12月31日 新月35年目の今年は新旧の新月曲をたくさんライブで聴くことが出来た年だった。でもそれはライブ会場に足を運ぶ事が出来るごく限られたファンにだけの恩恵だったから、来年はファン全員に公平に聴くことが「音源」を発表してほしいよね、と星にねがいを。 12月30日 再活動開始の25年目の年からちょうど10年目、 もお新月的には始まってるとわいえ、今年あと二日。新月という場の中でさまざまな活動が行われたアクティブな年だったなーとしみじみではなくくっきりと思う。 12月29日 たぶん、新しい年はもう始まってるんだよね。懐古編を行ったり来たりいく中で、いろんなねがいは継続してる。その中でも「新●月●全●史」の再発売は願いのひとつだ。このボックスがHAL、第三期新月、Phonogenixの現在の活動につながってる。Serenadeメンバーの高津昌之 with T-Friendsの活動とさらに牛浜ブラザースもね。 12月28日 今日も何かの日だったような気がするけどわけわかんない。もしかしたらもう新●年三日目とかそんな数え方だったりしち。 今日も嬉しいのは新月と曲名の組み合わせキーワードとかいろいろ新しい方がアクセスしてきてる事だにゃ。まだころも夢見てる。 12月27日 まだ「聖」のライブレポート書けなくてすんまへん。こらえてつかあさい。こらえてつかあさい。プロジェクトライブのアンコールが終わった段階で、対バンの方々含め新月曲の演奏を初めて聴いた方々の「すごい!」の言葉とうれしそうな表情が鮮やかによみがえる。んでもちょっところちゃん年内身動きとれず。えーん。 12月26日 ううさむい。さむいのはきらいだー。んでも夜明けのだ澄ん空気のなか山の端のピンクや淡い青が綺麗だ。これが新月日和やね。2006年4月奇跡の新●月復活コンサートが行われた同じ年の今日こちらもまさかのHALオリジナルメンバーが全員そろったうえはなさまキーボード参加でHAL&RINGコンサートが行われたっけ。この日も「聖」ほどではないがすごい雨だった。HALオリジナルメンバーであり新月メンバーであり新月サポートメンバーでありRINGオリジナルメンバーがステージに一堂に会したのは凄い絵だった。 12月25日 聖夜だね。クリスマスソングみたいに、誰もが新月曲をくちずさめるようになると良いね。 『せめて今宵は』が、そんな曲だと思ってるのだが。 12月24日 一日早い新月クリスマスパーティが明けて一夜。るんるんのイブの朝だったにゃ。 12月23日 待ち合わせの時間になっても友人は来なかった。すっぽかされてしまったので、仕方なく一人で行った。一人で行ったから、こぐまさんと知り合い、ライブ後一緒に飲みに行き(ケンジさんも居たという説もあり)20年後にこの事をサイトに書いた事がきっかけでこのサイトが新月ファンサイトになった。なのでいわば、このすっぽかし友人が新月ファンサイトを作ったわけか? やぎさんが彷徨ったせいで災禍の火種がまき散らされたのか、それとも? この曲も高田馬場で演奏されたが、曲の演奏前に北さまが♪いま はなそう〜♪ってつさまのモノマネしてワンフレーズだけ歌ったら、椅子に座ったつさまがものすごくはにかんだ笑顔を浮かべた。 まさかこの26年後、はなさまがこの曲を新緑する事になるとは、思う・・・どころかこの時点ではこの曲の曲名も知らなかった。 そして、「あの曲」がシルエレの会場で演奏された。あ、あの曲、だ。 12月22日 今日は、新月。 1979年の今日に戻る。明日は二度目の新月のライブを観るために、初めて行く吉祥寺シルバーエレファントに行く。 高田馬場ではただただ美狂乱と新月のジョイントのライブにただ圧倒されて、ものすごいものを観てしまった、と、語り合った事を覚えてる。 