ころんた日記


2012年10月の日記


たんちゃん一時危篤でどうなるかと思った。母がたんちゃんを助けてくれたんだにゃ(=^・^=)


18時半くらいに主治医の先生から電話あり、かなり状態が良くないとのこと。詳しく検査したが、心臓、脾臓、それぞれ症状があったりしこりがあったりと病気のデパートは相変わらずだけど、どれも直接の原因ではないと説明あり、夜間は病院は無人になってしまうので、迎えに行く旨伝える。ずずんと心に石が入ったような気持ちだった。まさかと思うが母が連れて行こうとしてるのかとふとよぎったが、母の性格上そんな事をするとは思えず、それでも、最悪の事を考えながら病院に着いて、すぐたんを連れて帰るつもりでタクシーに待っててもらった。そしたら、先生がにこにこして出てきて、電話した時から比べてどんどん体温も上がり良い方向に向かっているとの事で、たんを連れて来てもらったら、顔つきも朝は死にそうだったのに、しっかりとしていた。万が一リスクより、このまま継続して入院していた方が体のためには良いようなので、そのまま入院してもらうことにした。すかす帰りが空身ならタクシーでなくても良かった、ただ往復乗っかってきただけだが、まあいいか。たんちゃんが戻ってきたんだから。大丈夫だ、たんちゃんは運の強い子だから。たんちゃんは不思議な力があるから。


このあたりの風習で、四十九日過ぎたら大山へお参りに行く、というのをうすぼんやりと思い出して、調べてみたら、百一日目に大山茶湯寺にお参りするとほとけになった身内が石段で待っててくれるらしい。そか。1月だから湯豆腐食べてお参りいいかも。まるで計画されていたみたいに、親族が休める日曜日じゃん。さすが母。
四十九日まではまだ母は家に居るので、ファッションショーは母も楽しかっただろう。三日はふたたび叔母たちがファッションショーの続きをやってくれる予定にはなっているので、たんちゃんが入院中なら朝お見舞いに行ってから実家に行く予定。たんちゃんがぐんぐん良くなっていますように。


待っているだけって長い。連絡がないのは、容体が安定しているからだろうと言い聞かせる。たんちゃんは、運の強い子だから。


弟はハリケーンサンディのおかげで完全に足止め。ニューヨークに行く飛行機が欠航で電車も止まっているので身動きが取れずで、帰国が遅れる。帰国直後に母の役所の手続きをしようとしたらしいが、これはもう母が少し休めと言っているのだろう。3日4日は、母が手術をしなければ本来は家族温泉に行く予定だったのだが、こうなってしまったので、実家で見つからない書類や父の問題やその他法的手続きの事などをやる予定だったが、とにかく母が休めと言ってるのだから、帰国後は休めとメールする


28日はぱくぱく、ちゃんとごはんを食べていたのに。28日の夜からごはんを食べなくなったんだと思う。29日の朝、あれ、あまり食べてない、と思ったが朝早かったので、おくすり飲ませてそのまま一日実家と夜は食事会して戻ってきたら、まったくごはんを食べてなくて茫然。なぜ突然こうなったのかわからない。昨日30日は病院で血液検査してもらったが、甲状腺機能亢進症の症状と、薬の副作用とは全く因果関係はなく、血液検査の数値自体は悪くない。ただとにかく体温が低い。連れて帰ってきてから、仕方なく会社に行って夜帰ってきて見ても、全然ごはんも食べず殆ど動かずで、すぴすぴ言ってくるしそうだった。
今朝朝いちばんで病院に連れていき、今度はレントゲンを撮り、もっと検査の内容を広げてみたそうだが、全く悪いところはない。なぜ突然そうなったのか、全く原因がわからない。先生が何度も首をひねっていた。医者にわからないものが素人にわかるわけがないのだが、とりあえず自分で思い当たるのは、点鼻薬を入れた事、29日の朝、ごはんをあまり食べてなかったのかもしれないのに、空き腹にお薬を飲ませてしまったことで、それを告げたが、全く関係ないとの事。
ごはんを全く食べてないことと、さらに体温が低くなっているのでかなり危険な状態と言われる。原因がわかっていて、手の施しようがないのなら、このまま家に連れて帰るのだが、点滴と低体温を上げること、原因を探る事、での治療を続けるための入院をお願いする。
かなり危険な状態なので容体が急変してしまったら死に目に会えない可能性のリスクもあります、と言われたが、原因がわかれば治る可能性もあるのだから、何度も死にかけては助かっているたんちゃんの運の強さに賭けてみよう、やるだけの事はやってもらおうと決意した
それに最初に尿毒症でいきなり今日の昼が山、と言われたけど、助けてもらったのが今の主治医の先生だし。入院の同意書書いて帰宅。同意書は数週間前母の時も何枚も書いたような。今月はなんて長い月なんだろう。夕方病院からかかってくる電話をずっと待つしかない。長い。母にたんちゃんを助けてとお願いする。


