ころんた日記


2012年11月の日記


たんちゃん夜おくすり8割から9割。ペースト状のごはんの種類がもっと多いといいのに。シリンジを使って無理って手もあるかなと思ったが、やはりまだ、手から食べさせる方が良いかな。利尿剤を増やされたはすだが、とくにおしっこの量は増えてない。つまり、胸水は外に排出されずにたまったままという事だね(>_<)


そかっ。やっぱり旅立ちの方か。そうか。お水くいって飲んで旅立っていったんだ。四十九日までは現世にいるけど、水盃でお別れだからね、という意味だったんだ。茶の湯好きだから、かたちにこだわったんだね。とにかく嬉しくて嬉しくて今日心底穏やかな気持ちで過ごす事が出来た。明日は母の誕生日なので、実家にみんなで集まってお祝いする事になった。お花をたくさん買っていこう。いろいろな方から、すごい人だったんだよ、そばにいるだけで安心する人だったんだよと言われた母が、さらに未来へ向かっていったのに、ダメ娘がいつまでもだらだらしていてはいかん。


昨日びっくりしすぎて書くのを忘れた。遺影と同じ写真のキャビネ版を飾ってあるんだけど、その前に盃いっぱいのお水を毎日あげてるんだけど、昨日、なんとその盃がからっぽになっていたの!(^^)!一滴も水が入ってなくて、物理的にこんなのあり得ない。どんな意味があるのかな。満中陰だからこのお水飲み干していよいよ行くわ、って意味なのか、ここに居ていつも見守ってるから大丈夫、って意味なのかよくわからないけど、ただ、ただ、すごく嬉しかった。忌明け、とても穏やかな気持ちで過ごせそう。


今回の母の事で、いろいろかんがえるうち、そうだ、とにかく急死の家系なので、元気なうちにエンディングノートとか書いておいたほうが良いなとか思ったりしち。
長患いしたのはころが会ったことのない母の父だけで、ふしぎな事に血縁がないのに叔母たちのつれあいの叔父たちまでみんな急死してる家系なんだよね)'0'(こわっ。
一番悩ましいのはころが急死しちゃったらこの膨大な新月・新月関連の紙ベースの資料や音源を誰に託せば良いのだろう?って事で、第二期までのビジュアル資料はすべてWEB上にアップしてあるとはいえ、有料サイトなので、お金振り込まねば永遠にぱーだし(・・;)そういえば、そうならないために、無料で大容量サーバー借りて資料室だけでもミラーサイト作っておかねばとか考えていたんだっけか。
資料は新月メンバーにお返しするのが一番正しいよね。そだ、ころは新月メンバーの誰よりも最初に死んじゃう事になってるので、受け取ってもらえるだろう。いずれにしろサイトのデータは全て定期的にバックアップを取ってUSBとSDに保管してるので、余程物理的な要因がない限り、新月ファンサイトに存在するデータベースが消滅するという事はないはずだが、ひええええ、いろいろ考えだすと)'0'(


止まっちゃってる新月ヒストリーを再開するどころか新月日記を書くエネルギーすらまだ満足にない。まあ下手にあたまを使わない方がいいそうなので(`´)まだこんなペースでいいのかなあ。


午後になったけどまだ一通もメール書けないや(>_<)えーん。て思ってたら、そか、今日が四十九日なのであって、満中陰が明けたらご挨拶でいいのか。きょうはまだべそぐずしていていいのかな。


すかすその後タケシの寸劇で笑ってしまったでわないか。


法要は前倒しで済ませたのだけど今日が四十九日目。薬師如来さま。あ、『殺意への船出PART2』が始まった。母の死以来、こんなに涙が溢れて来たのは初めてだ。しょっぱい。


昨日病院行ったの。主治医の先生はご指名ナンバーワンだからいつも待ち時間2時間くらいは普通にかかるんだけど行ったらすぐに呼ばれてびっくりしちゃった。待たなくて良かった〜。 でもおかあさんは喜んでいなかったよ。おかあさんが言うには重病人は順番関係なくすぐに呼ばれるんだって。 えー?ぼく重病人なの?確かに心臓ドキドキだしなんとなく動きたくないしあんよもおててもすごく痛いんだけど
おかあさんが持ってきてくれるごはんは食べられるしお水も飲めるよ。トイレだっておかあさんが二階にもトイレ置いたけどぼくあんよ痛いけどちゃんといつもどおり一階まで降りてトイレできるもん。 おかあさんは時々めそめそして代ってあげたい、とか言うんだけどダメだもんね。そしたらぼく、ごはん食べられないでしょ。 でもねー、タオルでぐるぐる巻きにされて無理やり口こじあけられてまずいお薬の入ったペーストごはんを何度もお口の中に突っ込まれて食べさせられる時だけは代ってあげていいよ。




本当だったら今日あたりが退院だったね。歴史にもし、はないのだが、もし順調に今日が退院の日だったら、母が入院前に選んで退院の日にはこれを着ると「退院の時」ってメモと一緒にコート掛けにつるしてあった薄手セーターと、お洒落な母らしくポケットに水玉のチーフがさしてあるジャケットをころが持って行って、それに着替えて、多分叔父さんたちが車を出してくれるからそれに乗って帰ってきて、それから駅ビルで売っている美味しいお寿司を買いに行って一緒にお昼食べてたな。これからのいろんな事を話合いながら。


昨日先生が痛み止めも飲ませてくれたのでそれが効いたのか今朝は自分からごはんを食べに来てたんちゃんはえらいっ。


とにかくものすごい量の親戚との連絡事項やメール最優先なのでこれは仕方ないのだが、精神的にも一区切りなので、たんの事も含めて心配してくれたり励ましてくれた方々へのお礼メールを明日送らねば。


明日が母の七七忌。実家に、と思ったがまた母の誕生日にみんなで集まる事にしたので、あわただしく片づけをするよりは、静かにいろいろな事やりながら、母と対話しようと思う。日常生活が突然断ち切られたあの日。実家が突然空き家になり家族がばらばらになってしまった。でも、振り返ると、もっと前から母の話を聞いて父の事などもっときちんと対処していたら、今に至ることはなかったのではないか。すべて面倒な事を母に押し付けてきていて、頑張りすぎていた母の限界を、もう、頑張らなくて良いからと、天がぽんと肩を叩いたのではないだろうか。今きょうだいで走り回らねばならないのは今まで親離れ出来てなくてすべて母に押し付けてきた代償だよね。それでもいろんな大きな事は、やはり母が敷いたレールの上でそのまま進んでる。最大の事は認知症の父が施設にそのまま居る事が出来る事ではないだろうか。


たん見てたら関節炎が進んでるらしくびっこひいていた。ずっとサプリメントで大丈夫だったのに、入院中ごはんも食べられなかったので、サプリメント上げられずこの期間のつけが来てしまったのかも(>_<)先生は前足も関節炎だと言ってた。ねこは痛みを隠す動物なのでいきなりわかるんだよね。胸水が300CCもたまっていた。前回カップに200CC見ただけでどきっとしたが300CC。すごい量だった、ちっちゃな肋骨の隙間にこんなにたまっていたなんて。ただ。ただ、前回から胸水抜いた間隔が6日間。おかあさんがお薬飲ませるのがすこしは効いているので、次回に病院に行く感覚は少し長くて良いそうだ。ごはんは食べたい気持ちはあるのに今度はいままでサプリメントのおかげで大丈夫だったあんよが痛いから食べに行かれなかったのが不憫でならない。たんみたいに良い子をくるしめるやつがゆるせん。てか、たんが背負いますって言っても背負わせないでよ。


今日は満月。明日が真の七七忌でこれでやっと一区切り。それにしても、すさまじい2か月じゃった。残務はこれから日常生活と並行しながらやっていくしかあるまい。


たんと一緒に12時間寝続けてかなりかいふく。あだまはじんじんするが、幸い風邪ではなかったらしく単にちびっと疲れが出ただけやね。寝込んではたんの看病できないし。今のところお薬が8〜9飲めてるので安定はしてるけど、自分からあまりごはんを食べにいかないのが気になる(>_<)


会社に居たらどんどん具合が悪くなってきて帰ってきていきなりたんと一緒にダウン。熱が出たらしい。しばらく寝ていたらだいぶ良くなったので一過性のもんだったみたい。さすがにちと疲れていたのかな。たんちゃんのお薬いりペースト9割りといったところ。ただ今日はあまりごはん食べてなかった(>_<)


心臓の鼓動がすごく早くておかあさんもどきどき。お薬は相変わらず8割といったところだけど、ごはんを自分からすこしでも食べにいってるので、くすりが効いてるんだね。たんはイイコだ。


たんちゃんを重病人扱いして二階にもトイレを置いたのだが、トイレくらい行かれるよっ、と無視された。鼓動が早いのが目に見えてもわかるようになってきたが、すこしづつでもごはんを食べているたんちゃん、がんばってるよ。


寝てるところにごはん持ってきてもらったら、食べる元気がでてきたよ ぼくは奇跡を起こせるねこ、なんだって。ぼく、がんばる。でも、この後まずいお薬ごはんを無理やり食べさせられるんだよ。やだな。

ペースト状のごはんに四錠分のお薬をまぜまぜして無理やり口に突っ込んで食べさせる。まずいだろうし吐きだしてしまった分やよだれでおくちや体が汚れてしまうので、かなり不愉快そう。でもこのあと蒸しタオルで拭いてもらうのはなかなか気持ち良いらしいのでこれで少しご機嫌を直してもらえるのだった。


たんちゃん、元気はない。先日胸水を抜かなかったのでやはりくるしいのだろう(>_<)かわいそうでつらい。四十九日が無事済んだというだけで、もろもろの問題は山積。押しつぶされそうだがつぶれてるヒマなどない。ただ、ただ、当たり前みたいにふつうにいろいろ要求されてくる事に対してすべてやろうと思ったらパンクしてしまう、ある程度スルーして良いことは良いのかな?と思い始めてきた。『薔薇(仮デモ)』を聴きたくなった。落ち着いてきた。まずはたんちゃんを穏やかに過ごさせねば。まけないもんね。絶望は愚か者のけつろん。


