ころんた日記


2020年10月の日記



新●月については書き散らさないでぐっとためておこう。


「新選組血風録」と「燃えよ剣」は5年開いてるけど、その間「用心棒シリーズ」というのがあったんだね。しょうじき「新選組血風録」が映画、なら「燃えよ剣」は娯楽時代劇(でもあくまで「新選組血風録」と比べてからの事で)、セルフカバーというよりご本人たちによるトリビュートバンド(なんかへんなたとえだが)で、このクオリティの差は何だろうと思ったら、横山さんの寄稿文の中で結束さんがいいところをすべて「新選組血風録」につぎ込んでしまった、と困っていらしたという。な、なるほど。「新選組血風録」は「燃えよ剣」の原作の細部まできらきら活かしてたもんねo(^-^)o


教えていただいた番組『新選組交友録』の三人は会ってない発言についてについてふと。仕事では顔合わせてたけど、プライベートでは会ってない(会ってるヒマがない)、連絡は取り合ってるけど、会ってないとかなのかにゃ。撮影の流れで栗塚さんが二人を京都のお料理やさんに連れて行ったりとかそんな仕事流れのとはちがう、とか。そういえば、新●月も、当時レコーディングの打ち上げもしなかったとかあったよね。あと、ミーティング後は急いで次の仕事とか、急いで曲書きたいとか、練習したい、とかね。役者さんでかけもちでいろんな仕事してたら、役作りとかあるだろしなー。でも仲良しなんだよね。くすん、『新選組交友録』見たいなあ。


専称寺ノート抄読んでしまうなあ。総司への思い。
大別すると「こんなにたくさんの人が総司のためにお参りして嬉しい、よかった」という人たちと「わたしだけ、ぼくだけの総司のつもりだったので、ちょっと嫉妬する」という人たちがいる。でも、熱い思いはおなじなんだよねo(^-^)o
「お兄さん」と呼び掛けてる人たちもいる。同志みたいに「総司」と呼び掛けてる剣道少年青年たちもいる。
総司、死後百数十年経って突然「またみんなと」会えたきもちになってるかなあ。このノートも「燃えよ剣」放映1970年から、一般墓参が禁止になった1974年くらいまでかな?
活き活きとした思いに惹きこまれてると、ふっと気づいたら、50年前の皆さんのノートなんだなあ。
でも今そこに咲いた花みたいに瑞々しいo(^-^)o
これが、墓石を誘拐( ゚Д゚)しようとしたり削ったり、ギターかき鳴らしたり、よそさまの墓石を倒したり、はたまたイタコの口寄せみたいな( ゚Д゚)事する心ない人たちのおかげで墓参禁止になったのは残念なことだ。礼儀に厳しい総司は「こまったなあ」と言っていたに違いない。あ、いや「こまったなあ」これは司馬さんの総司。


最近エールまみれ。育三郎くんに続き今回は中村蒼くんの福島でのトーク。エールはもう11月で終わってしまうそうでロスになりそう。古川雄大さんとかほか朝から素晴らしい音楽を聴く回があると幸せだったなー。駒が来る!の尺をエールに回してくれればいいのに。栄冠は君に輝くの回は保存版。で、番組内で出て来た「いかにんじんはテセウスにもレシピがあって、を一度作ってみたいのだがまだまるごとスルメが手に入らない。aちゃんも福島に嫁いだお姉さまによく作ってもらってとても美味しいそうだ。けっきょくたべものか。


新●月についても、もろもろ書きたい事はたくさんだが、んでもきょうはもお日記書けず(-_-)zzz


教えていただいた文藝別冊ムック本「新選組」に司馬さんの土方の組織づくりの原点に触れる寄稿文があり「助勤」について実に興味深い。ここで山南敬助の名が出て来た。むむ原作「燃えよ剣」にちゃんと書いてあったのではなかろうか(-人-;)、
別の章で、新選組組織の変遷が時代ごとに表記されててわかりやすくありがたい。こんなに変わっていたんだねー。この「副長助勤」制度についてちびっとだけわかりかけててまたあたらしくおべんきょうになった事があった。
「新選組銘々伝」で近藤、土方は本人たちの写真が掲載されてるが、沖田総司は「新選組血風録」の島田沖田の写真が掲載されてるのがミーハー的に嬉しいo(^-^)o
それも『長州の間者』で深町を斬った後、観察山崎丞からついに古嵩俊太郎の自白の報告を聞いた時、表情変えずに、ただ顎だけで一瞬頷く場面だ。
屯所でヒマな時幹部たちとだらだらだべったり(でも軽口叩きながらも決して膝を崩す事はない)、仔犬みたいに土方に絡んでおちょくったり、斎藤さんと何勝何敗!なんて言いながら時間たつのも忘れて将棋したり、坊や扱いされて膨れたり、お菓子食べてにこにこ幸せそうにしてるオフタイムの総司の顔ではなくて、副長助勤筆頭の大幹部沖田総司の存在感を一瞬で捉えた厳しくも美しい表情の写真で、これが嬉しかった。
ここから池田屋襲撃の大きな流れとなるわけだ。新選組の激動の活動が、これから、はじまる。
でも最後に総司はいつものように呟く。それもけだるそうに。「いやですねえ。間者になんかなるのは」。
ぢつは『長州の間者』は大好きで、何度も何度も観てるのだが、この総司の言葉の意味が、未だによく図りかねてるころ。


写真 写真
驚くなかれ。夏から育ってるミニトマト!もうすこし頑張って赤くなってくれるかにゃ?


良い天気。今日の満月は素晴らしいよね。すかす、夜更かししてねむい(-_-)zzz


新●月。あしたは、満月。


新選組にはまるまで、Amazonnで殆ど使ったことなく、まして中古を買うなんてなかったのでわからなかったが、出品者が発送いこーるこちらに届くと勘違い(^-^;すこしまつのだ。


Facebookをまたまた覗いてみたが仕様がかわっててやっぱしすすすすすとふぇーどあうと。


録画しておいた「エール」と続けて育三郎くんがゲストの「あさいち」。アカペラでの「栄冠は君に輝く」先日の新聞で初めて作詞者の方の事、歌詞の意味を知ったが、それも番組内でしっかり紹介されてた。素晴らしかった。感動で涙涙。あさいちも育三郎くんたっぷりでよかった♪さらにファンになっただ。


新しくシリコン調理器を買ったのでめんどい時はこれでシーフードとで適当になんかつくろう。飲み残しのワインがいっぱいあるので、それ系をつくろ。


うう、そのためだからガンガンやらなかった。午前中少し手をつけただけ。木賊をどこにおこうかとか考えてだけで終わってしもた。また明日にもちこしだ・・・。今月中にケリがつくのだろうか。って明日で今月おわりぢゃん。


んでもって朝書いた島田沖田について、栗塚さんの発言が目からうろこ。「明るいけれど、彼には絶対に影がある、それが怖かった。にこっと笑った時には女の子のように可愛い笑顔を見せてその裏がある。(大意)」


「沖田総司の世界」今日は届かないもよう(T-T)
勘違いで「沖田総司の世界」は来週のとの事。がっかりしてたら「沖田総司のすべて」と教えて頂いた文藝別冊の「新選組」がポストに(^^)/わーん、作業してからごほうび?に読んで良い事にしようと思ったが読みふけってしもた。「沖田総司のすべて」は昭和48年のそのまんまの文字通りの茶色くなった古本で図書館から借りたみたいで懐かしいきもち。
島田順司論はちと難しそうであとまわしにしただ。「小説」もあり読みやすかったけど、またまた黒猫の話しはもういいって。ただ解釈がこの黒猫を斬らないと土方さんがしんでしまうみたいだというのがなんか新鮮だった。でも黒猫はもおいいって。
そして、おそらく「燃えよ剣」以降の沖田ブームの初期から、総司のお墓に置かれていた「ノート」や「手紙」の抜粋にうるうる。
女性ファンばかりかと思っていたら、剣道をやっている、下は中学生くらいから上は年配の男性も多く思いのこもった言葉が熱い。むろん女性ファンの思いは熱い
ちょっと面白かった(失礼)のは、こんなに沢山お参りの人がいて、自分ひとりの恋人を奪われたみたいでなんか嫉妬してますみたいな言葉があって可愛い。
ムック本の方は目的は栗塚さんと逢坂さんの対談だったのだが、そうだったのかそうだったのか、と夢中で読んでしまった。他の記事も満載で「永久保存版」と銘打ってるのもなっとく。にわかなので情報を持たないため教えて頂いてほんとうに感謝でいっぱい(/_;)


『殺意への船出PART2』。今日もガンガンいかねば。


駄菓子屋掲示板にたくさん情報を頂いて嬉しいなにゃ(^^)/一番うれしいのは、こればかりは今後も入手不可能と思われる島田さんの著書「我が青春の沖田総司」の内容を紹介してくださっていて感涙(/_;)この本、誰も手放さないんだろうなあ(゜゜)


「新選組血風録」島田沖田可愛いなあo(^-^)o
でも司馬さんの複雑な沖田像は本当に難しいと思う。天真爛漫なにこーって邪気のない笑顔を絶やさないが、怜悧な頭脳で時勢を読み取り、また、裏のある人間を見抜く。
結束さんの台詞は、常に総司は人を斬るおは「嫌」なのに斬らざるを得ない。さらに十津川郷士の回のように、敵として自分が一刀両断したその相手に対して。今度は言いようのない憐憫と悲しみがこみ上げてくる。清らかな童子。
んが、新選組に害を成す者に対する冷酷さはまさに刃そのもので『長州の間者』では間者どころか視聴者をも震え上がらせたおそろしい人物でもあった)'0'(

何度見ても見飽きない。島田沖田にぐいぐい。でも当たり前だけどここに近藤さん土方さん斎藤さんはぜったい。そして幹部たちが居てそのなかの末っ子キャラで輝いてる。常に年上のひとたち(史実では斎藤一も藤堂平助も同い年か年下だけど)の中に居てその魅力を発揮してるかんじ。
ところが「燃えよ剣」の方はまだ二巻までしか見ていないが、島田さんご自身が同じに演じても仕方ないのであえて微妙に演じ分けてるそうだが、「燃えよ剣」の総司は憂い顔が多い。早い回からもう労咳を発症してるのもあるのか、少し悟ってしまったような、大人になったような「新選組血風録」のからり、とした部分を抑えめの総司におもえる。まだこれから見て行かないとわかんないけどね。
ただはっきりわかったのは順ちゃん(^^)の殺陣ば抜群にうまくなってる♪


肌寒い。朝一杯いけたいと思ったが何も浮かばず。でも今日もいちにち庭仕事やんないといけないので、まず花材になりそうなのをみつけよう。ハラン、紅葉、ボリジ。なにかあるぢゃん。合間ちとスーパーに食糧買いにいかないといけないけどぉ。


月の光。あの『科学の夜』について書いたのはいつだろう。2いろんな状況考えて005年か2006年なんだろな。文章がヘタなのはそのまんま変わらず仕方ないけど(^-^;もうあんな叩きつけるような文章は書けない。自分自身もだが、もちろん新●月本体のエネルギーに突き動かされて、手が勝手に動いたのだろう。新月さまによる自動手記。


にゃんこわんこの映像テレビ見て大笑い。可愛すぎる。んでもわんこにお預けを1分もさせるなんて実験やめて(`´)ひどいよ。


オリーブオイルルッコラ敷いて海老とフレッシュトマトと溶けるチーズ、これを二層にして魔法の調味料マキシマム振ってグリルで熱々でうまっ(^〜^)


、 いけばなのお稽古が来月11日までないので、出来る限り自主練しないとなー。明日何か一杯いけたい。あらためて教科書を見て、こんな課題があったなあと、忘れてる事を反省。過去の自分の作品の中でも、自分のひいきめでも稀に面白いのがあるなあ。『A SIGNAL GLOWS IN THE DARK』と勝手に名付けた初期の頃の作品は先生に褒められた。ハランを市松模様に切っていけた、あれ、あのアルバムタイトルなんだっけ)'0'(これは自分もだけど先生もあといろんな人にほめてもらった。あんなふうに何かが降りてくる、なんてほとんどない。最近のでは『菊一文字』。奥様先生に何度も褒めて頂き恐縮した(*^-^*)いや過去はともかく、はさみを持たなくちゃ。着物から離れてもう2年近く。帯どめが大事なお宝になってしまってる。みぎゃー。


黙々と土いじり。とうてい全部できるわけもなく明日も続きやらねばならん。黙々と作業しつつずっと考えていた。もちろん新●月Project with 北山真 11.4。間に合うか間に合わないかわかないけど、11月4日。パソコンとにらめっこしてても書けるものではない。でもあの日の事はありありと覚えてる。まさか一年経つとわ。リハ写真を挙げてしまったのが躓きの石だったな。目的はきちんと絞るべきだった。ツメが甘いころ。


ご近所さんから頂いた取れとれルッコラ。チーズとの相性が良いので、海老とチーズと組み合わせてみるかな。十三夜。


花器もほしいなあ。しかし、最近新選組関係の本買いすぎてしばらく無理だ。すかす、コロナ以降飲み会も歌舞伎も能もライブもなかったから、「新選組血風録」DVD買ったり本買ったりできるんだよね。いやでも、コロナでなかったら「新選組血風録」にハマる事もなかった。「あれえ、鶏が先か卵が先かみたいな話になってきたなあ」(島田沖田の口調で)


あしたの「ほんとうにあった怖い話」楽しみにしてたのに(すっかりてれびっこ)もしかしたら放映されないのかなあ( ´・・)


今日届くのかと思ったら、密林から連絡がきて「沖田総司の世界」の発送が今日なので、早くても来るのは明日だにゃ。どっちみち来たら読んでしまって他の事ができないので、まあ楽しみは先に。「新選組血風録」にどっぷりハマってるころ、島田さんのインタビューがまずは一番の楽しみだなー。おひるたべよお。


母が急逝した日。まさかその日にそんな事が起こるなんて想像もしなかったその朝見た夢が抜けるような青空の下喪服着て總持寺の境内を歩いている自分の姿だった。
昨日何年かぶりに行ったけど、やはり夢に出て来た總持寺そのものだった。間違いない。
そういえば、これ以降、たしか予知夢はもう見ていないと思う。たぶん。その後母には物理的な事やられたけど(^-^;七七忌の朝、供えた水がからっぽになっていたのには仰天したなあ。その後いろいろやられたが直近ではポーチ事件だな。
あの感触には今も思い出して鳥肌たつ。物理的にあり得ない。かーちゃんさすがにこれはこえーよ。もうしません、しませんから(;_; )( ;_;)
従妹が言ってたが、前日ドタバタドタバタ音がしてて、叔父が来てなんか忙しくしてたらしい。あ、やっぱり来た、と思ったそう。
祖母の時は自分のお通夜なのに洗い物してたそうだ。最後にはお風呂の順番待ちまでしたそうな。
その後何年も経ってからだが従妹が見た夢が祖母白い割烹着を着て玄関を掃除して清めて「これから蕗を煮たのが好きな人が来るから忙しい」と祖母が言って、その日に次男叔父が急逝した。蕗の煮物は叔父の大好物だったそうな。これは何度か書いたっけ。
えらい急逝の家系なので、なんか事前にメッセージをよこすのが家風なのかもと最近思うようになってきた。


いかんきりがない。今日は一日土にまみれるのだ。しかし、先日リンク貼って頂いた土方さんの日野ツアー見て、絶対日野行きたい。町田小野路にも行きたい。年内これから乾燥してインフルコロナこわいので年内はがまんして、春には行きたい。


と、言っても新選組について新しい道筋を開いた先駆者子母沢寛氏が聞き取り行った頃は「今宵の虎徹は血に飢えてる」とか新選組は人きり集団、殺人嗜好集団などという新政府の印象操作が生きていた頃なので、仕方ないんだろね。歴史は勝った方が作る。
新選組は不逞浪士の捕縛が目的であって、ただ相手も刀を持っている以上抵抗して斬りかかってきたら斬らざるをない。池田屋ももしも予定通り会津藩が来てくれていたら、ほぼ捕縛で死者はそんなに出なかった筈。
たしか新八っつあん証言で、池田屋に入った時沖田がすぐに池田屋にあった武器をせっかく縄でくくったのに、池田屋の主人を拘束しなかったため、主人がこの縄をほどいてしまって、武器が相手に渡ってしまい被害が出てしまい後悔したとあったにゃ。