法律相談に行きトンボ返りでたんちゃんを病院へ。タクシーが来るまでの時間がすごく長かった。あんまり良い状態ではない。体温が低い。点滴や注射を打ってもらう。明日もつれてこいとのこと。明日出社予定だったのだがこれで行かれないので、仕方なく一瞬の用事の為にだけ会社に行く。次々になんでかな。母にお願いする。


たんはおかあさんのおふとんにも入りにこなかった。まったくごはんも食べず、水を一口飲んだだけ。出かけねばならず、とにかく帰ってきたら病院に連れていかねば。アメリカ出張の弟はハリケーンの影響で飛行機がほとんど欠航でタクシーで隣の空港に行ったりしてそれでもなんとかたどり着いたとたんに空港閉鎖でセーフだったらしがハリケーンの中の運転も恐怖だが駐車場からホテルに戻る時がいちばん恐ろしかったらしい。こっちもあっちも、こんな時だから、自分も気を付けねば。人間はなんとか自力でなんとかするが、たんが心配で胸が痛い。母にお願いする。


月が綺麗だった。そうか明日は満月。でも、帰ってきてみたら、たんが全然ごはんを食べてない。薬を増やすといやな副作用があるという説明があったが。それ以前にはるもたんもおかあさんのストレスシャワーをもろに浴びてしまうので、それもあるのかもしれない。こまった。


夕方は新宿で、以前ころオフで評判の良かった「チーズフォンデュ」(なぜか強調)のwazaに行く。二人とも翌日があるので2時間半ぽっきりで追い出されるようにだらだらしないようにお野菜中心でおにくとおさかなの飲み放題コース。彼女はすでに両親を見送っているので先輩からいろいろ聞く。ばたばたが続くのは1周忌までと思っていたが、三周忌までがばたばただし、家も一年では片付かないとのこと。とにかく大変なのはこれからだからね、と言われてうん。今日は女子会の一日だった。


湧いて出てくる母のアクセサリーや服てんこもりで三姉妹ファッションショーになって楽しかった。それにしても着物もそうだったが、服がすごかった。箪笥の底がどこか異次元に通じててそこから服が送り込まれてきているのではないか(@_@)ころちゃんが優先的にまずほしいものをちゃんと言いなさいと言われたが、まず母とは好みが違うので、叔母が見てアクセサリーはまずちゃんとしたのをころちゃんが取りなさいと言われて、何点かを選んだ。服は好みが違ううえに、そもそも年代が違うのであって、着られそうなジャケット類を何点か選ぶ。三姉妹がファッションショーをやってもなお分けきれず、後日再ファッションショーをやることになった。妹たちに喜んでもらって母も喜んでいるだろう。余った服は整理に相当時間がかかりそうだが、ご近所さんの趣味の素材にしてもらったり、寄付できるものなら発展途上国に送ろうという事になった。すかす、服やアクセサリー以外は、自分たちも終活してるので、要らないとのこと。後は次回茶道具を見てもらう。着物は反対にあげたいくらい、との事で着物全ては自分がひきつぐ事にした。アッシーで来た叔父がたいくつそうで申し訳なかったが、妻である叔母が姉の物をはしゃぎながら試着して普段自分で買わないタイプのアクセサリーや服で綺麗になっていくのを見るのはまんざらではなかったもよう。夢に出てきたセーターは見当たらなかった。あれは古い記憶だったのかな。


ちょっとづつ隙間が出来てきてる。経験者の皆さんが言うには、自分で思っている以上に心身共に疲れてるんだから気をつけろだそうだ。まだよくわかんない。今日は叔母たちに母の物を見てもらう。夜は大学時代の友人と食事会。ほんとは遅い暑気払いをする予定が急きょの手術だの父の施設でばたばたになってしまい、のびのびになっていたもの。なんかヒマがこわい。


