ころんた日記


2013年1月の日記


痛いので寝るしかないのだった(T-T) やはりたんの介護なくなって気がゆるんでだらしなくなったせいでこんな不注意したのに違いない。参った。


うう、痛い悔しい情けない(T-T) 今日はお医者さんが休みなので耐えなくちゃ(>_<)明日は半年ぶりに山ガール?三人が休みが一緒になったので、てか10月以降はころが全くダメだったから、で、ハイキングは無理だけどせめてころが先日行った大山参りと同じルートを行きたいという事で、タイムスケジュールを立てようとしてたところだったのだが(T-T) ずきずきに連動してあだまががんがんする。ううひたすら安静にせねば。まだまだ油断できないころなのだった。いや、低温やけどで済んだ、と思うべきだろう、うん(T-T)


とにかく歩けないので左片足ケンケンだが却って危ないので、杖買わなくちゃ。むろん実家に行けば母の杖があるのだが、まずそこまで辿りつけん。最初杖なんかどこに買いに行けば良いのだろうと思ったが、ネットで買えるのだ、べんりだ。くつじょく的だが緊急に必要だ。
でもでも、にゃんと、可愛い花柄の杖を見つけ、すみれ色とネイビーとどっちか迷ったが花柄がネイビーの方が気に入ったのでこちらにする。早く届きますように。しかし、痛い(T-T) 参った。まだまだ次々いろんな事が起こるなあ(・・;)ただこれは完全に自分の不注意だ。


母が、足が痛くて歩けない、という事がどういう事かよくわかった。痛くて片足つけないだけでこんなに不便なのに、両膝が完全にすり減って医者がよく我慢していたというくらいだったのに、よくいろいろな事をやっていたものだと思う。すかす、両足が痛いんだからあの乳母車みたいのが楽そうだからそれにすればと言っていたのだが、母の美意識からするとあれはNGだったらしい。いずれにしろ、膝ではなくて足の裏なので、ころちゃんには乳母車でも楽ではないが、新月コンサートの時まで杖ついてたらやだなあ。ましてチケット買えなくて立ち見だったらもっとやだなあ。


参った(>_<)完全に水ぶくれが出来、足がつけない。軟膏塗ってみたが全然ダメで、会社に送れる旨連絡してびっこひきながら駅前に皮膚科の病院があったのを確認して行く。すごく混んでてこわそーな先生の声が聞こえ、いきなり軟膏塗ったの怒られた。あとでネットで見たらとんでもねーことだった。すぐに針さして水を抜いてもらい、軟膏塗ってもらった。相当時間がかかると言われた。これから数日後にさらに悪化するという。
本来は昨日休んでヒストリーに手を付ける予定だったのにどうしても出社要請があり、やはりどうしても会社休ませてもらえず(>_<)ものすごい忙しさで座るヒマもお昼食べるヒマもなく痛いのに歩き回り完全に悪化に拍車がかかる。労災ではないか?
せっかく抜いてもらったのにたちまち、おおきな水ぶくれが出来完全に足つけず、痛くて日記も書く気力なかった。今日はお医者さんがやすみなのでとにかく薬飲んで安静にするしかないや。うう痛さと疲労でなんだかがっくり。


明け方妙に足の裏が痛くて目が覚める。しまった!湯たんぽのカバーの口をしっかり閉めていなかったうえ、それをくるんでいたフリースもはずれていたため一部の部分がむき出しになっていて、そこに足の裏をつけて寝ていたらしく低温やけどをしてしまった。痛い。たんちゃんに湯たんぽ入れるとき絶対に低温やけどしないように慎重にぐるぐる巻きにしてたのに。とりあえず病院に行かねば。節分まではユダンできないね、って不注意じゃん(T-T)


ぶら美は5月に閉館してしまうオルゴール館だった。音楽を記録媒体した最初の装置がオルゴール。ものすごく感動した。


たんちゃんにと今日も花もらってうれしい。すごいね、たんは。「牛若丸みたいな前髪のたんちゃん」と言われて、なるほど、なんでたんが日本男子と思うかと思ったら、そかっ、牛若丸だ。


うう行かなくちゃ。くすん。


忙しすぎて何もかも忘れてる間は良いが、やはりその反動で帰りの電車・バスがダメだ。目にゴミ入ったふりしてる。たんちゃんの最期の何時間か何十分かそして最期の時。それから母の病院からの突然の連絡の事。もっとうんと早くたんちゃんの健康診断していれば、とか母の手術の後もっと長くいて主治医ともっと話してチェックしていればもしかしたら母は助かったのではないか、母にはなんにも親孝行しなかったとかとか。これではまたスタートラインに戻ってるではないか。でもふと思ったが母とたんの共通点があるね。二人とも、全く寝着くことなくあっさりと逝ってしまった潔さだ。めそめそしちゃ笑われるって(>_<)んでもって、泣きながら帰ってきてパソコン開いたら支援物資のお礼メールが来ていて、うれしかった。そうだ、はるたんが使っていたものが、東北のにゃんこたちに役にたつんだよ。たんのベッドであたたかく眠れる子たちに思いを馳せてまたうるうるだけど、良かった。ほんとうに、良かった。


たんちゃんがいないと夜さむい(T-T) 早出だいかねば。


へんなきもち。満月は綺麗だ。


休みの日は、空き家の掃除と父の施設、ヒストリー、お出かけ、を当初がちがちに自分でスケジューリングしようと思っていたが、それやるとパンクしてしまうので、肩の力抜いてやらね。特に父の方は長期戦だしね。たんちゃんがくれたものをいろいろ考えながらね。


新月を濃く語る今回のころオフは正直居酒屋系ではなくてちょっち腰据えて静かに語り合える場所を希望していたのだが(^_^;)まあ諸般の事情やね。


ふくねこやの店長16歳のるいちゃんを撫でさせてもらって嬉しかった。たんがいなくなって以来、ねこを触っていなかったからね。すべすべふわふわだった(=^・^=)


あ、「ピクニックアットハンギングロック」はそういう映画ではなくて神隠しみたいな話ね。もう一回見てみたい。謎のまま終わってしまう内容だった。


でも、たん、それにはるについてはとくにくるしめてしまったから、そう思ったけど、整体の先生にそう言われた子が、絶対たんちゃんがそこで笑ってるんだよ、にうるうる。
それにはるは百箇日くらいまで家に居た、居てくれたっけ。やっぱり守ってくれていたと思った。>
そうだよね、たんがうんちをおかあさんの顔に上にした時思わず「たんだ!」って、びっくりして笑っちゃたんだから、明るい性格のたんらしいいたずらして、めそめそしてるおかあさんを笑かしたかったんだね(T-T)
「さいごのごはんのうんちしにきたのに、もうお砂全部片づけられてしまって出来ないよぉ。いいや、仕方ないから、おかあさんの顔にしちゃえ。そしたらぼくが来た事知らせる事が出来るから一石二鳥だ」って(=^・^=)うん。


そういうお仕事の人たちは見える、はずだから、たんちゃんやお母様が横について守ってくれてるのが見えたんじゃないの?だって。たしかに母については、お地蔵さん参りしてなんとなくけじめがついて、あの四十九日のからっぽの盃みたいにすっきりした気分で母の事を思う事はできた。守られてる気がした。


それ聞いてあー、って思ったのは、お地蔵さんのうちでの小槌の二つのお店の占いの人がそれぞれなぜかころの顔じっとみてたんだよね。それに並ばなかった方の占いのおじさんなんか、自分のお客さんと話しているにも関わらず、じっところを見てた。単純に目が合った、とかなくじっと見てたので、なんか顔についてるのかと思ったけど、そうではないらしい。 それに1時間並んでやっとみてもらえた時、自分では昨年の母の急な船出とたんちゃんの年頭の船出が続いて良くない事ばかりだから何か注意しなさいとか、ほかの人みたいにいっぱいいろんな事を言ってもらえると思っていたのに、女性占い師の方がじっと見てにこりともしなかったので、こ、こりは最悪なのか、さっき凶ひいたばかりだしと思ってたのに、なにもこちらか聞いてないのに大丈夫とか言われて、えっ「さっきおみくじ凶ひいたんですぅ」と訴えたら、あなたは今年大吉なのよと、言われてあっさり終わってしまった。単に九星の占いで七赤金星が今年良いから、なのかなと思ったんだけど。


神楽坂で聞いた話は、にゃんこ介護して看取ってやっぱりもっともっといろんな事をしてあげなかったのがいけなかった、にゃんこをくるしめてしまった、って悲しんでいたんだって。でもそれから、地鎮祭に来た神主さんがご主人と話をしてるのに、話ながらじっと彼女から目を離さないでいたので???を飛ばして、それから電車に乗ったりすると、全く知らない人がそれこそ顔を覗き込んだりすることが間々あったそうな。
???を飛ばしながら、整体に行ったら、にゃんこの話なんか全くしていないのに、その先生からいきなり「あなたの顔の横にねこがずっと笑っているんですよ?」って言われて仰天。実は亡くなったねこについて悔いがあると言うと、先生はそれ聞いて笑って自分は少し霊感があるんですと言って、みんな肉体を離れるとこの世の病気とかくるしみはなくなって健康で元気な時の姿でいるんですよ、この子は笑っているので幸せだったんですよ、って言ってくれたんだって(/_;)


ころの周辺はこわくないけど、母が亡くなる前日見た夢とか、たんちゃんがいろいろ残した数字とか、神楽坂でいろいろみんなと話した内容を総合するとやっぱりものすごく不思議な事がたくさんあった。
この世でさいごにしそこねた最後のうんちをおかあさんの鼻のところにしにきたたんちゃんとかね。みんなたんちゃんおちゃめーって言ってた。


なじかは知らなねど大昔に観た「ピクニックアットハンギングロック」という映画の事をふと思い出してぐぐってみた。そだそだ、美しく綺麗だけどすごく不思議でじわっとした恐怖の話で事実に基づいているとか。



今日もハードなおゆうぎだった。忙しいとまったくたんの事忘れてて良いけど、その分帰りの電車バス、片づけてしまったベッドやトイレがあったところの空間がきつい。んでもころオフ山ちゃん確保した。夏以来のころオフやね。きっちり「新月オフ会」だ。今回雑談は抜きだな。


早出だいかねば。


まだ夜になってめそめそ泣いてしまうのは仕方ないよね。家の中にあちこち出来た隙間がさびしい。


楽しかったあとはやっぱりくるわね。今日はハードなおゆうぎじゃった(T-T)


チューリップが入っててもう春

お茶のんで、写真見てもらいながらたんの話聞いてもらった。やはりちびっとうるうるしちゃったが、なんつーかいろんな深いところでみんな互いにぴぴっとくる感覚で、ねこ話で盛り上がって、ほんとに楽しかったにゃ(=^・^=)
このメンバーはほんとに不思議なオーラを生んですごい。んでもそもそも新月セッションがきっかけでこの素晴らしいメンバーと知り合えたんだから新月おそるべし。
いつかの夜、エンジェル9に行く途中で教えてもらった五十番の肉まん買って帰る(^〜^)神楽坂はまりそう。毘沙門さんのお寺の法話聴きたい。


ふくねこや

それからねこグッズの「ふくねこや」に入った途端みな正気を失う。めくるめくパラダイス。すごすぎる。お金持ってなくて良かった。猫の帯まであるし、な、なんで道明さんの帯締めまであるのだ。気が狂いそうになりながら最初につかんでしまった2ウェイバッグ、ミニハンカチ、飴を買う。帯は次回着物を着てそれに合わせてもらうことにする。初回もそうだったが、この4人が集まると変なエネルギーが出るのよっ、とか言い合う。ほんとにふしぎだ。


8種の前菜 牡蠣とカラスミとニンニクのパスタ エスプレッソ バニラジェラート

というわけで神楽坂。このメンバーで集まるのはなんと3年ぶり。たんちゃんに会ったことがない三人が、たんちゃんを偲ぶ会を開いてくれた(T-T)
神楽坂は新月オフの下見やらで夜二度行っただけで昼間は初めて。とにかくくっついてひたすら案内してもらう。ランチ前にお香のお店に行って、半分サイズのお線香をまず購入。
路地にあるアンジェラという古民家のイタリアンで前菜プレート8種類にパスタでなんと1000円。それに飲み物210円にジェラート545円をつけてしまった。前菜の白菜のポタージュが大ヒットでほかも楽しい。パスタは牡蠣とカラスミのパスタを選んでこれがうまっ(^〜^)
みんなからたんちゃんへお花をもらって感激。店の隣のアンティークを見たり、毘沙門天のお寺にお参りしておみくじひいたら昨日よりあがってて「末吉」だった。