そして23日のライブの事を知り、わずか9日後にまた新月のライブをわくわくもだけど初めてのライブハウスで不安がいっぱいだったけど、友人(前回とは違う友人)と待ち合わせだからだいじょうぶだ。 高田馬場では「新月/新●月」に入ってない知らない曲が何曲か演奏されて、その中でも特に印象的な長い曲があった。いまだかつて聴いたこのないような曲『鬼』はすでにアルバムで聴いているんだけど、もうひとついまだかつて聴いたことのない「あの曲」、また演奏されるかな?聴けるかな? 12月21日 明日は、新月。 12月20日 Phonogenixの『サブウェイ・トーク』は「新●月●全●史」のDISC5『赤い砂漠』と同時期に作られた曲で、第三期新月の半分はこの路線だったそうな。DISC5の「新月」以降をを聴くと、第二期とはまるで一線を画してるよね。うーん2006年の復活コンサートで演奏された『武道館』はどうかな。香りはするかな? また来年11月に「ジャパニーズ・プログレッシヴ・ロック・フェス」が開催に向けて話が進んでいるとの事で美狂乱、KENSOの名も挙がっているが新月もまた参加は未定との事。 12月19日 新月クラッシクの演奏は、唯一新曲?『夕影』が演奏された。前回「冬の唄」で初めて聴いたのだが、これも『牡丹』同様音楽俳句なのかなーと思いつつ聴いていると、直江さんのラジオ演奏が始まり音というか違う音楽が足し算される感じの曲で今回はメドレーで鐘の音は入らず『鬼』のキーンコーンに入っていった。 『鬼』の演奏が終わり多分オーディエンスは息とめてたかも。本来ここで終わるはずがまさかの?アンコール。当初予定になかったが時間を貰える事になり、はなさま「では『せめて今宵は』を。アンコールがあると思わなかった」という意味の事を笑っておっしゃってた。 北山ボーカルの『せめて今宵は』は、どこか特定できない心象風景の場所なのだが、上野さんの『せめて今宵は』は、都会の、立ち並ぶ摩天楼のまんなかでそれを見上げてるような錯覚に陥った。 12月18日 2004年の今朝は、しあわせいっぱいの夢見心地で目が覚めたっけ。新月曲では『島へ帰ろう』が演奏されたんだった。今回のプロジェクトライブの『島へ帰ろう』は、アコースティックバージョンで、もうつさまのギターをたっぷり堪能でできてうっとり。 今回のプロジェクトライブで一番感じたことは「圧倒的な曲の力」だ。どなたかも書いていたが、チッタでの上野さん、特に『白唇』にはかなりの違和感があった。だが前回の新世界でライブ、そして今回と、上野さんという稀有な才能の持ち主の方が、圧倒的な力を持った新月曲をご自身に取り込まれていたように思える。 そして直江さんという唯一無二のラジオ奏者とのコラボ、オリジナルメンバーとは真逆なリズム隊。 本来のオリジナル曲の新月曲の根幹を揺るがすことなく、まるで違う方向からがっちりと表現して観る者聴く者を虜にした今回のライブは、やはり「新月プロジェクト」というバンドとして固まってきたんだなって、改めて感じた。例によって音楽的な事はそういったきちんとした方の筆?にお任せして、ころが感じた事はこんな事だ。 ライブ後北さまが、自分がボーカルをとっていた時ライブで『鬼』と『殺意への船出PART2』の最後の部分はいつもぎりぎり嗚咽を堪えるほど感極まっていたと、おっしゃっていたが、それがなぜか、というと、鈴木・高橋組にそう導かれていたから、というお話が興味深かった。 12月17日 今日は2004年にSNOWパーティが行われた日。風邪でしにそうだったけど、朝からるんるんと緊張でヨレヨレだったけど、新月が間違いなく再活動を始めたんだという事実を目の当たりにした日。津花北が24年ぶりに新月ファンの前で演奏した日。そして、ボックス制作、復活コンサートを行いますと、宣言された日。 