ころんた日記


2013年2月の日記


ひきつれて完全に足はつけないが、疼痛という感じで、もう杖をつかなくてもだいじょうぶ(*^^)vあとは快方にむかうのみ(=^・^=)駅前をぐるぐる、日用品を買い物して帰ってくる。和菓子屋さんでいちご大福とみたらし団子を買ってしまった。チュンチュンたちが電線に止まっていたので、ジャイアンたちがいない隙に、朝だけ、の禁をやぶってベランダの手すりにお米を少しあげてしまった。あっという間で全員には行き渡らなかったみたい。ベランダの鉢受けの皿に雨水がたまっていて、先日糸みたいなかげろうみたいなはかない姿の蜘蛛がなぜか台所の壁にへばりついていたので逃がしてあげたのだが、それがその中で溺れて死んでいた。あーあ。


お天気で暖かいや。まだまだ痛いのだが昨日よりずっと良い。よし、思いきって杖なしで外出してみよう(・_・)


じぇんじぇん関係ないがPM2.5のニュースのBGMにジャン・ミシェル・ジャールの「Oxygene」が使われていたのがGJだと思った。


やっぱり、たんは自分の命と引き替えに、おかあさんの神経を救ってくれたんだと思う。たんの看病に気持ちが向くことで、母の事父の事空き家の事ばかり考えてるヒマなく、精神のバランスが取れていたんだからね。
あらためて新月サイトとたんが残した数字や満月で締めくくられた事を考える。やっぱりたんは不思議な存在だ。13歳という今の猫の寿命からいえばかなり若い年齢なのに、老衰、つまりたんが最初から決まっていた寿命だったとペットセレモニーのスタッフさんに聞いてびっくりした。おかあさんの第二期新月の始まりと終わりとたんの寿命は全く同じだったんだから。四十九日が満月になるように船に乗ったとしか考えられないや。


それに、母が亡くなった直後にもらった暖かいことば、反対に、月日が経ってから、どう言葉をかけて良いかわからずメールをなかなか打てませんでした、という暖かいことば、励まし会や慰め会をやってもらったり、たんが亡くなった後にもらった暖かいことば、いろんな人たちにどれほど支えられて、自分の今があるのだという事を、本当に感謝。この身動きとれない何もしてない一か月は、体も心も何もかもを、無理やり休まされたのだと思って、まだ少し残る痛みにも、感謝することにしよう。


ついに今日で二月が終わってしまう。結局全治一か月(ρ_;)怪我なんて生まれて初めてだからかなりショックだ。
母、たん、そして低温やけどとみっつの出来事が9月のたんの甲状腺機能亢進症からはじまっておしよせてきた。母の事も、たんの事も、もう一生のうちに二度とない事だが、今まで大した病気も怪我も体験していないが今後こんな事も起こるのだと、肝に銘じておかねば。
でも辛い事がいっぺんに来たけど、何もかもが辛い事、と自暴自棄になることはなかったよね。ほんの、ほんの一瞬だけど、いっそ母やはるたんのところに行きたい、って思った事があったけど、ちゃんと生きた人でないと、向こうに行っても誰にも会えないそうだからね。


今朝もジャイアンジャイ子大暴れ。もぉお、すずめにあげるために餌あげてるのにー、憎たらしいー。すずめをいじめて大きく追っ払って餌独り占めしてまうのがはらがたつ。


なんせ一か月もじっとしてるが食べる量は全く変わらないのでものすごく太ってしまった(・・;)いかん。新月プロジェクトライブまでもう一か月切ってしまったのに。野菜やさい。昨日漬けた白菜があと数日で食べごろやね。昆布に鷹の爪に柚子入れた。ふふ、こりでまっしろい炊き立てごはんをはふはふと何杯も・・・だ、だめええーーー)'0'(


おひなさまの並びかたにならって、はるの左側にたんを寝かせた。ふふ。生前あれだけ仲が悪かったのに、はるが亡くなった晩、ベッドの中にこちらに後ろ向きに、壁に向かってきちんと座ってじっとうなだれていたたんの姿が忘れられない。こんな姿は、ほんとに後にも先にも一回だけだったので、はるとお別れしていたんだと確信がある。だからもう、向こうでは仲良くしてるんだと思う。ぢつはピンコロをはるたんの墓石にしてるのだった。新しい白のピンコロとだいぶ風雨にさらされたピンクぽいピンコロが二つ並んで可愛い。


あともうすこしのところで傷口が塞がらない。遮光器の目のところがまだ空いたままだ(T-T) 外出時はまだ杖がないと駄目だ。ううはがゆい。


今朝もジャイアンジャイ子が大暴れですずめたちを一掃してお米食べちゃうので遠巻きにして固まってるチュンたちがベランダに来てももうなんにも残ってない。パンくずならいっぱいあったけど、米だと行き渡らないんだよね。ううーん。


たんちゃんを無事に埋葬したあと、テレビでやっていた。映画「お日柄もよくご愁さま」を観る。笑った良かった。お葬式と結婚式と出産とその他いろんな事が数日のうちにいっぺんに起こるんだけど、これがほんとに誰かの家を覗いてるみたいで、お葬式のシーンでは、もう笑ってしまった。葬式出しているので、余計にわかったりして。主人公の夫婦が父親が朝急逝したのにそれを泣き叫ぶ娘に任せてそのまま結婚式の仲人に行かねばならないという修羅場。これ、映画だけの話と思うだろうけど、ちづは、ころの叔父、母の一番下の弟が52歳で急逝した時、叔父のすぐ上の姉である母の妹夫婦は告別式の日に仲人に行かねばならず、早く喪服を留袖に着替えなくちゃと、ぎりぎり出棺見送る事までは出来たけど、火葬場についていく事ができず、文字通り泣く泣く結婚式場に向かっただ。まる一日母の事、たんの事が交互にあたまの中を駆け巡ってめそめそしていたのだが、たんの埋葬終わって、この映画を観る事が出来て本当に良かった。晴れ晴れとしたきもち。はるたんは仲良く並んで眠ってる。


19時10分くらいに月が出てきた。満月の月明かりの中、たんを埋葬する。いいこだ。たんはほんとにまっしろで綺麗だったけど、お鼻のところだけ茶色なってるのをあらためて、見た。鼻ぷん薬をふりかけて、ねんねだね、ありがとう、と言って、ふかふかのあったかい土をかけてあげた。おやすみ、たんちゃん。はるちゃんと仲良くね。


夕方になって雲がいっぱい出てきた。本当に日が伸びたんだな昼間のうちにはるちゃんの隣に球根がいくつかあったので、それを植え替えて、穴を掘っておいた。月が出たら、たんは土のおふとんでねんね。鼻ぷん薬も撒いてあげよう。でも、向こうに行った子は若くて元気な時の姿だっていうからお薬いらないかなと思ったけど、たんのは子供の時からの慢性だったからね。いちおうね。


めそめそ泣きっぱなし。四十九日までは泣いていいんだもんね。但しこれ以降泣いちゃうと「雨降り地区」からたんが出られなくなってしまうので今日までね。


そんな事を考えつつも、4月の国立能楽堂30周年「世阿弥」のチケットをなんとか取りたいとめらめら。


今夜いよいよたんちゃんを埋葬しなくちゃ。朝からやっぱり涙ぽろぽろで落ち着かない。はるちゃん、お隣にたんをねんねさせてあげてねと、写真の前にシーバのスープと竹の香りのお線香お供えしてお願いした。今日は満月。区切りつけなくちゃ。


今朝もジャイアンジャイ子大暴れ)'0'(大旋回して相当遠くまですずめを追っ払って米独り占め。うーん。ジャイアンたちの性格ではなく、ヒヨドリの習性らしい。やっとジャイアンたちが行ってしまった後やっとすずめたちが来てももうお米ないし。うーん。ならすずめたちもここへ来ないでべつのところで餌探した方が良いよね(・・;)


表面の傷口のかたちは遮光器の目そっくりだな。と言ってもわかんないよね、知りたい人は遮光器土偶で検索してね。知らなくてもいいか。


キャベツの硬い上側の葉っぱをただ捨てるのはもったいないので洗ってぐつぐつ煮て葉っぱ取り出して野菜出汁をとってから、茸やら玉ねぎやらにんじんやらじゃがいもやらトマトやら戻したポルチーニ茸やら戻したレンズ豆やらブイヨンスープで煮込んで残りごはん入れて洋風雑炊、食べるときパルメザンチーズふりかけて熱々でうまっ。しまった白ワイン買っておけば良かったな。


くもりっぽいが明日は晴れてほしい。はるちゃんに今日もお願い、たんくんをお隣に寝かせてね。んでも、はるちゃんが亡くなった時、たん、後にも先にもしたことのない位置とポーズでじっとうなだれていたから、お別れちゃんとして会話してたもんね。明日はおかあさん、一日一歩もでないからね。ずっと一緒におうちにいるからね。


まだ、痛い、痛いがもうすこしだ。杖ついて歩くのはほんとに不便だ。なんかお財布ひとつだすのももたつくしね。母の教えだ、いまこれは一過性だけど、ずっとこうならないように注意しろという事なんだろね。やっぱり、無理やり休まされたのかな。父の施設はちょうどインフルエンザが蔓延して、父のフロアは感染してないとの事だったが、外部からの面会禁止になっていたしね。信じられないくらい眠り続け、幸い、やけど以外に病気もしてない。やっぱり守られてるんだな。明日は満月。たんちゃんを土に還す。どうやら、たんちゃんが、それまでは、ずっと居てよ、いつもお外にばっかり出かけてさ、って言ってたのかもね。


今日も野暮用でバスに乗って駅前に行っただけであとは何もしなかった。じっとしてた。
ふと、叔母から聞いた庭の花について、退院してたら、今頃かたっぽだけ杖ついて、いや三か月経ってるから、もう杖つかずに母はじぶんで裏庭に降りて行って花を眺めたり、いまたくさん出てきているという、ふきのとうを自分で採って天ぷらにしたり蕗味噌にしているはず、と思い直してはっとした。今の自分の状態が、もし、母が無事退院していたら、の状態だ。いろんな思いが交錯するけど、そうか、かなり強制的だが、今母の疑似体験を神様にさせらてるのかもしれない。
ちょっとひきこもりが1か月と長すぎてさすがにあせって、軽くウツってしまって、なぜこんなに次々と・・・とも思っていたのも間違いないけど、体験に意味の無い事なんか無いと思うし(@_@)
自分の中では大山百一日参りとお地蔵さん詣りで、母の事も、たんの事も、もうこれで完全に立ち直ったもんね、よーしこれからガンガンいくぞ!の矢先のまさかの足裏低温やけどで杖にすがって歩くとは思ってもみなかった。
だから、動けないことが歯がゆいし情けないのだが、あのまま闇雲に母の遺品の整理を大急ぎでやっていたら、虚しさの方が先に来ていたかな。アクセサリーだって、全部手元からいっぺんに手放し過ぎたみたいで、叔母たちがとにかく、と再び戻してくれたので、もうちょっと、もうちょっとでまた自由に歩けるようになるんだから、ゆっくりと母の思い出に浸りながら、これは叔母に、これはお世話になった友人の方たちに、これは自分に、とあらためて選り分けていけばいい。
急に亡くなったからって、急に整理しなければならないという事はないもんね。 ただ、本当に膨大な衣類やバッグやポーチ類だけは叔母たちに早々に分けてもらって良かったとこれだけは実感。みんな今喜んで着てくれてるし、ころもダウンジャケットとか自分では買えない品だったので、この寒い冬ほんとに助かってるしね。なにより、やっぱり守られてる気がする。


気持ち複雑でこのまま置いておきたい気持ちと、ちゃんと土に還してあげなければ、と気持ちは耕作する。でも、夕べ帰ってきて、はるのお墓に、「たんくんをお隣に入れてあげてね」ってちゃんと頼んだし、気持ちはちゃんとしなくちゃ。たんちゃん、はるちゃんのお隣で、やわらかくてふんわりあったかい土のなかでねんねしよう。明日は、満月。たんちゃんを土に還すとき、晴れてまんまるの月が出ていますように(-人-) 唯一、鼻の骨にだけ沁みがついてた。お鼻のお薬のなかみは一緒に埋めようと思う。