んでも、今日はねこオフ女子部ランチ会。ランチはどんなところかな?楽しみ(=^・^=)ねこグッズ屋さんにも連れて行ってくれるらしいのでさらに楽しみ。たんちゃんのプリントした写真を持っていこう。くすん、先日の新年会ではころちゃん励まされるどころかなぜか逆にころちゃんが励ます側になったりしち(T-T) 今日ははるたんの事語るもんね。とりあえずおでかけしちゃえ。


すかす、高笑いしてるばあいではないわね。あと二か月か(・・;)


すかす、母やはるたんに怒られるだろうが、たんちゃんが居なくなってから一気に朝だらしなくなってりしち。だってもう朝起きて一緒に起きてくるたんちゃんのために、おトイレのお掃除しなくて良いし、ちょっとあったかくしたお水を汲んであげなくても良いし、今日のかりかりとスープはどれにしようかと悩まなくても良いし、湯たんぽ二つ作らなくても良いし。ごはん食べてから下におトイレしにいってうんちしてそれがうんちだと威張りながら階段駆け上がって来たたんを褒めちぎらなくても良いし。お風呂場のドアをしめわすれてお風呂の蓋にたんが乗ったら大変とか心配しなくて良いし。
・・・でも、それやりたいよ。


百一日参りとお地蔵さん。このふたつの母のお参りをこれで済ませる事が出来て、ほんとにこれで気持ちに一区切りついた。おだやかだ。いろんな人たち、はるたんに、感謝の気持ちが湧いてきた。


んでもって、コドモの時祖母にここで買ってもらった打ち出の小づちの事を思い出した。同じ場所に打ち出の小づちやってたけど、あの時とは違うタイプの金色の打ち出のこづちだった。すごい行列。なんでかというと目の前で宝物を入れながら作ってくれる打ち出の小槌で、一緒に占いもやってくれるそうだ。こ、こりは並ばねば。隣は干支のお守りでやはり占いつきで値段は同じ800円でやや行列は少ないが、初志貫徹で、コドモの頃の場所に並んだ。すかす、家族全員分やってる人とか丁寧に占ってるのか、殆ど行列が動かない。
どうしようか悩みながらも後ろの方で、ここまで並んだならもう意地でも並ぶというひとたちの声が聞こえ、うん、そうだ、ころも買って占ってみてもらうもんね。それにおみくじ凶のおとしまえもつけたい(T-T)
やっと自分の番が近づいてきて、ちょうど一時間ですねーとか後ろの人と言いあってやって買える〜。あまり寒い日でなくてよかったがでも足も手も寒くてじんじん。
待ちに待った自分の番だ。わくわく。でも、なぜかころちゃん、前の人みたいにあんまりいろいろ言ってもらえなかった。とにかくよく動く人ですねと言われた。さっき「凶ひいたんですぅ」と訴えるとそんなはずはないです、ときっぱり。だって今年七赤金星は大吉だと言われた。えー。でも安心したりして。
でも凶と大吉、どっちを信じたら良いのか。と思ったがやはりこれは自分の元旦の「末吉」かなと。
20数年ぶりのお地蔵さん、楽しかった。


お線香や榊を売っていてそれをお供えする。、亡くなった日を伝えてろうそくを上げてもらい、並んでる小さなお地蔵さんにも、地獄図絵にも、お賽銭をあげて、母の事をお願いした。んでもってひいたおみくじは生まれて初めてひいた「凶」)'0'(全て良いことは一つもないとかきっぱり書いてあった。おおおおおおっ。
2004年からどの神社お寺に行っておみくじをひけば大吉というのが数年間続いたが、それとはまるで真逆やね。どひゃー。さすがに落ち込む小心者のころ。だって、これで大凶ならまだ納得いくんだけどぉ。


コドモの頃、母に手をひかれて、行った通りの道順でお地蔵さんの香林寺へ向かうための縁日の屋台の道を歩き、寒すぎてねこはいっぴきもいないし、母そっくりの人にも会わなかったが、楽しかった。コドモの頃の楽しみは、このお地蔵さんの屋台でしか買えなかったビニール風船。ノリみたいのをストローに先につけてふくらませると風船になるという他愛のないおもちゃなんだけど、これが大好きだった。もちろんもうそんなおもちゃは売っていなかったけどね。


お地蔵さんに行く前に父のところに行く。えんえんと母の事しか聞いてこなかった。母は永遠に、平行棒につかまって数歩歩いてる。自分のその姿をみていないけどね。父から、母が退院したら転ばないように介助しなければならない、コンビニに買い物くらいは行かれるから、サポートよろしく頼むと何度も何度も言われた。もうたんちゃんの介護もなくなりある意味身軽になったので(:_;)これから父のところへももう少し通える。父の記憶のサイクルはすでに数分だ。


母は膝以外病気もなく頭脳も明晰だった。その母は誰かに看取られるどころか母は身内の誰にもその最期の姿を見せる事なく船出した。この二週間前から甲状腺機能亢進症、そして重い心筋症と診断されたたんちゃんが三か月の闘病の末、とっくに亡くなっていておかしくないのに年を越して頑張って、おかあさんに最期の姿まで見せてくれたのは、母を看取れなかった分看病や臨終のプロセスを見せてくれたのかな。どれほどの命の力に自分が守られて生かされてるのかな。今日はお地蔵さんの日だ。母に似たひと、はるたんに似たねこに会えるかな。


母の事は百一日参りが済み、今日これから小田原板橋のお地蔵さんに行く事で、気持ちの区切りが徐々についてきた。四十九日の朝、盃がからっぽになっていた事も含めていろいろ周りの人たちから、お母さんは無念もあっただろうけど、最高にかっこいい亡くなり方だよ、とか、立派な最期ですばらしい、とか、同じように自分も逝きたい、とか死に様が生き様って言うじゃない、すばらしい亡くなり方だよ、とかたくさんありがたいことばを頂いた。むろんさまざまな亡くなり方があり、それぞれの立派な生き様立派な死に様があるのだろうが、確かに自分は母のように逝きたいと思う。


ころ、動物でも人でも、息を引き取る瞬間に立ち会うのはたんちゃんが生まれて初めてだった。はるは病院に向かう途中もずっと撫でていたけど、そこで大きく体が動いたのはわかったけど、病院に着いてから息をしてないことに気づき、異変に気付いた受付の人がすぐ先生を呼んで診察台にキャリーごと大急ぎで運んで抱き上げた時には、はるちゃんはこと切れていた。かわいそうだった。家であのまま寝かせて看取ってあげれば良かったと悔いばかりだった。


BSで映画「トイレット」観る。もたいまさこさんさいこう。空気感がたまりません。良かった。ラストのおやくそくはぷぷぷ。クール!


夜のバス、電車の中でふと素になる時が一番あぶない。うるっと来るのをこらえるのに必死だった。やっぱり浮かぶのはたんちゃんの最期の時だ。たんちゃんの心臓が止まった瞬間。


明け方たんちゃんが来た!しかし、その来方というのが・・・4時くらいに鼻先にぷーんとう〇ちのにおいが(・・;)あったんだ。と思った。昼間会社のペットロス同士で、霊感がないから居てもわかんないよね、なんて話をしてたからかな。それにそうだ、最後の夜、力振り絞ってトイレでおしっこした後、夜なかおかあさんのシーツにおしっこはしたけど、さいごの日食べたごはんのうんちはしてなかったもんね。そうか、そうか。


元旦の朝の今年のお知らせ?を考える。末吉ていど、は良いとしても「〇〇を一生懸命やりなさい」のまるまるがわからなかったのだが、これは、母の逝去をきっかけに鈍翁さんと母方の事をきちんと纏めなさい、ということかもしれない。いとこたちや次世代にきちんとルーツを知ってもらうために、文字に残さなせという事のような気がしてきた。てか弟にも頼まれた。サイトに全部書いてるけど、あくまで新月とわたし、なので、親族向けに書き直すようにということを一生懸命やりなさい、なんだね。新月ヒストリーをなんとか三月のライブ前に追いつくように書かかねば、なので、たんちゃん、泣いてるヒマないかも。


やっぱり帰り電車から降りて家路に向かうバスに乗ってふと気が緩んだ時、ずっとたんちゃんを撫でながら話しかけてさいごの時を迎えた瞬間の事を思い出すとうるうる。あぶない。はるちゃんの時は人目もはばからず涙流してたような。べつに慣れたわけではないんだよ、たん、って言い訳ではなくて、はるちゃんの時より年取ったので耐える事が出来てるのかも。


いけない。元気でいてくれないとねこちゃんも困るんですよとペットセレモニーのスタッフさんも言ってたっけ。今夜は雪らしいが深夜らしいので、交通はだいじょうぶらしい。よかった。


帰ってもたんちゃんのお迎えはないけど、まだどこかに居るんだよね。母の事もはるちゃんたんちゃんの事も、悔いしかない。ほんとに悔いしかないや。苦しくてたまんないけど、これが生きてるって事なのかな。


お豆腐料理

大山の名物はお豆腐。なかなか美味しい店じゃった。すべて豆腐づくし。豆乳豆腐やら和え物やら、柚子味噌の田楽おいしかった、精進料理なのだった。きゃらぶきとふきのとうのツクダニを買って帰る。


ケーブルカーで大山下社まで上る。根雪が溶けていなかった 素晴らしい天気だった

母は晴れ女だったので、やはり一点の曇りもないじょうじょうの天気だった。叔父さん叔母さんも喜んでいた。伊勢原駅からバスで30分、それから歩いてケーブルカーに乗り下社まで行ってやっと大山頂上の登山口がある。ハイキングの人たちがたくさんいてほんとにうらやましかったなー。くすん。山ガール未だに達成できてない。


ちゃとうでらの入り口 茶湯寺の石段 この辺りに母が待っていてくれているはずなのだが

本当に見落としてしまうような入口だが、大山茶湯寺に母の百一日参りが出来た。写真には撮らなかったがお地蔵さんがたくさんいて手編みの帽子をかぶっていて可愛かった。涅槃のお釈迦さまの像に母の事をお願いした。


母との対比があまりにすごくて一番気に入ってる写真で、母の葬儀にも展示したのだが弟やいとこたちの失笑を買っていった。改めて今朝この愛くるしい赤ちゃんを弟がみて、ぶ、ぶさいくっ!とつぶやきおった。母は、この赤ちゃんをなんとか可愛く見せようとしたらしく頭右上のリボンに哀愁が漂う。あうう。こんな母に、どうしてあの一言を言ってあげなかったのだろう。自分のあまのじゃくを今も悔やんでる大変な罪を背負ったと思ってる。自分が情けない。

駅前の美味しい居酒屋さんで、お刺身やら牡蠣フライやら海鮮サラダやらもつ煮やらシココロやら日本酒でべろべろ。日本酒は地酒「丹沢山」うま。弟と深夜まで飲んでしまう。母の話が少しゆっくりできたかな。


たんとは微妙にマスクのかかりが違うの

12日母の月命日に行った国立能楽堂で一角仙人を鑑賞して帰ろうとしたら、門の近くで何気にみたにゃんこをパチリ。ころが撮っていたので気づいたねこ好きの人がやっぱり撮っていた。


今日は母の百箇日。ちらし寿司を作ったのでちびっと母にお供え。今夜は弟が泊りがけで来て酒を飲み、明日一緒に出掛けて駅でみんなで集合して百一日参り。茶湯寺の石段で、ほとけになった母が待っててくれるそうな。


えーと、キャットフードを全て寄付してしまい、お供え用に少し残しておくべきかと後悔したが、いやいや、ほんのわずかでも被災地の可哀想な子が食べてくれた方が良いよね?はるたん。たんが亡くなった後続々と届いたサプリメントや結局食べる事にはならなかった療法食のクレカの請求がいたたたたた。でもこれも全部被災地に送ったので役に立ってるんだからね。はるもたんも、もう健康で元気に遊んでる。いやはるは毛皮着替えてもう生まれ変わってる気がしてならない。たんはやっぱりステージが高いところに居る気がするのだが、時々様子は見に来てくれてるようだ。フードは無いのではるたんが好きなしらすをお供え


映画なんてもう何か月、いや一年くらい観に行っていないなとふと思い、ちょっと調べてみたら、マリーアントワネット物の映画をBunkamuraで公開中。今月で終わってしまうらしい。うーん。観に行きたいと思ったのだがどうも評価が分かれてるようでスカだったらわざわざ行く必要ないかなあとか。


ペットロス板見てたら、亡くなったわんこが霊感のある人に「仲良しだった近所の白いねこ二匹がが自分が亡くなった事知らなくて心配してるんじゃないか」って言うので慌ててその家に行ったら門のところに白猫が二匹いたとかって言う話にきゅん。あと「うちの人たちは霊感が無いからオレがいたずらしても気づいてくれなくてつまんない」と愚痴ったっていうのがおかしかった。霊感あったらこわいからなくても良いけど、はるたんが言ってることは知りたいな。夢に出てくる人たちがうらやましい。でも、ねこは元々家につくので、亡くなってもずっと家を守ってるんだって。そかっ。


また夜になったら涙止まらないけど、これはそんなに恥ずかしくない涙になったような気がする。


これはいけません。頑張り屋さんのたんに恥ずかしい。痛くて歩けない膝を抱えながらも常にいろんな事をやって多才だった母は呆れてるだろう。はるちゃんはツンデレだったが、いまはツンツンしてかしていないような。母の大山茶湯寺百一日参りを済ませたらきっちりけじめつけねば。このごろ下向いてちまちま歩いてるような気がする。いかん。下を向いていたら何も見えない。ころはちびだからちまちま歩いてたら余計に小粒に見えてしまうので、いつも大股で歩いていたのに、下向きながらちまちま歩いていていかん!またたんちゃんが亡くなる以前みたいに顎あげて大股で歩こう。上ではるとたんが「うちのおかあさん恥ずかしいからみんなに教えられないよね」とかこそこそ言いあってたら大変だ)'0'(!


