ころんた日記


2014年1月の日記


薬を変えてもらったので、明日はすこし良くなっているような気がする。


病院に行ってから、先生に肺炎の疑いがあると言われて)'0'(血を抜かれたりレントゲンとられたりで結果出るまでしんぞうばくばく。結果はシロでよ、良かった。薬を変えてもらい様子を見る事になっただ。午後から今度はものすごい咳で咳するたびにあだまががんがん。今頃みんなオーストラリアワインで乾杯やね(T-T)秋山兄弟のドキュメンタリー見たいがその前に寝るだ。


という言いつつあだまががんがん。まずは回復だ。実家の整理も父の施設も新月もやるために。


真っ向から否定されたという部分だけ抜き出しての連想で、自分の事を書くのはおこがましいけど、ファンサイトとして始まったばかりの頃はいろんなひとたちが応援してくれて暖かい言葉ばかりもらってた。皆さんからころんたさんがやりやすいようにやってください、ってファンの方々の無償の好意に涙を流したのは数知れずだった。
でも新月の再活動が「当たり前」になって形が見えてきた頃から、中傷されたり心無い攻撃を受けたりしたっけ。
自分のキャラもあるんだろうけど、プログレどころか音楽にも詳しくない自分たちより劣る平凡な人間がなんでこんな事やってるわけ?ってところらしい。殆どの人たちに引き留められたけどmixiも辞めざるをえなかった。四年間一人だった頃よりきつかった。
なんで。自分はただ新月が好きなだけなのに、と思いながらほんのちょっとだけ神経病んだ時もあった。自力で抜けたけどね。だからのちになってからだけど、公認の看板を外して本当に良かったと思う。
でもやってこられたのは、やはり、もう、一人ではなくて、そういう音楽的な事はほかの人に任せて、ころんたさんはころんたさんで良いんだからと言ってくれていたいろんなひとたちの支えがあったからだよね。
10年前の今頃みたいに、新月に全てを投入するスタンスは、新月本隊が大きく変化したように、同じく大きく変化してしまい叶わなくなってしまったが 、まだ未完成の、自分で決めた事を完成させていく為に、いろんなひとたちに感謝しつつ、細々と、地道に「去年と同じ」いろんな事の義務を果たして行かねば。その中のひとつに今はファンサイトの維持がある。
今日は新月だ。


おばあちゃんのプレゼントの白の割ぽう着にムーミン好きな可愛らしい雰囲気の、でも大発見をした小保方さん。ニュースで彼女のインタビューを聞いたけど、真っ向から否定されて悔しい思い、泣き暮らした夜も幾度も、でもあきらめなかった、彼女に共感した多くの研究者の協力によって、発見が出来たという事に感動した。素晴らしい方だ。


20時前にはおふとんに入って眠る日々なのだが朝まで爆睡出来る。もう10日なのに思った以上にダメージ大きかったんだなー。咳でるしあだまがんがん。新しい病院はネット予約ができるので便利。で、予約するのでいやが上でも行かなくちゃいけないって、思うから医者嫌いなころちゃんも行かねばと腰があがるしね。早く復活したいよぉ(T-T)


今日の集まりに参加の友人から昨日から風邪をひきキャンセルの連絡が入ったが、症状からして、そ、それほんとに風邪か(・_・?)


咳が出てきた。あだまじんじん。またあしたお医者さんに行った方が良いのかも。とにかく寝るしかないや(-_-;)


昼間寝るのはがまんしたのだが、あだま目ががんがん。なんか別の風邪をひいてるような気がする。とにかく早く寝よう。今日の能楽堂悔しかった。2日の能楽堂もくやちーが早めに譲って正解だった。来週、し、四川料理(@_@)


にゃんこわんこかわゆいのぉ。ひとさまのふわふわもこもこのコたちをみながらでへへへへとしていた不毛な一日(-人-;)


明日の夜は高校時代の友人たち6名の女子会(女子高だから当たり前だが)を同級生のお店で行う予定だったのだが、一人キャンセルの連絡をお店にした。なんで自分が幹事で予約したお店を自分だけ欠席になるのだ(T-T) オーストラリアワインを飲みながらいろいろ食べる予定だったのに。ううう。ころオフの告知はしたが今辛い四川料理の事考えたくないよぉ。うう、ううううううう。


くすん、今頃元気ならどこかでランチしてるんるんであの張りつめた空間の中わくわくしているのに〜。そう、今日のチケットも正面席を取れていたのら(/_;)せめてちょうどBSで「法隆寺の秘宝」を放映していたので目の保養した。ちょっとでも良いもの、を見てちょっと元気になった。


ふと気づけば、せめてシネマ歌舞伎でと思っていた「春興鏡獅子」も終わってしまっていた。Bunkamuraで観たかった「ファイアbyルブタン」もとっくに終わっていたし。まあとにかく今年もこんな感じなんだろーなー。まあ昨年の低温やけどもだけど、同じ時期こんなになったのも、暴走せずまたすこし内省的になれという事かな。目の前の事地道にやって、たまに楽しい事があって。


明日は新月。そして・・・二月が始まる、二月が。きゅんきゅんする。


とにかく体力回復に努めねば。ウンウン。ゴロゴロしながら能狂言の本読んだりいぬねこサイトでも観てよ(-人-;) まだ新月聴く元気はないもん。新月を聴く元気がないって事はほかのあらゆる音楽を聴く元気はないって事だけど。


なぜかおなかがユルユル。いろいろ抵抗力が落ちてるのかな。あたまいだいきもちわるい。くすん。
着物がランチが能が。今日の能楽堂は能のみならず、観世銕之丞さんの仕舞、梅若玄祥さんの連吟(T-T) 能の囃子方もすごいし、アイは万作さんなのに。6000円のチケットがただの紙に(>_<)ううううう、行きたい〜。んでも行きたいが行けるものなら行ってみろ(;_; )( ;_;)
紅梅の鮫小紋か淡い淡い紅梅の地紋のある色無地にしようと密かに思っていたのに。くすん。そういえば年末も体調悪くて能楽堂に行ったけど、萬斎さんの狂言だけ観て気持ち悪くなって、帰って来ちゃって、楽しみにしていた「能楽堂版第九」を謡えなかったんだよね。くすん。
2月は大枚はたいた喜正さんの「鞍馬天狗」があるから良いやと能楽堂公演一切申し込んでないので能はない。んでも、奇しくも8日のころオフの日は、昼間丁度芭蕉記念館で開催される「能楽講座」に申し込んであるので、せめてこれでまんぞくしよう。「弱法師」の実演と能面能装束の解説があるそうなので、こりを心の支えにするだだ。お昼は深川めしに、その前に深川江戸資料館見学やね。


去年の一月は、鎌倉能舞台に喜正さんの「天鼓」を観に行ったんだっけ。これは母が「求塚」「海人」同様熱く語っていた曲で、子供がむごい目に遭う内容が多いなか、これは救いがあるのだと言っていた。理不尽な理由で帝に殺された少年の魂が、最後は音楽によって天に昇り救われるという、今で言う音楽葬の物語で、当然喜正さんの舞はすばらしく、母が亡くなって数か月後という事もあり、感無量で思わず落涙してしまったのを思いだす。


ううむ。昨日より体調悪い。インフル経験者から熱下がったあと油断して調子に乗るなよこの!みたいなメールを何人かから貰ったが、うう確かに。寝汗でなんかふつうの風邪ひいたみたいな気がするのは気のせいか。実家やら父の施設やら能楽堂やら高校時代の友人たちとの女子会とかじぇんぶ水泡に(/_;)今日朝唯一明るい話題は、ちゅんちゅんのつがいが来たのでベランダに米粒昨年みたいに置いておいたら食べてた。ふくら雀かわゆす。


