ころんた日記


2012年12月の日記


てるてる坊主がどうしてもうまく作れない(T-T) また手が出た。今年最後の課題で今夜うまくつくれるかだな。でも、たんちゃんえらいよ。さっきスープを少しだけだけど、自分で飲んでお水もいっぱい飲んだ。身になるものはちゃんと自分で食べていないけど、あとはおかあさん自家製の流動食でなんとか補おう。


底を見る年はあと一日。でも、母が全部持って行ってくれたのだから、つまり、みるはずだった「底」は見ないで済んでいるのではないか、と思う


夕べはカリカリ少しだけ食べてある。やはり風邪ひいてるのかくしゃみとすぴすぴ。今日先生に言わなければ。やはり胸がすこし苦しそうなので3日で溜まってしまうのだろう(>_<)めいっぱい寝坊したが昨日のだらだらと爆睡で体力回復(*^^)vお掃除片づけお雑煮の仕込み。


平清盛3時間スペシャル、ほとんど解説って感じだがやはりすごい作品やね。松ケンも脇も頑張って何より全体良いものを作ろうというスタッフの熱意を感じる。すんばらしいっ。


てるてる坊主がちゃんと作れれば、お薬がもっとたくさん飲ませらるのにな。クビの隙間がついまだ空いてるせいかも。粉薬の量が多いのでべたべたニュートリカルの量も多くなってしまうのだが、たんの手が出ると、飲ませようと思った分をみんなはたき落されてしまい、全部のお薬を飲めてない。泣きたくなる。お薬は7割くらい。自分で少しスープを飲んでいたので良いが、かりかりは食べてなくて、到底栄養が足りない。ニュートリスタットはお湯に溶かしてミンチにしたスープの実と混ぜてシリンジで強制給餌してみたが数口で暴れられてダメだった(>_<)


法界坊観てる間にたんちゃんがかりかり食べてスープ飲んでえらいえらい。ニュートリスタットをお湯で溶いて置いてみたがにおいちょっと嗅いだだけでぷいっ。


と、寝ようと思ったらBSで2007年の中村座歌舞伎串田さん演出の ニューヨーク公演「法界坊」をやっていのたで観ただ。面白かった。かんくろうちゃんのエネルギーすごかったにゃ。かんくろうちゃんのインタビューも良かった。かんくろうちゃん。痛い。


ニュートリカットが届いた。犬猫が自分から好んで舐めると書いてあったし、ネットでもわんこはかなり自分から舐めてますという一般の方のブログも読んで期待したが、匂いとかニュートリカルと変わんないので、たんは自分からは舐めないよね・・・(T-T) ただ、くすりはニュートリカルに混ぜて無理やり舐めさせることにして、ニュートリスタットはお湯で溶いてスープの残りの身をフードプロセッサーでミンチにしてとろとろにすれば栄養たっぷりの自家製流動食が作れるじゃん。よしっ。たんに元気になってもらって来年配信される(のかなあ?)か発売されるかわかんないが、新しい新月を一緒に聴くんだもんね。とりあえず、寝ることにする。


すかす、ころちゃん「ギャグ」だとカンチガイしてそれに乗った返信したつもりだったのだが、ひええええぇ)'0'(ああ怖かった。こうやって地雷踏んで自爆してしまうのはもう(;_; )( ;_;)


来年最初の新月の日が母の月命日で初能楽堂で新年会♪奇しくもいろんな事が重なる日だ。来年一年が果たしてどんな年になるのか元旦の朝目覚めてみないとわかんないけど、目覚めた時、よしっ、てなると良いな。そういえばよしっ、て年が2004年から数年続いて、どの神社でおみくじをひいてもすべて「大吉」ってすごかったなあ。ただそれはそれで、これが絶頂なら、間違いなくここから下降線を辿るんだなとうすら寒い気持ちになったのも覚えてる。つまりこの繰り返しが人生なんだろね。


底を見る年はあと二日。まだユダンしてないもんね。そういえば、今年は正月から風邪ひいて実家からも早々に帰ってきてしまったんだっけ。まさかそれが最後の正月になるとは夢にも思っていなかったけど。今日は雨だし、気分をゆるく保とう。くすん、銀座とか築地とかお買いものしに行きたかった。


朝お皿見てかりかりを少し食べてあってほっ。なんか鼻がつまってるのはノリみたいなニュートリカルが詰まってしまったのではと鼻にくっついてるのを取ってみたが、あまり関係ないみたい。胸水抜くタイミングがあるので病院に連れて行くのは明日にしたい。しかし顔も手もニュートリカルがくっついて毛もかぴかぴで色男がだいなし。 スープを少し自分から飲んでえらいっ。
でもべたべたのニュートリカルとお薬飲まされたあとは「おかあさんなんか大嫌い!」って向こうに行ってしまう(;_; )( ;_;)
すかす気が緩んだか風邪気味。本来大掃除するところだけど、もう今日はたんと一緒に寝てしまう事にした(>_<)今日は一日パジャマ党だ。わーさいてい。


いっこだけ、唯一親孝行できたのではないかと思う事がある。新月から武相荘の事を教えてもらって、白洲正子さんの事を詳しく知りたくなって、そこから鈍翁さんにも行きついて、母方の祖父母が鈍翁さんの元でずっと仕えていたことを再認識して母叔父叔母から再び聞き取り調査をして、それを纏めて新月ページにアップして、それを目にした鈍翁さんの関係者の研究をしている方が目にして、それがたまたま小田原市の益田鈍翁生誕160周年とタイアップして、叔父が所持していた鈍翁さんが祖母に宛てた手紙や色紙を展示してもらい、母たちが見た事がなかった祖父の写真が展示されてこんなお父さん初めて見たと喜んでいたことだ。偶然のきっかけが、すごい事になって、嬉しかったな。


それにしても、母は次男の嫁なのに本家の嫁、で毎年大晦日から徹夜で最高27人分の料理を1人で作っていた。味が変わるのをおそれて一切料理作りは手伝わせてもらえなかったので、結局おせちの作り方を全くしらないころ。もっぱら盛り付けとか皿洗いなどの下働き専門だった。2日が父方のきょうだい親類の暗い人寄せ、3日がその残払いと言う名目で母のきょうだいや甥姪でにぎやかにわいわい。餅はちゃんと臼と杵で搗いた餅でないといけない、という祖父母の命令で28日は必ず餅つきしてた。農家とかなら当たり前なんだろけど、街中のふつうの勤め人の家でこれをやるので、珍しいので良く近所の人が見物にきていた。これを鏡モチにして、あとは大根おろしやあんこのからみもちにして、あとは伸しておいて、それを正月前に父のきょうだいがそれぞれ取りに来る。祖父母の世話をし毎日の料理も手抜きはなかった。母は仕事をしながらこれをすべてやっていた。ころにはできないしマネできないもんね。祖母が亡くなり出棺の時、親族代表の父の弟に「両親には実の子供ですらできないことを兄嫁がすべて尽くしてくれました」とあいさつをしてもらい、その一言ですべて報われたと言っていた。毎週土曜日はきちんと着物を着てお茶のお稽古に通い、70過ぎてからパソコンを始め、認知症の父の介護をしながらお習字やらいろんな手芸やら、皆さんから散歩でもきちんとお洒落をしていつもきれいにしてましたよと言われ、寝込む事なくすっきり逝ってしまったなー。すかす、なぜこんな怠け者でぐーたらな娘が出来たのか、謎。つ、つまり、毎年おせちは母の作るものを食べるもんだと思っていたので、作り方も知らず今年は作ってみようと言う気もなかったりして。結局お雑煮だけかも。わーさいてい。


おもしろ話とか書きたい事はいっぱいあるんだけど、書く元気も時間もないや。いまちょっと一息。たんにもう少しスープ飲ませねば。でカロリーエースを少しだけ無理やり飲ませた。こんなにがりがりのびょうにんのくせにすごい力で夜はかなり上手にてるてる坊主が出来たのだが、最後ねこパンチをくらった。おかあさんの両手ですでに穴が開いてないのは親指と小指だけ。手の甲もざっくり(T_T)ニュートリスタットという似たような栄養補給剤が明日か明後日届くはず。時間がないときはカロリーエースをあげて、時間がある時は自分でフードプロセッサー使ってそこに栄養補給剤をいっぷく盛って 流動食を作ればいいんだ、うん。


家に着いてたんの顔見るまでドキドキ。少しだけしかごはん食べてない。食べたい気持ちがあるのに鼻ちかづけて諦めてる。でも声がやたら元気で、いっこ、気に入ったスープがあったらしく、それだけ少し自分で飲んだので、ほっとする。ニュートリカルとお薬を無理やり。流動食をほんの少しだけシリンジで飲ませることが出来た。


嬉しいことと辛いことはあざなえる縄のごとし。たんが元気になりますように。今回母の急逝で学んだことは、本来生きる事ってすごく辛いはずで、それが時々ご褒美に楽しいことがあるってはずなのに、脳天気に今まで生きてきたのは、この年になるまでやはり親に保護されてたような気がする。全然自立してなかったから。すこーしこれで大人になったのかな。あ、『殺意への船出PART2』だ。


今日でたんの闘病生活がちょうど2か月。10月29日に危篤になってしまって9日間の入院を経て回復したんだすごい子だからね。夕べ全く何も食べず。先日先生も大喜びした回復ぶりとはまるで裏腹だ。でも今朝になって二口くらい自分からスープを飲みおかあさんを喜ばせる。えらい子だ。ただこれだと痛み止めが飲めていないので、しまった。ニュートリカルとお薬をなんとか食べさせる。市販の流動食はシリンジで一口くらいしかあげられなかった。いまだにてるてる坊主がうまく作れない(>_<)


たんの具合があまり良くないのでへこみながら寝ようとしたところに、えへへ。


うーん。夕方帰ってきたらまったくスープにもかりかりにも口をつけてない(>_<)おかあさん一時間ほどダウン。寝て起きたらたんちゃん元気でにゃーにゃー。でもごはんを全然食べない。夜のお薬の時またニュートリカルを一緒に舐めさせねば。一進一退のたんちゃん。でもがんばってるたん。


8時半に行き帰宅11時。10日間がんばったたん、なんと400CC抜いた。苦しかったわけだ(>_<)。帰りタクシーに乗る前におしっこを漏らしてしまって大騒ぎになったが)'0'(病院でペットシーツ敷いてもらったりビニール袋をかぶせてもらったりで事なきをえた。
呼んでもらったタクシーの女性運転手さんが動物好きで良かった。彼女の話が作ったネタかと思うほど面白かったので、元気に帰宅できた。
帰ってきてから自分でお水もスープも少し飲んだので少し安心。先生からとにかく心臓病の薬を飲み続ける事と年内通院を言われる。もちろんですとも。とにかく食欲がすべてだって。水の量を抜いても体重は増えていた。ニュートリカルとバターは舐めさせ続けよう。ううう、今日たんと一緒に寝ていたいけど用事で出かけねば。仕事は明日で御用納め。