残務の事を考えるとあだまがぐるぐる。いろいろお礼やらこれからの事やらとにかくメモに書きださねば(@_@)残務を抱えた経験者のひとびとが言うには四十九に過ぎてからの方が大変だ、の意味がわかる)'0'(でも、いっこ来週母の女学校時代からの親友の方が来てくださるので、お話を聞くのが楽しみ。手術の前日も長電話をしていたそうな。


悔いはいっぱいある。入院前になぜあんなひどい事を言ったんだろうって。男の子にはわからないだろうけど、娘ってほんとに母親にひどい事を言うんだよ。母はこう言ってほしかったという答えを知っていたのに。ごめん、そうじゃない、なんでそれを言って安心させてあげなかったのかと、これだけは本当に後悔して、今タイムマシンがあるのなら、それを言いに戻りたい。べそべそになってきたのは、四十九日が過ぎたらがくっとくるよって、みんなが言うように、こういうことなのかな。まだ思い切り泣いてはいなかったような。


たんちゃんが心配だったが、量は多くはないけれど、ちゃんとごはんも食べてて、よいうんちもしてた。でも、元気、ではない。二階にごはん、おトイレは一階、なので、階段上り下りが負担だ。下と上とでごはんんとトイレかんがえなくちゃ。


ご住職から「倶会一処」という言葉を教えていただいた。またいつか会うんだよね。これで穏やかな気持ちになった。それにしても、手術から6週間くらいが退院と言われていたが、それが四十九日になるとは夢にも思わなかった。
ただ。ただ、穏やかな気持ちになりながらも、体調も整え、直前まで父の介護をし、頑張って筋力トレーニングもして、あらゆる準備をして手術に臨んだ母が、なんの落ち度もないのに、なぜ突然死ななければならなかったのか、くやしい、と言う思いはまだある。
これは母のきょうだいたちも未だにそうだけど、でもみんなある意味理想だよね。それはもちろん無念もあるけど、ぴんぴんころりって、そう願ってる人の方が多いんだからね、と叔母たちも自分たちを納得させるように言い合ってるそうだ。


法要・会食無事済んだ。食事もおいしいと喜んでもらえた。母も喜んでいるだろう。
この間打ち合わせに行ったとき、このコースのしめを麺からチャーハンに変えてあげてもいいよと社長さん、て弟の同級生の〇〇くんちのおばちゃんが言ってくれたので、チャーハンにしてもらって良かった。正直もうワンランク上ののコースを考えていたのだが、社長さんがこれで充分、足らなかったら頼めばいいじゃない、と言うのでそれに従ったが、なるほど年寄りが多いのでこれで良いわけね。考えてみたら従弟妹ももう若者じゃないし(^_^;)嬉しかったのは形見分けした母の水晶のネックレスを従妹が早速つけてきてくれた事だった。衣類も叔母たちの知人が喜んで気に入ったものを持って行ったそうだ。
おもしろかったのは母の妹である叔母たちが、一番たよりになる人だからて最後まで自分たちの面倒をみてほしかった、というのに、ん?と思い、順番からいえば、長女から行ったんだから順番通りじゃない?ってころが言ったらみんな、う、と詰まっていたが、すぐ下の弟である叔父が、じゃ、じゃあ次は俺か?と青ざめていたりしち。もっとも下から二番目の叔父が真っ先に逝ってしまうというイレギュラーがあったけどね。ともあれ叔父叔母や従弟妹に心から感謝。親族がいなかったら突然亡くなった母の葬儀など出せなかったにちがいない。これから叔父叔母に何かあったら即はせ参じねば。


あ、ほんとに亡くなる前の明け方見たように、からりと晴れた。母の遺品の喪服、黒真珠、数珠で行く。喪服は少し大きいんだけどね。


明け方からたんの呼吸が少しくるしそうになり鼓動もへんなリズムでどきどきする。でもそれからたんはごはんをもりもり食べていた。ただ、朝になるとやなことされると察知して、またまた自分雪隠づめ。ペーストに混ぜたお薬、今朝も8割といったところか(T-T) 100%目指したい。



帰ったらたんちゃんがけっこうごはんを食べててほっとする。朝は病院でおくすりを全部飲ませてもらったおかげかも。


それから空き家で弟と合流してばたばた。それからお寺にお参りして、明日の最終打ち合わせをして解散。


そこから叔母夫妻と待ち合わせて一緒に施設に行く。父の物忘れのサイクルはものすごく速くなっている。でも、施設の生活に慣れて来てるらしく、レクリエーションでは楽しそうに過ごしてるようで、写真も見せてもらった。一番つらいのは、数分おきに聞かれる「おかあさんはどうしてる?」の問いかけに、母は膝の手術しててリハビリ中だよ、と、まるで母が生きてるかの如く言わねばならない事で、手術終わって、平行棒につかまりながら少し歩いたのを一緒に見たでしょ?
これを言うしかない。現実にはこの姿は見ていないし、母の最期を知りたくてリハビリの先生から聞いた話を自分の中で映像化しているだけで、この先、母の未来の姿はわからないので、父にも伝えようがない。なので、一生父に伝えるのは平行棒につかまって少し歩いたよ、という、自分の中でもこれから一歩も進む事が出来ないうそでしかない。


。 お昼は小田原駅ビルに入ってるイートインの中から神戸のやきそばにしてみた。とろ玉に牛すじとか入っていて初めて食べておもしろかった。すかす後から化学調味料のものすごい後遺症?がきたりするがそれ承知なら500円でおっけでねーかい。



たんちゃん病院父の施設実家お寺とぐるぐる(@_@)
結構みんな風邪ひいてるが、ころとにかくたんちゃんのお世話あるので倒れてる場合ではないのでカラダは元気だ。
たんは食欲があがってきている。体重測ってすこし増えてる・・と思いきや、エコーする前から触診で先生がたまってるかも・・・とエコーしたらやはり胸水のせいだった。胸水を抜くために針を刺すのはかなり負担ですでに三日に一度抜くのを二回やってる。先生と選択を一緒に考えながら、けつろんをだすのはおかあさん。この胸水を抜くのがかなり、たんちゃんに辛いことなので、とりあえずお薬八割飲めてて、食欲があがっているので、基礎体力を維持する事優先で今回は胸水抜かない、という事にしてもらった。でも三日に一度の診察に来ることが、いわば条件だそうで、はいっ


明日は法事なので、母からもらった色無地に黒帯締めて半喪服、という手もあるが、あの一つ紋が入ったイスラムブルーの色無地は光沢あるし、美味しいもの食べに行った時とか能楽堂に行った時着た着物なので、明日の喪服は母の遺品の洋服にする。葬儀の時に着物の喪服は、最近喪主も着ないらしいけど、ある程度人が集まる葬儀では、喪主や喪主に近い親族は着た方が良いと思う。会葬に来られた母の知人の方は、娘を知らないか子供の頃しか会ったことがないけど、第一礼装喪服の着物を着ていたおかげで、どんどん声をかけに来てくださった。特に母の女学校時代の70数年の親友の方とは、自分が高校生くらいの時以来お会いしていなかったけど、すぐ声をかけてくださったしね。しかし、今年3月で半年だけならったお茶のお稽古以来着物を全く着ていなかったが、その久しぶりの着物が母の葬儀の喪服とは思わなかった。でもあわただしい中喪服を着られたおかげで、着物着るのに気後れする事はないぞと思ったりしち。またどんどん着ていこう。なんせ、母の遺品の着物を受け継ぐのころしかいないんだもん(T-T) 叔母たちももうこっちも終活だから服は着るけど着物はあげたいくらいだからと言われてるし。


いよいよ明日が四十九日。からりと晴れるらしい。そういえば母が亡くなる前日見た喪服着てお寺の広い境内を歩いて帰る夢の中でもからりと晴れていた。ああ、あれは小田原の菩提寺さんの境内ではなく母方の菩提寺横浜鶴見総持寺の境内だ。だから・・・やっぱり母の死を暗示していたのかな。夢ってふしぎだ。


日曜日が母の繰り上げ法要となるので、母が現世に留まるのも明日かぎり。たんちゃん病院やら父施設やらだけど、家に行って少しでも母との時間を作るつもり。いきなり実家が空き家になってしまった。まったく、今これだけ実家に行かれるなら、もっと行かれたはずなのに、親不孝。今、親孝行できる人はいっぱいしてね。ほんとに、ほんとに、自分がはずかしいくらいに、してね。


出かける時、必ず何か母の物をひとつ、身に着ける。それはジャケットだったり、般若心経を書いた扇子だったり、ハンカチだったり、アクセサリーだったり。こうしてると何か守られてる気がする。それから、いろんな事。自分は親になることはなかったけど、死んでもなお、親って子供を守ろうとするんだな。そんな思いが湧いてきた。


12月は能楽堂に一度行くのと、あとは会社の忘年会があるだけで一切予定は入れてない。んでも昨日のラープラスお茶だけでも、ものすごく元気になっただ。


元旦の朝。昨年の元旦の事はきっぱりと覚えてる。今年がどうなるのか、全く読めなかったのだ。えっ?今年どうなるのかわからない。こんなんの初めてだった。ただ、それはもう、元旦がどうこういう話ではなく、夢で見続けていたではないか。あの洪水の夢。