そうだよおかあさん!

いかん。振り返えったら母とはるとたんの写真が呆れてる。いかん。


でもダメだ。今日ひどい。かなりよくない。自分はぜったいこういうところには書き込まないけど「朝起きた時が一番辛い」「直後より少し時間が経ってからの方が辛い」それから、はるとたんと全く同じ状況だった人、そんなペットロススレを結局見てなんとか救われてる。こんなにお天気が良いのに、人間のクズのような。


ミキモトのディスプレイ ミキモトのディスプレイ ミキモトのディスプレイ

何か月ぶりかで華やかな街に行き、美味しいものを食べて、良いもの綺麗な物を観て、服を買ったりした。楽しかった。すごく気晴らしになった。
のに。その反動か、今朝、ひどくなった。涙が止まらない。 かんたんに折り合いなんかつかない。
でも、もう、たんちゃんは苦しくなくて、あっちでは元気で健康のかつての姿で楽しく遊んでるんだよね。
明日は母の百箇日。すこしづつ進んでるんだから。


スモークサーモンとポロ葱のムース デュオ仕立て
 小さなサラダと爽やかなオレンジヴィネグレット 鱈のロースト ケッパー風味の焦がしバターソース
 軽くクリームで煮込んだアサリと冬野菜と一緒に ガトー“フォレノワール” グリオットチェリーのコンポート

友人とマロニエゲートの「ポール・ボキューズ」でランチ。なかなか美味しかった。たんちゃんの話を全く聞いてくれる友人ではないので、全然関係ない話題だったが、却って気がまぎれたかも。「観世宗家能衣装展」よかった。


ペットキャリーはたんがずっと使っていた青いキャンバス地のはかなり汚れていたので、通院中に捨ててしまい、あとははるが使っていたオレンジキャンバス地のキャリーで通院してた。そのほかにはる時代からのプラスチックの二つあったんだけど、なんで使わないのにとってあったかというと、地震が来たら、どの部屋に居ても置いてあるキャリーにたんを入れて逃げようと思っていたんだよね。もうそうしなくてよくなったから安心だ。


今日は松屋銀座の「観世宗家能衣装展」に行って来よう。銀座はほんとにほんとに何か月ぶりかな。ミキモトのディスプレイが楽しみ。たんちゃんのお葬式をさいごに写真が途絶えたから日記が地味やね。すかす寒い。でも、もうこれからどんなに寒くても、たんの湯たんぽを作って出かけなくても良いんだ。出かける時いつも「お留守番お願いしましたよ」ってたんに言うのが口癖だったんだけど、今はお骨にそう言ってる。


緑と黄色はねこの気持ちの付録、ほかのはどこか温泉地で買ったと思った。クリップは全部はるちゃん時代からのもの。食器類はみんなたんちゃんの。はるちゃんの食器類はキティちゃんだった。

たんの遺品でねこの顔型のお皿とか肉球模様のお皿とかリラックマのお椀とか空けたドライフードの口閉じてたクリップとかはおかあさんが使ってる。かわええのぉ。


たんの写真見て、病院の待合室で「絵本に出てくるような顔のねこちゃんね」と褒められておかあさんでれでれだったのを思い出す。白黒ブチはよくいるけど、黒のマスクのかかり方がうまく目の半分くらいに来てるので可愛いんだよね。へへっ。


はるもたんも、いなくなったんじゃなくて、見えにくくなっただけ、という事らしいが、はるは百箇日あたりから完全に気配がなくなったので、毛皮着替えて、ちがうねこになったんだと思う。おかあさんのところには戻ってこなかったけど、はるは再び、ねこ、だと思う。でも、たんはほんとに船に乗った瞬間気配がなくなったので、見えにくいどころか、どっか行っちゃった、まだ生まれ変わってはいないみたいだけど、ねこにはならない気がする。ただ、時々は情けないおかあさんが心配で様子は見に来てるみたいだけど、ふしぎだ。


夕方になると断続的な悲しみのサイクルが短くなってきてダメだ。たんは良い子だった。あと、そういえば、ペットシーツとおむつのほかに「おかゆあげるときに飛び散るから変な安いジャージ買ってこようかな」とかもつぶやいたっけ。美意識が許せなかったのかも(T-T)


ケーブルテレビで久しぶりに「エイリアン」を観てしまった。全部ストーリーしってるのにこわくてしぬかと思った。主人公りリプリーがねこのジョーンズをキャリーバッグに入れて走り回っているのが嬉しかった。戦いが終わったリプリーがベッドでジョーンズ呼んで抱いてほっとして眠りにつくラストシーンで涙ぐんでしまった。


ベッド四つにキャリーみっつ、タオルやマットを荷造り。そりゃーたいへんじゃった。狭い家が広くなった。牢名主セットとトイレみっつ、これは切って捨てるしかないね。しかし、なんてたくさん物を持ってるのだ。って誰が買ったんだ(゜゜)


嬉しいのはたんが使っていたベッドもキャリーも湯たんぽもマットも、全部使ってもらえる事だにゃ。無駄にならずに、どこかの子が冬あったかく過ごせる。夏用のベッドもひんやりマットも使ってもらえる。いのちがつながる。フードとサプリメント類を全部同じところに送らず分けた方が良かったかなと少し後悔。今度のところは銘柄何でもお願いします、だったので、箱から空けてしまったドライ類はここに送ってあげればよかった、ってもう遅いか。


今年になってから、実家へも父のところへも行っていない。改めて、昨年母が亡くなって、いや、母が入院した10月のその日から、生活は全て変わったのだ。それを肝に命じなければ。2003年の10月のある日、生活が変わったのとは、また全く違う意味で、変わったのだ。何だこの9年のサイクルは?3の倍数ってなんか意味があったような。


でもやっぱり、ぽっかり空いた穴は簡単にはふさがらないや。まだダメだ。ダメだなあ、たんちゃんがあんなに頑張り屋さんだったのにダメおかあさんでたん呆れてるかも。
フードをすべてすぐに寄付してしまい、葬儀後は何もフードをお供えしてないね。お水しかあげてないけど、でも、たんちゃんはおべんとういっぱい持って行ったから、たんのフードは可哀想な子たちに食べてもらっていいよね。


ただ、ペットセレモニーの方がたんんをみるなり、それからお骨を見てきっぱりと「年齢こそ13歳ですが、老衰ですよ。寿命なんですよ」と繰り返し言ってたので、それに縋るようにそれを信じたいとも思う。何より、新生新月を聴かないような寿命の定めだったのか、やはり第二期新月復活の間だけ生きる定めだったのか、改めて本当に不思議なたんちゃんだ。いろんな気持ちが行ったり来たりする。


はるちゃんが16歳で亡くなった時、まだ早いねと言われた。18歳19歳20歳くらいが当たり前みたいな今ご長寿ねこさんがまわりにいっぱいいたからね。だから、たんちゃんにはさらにはるちゃんより長生きしてくださいと常々お願いしてたのに、わずか13歳と8か月で行ってしまい、もっともっとずっと一緒に居るつもりだったのにと思うと、もっとちゃんと健康診断にひんぱんに通ってあげなかったせいだと思う。甲状腺機能亢進症も、心筋症も、もっともっと早く発見していたら、お薬飲ませながら病気とつきあいながらふつうに長生き出来たのに、と思うと悔いが押し寄せる。ごめんねごめんねって涙が止まらない。


はるたんが出入りするので、夜は絶対にドアを閉めて寝ることはない。でも、もうドアを閉めて寝ていいのに、やはり開けたままにしてしまう。たんが横に居ないうえにドア開けっ放しはさらに寒いんだけど、四十九日までは家に居るはずだから、正しいよね。骨壺は寝るときちゃんと隣にいるんだし、土に返すまでは、この習慣はまだ変えなくていいよね。


んでも少し明るい話題をもらったので気分は少し上むいた。感謝の言葉をもらってコソバユイ。これからまだ寒いけど、春は必ず来るからね。


しらすをはるたんにお供え。お香はずっと竹の香りのアロマお線香でおかあさんの気持ちがすってなる香りなの。朝、もうたんのおかゆもシロップもお薬サプリメントも作らなくて良いし、湯たんぽ二つ作らなくて良いし。でもおかあさんそんなのやりたくないなんて思ったこと一度もないんだよ、たん。まだおかあさんダメなのは仕方ないよね。


条件なしでキャリー募集のところがあったのでこちらに送ることにした。問あせたら、未使用のトイレスコップ、ベッドも必要との事で良かった。実家から持ってきた大量のバスタオルも使用済み可なので役にたつぞ。良かった!他の団体で床ずれ用マット募集があってしまった、はるのを捨てなければよかった。でもこれでトイレ以外のたんの遺品がみんなほかのにゃんこに役に立つよ。良かったね、たん。


でもやっぱし(>_<)四十九日までは泣いて良いんだよね。


キャリーバッグがみっつある。先日フードを送ったところはケージ類は新品とあったので、これはやめておいた。
支援物資なんて言っても実際本当にいろんな保護団体が必要なのはこの子たちの里親になってくれる事で、物を送っても自己満足にすぎないのはわかってるけど(>_<)この年齢で今から長生きねこを受け入れても将来老老介護になってしまう。年とってから、もうあんな介護は出来ないと思う。無責任な飼い方は出来ないから、せめて物だけで許してもらおう。それにもう、はるたんは唯一無比の存在だったから、たとえ飼える条件があっても、はるたんと比べてしまうから、無理だよね。
すかす、トイレがなぜか4つもあるんだよね。これは壊すしかないか(・・;)その上夏用のたんのベッドを押しいれから発見。ベッド4つだ。夏用のペット用マットも4枚もある。物持ちだったからね、たんは(って誰が買ったんだって話だね)たんの残務もなかなかだなー。


実際たんちゃんには朝晩お薬を飲ませていただけで、実際におかゆ作って強制給餌したり介護していた日数はごく僅かだった。潔く行ってしまった。んでも、たんの介護が無くなって、ヒマになったりぼーっとする時間が出来たわけじゃないよね。やる事は山積みだ。
おかあさんをふぬけにするために、ぼくはお船に乗ったわけじゃないよ、ってたんは怒ってるね。
たんが刻み付けていった数字の意味を考えながら、あの本当にほんとうに頑張り屋だったたんに恥ずかしくないようにしなくちゃ!


