ころんた日記


2020年8月の日記



なんか北大路魯山人が。そしてなぜか石川遼くん羽生結弦くんがうかぶ。


と、言いつつやはり当分このマイブームは終る事はないなあ(^m^)まだまだつづく。司馬さんが原作の中に人の気持ちに気を遣いすぎる若者という意味の描写があったけど、つまりこういう事だったのかな・・・。すっかり沖田総司ファンが一人できあがり。


沖田総司。島田さん演じる沖田総司。あたまのなかには、やはり司馬さんの総司。と同時に史実(どこまでが史実もなぞだが)。
史実でひとつすごく気になってるのはいつも笑顔絶やさず冗談ばかり言ってて、子供や町娘に好かれてて、敵側の人間、結果的に新選組から脱退し敵になった近藤憎しの阿部十郎ですら、総司のひととなりについて、悪く言うひとは、いない。
総司は武士の子だけど両親が早くに亡くなり年の離れた姉に育てられているが、貧しさゆえに数え年九歳で近藤道場に、いわば里子に出されてる。この道場のひとたちはあたたかい人たちだったのは史実で伝わって総司は可愛がられていたけど、みんな他人の大人のなか、そんな子は、いつもにこにこしていっしょうけんめいだよね。
たぶん、自分をおしころしたりもしてたと思う。顔色を窺うのではなくて、相手がどう思っているのか、自分がどうしたら良いのか、幼いあたまの中でいっしょうけんめい考えながら、それを顔に出さないためにいつもにこにこしてる。
だから伝わってる総司って子供のようであり誰よりも大人、剣は強いけれど偏執狂ではなく、若くして余命宣告されじわじわと死の恐怖に冒されていたはずなのに、ニヒルではなく、最期まで明るく人を気づかりそうふるまった。
現在の麻布生まれの江戸っ子で多摩の近藤や土方とはちがうもともと明るい空気をもった子、可愛いと思う。
近藤先生を尊敬してて、そこに天才的な剣のわざで頭角を現わして12歳で藩の指南役を倒しているけど、いつも笑って、冗談ばっかり言ってたのは、自分の孤独を隠してがまんして、寂しくて泣くかわりに笑っていたんじゃないのかな。
尊敬する近藤勇先生は10歳上、剣では弟弟子になる土方は9歳上、新選組結成時年は若くても副長助勤の筆頭で後に一番隊組長。平隊士にも年上はたくさんいたはずで、一つ年下の斎藤一や試衛館からの門人藤堂平助がいるけれど、総司は直門人で、やはり一線を画してたのではないだろうか。
史実でも、屯所になってた八木家やそこに集まる子供たちと遊んであげてた総司、淡い初恋には真面目で、ほかの隊士のように島原などの女遊びには通わなかった総司。
島田さんが演じる沖田総司を見てしまったら他の沖田はあり得ない、昔からの新選組ファンのひとたちが大多数言ってるけど、島田さんは、こんなことまでたぶん考えておられたのかもと思う。
あの「風去りぬ」で、お見舞いにくるみんな(もう二度と会えない)といる時は明るく笑ってるけど、ひとりになった瞬間に表情が一変して痛々しく曇る顔。これが本来の総司だったのかもと思う。
島田さんの発言の中で、結束先生の脚本は手に取るようにわかりやすかったし、この回の(同年代の)沖田がこの時こう思ってるんだろうな・・・というのがあった。
当時のスタッフキャストが、島田さんはそんな総司の明暗を見事に演じていたと絶賛していたそうだ。栗塚さんはアフレコ時島田沖田を見ながら、沖田総司って本当にこんな人だったんだろなあとしみじみ思われていたそうだ。
いやはや。総司の事、もうすこし調べて纏めたら、ころ、気がすむかも。


たぶん、9.11で完全に一区切りつく。そしていまじわじわと満月へちかづき、じわじわと新●月へもどりつつあるじぶん。もしかしたら、先に封印解いてしまうかもしんない。


さすがに今日「新選組血風録」を観る元気もなかった(^_^;)6、7はもう悲しいからねー。で、こちらも司馬さん原作でほぼ同じスタッフキャストの「燃えよ剣」を観てみたくなった。また少しづつ集めてしまうかも。その前に原作を未読なので読まねば。ただ、だんだんのめりこみすぎて、すこし危険な気がしてきだど(゜゜)比重が。でも、なんというか新●月はべつとして、このように映画やドラマで「映像」というものをこんなに強烈に意識したのは何十年ぶりだろうか。土方とお栄さんが友禅染をみる美しい場面や心象風景の水。観る側が勉強するんだ、と学ぶ。


八月が今日で終わるというのに、ぬか床あけてないぢゃん!長梅雨のせいだが、た、たいへんだ。明日ぬかを買って来て、こわごわあけてみよう。せっかく何年か育てたのだ、今年でダメにしてなるものか。


法要は昨日前倒しですませたものの、まだまだ四十九日まで二週間ある。つまりまだ父は歩んでるんだろな。ほんとに四十九日が9.11というのもなんとも。百一日目に伊勢原大山に参ると亡き人に会えるという。母の時もこの時はまだみんな元気でお参りに行ったけど、誰も会えなかったなー。「見える人」の叔母も会えなかった。でも、十一月に行ってみよう。会えるかな?


うすぐもり。涼しくてほっとるすね。きょうで八月終わりだね。録画した「半沢直樹」二週間分たまってるなー。きょうはちと半沢みる元気はないかも。静かにすごしたい。


やはりすごい暑さだった。本堂にはクーラーなし。さらに納骨時外暑さでみんなぐったり、体調わるくなった者一名。ころやはり暑さに強いのか、ひとりなんともなく元気。んでも、やっと父と母いっしょになった。ほっとした。最後退出するときも、大黒さんに「四十九日が終わるとほっとしますでしょう?」と言われておおきくうなずく。実際は九月十一日なのだが諸般の事情でかなり前倒しだけど、とにかく納骨してほんとうにほっとした。んでも今日は早々にねる(=_=)


無事すんだ。あみださまかんのんぼさつさませいしぼさつさまよろしくお願いします。蓮のおふとんがふかふかになるようにいのらないとね。


ころ、自分の重大な矛盾に気づいてしもた。だ、だって日本の歴史上で好きな女性が直近だと天璋院篤姫さん、和宮さん、幕末じゃん!ころのおばか。穴ほって頭うずめます。オーストリッチ。うう。何をみていたのだろう。好きな「八重の桜」も幕末じゃん。幕末というのは「江戸城無血開城」の事しか頭になくて、ほんとにぜんたいを全く勉強もせずわかってなかったんだなー( ´・・)なさけない。


芹沢鴨暗殺について一つカンチガイが。八木家の母屋に泥酔した芹沢と愛妾(それも暗殺時双方裸(;_ _) の隣のふすま一枚隔てた部屋に、八木家当主の妻と幼い子供二人が寝ていた、という印象だったのだが、図面つきで解説してる方がいて、八木家の人たちが寝ていたのは芹沢の部屋とは廊下隔てた部屋だった。
それと、この共に殺害された梅は芹沢とは相思相愛の内縁関係で、梅って自らの意思で芹沢と連れ添った女という印象があるが、梅と違ってほかの二人の女性は店の天神(太夫よりひとつ格下)でたまたま呼ばれたわけで、殺戮の場にいなかったのは偶然ではなく、事前に巻き添えにならないように逃がされたらしいとう説があり救いがあった。
暗殺実行者は覆面もしていたのであくまで八木マサさんがみた姿かたちや聞いた声の印象で土方・沖田・山南・原田と後に息子に伝えたそうだが、永倉新八の記憶によると、土方・沖田・山南・藤堂。
原作は土方・沖田・井上・原田。ドラマは近藤・土方・沖田・井上の四人で出向くが近藤は暗殺には参加せず、実行者は土方・沖田・井上。
史実は同じ部屋に芹沢と梅、平山と小栄の四人だけど、ドラマだと一部屋に芹沢だけが寝てる設定だったので、三人で良いのだろう。原作・ドラマの当初は一ノ太刀は沖田くんが付けたいと主張していたが、ドラマではやはり主役の土方さんが一ノ太刀だったねえ。


10年早く生まれていたらはんたいに新●月には出会あえてなかった鴨。二兎は追えないのだった。良い物をつくろう。ただこの信念と稀有な才能のひとびとが不滅の名作を永遠に残す


「宮殿」の26枚組ボックスって)'0'(!


明日遅れないようにしないと。まあ寝坊するってことはないけど、なんかきんちょう。


じぇんじぇん関係ないんだけどね、黒船来航の年が1853年。つまり丁100年後に花鈴が生まれてるわけやね。なんかね、なんかね。


すかす、清水寺の音羽の滝に燃えていたひとたちはあの総司とお悠さんの淡い美しいデート場面を思い浮かべてたわけね。
原作だと二人のやりとりを聞いてたのが山南でなくて土方で「あも(京の女の子のおもちの赤ちゃん言葉だそうな)をくれ」と言ったのも総司ではなくて、土方で可笑しいんだけど、どちらも良い。
「菊一文字」も原作もドラマもどっちも良くてあくまであの65年のキャストで両方みてみたい。
原作で、菊一文字の横に、近藤に虎徹を並べてみてくれませんかと総司がねだって総司には甘い近藤がよしよしと言う通りにしてあげる場面や、総司が日野さんの仇を討って戸沢を一刀両断したあとに、美しい敬語ゆえに凄みのある総司の台詞とかね。


島田順司さんは、沖田家が丁度総司のお墓を建て替えた年に生まれてるそうで、そんな話題にもええっ。当時、島田沖田がどれほどすごかったか、というのを知れば知るほどすごい。
栗塚さんが知的でゆるぎないギリシア彫刻のような美しさ、こんな人がいるのだろうかと思う反面、それ以前に沖田総司は蒲柳の質の美男子のイメージだったのが、え?この沖田美男子でないし、なんて思った。でもでも観ているともお、この島田沖田に釘づけで他の新選組作品を知ってるわけではないのに、沖田総司ってこの人なんだ、って、思ってしまう。司馬さんがあてがきしたのではないかと思うくらいだ。
という人たちが熱狂的にブームをつくった。というのが今よくわかる。
この年で島田沖田を観てるので、土方をおちょくったり叱られてもふざけるのをやめない島田沖田みて「まったくこの子は♪」ってみてるけど、そだね、25歳で逝った総司を26歳で演じてる島田さん、当時女子大生のファンが特に多かったというのになっとく。
「風去りぬ」での島田沖田のまさに透けるような美しさ。10年早く生まれたかった。


55年前の作品が未だに最高峰でありその評価は不動。何度も何度も、繰り返し繰り返し、観る。その都度役者さんの演技に集中する時映像の美しさに集中する時音楽に集中する時全体に集中する時、自分が知らない幕末の事変を知る時。映画人が真剣に挑み、殺陣も従来の歌舞伎様式美を捨てて、真剣で生きるか殺されるかの臨場感、フィルムと無縁だった無名の新劇役者と、東映映画の時代劇の俳優が作り上げた全く新しい作品。これが未だに色あせるどころかこの作品を超える新選組の作品はない、と言わしめるのがにわかファンにも本当にわかる。


まあその結局7巻まで全部そろえてしまったわけだが、6、7はもう衰退と悲しい場面が多くてなかなか観る事ができない。いやテレビで観てるんだけどね。ただ、最終回は、森光子さんが自分が出たいと言って出演したそうだが、これだけは正直納得いかない。
年齢ほか設定に無理がありすぎて、森さんがでる事になったからこの尺を余計に取ったのでは?と勘ぐってしまう。こんな不自然なエピソードに尺を取るなら土方最期の心情をもっともっと描いてほしかった。自分のココロが狭いのかと思ったが、同じ疑問を持ってる人たちが居てやっぱそうだよね・・・とちょっとほっとしたりして。いや森さんはもちろん素晴らしい演技だし嫌いでもなんでもないのだが、ただこの作品に関してはなぜここに?という違和感だけはぬぐえない。
栗塚土方の母の年だよぉ。さらに、あるいは本来なら山南の恋人にふさわしい年齢の若い新人女優さんがキャスティングされていたのではなかろうか?とかね。小川知子さんとか土田早苗さんとか本当に美しかったもんね。まあいまさらよけいなお世話だが。


幕末。尊王攘夷って何それ美味しいの?これ入試に出たらリンダこまっちゃう(誰が リンダだ)だったなあ。もうすこしこの時勉強しておけば。若い時再放送された「新選組血風録」を観てより楽しくはまったはずだなあ。


オナカこわしてるんですけど。熱中症の症状ではないよね(;_ _)


明日のこの時間帯の納骨、しゃくねつじごくじゃあ。じぶんたちがホトケさんにならないようにしないと( ゚Д゚)しゃれになんない。


「芹沢鴨暗殺」って当時は犯人はなぞ、という事になってて、だから局長として盛大なお葬式もやれたんだね。松平容保公には「病死」とどけ。新選組の記録にも俺たちがやった、なんて書く訳がない。
で、明治になって新選組もなくなりそろそろほんとうの事を公にしていいんぢゃね?って事で八木家や永倉新八が当時の事を証言したそうな。
新選組研究家の横田淳さんの記事を読んで驚いたのは、屯所として八木家が提供していたのはあくまで離れだったのに、いつの間にか母屋を芹沢一派が使い、芹沢が愛妾と一緒に寝ていた部屋の隣で、当主の家族が寝ていたってこと(@_@)
暗殺当夜ぐでんぐでんに酔っぱらった裸の芹沢と愛妾梅、平山五郎と愛妾小栄が寝てた隣の部屋では、当主が留守のため、妻のマサさんと子供二人が寝てたそうな)'0'(すごすぎる。
横田さんの記事によると、抜刀した黒覆面装束の4人が深夜押し入り芹沢、平田、梅を殺害、たまたまその場にいなかった小栄は部屋に戻るなと言われて難を逃れた。
覆面姿だったがマサさんが姿かたちから実行犯は土方・沖田・山南・原田と記憶してて、それを息子に伝えていたそうだ。
永倉の記憶によると土方・沖田・山南・藤堂。ドラマでは試衛館はえぬきの近藤・土方・沖田・井上になってるが近藤実行に加わっておらず3人だ。
。横田さんによれば秘密裡の行動なので、このメンバーであってもおかしくないわけだが近藤が暗殺実行に参加しないなら、ひとり、おかしい。結束さんは源さんにしたがうーんドラマだからね
芹沢は刺されてもなお這い出し文机に躓き、沖田に斬られたそうだが、これは今も見学できるんだね。行ってみたいようなこわいような。


洗濯物、瞬殺)'0'(!