早めに寝たのでおかあさんは慢性頭痛と慢性肩こりクビこりだけで回復したが、たんちゃんの息が荒い。やはり水が溜まって苦しいらしい。夕べ何も食べてない。朝病院に連れて行くことにする。主治医の先生がお休みだけど、入院中いろんな先生が診て、たんを知ってるのでだいじょうぶ。今日は雨で今年最後の満月みられないんだな。痛み止め入れたスープは飲んだ。


たんちゃんにはかんどう。うんうん。


あだまど目ががんがんするが実家に向かう。小田原駅に降りると最近、あらためて観光地なんだなと思う。そうだよね、お城もある、箱根の入り口だ。歩いても15分もかからないうちに海に着いてそこから晴れれば西には初島、伊豆大島、箱根蓮山から丹沢山脈まで、東は江の島まで見える。良いところだ。家から海まで歩いて三分。おさかな美味しいよ。こんなところで育ったんだな。なんでもある街だ。家は寒かった。掃除して叔母たちが来たりして結局弟と二人ブッタガヤへ辿りついた時はすでに「準備中」の札が)'0'(仕方ないので歩いて目についたスタッフ全員中国人のお店に入って刀削麺食べて美味しかった。父の施設に行きもろもろ。目とあだまががんがんするが、寝込んでるヒマはないもんね。でも寝たい。たんがごはんをすこしづつでもいろんな種類をまんべんなく食べてて安心したがやはり水を抜いてないせいか息が荒い。心筋症は治らない病気だけど、発症してから二、三年生きた例もあるそうだし、はるちゃんの年齢を超えてもらわねば。がんばるたん。おかあさんあだまがんがん。まさかの母の葬儀を出すとは思わず、またたんがこんな重病になるとは思わなかった、底を見る、今年はまだ5日残ってる。明日は満月。


うう正直今日一日たんと一緒に寝ていたいが、空き家の大掃除に行かねば。自分ちの大掃除も全くできていないのだが、人が住んでいない家はたちまち傷む。2週間近く行っていないので、花も枯れているはず(>_<)またブッタガヤのラーメンを食べよう。


夕べたんはかりかりを一口くらいしか食べていなかったので心配だったが、自分から朝ごはんのカリカリ少しとモンプチのスープを飲み干したので安心した。昨日病院で体重測って水の分を差し引いても体重が増えてて先生もとても嬉しそうだった。毛艶も一時弱ってた時に比べてつやつやしてる。まずは目標三キロだっ。


寒いのでトリニクのクリームシチューとガーリックライス作って熱々でうまっ(^〜^)


んでも、そうかそうか、やっぱりサンタさんは居るんだよね。たんちゃんのところにも来たんだね(=^・^=)


んでもって。えーん。もう何か月も前の話だ。つまり、確かに事実でそれは間違いないのだが、膨らませすぎてぬかヨロコビしたわけやね。ころちゃん、嫌なことはすぐ忘れるけど嬉しいことはじぇったい忘れないんだけど、すかす、えーん、こわかったよー。ぶるぶるっ。


夕方病院に行く。三日に一度、圧をかけて胸水を抜くとい痛い過酷な治療をしてるたん(>_<)
でも日曜日に行った段階でたんの調子が良く、先生は胸水を抜いてストレスを与えるより今の状態を保ちましょうという事で抜かなかった。たんが調子良くなかったらすぐ連れてくるようにとの事だっただが、なんとか大丈夫。
今日が通院日で、今日は先にエコーだったのだが、まる一週間抜いていないのだが、胸水の量は増えてなくて同じ量なので、もしかしたら、水が水を抑えているかもしれないとの診断だった。
むろん300CCは溜まっているので、良くない事ではあるのに間違いないそうだが、ふつうなら苦しくてここから弱っていくらしいが、たんが自分からごはん食べてる事自体に先生はびっくり。胸水も増えてないので、水が水を抑えているという物理的な理由もあるかもで、今日も胸水は抜かなかった。
むろんこの病気は治らないし、胸水は溜まったままなのだが、ふつうこの病気はどんどん状態が悪くなるだけなのに、こうして状態が良くなるのは極めて珍しいケースらしい。
おかあさんがいろいろ工夫されてる事が良くなってる事かもしれませんと言われてうれしい。引き続きニュートリカルと無塩バターを続けよう。
それにしても、たんは、えらいっ。


1999年から始めた新月ページと同い年のたん。新月ページと一緒に生きてきた、たんだからね。新生新●月を何がなんでも聴く強い意志で頑張ってるんだよね、たんちゃんは。


夜の間にかりかりを少し食べていた。スープの汁けが少なかったらしく身が乾いた感じだったので、飲みたくても飲めなかったようだ。普段の量からしたら到底少ないし、あとは寝てばかりいるのと、関節炎が痛いようなのがかわいそうだけど、自分からごはんを食べに行く事がすごい。これが甲状腺の症状のせいなのか、ニュートリカルと無塩バターのせいなのか、今日先生に再び聞いてみようと思うが先日も先生がクビ傾げていたしね。いずれにしろたんはすごいな。絶望は愚か者のけつろん、を、たんから教えてもらっているおかあさんだ。


気分が少し持ち上がってきた。たんちゃんが自力でごはんを食べるようになった事で、容体がすこしだけでも良く見えるのもあるし、何かやはりもう新しい年が始まっているように思える。
母へ親孝行をなにもしないうちに1人で逝かせてしまった。前日、当日、自分が行動していれば、母の命は助かったのではないかとか、あれも、あんな事もしてあげたかった、あれをもっとしてあげればよかった、あんな事を言わなければ良かった、という後悔ばかりくよくよ考えていたけど、星空を見上げながら、四十九日の朝、からっぽになっていた盃の事を思い出し、くいっと水を飲みほしてあっさり旅立って行った母の潔さを見習わねばと思った。


昨日はビールのみすぎて買ってきたいちごのタルトを食べるのを忘れていた。うまっ(^〜^)


おしりが寒いよう

帰ってきたらたん、かりかり半分と、スープの汁の部分は全部飲み干していた。おかあさんが残ったかんずめ全部まぜたミンチは全く口つけてなかった(T-T) んでもこんなにじぶんでごはん食べてるんだからすごい。明日先生おどろくかも。やっぱり何度も死線をくぐりぬけてきたたん、さすがじゃ。余程寒かったらしく、ベッドにゆたんぽ入れて上にベッド付属のふわもこクッションを載せて仕事行ったんだけど、ふわもこの間に頭突っ込んで無理やりゆたんぽの上に上半身だけ入れて、頭隠して尻隠さずになっていて可愛い。


たんは少しだけど、自分でごはん食べてる。ニュートリカルとバターを舐めさせてから元気になってきたのでこれは続ける(=^・^=)


ディケンズのクリスマスキャロルをジムキャリーのアニメ?でやっていたので途中から観て懐かしかった面白かった。


街がにぎやかなのがやでとっとと帰宅。、でもさすがに鳥の太ももは食べたいので、会社のそばのスーパーで出来合いを買ってしまった。思ったより美味しかったりして。たんちゃんはすこづつでも自力で食べていた。えらい。


明け方すこしだけかりかりを食べていたたんちゃん。えらいっ。今日もちゃんとごはんを食べますように。朝薬飲ませるのに大格闘(>_<)てるてる坊主をじょうずに作るのが課題だ。


病院で診てもらったら体重はさらに落ちていたが、体温は平熱よりまだ低いけど、この間より上がっていた。見た目も元気で、先生の予測だと三日か四日目で具合が悪くなるのでここで胸水を抜くというプログラムだったらしいが、ここで調子があがったのを先生もクビをひねっていた。ニュートリカルの事も伝えたけどあまり問題ではないようだった。エコーで相変わらず胸水は200か300は溜まっているがせっかく今体調が上がっているのでここで痛い胸水抜きの処置をしてストレスを貯めるより今様子を見てから体調が悪くなったら連れて行く方が良いと先生と相談する。食欲は甲状腺の症状なのか、一時的に栄養が少しあがって体力がついたのかは不明。帰ってきてからもたんはごはん食べておかあさんは喜ぶ。ミンチごはんを気に入ってくれたらしく食べて嬉しい。


自分でごはん食べるとおかあさんにほめられるよ

たんちゃんすこしづつだけど、自分から夜も数口ごはんを食べていた。スープを少しと、ミンチごはんがお気に入りらしい。自分からスープを飲んだのでサプリメントをついでにお皿に垂らして自力で飲んだ。大変な事が。痛み止めシロップが終わってしまった。今日病院で貰ってこなければ。たんが自力で少しでもごはん食べるのは、やはりニュートリカルで栄養つけたからだと思う。がんばるたん。


母が退院したら作ってあげようと思っていた「鯵の炊き込みご飯」を作る。以前新聞に小田原のどこかの店で食べた方が「小田原の郷土料理」と紹介されていて驚いた。小田原人だがそんなん生まれてこのかた知らんぞ。その店のオリジナルだろう。要するに鯵の干物入れて日本酒とお醤油でごぼうと生姜を一緒に炊き、胡麻と大葉を混ぜるというもの。大葉はないので柚子をいれてうまっ。食べさせてあげたかったな。


はるのときは、スープもなかったし、知識もなくて、あれよあれよという間に死なせてしまったと思う。こうして検索すれば栄養補助食品とかあるし、腎臓が悪い子には湯たんぽを入れてくださいなんてもうとっくに重篤になってから言われたり、こうして好きなかんずめをミンチにしてあげれば少しでも美味しく食べられるのに。はるちゃんは最初の子だったから、おかあさんが無知だったばっかりに損しちゃったね(>_<)


いつまでもネガティヴでだめころ。しっかりしなくちゃ。元気がウリのころちゃんなのに(T-T)


夜てるてるぼうずはうまく作れたけどうっかりゆびでごはんをつっこんでしまいキバで今度は左手が血だらけ。血だらけになってもいいけど、血をたんが食べたら不衛生だからね。ニュートリカルとお薬舐めた。いや、舐めさせれたたん。


