ころんた日記


2013年5月の日記


喉の痛さがかなりやばいレベルになってきた。このまま喉が腫れてしまうと気管支炎までのフルコースだ。明日まで休めないし医者に行く時間はない。とにかくイソジンでうがいしてお風呂に入って布団かぶって二度汗かいてパジャマも替えた。まだ朝喉は痛いが悪化させずここでとどめておかねばっ。寝込んでるヒマないし。ころが風邪で新月行かれないなんてありえないもんね。すかす、つくづく運気はまだ低迷中らしき。


一日さいあくの日じゃった。その上この半年風邪なんかひいたことなかったのに、喉が痛い(;_; )( ;_;)ウツボさってもひでーじゃん、と思いつつ、めったにコンビニには行かないのだがビールが切れてて(のど痛いくせにのむんかい)コンビニ行ってビール買ったらくじびきひかせてくれて、ワンカップ月桂冠が当たった。これでチャラかな。てかこゆことに運使っていいんじゃろか。てか来週初新歌舞伎座だしすでに新月プロジェクトライブなので運より体調だなうん。


ウツボは去ったがとにかくばたばた(@_@)ほんとにすっかりふけこんじまって。くすん。5月も終わってしまふ。5月は萬斎さんの狂言と、能楽堂の定例会と、二回は着物を着る予定だったのに(ρ_;)結局着ないまま単衣の6月に突入やね。歌舞伎座には見飽きられた白の小紋で行く。てか自分のサイズの単衣はこれしかない。母と叔母から貰ったのと合わせると確か単衣は6、7枚あったような気がする。それと母の遺品の中からサマー?ウールが三枚発見された。てかウールはもともと単衣仕立てか。ひとつは白大島風、ひとつは大島風、ひとつは結城風でなかなか良い。


心を炒める、ホルモン焼きかよ(-人-;)んでも、かなしいなあ。ふれふれしたってなんのかいけつにもなんないけど(>_<)


エビマヨの正式な作り方を知らんが、小エビをお酒につけて塩コショウしてねぎと一緒にじゅってやってマヨ混ぜてディジョンのからしまぜてみた。うそっぽいがでもなかなか美味しかった(^〜^)


う)'0'(×心を炒める→〇心を痛める


ひとつほっとしたこと、自分がうわむいてきたこと、の矢先再び心を炒めることが(>_<)かなしい。


ひとさまにかける言葉はむずかしい。ふえーん。ほんきでなきそう。んでもって泣きたい事をすりかえて、ひさしぶりに「キミとボク」の動画みてどろどろに泣いたりしち。じぶんに出来ることがないのかよくわかんない。ウツボになってしまったのは、「誰も守ることが出来なかった」って自責があることにきづいた。じぶんのことばかりで誰も守れない、ダメ人間なんだなって。


先日蕗の煮方を教わった時、出汁の話になって「久津間さんのかつをぶし」の話になった。小田原人なら誰でも?知っている久津間さんのかつをぶし。母が買っておいてくれていたけど、今はスーパーのを買っているが、やっぱり久津間さんのでないと・・・遠いけど自分で今度買いにいかなくちゃと思っていたら、叔母が買っておいてくれてえへへへへ。全然違うんだよ、ほんとに。って小田原人でないとわからなないけどにゃ。最近地元ネタが出てしまうのは仕方ないとして、おなじ会社の小田原人のあんちゃんが、最近の小田原観光ブームで外部から入ってきたいろんな魚レストランについて、地魚食ってる小田原の人間がなんでまぐろをありがたなければならないんだーと言っていたのには笑って同感じゃった。


てなわけで、だんだんころちゃんがころちゃんにかちってはまってきたぞ。あたまのかすみが晴れてきて、ウツボは去って行ったと激しく実感。更新手続きも済ませて、ほんとは家にいて新月の事進めたり、単衣の着物を出したりしたいけど(;_ _)また用事で出かけなくちゃ・・・でももおウツボにならないもんね。
あーあ、能楽堂のチケットもったいなかったな。ぼんふぁむに続き、能楽堂近くの街の洋食屋さん十番亭に行ってみたかったんだけど(゜゜)遠い目、なーんて、やっとじぶんとりもどしたから言えるのであってカラダも心も動かす事できなかったもんね。ほかのひとがきちんとできる事がなんで出来ないのかなと思うけど、これがころのキャパだから仕方ないか(T-T) うう出かけよう。
よし、文章だけだけど、今日思い切って画面のそっち側に、行くか。すこしづつ、何か写真を撮ってアップできるくらいになれば良いのだが。すかす、新月日記はアップ出来なくてもころ日記だけはアップしてたのにね。なんなんだヾ(=゚・゚=)ノニャン♪


たんが亡くなって写真を撮ったりする事自体、ほとんどしなくなっちゃった。文字ばかりの日記だね。でもじわじわ気持ちが上向いてきた。来週は歌舞伎座にも行くし(3階B席ってて、天井?)HAL2nd.KRUSKの予約もあるし、新月プロジェクトのアコースティックライブもあるしねヾ(=゚・゚=)ノニャン♪


いつぞやカツドンの応援歌まで作ってもらって取った資格試験の更新期日が迫っている事に気づき)'0'(慌てて今朝ネットで更新試験受けた。初回不合格だったりして(T-T) しかし自分で取りたかったわけでもないのに当時の部署から取るように言われ試験受けるのに自腹で三万円もかかり二年毎に2100円も更新料がかかり結果殆ど対外的に何の役にも立たたない(=_=)アホのようだがとりあえずは邪魔にはならいので、まあいいか。