でもでも甲状腺機能亢進症、心筋症とどちらもいつから発症していたのかはわからない(;_ _)わからないけど、治療を始めて3か月、ほんとにほんとに頑張ったたんちゃん。
そうそう、亡くなってからずいぶん経って気づいたんだけど、ふつうのねこだったら、左心房ストップ、右心房もかろうじて開いて閉じて、くらいの状態になる前に亡くなってるのに、それを二か月も持ちこたえていたたんなので、こちらはそんな事知らないから、退院して自宅療養に切り替わってから、何度も点鼻薬のお願いとかシリンジのお願いとかで電話してたんだけど、名前言うたび電話で応対してくれた受付の女の子たちが、びくっとした雰囲気だったんだよね。
なんでかなーと思いつつ用件言うとほっとした雰囲気が伝わってきて???と鈍いおかあさんだったんだけど、うちから電話があるたび、訃報だと思っていたんだろうね。何度も経験してる仕事とはいえ訃報の電話を自分が取る事はやだろうね。
外来診療時間を避けて訃報の電話をした時、電話を取ってしまった女の子が主治医の先生につないでくれた時の慌てぶりになんだか申し訳なかったにゃ。この日から、早くも明日で四十九日。


あの時は、原因不明で重篤なたんに、先生も、たんがダメと思っていたみたいだった。夜間は無人になってしまうので、万が一が夜中だと死に目に会えないことだけは・・・と辛そうな表情で言ってたっけ。でもおかあさんは確信があった。「絶対に良くなって帰ってくるよね」とたんに言って安心して預けたし、入院中低体温が続いてたけど、ごはんもほとんど食べなかったけど、でも絶対に退院してうちに帰ってくるって確信があり、9日間の入院で本当に家に帰って来られた。ただ、いっこだけ違っていたのは病気は治らなかったって事だった。


昨日は帰りに乗ったバスは高台を迂回する路線のバスで、バスがぐんぐん 登るにつれて、夜の闇の中眼下に街の灯がたくさんうるんでる。ひときわ大きな建物の窓にたくさん光がともっててそこから1.5キロほど先に、バスからは見えないけど、はるたんが通っていた動物病院がある。10月の終わりから11月のはじめまで毎日朝夕入院していたたんの面会に行っていた事を思い出してうるうる。


足に加え、おしりを打ったのでさらに変な歩き方で東京まで行ったので、足首に力が加わり今朝あまり調子よくない。打ったおしりもずきずき。まだユダンできないや。不注意注意(;_ _)


母の着物を着る事は出来なかった。次の能は三月なので、今回着ようと思った着物はやめてもう少し明るい春らしい着物にしよう。母の遺品の菫色の鮫小紋もかなりよいな。正直言って、燃やしてしまった帯が、母が何品かとっておいた着物に一番合う帯だったので、着物だけ受け継いだ着物を眺めながら、う、あの帯があれば、と思う事がたびたびだが、 母の最期の意衣裳、紫の白無地にあの帯は最高のコーディネイトだったからね。
夜、時々空き家を訪ねて行ってくれている叔母からメールあり、母が入院前に買って、退院してから植えるつもりだったクロッカスの球根を昨年植えたのだが、芽が出て、裏庭に水仙は咲いて、紅梅白梅沈丁花がつぼみをつけているが花の美しさが悲しいと書かれていて、本当なら今頃自分の足で庭に出てそれを眺めているはずだったのに、と思うと涙が止まらなかった。


友人から来月の歌舞伎のチケットを受け取り、5日か11日のどっちかと言われていたのだが、ううう11日はやだなと思っていたのだがやはり11日だったか。3.11に都内に行きたくないなあと思いつつ、2年ぶりの歌舞伎なので楽しみ。それもおめでたい菊ちゃんだしね。


こんなに寒くなるなんて天気予報では言ってなかったよぉ。すごい風で能楽堂前で母の形見のエルの帽子がかなり遠くまで吹き飛ばされてしまったのだが)'0'(守衛さんが走って追いかけてとってくれた、えーん、ありがとうございます。能楽堂から数軒先のイタリアンausuでランチ。生ハムとパルジャミーノのサラダ、ころはポルチーニ茸のクリームパスタ、友人は、以前ころが食べて美味しかったゴルゴンゾーラチーズのリゾットにした。デザートはフランボワースのムースに桃のアイス、紅茶。満席だったのでお店大忙し。食べ終わって開演まであと10分で慌てて能楽堂へ。


今朝もジャイアン大暴れ。おしりが痛い。あしはもちろんまだ痛いがかなりよいぞうんうん。んでも、やっぱり一番力入るところが傷口なので、踏ん張る事が出来ないので帯締められないなあ(;_; )( ;_;)ずるずるになったり、着物着てバランス崩したりする可能性があるし。おしり痛いし。まだ来月初めも能あるしなんと3.11に歌舞伎に行くし・・・やはり完治してからかな(T-T) 一式出してあるんだけど、今日はこらえよう(;_ _)


もしかしたらちょっとナーバスなのは、足が痛くてひきこもっていてばかりいて、あまり日の光を浴びてなかったので、いま言われてる「冬型うつ」ってのになってしまったのかな。これはいけません。とにかく今日は千駄ヶ谷までいくし、リハビリしないと前にすすまないぞ。


くすん。こんどはお風呂場で滑っておしりの山をしたたかに打っていだい(T-T) うう。


やけどはほんとに先生の薬が無くなると同時くらいに傷口ふさがりそうだ。まだ痛みがあるので、杖は外出時には手放せないけど家の中ではもう軽く足つけるもんね。明日は着物でお出かけしてみる。たんちゃん四十九日が満月の日。うちの子たちはおかあさんに似てイベント好きだね。満月の夜にたんちゃんを埋葬する。この日を区切りに復活したい。いや、するだろう。


着物出した以外に、なんにもしなかった。文字通りなんにもしなかった。ライブまであと一か月になったというのに、新月ヒストリーどころか、なんにもしなかった。歩き回れなくても映画見たり本読んだり音楽聴けば良いのに、なんにもしないでぼーっと毒にも薬にもならないインターネットやってた。9月末のたんの甲状腺の病気から始まって母の入院手術葬儀実家片づけ父の施設訪問たんの入院退院介護今年に入ってたんが星になるまで、あんなに動けていたのに。体動けなくてもいろいろ出来る事はあるはずなのに、たんちゃんあんなに頑張り屋さんだったのに。駄目かあさんだ(>_<)


明日は観世喜正さんの「住吉詣」。昨年秋の喪服以来、着物を着るぞ。源氏物語を題材にした曲なので、二枚持っている源氏香の小紋のどちらかにしたいところだが、この足では重たい柔らか物の着物は無理だし、明日は今年初めての能楽鑑賞なので、母の着物で行きたい。というわけで、灰色地に雪輪模様の格が高い紬にした。光沢があり、器で言えば柚がかかっているような風合い。帯も格を上げてこれも母の正倉院模様の名護屋を選び、帯揚げ帯締めをいろいろ合わせてほっとした。小物やらバッグを出して着物ってこんなに大変だっけ?というレベルに逆戻り。


今朝からはパンの耳の全部食べていいんだ(やっぱりわざと残しておいたんかい)。良かれと思ってやってる事が、実はすずめに害になっていたなんて(>_<)生米だけにして、お供えのかぴかぴごはんはプランターにいけて堆肥にしよう。夕べ薬を塗った時は痛かったが、昨日一日じっとしていたおかげで、今朝はだだいぶ良いぞ。日柄もの。明日は久しぶりの千駄ヶ谷だがや。母の着物と帯を選ばねば。ただ、足への負担を考えると軽い紬に名護屋だなー。


お雛様の箱は軽いので踏み台使っておろすことができた。 同い年のお人形。なんかすごいね。ころのために買ってもらったおひなさま。仕舞う時はお顔が傷まないように布でくるんで仕舞うんだけど、出すときおそるおそる布外したら、綺麗なまんまだったので嬉しくなってしまった。母が正面から観られる位置なのでまんぞくだろう。


なんとっ。すずめの餌について調べてみたら、パンはあげてはいけないんだって)'0'(良く考えてみたらそうだよね、人工のものだもんね。それと炊いたごはんもダメなんだって。そりゃそうだ、加熱してるんだもんね。それにすずめはたべたえさを体の中に貯めて置くそのうというところがあるんだけど、パンや炊いたお米のでんぷんがここで発酵してしまい腐って病気になってしまう事があるんだって)'0'(たたたたいへんだ。これからは生米だけにしよう。稗とか粟なら良いけど、これを買ってまで、うーん。あと、もちろん野生の鳥なので人間の餌場にだけを頼ると肝心の春から餌を自力で取れなくなってしまうので、越冬の手助けだけして、あげるのはあくまで三月までとの事。野生のものだもんね。うん。


全治一か月かのー(@_@)しかし、会社もノロやらインフルエンザやら骨折やらで、スタッフが一週間二週間当たり前みたいな感じで入れ違いでばたばたと休んでいるらしいが、最長記録を更新しているわし(;_; )( ;_;)うれしくなーい。昨日歩き回ったので今日はじっとしてても少し痛い。歯がゆいよぉ(不幸な事故)体が重いよぉ(これは自己責任)。


きょうはねこの日にゃんにゃんにゃん。たんちゃんの物は形見になるものを残して消耗品は処分したつもりだったのに、使いかけのペット用綿棒とかまたたびを発見して、なんかせつないなあ。たんちゃん13歳と8か月。もっともっともっと長く一緒に居たかったな(/_;)たんちゃんの写真撮る事がなくなってしまったから、日記が地味になったね。


はがゆいのぉ。1月30日からだからね(;_ _)でもあくまで経過がいいんだから。ひどいと移植施術したりしなければならないのだから、確実に快方に向かってるのだから、うん。あと一か月で新月プロジェクトコンサートなんだから、家でじっとして体重増えてしまったので、いかん、まずはダイエットしなければ。


ジャイアンとジャイ子はまだ薄暗い朝6時前からベランダの前の電線に出勤して待っている。待っているがじぇんじぇん可愛くない。すかす、あれ?ヒヨドリは二羽と思っていたのだが、他に一羽単独で来てるような。ジャイ子と同じくらいの大きさなんだけど、ジャイアンとジャイ子がすずめを旋回して追い払って独り占めして満腹になってどこかへ行ってしまった後一羽でくる。最初、ジャイアンとジャイ子が別々に行動してるのかと思ったが、性格が穏やかで、すずめと一緒に食べてるので違うヒヨドリかな。全部で三羽いるって事なのかな。こんなちっぽけな空間に社会があったりして。
まだベランダで日が当たらないところは雪が塊で残っている。その中にいくつか米粒が閉じ込めれてるんだよね。手すりに撒いた直後に屋根からおっこってきた雪の塊が、米粒をベランダの内側に弾き飛ばして、その上に雪がかぶさったのがそのまま氷漬けになって残っている。それを一生懸命くちばしでつついてがしがし取り出そうとしてるのがけなげ。でも見てみるとすずめの力では砕けない氷になってるんだね。シャベルで砕いてあげておいたので、あとで食べるかな。すかす、杖ついて、パンくずと米粒で鳥餌付けして、眺めてるころちゃんの姿はすでに隠居。おじいちゃん(T-T) ?


