいらしさ、永山絢斗くんすごく良かったにゃ。テーマの理不尽さは今も昔も変わらないブラック企業の本質だよね(-人-;)
ネットで評判おそるおそるみてみたら、脱藩後、流浪の浪人なのにぽちゃぽちゃ松也にもあたたかい目が(^-^;んでも歌舞伎役者が時代劇でちゃんと殺陣や所作披露できた意義があったにゃ。
録画してあるので後日、またじっくり観てみよう。


史実調べれば調べるほど沖田総司と、島田おきたそうし、を同一視してしまいそうになって、これ、島田さんがもっとも苦手な、「新選組血風録」と「燃えよ剣」を観たなかで、生まれてしまったこの手の「ファン」の典型になってるだろうなあと、反省しつつ、もうすこし沼にはまる。


あたたかいしお天気。帰宅して勢いでプランターの整備やら。最大の課題の放置したままのいろんな種類のミントのプランター十数個は手つかずで積み残し(^-^;
オレンジミント、ストロベリーミント、パイナップルミント、スペアミント、ペパーミント、レモンバーム、のフレッシュハーブにドライにしたカモミール(フレッシュがもちろん青りんごの香りが強いんだけど、無農薬なので、そのままだとアブラムシがついてるからねー)のブレンドというころオリジナルめちゃくちゃ出鱈目ハーブティを冷やしてマイボトルに入れて、夜暑くて目覚めた時に飲んですっきりと夏場には欠かせないお方達にお世話になってるのに、この放置は恩知らずだ。
明日明後日実家の裏庭工事でしあさっては、いけばなのお稽古なのでまたそのあとにやろう。
実家から球根もってきた水仙をプランターに植えたのが、元気そうなので今咲いてくれそうで嬉しいな。てかいくつか実家から掘って来た謎の球根から葉っぱでてるので、これはお楽しみ。植物でも生命がつづくのは嬉しい。
かまきりのむくろを路地の土の上に移動した。土に帰ろう。また、ね。


素晴らしい晴天。午前中自治会の会議に行かねば。


「上意討ち」永山くんよかった。演技はいいけど、松也こらおまえダイエットせんかい。こんな栄養行き届いた空腹の浪人はいないぞ。池波正太郎さんの原作でよかったけど、ただ、脚本もうすこし、とは思ってしまった。でもまあまあ、たのしめたかにゃ?永山絢斗くんいい。松也くんもさすがの演技なんだけど、やはりもっと肉体絞ってほしかった。「メタルマクベス」の時はかなり絞っていたのに、って、肥満の上にコロナでさらにそれが悪化したころ他人の事はいえないか。つづいて渡辺謙ちゃんの「逃亡者」おもしろかったなー。てれびっこ。


山川健一さんの「新選組 破れざる武士たち」。作家なのに、創作をせずに「仮説」を立てての考察がなにより嬉しい。すでに検証されてる筈の史実の誤りはこの際いいや(^-^;小説でもなく歴史研究本とは一線を画しつつのエッセイかな。この「仮説」が事実であってほしいなあと思ってしまう新選さ。


明日朝自治会の会議を忘れないようにしないといけん。


『風去りぬ』に匹敵するドラマってなんだろうとふと思った瞬間浮かんだのは山田太一監督の『今朝の秋』。みんなで明るく楽しくピンキーとキラーズを歌う笠智衆さん杉村春子さん杉浦直樹さん賠償美津子さん。
何年も前の高校時代の仲間うち飲み会で、この感動のドラマの事を、同時に思い出して思わずお互いに手をとらんばかりになったころともう一人を、あとの四人がぽかんと見てたっけか(^-^;


1月2日3日に、なんとBS103で歌舞伎「風の谷のナウシカ」を放映してくれるそうで嬉しい。いずれにしろリアルタイムで観るのは箱根駅伝なので録画♪


いかん。ちえねつが出てしまうのでもお新選組について深く考えるのはやめよう(@_@)あ、あくまでテレビ映画「新選組血風録」を楽しめればいいのだ、それだけなのだ(T-T)