元旦の朝今年一年こんなだなーっていうのは、具体的になにかがこうなるからこういう結果になる、なんてのがわかる能力があるわけではないので、今年の「底」が、まさかこんな形で来るとは思わなかった。
しかし、新月サイトを始める事になった年、つまり9年前の元旦の事はじつは全く覚えてないけど10月という月から突然新月の動きに連動して新月サイトが始まって、翌年の元旦からは、目覚めると同時に毎年ものすごい飛躍年になるって確信があってどの神社に行ってもおみくじをひけば必ず大吉だったのはさすがすごかった。生まれてこの方大吉なんか引いたことないって人はたくさんいるしね。
うまく言えないんだけど、振り返ると、あの9年前の元気と幸せの絶頂の10月から第二期新月の復活が始まり、新月ファンには夢のような幸福な出来事、新月関連のさまざまなイベントやライブアルバムやリマスタリング版でファーストが再発されたりボックスが発売されてついにライブまで開催されて新月ファンには、まさにこの世の春(=^・^=)
でもでもでもでも、じゃあ次はなにやってくれるの?って勝手に期待してはやくはやく、なんて思っていた裏で、ライブ前後、実は新月メンバー五人はミーティング重ねてくるしんでいたんだよね(>_<)
それから9年。新しい新月がついに具体的に動きを表明した今年10月、ころちゃんの「底」が来た。今度は、あのるんるんの絶頂期と真逆な悲しみの中に、新しい新月が動き始めてる。
10月のあの日から、ふしぎな思いにずっと囚われていた。ただ、冷静になって考えてみたら、もちろん母の事はあまりに突然で悲しいけど、子として親を見送るという当たり前の事が出来た。はるちゃんが逝ってしまって、今度はたんちゃんがまた病気と闘ってる。目の前の出来事は辛いけど、自分がるんるんの時、自分が気づかない裏にくるしみあったのだから、今はじぶんがくるしい事が裏だとしたら、まだ誰の目に触れていないけど表で描かれているいまだかつて描かれた事にない絵は確実に、素晴らしいものに決まっている。
みなさんが心配してくれてる。どんなにくるしくても、優しい言葉をかけてもらえてきて、それだけで、自分は今、どれほど幸福なのか、かみしめてる。
これは、ちゃんと纏めて落ち着いたら、新月日記だね。


朝たんちゃんが少しびっこひいてた。関節炎も復活してる(>_<)そろそろ抗生剤も切れる頃なのでお注射だね。でも朝も少しごはんは食べていたし、とにかくごはんだ。うんちも少ししていたので安心だけど、ころころなので、やはり水分がうまく外に出ていないのではないか。胸水がたまると心臓を圧迫して具合が悪くなり当然食欲もなくなってしまうので、とにかくおくすりが命綱。おかあさんあきらめないもんね。おかあさんはひつこいんだもんね。


帰ってきたらたんちゃんごはんをかなりたくさん食べていた。食欲増進のおくすりが効いたんだ!(^^)!ただうんちを全くしてないのと、やはりあまりおしっこの量が多くはないので、胸水はたまっているのかもしれない。でも、たんちゃんはほんとに何度も奇跡の生還を果たしてるので、今度もきっとだいじょうぶ、だいじょうぶ。夜もおくすり9割は飲ませられたと思う。


検診が思ったより早く終わったので、時間があり新宿で少しぶらぶら。どこでも良いよという話だったけど、ころちゃんはとにかく東京に出たかったんだ。デパート楽しい。ただ、クリスマス小物とか売ってるんだけど、まだそういうのを見てるんるんでよーしこれ買おう、という気にはならなかった(>_<)市ヶ谷なんて初めて降りたにゃ。ラーはめちゃくちゃ美味しくて、一時間くらいしか時間なかったけどココア飲んで、やっぱし新月、真〇月などなどの話はたのしい。キタモトやってほしいにゃ。未来の話たくさん。ものすごく元気出る。


絶望はおろかものの結論。ごはんの量を多くしてみた。おくすりの味がしちゃうとよだれで吐きだしてしまうので、回数を多くしても確実に呑み込んでくれることがだいじ。すさまじい格闘の末、おそらく今日は9割はいけたと思う。大事なのは水分をすこしでも体の外へ出すことなので、この部分の薬だけも効いてくれれば。ほんのすこしだけほっとして、おかあさんはがん検診からラーメンデートにでかけるど。えらいぞたんは。


今日は六七忌。弥勒菩薩さんだ。


んでも、たんちゃん見てたらそんな事言ってられないや。だって、たんちゃんは生きるのやめようとしてないもん。先月末突然ごはん食べなくなった時は、たんちゃんが、勝手に勘違いして悪いものを背負っていこうとして、いきなり自分から生きるのを止めようとしてるみたいに思えたから、それは違うよって説得したら納得して頑張って退院した、たんちゃんだもんね。べそべそ泣いてる場合ではない。泣いて何かが解決するなら一生泣いてろ。しろぱぱからのおみまい留守電聞いてうるうる。いかん、みんなしんぱいしてる。「嘆いてる時間がもったいない」ってヨーコ先生の言葉を教えてもらっていたっけ。


ちょっと気が緩んだか。朝から涙が止まらない。何のお試しかわかんないけど、母に続いてたんちゃんと、これ以上どうしろっていうんだろう。「今年は底を見る」母の死が底なのかと思っていたが、まだ底があるのかな。


母とその上たんちゃんまで持って行かれては困る。誰がこんなに欲張ってるんだよ。って天に向かって悪態をつきたくなった。でもたんちゃんは何度も奇跡の生還を果たしてるからね。ここで鮮烈に思い出したのは昨年の大震災の時の中学生の答辞だったか細かい事は覚えていないけど「天を恨まず」自分たちの力で頑張る、という意味の言葉だった。


退院してきたら退院祝いのプレゼントにこのねこ型かまくらベッドが置いてあったの。ぼく、すぐ気に入っちゃった。 でも、せっかくここで気持ちよく寝てるのに、おかあさんがここから引きずり出してタオルでぼくをぐるぐる巻きにしてまずいごはんとまずいお薬を無理やり飲ませるんだよ。たんちゃんは何度も奇跡を起こせるはずだ、とかわけわかんない事言われちゃってさ。もおおおぉ

あまり食欲がない旨先生に伝えた。やっぱり心臓の上の部分は全く動いていない。
3日しか経ってないのに胸水がまた溜まっていた。心臓2cmのところまで水が来ている。また200ccぬいた。 薬が効いていれば多少胸にたまる分の水をおしっこで体外に出せるはずなのだが、おくすりをちゃんと飲ませられないせいか(>_<)
でも、お薬は飲ませられる範囲で、とにかく三日に一度見せていただければ、って言いながらの先生の表情や、診療室から退出する時の先生の深い礼で、いろいろ、わかった。お会計待ちの待合室でちょうど周りがみんな重病ねこさんだらけで、みんな沈痛だった。その中の母と同世代の方が「痛いとか苦しいって言えないもんね。自分が代ってあげたいよね」に頷きながら、みんなうるうる。


紫檀の秋桜の位牌が出来てきた。実は一週間前に出来てきていたのだが、よくよく見ると母の字がちがうっ)'0'(野位牌通り彫ってもらったのだが、坊さんが変な旧字を当ててて、今まで親族誰も気づかずで、慌てて彫りなおしてもらう。追加料金をお布施からひいたろか(@_@)四十九日が無事済むまでとにかくユダンできん。四十九日過ぎたら飲みに行きたいなあ(/_;)あくまでぱーっと明るくやってほしい。んでもって昼間すこし気分転換したいので明日ラーメンデートしてもらうことにしただ、濃い目たのしみ。


とにかくたんちゃんの事が一番だし。 たんちゃんお薬むずかしいよ(T-T) 今日は病院に行く日なのでこの時だけお医者さんに全部飲ませてもらえるんだけど。もう朝用心して二階に上がって来ないもんね)'0'(タオルぐるぐる巻きもどうもうまくいかない。がりがりのくせに力強いし。病院に行ってエコーを見て先生に心臓のここの部分が全く動いていないんですよ、と説明される時が一番つらい。でも、少なくともたんちゃんは、自分が悪いものを背負っていこうなんてのは、勘違いだからねっておかあさんの説得に応じてくれたようで、いつか必ず、はるちゃんの時と同じに否応なく別れる日が来るのは間違いないけど、それまでは、出来る限りの事をやろうね、たんちゃん。


なにせいそがしいずら。いままで関係ないと思ってた法律のお勉強までしなければならないとわ。なんかゆったり新月だけ聴いてのんきに幸せに過ごしてきた少女時代?から、母の死と同時に否応なく大人の世界に入ったよおな(@_@)親は最後までいろいろな事を教えてくれようとしてるのかな。
みんなの話によると三回忌まではすさまじい忙しさでとにかく泣いてるヒマないよと言われたがまさにその通りだよね。泣いてるヒマがあったらアレやんなくちゃ、とか。唯一、電車やバスに乗ってふと素になった時、うるっとくるくらい。やることがどんどん追いかけてくるどころか追い抜かされてるかんじ。おっと明日は朝がん検診だ。


たんちゃん、帰ったら、いいうんちもおしっこにしていてトイレはもぬけのから。2階に上がったらごきげん治っていた。


たぶん、母の事だけであったらこの事考えてウツになってたかもしんないが、たんちゃんをなんとか治してあげたいって事で気が張ってるのでそれはない。たんはほんとにふしぎだ。ただ、今朝はつい、ペーストごはんではなくて、まだはんぶん残っていた「おくすりちょうだい」でやってみたのだが、ペーストと薬のまずさとでよだれで全部流れてしまった上に、完全にトラウマになってしまったらしく、おかあさんの顔見ると逃げてしまい、ついに、トイレに籠って出てこない(T-T) くすん。今日も早出だ、いかねば。


たんちゃんを元気にさせねば。ころ、つぶれないもんね。早出だ行かねば


「羽衣」の感想を頂き感無量。天女が右手を挙げてさっていく姿が母が天国へ旅立つ姿に思えたとのこと。気持ちが浄化されるようだった。


まだまだいろいろな事が押し寄せてくる。これを乗り切らなければ。


病院は3時間コース。待っている間たんをずっと触り続けていたが、たんの心臓がとても早く不整脈なのが良く分かった。エコーをみたが、相変わらず心臓の上部は動いておらず胸の水がたまっているのがわかる。胸をぬいてもらったが200ccも溜り、腹水もたまっているそうだ。お薬が少し変わり、水を排出する成分になるそう。デメリットは腎臓にくるそうだ。ただ胸水がたまると当然呼吸困難になり、今せっかく食欲が上がってるのに、ごはんを食べられなくなってしまう。