あだまがんがんきもちわるい。でもあれだ。やっとあたまの中に新月が流れだしたので、まあ快方に向かっているのであらう。


やはり昨日昼間のうちに少し眠って体力温存すればよかった(@_@)まだ芯に熱がありへんな寝汗をかいてあだまがんがん。んでも部屋がじとっとしてるし、とりあえず午前中は窓開けて布団干して清潔を保とうとぜーぜー。
くすん、明日の能楽堂など行かれるわけない(ρ_;)このチケットは流すしかないや。それに2日も喜正さんの「鞍馬天狗」。諭吉さん奮発してS席取れたのに、これも諦めることにした。可能性としては2日の方が行かれるわけだが、体調と相談でぎりぎりで行かれなくなったら無駄だもんね。
こちらは喜正さんファンのおねえさまが行かれるというので、プレゼントする事にした。彼女にも反対にプレゼントしてもらったこともあるし、喜んでくれて良かった。はっきし言って能に喜んでいく人はそういないので(-人-;) まして一枚だしね。
とにかくチケットを封書にして出しにいかねばで、コンビニ行っただけでぜーぜー。午後からは素直に寝る事にしよう(T-T)


掃除機なんかかけちゃったりしてみてきもいいいじゃんと思いつつ、ぜーぜー。あと一日中寝るのを我慢してみて(なぜか自分でも理由分らず)ただだらだら起きてみたりして。すかす、インフルだったかも?であってインフル検査はもう陰性だったので真偽は不明。ただ思い起こせば、もしインフルだったとして、しばらく本部には顔は出してなくて別のところから直行直帰だったんだから、会社からうつった可能性はあんまりないんだよね。電車とかバスなのかな。夜になってきてなんかふつうの風邪の症状みたいのが出てきた。あだまがんがん。ごはん食べてはやく寝よう(*_*)


なんとか午前中は頑張って起きて居ようと、お天気なので万年床になってしまった布団干して空気の入れ替え。ぜーぜー。熱で寝たきり状態の時はただ唸って寝てるだけだったけど、回復しかけてきてからの方がなんか気弱になって、たんちゃんがいないととかめそめそ。だってどんなに具合が悪くても、おトイレのお掃除とお水とごはんのお世話だけはしないといけないから、気は張ってたわけだけど、もうそれもないのでどっと気弱が来てしまうのかも。


朝36度9分まで下がるが、紙をはがすようには治らない。あだまがんがんじんじん。水曜日の朝ちょっと一緒だったアンちゃんと、お互い朝から調子悪いんだ・・・と言いあっていたのだが、彼もその晩から倒れたそうだ。同じだったのか。会社では昨日さらに2人インフルで倒れたらしい。菌の巣窟だったのね(@_@)
某メーカーのプロポリスキャンデー信者で、これ舐めていればインフルに罹らないと信じてたのに神話が崩壊してくやしいのぉ。でもとにかく静養回復に努めねば。なんかまるまる一週間がごっそり失われてしもた。あらゆる予定がぱーになってしまった(-人-;)


歩いて20分ほどの新しくできた病院に行く。綺麗だ。先生が話しを聞いて、おそらくもう結果は出ないだろうがインフルエンザだったはずとの事)'0'(。。ハナの奥に綿棒つっこまれる検査したが陰性だったけど、38度で楽になったと感じたので、相当熱は出ていたはずでふつう48時間以内に薬のまないとダメなんだって。自力でインフルから生還したころ。どおりで死ぬかと思ったわけだ(+_+)お医者さんもあきれ顔。思い起こせは二十数年前に同じような事があったがあの時も医者に行かず治ったのだが、あれもインフルだったのかなあ。おなかいっぱいになりそうなほど薬をもらった。とにかく回復に努めねば。あだまがんがんする。


明け方になって少し汗をかいて少し楽になる。熱測ったら37度1分にまで下がっていた。普通ならころちゃんこんなに熱がっという体温だがずっと高熱だととても楽。医者に行くまでに回復に近づいただ。あだまと目ががんがんきもち悪いのは変らず。


体動かず、結局昼近くなって仕方ないのでぜーぜー言いながら着替えてバスに乗る。死ぬかと思った。少し汗をかいたので熱が下がるかと思ったが全くそのような事はなく当たり前だが再び熱があがり帰宅してそのままひっくり返る。


水曜日這うように会社から帰宅しひっくり返って早や5日。一旦少しだけ起きたのがいけなかったらしく、それから節々の痛みと熱に浮かされのた打ち回りながら、ただ寝ていた。死ぬかと思った。体温計を探す気力もなく熱が何度あるかもわかんないまま医者嫌いのころが医者に行きたいと思うレベル(T-T) でもとにかく体が動かないのでうう。ただインフルに罹った経験があるので、これはインフルではないとは思っていたが、ここまできつい風邪は久しぶりだった。すこしだけ動けるようになったので、体温計見つけて計ったら38度だった。もともと平熱が低いので37度でびょうにんになるころちゃんだが今朝計ったら37度6分まで下がっていてなんとなく楽になった気がする。のたうちまわっていた時は何度あったのだろう(・_・?)実家関係の用事は叔父叔母に甘えてお願いする事にした。お願いしないと怒るのだ。怒られるのはいやだ。医者に行きたいが今日は日曜日で病院休みじゃん。あだま目ががんがん寒気がするが、今日、何がなんでも用事で出かけねばならないので、這ってバスに乗らなくちゃ。うう、なんとか午前中に戻ってきて寝よう。


昼オカユ食べてからそのままひっくりかえり節々あだま目痛にのたうちまわり、這ってト〇レ行く以外はひたすらフトンの中でこのころちゃんが水以外何も口にしないまま18時間。うう。んでも朝いったん起きてオカユ作ったので食べて寝る。くやぢー。


思い起こせば昨年の今頃。たんちゃん船出、母の百一日の大山参り済ませて、区切りがついたところで、湯たんぽで低温やけどになったんだっけ(・_・?)


11時間ぶっ通しで寝て多少楽になったがあだまがんがんさむけ。んでも食欲はあるので、鶏ガラスープに白菜と生姜とはるさめにお餅入れて食べて風邪薬飲んでお昼用にオカユ作って再び寝る。


昨日の昼間の時点は、まだ明日になったらなんとか治ってるかも、と思ったが、当日レストランをドタキャンしたら迷惑かかるので、やはりキャンセル。半年ぶりに行く、ベルギーで修業したシェフのビストロで魚介類を楽しみにしてたのに、くすん。父の施設に行こうか家の用事をするかして、友人とランチして別れてからお地蔵さんに行ってお参りして、縁日や占いをのんびり見て・・・とか思っていたのに予定がぜんぶぱー。ふぇーん、ころちゃんのあたまみたいじゃあ。お地蔵さんのお参りは三年参りしなければならないのに、二年目で挫折(ρ_;)


昨日朝起きたらいきなり風邪をひいていた(;_; )( ;_;)早出の日は漏れなく残業で一日ふきさらしに居たようなものなので、家に居たいなあ、などと思っていた時点で少し弱っていたわけやね。休めないので這って行ったが一日長かった寒かったハードなおゆうぎじゃった。帰るなりダウン。


去年と同じね、なるほどね。これが生活というものだにゃヾ(=゚・゚=)ノニャン♪


ううちかりた。あしたも早出やね。んでも23日はお地蔵さんなので休むのだ。朝父の施設に行き、わずかな時間だが友人とランチしてそれからお地蔵さんに行くというレースなのだった。どこかで一日家に居たいなあ。と、とにかく早く寝なければ。通勤片道2時間、帰りは待ちあわせのせいで二時間超えは、はちと堪えるやね。飲み会の時は平気なのに(・_・?)