朝まだ6時代なのにもおこの暑さ(@_@)結局昨日嫌だったが仕方なく野暮用とスーパー行くので出かけたのだが、しぬかとおもった。布マスクなのにマスクの中も汗びっしょり。ころちゃんが夏にまいるなんて。参ったたぬきは目でわかる。あした納骨終わったら「柏又」か「鳥かつ楼」でうなぎ食べるかと言ってたのだが、コロナもだが、もうこの暑さなのでとっとと解散しようという事になった(@_@)うなぎは食べたいがそんなもんだいではなく、葬式が増えてしまうわ。


すかす、まさからころが苦手な幕末を勉強することになろうとわ。長生きはするもんだ。倒幕派各藩の将校はそれぞれ藩ごとに熊毛の冠を被ってて黒熊(こぐま)は薩摩、赤熊(しゃぐま)は土佐、白熊(はぐま)は長州(最も藩ごとに定めはなかったという説もあるらしい)。
「風去りぬ」の中で総司に危険が及ぶ場面で官軍の将校が獣毛(ヤクの毛?)の冠を被ってやってくる短い描写があるのだが、モノクロだから黒ではないのだけはわかる。白かな?でも透けた陰影のかんじが赤のようにも見えて、はて、これは土佐か長州か?などと余計な事まで考えてみたりしち。
かつて剣で闘い負ければ自らも命を落とすやりとりをしていた総司。これは総司が天才剣士だったから生き残っていただけで、対等な死のやりとりだ。負ければ、死ぬ。
でも、新選組全盛期当時に死病に冒されじわじわと死に向かう恐怖、すでに新選組なきあと今度は新政府の敵として追われる身を千駄ヶ谷に匿われ、そこで病に確実に死に向かうと同時に、新政府軍に命を狙われるという二つの恐怖のなか、会う人には笑顔を絶やさず、孤独に耐えながら達観してる。
他にもいろいろ「史実」あるいは「史実らしい」沖田総司の性格的な事を調べていくうちに司馬さんが随所に書いてる「ふしぎな若者」の深い意味がだんだんわかってくるようになった。
そしてこの「新選組血風録」から島田沖田で「沖田総司ブーム」が大変なものだった、というのもよくわかった。島田沖田にはとっくに完全にとりこになってるのだが、すっかり沖田総司のファンになった。
しかし、千駄ヶ谷は国立能楽堂に通って、79年のU.K.コンサートと12年の北山真全国全ルート制覇記念パーティ「日本青年館」に行っただけだが、「新選組血風録」見て初めて新選組の沖田総司(むろん、さすがに若くして労咳で亡くなった事は知ってたけど。原作っも前に読んではいたが、ふーん、くらいだった。読解力がなかったのであろう)が千駄ヶ谷で療養して亡くなったというのを知った。命日がころ誕生日というのもえ、で、実家は浄土宗なのだが、沖田家も浄土宗なので、もし来年お施餓鬼が開催されたら総司の事もお祈りしよう。
いやはや、いろいろ知らなかった事がいっぱい。長生きはするもんだ。


どなたかも書いていたが「風去りぬ」を観て総司があまりに悲しいので、元気な総司を観たくてまた最初の方を観てしまう、その繰り返し、というのが、よくわかる。


本やネットでも誰もが言ってる”屈指の名作”「風去りぬ」。座るか少し立ち上がるだけの島田さんの演技。まさに透き通るような総司。沖田総司は島田順司以外にない、という伝説になってるのが本当によくわかる。新選組ってところを切り離して観ても素晴らしいのでこれだけは観てほしいな。新●月なら『鬼』、みたいに。


エネルギー使い果たして日記書くげんきなし。早朝の段階でいろいろ書きたい事が溢れだしていたのだが。白黒(あえてこう表示する)画面と新月と「新選組血風録」について書くのはエネルギーが、要る、嬉しいエネルギー。でも風去りぬでもお・・。


うう午前中から4時間半パソコンと格闘。てかなんでプリンタとつながらないの?あともろもろエラーエラーで発狂しそうでなんとなく解決たんだかわかんない(@_@)といったところで緊急ニュースで阿部さん辞任にビックリ!


喪服小物用意。だんだんきもち落ち着いて来て「おとうさん、おかあさんありがとう」なんて言葉を心でつぶやいた。うん。


とにかく早朝からひとしごと(@_@)


明日朝4時から「時代劇専門チャンネル」で「新選組血風録」!地上波で放映してくれないかなー。そしたらたくさんの人が観るのに〜。


雨期待してたのに、降らないぢゃん。


「昏い炎」。土方「(芹沢一派の事を)単純というより馬鹿に近い」(^_^;)芹沢鴨の悪行が史実原作改変とりまぜての、暗殺の回。
深夜雷雨の中行われた芹沢鴨暗殺の場面。息がとまりそうな緊張感。モノクロなのでまるでドキュメンタリーのような、で、この凄惨な映像はモノクロだから素晴らしいと思える。この中で、行灯の灯をふっ、と消す一瞬だけうつる総司の横顔が、官能的に美しい。なぜだろう。


納骨の日が近づいてきた。やはり落ち着かない。男女の差なのか、おととの方が父への思いは強いようだ。おとともまだ涙が一滴も出ないそうだが、後処理で忙しいせいもかるかもしれないが。


トマト写真
涼しいうちにちょっと土いじりやらお手入れ。夕べ少し雨が降ってくれたらしい。すかす7時近くになってくるともう太陽ぎらぎら。7時過ぎたあたりでやめる(@_@)農家の人はこれから一日仕事なんだよね。ありがとうございます。ミニトマト収穫。このうちすごいのは「わき芽」を二本挿しておいたら、それがすくすく育って立派に実ってくれてうれしい。汗びっしょりでシャワーあびてすっきり。


池波さんの永倉新八を主人公にした小説「幕末新選組」を一気読み。小説だからさらさら読めた。わかりやすい。もっと早くこちらを読めば流れがわかったのに。あれれ、でも池波さんなのに美味しい料理の話が一つもなかったよぉ。
司馬さんの新選組しかしらないので他の作家の新選組小説は初めて。で・・・やっぱり「新選組血風録」とは違い近藤はやはり実際の本人の写真の近藤勇、土方は実際の本人の写真が浮かぶ。司馬さんの近藤土方ではないや。
沖田はあまり登場しないが試衛館の少年時代からの冷静な天才剣士の描写で「NET新選組血風録」の中での、「長州の間者」や「槍は宝蔵院流」の島田沖田の顔が浮かぶ。
主人公の永倉新八は、当然有川正司さんの顔は浮かばない。じゃあ役者さんで言えばだれ?と言われても分からないや。


すかす、「新●月」「NET新選組血風録」の二本だてころ。字では新しか一致してないが、ころの中ではいっぱい共通点があるのだ。


んでも隙をみて土いじり。大葉も穂紫蘇にはならないようなのはもう要らないので枝切り、こぼれ種からカスミソウがまたいくつか芽をだしてくれてて、それを植えつけ。また綺麗に咲いて花材になってくれるといいなあ。クラリーセージの枯れた枝切植え替え。このあたりで、ちょと危険を感じたので家の中に避難。


今朝も不調。クーラー疲れもあるのだろうが、もお今年はクーラーなしでは眠れないや( ´・・)すさまじい。コロナひきこもりで明らかに体力落ちてる。根性なくて今日も小田原行はパス。午後から雨が降ってくれるらしいので、ちょっと安心。日曜日の七七忌に寝込んでは大変なので体力はおんぞんしよう。まだ涙はでない。これからじわじわとコドモの時の思い出や当日の事を思い出すのかもしれない。


「強襲十津川屋敷」また観てしまった。二時間映画一本観るような濃度だ。カメラのリズム、も意識して観る。千葉の姉が「娘さん」と呼ばれてるわりに三十歳くらいにしか見えないので千葉大輔の年齢設定をもっと上にみてしまっていたが、台詞のかんじだと総司と同世代というより年下って思っていいのかな。何度見ても自分が斬った千葉のしにがおを見ながら歩む総司の痛ましい表情が、深い。
「長州の間者」の深町に対しては冷酷な総司だった。沖田総司は新選組に対抗する相手には激烈な怒りを現わし容赦なかった。でも「長州の間者」総司の最後の台詞「いやですねえ。間者になんかなるのは」は、結局は利用されて命を落とした人間に対しての同じ気持ちなのかな。


「イッピン」。象嵌。美術工芸を創り続けるひとたち。素晴らしい。じぶんも、ちょっとだけでもなにか動かねば。どこにも出かけられなくても、映像通じてこんな風に感動できるね。


きょうもなかなかの暑さになるらしい。不調のため小田原行は明日に延期( ´・・)


助監督の松尾さんのインタビューで河野監督も結束さんも松尾さんも昔のフランス映画がお好きでそれは「映像のリズム」。絵が流れる。カメラが移動し、カメラが動いてない時は人間が動く、とリズムがある。そういうところを気をつけて「新選組血風録」を観るとおもしろいですよ、におおっ。またさらにはまってしまふ。


原作もドラマも時系列で描かれてないので、幕末の事に詳しい人ならぴーんとくる事がわかってないにわか。お勉強しつつ鑑賞。 すかす、受験はもちろん日本史で受けたのだが幕末って試験にでたのかな?せいぜい大政奉還くらいだろね。


「強襲十津川屋敷」。なぜかこの回全然話題に上がっていないけれど、結束さんが特攻隊の生き残り、島田さんが7歳になる直前に広島で原爆の被害に遭われた方々が運び出される悲惨な様子を見ている、という事実を知ってから、総司の表情を格別の思いで観ている。
相手が勤王の神さま住谷寅之助とは知らされず、ただひたすら勤王倒幕思想の為と薩長から暗殺命令を受けるまっすぐな若い千葉大輔。なんかヘンだなと思いつつむりやり自分に言い聞かせ命令を順守しようとする。
住谷暗殺という事自体を知らせず命じる薩長の大物からすれば千葉大輔はちょうどいい「山ザルの鉄砲玉」にしかすぎない。勤王の神さま住谷を暗殺すると知れば千葉は疑問をもつだろう。なので千葉には暗殺相手を絶対に知られないようにひたすら勤王倒幕の思想を確認される千葉。
十津川郷士が手柄をたてるため新選組隊士を狙って暗殺を繰り返すという話、千葉大輔の姉が、新選組隊士に親切にしてもらったのに、その隊士が目の前で十津川郷士に殺される、というさまざまな関わりが並行して軸となり最後に新選組が十津川屋敷を襲うという話がこの回のテーマなのだがそれはべつとして。
千葉は自分が暗殺する相手を知らない事に最後まで疑問を持つが長州に「勤王倒幕の信念の元やれ。相手は学者だから簡単に斬れる」と言われ名乗りを上げて名もしらない相手に斬りかかるが一刀両断され絶命する。
実は相手は住谷寅之助に背格好が似ているという理由で所司代から「替え玉」を依頼された学者どころか新選組一番隊組長天才剣士沖田総司だった、と千葉は知らないまま命を落とし、その替え玉の正体を見た瞬間大慌てで十津川屋敷へ逃げ込む長州藩士。
うまくいきましたねと喜ぶ所司代の役人に「二度と替え玉はお断りします」「十津川郷士は敵かもしれないが、今の人は一番つまらない死に方をしましたね」と一瞬怒りの表情を浮かべて搬送される千葉の遺体と共に引き上げる総司。
搬送される千葉の遺体のしにがおを見つめながら、つきそう総司の痛みと悲しみの表情の裏側にどれほどの思いが籠められているのだろう。
自分より若い相手をだまし討ちにしなければならなかったから?もうこの時点では総司は自分があと2年くらいしか生きられないと知ってるから?総司の死生観。十津川屋敷強襲の場面は池田屋以来の屋内の死闘が繰り広げられる凄い場面なのだが、この回は、主にほんの数分にも満たない総司の台詞と表情、千葉のしにがおを見つめながらただ黙々と歩く総司を演じる島田さんが浮かべる、こみあげてくる悲しみの表情を見るためにだけ、繰り返し観てしまう。、