母の不意の旅立ち。そか。そうだった。潮が満ちたから船出したんだね。その船に乗るために、何歩か自分で歩けたんだ。


トモダチ作戦(意味不明)のタオルぐるぐる巻きを実行しているのだが、なかなかうまく行かず、たんの手が出てきて抵抗がすごい。んでもペースト状のごはん二口分に粉薬を練りこんで、今朝も8割くらい飲ませる事ができた。好きなごはんと薬は絶対に結び付けないことにして、「お薬嫌い」「このごはんも嫌い」をセットにして、このまずいお薬入りのごはんを食べたあと、ご褒美に、好きなシーバとかモンプチのスープを舐めさせてあげるという作戦を付加した。がんばれたんちゃん(=^・^=)えらいぞ。


「天鼓」は母が「むごい内容が多い能の曲の中で、理不尽に殺されてしまった少年の霊が、音楽で供養してもらい喜びに満ちて成仏する内容で、救いがある曲だ」と気に入っていた曲で、やはり昨日行って本当に良かった。
今日は謡のお仲間が、本来だったら両親ところと三人で行く予定だった「羽衣」に行ってくださる。ちょうど一か月前が告別式の日だったんだから、やっぱり偶然にしては出来すぎで、母の演出かなあ。
じぇんじぇん関係ないけど、鎌倉能舞台の主催者貫太ちゃん(友人と勝手にかんたちゃんと呼んでるのだった)の解説が、狂言も能も「よりによって両方共唐土がテーマです。この企画は昨年の秋で、この時はまだ友好だったのに」で見所から笑いをとっていた。


目の下のくまさんはもう刻まれたみたいに消えなくなっちゃった(T-T) あーあ、こんなに老け込んじまって。すかす、会う人ごとに「痩せたね」と言われるのだが、はっきしいってびた一ミリグラムも体重減ってないもんね。これは「不幸があった」「つらくて食欲も出ないだろう」「だから痩せたに違いない」というみなさんの思い込みからくる錯覚であろう。正直げっそり痩せるのではないかと唯一明るい希望として期待してたのだが、まったくそんな事はなかったね(/_;)


まだ全く解決できていないいろいろな問題が山積で涙に暮れている余裕がないや。四十九日のダンドリもしないといけないし、今日も一日ばたばた。でも、日に日に、母親を突然失った、という事を事実として受け止めるようになり、体に大きな風穴が空いたような思いが増してくる。


デパートでてんぷら彩御膳らんちを食べてから、江ノ電でとことこ長谷駅に行き、それから鎌倉能舞台へ。 萬斎さんの「栗焼」喜正さんの「天鼓」素晴らしかった。後段では供養を喜ぶ天鼓の舞に、不覚にも涙が出てしまった。


朝になってやはり母の着物は着たい!と黒大島のしつけを急いで外して、確かこの黒大島に合わせてこしらえたという正倉院文様の名護屋を締める。なんせ半年以上ぶりの着物が先日の喪服だったもんで、重たい喪服に比べれば、軽い大島だったので、あまり苦戦せずに着る事が出来た。「天鼓」を母の着物と帯で鑑賞するなら良い供養になるね。


先月のお通夜の日に「天鼓」を観に行き、葬儀の日付に「羽衣」を謡の会の方たちが観に行かれる、なんてできすぎてるにゃ。


たんのおともだちもこれでおくすりを飲んだというタオルでくるみ作戦を隙をついて実行してみる。夜は9割といったところでよしよし。朝はタイミングが難しく、かまくらに入って眠ってしまうのを引きずり出すと、「やなことされる!」で抵抗がものすごい。朝は時間がない、という頭があるので、こちらも焦っていてうまくいかず、3割(>_<)


五七忌。叔母たちと般若心経をとなえて閻魔さまにお慈悲をお願いする。 母の衣類は盛大なファッションショーの結果、ほぼ片付いた。しかし母一人の衣類を女5人で分けてまだ大量に余っているのだ。残りは叔母がフリマに出すとかなんとかネットワークを持っているらしい。マリクレールのウインドブレーカーが色違いで2枚とか、わけわからん。叔父二人はとりつかれたように裏庭の草取りをしてくれていた。みんないまだ突然逝ってしまった姉への気持ちの行き場がないんだよね。結局忙しく、「天鼓」の謡曲本を探すことすら忘れていた。


ほっとしたので、新月日記をすこしだけかけた。


おかあさんはぼくにいじわるしていやなことするからきらい。でもすぐそんなこと忘れてすりすりしちゃうんだ。

ペーストごはん作戦で行くことにした。なるべくペーストの量を減らしたいのだが薬の量が多すぎて、4回分くらいになり、逃げるのを捕まえてそのたびたんがてこでもあけるもんか、という口をこじあけて無理やり。外国製のペーストはたぶん口に合わないのだろう。ただ、普段食べてるごはんにすっぱい薬混ぜて食べさせてしまうと、これはいやなものだと思ってごはんを食べなくなってしまうと大変なので、くすりはこのペースト、という事にしておこう。とりあえず30分かかって8割くらい食べさせる事ができてすこしほっとした。


ぼく9日間も入院してたの。ずっとくるしくて寝てた。時々先生がぼくに痛いことしたよ。毎日ごちそうがいろんな種類並んでいたけど、あんまりごはんも食べたくなかった。だからすごくやせちゃった。でも、だんだん、すこしづつごはんもたくさん食べるようになったの。 おともだちは元気な時のぼくぐらい食欲があるからそのパワーもらったんだって。おうちにも帰って来られたよ。でも、時々いやな事があるの。いい子で寝てるとおかあさんが無理やりお口をこじあげてべとべとするまずいものをお口のなかに入れるんだ。だからぼくぜんぶうえーってお口から出しちゃうだ。心臓の上の方が動いてないっておかあさんが言うんだけど、ぼくにはよくわかんないや。

たんはおくすりを飲めていなかったので、やはり心臓の具合は良くなっているわけがなかった。一緒に寝ていても鼓動が早いし、先生が聴診器で診察したらくぐもった音もしていて、あまり良くない打ち方ですとのこと。
とにかくお薬命でどうしよう?と先生も思案投げ首で、おかあさんは、シロップでなんとかなりませんか?と聞いてみる。先生がシロップかーとしばらく考えてみて、シロップを作ってみましょう!とシロップ作戦を試してみた。が、シリンジからお口にシロップが入ってもいやいや。それでもさらに飲まされると、シロップをしばらくお口に隠してから、全部出してしまった。シリンジにはさらにたっぷりシロップが残っていているが、到底残りを飲ませる事など出来ない(>_<)
とにかく薬の量が多すぎるのだ。
今夜の分は先生とスタッフさんで飲ませてくれたが、プロがやっても一度失敗したので、やはり家では難しいですよねと、先生が言ったので、シロップ作戦がダメとなると、やはり今朝80%くらいの成功率だったが、ごはんに混ぜてむりやりごっくんさせる作戦しかありません、と、お薬を全部粉薬にしてもらう。今夜の分は飲ませてもらって本当に安心だが、家での飲ませ方を確立せねば。
それから、入院中、ごはんを食べられなかったので、関節炎のサプリメントをあげられなかったのだが、ごはん食べられるようになってから、朝晩サプリメントを上げてくださいと病院に預けてあったのだが、やはりサプリメントが切れてしまっていた一週間くらいの反動が一気にきてしまったらしく、たんの歩き方がびっこ引いてる。痛いんだ(>_<) まだまだリハビリ、メンテナンスが必要なのはたんちゃんなのだ。母の事ではまだ涙でないもん。


今日、新月サイト復帰した。んでも復帰といっても掲示板に、はなさまの新月活動告知をコピペしただけで、新月日記にはまだじぶんの言葉でうまく言えないけど、ちびっとづつね。まあ大半の人は情報を得るのは掲示板だから掲示板しかみないかもしんないけど、わかってる人には、ぢつは新月日記が新月ファンサイトそのものだって知ってるから、ん?ころちゃんはまだほんとには復帰してないな、ってわかるよね。てへ。ゆっくり復帰するけんね。


明日は母の五七忌。明後日はだいぶ以前から友人がチケットを取ってくれた鎌倉能舞台で「天鼓」に行く。能は友人にチケット代だけ払って行くのを止めようかと思ったが、「天鼓」は母が好きだった曲なので鑑賞が供養と思い行くことにした。そしてしあさって、本来母手術を決意しなければ両親と一緒に行く予定だったMOA美術館での能がある。
これは、母が手術を決めてから、行かれなくなってしまったので、謡の会の方に、ぜひ行っていただければとチケット代を受け取らず、では代わりにおみやげを買ってきますとの事で差し上げた公演だ。曲は「羽衣」。これも母のお気に入りの曲で、「天鼓」も「羽衣」も共に天へ向かって昇っていくという共通点がある。「天鼓」はいわば音楽葬という内容だし、羽衣はたなびく衣が雲間に上っていく。ころが「天鼓」、母と親しくしてくださっていた謡に造形の深い方たちが「羽衣」を鑑賞する。ふしぎな因縁だ。
あ、明日忘れずに家から「羽衣」「天鼓」の謡曲本を持ってこよう。父が使っていたのは後からお焚き上げしてもらったが、母の父が鈍翁さんのところで教わっていた時の昭和11年の謡曲本が残っていたので、それを持って行く事にしよう。


ツタンカーメン展のチケットは期間限定で12月7日までぢゃん。またぐずぐずしてると流れてしまう。それにしても、このチケット2500円て高杉。


320円もするペースト状のかんずめに粉薬を練りこんでむりやり上あごにつけてみたら、少し呑み込んでくれた。ただいかんせん薬の量が多すぎるので、やはりよだれで流れてしまったが、毛玉除去ペーストやおくすりちょうだいよりはましかも。ただ、このかんずめ作戦がいつまで成功するかなあ(>_<)あまいシロップかなにか発明してほしい。これだけ医学が発達してるのにー。あと、まだ食欲は7割なので、にゃんこともだちはもっと食欲パワーを送ってね(=^・^=)


おくすりを飲めていないからだと思う。一緒に腕枕で寝ていて、たんの鼓動が早いのがわかる(>_<)たんがおくすりを飲めないのはたんのせいでなくておかあさんが下手なせいだ。いろいろやりかた考えなくちゃ。今日また病院に行く日なので、さらに先生と相談せねば。