しみじみ母の事を遺品見ながら思い出す、という時間がないので、それをばっさり切るために、ほぼ遺品のほとんどを叔母たちにゆだねて性急にからっぽにしてしまった。「終活」と言いながら一緒に着物を整理できたのは良かった。だから棺にかけるように言いつけられていた着物もすぐに出すことが出来た。
ふところの年齢の頃に、詳細はほとんど覚えていないのだが、父方の縁だったと思うが身よりの無い方を母が引き取ろうとして当時まだ存命だった同居の父方の祖母や親族から大反対されて実現しなかった事を覚えてる。自分に血縁ないのに、それを唯一実行しようとしていた母がすごいなーと思った。
それなのに、母みたいに何でもできる人になろう、と思わなかったのは生来の怠け者のサガか。何の遺伝子なのだろう。酒飲みの子狸かちら。


どんなにさびしくても辛くても、自分は生きていかなければならない。たんの闘病生活がもうすぐ2か月になる。たんの事がなければ、母の事ばかり考えていてぐずぐずになっていたに違いない。それから、たんの看病があるから、すべての時間を空き家につぎ込むことはできない。そんな意味で、たんはダメかあさんに活を入れてくれてるのかな。


いろいろ雑念が出てきたのですこしづつ自分を取り戻してきたような。つまり生きてるってことは自分の欲望に従うという事かも。聖者でもない限り。
お母さんはすごい方なのよ、あんなにいつも大変なのに綺麗にしていて素晴らしい方はいないのよ、という声を小さな時から聞き続けていて、それに比べて娘の自分は努力もせず怠け者だし何をやってもダメだし何一つかなわないくせに、つっぱった事ばかり言って、立派な母に比べて劣等感の塊のままずっと来てて、最後に母の望む答えを言ってあげないままの親不孝した。これは一生残る。ひどい、ひどい言葉を発してしまった。タイムマシンが欲しい。弟や叔母たちに話したら、そんなのどうって事ないでしょって、みんな笑っていたけど、ころには大罪だもん。
空き家の実家の事がちらちらとよぎる。空き家のままにしておくのはあまりに辛いけど、空き家に行くのもまた辛い。
クリスマスは仕事する。お正月帰るところがなくなっちゃった。コドモの頃からずっと同じところで旗振っていた箱根駅伝の応援も今年からもうない。でも父の施設前でなんとか父と一緒に弟と一緒にやる。この年になって、きょうだいがいるという事は本当にありがたいと父母に感謝した。


それにしても今回丁度前日観た動画のBGMと逸話を電車の中で思い出していた途端このバンドの名前が出てきてびっくりした。びっくりしたあとしょんぼりぷんぷんになったんだけど。偶然ていろいろあるよね。思い出すところでは何年も前だけど小田原城薪能で萬斎さんの狂言が始まるまさにその時萬斎さんの名前が入ったメールもらったとか、ごく最近では、おフランスと渋谷で同時に同じビール飲んでいたとか。ぷんぷんは、率直に、いっこでも楽しい事で埋めたい気持ちをキャンセルされて肩すかしを食ったからかも。


タオルを二枚使うことでてるてる坊主成功。まず心臓のお薬入りニュートリカルを手で無理やり。規定量はティースプーン1.5杯分を一日三、四回に分けてあげるそうだが、もっとたくさんあげてもいいんだって。でも到底そんな量あげられず、お薬を混ぜたティースプーン4分の一くらいしかあげられなかった。だって手が出なくてもたんのキバで指かみつかれておかあさん血だらけだもん(T-T)
それから小さいシリンジでシーバのスープに混ぜた痛み止めとサプリメントを飲ませる。これは美味しいので無理に飲まされるのはやだけど、文句?はなかった。それからフードプロセッサーでかんづめをふんわりミンチにしたのをスプーンでお口に二口くらいで、これも美味しいので文句はなかった。てるてる坊主がうまくできれば無理やりもおっけだね。そこからすごいのは、たんちゃん、タオルから解放されたら自分でスープを少し飲んで、ミンチも二口自分で食べたかりかりもみっつくらいたべた!(^^)!
ほんの少しだけど体力がついたんだね。ごはんは大事だ。ねこもヒトも(=^・^=)
毎回敷物用バスタオル、てるてる坊主用バスタオル、今日からハンドタオルも追加、口の周りや、いやがって飛び散るごはんやよだれが服に着くので、着替え用、最後におくちのまわりをきれいにするための蒸しタオルが一回につき必要なので、朝晩で、毎日洗濯ものの量がすごいけど、これで済むならいいもんね。たんちゃんは奇跡の生還を何度も果たしたねこなので、まだまだいけちゃうもんね(=^・^=)


年明け新年会まであと一切予定なし。そういえば恒例のころ忘年会は自分に全く元気がないので開催しなかったけど、土曜日以外開催できないので、元々会社の予定やらなんやらで日程的に開催できなかった。自分でそんな企画出来る時はもう少し時間かかるかもで、1月中は無理だと思うけど、新生新月が姿を現す前にやりたいな。


朝のへんじのせつめいでなっとく。あと、ほんとにいつか行かれると良いな。去年の10月の終わりにもそんな事言われたけど未だに実現してないからにゃ(゜゜)忘れてるだろーけど。
でもいっこうれしいことがえへへ。


明け方からたんちゃんすごい。といってもほんの数口だけど、おふとん抜け出して、自分でスープ飲んだ!(^^)!それからおかあさんと一緒に起きてから、二種類のスープを自分から数口づつだけど飲んだよ(=^・^=)!えらい!ニュートリカルはかなり評判の良い栄養補助剤のペーストなので、これでやっと心臓病のお薬をたんの体に役立つ形であげられる。もっと早く検索すればよかった。痛み止めと関節炎サプリメント入りスープとニュートリカルと心臓病のお薬で、すこしでも元気になるように病気とおつきあい。むろんスープだけでは到底足りないので、ペーストごはんは強制給餌になるけどね。がんばるたんちゃん。


会社の忘年会に向かう途中入ったメールにえーっ!なにそれってしょんぼり。しくしく。
それから一旦会社に寄ってから築地から直接仕入れているという雰囲気の良い海鮮居酒屋さんに行き、でほんとに美味しかった。昨年の忘年会が地獄のように不味かったので、今年の幹事さんが相当頑張って探したのだそうだ。味もおしゃべりも満足で楽しかった。おみやげにお酒と、ころは外れたけどワイン当たったK子さんが飲まないからと言ってワインをくれてにこにこ。時間的に二次会にいくつもりはなくさくっと帰りの電車へ。
電車に乗ってから、ふたたび読み返してみたらなんだかどんどんぷんぷん、ってなってきた。再びメール送ったらオートコンプリートが変な変換したまま送ってしまい、ぷんぷんが伝わらないではないか。なんかめらめらしてたけど、暫く考えて、しょんぼり。仕方ないか。でも、そうか、そうかで、えへへ。


ニュートリカルが届いた。この栄養補助ペーストならお薬と一緒に舐めさせて一挙両得!かなりべたべただが確実って事だよね。しかしもう骨と皮だけのくせにたんの力の強いこと。


おかあさんが最近米粒とかぱんくずをベランダに置くからすずめやヒヨドリが来るんだよ。でもおかあさんは時々あたしはパンを踏んだ少女じゃないとかわけのわかんないこと言ってる うさぎのしっぽにあごのせたんちゃんなの。おみずもスープもまだ自分で飲めるよ

最後の歯医者さんから戻ってきたら、たんがお皿にわずかに入れておいたスープをきれいに舐めてあった。しまった。もっとたくさん入れておいてあげれば良かった。お水も自分で飲んでいた。えらいぞ。市販のチキンの介護食と、朝作ったまぐろとろみのすり身をほんの小指の先ほど無理やり食べさせる。右足をひきずってるが関節炎なら良いのだが。先生はなんとか日曜日までひっぱってどうしても具合悪そうなら土曜日と言ってた。胸水をぬく間隔をなんとか空けて負担を減らしたいとの事。心臓病のお薬と、ごはんと痛み止めが、おかあさんにかかってるんだよね(>_<)


夕べはたんちゃんはなにひとつ自分で食べてなかった(>_<)鼻がずびずびしていたので、慢性鼻炎が出たか。抵抗力が弱っているのでこれはいけない。点鼻薬をつけねば。
おくすりは、バターに薬を混ぜて食べさせるという方法をしていた方の書き込みをみつけ、先生に相談したら塩分が心臓に悪いですが、この際食べられる物ならなんでも、との事でなら無塩バターがよかろうと昨日無塩バターを買ってきてに混ぜる方法にした。毛玉除去剤はたんにはあまり意味がないので、バターなら少しでも栄養になるし。でも全然美味しそうではなかった。もともとごはんしか興味のない子だし。でも少しでも入ればまだましだ。夕べ一緒に寝たらたんの口元からバターの香りがした。
それにしても、がりがりのびょうにんのくせにものすごい力で抵抗してくる。てるてる坊主がどうしてうまく作れないのだろう(T-T) 首回りをもっときっちりと巻かないとだめなのかも。結局血だらけになってしまったおかあさんなのだった(T-T) んでもって、ご丁寧に「裏ごし器」で手で必死にスープの身をすりつぶしていたのだが、ころのおばか。フードプロセッサーという文明の利器を生前母からもらっていたやんけ。まだ一度も使ってなかったのでさっそく試してみたらよいではないか。これでたんの好きなスープとかんづめを混ぜてあげれば高い流動食を買わなくても良い。
痛み止めと関節炎サプリメント入りのスープをやっと半分スポイトで飲ませ、それから薬入りバターを上あごに塗りつけるだけで大騒ぎだった。ごはんを全く食べてないので、「介護食」を買ってきてみたのだが、一旦落ち着かないと食べさせられない(>_<)


退院後の母の通院に付き添う夢を見た。亡くなって二週間くらい経ってから電車の中で見たのと同じふわふわ金糸黒糸まじりの赤いセーターを着ていた。衣類の整理をしてもあのセーターは無かったので、自分で処分したのだろう。夢の中でころは母より数歩後からついていってて背中しか見えなかったが自分で歩いていたような。


とにかく初めての味がポイントらしく初めて買ったスープとか初めてのおやつかりかりを少しだけだけど自分から食べにいった。でも、口元に持って行って飲めるスープはあるけど、もう自分のテーブル、に行く気はないらしいので、ちびっと無理やり口に押し込んでしまう。たんはえらい。


やっぱり今はたんちゃんの事が一番だ。新月の事考えながら、少しでも進めたい気持ちはあるんだけど、ヒストリーどころか新月日記もなかなか書けないや(>_<)