「強襲十津川屋敷」。原作にはない結束さんのオリジナル作品。薩摩と長州が手を結んだので、勤王の神さま水戸の住谷寅之助が邪魔になり、薩長が暗殺を計画する話。あ、薩長同盟は1866年か。とすると総司はもう23歳くらいになってる。千葉大輔の設定は10代なのかな。だとしたたら、同じくらいの年の「鉄砲玉」をだまし討ちにして斬らされた総司の怒りと痛みの表情と思っていたがそうではなくて、自分よりさらに若い相手と知っての怒りと悲しみの表情なんだ。何も知らされずただ一瞬の元に命を落とした千葉大輔。結束さんの脚本の中の「鉄砲玉」という言葉に結束さんの怒りが籠められている。それを一言の台詞と表情だけで表現する島田さんてほんとに凄い役者さんなんだ。


「水」の描写に魅かれる。海、湖、川。新月の海。直近の記憶。あ、紗幕。


「新選組血風録」の同じ回を何度も何度も観てる。でおなじように何度も何度も観る、という方々の書き込み見て、おんなじだあって、よかった。作品に恋して、メンバーに恋して、これすごい。


にゃっ。池田屋で沖田が大喀血を起こしたのは永倉の記憶違いと書いてしまったが、これは誤りだった。永倉はただ「沖田が昏倒した」としか言ってない。池田屋で大喀血したと書いたのは子母澤寛の小説だった。永倉新八ごめん。子母澤寛の作品はまるで生き証人から取材したような形式での「創作」だそうな。


諸般の事情により今日の小田原行はなしになった。いずれにしろ明日別の用事が小田原であるので明日朝から行こう。ダンドリ組み直し。あぢー。洗濯物、瞬殺。むだと思いつつ余ってるディル、フェンネルの種を播いてみた。


きょうの予定はおとと次第で変更になるかもしれない。いずれにしろ昨日雨がざっと降ってくれてよかった。今日行かないならどっちみちほかの用事が小田原であるので明日実家に行くが。土いじりを朝からちびっとやってしまったが、陽が高くなってきたのでやめる。そのうちガンガンやったる。くやちーのが大事な「ディル」が小さな芽のまったく育たないで一本だけ頑張ってるのだが枯れそう・・・がんばれー。といいつつ、つい炎天下もろもろ。出かけるかもしれないのでほどほどに。お肌が。


ころは新●月にはすべりこみでリアルタイム体験できたので贅沢いってはいかんね。二兎は追えないのだ。新●月のデビュー前のライブに行かれないのがくやしい。屋根裏なんて何度も前を通りかかっていたのに( ´・・)


栗塚土方、やっぱり先頭に立って隊士率いて走ってる。島田沖田、縁側に腰かける以外全員がだらだらしてても一人正座してでも冗談言ってる。


「新選組血風録」や「燃えよ剣」放映時、なんでリアルタイムに生まれなかったのか自分のばか〜と絶叫?してる人がいてうんうんわかるわかる。そうだよねー。それと、当時「テレビドラマ」という言葉はなくて?「新選組血風録」も「燃えよ剣」も「テレビ映画」というそうだ。だから黒須さんの本のタイトルが「テレビ映画」ってなってるのか。
んでもころリアルタイムには生まれてはいたが小学校低学年。「新選組血風録」は当時日曜夜21時半からの放映だったそうな。同日放映していた大河ドラマ「太閤記」は見ていたのでこれを頑張って見てから寝ていたので、見られるわけないなあ。
でも学生時代栗塚さんの哲学の道の喫茶店「若王子」には知ってていったので、再放送は見てたんだよね。なんとなく表面しかさらっとみてなかったんだろう。
そういえば、中学の修学旅行は京都で、清水寺に行ったとき、音羽の滝に絶対行くんだと燃えていたグループのひとたちがいて、きょとんとしてた鈍いころ。総司とお悠さん初々しい清らかなデートをした場所だった、というのを知ったのはずいぶんあとの事じゃった。お茶とあも。八の日の音羽の滝のお水を汲んでお茶をたてる。


「サルでもわかる幕末」というシンポジウムがあれば即参加したいなあ。今あったとしても行かれないが。


舟橋近藤さんのあったかいこと「そうし」。栗塚土方の存在感。は〜。かっこよすぎ。左右田斎藤どんな難題えも顔色ひとつ変えずになんでも「どおってことないよ」島田沖田かわいすぎ、でもふくざつすぎ。モノクロなのになにこの豊かすぎる彩の映像。音楽。かたるとぜんぶになってしまうので、は〜。


あしたのうごきのダンドリかんがえねば。


WHO。二年ねえ。


小説には手を出すまいと思っていたのだが、永倉新八主人公という池波さんの「幕末新選組」に手を出してしまった。視点がちがうのでおもしろい。沖田については殆ど記述はないが、司馬さん同様さらりとした若者として記述されてて、あたらしいのは、山南の介錯は史実?では山南本人の希望で沖田なのだが、この小説では永倉が介錯する事になってて、それに耐えられない永倉が沖田に頼んでる。沖田も自分だって嫌だけど、自分が介錯なら山南さんも喜んでくれるでしょう、と介錯を交代する。永倉は近藤のやり方がどんどん許せない。家臣ではなく同志だったはずなのに。


いやはや別に新選組のファンになったわけでもなく幕末ファンになったわけでもなく「新選組血風録」のファンになっただけなんだが、昔から避けていたのでわかんないことだらけで、それを理解しないとドラマの細かい事を調べないとわかんない。
幕末ファンにとっては一笑に付されるような事でも???があたまのなかを飛ぶ。たとえば、山南敬助脱走の一因になった西本願寺に屯所を移転するという話。え?お西さんは長州派でしょ?そこへなんでわざわざ新選組が?ってアホみたいな疑問からはじまるわけで、そか、これから西本願寺がそういう長州を匿うような事を抑止するためなのね、というのを調べてやっと理解したレベル(^_^;)
まあPhonogenixまとめるよりはるかに易しいけどねー。 新選組も尊王である事は間違いないわけだけど、なまじ幕臣にとりたてられてしまったために・・・とかようやくうすぼんやりとわかってきたかんじ。とにかくすごい時代の動き方と変化とで、幕末ファンにはたまらないんだろね。だから山南が本願寺の坊官とこっそり会ってたのか、とか。 と、とにかく、より「新選組血風録」を楽しむ為にさらにはまっていくというか否応なく調べていくころちゃんなのだった。まさかねー。


ざっと降ってくれてよかった。


いけばな写真
暑さでたちまち百合のはなびらがおちてしまった。笑顔がたちまちこれだけになってしまった。いけなおし。だからもうかわいそうなのでタイトルなし。


雨、降ってくれないぢゃん・・・。


「菊一文字」の今日の総司の一言「死んでしまったらなにもならない」。


あしたはおととと実家の用事で半日仕事。


グーグルマップがはじめてやくにたったかも。ぶじ自治会の用事すんだ、と思うが。歩くとやはりじっとり暑い。


きょうはお地蔵さんの日だが当然密にならないように、中止でいっちゃだめ。父の初めてのおじぞうさんもだめだし、母の三年まいりもまたふりだしだー。


香川照之さんのカマキリ先生を録画しておいたのでみる。さいこう。


やはり午後からどんどん暑く蒸してきた。あしたはひとあめ降ってくれるそうだが。あしたは自治会の用事があるにゃ。


そうそう、あのPhonogenixインタビューは、つさまが先に退座されてそれからみんなですこしお茶飲んでいたら増田さんに電話がはいり、つさま駐車違反でどえらい金額の切符をとられたという連絡がはいったっけか。インタビューも長時間だったって事だね。こりはこっちに書いておこう。しかしわかんなくてもφ(..)メモメモメモだけはすべきだった。あとから補完してもらえる可能性もあったんだからね(;_ _) 人をあてにして任せてはいけないな。主催者POSEIDONの目的はまああれで果たせたみたいだったけどね(^_^;)


いけばな再開でやはり火がついたりしち。で、なかなか見つけられないオレンジか赤に近い色の花器がほしいなあ。


永倉の話とは別に、池田屋から引き上げる新選組の隊列をたくさんの見物人がみていたわけで、沖田総司は真っ青な顔いろだったが、病人扱いされて戸板に乗せられて運ばれるのを嫌がり、一人で歩いて帰ると言い張るので、仕方ないので土方が横に付き添って歩いた、と見物人が記録していて史実として残ってる。今も昔も「ブロガー」はいたわけやね。
沖田はこの時二十歳か二十一歳だから若い天才剣士が大勢の見物人の中戸板に寝かされて運ばれる、冗談じゃない!ってきもちはわかるよね。


朝から永倉新八について調べてしまった。新選組生き残りとして生々しい証言を残してくれたので池田屋事件内部の事が詳しくわかる。おもしろいのはやはり自分をヒーローにして(それはそうだろね)誇張、記憶違いがあるようだが、だからよけい生々しいかも。今では沖田が池田屋で大喀血したというのも永倉の記憶違いで、実際は真夏の京都の屋内で鎖をきこみ鉢金締めて、剣を持つとふだんにこにことは真逆のスイッチはいってしまう沖田が鬼神の如く闘った為熱中症により昏倒したというのが定説になってる。沖田の剣が折れたのは近藤の方の証言?やはり永倉本人口述の顛末記読まないとだめだな。、


子バッタは無事に外に出した。しかし二階ベランダにも子バッタが。でベランダ内側の網戸ふとみやるとカマキリがいた。外にでたかったんだね。無事二階ベランダに逃がす。あとは子やもりか。


「新選組血風録」菊一文字、海仙寺党全滅、鴨千鳥と三本立てでみてしもたo(^-^)oらぶ。


子バッタが家のなかぴょんぴょん飛んでるんですけど。どおなってしまうんだこの家わあ。


いけばな写真 いけばな写真 いけばな写真 いけばな写真
いけなおし。教室ではつぼみだった百合がひらいた。そうしの笑顔、とその裏側の暗と孤独と闇の部分として黒の鉄器にいけた。
手前はみんなにみせる明るい屈託ない笑顔のゆり、清々しい風のようなふんいきのたにわたりと水でさわやかに。原作にもこれから死闘、という前に総司のいつもと変わらない淡々とした無邪気な笑顔に隊士たちが安心したみたいな表現があったっけ。
草月がこんな風にいけながらストーリーをいけていいのかどうかわかんないけど、いままでお稽古してたなかで勝手に新月や能や歌舞伎のイメージいけていたのだが、ここに島田沖田がくわわっただけで、もちろんこれはじぶんひとりだけの胸のうち。
なんかね、『鬼』に通じるものがあるんだ「おきたそうし」は。このあまりに複雑なキャラクター。


いけばな写真 いけばな写真 いけばな写真 いけばな写真
「複数花器(二つ以上)にいける」。線、塊、色。一つの花器では出せない「伸びやかさ」「広がりのある空間」。水を考えて涼しさの工夫をする。先生の説明聞きながらこれはもう「おきたそうし」でしょう。花材は野ばら、たにわたり、すかしゆり。花材見たらもう完全にイメージできてまずはいろえんぴつでデッサン。
赤の流水型の花器の左端に葉を整理したすかしゆりを凛といけた。
野ばらの小さな枝を整理して、これはそうしの剣。足元は剣山隠しも兼ねて整理した葉と、ゆりの茎にさきほど獲ったちいさな野ばらをいくつか刺してそうしの可愛らしさといつも食べてるお菓子をひょうげん(^m^) 赤の流水の右端はまったく何もいけず空けて、ここにそうしの爽やかさ清らかさを表現する為にただ「水」だけを見せた。
白のうつわに、何も手をくわえないたにわたりを三枚放射線状にいけた。 かすかに波打つ葉で心象風景が表現できるかな。その中央に剣に見立てた野ばらの枝をゆりにむけていけてみた。
席がまったく写真を撮る事ができる席でなく、まあこれだとじぇんじぇん作品がわかんないけど、ひさしぶりにしては自分でもまんぞく。先生の講評もえへへへ。手直しなし。
ゆりはまだ硬いつぼみだが時間の経過とともにどんどんピンクになってきた。