お抹茶、基本の飲み方も忘れてるしまつで、うろおぼえ。母は怒っているであろう。午後のお茶は。本を見ながらちゃんとおさらいしてみよお。


山川健一さんの総司に関する文章からいろいろ考えてしまう。
近藤さん土方さんは一歳しか違わない対等の同志、その出会いからの関係のなかでずっと年が離れた子供だった総司は当然成長してくわけで、少年から青年に成長していく過程の中、山川さんが言われるずっとこの関係性の中で、自分を「子供だと自己規定」したのはなぜだろう。
沼がますます底なしに(@_@)


結局雨はまた本降りになってきた。朝の段階ではもしかしたら決行かなとも思っていたけど、延期で正解やね。今日が小田原駅再開発で宿場町風施設オープンなので、小田原駅混んでるだろうし、良かったんだ。


山川健一さんの「新選組 破れざる武士たち」の総司像。やはりこの総司像は島田順司さんしか浮かばない。

こちらはテレビ映画「新選組血風録」の事だけど、転載して頂いた記事の中に結束信二さんの事が書かれていて、やはり島田沖田が、史実の沖田総司にも限りなく近い人物という気がする。
小山さん「結束さんは初対面のときの島田順司さんの印象を、沖田役に投影して描いたのね。「彼は非常にナイーブな神経の持ち主で、目は若者らしい輝きを湛え、躍動感に溢れていた。かつまた、少年のように無邪気なところもあった。
しかし、その一面、ふとした表情にニヒルな翳りがあり、この人の持ち味を複雑なものにしていた。私は役者としてのこの若者に、脚本家としての本能で、何か惹かれるものを感じた」って。
池田さん「シナリオライターとしての結束さんの眼が、沖田役を演じる青年の内に潜む、未発掘の魅力を見抜いて、その魅力が、そのまま沖田的な魅力として、私たちにイメージされた、っていう節もあるのでしょうね。」o(^-^)o



朝、5時代は土砂降りで、それから小雨になった。午後からはあがるようだが、びしょびしょなのでどうかな?と思ってたら、やはり延期になった。明日晴れるようなので、あした草が乾いて月曜日からっと気持ち良く作業してもらった方がいいもんね。すかす、出る前に連絡きてよかった。ねむい(-_-)zzz


目覚める前にあたまに流れてきたのは、なんと初めて『輝ける七つの海』!お初なのはあたりまえ。で、先日映像みたからだね。新月関連以外では珍しい。たまに春日八郎先生の『新選組の旗は行く』の時もあるけど(^^;


沼が。そう、沼って抜けられないから沼なんだよね(゜゜)沼から抜けることが出来たのは「りんどう」のカムイだけだが、あれは単に沼が浅くて足がついたから。この沼、足が底につくは到底思えない。おそろしや。


先月だったか、お西さんの屯所での土方・沖田の囲碁が単なる休憩の息抜きでなくて、それも兼ねつつ長州征伐の作戦会議みたいなものではなかっただろうかと、しろとのくせに考えてて、そこから近藤・土方・沖田のパワーバランスをうすぼんやりと想像してた。
で試衛館時代「この頃の土方と沖田はおしゃべりで、よく冗談を言った」に思わず喜んだけど、あくまで試衛館時代。

ちゃんと考えると当たり前で、学生のりのまま社会人になるわけなくて、試衛館の剣では総司は土方さんの兄弟子だが、上洛してからは組織の上司と部下。
佐藤彦五郎道場、試衛館時代の10代の頃から近藤土方は時局を論じる「同志」であるけど、年齢的にも実際子供の総司はお兄ちゃんたちにくっついてる、子供。