新月メジャー20年後の1999年から第二期新月を綴っていたころサイトのシンボル、たんが新生新月を聴くことはなかった。1007の数字をおかあさんに刻み付けて、たんは船に乗った。


日を追ってたんの動悸が激しくなって、エコーで実際にほとんど動いていない心臓を見て、いつか、の覚悟は出来ていたと思う。主治医の先生にたんが亡くなった事を伝えたとき、最後まで合うお薬を見つける事が出来なくて申し訳ありませんでしたと、言っていた。心臓専門のお医者さんが居る病院を紹介して下さいと頼めば紹介状を書いてくれたかもしれないが、ここから隣の市のこの病院に通院するだけで精いっぱいだったから、都内など到底通院できないし、そこで入院させてしまって毎日朝晩会えないのは辛い、等おかあさんのエゴもあった(>_<)
ただ、たんは13年と7か月の中、何度も奇跡を起こしてくれていたので、いつかこの心臓が再び動くと思っていたんだよね(:_;)


今日ははるたんの法事なので、お供えにしらすを買ってこなくちゃ。フードをうっかり全部寄付してしまった。はるちゃんは、おさかなとかかつをぶしとかかなり人間の食べ物をおやつにあげてしまったんだけど、たんはごはん命で、ただはるがおやつもらうから、ぼくも!って一緒に欲しがったけど、かつをぶしもらっても、食べてみてなーんだ、って感じだった。ただ、しらすだけははるちゃんと同じく大好きだったからね。


ちっちゃな体のたんが居なくなっただけなのに、トイレやベッドやテーブルを片づけたらものすごくたくさん空間が出来た。もうトイレの砂も出ないので、トイレ置いていた洗面所のごみ箱には、もう大きなごみ袋をセットしなくて良いんだ。はるちゃんが亡くなった時はまだたんが居たからはるちゃんの体が無くなってしまっただけだったけど、これで一気に家の中の環境も変わってしまった(:_;)


被災地ペットにたんがもう食べられなかったごはんや食器、エコホットマットを送って少しほっとした。ちょっとでもたんのものが役にたってくれればよいね。


すかす、いつ励ましてもらえるのだろう(T-T)


それにしても、9月末のたんの甲状腺機能亢進症の診断、10月の母の急逝、たんの危篤入院、重度の心筋症との診断、朝晩たんに面会して、いきなり空き家になってしまった実家の整理、父の施訪問の往復、たんの退院、朝晩のお薬の自宅療養、母の法事、たんの三日に一度の通院、いよいよ重篤になってきたたんの介護、年が明けてたんの船出。第二期新月復活前夜の2003年から翌復活の25年目の2004年とはまるで真逆の、新生新月登場前夜2012年から2013年。すさまじいすさまじい数か月だった。


んでも結局やっぱりペットロススレ読んでるおかあさん。でもここに繰り返し書いてあるけど一生懸命生きた人でないと、はるにもたんにも会えないんだって。で、泣いてばかりいる飼い主はカッコ悪いと言われるそうで、はるたんに恥をかかせてはいかんね。だから今日は今日の天気みたいに思い切りぐずめそして明日15日は前向きに行かねば。はるちゃんたんちゃんありがとう。


あとなぜかはるの時の毛は自然に抜けた毛がいっぱいあって取ってあったんだけど、たんのはなくて、でもたんから切るのも可哀想だからやめた。このペットセレモニーはちっちゃな分骨キーホルダーをくれるので、ここに一番強かった前足の骨入れてもらった。はるちゃんのはどこの骨だったかもう覚えてなくてごめん。


何言ってるのおかあさん。あたしの事忘れてない? 存在はなくならないのよ そうだよ、写真が増えなくても、ぼく居るよ ぼくはいつもあきらめないチャレンジャーだったでしょ。それ忘れちゃやだよ

もうたんの写真が増える事無いんだよね(>_<)


今思うと、はるちゃんは超美人だったけど何もしなくても美人だったせいか、けっこうズボラだったような。その点たんはいつも身だしなみに気を遣ってしょっちゅう自分で毛づくろいしておしゃれだった。
やっぱしおかあさんがつぶやいた、明日長期戦に備えて垂れ流しても良いようにペットシーツ買ってこよう、そういえばはるちゃんにおむつも買ったっけ、を聞いて、冗談じゃないよそんなかっこ悪いことしないよぼくは、じゃあ行っちゃお、って思ったのかも。
最後の前日トイレに這って行ってすでに座る事ができなかったがそれでも何がなんでもトイレに行って、横たわったままだけど砂におしっこしてて、その晩から朝まではずっとおかあさんのおふとんに居てほぼ危篤状態でさいごのおしっこだけおかあさんのシーツにしてた。
はるちゃんは無念の垂れ流しで自分のアンモニアで下半身が良くない状態になってしまったので毛をそられて、さらに床ずれまでできてあれほど美人だったはるちゃんが、それはそれは可哀想だったし、あの姿見てぼくはやだ、って思ったのかもしんない。
いろいろ整理してたら、はるの床ずれ用の小さな枕が未使用のまま出てきた。取り寄せて届く前に、はるちゃんは逝ってしまったんだよね。お水も亡くなった後届いた。たんが亡くなった後、フェロビタ2とかいろいろ届いて切なかったな。


あらためて、はるもたんも本当に良い子だったから、よくおかあさんの子になりに来てくれたにゃ。明日ははるちゃんの祥月命日でたんちゃんの初七日。たんちゃんが閻魔様に会う三十五日は母の月命日。絶対に忘れないってば。ほんとにね、1007とか数字や日付の一致は偶然なんだろうけどね。うーん・・・偶然なのかな。でも、やはりちゃんと看取ったせいか、はるの時ほどは悔いは少ないせいか、はるの時はペットロスサイトを見続けてたけど、今回はそれはない。それだけに、はるはほんとにかわいそうだった(>_<)たんちゃんもくるしくてよく年越して9日もがんばった。しかしまだダメだなあ。目が溶けちゃう。


たんちゃんがいなくなってから、夜寒くて仕方ない。いつもたんがお布団あっためておいてくれて、寝るときはおかあさんの右腕腕まくらで寝ていたからこのへんがぽかぽかしてたんだけど、それがすーすーする。骨壺は必ず横に置いてるけど、これ抱いたら冷たすぎるもんね。でもファンの方たちからもお悔みや気遣い頂いてはるもたんも幸せだったよね。


たんちゃんが、いない。じわじわ受け入れないといけない。たんちゃん、もういないんだよね。そろそろ、勝手に先に一階に行ったたんちゃんが「おかあさん!ぼく先に寝るからおふとん敷いてよー!」って命令することもないんだよね。


いったん捨ててしまおうかと思ったたんちゃんの物はやっぱりいろいろ使い道考える。介護に使ってたたくさんのシリンジを洗って入れておいたキャンドゥで買った緑と白の水切りざるとか、ねこの顔が書いてあるマットとか、何も急いで捨てる事はないんだよね。たんのお薬を全部捨てたんだけど、唯一骨に色が残っていたのがお鼻のところだったので、慢性鼻炎の鼻ぷん薬、と呼んでいた点鼻薬だけは、捨てることができない。そうだ、四十九日に庭に埋める時に一緒にふりかけてあげよう。


母の事、たんちゃんの事、いっぺんに続きすぎた。たんちゃんは、ほんとうに心安らかに行かれたのかな。そうだとしたら、やはりはるちゃんは、ほんとうに可哀想な事をした。はるちゃんは気配が100か日くらいまで続いたんだけど、たんは、息を引き取った瞬間から気配がなかった。ほんとにすぐに船に乗って行ってしまったみたい。どこに行ったのかな、母のところかな。そうではないような気もする。


たんの持ち物はものすごく多い。はるが亡くなったあとかなり過保護にしたかも。ベッドは三つも持ってたし、牢名主セットももういらないし、これを一気に片づけたら、がらんとしてしまった。形見にいくつかたんが使ってたもの(というかもともと人間用に売ってたちびゆたんぽとか)は取っておくことにしよう。ペット用ゆたんぽカバーのカピバラさんとか。再び目が溶けそうなのは仕方ないよね。


それにしても今にして思えば、病院に行かない日に電話して名前言うと必ず受付の女の子たちが、一瞬固まる雰囲気があったんだけどお薬がなくなってしまったので作ってくださいってな事務的な事を告げるとほっとしんた雰囲気があった。 今にして思えば、とっくに亡くなってておかしくないくらいの心臓の動きだったからだね。


病院に行くのはものすごく辛かったけどたんのけじめだから行かなくちゃ。休診時間を見計らって行き、主治医の先生と話ができた。あらためて、たんは本当に頑張ったと言ってもらえた。甘いのとおせんべいと二種類お菓子持って行った。甘いの苦手な人はおせんべ食べてもらって。そうそう、主治医の先生はたんに「たんげさん」と言ってたんだけど、看護士さんやトリマーさんの若い女の子たちは「たんげおはよう」ととかみんな呼び捨てだったよ。愛されてたんだよね、たんは。


夕べやっぱり家に帰ったら、たんの姿をつい探してしまった。一昨日骨にしたばかりだもんね。


ころちゃんを励ます会。なのに30分くらい誰も来ないので仕方ないのでビールと枝豆だけ頼んで暫く1人で飲んでいただ(T-T) 12月の励ます会の二次会のお店で、時間制限がないのがすばらしいので焦らなかったが。すかす、ほとんどころちゃんを励ます会ではなくじぇんじぇん関係ない話だったがそれで却って気がまぎれただ。シタールのコンサートで、チューニングを聴いただけで美しさに涙が出たという話が最も興味深かった。


能は「一角仙人」リンボウ先生の解説が面白かった。「一角仙人は」アクションあり楽舞ありの楽しい能だが、鹿の角が生えた人と鹿のハーフ(笑)、つまり、どんな人間にも獣性がある、という裏の意味を汲み取って鑑賞してみてくださいに、なるほど。シテ方が高齢の方なのかかなり足元おぼつかなく途中で謡いを忘れるというどきどきのハプニングがあったが)'0'(楽しい能で龍神を舞う子方二人がそれはそれは可愛かった。まんぞくまんぞく。


そういえば、はるちゃんの介護の時はMETAGAIAだったっけ。なんで新月ではなかったのだろう。たんちゃんの時は新月以外流れていなかった。はるちゃんはサイトを作らせたきっかけだが、たんちゃんがそれを始動させる役割だったのかも。今日は本来ねこオフの名目ではなかったが、はからずもねこオフやね。当初たんちゃんの具合がそれほど悪くなかった時は、母の月命日だから母の着物を着よう、すかす、夜が煙もくもくの居酒屋だから、あんまり良い着物は着たくないな、などと思っていたが、さすがに着物を着る着る気力も余裕もないので服でおっけ。上京するので、病院へのお礼の菓子折りを買おう。だけどやっぱりさびしい、さびしいな。それにしても、たんちゃんの役割ってあらためてすごい。


療法食フードの寄付について回答が来たが、一般食と違い医師の処方が必要なものばかりなので遠慮しますとの事だった。被災地ボランティアでかなり細かく必要な支援物資を掲げているところがあったので、この中で合致するフードや品を送ることにする。療法食の銘柄が合わなければ、病院に寄付した方がまだ役にたつね。


もう毎日の生活リズムが全くかわちゃったんだな。朝おかあさんが起きるとたんも起きる。まっさきに、おかあさんは、お風呂場の前の洗面器にたんのお水をくむ、たんがそれを飲む。それからたんのおトイレの掃除して、顔洗ってお化粧してる間にたんは玄関マットのところでおかあさんを待ってて、おかあさんが二階に行くぞと見るや先に二階にあがって、自分のテーブルの前であさごはんをもらうのを待つ。もう、こんな日はこない。そして今日、新生新●月のライブ詳細が発表された。チェンジ、だ。


今日は母の月命日。供養に能を観に行くつもりだった。そしては、夜母が急逝したので励まし会の新年会をみりんぱぱが開催してくれる。たんちゃんの容態では、もう能楽堂は無理で、具合次第では新年会もころは欠席だなーと思ってた。たんちゃんに、新年会は行かせてくれる?行っても長い時間はいないから行ってもいい?ってお願いしてたんだけど、ほんとに、まさかね、たんは優しいからこんな形で行かせてくれるんだ(>_<)だから、新年会はたんを偲ぶ会にもしてもらおう。


やっぱり、たんの姿をつい探してしまう。当たり前だけど、かんたんに寂しさがなくなるわけない。良い子だった。明日は能楽堂と新年会。たんの容態次第ではどちらも中止にするつもりだったけど、たんにこんな形で行かせてくれなんて頼んだ覚えはないんだが。やっぱりさびしい。どんどんさびしい。