あり?そういえば海外出張中の弟が帰国するのがやはりお地蔵さんの日23日なのだが、はなさま帰国もこの日なのかな?じぇんじぇん知らないもんだし時間もわかんないけどもしも知らないまま成田でニアミスしてたらおもしろいなあとか、意味がない事をぼんやり考えていたりしち。


明け方ねこの夢見た。なんか球形のわらぶき小屋みたいなところで、いろんな人たちと一緒に居て、天井の近くで鳥を飼ってるらしいがそれを襲ってきたのが黒のトラ縞ねこ。鳥は無事なんだけどねこもすぐ逃げちゃう。んでもなぜかみんなねこ憎しではなくて、このねこが欲しいの。んでもって、この仲間の女性が見事にねこを捕まえて、嬉しそうに膝に抱っこしたら、このねこも借りてきた ねこそのままに、ゴロゴロ言ってまんまるの目で女性を見上げて可愛い表情で、かわいいなあーと思ったところで目が覚めた。


ばたばた。明日は早出だしにゃ。通勤時間片道二時間弱はいかがなものかと(゜゜)不用の着物を買い取ってくれるところがあるのをつい最近知った。もっと早く知っていればなー(;_ _)文字通り「捨てた」着物が何十枚あったことか。おばかは罪だ。かなりおちこみ(@_@)。ネットでひとさまのねこ画像を見てでへへ。ねこカフェ行ってさわりたいのぉ。で、でもだめっ)'0'(身を持ち崩してしまふ、そして横死なのだっ(=^・ェ・^=)


大寒だけど、そんなに寒くないね。朝ちゅんちゅん二羽電線に止まってこっち見てた。あ、と思ったら向こうに飛んでいってしまった。縄張りが変ったのかもしんないね。でもちょっと安心した。


ねこカフェ行きたいなあ(゜゜)
んでも、最初おそるおそる行ってみたらもぉパラダイスで20分のつもりがもう少し、もう少し、とか延長して、お目当てのにゃんこなんか出来たりして、でもなかなかおもちゃ振っておびきよせようとしても膝に乗るどころか近くにも寄ってくれなくて、それがほかのお客さんの膝に乗ってるの見て嫉妬に狂っちゃったりして、そのうち見境なく通いつめちゃったりして、そしたら、にゃんこ一度だけ膝に乗ってくれてもおこれで舞い上がっちゃってさらに通い詰めたのに、一度きりでお目当てのコは振り向いてもくれずほかのお客さんにすりすりしてるのを見て泣きながらにゃんこを追い回したりして さらに嫌われたりして、お店の人につまみだされてたりして、それでも帰らずしょんぼりして窓ガラスに鼻くっつけて未練たらしくお目当てにゃんこ見てたら、そのにゃんこが急に外に出てきて、こっち来て、えええええついににゃんこが振り向いてくれたのねと喜んでいたら、にゃんこマタタビ吸いながら「お客さん、もういい加減にしとき。うちは誰のものにもならへんエ(どこ出身のねこなんだ)」とか言われて膝からくずおれたりして、そのままがっくりきて行き倒れになったりして、わーーーーーーん、ころちゃん可哀想(;_; )( ;_;)死して屍拾う者なし)'0'(
すかす、なんでねこカフェに行ってみたいなあ〜でころちゃん横死になってしまうのだ(ρ_;)


なぜか古酒を飲む夢を見ていた。すごいお金持ちらしいマダムのお宅にお邪魔するのだが、マダムはふつうのユニクロみたいの着たきさくな老婦人。そこに全然しらない人と、自分自身もころじゃなくてし違う人なんだけど、これがころらしい。
そこにマダムが金色に光る貴重なお酒が入った透明な壜取り出してくれたんだけど、もう壜の底にひとくちぐらいづつしか残ってない。こんな貴重なお酒がなくなっちゃいますよ?と言ったら、マダムはいいのよいいのよー、とそこにやってきた若いお手伝いさんにも、あなたも一緒にどう?って声かけて、お手伝いさんも嬉しそうにいただきますって、女性四人で酒盛りになることに。
盃がころがもってる中東の遺跡の形のお香立てに似てる平たい盃やら金色で縁どられた素焼きの盃やらに銘々ついだら、なんと発泡酒で、ぴちぴちぴち、水琴窟みたいな音がしてみんなで自分の耳にちかづけて音を楽しんでいた。
そこにマダムの孫らしい五歳くらいの男の子がやってきて、その子の耳にも近づけてあげたら喜んで、みんなまんぞくしたので、さあでは飲みましょう!という事になったら・・・
えー、お酒が盃に吸い取られてもう湿ってる程度にしかのこってなーい、ってみんなで未練がましくせめて香りでもと、盃を唇につけようとしたところで目が覚めた。なんなんだ。すかす、酒のみはいやしいのぉ。


ううさむかった。ちびっとまた風邪気味になってしまった。とっとと薬を飲むことにする。あだまがじんじん。


こっちが雪ちらついていたから町田は吹雪鴨!?と思って覚悟してたら、晴れてやんの。ながぐつとか履いていかなくて良かった(・・;)


雪は観てるぶんにはいいけどね、って北国の人はすごいよね。うういかねば。


「去年と同じ」。つまりおんなじように時間使ってあたふたしながら地道に行くのだろうな。んでも合間にライブにも行かれるし、飲み会にも行かれるし。ただ、これに麻痺しちゃだめで、そういう時間や場を与えてもらえる事に感謝しなければ。


JR町田駅の目の前にねこカフェがあるんだよね(゜゜)行きたい。行きたいけど、なんか行ったらきけんな香りがする。ちょっとのつもりで行ったら、なかなかお目当てのねこちゃんが来てくれなくて、もうすこし、もうすこし、とか言ってるうちに帰れなくなったりしち。


それにしても、すずめが全く来ない。昨年あんなに来てたのに。というか群れごとこのあたりからいなくなってしまった。なぞだ(?_?)


きょうははるちゃんを荼毘に付した日。あの日はこんなじゃなくて晴れて澄んだ青空だった。


早めに風邪薬を飲んだので風邪はだいじょうぶ(^人^)


朝、マルコシアスバンプの連日ライブを堪能してるんるんで泊まっていた新宿のホテルで朝起きて、なにげにつけたテレビに日本に、戦争が起こったのかと思う光景が映し出されていた。息を呑むというのはこの事かと思った。それが1月17日だった。


今日は地獄の窯が開き、来週二十三日はお地蔵さんだ。昨年一月のお地蔵さんでは、ふしぎな事がいっぱいあったけど、今年はどうかな。


今日は昨日よりはあったかいらしい。てか昨日が寒すぎだから、きのうより、って事やね。風邪気味でちとあだまがんがん。これはいけません。新年会をという声があるのだが、今月はちと厳しいので二月に、鬼受難応援飲み会(なんのこっちゃ)開催かなー。節分の後になっちゃうけど、てかあだまと目がいだい(T-T)


釜揚げしらすにモンプチのかんずめ、シーバのスープ、竹の香りのお線香(=^・^=)なかよく食べるんだよ。


寒すぎて実家のまわりのねこちゃんたちも姿みせなかった。どこかあったかいところにもぐってがんばるんだよ(/_;)


桜えびのかき揚げとなすとかぼちゃのてんぷらにお蕎麦。桜エビ塩をかけてさくさく食べてうま
叔父叔母に車出してもらったり世話してもらった上に叔父に「初花そば」までごちそうになり、おみやげまでもらってしもた(@_@)下手にお礼とかするとものすごく怒られるのだ。怒られるのはいやだ(/_;)どっか行った時おみやげ、とかは受け取ってもらえるので今度そうしよう。ひえぇえ。


寒いのにもほどがある(@_@)ちょっとあだまがじんじん。


きょうははるちゃんの七回忌?だからね、かんずめとスープかってこよう。あの朝玄関で3秒考えて会社に行ってしまった事、いまも後悔してる(;_ _)


母の着物で着ないものをある程度処分する事も考えないとだめかも。おうち着物など優雅な事はもう出来ないだろうからやはりウールは処分かなあ。なんせネックはちびのくせに裄がやたら長いってのもあるね。