調子は良いが、お風呂はいって綺麗に洗って傷口見るとやはりまだだな・・・。薬塗ると痛い。歩いた分筋肉に力入って傷ついてるのかも。歯がゆいのぉ。


歯がゆいのぉ。杖ついてベランダに米粒とぱんくず撒いて鳥眺めてるってすでに余生ぢーさんではないか。ヒヨはヒヨやってるだけなのにヒヨにはらたててるぢーさん。そういえば最近ヒヨのフンに果実の種が入ってないので、もしかしたらパンと米ばかり食べて本来の果実を食べる努力しないで、米と異なるものばかり食べてるので文字通り糞がそうなってしまったとか。ジャイアンだけがものすごく太ってて、ジャイ子はすっきりしてるので、ジャイアンよくない方向に行ってるのではないだろうか。うーん。


バスに乗ったついでに電車に乗ってみようと電車乗って出かけてみた。もう杖にすがりつかなくてもちょっとした補助程度でだいじょうになってきたぞ。確実に快方に向かってる、うん。さすがに駅の階段の上り下りは怖いのでエレベーターを使うけど、ほんとに薬が無くなる頃にはもう大丈夫ではないか。かなり先が見えてきた。前髪だけカットしてもらったりカルディでちょこっと食材買ったり。あしたはねこの日だ。はるたんにしらすをお供えしよう。


まだヒストリーはうすぼんやりだが、到底書き始めはできないけど、ふむ。そうこうするうちにあと1か月になってしまうなあ。いかんな。それに家にじっとしてても食べる量はおんなじなので、さらに体重が増えてさらに痛いところに重さが増えてこれでまた歩くのがいやになってしまうという悪循環。今日もリハビリ兼ねてバスに乗ってでかけなければ。じっとしてても、ヒストリーの骨子は出来ないしね。


昨日なにげにねこの強制給餌するべきかっていうのを小町で見つけて読んでしまった。みなさん強制給餌についてレスしてるって事はすでに看取ったかこれからそうなるコたちの話で涙涙。はるにもたんにも強制給餌してた。はるはもう最後の方は点滴だけで生きてて強制給餌する容態ではなかったっけ。強制給餌と言ってもただad缶をシリンジで押し込んでいただけで、はるにはほんとうに悪い事をした。もう無理にあげないでとお医者さんに言われても、それでもなんとかと、お水を無理にあげたら吐いてくるませてしまった。おかあさんに知識がなかったから、ゆたんぽも入れてあげず、インターネットで調べればいくらでも栄養補給剤の事だって載っていたのに、それもせず、はるにはほんとにほんとに可哀想な事をした。最期の日、お医者さんに連れて行かなければ、家で看取る事が出来たのに・・・。でも点滴だけは絶対に受けさせてあげたいというエゴだったと思う。
たんは胸水を抜くという過酷な治療だったから、絶対に体力をつけさせなくちゃと強制給餌してた。これは間違ってなかったと思う。ただ亡くなる前日の朝、おかあさん特製おかゆを上げてたら、てるてる坊主から出した片手が、いつもみたいに大暴れしないで、その手をシリンジ持ったおかあさんの腕に、そっと置いた。「もう、いいよ」って合図だったんだよね。えっ?と思ったけど、その晩お医者さんから帰ってきて、あまりにたんが元気だったから、やっぱり強制給餌してしまったんだ。必死でトイレに行って寝そべったままおしっこは出来たけど、もう踏ん張る力がなかったから、うんちは出来なかったね。夜、おかあさんのお布団に、生まれて初めて最初で最後のおしっこおもらししてたんはお船に乗った。だから、しばらくして、うんちしにお家に帰ってきたのに、トイレもお砂も片づけられてしまったから、しかたないのと自分が来た事知らせるために、おかあさんの鼻のところにうんちしたんだよね。しかし、うんち以来たんちゃん来てるのか来ていないのか、わかんないぞ。


母にごはん炊いた時はちびっとごはんお供えして、さげたのをどうしたらよいかとバチあたりに捨てていたのだが、こりを干してほしいいにしてみた。からからになったのをあげてみたのだが、粒がかたまったままですずめが食べるのが難しいもよう。ジャイアン(あ、ここに来るヒヨドリの中で一番でかいやつの事ね)が全部食ってしまった。しかし、すずめにあげるために米粒あげてたのに、ジャイアンと子分が大きく旋回してすずめを一斉排除するのがにくたらしい。粉にしたぱんくずもすずめにだけなら十分全員に行きわたるのに、ジャイアン一派が入れ食い入れ食いって感じで全部たべちゃうのがくやちのー。


リハビリ兼ねて用事済ませにバスに乗り、知人に会い話の流れでランチ。彼女が時間制限ありだったので、イタリアンでドルチェなしでランチ。ひよこまめとニョッキのトマトクリーム頼んだ。サラダにくすくすがついてて二人でよろこぶ。自分でくすくす料理になんどかチャレンジしてみたけど、成功したことないんだもん。あとから彼女からメールで家に戻ったら急いで帰る必要がなかったくやちーとのメール(^_^;)まあそんなこともあるわな。
しかし、つえついて歩き回ったら痛くて帰ってきたらダウンしてしまった。自分の見込みだと今週始めから復活予定だったのだが。さすがにころオフの時よりはずっと良いし、おいしゃさんは経過が良いと言っていたし、決して悪化はしてない。してないが、あらためて低温やけどのおそろしさを実感。杖持ってるとほんとにふべん。そしてあらためて母の外出の不自由さを実感。10年、母と会ったり温泉に行ったりしながらなんにも母の話を聞いてなかったのだ。ずんずん落ち込むけど、もう亡くなった者は生き返らない。母は盃の水を飲み干していった。後ろ向くと母に怒られるなあ。


なんと積雪四センチ!朝になってから、ちゅんちゅんたちに米粒とパンくずを撒いたあと部屋に入ったのだが、途端に屋根に積もった雪が滑り落ちて塊になってどかっとすごい勢い落ちてきてえさ食べようとしたちゅんちゅんたちを直撃。さすが鳥で全部逃げたけど、ころ、ほんの数十秒遅かったら頭の上に雪の塊が落ちてこんどはむち打ちになっていたかも)'0'(母ははるたんが助けてくれたんだなー(ρ_;)どうもこの辺りだけがこんなに降ったらしい。寒杉。


午後は雪が降り積もるのを見ながら新月観たり聴いたり新月ざんまい。それと、いつもは朝8時まで、と決めてるベランダのぱんくずと米つぶだけど、雪の中お隣さんの屋根の下とかで必死に寒さに耐えてるちゅんちゅんたちが可哀想で、何度も今日だけの雪の日サービスでパンくずと米つぶあげてしまった。すかす、ヒヨドリが追っ払って独り占めしようとするのがにくたらしいが、隙見て食え食え。ネットで見たら、春から子育て するので、タンパク質が足りなくなるため、人のぱんくずなんかの餌台に来るのが4月ごろまでらしい、つまり栄養豊富な虫を求めるわけね。ベランダにいもちゃんが来たら食われないようにしないと。


しらすとかにかま入りミルクスープ。はるちゃんは生きてる時には飲んだことないね。
なんとなく今日はちゃんとたんにお供えをしないといけないと思った。なんでかなと思ったらそうだ、きょうは六七忌。たんの好きなモンプチのミルクスープ。あとちょうど一週間でたんちゃん土に還る。


時間はたっぷりあるのに建設的な事ができないころ(;_; )( ;_;)朝から大豆煮たりして。昆布とごぼうとにんじん入り。鱈があるので昨日のトリニクと野菜の塩麹炒めに引き続き、塩麹でなんとかしてみよう。熱燗に合うね。断っておくが酒飲んでもあんよの傷は関係ないけんね。


足、つくと痛い(T-T) がまんだけど、がまんだけど、はがゆいのぉ。じっとしててもお腹がすくのが情けない。お雛さまも出したいし、着物も出したいのに。
それから、定期をまるまるどぶに捨ててしまった事に気付いた。もっと早く治るつもりでいたせいもあるが、くすん、流してしもた。


変な夢見た。何年かぶりに出てきた現実には行ったことのない映画館。通路が細く迷路みたいになってて劇場までえらく時間がかかる。劇場内に入るとすり鉢状の客席でなぜかスクリーンを見下ろす映画館。そこで座ろうとしたところでいきなり場面が代った。はるたんの動物病院のドア開けたら受付のところに大穴が空いてて、土木の改装工事中だった。それに建物内部自体がものすごく変化してて役所のカウンターみたいになってた。わーしばらく来てないうちにずいぶん変わったんだなー、あれ、はるちゃんたんちゃんはどうしたんだっけ、とか思いながら、ある個室を必死で探してるころちゃん。えーん、病院が改装しちゃったから場所がわかんなくなっちゃったーと泣きながらも、いくつかの個室をみつけはいるものの、あまりにきたなさに出てしまう、えーんえーんと泣きながら目が覚めて・・・あー夢のなかでしなくてよかった。えー、つまりト〇レに行きたかったわけね(・・;)


BS「ワイルドライフ」モンゴル高山に生息する幻のユキヒョウと、その生態の撮影に成功した学者たちのドキュメンタリーに感動した。12歳の時初めてユキヒョウをみた博士は怖いけどその美しさに魅せられてしまい研究を続け、この度ユキヒョウと三匹の子供(かあいい(=^・^=)をずっと距離を置いて撮影しつづけたその映像だった。
岩山に見事に溶け込んだ白にグレーのぶち、長いしっぽ、顔くらいあるおおきな手で岩山を駆け下りる姿は本当に美しかったにゃヾ(=゚・゚=)ノ♪
ユキヒョウは密猟者によって、そして開発によってどんどん数が減っている。
だからこそ、幻のユキヒョウの生態を知りなんとか保護しようとする博士たち、だからこそ、さらに希少価値になるから高値で取引できるからと毛皮目当てでユキヒョウを密漁するとんでもないやからども。
放牧で生計を立てていたモンゴルのひとびとは、昔からユキヒョウを殺してはならない、ユキヒョウを殺してしまうと草食動物が増えすぎてしまい家畜のえさになる草がなくなってしまうからと、共存を続けていたと最後に博士が語っていた。ラスト、姿が見えなくなっていた親子の足跡が雪の上に残されて、このあと映像はなかったが、親子4匹が無事確認されたと字幕で放映されて、ほっとした。うう、文章力がないので感動が伝わらないが、モンゴル行ってみたいなあ。


気ばかり焦る。焦っても仕方ないけど(ρ_;)母の生前にこれを体験しておきたかった。これがわからなかったから、きちんと母の大変さをフォローしてあげられなかったんだ。でも体験するまでもなく、わかれよって事だよね(>_<)


傷がいたみ天気のせいか調子悪く半日爆睡。なさけないが、とにかく、一番体重がかかるところなので、きっちり治さないとだめだ(;_ _)筋肉が傷ついてるんだもんね。歩き回るのがだいすきころちゃんがこのていたらく。建設的な事がなにひとつできない。なさけない(T-T)


はるちゃんの四十九日は女の子らしく三月三日の雛祭りの日だった。この日に土に還した。たんちゃんの四十九日は今月二月二十六日。亡くなった日にいろんな数字を残していったし翌日月命日が旧暦のほんとの一年の終わりで翌日が新月、閻魔様と会う三十五日が母の月命日だったりと、いろいろ符号させていた割には、本葬の日は何もないのか・・・と思いきや、さすがたんちゃん。この日は満月だ。恐れ入谷の鬼子母神。おかあさんもう何も言えません。こりゃーいっぽん取られたな。はっはっはっ。晴れて満月がくっきりしてたら良いな。


昨日は杖を使わずに歩いてみようと思いかかと立てて歩き回ったのだが・・・・それがいけなかった。まだ治ってない奥の方に変な力がかかってしまい、夜薬塗ったあと夜ずっと痛かった。おばかだ(;_ _)いま傷の深さは三ミリといったところ。病院からもらった絆創膏がなくなってしまった。なくなったら、あとはサランラップで良いとの先生の指示だった。ふぅ(T-T) いてて。冷たい雨が降ってさむい。こんな日はたんちゃんに居てほしいなあ。