順番間違えて、子母沢寛氏の三部作を先に読まなかったのを悔やむ。
んでもって、「遺聞」にもあれ?と思う個所があるが、それはいろんな修正された書物を読んだからそんな事が言えるわけで、今だから、他の作品のところどこの間違いも「にわか」にもわかるが、とにかく当時に生きた人たちからの「聞き書き」を行った事が偉業だと思う。
た、ただ、創作とは分けてほしかった(-人-;) んでもって、黒猫の話(いいかげんしつこい)。
聞き書きの「遺聞」の沖田総司の章には、黒猫の話などみじんも書かれてなく、最期まで近藤先生の事を気にかけていたと記されてる。小説集「新選組物語」のこの黒猫斬りの話が「事実」とわざわざ明記して小説作品になってる。また、近藤が沖田を見舞った時に、いやな猫だから斬りたいと近藤との会話の中で沖田がそう言ってる作品がある。近藤沖田の「斬るのはもう飽きただろう」とか「いや逃げるとなると斬りたい」って言葉の応酬がいやだ。人でも猫でも衝動で斬りたい殺人鬼みたいだ。なんだかなあ。
「遺聞」と「新選組物語」のこの二つの章の沖田が同一人物には思えない。創作、できまりだ。なんせ「沖田総司が猫を斬ろうとした」という設定がものすごく嫌なので、この話にはしつこいころなのだった。


アナザーストーリーの再放送「ドリフターズ」をまた見てしまった。アドリブは全くなかったという事に驚き。唯一かとちゃんぺだけだって。ミュージシャンであるメンバーの皆さんが何度も強調してた「自分たちはバンドマンだから」「アンサンブル」「間」。唯一ミュージシャンでなかったけんちゃんは、でも自分が大好きな音楽を聴きまくり映画をみまくり。最後に語られた、けんちゃんが70代になった今のコントを演ろう、つまり「名人芸」を、と言っていた事が実現しなかったのが辛かったとカトちゃん(/_;)


やはりね、可愛がってくれた叔父だから、子供時代の事がつぎつぎ思い出される。鈍翁さんの掃雲台の双松庵。
叔父は子供の頃鈍翁さんに頭を撫でてもらったのが自慢だったそうな。母の名付け親は鈍翁さんで、もったいないことに本名の読みを頂いて、それを違う漢字にあてて頂いた。しもじもの者にも、心遣いされるほんとうに大きな方だったそうさ。
はからずも、父母の思い出も語ってもらえて。父は自分のきょうだいより母のきょうだいと集まった方がたのしかったからね(^人^)
鈍翁さんのお墓まで今回はおまいりできなかったが、石原裕次郎さんのお墓はすぐの通りにあるのでお参り。ファンの方々がいつもきれいにして、お彼岸の時は凄いと、叔父の連れ合いの叔母が言ってた。
面白かったのは、裕次郎さんのお墓に向かって「ゆうちゃん、うちのお父さんもそっち行ったからよろしくね」と叔母が言ってて、知り合いかい(^m^)
この叔母にも子供の頃からずっと可愛がってもらってて、ずっと叔母に腕を貸して歩いてて、いろんな話しをした。


写真 写真
秋晴れ。朝いちばんでなんかぴんとうかんで、いけばな。花材の山茶花、庭の鉢植えの木賊、紅葉で「緑をみつめる」の課題。


新●月。


「英雄たちの選択」は継体天皇。おもしろっ。


にゃんとテレビで大昔からおなじみの「新宿アカシア」をやっていた。
行くとこればかり。「ロールキャベツクリームシチュー」(^〜^)あるいはハヤシとのハーフとか。
まず作り方から実体験するというものだったが、こ、こんなに手間ひまかかっていたとわ!それにこのクリームはベーコンとラードだけだったのか。真似して家で作ろうとしてもじぇんじぇん違ったわけだ。
このクリームをごはんにかけて食べるのもお。
うう新宿いっておひとりさま時間ない時、教えてもらったメトロ地下食堂街か、お馴染みのアカシアに行くか、くらいしか行くところ知らなかったのだが、アカシアいますごい行列の映像みてびっくり。
。すかす9月に行かれないままメトロ食堂街が閉店になってしもた(T-T)


しかし、ご住職から總持寺は開創七百年とお話しがあり、つい反応してしまった。七百年!菊一文字。


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總持寺の大祖堂で三十人の僧侶による七七忌法要が厳かに行われ、無事納骨も終わり、叔父の多いがこもった心づくしの精進料理を頂いた。よかった(/_;)叔父の事をもちろん、はからずも、母や父の事まで「皆さんが「良いおねえちゃんだった。一番好きだった。良いおにいさんだった」と偲んでもらいうるうる。いろんな事がフラッシュバックして、悲しいけど、穏やかな気持ち。これから、また、いろいろ。涙。名状し難い、きもち。


ちと涼しいのかな。出かけねば。コロナ初の東へと。通勤電車こわい。


近藤勇の慶応元年の書簡には、留守を土方に任せる。もし自分に万が一のことがあったら天然理心流の5代目は沖田総司に譲ると書かれてる(むろんころ読み下しなんかできないので解説読んだだけだけど)。総司はもうそれを言い含められていたののかな。その前に近藤周平が養子に迎えられた時、どんな気持ちがしたのかな。いや総司の事だから「近藤先生がそう決められたのだから」と思っただけだろう。やはり「手紙」って想像を膨らませられるね。そして、間違いなく、この人たちが歴史に中に実在したんだ。


ぶら美はジョン&ヨーコ展。STARS展。小田原の杉本博司さんの江之浦測候所の映像作品。うう行きたい。江之浦測候所に行ったのは昨年だったかな。すばらしかったにゃ。


新月。じわじわ。新月さまが、わりと近くまでいらしているような。


土方歳三・沖田総司全書簡集(なぜか近藤勇がない)の存在は知ってるのだが、高いのもあり手が出ない。他理由があり手を出しかねてる。
土方・沖田順でなく年代順に二人の書簡が掲載されているそうだ。
で他の刊行物で今のところ見る事が出来ない慶応三年十一月の沖田総司の手紙は、その前に土方が日野へ総司の病状を知らせて、それに対して近藤宛に総司へのお見舞いの手紙と品が来た事に対するお礼が書かれているそうだが、その中に大分良くなったので大丈夫です、のような意味の事が書かれているそうで、実際はもうこの頃から一気に自他共に病状が悪化していた事実があり、宮川家に心配させまいと、そう書いてる事が、切ない。
武士だから、若者だから、とかそんな事を除いても、今だって、愚痴言わずに相手に心配させないように、気遣いするひとたちが、いる。そんな人だ。
この半年後、総司は千駄ヶ谷で誰にも看取られず旅立ち、新政府軍の目を恐れて夜半、遺体は樽に入れられ大八車に乗せられ、総司が生まれた場所近くにある西麻布の専称寺に葬られた、のがまたさらに切ない。
でも切ないけど、書簡の写真を実際に見たら、土方・沖田が間違いなく、その時代に生きた、人達だった、というのが実感できるんだろうな。
い、いやいやいやいや。駄菓子菓子、これ以上本を増やしてなるものか。


栗塚土方さんと左右田斎藤さんとりょうほうに告白されたどおするか、まだきめてないの。リンダこまっちゃう(誰がリンダだ)。近藤先生に報告しないといけないのにー。
あとポイントは総司を養子にして良いお医者さんに連れていかないといけないからね。 土方さんは総司に甘々だからなー。総司のいう事ならなんでもにこにこおちょくれてもニコニコ。「菊一文字がそんな気にいったなら買ってやろうか?」なんてツボ。
だだ同じく唯一、菊一文字を抜かなかった為、平隊士の日野さんが殺害されてしまった時だけ、厳しすぎる事言ったっけ。厳しい時は厳しいのだ。
斎藤さんは将棋してくれるし、大阪城では富士山丸に乗るのは船が苦手だからやだという弱気の総司にユーモアたっぷりにも叱咤するし、でも介抱の仕方なんて愛情たっぷりで上手。それはのちに蘭学を学んでお医者さんになるんだもんね(違う)。
いやーん、迷っちゃう。でも一番の問題は、まだどちらからも告白されてないんだけどね(゜゜)


明日のしたくもせねば。明日で一区切りつけたら、新月。


NOA聴いてたらソフトマシーンを聴きたくなってきた。ただ手元にもってるCDは「イン・パリ」のみだけど( ´・・)


全然関係はないだのが、試衛館のメンバーが上洛した文久三年1863年は、攘夷の嵐が熱病のように時代を覆っていた。そして時代は大きな転換を迎える。
1975年頃音楽の世界ではパンクロックが生まれこの手の音楽が時代を席巻していた。
このパンクの波に「ナイフを突きさす」と言って「今更プログレ(言葉の意味自体矛盾するけどー)」言われつつ1979年強烈なデビューを果たしたU.K.。
同じ年に日本では新月が新人、それもプログレバンドが新人としては破格の扱いでデビューを果たす。
でもでも、どちらも時代の波に抗ったわけではない。
新選組が滅びの美学、などいう言葉で表現される事が多いが、若者が、誰が滅ぼうと思って目の前の自分がなすべき事に向かって行動するだろうか。
新選組という組織、理念を現代の人間たちが今も追っている。その生きざまは色褪せる事はない。
新月が一時音楽の世界がパンク一色になってしまった時「プログレをやるのが恥ずかしくなってしまった」と、言って、一時姿をくらまし?「伝説のバンド」となってしまったが、実は持っている時間単位がすこし一般人と異なるようで、その才能を多岐に亘る活動へと活かし復活を繰り返し、今もなお、新月の活動は色あせる事はない。
新月日記に書こうかと思ったけど、新月日記しか読んでない人には新選組?へ?と思われるので、やめた。てか、えーん、文章がへたで・・・。


駄菓子屋掲示板にリンク貼っていただいた栗塚さんの土方さん訪問の映像と左右田さん栗塚さんのトークショーに釘づけになってしもた。日野行きたいなあ。土方歳三どんぶり鮭といくらの親子丼はころの為にあるようなどんぶりでわないか。お饅頭もおいしそう。栗ちゃん♪左右田さんと栗塚さんのトークショーで「新選組血風録」の事が語られてこんな貴重な映像を見る事ができるとわ、ありがたや。うるうる。
三本の映像見て、栗塚さんがドラマの「燃えよ剣」への強い思いをお持ちであること、ファンの人たちの思い入れを感じた。でも栗塚さんが芹沢鴨へも思いを寄せていて、役者さんなんだなあ、としみじみ。
紹介して頂いたムック本もぽちっとしてしまった。ついでに「沖田総司のすべて」に書簡が掲載されているというのを森さんの文章の中にあったのを思い出しぽち。自筆「書簡」を読みたい。また「沖田総司の世界」という本に島田順司さんのインタビューが掲載されているのをみつけこれ絶対読みたいのでぽち、小説が一切ないというのがまた嬉しい。すかす、断捨離しないといけないのに、こんなに本増やしてどうすんじゃ( ´・・)


警察わんこ無事みつかってよかった。リードがからまってつらかったね。崖の上のポニョは大使になって、嬉しいかわかんないけど、あのキャベツに字が書いてるけどだいじょうぶ?子供の頃、劣悪環境小田原城動物園で陽があたらない崖で山羊飼われていたなー。今うちの近く、でもないがやはり草を食べてもらうために何匹か山羊いるけどこちらは元気。安全なら崖は好きなんだよね、やぎさん。


明日の叔父の納骨の為コロナ以降初の「東へと」。鶴見総持寺何年振りかな。祖母の法事以来で、広すぎて一人でお墓に行けと言われたら行かれないなー。裕次郎さんのお墓の近くという事だけは覚えてる。叔父の心遣いの精進料理を頂く。ここのお料理美味しいんだよね。明日の法事で、ほんとに一区切り。


きょうもいちどじっくりと封印にふれるつもり。名前は封印でいいや。乗り物酔いに慣れて、というかポイントは違うところ。


Twitterで「カレーライスの女」というのがトレンドにあがっていたので、てっきり昨日みた松山容子さんのボンカレーが再ブームに?と思ったら、そういう歌があるらしい。ボンカレー懐かしいなあ。


POSEIDON増田さんの名言「新月は国の宝」o(^-^)oと同じ比重でころ「新選組血風録は国の宝」と言いきってしまう。


今日は肌寒い。今朝は『Dr. Maccoy』がエンドレス。ライブでも演奏されると本当に嬉しくなってしまう曲でo(^-^)oアルバムで桜井さんのベースで聴く事ができるようになって嬉しい。あれこれ新月日記か、まあいいか(^^)/


明日もう一度封印観てみよう。いやもう解いたのだから封印ではないか。なんか名前つけよお。ぢつわ、泣きながらも、ちょ、ちょっと船酔いみたいな感じになったので明日は慣れるかも(@_@)


京都浪漫「小堀遠州」。良い物、を見なければね。


ふと、『科学の夜』。あの時mixiに書いた文はもしかしたら、部分的にどこかに使ったかもしれないにゃ。まあ、いい。その時感じた事と十数年経ってからも、案外変わっていないような気がする。「完●全●再●現 新●月Complete Edition / 1979 Shingetsu Live」を聴いて、んふ。


自分の位置にそろそろ戻る準備をしよう。遠い星。一年やすんだ。そろそろ、いいんじゃないかな。だいじょうぶな気がしてきた。肥満はさらに悪化してるが。


363日目に封印解いた。へらへら笑うと思っていたのだが、冒頭からもう涙が止まらなかった。うん。うん。ふるえがきた。うん。うん。


お悠さん、日野さんに「一日おきにお稽古に通っているのでお薬お届けします」って言ってて、最初総司に門前で会った時は文箱持ってて、次にばったり会った時はお花持ってたので華道のおけいこ。こういう細かいディティールすき(^人^)


一平ちゃん順ちゃんo(^-^)oすかす教えて頂いたリンクの中にある松山容子さん主演の映画。タイトルだけで今もうNGだ( ´・・)


がーん。ショック。またまた良かったお店が閉店になってしまった。しまった二週間遅かった。あのお店、良心的すぎたんだよ・・・。


『科学の夜』日。いろんなことガンガンやるぞ。一年経った。封印解くぞ。しかし朝から新月聴いてるファンて世界にどれだけいるのかなあ。んでも車通勤してる時なんか当たり前に朝からエンドレスで新月かかってたから、案外多いせりざわ鴨。朝のはじまりが『鬼』。


ウエノ・ヌメロウさんの「新月。それは僕にとって百年の恋にも似た存在だ」。なんだか新選組研究創成期の思いのこもった文読んだら、ウエノさんのこの言葉を思い出したりしち。そしてそして森満喜子さんの沖田総司への思いがまさにこれだ♪
ところでウエノさんはお元気なのだろうか?2006年の「遠き星より」コンサートには来られなかったのかな?北村昌士さんがご存命だったら、どれほど喜ばれたかと思う(/_;) 小田原高校へ向かう百段階段が目に浮かんだ。


原作「燃えよ剣」。土方歳三に会いたい、と心から思う人たちがどのくらいのめり込んでいったんだろね。
在野の研究家の方(あえてそう言うけど)の文章で、全く新選組など知られていない頃、単に鞍馬天狗の敵役の創作物だと思っていたが、テレビで「燃えよ剣」を見て、それから原作を手にして一気に読んで、ここで初めてどうやら近藤勇も土方歳三も沖田総司も実在した人たちらしいと知り、そこからのめり込んで当時数少ない資料を読みあさった、というのがあった。
今こうして当たり前に書籍が手に入り、映像を観る事がどれほど幸せか、と思う。