母はもう初七日でお不動さんに会って、二七日でお釈迦さまにも会って、今は文殊菩薩さんに会うために旅してるんだね。思うに残った者がこれだけ忙しいのは、旅立った者が四十九日まで辛い審判を受けてるから、ぼんやりしていてはいけないって事なのかな。でも、今年いっぱいは母の事感じながらゆっくりリハビリしていっていいんだよね。そか、そだ。一生に一度だけの出来事なんだ。


嘘と坊主の髪はゆわない。が信条だったのだが、昨日施設に行って父にまた嘘をついた。なんで自分はここに居るのか。の問いかけに、なに言ってるのお母さんが手術して入院してるからでしょ。この嘘を一生つくのだ。


おかあさん夕べはねこオフだって行って飲みに行っちゃった。励まし会をやってもらったんだって。食べるの夢中で写真一枚も撮らなかったってがっくりきてた。みりんぱぱが遅刻だからみりんぱぱが苦手なエビと炙ったイカとクリーム系をみりんぱぱが来たら頼もうって、これっていぢわるじゃないの?鳥皮ぽんずのお通しに、しろぱぱが頼んだ牡蠣フライ、豆腐とねぎとろとアボガドサラダ、たこぶつわさび、茄子の一本漬、エビとアボガドサラダ、お豆ととろとろ玉子のサラダ、南瓜クリームソースクラッカー添え、ポテトフライ、ウインナの鉄板焼き、豚さんの鉄板焼き、焼き餃子でおなかいっぱいでオデンややきそばまで食べられなかったって。えんえん面白話でおかあさんはギャグでしろぱぱとみりんぱぱに勝ったって自慢してたよ。最後にみんなにギューってしてもらったってご機嫌で帰ってきたよ。

楽しかった。とにかく楽しかった。みんな楽しく励ましてくれようとするのが分かってどんどん元気になっただ。ギャグでしろぱぱに勝って「ころんたさんにぜんぶ持って行かれた」と言わしめたのが大収穫やね。わはは。飲んで食べて朝さらに体重増えていた。 すこしづつすこしづつリハビリかねて復帰しよう。もうすぐ満月だから、すこしづつ。


昨年秋短期のお茶のお稽古を始めると聞いて母が喜んでくれた附下げ。一緒に黒大島ももらった。仕立て直しに頼んで結局1年放置してしまい、先日蟹甲羅を食べた後やっと取りに行った。結局この着物を着た姿を見せる事ができなかった。

昨日家の片づけに行くために電車に乗っていて短い時間だったけど、うとうとして夢を見た。夢の中ではもう自分は実家に着いて玄関の鍵を開けようとしたら鍵がかかってなくて、あれ?とドア開けて家に入って行って台所に行ったら、見覚えのある赤を基調の金糸と黒のふわふわモールの冬のセーターを着た母がちょっと前かがみにはなっていたけど杖はついてなくて後ろ向きで立っていてにこにこ笑って振り向いてきた。そうかこの2週間の事の方が全部夢だったんだと思ってほっとして「なーんだお母さんやっぱり生きていたんじゃない」って言って駆け寄ろうとしたところで目が覚めた。まずい。電車の中だったので必死にごまかした。順調にリハビリが出来たら退院は11月末か伸びても12月あたまの誕生日に間に合う季節だったのでセーターを着ていたんだね。夢ってこんな事にちゃんと帳尻合わせるんだなって思った。映画や小説に出てくるような場面が自分にも起こるなんて。」だんだんじわじわ実感が湧いてきた。弟は今日からアメリカ出張に行ってしまう為不安な部分があるが、明日は母の妹である叔母たちに来てもらい着物や茶道具やアクセサリーや洋服を見てもらうことにした。そろそろ、サイトにちゃんと母の急逝の経緯を書かなくてはと思い始めてる。自分の整理のために。


涼しくなっていもちゃんたちが居なくなったベランダに、入れ違いにすずめがあそびにくるようになった。ためしに米つぶ置いてみたら、ちゅんちゅん言いながら食べてる。生き物が近くに来てくれるのは良いことだ