すかす、とにかくじっとしてるのだが、こ、このままでは♪ぶたさんになーる ぶたさんになーる♪わたしわっ♪ってギャグってるばあいではない。危機感が)'0'(


いまはなかよしになってるはるとたん
あのエコー室での、確実なたんちゃんの寿命を前提にした明るい雰囲気。あの明るさにたんちゃんは安心したんだよね。 ぼくおかあさんの為にこれ以上頑張らなくても、もう大丈夫だよね、ほら、ぼく元気だった時、全部こんな事してたでしょ。
自分のテーブルでごはんも食べたでしょ、おかあさんがキッチンにいる間じゅうはずっとキッチンにえんこしてたでしょ、時々しっぽ踏まれてもぼくへいきだもん、おトイレはちゃんとお砂の入ったおトイレでするんだよ、ソファにもジャンプできたでしょ、あれ、今日は出来ないや、でもぼくはいつも毎日こうしていたでしょ?ぼくがこうしていた事忘れないでね、病気だった時のぼくがぼくの思い出じゃないんだからね、ぼくはチャレンジャーだよ、って全部見せて、翌朝お船に乗ったんだよね。ありがとう、がんばったね、って、今右手でたんの骨壺撫でて写真に向かってお礼を改めて言った。
はるちゃんたんちゃん。こんな良い子たちをおかあさんの子にしてくれた神様に感謝。四十九日まではいっぱい泣いても良いんだ門。


そうそう、たんちゃんを囲んで、普通ならとっくに亡くなってるたんちゃん、おかあさんも年を越せると思っていませんでした、とたんちゃんの前で口走ってしまったのをおかあさんはちょっと後悔してる。だってたんちゃんにさんざん、年を越そうね、新しい新月を一緒に聴こうね、ってずっと言い続けていたんだもの。だからがんばりすぎるくらい、たんちゃんをがんばらせてしまったのに、えー?じゃあ、もうぼく、がんばらなくていいかな、って思ってしまったのでは、って。でも、違うかなあ。
あの明るい雰囲気に似た感覚をどこかで見た、と思ったのだが、思い出した。十年以上前にNHKで観たドラマ「今朝の秋」だ。山田太一さんの作品で、笠智衆さん杉浦直樹さんが父子役で息子の方が癌になり余命宣告されてしまう。もう余命いくばくもない息子と家族が、明るくみんなでピンキーとキラーズの『恋の季節』を合唱するシーンが印象的な、素晴らしいドラマだった。もう一度観たい。


亡くなる日の前、エコー室で本当ならとっくに亡くなっていてもおかしくないたんちゃんを真ん中にして、先生と看護師さんとおかあさんで、たんちゃんの生命力に賭けましょうと明るく前向きに話して笑った事、それをたんちゃんがじっと聴いている事がわかった事、病院から戻ったたんちゃんが、這いながらも元気だった時にやっていた日常生活の行動をしっかりやって見せた事、を思い出して涙が止まらない。


飼い主がいなくなってしまったたんのペットの犬ちゃん
どんなに探してもたんちゃんはいない。目の前にちっちゃな骨壺があるから、これがたんちゃんだ。かたちが変わっただけで、たんちゃんはいる。26日にはるちゃんの隣に埋めるけど、たんちゃんはずっとはるちゃんと一緒におかあさんの面倒をずっとみてくれるよね。


傷口は、まわりがきれいに皮が出来てきているが、そうなればなるほど、穴がちゃんと見えてきて本当に深い(・・;)やはりまだかんたんには治りそうもないのが分かった(ρ_;)あの日仕事に行ってしまって重症化させてしまったのが悔やまれる。とにかく、足がつけるようにならねば。くくぅ。


リハビリ兼ねてコンビニへ。杖にたよらず、と思ったが、やはり足をつくと、痛い。くすん。


観世宗家衣裳展に行った時ショップで買った京都菓子工房都の「柚子琥珀」が入った箱。箱は京工芸はなせのおはこ。このお菓子やさんとおはこのコラボで、お菓子の中身を選んで箱を選べるようになってて素敵だった。微妙に柄違うんだけどたんちゃん似だったからまよわずこれを選んだ こっちには抹茶こんぺいとうを入れてもらった。ほかにいろいろ選んで、母にお花をくださった方たちにお返しにして喜ばれた
んでも、たんちゃんが居なくなった穴は小鳥じゃ埋められないなー。いやとにかく、足はまだつけないので、完治めざさねば。昨日も言われたけど、休まされてる、ので、とことん、休み、エネルギーを蓄積しねば。ただ、これ以上脂肪の蓄積は抑えねば。


たんちゃんの具合がどんどん悪くなってきた頃、ふと気づくとやたらでかい鳥がやってきて、すすめたちを追っ払うではないか。調べてみると、ヒヨドリ。そうかこれがヒヨドリか。なるべくたくさんのすずめたちに行きわたるようにパンをうんと細かい粉にして撒いてるんだけど、手でやってるのでけっこう大きい粒になったりする、それをぱくぱくぱくぱく一飲みで、入れ食い入れ食い、という感じえで食い尽くしていくではないか。かわいそうに、蹴散らされたすずめは怖くて電線に止まったまま自分たちにもらっていたパンくずを目の前で食い尽くされていくのを見ているだけしかできない。
二羽のヒヨドリは一羽が見張り、一羽が大きく空中を旋回しベランダを中心にここは自分たちの縄張りだと言わんばかりにすずめが近寄れないようにし、ベランダにとまると羽震わせて威嚇なんかしてる。なんて憎たらしい
あたかもピサロに騙され滅びゆく祖国をなすすべもなく見つめるインカ帝国の人々のごとく、あるいは、コルテスに侵略され滅亡していったアステカの人々のごとくすずめたちはぱんくずを横取りして太っていくヒヨドリを悲しげに見つめるだけ。
ものすごく憎たらしい。
仕方ないので、ぱんくずを撒く範囲をひろげ、ベランダの手すりへなるべくながーく撒いてあげることにした、こうすると、ヒヨドリが入れ食いしている後ろから距離とって、すずめたちが一列でつんつんできるのである。くるっとヒヨドリが後ろ振り向いた途端すずめたちに気付くと、たちまち追い払われ、蜘蛛の子を散らすように逃げて行くのだが、ヒヨドリが飛んで行ったすきに、またつんつんして可愛い。
どこでもヒヨドリが侵略してほかの小鳥を追っ払うのが常らしい、つまりそういうやつなんだな。鳥たちは四月くらいまでこういう餌場にくるそうで、それ以降はぱんくずになんか見向きもせず、土から美味しい生餌を自給自足するわけだね。
てか、それ以降来られると、イタリアンパセリにくるキアゲハいもちゃんを食われてしまうので、ぱんくずを置くこともしないけどね。


たんちゃんが具合が悪くなり始めた頃から、朝、たぶんつがいのすずめが二羽ベランダに遊びに来るようになり、実家で虫がわいてしまった米を持ってきて、日に干してベランダの手すりに置いてみると食べるのが可愛いので、あげるのが朝の日課になった。その米が底をついたので、朝残ったパンの耳(わざと残してるんじゃないよ、食べきれないから残ってるんだよ、本当だよ)を細かくして置くようになった。
たんちゃんは牢名主セットにふかーって埋もれながらベランダを眺めてた。引っ越し前に住んでいた家ではある程度出入り自由にしていて、たんも若かったから時々すずめを獲ってきておかあさんにプレゼントしてくれたりしたが(;_ _)こちらに来て脱走事件を起こし半死半生の辛い目に遇って3週間経って生還した後はもうお外には絶対出ないし関心もないみたいで、ベランダすずめも獲る気もないようで、ぼんやり眺めてるだけだった。
すずめが二羽ぱんくずをつんつんついばむ姿はなかなか可愛いい。それがいつの間にか、ここに来るとパンくずがあるよ、とクチコミで広がったのか、どんどんすずめがいっぱい来るようになった(・・;)仕方ないのでパンの耳を全部残し、じゃない、無理してパンの耳を食べるのを止めて、それを日に当てて乾かして、翌日分に充てる、というリズムになった。つんつんつくつくと一列になってついばむ姿もなかなか可愛い。すかす。


自分自身に起こったこともだが、昨年から今年にかけて、ファンの皆さんたちの大切な身内の方の訃報をお聞きし、胸が痛い。でもやっと思えるようになってきたのは、親を見送るのは順番としてどんなに辛くても当たり前の子の義務だから、それを果たしたんだ、という事だ。先に親を見送った人たちから、生きてるうちに大切にしてあげて、お願いだから、と口ぐちに言われた理由が今よくわかる。自分は何も親孝行しなかった。ほんとに悔やまれる。だから自分も、同じ言葉を、人に言ってる。それにしても、母の急逝の時、いっぱいあったかいことばをもらったのに、いざ、ひとさまにかける言葉ってなかなか出てこない・・・。


時間はたっぷりあってだらだらしていたくせに、たまっているメールを全然書いてなかった。今日書かなくちゃ。傷口は疼痛感。火口?はだいぶ狭まってきているが、乾くにつれ抉れた中心部がちょうどピラミッドの頂上みたいな感じで穿たれているのがはっきりとわかるようになってきた。熱がこうやって進んで行ったんだね)'0'(ひええ。


帰り友人に車で送ってもらった。二人で、再び歌舞伎の悲しい話明るい話、親の認知症の話をしながら、実家の近くの道を通りかかった時、真っ暗でしんしんと冷え切っている空き家が頭に浮かび何とも言えない気持ちになった。友人には悟られないように、涙を堪えた。


前菜の盛り合わせ。あとサラダとパン、オリーブオイルが運ばれてきた。 蟹と菜の花のパスタ 海の幸 イチゴのタルト。あと紅茶。
右手に地味な花柄の杖、左手に白地に可愛い花柄の傘さして小田原へ向かう。席譲られたりするのがなんだかなー。仕方ないか、ありがたく好意をいただく、しかしくつじょくだー。 昔からあるお堀端通りのROA。美味しかったにゃ。今日のテーマどうゆう順序で行かきめよう。とか言っていたのだが、ペットロスと歌舞伎まで行ったが、結局最後は親の介護問題やね。地味な花柄杖はうけた。みんなに「とにかく今休まされてるんだからね」と言われる。思った以上に早めに元気になっていてよかったよと言われて、うん。いろんな人の言葉や励まし、そしてたんちゃんが命と引き替えに頑張ってくれからね。高校時代の友人たち、って会うのは年に数回だけど、そか今年の春から数えると、約40年の付き合いになるのか。こわっ。


はるちゃんの月命日なのでしらすお供え。傷がうずく、というかだんだん治りかけに近い疼痛感に感じる。杖にすがりつつ行くかな。しかしふべんだ(ρ_;)


昨年パソコンを新しく買い換えたが、日記書いてヒストリーを途中まで書いただけで、つまりエディタを使っただけで、インターネットは別としても、全くパソコンそのものを使っていないまま、怒涛の日々に突入し今に至る。メールフォルダの振り分けもしてないし、お気に入りのバックアップすら取ってない。マニュアルとかネットでぱらぱらとやり方を見てみるが、あだまがぐらぐらしただ。


だらだらしながらBSアーカイブスで1999年のロビー・ラカトシュさんというヴァイオリニストの演奏見る。超絶技巧のロビーさんすごかった。いろんな楽器とのコラボものすごく楽しい。特に津軽三味線とのセッションがすごかった楽しかった。観ながらにこにこしてしまった。音楽はやっぱり人を幸せにするんだなー(=^・^=)


雪降るのかな。今日の女子会はさむそー。徒歩バス電車徒歩で、まだ傷がうずくので、ちょっと不安だがリハビリだー。
みんな気合入ってて、仕事早退して早めに来るだの、いつも仕事で遅れて来るコも今日は何がなんでも定刻に来るという。ころは仕事に行ってしまうと早上がり、などという事が出来ないので、何度かキャンセルになってしまったが、これからはもう休みにしてから参加するね!と宣言していたのだが、はからずもこの状態なので一番早く来るコに合わせて行く事になっただ。
この足なので、実家に行っても何も出来ないし、父の前で杖ついて見せたら母の事に抵触して大変な事になりかねないので、というかはるばる父の施設まで行かれないので、小田原まで行きながら実家にも施設にも寄らずに食事会にだけは行くのか?という罪悪感を背負いつつも、楽しみ。弟には罪悪感感じないで娯楽しないともたないぞ、とアドバイスしてるくせに、やはり自分に置き換えると罪悪感があるんだよね(;_ _)
とはいえ、足治ったらいくらでも動けるんだから、と自分に言い聞かせる(゜゜)