ふわふわが好き

だってね、1999年この年は新月メジャーデビュー20周年の年とは念頭になかったけど、たんがどこか知らないところで生まれた頃、おかあさんは生まれて初めて買ったパソコンと悪戦苦闘しながら、はるのためにサイトを立ち上げ、それからたんが家に来て、はるたんのサイトを作らせて、そこに新月ページがあった。はるたんは新月サイトの重要なシンボルだった。はるちゃんが16歳で亡くなり、新月ページとおなじ年のたんに、どうしてもはるちゃんより長生きしてほしかったのは、たんが亡くなる事によって、第二期新月が確実に一緒に亡くなる気がしたので、何が何でも新しい新月を聴くまで、その橋渡しになってほしかったからだ。でも、それは叶わなかった。それに意味があるような気がする。すべてが新しいスタートになんだよと、たんが言ってる気がする。ぼくは第二期新月のおかあさんのサイトの象徴だけど、ここまでなんだよ、だって、元々ここまでがぼくの寿命なんだから、って。そして、やっと気付いたんだけど、1007って、時間ではなく月日に読み替えたら、10月7日だ。それに今気づいて戦慄した。2007年、10月7日は新月セッションが開催されて、ごくわずかな新月ファンの前で「新月の北山真」が新月曲を歌った最後の日ではないか。たんちゃん、なにこれ?おかあさん、背筋がぞっとしてるんですけど。もうちょっと考えてから、いずれ新月日記に纏めよう。たんちゃんの事で泣き暮らしていたけど、こうしてみると、とてつもない存在だったんじゃないのかな、たんちゃんは。おかあさんにとっての第二期新月復活の歩みそのものの存在かも。


しかし、なんでたんは、ずっと頑張っていたのか。
それは、たんが発病しなければ、おかあさんは母の急逝で、母の事しか考えずに精神がおかしくなっていたに違いないので、自分の命と引き替えに、おかあさんの精神を救おうと考えたのかもしれない。
だってたんの入院や自宅療養や通院がなければ、鬱々と実家の片づけや、母の事を考えて泣き暮らしていたはずだから、たんは自分の命を削っておかあさんを助けようとしたんだよね。たんは、本当に頭の良い、不思議な力を持ったねこだったからね。自分が捨て猫のくせに捨て猫何匹も拾って来たり、2月の厳冬の夜臨終の仔猫に当時の自分の段ボールハウスを譲って自分は椿の木の下で寝ていたり、なんかね、猫の毛皮を着てるけど、実際はかなり徳の高いお方が猫の毛皮を着て修行しているだけで、実はとてもステージの高い存在で、そんな位置に居るんじゃないのかな。そして、たんが亡くなったのも、もともと決まっていたたんの寿命なんだと今日知って、あーっと思った。


思うにたんは1月8日エコー室で先生と看護士さんとおかあさんの会話をじっと聞いていたけど、もうとっくに亡くなってもおかしくないけど、頑張ってる、って褒められたので、じゃあ、もしかしたら、もう、頑張らなくてもいいかな?って思ったのかもしれない。
だから、最期のお別れに、その夜、這っていたのに歩いて見せたりジャンプしようとして見せたり、実際はあたまを突っ込みそうになりながらもお水飲んでみせたり、自分のテーブル、キッチン、全部今まで通りの事やって見せた。こんな事をぼくは全部やっていたんだよって。
それに、おかあさんが何気につぶやいた「はるちゃんも最期はトイレに行かれずペットシーツに垂れ流しだったから長期戦に備えてペットシーツ買ってこなくちゃ」って言うのを聞いて、男のプライドにかけてそんなんやだ、と思ったのかも。
強制給餌もつらくてこれはこれで体力を消耗する両刃の剣というのは承知していたけど、過酷な胸水抜きに耐える体力だけはつけたかったからだったんだけど、2日に抜いたのを最後に胸水が溜まっていなくて良かった。
そういえば、8日の日、退院サポートとこねこ用ミルクとフェロビタ2のミルク粥をシリンジで強制給餌していたら、途中で、てるてるから前足が出て、でもいつもの大抵抗ではなくで、そっとおかあさんの腕を抑えて「もういい」みたいな感じだった。もう胸水は溜まらないから、というより、もう、必要ないよ、おかあさん、と言いたかったのかもしれない。


母の四十九日の時のからっぽの盃とか不思議な事は、あって当然、という考え方のころ。数字には強くないけど、また数字の一致というのもあるんだと思う。まずはるちゃんが亡くなったのは一月十五日日で、四十九日が女の子のお節句三月三日。たんが亡くなったのが一月九日で初七日ははるの祥月命日一月十五日なので絶対忘れないしね。まだいろいろありそう。


お骨になっても、ちゃんとお留守番できるよ

約50分ほどでたんはお骨になって戻ってきた。スタッフさんからの説明で、老衰で亡くなった子は骨が白くて綺麗です、やはりこの子は年齢は13歳でも病気ではなく、老衰、つまりこの子の寿命だったんですよと、言っていた。はるちゃんの時は骨に紫色の薬が付着して骨ももろもろだったが、パワフルたんらしく関節炎を患っていたくせに足腰の骨がすごく丈夫、通りでてるてる坊主にかんたんに出来なかったわけだ。鼻炎のところだけはやはり慢性だったが、あれだけたくさん薬を飲んでいたのに骨が綺麗。つまり、内臓が丈夫だからきちんと薬を吸収できていた証拠だそうだ。いろんな意味で、ほんとに、ほんとうに、良かった。よかった。たんよかった、えらかった。スタッフさんが帰ってお骨になったたんを家に入れて、もうベッドもトイレもつらいので片づけてしまったが、広くなった家がなんか寒々してやっぱり涙が止まらないや。ありがとう、たん。お疲れさまだったね。おかあさんの面倒みてくれて。


じゃあね。ばいばい。でもまたすぐに帰ってくるからね。

自分ではペットセレモニーが来てそこから愁嘆場になるんじゃないか、泣かずになんとかきちんと執り行わなければ、と決意していたのだが、自分でもいろいろペットを飼ってるスタッフさんと、とにかく何度もこの子は本当に安心して逝った、穏やかな気持ちで逝ってますよと言われて、本当に救われて、ついに一度も泣くことはなかった。
スタッフさんは「あくまでも、ありがとう、という気持ちで送ってあげてくださいね」と深々とあたまを下げてたんを天国に送りに行ってくれた。というかこちらで、道を教えて富士山が見える場所を指定した。去っていく車へ、たんちゃんばいばい、と手を振って見送り、時計を見たらまた10時07分だった。えーっ、亡くなった時刻と同じじゃんと、さすがにもう驚くよりあきれて笑ってしまった。それにしても偶然の数字が二度。1007という数字が何かに符合する記憶にあるのだがと、この時まで思い出せなかった。


ふかふかベッドからついに炉の上に置かれたたん。ついにお別れだ。
セレモニースタッフの方にビニール等は全部NGと言われ、結局手袋とお弁当と病院からのお花が副葬品になった。
スタッフさんにたんの自慢話をしながらまわりにおべんとうとお花を置いた。どんなに良い子か話ていたので、泣かなかったよ。
こちらの話を聞きながら、たんの毛艶など見ながら、スタッフさんは、たぶんこの子は年齢こそ13歳ですが、やはり病気より寿命だと思いますと言ってた。なんとなくニュアンスがわかり、命が尽きたきっかけが、心臓病だったんだなと思った。実際甲状腺亢進症やら変形関節炎やら慢性鼻炎やら持っていたけど、内臓そのものは完璧な数値だったし(人間の食べ物に興味なくキャットフードだけしか食べてなかったからね)。
心筋症で最も恐れていた血栓が足に飛び生きながら壊死しはじめると想像を絶する痛み、それから呼吸困難のどちらかで、安楽死を薦めない病院ですら安楽死を薦めると言う。それは主治医の先生からも聞いていた事だったが、確かに夜息は荒かったが、すでに8日の日、先生の診断で心拍数は下がってて、ふつうなら正常値だが今まで200を打っていたたんげさんには、苦しいのかもしれませんとの事で、心筋症の呼吸困難とは違っていたようだ。


だから、たんにはできる限りの事をしようと思ったんだっけ。でも、亡くなる日息は本当に荒かったしすごく苦しかったと思うのだが、ずっとずっと撫で続けて声をかけ続けていたので、たんにとって良かったんだね。そんな事までわかるんですねと言うと、スタッフさんは「今まで亡くなった子たちにたくさん教わりました」と言ってた。
気休めではなくプロとしての経験値からの言葉だったので本当に救われた。でも本当に最期まで触ったけどたんの毛はつやつやしなやかだった。亡くなる前の晩、元気いっぱいだった頃の事を全部やってみせて、そういえば、未だかつてやったことのない、このはるの縄張りだったこのパソコンの椅子に飛び上ろうとまでしていたっけ。その後栄養たっぷりのミルク粥とフェロビタ2まぜお薬だったから、心臓病は別として、カロリーはきちんと摂れていたからかもしれない。


はるちゃんの時は仕事で結局あまり付き添っていてあげられず、最期の日だって仕事に行ってしまい、またそのストレスシャワーを浴びせてしまい、夜遅くなってから病院に連れていく途中の車の中で血を吐いて苦しんで死んだ。美人のはるがすごい顔のままだったし、たちまち死後硬直が来てしっぽもかちかちだったと思う。はるは本当に可哀想な事をしたので、このう申し訳なさと悔いで自分がかなりきついペットロスになったんだと思う。


もちろんえんえん新月が流れてる。くどいようだが、だいじなたんの事で、作り話のネタなどするわけがなく、もしつくり話をするとしたら、もっとうまく書く。とにかくまたまた『殺意への船出PART2』(OutTakes)が流れて居る時に、10分ほど早く到着したペットセレモニーの方が来た。
たんの前でなんかお互い動物好きのペット話しながらで、暗くて陰気な葬儀、という気持ちが払拭され、気持ちがかなり穏やかになった。しかし、プロってすごいな。
たんを見るなり、「この子は13歳で病気と聞いていましたが、老衰というか寿命で亡くなったのではないでしょうか」と言われて驚く。「いえ心臓病で三か月苦しんで…」と言ったのだが、「顔つきを見れば解るのですが、とても心安らかに行ってますよ。苦しんで亡くなった子は顔つきが全然違います。」と言いつつたんの前足をそっと持ち上げて「三日も経っているのにこうして体が柔らかいし、こんなに毛艶が良いので苦しんでいないですよ。苦しんだ子は体もすぐ死後硬直が来て硬いんです。家に入った時においがするのですが、お宅に入った時においもしなかったので、穏やかに逝った子だとわかりました」と言われてさらに仰天。「そういえば何時間もこの子はあったかかったし、しっぽに死後硬直が来ませんでした」と答えるとスタッフさんは、そうでしょう、とうなずいていた。


ぼくの好きなごはんがいっぱいだね おべんとうもたくさん作ってもらった

11日。いよいよたんちゃんの告別式になってしまった。10時にペットセレモニーの火葬車が来るので、それまでにちゃんと、たんが通るところと玄関を全部掃除して清めてたんのお弁当作らなくちゃ。
泣きすぎて、目は溶けそうだし鼻のかみすぎて鼻の下は赤いしでひどい有様で、おしゃれだったたんは、きたないおかあさんに見送られるのは嫌だろうから、ちゃんとお化粧した。
副葬品に、おもちゃとたんが好きだったなでなで手袋を用意した。
ずっとおかあさん特製のミルク粥しか食べてなかったから、しらすとかつをぶし、昨日買ってきたスープやかんずめ、かりかりを全部お供えして、その残りを全部いっこいっこラップにくるんで、お弁当をたくさん作った。


ごはんを食べられなくなってからすべて療法食を購入し、それももう食べられなくなったので無駄になってしまった。大量の療法食と栄養補給剤。一万五千円分くらいある)'0'(最初お世話になった病院に寄付しようかと思ったが病院も商売でこれを売ってるわけで、それよりも、可哀想な犬猫を保護してる神奈川県のある団体にもう10年以上前少しだけ寄付したのを思い出し、ほかにバスタオルやベッドなどをリスト化して必要なら送りますと、メールで問い合わせ中。バスタオルの用途に胸が痛む。とにかくたんが使っていたものが、可哀想な子たちに少しでも役にたってもらった方がいいよね、とたんに話しかけたら、うん、て言ったみたい。