結束さんの脚本は結束さんオリジナルの物語であっても「新選組血風録」「燃えよ剣」の原作の細かな細かな描写が、違う場面でも生かされて描写されてる。
一番印象的だったのは山南敬助の『脱走』の回。
原作「新選組血風録」に山南脱走の逸話はなく「燃えよ剣」に描かれている。原作「新選組血風録」の中の『沖田総司の恋』と組み合わせ、アレンジされている神回(全部神回だけど特に)のひとつで、「燃えよ剣」でのそれぞれの人物の心情の描写は涙が出てくる。
山南の処断について沖田との会話で、土方が新選組で一番の支配者が「隊規」であると答えるがそれは『脱走』で、会議で大半の幹部たちが処断について自分の意見を言えずうろたえる滑稽な場面を締める最後の土方の「俺の意見などない」「答えはもう決まっている」に反映されてる。脱走イコール切腹。これを決めた幹部には当然山南も入ってる。
この『脱走』の回で、土方に命じられて、半分泣きそうになりながらも一人追手となった総司が、山南と大津の旅館で会話する場面の一瞬の間に、ほんわか湯気を立てている茶碗が写っていた場面。
これがものすごく印象的だったのだが、なんでこのアップが?と思ってた。
原作「燃えよ剣」を読んでから、あ、この茶碗だったのかと、感慨深かかった。映像では抹茶碗に見えるが。
総司が山南の足取りを追って大津の宿場はずれまで来た時、山南が「沖田くん」と茶店の中から呼ぶ。葛湯を入れた湯のみ茶碗をたいせつそうに両手で抱えてる。寒い時期なのだ。
結束さんの脚本にその描写はないけれど、最初から司馬さんの作品を両方読んでいた人は、あ、あの葛湯だ、と、すぐ気づいただろう。
追手である総司に自ら声をかけて招き入れた山南敬助の潔さの象徴だと思う。
原作も結束さん脚本も、総司以外の追手だったら生きて京には帰さなかったが君なら仕方ない、一緒に京に戻ろうという山南に総司はどうしても江戸にもどりたいならお刀をお抜き下さい、わたしが斬られます、と総司は言う。
山南は笑って刀を抜いたら、腕からして斬られるのはわたしの方だよ、と帰ろう、と笑って言う。
この回は、『沖田総司の恋』が同時に描かれていて、爽やかで初々しい総司の淡い初デートの場面では、原作と異なり無理やりついてくる無骨な土方(原作『沖田総司の恋』では、近藤共々百叩きに合っても死にそうもない二人と書かれてる(^m^)」)ではなくて、偶然山南が居合わせ、八のつく日に清水寺に水を汲みに行くというお悠さんと、では次の八の日にここでデートしましょうという約束をしてるのを、微笑ましく聞いてるが、二人の会話の中で、お悠さんが総司が通っている医者の娘である事から、総司の労咳を知ってしまい、心配して医師にまで聴きに行ったりと(原作では近藤土方が総司の淡い初恋を良かれと思って完膚なきまでに、叩き潰してお前の為だからとか言って総司泣かせちゃう。ひでえ)さんざん山南の優しい人柄と、総司を子供の頃から弟のように可愛がっていたという伏線がたっぷりと描かれている。
だからこそ山南が総司を可愛がっていたという事を知り尽くしている土方が原作でもテレビ映画でも冷たい声で「お前ひとりで討手に行け」と命じている。
史実とされている山南脱走の解釈は別として、土方が全ての憎まれ役を副長として負っている。
総司はすでに自分の短い余命を知ってる、近藤も土方も、これからの闘い「渦」の中に突き進み、永くは生きられない、そんな言葉をいつものように結束さんは総司に言わせてる。
テレビ映画では脱走の日が「八の日」で「今日は八の日じゃないか、あの娘さんが滝で待ってるぞ」と山南が総司にかける言葉の暖かさ(/_;)
山南切腹の介錯をして、憔悴しきっている総司に今夜はどこにも行かずに休め、と土方が労って声をかける。総司の今日のひとことは「ひどい渦だなあ」
でも、もう夜になっているのに清水寺に総司は出かけて、ほんとならお悠さんと一緒に汲むはずだった音羽の滝の水面を見つめる総司。お悠さんが置いていった桶の結び文は読めたのかなあ(/_;)
心象風景を表す水面をみつめてる総司はお悠さんへの思いを断ち切ったんだろか。
あ、原作の細部にわたる描写や心情を他にもたくさんたくさんこの回の脚本に反映されて映像化されているので、いっぱい書きたいけど、枚挙にいとまがない。いかんとまらないのでこのへんにしておこう。ほかの事ができなくなってしまふ。すかすほんとに二時間映画一本分の重さだ。


あらためて、昨年先生が考えて、ころに下さった雅号は「翔嶺」。最初入れる文字の希望を聞かれた時「月」と答えたら草月なので月はNGとの事でならば「新」とお願いたのだが、先生がご自分の一文字嶺を入れた上で本人のイメージを考えてつけてくださる、との事でお任せする事にした。「嶺を翔ぶ」。ほんとうに嬉しかったo(^-^)o


当たり前だが今日は目覚める前から『科学の夜』があたまのなかにガンガン。
今日10月26日は新月ファンサイト記念日。記念日はいっぱいあるけどね。あの、新月の中で最も若い曲『科学の夜』。きっ、と星空を仰ぐ。


子母澤寛の黒猫の話(しつこい)。最後にわざわざ「事実である」なんて創作書かなければ、この黒猫が総司に忍び寄った嫌な面した「死の影」。だから総司が斬ろう、つまり死の影に撃ち勝とう、と何度か試みたのに力尽きた、と読めるのに(`´)司馬さんもさすがにこれは?であったのだろう、「燃えよ剣」のなかにも引用にとどめてるので良かった。


「Journey to Babel」キーボーディスとのボーカル。新月でもどおかちら?


いやーおもしろかった。衝撃の最後を知りながらも、なぜここに至ったか、がわかった。これもながら見できない。日本は戦争に敗ける。これは絶対的な変えられない事実。それがぶれないまま、主人公が数学で日本を救おう、なんて、こんな事を考える人のあたまの中はどうなってるんだろう。これがまた漫画原作というのもおどろき。ネタばれするので書けないけど、この原作すごい。そして日本映画まだ大丈夫。
すかす、「新選組血風録」脳になってるころ、橋爪功さんが出て来た時、つい、あ「下駄屋のせがれ」と思ってしまっただ。


「アルキメデスの大戦」という日本映画をCSでやるので観なければ。先週偶然最後の方だけで観てオチを知ってしまったが(^_^;)これ、おもしろそう!


テレビ映画「新選組血風録」はながら見できない。監督脚本スタッフキャスト全員が一丸となって全てのエネルギーを注いで細部に至るまでつくりこまれてるので隙がない。なによりこの結束さんの脚本。「新選組血風録」と「燃えよ剣」の原作を全て完璧に咀嚼している。司馬さんが自作で一番好きなのは「燃えよ剣」と「空海の風景」なので、自分の宝物をこんなに大切に表現してくれたのだから、結束さんの「改変」をも楽しみにしてたというのはよくわかなるなー。


げ、この日記からの新●月セッション掲示板へのリンクがきれていた。びっくりした。掲示板消滅したかと思った。いかんいかん。貼り直し。時々へんな事があるなあ。まあまたいつか若い人がやるかも?なのでこの掲示板もとってある。でもまあ今みんなFacebookとTwitterだから、そんな活動してても使わないかな、と思いつつ、若い翡翠さんがまだまだ活動してるので情報だけ掲載しておこう。


今朝涼しいというか肌寒い。


テレビ映画「新選組血風録」は、何度何度も観る度新しく、また、そうだったんだ、とかスルメのような作品でまさに「映画」。スルメみたいに味わえば味わうほど深みが増す。時代劇とかジャンルを超えた日本の映像の宝ではなかろうか。


萬斎ちゃんの「花いくさ」という映画が以前もCSで放映してるのは知ってたのだが、いけばなの勉強の為にみるべきかなと思いつついつもの野生のカンで、みなくていいかな?、んでも、今日また放映されてると気付いたのがすでに残り30分だったがいちおう観たけど、うーん。萬斎ちゃんがもったいなかったかな。ってネガティブな感想を書いてしまった。猿之助さんの秀吉は良かった。


に、してもこまっだ。今日はあだまのなかに『島へ帰ろう』と『新選組の旗がいく』が交互にっ。


昨年、送ってもらったけどお手紙に書かれたままにその後に封印を解こうと思いながら肝心の事が未だ未完なので、まだ封印解いてない。
むりやり我慢してるわけでなく、わりとそういう事がへいきでできる自分がふしぎ。
ほかの事ではこらえ性がないのにほんとうに大事なものはがまんできる。
2004年もそうだった。
で日付見たら28日でこの日は叔父の七七忌だからその前に、封印を解こうとけついしただ。
しょうじき、新月の事がちゃんと書けなくなってまる一年休んだようなものだが、たぶん新●月Project with 北山真 11.4について、おこがましいけど、それを「書く」為の拮抗する力、エネルギーが備わらなかったかもしんない。つまり完膚なきまで感動し、これでもういいや、って無意識に思ったのかもしんない。
んが、もういいかげんにしろ、という自分と、新月さまがじっとこっちみてる気がする。


んでもって、教えていただいた「順ちゃんもんだい」(^^)まだ本編しか見てなかったのだが、二巻には、中野さんの他に松尾監督、ウルトラマン黒部さんのインタビューまである。しかし、中野さん、興味深い内容だし、また良いお年の取り方でかっこいいなあ。赤影山崎さんも中野山崎もどちらも素敵だ。


わーい!なんと、新●月掲示板がすっとんだ時の予備にと存続させておいた「プログレ駄菓子屋掲示板」に嬉しいメッセージが♪まさか「新選組」の話題をしてくださるお方が現われるなんて(感涙)。うるうる。


総司の黒猫話で、もうひとつ、猫の逸話があったのを思い出した。
しまった出典がわからない。
総司が亡くなったのは新八っつあんが書いてる今戸神社近くではなく、千駄ヶ谷というのが今では有力だ。
で、この今戸の松本先生宅で療養中亡くなったという説に基づいての逸話が、ある日庭先の木に猫がくびをくくられつながれていたのを見た総司が、なぜくくられているのですかと訪ねると、わるさをしたので罰にくくれていると教えられる。
死の床で総司の最期の言葉が「あの猫はまだくくられているのですか」だったという。
これももちろん創作だが、むしろこちらの方が、総司の心情が、自らもくくられてる猫のように身動き取れないとなぞらえていて、文学的に思える。


雨で渋滞との事でバスがはげしくおくれすっかり遅くなってしもた。 やはり外出で疲れ果てて、なんか日本酒のみたくなり、ゴハン食べて「槍は宝蔵院流」を観て(やっぱり「新選組血風録」は観るのね(^-^;)早々に寝てしもた。
斎藤さん大活躍の作品のひとつ。そして土方がいかに良い上司か、土方に支えられてる近藤、審判をする場面のみで、剣を奮う場面がないにも関わらず、いかに総司が名剣士であるかが幹部たちに語られる。
谷三十郎役の芸術座の役者さんがそれはそれはにくたらしくてよい。谷にむかつく大石鍬次郎と総司の顔、一転して斎藤さん大活躍の報告聞いて満面の笑顔になる大石と総司の露骨な態度がおもしろい。


新暦10月23日は慶応四年が明治元年に改元された日。近藤先生も総司もその数か月前の「江戸時代」に旅立ったんだなあ。


美容院に行くため午後遅くなって平塚へ。バス電車乗り継いでも行くのは美容院は彼女のところでないとダメなのだ。久々のJRでうっかり下りの小田原行に乗るところじゃった。
コロナでなければ近くのホテルのランチビュッフェおひとりさまゆったりするところだけど、まだこわいし、雨でうろうろしたくないしで夕方近くぎりぎりに着く。
美容師さんはいろんな情報もってるなー。
しかし小田原観光関連の話題をしたら「観光客が戻っても、お土産物屋さんは元に戻らないそうです」に、えっ?つまり、Gotoなんちゃらでも、以前のようにおおっぴらに、どこそこ行ってきました♪お土産です♪なんてならない。
世間の空気からして、旅行に行ったとしても身内だけの話題でひっそり。それに今、誰か知らない人が触ったものを受け取りたくはないかも。衝撃だったが納得した。小田原のドミノ倒産が心配だ。おととからも支援の為に小田原行ったらとにかく何か買ってあげてくれと言われてる。それにしても、あのまるうが倒産するなんて(>_<)
自分も今組長だけど、回覧板も極力回さなくてすむように個別に印刷して配布してるくらい。小田原行って以前はちょっとしたものをご近所さんにおみやげにしてたけど、そんな理由でやめてる。 平塚来ると「都まんじゅう(ちっこいのと小分けで売ってるのでプチおみやげにさいてき)」買っていたのだが、これもやめた。
お互い、暗い話題しかないっすよねーといいつつとにかく毎朝朝日を浴びて笑うしかないと誓い合う。
んが、自分のおみやげに都まんじゅう買おうと思っていたのに忘れてしもた。


子母澤寛の「新選組物語」やっときた。読む順番を明らかに間違えてる。「新選組血風録」を読んですぐ子母澤寛三部作をすぐ読むべきだった。これ、菊池寛賞を取ってるので、あきらかに「小説集」ぢゃん。
なるほど、冒頭の作品が総司と黒猫の話で最後に「事実である」とまで言い切ってるので、もともと資料少ない新選組の沖田総司の最期と信じてしまうかも。
でもしろうとが読んでも、いかにも小説なので、いまちゃんと専門家にも否定されてて良かった。
でも、当時黒猫を見たり抱いたりすると労咳に効く、というおまじないみたいのがあったそうなので、総司の為にだれかが連れてきた黒猫が総司の近くにいたんだろね。そこからヒントを得た創作なのかなあ。でも「事実」ってなんでわざわざ書くかな?
いまいろいろ調べて、沖田総司のひととなりや新選組幹部としての来歴、行動からして、死の間際に、衝動的にたかが黒猫を斬ることに執着し、それが斬れないと嘆いて死んだ、などというのはありえない。こんなせせこましい人物ではない。
もし総司が死の間際まで「斬る」事に執着していたとしたら、その対象は沖田総司暗殺計画が失敗した後、しかたないので寺町でお買い物(^_^;)してたら偶然二条城から伏見へ向かう近藤勇を偶然みつけ、銃で狙撃して肩に重症を負わせた元新選組隊士の御陵衛士たちだろう。
普段冗談ばかり言って笑ってて一時もまじめにならず、撃剣筆頭指南役のくせに稽古サボって子供たちと遊んで(子供たちに遊んでもらって)へらへらしてるが、世界中で一番尊敬して大好きな近藤先生を傷つけた者、その大好きな近藤先生が作った新選組に害を及ぼす者への怒りのスイッチが入った総司ほど凄まじく恐ろしい人間は他にいない。
総司には近藤勇が四月に斬首された事は絶対に知らされずにいた。もしもそれを知ったら、総司はなんのためらいもなく、即座に殉死していただろう。最期まで「近藤先生はどうされているのでしょう。お手紙は来ませんか」と案じていたという。
黒猫じゃない。
ただ、総司が斬る事を執着した相手を、近藤先生を傷つけた憎い相手として「嫌なつらした黒猫」にしたのは、そうい擬人化の逆(なんていうんだろ(^-^;という小説的手法なのかもしんないけど( ´・・)うーん。


新選組には一次資料が非常に少ない。この中で新選組幹部生き残り新八っつあんの証言がいかに貴重か。明文化された資料も少ない。
うすぼんやりとわかってきたのだが、すでに高齢になった新八っつあんへインタービューした記者がテキストに浸かっていたのが、新選組が当時屯所にしていた西本願寺の坊官西村兼文の「壬生新選組始末記」。
お西さんの坊官といえば当然バリバリ勤皇で、出張から戻ってきたら、西本願寺が敵である新選組の屯所にされてしまいびっくりぎょうてん。当然新選組に対する憎しみがすさまじい。んでも西村が書いてくれてる事でかなり明白になったこともあるが、西本願寺へ屯所が移転する以前のことは、西村にとって伝聞なので間違ってることがある。
でも、それはまだやっと新選組への関心が出始めた頃の事なので、記者にはそんな事わからない。
だから、新八っつあんへのインタビューの際、西村が書いたものを「こんな事があったんですよね」と問えば、高齢の新八っつあん、そんな事があったかな、うん、あったかも?と答えちゃうと、それがあったことになっちゃう。お年寄りだから、話もおっきくなっちゃう。
大阪での力士との乱闘事件も、実際仕返しにきた力士は20人に満たなかったらしいがそれが60人になってて、これを新八っつあん山南沖田斎藤島田芹沢平山野口の8人だけで負かした事になってるのはご愛敬だが、ほか記憶違いや西村テキストによる誘導?による間違いが多々存在してて、それを研究者のひとたちがひとつひとつ検証してる。
まだ勉強不足なのでよくわからないのは、新八っつあんがこれだけ詳細に山南敬助脱走沖田追手切腹までそれはそれはリアルに話してるんだけど、これも疑問があるから、山南敬助事件は謎になってるんだよね。この話はどういうことなのかなあ。
多くの証言は油小路の生き残り、元新選組の御陵衛士たちで、こちらも新選組憎しだ。
わかんないことだらけ。はっ、いやあくまでテレビ映画「新選組血風録」を楽しむためなのだ。