些細な事に感じる事、書きたい事、いっぱいあるけど、集中力もエネルギーもない(>_<)続けざまの心の穴、現実の足の穴。歯がゆいなあ。


うーん、外に出てみたがころオフの日よりはましとはいえ、杖にすがらないと歩けない。一番深い部分がそう簡単に治癒しないよね。いずれにしろ、まだ薬は半分残ってるんだから・・・まてよ、先生はそれが無くなる頃に治るゆーとった。ま、まさか全治一か月じゃないだろな(・・;)なにせ一番体重がかかる部分なので嫌でも力加わるし、くすん。カウチポテトですっかりブロイラーになってて悪循環じゃあ。って食べ物減らせよって噺家。明日夜は高校時代の女子会(女子高だから当たり前か)でこれまたイタリアンだし。くくぅ。実家の片づけは当たり前だが無理だ。なんだかなあ。歯がゆい。


どうものポーズのくまちゃん。えーん、こんなのくえないよぉ
今日は昨日よりかなり気分が上向き。天候とかあまり関係ないのかも。ただお口に口内炎が出来て痛いんだけど、あまり気分とは関係ない。そういえば今日はバレンタインデーやね。ころオフでランダムに配った闇チョコ。大人系とかわいい系の二種類だったのだが、どれが誰にあたったのかな。んでもって、万が一飛び込みで参加者がいるかもと、余計に買って、余ったらじぶんで食べようと思っていたのだが、よ、よりによった余ったチョコがくまさんの姿そのものので、そ、それもたんちゃんの得意ポーズのひとつ「どうも」のポーズのやつだった)'0'(わーん、どおしよお。これ、誰かに当たって、どうしよう、と悩んでもらおうとしたのだが、自分に来てしまった。人を呪わば穴ふたつなのだった(意味が違うか)。くえねーよ。溶かすとか?いやもっとムゴイ。イヤガラセに送りつけちゃおかちら。えーん。


んでも、傷口は確実にふさがってきてる(^_^)vまだふさがってないところは血が滲んでるけどその範囲がどんどん小さくなってて、周りにあたらしい皮がちゃんとできてる♪すごーい。今日外に出るのはオフ会以来で少し怖いけど、てか新宿までくせにね。あの日はお医者さんで薬塗ってもらえるのがわかっていたし、やはりオフ会行きたさだったからね。まだちょっと杖は手放せないが、だいぶ先が見えてきたよ(=^・^=)


用事を済ませに駅まで行こうかとも思ったのだが、ちと傷口が思わしくなく、気力もあまりなく(>_<)ただ無意味にだらだらしてしもた。筋力落ちてるよね。気ばかり焦ってる。きょうはあまり「よくない」にゃ(/_;)新月聴いてるんけど、新月日記書けないし。エトロバックが届いて可愛かったのがちょっと嬉しかった。これは新月のライブの時におろそうっと。あと2週間でたんちゃんを土に還さなくちゃ。うんちしに来て以来、たんちゃん気配ないけど、おかあさんが気づかないだけなのかにゃ。たんちゃんのベッドのふかふか思い出して、そだ、たんちゃんベッドであったかく過ごしてる子たちがいるよ、それで少し気分うわむき。


都内はうっすら雪だったらしいが相変わらずこちらは雨。カラカラだったので、よいしめり。金曜日は高校時代の友人たちと昔からあるイタリアンで食事&飲み会。前回は母が亡くなった後だしたんちゃん入院中だったのでパスしたんだっけ。ペットロスの話からかんくろうちゃん團十郎さん話えとせとらであらう。早く傷口がふさがらないかな。杖なしで行かれると良いのだが。今年になって実家にまだ行かれていない。飲み会前に行きたいのだが、すたすた歩けないと行っても何も出来ないし(;_ _)歯がゆいなあ。ううじっと我慢なのだった。でも、本当に低温やけどをカンチガイしてる人が多く「低温でそんなにひどいんだから重症」と思い込んでるがそうではなくて「低温だから重症なのだ」をいちいち説明せねばならん。ステーキとポトフのたとえが一番わかりやすいね。


今日たんちゃんは閻魔さまに会ってすりすり。


すかすこれほどたっぷり時間があるというのに、なにひとつ建設的な事をやる気にならない、だいじょうぶか、ころ?でも快方に間違いなく向かってる、うん。


今日はだいぶ以前に録画してあった「まほろ駅多田便利軒」。瑛太くんと松田龍平くん主演で町田駅周辺が舞台だったので録画してあったのだった。やっぱこの二人空気感が良いな。何か賞をとれるような映画ではないが、飽きる事はなく地味にふつうにおもしろかった。麿赤児さんと大森南朋くん父子きょうれつ。由良公の子役が良かった。サリー(岸部一徳さんの事ね)演じるの刑事だけはわけわかんなかったかな。


森美術館で開催中の「会田誠展:天才でごめんなさい」も観に行きたいのだが。わーん、とにかくじっとするのだ。


たんちゃんは今日閻魔様に会う予定だが、元々動物はうそをつかないのでスルーだね。閻魔さまはたんちゃんにすりすりされて、でへへ、ってなっちゃうね。


「小田原おでん」も母が退院したら家族みんなで行こう、と言っていたのだが叶わなかった。春頃、たまたまころが実家に行った時、叔父夫妻が来たのでランチをしたのが最後になってしまった。以前は飛び込みで行っても入店できたのに、何かで紹介されたのか、今予約するか行列覚悟で並ばないと入れないような盛況ぶりだそうだ。でも、「かまぼこの街」小田原がおでんを始めたのはここわずか10年に満たないと思うので、遅きに感じるかにゃ。


ころが作ったおでんを母に食べてもらったことはないので「まあ食べてみてよ」とお供えした。あと最近もっぱら有名店になった「小田原おでん」(店名)の真似をして、おでんのだし汁で炊き込みごはんを作ったので、これもお供え。「ふーん」、なのか、「おいしい」のか、「まだまだね」、なのか、どれなのかな。


今日は母の月命日でたんちゃんの三十五日。はるちゃんとたんちゃんには「前浜の魚」を二人で仲良く食べてねとお供えした(=^・^=)
母の写真には、夕べおでんを作ったのでお線香と共にお供え。実は母からはあまり料理は教わっていないので、母が作るおでんと、ころが作るおでんは全然味付けがちがう。母のおでんはかつを出汁たっぷりで、やや甘味のある色も濃い目の味付け、ころのはかつをと昆布出汁の甘味ぬきのやや透明に近いやや薄めの味付け。母のおでんも好きで、これはうちのおでん。でも大人になって外で食べてみて、うちのおでんでなないおでんを作ってみたくなってこうなった。


まだガーゼには血が滲むので足をつくことは出来ないが、あまり杖に頼らず、かかとやはしっこつきながら歩くことができるようになった。とにかくガマンなのだ。ちゃんと完治してから動き回ろう。うん。すかす、ついまたネットショッピングでエトロのバッグをみてて、一番欲しいのは在庫切れになっててがっかり。ここであきらめず別のバッグを見て最終候補のパープル系ふたつが残った。いっこは色味が淡くて好みなのだが、バック内にポケットがなく、もういっこは中身にポケットがちゃんとついてるが色味がちと濃いバッグでさんざん迷った挙句使い勝手の方を選んでクリックしてしもた。明日届くよていなので、へへ。ころが迷った挙句クリックしてしばらくしてから在庫切れになったので、決心して、よ、良かった〜(=^・^=)


あしたもぐぐっとこらえて療養せねば。くくぅ。「マリーゴールドホテルで会いましょう」観たいなー。Bunkamuraは火曜日がレディースデーなのだが。くすん。とにかくじっとするのら。


寒い。空き家になった実家は冷たい空気が動かないまま、両親の物や思い出と共に冷え切ってるだろう。動けずはがゆい。今年になってからまだ一度も実家の片づけに行かれていないのだ。でも寒がりの父は施設であたたかく過ごしてる。それだけが救いかな。いろんな思いがよぎるけど、自分も弟も家を出た以上、いつかは空き家になってしまう事は予想していかもしれない。一生母に甘えるつもりだったのかなと思う。母の事もはるちゃんたんちゃんの事も、親を見送るのは子として当たり前、はるちゃんもたんちゃんも寿命がおかあさんより短いのだから、おかあさんが見送って当たり前。つらくても、当たり前、の事を、ふつうに、出来たんだから、それがいかに幸せかって思わなければいけないよね。足はまだ痛いけど、治る。確実に治る。痛い足で杖ついてそれがどれほど不便か良く分かった。でも、両足辛いまま父の世話をしながらもちゃんとおしゃれしていろんな事やって葬儀にあれだけたくさんの人に来てもらっていた母に少しでも近づけるように努力せねば。鈍翁さんとの関わりも記録に残しておく作業もあるなあ。この足はすぐに治るので、そしたらまた、実家に行って父のところに行って、自分に与えられた事、やらねば。しかし、無理やり休まされてるのかほかの理由なのかはわかんないがいてーよかーちゃん。


さむいのでやっぱり弱気になって、早くあっちに行ってはるちゃんとたんちゃんのふわふわ抱きたいなとか思ったりするが、新しい新月をまず聴いてから、とか新月セッションやりたい、とかそんな声が、ころをふるいたたせてくれてる。


とにかく何時間でも眠れる。なんか違う病気ではないのかと思うくらいだが、確実に傷は快方に向かってる。まだもちりん足は完全にはつけないけど、大丈夫だ。歯がゆいけど、もうしばらくじっと耐えねば。明日は母の月命日でたんちゃんの三十五日。たんちゃん閻魔様に会ってすりすりしちゃうんじゃないのかな(=^・^=)


何時間でも眠れる(・・;)傷はまだまだ痛いけどでも快方に向かってる実感はあるど。あだまがんがんは治らないので、これはべつものかな。とにかくじびっと耐えて治すのじゃ。良い天気じゃのぉ(゜゜)


午後いっぱい爆睡。ねむりこけた。起きてから、傷口はまだ痛いものの、めきめき快方に向かってる実感あり(^_^)vあの病院は院内調剤してるので、目の前でねりねりしてる薬をつけてくれて、その薬を病院内で受け取れる。効き目抜群と評価にもあったがほんとにそうだね。ものすごく混んでるのだが、院長先生がその場で診たてて指示して副院長先生が治療してくれるシステムなので、的確で早い。たまたまだったんだけど、良いお医者さんに行かれて良かった。歯がゆいがあと1週間で完治間違いなしやね。療養に励んで完治するもんね。


気は焦るがひたすら完治めざさねば。いろいろ考えつつ、いろんな事がよぎる。母が歩けないという事はこんなに不便で行動が制限されるのだから注意しろと、かるーいジャブで教えてくれた気がするし、辛くて悲しくて、でも気ばかり焦って、空き家にも父のところへも行かれないうしろめたさや、全く進んでない新月ヒストリーの事とか、さらに自分を追い詰めようとしていたのも事実で、そこへこの低温やけどで、歩けない、というおそろしさで、さすがにがっくり来ていたが、やはり、これは「無理やり休まされた」としか考えられない。それに、杖で外にでて、歩行だけでなくておさいふひとつ取り出すのももたつくし、その大変さが実感できたので、自分にどんなてだすけができるのかもわかる。うん。こうなって良かった、のだ。


帰ってきてから、やっぱりたんちゃんのお迎えがないのがさびしい。階段駆け下りてきて「もーっ、こんな遅くまでどこに行ってたんだよー、はやくおふとんで一緒に寝よーよー」っていうのがないもんね。すごく楽しかったのに、ふとんに入ってから、一昨日見舞いに行った時はぴんぴんして元気だったのに、あの日呼ばれて病院に駆けつけたらICUで人工呼吸を受けながらももう息をしていなかった母の姿、主治医の先生にキャリーから抱き上げられた時もうこと切れていたはるちゃんの姿、たんちゃんが頑張って最後まで生きようとしたのに心臓が止まった最期の姿がいっぺんに蘇ってきて、涙がとまらなくなった。でもこれで本当に悲しくて辛くてすさまじかった年が終わるのだ。


楽しかった(=^・^=)すかすついビール二杯飲んでしまい、あだまがんたんと傷がじんじん。当たり前か。そのあとはひたすらオレンジジュース飲んだだ。美味しかった楽しかったので満足だが、花園店はとても遠かった。帰りのロマンスカーでもとても足が痛かっただ。まだまだなのだった。