「蟹の甲羅本店」の蟹雑炊御膳の前菜。昨日、両親が通っていた謡曲の会へあいさつに行った途中、ふと見たら「蟹の甲羅本店」があったのでびっくり。ここにあったとは知らなかった。あいさつの後、入ってみることにした。 蟹雑炊。母は必ずこの蟹雑炊御膳を頼んでいたそうな。先日叔母から聞いた話によると、両親は叔父夫妻の車でお墓参りに行った後、「蟹の甲羅」に必ず寄って4人でお昼を食べるのが常だったそう。地元周辺に何軒かチェーン展開している和風ファミレスなので、味はまあ推してしるべしなのだが、車で行かれて、
そこそこの品の良い構えの店で、スタッフの教育も行き届いていたので、ここが気に入っていたらしい。この後足りなくてほうじ茶プリンも頼んだのだが、写真撮る前に食っちまっただ。叔母から、四十九日の食事会をここと推薦されたんだけど、やはりお盆に最後に家族全員で行った知り合いの老舗チャイニーズレストランにした。予約の電話して名前名乗ったら、すぐに、「おばちゃんだよ」って弟の同級生のお母さんがすぐ事情をわかってくれて、やはりここで行うのが一番ふさわしい。「蟹の甲羅本店」は一周忌かな。ここで買えるサラダドレッシングは美味しい。




おくすりも一日二錠に増やされて、もぉ〜




病院に連れて行かれてお手てとあんよをつかまれて注射針打たれて血を抜かれたんだよ それから今度はお注射打たれたの 先生は、ねこなで声で「たんげさん」ってさんづけで呼んでくれるけど、ぼく、ごまかされないもんね




突然病院から電話あり駆けつける。今日の午後からの事は全く現実感がない。家族親戚全員そうで茫然とした。へんな夢。正夢だった。そして、今年の元旦に目が覚めた時今年の運について感じたことははっきりと「底を見る」だった。が、こんな形で来るとは思わなかった。ほんとに驚くほど2003年とそっくり。今度は自分だが。ぴんぴんしていたのに。そしてあの年、お釈迦様の話を教えてもらった事を思い出した。


このごろへんなんだよ ごはん食べるとほめられるの なんでかな

たんちゃんはごはんいっぱい食べて、元気になってね。


ううあだまと顎関節がいだい。でも行かねば(@_@)夕べお葬式帰りにお寺の境内を歩いてるへんな夢をみた。


母は事前筋トレをかなり努力したらしく経過が良いそうな。整形外科の手術なのでこれだけならどおって事はないのだが、父の方がもんだいだった。んでも、ちょうど一週間で父もだいぶ慣れて落ち着いたらしい。連絡ノートはなかなか良いアイディアで、さらに叔母のアイディアは、面会ノートを発展させて本人が書いて日記にすれば良いとの事で、これが功を奏したみたいでよいよい。ううすかす咳するたびに顎関節がいだい。でも痛くても頑張って食うころちゃんの肥満は全く変わらないのだった(T-T)


く、くしゃみがでる〜 このあと鼻ぷん薬をいれられちゃった 鼻の穴からお薬いれるからくるしいんだ。でもがまんする。 それからぐっすり寝てるといきなり頭を押さえつけられてお口をむりに開けさせられてにがいおくすりも飲まされるの。でもがまんする。

施設と病院と留守実家をぐるぐる(@_@)。さすがに日記を書く時間も体力も気力もなかった。ちょっとだけ和んだのは、枯れかけたと思っていた山椒の古木の根っこに土をかぶせておいたのだが、わずかに若芽が出ていて生き返ったらしく、さらに、ナミアゲハのちびいもがいっぴき、はっぱに取り付いていた。うちから持っていった二匹のうちの二代目かもしんない、なんて想像してちょっとうれしくなった。
昨日明日は叔母夫妻が施設&病院に行ってくれるというので、昨日はまる一日ごろごろして寝てしまった。おかげで、風邪はハナミズと咳までで抑える事ができたようで気管支炎まで行かずに済んだようだ。
だが顎関節が多少は痛みは少なくなったものの咳するたびに痛い。でも歯医者に行く時間はない。というかハナと咳なので、歯医者に行っても診てもらうこともできず。
たんちゃんは、お注射が効いたのか、スープでふやかしたかりかりを食べるようになってくれたが、かなり食欲は落ちてる。お水を飲む量も増えてるし、まだまだ予断を許さない。この食欲の件がなければ甲状腺のおくすりを増やしてどんどん治療して行かれるところだったのだが、それが歯がゆい(>_<)
長友さんの急逝の報は、いろんな思いが錯綜する。
数日前にはFちゃんのにゃんこが末期がんでついに亡くなったと知らせがあり悲しい。はるちゃんは17歳の誕生日を迎えられなかったけどその子は先月17歳のお誕生日祝いをしてもらったって言っていたから、もっと頑張れるかなって思っていたんだけど(>_<)
今日は介護の工事の補助金が出るそうなので市役所へ行かねば。すかす、この顎関節と風邪がよけいだ。ここ一番にほんとに弱いのぉ(T-T)