写真
一種いけ。やまごぼうのみをいけた。写真だとよくわかんないけどまだ赤くなる前の緑の実と葡萄のような赤黒い実と葉の彩が美しい。花敷はほんとうはもっと薄い色が良いのだが、この赤い実、たちまち色が出て染め上げてしまうので、びびった小心者ころ、濃い色のハンカチにしてしもた。


公では「栗塚さん」「島田さん」「左右田さん」と言ってるのに、解説でぽろっと「順ちゃん」とかインタビューで「ぼくとアサヒと一平ちゃん」とか言ってるの好きo(^-^)o


うすぐもり。だがこれから雨になる。午前中からでかけてちょっと寄り道するつもりだったが雨の中うろうろするのやなので、午後からにしよ、たてていた予定変更。


ただやはり昨日聞いたショックが深すぎる。今日はダメだ。


なにかのせいにしたらダメだよね。いかんな。


動かないとね(>_<)しかしFacebookの仕様が変わっててとまどう。まだちょと復帰?というかそっち側に行くのを躊躇してる。コミュ障なので( ´・・)しかし「ヘルプ」がどこにあるのかもわからん。またすすすすすすすとフナムシ状態。ころもフナムシだった。


やはり、幼馴染の、自分よりずっと若いきょうだいの訃報が衝撃で悲しいのに加えてなんとも言えない感情がまだ自分の中を席捲してる。幼馴染の気持ちは察するに余りある・・・。つらい、悲しい。小田原に行った事で、帰宅とちゅう予想もしない人と久し振りに会話したりものすごくいろんな事がありすぎた。でもうごかないとダメだ。


帰りの電車の中で『ドクターマッコイ』があたまの中に流れて来て「風がぬける」そんな作品イメージがわいてきた。ほんやりだけど。今ある花材ではこのイメージした作品はころの技術的には無理だけど、そのうちやってみるど。


写真 写真 写真
閉店を確認した。県外ナンバーの車もたくさん来てて、大変だったそう。行列がすごくて一時間待ちで、近所でも買えないと言ってた。小田原おでん本店はどうやら存続されるそうで、それは良かった。


写真 写真 写真
駅でお花の苗買って、すこし寄り道。
駅のほんのすぐそばに北条氏の墓所がある。なぜか鈴をぶらさげるようになってた。
小田原城址公園の遊園地のコーヒーカップがひっそりと保存されてた。むろん、自分が子供の頃のはもっとじみだったが、かつては観覧車やコーヒーカップやメリーゴーランドやミニ鉄道でにぎわっていた。
景観のためにどんどん撤去されていったが、今、小田原駅再開発で大きなビルがたち、駅から小田原城が見えなくなってる。なんかへんなの。
途中時間的にどうかな?と思ったけど高久製ぱん工場に寄ってみたら、手作りパンを買えた♪美味しいのたくさん買ったらおまけくれた。湘南ゴールドあんぱん美味しいんだよ。実家に着いて、もろもろ調子よく作業やってたのだが、ご近所さんからちょっと信じられない訃報を聞きおちこむ。おととに連絡したが衝撃で反応ないや。なんで?今年はなんなのだろう。


さわやか!これが十月だよね♪


山南敬助のなぞ。どれも口伝だもんね。新選組で記録したとしても、富士山丸に乗船する前に全て燃やしてしまったんだろうなあ。脱走した山南敬助を沖田一人追手にしたのも諸説あるけど、やはり近藤・土方にしてみたら「逃げきれ」だったと思いたい。
大津より先に行っててくれれば、もう道が別れて一人では探索しきれない、追い切れなかった、一番隊組長の沖田ですら無理だったならばそれでよし、あるいは山南敬助に弟のように可愛がられていた沖田だから、見つけてもうまく見逃すだろう、沖田と山南がまともに剣で立ちあうわけがない。
なのに、山南敬助はなぜか大津に留まっていた。沖田は山南に逃げてくれと言うが(たぶん近藤・土方もそのつもりであると思ったに違いない)山南は、もし自分が逃げたら、沖田が罰を受けるのではないか、と、一緒に京へ戻ったという説もある。
二人が連れ立ってまるで梅見にでも行ってきたかのように楽しそうに戻っていた、という話しもある。
戻った限りは、隊規に反したのだから、大幹部といえども切腹は免れない。そのつもりで山南敬助は戻った。山南本人の希望で介錯は沖田。土方も涙を流した、という説もある。
反対に土方山南は対立していた為、山南敬助がが土方を罵る言葉を吐いて切腹したという説もある。
新八っつあんの顛末記読むと近藤が山南と対立していたので、よろこんで?切腹する機会をうかがっていたという記述がある。新八っつあんは必死に山南敬助を逃がそうとしたが、山南敬助自身がそれをよしとしなかったという。
ほかの研究書もこの脱走切腹について触れてるが、たぶん、未だに真相は解けてない。


風がぬける、は今の花材でいけられるかわかんないけど、けどけど、NOAの楽曲がやっぱり今後のいけばなに風穴空けてくれた♪あり、風去りぬつづきで風がキーワードだにゃ。


「風去りぬ」。土方の「(微笑)総司。今度生まれ変わる時は、俺はお前のような人間に生まれ変わりたいと思ってる」の台詞は、原作「新選組血風録」にはなくて「燃えよ剣」にあるのだが、原作ではこれに対して総司の返答はどこかクールだ。
かと言って、いつものおちょくりでもなく、かといって突き放してるのではなく、より複雑な心情に思える。
結束さんは「(笑)困るなあ、それじゃあ。だって私はね、今度生まれ変わっても土方さんのような人に逢いたいと思ってるんですから」と言わせてる。
土方にそう言われたあと、島田沖田はこみあげてくる思いを、笑みを、涙を、こらえながら細やかに変化する表情でその複雑な思いを表現してる。
島田さんはインタビューでこの台詞が一番難しかったと発言してる。
その意味を島田さんは語ってるけど、一視聴者は、自分なりにその課題を考える、くるしみと楽しみに、ひたる。


ふと、カムイ外伝「りんどう」で検索かけてみたらアニメ版がヒットした。アニメもみていたはずだが、このエピソードあったんだ。全く忘れてた。
「あかね雲」の斎藤さんがしーちゃんに目隠ししてあげる場面そっくりのがあってびっくり。アニメでもこんな手法を。うすぼんやりのイメージだけど「勝手にしやがれ」とかハンディカメラでのかっこいい映画に浸ってたプロの人々が制作してた時代だ。クオリティの高さにびっくり。日本のアニメって本当にすごいんだね。
そしてにゃんと抜け忍犬とカムイだったのか。もお涙フラグたってる。孤独なカムイがわんこ抜け忍アカという相棒とたわむれて笑ってる。忍犬アカかわいすぎるし優秀すぎ。
アカはカムイがはまったこの砂地獄が浅い、のを知っていたんだろね。だから敵をなるべくカムイから遠ざけようとすごい戦略を繰り広げて壊滅させる。野犬・馬の大群を繰るスペクタル戦略で敵の忍者を見事にやっつける。すごすぎる。
疲労困憊のアカだけど、がんばって砂地獄のカムイの元に戻る。砂地獄にはまり、死を意識したカムイの目にうつるりんどう。こんなに美しいのかと感情を動かすカムイ。
カムイを助けるために大活躍のアカの思惑など知らないカムイ。アカは追手の目をくらますために兎の血を使ったのだが、そのうさぎをおみやげにカムイに持って帰る。 カムイは自分がしにかけてるのに、所詮犬だから、こちらの危機の事もわからず、なーんだ、ただわんこだから単純にうさぎを追いかけたのだろうと思っただけ。
死を意識した時、りんどうの美しさを初めて目に焼き付けるカムイ。の場面のみを覚えていたんだな。
カムイがそのりんどうに感傷的になっていた間、アカはじぶんの生死を賭けてカムイの為に闘ってた。
人間カムイからしてみたら、砂地獄にはまってた今の状況を助けてはくれない、所詮犬とは意思が通じない、ただ獲物のうさぎをハンティングしてきたと思うだけだけど、アカはすごい戦いくりひろげてカムイの命を助けようとしてたんだよぉ。
人と犬とは所詮わかんない、ってさとったようなカムイだけどね。で、カムイが死を意識して美しいと感じたりんどうの花をアカは無邪気にカムイを追いかけながら、無意識にそれを踏みつぶしてカムイの後を追う。
つ、つづきを観たいっ。でも、全く覚えてないが、じぇったい次回はカムイとアカの別れがあるはずだ。だってとことんカムイが孤独になっていくのがカムイ外伝だもん。うう。
しかしまさかアニメを観る事ができるとは思わなかった。日本のアニメ、おそるべし。


草月で作品に対して最高の褒め言葉は「風が抜ける」。そんな作品をいけたい。「Journey to Babel」♪


自分がいまどうした いのか、どの方向に行こうとしてるのか。わかんない。やりたいことだらけのはまちがいないが。10月ってほんとにいろんな変化を考える月だ。コロナ怖がって引きこもってばかりではダメだよね。もっと外みないといけないのはわかってるんだが、でもこわい門。


もろもろイレギュラーな用事できて小田原行きょうも中止(>_<)全然行かれてない。庭がどうなってるやら。明日がお天気なので明日こそいかなくちゃ。まるうの閉店見届けてないし。来週は叔父の納骨で横浜。コロナになって初の東へと。


いけばな写真
なんか「風去りぬ」のせいだけでなくて、おセンチ?になってるのは秋のせい?


きのう久しぶりに「風去りぬ」を観てしまったので、総司の痛々しさがまだ残ってる。島田さんの演技もすごいのだが、いろいろ調べてるうちに史実の沖田総司にも感情移入してきてるのもあるかも。
それまでの回で、元気でかつやくしてる総司見てても、この子もうすぐ病気になってしんじゃうんだ、ってわが子、いや少し年齢的に無理があるが孫みたいな気になってくる。
本放送の55年前、もちろん家庭に録画機器などないので、一家全員集まって集中して観ました、などという思い出書いてる皆さん、家族それぞれの年齢でどんな思いで観ていたのかな。
しかし栗塚土方、左右田斎藤、舟橋近藤ももちろんだけど、これから甲陽鎮撫隊として甲府に向かう甲陽鎮撫隊、有川新八っつあん、徳大寺原田、玉生島田魁・・・もう北村源さんは鳥羽伏見で戦死してしまい、赤影山崎も富士山丸の中で亡くなってしまったが、このひとたちにも感情移入してしまい、またどんどん悲しくなる。史料を調べて、知れば知るほど、感情移入してしまう。「新選組血風録」おそろしい作品だ。


雲が多い。うーん。玄関にいけようとしてるのを、なにも大きな作品をいける必要はないじゃん。山茶花も水切りしてたら小さくなってきてしまったし。先生が「作品は大小ではなく、強弱」と言われていた。NOAのインストルメンタルの世界が何かヒントあたえてくれそう♪


ナスカの地上絵の古代ネコ。かわいいけど、今まで発見の絵とはかなり画力が、というか宇宙人の子供が描いたと想像すると、さらにかわゆす。


う、ヘタな写真のせいか写真でみると「沖田総司」いまいち?実物のはかなり気に入ってるのだが。朝の沖田総司りんどういけるのに、集中して疲れ果てたので、これいけて、糸切れた(^-^;
玄関のは気に入らないので早々に朝抜いてしまったのだが、この大物、は今日はいけない。 アイディアが全く浮かばず。
で、明日はできないがたぶんあさってNOAを聴いていけてみよおと思う。ここ数日の自分のいけばなのイメージはNOAではなかったので。多分NOAが風穴あけてくれそうな気がする(他力本願)。


いけばな写真
奥様先生に頂いた山ゴボウの実と花材で余っていたきいちご。関係ないのだが『殺意への船出PART2』聴いて(^^)


いけばな写真 いけばな写真 いけばな写真
こんなちいさな作品だけど、丹念にいけて一時間以上かかってしもた。
りんどうと菊のみ。りんどうは、総司であり、菊一文字であり。後ろに見えるのは「猫用窓」。お外に出られないはるたんの為に大工さんにお願いして作ってもらったのに・・・。たんが一度覗いただけで、はるからは完全に無視された。我が家で最も無駄なもの( ´・・)全く使われないので以降レースのカーテンかけた。はるたんの為につくったのにぃー。キャットタワーを奮発して買ったのに、まったく無視されて、キャットタワーが入ってた段ボールが二人に大人気だった教訓を、なぜいかさなかったのであらうl


一杯目を全部ぬいて、いけなおし。島田沖田総司のりんどうをいけたいと思い「風去りぬ」を観ながらじっくり時間かけてりんどうと菊をいけたのだが、朝からもお涙涙涙。
斎藤さんと総司がふたりで大笑いしてるのに、なんでぼろぼろ泣いてしまうんだろ。土方・総司の今度生まれ変わったら・・・何度も観て、わかりきってるのに、泣けて泣けて、感動と悲しいのとで。
最後、障子を丁寧に閉めて、文字だけで総司の旅立ちが伝えられ、冒頭で回っていた水車が止まって「完」。顔が。いったん買い物にでかけばならんのに、どうすんじゃ。


きょうもさむい。今日実家メンテに行こうと思ったが天気が悪いので明日に延期。きのういけた一杯目と三杯目をいけなおそう。今日もいけばな自主練に励む事にする。とわいえみっつもよっつもいろんなことやりたい。


あした、最初の一杯をいけなおそう(-人-;)


新選組は、こりはちとすごい風穴。本増えすぎ。これ以上本を増やさないもんね(@_@)


えーい、なーにをいっとるか!ぐちがおおい!いかんっ!にゃっ。がむばらねば。たださえふににの文章がっ。にゃっ。新月のこと書くために、いけばな、これは自分のために。


いけばな写真 いけばな写真
「りんどう」は総司のイメージと先日も書いたけど、ふと、白戸三平氏の「カムイ外伝(原作)」の作品の中で、うろおぼえなのだが、絶体絶命のカムイが死を意識した時、そこに咲いているりんどうの花の美しさに目を留める場面があったのを思い出した。
ひっこしのどさくさでカムイ伝共々処分してしまったおぼえが・・・。たしか心痛む(ぜんぶそうだよね)話だったような。
で、たぶん、このりんどうの場面があたまのどこかに残ってて、「死を意識した闘う若者」のイメージの花として総司にも思い浮かべたのかもしれない。
右上のつぼみだけを切って挿した花材のりんどう、ふしぎな色合いで先輩かたも初めて見たと言っていた。
初々しい、りんどう。
あ、手前のは庭のムラサキシキブね。


いけばな写真 いけばな写真 いけばな写真
きょうは一日中いけばな自主練した。だけど。一杯目は写真撮る気もしなかっただ。二杯目菊とりんどうとムラサキシキブはまあ定型・・・。三杯目は、やなぎを使ってすこし動きのある大きな作品をいけたかったのだが、ものすごく時間がかかった。もちろんイメージを作ってからいけたのだが、技術が・・・。奥様先生に切って頂いた山ごぼうが可愛い。
壁。壁。えーん、新月の文章も書けないわ、いけばなもすすまないわ。えーん。も、もしかしたら今年の元旦さまが言ってた「真実」って( ´・・)にゃっ


桜井さんのNOA「Journey to Babel」を聴きたいのだが、ながら、で聴くわけにいかないので、まだとっておく。映像も観たいが。本読むときの斜め読みのようなわけにはいかない。今日はいけばなに集中。


ところが、近藤の写真はその敷物や小道具から、京都時代に撮影された、という事が判明したというのを数日前に読んでびっくり。
と、したら、もしかしたら、近藤がこっそり?総司お前もとれよ、と言って撮影した可能性もあるのでわ、と思ってしまった。
「燃えよ剣」原作には京都で撮影の為顔におしろいを塗った近藤に驚いた土方が「野郎気が狂ったか」(^_^;)と怒るシーンがあったりするが、総司にこっそり一緒に撮ろうよと言ったりしてたら、可能性はあるかも♪なんてミーハーな事を考えてしもた。