たんのおくすりは今日も失敗だった(>_<)なんとか口には入れてもよだれでぜんぶ流れてしまう。なんでシロップに凝縮して簡単に飲ませるようにできないのかな。のまないとたんの心臓の上の部分が動かなくて血栓が出来て母と同じように死んでしまう。泣きたい。


新月日記を読み返してみたら、そうか。12日の日は急逝された長友さんの事を書きそこで中断していたのか。叔父である母の弟は52歳で長友さんと全く同じ病気で急逝したし、不思議な因縁だね。今朝も新月LIVE1979を聴いた。四十九日までやる事がいっぱいでバタバタだけど、そろそろ、ぼちぼちと戻りたいな。明日は、新月。


菩提寺のご住職は30代前半で昨年大震災の時には東北にボランティアにも行かれたそうだ。お話してて、読経に我が家に来てくださった時、楽しみだったのが、母が点てるお抹茶。どこでもお茶はいただけますが、お抹茶とお菓子を頂けるお宅はありませんので、お盆の暑い時もお抹茶をいただくと、ほっとするんです、と言葉をいただいて、そうか、そか。


今日はひでー一日だったが間一髪セーフという日でもあり、ついてるんだかついてないんだかわからないが、なんか寒川さんにお祓いに行った方が良いような気がしてきた(・・;)まずは四十九日を無事に執り行わなければ。あううっ。


ねちゃねちゃのペーストに混ぜるやりかただが、昨日はよく練りこんでいなかったので、粉がそのまま舌に乗ってしまい、全部よだれと泡になって流れてしまったのではなかろうか。今朝はかなり念入りに練りこんでみた。しかしいかんせん薬の量が多すぎるので当然ペーストの量も増えてしまい、五回くらいに分けないとできず、かなり苦戦。やはりよだれで流れてしまったが、夕べよりは飲ませられたような気がする(>_<)でも飲ませる事ができても流れてしまっては意味ないので確実に飲ませるのはやはり錠剤ごとのませるしかないが・・・難しい。粉を半分づつにして、半分は今日買ってくるペースト状のかんづめに混ぜるとか。


チーズ味の「おくすりちょうだい」もダメだった。よだれで流れてしまった。にせチーズの匂いもくさいし、よだれで体中かぴかぴだし、なにがおくすりちょうだいだ。嫌がっているではないか。おくすり飲まないと死んじゃうんだよと泣きたくなる。もともとチーズを食べた事もないし。飲ませ方が下手なのかもしれない。とりあえず粉薬を半分取っておいて残りをごくわずかのかんずめに混ぜてみたが今夜それを食べてくれるかどうか。ネットで調べたらペースト状のかんずめにすこし混ぜて口にくっつけて自分で舐めさせる、というのがあった。あれだ、はるがごはん食べなくなったときに買ったやつだ。ふつうのところでは売ってないので明日ハンズで買ってきてみよう。おかあさんはしつこいのであきらめないもんね。


久しぶりに新月を聴いた。母が亡くなった時のキーワードは船出と不意の旅立ち。新しい新月は第二期からは想像できないいまだかつてみたことのない絵らしい。いろんな意味で潮が満ちたのか。


今日は母の月命日。まだまだ苦しい修行中の母にお願いごとはダメなのかしれないけど、たんちゃんがそっち行きそうになったら追っ払ってねと頼む。どうもペーストが多すぎるのかおくすりとうまく混ざらなかったのか、今朝もあまりうまくいかず、よだれで流れてしまっているようだ。全部のお薬を飲めたとは到底思えない。今夜はチーズ味のペーストを試してみよう。でもなんでおさかな味ではないのか。ねこに珍しい心筋症って、こんなところに個性はいらないのに。母の急逝とたんちゃんの病気で生活が一変してしまったように思える。でも、母方の祖母は長い間心臓病を患っていたが、「ひびの入ったお茶碗でも大切に扱えば長持ちするんですよ」というお医者さんの教えを守って78歳まで生きる事が出来た。たんちゃんの動いていない心臓の上の部分は、お茶碗のひびの入った部分だ。ここを動かすように、お薬飲ませるのがんばらねば。


1111というころ的には新月日付(意味不明)だったので新月に戻れるかなと思っていたが、たんちゃんの事やもろもろ内省的になってて戻れなかった。今とにかく時間を一番使わないといけないのはたんちゃん。夜になってペーストに混ぜて無理やり口の中に押し入れたが、なかなかうまくいかない。それにかなりべとべとあぶらっぽいようなものでむずかしい。明日はペーストの量を減らしてみよう。水曜日に効果測定で病院に行く。たんちゃんの心臓の上の部分が動いていない。この事実を受け止めねば。


早くも明日は母の月命日。まだあまりに忙しすぎて涙も出ないけど、大概の経験者が言うように、四十九日過ぎたらくるよ、っていう。四十九日まで忙しすぎるのは、悲しみがまぎれるためだ、とも言う。今週の五七忌はいよいよ閻魔様のおさばきだ。閻魔様はお地蔵さんの化身だ。今年の夏、久しぶりに「小田原板橋のお地蔵さん」に行こうと思ったのに行かなかった。行けばよかったな。「後悔とはしなかったことに対してするものさ」。トージロー語録が、また、よみがえる。そうそう、長友さんの急逝を聞いてから、そう思ったんだよね。そういえば、ころの家系はみな「急逝」の血筋なので、ころも母のように、自分の足で歩いたまま逝きたいものだ。


朝お薬よっつも飲まされた 今夜からはもおぼく絶対におくすり飲まないもんっ

ただお薬を飲ませる事がかなり難しい事を伝える。そもそも病院でもスタッフ1人がおさえつけ、もうひとりがピンセットで薬をつまんで喉に落とすそうで、しろうとがそんな事できないよー。いままでおかあさんはおくすりを飲ませるのが上手だと思っていたが、それは一つぶの話やね。でも、たんちゃんの命に関わるのだ。
シロップとかないのですか?と聞くとうーん、との答えで、それから先生がいろいろ方法を考えてくれて、そうだ、と乳鉢を持ってきて、それをつぶして粉状にしてから毛玉除去用ペーストに混ぜて、どっちみち無理やりなのだが、口に入れて舐めさせてみた。うん、これならなんとかなりそうだ!(^^)!。これを今夜から実行する(・_・)
あと看護師さんが「お薬ちょうだい」という名前のチーズ味のペーストのサンプルをくれた。これを試してみて、よさそうなら注文できるそう。たんちゃんにお薬を飲ませるのに時間に余裕が必要なので、あしたから30分早く起きるぞ。


お医者さんに行く日で良かった。たんの症状をレントゲンや、一緒にエコー室に入らせてくれて、詳しく先生から聞いた。病名は「心筋症」で想像していた以上にたんの心臓は悪く心臓の上部の筋肉が動いていない。そのために血液が滞って胸水がたまり、また、動かないと血液は固まってしまう為、血栓ができてしまい・・・もうわかった、母と同じ原因で命を落としてしまうそうだ。そうならないためにも、朝晩のお薬を頑張ってくださいと言われてうなずく。


たんちゃんには10日の朝までは、必死に朝お薬よっつ、夜はみっつ上げる事ができた。ごはんもぼちぼちだけど、時間がかかるけど、すこしづつ食べるようにはなってくれた。かりかりも食べてくれるようになったので、だいぶ体力がついてくるに違いない。でも元気になってきたので、力も強くなって暴れて、10日の夜はうまくいかなかった。一応飲ませたと思っていたら、朝、床におっこっていた。やっぱり隠しててあとからぺっ、とやったんだ(・・;)今朝も結局ダメで要するに10日の夜からいっこもお薬を飲んでいないことになる。そのうちのひとつは大きな粒で、人間でいえばカンロ飴をまるのみしろというような物でむちゃな話だよー。


もろもろ整理しながらこれだけはまだ開ける勇気がなかった病室から詰め込んだ遺品が入ったキャリーバックを開けた。やはり見るに堪えなかった。卓上カレンダーが入っていて、12月の予定まで書き込んであった。それから「身代わり不動」のお守り。お不動さん、身代わりになってくれなかったじゃない、と腹が立った。
でもそもそも5日の入院初日、いや、入院と言っても実際は日帰りで一日説明を聞くだけの入院だったので、談話室で待っていて、その時、5千円札を崩してほしいと母にお札を渡されて、それをパンツのポケットに突っ込んで、売店に行こうと思った時、時にちょうど看護師さんが来て、いろいろ説明を聞いて、それからうろうろしていたのだが、病室に戻ってお金を崩さなくちゃ、と思ってポケットに手を入れると・・・無い!落としたのだ!思い違いでバックに入れたのかと思ってみたが、無い。談話室に戻ったけど、もちろん無かった。初日から縁起でもない。ものすごく嫌な気持ちがした。母は笑って「いいのいいの、厄払い厄払い」と言っていたが、心底嫌な気持ちがした。
その七日後、この嫌な気持ちが本当になってしまった。あの時きちんとバックに入れておけば、こんな事にならなかったのではないか。あの時お札を失くさなければこんな事にならなかったのではないか。自分のせいではないかと、この事はずっと澱みたいに残ってる。


実家の鍵を自分で開けて入る。ただいまーっって言っても答えはない、先日来た時から、物は一ミリたりとも動いてない。当たり前か。動いていたら変だよね。その上、自分で雨戸をあけねばならない。
庭を掃いていると、必ずどなたかが声をかけてくださる。知らないんだけど、父母を知ってる方たちだ、会話がない時はない。
しかし、衣類が湧いてでてくる。1人の衣類を妹三人がそれこそ夜逃げするくらいの量を分けていったのに、全く衣類は減ってないぞ。母が終活を始めてから着物の整理をした時も着物帯が湧いて出てきたが、衣類はその三倍はあるかも。娘のころは全く服にかまわないので母がよく嘆いていたくらい正反対なお洒落な人だったのもあるけど、ほとんど一度しか着てない服がかなりあり、服を買うのがストレス解消とか聞いたこともあるかな。
叔父のつれあいの叔母が、みんなが選んでくれた服を喜んでもらってくれて本当に良かった。この叔母には子供の頃からどれほど世話になったかな。小さな時おやつにこの叔母が作ってくれるハイカラな飲み物「ミルクセーキ」が楽しみで遊びに行ったものだ。