クリスマスプレゼントに北さまステージに乱入を実はひそかに期待したが、北さますでにビールをお召し上がりを目撃してしまったので、あり得ないんだと開演前に確信しただ。くすん。 後ろの方の上、前の方が大きくてステージは隙間から、つさまはなさま安谷屋さんと直江さんのルーリードのボウシが見えるだけで機材や上野さんが良く見えなかったのは残念。んでも、つさまギターさくれつ、NORDだいかつやくだったねー。 前回よりさらにリズム隊が、鈴木・高橋組と全く真逆なんだと実感しただ。これが本来のロックバンドのスタイルらしい。ただ、小澤さんのパーカッション(コンガ?)がなんでここに入るのだろう?という違和感があった。 リズム隊は、本来のロックバンドのスタイルでないから新月、だったんだよね。 んでも、かちかちに思い込んでる「第二期新月」の曲が、直江さん上野さんの全く違う表現とのコラボでぜんたい「新月プロジェクト」というバンドとしてかたまったんだなーと思っただ。だから、北山ボーカルとはまた別物、として聴くことができた。そしてほんとに演奏は素晴らしかった。 しろとのころにもなんか生の音がいっこいっこ聴こえてほんとに新月のライブなんだなーと、わけわかんない感想を抱いたりしち。 Phonogenix、実はけっこう意外な感じだった。一曲目は面白かった。『サブウェイトーク』はつさまは「新月辞めた後で作った曲で」とおっしゃっていたが『赤い砂漠』と同時期に作られた、さまざまな活動が並行して行われていたつまり第三期&Phonogenix時代の作品らしい。小澤さんとの掛け合い?が面白かった。『風の橋』はタイトルからして、「たまゆら」時代の曲だと思う。タイトルだけ同じで歌詞も違うし違う曲なのかなと思ったけど、かすかにのこるフレーズは多分同じ曲なのだと思う。たまゆらの『風の橋』は新月ファンの中でも人気が高く、演奏者ファンで行われた「新月セッション」でも演奏された。Phonogenixバージョン『風の橋』は全く違う表情の曲だった。 『島へ帰ろう』のアコースティックバージョンは最高じゃった。つさまのギターがとにかくもお言葉ないよぉ。ふと、ここに「津田のキーキー」が入ったら楽しいのにと思っただ。 12月16日 うううものすごく寒い。ころは寒いのはきらいだ〜。「新●月●全●史」の発売日ってこんなに寒かったっけ?覚えてるのは重いボックスをしっかりと抱えて気持ちほかほかでるんるんで帰りのロマンスカーに乗ってた事だけだにゃ。 今日、ライブ会場まで遭難せず無事に着けますように。 地球では神さまと魔物が戦って、もし神さまが負けてしまうと、そこはもちろん地獄になってしまう。神さまが必死に戦ってる場が日本の中にもあるそうだが、幸い日本の戦場ではまだ神さまは負けてないので地獄はないそうだ。でも地球の中に神さまが負けてしまった国(ここには書かないけど)がある・・・。 『赤い目の鏡』はまずつさまの曲ありき、そしてはなさまが曲を聴いて見えた光景をそのまま描いたという。 『赤い目の鏡』を聴きながら、この話を思い出して、あらためて、この「やぎさん」って何者なんだろうと考えた。目が青くて耳が立ち、体中綿雪の毛をまとい、他の誰にも似ていない悪魔のやぎさん。黄色いうさぎさんに鏡を壊されて自分の姿を見ることが出来ないやぎさん。 可愛そうな孤独なやぎさん。でも、誰? ころ、また例によって勝手なカンチガイ妄想なのだが、でも書いちゃえ。聖書に出てくるやぎさんはキリスト教にとっての敵、悪魔だけど、神さまが負けちゃったという、かの国にとってはキリスト教そのものが「悪魔」、敵。 だとしたら、東に向かったやぎさんは、神さまが負けちゃった国をもう一度地獄から救おうと今戦ってるのではあるまいか。キリスト教が世界を救うという事ではなくて、どこかで異端の者はどこかで救世主になるんじゃないかと思ったりしち。 