たまねぎキャベツトマトブラックオリーブグリーンオリーブドライトマトアンチョビフィレアンチョビのオイルもかけて白ワイン入れてシリコンすちーまでチンしてうまっ(^〜^)


んでもって、緊急性があるメールだけはもちろん返してるんだけど、まだ返してメールがたくさんあるなあ(;_; )( ;_;)自分はこの半年ひとさまからいろんな言葉をもらったけど、今度いざ自分が言葉をかける立場になった時、なんて難しいのだろう、と胸がずきずきした。みなさんがどれほど言葉を選びながら、メールをくださったか、改めて深く感謝する。


でも、あらためて思う。母の入院、葬儀前後からからたんが甲状腺機能亢進症、心筋症となり9日間の入院中一時危篤になったくらいでたんの介護に目が離せないじょうたいになっていたため、気は張ってるし、ウツボになっているヒマなく三か月過ごしたのだから、やはり、たんは自分の命をかけて、おかあさんがおかしくならないように守ってくれたんだよね。
今になってこんなウツボになってるくらい弱いおかあさんだから、あの真っ只中だったら、本当におかしくなっていたかも。
1月23日の小田原板橋のお地蔵さんのお祭りに行った時、占いやってる先生たちが、なぜか自分のお客さんと話ながらじっところの顔見てて???だったのだが、ねこオフ女子会でこの話をすると、Uちゃんが「亡くなったねこが笑って顔の横にいますよ」って霊感強い人たちに言われた話をしてくれて、 そういう人たちだから、たんちゃんが見えるんだよ、って言ってくれて嬉しかったのを思い出した。あ?なんどもおんなじ事書いてるか。
たん病院実家父施設ふたたびたん病院、退院後はこれがたん介護に代っただけでそれこなしていたんだから、今の方がヒマなはずなのに。


この半年間いろいろありすぎて、やっぱしあたまが煮えてたんだよね。ものすごく忙しい合間にいきなりふっと一日空いた時、眠るなりして体力回復すれば良いのに、やっぱりそれはなまけものだからいけない事みたいに思って、ただ起きてるんだけど、結局パソコンに向かってだらだらしててさらに罪悪感が増して悪循環でさらにウツボ。んでも昨日は人間のクズ療法?てっててきにやったおかげで、これではイカン!と立ち直れたかも。ほんとかー。


嬉しかった楽しかったがふたたびウツボになってしまい、親族の連絡メールはなんとか打たねばならないので、力をふりしぼったが、今日は特にひどくて朝起きたきり、いっこ大事なメールを力振り絞って打つ事は出来たが、あとはパジャマのままただだらだらパソコン前に座って人間のクズ。ただなじぇか夕方になってから、なんかとつじょ別のスイッチが入って、はっとして自分とりもどしただ。んでもって今に至る。ふぅ。


んでも合間に嬉しいことがあって、この時だけはものすごく元気になった。数年ぶりに「行き行こツアー」メンバーで集まる事になり、焼くだけなんて料理じゃないとか罵倒されたが、美味しい西新宿の白銀屋に行く。おとうしのいかとうにの和え物(^〜^)サラダ、焼いてもらったのはのど黒鮭ハラス長いも大山地鶏ステーキ、大山地鶏の白レバー(あまくておいしい)、それと席を移動していただいたので、店長さんからのプレゼント、あぶりトロのお刺身が絶品で、お代わりしてしまったりして。あといろいろ焼いてもらったがわすれてしもた。「行き行こツアー」活動再開となっただ。


最後に残ったいもちゃんを枝ごとむしかごに入れてバス電車徒歩で実家に連れていき、山椒の古木にくっつけてあげた。しばらくじっとしていたが、嬉しそうにでかいはっぱに向かっていったので、ほ。すかす、あとの二匹がつばめに食われたとしたら、我が家から巣立つナミアゲハはいないという事やね。しかし毎年あんな細い枝にたまごうむなー。てかわし、山椒楽しみにしてるのに、春にたけのこごはんに一枚乗せる事ができただけやないけ。蜜柑とか柚子とかでかい葉っぱの木に行かんかい(;_; )( ;_;)「山椒はナミアゲハに一番人気があります」って、そりゃ数も少ないし、ナミアゲハにとっては三つ星グルメなんだろから、こんな細い枝でも見つけた時は「やったわっ!」て母さんアゲハは喜んで大量出産なさるのであろーが逆に子孫絶やしているってば(ρ_;)


んでもその間朝からぎょうてんの出来事を見て)'0'(慌てたり連絡したりとかいろいろあって、まだそんな事はちゃんと出来るんだなとか。


一日だらだらしてるならせめて着物出して細雪ごっこでもして整理するとか、ハーブの植え替えするとかすれば良いのに、ただだらだらパソコンの前に座ってねこの動画見ると可愛くて癒されるけど反面悲しくなってめそめそしてまたダメになる。何か発信するわけでなく、せめて家の片づけでもすれば良いのに、なんにもしないで、それでいてごはんは食べるんだから、真正のなまけもの。人間のクズみたい(;_ _)


それからあんまり覚えてないや。10日の間に三回も実家に行く事になりますますおかしくなった。能楽堂のチケットも持っていたのに、着物も萬斎さんの狂言に結局着て行く元気なくて、そのままつるしてあった二枚持っている源氏香のうち、いつかの5月に味方玄さんの能に着て行った水色のを着ようと思っていたのに、前日仕事からの帰途の電車で「あしたはやすみたいやすみたいやすみたい」コールがあたまに鳴り響き、一日だらだら過ごしてしまった。