うーんうーん。なんの夢かにゃ。 まいどっ




たんは抗生物質の注射を打ってもらい、とりあえず引き続き甲状腺のおくすりを飲み続ける。とにかく体重が減っているので、どんどん食べたいだけごはんをあげてくださいとのこと。かりかりを食べられないのはやはりお口が痛いせいもあるのかも。
歯茎と顎関節は痛いわこんな時に風邪ひくわで、ほんとうにここ一番でダメなころ(T-T) でも、母の手術は無事成功で相当痛そうだが、事前努力がかなり良かったらしく、お皿も取らずにすみ、数日の痛さが薄らげば、かなり良い状態だそうで、ほっ。しかし、こっちは良いがひがみ根性のカタマリのケアがかなり大変だ。疲れた。


お約束通り悪化したりして(;_; )( ;_;)顎関節がいだい。たんちゃんはさらに体重が減っていたが白血球に異常なし。熱っぽい状態で動物病院の待合室に座ってると、もう出口のないかもしれないはるを抱いて咳しながら座っていた時の事を思い出す。


いかん。悪化しそう。気合で明日までに気合で治さねば。弱って病院に行ってへんな感染しては役に立たん。弟もカナダは氷点下6度で風邪ひきかけたが気合で治ったので気合でなんとかなるそうな(・・;)
ふと気づいたら、山椒のいもちゃんがいなくなっていた。そういえば数日前出かける時に、で、でかいと思っていたので、さなぎになりに鉢から出たのであろう。前の電線に鳩のつがいがよく来てるので、歩いてる時に食われてしまったのでないと良いが。このあたりの鳩は駅前や街中の鳩とちがって地面つつけば豊富にえさがあるので不自由はしてないと思うが。ふぇ。朝出勤前に大きな虹がかかっていたのはいつの話だっけ。虹のねっこが見えそうで見えなかった。


夜中に再び喉が痛くなり、慌ててイソジンでうがいしてたんを抱いてふとんかぶって「悪霊退散!」とか念じていたら汗が出て喉いたいは去って行き、鼻かぜと咳に進化?した。このまま喉腫れるとあとはフルコースまで行ってしまうからね。多分歯医者さんの抗生物質を飲んでるのも幸いしたのであろう。ただ、はぐきほっぺはまだ痛いよぉ。とにかく今、体調崩してるヒマはないわい。明日は早朝から夜遅くまでかかってしまうので、じぶんの体調も整えねば。お医者さんが母に万全の体調整えるためには良く笑えって言ってた。うんうん。


父はやはりひがんでいるらしい。「ものわすれ」なので、ふつうに会話していても、もうその数分後何も覚えていない。今日アイディアが浮かび「連絡ノート」を作って面会の人に書いてもらうことにした。そうすれば自分は忘れていてもそれ読めば隔離されたわけではなく、疎外感?が軽減されるかも。