たんちゃん昨日初めて買ったモンプチの「おやつ」かりかりを夜の間に食べていた。まだ自分から食べたい気持ちがあるので多少は安心だがほんのわずか。お薬を飲ませるのに胃に負担がかかるといけないので、たんのおともだちのパパから教わったスープの実を裏ごししてシリンジでむりやり口に入れてみる。全然喜んではいないが、何口か分は食べさせられて、さらに痛み止め(三日に一度針を刺すので少しでも辛いのを軽減するために必須)と関節炎のサプリメントを溶かしたスープの汁の方をこれもスポイトで無理やり。半分だけ飲ませる事ができたので、今度は粉薬を毛玉除去のまずいペーストとペーストごはんに混ぜて無理やり上あごにつける。オブラートを飲ませる事が出来れば完璧だが、もう怖くてできないし、先生もペーストの方がお薬は完全に飲ませられなくても安全でしょうとのことだった。ad缶について聞くのを忘れたのでネットで調べてみたら、お水が溜まってる子にはあげてはいけないのだった。はるちゃんの時とは全く違う病気なんだから、素人判断は危険だ。療法食は先生と相談して購入しよう。早くサプリメントが届かないかな。あしたになるのか。たんの口元にモンプチミルクスープを近づけたらスープだけを一袋分ぺろぺろ舐めてえらいぞ、たんちゃんは、と褒めまくる。


くすん、夜中に悲しいお知らせが(T-T) わーんわーんわーんわーんわーん。ここには行かれない運命なのかにゃ。まあ今年は運が良いわけがないからにゃ。来年に期待する門。それにしても、なじぇあの店が推薦だったのか、意味がわかったぞ。ころちゃんが最初考えていた理由とはちがっていただ。


たんの元気がどんどんなくなってきた。病院に連れて行く頃にはいかにも弱った感じで、体温測ったら35度しかない。一昨日抜いたばかりなのにもう200cc抜いた。病院から戻ってくるといつも元気にごはん食べるのに、全く食欲ない。さらに体重減って体温も低く体力は確実に落ちてるとのこと。バターに混ぜてお薬あげても良いとのことで明日無塩バターを買ってこよう。やたらお風呂場に行くのが気になる。ねこが水場に行きたがるのはあまりよくない。


今日は静かに新月を聴くことにした。たんの事は別として、なんだか不思議な安心感があって、新月聴く気になった。ヒストリーの第三期の部分に加筆せねばと思う。思うまでになった。なったけど、まだそれを実行するまでのエネルギーは到底ないや(>_<)


体重が2.7キロになっちゃった。ごはんが大好きだったのに、最近あんまり食べられないの。でもスープは少しのんだよ。 お薬を全部飲ませられないからだっておかあさん落ち込んでるけど、ぼくお薬きらいだからいいんだもん それにお陽さまはぽかぽかで気持ちいいからいいの

今日朝から建設的な事は何もしてない。でもネットでえんえんオブラートの包み方やねこへの薬の飲ませ方を調べる。オブラートは半分で良いらしい。それをなるべく小さくして、喉に押し込むと気管支に入ってしまう危険があるので、奥の舌の上、に乗せるのがポイントだそうだ。そうすればねこは自分で呑み込ざるをえないそうで、それから水分を飲ませないといけないみたいだ。昨日の朝は本当に危険だった(>_<)ごはんを食べる量が少しだし、かと言って点滴まではしないようなので栄養補助食品がないかと調べてみたら、ニュートリカルというのを見つけ早速購入してみる。明日届けば良いのだが。たしかはるの時はヒルズのad缶を薦められた気がするので、これは今日先生に聞いてみよう。手をこまねいてはいけない、できる事はなんでもやらなくちゃ。ねこ用ミルクはたんは全く飲んでくれないので、とにかくごはん以外で栄養とってもらわないと。いろんな人たちが必死でごはんや薬を飲ませようとしてるブログや質問回答見ながら涙が出てくる。でも、病気は可哀想だけど、一握りの幸せな子たちだよね。


たんは夕べ少ししか食べてなかった。月曜日に抜いたばかりなのに、水が溜まるサイクルが縮まっているのかもしれない。つまり心臓がちゃんと動いていないせいだ。薬を100%飲ませられないのが悔しい。月曜日お医者さんはおうちでゆったりした時に飲ませますか?と聞いてくれたんだけど、自信がなくて飲ませてもらって良かった。ペーストだと9割程度だ。かんずめのかたまりはあまり食べられないのでお湯でふやかしてスープが出るようにしたら五分の一くらい食べてくれてほっとした。


銀座行くか、あるいは渋谷Bunkamuraでマリーアントワネットの映画やってるので観に行きたいなとも思ったがやめる。なんせ底をみるのがまだあと二週間足らず残ってるので、年内はひたすら静かに過ごすことにする。服が着た切りスズメなので、バーゲンにも行きたいが、あきらめるだ(;_; )( ;_;)新宿でイルミネーション見たから、ま、いっか。


はっ。朝突然、新年会はこの人数ならもしかしたら前回ころが「気を遣い過ぎて」逃してしまったお店に行かれるのでわなかろーかという事に気付いただ)'0'(最後のわがまま聞いてもらえるかちら。きゃあ。


んでも新年会ほぼ決定たそうでうれしいにゃ。


夕闇が迫ってくる時がいちばんやだ。がらんと空き家になってしまった家で微笑んでる母の写真が目に浮かぶ。もう二か月も経ってるのにいつまでもダメころ。


オブラートが怖くて夜はペーストとペーストごはんとお薬ブレンドを手で直接たんのうわあごに無理やり塗りつける修羅場だが9.5割はいけた。6キロあってむちむちころころのたんが骨と皮だけになるなんて信じられないけど、甲状腺の症状のせいで変にハイなのが、つらい。つらかったらつらいようにしてくれればいいのに。代ってあげたい。厄は「おばあちゃんが持って行った」んだから、たんは何も背負う事ないんだから、って事をもう一度説得せねば。


結局どこかでランチどころか、だらだらだらだらだらだらだら過ごして家にあるパンかじるという正しい休みの過ごし方で夕方になってからバス電車に乗って本厚木のペットファクトリーでいろんな種類のごはんを買って帰ってきた。なんこか空けてあげたら、すこしづつでもまんべんなくいろんなごはん一口づつ食べてくれた。たんはすごくえらい。


最初に飲んだ白ビールのコースター。ヒューガルデンに似てるけどちと違っただ ピンクの象さん。クリスマスバージョンのデリリウム。20度のビールはころちゃんには飲めなかった ギネスぽくて飲みやすかったにゃ。グラスの浮彫はえとなんだったっけ? 味見させてもらうの忘れた。クリスマスの包装がかあいい。 本日のゲストビール。横文字の名前は覚えられないだ

ベルギービールのお店は、自分で直接好きなビールを取りに行ってチェックしてもらうシステムだった。んでもころは、なにを頼んでいいのかわかんないので、くっついていって選んでもらった。最初に飲んだのは白ビール。うーん。素人にも飲みやすいヒューガルデンとはちびっと違っていた。てかスーパードライに似てるというもっぱらの評判じゃった。ピンクの象さんはなんとアルコール度数20度もあるんだって。味見させてもらったけど、ひゃー。普段安くて薄い第三のビールしか飲んでないのでくらくらしただ。HENて書いてあるビールを味見させてもらったら、ギネスぽくて美味しかったので、次にこれを頼んだ。グラスの模様があんまり良くわからなかったけど、ビールごとにコースターとグラスがちゃんと決まってるのがすごいにゃ。前の席でさしつさされつしてた包み紙がクリスマスのビール味見させてもらうのわすれた。最後に本日のゲストビールは泡がソフトクリームみたいで麦味もしっかりで美味しかった(^〜^)
二次会選びは今度は和ということで居酒屋さん選び難航、さすが忘年会シーズンの花金なのでどこも混んでた。いわゆるおつまみ食べつつふつうの生ビールぐびぐび(^〜^)さくっと駅に着いてさくっと帰宅、の予定が、家に辿り着いたのがその予定時間より二時間三十分後だったのだった(T-T)


おかあさんなんかだいきらいだ。オブラートが喉にひっかっかってげほげほして苦しくて、それから苦くて酸っぱいお薬が喉にひっかかって死ぬかと思ったんだよ、ぼく。

たんは暫く寝ていた。昨日一回薬を全く飲んでいないので、絶対に飲ませば。でももうオブラートは怖くてできない。失敗の原因は成功した時は先にスープ飲ませて喉を湿らせて、その上でオブラートも湿らせてから飲ませていたのに、今朝は包みが大きかった上、喉を湿らせないまま飲ませたから、ひっかかってしまったんだ。もしも、これでオブラートも湿らせないで飲ませていたら、と思ったらぞっとした。なんとか少しでも成功させるために、違う方法を考えた。以前もらったまずいペーストに粉薬を混ぜ込み少しだけペーストごはんと混ぜて少量にして、たんの上あごにくっつけてみた。これで9割か。泣きたくなったけど、あきらめないもんね。お掃除してから出かけよう。本厚木のペットショップだな。泣いて何かが解決するなら一生泣いてるよね。


元旦の朝の「底をみる」は頭の片隅にいつもあったけど、今年の前半は楽しい事がたくさんあった。三月までお茶のお稽古に通って母に喜んでもらったり、クライミングの全県制覇パーティに呼んでもらったり、さばの湯で牛浜ブラザースのミニライブと飲み会があったり、それから能楽堂にも通ったし、U・Kライブにエイジアライブと派手だったよねー。その分「好事魔多し」があたまにちらちらしてた。
後半の始まり、つまり7月の自分の誕生月は、新月月でもあり、重要な意味を持つ月なんだけどい、実はころにとって一年で最も運気が悪い月なの。ある意味再生の月なのかもしれない。
で、パソコンがいきなり壊れるのを皮切りに、お気に入りの日傘を忘れたまま戻らなかったし台風やら車両事故で7時間も電車に閉じ込められたり。9月にたんの甲状腺の病気が見つかり10月末に一時危篤で入院して今に至る。
母の入院日に、これ崩してきて、って渡された5000円札を不注意で失くしてしまった時、母は「厄払い」と笑っていたけど、ころはものすごく嫌な感じがした。その予感が的中してしまった。「底をみる」。まだ今年は終わっていない。これ以上の底があるのかな。
ただ・・・もしかしたら、本来はころに来るはずだった「底」を、母が持って行ってくれたのではないだろうかと思い始めてきた。そして母方の男がみんな死んでしまう年になった弟の厄も、母が生前言ったという「その厄はわたしが持って行くからだいじょうぶ」を実践したのではないか、と。たんだって危なかったのがこうして闘病中だけどちゃんとがんばってる。生きている間も、亡くなってからも、母に守られてるんだって気持ちが強くなってきた。
何度もこの話書いてるよね。四コママンガ「フジ三太郎」。五月五日は子供の日。大人になってるフジ三太郎がふとんけとばしてお腹出してるところへ、仏壇からにこにこ笑ったおかあさんが毛布をかけてあげようとしてる絵を思い出した。親は毎日子供の日、だって。