で近藤勇の二枚の写真は江戸にもどってから撮影されたもの、と言われた。ところまでを知った。京都にもこの頃すでに写真館があったそうだが、近藤の写真が江戸にもどってから撮影されたなら、総司の写真はそもそもないのでは?としろうところ思った。
まず、京都で近藤も土方も写真を撮ってないのなら、総司が個人的に写真撮るわけがない。 まして職務が市中見回りやひそかに浪士を捕縛するのだから、うっかり顔を知られたくはないはず。
近藤は逆に選挙ポスターみたいに顔を売るひつようもあるから写真さつえいはありだと思った。
江戸に戻ってから近藤が写真撮影する場に近くにいたとしても、総司が小康を得ていたとしても、この時肺患は進んでいたのだから、若者が、それも武士が、そんなやつれた姿を後世に残したいとは思うかな。


沖田総司の写真は発見されていない。長姉のみつさんが次姉のきんさんに、総司の写真は総司も使った事のある文机にあるよと、きんさんに伝えていたそうで、後年、研究者も立ち合いのもと、わくわくで空けてみたら、もぬけのからで、「そういえば引越しの時、引き出しのなかみぜんぶ可燃ごみに出した」)'0'()'0'()'0'(そうだ。
総司が亡くなった時はまさに江戸中が官軍で包囲され、新選組の、それも大幹部である沖田総司の痕跡は匿った植木屋も親族もひた隠しに隠し遺品も全て処分してしまったろうというのは、しろうとにも想像できる。
武士である限り、病身でも暗殺者の襲撃に備えて佩刀は常に身に引き寄せていたはずだ。 遺品は燃やすなどされてしまっただろうが、その刀は人を斬った刀であるので、総司の死後神社に奉納されたそうだ(もちろん司馬さんの原作にあるような菊一文字ではないが)。
総司が亡くなったのが慶応四年のちに明治元年と改元、賊軍が許されたのは、明治七年。総司の姉の孫が墓参りを公にしたのが明治十二年。その間に古文書など出て来たそうだが、そんなものも「可燃ごみ」として廃棄されてしまったのかな。神社に奉納した刀も、人を斬っているので気味がわるいので、あえて神社も探していないそうだ( ´・・)


もう一杯いけたいのだが、なんとなくイメージはあるものの、まだはさみを持てない(/_;)


うう日記の文章ひどい。てにをはがめちゃくちゃだあ。


はなの〜ふぶきか ち〜の あめかぁ〜♪ころちゃんは、びょうきになってしまったのだった。


すっきり晴れないね。朝からいけばなまた菊とりんどうと山茶花使って一杯いける。壁が〜うーん。二週続けてお稽古だったうえに、奥様先生から、綺麗な実が葡萄みたいな「山ゴボウ」の枝をみんなに頂いたので花材には不自由してないはずなのに。


明け方変な夢みた。マイクロバスの前の席に有名な若手俳優が座ってて、後ろの座席のころとなぜかト〇レを我慢しながら移動してる。その俳優さんは真面目な人で(三浦春馬くん似?)なんか共演した若手女優さんの演技が素晴らしいという事を真顔で語っていてふむふむ。んが、もお我慢できなくなってバスを停めてもらって現実にト〇レに。ふたたびおふとんにもどったら残念ながら続きは見られなかった(^_^;)話し聞きたさにそのままバスに乗っていたらどうなっていたのだらう?ひー。


箱根駅伝予選会、こんな雨で寒くてかわいそうだなー( ´・・)きょねんもらった「あまこま」予習復習のためにあとでよみかえそう。ちょい出かけねばならないので予選会録画。


8年前のきょうは母の葬儀の日だった。お寺の関係で6日も葬儀が延期になったんだっけ。年月は経つんだ。


きのういけなおした菊と山茶花。今朝みたらこりはこりで可愛い。きょう一日、このままにしてみよお(^^)


さむっ。夕べフリースのパジャマ初。でもさむいの苦手なはずのころなんか元気。寒いので、抜いた花材をベランダにだしておいた。どういけなおしてよいやら。うういけばな大好きだけど、くるしみが( ´・・)


「エール」はいろんな音楽が随所に使われてて楽しみな朝ドラ。今週の「エール」は辛かった。すごかった。「本気」のすごさ。音楽がいろんな形で今週も流れていた。でも今日の最後の戦災孤児たちへ投げかけた菊田一夫先生の言葉に光が見える。「鐘の鳴る丘」が来週は。


松浦先生の「新選組」。研究書なのに、文章があったかい。根底に近藤勇愛があるからだろね。森さんの沖田総司愛に通じるかも?


うう。10月なかばすぎ。つまり。まあわかるひとにはわかってるだろうが、しろうとのくせに、今年に入ってから、いや昨年末から?なぜかなまいきに完全に「スランプ」なのだった。新月が書けない(/_;)父の事ももコロナも関係ないと思う。


明日は箱根駅伝の予選会♪


いけばな写真 いけばな写真 いけばな写真
いけばなの方は花展後コロナで中断父の事もろもろでやっと再開。うーんでもやっぱり壁。 菊づくしいけなおしたけど、おもしろくない・・・。えーん。また後日いけなおしてみよう。


松浦先生の「新選組」届いた。研究書なのだがこの文体!すごく面白そう!
で、「まえがき」でじぶんがもやもやしてたことが、すとん、と腑に落ちた。むろん、自分に都合の良いところだけを詠みに行ってる、かもしれないが。
森満喜子さんの「沖田総司おもかげ抄」は大好きだけど、どんなに森さんの沖田愛の深さをわかってても、いや、わかってるからこそ森さんが書いてる「小説」の沖田総司は読みたくない。
大内実予子さんの小説「沖田総司」を早い段階で(って二か月くらい前だけど。)読んでしまい後悔した(もっとも帯のイラストが島田沖田だからっだったというミーハーな理由だが)。
自分には到底無理だった。沖田総司ファン(沖田総司女性ファン?)のバイブル、よむべき小説だそうだが、自分には全く合わなかった。というかやはり読みたいのは史料であって、そこから自分なりの沖田総司像を作りたいので、沖田総司を主人公にした架空の恋人話ももちろん黒猫の話もどうも苦手だった。
テレビ映画「燃えよ剣」が終了して何年か経って、島田順司さんが大内美予子さんと知り合い、大内さん脚本の「沖田総司」を演じたそうだが、リアルタイムでそれを知ったとしても、見には行かなかったと思う。
司馬さんのつくった沖田総司、結束さんがそれを映像化のために書いた沖田総司、それを島田順司さんが原作どおり完璧に演じた沖田総司が好きなのであって、そこから実像に迫りたい、という欲求があるので、誰かが沖田総司を主人公にしてしまった小説は、じぶんには合わないなあ。
こういう事をもしもブログ等に書いたら沢山のファンを敵にまわして袋叩きにあうかもしんない。
つまり、そういう事実を知りたい欲求がこの「まえがき」にまず書かれていた。にわかでも、ほしいのは「史料」だ。「事実」を知りたい。これなんだ。すごい。
とはいえ、松浦先生がやんわりと非難されてる司馬さんの作品だが、やはり新選組の研究など殆どされておらず、子母澤寛氏の聞き書き作品からようやく「新選組=賊軍・悪」の構図が見直されて、司馬さんの作品から、新選組という組織、背景、魅力的なひとびとに関心が向き、そこから入って、そこから創作は創作、自分で精査して、史実を見極めようとする方向は、自分のようなしろうとには、司馬さんのひろい入口はありがたい。
松浦先生はあくまでも「近藤勇」書簡からひもとき、「近藤勇」に視点を据えた研究のようだ。本編読むのたのしみ♪
すかす、先生、司馬作品は土方が新選組をつくった、という視点で描いている事自体ご立腹、さらに、テレビ映画「新選組血風録」「燃えよ剣」で、東映のベテラン役者舟橋近藤が、無名の栗塚土方・島田沖田の脇役になっている事すらご立腹なのだが、両方ちゃんと観てたんだねー(^_^;)島田さんの事かなり評価してるし。
この二つの作品が土方・沖田中心で火がついたので、近藤がないがしろにされてる感じが、俳優ですらベテランが無名の新人より格下に扱われてる、のがご立腹でなんか先生可愛い。
だからこうしていろいろ調べなくたなるので、司馬さんはこれから歴史に興味を持つための大きな入り口として、これはよしとしてほしいなあ。
しかし、本編ぱらぱらめくってみたら松浦先生まで、黒猫の逸話を事実みたいに書いてるっ。うーん。とにかく、にわかとしては、この松浦先生、宮地先生、平尾先生このお三方の研究書でもおとどめようと思う。きゃ、キャパが!


さむ。すっかり秋。しかし夢見がわるかった。乗っていたタクシーが、目の前の一時停止せずそのまま突っ走って来た車に衝突した。夢とは思えない衝撃で目が覚めた。これ、以前平塚でこういう事があり、実際はこんな衝撃でなかったが、Aちゃん姉さんと平塚湘南平に行ってみよう、なんて相談してたのでその連想と思われる。しかしリアルだった(>_<)


んふ。


箱根駅伝。予選はあと2日!大会開催されるのでよかった。でも沿道応援はできないだろね。昨年もらったあまこま♪


今日の「エール」。昨日に続いて脚本も制作も役者さんの本気度が15分とは思えない戦争を描く重さ。座して見る。


飲み会、なんてものは来年の春くらいに出来たらおんのじなのかな。三谷歌舞伎も諦めようと思い始めた。観たいけどやはりなー。もお新選組読みふけるしかないなあ。11月4日が近づいてきてるなあ(>_<)


「#寝落ちした映画を正直に言う」タグ。「2001年宇宙の旅」と「シャイニング」が人気なのね(T-T)


10月なかばになってから、にわかに女ともだちたちからランチランチの言葉が飛び交う。みんな我慢の限界なんだよね( ´・・)で、12月はせわしないからと11月に集中してる。で、みんなさいふがーと言ってる。まあ、しあわせぢゃん(^_^;)


新選組関連の本こんなにどおるすんじゃ。読むのおいつかないよぉ。まだろくに入門編すら読破してないのに、平尾先生の研究書がまた届いてしもた。あと松浦先生の本も届くんだっけ。いやあくまで「新選組血風録」と「燃えよ剣」をより楽しむためなのだ(;_; )( ;_;)


今日からまさに秋。花材を見ながら、なやみまくる。つきぬけたいなあ。奥様先生に帰りがけみなさんに綺麗な実のついた「やまごぼう」を切ってプレゼントしていただき、さらに花材がたくさん♪


「海仙寺党全滅」島田沖田ごめん。やはり絶対にあぐらなんかかかないんだ。常に正座。しかしこの袋にいっぱい入ったお菓子気になるなー。


予算がないので、ナレーションも栗塚さん、予告編のナレーションは左右田さんと島田さんが交代やってる。これがいい。で、栗塚さんの ナレーションは物語や歴史の流れや新選組についての解説で、そして、結束さんが自分で言いたい事は最後に総司の口から言わせたり、表情で伝えてる。


「風去りぬ」「流山」「燃える命」のラスト三作。総司、近藤、土方の最期と新選組の衰退と最後を丁寧に丁寧に描いて、涙なしに観るのは無理。総司も近藤も土方も、本当に知ってるひとたちが旅立っていくような気持ち。
「流山」。「風去りぬ」は旧暦五月三十日に旅立った総司を描いているので、「流山」は四月二十五日近藤勇処刑までの約一か月前の事を描いてる為ひにちが遡る。
遠い流山から空に向かって「総司!」と叫ぶ近藤の声が、届く筈のない千駄ヶ谷で臥せってる総司の耳に響き、菊一文字をつかんで転びながらも近藤先生が呼んでる!ともう走る力などないのに必死で駆けつけようとする。総司の胸、あばらが浮いてる。鬼気迫る。
総司がこんな容態でも刀つかんでるのは近藤先生の為だ。絶対にくろねこ斬るためじゃない!
総司は千駄ヶ谷で療養中も、大好きな近藤先生を襲撃した高台寺党御陵衛士たちへの怒りをもちつづけていたそうで、最期まで「斬る」と思っていた相手は、くろねこじゃなくて御陵衛士だろう。
子母澤寛氏のこの創作だけはユルセン。立つ事すらおぼつかないのに刀にぎしりめて近藤先生が呼んでるってうわごとのように繰り返すこの場面、さすが結束先生だと思ったo(^-^)o
官軍に出頭する為、流山屯所を後にしようとする近藤に向かって、俺は見送らない、って意地はっていた土方が、もう遠くたち去った後走り出し、あの土方が初めて涙流して近藤の名を絶叫する(/_;)


いけばな。自分が、いつまでも、観ていたい、そんな作品をいけたいよ(>_<)


たぶん「燃えよ剣」原作を一番先に読んでいれば、じぇんじぇんちがったいたんだろなー。原作「新選組血風録」読んでいながら、ほえ?でそのまま放置してた。新選組じたい、まったくわかってなかったので。映像みて、今ならわかる。司馬さん自身が、自分が書いた土方・沖田・近藤がそこにいたって思われたという事が。


「駒が来る!」じゃない「麒麟が来る」はかなり我慢して見ていたのだが、義輝さまの最期の描き方があまりに酷かったのでもうガマンの限界でもうみてないのだが、玉さまが「正親町天皇」で出演するそうなので、それだけはみるかというNHKの策にのってやる。
で、録画したおいた今日の「エール」。インパール作戦失敗。15分でよくここまで、朝ドラで、もう涙でぐちゃぐちゃ。比較論は好まないが大河とのあまり落差が。


いけばな写真 いけばな写真
前回からいきはじめた自然公園のカフェで景色眺めながらランチしてえんえんといけばなの話。反省会。あの先輩方のような芸術作品をどうやったらいけられるのか・・・。修行に終わりなんかない(-人-;)
すかす、日替わりランチが天丼で、さらに紅茶に、ついプリンアラモードを頼んでしまいおなかがいっぱい。肥満が。 地場野菜の天ぷらにエビ天までついてワンコイン。プリンアラモードはパインが四分の一カットにりんごにバナナにオレンジにアイスにプリンで、これが一番高くて600円じゃった。


いけばな写真 いけばな写真 いけばな写真
今日のお稽古の課題は一か月遅れの「重陽の節句」との事で「菊尽くし」。何種かの菊と山茶花の葉の組み合わせ。神の手が両脇に菊を二本足した。いっこ注意を受けたのは( ´・・)菊の花だけクビから切って浮かべてしまったのだが、花が痛む(だいじにしてない(;_ _) ので、ちゃんと茎をつけてすべて剣山にちゃんと挿しましょう、だった(>_<)作品自体は個性的で、ころんたワールドと言っていただいたが・・・。


朝もはよから庭仕事。いかん、時間が。お稽古にいかねば。


油小路で逃げおおせた高台寺党の残党元新選組隊士たちは、その後療養中の沖田総司暗殺計画を実行するが失敗。同日、偶然に二条城から戻る途中の近藤勇を銃撃、重傷を負わせる。この世の中で一番大好きな近藤先生を傷つけられ、沖田はかたき討ちだと怒り狂うが病床の身では如何ともしがたい。まわりの人、羽交い締めしたりして止めるのたいへんだったろうなあ。近藤・沖田両名が療養する事になる。


結局土にはまみれずに、明日のいけばなのお稽古に備えて何作品かいける。月二回なのだが二週続けてなのでなかなか慌ただしい。
はさみをもたねば。あしたの為に練習なのだ。でもたこやきの汁はこぼしてはなんねーだ。食べてないけど。


いけばな写真 いけばな写真 いけばな写真
前回の課題のうち、今日は「風を感じる」を意識してみたけど、むずかしい・・・。ものすごく時間がかかった。前回花材の赤芽やなぎ、きいちご、りんどう、に庭のムラサキシキブとオキシペタラムを足した。不思議なりんどう。なんかりんどうは、島田沖田のイメージだなー。


さいこうの秋晴れ♪


「歴史の中の新選組」。宮地先生は山南敬助脱走・切腹説をそのまま採用してるんだ。
それにしてもこの一文。
「近藤・土方とならび、その天才的な剣の腕をもって新選組を真の剣客集団としてまとめあげてきた沖田総司は肺患重く、勝沼の闘いにも加わることならず、五月三十日、江戸において病没する。
新選組は、ここに解体する。」
沖田総司個人がどれほど天才的な剣士である事は間違いがないのは、重々わかった。当たり前だけど10代の頃のわけもわからず素人の弟子をぼこぼこにしていたほんの数年前とはわけが違う。
でも、新選組を作った大幹部の一人である沖田が組織内でどういう機能であったか、こうしてきちんとした専門「研究者」が一言で表現して、すとんと、腑におちた。