今日は1月9日。このおトイレはぼくの足腰が立たなくなったら二階でもトイレ出来るようにっておかあさんが買ったの。ベルギー製だって自慢してたけど、結局数回しか使わなかった。一晩中くるしかったのをおかあさんがちゃんと気づかなかったって自分を責めてた。ちがうんだよ。だから夕べ普段通りの事全部やって見せたでしょ。夕べのうちにもうお別れしたんだってば。もう頑張らなくても良いみたいだしね。だからばいばいしたんだよ。 今日はおひさまがぽかぽかだよ。朝からずっとおかあさんがぼくを撫でてたよ。いつも聴いてる新月Live1979が流れてた。ちょうど『殺意への船出PART2』のイントロが始まった時、ぼく、ふーぅって楽になったんだ。そしてすぐにお船に乗ったの。すごく速いお船だったよ。 ぼく、お船に乗ってもう丸1日経ったよ。もう苦しくなくなったんだから泣かないでね。おかあさん。おかゆじゃない大好きなごはんもいっぱい食べられるようになったよ。




たんが亡くなって一日経ってしまった。もう、おかゆもシロップもお薬入りペーストも作らなくていいんだ。たんをてるてる坊主にして攻防戦を繰り広げなくていいんだ。毎回出る大量のタオルを洗濯しなくていいんだ。楽ちんになったはずなのに、心にぼっかりとした穴が開いてる。母の時とはまた違う感覚だ。
今日は目が溶けてしまうかもしれない。でも、いよいよ明日たんのお葬式だから、好きなごはんを一緒に焼いてもらうため、一番好きなかんずめを唯一売ってる遠いスーパーに行かねば。そうだ、写真屋さんに写真をプリントしてもらわねばとなどと思い、とにかく顔を何とかして昼前に出かける。
でも、どんなに悲しくてもお腹すくんだよね。ちゃんと選んで美味しいイタリアンの店に行ったりして。ピッツァかパスタかフォカッチャサンドかのどれかだが、フォカッチャセットにする。サラダバーにさつまいものスープにバジルソースのミニチーズコロッケやらチキンのミニローストやらの前菜がつく。美味しい。頂いたお悔みメールをあらためてゆっくり読ませていただいた。もちろん涙はぐっと堪える。
隣の席のママ友二人が、こんなに美味しいランチを食べながら料理の事には全く触れずひたすら学校や先生の悪口を怒りながら食べてて、勿体ないなあ、などと余計な事をおもったりして。
その近くのスーパーでしか売ってないたんが一番好きなかんづめ「前浜の魚」を買って再びバスに乗り今度は反対側の駅に行き大好きなモンプチやシーバのスープ、とろみチャオなど購入、そして、これは人間の食べ物で唯一はるちゃんと同じく好きなしらすを買った。かつをぶしはそれほど好きではないので家にあるのを少しで良いだろう。たんは病気のデパートで常に健康とは言えなかったけど、元気な頃の可愛いたんの写真をいっぱいプリント。はるちゃんと写真が並ぶ日がこんなに早く来るとは思わなかった。昨日は仮通夜で、今日がお通夜だね、たん。あした焼いてしまうのは恐ろしいけど、でもこのまま冷たいままはもっとやだよね、たん。


それからどうしてたんだろ。そうだ、いろんなひとにメールした。たんを応援してたお兄さんねこの具合も悪いことを知った。どうぶつは悪いことをしないので、光速でお星さまになれるので、今度はもうたんが守る方だよね。
これからさらに介護生活になると思いお気に入りのふわふわベッドを清潔にしようと洗ったんだけど、結局なきがらを収める事になってしまった。
はるの時にはすぐに死後硬直が来たのに、何時間も経ってもおなかとか背中があったかいので、まだたんが生きてるんじゃないかと思って、それにおなかのところがまだかすかに波打ってるように見えて、たんちゃん生きてるの?!って呼んだんだけど、でもこれでまた蘇生した方が苦しいしどうしょう、と思ったのだが、死後硬直には個体差があると書いてあった。それに良く考えたら自分でさわったところの毛が元に戻るために動いただけだった。
目が溶けるかと思うくらい泣きながら過ごしてた。でもこれはやらなくちゃとはるの時の葬儀屋さんに11日に火葬を頼んだ。お世話になった病院に電話すると受付の若い女性看護師さんが必死で主治医の先生を呼びに行ってくれた。あらためて、本当にたんがどれほど頑張り屋さんだったか、褒めてくれた。泣かずに話が出来た。でも夜になって病院からたんにお花が届いて、そのお礼の電話をしたら違う若い看護師さんが出て、ちょっと言葉を交わしてるうち、つい絶句してしまいなんとか電話を切った。たんのお葬式が済んだらきちんと挨拶に行こう。


1月8日の夜は、病院から帰ってきてから、信じられないけど、全く歩けなかったくせに、元気いっぱいに全部の事やってみせて、出来なかったけどソファにまでジャンプしようとした、たん。
それから寝ようね、と、ふとんに一緒に入れてしまい、息が荒かったのを撫でながら寝てしまった。前日も自分でふとんの奥深く潜り込んでいたので、それが楽なのだと思ってしまっていた。
朝起きて、気温の激変が毒だからと2階をあっためて新月が5枚入りっぱなしのステレオのスイッチを入れて朝の支度などしていた。それからゆっくりたんを運んで、ひなたぼっこの場所に寝かせてから、ゆっくりおかゆとシロップとお薬ペーストを作ろう、今日は介護長期戦を見込んで垂れ流しても良いようにペットシーツ買いにいかねば、と思っていた。
それで一階に行って、たんをふとんから出したら、すでにたんは呼吸が激しく荒くもう瞳孔も開いていた。あっと叫んで抱き上げたけど、もう体がひらびったくなっていた。猛烈に後悔した。
ひなたぼっこ用の、二階の牢名主セットは、具合が悪くなってから高くて登れないので一枚だけにしておいたのだが、そこに横たえて、すでにもうおかあさんを見てないたんのいっこしかない眼を見ながら、どのくらいそうしていたのかわかんない、とにかく撫でて撫でていつもたんに言ってたほめ言葉を繰り返して、時々母の写真に向かって「お願いだから苦しませないで連れてって」って何度も頼んでた。
呼吸がだんだんゆっくりになって、正直もう、くるしむなら早く逝ってほしいって思いながら、とにかく撫でながらたんちゃん大好きだよ、宇宙一良い子だって言うと、そのたびに、急にたんは頑張ってまた呼吸が荒くなって苦しそうになって、もう頑張らなくていいから、いいからって、何度も言ってた。どのくらい時間が経ってたのかわかんない。大きくたんの体が波打ったと思うと口からかすかに空気が漏れるようなかすかな、あ〜という小さな声がして、たんの心臓が完全に止まって息たえたのが分かった。時計を見たら10時07分。ふと気づくと出来すぎで信じられなかったけど、ちょうど『殺意への船出PART2』のイントロが始まっていた。


たんちゃんは良い子すぎて、語るには枚挙にいとまがないにゃ。今夜は泥酔するのだ。たんはほんとにほんとに可愛い賢い良い子だった。


新年五日目に撮ってもらったの。ほーら。ソファにだってまだのぼれちゃう いつもとおんなじだもーん。ぼくはいつでもチャレンジャーだ門 ふかふかベッドはお気に入りなの

たんみたいな良い子はいない。わが子ながらすごい子だね。おかあさんのたんちゃんへの「気」は、おかあさんがたんから、いままでたくさんのものをもらった恩返しと、はるちゃんもだけど、新月サイトと同じ歩み、シンボルだから。


ちょっとお休みするとちょっとまた歩けるんだ。ぼく、すごいって褒められちゃった

それからすごいのは、帰宅してから、たんはしばらく這いまわってはいたが、先生に褒められたせいか、いきなり立って歩いて見せてくれた。びっくり。お水も少しだけど自分から飲んだ。それから、這ってはぺたっとしゃがみこんでしまうが、匍匐前進しては、また立ち上がって歩いて見せて、ついに自分のテーブルに行って見せたりして、ずっと声も出せなかったのに、何度も鳴いてた。出来なかったけど、ソファにも上がろうとした。慌ててスープをあげてみたが、さすが自力でもう飲む気はないようだった。それからキッチンに来たり、リビング中を這っては歩いてみたりと、元気な時と同様の縄張りチェックをした。
サプリメント入りのお水、退院サポートとフェロビタ2とこねこ用ミルクのおかゆをすこし食べさせる。
前々日はおかあさんの腕枕で寝ておかあさんが動こうとするといっちゃだめ、と前足にぎゅっと力を入れられてしまい、うごけなかったおかあさんだったが、前日、たんはふとん深くもぐりんでいた。
おトイレもちゃんとしたかったらしいが、無念にもおしっこは外におもらししてたっけ。はるは腎不全でごはんを食べられなくなり、最期はトイレも這って行ったが上半身だけトイレに行ったところで無念、という感じでペットシーツにおもらしをしていたっけ。たんの長期戦に備えて明日ペットシーツを買って来なければと思う。


おかあさんは七草かゆ。ぼく、ペーストのミルクがゆ。こねこ用ってのがなんかひっかかるんだよね

七草粥の翌日、通院日ではなかったが、たんの様子が目に見えてダウンしてきたので、慌てて夕方病院へ行く。
じぇんじぇん関係ないが、主治医の先生は、いつも看護士さんにたんを「たんげさんです」と人間を紹介するように紹介して看護士さんも、知ってるんだけど、ふふっと笑って、はい、と答える。がんばってるたんは、さんづけなのだった。
先生はたんを診てお医者さんとしてなにかを悟った感じがした。でも、「自分で這ってトイレに行って、おしっこもうんちも自分でしてます」と伝えると「下痢や吐き気もしてませんか」と言われたので、「お水も流動食もシリンジであげてますが、全く大丈夫です。うんちもいいうんちです。」と答えると先生はびっくりしながら嬉しそうだった。
エコー検査で、もし胸に水が溜まっていたらどうしよう、この体力でもつのかなと思ったのだが、幸い日曜日同様胸水は溜まっていなかったので、2日以来もう一週間、痛い辛い治療をしなくてすんだ。本当に良かった。ただエコーを見るともうほとんど心臓が動いていないのがよくわかった。「ふつうはこの状態ならとっくに亡くなっていておかしくないんですよ」、と言われた。「実はお正月を越せるのかなと思っていました」、と答えると、「でもたんげさんは腎臓の動きも完璧ですし、すごいです、たんげさんの生命力を信じましょう。普通にしてあげてください」とのこと。
「だいぶ力が弱まってごはんをあげるのも楽になったのですが、それがなんだかさびしいです」と伝える。
たんはものすごい力なので、おくすりはいつも看護士さんが抑えて先生があげるのだがこれも一苦労だったのに、すんなり三種類のおくすりが飲めたたん。「お薬をあげやすくなりましたが、たんげさんらしさが失われてますね」に、看護士さんと三人で笑った。 たんがそれをじっと聞いてるのが分かった。
ある意味余命宣告なのだが、なんだか人間のホスピスみたいで、明るい雰囲気で、これから先どのくらい時間があるのかわからないが、なんだか前向きに受け止める事が出来た。この先生の雰囲気で指名ナンバーワンというのもわかるような気がする。むろん先生との相性もそれぞれあるだろうけど、多分、微妙な機微を好む家族が多いのかもしれないね。
とっくに亡くなっておかしくないのに、こうして頑張って、たんはほんとうに奇跡のねこだった。たんはみんなの希望の星になってる。たん、すごい。


お正月二日なの。お胸の水抜いたんだけどあんまり調子よくないんだ

たん、がんばっててすごい。ファンの方からたんちゃんへのエール頂いて、うれしい。たんちゃんに伝える。


いたみどめがほとんど残っていないのに気付いて、電話してお薬作っておいてもらう。ついでにもう一つ大きなシリンジを分けてもらった。最初の頃は大きいのでも大丈夫だったのだが、もう小さなシリンジにいくつか分けて何度も食べさせることにした。もういっこははるちゃんの時に使っていたシリンジがまだある。はるちゃんは腎臓病だったのでa/d缶だったっけ。帰ってきても水も何も一口も飲んでおらずがっかりするが、おかあさんにすりすりしてきてから急に自分でお水を飲みだしてえらーい!(^^)!水を飲むとやはりどこかに食べ物がひっかかってるのかそれが不愉快そうでもがいてはらはらするが、昨日見てもらった時とにかく怪我はしていないとの事で安心はしていいのかな。まだふらつくものの、自分で水を飲む力がある。再び退院サポートとこねこミルクとフェロビタ2のおかゆ。たんちゃん、がりんがりんの骨と皮なんだけど、毛艶は良いんだよね。サプリメントが効いてるのかな。やはりフェロビタ2はかなり強力らしい。『殺意への船出PART2』、『太陽と戦慄PART2』と2がつくと強力なのはなじぇ?というかフェロビタ2はねこが自分の体内で作れないタウリンが入ってるのがかなり良いらしい。いずれにしろ一日、一緒に居られる日は三度おかゆを食べさせて力をつけよう。美味しいらしいのが何より(=^・^=)