山川健一さんはここを、上洛してからも総司は童子のまま、刀のような純粋でイノセント、近藤・土方との関係性の中でいつまでも子供。子供だから、攘夷の議論などからは一線を引く。
まじめになることはなくて常に冗談を言って回りを笑わせ、自分も笑顔を絶やさない総司。
でも、冗談というものは、皆が真剣であればあるほど、それを突き放し客体化しなければ生まれない。
総司自身が自らを子供だと自己規定する事により新選組を覚めた目で見ていた、
淡々としたまなざしで新選組を観察していた。この若さでこれを実現していた事はおそるべきことだ(以上大意)。
と述べてて、またパズルのピースがひとつはまった気がした。

で、「この頃の」からとは変わって、そうだ、京都行こうから、もう土方さんの頭のなかは常にぐるぐるコンピューターが稼働していたわけだから、ぶすくれていたというかとにかく笑ってる余裕はなかったかも。

郷里の日野のひとたちは、京都の「鬼の副長土方歳三」のうわさを聞く度、バラガキではあったけど、明るく優しく冗談をよく言ってたトシさんが?と信じられなかったという。
でもでも函館時代の土方は隊士たちが慈母を慕う赤子の如し、であったし、いよいよ最後に向けて、まだ少年の市村鉄之助をなんとか命を助けたいと、帰されるなら切腹すると泣いて嫌がるのを説得して脱出させたり(この市村のおかげであの洋装写真と刀が現存する)、土方の最期を書いた文を命がけで持ち帰った隊士がいたり、と、だから土方さんの本質はやっぱりずっと「土方と沖田はおしゃべりで、よく冗談を言った」ような人なんだと思う。



山川健一さん。「新選組は歴史ではない、とよく言われる。あれは物語であって歴史ではないのだ、と。それは、ロックミュージックは音楽ではない、という言い方に良く似ている。歴史とは、勝者によって書かれるものだ。日本の正史は明治維新に勝利した官軍、薩長と過激派公卿による政府が書いてきたものだ。それが百四十年後の現在に至るまで続いているのではないだろうか。」(¨)(..)(¨)(..)うんうん


まだ飲み残し赤ワインが何本も残っているのだ( ´・・)考えなくちゃ。これ、料理で使い切るまで、今買ってあるピノノーアルは開けてはならん、と自分を抑制してるストイックなころ。ちがうか。そろそろ白ワイン飲みたい。だからあ。


BS「歌う旅」。よかった、箱根、土砂で鉄道埋もれて、つらかったんだよ、で、復興した、ところにコロナ(;_ _)


ブライニングしておいたトリニクにコナつけてオリーブオイルで焼いてとりだして、そのアブラにハムとにんにくいれてじゅーじゅーしてトリニク戻して、きのこ入れて、プランターのタイムとディルとローズマリーとイタリアンパセリ入れて、赤ワイン投入!しっかり煮詰めて茹でポテトブロッコリートマト添えて、うまっ(^〜^)


職人さんは朝はやくてかなり先に来てる可能性があるので、あしたはやはり懐かしい時間に出ることになっただ。


あしたは実家に行くので早くでなければ。すかす、仕事してる時はその一時間前に出てその前にサイト更新してたのに、このていたらく( ´・・)


「ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド」ちうもんせねば。久々の刊行物!どんな風に紹介されているのだろうか。
あと新選組関係は木村幸比古先生の本を2冊ちうもんしよお。「島田魁日記」は単発では刊行されていないようだ。ハードカバーで購入した新八っつあんの「浪士文久報国記事」がだぶるがしかたない。隊士の肉声を読みたい。んでもって、もおほんとにこれでおしまいにしよう(@_@)