今日は午前中たんのごはん買い物に行ってどこかでランチして、午後はめいっぱいだらだらしようと思ふ。ちと疲れたやね。すかす、能でるんるんして帰れば人身事故で足止め、励まし会でるんるんで帰ればいたずらによる車両事故で帰宅が二時過ぎ(T-T) になったりと楽しもうとするとしっぺ返しが(;_; )( ;_;)ちゃんと喪に服してないからバチがあたってるのだろうか)'0'(いずれにしろ年内はもう何の予定もないので、静かにたんにお薬飲ませて過ごすのみ。ただ、銀座にだけは年内お買い物に行きたいなあ(゜゜)遠い目。


夕べはたんが病院から戻ってきてからやたらとハイで、食欲があるのは良いが何度もうろうろうろうろして無駄な体力を使うのでハラハラしていた。甲状腺の症状なのだと思う。その反動で今朝はぐったりしてる。夜もあまり食べていなかった(>_<)でも朝とろみのついたかんずめを自分から少し食べていた(=^・^=)たんはえらいっ。
でもおかあさんはえらくない(>_<)オブラートが喉にひっかかってしまってたんがくるしんでしまった。お薬全部吐きだしてしまってもうどうしようかと思った。情けない。落ち着いたら朝はおくすりごはんに切り替える。


近所でご不幸があった(>_<)おとむらいは辛い。


主治医の先生はおかあさんにはたんの事を言う時、「たんげちゃんは」ってちゃんづけなんだけど、たんに向かっては「たんげさん」とさんづけなの。会社のねこ好き友人によると「過酷な治療してるたんちゃんに先生は敬意を表してるんだよ」だって。そういえば、ここに引っ越してばかりの頃たんが脱走して干物になって帰ってきたときとか、尿路結石で死にかけた時も「ちゃん」づけだったからね。昨日は胸水抜いた後、喉が渇いてお水を飲ませてもらっていたそうで、戻ってきたたんに「お水飲んだの?」と声をかけたら、先生が「はいお水を飲まれました」と敬語で言われて可笑しかった。先生は何とか胸水を抜くのを一週間に一度にしたいですと言ってた。たんがんばれ。いや、おかあさんがお薬を飲ませるのをがんばらねば。


ショック(>_<)先生に100%飲ませました!などと豪語したのだが、病院から帰ってきたら、オブラートくるみ薬がまるまるベッドに落ちていた!今朝の分だ。しまった!水が溜まるわけだ。これならおくすりごはんで7割飲ませた方がまだましだ。どっちが良いのかもうわからない。また涙でそう。


新年会をやってもらえるのでるんるん。日程の希望は上京ついでの能楽堂に行く日にしてもらったので、これで進むそうだ。奇しくも母の月命日お店は、先日の二次会やったお店かにゃ?時間が合うと良いにゃ。んでも、もちっと美味しいところがあるような気がするにょのにゃが。む、推薦の理由がいっこわかったぞ。


食欲がそこそこあり元気なのはやはり甲状腺の症状のようだ。だって食べてるのにさらに痩せている。たんを触るといきなり背骨のごつごつだ。お薬100%飲んでるのに今日も250CC溜まっていた。食欲がある事の方が大事なので、やはりしばらく甲状腺の薬はストップしますとの事だった。後ろ足は先日よりは良くなっているのか、多少ひきずる程度だけど、それともねこは自分が痛いのを隠そうとするので、本当はもっと痛いのかもしれない。かわいそうで涙が出るけど、泣いて良くなるわけではないのだから、とにかくお薬100%を続ける事、ごはんをいろんな種類を買ってくるようにしよう。


ヒストリーの事があたまをよぎるけど、正直今自分が書いた新月ヒストリーを読み返すエネルギーもまだないや。自分で書いたものなのにそれを読むだけでもエネルギーがいるなんて変なの。でも、つまりそれが新月なんだよね。なぜか、っていうのはわからない。


今朝もオブラート作戦大成功(=^・^=)!スープで、まわりを湿らせて、寝込みを襲って、するっと呑ませられた(*^^)v夕べかりかりとかんずめを少し食べていた(*^_^*)ただ、甲状腺機能亢進症の薬はストップになってるので、この食欲は甲状腺の症状なのかもしれないので、今日先生に聞いてみよう(・・;)ただ、やはり食欲は落ちつつあるので、また水が溜まっているのかもしれない・・・


励ます会をやってもらったのにえんえんネガティブ(>_<)でも、まだいいよね。いきなり元気になれる人なんか、いないよね(/_;)


こんな事を何度も考えながら、少しづつ気持ちも整理されていくのかな。もっときちんと書いて整理していこうと思う。ころ日記だから、良いんだよね。すかす一日たりとも家に居る事が出来る日がなくて、さ、さすがにヨレヨレ。


もしも、だったら、れば、は無いのだ、無いのだが、11日の日にもお見舞いに行って様子を聞いていれば、血液さらさらの薬を入れるカリキュラムを把握できていたのに、とか。 だって、母の遺体と共に霊安室に向かうエレベータ待ちの時主治医がやってきてしどろもどろで遅い夏休みを取っていたので午後から血液さらさらの薬を入れる予定だったんですがとか言ってた。
それが本当なら、もしも、あの日、リハビリが11時からでなく13時からのスケジュールだったら、とか。
面会時間なんか無視して、役所の手続き聞くんだから、面会時間外でも強引に午前中に病院に行ってたら、そのままリハビリに立ち会えて母の死に目に会えたのではないか、とか。
でも現実は、ころが10時すぎに送ったメールを読んだ後返信する時間がないまま、リハビリに呼ばれ、足踏みをしてみて手術の傷は痛いけど、痛くなくなった両方の膝で、いよいよ平行棒につかまって自分の足で歩く事になり、母は数歩歩いた。そして、血栓が心肺に飛び、気分が悪いとの言葉をスタッフに伝えてベッドに横たわった直後、絶命した。
その数歩歩いた間に、どれほどの夢と希望がが脳裏に走ったかな。
家から十メートルも歩けば堤防にぶつかり左に曲がらず右に降りればそこから海へ行かれるのに、痛くてもう十年近くも降りていない海へ父と一緒に散歩に行かれる事、小田原城はエレベータがないので、十年近くも昇っていない天守閣に上るとか、仲良しさんのグループがこれでバス旅行が計画できるわとみなさんおっしゃっていて、これで世界がもっと広がるって思ったのか、あるいはもっともっと大きな事かな。
でも一つだけ確信があるのは、母の死後怖くて確認出来なかった母の携帯メールを確認したら、ころが送った最後のメールをちゃんと読んでいたので、午後ころが面会に行くのは 知っていたのだから、自分の足で歩いたわよ、って誇らしげに伝えようと思ったはずだって事だね。見たかったよ。良かったね、お母さん。
昨日施設に行き父の部屋に入ったら、父は機嫌よく「大人の塗り絵」をやっていた。ぼけじーさんになる前は、元々父は多彩で絵を描くことも好きなのだが、脳の活性化に良いと母が購入したものだが、施設にはいって自発的にこんな事をするなど無かったので、慣れてきたのかなと思った。と同時に、母が家に居る時はこれをやりなさいとか言ってたんだと思うと涙ぐんでしまったが、ちゃんとやってるよ。


会社で酷使されて重いものをたくさん持たされ腰痛持ちではなかったのに腰が痛い。労災だ〜。などと思いながら、夜道の澄んだ星空を眺めて帰途につきつつ、母のあの日、考えて涙が止まらなくなってしまった。病気をしていたわけでもない、何の落ち度もない母が、なぜ死ななければならなかったのかという気持ちが、いまごろなってふつふつと湧いてきてしまってる。亡くなった当初は無理に気持ちに折り合いをつけようとしてた。


14時間留守になってしまいたんの事が気になっていたが、朝100%お薬を飲ませられたのとたんが少しでもごはん食べていたので、安心はしていた。
帰ってきたらかりかりをお皿半分と、気に入らないかんずめ二皿は残していたが、スープのお皿は実は少し残していたが飲み干していた。わずかでもごはんは食べているのに数日うんちをしてない。明日もしてなかったら明日先生に言わなくちゃ。
会社の友人に「オブラート」について注意受ける。「子供に薬飲ませる時も親が舐めて湿らせてから飲ませたよ。オブラートが最初に吸う水分が喉の粘膜だと喉にへばりついて危険だからね!たんちゃんにあげる時も先に少し湿らせてあげてね」。あわわ。夕べと今朝、オブラートで飲ませようとして何度も失敗したのはたんの舌に乗って吐きだしてしまい、つまり、たん自身の唾で湿っていたから良かったのか。何の知識もないまま、もしいきなり乾いたまま喉に押し込んでいたら・・・ぞっとしてしまった。こんな意味でもたんは運が良い。
人間が舐めて雑菌がついても心配なので、先にスープを飲ませ、お皿に少し残ったスープでお薬くるんだオブラートを湿らせて、教えてもらったてるてるぼうずがうまくできたので、手が出ない状態のたんの口をぐわっと開けさせて、なるべく喉の奥に押し込んで、口を閉じて、たんちゃんにお薬を飲ませるの歌「ごくごくごくごくごっくんくん♪」を歌いながら喉をさすさすして、鼻に息を吹きかけると・・・あれっ、飲んだ???あまりにするっと呆気なく飲んだみたいなんだけど、基本的にたんを信用してしてないので、どこかに吐きだしたのではないかと探し回ったが、ほんとうに飲んだらしい。
昨日の夜、今日の朝夕、100%。これで食欲がなんとか衰えなければ良い。たんの心臓が動きますように。明日夕方病院に行って水が溜まっていないと良いが。いまたんにさわると骨ばっかり。ころんころんのたんに戻りますように。やたらお風呂場に行きたがるのが少し気になる。あまり水場に行きたがるのはあまりよくないが、心臓動けば大丈夫。


新宿モザイク通りのイルミ モザイク通りのイルミ

るんるんの余韻と、たんにお薬をちゃんと飲ませられるようになって、気持ちがだいぶ上向いてきた、ころちゃんは大丈夫(*^_^*)


聞いて!今朝もオブラートにくるんだ三錠分のお薬を何度か失敗はしたけど飲ませる事が出来た!(^^)!たんちゃんはかなりナーバスになっていたけど、お薬100%だよ(=^・^=)今日は仕事でかなり夜遅くなってしまうので、お薬100%飲ませてかなり安心。左心房が全く動いてなくて、右心房もちゃんと開閉してないんだけど、せめてこれで右心房だけでもうごけって念入れる。おかあさんはしつこいから、たんを治すけんね。明日お医者さんに行って、少しでも水が溜まっていませんように。