郵便局やら銀行やらスーパーやらにでかける。くらくらするど。でもこんな中外で仕事してるひとたちがいるんだもんね。なきごといってはいけない。しかし帰宅してまたまたシャワー、スーパーで買ったものは全部表面洗わないと気が済まないのでひとしごと。アルコールで全部拭くひともいるそうだが、そこまでやる気はしないが。しかしおそろしい暑さやね。ころちゃんが夏のぐちを言うなんて。


ついにおらが町でもコロナ感染者が。まあ時間のもんだいと思っていたが。


自宅でクーラーつけたまま綿毛布かぶってみのむし状態で寝るなんて、いままでころちゃんになかった事だよぉ。ホテルや旅館じゃあるまいし。寒いんだか暑いんだからわからない。オリンピックやってたらどうなっていたのだろう?芯がひえて表面が暑い。朝からお風呂たてて小原庄助さんしてあったまったりして。ほんとに異常だ。


今日実家水撒きどころか外に出るのやだった。一日クーラーつけっぱなし。まああれだ、夏が苦手な新月の気持ちが初めてわかった還暦すぎての夏じゃった。


先生の今回の課題について説明を聞きながら、ひとつ、ひとつの言葉に、上月さんではないけど「あ、これおきたそうし(島田沖田)」って表現したい事がつぎつぎ浮かんで来て嬉しかった。もし「新選組血風録」に出会ってなかったら、新月曲のインスピレーションが浮かんだんだろうにゃ。


きょう若い人の快挙がふたつ。ひとつは原爆投下前の広島の街なみを被爆者の方々から直接取材を行って映像再現した高校生。ひとつは藤井棋聖二冠。うれしいね。


裏に行ってみたらいもちゃん、いなかった。三つ葉が気にらなかったのか、あるいはもう前蛹になるところだったのかもしんないで、引越ししなくてもよかったのかもしんない。後はもうわかんない。ある日ひらひら、キアゲハが飛んで来たら嬉しい。すかす、家の中のカマキリ、ヤモリはいずこへ?ただ、コバエとか蚊とかいるだろうからエサはあるのかな。ってなんだかなー。


父の事もありここ数か月もろもろ距離おいて、「新月」情報は公式サイトに厳選された情報だけだけでよくて、そこからいろいろ自分が考えて、広げる事だけでいいと思ってる。本音はこのままもおFacebookはやめてしまおうかと思いつつ、んが、こちらからほかの方々にお願いしてる事もあるしで失礼になる・・・(>_<)まったくコミュ障のくせに。もっとも一番Facebookやれと言った人物が二年前に彼岸にいってしまったでわないか。それはともかく、mixiやめる時も別に籍?だけおいておけばいいのにと、ファンのひとたちから引き留められたけど、ゼロか100。やるならやる。いずれにしろ父七七忌区切りでかんがえよう。


昨日のきもちのいきおいで、実家に水撒きにいこうと思ったのだが、やめた。植物が枯れてしまうかもしれないけど(;_ _) ベランダいもちゃんついにパセリなくなった。裏にまだ多少三つ葉があった気がして、茎ごと持って行ってひっこし、裏もイタリアンパセリはまったくなかったが、三つ葉があってよかった。しかし家のなかのかまきりとやもりはいずこへ?


昨日課題について先生の説明聞きながら花材見てこれはもうおきたそうしではないかと花器選んであとは殆ど迷う事なくいけられた。
草月はあくまで表現は「抽象的」でないといけないので作品にタイトルはつけないが自分のテーマがきちんとしてないとイメージできない。
まだいけなおししてない。家ではスペースが狭く限られてるので、手持ちの花器をどう使うか、また昨日と同じようにいけてはおもしろくないので、またどんなおきたそうしをいけるかかんがえよぉ。


ベランダのいもちゃんは実と種を食べてる。家の中にいた かまきりはどこに行ってしまったのか。どんどん上へ上と行ってしまいロフトのどこかに潜んでるのかなあ(;_ _) ご近所さんにいただいたたまねぎが入ったネットをつかってつかまえよう。んでもって朝掃除機かけてたら、えっ?おたまじゃくしよりちと大きいくらいの、やもりのコドモが壁からステレオの後ろに逃げて行った。えええええ。この家はどうなってしまうのだろう)'0'(こまったなあ(島田沖田風に)。


先生が父の死に触れてくださり、残された者ができることは折にふれて手を合わせる事、手を合わせなさい、と皆さんにも向かってお話された。じぶんも皆さんももうそんな年齢で、全員大きく頷く。


昨日は先日の炎天下の下見迷い歩きの疲労と緊張でかなり参ってらしくぐったりだった。


今日は新月。いけばなの再スタートにふさわしい日。そして・・・新しい音。きょうは、新月。


きんちょうでまたおなかこわしかけたけど(^_^;)、電車に乗ってからどんどん楽しくなってきて今日は迷わずまっすぐついて、先生ご夫妻、なつかしい皆さんの顔見たらもおo(^-^)o二か月以上はさみを持っていなかったのでかなり不安だったが、先生の丁寧な説明に どんどんイメージが湧いてきてうん。今日の課題は複数花器にいける。のばら、たにわたり、すかしゆり。複数花器にいけるという事はひとつの花器では表現できない伸びやかさ、広がりのある空間。線。ふふ、決まった。そうなの、タイトルは「おきたそうし」(^m^)たのしかった。O子さんとランチしていけばなの話できてよかったよぉ。たのしかったよぉ。


ベランダのプランターにでかいいもちゃんがいる。引越しした時いっぴきとりこぼしたのだろう。わずかに実とかあるのではたして・・・。で、さらに台所にカマキリがいるのだが。入ってきてしまったんだなー。つかまえようとしたが逃げられてしまった。ここに居られてもなー。エサないだろし、えーいよけいななやみを。


今日は31度なのですこし涼しいわけね。おなかなおったよおなこわいよおな。だめら、すごいきんちょう。キンチョーの夏日本の夏。たんぼと住宅街をあるいてる最中おなかいたくなったらたいへんだあ(@_@)


小田原の発砲事件、かなりやばい場所なんだが(@_@)


うう。ころ、朝からなんかヘンだなと思っていたらころ、おなかこわしてるんですけど・・・。まさかこり熱中症?先月はC子さん緊張のあまり当日おなかこわして急遽欠席したそうだが、そういうんじゃない。えーん。たいりょくおんぞん。いけばなもできず、というかやはりムラサキシキブの水揚げがうまくいかずに萎れてたし・・・。いかんな。


「新選組血風録」原作読み返し。やっぱし島田さんは司馬沖田本人だなー。斎藤一も藤堂平助も史実では沖田より年下なのだが、左右田さん国さんの顔でしか想像できない。
「三条磧乱刀」は好きな作品なのだが、ドラマ化されず残念。源さん(原作では近藤土方沖田の足手まといなのだが同郷同門の大先輩)と新人隊士を救うために、近藤局長土方副長沖田一番隊斎藤三番隊原田三番隊の大幹部精鋭が繰り出す。池田屋以来の大がかりな出動。大乱闘のうえ、暗闇で同士討ちの事故まで起こり、そのため優秀な隊士が三名しぼう、重傷軽傷者多数という理不尽さ。近藤土方沖田源さんの多摩試衛館の仲間、つまり同族会社ブラック中小企業新選組ってかんじで一隊士の冷めた目で見てて、近藤土方沖田が滑稽にすら思えるので、このシリーズのドラマにはイメージ狂うからダメか。


きょうはさすがのころちゃんもクーラーつけっぱなし。都会と違って里山があり風さえあればクーラーは要らない・・・のが昨年までの夏だったが(@_@)昨日より絶対今日の方が過酷だ。今日四十分も彷徨っていたら行倒れじゃあ。明日はいくらなんでも迷わないと思うが早めに出よう。布マスクみっつもっていくかな。花はないので庭で使えそうな花材は緑いろの実をつけたムラサキシキブ、紅葉、ハランのみだなー。今水切り中で、あとでゆっくり考えよう。ちびっと庭にでただけでくらくらするど。


明日の5か月ぶりのおけいこの事考えるとすごくきんちょう(@_@)キンチョーの夏、日本の夏。


昨日より気温は2度低いそうだが今日の方がしっけがあるせいかきつい。きょう、きのうみたいなさまよいしてたら間違いなくねっちゅーしょーだな(-人-;)期待してた雨は降らなかった。昨日根性出して実家まで行けば良かったが、行き倒れになった鴨の河原に千鳥が騒ぐ。


がーん。半沢直樹録画できてなかったよぉ(/_;)


北鎌倉いきたい。円応寺。ころのカレシ。閻魔さま。会いたいなあ。閻魔さまといえばお地蔵さまの化身。今年は小田原板橋のお地蔵さんも中止なので会えない。


炎天下のなか方向音痴のころ、迷って泣きながらようやく辿りついた先生のアトリエ「らびっとがーでん」。壁に描かれたかわいいうさぎのイラストが見えた時はうるうる。先生の個展以来だった、確認して、そっと戻る。がまた迷ったのだった。うう。しぬかとおもった。


でも自家製冷たいハーブティミントちゃんありがとう。曲がるところさえ間違わなければ、家から1時間くらいで行かれそうで思ったより遠くなさそう。
なんだかんだでもう一か月半は花をいけてないや。明日おけいこのしたくと、練習になんでもいいからいけてはさみをもたねば!昼をはるかにすぎてしまい、小田原駅まで再び小田急に乗ってひさしぶりの箱根そばでひやしとろろ蕎麦。外食してないのでなんか新鮮だった。夕方一雨来るのを期待して、実家にまで行く気力なく父母すまん。
小田原駅で飲んだフレッシュメロンのハニーシェイクがそれはそれは甘露甘露。一日じゅう歩いて、大分カラダがなれてきたぞ。というかじぶんを取り戻しつつあるような。


3月でいけばな教室がクローズになり、別の場所で再開する予定がコロナで断念。先生のアトリエでの教室が先月から再開になったが、父の事等で断念してたが、今月から月一回通う事になった。明後日なのだが、その前に下見に行くつもりだったが結局のびのびで今日になってしもた。とにかく一人で行かれないと意味がない。だけど田んぼと住宅街だけの場所、スマホの機能も途中でわかりませんとかいうし)'0'(なんなんだ!案の定泣きながら40分も炎天下の中彷徨っただ。しぬかと思った。
つけていた布マスクが汗びっしょりで予備にもっていた不織布マスクが一枚しかなくどうなるかと思った。一日外にいるなら三枚はいるね。


ふしぎだなあ。NET「新選組血風録」にはまってから、同時に「新月」をひしひしと感じる。「新月」だ。


朝から汗だく。きょうはでかけねば。しかしじっとしてても汗流れてくる。顔に異常に汗かくタイプ。


司馬さんは総司を、血のにおいが溢れる中、すごく清らかなけがれのない存在として描いてるのがわかった。沖田総司は天がつかわした童子、みたいな表現があった、血風録ではなかったかもしれない。無垢な童子も闘いにはスイッチがはいるよね・・・。


まだまだはまっていくころ。史料読んだり原作読み返したり、十数年〜20年くらい前の皆さんの考察読んでそうだったのかっ、と思ったりと楽しい。まだ結束さんの小説「慶応四年新選組」には手をつけてない。なんか沖田目線でかわいそうな・・・。


総司のお菓子がなんだか気になる。人形焼きくらいの大きさのミニまんじゅうみたいにも見えるな。初回ではふつうのまんじゅうだったが。
すかす「襲撃木屋町二条」で店で鍋物囲んでる時、源さんに「総司お前はいつも汁ばかりすすって身を喰わん」と怒られてる場面があったが、お菓子ばっかり食べてごはんをちゃんと食べない偏食のコドモなのかもしんない。