写真
午後眠気さましに昨日に続いてお抹茶。これは萩焼きかなあ?陶器の香炉、会津塗りのお棗。ひとくちつぶあんだんご。お抹茶美味しい。


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内容も見ずに思わずジャケ買しそうになった「新選組 敗れざる武士たち」。近藤・土方イラストかっこよすぎ、総司も書いてほしかった。綺麗なのが欲しかったので、ほぼ新品。元の値段より高いの買ったのは初めてかも。でもおまけのにゃんこ栞が嬉しい。
小説なら買わないのだが、出版社からのキャッチが「ロック世代の小説家の旗手・山川健一氏」「作家・山川健一が7つの仮説で迫る、まったく新しい新選組の史実。」で、いいぢゃん、それに小説ではないし、でぽち。
山川さんは1953年生まれ。中・高で最高のロックをリアルタイムで聴いてたまさにロック世代ですこし遅れたころ羨ましい。
さらにお誕生日が7月19日で同じ誕生日、という事は沖田総司の命日でもあるのら。
さらに出版があの四半世紀の2004年!なんかこれは関係ないにしろ親近感が。
スピード感のある文体が、うん、ロックだ。ところどころ、現在は疑問視されてる記述や明かな間違いがあるが、それらは自分で取捨選択して読めば良い。

まだ全部読んでないけど、山南さん脱走についての「仮説」が涙が出るほど嬉しかった。近藤・土方は盟友山南敬助の名誉を守る為に、表向きは「脱走・切腹」としたと。そうじゃないかな。いや、そうに違いない、って思ってしまった。
総司が慶応元年に佐藤彦五郎に送った手紙の中に、たった一言だけ山南敬助の死を書いてる。総司にとって辛い手紙で他に書きようもなかった。山南敬助の死について、近藤も土方も明文化していない。
「土方歳三・沖田総司全書簡集」の編者菊池明氏は、総司がこの手紙を書き、日野へ向かった土方が山南敬助について「語る」役割分担が出来ていたのだろうと推察してる。
近藤・土方が山南敬助について記録を残してないのは、よほど隠したい事があるのでは?を今まで土方歳三が悪役となって切腹させたという説もあるけど、隠したい事イコール山南敬助の名誉を守る為、ならば、近藤の山南敬助の切腹の作法を浅野内匠頭もかくやと絶賛していて、なんか大時代的だなーと思っていたけど、これなら納得。これが事実であってほしい(/_;)

そしてそしてこれは楽しい試衛館時代の記述。
薩長の志士がパブリックな集団であったのに対して(試衛館といういわば合宿所のような)高校生が「バンドやろうぜ」という集団からスタートした(大意)
そうかあ、バンドやろうぜ!で、「そうだ、京都行こう」、かあo(^-^)o

すごく嬉しいのが「近藤勇は金もないのに多くの面々を食客として受け容れる大らかさを持っていたのである。
この頃の土方と沖田はおしゃべりで、よく冗談を言ったという話だし、原田佐之助は痛快な人物であったようだし、試衛館はまちがいなく楽しい場所だったのだろう。」(^^)/

些細な事なんだけどさらに、ものすごく嬉しいのは、試衛館時代は、土方さんはぶすくれてなくて、総司と冗談言い合って笑ってたんだo(^-^)o試衛館、青春だあ♪
テレビ映画「新選組血風録」の第一回目の試衛館の、総司の笑顔を中心にした楽しい場面が浮かんでくる。

山川さんもやんわりと、子母沢寛氏が「史実」と称して「創作」を書いた気配があるので、これを判別するのが難しい、と書いてる。やぱり、一番研究者を悩ませてるのがそこだよね(-人-;)



おお、新●月関連の刊行物情報が。さすがヒロポン。自分が情報もたない無能管理人はファンの方々に支えられているのだった。


今朝もさむ。これからあったたくなるのかな。実家の裏庭日程が決まった。まる二日かかるそうで、放置しすぎてしろうとが出来るレベルでなかった(^_^;)あしたと月曜日両日立ち合いでばたばた。


飲みのこしワイン消費料理。大昔から愛用してる辻静夫さんの料理本の鯖の白ワイン煮。もう簡単がいちばん。鯖はしめ鯖以外なら気分次第でおっけなのだ。レシピにはないけど、あばをフレッシュディルでマリネしておいた。野菜を白ワインと、これもレシピにはないけどころ栽培のハーブちゃんたちをいれて、ことこと。柔らかくなったところで鯖とうにゅう。これもレシピにないけど、新生姜の甘酢漬けを作った時、汁がだいぶ余ったのでこれを投入、塩胡椒で味ととのえて、これもレシピにないけど100均の柚子投入で熱々をうまっ。 よく考えたら、ほぼオリジナルだった。次は赤ワイン消費料理考えねば。