むむむ。すかす、新たな課題が。ちびっと過去ヒストリーに加筆訂正が必要だなー。


お薬をごはんに混ぜずに、この際一気にのませようと、オブラートでくるんで、苦闘の末に飲ませる事に成功!(^^)!100%だ。よしっ。おかあさん絶対に治すけんね。


日暮れになってそれが暗闇になってイルミネーションが街のあちこちに見えるだけでずーんと暗くなってただただ悲しい気持ちになっていたんだけど、昨日行く前からるんるんで、新宿の街のイルミネーションを見たら華やいだ気持ちになった。 今日も暗くなってから帰宅する時、父と母の事をおもえばずずんでなったけど小田原の街のあちこちでイルミネーション見てもなんとなく嬉しくなって、クリスマス小物を買ったりしち。


うん。ころ、しあわせものだよね(/_;)


まずいかつどんを食べてから(T-T) 施設に向かう。
「羽衣」は父の得意曲だが、今回の母の事があり、さらに深い重要な意味を持つ曲となった。父には全くわからないだろうが。
でも「羽衣」を久しぶりに人前でできることが嬉しそうだった。三回ほど練習してもらい、むろん往時に比べれば全く声など出ていないが、本番では堂々たるものだった。もっとも半分くらいの人は馴染みのない謡にきょとん、という感じだったが、すごいすごいと言ってもらって父も本当に嬉しそうだった
聴きながら天女が富士山を超えて霞にまぎれて天に去っていく最後に涙がこみあげてきた。 本来なら11月、父母ところと三人で鑑賞に行く予定の曲が「羽衣」で、母がそのチケットをさしあげた方々が、まさか、母の供養とだぶらせて鑑賞するとは思っておらず、天女が富士山から霞にまぎれて天に上る姿が感無量とおっしゃっていただき、不思議な因縁の曲なのだ。
先日実家に行った時に母に「羽衣謡うから絶対に来てね」と頼んだので、きっと一緒にはらはらしながら聴いていたと思う。良かった。でも、父はそんな誇らしい一瞬もあっという間に忘れてしまうんだよね(..)
それから部屋に戻ってから、エンドレスで「お母さんはどうした?」の質問に、エンドレスでうそをつき続ける。いや、うそ、ではないんだよね。”手術後やっと平行棒につかまって少し歩いた”は、この目では見てないけど、整形の先生に聞いた最期の本当の母の姿だったんだから(もっとも弟と二人で先生に言わせたのかな)。
だから父へは永遠に母は平行棒につかまって、数歩歩いた、ってところまでを言い続ける。ころは、うそと坊主の髪はゆわないもんね。ただ、いっこだけ、母が亡くなったという事を父には伝えない嘘は一生つくけどね。


眠い。ねぼーした。大幅に予定が狂う。ほんとーに昨日のうちに動物病院に行っておいて良かった。とにかく父の施設に行かねば。たんちゃんのてるてる坊主をうまく作れず、おくすりごはんを朝うまくたべさせられず泣きそうになる。


駅構内に入って吃驚。ホームには人が溢れかえり、ええええ?にゃんと車両点検の為(アナウンスでは言ってないがいたずらの為らしい)激しく遅延。当然タクシーもすごい行列で、にゃんと家に辿り着いたのは2時を過ぎていた(T-T)
先日のお能でるんるんの帰りのロマンスカーも人身事故で激しく遅延して足止めを食らったが、やはり今年は最後までそういう運命らしい。当たり前だが親が亡くなって良いわけがない。ただ自分の事はどうでも良いが、とにかくたんちゃんのお薬が、朝病院でもうまく行かなかったというし、その日のうちに飲ませる事が出来ないのが気が気ではなく家に着いてたんのにゃあ、を聞くまで気が気ではなかった。おくすりごはん無理やり食べさせてお風呂入って、もらったかあいいおみやげ見てえへへ、お菓子はまずは母の写真にお供えして、お下がりをもらうことにしただ。結局寝るのが3時過ぎになってしもた。


ちょっと早めに出てサンローランでコスメ買ったり朝ごパン用にトロワグロでクロワッサン買ったりして、ミロードのイルミネーション見たり。
んでもつまり、年内はまだ半月あり、ころちゃん最悪の年はまだ終わってない、ユダンできないのだ。
行ったことのある店ではなかった。いきなり衝撃の事実で、ジビエフェアが11月いっぱいで終了と告げられてがーん)'0'(ムール貝とハマグリのお吸い物は美味しかった。ポテトとパンとフィッシュアンドチップスでおなかいっぱい。フィッシュはタルタルソースよりビネガーで食べた方が好きだったにゃ。
くくぅ、選択もんだいは変に義理を通すとか気を使わずまっさらな欲望のままで突き進まないと人生損だというのがよくわかった。おいしいものを食べそこなってしもた(T-T) えーんトリニクおさかなー。
んでも、味見させてもらった分も含めていろんなベルギービール美味しかったし、とにかく楽しかった(^〜^)
二軒目の店探しのこだわりのポイントが良くわかんないけどこのツアーも楽しかった。ほたるいかの沖漬、一人で食べてしまったいくらおろし、厚揚げ問題は結果的にみんな食ってしまうわけやね。
わーい♪楽しい時間はあっという間に過ぎてすっかりごちそうになってしまい時間もばっちりでるんるんで駅に着いてロマンスカーに乗って帰ってたんちゃんにおくすりごはんを食べさせておっけ。のはずだったのだが・・・(;_; )( ;_;)


主治医の先生のお休み日だったのだが、明日また施設に行かないといけないので動物病院へ。足は血栓ではなく関節痛で冷えが良くないそうだ(>_<)。また300cc。お薬飲ませられないからだ。でもいつも病院でお薬を完璧に飲ませてもらえるので一回は安心なのに、泡だらけになってしまったと言われえーっ。やはり無理してでも明日の朝主治医の先生に診てもらったほうが良かったか。すごく心配(@_@)まだ時間は間に合ったので、歯医者さんにも行き仮歯を本歯に入れてもらった。すかす、ヨレヨレボロボロ。帰ってきてからはたんはごはんをいっぱい食べて満足そうで出かけても良いよと言ってくれて良かった。


とにかくぱーっと明るくやってほしいにゃ。暗い話題はやだもんね。笑って過ごしたいもんね。すかす肥満悪化してるわ髪型ヘンだわでえーん。んでもって、そか、トリニクとおさかながおいしいという条件がクリアされていたのね(T-T) くすん。仕事中から親族間のメールに忙殺されるわ。昨日いったんぐずめそを止めて、メールのやりとりしていたら深堀できてたのににゃ。新年に期待したいにゃー。んでも、ぷぷ、たのしみ。やってもらえる事が嬉しい。多分以前一度行った事のある店のような気もする。


たんちゃん夕べ少しかりかりと初めて買ったかんずめを自分から少し食べていた。朝は病院でお薬飲ませてもらえるので、痛み止めシロップ入りのスープを飲んでくれた。しかしごはんの量としては2割程度。後ろ足を夕べからしきりにぶるぶるふるっていて、片足をひきずってる。この病気は最悪足に血栓がつまると大変な激痛と苦痛になるので安楽死させないといけないらしい。それだけは絶対に嫌だ。くるしいのと痛いのだけはたんから除いてほしい。そうなったらおかあさんが代りますってお祈りしよう。


いきなり見えた流星にお願いはもちろんたんの病気を治してください。


えーん選択もんだいを昨日中に返事するつもりがとにかくバタバタで小田原駅に着いてから返事しようと思った矢先に、あううう。えー、それを先に言ってくれればと思っただ(T-T) すかす、きっと男子と女子の違いかなー、だって最初の仕切り人が決めたんだからー。えーんえーんえーん。んでもジビエ楽しみ。んでもころちゃん明日朝いちばんでたんを病院に連れて行き、それから時間があれば歯医者に行くだに。髪切ったら髪型ヘンになるし、体重がさらに増えてるし、服もヨレヨレのまんまでくすん。


おひる叔父叔母に蟹甲羅をごちそうになり、昨日の時点では父の施設に寄ったらとんぼ帰りするつもりだったが、結局午後から実家に行き日暮れまで片づけ。1人でいるのはものすごくきつい。きついけど、1人で顔と目がぱんぱんに腫れるまで泣きながら母の物を少し片づけて少しだけ、浄化されたような気がする。親戚との連絡事項多しで、究極の選択に返事ができないぞ。
叔母たちにお願いして母の衣類アクセサリー関係をほとんど根こそぎ分けて整理してもらったっけど、少し性急に片づけすぎてしまったかもしれない、かなりさびしくなったかな。でも、ただ眺めてだらだらしてるより、今、身につけてもらっていた方が母も喜ぶもんね。ただ、小物類はまだお世話になった方への形見分け用にもっと取っておくべきだった。どうする(T-T) ?


叔父叔母が迎えに来てくれてるのに出遅れてしまいたまたまあったロマンスカーの切符を自販機で買うがおつりが出てこなかったりのトラブルで危うく遅れるところだった。それに、特急のくせになんで急行と時間が変わらないのだ。んでも父に「羽衣」の謡本を届ける事ができて良かった。母の好きな曲であり父の得意曲で、ちょっと練習してみたらと叔母が水を向けたら謡ってみたが、やはり全然練習してないので、あまり声がでてなかったが、謡の話は嬉しそうだった。良かった。


てるてる坊主がうまくできず繰り出されるねこパンチに苦戦するが、おかあさんはあきらめないもんね。治すもんね。


す、すかすなんだこのいきなり降ってわいた究極の選択わっ。みぎゃーーーーっ)'0'(人として今選べるわけないじゃん(T-T) あ、何も選ばなくてもいいじゃん。良いことを考えた!