痛いくせに、今日のころオフ参加の皆さんに配るチョコを物色。同じのだとつまらないので、だいたい同じ値段のチョコいろんな種類を買ってランダムに渡す闇チョコ。あとは自分の分もいろいろ買って買って帰って積み上げて吉良上野介のようにほくそえむ。全部食うのだ。ふふふのふ。


ころオフ前にお医者さんに行った。治療前には軟膏を洗い落としていくのだが、傷口みたら、星雲ではなく、普通の傷口になっていた。痛いには痛いがもしかしてこれはもしかしたら良いのでは?と素人でも思っただ。ちょっと気分が軽くなった。
足を出せと先生に言われて出したが、「なんだこの包帯はおおげさな、なんだこの貼り方は、こんなにしないと痛いんですか」とせっかちでちょっちこわめの先生に矢継ぎ早に言われ『痛ーよ。杖ついてるんだよ。それにせんせいが包帯でぐるぐる巻きにしろって言ったんじゃん(:_;)』と反論したかったが小心者のころは反論できず。
んでも傷口見た先生が嬉しそうに「おっ、肉が盛り上がってきてる。これは問題ない。うんうん」と、なぜかフットワーク良く、自ら薬塗ってバンドエイドみたいなばんそうこうで、乱暴にぺたっと貼ってくれて、あとは今ある薬を自宅で塗り続けて治療していけば良いとのこと。ううう良かった。最悪のばあいは手術の恐怖におびえていたわけやね。
傷の治りに良いと言う牡蠣とかレバーとか納豆とかココアとかビタミンCとか食べて飲んだもんね。今日は食うぞ、もしかしてビール、の、のんじゃっていいかなとか思いながら、 痛いながらるんるんで新宿へ向かう。


はるたんに、たんの大好きだったシーバのスープをお供え。仲良く食べてね。


くすん、いたい。正直新月オフ会で、さらに主催者でなければパスしたいレベルだが、這っても行くもんね。どんなに楽しくても一次会で帰ることにする。早い時間だと自分の最寄駅にロマンスカー止まるし最終バスには間に合うし、良い事ずくめさ!わははははははは、わはははははは。・・・・(ρ_;)くすん。


じんじんずきずき。とにかく寝るしかない(/_;)明日は病院に行く日なので、病院で薬塗ってもらえる。ずっと安静でいきなり新宿かい、って感じだが(・・;)とにかくお風呂入って傷口綺麗にして薬塗って寝よう。うう、明日まだ山ちゃんに居る時間だ。まあ行けば楽しいので元気になるであろう。すかす、今回ばかりは時間制限がある店で良かったと思ったりしち。


一連の事考えるとなんか旧暦で動いているのかな。たんちゃんは年を越したのではなくて、今年、のおかあさんの底を持って行ったんだと思う。母とたんちゃんと二人がかりで、本来ころにかかるべき「底」を持っていってくれたのではないだろうか。それほど、たいへんな事が起こったかもしれない。だから、こんな低温やけど程度で済んだのもかもしれない。たんちゃんはだから神様にすごく褒められているんだと思う。よくやった、って。あの時苦しかったはるちゃんも。
はるちゃんは、くるしくてかわいそうだった。たんちゃんの足は血栓が飛ばなくて良かったけど一晩くるしかった。母は無念だったと思うけど、引き換えに苦しまずに済んで良かった。なんか、それぞれいろいろないろいろな作用が働いてる。とにかく、自分は生きている。


可愛いけどここまで小さいとは思わなんだ。って寸法見ろよっ、てか。
エトロポーチ届いたが寸法を見ないで注文したらあまりにちっちゃいのでびっくり。でもかわいい。キーケースにすることにしただ。


「ピクニックatハンギングロック」やはりほしいっ、と思って検索したが、やはりどこも在庫切れ。中古でとんでもないプレミアがついててこれは無理。くすん。んでも「バベットの晩餐会」みたいにひょんな事から店頭で発見して普通の値段で購入できた幸運もあるので、きっと機会があるに違いない、うん。


くすん、しかし歯がゆいのぉ。ロキソニンを飲んでしまった。でも全然効かずあだまががんがんするのでお昼食べたら寝てしまもー。明日は一次会で早々に帰る事にする。だが、むろんアルコールは一滴も飲めないが、食欲は衰えん。手羽先もおみやげ用に買って帰ろう。いつぞやの神田店で何人かおみやげに買って帰ってたのにころ頼まなかったが、後から後悔したからね。


あぜくら会先行発売なので、三月の定例公演のチケットを取る。狂言「竹生嶋詣」は茂山家。能の「雷電」はシテ片山九郎右衛門さん、ワキは宝生欣哉さん、太鼓が亀井広忠さん(愛)。はしっこで少し後ろだが正面席が取れた。ほんとは20日の狂言万作萬斎さん、能「草子洗小町」はシテ観世宗家お家元清和さん(愛)笛藤田六郎兵衛さんなので、ものすごく行きたいのだが、三日後新月プロジェクトライブだし、続けてはツラいのでこちらは諦める。くすん、24日の能楽堂は着物着たいなあ。母の着物で仕立て直しした着物のうち、つけ下げが良いな。


頭痛と足の痛みで目が覚める。昨日はちょっと良かったのに、昨日よりちょっと悪くなってる感じ。銀行やら野暮用で出かけてついでに最近できたフレンチレストランが気になるのでちょっとランチしちゃおかな、などと思ったが、とてもではないが今日も安静にしてるしかないみたい。
友人から、メールが来て、彼女の友人はストーブの前で眠ってしまい、膝を低温やけどして三回手術したそうだ。それも国立劇場に出るくらいの子だったのに、そのせいで人生変わってしまったんだからね!と脅かされ、くれぐれも甘くみず徹底的に治せと言われた)'0'(
低温やけどの恐ろしさを実感している。医者が長引く、ときっぱり言ったんだからね(/_;)


夜になると痛みと熱。お風呂に入って寝てしまおう。たぶんころオフは一次会だけやね(T-T) 傷口はというと切り株の年輪というよりは、リング状の星雲の方がイメージに近い。段階別層になってて色が違って何層ものリング形にえぐれてて、じわじわと時間の経過と共に肉が腐って穿たれたんだなというのが良くわかる。写真掲載希望の方はメール下さい(^m^)


寝込むことはしなかったが、とにかくだらだらだらだら。昨日の「ピクニックatハンギングロック」とは真逆で、前にも観た「嫌われ松子の一生」をまた見てしまった。なんでかなあ。
中谷美紀ちゃんは好きだけどこの映画はきらい。やたら美紀ちゃんが男に殴られてひどい目に遇う暴力シーンとチュッパチャップスみたいカラフルポップなCG映像のミュージカルで、不思議な映像だ。
中学教師としての松子、美容師としての松子、この二つの顔の意味が最後にわかる。
「まげて〜♪のーばーして〜♪おなかが空いたらーかーえーろう♪」の挿入歌がやたら耳に残る。前に観た時も美紀ちゃんはもちろん、瑛太くんがすごく良かったけど、やはり良かった。えもっちゃんの笑顔のアップが良いな。妹がいじらしい。
でもこの映画は嫌い、きらい・・・かなあ。なんかね、なぜかフェリーニの「道」のジェルソミーナを思い出して、悲しくてやなのかも。だからやっぱり最後泣いてしまった。


ころちゃん、ぢつは、未だに古径さんの「入相桜」の絵葉書をお守りに持ち歩いてる。ぼろぼろ。とっくに忘れられてるとは思うけど、もう要らないんじゃないかと思われてるかもしんないが、どうしても身(バッグ)から離せないでいる。本当に離せる時が3月のライブ後になるのかそれともやはりまだ持ち続けるのか、わからない。


くやちーがとにかく寝て治すしかないにゃ。んでもってあだまがんがん。たんちゃんの事考えてめそめそ。んでも新月LIVE1979とOutTakes聴いて少し気分うわむき。


熱っぽさと同時に気持ちわるくなって温かいココア飲んで寝てしまう。毎日10時間くらい眠れるのがふしぎだ。もしかしたら低温やけどとは別にあのすさまじい3か月分休みたいと体が欲してるのかな。傷口の痛みは今度は別の薬を直接傷口に塗るべたべたの「深い傷用」を先生が言うように「パンにバターを塗るように」塗りこんで傷口に押し込みなんかぐんぐん効いてる感じ。すかす、あの会社に行って一日中動き回った夜のすさまじい痛みのなか、どんどん足が腫れて膨れ上がってくるのでばんそうこうも包帯もきつくなってしまい、寝ながらそれを外していき、それから、ぐぐーってひきつるようなさらに激痛が走る時、うわーほんとに今自分の足の肉が腐っていってるんだと実感した時の恐ろしさは忘れない。「低温やけど」という言葉にだまされてる人が多いようだが、ほんとに重症になるので、使い捨てカイロでも注意するように。そして、低温やけどは医者に行かない限り絶対に治らないそうだ。表面がたいしたことなくても、「中から肉が腐る」のでR。今日もひたすら安静にしよう。まだ熱っぽさと気持ち悪いのが取れない(>_<)何かを集中してやろうとか本を読んだりする気力がないのが情けない。


お風呂入って傷口見た)'0'(痛いわけだ。写真に撮ってみなさんにお見せしたいところだが、その後読者は一人もいなくなるであらう。なんつーか木の切り株の中心を何重かに掘り進んだ、って感じ?


やはり夜になって痛みと熱っぽさと頭痛再び。とにかく土曜日までに少しでも快方にむかわねば。一次会で帰るかどうするかは当日しだいやね。それによって買うきっぷの時間が変わってくるしね。とにかくお風呂入ってお薬ぬって寝てしまおう。いまこれだけ痛いんだから、く、くすり塗るのしみそう・・・。


たんちゃんの骨壺はちっちゃいの。はるちゃんの時と同じペットセレモニーでお願いしたんだけど、はるちゃんの時は骨を砕くのが可哀想で大きな骨壺にしてもらった。白地にパステルカラーで☆とかお花が描いてあるある可愛いの。骨覆いも白ではるちゃんにぴったり。銀の分骨器がキーホルダーになっていて、これに形見袋と指輪サイズの赤い数珠がついてていかにもペット用品、という感じだった。んでも経営者が変わったとかとかで、分骨器以外のグッズはもうついてなかった。それと、たんちゃんの時はつい小さいので良いですと言ってしまい、結局骨を砕いて入れる事になって可哀想だったが、あのパワフルな前足の骨はすごく丈夫でなかなか砕けなかったので、納得した。ただ、小さいだけで可愛くもなんともない単なる白の骨壺、それに反して妙に仏教色柄付の骨覆いがなんかじじむさい。こ、これは思うに人間用の骨覆いでは?なんか抹香くさい名前書くシールははがしてしまった。ただ、ちいさいので、朝夜枕元から二階に持ち運ぶのには、今足がこんなになったので、良かったと思う。四十九日の26日に、はるちゃんの隣に埋めてあげる。正直、土に還さずこのまま家のなか連れて歩こうかなと思うけど、はるちゃんも眠ってるし、やはり土に還すのが一番良い気がする。仮にいつかまた引っ越すことになったとしても、分骨器があるしね。でも、たんがいなくなってから、いろんな意味でがらんとしてる。


結局熱っぽさと頭痛で新月に触れるエネルギーは無かった。オフ会の再告知も新月日記書く気力もなかっただ。でも寝こむのは堪えただ。いててと言いながら、ひたすらじっとしていただ。つい、エトロで可愛いポーチを見つけクリックしてしまった。ふと「ピクニックatハンギングロック」の事を思いだし検索してみたら、ニコ動で映像を見つけ画質悪いしコメントだらけだったけど、いや30年ぶり?くらいに観て素晴らしかったなー。ミランダがほんとにボッティチェリの天使のようで美しい〜。とはいえほんとに怖い映画だったよぉ。このえたいのしれない怖さ、は人の心の怖さもあるし、謎の怖さもあるし、このこわさと映像の美しさに魅せられてしまうと、はーなれられなーい。DVDほしいなあ。