平行棒につかまりながら、手術の傷の痛みは別として、膝の痛みが消えた足で、自分の力で何歩か歩いた時、母は「気分が悪くなった」と一言言ってスタッフに支えられてベッドに横たわったそうだ。そのまま意識は戻らなかった。9日に手術しその3日後、血栓が一気に心肺に達したいわゆるエコノミー症候群だった。


昨日ぐうぐう寝たので体力は回復!(^^)!たんを腕枕で、でもごりごりがりがりに痩せてるけど、あたまの毛とかふくふくしてて幸せ。


こうして書いて、リハビリしつつ、ゆっくりだけど、新月へも、戻って行かれそうだ。まだ、気持ちの上でだけだけど、必ず戻れるにゃ。メール読み返しながら、やっと穏やかな気持ちになってきた。それにしても、はるちゃんのために立ち上げたサイトが新月サイトとなり、新月サイトと同い年のたんちゃんの存在は本当にふしぎ。はるちゃんもたんちゃんも「生きる」姿をダメかあさんに見せてくれていた。


すこしづつ、すこしづつ整理されてきた。ころ日記だもん、自分のきもちをえんえんと書いても良いよね。たんも戻ってきた。自宅療養は別として、これでやっと日常生活のペースを取り戻せそうだ。10月9日が母の手術の日。すさまじい一か月だった。どんな占いよりも当たるころの元旦の朝に感じる事。「今年は底を見る」だった。いろいろ複雑な思いがよぎるけど、弟の年齢の厄を持って行った母。ころにとっての「底」は悲しみなのかと思ったが、もしかしたらその「底」を母が持って行ってくれたような気がする。


昨叔父と叔母に来るまで連れて行ってもらい、父の面会に行った時、まるで今も母が本当に入院しているように話していたのだが、いや、実際亡くなっていなければ、まだ入院中なので、違和感がなかったのだが、退院してもお母さんはまだ食事の支度とかできないんだから、お母さんが退院してからも、もう少しお父さんはここに居た方がいいよ、お父さんはお母さんのためにご飯作れないし、と言ったら、父が反発してきてメシだけの問題なら、自分は作る事などできないが、何か買ってこいと言われればできる、そうじゃなくて、手術して退院して来てひとりで家に居たらおかあさんが危ないじゃないか、それで転んだりしたらどうする、心配だから一緒に戻るんだ、と言った時には胸が詰まった。なんでそれを生きてる時に言わなかったんだよー。


通夜の夜も告別式の夜も、父がパニックを起こさないように、家に戻ってから一切母の話が出来なかった。通夜の晩もどれほど一晩母の傍らで過ごしたかったか。でも母は自分はいいからおとうさんを頼む、と言ってるよねと、後はスタッフの方に任せて、父を連れて自宅に戻らざるをえなかった。
対外的な葬儀はつつがなく執り行う事ができたが、弟もころも、未だに真の意味での母の葬儀を行っていないやり残した気持ちがあるので、四十九日前にじっくりと、それをやろうと言いあっている。今後の事務的な手続きの打ち合わせも兼ねて行かねば。なにより、やはり母が常に気にかけていた父の生活を何とかせねば。


亡くなった直後は、このメールを母が読んでいるかどうか知るのが怖くて、携帯をずっと開ける事が出来なかった。だいぶ経ってから、恐る恐る開けてみたら、ちゃんと読んでいた。
返信がなかったのは、このメールを読んだ直後、11時からのリハビリに向かったのだろう。前日はお見舞いに行っていなかった。これがほんとうに後悔で、この日だけはもう疲れてしまったのでやすませてーと、ごろごろしていたのだ。結局10日に会ったのが最後になってしまった。でも母が、このメールを読んで、今日午後からころが来るなら、自分が今日から始まる本格的なリハビリでどんなに歩けたか自慢しようと思って、さらに張り切っていたのに違いない。病院からの電話の時間から逆算すると、母が倒れたのはこの30分後くらいだ。前日に続いて、足踏みを自分でする事ができて、ではいよいよ歩く練習を開始して平行棒につかまりながら何歩か歩いた直後だったと言う。嬉しかったろうね。
やっとこうして整理して考える事ができるようになったかな。


この日10時38分に母にメールを送っている。内容は、自宅に手すりやお風呂場の中に段差をつける工事費に、市から介護保険住宅改修費援助という制度があるので事を市役所に聞いてみる。病室に持ち込んだ書類を見てから市役所に行こうかな、リハビリ中で病室留守なら勝手に書類を持って行く、という事務的なものだった。このメールに対して返信は、ないままだった。
この一時間後に病院から電話が入っている。
この瞬間は気付かなかったが、この朝、からりと晴れた空の下、葬式から帰る夢を見ていた。


新月に全く戻れない。新月の事書くのは、ころちゃんにとって、いかにものすごいエネルギーを必要とするか、って事だよね。新月掲示板を見たら母が亡くなった朝の日付で中断していた。クライミングワールドカップか。元気いっぱいのパワーにあふれていた日だ。母もこの日から本格的なリハビリが始まり、いよいよ痛くない自分の足で歩く楽しみに張り切っていたことだろう。


先月の励ます会は母の事でやってもらえて元気をもらってとっても楽しかった。でも、おかあさんが飲んだくれてるあいだ、たんちゃんの病気が悪化してたんだよね(>_<)。
先月末、別の励ます会開催予定って嬉しいメールをもらったけど、その2日後にたんちゃんが倒れてしまったのだった。当分はたんちゃん通院して先生と相談しながらの投薬スケジュールが組まれていくだろうし、たんちゃん置いて母の四十九日過ぎまで夜出歩く気は起らないので、月末過ぎたらやってもらえればうれしいにゃ。どっちみち今はむりだろうが。それに、せっかく良い感じになっていたころちゃんの髪型がサザエさんになっちゃったので、もう少し伸びないと人前には出たくないわい(;_; )( ;_;)


どろのように眠ってしもた。なぜかオナカがしくしくするのは風邪なのかな。ちっと疲れていたらしいずら。でも今倒れたりしんでるヒマはないずら。これからなんだから眠れる時は眠れば良いのだ。だいぶ元気になってきたぞ。たんが戻ってきて良かった。朝夕の面会がなくなったので、その分時間が出来たのだから、すこしづつ生活ペースが戻ってきたんだもんね。


でも、ほんとにそうだよ、一時危篤で、向こうに行きかけたのが、戻ってきたんだもん。こうやって、やってあげられる事が出来るって、なんて幸せなんだろうと思う。急いじゃだめだよね。おともだちにゃんこの食欲パワーもいっぱいもらってるんだし、いろんなエールももらったし、だいじょうぶ、だいじょうぶ。がんばらねば。
会社のFちゃんとM子によると、向こうに行ってるにゃんことわんこが三途の川を渡りかけていたたんを協力して阻止して、レトリバーのわんこがたんを背中に乗せて犬かきでこっち側に送ってくれたんだって(=^・^=)


特に朝だよね。会社の方はもういつクビになってもおかしくない浦島状態なのだが、復帰を待ち望んでるとか話半分にしても言われて、週明けから行くことにした。仕事行く日の朝のたんちゃんの投薬のタイミングをいろいろシミュレーションせねば。


朝、たんに二錠だけはお薬飲ませる事が出来たが、そのあと嫌がって押入れに入ってしまったたんを引きずり出して飲ませようとしたところ、二つともくちの脇にはいってしまい、大失敗。吐きだしたくすりは慌てて拾ってティッシュに乗せて乾かしておいて、やっと昼過ぎに飲ませる事が出来たが、これからが思いやられる。夜は三錠だけど、たいへんだ。それに、あまりごはんを食べようとしない。かと言って全く食べないわけではない。かりかりを手に乗せてあげたら少し食べてくれた。うーん。これからだなー。


これも新しいふわふわベッド。入ると体がふわーってなるんだ でもここで気持ちよく寝てたらいきなり頭つかまれておくちこじ開けられてお薬飲まされたんだよ お薬は朝4つ、夜3つ飲まなくちゃいけないんだって。ぼく、やだもんね

たんが帰ってきた。ずっと腕枕してすやすやたんに安心。すかす、たんと一日寝るつもりが朝からずっと法事の事でめちゃくちゃ忙しい。寝てるヒマなかった(T-T) なぜかオナカが痛くなってきて?オカユなんか食べたりして。やっとパソコンに向かう気力が出ては来たが、携帯メール連絡事項や励ましメールのおへんじを打つまで元気がない。ちょっとだけ寝てしまおう。新月。新月に全然行かれないや。


おうちに帰ってきたよ。猫型の新しいベッドが置いてあったよ。退院したけどまたおかあさんがちゃんとぼくにお薬を飲ませてるか日曜日におかあさんがチェックされるんだって

そろそろもう体力の限界かなーと思いつつ、朝たんちゃんの病院で今日退院と言われてやたっ。疲れもふっとぶ。それから実家に行き叔父叔母と父の施設に行きそれから実家に戻ってそれから戻ってきてふらふらしてるがたんちゃんをお迎えに行く。ただ・・・ぐんぐん快方で退院というわけではなく、心臓の調子はやはりあまり良くないとのこと。あとは飲み薬を続けないといけないそうだ。心臓の薬は朝一錠、朝夕一錠づつが二種類、甲状腺機能亢進症の薬を朝夕一錠で、朝四錠、夜三錠飲ませないといけない。朝三暮四の逆だ(意味が違う)。大変だ。そしてちゃんとお薬が飲めてるかどうか再診しにいかねばならないのだった)'0'(


得意のスイマーズポーズだよ。明日おうちに帰れるかな

なぜかわかんないんだけど、8日で全部かいけつする、って思っていた。そしたらやっぱり完全ではないけど、今夜の心臓病の先生の処方を聞いておっけなら明日退院と言われる!(^^)!本厚木のペットショップで保温グッズ買ったり美容院に行ったり。髪型をサザエさんにされてしまったが、たんちゃんは夕方行ったらちゃんとおかあさんとわかった。