明日は新月。だが、父の施設へ行かねばならない。早く帰れたら、新月日記も書けるかな。ほんとに2003年第二期新月復活前夜、そして新生新月出現前夜、と真逆だ。やっぱり、何か意味があるような気がする。


月命日は叔母が行ってくれて位牌にお線香をあげてくれて良かった。月命日イコールいきなりすべての生活が根底から一変したあの悪夢みたいな日の事はフラッシュバックが間々ある。前日とにかく疲れ果てていたので、この日だけは休むと宣言して見舞いに行かなかった。これを一生後悔してる。
当日は、午後から役所の手続きしてから病院に行くか、先に病院に行くか、午後一番でリハビリなら部屋で勝手に書類みるね、なんてメールを母に入れて、返信がないまま、おひるどこで食べようかな、なんてぼんやりしつつ、ぼちぼちでかけるしたくするかな、ってところへ信じられない電話が病院から入った。
リハビリ中に意識を失ったとの連絡にえ?
なんだかわけのわからないまま、一番近くに住んでる叔母にすぐ連絡して行ってもらい、弟に連絡し、タクシーを呼ぶのが早いかバスと電車かとか迷いつつ、渋滞があるより公共機関の方がいいかと思う程度ののんきさで小田原に向かう電車待ちで、最悪の事態らしいと叔母に連絡取った弟から連絡があり、は?
あたまの半分では着いたら回復してて、なーんだ、焦っちゃった、になるはずだ、という希望と、あたまの半分では万が一、母のお葬式を出さねばならないのか、という最悪の事態を想定した冷静な自分がいた。それが現実になった。
病院てすごいねえ、いきなり早く部屋片づけてくれとか言われてそっちのミスで死んだのになんだそれはと言いたかったが、とにかく大急ぎで(なんで?)片づけさせられて、午前中までぴんぴんしていたはずの人間を、いきなり地下の陰気な霊安室に荷物みたいにがらがらと入れて「葬儀屋さんは患者さんの家族で探してくださいね」って、はあ?
幸いダンドリの良い母があらかじめ万が一の時はここ、と決めており、だれも葬式の事なんか考える余裕のないままぼーっとしてる親族の中、ころだけがそれを知っていたので、すぐ電話して、とにかく自宅に連れて帰る、って連絡したんだけど、弟もほかの親族もただただ茫然としてた。当たり前だが何か命に係わる病気で入院していたならともかく、誰がそんな事想定してるだろうか。・・・
まあ仕方ない。どんなにしても母は戻って来ない。もう盃の水を飲みほして、旅立っていったんだからね。


たんちゃん、ごはんはかりかり少しとかんずめを少しだけ食べてあった。うーん、これだけでは(>_<)教わったやりかたでなんとかてるてるぼうずにしようとしてるのだが、うまくいかず病人のくせにやたら力強いねこパンチが繰り出されて夜のお薬ごはん難航する。首回りの巻き方がまだ足らないのかも。


今朝お薬9割といったところ。スープを飲ませて胃を整えて、それからおくすり入りごはんをシリンジでむりやり。その後とろみほたてを口に持って行ったら少し食べてくれた。『殺意への船出PART2』の途中だが時間切れ。今日は母の月命日。あしたは、新月。


今日はたんの病院日なので強引に仕事から早く帰ってきて病院へ。今日は200CCで心臓の薬が多少効いている結果のようだ。食欲が出て一瞬喜んだが、代わりに甲状腺の薬がストップているせいではないのだろうか(>_<)朝出かける前にお薬飲ませるのがほんとにスリリング。これにすべてがかかってるんだもの。いろいろあって父の施設になんとか間隙縫っていかねばとかもろもろがどとっと来てきがくるいそう。今年は底を見る。いろんな厄を母が背負っていってくれた。でもまだ、今年は終わっていない、という事に数日前に気付いた。まだ、まだ、まだ。いつになったら思い切り泣ける暇が来るのだろうか。来ない来がする。


第二期新月の復活を聞いた2003年はるんるんで今頃は新月の事にすべて投入していたが、今新しい新月の出現前夜の今は、時間とエネルギーが予想もしない事でなくなってしまい新月日記すら書けない。真逆だ。何かこれも意味がある事なのかな。もうじき、今年最後の新月がめぐってくる。


まだ母が亡くなったのは実感がない。実感はないが、空き家がその事実を突き付けてくる。父は素人目にはかなり落ち着いて見えるけど、プロから見るとそうではないらしく、実は今ひんぱんに面会に行くのも、良いとは言えないらしい・・・。
小津監督の「東京物語」をやたらと思い出す。今の感想は、若い時観たのと全然違う。これについてはまたちゃんと書こう。大人になって、やっとわかったところがある。
もうすぐ2度目の月命日だが、仕事で家に行かれないや(>_<)


朝とにかく時間との戦いで、おくすりごはんを食べさせる。痛み止め入りをのませることが出来ず、帰ってきて何とかこれをぜんぶ飲ませたいのだが、なかなかうまくいかん。あとでまただまし討ちにして飲ませるしかあるまい。帰ってきたら、かりかりと、かんずめのスープのところを食べてあった。じぶんからごはん食べに行ってるのでまだ安心。ごはん命なんだからね。10月29日は、まるでたんは自分から生きるのを止めて全部もっていこうとしてたみたいだったが、いまはちゃんと生きようとしてるのがわかる。今はたんちゃん元気回復が一番やね。家に帰ってたんの「にゃー」を聞くまでどきどきする。


たんちゃん頑張ってる。今朝も自分から少しだけど、ごはん食べに行った。


実家の空気入れ。やはり籠っていて空き家なんだと実感する。さいご母と厳選した着物を何枚か持ち帰るが、そ、そか、やはり燃やしてはならない帯を燃やしてしまったようだ。この着物にはあの帯だもんね。んでも、かーちゃん、あっちで着物だけではお茶できないから帯も締めないとね。あっちに行ったら謝ろう、うん(・・;)


朝がたいへんでたんちゃんのお薬ごはん食べさせるのがひとくろうだが、命綱じゃけんね。日記書く時間がにゃー。


朝の新聞で知った。昨日の人身事故は中学生の自殺だった。アナウンスで、ころの乗ったロマンスカーの前のマンスカーの人身事故と言っていた。なんだか、処理や対応や時間が、いつもの人身事故と雰囲気が違うな、と思ってはいたが・・・かわいそうに。そして、ご両親やあらゆるまわりの方の悲しみを思うと辛い。ただただ合掌。


たんちゃんスープを少し飲む。あとはおくすりごはんと水だけ。うーん。


それから迷うといけないので下見なんかしたりして、あれここ来た事があるぞ思いつつ、新宿のデパ地下でくじらの竜田揚げとかお買いものしてロマンスカーですんなり帰る・・・予定だったのに、人身事故で駅で足止めになってしまい、帰宅予定時間より2時間も遅くなってしまった。たんちゃんを置いてでかけた罰があたったんだと思った(T-T)


迷ったのだが能楽堂に間に合うので、たんちゃんに行っていいか聞いておゆるしをもらって行く。松山仙人、アクション系の能で実におもしろかった。喜正さんが天狗で出ていたし、笛は藤田さんだし。崇徳上皇と天狗の息をもつかせぬテンポのある舞にただただ釘づけ。


夕べあまりごはんを食べてなかった。おくすりごはんをむりに食べさせたが、そのあといきなりたんが腰砕けになって歩けなくなり、慌てて朝いちで病院に連れて行く。血栓や関節炎ではなく、血液の循環が悪くなっているとの事。エコーで見るたび心臓があまり動いていないことを目の当たりにして落ち込む。胸水200CC。先日痛み止めのシロップをもらって飲ませているので、これが効いて胸水抜くための痛みが今日はあまりなかったとのこと。とにかく朝晩のおくすりと胸水を抜いていくしかない。最悪のシミュレーションを聞いておく。少しでも苦しいことと痛いことを除いていく方向でお願いする。


たんちゃん、少しだけどごはんは食べてあった。スープあげたら飲んだ。あとかんずめを少し。夜のおくすり9割。「おかあさんなんかだいっきらい !」と言いながらどこかに行ってしまった。


明日は能楽堂だ。来週は半年以上ぶりのわーい!だし、うんっ。


でも、そんな事言ってずっとめそめそしておられず、たんちゃんにお薬入りごはんを無理やりたべさせる。もともと穏やかな性格でぼーっとしてるたんも、さいきんてるてる坊主にされると怒りの声を露わにするようになった。かわいそうだが薬飲ませるの止めるわけにはいかないけんね、鬼にもなるもんね。やはり三日目、食べたい気持ちはあるのに、におい嗅いだだけであまりごはん食べない。唯一新しい種類のかんづめにだけは少し興味示してふたくちくらい食べてほっ。今日はスープを買ってこなければ。やんなくちゃいけないことはいっぱいある。


なぜか朝から涙が止まらないや。親が亡くなったんだから当たり前だよね。というかみんなが言うように四十九日過ぎたら涙がやっと出てきたんだよね。百箇日、って良くできてるね。三か月経ってたぶん、やっといろんな感情が整理されてくるんだよね。いろんな後悔を母の親友の方にお話ししたら、笑ってらしたのを思い出した。子供は何歳になろうと親にそんな悔いを持つけど、親はそんな事何も子供に求めてないですよ。って。でも入院前に、どうしても、母の言葉に対して、母はこういってほしかったのに、ちゃんとそれを言って安心させてあげれば良かったのに。あまのじゃくなダメ娘だったから、その答え言わなくて、大事な母親にあんなさびしそうな顔をさせてしまった事だけは一生罪と罰として残ると思う。どうも一昨日あたりから、ころ、あんまり良くないな。


いかん。良くない感情にとらわれるのが一番よくない。母は決して愚痴を言わなかった。ひとの悪口も言わなかった、をみなさん誰もがおっしゃっていて、子供たちもそれを聞いたことがない。いかん。
でも、夕暮れになるといけない。両親がいつも二人でいて、母が守っていたのに突然空き家になってしまった家。帰るところがなくなっちゃった。お正月もお祭りも温泉もなくなっちゃった。それよりなにより、言ってあげなかった事、やってあげなかった事、そんな事ばかりが浮かぶ。そうなんだよね、後悔はしなかった事に対してするものだ。そして手術を薦めたのはころで、ころの言葉で母は手術を決心した。しなかったら、死なずに済んだのかな。でも。選択肢はなかったと思う。ただ、ここで一番後悔しなければならないのは10年くらい前に、ちゃんと話を聞いて、この時手術を薦めていれば、って事だ。でも今こんな事を思っても仕方ない。
もう盃の水飲み干してすぱっと旅立った母に笑われるかな。


水を抜くと少し元気になり食欲もわくたんちゃん。お薬を飲んでも胸水がたまってしまうので、お薬の量を減らして毎日の負担を軽減して、水がたまったらぬく、という方法に代った。抜いた日、その翌日まで元気、その翌々日が少し元気なくなって食欲はまあまあ、そしてだんだん食欲なくなるパターンなのだが、今飲んでるお薬で不可欠な心臓を動かすお薬がとにかく効きますように。


そしたら、わーい!(^^)!これで元気になるぞ。


病院はやっぱし重病人なのですぐ呼ばれた。今日も300CC。利尿剤のおくすりを減らすそうだ。明日は早出なので効率よくおくすりあげねば。


アメ横の魚屋のおやぢにはやられたなー。筋子だけで良かったのに。たらこやからしめんたいとか勝手にくっつけられていきなり3000円とられた。あと別の店でカワハギ、牡蠣のふたつで1000円で鍋。