栗塚土方かっこよすごる。でもこの土方から想像できないけど、素の栗塚さんはものすごく明るくておしゃべりだそうで、監督からの鬼の演技指導が「動くな笑うなしゃべるな」だったそう(^m^)
大好きなヨーロッパによく旅行して絵も自分で描かれて映画も音楽も美味しいものも大好きでジャズもシャンソンも歌って・・・てなんて引き出しがたくさんあるんだろう。映画は芸術、という信念にうんうん。
ドラマ撮影当時予算がないので東京から来た新人新劇役者島田さんも左右田さんも東映の寮で同部屋で、徹夜の撮影だとロケバスや椅子で寝て、スタッフがつくるおにぎりと豚汁がごはんでまたロケバスで移動。そんなお二人を気遣って京都在住の栗塚さんが撮影の合間みていろいろ美味しいお店に連れて行ったそう。栗塚さんのお人柄がやっぱりよき上司土方だあ♪
今となっては動機忘れたがたぶんミーハー思考で哲学の道の栗塚さんの喫茶店に学生時代行ったのだが、自ら接客もされてすごく優しい方で、もしご本人にお会い出来たらぜんぜん違う方向にいってたかもしれないころ。


「半沢直樹」は録画して、やはり「新選組血風録」みてしもた。またまた「海仙寺党全滅」原作とは違い斎藤一。んでもって、近藤・土方良い上司。左右田斎藤さんがひたすらかっこいい。駆けつけた沖田になにごともなかったように「もう済んだ」ってさらっと言ってしまう。沖田るんるん。んでも「斎藤君、きみは一人で凄いことをやってのけたんだな」と土方嬉しそう。目明し佐吉もいいかんじ。
えんえんお菓子たべてる総司かわいい。土方に「うまいですよ」とすすめて「いらん!」と断られて「うまいのになあ」。その後「これあげます。うまいですよ」って貰った平隊士嬉しそうだった。


「半沢直樹」は見てなかったのだが前作の最終回をたまたま見て香川照之さんおもしろいっ。父の事で今作も見てなかったが録画したのと前回みておもろ。澤瀉屋さんの顔芸、松也くん。愛之助さんはもうでないのかな?現代の「水戸黄門」と思ってしまうのだが。歌舞伎チームあつくるしい(^m^)てれびっこになってるころだが、たぶん、全部みられないとおもふ。録画した富士屋ホテルもまだ未聴。んでも新選組のみんなにほんとは毎日会いたいo(^-^)o


にわか、なので55年前にはとっくにこちらの想像なんか超えた深い意味でこの番組を観ていた方々がいたのだろうね。新月も40年。ふしぎな気持ちだけど、コロナ禍で「新選組血風録」をじっくり観て、あらためて「新月」を同時にふかくふかく考える事ができた。


モノクロ映像。


すかすなんだ。数年前までは暑くてなにもやる気がないってひといるけどどゆこと?暑ければ、太陽、くるならこーい!おーほほっほほ!と嘲笑っていたのに。このころちゃんがクーラーのお部屋からはなれられないー♪ふと階下に用を思い出して下に行こうとドア開けた瞬間熱のかたまりがっ。ここまで暑ければなんもやる気せんわい( ´・・)ふっ。にんげんだもの、みつを。


プリンタセットアップ、と言いつつ、先日パソコンとはつないでなかったので、単なるコピー機だが、今日接続やってみたら、できない?普通線つないだらあっというまにつながるのに?とりせつよくよんだらMAC用で「WINでも使える」ってこと?セットアップ用のCD入れてもできない。なんか脱力。きょうはもおやめた(/_;)


20年続いた上映会に参加した人が語ってるエピソードとか、今読めるインタビューとか総合して、このドラマに携わったひとたちの素晴らしさにまた感動してる。あったかい。


幕末、新選組のファンになる事はたぶんこれからもなくて、ただ、昔から好きだった司馬さん原作でこの作品の熱狂的なファンになった。だから、他の作家が作った「人物の小説」を今後読む事はないと思う。
あらためて思ったのは「風去りぬ」で土方が沖田に言った言葉「生まれ変わったら、お前のような人間になりたい」って、今自分も思うな。総司みたいな人間になりたい。
それは原作・ドラマ以外に史実からみえてくる、人に気遣いして明るくして、怒った顔を見せた事がない、裏表のない人間。
当時の島田さんが演じた事で火がついた「沖田総司ブーム」は大変なものだったそうだが、まだ明治百年少し前であり、当時を知る存命だった古老もいた。先祖が京で新選組にひどいめにあったので、新選組など大嫌いだという人たちの家系もある。
これをリアルタイムで観ていた、戦争を体験したひとたちが島田沖田に観たもの、単にこの爽やかで明るくて、時に冷酷で悲しみも知ってて、悪所通いもせずヒマな時はお菓子を幸せそうに食べて土方おちょくってて、清らかな初恋と悲恋(T-T)愛嬌のある「ふしぎな若者」、人に気を遣い最後まで明るく病に侵されて看取る者もなく悲劇の死を遂げる・・・その表面だけの人気ではなく、もっと深い部分を愛していたんだろうね。
島田沖田についてちゃんとまとめたいな。まとめてどうこうするわけではないが、整理したい。しかし、島田さんの演技力の高さについてはあちこち書かれてるけど、役者さんてほんとうにすごいな。


今朝も朝から猛暑。水撒いてるあいだはいいけど汗びっしょり。


島田順司さんは7歳の時疎開先の広島の爆心地と山を挟んだ場所で、被爆された方々が運ばれてくる悲惨な光景を眼にされたそうだ。
島田さんが執筆された1977年出版の「我が心の沖田総司」読みたいけど絶版で中古でも一斉でてこない(誰も手放さない)。唯一国会図書館に行けば読めるそうだが。この一部を抜粋してる人がいて、これはドラマ以降に演じられた舞台の沖田についてだそうだがあー島田沖田が十津川郷士の斬ったあとに怒り、悲しみをあらわにしていたと感じた事はやっぱりそういう事だったんだと確信した(/_;)。
「沖田総司は、戦の中で死んだんだ。彼は彼の正義のために人を殺しただろうけど、しかしそれで彼自身傷付かなかったとは決して思えない・・・これから(戦争によって)そういう若者を作り出しちゃいけないんだ。
  彼の持っている矛盾に魅かれる・・それは分からないことじゃないけども、沖田が、どうして矛盾を持って生きなければならなかったか、それを考えてほしいんだ、人間本来のやさしさ、しあわせ、そういうものを追求したがる青春ってものの姿の裏側に、一体何のために人斬りというもう一つの姿をおしついけなければならなかったか。ね。それが戦いってものなんだよ。
戦争ってものを見た・・そして脳裏にやきつけた最後の年代の人間として・・若者たちにとってはあるいは空しい言葉かも知れないけど、やっぱりどんな形でもいいから伝えていかなくちゃいけない。ボクの演じた沖田の中に、もしも・・もしもだよ、人の心にうったえるものがあったら、それは、戦いと、死とを背負った人間の哀しみ、それがあるからなんだと思う。
生きて行くことは、やっぱり、一時期、一時期、生命の有効性を燃焼させて行くほかは無いって思う・・俳優として明日の自分のために、何かを作り出して行く努力を続けて行こうと思ってるし・・。」
涙出て来た。島田さんの沖田に、今会えて(いや以前も観た事はあるはずなのに、なんにもわかってなかったんだ)本当に良かった。


父の思い出を綴ろうと思いつつ、わけわかんない現象におととと???なんせぱあでゼロ感きょうだい。親いらついてるのかも(^_^;)しかし父が亡くなった翌日おととの二台のパソコンに作ったおぼえのない父の名のフォルダができていたそうな。まあよっぱらって作ったのだと思うが。


古径さんの絵、殺意への船出PART2。手をね、伸ばしてるんだけど、とどかない。父を送る時かけるはずだった「羽衣」ができなかったからかもしんない。


2003年に出版された「燃えよ新選組」なる本を買ってしまった。これがちゃんとクリーニングしてあってきれいで新品!かなりの紙面をNET「新選組血風録」「燃えよ剣」に充ててあり、さらに栗塚旭さんのインタビュー記事が掲載されててなんというお買い得。大河の「新選組!」のおかげで、この時期いろいろ資料が出たんだね。栗塚さんの温厚なお人柄とかもお目がはあと。


プリンタが壊れたのしばらく放置してたが、自治会の回覧板をなるべく触らないですむように、自分でプリントできるものは勝手にプリントして個別配布することにしたので、観念して新しいのを買ったのをまた放置ししていたのだが、観念して今日セットアップ。父の件でちょうどコピーするものもあり、初プリント。郵便物を出すのでしかたないので10分ほど歩いてポストに行ったがしぬかとおもった。誰も歩いてなかった(^_^;)


ほんの一時間くらいだけ土いじり外仕事してたんだが、しぬ(@_@)シャワー浴びたらのぼせたりして、なんなんだ。


コロナでなければ毎年今日15日は寒川神社戦没者慰霊薪能。でも、コロナでなくてもこの猛暑でしょうじき行くのつらかったかも。んでも昨年萬斎ちゃんと寛太ちゃんの対談で、皆さんも暑いでしょうが、演者はもっと辛いんですよー。綿の入った装束で動いてるんですよー、って言われたっけか。


帰宅したら「新選組血風録」の2巻がとどいてた。こりで1から5までそろった。あと6、7で全部そろう♪
芹沢鴨暗殺は、濃くて凄い。史実とも原作とも違うのは鴨がとおりすがりに惨殺したのはお相撲さんだが、ドラマでは職人頭になっていて、だから人間関係がよけいにリアルに感じた。
54分程度のドラマなのに2時間映画観たくらいの重厚さ。昔の女優さんの気品と演技のすごみ。
血の臭いに満ちてるこのドラマの中にあって、やはり司馬結束島田さんの沖田の明るさと風のような爽やかさが救い。どこまで本気なんだか暗殺のアイディアに笑わせられる。
当然近藤に笑いながら却下!されるのだが、誰それには誰それが当たると役割分担勝手にきめて「芹沢さんは仕方ないのでわたしがやります」って自分が一番つよいやつとやりたいだけじゃん。
「わたしがやられたら土方さんがやってください。二人がかりならだいじょうぶ。近藤さんさえ生き残れば、こっちの勝ちだ」みたいな事言ってた。近藤は笑ってわたし一人残っても新選組ではないからね、ってその計画にダメだしする。
原作では、暗殺される芹沢さんかわいそうだな、と言いながら「仕事」には熱心で暗闇でも歩けるように部屋の下見したり、土方に、自分に芹沢への一番太刀つけさせろと可愛くも絶対に断れないようにおねだりして、こいつぜったい芹沢暗殺を楽しみにしてる風で、土方が「総司にはかなわない」と思う場面が、こんな風に結束脚本で活かされていた。


ショック。新宿駅メトロ食堂街が9月で閉店だって・・・。たぶん、それまでに行かれない。千駄ヶ谷国立能楽堂に行く前のランチのたのしみ。教えてもらったタカノフルーツパーラーのランチ、追分だんごのきしめん、あと墨絵のバルとパン。てんどんやら時間ないときはハヤシライスとか。くすん。


小田原多少はこちらより気温低く、外で作業してたらだんだんカラダが慣れて来たかな。お盆のためか駅前人がいっぱいだった(@_@)。おととの同級生の「早瀬のひもの」でいま売り出し中の焼いてある干物をCold Sleepスリープしたのをお世話になってるご近所さんに買ってかえる。レンジでチンするだけで美味しい小田原の干物が食べられる。くそ暑いので「それは楽」と皆さん喜んでいたo(^-^)oネットでも買えるので→「早瀬のひもの」←よかったらどぞ。


もろもろと飲みすぎで昨日帰宅しても日記かく気力なかっただ。まだやることいろいろで父の死の実感ないなあ。おととが殆ど走り回ってるのだが。


すさまじい暑さじゃあ。今日はうちあわせ?兼ねて実家で泊まり飲み。外回りやるのに熱中症にきをつけねば。葬儀から二週間経ったが味覚障害も熱もないのでほっ。


島田沖田の奥深さ。ちょっと見、島田さんは今でいうイケメンでなし当時の二枚目の基準からもはずれてる。歯並びなんか悪いし。でもちがうんだよね、どんどん、どんどん、魅かれていく。美しい。
総司はいまの港区生まれの街っこなので都会的な雰囲気がふつうにある。原作にあるように天才剣士なのに偏執狂でもなく、常に自分がどんな辛い時でも回りを笑わせる笑顔、でも仕事とあらば冷酷な事もできる(たぶん芹沢鴨の暗殺とか前髪の惣三郎の勝手な闇討ちとか長州の間者討ち取りとか)が、理不尽な理由でたまたま敵になった相手には斬ったあと悲しみが襲う。
当時死病だった肺病に罹り20代前半の今まで元気いっぱいだった若者が余命宣告されて剣以外で「死ぬ」と意識しながら明るくて人の気持ちを推しはかりすぎて、この孤独感は子供の頃からのつきあいの近藤・土方にすらわからなかった感情だと思う。
島田沖田みて、これ以前に今まで沖田といえば蒲柳の質の美剣士、みたいなイメージは完膚なきまでに払しょくされていく。
沖田は薄録ながら武士の家の子で、貧しくても武家らしい品位をたもっていたはず。両親を早く亡くして姉たちに躾され育てられてる。屯所でも沖田だけは絶対に膝を崩さず正座してる。そんな無意識の上品さ、雰囲気がある。
島田さんには演出はまったくつけられなかったそうだが(笑顔だけは褒められたそう)、軍医だった祖父の妻である祖母から箸の上げ下ろしや食事の時は「正座」が自然に身についていたそうで、撮影時もほかの隊士がだらだらしていても、自然にその「くせ」がぬけなかったとの事で、これも総司役はこうしろ、という演出指導があったわけではまったく、ない。
どこかの回で、総司が後ろ姿で正座し、正面に土方、そこに局長近藤が部屋に入ってくるのだが、そこで座したまま近藤にお辞儀をする島田沖田の後ろ姿の所作の美しさに感動した。なんの演出もないのに、司馬さんが描いた沖田総司(あえておきたそうしと発音するけど)、一目みた瞬間沖田総司だ、沖田総司がここいいた、と上月プロデューサーが一瞬のインスピレーションで決めた事が「必然」であったことがわかる。