今日は空き家に行ってお飾りはずしてこなければ。あっというまに10日経ってしまう。15日までお飾りもないだろが、まあ関西出身ならそゆこともあるかなとか、ないか。それから叔父叔母と父の施設に行く。今年も去年と同じこの繰り返しやね。


まあそのねこオフでは実際もっとしんらつな音楽話が出ただ。ころは〇人囃子は嫌いではないしアルバムももってるが、なぜあれだけ評価が高いのかわからないにゃ。でもさ、ほんとに新月はミッシングリングだ。だから伝説なんだけど、美狂乱みたいにうまく別路線で若者にその名を刻むやり方もあるんだろけど、新月はそれをしない、出来ないのが、矜持なんだろな。あれこれ新月日記か、まあいいか。


むむ。去年とおなじ、は去年と同じ義務は果たさねばならんけど、去年と同じ事してたらいかんという意味ではないかな。天留転?(つまり一文字わかんない)


あの朝なんで3秒考えてはるちゃん置いて行ってしまったのかな。ひどいおかあさんだ。まわりにいるペットロスのれんちゅうは何年経ってもみんなこんな事ひきずってる。母にこの事言ったら母も自分の母が苦しんで逝くのを見た、人間もおんなじ、みんな苦しむのよって言ってた。


なんか、元日のおつげ?は毎年結構ストレートなんだけど、たしかにきょねんとおなじ、というのはストレートな言葉だけど、だからなんだかなぞ深いなあ。天留転?という文字も。


早出だ行かねば。明日ははるちゃんの七回忌?だ。六年目って事だけどね。たんは朝行ったけど、はるは夜だった。


今年は「去年と同じ」の意味をずっと考えていろんな事が浮かぶ。


アフリカ。想像つかないや。コドモ時代たまに遊んでいたけど、大人になって知らない間に海外青年協力隊に入ってたコが、アフリカに行ったと聞いて、驚いた。母の葬儀に来てくれて、数十年ぶりに会ったのだが、なんと「たまたま帰国」した時だったそうで、本当に嬉しかった。もちろんアフリカの話など聞く余裕なんかなかったけど、キラキラした目はコドモの頃と全然変わっていなかったo(^-^)o


成人式だったんだね。振り袖姿のお嬢さんたちがそこかしこでかわいい。慣れない高いぞうりで歩くのがこわくて、おかあさんの袖をしっかり握りながら歩いてた子がなんともおかしかった。やはり目がいってしまうのは古典柄だなー(^人^)


ううさぶい。仕事いきたくない(-人-;)すかす、さぶくても遊びに行きたくなくなるのはなじぇ。おでん作ったので、おでんの出汁汁で炊いたたきこみごはんにおでん、だいこんとツナのサラダのおべんとう(^〜^)一度関西風に牛すじとか「ころ」を入れてみたいが、ころってどこで売ってるのかな?


今日は母の月命日。毎月叔父が必ず月命日にお墓参りに行くと決めてて今日も行ってくれたそうだ。よかった。


なるとで食べ続けてまた肥満が悪化してしもた。


清盛、八重さんと、大河にはまってるが今回の黒田官兵衛もすばらしい。今回もていねいにつくられてる。孫子の兵法がさりげなく挿入されてて現在に通じる部分になっとく。それと白兵戦のリアルさね。いくさ、が起こったらこういう事なんだよね。


すかす、今回考えてロマンスカーの最終にしたんだけど、それでもこれから盛り上がるど、という時間に切り上げないといけないのがさびちー。でも結局今日眠くて爆睡してしもた。


あとはえんえん音楽話やね。なるとのBGMがいろいろ変っておもしろかった。そこからはなしが膨らんだ。


「ねこオフ」なんだけど、じっさいはみんな身近なねこ話は辛すぎるので(;_ _)ねこ話はすこししかしなかった。
んでも、ターンテーブルに乗られてしまってしばらくねこちゃんが回っていたという話が面白かった。
んでもって、もしもそのレコードをねこに爪とぎをされた場合を仮定してのねこちゃんへの説教はなし(=^・ェ・^=)
「ねこちゃん、そこにきちんと座りなさい。きみはおとうさんの大事なレコードでばりばり爪といで気持ちよかったでしょう。でもキミが傷つけたのはレコードだけでなくてお父さんの心も傷つけたんだよ。ねこちゃん、ちゃんとおとうさんの目を見なさい。キミはいけない事をしたんだよ。いいですか、歯をくいしばりなさい!」
おとうさんが平手うちをバシッ!としようとした途端
それより早く繰り出されるねこパンチがおとうさんの顔面にヒット!ヾ(=゚・゚=)ノニャン♪


で、なると通りに行くことにした。一度「ホープ軒」にも行ってみたいものだ。この通りはロックバー1984とか、ミルクホールとかROCKとか書いたお店があって楽しい。おいしそうなお店がいっぱいあった。カレー屋さんもいいなあ。
でもまだなると開店してなかったので、この通りをずっと行ってみようと思ってまっすぐ歩いていたらあれっ、さっとだいぶ先を横切ったあの柄のねこは「ゆきちゃん」だ!
ここでストーカーに変身するころ。うしろを付いてすこし距離を縮めたらあり?なんかゆきちゃんよりでかいししっぽが違う。ずっと後ついてったんだけど、どこかの家の庭に入ってしまってそこで断念。顔が見えなくて残念だった。
あとからままさんに聞いたら、ゆきちゃんはもうだいぶながいこと顔を見せてないそうで、でも最近出没してるころが付いていったコはゆきちゃん似の「はなちゃん」(^m^)だそうだ。なんか可笑しかった。


それんでも40分くらい時間があったので街歩き。「行き行こツアーR」であのお店に行く前に、行かれる人は阿佐ヶ谷街歩きして面白かったらしいが、これは参加できなかったので、リベンジのつもりで1人街歩きしたかったのだが、でもおっきな通りはやはりどこにもである全国チェーン展開してる居酒屋さんとかでありきたりでつまらなかった。
ついでに日本酒のお店の通りにあったはずの「パンダ喫茶」をみつけようと思ってあの通りを行ったのだが見つけられなかった(ρ_;)


はるたんのためのお香「竹の版画」。東急ハンズで買える
ねこオフの日がたんちゃんを荼毘に付した日になったのは偶然なんだけど、ちょうど1007の時刻おかあさん電車に乗ったところで、澄んだ空に富士山が見えた。ペットセレモニーははるの時と同じ移動火葬車をお願いしたんだけどスタッフさんが富士山が見える場所にたんを連れて行ってくれたそうでたんはそこで富士山を見ながらお骨になった。よかったね。


ねこオフまで時間がかなり余るかと思っていたのだが、能楽堂の狂言の衣裳や面や絵巻物の展示を見たり、はるたんの竹のお香がハンズに売ってる事がわかったので、タイムズスクエアまで行ったがこんなに遠かったっけ?東京は広いだ。歩き回って足がいだい。顔もいだい。でメール打っていたらあんまり時間がなくなった。スニーカーみたいな軽さの「魔法のぞうり」に軽い大島で行ってやはり良かった。


国立能楽堂開場30周年の看板が正面に飾られてる 目出度い。ロビーの階段あがって正面に飾られていたおおきなお供え餅。みんな順番に並んで写真撮った
附下も母からもらったのを仕立て直したのだが、これ、一昨年お茶を少し習った時に初釜に着るつもりでいたが仕立てが間に合わなかった。最後の卒業お点前の時は一つ紋の色無地にしたので、結局着ていない。で、この附下、厄介な事に一つ紋がついてしまっているので、能楽堂や歌舞伎座には格が上過ぎて一般人は着て行かれない。くすん。


んでもって、やっぱり着物は着つけひどくても着ていてきもちいいな。能楽堂でみなさんの着物をさりげなく見せていただいて、すてきだなあ。お太鼓にごくごく淡い色彩でさらっとねこが描かれていた帯素敵だったなあ。
曲に合わせて着物えらびしたい。そんな意味で昨年は二度だけ行ったけど、歌舞伎にも行きたいなあ。などとぐるぐる。


世阿弥の主題についての30分の講演はころがやはりぱあなのか?全くわからなった(・_・?)ただおはなしの先生ご自身もわからんとおっしゃっていたのでまあいいか。ふたつの鬼はほんとに楽しめた。


能楽堂に入った途端、つけさげや色無地の格の高い着物の方々がロビーにいらして、たじろぐが、中に入ったら小紋に紬とみなさんそれぞれ着たい着物をお召でほっ。大島の方も何人かいらした(=^ェ^=)♪いつもと違うのは若いお嬢さんがみなさん綺麗な小紋、附下、をお召しで、振り袖いいね。おしょうがつらしく華やかでよいよい。


『科学の夜』までで着付け完了。いつになったらまともに綺麗に着付けができるのだろう(ρ_;)タカノのランチサンドにしたんだけど、ねだんはかわんないけど、量がさらに減ってるような。んでもフルーツサンド、苺のレアチーズケーキ!(^^)!