まっちゃの写真
というわけで久々にお抹茶点てた。大きな泡がうまく消せなかった。お茶菓子は先日A ちゃんにもらった沖縄土産「ちんすこうチョコ」。特に意味はないが、箱根寄木細工のコースターに菓子入れに香合におなつめをあしらってみた。
お献茶してからいただく。やはりお抹茶はすうっとするなあ。すかすあとからよく見たら菓子皿むきがはんたいじゃった。


朝新●月日記にあんな事書いたけど、今実際世間に流れて「万人」が聞く音楽ってなんか違うもんね。紅白もエールの主題歌歌うグループが出る?らしいので見てみようかな、くらいのきもち。
それ思ったらもしも実現したとしても、『せめて今宵は』は万人が感動しないのかもしれない。
さて、だとしたら、『せめて今宵は』に感動出来る新月ファンがいかに幸福か、という、これを自分だけが素晴らしいと知っているんだ、という妙な選民意識があたまをもたげてくるが、いやこりはいけません)'0'(


島田沖田の正座お辞儀場面があった回がどれだったか♪思い♪出せない♪先日までは覚えていたのに。ころ、朝ごはん食べたっけ(T-T) ロック世代の作家というキャッチの山川健一さんの「新選組破れざる武士たち」が届いた。表紙の近藤・土方イラストがかっこよくてジャケ買しそうになってやめたが、紹介文があまりにカッコよくて注文してしもた。これも古本なのだが状態が良い。さらにオマケまでつけてくれて、これがまあ「黒猫」の透かし彫りのブックマーカーって出来杉。
ぱらあぱらめくてみたら、キャッチコピーにたがわずスピード感ある文体で、ロックだ。エッセイ風歴史書というかんじ。楽しく読めそうだ。ただもすこし自分で考えたい事があるのでもうすこしあとで。
新選組に関する本はもうこれでやめよう、と思いつつ、あと二冊くらい買う鴨。


子母沢寛氏が、新選組隊士や総司に遊んでもらった人たちに直接聞いた話を「創作」いれずに別に資料だけまとめた、というのがあれが良いのにね。でもこれは子母沢寛氏のみぞしる、永遠に藪の中のようだ。せめて総司が黒猫斬ろうとした話(しつこい)だけは、子母沢寛氏がなぜか「事実」と強調してるのにも関わらず「創作」とほぼ断定されているようでこれだけは救いだ。よかった。


新八っつあんのおかげで、池田屋斬り込み時のリアルな様子が映像のように浮かぶし、幹部でなければわからない事が記録されてる。それは記憶違い、誇張があっても、この第一級一次資料があるからこそ、研究者の方々が検証できる。
ここ何か月かで生まれて初めて新選組に興味を持ち「勝てば官軍」さんざん自分で使っていた「歴史は勝者が作る」を本当の意味で実感した。