もう病院に7日もいるの。でも昨日からごはん食べられるようになったの。ねこには珍しいタイプの心筋症なんだって。それから甲状腺の病気とおかぜもひいていたんだって。病気のデパートって言われた

なんとなく5日がめどではないかと思っていたら、やっぱり5日に原因が心臓だってわかってきて、ごはんもほんのすこしづつ食べられるようになった。すこし気分がよさそうになってきて、ほっとした。


朝たんちゃんのところに行ってから小田原行って父の施設に行ってとんぼ帰りでたんちゃんのお迎えだ。今日もすさまじくバタバタ動きまわるが今夜はたんちゃんとゆっくりまったりできるかな。10月8日母入院で今日11月8日たんちゃん退院。ふしぎ。


朝行ったらたんちゃんはごはんを80%食べられるようになりました、今朝は元気いっぱいすぎてお熱測れなかったみたいですよと看護師さんに教えてもらった。かりかりも食べてる。その足でたんちゃんの保温グッズを買いにいく。電車に乗ってほんの少し眠るのが楽しみだったりして。ついでに11分カットの美容院に行った。アップにするのでただ揃えるだけで良いと言ったのに、美容師の技のプライドがあるのか気づいたらしまった段までつけられてしまった)'0'(サザエさんそっくりの髪型にされてしもた。夕方たんちゃんのところに再び行くと先生がうれしそうに説明に来てくれて、夜心臓病の専門医の診断を受けて最終的に処方してもらって良ければ明日退院との事!(^^)!うれしいーっ。みんなのたくさんのエールの援護射撃のおかげだ。


母の入院前後からだったか、すずめのつがいがベランダに遊びに来るようになってきた。米粒置いてみたりして、それをついばんでるのがかあいい。それから母が逝去してから、虫が少し来ていた米がのこった袋を持ち帰って虫取ってからこの米粒をベランダに置くようにしたら、いつの間にか多いとき7、8羽くるようになった。食パンの耳をわざと残して砕いて置いてるんだけど、パンはあまり人気がないが米がなくなるとやっぱりパンくずもきれいになってる。


早くたんちゃんのところに行きたいのに、いろいろな連絡事項で夜から朝から毎日ばたばた(@_@)


良い天気だけどたんちゃんの病室はお天気とかわかんないんだよね。早く元気になってお家でひなたぼっこしないとね。今日は国立能楽堂の正面席のチケットを持っているんだけど時間的にも無理だし、電車賃使って寝にいくようなものでやめる。それよりたんちゃんが帰ってきた時に使う湯たんぽ買いに行かねば。


夕方行ったらたんちゃんひたすら寝ていた。昨日からもりもりごはんをたべれるようになったコは退院していた。たんもがんばれ。明日専門の先生に診てもらって、なんとか今週中に退院できるかな。自宅療養になってからたいへんかもだけど、お家がいいよね、たんは。いろんな事を背負っていこうなんて勘違いもいいところだよ、たんちゃんは。


朝たんちゃんお熱がまた少し下がってしまって37.7度(>_<)げりもしちゃったそうでおなかが痛いのかもしれないって言われた。夜間頑張って50%ほどごはんを食べたのでがんばりすぎたのかな。おともだちからものすごい食欲パワーをもらってるからね。心臓の具合がまだ良くないとの事。月に一度心臓病専門の先生が来るそうでそれが丁度あしたにあたってるので、診てもらえるそうだ。おかあさんがいる間ウエットタイプのごはんを食べてくれた。でもあと経過がよければなんとか今週中に退院できそう(=^・^=)帰ってきてからのお世話が大変だ。新しいかまくら型のベッドと二階用にトイレをネットでちゅうもん。後からたんちゃん用の湯たんぽがひとつ見つからない事が判明したがどうしよう。病院は24時間暖房が効いているのでおうちどうしよう。午後帰ってきて夕方までぐーぐー寝てしまった。さて、また行かねば。でも快方にじわじわ向かっているので、足取りはむしろ軽いんだよ。


雨が降っているからまだ買ってから一度も着ていないレインコートを着よう。そのうちレインシューズも買いたいな。今朝はもっと元気になってるよね、たんちゃん。まだ新月に行かれないけど、もうすこしだね。新月サイトはたんの元気と連動していた事が判明しただね。


まだ家の問題はひとつも解決していないんだけど、まずはたんちゃんの退院と回復だにゃ。


別のたんちゃんのおともだちにこの間から食欲パワーを送ってもらっているのでこれでさらにたんちゃんの食欲が出ておともだち並にもりもりごはんが食べられるようになるね。すかす、缶詰二つにま、マヨネーズ(・・;)?さらにまぐろをペロリはすごいっ。「美味しんぼ」にかつをにマヨネーズというのがあったが、新たな食の開拓なのかにゃ。


たんちゃんのおともだちが闘病中やはり胸水がたまっていて、これを抜くのはかなり痛いと教えてもらって(>_<)たんちゃん、ほんとに頑張ってるんだ。これで3回目だからね(/_;)たんはえらいっ。


夕方面会に行ったら看護師さんがごはん食べてますと教えてくれて、ただかりかりは一粒くらいしか食べてないとの事。こまめにいろいろごちそうを何度かに分けて入れ替えてくれてる。たんちゃん、声が少し出るようになって、顔がかなりしっかりしてた(*^_^*)
枕好きのたんちゃんに枕がないので、手を顔の下に置いてあげたらそれを枕にして寝ちゃった。それからしばらくしてから、たんちゃんが起き上がり、ウェットのごはん、かりかり、お水を、量は少ないけどすごい勢いで食べ始めて、おかあさんに良いところを見せてくれて、おかあさん大喜び(=^・^=)。看護師さんによるとやっぱりおかあさんがいると違うんですよとの事で、お見舞いは大事なんだね。
主治医の先生が心臓の壁の薄さと、再び胸水がたまっているのでそれをぬかねばならないとの事だけど、それが安定してごはんもちゃんと食べられるようになってきたらお家に帰れるとの事!(^^)!


動物病院は路線によって降りるバス停が違うのでそこから徒歩で20分〜30分と行ったところでたんちゃんのおかげで否応なくプチウォーキングが出来、なんて親孝行なコなんでしょ。昼過ぎに駅に辿りつき、どんな状態でも食欲が衰えることはないおかあさんがだが、さすがにとんかつランチとか看板を見てこりは無理。なんとマックデビューしてしまったので、ハンバーガーとポテトとコーラ350円。充分やね。すかす、毎日こんなん食べていたら体にわるそう。ただマックがどんなもんか分かったので(確かマックが小田原にできたのは中学生くらいだったから大変な年月やね。)こんな時は利用しよう。13時半くらいに家に辿り着きそのままダウンしてぐーぐー寝てしまった。マックプラス睡眠でさらに太るわたし。


朝面会に行ったら、看護師さんが平熱になったんですよと教えてくれて、ごはんも少し食べるようになったとの事。主治医の先生から、猫には珍しいタイプの心臓病と説明を受け、右心房左心房の膜が薄くなっており、そのため伸縮が弱く、循環が悪くなっていたとのこと。とにかく、原因が分かったので、この治療をしていくと説明を受ける。面会中持って行ったモンプチクリームスープを勝手にあげたら、起き上がって、身の部分は食べないけどスープを飲んだ姿におかあさん大喜び(=^・^=)。


たんちゃんにパワーをもらっていたんだなー。いまみんながエール送ってくれてるし、おかあさんがへこんでどうする。1999年、サイトを立ち上げた時はるちゃん8歳で、はるのために立ち上げたサイトの中に新月ページがあった。そしてたんは1999年生まれなので、まさに新月サイトと共に生きてきたコなんだよね。たんちゃんがしっかりしてよ、おかあさん、と言ってる。新月へもそろそろ行かねば。


正直おととい昨日と疲労ピークでかなりへこんでいた。ネガティヴの極地。でも、良いわけではないが、とにかくたんちゃんの原因がわかったんだから、根治治療ができるんだし、たんが頑張っている。1時間以上たんのそばに居て、じゃあ帰ろうかと思った時に、突然、たんがむくっと立ち上がり、スープを飲んで水も飲んでみせてくれた。すごい。たんはすごい。おかあさんがダメダメではたんに笑われてしまう。この姿を見せるためにたんは居てくれてるんだよね。それに時間的物理的に無理な事を自分1人で抱え込もうとしてしまっていたが、親族にどんどんやってもらえる事はお願いすればいいんだ。すっと楽になってきた。うん。


母が入院したのは10月5日。そうか、もう一か月経ったのか。


ころちゃんの告白。今日生まれて初めて「マック」に一人で入った。前回まっくに行ったのは、1が月の北さまのクライミングパーティの後インカのみなさんと入った青山のおしゃれマック以来だ。おそい昼であんまりおなかも空いてないけど、なんか食べなくちゃ。でもがっつりも食べたくもなくとにかくこの最寄駅周辺は、美味しいパスタを作ってくれたご夫婦でやっていた喫茶店が突然閉店してしまい、ほかには美味しい店というのは皆無なのだ。リーズナブルなとんかつ屋さんとか箱根そばはあるけど、あとはチェーン展開してる店で安いわけでなしがっつり食べたくもなし。で駅のまっくへ。生まれて初めてなのだ。100円マックのチキンクリスプとコーラ200円で300円でランチ完了。ふーん、これで充分かも。


再びたんちゃんのところへ行く。病人なんだよね、ほんとに。でも撫でると気持ちよさそうだし、一旦目の前でスープを飲むのを見せてくれたし、うんうん!缶詰みっつのごはん大好きっこの食欲パワーをもらえたんだね。急がないけどゆっくりでも、良くなろうとしてるんだ。ちびっとだけダウンして少し気弱になっていたが、たんちゃんが頑張っているんだからおかあさんがこれしきで弱気になってどうする。結局たんちゃんからパワーをもらっていたんだね。