『鬼』、『鬼』。ん、ふふっ(島田沖田風に)。生まれ変わっても、出会いたい門ね。


結束さんの小説「慶応四年新選組」をぱらぱらめくったけど、当たり前だがタイトル通り新選組篭絡から終末までのものがたりで、千駄ヶ谷での沖田の心情が描かれていて、かなりつらいかも。こちらの想像で済ませたいところを具体的な描写で・・・うううん。正直新選組ファンというわけではないので司馬さん描写以外には興味はないのだが、このドラマ観て結束さんが描くひとびとに強烈に魅かれてしまう、ので気合入れてから読まねば。なにせ登場人物全て「新選組血風録」のキャストの顔が浮かぶので。


「燃えよ!新選組」という古いテレビガイドも購入してしまった。どうやら大河の三谷「新選組!」のための新選組についてのガイドらしい。
表紙が栗塚さんの土方姿もうつってるんだもん。それが1800円の本が三分の一の値段で来てみたら新品同様でびっくり。でライターが「新選組血風録」「燃えよ剣」のスタッフと親しい人らしく紙面をかなりいまころはまりを詳細に解説、さらに結束さんにも紙面さいててありがとう!



ファンの方々のいう「クラファン」がなんだかわかんなくてぐぐってしまったがやっぱりわけがわかならなかった。ころ、ぱあだもん。でも、たぶん、そういうもんだいではないのではとおもふが、どうやっておへんじしよう( ´・・)


水撒きしただけで汗びっしょり。危険という感じがひしひしと。きのういもちゃんひっこししなければ干からびてたかも。


きょうは母と叔母の月命日でもあるが、島田順司さんのお誕生日だって。Twitterですごいデータベースを作ってる人がいて大河ドラマに出演した役者さんのお誕生を挙げてて筆頭が一番年齢が嵩い島田さんだった。沖田総司のあといくつか大河にも出演されていたんだねー。しかしまあこのデータベースにびっくり。


さすがにクーラーつけて寝てしまった。きょう一雨ほしいね。


夕方「慶応四年新選組」届いた。あと一冊しかないという中古品でどんなひどい状態だろう、でも読みたいし、思ってたら全くの新品だった。嬉しい。まったく読んだ形跡がないのでらっき。結束さんの小説だ。司馬さんの、ではない結束さんの新選組だ。ドラマ「新選組血風録」は無名の新人栗塚、島田が主人公だったのがでスポンサーがつかず半年のドラマになってしまったが、もしも一年間だったら、原作をもっと広げたかったにちがいない(と勝手に思う)。読んだ方の感想が総司つらそう。総司の最期は「風去りぬ」のままだと良いけどちがうんだろな・・・。今日は読まない。新選組じたいにさほど思い入れはないのは多少変化して理解したいけど、ではなくて司馬さん、結束さん、キャストあらゆる関わったひとたちがつくったこのドラマすべてに思いが、ある。


総司「ん、ふふっ。困るなあそれじゃあ。だってわたしは・・・」えーん。「「風去りぬ」についてきちんと書きたいな。新選組テーマ関係なくこの回はドラマ、というか二時間の映画に匹敵する傑作だと思うのだが、この回の島田沖田の透明感ある美しさを表現するすべをもたない。栗塚さんがアフレコししながら島田さんの映像みながら「沖田総司ってほんとうにこんな人だったんだなあ」と思われたそうだ。


ぶら美♪明治神宮。たのしすぎる。ううコロナでなければ、いきたい〜。


くそお暑さにまけるなんて、いやまけてねー!ちょっとひいただけだ。ころがクーラーいれてお昼寝するなんて(゜゜)なにかに負けた、いやだから暑さに負けたのか。みぎゃー 。でもいもちゃんたちの引越ししてよかった。しかし夏はイタリアンパセリが食えんな。


ベランダいもちゃん。もう食べ物ないうえにすごいひざし。こりは引越ししてあげないと、と、まずは裏を点検せねば、で雨のうち一度も行ってなかったのでいってみてぎょうてん。生えてる植物がかわってる。異常に成長して巨大化したつゆ草が枝ぼうぼう、さらにやぶからしがそだちまくり!草むしりガンガン。もう三つ葉もイタリアンパセリが負けていた。でもいもちゃんたちくらいなら養えるので5匹、ひっこし。後からまたベランダでいっぴきみつけて、もう一度おひっこし。この時点であまりの猛暑にあだまぐらぐらだが、カメムシも発生してるしでシャワー浴びたらくらくら。ちょっと倒れます(@_@)


結束さんは六十一歳で急逝されている。司馬さんの碑「結束さんは、人生をよき景色としてみていた、すばらしい心のもちぬしでした。」(/_;)


大文字焼の件ヤフコメみてみたら、地元のひとたちからのいろんな視点からの意見があるんだね、へー。外部の人間がいちがいに目くじらたてるのもなんか野暮な気がしてきた。


すさまじい暑い夜じゃった(@_@)何度も目がさめた。ひええ。


いっぺんにいろんな事を考えるのは苦手と思ってたんだけど、じつはとてもだいじな事だったんだね。新月さま。


山南が大津にとどまった時の湖の景色、そこで総司がはっとした場面がわかんなかったのだが考えてみてやっとわかった。自然描写が別の回の原作にもあり、総司のコドモ時代の原風景がきちんと「脱走」に描かれていたではないか。それをこの回に反映させたのだ。山南が大津にとどまったのもそんな自然の風景に身をとどめたんだ。総司は自分が感じた自然のふしぎな体験を山南も同じに感じて、はっとしたんだ。総司と山南の心に気づいた。自然の霊的な風景を総司も山南も感じてた。結束さん(/_;)司馬さんが結束さんの「改変」をどれほど楽しみにされていたか、このにわかしろうとでも、わかるようになってきた。1965年の作品。素晴らしいものは色あせるどころかさらに輝きを増す。


いやしかし唯一コロナ禍のころへの功罪は「新選組血風録」という芸術に出会えて良かった。総司があと5年、25歳までしか生きられないと宣告された時の川面。医者の言う通り薬を飲んで毎日ひたすらじっと静養していればそんな寿命でなく長生きは出来ると言われるのだが、新選組沖田総司はそんな事出来ない。「水」の映像による心象風景をもっと集中してきちんと観てみようと思う。映像。なんにもわかってなかってないまま、映像って言葉使っていたのかもしんない(/_;)


あぢー。じめじめ。コロナ。もう来年の話、だね。


「槍は宝蔵院流」「海仙寺党全滅」。左右田斎藤一さんにくびったけ(はあと)。


新月日記には書けないけど、単に今時点の自分の感情だけどあのわずかな「映像」の写真だけで、演奏者の写真がなくてもあの11月4日がすべて伝わるような気がする。むろんファンのみなさんが求めてるのはメンバーの姿だろうと思うので(>_<)それはもちろんレポートかアルバムで掲載するけれど(;_ _)


かなり昔のラジオ番組で栗塚さんがご自分が演じた土方について語っているのをテープ起こして掲載くれてる方がいて、感動。栗塚さんの思いに胸が熱くなった。


長雨のせいでイタリアンパセリはまだ種が出来てる状態でろくに葉っぱないのだが、よ、よくみたら一つのプランターにご匹もいもちゃんがっ。のこり3つのプランターもほとんど種。種も食べてるのでうえじにしないと思うけど、びっくり。あたまがいいやつ?はちゃんと下にいて葉っぱ食べてるのだが、大きいのが二匹上へ上に行ってしまい、茎かじってる。しかし見てて飽きないなあ。


毎年楽しみにしていた寒川神社薪能ももちろん中止。というかお参り自体ご遠慮ください。毎年2月とか3月とか遅めに行かないとなじぇか寒川さんは怒るので( ´・・)そうこうするうちに初詣行きそびれてしもた。小田原板橋のお地蔵さんももちろん中止。父の初地蔵だったし母の三年まいり達成できるかと思っていたのだが残念。思い出すのは母が亡くなって3か月めが最初のお地蔵さんったのだがふしぎだったのは、何件かのそれぞれ違うお守りを売ってる人達が占いもやってくれるんだけど、そのひとたちがお客さんたちの占いやってるのにちらちらとこちらをみる。ころの顔ではなくて肩とかそのへんに視線よこした。ころゼロ感なのでわかんないけど、もしかしたら母かはるちゃんか、あるいは両方がいてくれていたのではないかなと思った。ああいった方達は「見える人」だと思うので。


小田原はお盆七月でもう終わってしまったが、一般的にはこれからだよね。大文字焼に勝手に点灯させたやから、「送り火」の意味を知らないんだ。ひどい行為だ。


(=_=)ねむい。


きょうは「新選組血風録」をおやすみ。「エクソシスト」。ラストに流れる筈のチューブラーベルズ目当てで観るのだが、寝ないで全部みられるかなあ。え?冒頭こんなイラクの発掘場面なんてあったっけ?じわじわこああいよおなと思いつつ、で、何年かぶりにみたけど、前回見た時もこわい感想は無かったが、今回はこわいというより壮絶だった。キリスト教徒的な恐怖がいまいち理解できないからかもしれない。なにかの代理戦争なのかな?老神父がどんな状況で亡くなったのかわからず?あのペンダント・・・。しかしリンダ・ブレアちゃんすごすぎる。チューブラーベルズ♪


ふしぎで突拍子もないかもなのだが、今新●月Project with 北山真 11.4の演奏者ではなくまずは「映像」の写真にこだわってるのだが、これが「新選組血風録」のつくりにじぶんの中でリンクしてる。
最高の原作、最高の脚本、監督、プロデューサー、音楽、映像、演者、スタッフによる最高の表現。関わっている人全員がこの作品を愛してる。しかし、過去何度か観てるはずなのになんで今?の自分への問に結束信二さんへの理解がいまになって、すこし出来るようになったからなのかもしんない。


「新選組血風録」での「水」による心象風景を意識する。モノクロ。湖も川も。ひとつおばかなころがわかんないのは「脱走」で山南が総司に語った風景でそこで総司が動揺する場面なのだが、これは音羽の滝でのやくそくなのかそれとも原作で語られてた「風景」なのか、まだわかんない。作品が深すぎるので繰り返し観て、作品読み返して、なんか新月のアルバムをエンドレスで聴いてしまうのと同じ行為をしてしまう。


まだへんな感覚残ってる。もう電話で飛び上がらなくて良いんだよ、って自分に言ってやる。自分だけではない。コロナのせいでみんな面会できてない。会えた時はもうあの機械がね。コロナのばかやろう。医療関係の方々にほんとうに感謝です。まだなみだはでない。竹のお香焚く。


結束さんのシナリオ集を読んで、あらためて「行間」を読む。第一稿なので実際の作品と異なる部分はあるものの、ここに書かれていない情景、憧憬、心象風景が、河野監督、役者さんによって映像として描かれている。この「新選組血風録」、特に「風去りぬ」が芸術作品と言われてるのが。わかる。しかし半世紀前の作品が今も観たひとたちに活き活きと語られてるんだよ。自分もこうして日記にだけど語れる幸せ。


沖田総司について。史実、司馬さんの作品、結束さん、島田さん、もろもろ知れば知るほど、司馬さんがいうように「ふしぎな若者」で島田さんご自身が総司そのものと思えてくる。だんだんじぶんの沖田像ができてきた。やはりこの複雑な若者は魅力的だ。島田沖田について、リアルタイムで観てたひとたちはどんなに熱っぽく語ってたんだろねー。