んでもって、この十五日にウツボスイッチが入ってしまった。どの段階かわかんない。最初に花を見た時すでにだったのかもしれない。


お昼にかかってしまったため、父の施設に行って届け物をしただけで、話も出来ずに一瞬の面会。でも元気そうだった。叔父にごはんをごちそうになって車で送ってもらって、叔母にお礼の電話をしたら、前夜夫婦そろっておねえさんの事を想って、なんで?なんで?って二人でずっと泣いていたんだよと、また電話口で泣かれてしまった。
生まれて初めてふきの皮剥いて手がマックロ。叔父が刈ってくれたのはかなりの量で、こんなに大変だったとわ。んでも教わった通り煮て、かなり上手に出来た。うん、母のもこんなんだった。いっぱい出来たので、冷凍して大事に食べる事にする。
母は近所の方たちにも、蕗が出てきたからとってねと声をかけていたそうだが、この日ですでにだいぶ筋筋になっていたので人様にまで差し上げられる質ではない。来年は時期を見計らって、みなさんに声をかけようと思う。


それからばたばた。
叔父が来てくれて、新盆の道具を探しだしてくれた。ふしぎな事に、そのセットに、なすを賽の目に切ってどうしろとか、新しいインクの跡で、母の指示書きがあって、叔父と二人でくびをひねってた。
それからジャングルみたいになっていた蕗を刈ってくれて、処理の仕方を教わった。きゃらぶきは、母が作ってくれるものを食べるのが当たり前で、自分で煮た事はない。一番近くに住んでる母の妹である叔母に聞いたら、わたしもおねえさんが煮てくれたのもらうだけだから知らないともじもじして言ってた。叔父のつれあいの叔母に聞いて、煮方を教えてもらった。


15日に空き家の実家に行った。薔薇、白妙菊、終わりかけの都忘れ、姫しゃが、サフィニアがピンクの花をがくあじさい、それから名前を知らないさまざまとりどりの花々がたくさん咲いていてた。四季なりいちごは今たわわに実をつける時期で、プレゼントに持って行って昨年もたくさん実が成っていたのを毎朝楽しみにつまんで食べてくれていたのに、それはすっかり枯れていた。
バスと電車のプチ旅行をしたいもちゃんたちを山椒の古木の葉にくっつけて、ほっとする。


すごく忙しかったけど、でもどんなに忙しくてもころ日記は書いていたのに、それも出来なかった。
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の間のすこしだけころ日記はメモみたいに書いたけど、画面のそっち側、に行かれなかった。17日は新月日記と掲示板は力振り絞って上げた。忙しいのと時間が無いのがもちろんだったが、とにかくエネルギーが枯渇してた。親族間のメールと電話が時間としてはかなりの比重占めてそれ以外のメールメールもすごかったけど、それより何より、エネルギーだよね。


この日からウツボタン略してウツボ、靭猿は良いがウツボはいかんね。さらに19日にまた父の関係で再び空き家父の施設と行ったせいでさらにこれが増幅された。何よりきついのが、1人で戸締りして真っ暗になった空き家の玄関を施錠して去る時だ。これがまた次回行った時、一ミリたりとも物が動いていないのがつらい。弟が前回来ていると何か移動していたりしてほっとするのだが、今ハイペースで弟が海外出張繰り返しているので、じぶんが行く以外は、動いていない空気だけが溜まっている実家は、もう息をしていないのだとひりひりと感じる。それでも父母が愛した庭の樹木や花々は秋から冬、春、そして初夏へと変化を遂げてる。


ぶっちゃけ15日に空き家実家と父施設に行き、この日何かスイッチが入ってしまったらしい。すさまじい忙しさで、それが継続してる間はぴんと張ってるんだけど、ふとした隙間になんかウツのスイッチが押されたようだった。軽率にウツなんて言葉を使うべきではないとないし実際治療されてる方たちに失礼とは思うけど、自分的にここから完全におかしくなった。すさまじい忙しさは間違いなかくて時間もほんとにエネルギーもなかったのだが、ふと、一日時間が出来た日、いきなり無気力状態になってしまって、新月とHAL2nd.KRUSKの公式サイトだけは欠かさず見てるが、自分が発信する力が全くなくなってしまっただ。


今日はもう27日だ。今日は一歩も外へでないもんね(T-T) 。昼間一日パジャマのままぼぉっとパソコン前で新月とHALの両公式サイト以外はだらだらとネット眺めてるだけの人間のクズみたいに過ごして、夕方になって、はっとしてシャワーを浴びて、やっと自分を取り戻した。ちょっと線入れておこ。


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ここから数日経ち、もう完全に山椒の木はまるはだか。さらにでかい二匹はつばめにさらわれたもよう(T-T) あといっぴきのこってるがもう皮すら食べるところはない。今日も実家と父の施設に行くので、むしかごにいれて連れていこう。それまでに脱走したり食われたりしないと良いが。


コップに水入れて枝を挿してポリ袋で覆って木に立てかけておいた。二匹が終齢、一匹がまだでかい鳥のフンの四齢。木に生えた葉っぱはほとんど食べつくしたのと、やはり実家の山椒の枝は葉も大きく香りも強いので、朝見たら、三匹とも枝に移っていた。透明ポリの上にころころしたフンがたくさん落ちていて、こんな小さいくせに体とおんなじくらいの量のフンをしてる。これが再び地面に落ちて肥料になって木を育てて、その葉っぱを食べるわけやね。無事さなぎになって寄生もされず蜂や鳥のえさにもならず蝶々になってほしいもの。ベランダのイタリアンパセリはまだ全然育ってない。すかす、冬の名残でまだちゅんちゅんが一応ベランダに様子見に来てる。今朝も二羽、一瞬だけベランダに止まり、コクビを傾げて、すぐに去っていった。パセリにいもちゃん来たらネット張らなくちゃなあ。しかし、山椒もイタリアンパセリも、ころ、食べたいなあ(-人-;) 