だから黄色いうさぎさんは、わざと鏡を壊したんだよ。だって、鏡を見て、外観だけで悪い悪魔って、やぎさんが思い込んでカンチガイしたら仕事?する気がなくなっちゃう門。 と、「新●月●全●史」記念日に妄想してみたころちゃんでした。 と、ここまで書いていや、まてよ。こりはやはりそのまま、魔物が放たれて、東の地がやはり地獄になってしまったという事を35年前に津花コンビが描いたのかなあとか。 今日は『赤い目の鏡』は演奏されないけど、次回ライブでは、じぇったいつさまのボーカルで聴きたいにゃ。 聖は元々呪術師なんて言葉もなんか勝手にリンクしてくるずら。 感慨深い。『赤い目の鏡』だ。『鬼』、なにか『鬼』の叫び声みたいのが入ってるんだけど、これがインカの方々の声なのかサンプラーの音なのか覚えてないし不明。”こなれた演奏とは裏腹に、みんなの心は離れていっていた。” またいつか、ひとつになるよ。良い事なら願いは叶う。ああ長い間忘れていた言葉だなあ。欲すれば道は拓く。 その為には何をしたら良いかな。自分が未完成の事をこつこつ再開するしかないよね。 んでもこの悲惨な状況を補って余りある演奏じゃった。プロジェクトの演奏が終わったあと初めて聴いたらしい方々が「すごい!」と目をきらきらさせながら言い合っていたのが嬉しかった。 客席にいらしていた北さまも演奏を大絶賛されていて嬉しそうだった。 12月15日 明日はライブ♪ 12月14日 79年メジャーデビュー後初のライブの日だよ。高田馬場ビッグボックス。 またこの時みたいに五人がひとつになる時が来るね。 12月13日 あと一日。なんかくすくすしてるんだけど、ちょっぴり緊張してたきもち。これが23、17、16の前も、おんなじだな。 12月12日 あと二日。というのは1979年の今日。ある日突然ラジオから聴こえてきた『鬼』に電撃受けてレコード屋さんに走って「新月/新●月」を買って、聴いて、聴いて、聴いて、そして初めて新月のライブに行くのに、あと二日。「新月/新●月」のジャケット眺めて北村昌士さんのライナー読んで、どんなライブなのかな?わくわく。の、あと二日。 12月11日 電車に乗り込んで発進待ちだった。なんか衝撃があった、ような気がした(ほんとう)。そしたら地震があった。今日は11だ・・・と気づいた。山梨の友人にすぐメールしたら、そこは大丈夫だったけどかなりの衝撃だったそうだ。富士山・・・。 12月10日 エレアスは何年間前につさまがゲストで参加されたライブに一度行ったきりで演奏が素晴らしかったのは良く覚えてるけど、さらに進化してるんだね。ただこのライブで一番印象に残ってるのは大山さんがつさまに新月の活動について聞いたところ「あ、新月は夏はダメでなんです。みんな倒れて家で寝てます」って答えに観客席から新月ファンの笑い声が聞こえたことだにゃ。 12月8日 真珠湾。 赤目、エレアス、書きたい事いっぱい。 12月7日 夕べからあたまに流れてるのは『光るさざなみ』。生の北山ボーカルをそろそろ聴きたいなあ。カラオケではなくてステージで。「さばの湯」以来ファンの前で歌ってないよね。 12月6日 今日は、満月。 てか、メンバーからしてバンド時代のPhonogenixだよね。 METAGAIA以外のPhonogenixを聴くのはおそらく新月ファンでは誰もいないと思う(つさまインタビューでも当時もう新月ファンはPhonogenix演奏のライブハウスにはいなかったとおっしゃっていた)ので、本当に初お披露目だねー。 12月5日 風邪であだまがぼぉっとしたままほぼやっつけで新月情報を新●月ニュースやブログに転載してたがめちゃくちゃやんけ。今朝改めて気づいて直しただ。うう。 んでもってリハ順調?なんだね。