つい外仕事。あぢー!汗だらだら。一本トマトダメになっていた。バジルもかろうじて二本だけ。くすん。シャワー浴びて気持ちいい。


じめじめむしむし。『テピラの里』の映像写真は一枚しかなかった。


「菊一文字」またまたみてしもた。はあ(はあと)。若々しい朴歯下駄の音。この殺陣はクランクイン三回目だというのがすごい。咳き込みながらの殺陣。いろいろな武術をやったという殺陣師の上野さんがまったくうそのない素晴らしい殺陣と言われていた。続けて「長州の間者」まるで真逆の沖田の多面性。


島田沖田。ふしぎだ。だって一見して当時でいう二枚目、今でいうイケメンでは全くない。でも印象に残るのは島田沖田の「美しさ」なんだよね。


「慶応四年新選組」再発時に読んだ人たちの感想読んだが「新選組血風録」そのままだそうだ。栗塚土方島田沖田の顔がそのまま浮かんでくるって。


結束さんがシナリオ後に書かれたらしい小説「慶応四年新選組」が密林にあと一冊だけと書いてありまよわずポチ。もう中古でしか入手できずあまり状態もよくなさそうだが、背に腹は代えられない。「新選組血風録」もスポンサーがつけば、多分一年くらいは書けたらしいが、なんせ主役の土方沖田が全く無名の、それも新劇出身の新人とあって視聴率は当初710%行かなかったんだから仕方ないよね。ただ反響はすさまじく、それでも当時東映はこのフィルムを捨ててしまうところだったそうで、それを熱心なファンの方達が上映会開催の為に毎年借りて、ビデオ販売にこぎつけたそうな。伝説ってすごいな。詳細よくわからないけど、結束さんが書き足りない思いを小説にしたらしい。慶応四年は鳥羽伏見の戦で敗退し京都を引き払い江戸に着きその後近藤斬首沖田病死・・・う、つらい内容かも。


いかに外出していなかったか。なんか服がいくらなんでも少ないなーと思ってたら、衣更えほとんどしてなかっただ。何枚か着まわしてただけだったのねー。なんかおかしいと思ってた。でやっと夏物を一気にだした。すかす気に入ってた服たち・・・もうサイズアウトしてここへはもう戻れないものをかなり大量に、なくなく手放すことに。新月関連のライブや飲み会に着ていったおようふく、さようなら、さようなら(/_;)汗だらだら。


「サワコの朝」は松也くん。笑いながら明るく良いはなしだった。苦労人なんだよね。ママのもりえさんのキャラ♪


夕べあづくて何度か目がさめてしまった。んでもあぢいがだいぶなれてきて元気になってきたど。


初めて作ったホテルニューオオタニれしぴのトリニクのコンフィ。IHのためかフライパンで皮をぱりっとさせる事がうまくできず( ´・・)だったけどパン粉とマスタードまぜてパプリカ三色とジャガイモと一緒にグリルしてうまっ(^〜^)


血風録の栗塚土方はやっぱし理想の上司だよぉ。だってさいご全部の責任とるんだよ。敵につっこむのも真っ先だし、一人で踏み込もうとした時だってあった。ついていきますぅ。 左右田斎藤はとにかくかっこい!!!舟橋近藤は愛すべき人、島田沖田はもう、沖田本人?


あまりのすさまじい暑さにほんとに出かけるの嫌だったけど行かねばならぬ妙心殿。一番あづい時間帯で、さ、さすがにぐらぐらしただ。いやはや。んでもちゃんと用事済ませたらごほうびに「新選組血風録」を観てもよいという事をじぶんにあたえただ。


今日はふたたび用が足りなかった役場のようじ、自治会のようじもろもろせねば。あぢー。んでも立秋なのね)'0'(でかけたくないけど書類作ってでかけねば。


朝からじめじめむしむし、今日はとんでもない暑さになるそうだ。こんな日ではなかっただろうか。


期間限定で公開されていたホテルニューオオタニのとりにくのコンフィを作りたかったのだが一晩マリネしないといけないので今日はやめた。プランターのフレッシュタイム等でマリネしてあしたのおたのしみ。


結束信二シナリオ集は「第一稿」なので実際の台詞とびみょうに違う。
最初シナリオ集から転載したのだが、島田沖田が「今度・・・」と実際に言った言葉でないと、ふたつの写真のタイトルと、じぶんの中できもちがリンクしないので書き直し。きょうという日にアップする意味がない。
あくまで新月日記のはなしで、掲示板とTwitterには転載しただけだ。


トマトはジャムにした。トリニクをブライニングしてあるのだが、どうしようかな?


きょうはアラン・ホールズワースさんのお誕生日なんだね。


ちゅうもんしていた一巻が届いた。一話二話。もんのすごくひさしぶりにみるなー。今月末の時専で最初からみるからいいやと思ってたので、順番でなくまず観たいのから買っていったのだが、もおがまんできなくて。初回二回目はちがう。つっこみどころも多いし、ところどころ時代劇調の言葉遣いがあったりするけど、いやもう栗塚土方にわしづかみされてしまう。また舟橋近藤のふところの深さと人柄のよさがもお。島田沖田はまさに原作どおりでなにが楽しいのかすぐへいきでくすくす笑う。しかし総司「わたしは犬に詳しいんです」ってなんなんだ。あと二巻六巻七巻。ちっとづつ揃えるのら。どおせ飲みにもランチにもお買い物にも行かれないし(/_;)


「強襲十津川屋敷」。時代は激しく動いてる。長州が熱狂的な勤王思想の十津川郷士を使って住谷寅之介暗殺を企ててる。この「鉄砲玉」に選ばれたのが京へきたばかりの千葉大輔で、相手もわからないまま住谷寅之介の暗殺を命じられる。「相手は学者だからすぐ斬れる。斬ったらすぐ十津川屋敷に逃げ込めばおっけ!」とかなんとかそんな意味の事言われてあくまで勤王倒幕正義の為にきまじめに毎晩住谷がくるらしい障子をみはる。住谷がくれば灯りがつくのでそうしたら襲え、という事だ。
一方、京都所司代から依頼され、住谷と背格好が似てるという事で替え玉の白羽の矢がたったのが、沖田総司。この夜誰を斬るのかも知らされないまま千葉大輔は相手に斬りかかり、わけのわからないまま一刀両断される。学者と思って斬りかかった相手が、画面では障子越しの影でしか描かれてはいないがしんだ瞬間相手が新選組隊士と知る事が出来たかどうか。
総司はうまくいって良かったという所司代に向かって言う。「もう替え玉は絶対おことわりします」総司は怒ってる。「十津川郷士は敵かもしれないが(自分が斬ったとはいえ)この人はほんとうにつまらない死にかたをしましたね」総司は本当に怒ってる。
以下全く総司の台詞はないが、わけもわからず自分に斬りかかって一刀両断された自分と同じくらいの年の若侍の遺体搬送につきそい死に顔を見ながら、やりきれない悲しみの表情を浮かべながら歩む。
テレビではじめ観た時は、あまり深く考えずさほど心を揺さぶられなかったのだが、あらためてこの総司の台詞と表情に、先日も書いた結束さんが特攻隊の生き残りであること、芦屋育ちの島田さんが子供の頃広島で終戦を迎えたくさんの方々が運ばれていく様子を見たという事を思い出しながら観て、なんともいえない感情が浮かんで来た。
「彼は一体なんのために?」せりふにはないけど、このひとことに尽きると思う。


あ、そか。ころもwin95買ってそこから初めてインターネットなるものやって、最初に探したのが新月公式サイトだ門ね。並行世界では「新選組血風録」で盛り上がっていたわけねo(^-^)o


20年以上前あたりからネットが盛んになって、その頃のデータベースとか、ようやくビデオが出始めて、そこで盛り上がってるので今こうしていろいろ資料読めるんだなー。しかしすごい熱気だ。「風去りぬ」何度も観たというひとたち、おお同志!ころひとりビョーキかと思ったけどいやいやみなさん、ころとおんなじだあ、てかもっとすごい。あとこんな見方があるんだなあとか史実からの考察とかほんとうに勉強になるなあ。


朝からきゅうりのぽりぽり漬けとか茄子の辛子漬けとか。当たり前だがにんにくソースが痛んでいたので捨てて再び仕込みちう。冷凍睡眠させておいたミニトマトたち(常温に戻すと皮むきがらくなのだ)使ってジャムをつくるか単なるシロップ漬けつくるかかんがえちう。


あぢー。朝シャワー浴びてなおあづい。コロナ引きこもりであきらかに抵抗力がおちてる。こりはいけません。ラベンダーの芽が出て今年こそ!と思っていたのだがまた枯れてしまった。ラベンダーを種から育てようというのは夢のか?実家でおなじ種播いたのは先日花が咲きかけていたのだが、。環境の違いなんだろね。ラベンダー、くすん。デパートいきたい。くすん。


まだ父のことあれこれ思い出すのは無意識にさけてるのかな。七七忌が終わるまでは、なのかな?


「英雄たちの選択」は鎌倉。切り口そのものはころにはあんまりおもしろくはなかったにゃ( ´・・)んでもふと小町通美味しかった楽しかったにゃ。三次会に行く気力がなかったのがが気力というより体力でじゃんえんじゃったがその後たのしそうで、じゃんねん。


自治会のこと、どうしたらしすてまちっくにできるかベストかかんがえねば。地縁がまったくない自分なのでアホみたいにまんまうけてんじゃねーど。


Aちゃんから「かーものかわらーにーちどりがさーわーぐ」とLINEが送られてきた。こりは「燃えよ剣」の三橋美智也先生の主題歌やね。ころがはまってるのはここからさらに五年さかのぼるのだった。つい「風去りぬ」の土方沖田の別れのシーンだけみてしまった。うるうる。結束さん脚本のことば「こんど生まれ変わったら、またみんなと逢えるかなぁ?」これを島田沖田は斜め横顔で庭に向かってにっこり笑ってつぶやいて、それから、部屋に入り丁寧に障子を閉める。この場面をリアルタイムで観たひとたちの万感の思いをを知りたい。リアルタイムで観た人が、羨ましい事のひとつだ。


ここまでくそ暑い日には、「新月」より「新●月:Shingetsu Live 25.26 july 1979. ABC Kaikan Hall Tokyo」がふさわしい。なじぇかわかんないけど。


帰宅して滝汗あだまぐらぐら。ものすごすぎる暑さ(@_@)暑さにつよいと言ってもこのコロナ禍で殆ど出かけてなかった身にはさすがにちとこたえた。おまけに用がひとつ足らなかったし。ころちゃんがころちゃんが、クーラーつけてしまった。って、里山からの風すらはいらなかったので。


早朝外仕事しておいてよかった。有線放送で外に出るなと言ってる。それはともかく用事で外出はしないといけん。止めてくれるな妙心殿(ころ何者?)。


「新選組血風録」。もおこうなったらとことんいくもんね。以前みつけた「沖田総司」スレッドをお気に入りにいれておいたのだが、島田沖田について熱く語られてて詳しいエピソードを持ってる人がいて、それについてもりあがって(はあと)あとでじっくりとよもうっと。史実と、司馬さんの沖田像と、奇跡のような島田さんのキャスティングがだんだん鮮明になってきた。


朝もはよからカメムシたいじ(;_ _) とプランターのお手入れ。汗だらだらでシャワー浴びてすっきし。植え替えもしたいがまたまたやりたいことちゃこちゃ。今日は役場や郵便局にいかねば。自治会仕事もかんがえねば。役員さんたちも新しいから試行錯誤なんだよね。まだ期限あるのでかんがえよお。