はぐきからほっぺはまだいだい。それに夕べちと喉が痛く、今風邪などひいているヒマはないので寝て治す。


「物忘れ」が進行するとアルツハイマーに進行してしまうそうだ。父はそのボーダーラインで、環境が変わると進行する可能性が多いという。
で、まだ三日目なのに、それが頭にある母が、父をむりやりぼけじじいいに仕立てようとしているのか(なぞ)しきりにわしを誰かわかるか?と父に迫り「わかる」と答えるのに「じゃあ名前は?わかる?」としつこいのに父が呆れ「わかるが、そういうあなたはどちらさんでしたっけ?」と切り返して叔母たちの笑いをとっていたので、まあ問題はないだろう(・・;)
スタッフさんに聞いたところ、父は初日はテレビのある談話室に誘っても部屋から出なかったそうだが、昨日は、声をかけてくれたスタッフさんに、部屋に一人でいても仕方ないし、と、もうほかのみなさんと談笑していたという事を聞き、ほっとした。
父のいるフロアは、圧倒的に女性が多く、半数以上はどう見ても父よりおねえさまである。「おとうさんはいつも面白い事を言ってるし人気者になるんじゃない」とか叔母が笑っていた。スタッフさんが「穏やかな方なので大丈夫ですよ」とおっしゃってくれたが、すかす、母と自分はだまされないのであってスタッフさんに「変なスイッチが入るとキレるんです(やなじじいになるんです、とまではみなさんの前なので言わなかったが)」と訴えたが、スタッフさんは余裕で笑って「みなさんそうですよ!」だそうな。
施設内は常にスタッフさんが必ずどこかに居て、面会者である自分がうろうろしててもすぐに声をかけてくれる。目が行き届いてる感じで安心。二つだけ不満は入浴日が週に二回だけなのと、お散歩が出来ない事で、これを時々行って連れ出さねば。
母に言われて「紅葉狩」の練習をしていたが、声もまだ出る。なんとか謡のおけいこに連れて行きたいのだが。母に聞いたらかなり大変らしい。朝から夕方まで五曲やるそうで、その謡本を教えてもらって選びださねばならないそうだが、なんとかしよう。


急に涼しくなってきた。おでんたべたないなと思った時思い出したが、大学乱立の駅に向かって歩いていると若い女の子がコンビニのカップに入ったおでんを箸で食いながら歩いていた)'0'(パンとかお握りを歩きながら食っているやつは何人も見た事があるが、箸でものを食いながら歩いているのは初めてだ。それもやつの手にはフチを切った「辛子」が握られており、この後に及んで薬味まで使って歩きながらおでんを食べながら駅に向かおうとはおそるべし。ガンモから汁が垂れているのが気になったが、そんなレベルではなく、もう終わってるんじゃねーか、こいつ。と思う自分がもう古いのか。そんなことはないはずだが。


昨日は朝ついに口が開かなくなり薬だけ出してもらえればと歯医者さんに電話したらすぐに診てくれるとのこと。テッテテキに治療(やりなおし?)をしてもらい、抗生物質と痛み止めも出してもらい安心した。そうしないと日祝で歯医者が休みになってしまい翌日は手術で一日身動きとれず翌日も帰国した愚弟と合流して病院と施設往復というスケジュールになっているので、ほっておいたら化膿していたにちがいない(・・;。痛いには痛いがかなり楽になる。おひるはさぬきうどんとろ温玉とかしわ天(硬かったが食い意地の方が買った)バスで施設へ向かい、車で母を連れて行ってくれた叔母夫妻と合流。


昨日はまる一日病院。市立病院は今日から三連休に入ってしまうので、説明聞いたりリハビリ室で検査して、手術前日まで帰宅してよい、との事。結局まる一日かかったが、母は筋力アップの自主トレを頑張ったそうで、先生に褒められてかなり希望が出てきたようだった。
夕べたんちゃんはご飯食べてもなかなか寝なくて、寝込むとおくすりを飲まされると思ってるのか、横になっていても目を開けてる。寝る子と書いて寝子のくせになぜ寝ない?業を煮やして無理やり飲ませようとしたら、しらふ?ではいくらがりがりに痩せていてもたんの力は強いので失敗してしまった。吐きだしたのを慌てて拾って乾かしておき、今朝、寝込んだところを襲って「たんちゃんがおくすりを飲むの歌」を歌いながら嚥下成功。たんちゃんこれを一生続けるわけで、早くお医者さんに連れて行かなかったことを悔やんで悔やみきれない。
夜一緒に寝るとき、ぽきっと折れてしまいそうだもん。まるまるとしてかわいかったのに。
はぐきからほっぺは昨日もさらに痛くなっていたが歯医者に行く時間はなかった。今朝も咳をしても痛いのだが果たして行く時間があるだろうか(T-T) なんかオタフクソース、じゃない、おたふく風邪みたいな。 痛いよぉ。んでも今日は父の施設に行かねばなのだった。