まだわさわさもやもやしてるけど、すこしづつ落ち着いきたかな。うう。


はるちゃんの命日の日、おされなエンビロサックスのエコバッグに、鳥のフンをたくさん虫かごに入れて運んだのだが、三匹だけ残したものの、葉っぱが足りなってしもた。昨日再び父の施設に行く用事があり山椒の枝を何本か持ち帰ったが、足りるかなあ。こんな細い枝にいっぱい産みおってからに(;_ _)


関内ホールで萬斎さんの狂言。ランチはいつも通り「ぼんふぁむ」。殺人的な忙しさの中ご夫婦で連携プレーで丁寧な仕事が嬉しい。牛肉の赤ワイン煮込み、ソースをパンでぬぐいたかったのだが、パンが先になくなってしまって残念。萬斎さん、ワークショップもあって楽しかった。ばたばたで着物を着る時間がなくて残念だったが、着物の方はごくわずかだった。このあたりが能楽堂と違うかも。しかしぼんふぁむに入る前からオーダーするまでメールメール、食事が来てもメールメール。ホールに入って観劇中もちろん携帯を切って、休憩時間にもメールメール(@_@)DVDはしっかり買ったけど。


パワーは戻ったがとにかく時間がなくて(@_@)新月とはじぇんじぇん関係なく親族友人会社各グループ介護仕事で新月プロジェクト情報がわからない新月ファンにチケット発売の連絡したり(つまり自分から情報は取りに行く時間はなくても来たメールだけは読めるので)となぜかあちこちとにかくメールメールメール。移動中は携帯、家に帰ればパソコンメール。とにかくメールメールで日記書く時間と元気なし。ぜーぜー。やっと少し落ち着いただ。でも忙しすぎてチケットもんだいできもちわるくなるヒマがなくてよかった。
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うう。日記書く時間とパワーがなかっただ。気づけば明日チケット発売。気持ち悪くなってるヒマがなくて却ってよかったかも。今日を乗り切って明日はチケットと野村家の狂言。


今日ははるちゃんの月命日。 しかしばたばたしてるなあ。もう少しきもちにも余裕もたなくちゃ。電気屋さんが来る前に実家について全部空けねば。いもむしをこっそり持って駅着いたら忘れ物の帽子忘れずにとりにいかなくちゃ。そうそう、あの夢の実家前の町並みは現在のではなくてコドモの頃の町並みで近所の家は変わっていなくても、門が木だったり塀も板塀だった。晴れ渡る空の向こうに箱根連山がくっくりと迫っていた。本当に現実か、と思うような夢だった。これら大震災まで何度も見ていた洪水の夢の事を新月日記に書かないのは、ちょっと理由があるんだけどね。それと、昨年の母の医者による臨終の時刻が14時46分だったのは、偶然なんだろうけど、やはり意味があるのかな。意味がなくても、親族はこの時刻も大震災と同時刻だったので、決して忘れない。それにしても、あの夢の中の音楽もう一度聴きたい。勝手に未来の新月の新曲だと思い込んでるんだけどねヾ(=゚・゚=)ノニャン♪


山椒の木のいもがでかい鳥のフンになってじっとしてる。それがなんびきも。明日の朝脱皮してでかい緑のいもむしになったらやだな。だってだって、それ連れてバス電車バスなんだよ(;_; )( ;_;)


今頃になって突然思い出した。大震災前に何度か繰り返し見続けていた洪水の夢の中の一つに出てきたオルゴールみたいな単音の音楽。洪水の夢の中でもこれは特異だったので良く覚えてる。抜けるような青空の下、実家前の道路から家からすべて潮水に洗いながされ、そのあちこちに溜まっている水滴が朝日を浴びてきらきら光っていた。何もかもめちゃくちゃなのに、みんな笑顔でもくもくと片づけしてた。有線放送?から町中にそのオルゴールの単音が流れていて、みんなにこにことその音楽の歌詞らしきものをくちずさみながら、かたづけていた。この夢の映像も潮の香りも今も鮮明に覚えてる。この音楽も、くちずさむ事は出来ないが、もう一度聴けば絶対にわかる。この時、ひょっとしたら、これが未知の新月の新曲ではないのかなと思ったが、先日の新●月プロジェクトライブで演奏された曲の中には無かった。夢は夢の話だから・・・でもあの曲はなんだったんだろう。もう一度、聴きたい。


ご近所さんに家庭菜園で作った蕪をいただいた。どうしようかなと考えて、まずかつを節出汁でことこと煮てみた。そこにチャレンジャーになってしまいそこに洋風コンソメを投入してみたりして火が通ったらちょっとお醤油少しだけ垂らして干し桜エビなんか入れてみたりしてバターなんか少し垂らしてみたりしていっしょにいただいたきぬさや茹でて添えたりして恐る恐る食べてみたらいいじゃん(^〜^)!さらに叔母にもらった夏みかんがへこたれてきたので果汁絞って、やさいたくさんさっと炒めて皿にとっておいてブタニクを残ったビールでさっと煮て汁捨てて甘辛タレでじゅじゅってやってすった生姜入れて夏みかんジュースじゅーってかけて野菜と合わせて熱々をビールでうまっ。


うん。立ち直っていたつもりでも立ち直ってなかったけど、もおだいじょぶだよ。15日ははるちゃんの月命日。この日偶然だけど、工事などで実家に行かねばならない。ここで区切りつけて、ほんとに浮上するよ。元気がウリ、のころに戻るからねヾ(=゚・゚=)ノ♪