すかす、野生のカンは正しいんだ。妄想空想なら「随筆・エッセイ」と銘打てばもんだいないんだけどね。なんとなく、ほんとに単に紹介文読んだだけでなんとなくなんだけど、にわかのくせに、なんかちがう、この二人(おひとりはあの句の人)の著書には手を出していけない、とイマージェンシーランプがピコピコ。いやそれほでもないけど、それ読んで間違った想像が自分にインプットされてしまうのは良くないし、読む時間が勿体ない。野生のカン、おそるべし。


史実。この油小路で逃亡した元新選組隊士たち、つまり高台寺党、御陵衛士の連中は復讐の為、沖田総司が肺患の為近藤勇別宅で療養中との情報を得る。詳細はわかんないけど、沖田が近藤の護衛のため出動したが体調崩し、やむなく離脱し別宅で休養?いずれにしろ、阿部十郎たちが今病気なら沖田をやれる!と襲撃たのだが、その前夜遅く沖田はこちらを出てる。 近藤護衛なのに、やむなく労咳の症状で休息せざるをなくなった沖田なら、すこし気分が良くなったらすぐに屯所に戻ろうとしただろね。御陵衛士たちは沖田暗殺がスカになったので、ヒマになったのでお買い物なんかしてた。そこに近藤が二条城に行くという情報があり、馬に乗って登城途中の近藤を狙撃。護衛の島田魁が馬の尻をたたき、負傷した近藤を乗せて屯所へ掛け戻る。近藤狙撃を聞いて怒りくるう沖田は仕返しすると息巻いていたが、病身の身ではかなわなかった。近藤負傷、沖田病身。


「油小路の決闘」。土方沖田じゃれ合いは可愛いが、後半すさまじい。まさかの藤堂平助が新選組離脱し伊東甲子太郎の高台寺党へ加入、油小路の決闘で、試衛館時代からの仲間なので、誰も藤堂を斬りたくないので、みんな藤堂の顔みると次々に逃げちゃう。
獅子粉塵の働きの藤堂平助を、最後は結局いやな役を土方が担って藤堂を一刀両断する。みんな藤堂の遺体を見つめるなか、総司だけがふっと顔をそらす。
殺陣の上野さんが島田さんのこういう細かなアドリブを褒めていた。
同じく離脱した篠原奏之進も阿部十郎も鈴木三樹三郎も富山弥兵衛も新選組の包囲をくぐってまんまと逃亡するわけだが、総司が「これだけ藤堂さんが働いたんだから、そりゃあ逃げられるだろう!」と吐き捨てるように怒ってる。
史実でも高台寺党の戦死者はなぜか一流の剣客ばかりだったそうだ。なるほどね・・・。


甲陽鎮撫隊に参加するため総司が日野まで同行、音をたてて四股を踏み元気をアピールしたが、叶わず江戸にもどった、という事だが、この時すでに総司は千駄ヶ谷の植木屋の離れ(納屋を改装して縁側をつけた一部屋)で療養してしており、ここから日野往復?徒歩か馬か駕籠以外に移動手段がない時代、病人が、そんな往復が出来るのだろうかとふとそぼくな疑問がわいた。よくわからないが、調子が良ければ可能なのかな・・・?


写真 写真 写真 写真 写真
小田原駅前再開発。


あしたは外仕事自治会仕事ガンガンやるど。


台所にやもちゃんきた!大きくなってるので、あのちびが成長したと思いたい。がんばれー。


箱根駅伝はやるみたいだけど、沿道応援はダメ、だろうなあ。


ぴき、もたぶん完全に良くなったので、あしたは一日土にまみれるぞ。んふ(島田沖田風)。


母急逝の日もこんなふうに抜けるような青空で暑い日だった。パニックになりながら、この時はその日の朝見た鶴見総持寺に喪服着て葬儀に向かう夢観た事をわすれていたが。
おととと合流してお墓参り。いつもより花をたくさんにした。隣の本家の墓もいつも一緒にお参りする。ここに「タケシ」みたいに海で溺れた同じ名(当然「ころ」じゃない)の祖先の幼女も眠ってる。こちらには赤い花と実をお供え。


ころの本の読み方はへんで、まず最初にぱらぱら斜めにめくって流れを見てから、「本丸」に行く。だってぱあだからいっぺんに読み進むなんて出来ないんだ門。
で、宮路先生の研究書「歴史の中の新選組」、ぱらぱら。すごい。これだ!検証だよー。新しいこと。こういうことを知りたかったんだ。
エッセイではない、研究書。胸のすくような、文章。
目の前が明るくなったかんじ。いろいろ他の読んでから、じっくり取り掛かりたい。あ、あくまでもドラマたのしむためだからねっ。


写真
母の祥月命日。小田原行かねば。まるう閉店。ミュージシャンの皆さんが自分たちが演奏した、ファンの皆さんがわくわくして行ったライブハウス閉店に嘆いていたり、テレビで、いろんな行きつけの美味しいお店閉店になって涙してるみたり、こんな気持ちなんだな。しかし今月いっぱい、という事なので油断して、今日何か買えればいいなあと思っていたが、想像以上にお客さんが来たんだなあ。甘かった。


きょうはらめら。新月日記書けず。


あくまで「新選組血風録」と「燃えよ剣」を楽しむために正史を知りたいだけなのだっ。あくまでも。


なんと、おととが今日小田原泊まりで行ったのだが今月いっぱいの予定がもお商品が全て売れてしまったとの事でまるう本日閉店。間に合わなかったと無念の連絡があった。150年。和菓子の松坂屋さんも閉店してしまったが、老舗がなくなる。なんなんだろう。明日母の祥月命日で行くので、何か買えたらいいなと思っていたのだが(/_;)


ぎみでなくてふつかよいだったりしち。昨日「長州の間者」こあい沖田観ながら喜んでいるいうちはよかったのだが。日本酒はきちんとのまないとなー。阿佐ヶ谷の美味しい日本酒とお料理の店は、あれからもちろん行かれるわけがなく、すごく前の記憶のような。くすん。


フワちゃん、って名前と顔しか知らなかったけど、池袋の「事件」のネットニュース関連でみた。ああすてきなお嬢さんだね(/_;)すきになった。うん、一緒に泣きたい。胸、痛いよね。この感情、どうしたら良いのか。


台風一過でさわやかだが、台風ひきこもり用のニゴリ酒のんでふつかよいぎみ。


そういえば「新●月●全●史」『生と死』について、龍の中国風のイメージとか書いたら新●月掲示板でラーメンどんぶり連想したのでわとか、いぢめれたのを思い出しただ。


なにげに森満喜子さんの「おもかげ抄」新装版の発行年みたら1999年だった。なんとまあ。


子母澤寛氏の「新選組始末記」と宮地正人先生の「歴史の中の新選組」が同時に届く。「歴史の中の新選組」ぱらぱらめくってみたら読みやすそうだが、とにかく研究書なので、まだここに出ている検証材料の「入口」になるまずは「新選組始末記」を読んでからでないと、にわかにはハードル高すぎる。「歴史の中の新選組」は巻末に人物索引があるのがすごい。
なんかほんとに読む順番が逆だったなー。「新選組血風録」を観て、司馬さん原作を読み返したまでは良かったが、ここから司馬さんが参考にした子母澤寛三部作を先に読むべきだった。あと二冊もちゅうもんせねば。しかしなんだこの沼は。まあいいか。
んでも「新選組始末記」読み始めたら、すでにいろいろ後付け知識が入ってるので、ああここは、と符合するので、むしろ鵜呑みにしなくて良い鴨。たのしい。


脚本ほぼ同じキャストだが、やはり「新選組血風録」は作りこまれた数段の上の「映画」で「燃えよ剣」は軽く見る事ができる「ドラマ」だなー。
「新選組血風録」での、窒息して吐き気がしそうなくらいの緊張感ある芹沢鴨暗殺の場面前に書いたけど、いや書いてないかもだが、島田沖田は両方の鬢のあたりに少し遊び毛がある。
それが鴨暗殺時は雨だったので、そのおくれ毛が頬にへばりついているのが リアルで、ぞくっとする。
そして沖田が芹沢の部屋のあんどんの灯りを「ふっ」と消すその一秒にも満たないその横顔が表現できないほど、官能的で氷の美しさだった。
んでも、山崎丞は「新選組血風録」の赤影坂口さんもすごくよかったけど、中野誠也さんがほんとにかっこいい。
左右田さんが斎藤一でないのが残念だけど、結束さんオリジナルキャラ二人の語り部左右田さんの「裏通り先生」小田部さんの「伝蔵」がすごくいい。オリジナルキャラ、ってこおいう事だよ。大河。
「燃えよ剣」では沖田総司、すこし影があってあんまり笑顔がないような。でもたまににこーっとするのが、あ、総司。


草月五十則「上手な人ほど、器前、器後の仕事が入念」。先輩方の姿だった。家でいけ直すときも、心せねば。


「エール」今週はつらい週だった。「命を無駄というなっ!!」の祐一さんの叫び。やはりあの子は予科練に行った。ますます来週はつらい週になるんだ。


上陸のおそれはないものの大雨がいやですね〜(;_ _) 今日はかつての体育の日。ぜったい天気になる日だよね。母が急逝した日は晴天で暑かった。


さきほどまるう駅前店が今日閉店したとTwitterがはいった・・・(/_;)本店まだすこし商品あるのかな。間に合うかなあ。


庭でいけられそうな花材はムラサキシキブ、黄色のオステオスベルマム、ボリジ、オキシペタラムのみ。切ってきてみた。やはりお稽古いくと、いけばなに火もつくなあ。まだイメージわかんないのでいけてない。た、ただ、気づかなかったがずっとこの中に潜んでいたバッタが出て来て跳ねてたいへんじゃった。
お家元の「草月五十則」をひさしぶりに読んでみがた、ずっと上の先輩方のいける姿勢を見て読み直してはじめて意味がわかったところがある。深い。


新選組関連の本が増えてしまった。断捨離しないといけないお年頃なのにどうするんじゃ。で、増えてもなんかつまみぐいばかりしてるので知識はあまりかわっていなかったりしち。しかし「新選組血風録」を5月に見てしまいって、いや以前も観た事は絶対あるのだがその時新選組にもこのドラマにも以前に司馬さんの原作も読んでるのに何の興味もわかず、それがなんでコロナ禍でこんなに沼にはまってしまったのだらう。
ネットで昔青年誌に掲載されていた漫画をみつけ課金までして一気に読んでしまった。流れは漫画は絵もあるのでわかりやすいなあと思ったけど、なんじゃこら、史実と事実無根とめたくたな展開で終わって、え?なんで龍馬暗殺が土方歳三なんだよー。たしかにかつては新選組が疑われて、斎藤一犯人説もあったけどね。


台風。上陸はしないようだが実家泊まりかんがえちう。まるうに商品はまだ残っているのかなあ。祥月命日の12日はなんとか行きたいのだが。


史実の総司と新選組終焉が辛くなってきたので、元気になる「海仙寺党全滅」を観る。
海仙寺党の赤座智俊役の人が「燃えよ剣」では松原忠治をやっていたような。
斎藤さん一人でだいかつやく(はあと)総司がお菓子持ってあちこちうろうろ、土方さんにお菓子すすめていらん、と断られたり、にやーっと土方さんに向ける笑顔がかわいい。珍しく総司があぐらかいてたりしてる。
総司と斎藤さんは二人とも外遊びをしないので、もっぱら将棋を打ってる。衝撃の事実を知った後動揺する斎藤さん、がわかんないけどめちゃくちゃな手を打ってるらしく総司の「?王手ですよ?」「?二歩ですよ?」のやりとりがわけわかんないけどおもろ。
当初はこんな場面はなかったのだが、ある時、出番待ちの間、いつも左右田さんと島田さんが将棋しているのを結束さんが見て、お話に間々取り入れるようにしたそう。 これが、いずれ「風去りぬ」への悲しい伏線にもなるんだけど、ってまた悲しくなるでわないか。


いけばな写真
のこった花材をいけた。これは無題。


かつて江戸試衛館から武州多摩小野路、日野へ「甲州街道をてくてく歩いて(司馬さんの文章)」出稽古へ出かけていたわけだが、甲陽鎮撫隊は甲府城攻めの為にさらに日野から甲州街道を行くわけだ。
立ち寄った日野の佐藤彦五郎邸で、総司は敷台の上で相撲の四股を音を立てて踏んで見せて、まだまだこんなに元気ですとアピールした。それを聞いて石翠先生は「その意気でがんばれ!」と声をかけたそうだ。
なんでそんな無茶するかなーと思ったが、やはり無理したらしく、結局ここで甲府行きは断念して総司は江戸にもどってる。
もお、元気アピールやりすぎ、って思ったのだが、どなたかが「石翠先生は目が見えないから、総司は音を立てて、元気さが石翠先生にわかるようにしたのでは?」と発言してて、目からうろこが(/_;)この方に感動した。
司馬さんの原作にはこの逸話は紹介されていないのだが、「人の気持ちに気を遣いすぎる若者」という表現がどこかにあったので、こんなエピソードを読み込んだ表現だったのだろうね。


いけばな写真 いけばな写真
家でのいけなおしは、お稽古では「微動」にしたので、反対の「躍動」にした。やっぱし『殺意への船出PART2』。草月はあくまで抽象的だからタイトル不要なんだけど、自分がイメージしたものを表現したいので、いつもこっそりタイトルつけてる。前回の「菊一文字」はかなり気に入ってて、昨日教室行ったら奥様先生が覚えててまた褒めて頂いたので、てへっ。


コロナが落ち着いたら一番近く?の町田市小野路の小島資料館に行きたいなあ。でも一日がかりになるわりに、資料は少なそうだが、是非行きたい。


ステージナタリーで歌舞伎座十月公演べた褒め。特に仁左さま・・・。あうう。今月の冊子「ほうおう」が届いて、十一月の演目も楽しそうやね。ううう。しかし同封のちらしが「おせち」。げげっ。


しかし神田の西洋医学所に入院していた総司は,、そのまま浅草今戸の松本良順先生の別宅で療養、その後千駄ヶ谷の植木屋平五郎離れに移ったと思っていたのだが、神田で少し体調がよくなったのか、甲陽鎮撫隊に参加しようと日野まで行ってるのにビックリした。
新八っつあんの「新選組顛末記」にも近藤がこの甲陽鎮撫隊の計画段階で呼び集めた幹部たち、最初に沖田総司の名がちゃんとある。


新選組は江戸に着いたが、もう幕府は瓦解して新選組なんてお荷物。すでに幕府なんてろくに機能してないのに旗本とか言われて「甲陽鎮撫隊」として、体よく甲府城へ向かわされる。
なんか戦国大名にでもなったように勘違いしてるんるんしてる近藤先生が物悲しい。故郷に錦を、みたいに日野へ寄ってしまい文字通り大名行列して遊興しすぎてしまったんだよね。
幕府がくれた大金は、新選組への手切れ金だったのか(;_ _)
せめてはしゃがず大名旅行せず、まっつぐ甲府に向かっていたらと思うけど、もともと戦闘力が違うんだもんね。遅かれ早かれ官軍の手に落る城を取れと言われても。
この敗退の記録は情けなくも悲しい。土方が応援に神奈川の「なっぱ隊」(;_ _) を応援に頼みに行って断られたり、近藤が会津の援軍が来るとか言ってうそついたり・・・。 敗退後、ついに新八っつあんと原田サノさんが近藤さんにあいそつかしての決別いs・・・。


土方歳三の長兄は為次郎という盲目の人で、その為に家督は弟に譲り、石翠という雅号を持ち、義太夫やら俳句やらを嗜み教えたりして、いろいろ粋な事をしていた「ご隠居さん」。だがなおかつ、性格は豪胆で平気で水泳とかしていたそうな。
このあたり、喧嘩屋であるが、反面豊玉の俳号をもち、おとめちっくな俳句を詠む歳三、長兄に似ていたのかな。
そしてこの石翠先生は、総司を子供の頃から可愛がっていた。
司馬さんが石翠先生の「俺は総司の声を聞くと物哀しくなるんだ」という言葉を紹介しており、物哀しい、とは陰気なのではなく、総司の声はふわっとして丸みがあり、明るすぎるが、裏表がなく、無欲な感じを、目が見えないからこそ、それを感じ取って、そう、表現したそうだ。
じわっと、くる。