新月サイトと同い年のたんちゃん。新生新月を一緒に聴くんだからがんばるって。一緒に居られる残された月日、時間がどのくらいあるのか神様にしかわかんないんだろうけど、たんが一番うれしいのは、おかあさん同様ごはん食べるの大好きっこなので、美味しいおかゆをまずはおかあさんが食べさせてあげて、食欲が出たら、またいろんな種類のごちそうを食べられるようになる事だよね。うん。


12日の母の月命日は供養にもなるかと能楽堂のチケットを取り、どうせ上京するならと、なおかつその日に新年会開催をお願いしてしまった。たんの具合が悪くなるという想定はしなくないので、とにかく新年会には行く門ね、ただ、朝から夜遅くまでたんから離れられないので、能はやめてぎりぎりまでたんと居て、新年会にだけ行こうかなと思っている。昨年から何度能楽堂のチケットを流したか(T-T) こういうのを売ったりするすべを知らないころちゃんだし。


新月ライブ前には何が何でもころオフは開催する予定なのだが、たんの容態と並行してどうするかいろいろ考える。会社のイベントと重なるかどうかも出社してから確認せねば。ファンは会社勤めの人がほとんどなので土曜日限定になってしまうのでなかなかむずかしいところ。


12月に頂いた国芳一門のねこカレンダー。1月ははてどこにねこが?と思ってよくみやると、左上でねこの人形をたくさん売ってるんだよね。かあいー。


たんちゃん寝苦しいのか何度も位置を変えていた。寒いのにふとんから出てしまうのでそのたび毛布かけなおすのだが上に重いものがあること自体辛いのかもしれない(>_<) 朝、おかあさんはお餅と七草がはいった七草かゆ。たんちゃんは、こねこミルク、フェロビタ2、退院サポートのおかゆ。お薬入りニュートリカル。昨日病院で一番ちいさいシリンジをさらに二つ分けてもらった。水もあまり自力で飲めないので、これに痛み止めとサプリメントを溶いたお水を何度かに分けて飲ませる事にした。おくちを開けると夜中何も食べてないので胃が痛んでるようなにおいがするので、まずはお水。おかゆ、お水、おかゆ、と交互に飲ませてからペーストお薬。抑えられてむりに食べさせられるのは嫌だけど、おかゆ自体は美味しいので、食べることじたいは嫌ではないようだ。食欲増進剤とごはんとサプリメントが効くようにと念を籠める。なにせ泣いてるヒマがあったら自分でできることを考えるのだ。


待合室で時々ご一緒になる70代のご夫婦が連れて来てるねこさんは20歳だそうだ。美人さんだったのだが、今お口に腫瘍が出来てそれが外側まで膨れ上がり顔のかたちも変わってしまって見るからに痛々しい。まるまるしたお目めも腫瘍のひきつれでつり目になってしまったそうだ。毎日点滴と流動食を食べさせるために来てるのだそうだが、こちらが参ってしまいますと、ご夫婦は微苦笑してらした。ご夫婦の年齢からして、ころくらいの年から飼い始めたんだよね。ころのこれから、そしてそのご夫婦がその子と過ごしてこられた20年の歳月に思いを馳せ涙が出そうになって、こらえた。


お薬は病院で飲ませてもらったので、夜はフェロビタ2とこねこミルクと退院サポートのおかゆ。


ほんと言うと待合室で少し泣いちゃったりして。でもあわててたんを連れて洗面所に駆け込んで化粧直した。ここは病院であってこれから元気になるための場所なのだ。葬儀場ではない。ふと思ったけど、母が急にいなくなってしまい、もしたんが元気だったら、そのまま、たんにたよっていたんだろうけど、たんの方がおかあさんにたよる存在になってしまったのも、何かあるのかな。


病院例によって二時間半コース。たんの体重は2.2キロになっていた。主治医の先生があまりのダウンぶりに絶句してた。食欲不振の原因が腎臓の可能性もあるかもしれないと言われて、はるの事を思い出し青ざめる。心臓病に甲状腺にその上腎臓だったらどうしよう。でも血液検査の結果はシロ。むしろ良い結果だそうで、たんは心臓以外の臓器は優秀だそうだ。おくちとおかあさんがつついてしまったところは抗生剤の注射で大丈夫との事。食欲増進の薬が増えた。先日取り寄せて今おかゆにしてる「退院サポート」の事について聞いたら、それが一番良いですとの事。今注文中のk/d、g/dについて聞いてみたら・・・うっ、食べなければあまり意味ないとの事(T-T) しまった合わせて10個も頼んでしまった。でも食べられるようになったら使えるかもと思ったが、口コミみたら相当不味いらしい)'0'(しまった。アズミラもかりかりなのでこれも元気にならないと食べられないのでしまった。でも食べられそうになったらなんでもあげて良いとのこと。とにかく先生が太鼓判おした退院サポート、こねこミルク、栄養補給のペーストのおかゆを続ける事がおかあさんの課題だ。食欲増剤が入ったので、これで食欲があがればいいぞ。


夜と今朝自分でお水を飲んでるたん。とにかく少しでも力つける手伝いをしてあげよう。たんはえらいなー。でもおかあさんえらくない。おかゆを食べさせるのに、シリンジを無理に口もとにつついてしまい、たんの口元が赤くなってしまった。もう泣きたい(>_<)


たん、えらい。


おともだちのお兄さんねこもがんばってる。食欲をわけてもらうようにお祈りしてる。だいじょうぶ、だいじょうぶ。ねこオフ女子部のランチの予定など入ってきた。たんちゃん来週の新年会も、ランチオフ会も行かせてねとお願いする。とにかく、たんの具合が悪くなるという想定はしたくないので、入る予定は受ける事にするだ。自分で何か企画して、という気にはならないけど、鬱々とした気持ちがたんに行ってはならない。母の急逝の後も相当のストレスシャワーを浴びてしまったはずだから・・・。今日新年会で楽しんでいる人たちも多いだろうな。でも今日はたんちゃんに栄養たっぷりのおかゆで新年会やね。


たんの様子は辛いけど、たんが頑張ってるのでたんちゃんが再び自分でごはんを食べられるようになるようおかあさんもがんばる。心筋症について先生からもこれから起こる症状の事を聞いているし、心筋症について調べれば調べるほど暗澹たる気持ちになってくるが、必ずしもそうではないねこさんたちの実例もいっぱい見てるので、大丈夫。ただひとつ、母に祈ってるのは、お母さんと同じく苦しまずに一撃でたんを連れて行ってね、まだまだうんと先にね。


それから・・・たんのすごさは本当に尊敬。一度トイレに降りようとしたので無理に二階のトイレおしっこさせたがそれがプライドに触ったらしい。それから二度も階段を降り、ふらふらになりながら階段を上ろうとしていたのをだきかかえて二階に上ったのだが、それが激しくたんのプライドを傷つけてしまったらしい。ソファにいつものようにツメをかけてジャンプして上ろうとしたが二度転落。それからたんが見てないところでこっそりざぶとんをずらして高さを低くしたのだが、それから見事ジャンプしてソファに上って大成功。ほんとにすごい子だ。退院サポートと栄養補給剤のおかゆは続けよう。たんを見習っておかあさんもがんばらねば!(^^)!


退院サポートと水とニュートリスタットをゆるゆる混ぜたおかゆを少しだけ食べて寝て起きてから少し目力が戻り、ほんの少しだけど自分からお水を飲みに行った。スープも一口だけ飲んだ。たんはほんとうにえらいっ。


母の亡きあと実家に置いてあった米に虫が湧いてしまったので、それを日干しにして、毎朝遊びにくるつがいらしい雀二羽にあげようと、ベランダの手すりに毎朝置いておいた。ちゅんちゅん言いながらまことに可愛かった。朝パンの耳もわざと残しておいて、からからになったところを砕いて置いてあげたりした。それも食べてとてもかわいかった。が。今毎朝十数羽のすずめがここへ集結するようになってしもた(;_; )( ;_;)それだけならまだしも、でかいヒヨドリが来るようになって、こいつがすずめを追い払って自分だけばくばく食べるのがものすごく憎たらしい。その上行きがけの駄賃にでかい糞をしていく。恩返しどころかヒヨドリの恩知らずなのだ。うーんスズメだけならまだしもヒヨドリはいらん。餌やりを止めようかとも思うがまだ米残ってるし、冬寒い間はかわいそうかなーとか。しかし、ヒヨドリのフンをみるとみんな何かの果実の種がはいってる。良いものを食べてるらしい。だったら何もスズメ押しのけてまで米粒やパンくずを食べにこなくても(T-T)


モンプチスープ裏ごしして汁部分だけすこしとって痛み止めとサプリメントを混ぜて小さなシリンジにセット。モンプチスープの身と、退院サポート、スープの袋に少し水を入れ、仔猫用粉ミルク、ニュートリスタットを混ぜてとろとろのおかゆを作る。しかしモンプチの身は入れない方が良かった。フードプロセッサーだけでやったため、身が粗いままでシリンジの先につまってしまった。おおきなシリンジだと、口からだらだら垂れてしまう。ニュートリカルに無塩バターを少し入れて粉薬と混ぜる。
猫は苦味を感じると毒だと体が判断して本能的に泡を吹いて口から出そうとするそうなのだが、だったらなんで薬を苦く作るのだ。この心臓の薬は苦いのと酸っぱいのとがあるそうで、これだけ医学が発達してるんだから、甘い美味しいおやつみたいなお薬が作れるはずだと思うのだが。
シリンジは全部病院から貰ったもの。一番ちいさいのははるちゃんが使っていた。あと大きいのはゴムが劣化してダメだったので、口が大きいのと中ぐらいのを二本、新たにただで貰えた。あとシロップ容器を取っておいたのだが、これ、内部にかすとかたまると不衛生そうなので、水くらいにしか使えないかも。ただ、先が曲がってまるくなっているので危険がないので同じものを探しているのだが、見つからない。
このお薬飲ませと強制給餌は当然かなりたんちゃんの体力とストレスと心臓への負担になり、終わるとぐったりしてしまう、という真逆のジレンマが辛い。お互いストレスになってはいけないので、たんを褒めちぎる。お薬とごはん食べられる子は本当にえらいっ、みんなたんちゃんの事を尊敬してるんだよ。だから先生も「たんげさん」てさんづけなんだよ、とか。
たんちゃんベッドに入っても薄目を開けてるだけでなかなか眠らない。体力的に眠れなくなってきてるのかもしれない。新しい新月の音、配信されるのかな。早く配信されないかな。もちろん、3月23日までたんちゃん頑張るけど。


たんちゃん夜中何度も出入りしてごはんを食べたい気持ちはあるみたいだけど、朝見たらごはんどれにも口をつけていなかった(>_<)おかゆにたくさん栄養を投入しなければ。


うーん。どうもお口の中が痛いらしい。口内炎が出来ているのか、もしかしたらおかあさんがシリンジでごはんあげた時傷つけてしまったとか(>_<)自分から食べたい気持ちはあるのに(>_<)柔らかい「退院サポート」をお皿に入れて口元に近づけたら少し食べてくれたのですこしだけ安心した。猫の心筋症についてぐぐりまくる。とにかく、あきらめないこと、だそうで、うん(・_・)
ただ、怨念みたいに元気になろうねかと、頑張るんだとか、呪いみたいに話しかけるのは絶対にNGだそうで、これは人間のびょうにんに対してもおんなじだよね。とにかくるんるん楽しく明るい雰囲気を共有すること、だって。目からうろこ。


抜けるような雲ひとつない抜けるような青空だ。1月には快気祝い温泉の予定だったんだよね。来週はすでに3回目の母の月命日だ。やはり思ってしまう。手術は成功したのだから今頃はもう杖もなくてお城くらいまでは歩けているはずだと。そう思うと涙は止まらないけど、母にごめんね、今はたんちゃんの世話しないといけないからって言ってる。母のことなので、自分はいいから、たんちゃんの面倒をみなさい、って間違いなく言う。