はるちゃんは、おかあさんが仕事を取ってしまった、おかあさん、自分の保身のために、はるちゃん最期の日を1人で辛い辛いなか過ごさせてしまった。はるちゃん、待っていてくれたけど、病院に着く前におかあさんの膝の上で旅立ってしまった。ペットロスひどかった。たんちゃんは、看取る事が出来たので、辛くても、ペットロスは軽かったと思う、まずたんちゃんの意志がぼくが頑張っておかあさんをたすけなくちゃ、だったもんね。


普茶料理のお知らせが枝垂れ桜で有名なお寺から届いた。母が歩けるようになったら行こうと思っていたところだ。母が歩けるようになったらと、あちこち思いを巡らせていたところに行ったり、お知らせが来くるのは結構きついね。新しい歌舞伎座も新幹線使って東京駅まで来てあとタクシーで行けばなんとか行かれるんじゃない?なんて話をしていたっけ。やっぱり悔しい。
でもね、友人たちとの話題は介護問題の事が8割。ころは正直、どんな形でも「お母さん」が生きてるのはうらやましいよって言うんだけど、もう、娘の事すらわからない母をただ面会に行ってせめてごはんを自分の手から食べてもらっている友人は、それはわかんないよ。って言う。答えなんかないよね。
だらしない娘ころには到底届かない強烈な美意識を持っていた母は、これからやりたい事が出来なかった無念はあっただろうが100%希望が叶う、という事はないので、やはり母らしい、と思うべきかな。数歩歩んで、希望に満ちた瞬間に旅立ったのだから。人の世話はいくらでもするけど、自分が世話されるなんてしんでもいや、という人だったからね。
四十九日の朝、からっぽになっていた盃の事を思いだそう。もう七か月、いい加減しなさいよ、と母の声が聞こえたような。


ヘタレころ、未だにエネルギーを放出できる力がないので、実は、折に触れ読もうと持ち歩いてる自分の「新月小史」にすら目を通せないでいる。
相変わらずヘタレでダメころだけど、あの四十九日の朝、毎朝写真に供えている盃の水が空っぽになっていた事を思い出すたび、くいっと水を飲み干してから向こうに旅立って忙しく駆け巡っている母に奮い立たせられる。そして必死で、ぼくが頑張らなくちゃ、って、ふつうならとっくに亡くなっていて可笑しくない状態で二か月も永らえておかあさんを支えてくれたたんちゃんにもね。
というわけで、組み立てていかねば。なにせ自分で書いたブログのヒストリーすら読み返すエネルギーもなかったので、まずはそれ読み返して、「新月小史」と付け合せていくことからだなー。もうちょっと、もうちょっとしたら出来る、いや出来るようにならなければ。んでもって、ちらっ、とブログヒストリーを見てみたが、ひどい文章は別として、よく書けたなあとか思ふ。エネルギーを溜めねば。たぶん本当にもう少し。


昨年よりは育ったとはいえ鉢植えの山椒の小さな木にキアゲハの幼虫が八匹も(@_@)また実家に持って行かねば。先日もっとたくさん持って行けばよかった。てか先日持って行かなかったらもお、はっぱ丸裸で昨年の悲劇を繰り返すところじゃった。あさって実家に行くときに持って行かねば。
すかす、鳥のフンに似たいもむしを虫かごに入れてバスと電車とバス乗り継いでいくのってどおよ(*_*)いや駅から実家まで歩いて10数分の距離なんだけど、これ持って歩くのやだし、とっとと行きたいしね。う、あと数日で鳥のフンが緑色のいもむしになってしまうかも。
この半年ベランダのハーブ園のお手入れを全くしてないので、ひどいもんだ。でも寒かったせいかイタリアンパセリが全然育っていないので、キアゲハのいもちゃんはいないや。ただ、ちゅんちゅんが必ずベランダに様子を見に来てるので、ここでいもちゃんが孵ったとしても食われてしまうのもなー。


しょうじき、実はころ今ちょっとピンチなのだ。だが、ピンチってチャンスだ。チャンス、と脳内変換した。


イタリア食堂の粉もので完全に肥満が悪化してしまった。なのにどうしてかつどんを食べてしまったのだろう。せめてミニかつどんに思いとどまって良かった。うん(-人-;) なか卯満席で人気だった。


今日は母の七回目の月命日で母の日。元気に整形外科に入院していた人間がなぜ亡くなって戻って来なければならかったのか、今も悔しさは払拭しきれない、現実感はない。でも、いくら考えても亡くなった者が生き返るわけではない。
アレンジメントフラワーと母が大切に仕舞っていたお棗実家から持ってきて写真にお供えして手を合わせた。こんなふうにお天気がからりとしてさわやかで気温も高い日だった。
葬儀後しばらくしてからたんちゃんが重篤になって入院して、原因不明と先生は内心もうダメだと思っていたふしはあったけど、おかあさんは絶対にたんちゃんは元気になって退院すると信じていたので、朝面会に行って、昼間突然空き家になってしまった実家に行って、父の施設に面会に行って、それから戻ってきてまた夕方たんちゃんの面会に通った事を思い出した。たんちゃんは11月の始めに退院できてそれから自宅療養になって二か月、頑張ったねー。
この間に励ます会をやってもらったり、涙が出るほどうれしい事もあった。
たんちゃんが亡くなった日もこんなふうにからりと晴れた日だった。息をひきとった瞬間『殺意への船出PART2』のイントロが始まって同時にたんちゃん気配が全くなくなって光速で高いところに行ってしまったのがわかって、その時刻が1007。たんちゃんにおべんとうたくさん作ってあげて、人間で言う出棺にあたる車が出発した時刻が1007。ころの中での第二期新月のシンボルだったたんちゃんが船出してしまった事で、本当に第二期への区切りがついたと思った。
それからさあ立ち上がろうと思った矢先、まさかの低温やけどで歩けなくなり40数日で、歩けないという事がこんな不便だったのかと母の辛さがよくわかった。そしてこの日数が母が手術してから退院するはずだった日数に相当する事に気づいて愕然としたっけ。足の中がいまだに痛いので、あれは杖でなく松葉杖をつくべきだったといまさらにして思ったが仕方ない。などと言う事を走馬灯状態で一瞬にして頭の中を駆け巡った。まったくいつまでもめそめそしてるんだろうと思う。