近藤さんも土方さんもある程度行動も軌跡もはっきりわかるのに、総司はなぞの部分が多い。病に冒され最期は孤独に夭折した薄幸の天才剣士、ゆえに想像かきたてられて、やはり思いを寄せて追いたくなる。魅力的だ。
じぶんなりのぼんやりとした総司の輪郭を描いてみようかな。
んでも史実は史実。司馬さん、結束さん、島田さんとは一線画さないとね。


森満喜子さんの「おもかげ抄」の史料めくりつつ森さんの総司へのあまりに強い、迸る思いに入り込みすぎると、こちらがキャパオーバーになり、胸が痛くなる。。
第一稿を読んだ司馬さんに、情が強すぎるのでもっとエッセイ風にと指摘されたが「『情に流れる事なく』書くのはわたしにとって至難のわざだった」と「あとがき」にあるが、情が流れ過ぎる第一稿を読んでみたかったとも思う。
森さんが、昭和28年当時まだ殆ど沖田総司の事はもちろんお墓の存在も知らない時に、子母澤寛氏に教わった専称寺を訪ねて「若い人のお墓だから両手いっぱいのお花を抱えて」でも「沖田総司」という名を恥ずかしくて言えずに(萌え)、「沖田総司」と書いた紙をご住職に渡してこの方のお墓がありますか?と訪ねたら即答で「ありますよ」「お彼岸にはご子孫の方がお参りにいらっしゃいました」との答えに、へたへたと座り込みそうになった、ご住職に案内していただいて、夢のようであり、「間違いなく百年以上前に沖田総司という若者がたしかにこの世にいて、ここに葬られた」現実を確認した時の悦びの気持ちがぱあーっと明るく輝いてて、このくだりは何度読んでも嬉しくなってしまう。
ほんとうにあったんだ、のきもちが、こちらまでつたわってくる。
この時、まさか森さんはその約20年後沖田総司大ブームが起こり総司のお墓に香華が絶えない、などとは想像もしていなかっただろう。


先日新月日記に書こうと思って書けなかった『パパと一緒に』と『少女は帰れない』。二人の謎のやな女(ひつこい)。うーん。『マリア』さまで気を取り直そう。


台風くるなよっ(@_@)


ご近所さんからとれとれのさつまいもをいただいた。大好きなたきこみごはん。あと「出来が悪い」のも別にもらい、これは大学芋にしよっと。はちみつと黒ごまが決めてやね。


山種美術館は「アニマルパラダイス」!「斑猫」は何度も観てるけど、またじっくり観たいなあ。ふわふわの毛。


近況報告を貰えると嬉しいねえ。


いけばなのお稽古。今日初の大先輩方の午後のお稽古に混ぜてもらいものすごいきんちょう。いきがけの電車で緊張のあまりきもちわるくなったりしち。それと自分でやらかしてクヨクヨしていたのだが、まったく何もやらかしてなかったらしい。これを一人相撲という(^_^;)
雰囲気ぜんぜんちがう。ぴりぴり。でも大先輩方の皆さんの作品は先生も言われていたが花展のようだった。
んでも作品は今日のテーマと花材見て『せめて今宵は』にしようと決めていけた。それなりに、うんo(^-^)oあの中のレベルではさいてーでも、あたりまえだがそゆ事考えないで、自分なりに『せめて今宵は』には満足。 先生たくさん褒めてくださったのと、手直しなかったのは、ころ作品があまりにレベルが違うためだとおもう。

でもでもやはりお稽古2回に増やしてよかった♪緊張したけど高いレベルの制作過程と作品見せていただき本当に勉強になった。決定的に違うのは、講評が終わった後も皆さん暫くご自分の作品を座ってじっと鑑賞していた。身のひきしまる思いだった。先輩方の作品は、いつまでも観ていたかった。
いけばな写真
三種類の組み合わせの花材から選べるんだけど、赤芽やなぎ、きいちご、りんどうにした。 テーマが「動き」で、いくつか提示された動きの中で「微動」の表現を選んだ。
先生から褒めて頂いたけど、神の手が入らないと却って不安だったりしち。
テーマ見て、花材見て、あたまにすぐにうかんだのが『せめて今宵は』のイメージだったのだが、どうだろう。りんどうのつぼみが「消えた街路灯」。


でかけねば。ものすごいきんちょう。


江戸試衛館は、江戸にありながら門弟はほとんど居なかった。おぼっちゃま達は江戸三代道場の門弟になってた。もともと多摩の田舎剣法(^_^;)多摩や小野路への出稽古が収入源だった。
治安の悪い多摩で、お百姓さんたちも自ら戦わねばならない剣や柔術を教えて稽古料をいただく。
近藤先生はもちろん、土方も石田散薬の行商や呉服屋さんの営業やっていたから「経営者」側から生徒はお客さんとして丁寧に教えてた。
んが、総司が師範代となって多摩に出稽古に行き始めたのがだいたい今の高校2、3年くらい。普段は冗談ばっかりいってへらへらしているくせに、稽古となるとものすごく短気で乱暴で自分が強いのに手加減せず、生徒のお百姓さんたちをボコボコにしてしまってそれはそれは怖かったそうな。
高校の体育会系の部活のおっかない先輩みたいなもんかな。
総司自分が天才なので、なんで「出来ない」が良くわからないのか教え方がヘタなのか。
昔テレビでみたことあるけどあの長嶋茂雄さんにバッティングのこつ聞いたら、球がぱーっと来たらパーッと打てばいいんですとか答えてて(@_@)いやそれは、あなたが天才だからであって。
で、ある時たまたま総司が病気かなにかで近藤が代わりに総司の弟子たちにお稽古に行ったとき、みんなが沖田先生厳しすぎて怖すぎてやですと、泣いて訴えて、後で総司はものすごく怒られたそうな。
この世の中で一番大好きな近藤先生に叱られてしょげる総司。でもだんだん「弟子はお客さん」というのも分かって来たらしい。京都時代の教え方は「賑やかな剣でした」という記述もある。でもやっぱし教え方は厳しかったらしく「剣で斬るな、体で斬れ」「大刀がダメになったら小刀で戦え、小刀がダメになったら鞘で戦え、鞘がダメになったら素手で戦え、戦場では何も待ってくれない(大意)」という言葉が残ってる。
普段にこにこ冗談ばかり、でもひとたびスイッチ入ると厳しい総司。オンオフの切り替えがすごい。
かつて総司に恋してた少女だったご隠居さんの目撃談にもそんな談話があった。
この元気な総司と労咳の総司(/_;)


「海鳴りが呼ぶ」は山崎さんが水葬となり、また総司の笑顔が一度もなくてひたすら辛い回だった。山崎さんは大阪で亡くなったという説もあるそうだが、やはり軍艦富士山丸で水葬が行われた説をとりたい。
総司は病人・負傷者の部屋で喀血と船酔いにくるしみながらも、相変わらず仲間に冗談を言い笑ってた。
笑いながら「笑うと咳がでてあとがいけない」と言っていたそうで、当時労咳で喀血するという事は確実に死に向かっている事を意味するが、それを聞いていた近藤先生は江戸に戻ってから妻のつねさんに「あの若さであれほど死に対して悟りきった人間も珍しい」とその明るさを悲しんだという。
森さんは医師としての視点からこの船旅が病人怪我人にどれほど辛く過酷で苦しかったであったろうかと書いてる。でも総司は笑ってた。
総司の明るさ、強さ(/_;)
品川に着岸し新選組はここで降りて釜屋を宿にするが、負傷した近藤・沖田は降りずに小船で神田の西洋医学所で松本良順先生の治療を受ける。近藤は手術を受けてめきめき回復。
そして「甲陽鎮撫隊」へと(/_;)


友人からすごくショックな事を聞いた。歩いて行ける範囲に5、6年前に新しい医院が出来て先生も凄く良い先生だったのに、知らない間に今休診になっていた。


台風、やめれ(;_; )( ;_;)


えっ。エディ・ヴァン・ヘイレンさんの訃報。まだ早いよ・・・。ご冥福をお祈りいたします。


なんか昔のPV観たら、「新月」のライブもう一度観たい。そして終電なんか気にしないでえんえん新月の話しをしたい、って思った(/_;)


WDがツイートしてた『少女は帰れない』と『せめて今宵は』のクリアなPVに驚く。関係者でもどうせならなぜ『鬼』がないのかな。
そういえば、『少女は帰れない』のタイトルを知らなかったので、たしかサイト開設当時画質の悪い『少女は帰れない』のYOU TUBEみて、タイトルが『少女』になっていたんだよ。
だから『少女』だと思って書いてたら『少女は帰れない』が正式タイトルだって指摘されたという細かい事を今おもいだしたりしち。


で、やらかしてクヨクヨクヨクヨクヨ考えていたんだけど・・・単なる考えすぎだったみたいで???いやいや明日になってみないわかんない。


ココロが弱ってるとカラダも弱る。
「海鳴りが呼ぶ」でラスト近く、もう病気悪化して富士山丸の中でぐったりしてる総司には、鳥羽伏見の戦いで重症を負った山崎さんが頑張ってるんだから、お前もがんばれ、って山崎さんの死を知らせまいと(でも海軍式の葬礼銃声でわかるってば)みんな気遣ってる。
山崎さんの水葬をしたあと、土方さんが船底に降りて来て、それはそれは優しく、年の離れた弟がかわいくてしかたない(/_;)って笑顔でぐったりしてる総司の枕元に座って「船が揺れて来た。具合はどうだ?」って場面にもおきゅんきゅんで、で、つい病人の総司を押しのけて割り込み、自分が土方さんにその笑顔と台詞もらう妄想に浸る(^-^;総司ごめん。ビョーキや。


まるうは本店前は大行列だそうな。母の祥月命日がもうじきなのでそれに合わせて行こうと思っていたのだが、た、台風が。


島田沖田の美しさ。台詞なく、ただ座っている、立っている、後ろ姿、走る姿。殺陣なくても、全身がぴん、と張った天才剣士の緊張感。美しい。で、これが屯所ではお菓子食べてへらへらしてて、冗談ばかり言ってて、土方おちょくってて。
この土方沖田のじゃれあいは司馬さんの完全な創作だけど、森満喜子さんが司馬さんとやりとりしてて、司馬さんから原作に描いた沖田総司は実際こういう人だったのではないかと思っています、と言われたそうだ。


土方も総司におちょくられているだけなくてけっこう仕返しもしてるんだよね(^m^)「海仙寺党異聞」原作。
悪女の罠の文を真に受けて「この女性困ってるので相談にのったほうがいいですよ」とか部下を行かせてしまう総司に呆れて「一番隊は組長も隊士も人の良い馬鹿が揃ってる」とか(^_^;)。総司ぶんむくれだけどほんとだったうえに年上の部下はそこまでおひとよしのばかでなかったというオチだったが。
ドラマは斎藤一が主役と改変されてこの場面はないのだが、島田沖田の顔が浮かぶのだった。


行った事はないけど歌舞伎座近く「蘭州」。松也くんが出てた番組でコドモの頃から家族で行っていた店が、コロナの影響でやむなく閉店。松也くんやはり歌舞伎座休業だから数か月行ってなかった為、閉店を最近知り、店主の方とお互いタメ口で、やりとりしながら大盛を完食して、外に出たら、涙こらえてたのが、うるうるしてた。なんかわかるよ。
まるう閉店。そんな、いくら斜め前に店があるといっても、毎日かまぼこ食べるわけがないが、ただそこに当たり前にあった店がなくなる。かまぼこ、ちくわ、塩からはまるう。それがなくなる(/_;)


やらかしたことに自己嫌悪。ただやってしまった事は仕方ないので結果待つしかない。ただ反省(;_ _)


くすん。「新選組血風録」最終回録画できてなかった。DVD持ってるけど、また違うんだよねー。今日朝のうちにどしてもやらねばならない事が。


「新選組血風録」がテレビ「映画」なら、「燃えよ剣」はやはり「ドラマ」かな。結束さんが「新選組血風録」を書きながらも原作の「燃えよ剣」のエピソードや言葉をふんだんに盛り込み凝縮して厚く作り上げたのが「新選組血風録」。むろん「燃えよ剣」は土方歳三が主人公での一貫したストーリーなのでそもそも構成からちがうので、別の楽しみ方をしよう。もちりん、「燃えよ剣」もクオリティの高さはほかの薄いドラマには及ばない(^^)/あと「新選組血風録」はある程度新選組や幕末の知識ないとわかりづらいが、「燃えよ剣」は流れを知る事ができるのでにわかには嬉しい。


まるうは地元民にはブランドだけど、お正月全国区でテレビにうつる大手とは違うもんね。コロナで箱根方面の観光客がいなくなってしまったので、まるうに限らず小田原から商品を卸してる店はみんな苦戦してる。でもほんとに悲しいなあ。お正月はまるうのかまぼこ、伊達巻に決まってる。うう塩辛が。


ネットニュースで仁左さまがやっと歌舞伎ができてうきうき、とにっこり笑ってる写真と記事がアップされていた。十月歌舞伎、どれも観たい演目ばかり。えーん。行き行こメンバーから歌舞伎座弁当の宅配(お茶付き)始まったと教えてもらった。DVD観ながら歌舞伎座弁当・・・。でもなんかむなしいなあ。


「新選組顛末記」。実戦なのに新八っつあん、いちいち「お胴!」「お小手ッ!」ってかけごえかけてしまうところ好き。


訂正。昨日の身上書の存在の是非はともかく、ここに書かれていた内容は実際に総司の母の実家の子孫や近隣の人たちの口伝で、文書はない。それを何度も取材に行ってる方のブログ読んだ。
総司の姉みつさんの晩年の写真は以前から何度もみてるけど若い頃はさぞやすらりとした美人だったろうな。
みつさんの兄弟である総司の叔父さんの写真も目がぱっちりとして似てる。森さんが紹介してた総司に片思いしてたご隠居さん(むろん当時はティーンエイジャーのお嬢さん)の総司の印象も目がぱっちりして笑うと童顔だったとの事で、もしかしたら。
なお「ヒラメ顔」というのは全くのウソで佐藤家の子孫がテレビに出た時なんかへんな誘導されて口走ってしまったとの事だ。
それはともかく、やはり、総司の資料がないのは、遺品共々すべて処分されてしまったからで、当時の新選組は新政府からの敵なのだから、影もかたちもなかった事にしたかった( ´・・)わからない、となるとますます知りたくなるものだにゃ。
決定的な一次資料が出ない限り研究中、という事になるね。にわかながら想像で補完したくなる気持ちはぐいぐい。


提出物を忘れて会議終わってから家に戻ってからまたぐるぐる。土いじりというかもろもろ庭の整理もしたいがとにかく「ぴき」が(;_ _) 肥満が。


組長会議にいかねば。コロナの影響で交代で二班に分かれて開催。今日は早い回で良かった。まだぴきがいだい。


なんか明け方から三本立ててえぐい夢みてへとへと。たぶん芸能人の悪事やら自死やら、まるう倒産のショックとか、暗い話題の影響と思われる。意識の中で悪貨が良貨を駆逐したのかなあ、最後の夢はようするにト〇レに行きたかったというオチだけどね。


新月。いま、あらためて、この言葉に震えがくる。新月。今アイドリングタイムだな。森満喜子さんがどれほど沖田総司を好きで好きでたまらないみたいに、新月という音楽なのか作品なのか、つまり、そゆことだ、って、こうやって別の沼にはまってみて、わかった。分けて考える事は、ないんだ。


沖田家白河藩脱藩の件をいろいろ調べたけど、結局わからなかった。司馬さんはすでに父の代で脱藩して浪人してたとか書いてるし?いずれにしろ幼い総司が白河藩の禄をはむわけがない。
義兄林太郎が上洛の為に脱藩とか書いてるのもあるけど、そしたら総司を里子に出すほど貧しいってのもおかしいし。
なんかおもしろかったのは昭和の雑誌に総司が提出した「身上書」なるものが紹介されてた、というのを紹介してる方が疑問いだきつつコメントつけてた。
そんなすごい史料が本当に現存されてるならどこに保管されてるんだろう(^_^;)
これがほんとなら研究者の皆さん、謎がぜんぶかいけつだよね。
超有名で、その人となりについてはいろいろ史料、証言があるのに、生年月日があいまいとか、謎が多すぎるので、もう創作なのか想像なのか妄想なのかわかんないが、なんかこんな情報につっこむのも楽しい。
ただ真実がわからん。新選組同時代資料ですら沖田総司鳥羽伏見で戦死とかいう記事があるそうで、そもそも療養中で鳥羽伏見には行ってないってば。