能が終わるのがかなり早いらしく、えらい時間があまりそう(・・;)ぶらぶら街歩きとか時間つぶそう。


朝抜けるような青空。去年の今日もそうだった。朝からおべんとうをいっぱいつくった。111たんちゃん。


HAL2nd.KRUSKうんうんうんうんうん。


お正月だからやわらかものでないと恥をかくかなと迷ったが、やはり明日の国立能楽堂は着たい着物を着る。母の鮫小紋、母の宝尽しが描かれた塩瀬の帯、が本来お正月にふさわしいなあと思いつつ、自分のために新しく仕立てた大島紬、自分で生まれて初めて買ったお正月らしい綺麗刺繍のえんぎものの帯できりっといこ。能楽堂の後あちこちデパートとか、街歩き(自主的マイゴ?)する予定だし。まあその、転ばないようにせねば。


すかすほっぺたの傷は真っ赤なままで、半分おてもやん(T-T) この部分はお化粧できないので、顔まだらだし(;_; )( ;_;)着物どうするとか以前のもんだいだし。思い起こせばこれも日本酒のせいで転んだんだ。日本酒は当分飲まんぞ(かたいけつい)。


半年熟成していたHAL2nd.KRUSK期待以上に素晴らしかった!(^^)! HAL2nd.KRUSKの動画もめちゃくちゃかっこいい。し、しかし、最後にかわうそが??目をごしごし(・_・?)


HAL2nd.KRUSKの動画観るのはがまんしただ。まずアルバムを先に聴かねば(^m^)


今年はこんなに寒いのに、なぜかちゅんちゅんが遊びに来ない。たんがいなくなった後ベランダに毎日お米貰いに来て、ずいぶんと慰められたものなのだが。


うーん、明日縞で良いのかなあ。みなさんやわらかもので、ころだけ紬、というのもうーーーーーむぅ。お正月はやはりやわらかものかなあ。うーーーーーむぅ。


人間みたいに亡くなった日はただたんちゃんにお供えして、翌日お通夜、1月11日がたんちゃんのおそうしき。はるもたんも1月寒い時で良かったんだよね。明日の10時07分にはもうバスに乗らなければならないので、移動しながら辿るからね。ペットセレモニーのスタッフさんにはずいぶんと癒されたよ。プロってすごいよね。そうそう、たんちゃんにいっぱいおべんとう作ったっけヾ(=゚・゚=)ノニャン♪


シリコンスチーマーに塩コショウした生鮭入れてワイン入れてチン。取り出して汁捨てて、もいちど鮭もどしていろいろお野菜きのこ乗せてオリーブオイルふりかけてもいちどチンでうまっ(^〜^)


んでもって、PHONOGENIXの名を昼間新月日記に出したばかりなんだけどびっくり(・・;)んでもってはなさま一月になると風邪ひいてない?ころは、一月は元気。


いろんな事思い出してた。母は非科学的な事を一切否定してた人だったので、大変やね(^m^)あの当日夢見せたりもろもろ物理的にありえない現象見せたり。


ドア開いた、と言っても、つまりやっとスタート地点に戻った、というだけの話なのだが、ここまで戻るまで、ちょっと時間かかった。


昨日の新聞に載ってたLPプレイヤーからUSBなどの媒体(CDには落とせない)つーのを頼んでしまった。


能にはそれでもコンスタントに通ってるよね。歌舞伎にももちろん行きたいんだけど年に一度行かれるといいかなあ(T-T) 昨年二度にわたる信じられない機会を失ったのはじゃんねん。それにしても着物についてわけわかんない頃は、平気で着物着て歌舞伎座に行ってたけど、多少着物の事がわかった今はわるぐちいじわるな目線がちょっとおそろしい、かな?でもまあ歌舞伎に行くとしたら、着物着て行くだろうが。
能楽堂はその点他の方の着物についてはどなたも何の関心もない。ただ、公演の主旨を間違えると、自分の居心地が悪いだけだ。
とわいえ、もうなかなか着物着る余裕もないけど、なんとかそんな機会には頑張って着物着たい。すかす、それ以前に顔面傷が治ってないわけやね。


うん。ドア開いた。明日HAL2nd.KRUSKと特典CDを聴くのが楽しみ。


午後からえんえん新月聴き続けながら、長襦袢四枚半襟をかけかえた。帯はもう決まってて、一番最初に自分で買った繻子の黒地に、手毬や折鶴が刺繍してあるかわいい系。
着物ははてとにかくお正月能楽堂なので皆さん格が高いと思うが、やはり自分のスタートにふさわしく新しい着物を着たいので縞の着物にした。羽織ってみるとやはり大島なので光沢があり街着には間違いないが、おおしまーと言ってる。これにこの縁起物の帯で良いのではないかと勝手になっとく。
鮫小紋とか色無地とか考えたけど、その後動き回るし、紬できまり(=^ェ^=)♪
狂言は「『鬼』継子」能は初めて観る「野守」。どちらも「鬼」がモチーフなのだ。
月末もう一度国立能楽堂に行くが、これが「西行桜」なので、ピンクの鮫小紋か色無地にしようかな。


今日は、新月を聴きながら、11日に着る長襦袢に半襟をつけて、細雪ごっこしよう。多分2012年春以来かも。細雪ごっこ。今週は空き家も父のところも休ませてもらって、また来週からうごく。そして、うん、明日間違いなくHAL2nd.KRUSKを聴く事が出来ると思う。


ずっと新月を聴き続けている。そして、たんちゃん、ありがとう。なんだか突き動かされるみたいに新月日記を書いた。何度もおんなじ事を書いてるけど、迷ったらスタートに戻るから、これでいい。ちょうど今流れているのは『せめて今宵は』。


そういえばHAL&RINGのお手伝いで発狂したのは「自らまいたたね」とか言われたっけか(T-T)


その後いくつかのバージョンの『殺意への船出PART2』だけを聴くというイケナイ聴き方をしてる。ぷぷ、鈴木さんベース音でかー(^m^)


新月LIVE1979をかけてた。『殺意への船出PART2』はすでに始まっていて10時07分にはもう中盤以降であの囁くような「遠い星で・・・」になってた。意図的に再現しようと思えば曲の時間を計って出来たけど、それはちがうよね。聴きながらもちろん涙が流れて来たけど上を見上げて清々しい、晴れ晴れとした気持ちになった。


「去年と同じ」この意味を考えよう。


自分自身は、もうずっといろんな偶然や不思議な事には慣れっこなので、当たり前に思ってあまり驚かないんだけど、たんちゃんに限らず数字の符号とかいろんな偶然とか『殺意への船出PART2』がかかってるとか、つくり話じゃないのとか思う人も中にはいるかもしれない。事実と真実は違うという意味の事を本で読んだ事がある。でも、ころにとって、事実も真実も全く同じなので、そう思う人にはそう思われても構わないや。