おなかいっぱいだったのに、朝になったらちゃんとお腹が空いてるころ。それに昨日の粉もんで再び肥満が悪化しただ。


先日銀座で買いそこなったので新宿駅南口で母の日用の可愛いアレンジメントをみつけ購入。あまり時間なくてルミネエストでアロマのサシュ買ってお店に行った。こじんまりオフだったので、会話が割れずに密度濃かった。楽しかった(=^・^=)おなかいっぱい。確かにパスタはなかなか美味しかった。高津さんは「エビ、クリーム、チーズ」の言葉すら聞くのが嫌だそうだが、このお店の一番人気がエビクリームパスタなので、茄子とモッツァレラ、トマトとバジル、と共にお願いして高津さん以外エビクリーム食べたけど、これはほんとに美味しかった(^〜^)シャッフルビートも久しぶりで時間許せばずっと居たいですねと後ろ髪惹かれつつ解散しただ。早い開催早い解散のおかげで最終バスに乗れた。すかすっ、ロマンスカーの中にお気に入りの帽子忘れてしもた。小田原駅で保管してくれているとの事で、来週取りに行こう。今日のオフ会まんぞくまんぞく。


気のせいか、ころオフの日っていつも雨降っているような(・_・?)まあいいか。雨の日だからと眠り続ける子はもういないので、雨でも晴れでもいいやね。ただ出かけるにはながぐつ欲しいなあ。銀座まで行く時間はないので新宿のデパートでうろうろしよう。足の中がぴりぴりするのでちょうどいいやね。


すごい雨やね。お掃除に出かけねば。チケット申し込みが一週間伸びて本当に良かった(・・;)んでもって来週のチケット申し込みの日は野村家狂言に出かける日。割と前の方の席が取れたので、萬斎さんに見えるように明るい着物着なくちゃ、うふ(うう高津さんごみんなさいごみんなさい)。


いろんな事があだまぐるぐる。足の中がぴりぴりいだい。さんざん悩んでいたがやはり来週の高津昌之 with T-Friendsのライブに行くのは無理と決断した。野村家の狂言が終わるのが15時で、それから4時間半のロスタイム。池袋でも、当初17時半とカンチガイしてたのでこれならだいじょうぶと思っていたのだが、19時半からのライブでは、それだけ見たら時間半端なのですぐ帰らねばならず、時間的にも体力的にも辛い。イナカの子は制限が多いのだ(ρ_;)高津さんにお詫びと明日とにかく盛り上げなければ。


来週再び修理やら入るので実家に行き、梅雨前になんとか大物を片づけて一旦ほっとするはず。今月末にじぇったい数日纏まったひにち作ってヒストリーにちゃくしゅするずら。昨日どゆわけだかブログの方が普段の三倍くらいのアクセスがあって、チケットの告知があったからか、理由は不明。いずれにしろヒストリーが昨年8月でぶっつり終わってしまっているので、進めねば。新月の事やるのはものすごいエネルギーが要るので、一旦実家の区切りつけて、エネルギーを溜めていこう。昨日歩き回ったせいかやけどの内側がぴりぴりする。ほんとにいろんな事があったなあ(・_・?)


歌舞伎座アンコールでこんなに東劇が混んでるのは初めてで吃驚。着物で来られてるご夫婦がいらしたりと、ほぼ満席の客席も華やか。「籠釣瓶花街酔醒」実際に歌舞伎座で観た人の感想を聴きたいなあ。木村家で鬼と、黒豆ぱんを買った。黒豆ぱんは何かなあ。


と、こうやってだらだら日記を書いて出遅れたりして。歌舞伎座横の歌舞伎そばも良いかと思ったが、あだまが吉宗の長崎皿うどんと茶わん蒸しモードだったので、ちと方向が反対だったが、このセットを頼んで完食。それにしても、胃に歯が生えてるくせに、食べるのは遅いのでほぼ同時に入店した同じおひとりさまが同じものを頼んでいたのに、ころまだ三分の一残ってるのに、さっさと会計済ませて去っていったのを横目でみてただ(T-T) 胃に歯が生えてるのと食べる速度は別物らしい。でもまんぞくまんぞく。


梅雨前に、実家の片づけを優先にするのは仕方ないが、今月なんとか纏まった時間を作って少しでもヒストリー進めなくちゃヾ(=゚・゚=)ノニャン♪新月プロジェクトライブは秋との事だし、10月がファンサイト10年目なので、しめきりは10月26日までにしよう、うん(・・;)
10月前半は母の一周忌なので、プロジェクトライブVOL3は後半になりますように(-人-;) ってまだVOL2チケット発売も前だとゆーのに。なんか新月が動くとその都度緊張できもちが悪くなって心臓に悪い。なんなんだ。


今日のシネマ歌舞伎も午後からなので、銀ぶらゆっくりしよう。今日のランチは和食気分やね。ころオフがあるからリーズナブルなところでせつやくしないと。いかん、ころオフのお店も決めなくちゃ。自分で勝手に洋風と決めてるので苦情が多いかもだがとにかく東口徒歩三分て書いてる候補店に決めちゃおうかな。ひ、非難が多いかな。でもパスタ美味しいって書いてあるし。