くすん。その午後になってからどんどん再び痛くなってきただ。熱もちびっと出てきただ。今日も安静にするようにとの医者の指示なので、急に良くなるわけないのだった。映画「マリーゴールドホテルで会いましょう」観たい。おでかけしたい、くすん。


午後から「新月小史」に少し目を通そう。ただやはり痛いもんは痛いやね(T-T)


昼近くなり、すごいのはじんじんひりひりがだいぶ取れてきた。さすが名医のお医者さんの薬。昨日お医者さんの帰りにスーパーによるのに、ふつうなら5分で行かれるところを、いっぽ、いっぽ杖ついて歩いて12分かかったのだが(T-T) 今多少なら足もつけるぞ。抗生剤を飲まなくなったので、特に酒は飲んでも良いらしいが、まだそんなん怖くて出来ないけど、ころオフに杖つかずに行かれると良いなあ。ビール一杯くらい飲めると良いなあ。すかす、低温やけどは大変という事はあたまではわかっていて、たんちゃんの湯たんぽはものすごく慎重にしていたのに、自分がこんな有様とは、ほんとに気が緩んでいたとしか思えない。いろんな出来事にはすべて意味があると、改めて思う。はるちゃんたんちゃん、ダメな母をゆるしてー。ただまだ痛いのと熱っぽいのはとれないのでユダンきんもつ。


安静にしろと言われなくてもじんじんじんじんじんひりひりひりひりひりで否応なく安静にしてるころ。杖は手放せないが、でも、今朝起きて、昨日皮とられて直接傷口に薬を塗ってもらったので、この痛みは薬が浸透している痛みという感じがする。今夜は自分で塗らなければいけないのでひぇぇ。でもまじめに治療せねば。はるちゃんも、たんちゃんも、まじめにお薬飲んで、まじめにお医者さんに通って、まじめに治療していたもんね。頭の締め付け感はあるものの芯熱は取れて、今日は寝込まなくても済みそうだ。「新月小史」に目を通そう(=^・^=)ふふ。


今日はお風呂に入れないのだ。明日の晩まで今日お医者さんに塗ってもらって包帯ぐるぐる巻きの足なのだ。じんじんぴりぴりいだい。あだまいだい。寝てしまおう。お風呂に入れないのでさむい。たんちゃんいないし。


ほっこりすること考えよう。あ、そうだったんだのうるうるとか、新月ライブ前に今週みんなで新月の話することとか、たんちゃんの品が役に立ってることとか。24日は喜正さんの能を観に行くのでそれまでには足、なんとかなってると良いなあ。着物着たい。


地味な杖カッコ悪いので杖つかずに出かけようと5Mくらい歩いたんだけど、無茶と悟り戻って杖を取りに戻る(>_<)
ううう。足の皮とられた。とられたときは痛くなかったがひりひり。今日明日安静を言い渡されただ。とりあえずじっとしてるしかアルマイト鍋(T-T) なんもでけんのがはがゆい。この間の成人の日はこの辺りは全く降らなかったが、明日どうなのかな。ちと体調が良ければなんとかヒストリーに手をつけたいなあ。むろん、書き出しはまだ出来ないが纏め方くらい考えねばねばねばびふぉぉ
。暗くなって痛い足でとぼとぼバス降りて歩いてたらやっぱし母とたんちゃんの事でぼろぼろ涙出てきていかん。母からはいつまでなにやってるの、という叱咤の声、たんちゃんからはぼくがあんなにあきらめないで頑張ったのにもおおかあさんは!という文句の声が聞こえただ。はるちゃんはツンデレのツンツン。いかんいかん。


経過を聞くのがちょっとこわい。体調がいまいちでちとしんどいけど、とにかく病院には行かなくちゃ。すかす元気でないと病院にも行かれないのぉ。ちと気分がダウン気味だが、ぽっと心に灯るのが、寒い東北で、たんのふわふわベッドと二つのちぐらベッドにどんな子たちが丸まって寝てるのかな、耳つき猫型ちぐらは大きいので仔猫が固まってはいっていたらかわいいな、あるいは高齢ねこがゆったり寝ていたら良いな、なんて想像して浮かぶ絵で、たんのペット用ゆたんぽも、介護に使っていたバスタオルもたくさん送ったので使ってもらってるね。さて、出かけよう。


ペットロスのとこ読んでいたら(まだ読んでいるんかい)、人間に飼われてたペットは、家族の誰かの代わりに悪いことを背負って亡くなるのが役目で、それをすることで、天国で神様に「よくやった」って褒めてもらえて、それがペットの誇りなんだって。
昨日はかなりナーバスになっていたので、めそめそしていて、はるは16歳、たんは13歳と、今の家猫の寿命にしてはあまりに短いので、神様は、じぶんはたくさんペット持ってるくせに、なんでこんな早くころから取り上げるのよっ、ひどいよ、と恨んでいたんだけど、そか、はるもたんも、褒められてるのか、と知って安心した。


早々に寝てしまう。いくらでも眠れるがすっきりせずあたまがしめつけらるのは治らない。耳まできてる。低温やけどおそるべし。低温やけどとは別に体調もいまいちなのかな。熱っぽさがとれない。目の下のくまさん取れないし。とりあえずアルコールは一滴も飲んでないので、肝臓は健康よね、うん。9日杖じぇったいやだ(;_; )( ;_;)午前中に医者行くつもりがちょっと体もだるくあまり動く気がしないので(@_@)15時からの診察に行くことにする。ちょっと出かける事自体しんどいが、明日は雪かもしれないので今日診察に行かねば。飲み薬も無くなるし。とにかく、こうしてやすまざるをないのはやはり何か意味があるのかな。ふぇ、せっかく家に居るのにヒストリーに着手するエネルギーが無いのがくやしい(>_<)


たんちゃんがベッドですーすー寝てる時、体調悪くてこっそり一階に行っておふとん敷いて寝てると、ふと気づいたたんちゃんが、あー、おかあさんおふとんで寝てる、ぼくもぼくも、って言ってにゃあにゃあ鳴きながら、階段降りて来て、おふとんの左側に潜り込んでうでまくらして寝ておかあさんをあったかくして一緒に寝てくれたのににゃ。


少し眠るがやはり芯の熱がとれない。天候と体調のせいか、母やたんの事をかんがえてすこしぐずめそ。あのすさまじい3か月のさなかも体調崩すなどという事はなかったのに。不注意とはいえ、今の状態はなにかの意味があるのかな。


やはり時間の経過とともに表面の痛みが復活し、芯にある熱があがってきたようだ。きもちもわるくなってきた。何もできず。というか寝るしかない。くすん。回復せねば。


四十九日まで時々にゃんこの姿を見て追いかけた事もある、って友人の話がうらやましい。あのうんち以来はっきしたんちゃん、て来訪じぇんじぇんないよぉ。


表面的な痛みは当初に比べだいぶ良くなってきた。さすがお医者さんの薬。ただ、体調そのものがあまり良くない。芯に熱があり慢性頭痛とは違う頭痛目痛が。中が炎症おこしてるんだから仕方ないか(>_<)
明日の診断でこれからの治療法が解る。とにかく足がつけるようになって、ころオフには杖なしで参加したい(T-T) ころんたさんが杖でよたよた登場。やだーーーっ)'0'(


続けてロバート・キャパの「くずおれる兵士」の謎解きを観る。22歳で恋人のゲルダが撮った写真が自分の作品として世界中に有名になってしまい、その写真が有名になる直前ゲルダは最前線で命を落とす。その苦しさがノルマンディー上陸作戦への随行へと駆り立てる。見ててくるしくなった。正義のための戦争など無い。偶然撮影されたという、一本道を避難民と逆方向へ並んで歩いていくキャパとゲルダの後ろ姿は、おそらく昂揚感に満ちた道行なのだろうが、その後を知ってしまった視聴者には、もの悲しく思えた。


清盛の後は何やっても面白くないに違いない、それに八重さんはスナイパーてのが引っかかっててどうしようかなと思いつつ最初から観てしまった「八重の桜」。おもしろい。なんせ幕末もんじゃけんね。おおおおお安政の大獄だわ松陰無念だわ桜田門外の変だわをいっぺんっ。反面、お嫁に来たあねさまが、土や作物にお礼を言う柔らかなあたたかい言葉に、あねさまはなんて素敵な女性なんだろうって思わせるあたり、確かゲゲゲの女房を書いた方だと思うけど、いいなあと思った。清盛に続いて大河が面白くて嬉しい。


くすん、ふべんだ。んでもチケット見てえへへ。すかす、やっぱり夕方になってくると傷から奥がじんじん。頭痛ががんがん。9日までにすこしは良くなってますように。とにかくじっとしてるしかないわけね(T-T) し、しまった。豆撒く前に食っちまっただ)'0'(んでも年齢と同じ数なんて食べられないよー。それと、なに恵方巻きって?巻きずしがぶりついてって、しんでもやらん。


うう、せめてころオフの時は杖ついてませんように。てか山ちゃんも地下が嫌だったので、わざわざ遠い花園神社店をとっちまっただよ(;_; )( ;_;)症状によってはころちゃん一次会で敗退かなー。主催者なのに。あ、主催者が泣く泣く中座って、これいつもの事か。


今日は快晴!たん日和だ。チケット取りに行っちゃお。杖ついて外に初デビュー。嬉しくないけど(T-T) おばかなころ。昨日チケット取れなかったらこれはもう、たんちゃんの船出と同時に第二期新月と一緒にころちゃんもここまでなのかなとか限りなくどん底マイナス思考の覚悟してたりして。諸行無常諸法無我、融通無碍とか自分で言っちゃってたりしてたくせに、結局ずっと囚われていたわけじゃん。んでも昨日のチケット一生懸命取ってる自分はやっぱりそんなとらわれには関係なかったにゃ。素直にライブに行かれて嬉しいにゃ(=^・^=)


もうはるたんいないのであちこち開けっ放しでも平気。らくちんだけどそれがさびしいなあ。


9時間寝て朝起きたが、ふたたびジンジンじんじんジッタリンジン(古)。健康体でヒマになったわけではないので思うように行くわけがない。芯に熱はあるらしく体調もいまいち。すかす不便だがよく考えたら足でまだ良かった。手だったら何もできないもんね。パソコンも打てないし料理も出来ない。まだ良かったのだ。不思議なことに、昨日からころちゃんの左側からしていたいろんな物音がピタッと止まってしまった。それはそれでさびしいのだが、母は忙しいのでころにばかりかまっているわけにはいかないのであらう。


日暮れになってきて、どんどん痛みが増してきた(@_@)単に薬が効いてる間は抑えられてるって事だけなんだね。早々にお風呂入って薬ぬって寝てしまおう(T-T) ずきずきになってきた。そだ、お医者さんが4、5日してから悪化すると言っていたっけ)'0'(足の中にトンネルが掘られてるんだもんね。ううっ。母の教えは痛いのだ。でも、今日は新月のチケットを無事ゲットできたので気持ちはるんるんなのだった。いでで、寝よう。芯に熱もある感じ。


スパゲッティナポリタンケチャップべたべたが食べたくてピーマンなかったが作ってたべたら懐かしかった。


うーん。1989年以降。高笑いしてるばやいではなかった。どう纏めるかな。じぶんの書いたものを読み返さないとわかんなかったりしち。この自宅謹慎中になんとか纏めねば。


ネイビーブルーの杖の柄あんまり可愛くなーい。地味やね。
うう。午後から傷口がじんじんしてきただ。外出禁止令が出てるくらいだから、低温やけどを甘くみてはいかんの(T-T) 来週のころオフまで杖ついていたらやだなー。


んでもって、そうだったのかと、えーん。うるうる。


よし、とにかくこのドクターストップを好機ととらえ、午後から新●月ヒストリー着手だ。新生新月コンサート前に第二期新月のころなりの総決算だ。久々にYESカップにアールグレイのミルクティ。