ついにたんが全く自力ではごはんを食べなくなった。下にも上にもごはんは置いてあって、夜中何度も二階に行ったり通常のごはん食べる行為はしたみたいだが、全く口をつけていなかった(>_<)もう背骨が見えて骨に皮がくっついてるような痩せ方だが、まだそれでもトイレはかたくなに一階まで降りてしようとするし、ニュートリカルやトリスタットが効いてるのかも。フェロビタ2(なんでも2というのは強力なのかな?)という栄養補給剤も良いそうで、これも取り寄せてみよう。今日「退院サポート」が届くはず。なんと最後の1セットだったので、間に合ってよかった〜。他の方が安かったが、すぐに来てくれてるのがここだったので。これをいつものスープに混ぜておかゆにしてみよう。
朝は痛み止めとサプリメントを溶かしたスープ、スープの身をミンチにしてから裏ごしした汁とこねこ用ミルクとニュートリスタットを混ぜたスープ、お薬入り無塩バターとニュートリカル。


どんな占いより当たる元旦のご神託?昨年の「底を見る」は当たってほしくなかったが、まさかあんな形で来るとは思わなかった。但し、その見るはずだった「底」は、きっと母がころや弟や父を守るために持って行ってくれたんだと思う。
今年は末吉ていど、だそうで、一体何を一生懸命やれ、って肝心な事がよくわかんなかったんだけど、とにかくなんか一生懸命(だから何を)'0'()やんないといけないらしい。あの宇宙まで見えそうなくらい目の前が開けた2004年と違って、新生新月との出会いは、自分とはもう、大きなかかわりはない、という事なのかもしれない。
人智を超えた予測不可能のうねりと新月メンバーの情熱がそのうねりと合体して第二期新月のあの復活劇があったような気がする。
んでも、今度の新生新月はそうした人智を超えた意志のちからとはもうあまり関わらない世界で活動してて、勝手な想像は、生身の人間としての新月メンバーが作り上げていっているのではじゃないのかなーと思っていたりしち。それ自体が人智を超える力、すなわち新月なのだろうが。
にゃ、とにかく新生自体がかんぺきにベールの向こうなので、その音を聴くまで、なんもわからん。ころちゃんてばなーにを言っとるか。あれ、これ新月日記か?まあいいか。


食べたい気持ちがあるのに、食べられないたんちゃん。ペーストお薬のほかにおかゆを強制給餌。


母は文字通り八面六臂の事をやっていた。ころはいっこのことすら満足に出来ないけど、ひとつ、どうしても完成させねばならん。


たんちゃんは、何度も死線を潜り抜けては蘇った奇跡のねこ。昨年10月母の急逝に動転してそれから母の事を考えておかしくなりそうだったところに、まさかのたんちゃん危篤。それが入院退院闘病と今も一進一退だけど、たんちゃんの事がなかったら、多分、悶々と母の事を考えて、良くない精神状態に陥っていたのは間違いない。そんな意味で、まるでたんちゃん命を賭けて、おかあさんを支えてるとしか思えない。そんなたんちゃんに新年会に行かせてもらえるように今からお願いしてるおかあさんはダメ?


箱根駅伝が終わると正月も終わり。来年はいつもの場所で父を連れて駅伝の応援をやりたいもの。正月が終わったので、ファンの方からいただいたメールのお返事を書いていかねば。


駅伝は10区。いやいや母校はすごいぞ。やはり底力があるんだな。たんが起きてきて、ベッド前のかりかりを少し食べ、スープを一口だけ飲んでえらいっ(=^・^=)もちろん到底栄養は足りないので夜おかあさん自家製おかゆとお薬入りニュートリカルやね。ただ、おなかにきちんとたまって体重が増えるようにもっとがっつりごはんを食べてほしいなあ。


明け方たんはかりかりを自分で少し食べていてえらいっ。しかしそれから痛み止めと関節炎サプリメントを入れたスープを全く舐めてくれないので作戦変更。こねこ用ミルクに痛み止めと関節炎サプリメントを混ぜた。
まず、お薬をニュートリカルに混ぜててるてる坊主のたんにあげる。すかすやっぱり8割かなあ(>_<)。それからシロップ入れにミルクを入れて9割くらい飲ませた。なんか、赤ちゃんじゃないのになんでミルクなんだっと、プライドが傷ついてるらしい。その後も水とわずかにスープを舐めただけだ。ただ完全に具合が悪いときはベッドの目の前に置いてるごはんの匂いを嗅ぎに行くのだが、余力がある時は、歩いて台所のいつもの「たんちゃんのテーブル」に食べに行く。今朝もスープひとくち飲んだだけだけど、たんちゃんのテーブルに行ったので、まだまだ気力体力あるぞ、えらいぞ、たん。駅伝テレビで見ながらネットで療法食をいろいろ調べて「ロイヤルカナン」の「退院サポート」というかんづめ、ヒルズのk/d、g/d、それとアズミラというかりかりを注文してみた。
9月30日に甲状腺機能亢進症と診断、そして10月29日原因不明で危篤になるも点滴で復活、心筋症と診断されて9日間の入院を経て自宅療養ですでに闘病まる三か月以上経過で、たんちゃん、やっぱりすごいよね。


今年は往路復路共にテレビで応援。大スターがいなくなった代わりに、混戦模様でまた面白い、箱根には魔物がいるもんね。


先日主治医の先生にこねこ用のミルクにサプリメントを混ぜてあげても良いですかと先生に聞いたら、良いですねと頷いて、エネルギーに変えられるものならなんでも、との事だったので、夜はかんずめをフードプロセッサーでミンチにしてこねこミルクを薄めてそれにニュートリカットを混ぜておかゆを作る。うーん、まずそうだ(・・;)だが栄養はあるぞ、たん。黙っていても食べないと思うのでシリンジで強制給餌。


2008年のお正月三が日も毎日はるを連れて通ったっけ。この時は自分もひどい風邪をひいて二人でふらふらしてた。はるちゃんの祥月命日は今月15日。今回はおかあさんは体は元気。胸水を抜くのはとても痛くてねこに負担がかかるそうだ。昨日は休日診療だったので、待合室はおかあさんだけでしんとしてた。だから針を刺された時のたんの泣き声が聞こえてきていたたまれなかった(>_<)かわいそうだ。代ってあげたい。


父の方は弟に任せてしまった。父と一緒に駅伝応援できなかったが、たんちゃんを病院に連れて行く方が大事だった(>_<)テレビで箱根のとちゅうから見たが断片的。すかす、母校がトップでないといまいち気持ちが盛り上がらない、つーのは贅沢やね。


出かける予定だったが、たんの具合があまりよくない。やはり胸がくるしそうで、全く何も食べようとしない。急きょ病院に連絡するが当直の先生は一人しかいないのでやっと11時半でよやくがとれた。体温も35度でかなり低い。胸水300以上抜いた。帰ってきたらかりかりを少しとスープはじぶんから飲んだが、あまり元気とはいえない。体重もさらに減っていた。甲状腺機能亢進症と心筋症の合併なので、食べてもどんどん痩せていくのは仕方ないが一時良かった時は先生も喜ぶ太り方と元気さだったのだが。今見るネットはほとんど心筋症の猫の闘病記やお薬、サプリメントの飲ませ方ばかり。ふと見た闘病記の、たからもののわが子、こんな良い子を苦しめる神様は許せないってところで涙が出てきたが、とにかく、泣くのはいつか訪れる最期の後で、今は自分が出来る最大限以上の事を考えねばならん。


たんちゃん夕べは何も食べていなかった。体調が上がる時と胸水を抜くタイミングが難しいと先生も言っていた。とにかく自分からごはんを食べる、ここに主眼をおかねば。ニュートリカルなどの補給剤を知って良かった。しかしはるの時ちゃんと調べていれば・・・無知は自分以外を不幸にする。くよくよしても仕方ないたんちゃんのてるてる坊主が課題だ。でも、たんは何度も死線を潜り抜けては復活した奇跡のねこ。10月も危篤から蘇った門ね。だいじょうぶ、だいじょうぶ。


二階にもたんのトイレを新しく買って置いてあるのだが、プライドにかけて使いたくなかったようだが、ついにたんちゃん、いちいちしんどい思いをして下に降りなくてもここでトイレしよう、と決心したらしくてトイレ使い始めた。それでいいのだ。夜はてるてる坊主がうまく作れず何度か手が出てしまい、薬の入ったペーストを落とされてしまいお薬6割くらいしか飲めてない。泣きそうになる。おかあさん次第で薬の量が決まってしまうのだから、もっときっちり飲ませるようにしなければ。モンプチスープの汁の部分のみ、前浜の魚というかんずめをほんの三口、おかあさん特製かんずめの残りに水を加えて伸ばしてミンチにしてそれにモンプチスープとニュートリスタット溶かしたのを混ぜた流動食を以外にも自分から三口くらい飲んでくれた。がんばってるたん。


もう変化してるんだから。進まなくちゃ。
四十九日の朝からっぽだった盃の事を思いだす。今日から一年が始まった。目標を立てなければ。まずはたんちゃんを少しでも元気に快適に過ごさせること、それから3月23日までにヒストリーを現在にまで追いつかせねば。もう新しい年が始まったのだ。


いつもなら今日元旦は実家で過ごすのに、へんな気持ち。もう二度と無いんだよね。料理が趣味だった母の手作りの錦糸卵、田作り、黒豆の煮方、トリニクの松風?定番のサーモンのマリネとかまだいろいろあって思い出せないけど、少しでも教わっておけば良かった。食後にさっぱりのミルク寒天は美味しかった。何一つできない。にんじんとトリニクとしいたけと八つ頭の煮ものとお雑煮だけは美味くできたが別に難しいものでなし、誰が作っても美味しいかも。
駅伝の応援もなくなってしまった。父を施設に入れておいて、平気でいつもの場所で旗なんか振れない。ただ弟と父の施設に明日行って一緒に違う場所で応援はすることにしてる。それに家の近所で、うっかり事情を知らない方が父にむかって悔やみなど下さったら大変な事になる。
元旦の夜なのにあの家はからっぽで真っ暗なんだなと思うとやはり涙が止まらない。だけど、地震がこようが台風が来ようが、ああ、もう電話しなくていいんだな。


今年のねこカレンダーは先月の励ます会でもらった国芳一門のねこカレンダーなの(=^・^=)


赤ぺん勝った(*^^)vすかすなんでいつもなんでも勝負なのだ。


新生新月のライブが公式発表されただ。吉祥寺ということはシルエレ?むむ、そうだ母のお彼岸の日をずらさねば)'0'(だけど・・・やっぱりまだちょっぴり、へんなきもち。いやもうとっくに進んでいてもう始まっているんだから、ついていくのみ。


たんは昨日お医者さんで体重測ったけど、さらに体重減っていた。でも今朝も自分からかりかりとかんずめとスープ飲んだ。えらいっ。ただ、やはりすこしづつ元気はなくなっていってる。すこしでもくるしくないように、とにかくおかあさんが出来る事を考えなければ。てるてる坊主が今朝は上手に作れたので、お薬はかなり飲めたと思うけど、反面ねこパンチをだせず抵抗できない、というのがたんちゃんのプライドが相当傷つくらしく、すっかりいじけてしまった。


紅白で唯一美輪さんの「ヨイトマケの歌」だけは見たかったのだが、この間寝てしまっていたらしく記憶なし。ネットで見たら絶賛の嵐でしまった残念。子供の時テレビで見てすごいインパクトがあったのを覚えてる。


そして、一旦明け方目が覚めたけど、えー今年がわかんないぞ、と思いつつまた眠る。初日の出を見るつもりが結局寝てたりして、ほんとに目覚めた時「それほど悪くもないけどふつう。末吉ていど」だって。もうひとつ「今年は〇〇を一生懸命やりなさい」っていうのが出てた(うまく言えないけど、出るの)んだけど、この○○が何なのかわかんないよー)'0'(とにかく何でも一生懸命やれってことなんだろね。


だらだら3時くらいまで起きていた。ビールでべろべろ、でも年越しそばは食べた。ころ製出汁、母は必ずとろろ芋をすって入れていたのでとろろそば。また太ったかんじ。すかす、年を越した後食べてしまったので年越してしまったそばか。年越し前に食べないと縁起が悪いそうだが、食ってしまったわい。


年越したたんちゃんはお胸がすこし苦しそうだけどがんばってるよ。新生新月の曲を聴くんだ門ね。良い年になるね。


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