きょうはたんちゃんの月命日。明るい性格のたんちゃんそのままに、あかるくお天気で日傘がいるみたい。昨年盗まれたお気に入りの日傘の事はいまだにくやちーが、先日母の形見の日傘がロングと折り畳みと二本見つかったので嬉しい。でもまたこれを置き忘れたり盗まれたらやなので、これは眺めてるだけかも。12日は早くも7回目の母の月命日。で、母の日ときたもんだ。プランタン前でカーネーションを買ってこよう。


11日は自治会の清掃日だったのだが、チケット発売時間と重なっていたのでさぼってしまおうと思っていただ(いなかでこれをさぼるというのははっきり言って命がけ(・・;)チケット発売が延期になってよかっただ。


昨日遊んだぶん今日ものすごくいそがしくて残業になって、きもちわるくなるヒマはなかった。着物選ぶとかそんな気力ないやもお。つつつつかれた。ころオフの店もまだきまらない。新宿でよさげな洋風のお店ネットで見つけたが駅から10分もかかるし。ちょっと今回ふつうの居酒屋はなんとなく気分でないんだよね、ってもう日数がないじゃん(・・;)


まだころオフのお店決めてないや。今度は洋風居酒屋がいいな。絶対条件がお値段と駅に近い事なので、頑張らねば。んでもってこの当日がチケット発売。自分で宣伝しまくって自分がチケット取れなかったら洒落にならないかも。どんどん気持ち悪くなってきた。心臓にわるいよぉ。


友人の生徒さんやらお友達やら総勢11名のツアーすごかった。ころはちと団体行動はにがてかも。つかりた。電車で寝て歌舞伎中にも寝てしまったが、でも歌舞伎はほんとに楽しかった。来月の歌舞伎座楽しみ。着物もっと着たいなー。明日またシネマ歌舞伎に行くので、着物着ようかな。


朝の向こう側が終わる頃着あがった。ひどい着付けだがむこういけば着付け講師の友人になおしてもらえるし。とりあえず電車の中で寝るのだけが楽しみだったりして。


カラダぼろぼろだが明日歌舞伎。嬉しいけどかなり疲労が(・・;)もお着物選ぶ余裕なくつかんだのがさんざん着た白のお召、帯は正倉院の名護屋。明日また寒いってどおゆうわけ。


どうも家の話を書いてしまい暗くていかんの。お祭りのお囃子も甚句も聞こえてきて、お祭りのふんいきは伝わってきた。おかしかったのは最終日の昼間、子供の山車は「〇〇区の屋台景気をつけろ、ほいさ、こらさ」って言いながら流すんだけど、この子がそうとう疲れていたらしくてやけくそ。わらってしもた。
喪中でなければ甚句と共におみこしに家へ突っ込んできてもらってご祝儀を渡すのが慣例なんだけどね。スーパーで普通にカワハギの肝つきお刺身とか売ってたりして。近所の方に母の事を語って頂けるのが嬉しい。慌ただしく戻ってきてからふと山椒の鉢植えを見やると、実家にだいぶ持って行ったはずなのに、なんで鳥のフンが8匹に増えてるのだ。また卵から孵ったに違いない。このままでいくとごはんなくなるかも)'0'(昨日全部もっていけばよかった。実家の古木は元気で鉢植えとは違って葉っぱも大きく、持って行った鳥のふんは貧乏やから金持ちの家に養子にいったみたいにごちそうに囲まれてうれしそうだった。


二晩三日、布団とかでかいやつとかとにかく昼間は休む暇なく作業しまくりで、小田原はお祭りだったんだけど、外から聞こえるお囃子や甚句がせめてもの華やかさで、御神輿のお宮入りとか一切お祭りには行かれなかった。それでも作業達成7割か(;_ _)あと梅雨前に何度か通って、不衛生になりそうなところだけはなんとかせねば。昨日あるタイミングで弟と同時に「疲れた」と言葉が出てしまった。あの10月からこの半年、それから、これからの事を両親へのうしろめたさも混ぜて話し合う。父に書類を書いてもらうのを兼ねて面会に行くが、わしよりこういった書類にはきちんとしてしてるんだよね、父から逆に指摘されたりして。母の事はエンドレスで聞いてくるけど健康でなにより。「大人の塗り絵」が綺麗に描かれていた。


山椒のはっぱにナミアゲハの鳥のフン似のいもが11ぴき。昨年より木が育ったとはいえ、やはりどうみてもびんぼうにんの子だくさんである。またまたむしかごに入れて実家の山椒の古木にくっつけてしまおう、うん。やけどの奥がぴりぴりする。完治に8ねんかい(・_・?)


今日明日泊まり込みで実家の整理。なんか生きてる間にもっともっと行ってあげればよかったな。あらためて、みんな恥ずかしいくらいに親孝行してね。先に親を見送ったひとたちがみんな口を酸っぱくして言ってた意味って、自分がそうならないとわかんないよね、だからみんなそう言ってたんだよね。んでもおさかないっぱい食べるもんね。


お気遣いというのはありがたいしうれしい。かといって、そっとしておかれるのはさびしい。一人遊びがすきでもかまってちゃんなので、けっきょくいそがしいのはすきなのかもヾ(=゚・゚=)ノニャン♪


明日はたんちゃんの推定お誕生日。14歳だね。たんちゃんがいのちと引き替えにおかあさんをいっぱい助けてくれたんだから、それ無駄にしちゃいかん。あたま煮えちゃいかん。