たんちゃんが自分の命と引き替えにおかあさんにくれていたものは、おかあさんが「お母さん」の事ばかり考えて神経がつぶれないようにしてくれたこと。ふつうの子なら左心房が停止、右心房がわずかに動いている、などという症状になる前に亡くなっているのに、たんちゃんは年を超して頑張って頑張って頑張って、最後の夜まで元気にふるまって見せて、おかあさんの気持ちを明るくしてくれた。絶対にあきらめない。これを教えてもらったもんね。はるちゃんごめんね、たんちゃんごめんね、って思っていたけど、このごめんねはいけない言葉で、「ありがとう」って言わないと、はるもたんも困るんだって。だから、ありがとう。


わーん、40分かかったけど、自由席取れて良かった。いっとき立見席すらとれないかと思った。よ、良かった、スリリングな40分だったよぉ。すぐにファミマに飛んでチケットを受け取りたい。医者から外出禁止令が出てるが歩いて10分、いや杖ついて15分くらいは良いかと思うのだが、雨風強いし杖ついて転倒虫の山波では洒落になんないので、がまんするだ(T-T)


たんちゃんの事思い出して、10時丁度に『殺意への船出PART2』が始まるようにセットしてみた(=^・^=)
はずだったのに、ありゃりゃ、時間前に『殺意への船出PART2』始まっちゃったよー。ど、どうなる)'0'(


うん。チケット争奪戦難しそうだけど、気持ち静かに臨もう。


母の写真に、わかった、と言ったら、やっとわかったのしかたないわね、と答えたようだ。全部いっぺんにやろうとしたって無理でそれで結局パンクして完成度低いころだしね(T-T)


歩けなくなる恐怖。
母はこの恐怖と闘いながら、父が認知症を発症してからの10年間病院に通い面倒を見ながら、でも趣味でもあるお料理必ず自分で作ってて、70過ぎてから10年前なのでまだシニア向けの教室などない頃にパソコン始めたりお習字に行ったり手芸したり友人たちとランチしたり父の若い頃からの趣味であった謡がせめて脳活性化に役立つのではないかと毎週謡の会にバスで通い、ガンガン歩く事は出来ないけど温泉旅行に行ったりと、常に動いている人だった。亡くなってから弟が発見したがネットバンキングまでやっていたのにはびっくりした。
両手で杖をついていたので、バスに乗る時もたつかないようにするためだろう、二人分の片道のバス代がそれぞれに全部きちんと入れてある手作りの布製の小銭入れがたくさん引き出しに入っていたのを見つけた時は涙が止まらなかった。これを多分バスを降りる時父に渡して父がバス代を払っていたんだと思う。
低温やけどは確かに普通のやけどに比べて症状は重い、重いが治療と日柄で完治する。だけどころも母とたんちゃんと同じ変形性膝関節症で、膝は放置していたら悪くなるだけなのだ。
今やけどの足は右足で、やたらころの左側で先日からずっといろんな事が起こってるのは、母だ、母が注意しろ、と言いに来てるんだと、はっきりわかった。全然怖くないもん。
物音や赤とオレンジの光もそうだし、電話までかけてきた。もしかしたら、わざと低温やけどさせたのかもね。歩けないってこんなに不便なんだからね、って。
母は自分の命を引き換えに、入院前に父を施設に入居させ、自分が介護される事もなく、子供たちに一切の面倒をかけないようにしてくれた。
母は現実には、数歩だけ自分の足で歩いて船出してしまった。それは無念であったに違いないけど、今は、現実には数歩だけ歩いて、夢見てた自分の足でお出かけは出来なかったけど、いくつになってもだらしのない娘のところへ来て、四十九日には水を飲み干して見せたり、注意して回ったりとあちこち行き来して生前にも増して忙しくて仕方ないらしい。
この痛さは、母の深い愛なんだと痛感して、今、あらためて、感謝に涙が止まらない。母に身を持ってわからされたのだ。自分が生かされている意味もちゃんと考えなければ。


すかすきのうちびっと怖い先生がころの足見た瞬間あまりにひどいありさまに鳩が豆でっぽう食らったような仰天した顔が忘れられない。
今朝はまだ多少腫れているけど、表面的にはだいぶ良くなってる感じはあるにゃ。痛みも格段に減ってる。もちろん杖は必要なくらい痛いけどね。本来だったら初診の日安静にしていれば今日あたりで次のステップの薬が診たてられるような症状になっている予定だった。昨日の先生の診断でかなり深い、とのことなので長期戦は覚悟せねば。


昨日会社の友人たちに、お母さんの葬儀後から、たんちゃんの危篤や、たんちゃんの介護、たんちゃんが亡くなるまで信じられない動きをしていたでしょ?だからこうしてやけどした事は絶対に意味があるんだよ、自分の身は自分で守るんだよ、会社の為に悪化させたって会社は何もしてくれないよ、という事を、身をもって実感。空き家の片づけも父の施設にもなかなか行かれない事のうしろめたさも含め、あらゆる焦りがあったのも事実。でも彼女たちにも全く同じ言葉を返したけどね(*^_^*)


ヒキニクと地元産のじゃがいもたまねぎにんじんでそぼろ肉じゃが(^〜^)キャベツにんじんユデタマゴのサラダ、しらす、アルコールは飲めないので白いごはんでうまっ。すかすビール飲まないとあっというまにごはん終了やね。


明日は新月プロジェクトのチケット発売日。いくらなんでもこの時まで杖、ということはないとは思うけど、むむ、やっぱり席取りたいなあ。すかす、この足の有様を見ても、ころちゃんのおみくじ「凶」が本当だったのではあるまいか。いずれにしろ節分までは昨年ひきずってるしね。でも新月的にはもうクリスマスから新年のはずだが。第二期新月サイトのシンボルたんちゃんが船出してしまったので、もうそういったことすら、ころちゃんからは一掃されてしまったかな。そんな答えも明日出るのかな。


銀座のリクリエイトの番組やってた。フェルメールの青から北斎の青。福岡先生の顔見るといつもその腹話術のお人形思い出すのだがごみんなさいごみんなさい。行きたいっ、と思うが、う、とにかくこの足治んないとどこにも行かれないじゃん(T-T) 来週の通院日まで謹慎の日々なのだった。


杖、届いたがネイビー地味であんまり可愛くなかった(T-T) まあいいか、ずっと使うわけじゃないもん。


早速お見舞いメールを頂きうるうる。高幡不動に行ったついでにころの治癒をお祈りしてくれた人もいるそうで、ありがたやありがたや。


家に帰ってから、やっぱりころの左側、で何か音がする。なんだろ??でもね、本当に怖くないんだよね。


海の幸のサラダ 南瓜のスープ トリニクと茸のクリーム煮 アプリコットのムース

「新月小史」を見る時間はなかった。山ガールトリオは未だに山に行けてないが、このランチにこぎつけるまですら長い道のりじゃった。ころがこんなにならなければ大山に行かれたのに(T-T) なぜかイタリアとフランスの旗が両方立ってるお店を二人とも気に入ってくれて良かった。味はしっかりついてるのにくどくもなくさっぱり。
会社の話にもなってしまうが、やっぱり三人ともたまっていたのはペットロスの話で、みんなでうるうるしたりして、でもこれが必要だったんだよね。良かった良かった。楽しかった。またランチしようと誓い合う。
それと、母の船出、たんちゃんの船出、それぞれの後復帰しようとすると何かが必ず起こり、今回もこのありさまで絶対に早すぎるんだよ、何か意味絶対にあるんだよ、と二人にと言われて確かに納得。特に今朝まで「歩けなくなる恐怖」をとことん味わったので、長期戦でも完治させねば(@_@)


綺麗に洗ってから通院するようにと言われていたので、ガーゼはずして仰天。水ぶくれがスーパーボールのサイズになってて足が1.5倍に膨れ上がっていた。痛いわけだ。わずか5分のバス停まで歩くことも困難そうなので断念。タクシーで病院へ。待ってる間もずきずき。そして足を見て先生が絶句していた。30日に、水抜いて薬をぬって安静にしていればこんな状態になるわけがないそうで、あの日どうしても休ませてもらえずほぼ座るヒマもなかったせいでこうなっただ。もう自分の身は自分で守ると心に固く誓う。お医者さんから当分の間外出禁止令が出ただ(・・;)すかす、あれほど痛かったのに、お水を抜いてもらい、お医者さんの薬を塗ってもらったらあれほど痛かったのがうそのようにひいて、もちろん芯の部分は痛いので傘を杖代わりにしてたけど、かなり良い。ほんとに低温やけどは素人では絶対治癒しないと書いてあったが低温やけど、って名称だとなんか症状が軽く受け止められそう。お医者さんから、かなり深い症状と言われて、夕べの自分の足がくさっていく感覚を思い出し、うううやっぱりと思う。 水泡が今度出来たら自分で針でつついて水を出すようにと言われてひいいいぃ)'0'(


もう一日早く杖注文しておけばよかった。仕方ないので傘を杖代わりにしてでかけよう。夜雨だそうなので、長い傘持ってても、夜遅く帰る人なんだと思われれば違和感なかろ。
大山に行かれないので、山ガール二人がわざわざこちらに来てくれる事になり、せめてランチをすることになっただ。田舎にしてはかなり美味しいご夫婦でやってるイタリアンがあるのでよやくした。お医者さんが早く終われば待ち合わせ前に少し「新月小史」に目を通しておこうかな。しかし痛いよぉ。


ここ数日、夜不思議な事がたくさんある。それも必ずころの左側の頭の上、部屋の隅でいろんな音がする。ガタン!と言ったり、ことん、と言ったり、今日は自分の家の電話の音でない電話のベルが何度か鳴り、光の粒が点滅していた。ただ、怖い、という感覚は全くなかった。何なのかな。


両足が痛いのに、父の世話をしながらも、さまざまな事にチャレンジしていた母、いっぱいいろんな病気のデパ―トだったのに、絶対にあきらめないチャレンジャーだったたんちゃん。それにひきかえなまけもののころ(T-T)
あ、いっこ。猫の心筋症で一番最悪の症状は血栓が足に飛んでしまうと生きながら足が壊死しその筆舌に尽くし難い激痛に、安楽死を薦めない病院ですら安楽死を薦めると言うので、それだけは絶対に回避したい、そうなったら代ってあげたい、と念じたっけ。そんならこの願いを神様が聞き届けてくれたのかもしれないので、この程度の痛さなら、おかあさん全然へいきだよ、たんちゃん。


母、たんちゃん、そして自分。なんか、足、に共通点があるにゃ。すかす、こんなになってみると、占いのせんせいより自分でお地蔵さんでひいたおみくじ「凶」の方がやはり正しいのでわ。


夕べ痛くて眠れず。何度かやってくる、足の中心へぐーっとひきつれる激痛が、自分の肉が深く腐っていっているのだという事が自覚できた(;_; )( ;_;)わかりやすい解説が、短時間で高温で焼くステーキは時間が短ければ中身はレアのままだが、低温でじっくりじかんをかけてことこと煮込むお肉は箸でもほろほろ崩れる。つまりそれが今のころの足やね(@_@)痛い、とにかく痛い(T-T) コドモの頃から怪我とは無縁だったので、よけいダメージきついかも。今日杖が届くが、これをいつまでつくことになるのだろう。女の先生から湯たんぽで低温やけどするのに珍しい場所ですと言われた。ふつうはふくらはぎだそうだ。よりによって一番体重がかかる足の裏で、それだけでも普通の低温やけどより完治に時間がかかるのは素人でもわかる。手術だけはやだなあ。えーん、歩き回るのが大好きなころちゃんがー。あと2か月でどのくらい治ってるのかわかんないが、ライブの立ち見は到底無理だにゃ。


ケーブルテレビで放映していた「アレクサンドリア」という映画を途中から観た。えーん、最初から観たかった。古代ローマに実在した女性天文学者の偉業とその人類の宝が宗教の名の元に抹殺されてしまう。途中からだったのでよくわからなかったが、こんな良い映画をやっていたなんて。ヒロイン役の女優さんの凛とした美しさが素晴らしかった。ラスト、ヒロインに思いを寄せていたかつての弟子の行為は窮極の慈愛と捉えて良いんだよね。最初から観たかったなー。


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