昨日の朝からの痛みはさらに悪化。化膿してるんじゃないのか。痛くて顎がうまくひらかない空腹には代えられずいててといいながらごはんたべる。いそがしいのになんでこう次々と(@_@)


らめら、メールも新月日記も掲示板も書く気力なし(>_<)3明日は母の入院で朝早い。たんちゃんにちゃんとおくすりは飲ますことができた。


夜になってげんみつにはメールは夕方もらっていたのだが、衝撃に声も涙もでず。しばらくしてから涙が出てきた。お会いした事はないけど、何度かのメールのやりとりが昨日の事のようで、ただただ、いま、茫然としてる。


お昼にけっこうアクセス集中するのは会社のお昼休みにみてくれてる人がおおいんだろな。新月の話題を楽しみにしてくれてるひとたちに申し訳ないがちとエネルギーが(>_<)


ナミアゲハのいもがでかくなっとる。たんちゃんはきょうもごはんいっぱい食べて元気。おくすりが副作用なくちゃんと効いてくれますように。昨日つめてもらった歯だが、耳の後ろからあごにかけて痛いのはなぜ?


状況は似てるけど、ちがうのは今はちょっと新月について書くエネルギーがないや(@_@)ヒストリー集中して書ける日のめどたたないし(>_<)


ハムスターの穴すっぽり1
ハムスターの穴すっぽり2
このあいだの日記に書いたはむけつの映像にリンクはっちゃお。丸い穴にすぽっと入っていくハムスターのおしりとあんよかわいい。いったんおしりですこし止まるのと、足がそろうのがかあいい。すごく気持ちいいのはなんで!(^^)!?
それから、ナミアゲハのいもちゃんは、見事に山椒のはっぱを一体化して擬態成功してる。山椒の葉がいきいきどんどん増えて来てるのがすごい。この子が蛹化のためにここから独立した後、まだ葉っぱが残っていたら一枚分けてほしいのだが・・・


まずは今日の一錠は成功したみたい。たんちゃんの寝込みを襲うのがポイント。ねこみを襲ってぼぉっとしてるたんちゃんのおくちを無理やりぱかっとあけさせてのどが開いたところをおくすりを落としたと思うや否やぴたっとおくちを閉じて「ごっくんごっくんごっくんくん♪」と、はるたんがおくすりを飲むときの歌を歌いながら、のどをさすっておくすりを飲ますのだった。ふっ。たんを治す!もとどおりのまるまるした可愛いたんに、もどす!つみほろぼした。


まずは一日一錠で良いそうな。もんだいは、たんは賢いので錠剤を飲んだふりしてしばらくお口の中にかくして、おかあさんがどっかに行った後、ぺっ、てやるからな。だまされないようにしないと(・_・)


先生から、ほっておくと心臓肥大や神経症状が出てくるが三つの方法があると説明受けた。いっこは手術で甲状腺を取ってしまうものだが、これは薦めないとのこと。もういっこはおくすりを飲みながら、一週間に一度白血球の検査をしていくというもの。但し、おくすりの副作用がある場合というリスクあり。但し、検査をしながらおくすりの量を加減したり、その都度対症療法で経過観察が見える。
もういっこは、ごはんを完全にydというものに変えていくというもの。一見一番楽そうだけど、この一種類以外一切他のものは食べてはいけないというもので)'0'(三度のごはんよりごはんが大好きで、いろんな種類のスープやかりかりを回替わりで食べるのを楽しみにしてるたんちゃんにはあまりにむごい。それと新しく出たばかりのごはんらしく効果測定がまだはっきりわからないらしい。ごはんだけ、なのでおくすりみたいに増減もできない。
おくすりで即答した。
おかあさんとおなじ「関節炎」のためグルコサミン「グルコの杖」というシロップを飲んでるが、これとの併用も問題なしとのこと。よし。


親の事は大丈夫だが、やっぱし動物病院の待合室で1時間半待ってる間に万が一たんちゃんが、とかマイナス思考になって涙目になったりして。今日はお話だけなので、人間が1人だけで本読んで座って待ってるのはなんとなく変な感じだった。
呼ばれてお話聞いて、なんとたんちゃんの数値は機械でこれ以上測れない数字を超えていた。危なかったのだ(>_<)この病気の特徴はごはんいっぱい食べて元気で、でも痩せる、というのが特徴なので、飼い主がなかなか気づかないらしい。はるも年取ってから痩せてきたが折り紙つきの健康体だったので、ねこはこういうものかと思い込んでいた事を激しく悔やむ。6キロあった体重が3.8キロにまで落ち込んでいた。