まるう倒産。ほんとうにショックだ。亡くなった友人二人ともかかわりがあったので、存命ならこの話でもちきりだろう。特に一人は深いどころの関わりではない。近いところでこんな事がおこるんだ。現実なんだ。


だからよけいに「闇にへだつや」のねつ造が、ネットの一人歩きならともかく、出版物として刊行された事にいまだにハラがたつ(`´)今は削除されたそうだが。


「浪士文久報国記事」を読んだ方のコメント読んでなんか嬉しくなった。やはり沖田総司に一目置いている新八っつあんの姿勢に触れて素敵なコメントがあった。うんうん沖田くんが一番でいいではないですか、って、剣の腕前だけでなくて、他いろんな立場もいれて視野広く見て、若い沖田総司をたてている。o(^-^)o新八っつあん、らぶ。
同じ武家だけど、格の高い武家出身の新八っつあん。若いけれど幼い頃から苦労人だった総司。
そういえば池波正太郎さんの新八っつあんを主人公にした「幕末新選組」にも、沖田総司については登場は少ないののだが「こどもなのに剣が強い」「おぬしは若いのに(心が)強いなあ」みたいな新八っつあんの言葉があったっけ。
時代小説作家が史料を読み取って、一行書く、ってどれほどの入魂なのだろう。


と、しあわせに寝ようとしていたらあまりにショックなニュースが飛び込んできた。
150年の老舗かまぼこ店「まるう」が倒産。ショックのあまり呆然。
だからか先日塩辛買に行ったら「いま作ってない」と言われて?だった。なんか品数も少ないなあと思いつつ、定番の「ちくわ(生姜がはいってる)」だけ買って帰って来たのだが。
おととがすぐやはり自営業の同級生にいろいろ聞いてきた。話では商品がなくなるまで営業との事だった。
コドモの頃から「あたりまえ」にあった目の前のお店がなくなる・・・信じられない。小学生の時は裏の作業所見学させてもらって自由研究の宿題したっけ。テレビに映る大手のかまぼこ店のでなくて、まるうのかまぼこでないとダメなんだよー。塩からは、わきやかまるうでないとダメなんだよー(/_;)小田原おでん、はまだ営業とりあえず続けるそうだが。コロナめ。


満月に合わせての放映だったのかな?「ET」!なつかしくも楽しくてかわいくてうれしくて、こんな涙を流せる幸せ。自転車がふわりと飛ぶシーンは、「夢を叶えてくれた!」って誰もが思ったよね。ありがとう。ETは子供だと思っていたら「植物学者」の設定だったんだそうだ。知らなかった。だからお花がところどころアクセントになってたんだねー。


穂紫蘇塩漬けが水があがってきた。たのしみだな。 「完●全●再●現 新●月Complete Edition / 1979 Shingetsu Live」 に浸る。きょうは、満月。


町田鶴川の小島資料館に行ってみたいなあ。でも町田のAちゃんに聞いたら、車では簡単だけど、バスのりつぐかんじ?あまり資料館には興味なさそうなので、一人で行ってみるか。・・・今年はむりだねえ。総司の年賀状とか近藤さんのドクロの稽古着とか見たい。今日の時専は「流山」(T-T)


目がっ。目があ!こうしてみるとほんとにスカスカだが、なんとなく関係性をうすぼんやりと把握できてきた。思想とかはわかんないが、すこしだけ知識広げてたのしむのじゃあ。これ以上沼にはまったら、新月ヒストリーはどうなってるんだよ!ライブレポートは?もうすぐ一年だぞとtもんく言われそう。


試衛館時代をざっくり。あくまで「新選組血風録」「燃えよ剣」を楽しむだけのためなのであくまでざっくり。
細かい年代とか勉強不足で時系列も把握しきれてないので書けないし、かなりあちこち間違いがあると思うがとにかく流れだけつかんでおこ。
ころは「新選組血風録」と「燃えよ剣」が楽しめればよいのだ( ^^) _U~~

試衛館は江戸市ヶ谷小日向柳町にあった天然理心流の道場で、剣術の他柔術等も修行していた。天然理心流は実戦向けの剣法で、竹刀の何倍も重い真剣と同じ重さの木刀を使っていた。

多摩生まれの宮川勝太は三代目近藤周助に入門し、頭角を現わし、養子となり近藤勇と改名する。
勇の兄弟子に井上源三郎(のち新選組六番隊組長)がいる。
井上源三郎家の分家の井上林太郎(のちに沖田総司の姉婿となる)も天然理心流免許皆伝。
沖田姉弟の母も日野に住んでいた事があり総司も子供の頃から井上源三郎家に遊びに行っていた

武州日野宿名主の佐藤彦五郎(妻は土方歳三の姉)が、近藤周助に入門、自宅に出稽古用の道場を作る。
武州多摩小野路村(現町田市)寄場名主の小島鹿之助が同じく近藤周助に入門する。
近藤勇、佐藤彦五郎、小島鹿之助は義兄弟の契りを交わす。
佐藤彦五郎。小島鹿之助がのちのちも新選組を支援する。そのおかげで数少ない貴重な史料が残っている。

近藤は、江戸試衛館から日野の佐藤家道場へ出稽古に行っていた。
もっぱら弟子は近隣のお百姓さんで、なぜ実戦の稽古がお百姓さんに必要かというと、治安が大変に悪く、自衛手段として、道場稽古ではなく実戦重視の天然理心流は必然だった。

佐藤彦五郎の義弟が土方歳三。この道場へ指南役として出稽古に来ていた近藤勇とが出会い意気投合した二人は義兄弟の契りを交わす。10代の終わりくらい?
小野路村小島鹿之助自宅道場にも出稽古に行き、近隣の人たちに剣術を教え、小島鹿之助からは漢学を学ぶ。総司も師事した。

沖田総司は江戸詰めの白河藩足軽の嫡男として現西麻布の下屋敷で生まれる。
二歳?四歳?の時父が亡くなりまだ幼い総司は家督を継ぐことが出来ない為、姉のみつが井上林太郎を婿にむかえて沖田家を継続させる。

よくわからないのだが、父が亡くなった時点で沖田家が白河藩から追い出されたのか、林太郎が脱藩したのか?浪人になってしまって禄がない?わかんない。
いずれにしろ、沖田家は大変貧しく、総司が9歳の時に姉夫婦に嫡男が生まれ、総司は口減らし(/_;)の為に、井上家とのかかわりもある試衛館に、すでに剣の筋はよかったのだろう「内弟子」として預けられる。
どの世界でも「内弟子」は家事雑用一切をやるわけで、子供でも9歳の総司がやっていた(T-T)

師の近藤周助の9番目の若い妻)'0'(フデさんは芸者あがりのかなりの凶暴な性格の人で(-人-;)養子の勇も虐待を受けて一時病気になって実家に戻ってるそうだ。
養子にすら虐待するくらいなので、内弟子の総司はろくに食事も与えられず(/_;)牛馬のようにこきつかわれていて、おしんの少年版(T-T)
十歳年長?の勇がみかねて、養父母に内緒でこっそり鬼ぎりなど食べさせ、身の回りの世話をして総司を育てた。お兄ちゃんだ。
むろん兄弟子の勇は剣は厳しく指導して、剣の修行に総司はうちこみ、めきめきとその天才ぶりを現わし、さらに勇が目をかける事になるのは当然。
総司の得意技は「三段突き」。ただ今はわかんないけど当時の天然理心流には「突き」はないそうで、これは重い木刀を9歳の総司が振り回せるわけがなく、自分で編み出したのが大人相手にも勝てる「突き」だったそうだ。
12歳の時総司は白河藩の剣術指南役に討ち勝っている。

勇は26歳で天然理心流四代目を襲名する。
すると勇や総司をぎゃくたいしてたフデさん、周助さんより先にとっとと移転先に引っ越してる。おちゃめな人だ。

この17歳ですでに総司は勇に次ぐ二番目の位置となり、19歳で塾頭となる。
この頃すでに土方歳三も江戸試衛館の門人なのかな。師範代となる。
多摩の出稽古には近藤、沖田、土方・井上が交代で出かけていた。

山南敬助は近藤より6歳くらい年上なのだが、試衛館で近藤と手あわせをして負けて、近藤に感服し、そのまま門弟となる。小野派一刀流免許皆伝、北辰一刀流門下生?
江戸試衛館の生粋の門人は、総司と山南さんで、その後土方歳三、井上源さんの多摩門人が合流したという事なのかなあ?
こうしてみると勉強ぶそくで???ばっかりだ(;_ _) 特に沖田総司の生まれた年が二説あるので?が増えてる。姉二人はちゃんと生年月日が記録されてるのに、やはり新政府の敵という事で総司に関する記録を沖田家で処分してしまったのかなあ(;_ _)

で、この他に「食客」として、神道無念流の 新八っつあん、北辰一刀流の藤堂平助、宝蔵院流槍術の原田左之助、斎藤一は「一刀流」

剣の腕前は新八っつあんの証言によると「沖田には、土方も藤堂も子供扱いされた。本気で立ち会えば師の近藤も敵わなかった」。また後年弟子に「沖田総司は猛者の剣、斎藤一は無敵の剣」と言ってる。
ここで面白いのは、では沖田が自分永倉、斎藤一よりつおかった、とは言ってない。
新八っつあん自分の事言わないのが奥ゆかしい。
実際お互い真剣で立ち会うなんて事はないだけだからわかんないけど、なんかこゆところで、年は総司より上なのだが新八っつあんは沖田をつねに「たてている」ところ勝手に思ってる。武士のたしなみ、気品を感じる。
新選組を脱退して敵となった阿部十郎の話しだと、永倉、沖田、斎藤の順だそうだ。

でも、当時、今のオリンピックみたいに、判定する競技大会があったわけでもなく、木刀か真剣か稽古では何本打ち込まれたとか、道場内での順位はあったろうが、では実戦ではどうだろう、現代人の基準だとわかんないよね。

とにかく試衛館に集結したこれらの剣豪たちが、京へ(^^)/



テレビでは東京は抜けるような青空そうだがこちらはうす曇り。夜満月見えるかな。


10月、さいこうの季節であり、新月的にも個人的にも大きな変化がある月だ。そか今日は10月2日かあ。久々にこの日付けを意識した。思えば遠くにきた門だ。両親の結婚記念日でもある。新しい事の始まりって、どこかでつながってると確信。命の萌芽がぜんぶ関連してるのではないだろうか。こういう事も全てアカシックレコードに記載されてるんだね。


「史料」はまだ自分が知りたいところだけを拾い読み。ネットでは、ういきとか専門的な史料を読んで分析してる方々の意見やまとめをおべんきょう。んでもまだいろはの「い」までも行かないにわかながら、史実のように紹介してる発言に対して、いやそれ史実でなくて明らかに子母澤寛氏や司馬さんの創作だよー、とか解る事もある。ちびっと成長?あくまで「新選組血風録」と「燃えよ剣」の原作とテレビ映画をより楽しむ為程度の事なのだが、気になりだすととまらないくせ。
んでもって新八っつあんの「新選組顛末記」は記者の聞き書きだが、「浪士文久報国記事」は新八っつあん本人の手記。自身で書き留めた手記。それだけでふるえがくる。
しかし、これを知り合いの横浜の講談師に見せたところ、どうしても「貸してくれ」と迫られ返却を約束に貸したものの、何度催促してもついに返してもらえなかったと嘆きながら、新八っつあんは亡くなってしまった(/_;)
貸さずに自宅で写本しろと言えばよかったのになーと思うけど、武士がそんなせこい事思いつかないか。これが1998年大発見されて本当に良かった。
しかし新八っつあんを好きになるね。実際モテモテだったらしい。 ちょこちょこ拾い読み。リアル。芹沢鴨暗殺に御倉伊勢武が加わっていたって書いてあるけど、この隊士はのちに切腹されられたんじゃなかったっけ?なぞがまたまた(@_@)

で、「島田魁日記」もあるんだ!入手できるのかな。あ、沼が。


なぜか不具合でころ日記が表示されてなくて?いじって治ったみたいでよかった。トップページをリロードしてもらえればおっけ。


久々にAちゃんBちゃんとLINEのやりとり。よくしたもんでお互い連絡ない時はそれぞれあるんだよね。


従妹から叔父の納骨の日取りが決まったと連絡あり、いろいろやりとり。コロナ以降一番遠い「東へと」。横浜行きだにゃ。


銀座生まれで銀座育ちの松也くんが歩いていろいろお気に入りのお店紹介してた。高級スイーツ店のクレープシュゼット作ってる段階でもう美味しいにきまってるねー。洋食みかわやさんのアワビのステーキ!緑花のシュークリームも以前から買ってみたいと思いつつまだ果たしてない。ってオーナー?がペニシリンのボーカリスト?ビッ栗。興味津々なのが松也くん今はまっているというアロマのお店「エステバン」に行ってみたい♪お花のディフューザー可愛いなあ。オンラインショップもあるけど、これは実際に自分のお気に入りの香りをすでにもってないとダメだもんね。銀座行きたいなあ・・・んでも今はまだ遠いなあ(゜゜)何度か連れて行ってもらったくまもん近くの名店のお取りよせしてみたいと思いつつ、やはり常連さん用ていくあうとなんだろな、いなかのいちげんさんがいきなり注文するのも気がひけて、未だに果たしていない小心もののころ( ´・・)


「燃えよ剣」第一回目をおさらいに見ながら今度は醤油漬け。初挑戦だが、これもきっと美味しいにちがいない。牡蠣醤油を使ってみただ。たのしみ。塩漬けの方は水があがってきたら水を捨てるのを忘れないようにせねば。
すかす麻疹ところりの予防は「飲み会はダメ」「家から出るな」「手を洗え」全くおんなじだあ。
んでもやはり「新選組血風録」にどっぷり浸ってるので、まだ違和感あるけど、おもしろい♪一回目は原作通り歳三バラガキから試衛館の事が描かれてるのが嬉しい。ボロボロ芋道場、とか言われていたそうだが、実際は表はボロだが中に入るときちんと整理されて広かったそうだ。「燃えよ剣」も虚実とりまぜつつ時系列で描かれるのでにわかには嬉しいなあ。


庭のムラサキシキブの実がきれいな紫になってきたので、いけたいが、枝きるときにぴきっといきそうで完治するまでやめておく(-人-;)


沖田総司辞世の句と言われてる「動かねば・・」をもうちびっと調べてみたら、句の創作含めてこの話題自体「ねつ造」だそうだ(`´)そんな事をする意味がわからないよ(`´)野生のカンでこの人の著書にはなんとなく手を出してなかったのだが、よかった。野生のカンはだいじかも。ただ「史料そのもの」だけは読みたいけど・・・。しかしこの人一体何をしたいのだろう?総司くんも泉下で「いやだなあ」って言ってるよね。「ねつ造」でなくて妄想小説にでもすればそれはそれはもしかして面白いかもしれないが。


インフルエンザの予防注射はいまだかつて打ったことはない。うそと坊主の髪はゆったことはない。関係ないか。んでもさすがに今年は打った方が良いよね・・・。


夜も必死で今度はあくぬきした穂紫蘇を軸から実をしごき、塩漬けにしてガラス瓶いっぱいになった。こんなん初めてo(^-^)o今年は梅仕事しなかったので、梅干しは昨年漬けたのこりと母が甕いっぱいに漬けてくれたのを少しづつおととと分かち合って持ち帰り、これをちみちみ食べてる。こんなありさまなので、自分で収穫したのを仕込んで食べられるのは嬉しい。んが、何をかくそう、まだ残りの枝からはずしてないのがけっこうのこってる。一度に刈らなければよかった。あくぬきしきれないかもなので、これは醤油漬けにしてみるか。うう。午後やろう。ツメがまっくろ。


今日から10月だがばくはつてきに治ったりせずすこしよくなったがぴきっが。くせになりそう、ではなくてくせになってしまったんだな。バナナボートを今年何度か歌ったぞ。


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