「槍は宝蔵院流」原作とは内容は多少し違うがおなじなのは左右田さんの斎藤一さんがさいこうにかっこいいのだ。「新選組斎藤一!」と名乗って浪士たちの中に飛び込いってもおしびれる(死語?)。剣を振るう場面はないけど天才剣士としての沖田の才能も如何なく語られる。
「鴨川銭取橋」で土方のナレーションで、「近藤は自分が実直だから他人も実直だと信じてしまう」という組織のヘッドとして長所だけど短所の部分が出て来て、今回もおべっか使いにころりとだまされてしまう。
近藤が養子にした御落胤らしい?青年の父である事を嵩にきて傍若無人なふるまいをする宝蔵院流槍つかい谷三十郎。すげーめんどうくさいやつで、谷の槍、斎藤の剣で模範試合を摺る事になるのだが、この決着の付け方をどうするかを審判の沖田は斎藤さんはどうしたいんだ?、剣の斎藤が沖田うまくやってくれーとあたまのなかで考えてることがおかしい。誰にもわからないタイミングで「ひきわけ」にした審判沖田の判定が冴える。
谷三十郎こいつがさらに卑劣なやつで濡れぎぬを着せられて全ての責任をとらされてもじっと耐える斎藤。でも土方はじめ沖田ら幹部はみな真実をわかってる。
近藤は、谷が自分の養子の親という事は気遣いしなくていいんだよと土方に告げるが、土方は近藤の名誉を守りつつ斎藤に谷を処断させる。最後斎藤と谷の対決で、わたしはもうひきわけにはしない!と普段の子犬キャラと違ってびしっと審判する沖田。すべてをかんぺきに収めた土方上司、ついていきますぅ(はあと)。この回は人情話がない回で誰も不幸にならない(谷は因果応報)回で有能な土方幹部たちですっきりで好きだ♪近藤がさいごに土方にお礼を言ったのがうんうん。
冒頭隊士全員ヒマすぎて源さんに言われて紙切ってて「あと一枚でいいから」「ん」、部屋にはいってきた土方に「これからあみださんやるんですが土方さんもどうですか」という総司可愛い。大阪に谷の部隊はいまいちなので、ほかに精鋭部隊を出すにあたって土方が精鋭部隊なら沖田の一番隊が一番に決まってると言うと「総司はダメだ!あれは別だ!」と間髪入れずダメ出しする近藤可愛い。谷のずるい言い訳をえんえんと聞かされて怒りバクハツ寸前の大石沖田、苦り切った土方の顔。そこへ斎藤が倒幕浪士を三番隊だけで一網打尽にしたという、見るからに獅子粉塵の働きをした姿で報告に来たとたんにこにこになって土方が最上級の褒め言葉を送ったのにまたにこにこ。
ざんこくひとごろしが趣味の大石鍬次郎が何度か登場するけど結束作品だと熱血まっすぐの好漢に描かれてる。演じているのは林彰太郎さん。山崎丞役の赤影坂口祐三郎さんと同じく東映の役者さんで共に二枚目スター。


えと、応仁の乱と幕末。これを避けていたのは、単にわかんないから。千年の都は複雑すぎ、また幕末は勤王尊王攘夷倒幕佐幕わけわかんなーい、ころぱあだから、で逃げてたわけで。
今ドラマ結束版ドラマ「新選組血風録」に再会できてよかった。何度か観てるはずなのに今ようやくこの宝石の輝きが理解できつつあるのが、よかった。逃げてた幕末を知りたくなってきたしね。


あした役場に書類いろいろ。まだ涙でないや、父ごめん。


先日議題になってた自治会しごと。ちとかんがえよお。


「完●全●再●現 新●月Complete Edition / 1979 Shingetsu Live」。タイムスリップo(^-^)o


脚本の結束さんは特攻隊の生き残りだ。島田さんは子供の時に広島で終戦を迎えている。
ご本人は被爆はしてないけど、たくさんの方々が運ばれていく様子を見ている。
総司が登場する回ではかならず最後に「総司の今日の一言」がある。結束さんが言いたい事を総司の台詞として言わせてるんだよね。
原作にはない結束さんオリジナル脚本の「強襲十津川屋敷」をあらためてじっくりと観た。
今日の総司の一言は「十津川郷士は敵かもしれないが(自分が斬ったとはいえ)この人はほんとうにつまらない死にかたをしましたね」
そしてその後、所司代の依頼とはいえ、自分が一刀両断しなければならなかった同じくらいの年の十津川郷士の遺体搬送につきそい、その死に顔を見つめながら歩く総司の無言の怒りと悲しみの表情に、あの戦争に対しての結束さんの思い、島田さんの思いをひしひしと感じた。総司はほんとうにほんとうに怒っていた、ほんとうに悲しんでいた。
「この人はほんとうにつまらない死にかたをしましたね」は、そのこと、と重ね合わせて考えたらとても乱暴な言葉に聞こえる。でもそうではなくて、ここに結束さんが経験した余人にはわからない怒りをこめたのではないだろうか。
総司のことば、総司の無言の怒りの表情。もうじき、あの日、が近づいてくる。


きょうはかめむしいなかった。朝のうちにと土いじり。無心になるのは良い。んでも、汗だらだら垂れて来て、ちょっとまずいかなとやめた。今日はやばいかんじの暑さだね。昨年脱水症状で救急車乗ってしまって点滴だったけど、この時期あんな迷惑はとうていかけられない(@_@)


夕べの月は美しかった。


『鬼』。満月。41年前のきょうだったのかな?すさまじい。えへへ。にやにやがとまんない。


新月日記には書けないけど当時のビクターからボーカリスト変更の打診があったという事を思いだした。つまり北山真か○○?。島田順司か○○〇?比較論はいかんな。


『白唇』。思い出したけど、ふつうアルバムに『鬼』という大曲の代表曲があったら『白唇』のような大曲はセカンドアルバムに「とっておく」のに惜しげもなくふたつの大曲をファーストに収録した時点で新月すごい、という評があったっけ。


さて、「新月」のころんたさん、だったよね。ころ。


原作もおよみかえすたびこのキャストの顔と声で再現されてしまう。


1965年。テレビ映画が電気紙芝居、と一段下に貶められてた時代、ドラマ制作に移行した映画人たちが心血を注いで「良い物を作ろう」。
スタッフキャストが原作に脚本に音楽にすべてに惚れこんで低予算で京都で作りあげた1965年の「新選組血風録」。
主役の土方・沖田を演じるのは全く無名の、それも東京の新劇の殺陣もやった事のない新人役者栗塚旭・島田順司。沖田役に至ってはまだ劇団の研究生。
制作側の東映は沖田役には二枚目スター三田明氏を強力に推薦してきたが、プロデューサー上月氏は島田順司に固執した。なぜなら司馬遼太郎氏が描いた沖田総司のイメージそのままで、たまたま東京芸術座の忘年会で受付をやっていた島田順司を一目見た瞬間「あ、これ沖田総司。沖田総司がここにいた」と全くのインスピレーションで決定した。これがあったからこそ不朽の名作として今に至る。
無名の新人たちが主役のこのドラマははじまった当初視聴率は10%程度だったそうだ。が、観た人たちの反響はすさまじくネットもない当時の事なので手紙の山が溢れかえりスタッフキャストはその返事に追われたそうだ。
55年経って、この「芸術作品」は色あせるどころか新選組ドラマ以前に時代劇ドラマの「最高峰」と称されてる。でも現在地上波では再放送されない。ただ二十年近く前からCSで放映されるようになり、他の新選組ドラマから入った「若い人」がこの「新選組血風録」に行きつき、衝撃と感動をネットで伝えてる。
「地上波でこの作品をたくさんの人、若い人たちに観て貰えれば」という意見を散見する。切にそう思う。
ほかの新選組の小説は読んでいないので司馬作品に限るけどこの司馬さんの沖田総司という人物についていえば、どんなカテゴリにも属さない複雑な人物像で大変な難役と思う。
それがまさに小説から抜け出してきたような、というよりころ司馬さんがまるであてがきをしたのではないだろうかと思う島田順司さんの沖田総司。
先に司馬さんの「新選組血風録」を読み、リアルタイムでこのドラマを観た羨ましいひとたち。でもその感動は今も熱気と共に続いてる。


夕べの月はみごとだった。今夜雲が多いのでどうかな?と思っていたらあたたかなまるいオレンジ。


いろんな人が書いてるけど、この五年後に制作されたほぼ同じキャストとスタッフの「燃えよ剣」も素晴らしいそうでこちらも観てみたいなあ。こちらはカラーで語り部がいて、時系列で進んでいるそうな。島田さんは32歳で沖田を演じる事に抵抗があり一度オファーを断ったそうだが、お前が沖田をやらなければこのドラマは作れないと説得されて引き受けたそうな。


「新選組血風録」のロケ地をまわって、ドラマのその場面と解説してる方のブログを発見。要所要所のロケ地の写真がアップされてる。京の町が嬉しい。各話ごとに、原作とドラマと両方端的に紹介してた。あの場面はここ、と細かい解説がされててすごい。「風去りぬ」での死まじかの沖田島田さんの「透明感」と演技力にも触れていた。


カメムシとバッタとのたたかい。ダイソーでふたつで100円のエダマメの種から今二枝ようやく花の後にエダマメのさやのようなものが成長してる。果たしてマメ、すこしでも収穫できるかにゃ。


むしむしじめじめ。おのれカメムシ。でもどんどんしっけがうすれてきてからりとしてきて暑くてきもちいい!風も爽やか♪


事務的な事はおととに任せてあるがそれでもなにもしないというわけにいかずはっきょう(@_@)ばたばた。


おすもう千穐楽!そかてるのふじ(^^)でもなんとなくもりあがりにかける千穐楽じゃった( ..)


元旦さまからの言葉は今年は真実。胸に刻まねば。


カメムシとバッタが発生してるのだ(@_@)明日はテッテ的に外仕事やろう。暑いとガンガンカラダうごくね。


司馬さんの原作では「総司は死に近づくにつれ笑顔が透き通るようになっていった」とあり、「風去りぬ」での島田さん演じる総司の笑顔がまさに透き通るようだった。演技って、表現って・・・。司馬さん、島田さん演じる”自分の”総司を観てどんな思いを抱いたのだろう。いろんなスレで島田さんの沖田は神、と言われてるのを「風去りぬ」を何度も観てひしひしと実感する。


一時間越えの会議でもろもろなんだかなあだけど、やはりコロナ、でみなさんぴりぴりしてる( ´・・)


北さまは「緋牡丹博徒の藤純子は日本のオードリー・ヘプバーン」と言ってたが、これはまた別の話しか。なんか、お竜さんが立膝してちらっとふくらはぎが見えた瞬間みんなおもわず手を目を覆ったんだよと教えて貰った。神聖な女神さまのふくらはぎなどおそれおおくて見られなかったらしい。ほんまかいな。久米の仙人かい。ころあと五年はやく生まれてたらなー。いや両親が出会ってもないから無理か。


ふと、仕事してた時の上司のぢぢいと、もしもあの時「新選組血風録」にはまっていたらもりあがったろうなあ。ひとまわり上だったからぜったいにあのぢぢいの嗜好からしてリアルタイムで観ていたはず。もっとも「俺は土方だな」とか勘違い発言しそうだが。あの「脱走」の回で会議での土方のかっこいい発言「俺の意見など、ない」「答えはもう、決まっている」のネタで遊べたにゃ(^m^)いやじゃんねん。
そういえばぢぢいが大学生の頃は映画館で「健さん」見たそうだが健さんが敵に襲われそうになると「健さん!うしろ!」と客席から声がでて「志村後ろ後ろ」みたいのが映画館でリアルにあったというのが面白かった。


NET「新選組血風録」のスレッドはそれこそ新月再結成くらいの年から10年くらい前のもので勉強してるんだけど、この熱量もすごい。つい最近のまでもあるけどさすがすこしトーンダウンしてるかな。でも続いてるのがすごい。
絶版になってて入手できない本や資料を公開してくれてる人達とか、自分で気づかない場面がああそうだったっけとかね。
若い人が三谷大河新選組!からはまってこの「新選組血風録」にたどり着いたとかね。で、くやしいのは三谷大河新選組!に、三谷さんからのお願いで最終回に栗塚さん島田さんがゲスト出演してたとの事。たぶんみてない。これだけみたいので、再放送してくれないかなあ。


仕事バリバリ多趣味っだった父も晩年は認知症で病気でちいさくなってしまった。親っていろんな事を教えてくれたんだな。自分はそれが出来ないので、自分ができるまでやる事はただひとつ。やはり新月サイトを続ける事だにゃ。今はやすんでるけどね。


良い天気良い夏日。んでも朝もはよからカメムシ退治(;_ _) くそお大事なトマトたちにっ。組長会議はソーシャルディスタンスとりながらだから早めに行こう。


第四巻のうち「強襲十津川屋敷」「狂った盃」をほとんど覚えてなかったので観る。そーしくんどっちもパシリ。「狂った盃」では酒乱の隊士を気が進まないのに斬らねばならず「ついてこなければよかった」とかぼやくんだけど「総司」と土方に言われて一刀両断。血のにおいがしない。酒のにおいがする、とつぶやく。最後の女性と子供の場面がせつないなー。毎回誰かが必ず不幸になる結束作品。


わるぐちいいつつ白鵬がでないおすもういまいちもりあがらない。勝手なもんですまん。なんだかんだであの位置にいるのは大変だろね、ヒール。てるつよし!あさのやまがなー。


カメムシが大発生してるんですが(;_ _)


集金は時間も告げてあったのと昨日何人か届けてもらったのでものすごく早く終わった(^-^)なにせコロナリスクやだから皆さんあらかじめ袋に入れて渡してくれてささささっ。ありがたや。んでもやっと晴れたのでバタバタ開けたり洗ったり干したり、ものすごい暑さ。ばたばた。明日午前中は組長会議。盃を。ちがーう。


梅雨あけ?すかすコロナ、夏になったら収束すると言ってなかったっけ?で、台風が。なんか閉塞感はかわらないね。年内東京行かれるのかな(゜゜)遠い目。三谷歌舞伎のムビチケが。


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