さらにんでもって、たしかに新月ファンならPhonogenixと新●月プロジェクトの違いをよくわかってる人も多いとは思うけど、知らない人は混乱するかも。知ってる人はPhonogenixと新月クラシックの両方をライブで聴けるなんて、すごいクリスマスプレゼントだよね。 12月4日 にわかに寒くなってきた。この空気が、新月、だね。 12月3日 12月14日、23日、17日、16日。12月は新月月。今年35年目はとことん懐古編。 12月2日 風邪は9割りというところ。夕べ新月メンバーの夢見たんだけど、内容は全く覚えてない。でも気分よかったので、ライブの成功とかそんな夢じゃないかな。 12月1日 新月月のはじまりだよ! 鬼が、出るよ。 11月30日 あたまの中にはエンドレスで『殺意への船出PART2』が流れてる。明日から新月月が始まるぞ。1979年、高田馬場でアルバムに収録されてない、生まれて初めて聴いた「あの曲」ここから、すべてが始まった、新月月がまためぐってくる。 12月の渋谷 LastWaltzdが『殺意への船出PART2』から始まるのが、そんな意味でもものすごくうれしい。 ふと新月セッションではなさまゲストの時、全くサプライズで『殺意への船出PART2』のイントロが演奏された時の事思い出しちゃった。もうあの時のファンの空気と言ったら・・・感動で泣きだした人もいたっけ。 11月29日 12月16日のセットリスト嬉しいな。Phonogenixの曲はどんなんだろかと楽しみ。2005年10月の新月メンバー4人だけのPhonogenixライブは「METAGAIA」だったけど、今度のメンバーからしてやはりバンド時代のPhonogenix曲か新曲なんだろねー。 そしてそして、ころ勝手に1980年の第二期新月の原宿ライブのセットリストと結び付けて意味つけちゃってるけど、『殺意への船出PART2』で始まり『鬼』で終わったこのライブ、この後このメンバーでこの曲たちがファンの前で(北さまの結婚披露パーティで関係者の前では演奏されたそうな。すずさまは渡米中だったのでベースは大山曜さん)演奏されたのは実に26年の年月を待ってからだったわけで、『殺意への船出PART2』にはじまり『鬼』に終わる、というのに、つい特別な感慨を持ってしまふ。 作品とは別のエピソードで、あの沢田教一さんが大学受験にしっぱいして、一郎さんの実家の写真館に就職して二人が面識があった事に驚いた。 11月28日 うう。さらに悪化し一週間経ってしもた。1月のインフルエンザ以来のダメージだっただ。とにかくパソコンに向かって文字を打とうという気力も全くおこらずただ寝てるだけだっただす。夕べあたりから起き出したところで、わーい!新●月掲示板に嬉しいリークで一気に気分は元気になったものの朝の段階では文字打てず。 んでも起き上ったところで、あだまがんがんしてたが、さんざん迷ったのだが、今月は国立能楽堂の鬼特集の最終公演、チケットを取ってた国立能楽堂の「八尾」「大江山」に気管支炎にまでは至らなかったので咳はあまり出ないのでひとさまの迷惑にならないだろうと、やはり行く事にしただ。ずっと楽しみにしていた蝋燭能だったんだ門。座席が111というころちゃんには縁起の良い数字。はんぶんぼぉっとしながらの鑑賞だったけど、蝋燭の灯りと舞台への弱いスポットだけの中の鬼、良かった〜。 11月21日 明日は、新月。 11月19日 空気がだんだんぴんと張りつめてくるとやはり12月の新月月が近づいてきたんだなって思う。35年前の高田馬場、吉祥寺シルエレ、新月と現実に出会えたこの二つのライブの事は決して忘れない。それから四半世紀後の12月のSNOWパーティ、翌年の12月の新月集大成「新●月●全●史」の発表と、12月は大事な月。今年の12月はオリジナルメンバーではないけれど、新月プロジェクト、Phonogenixと、新たな「新月という場」のライブだ。 