ツタンカーメン展は30分待ちだった。混んでいるが当初はもっとすごかったんだろうね。
しかし「ツタンカーメン展」と銘打つところからして少し違うかな。ツタンカーメンの小品の遺品と、古代エジプト展、といったところか。黄金の棺はやはりすごい。ツタンカーメンが実際に身につけていた品と、ちいさな棺方のカノポスの細工が目玉で、この細工はすごかった。素晴らしかった。


ランチは、珍しく2組だけ待ち、だが、ころの後ろにたちまち行列ができたりして。すかす、今日のスープがかぼちゃのポタージュ、メインは子牛のクリームかおさかなのバジル風味かで、ダイエットがあたまにあったため魚にしてしまい、だいしっぱい。ううなんじゃこの魚はまずっ。500円プラスのデザートもくすん、で2100円の贅沢ランチがくすん。まずっ。でも、お隣の若いお嬢さんとお母様の会話が聞こえてきて、こんなに若いのに親孝行なお嬢さんだなとなんかうらやましかった。ころ、なにも親孝行しなかった。恥ずかしかった。歩けるようになったら東京にも行かれるね、なんて話もしていたのだが。


夕方がお医者さんなので、ツタンカーメン行って早めに戻ってこよう。もうあまり並ばなくてもいいみたいだし。すかす、2500円出す価値があるのか見てくるか。


ごはんを自分から食べに行ったのだが、やはり何も食べずに戻ってきた。新しい違うかんずめ空けて口元に持って行ったら数口食べたので少し安心した。


夕べから胃がからっぽなので、まずスープを少しスポイトで飲ませる。このスープがはるちゃんが病気になった時にあれば、といつも思う。ビーフペーストに混ぜた朝のおくすりごはん5割といったところだが、飲ませないよりましだろう。なにより食欲増進剤が入ってる。


ぼくがんばるね でもごはん食べたいのに食べられないの。

たんちゃん、夕べからほとんどごはんを食べていない。朝何もくちをつけてないごはんをみたがっかり。毎日、かんずめ6個分くらい捨てる。食べられない子たちがいっぱいいるのに申し訳ない。食べたい気持ちがあって、たんちゃんの食卓に自分から行くのだが、におい嗅いでだめ。ゆうべはあまりに元気がないので、強制的におくすりごはんを食べさせるがかわいそうで、夕べはやめた。やはり三日で胸水でたまってしまうのだろう(>_<)


明日は駆け込みでツタンカーメン展いってこよう。新月日記を書くのはまだエネルギーがないので、無理やり書くのはやめよう(>_<)


アクセサリーや小物に至るまでの愛用品をなんだかあまりにいっぺんに形見分けしてしまい、あ、あれはやっぱり自分で取っておけばよかった、と後からちょっぴり後悔した小物があるのだが、従妹から、あれすごく可愛いのでうれしかったと言われたので、そうやって母の物を喜んで使ってもらってるならと、嬉しいまんぞく。ころが持っていても、仕舞い込んでしまうだろうからね。先日の誕生会も、叔母たちがみんな母の服を嬉しそうに着てきて「見てみて」って喜んでいたしね。これからやらなくちゃいけない片づけは、母の茶道具と、厳選した着物と帯(最高の帯は母と一緒に逝ってもらったが)、お習字の作品は百人一首を書いていたのと、叔母が詠んだ俳句を短冊に書いたもので、これもおいおい、形見分けにしていくつもりだけど、ほんとに思い出に繋がるものなので、手をつけるのは、もうすこし、気持ちの整理がついてからかな。それにしても、あれほど忙しかったはずなのに、まあよくこれほどいろいろやっていたもんだ。確かツイッターもやっていたはずだが(・・;)


んでも帰ってきて「ただいまー」と言ったら元気よく、きげんはあまりよくなくお返事があったのでほっ。ごはんはいつもだいたいカリカリ含めて4〜5皿置いてくるのだが、全ての種類に一応口はつけてあったので、まあ安心。お薬の食欲増進剤は効いているって事だね。やれやれ。


三日目。夜吐いてから元気ない。食欲もスープを少し飲んだだけ。むりやりおくすり入りごはん6割と言ったところ(>_<)。


新月日記が新月日記の体を成してない(>_<)ふえ。新月ヒストリーがどこでぶっつり更新が止まったかも、自分でよーくわかってる。えーん。


いま夕闇が早く迫ってくるのがやだ。なのにクリスマスのイルミネーションがやたら明るいのもやだ。どんどんさみしくなる。でも、母はもっともっと以前からさみしかったのに、話を聞いてあげてなかった。いまさみしいのはパンを踏んだ少女だったからかもしれない。母はもっと以前からSOSを出していたはずなのに、気づいてあげられませんでした、と悔恨を親友の方に伝えたら、にっこり笑われて、永遠に子供はそうですよ、との事。80歳超えてなお、まだ親に対して悔恨はありますよ、とおっしゃっていた。女学校からの三人グループは集まっても決して家庭の愚痴を言ったりせず、明るく楽しい話しかしていなかった、だから70年近く続いたんですよ、って。母はおともだちにめぐまれていたんだな、明るい光をいつも持っていたんだな。今母に聞いてほしい話がいっぱいあるのに。でも、それ、母になんとか褒めてもらいたくて仕方ないだけのことなのかもしんない。


すかす、母の急逝やら父の施設やらたんちゃん危篤で入院で通院とかが一気に来たので、ふつうに考えたらげっそり痩せてるはずなのだが、どんなに悲しくても食欲はあるし、やけぐいやらビール大量飲酒やらではっきしいって、母の葬儀以前より体重が増えているわたくし(・・;)こりはいけません。


歯医者さんだったのだ。うう、口を両側から思い切りひっぱられたりして。いつも思うのだがおのれの姿を見たい。鏡がほしいもんだ。どんな顔なのか見てみたい。んでもって、せっかく両側引っ張られているので、ここで「学級文庫」と言ってみたい衝動にむらむらとかられるのだが、ころちゃんは正しい大人なのでさすがにやめる。てか今の子供は子供でもそんな事しないだろうな。てか当時でもしないか。


じぇんじぇん関係ないが会社の忘年会以外に一切飲み会の予定はない。会社の宴会場所も幹事さんのせーねん頑張ったけど全国チェーン展開してるえーあの店と非難ごうごうの某店しか取れなかったと泣いていた。いつぞやホテルの洋食コース宴会があった年があったそうだが、この時なにかの用事で行かれず残念じゃった。会社の宴会はあたりはずれがあるのだった。「


そういえば前回ロンドンに行ったとき街にクリムゾンが流れていたと弟が言ってた。ロンドンにはクリムゾンが流れ、日本では新月が流れる、なんて時が来たらすてき。


ツタンカーメンのチケット期限が7日なので、結局またまたぎりぎり駆け込みになってしまったが数日中に行かせてもらおう。週末は久しぶりに国立能楽堂なので、母の着物を着て行こう。すかす、女5人で分けてもなおまだ次々と湧いて出てきた母の服はすごかった。着物帯も湧いて出てきたが、これは母と二人で生前に整理処分しておいてほんとに良かった。すごかった。ただ、母の手作りのブローチがたくさんあって、おともだちにも記念に差し上げて、自分の分にひとつもらおうと思っていたら、瞬く間にみんなで分けてしまったらしく気付いた時には何も残っていなかった(^_^;)まあいいか。みんな喜んでいた。


お水を抜いたおかげでたんちゃんに食欲が戻りおかあさんはうれしい。関節炎の痛みどめシロップを出してもらったので、これが効いてくればだいぶちがうはず。心筋症に甲状腺機能亢進症、関節炎、慢性鼻炎、ほか脾臓にもなにかあるらしいけど、たんはえらいっ。


自分で空き家になった家を戸締りして鍵をかける時が一番嫌だ。気持ちがずずんと沈む。だから暗くならないうちに帰ってしまう。弟と交代で実家の空気入れ替えに行ってるのだが、今度はイギリス出張に行ってしまい、当分実家には行かれないそうなので、とにかく週に一度は片づけ兼ねて行かねばならないのだが、今週は無理かな。父のところにもしばらく行っていない。なんでも自分たちでやろうとすると叔父叔母に怒られるので、できないときはSOSを出してお願いすることにした。


でもね、母はかっこよく、くいっと盃の水飲み干して行ってしまったが、やはりまだこちらは、ぼこっと体に大きな風穴があいた喪失感は埋められない。でもそこで、はっと我に返るのはたんちゃんの看病をちゃんとしないといけないって事だ。たんちゃんの事がなかったら、母の事ばかり考えてうじうじべそべそしていたに違いない。たんちゃんはほんとに不思議な子だ。たんちゃん今日も胸水を300CC抜いた。食欲不振は胸水のせいらしく抜いて帰ってくるとちゃんと自分からごはんを食べに行く。でもこんな小さな体にあんなに水がたまるなんて。かわいそうだ。ほんとにかわいそう。でも、こうしておかあさんをしゃんしゃんさせようとしてるくれてるんだよね。


みんなで母の誕生日祝い。すかす、叔父叔母からみると、この年にしても突然みなしごになった不憫な姉弟に思えるらしく)'0'(真綿でくるむようなコドモ扱いが嬉しいやらこそばゆいやら。母の服やらアクセサリーやポーチや小物類に至るまで叔母たちが喜んで持って行って身に着けてくれていたのが嬉しかった。


お茶好き着物好きの母の70年来の女学校時代からの親友の方は、大島のアンサンブルにお嬢さんのニューヨーク土産というモダンなストールを纏ってきりりとした着物姿で、お誕生祝いに来てくださった。すかすころ「まったくあの帯を燃やすなんて!」と怒られたりしち(^_^;)確かに生前紫の一つ紋の色無地だけは棺桶にかけろと言われていたが、あの帯は形見に締めろと言われ、菫色の江戸小紋の数寄屋袋もころが自分で形見に持っていようと思っていた物だが、母は怒っているだろうが、要らないから燃やしたのではなく、お洒落な母には、最期最高の装いをして欲しかったので、一緒に逝ってもらっちゃった。元々70代にしか見えない若々しい母だったが、これらの装いに包まれて、棺の中の母は本当に美しかった。満足だ。


たんをてるてるぼうずになかなかできずさらに爪でざくっとやられておかあさん血だらけになってしまい、夜のお薬いりごはんは7割といったところか(>_<)んでも、おかあさんにぐるぐる巻きにされてむりやりまずいお薬入りごはんをたべさせられても、すりすりしてくるたんはけなげ。


たんちゃん今朝はおくすり9割は飲めた。えらい!いのちをつながねば(=^・^=)


12月。とくべつな月が始まった感じがする。


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