朝岩合さんのねこ番組見たら海外の「タイガー」という名がついてるなんと20歳のノラ猫ちゃんの話題が出ていた。ノラで20歳ってすごい。で、ちゃんと抱っことかされてる。でも、いろんな人が家に連れてかえって家猫にしようおうととしたんだけど「広場がぼくの家だ!」って広場に戻ってしまうんだって。のらちゃんの誇りだね。
前にネットで見た事あるのは日本の話だけど、いつも桜の木の下にいるみんなに愛されてる地域ねこのらちゃんを、誰かが家に連れて家猫にしようとしても「家に帰る!」と大暴れして桜の木の下に帰っちゃうんだって。


今日が終わったらいろんな気持ちにも区切りがつく。やっとHAL2nd.KRUSKも聴く事が出来ると思う。映像もほぼ完成したんだね。


はるちゃんが亡くなったのが15日で、これは人間で言えばたんちゃんの初七日。はるちゃんの四十九日は3月3日のおひなさまとかね。女の子だしね。15日という日もころの中新月に深い意味を持ってる。


今日でね、実際は一年と三か月なんだけど、つらかった長い一年にほんとに決別できると思う。今日は新月を聴きまくる。次の扉をやっとやっと開く事が出来る確信がある。たんちゃんの贈り物だ。


時刻は10時07分。丁度『殺意への船出PART2』がかかってた。翌日、人間で言う出棺の時刻も10時07分。家に戻ったら『殺意への船出PART2』がやっぱり丁度かかってた。
時刻ではなくて1007という数字は、あとから振り返ったらだけど「あの五人」の第二期新月の活動が現実に、この日で一旦ピリオドを打ったんだと思った日だ。新月メンバーとして北山真がハニフラという小さなライブスポットだけどファンの前で歌った最後の日だったからね。


きょうはあったかい雨だけど、きょねんは寒くて晴天だった。ばかなおかあさんはたんちゃんをおふとんふかく置いたまま様子みないで、寒いからそのままにしてあげようと思ってそのま上にあがってしまった。新月をずっとかけてた。
陽が高くなっておひさまがぽかぽかしてきたので、たんをひなたぼっこさせてあげようとおふとんをめくって、あっ!たんが激しく荒く呼吸していた。なんて事をしたんだろう。
慌ててたんちゃんをベランダのあったかいところに横たえて、あとはもうたんちゃんにだいすきとかえらいとか宇宙でいちばんかわいいとか、母の写真にもうこれ以上くるしませないで連れてってとか、言ってたような気がする。
たんちゃんに声かけるたび、がんばろうとするので、もう頑張らなくて良いからね、ありがとう、って声かけて、たんちゃんの体が大きく波打って、アーって小さく最後に声だして、たんちゃん船に乗って光の速さで旅立っていった。


スープとかんずめお供え、竹のお香を焚く。


箱根駅伝第90回記念旗 もんだいの15年くらい着てるちゃんちゃんこ。くまちゃんの釦がポイントだが、ダウンをばっと脱いだ途端これ着てる事がわかってびっくりしただ



きょねんのいまごろ、たんちゃんは光をふりまいてくれてた。ありがとう、たんちゃん。 あしたは、朝10時07分までのたんちゃんを辿るんだ。これで長い一年と三か月が終わるような気がする。


先生やおかあさんの話を聞いてたんちゃん、あ、もう、ぼく、頑張らなくてもいいね、って思ったんだね。それで全部お別れ前に見せてくれたんだよね。えらいね、たんちゃんは。


帰ってきたらたんちゃん、元気な頃できてた事、ヨロヨロ、ぺたって座り込みながらも、全部やってみせた。部屋中点検して、ソファに駆け上がろうとしたり(お手伝いしてのぼせてあげたけど)台所に来ておかあさんの足元に来てみたり。梯子のぼりだけはできなかったけどね。おしっこもちゃんとした。でもこの朝食べたおかゆのうんちだけはしなかったんだよね。


夕方病院に連れて行ったら主治医の先生に、実はたんげさんの症状だと、ほかのねこさんたちならもうとっくに亡くなってるんですよ、って言われたので、実は年を越せないかと思っていました、と答えたら、たんげさんは、本当に生命力が強くてがんばりです、って言われたので、この子の力に賭けてみようと思います、ってたんをまんなかにして、看護師さんたちと、和気藹々したぱあっと明るいふんいきが診察台のたんを中心に光が灯ったみたいにあふれてた。たんは先生やおかあさんの話をじっと聞いてた。


きょねんの今日は、朝たんちゃんにでも朝これを強制給餌してたら、いつもはタオルから出した手で大暴れするのに、この日は、おかあさんがシリンジ持つ手に、そっと手をおいた。「もういいの」と言ってたんだと今はおもう。


今朝もまだ顔洗うとずきずき痛いが傷そのものはだいぶふさがってきた。ただ腫れたところがちと黒っぽいのがいややね。化粧できないし(-人-;)


芸賓館は、喬太郎さんの独演で「文七元結」わーい、みんな良い人ばかりの目出度い噺やね。歌舞伎では菊五郎・菊之助父子で観た事があるんだけど、菊五郎さんが身投げしようとした文七を助けるシーンで力余って相当痛かったらしく、一瞬菊之助ちゃんがマジでおとうさん痛いって顔で菊五郎さんを見て相当バツが悪い顔してたよね、と、後で友人と笑いあった覚えがある。でも喬太郎さん、人物の描きわけじょうず〜、舞台に登場人物が一堂に会してる様子が浮かぶもん。


きょねんは、おかあさんは七草かゆ。たんちゃんは療法食のロイヤルカナンの退院サポートにニュートリカルやフェロビタなどの栄養剤を加えてこねこ用ミルクでとろとろに溶いた特製おかゆ。


去年歌舞伎座みやげにもらったねこてぬぐいの使い道をまだ決めてない。もちりんてぬぐいに使ったらもったいないので、横向きだからのれんにしてみるとか??


いつもはただ帰りたい一心の行き帰りだけで町田のデパートとか見る事がないのだが、はるたんにあげる「竹の版画」というお香がもうなくなりそうなので、東急デパートの「カランコロン京都」で買わなくちゃ、と思ってたら店がなくなっていた)'0'(どうしよう!と思って帰ってきて検索したらネット通販出来るようで、よかった。


大島紬の白生地から染め上げてもらった縞の着物は思った以上にかなりのインパクトありで、かなり粋な着物だ。むむ。11日の能楽堂に行くのに、新しい着物で行きたいなと思っていたのだが、むむ、どうしよう。いちにち使って細雪ごっこしたいなあ。お正月の能楽堂。むむ。


実家の管理のもんだいやらもろもろ(@_@)


すかす病院の明るい鏡で見たが思った以上に顔面腫れてたなあ。思い起こせばいつぞやの正月三日朝。着物を着て往路駅伝の応援をしようと、道路を横切って向こう側に渡ろうとしたところ、中央分離帯に気付ず、そこにつまづいただよ。
つまづいたところで膝で支えたのだが、分離帯のでっぱりつまさきがいい具合に垂直にひっかかり、そこにてこの原理が働いて、そのままお辞儀するように、上半身をアスファルトに向かって強打、額を国道一号線に打っただよ。
駅伝の選手たちを迎えるための沿道のひとびと、朝早いのと寒いので復路は割と往路に比べて人は少ないのだが、ごんっ、て打ったところで沿道から「おおーっ」と声があがっただ。人間あまりに恥ずかしいと開き直るのだが、この時、いつも歩くのが遅いくせに、父が他人のふりして逃げ足が速かったのはおぼているぞ。
この話は会社の友人も覚えてて、ふつう頭と顔をまっさきに庇うだろうが、と今回の顔面打ちに重ねてぶち怒られただ。すかす、お正月に顔面打ちの年はもしかたら良い年かなとか。