結果が夕べで良かった。先生と病院が休みをまたぐと日が空いてしまう。良い流れになっているのだ。歯医者さん終わってからバスの待ち合わせとかすごく良くて、なければ50分歩くつもりだったのだが、バスに乗れたので15分歩くだけですんでらっきー。しかしほんとにどんなところに住んでいるんじゃ。小田原ならちょっと歩けばどこにでもなんでもあるのに(゜゜)いや、いまさら、なーにいっとるか。
バスの中で、いろいろ、全部良い方向に行こうとしてるんだとポジティブに考える。母は両膝いっぺんに手術決めて先生に男らしいっと言われ、これはすたすた歩くためであって、内臓系の治療ではないのだし、施術まで一か月足らずだが、さてでは入院中、その間父をどうするかって話で、今行ってるデイサービスの施設は長期滞在となると数百人待ちだというし)'0'(ケアマネさんが八方介護付の施設を探し回ってくれたんだけど、もちろん見つからず・・・だったのだが、同じ施設にダメ元でもう一度連絡したら、突然転居される方が居て、それがなんと母の入院の前日空くことになっただ。それもそこは本来長期入居施設なのに、じゃあ二か月限定でも良いですよという事になった。
手術日当日まで愚弟は海外出張なのだが、その間施設と病院行ったり来たりも、一人で抱え込む必要はなく、親戚が交代で行ってくれたり手を借りてなんとかなりそう。だいじょうぶ。だいじょうぶ。


スケジューリングにたんちゃんの治療が加わる。とにかく今日病院でどうしたら良いか聞いてからのはなしだ。ただ、万が一手術になったら高齢なので、どうするか。最初にこの病院に行ったのはたんちゃんが尿毒症になった時でその日の昼が峠と言われて真っ青になって、その時診てくれたのがこの先生だった。その日が新月だったのを覚えてる。それからシフトの関係なのかこの先生が主治医になることはなかったんだけど、こんな重病になってからこのベテラン先生に診てもらえることになって良い方向になってるよきっと、うん。


動物病院から連絡あり、たんちゃんは甲状腺機能亢進症という病気だった。 明日病院に行って先生と今後の治療について話を聞く。数値が高いという事で(>_<)いろんな事がかさなる。


ゆうべはたんちゃんが一緒に寝てくれた(=^・^=)


あ、今日は。もう何年も忘れていた。自分だけのなかでふっと笑っておこう。もう何年も忘れていたのに、なんで今年は思い出したのだろう。うーん、状況が似てるからかな。


これからの事を考えていたら悶々として寝つけず(@_@)たんちゃんは良く考えたらかりかりをほとんどたべてない。おくちがいたいのかも。きょうあしたには検査の結果が出るのでそれによって先生に相談せねば。


10月は能狂言良い番組がたくさんあるけど、今月はガマンやね(T-T) 合間にチケット取ってある美術館に行かれればよしとしよう。ペースがわかれば、下旬に取れれば行きたい能もあるが、休めるなら父母どっちかに行けよ、って噺家。


山椒のナミアゲハは鳥のフン似から脱皮して、緑色の甲冑着たみたいないもむしになっていた。キアゲハのいもがぷくぷくまるまるしていかにも美味しそうなのに対し、ナミアゲハのいもむしはいも、というより硬質なかんじ。すかす、これからどんどん大きくなるんだよね。葉っぱが足りるかちら(・・;)秋なすの味噌田楽つくって、こ、この木の芽を乗せたらどんなにいいだろーと思うが、いもむしに悪いので採れないころちゃん(T-T) いもむしに食わすために実家からもらってきたのではないのだが。いや、食わすためなのかな。


たんちゃんは昨日の病院のトラウマに輪をかけておかあさんに箪笥に閉じ込められたトラウマのせいか、夕べはおかあさんと寝ないで1人で寝ていた(;_; )( ;_;)くすん。今朝もよそよそしいし、えーん。


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