史実の近藤・土方・沖田を別格として、隊士で一番好きなのは永倉新八、新八っつあん良いなあ。ブレない。
松前藩江戸定府の歴とした武士の息子、バリバリの江戸っ子。新八っつあん、我武者羅な新八略してがむしん、が若い頃のあだ名で、もっと剣をやるために脱藩、実家に迷惑がかかるといけないと長倉を永倉に改名して剣一筋に強い相手を求め、天然理心流試衛館の食客となる。
本人が書いたものや史料読むと、むろんご老人になってからだから記憶違いもあるし、誇張もあるだろうが、一貫して「武士のたしなみ」を感じる。
途中近藤勇と意見の違いはあれども、それを近藤への遺恨とせず、あくまでイデオロギーの違いとして、新選組の同志として行動してた。
最後近藤とたもとを分つのは、もうこれは仕方ないと思う(T-T)近藤さんてば「きみたちが家来になるなら一緒に会津に行ってやってもいいよん」って、新八っつあんサノさんビックリ。もうどうしちゃったの?
たった四人で斬り込んだ池田屋。沖田昏倒、藤堂負傷で戦線離脱。新八っつあんも指を負傷しながらも、近藤と二人で死線を闘った仲なのに。
ただ、実際近藤とは性格的にあまりウマは合わなかったようだが、そこをとりなしていくのが土方、というのが興味深い。土方から厚く信認されてた。
たもとを分ったのち、近藤は処刑、沖田病死、原田佐之助は彰義隊に参加し上野で戦死、土方は函館戦争にて戦死。新八っつあんも紆余曲折、激動の人生を歩むが、んでもひたすら剣の道は、ぶれることなくがむしんのまま。
新選組隊士の碑をたて、新選組暗部の生き残りとして、新選組の事をきちんと記録して伝えようとした人で、ケンカ別れしたみたいな近藤の墓も建てて、私怨とかそんな感情では動いていない人だ。
晩年は映画が大好きで、孫を連れて欲映画館に通っていたそうだ。
近藤も土方も若くして死んでしまったが、こうして長生きしたおかげで、こんな文明の楽しみを得たという意味の事を言っていたという。
ある日この孫を連れての映画の帰り、ちんぴらたちに絡まれたが、にらみつけた眼光のみで(杖とか諸説あるようだ)で相手が怖がって逃げ出したという逸話がある。
剣の修行はしていても、そんな殺気は数十年封印していたと思うけど、大事な孫を守る為、実際に人を斬った新八っつあんの殺気の凄まじさはちんぴらにもわかるくらい凄かったんだろうね。
新選組剣士について、新八っつあんは弟子に「沖田総司は猛者の剣、斎藤一は無敵の剣」と伝えていたという。ここで新八っつあんの人柄について思うのは、自分がじゃあどれほどだったか、などと一言も言ってない。
元新選組隊士、高台寺党の阿部十郎(新選組憎し)は一番が永倉、二番が沖田、三番が斎藤と言ってる。
実際、現代人が測るようなスポーツ競技で常に一位二位を競うものはないし(会津容保公御前試合はあったが記録は残されていないそう)、剣道場での稽古での勝敗はあっても、実戦とはまた別だろうしね。
でも、実際阿部十郎が言うように新八っつあんの腕が一番というのを自負していたとしても、新八っつあん、そんな事おくびにだしてない、そんなんどうでもよくて、ひたすら剣なのだ。そして、にわかの勝手な感想だけど、やはり沖田と一線を画して、彼を「立てている」ように思える。
ここでの言葉がうまく見つからないけど、新八っつあんは試衛館食客時代から近藤とは対等の同志、その近藤の門弟である土方・沖田も対等の同志でああるが、「一番隊組長」の立場の沖田総司と順位を競うものではない。
子供の頃からの門弟で、若年にして天才的な剣士。でも、ここで新選組精鋭部隊の一番隊を率いるには「有能な指揮官」としての能力が備わっていなければ、いくら近藤・土方でも常にその位置に沖田を置かないと思う。
若年ながら年上の隊士を統率する能力。
うう文才なくてうまく表現できないが、組織の大幹部として新八っつあんは、そこを尊重してたのではないだろか?個人戦のエースではないのだ。
ちゃんと勉強して研究してるひとたちには笑われるだろうけど、なんかここに「武士」を感じてしまうのだ。
新八っつあん、実際かなりモテモテだったそうで、なんかわかるなー。テレビ映画「新選組血風録」では有川正治さんが、もー、本人?ってくらいぴったりだったなー。


寒いので、そろそろ「旅するスープ」本の出番だな。お気に入りのロシアのスープはサワークリームがいるのだが、近所ではサワークリーム買えないので(T-T)また小田原に出かけた時にでも買うかな。その前に発酵キャベツを仕込まないとね。


今日もうすぐもり。


ふと。『風去りぬ』で、斎藤さんと総司の大笑い、反則だよ。ずるいよ。二人で弾けるような大笑いしてさ、それ見てるこちらをこんなに泣かせるなんて(/_;)