とにかくいろいろあって会社でも昨日じゃあ辞めるとか口走ってしまったがそれはまだ早いって(@_@)あたまが煮えないようにしなくちゃ。六日早く帰ってきて七日の歌舞伎に行く着物も選ばないと、着物を着る事が条件で割引(ほんのお茶代なんだけどね)になってるので友人に〆られてしまう。


再び明日から泊まり込みで実家の片づけ。不衛生になりそうなところだけは緊急に片づけたけど(片づけたかったんだけど、母の葬儀後たんちゃん三か月闘病やら船出やらそれから低温やけどで40日軟禁玉すだれやら四月の野暮用やらで結局今になってしまった)あとはゆっくりやっていこう。病院から追い出されるように慌ただしく詰めさせられた荷物は未だに開けられないでいる。この一か月後に全く同じ状況で、母と同じく手術から三日目に亡くなった方がいた。なぜ平気で同じミスが出来たのか。この怒りに対処するエネルギーはもうない。でも、ウツっぽくなることももうないと思う。まわりのみなさんがまだ母の事を思ってくださった。あとは父が平穏に過ごしてもらえるような努力をしなければ。


いろいろ転機の時みたい。2004年と真逆のネガティブと捉えるか、単にくるりとまわったと考えるべきか。


今日のおべんとはヒキニクそぼろとあまいいりたまごそぼろと紅しょうがと水菜のどんぶりおべんと。それにサラダつきなの(=^・^=)


昨日実家シンクの下のタッパ類だの一気に片づけてからっぽにしてしまった。近所の方たちやらおねえさんのあったかい言葉がオーバーラップして、今日ちょっとウツっぽくなってしまった。ただ衛生面からしてここだけは急務だったんだけどね。
なんかねー、小田原に帰りたいなと思いながら、反面この小田原の風土、のんびりあったかくて甘やかしてくれてぬくぬく気持ち良いのはわかりきってるんだけど、ここに浸りきると抜け出せないぞ、これはころにはダメだぞ、ってあまのじゃくの気持ちがあるんだよね。
そういえばコドモの頃は、品川御殿山育ちだった母は東京に帰りたいと口走る時があったが、あとは全くその言葉を聞いた事がなかったなあ。小田原にくるまれちゃったんだな。
島へ帰ろうか。単純に島がふるさとだとしたら、それは魅力的で鬼の眼力のように吸い寄せられそうになるけど、やっぱりまだ帰るところではないかなあ。
しょっぱい泣き顔にさ、甘いものって、最高の魔法だよね。昨日おばちゃんが目の前できんちゃくに入れてくれた飴、まだ食べられないでいる。


「ねこ柄の猫」の画像を偶然みつけてわー。 ネットでは有名な子らしい。検索してみてヾ(=゚・゚=)ノニャン♪ちゃんと首輪としっぽがあるのがすごいの(=^・^=)


しかしやっぱしちっとばかしつかれたかな。この半年で4、5年分におこるようなことをいっぺんに体験したかんじ。いやでも父母はこの何倍もいろんな事潜り抜けてきたんだよね。


すかす、なんでそんな母からこんななまけものが生まれたのかなぞ(@_@)


母の衣類や着物の処分の事を口走ったらコドモの頃可愛がってくれてた今も変わらない美人のおねえさんに腕をつかまれ、おねえさんちに連れ込まれ(・・;)母の着物は良いものしか持っていないはずだからそまつにしないこと、とかおせっきょうされただ(T-T) おねえさんとおばちゃんに二人かがりでおせっきょうされた。
昔の絹で黄ばんでしまったものこそが本当の国産の絹だと教えてもらった。 おばちゃんがいくつか自分の羽織や着物で作ったという小物を持ってきてくれて、その裏地を、実際に触って比べてみたら100年前のと50年前のではまるで肌ざわりが違っていた)'0'(
思い起こせば母と一緒に悩みながら処分した着物や羽織は相当良いものだった。確かに今からさかのぼると100年くらい前のものばかり。ろうけつ染めの羽織まで素材にしてもらえれば良いよねととか母子でのんきに出してしまったが、出してはならないものを出してしまったらしい。そこまで母は知らなかったのか気がまわらなかったのか。 それを言ったらおばちゃんもおねえさんもため息をついていた。
おばちゃんは今も着物を普段着に着てた。アメリカで展示会に出品されるほどの腕を持ってるお知り合いの方が作った着物を使ったさまざまなちいさな巾着がたくさん入ったハコを持ってきてくれた。ころちゃんにもあげるからといっこだけ選びなさいと言われて選んだら、おばちゃんはその中に飴を入れて渡してくれた。
なんか母が亡くなってから再びコドモの頃に戻ったみたいなご縁が出来てふしぎであまずっぱい。おばちゃんが何度も、あなたのおかあさんを大好きだった、って言ってくれて、おねえさんからあなたのおかあさんはあらゆることを駆け抜けてきた人だったのよ、って言ってくれて涙でそうだった。


工事の人がものすごく早く来たので早めに家を出て本当に良かった(@_@)んでもって早く行ったおかげで移動のお魚屋さんにおさかな買いに行かれた。母にくっついてほしいのを買ってもらってただけで、自分で行くのは初めて。母のエプロンして行ったらご近所の方たちがみなさん声をかけてくれて、母の事がまだ信じられないとか、みなさん口ぐちに母の事を褒めてくださったり母の事をみなさん大好きだったとおっしゃっていただきうるうる。


歌舞伎座開設記念コスプレぐんまちゃん シネマ歌舞伎日高川の帰りに通りかかった歌舞伎座

国立能楽堂「スーパー歌舞伎世阿弥」の舞台

4月シネマ歌舞伎ふるあめりかの帰りに通りかかった歌舞伎座 歌舞伎座前 ミキモトのディスプレイ




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