そろそろと電車乗って個室を探して移動しつつ、秋に頼んでいた母の鮫小紋の仕立て直しと、叔母の大島の白生地を染めて仕立てたのが出来上がったと呉服屋さんから連絡があったので、ひやひやしながら電車を乗り継ぎ取りに行く。白のお召のしみ抜きを頼んでたのを忘れてて危険なおなかをかかえながら三枚の着物と朝着てたちゃんちゃんこを持って歩くのはとてもつらかった。あほかも(*_*)


ヨレヨレ。健康診断は体と精神衛生上わるい。発泡剤とバリウム飲まされてぐるぐる回されてへとへと。血圧が低くて図り直しとかメタボとか(;_; )( ;_;)病院でサンドイッチとりんごジュースと紅茶もらって食べた。これじゃ足りないので町田に戻ってランチしゃるとけついを固めていたのだが、その後おなかどんちゃんさわぎで、移動するたびト〇レを探しにこまるのだった。ころちゃんは基本的にバリウムが固まるという事はないのだった(・・;)


時間通り着いた。すかす、今日一番びっくりした事。ロッカーに行って検査着に着替えようとダウンを脱いだら・・・家用に着てるパスポートで買ったフリースの「ちゃんちゃんこ」をそのまま着ていたのだーっ仰天)'0'(
幸い誰にも見られなかったが、うああああああ。どおりで今朝はやけにもこもこしてると思った(・・;)気付けよ。ちょうど一緒に着替えてる人が後ろ向きで良かった。ああ吃驚した。エコバックを持っててさりげなく持って帰れて良かった。


今日はバリウムを飲むのであさごはんぬき(T-T) すかす、受診のために病院へ行かねばならんのだがとても遠いので朝7時過ぎに出るのだが、夢で寝坊した夢みた。なぜか実家にいて朝起きたらバスに乗る時刻になってて大パニック。母が出てきて弟に送ってもらえとかいうのだが、無理あわあわ、で場面が変って全然しらないねえさんのスポーツカーで送ってもらって無事着いたのだが、そのねえさんと一緒に待合室で待ってたら、急に自分はやはり今日はキャンセルしますという事になりかなりリアルでえええええキャンセルっと吃驚して目が覚めた。もちりんちゃんと普段通りの時間だったが、リアルだったのは、やはり、バリウムを飲むのが自分の中で相当嫌だからキャンセルしたかったわけやね。


うう。明日健康診断だというのに、た、体重がさらに一キロ増えてる)'0'(わーん!


カウントダウンつらい。9日と15日が近づいてくる。でもたんちゃんが残した数字の不思議はおかあさんへのプレゼントだと思う。


朝見たら傷はだいぶ塞がってきたので、ほっ。まだまわりの腫れの部分は痛いが、土曜日の能楽堂までに完全に治っていますように(-人-;)。


ほんとに寒かった。一番の寒さだったわけやね。3日沿道で待っている時もすさまじく寒かったがテレビで駅伝みてる間の実家がまた寒いのなんの。実家きんじょにいるノラかごはんだけもらってる外飼いねこか、たんみたいな柄の白黒ブチがこれ以上ないってくらい自分の体をふくらませて寝ていた。いつもならそこはぽかぽかになるところだ。外の子みるのはつらい。お天気で昼間ぽかぽかでも、夜になったら外の子は正反対の寒さに耐えるんだよね。家ねこは、あったかい家のなかに居ても、もっとあったかくなろうと、おとうさんおかあさんおにいちゃんおねえちゃんのおふとんにもぐりこんでぬくぬくなのにね。んでもこんな事思ってもじぶんじゃなんにもできない(>_<)


ラジオを聞きながら「忘れ物」について何か新月日記に書き始めたんだけど、消してしまった。


日曜の夜はダーウィンが来た、から大河ドラマときまってる。ダーウィンが来た、は泣いちゃうので辛いんだけど、みちゃう。もうこウマのおかあさんがしんでしまった仔馬から離れられないとこでは号泣。 新大河ドラマ黒田官兵衛とりあえず面白そうかも。


ねこオフ会場よやくおっけ。ひさしぶりなのに、電話したらままさんに「ころんたさん?」って覚えていただいてわーい(=^ェ^=)♪


ううう。寒かっただ。顔はいだいし。幸いめがねのフチがうまく傷隠しになって聞かれる事はなかったが、仲良しにはメールで言ってあったので「なんでいつもわんぱく小僧みたいに生傷が絶えないのよっ」と怒られた。いやその生傷絶えないと言うことはないが、たしかによくころんで怪我はしてるかも(・_・?)
会社の暖房が全然効かず、こごえしぬかと思った(T-T) 膝が冷えてかちかち。まあ社服の釦がなんとか悲鳴をあげながらもなんとか止まったのは目出度い事だった。うう。


高い高いをしてもらってる夢を見た。父に高い高いされてる赤ん坊である自分がいるんだけど、その自分を高い高いしてる満面の笑顔の父からの目線で自分を見てる。へんなの。


「去年と同じ」。つまり去年と同じ動きをしなさいって事だにゃ。ひたすら地道にやらねばならない事をやっていくしかない。空き家の整理に父の施設。でもライブに行くし、新月さまが降臨なさった時、ヒストリーを一行でも進める。これだ。


かおがいだい(ρ_;)それ以前に真っ赤なのでとても目立つ。うう、こんなんなんに、仕事行かねば。うういろんな意味で行きたくない(;_; )( ;_;)おべんとうは作る気力なし。すかす、体重計にはいまだかつて見た事のない数字がっ。社服の釦が止まるのだろうか)'0'(


わーい。ねこオフ日程通り開催できるど(=^ェ^=)♪んでもちびっときもちはふくざつヾ(=゚・゚=)ノニャン♪


2012年の元旦は「底を見る」って夢で言われたんだよね(-_-;)でも前半、新月関連メンバーのイベントでは、日本青年館の全県制覇パーティに呼んでもらったり、牛浜ブラザースライブがあったり、と楽しい事があったり、ほかもろもろけっこうるんるんしてたので、今年こそは外れるんだな、って思ってたら、まさに底、だったね。だから、本当に元旦の朝見た聞いた?事は間違いないわけだ。では今年の謎の単語と「去年とおなじ」というあっさり事務的な一言は、なんなのかなー。意味を考えないとね。


にゃ。新幹線で足止めは一度だけだが、小田急なら何度もあるぞ。人身事故に台風と、五時間とか、電車内にさいこう八時間かんづめとかざらだった時もあったもんじゃ。


顔がいだい(T-T) なざげない。すかす、あの夢の単語の天に留に転。この転ってほんとにじぶんが転ぶのと駅伝で後輩が転ぶ正夢だったのだらうか。だとしたらスケールの小ささになんつーかあまりに悲しいころちゃん(;_; )( ;_;)


すかす、ちょうど駅伝で盛り上がってる間に、有楽町で火災があって新幹線がずっと止まっていたんだよね(・・;)足止め食ったひとたち大変だったよね。一度だけ台風で広島駅で一晩過ごした事があるけど、まだあれ、駅だからまだ楽だったと思う。車内で過ごした人たちの疲労ははかりしれない。


友人たちからLINEやメールで駅伝話。やはり母校が出場してるひとびとは気合違うけど、そうじゃない人も2、3日は絶対出かけないもんねというメールあり、うんうん。たすき握ってるのに目の前で繰り上げスタートだなんて(ρ_;)コドモの頃からずっと見てるわけで、目の前を駆け抜けていく選手はお兄さんだったのがいつしか同級生になって弟世代になっていつしかもう選手たちがコドモ世代になってた。子供を持ってる友人は同じくらいの年の子なので、また見る気持ちが違うらしい。


いかん。だらだら夜更かし寝坊ごはんへんな時間に食べて完全にリズムがくるってる)'0'(かおがいだい。来週土曜日国立能楽堂なのに(T-T)