島田さんの『あかね雲』でのあの腕の「かまえ」。島田さんも茶道を嗜まれた事があるのかな。
そもそも茶道自体が武士のたしなみで、武士の姿勢からきてるのだからこの見方は本末転倒かも。お稽古の時も武士らしく腕は張るように、って教わったっけ。
くく。自分自身は正座なんかできない。裏千家も立礼式をちょこっと習っただけだし。母につきあって、母に習うか(たぶん喧嘩になった)ちゃんと他の先生について茶道を習えば良かったなあ。実家には未だに釜も道具も揃ってるのに、ついぞ実家ではそれ触った事もなかった。
あ、たしかもうころちゃん使わないからいいかな?と亡き叔母が水指と建水はどなたかに差し上げてしまったんだっけ。ちゃんと茶道も、もう一度やりたいなあ。
母に貰った盆略点前の道具は一式あるので、ポットのお湯でもやればいいんだよね。いや、以前は時々母の写真にお献茶してたぢゃん。どおもいかんなあ。


家庭菜園の大根を頂いたので、100均♪の柚子で、柚子味噌つくってふろふきだいこん。これからのた期の贅沢。


「新●月Project with 北山真」の休憩時間に流れていた「HAL」もすごく大事な事だにゃ。


史実の方で慶応三年秋のあたりから伏見へ移動したあたりのこまかな事が少しだけパズルつなかった(゜゜)
二条城近藤勇護衛メンバーと、沖田総司暗殺計画未遂と、近藤勇銃撃と、永倉新八が一番隊二番隊をいっしょに率いていた事。
テレビ映画「新選組血風録」でこの近辺だと『あかね雲』で、王政復古の大号令が下り、新選組が京都を去る事を伝える近藤さん、土方さんの話を聞く島田沖田の顔と両腕をかまえた姿勢が最高に好き。
ほかにいろいろ時代劇を見てるわけではないけど、テレビなどで、能楽師や歌舞伎役者以外に、こんなに正座姿が美しい人を見た事がない。
また、別の回で、正座での後ろ姿で、ほんの一瞬だが近藤局長にお辞儀をする所作も姿勢も忘れられない美しさだった。


朝昨日開幕の歌舞伎座十二月公演の映像をちらっと紹介してたけど、四つともどれも面白そう。どの演目も観たい。うう、でも行かないけど。んでも玉さまは七日までお休みなのね)'0'(


さむっ。きょうはしっけとさむさ。昨日はお天気であったかくて、でかけるのに最高の日だったのに(T-T)もろもろしかたないね。でも今日はげんきかも。昨日行かれなかったが、どっちみち先日見積もりしてもらった実家のジャングル化した裏庭整備の立ち合いに日程決まったら行かないといけないからね。小田原行ったらここにはない(-人-;)本屋に行って、中野先生の本とあまこま箱根駅伝買うんだ。


じぇんじぇん関係ないがどうしてもサザンというと当時青学の軽音部室で津田さんと高橋さんが練習してた時、見学?入部希望?の桑田圭祐さんがドアをノックして、扉を開けた途端鳴り響いていた「HAL」の音楽を聴くと同時にすーっと静かにドアを閉めて出て行った、というのを高橋さんから直接お聞きした事が真っ先に浮かぶだ。
この時、桜井さんやかまちんは一緒だったのかな。もしかしたら記憶違いで「ベラドンナ」だったのかもしれない。
いずれにしろ、あまりの音楽性の違いに驚いたんだね、桑田さん。
高橋さんとは一度だけだが直接お茶したことがあるのでその時の雑談のひとつ。
つさまはよく学食で桑田さんと遭遇したとかmixiかSNSで読んだ。
あれよあれよという間にサザンはスターダムにのぼっていった。
もしも「新月」が占い師の先生の言うとおりバンド名を「エンペラー」とか「ロック貴族」にしていたら、も、もしかして・・・(゜゜)
あり、ふとこのあたり新月日記かな。まあいいか。真面目な新月ファンはきょうみないかもだしねー。