主治医の先生からの説明で心臓病を併発している事が分かったそうだ。そのために心臓の周りに胸水がたまって圧迫し、循環が悪くなって低体温を引き起こしていた可能性があるとのことで、さらに風邪もひいているし、これが悪いウイルスだと肺炎になるところだが、そこまではいっていないそう。ただ、心臓に負担が行ってはいけないので、今度は点滴を止めることになり、ほかの症状がどうなるのか。ごはんに混ぜて飲ませていた関節炎のサプリメントストップだし。だけど、少なくとも、低体温の原因が見つかったので、心臓を治す治療が行われていく。点滴を切るリスクと引き換えに心臓病の治療が功をなすのかという状況で、何かを背負っていっちゃだめって説得は聞いてもらえたみたいで、かつて6キロあった子が今、3キロ切ってる状態のちいさな体で、病気と闘ってる。結局帰宅が15時になってしまい、ついにダウンして2時間ほど寝てしもた。


朝たんちゃんのところに行こうと思っているところへ法事やら親戚からの連絡がばんばん入りやはりほんとに四十九日まではいろいろで、たんちゃんのところに行かれたのはお昼近くになってしもた。バス使ってもバス停から30分近く歩かねばならず、毎回タクシー使えるお大尽ではなしで、思えば通勤がさらに遠くなりさらに歩くようになったおかげで鍛えられて良かった、と日記には書いておこう。


新月の動きを喜びながらまだ「そっち」には行かれないや。ブログのアクセスもどんどん上がってるのは、当然公式サイトからの連動だよね。新しい新月が始まるまでに追い抜かれないようにヒストリーを完成、と思っていたがまだそれは無理だな。まずはたんちゃん第一。


たんちゃんにエールをもらっているのでそれを今日行ったら伝えなくちゃね。


さすがに疲労がきてるかなー。今日は朝夕のたんちゃんのお見舞い以外は家の中がぐちゃぐちゃなので少しなんとかせねばで家にいることにする。位牌の注文もせねば。数年前からの新製品で台に綺麗な花柄の女性用の売れ筋位牌が品よく素敵。多分家具調の仏壇に合わせてのデザインなんだろね。叔父叔母は普通の金に黒でいいんじゃないのと眉をひそめていたが、棺もまわりに生花が生えてるみたいに取り囲むのにしてもらったし、お洒落だった母はこれが良いと言うにきまってる。桜、朝顔、秋桜、水仙から選べる。桜かか迷ったが、やはり秋桜にする。「調和・美麗・尊敬」だそうだ。


ぎりぎり面会時間に間に合うところだったんだけど、なにより葬儀モードがまとわりついて、たんちゃんにこの愁派がうつるのが一番いけない気がした。、おかあさんの疲労もあってごめん、たんちゃん、夜来るからってうそついちゃった。病院に電話すると容体は変わらないとの事、そして外部機関に出したというたんの検査結果はシロだったの事だった。原因がわからない。面会に行かなかったことをなんとなく責めてるよーな先生のふんいきが電話から伝わってきて、鬼母の気分だ。明日の朝また行くことを伝えてお願いをする。


実家に着いて叔母たちのファッションショーは楽しいが、片づけながら、時間が経ってきて思い出す余裕が出来たせいか、叔父叔母がしんみりと泣き出したりして、少し実感が出てきたみたい。葬式モードだ。暗い。みんなが帰ってから残務をいろいろして、戸締りして真っ暗ななか、鍵をかけて無人になった家を振り向いた時なんともいえない切なさに襲われた。母は本当に死んでしまったらしい。


たんちゃんは隔離病棟にたんの柄に似た子と隣り合わせで二人でいる。隣の子は鼻も肉球もピンクだ。朝ちょっとだけスープを飲んだそう。低体温はかわらず。なでなでしても、もう骨でごつごつで壊れ物にさわってるみたいだけど、病院に居る間、撫でるのを止めるとごきげんが悪くなるのは変わらなくて、泣く元気はないけど、撫でるのを止めるとちょっと顔をあげる。隣の子はたんと反対に熱が下がらないそうで、足して割ったらちょうどいいのに。隣の子にも「いっしょにがんばろうね」って声をかけると、声はだせないけど「にゃ」。「ごはん食べられるようになろうね」って声かけると、やっぱり声はだせないけど「にゃ」。たんに、また夜来るからね、と声をかける。じっとおかあさんを見ていた。


朝八時が近づくと怖い。夜の万が一の連絡があったらどうしようって。夜間無人だからゆたんぽが冷めるのがなー。でも昨日説得してたんちゃんに安心が伝わって、よし、じゃあぼく元気になっておうち帰るよ!って思ってると思う。


帰ってきてから再びたんの面会に。見た目は朝よりぐったりしていたが、朝持って行ったスープを自分から飲んで、お水も飲んだそうで、体温も平熱までは上がらないけど、37度4分くらいまであがって、数値も悪くないそうだ。やっぱり、たんちゃん、勘違いで何かを勝手に背負って持って行こうとしていたのかな。明日朝さらに説得せねば。明日は実家でさがしものが見つかりますように。


御伽草子は面白かった。やっぱり百鬼夜行がさいこうやね。でも展示観ながらもたんの事があたまをよぎって仕方なかった。


乃木坂駅からミッドタウンに向かう途中ランチのお店がいっぱいあって迷ったが、往復して決めたのは店の外にも漂う韓国料理のお店「韓」。今日のランチのカルビクッパを頼む。サラダとちびおかず三品がついて、ごはんとカルビクッパで870円。味付けは辛さは辛すぎず、ふつうに美味しくて良かった。次回は石焼ビビンバを食べてみたい。


朝面会に行ったらたんちゃん体温が35度4分だと言われた。ねこの平熱は38度。ずずんと暗くなる。でも、先生も不思議がっていたが、動いたり、ほんのひとなめだけど自分からごはんを食べたというし、目力があった。たんちゃんに言わなくちゃいけない事を言ったとたん、たんが、ぴっとなって「そうなの?」って感じでこっちをじっと見ていた。とにかくたんは元気になってお家に帰るんだからね、って説得して、今日おかあさん東京に行ってもいい?って聞いたらしっぽで返事してくれて、ずっと撫で続けていたら眠ったので、家から、たんのお気に入りのパウチのスープを夕ごはんに出してくださいと預けてお願いし病院を出る。


サンディにつかまっていた弟は無事ニューヨークに着き、帰国の途につけそうだ。今日も実家でさがしものをしたいところだが、頭の中もワケわかんなくなってるし、弟も成田から宴会に直行するし、休めと言ってるので、たんちゃんに面会してから「御伽草子」展が会期終わってしまうので、六本木まで行ってこよう。男女のきょうだいなどこの程度くらいだろう、との距離感だったが、親の死に直面してから、やはり良く連絡を取りあうようになった。何度となく葬儀では集まっていたが、今回の母の葬儀をきっかけに従弟が1人動いてくれて、いとこ会も結成されたし。そういうものだと、聞いていたがそういうものなんだね。


すかす、パワーをもらってはいけない相手にパワーをちょうだいとお願いしてしまった。む、無理やりパワーはいらにゃいよー)'0'(良く考えたらたんちゃんと同じくらいのお年かもう少し上だったかも。や、やめてぇ。


新月に関する一切の事が出来ない。状況は2003年10月から驚くほど似てるのだが、ころエネルギーが真逆だ。新しい新月が生まれようとしているからか?


昨日11月1日は母の三七忌だという事を忘れていた。文殊菩薩さんの化身宋帝王のお裁きだった。だから昨日は違う用事をしようと思っていたのに、時間があまりなかったのに、憑りつかれたように、実家に行かなくちゃ、って思って行ったわけだね。次の四七忌は普賢菩薩さんだ。しかし、実家に行き必要な書類等を探索しているのだが、未だ全く見つからず。叔母も言っていたけど、みんな夢枕には立ってくれるけど、教えてほしいことにこたえてくれずに、にこにこ笑ってるだけだって、ほんとだ。弟は母と電話してる夢を見て「香典返しはちゃんと足りてるのか?」と言われたそうな。


母方は、男がその年齢になると死んでしまう年齢があり、弟が9月にその年齢になった時、母は、「その厄は自分が持っていってあげる」、と言ったそうだ。縁起でもない、と一笑に附したらしいが。本当になってしまった。入院の日も、手術についてあれこれ説明してくれた看護婦さんが、何か言っておきたい事はありますか?というのに「延命治療だけはしないでください」と言って、しばらく絶句していた看護婦さんが「ここは整形外科ですよ!縁起でもない!」と怒られていたが、本当になってしまった。そして夏、お盆の時、弟と自分に向かって「たぶん、お母さんの方が先に逝くと思うから、悪いけどお父さんを頼むわね」と言われたのを二人ともはっきり覚えている、本当になってしまった。寿命って、最初から決まっているのかな。


ここまで次々と、これでもか、って事が押し寄せてくるのは、何かのお試しかな。どんな占いより当たる元旦の目覚めの今年の予感。「今年は底を見るな」だった。自分に来るならば、いくらでも、来いっ、だけど、どうして自分に来ないで、母が逝ったり、たんちゃんが突然くるしむことになるのかな。自分に来るより辛い。母が逝去したことで、おかあさんがつらいから全部それが悪いことだと思い込んで、たんちゃんがそれを自分で持って行こうとしてるなら、それは、たんちゃんのとんでもない勘違いで、たんちゃんが苦しいのを見るのがおかあさんは辛いんだから、そんな事しなくていいんだよって、今日面会に行ったら伝えなくちゃ。病院は夜無人なので、夜間万が一、があった場合は朝のお伝えになってしまう事を了承してくださいと言われたが、たんは元気になって大好きなお家に帰ってくるのでだいじょうぶ。


漕いでいないと倒れてしまう自転車みたいだ。朝からばたばたで、昼ぎりぎりにたんちゃんの面会に行った。隔離病棟に入っていた。体温は36度(猫の平熱は38度)で危険な状態は変わりないとのこと。でも危篤状態の昨日より顔つきがすこしはっきりして、呼ぶとしっぽのさきっぽでお返事するのでわずかでも快方に向かっていると思った。それから実家に行き大急ぎで整理しトンボ返りで夕方ぎりぎりでまたたんちゃんの面会に行く。体温が少し上がったもののぐったりしている事には変わりなかった。でも、ずっと「たんはえらいね」「たんはすごいね」ってお話続けてたら、おかあさんだって認識あったらしく、一瞬おかあさんを見た目力は強かった。


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