なんとなくプログレラジオを聞かなかった。テレビで中島みゆきさんの特集番組をやっていたのでなんとなく見てしまった。すごかったのは犬の目線で書いたというテレビドラマのヒット曲の歌詞のなかの「きみがわらってくれるなら僕は悪にもなる」になぜだろう、滂沱。


顔がいだい。んでも応援に行くのだった。昨日もらえなかった旗をもらい、復路の応援にのぞむ。周りの年輩の方々が、来年も元気だったらまたここに立つ、というのをくちぐちに言ってた。あとはだらだらだらだらずっとテレビで観戦。毎年元気をもらう。たすきをつなげられなかった子たちには涙なみだ(T-T) 友人親類から2日3日は駅伝をだらだら見てすごすというメールが来てた。特に母校が出場してるひとびとは思い入れがあるやね。


両親がいない家のお正月はへんな感じだった。叔父たちがお線香を訪ねてきてくれたのに、日本茶のおちゃっぱを持ってくるのをわすれ、慌てて冷蔵庫に保管してあった抹茶を点てて、母が使っていた「金箔」を散らしてお正月らしく出した。叔母が「おかあさんがこうして点ててくれたのよ」とよろこんでくれてよかった。蟹もらった(^〜^)


顔がいだいのだった。ほっぺのちょうど上と眉の横が真っ赤に腫れてる。で、いててと思いながら駅伝みたら、母校の後輩が箱根を出発時に転んでるではないか。夢のお告げはこの「転」だったのだ、こ、これなの(・_・?)


でマスターと駅伝談義で盛り上がり、るんるんで帰宅途中、日本酒で完全に足に来て、全身で道でころび顔面膝肘強打。顔からは流血(@_@)。夢の「転」てこれか、え?めがねのレンズは飛ぶわで割れなかったのがふしぎ。


んでもって、夜は美味しいおさかなを食べながら飲んだくれる。ひらめやらおしつけやら中トロやらのお刺身さいこう。カウンターでマスターと話していたが、年末年始これだけ美味しい魚を集めるのがどれほど大変かとわらっていた。小田原市場は29日から6日まで休みだそうで、そ、それはたいへんやね。どうりでメニューに並ぶ小田原の地にあるはずの魚の産地が違っていたわけだ。お魚なのでやはり日本酒にしてしまい、〆張鶴やら地酒丹沢秀峰を飲んでなまこやら白子ぽんずやらうまうま。サッポロビールからだしてる駅伝特集の冊子までとくべつにもらって嬉しい。良い正月やね。


往路駅伝の応援に行くのに実家を出遅れてしまい、旗をもらえなかった(ρ_;)ほんとに一瞬なので、テレビ観戦の方が全体を見られるのだが、そうじゃないんだよね、というのが沿道近くの醍醐味やね。しかし大八木監督だけはほかの大学とは一線を画する迫力じゃった。


いかん。今年の目標を立てねば。ダイエットじゃ。新●月復活コンサートの時の体重に戻さねば。7キロの壁は厚いのぉ(-人-;) んでも今夜は小田原でおさかな食べながらだらだら。


箱根駅伝、実家に行って沿道で応援して、あとはテレビ見つつ片づけ。仕方ないのだが、母は無事退院できていたら、もう何年も行ってなかった応援に一緒に行かれたのにと悔しいが、もう前を見るしかあるまい。選手たちに、元気をもらうぞ。


しかし、新月年の新月の日、ものすごく目の前がひらけるような素晴らしい年!とお告げ?があると期待していたら、昨年と同じ、ってなにこれ?この元旦の朝のご神託みたいのは外れた事はない。12年は前半がかなり良かったので今年は外れなんだなと思っていたら10月に突き落とされた。昨年と同じ、という事は、とにかく地道にやっていくしかないという事だね。そうそう、2003年2004年みたいになんかわかんないけどものすごいものがやってくるぞ!でもなんだろう??なんて事が人生にそんなにあるわけがない。


体調不調のため早々に寝てしまった。爆睡。明け方夢見て弟となんかの打ち合わせに一緒に出掛けてて知らない路地やら文化会館の楽屋みたいなところを一緒に歩いて、来たバスに乗ろうとして目が覚めた。10時間寝たので、頭痛の芯がだいぶ小さくなってよかった。


9日はたんちゃんの一周忌、15日は、はるちゃんの七回忌。仏教的に七回忌なのであって、6年目って事だけど、まあ、お線香焚くしいいかな。おせち代わりにモンプチのミルクスープをお供えしたヾ(=゚・゚=)ノニャン♪


自分で作ったのは野菜の煮〆だけという情けなさで、後は全部買ったもんが詰まっているお重。んでも体調イマイチなので、この「豪華おべんとう」はべんりやね。黒豆くらいは自分で煮たかったが。2日3日は実家は人寄せだったので、母は大晦日からほとんど徹夜で家族のおせち以外にご馳走作ってた。母が亡くなった後、親族以外の方から、お世辞半分としても「料亭のようなお料理」と言われたので、やはりなかなかの物だったのではないだろうか。まあ料理はほとんど母の趣味だったしね。
「嫁」として味が変るのを怖れて、味付けと料理は一切手伝わせて貰えず、20数人分全ての料理を母は一人で作っていた。なので、ころはほぼ皿洗い専門の下働きでなんか混ぜるとか、あとは家庭のお寿司なので、先にシャリだけ握って後からネタを乗せるのだが、シャリ握り専門だった。ちなみに、これはかなり上手いと言われた。食べ続けていた正月料理を一つも自分で作れないのが情けないなあ。あ、錦玉子は父が裏ごし専門で作っていたらしい。「松風」に至ってはどうやって作っていたのだろう。


一旦起きてお腹すいたのでパンを食べ再び寝てしまった。まさに寝正月。すこしまだ頭痛と寒気がするが大丈夫だろう。昨年は到底実家に泊まって駅伝、なんて例年の事を出来る心境ではなかったが、明日はいつものように駅伝応援する。90回大会で出場枠が多いそうな。


ちと風邪気味らしくさむけと頭痛で掃除のつづきをやってから少し寝てしまった。なぜか口中に口内炎が(*_*)プランターは急ぐわけではないのでま、いっか。元旦なのだ。体力温存せねば。


元旦なので着物着て過ごしたいところだが、今年も到底無理やね。んでもそんなふうに過ごせた優雅な?お正月が何度もあったんだから、そんな贅沢を前借したと思えばいいんだね。着物着て、実家に行って母のおせち食べて。恥ずかしいはなしだが、母からおせちの作り方を全く教わっていないので、何も出来ない。母は田作りも錦玉子も全部自分で作って、買ってくるのはかまぼこと伊達巻だけだった。なさけないころ(;_ _)


今日は掃除の残りやらプランターの整理しなくちゃ。明日は実家に片づけと駅伝応援に行くので泊まる事にした。弟が「親の家の片づけ方」という本を見つけたそうで(^_^;)明日もってくるそうな。


さらに、富士山でもなすびでも鷹でもなくて、20cmくらいある巨大な蛾の茶色い幼虫が出てきた(;_; )( ;_;)何この初夢、ひ、ひどすぎる(ρ_;)ちなみにこの巨大幼虫、数年前に台風の翌朝道にころがっていて仰天したやつだ。なんつー年明けじゃあ(-人-;) 


なんか文章みたいのは出て来たんだけど、読んだ瞬間忘れてしもた。ただ文字で「天」「留」「転」の文字が出てきた(・_・?)????


毎年、元日の朝目覚めると同時に今年一年の運というか波みたいなものがわかるんだけど、ずっと低迷というかひたすら地味、でも今年は新●年年で新月だから、すごくどかーんと行くぞ、みたいな確信があったんだけど・・・えーん、去年とおなじ、だって(T-T) へんなの、な、なんでえ?


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