QUEENつながりで先日録画しておいた81年モントリオールのライブを観る。リアル世代であるが、ちつはまったく洗礼うけてない。高校のQUEENファンのグループが一種かなり独特な過激な反応を放ってて、じみーなプログレ者マイノリティころはなんか違和感があってこれは近寄るまいと敬遠してたといういうのが一番の理由だったかなー。
いや、彼女たちとは普通に話ししてたよ。ただQUEENの話題には触れなかっただけで。このグループのひとたちは、プログレは聴いてなかったし。
音楽でなくて過激なファッション的なQUEENファンが無理だっただけなんだよね、今考えたら。世界がちがうって思っただけでね。
ライブ行くために凄いノリで教室で着替えてる彼女たちをぽかんと見てたおぼえがある。彼女たちは今もQUEEN聴いているのだろうか?
もちろん有名なヒット曲は良く知ってるし、すごいなと思ってた。でのちに新月メンバーがQUEENの大ファンと知っただ。ライブ映像を通しで観るのは初めてだ。
で・・・すごいなあ。
今さらだけど、フレディははマイク前のパフォーマンスがメインと思っていたら、ピアノ弾き語り演奏でもあったのね。いいなあ。
そういえばフォークソング演奏一筋でサザンファンでロックには興味のない友人がなぜか「ボヘミアンラプソディ」を観に行き感動したと言ってたっけ。行けばよかった。
すかすゾボクな疑問が。客席に向かってフレディが何度も促すとオーディエンスが「いえーえーおー」と応えてるが、花北も叫んでいたのだろうか?
U.K.の時の例の「ゆーけー!ゆーけー!」は頭に来て意地でもやらなかったと聞いたが、ころも頭来たけど結局アンコールで無意識に叫んでいたっけか。
花北、QUEENでは叫んだのではないかと、ころ、ふんでいるのだが。この件迷宮入りか?


ぶら美は「KING&QUEEN」大好きな中野京子先生の解説。
「ヘンリー八世と六人の妻」(byリック・ウェイクマンもゴロ―さんからちゃんと紹介されたよ)に始まり「血まみれメアリー(ブラッディメアリー)」悲劇の9日間女王、16歳でブラッディメアリーに処刑された「ジェーン・グレイ」(数年前に初来日して、会えた。良かった(/_;))「エリザベス1世」etc
イギリス王室の歴史やはり面白すぎるがややこしい。
わたしの本を読んで勉強してくださいととの事ではい('◇')ゞ上野の森美術館で開催だけど、もちろん直接行きたいけど行きたいけど、行かない(T-T)
ヘンリー八世と六人の妻の一人アン・ブーリンを描いた「一千日のアン」はロードショーで観に行った。映画としてそんなに名作ではなかった印象があるけど、ヘンリー八世のひどいめちゃくちゃぶり、アンの産んだ娘がエリザベス一世だったと知った。
たしか夏目漱石のエッセイで自分の首を抱いたアン・ブーリンの幽霊が出る、という文章があったと思う。それを思い出していたら、中野先生が「都市伝説」として紹介されていたのが「あるロンドン塔の門番が持ち場を離れてしまった。問だただしたら、アン・ブーリンの幽霊が出て怖かった、と答えたらお咎めだしだった」そうな(^^;
シェイクスピアの生年が1564(ひとごろし)没年1616(いろいろ)と覚えるという中野先生から豆知識。


Twitterにて。「第97回箱根駅伝の公式プログラムの表紙とポスターが完成した。いずれにも「応援したいから、応援にいかない。」というキャッチコピーが添えられている。」 わかった(/_;)


母の誕生日お墓参りは自治会の用事もありでやめようと思っていたが、今朝の新聞見てびっくり。コロナ感染者20名!大学の寮でだが、これでどっちみち出かける気を無くす(T-T)暫く小田原行く時はJRで行こう。なんとまあ。


新月月のはじまり。


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