11月18日 はなさまはまだ福島での取材をされているのかな。ちょび髭つけたらあの人に瓜二つの我が国の首相の今日の声明を聞いての地元の方々の肉声をいただいたのだろうか。 11月16日 プロジェクトライブまでちょうど後1か月。対バンのイベントに参加する形だそうだから、そんな記念日とは無関係のたまたま偶然のようだが、「新●月●全●史」とSNOWパーティの一か月前の気持ちがやはり蘇るなあ。 11月15日 良い天気だ。15という数字に今日は下弦の月。夜が楽しみだ。 フリークライミングが2020年の東京オリンピックの正式種目になればいいなって、気持ちと、近代設備で快適に過ごせるための選手村の建設が進んでいるのに、被災地では未だに仮設住宅にお住まいの被災者の方々がたくさんいらっしゃるのに、オリンピックをやっている場合ではないのではないかという気持ちが共存している。 11月14日 今日あだまの中に流れるのはPhonogenixの『HOME』だにゃ。 11月13日 2004年と2005年の今頃のきもちが交錯してる。2004年は12月17日のSNOWパーティ控えて新月再活動の確かな予感。2005年は12月16日の「新●月●全●史」発売日に向けて再活動の現実を目の当たりにするのだという実感。 11月12日 『白唇』をやたらと意識してしまう。来月のライブはどんななのかな。暗いクリスマスソングや涅槃会歌、い、良いかも? 11月11日 一番好きな数字の並び。ある年から11という数字は大変な記憶の数字になってしまった。でもやはり、綺麗だ。白を連想する。 「寿式三番叟」は、当たり前だが狂言の「三番叟」とまるで違う。染五郎クンはじめ若手の役者さんだけで、元気で華やかで、いやめでたい。 「井伊大老」は殆どの場面が一対一の地味な、しかし井伊直弼の背景の説明や苦悩の会話劇で、これ、吉右衛門さんゆえにぐいぐい引き込まれてしまい飽きることなくその場に居合わせている気持ちになる。ふと今の若手役者さんで吉右衛門さんに代われる人がいるのかなあと思ってしまった。 「熊谷陣屋」は、数年前に吉右衛門さんで観て素晴らしかった。 今回、幸四郎さんのセリフが前半あまり聞き取れず、ちょとむむ?だったのだが後半の迫力は素晴らしかった。 そうそう、義経役が菊五郎さん、って知ってぶっ飛んだのだが、そかそういえば菊之助時代の大河ドラマで義経、静御前が藤純子(日本のオードリー・ヘップバーン:北さま談)さんじゃった。で菊五郎さんの義経、遠目にも当時同様綺麗だったよ。 「伽蘿先代萩」は母、「熊谷陣屋」は父と、共に主君の身代わりに我が子の命を差し出す忠義と親心の苦悩が見せ場の物語で「伽蘿先代萩」は玉さまの政岡で観た事があるけど、もう号泣してしまった覚えがある。横一列のみなさん全員号泣じゃった。 「熊谷陣屋」敦盛の母に感情移入して泣いてる方、ころは後半息子の首を堪えながら妻相模に渡す直実の絞り出すような思いの部分で泣いてしもた。 11月10日 『白唇』の、雪を踏む音。足音、冬に向けて、いろんな足音がこちらに近づいて来たら良いな。 11月9日 能の世界は、新月オリジナルメンバーのライブステージに似てる。あの五人だけ(もちろん裕子さん清水さん小久保さんキーボードサポートメンバーは参加してるけど)の、あの、ぴんと張ったステージ。 11月8日 今日は国立能楽堂企画公演鑑賞。11月の能楽堂は月間特集「鬼の世界」で、えんえん、鬼。 本日の番組は狂言「伯母ゲ酒」能「安達ケ原 白頭 急進之出(「鬼塚」」)」。 新月と言えば『鬼』。鬼といえば馬場あき子先生で「おはなし」のコーナーではたくさん興味深いお話をいただいた。 鬼が現れるのは七つ下がりの時刻、鬼が現れる場所はすべて境目だそうだ。山の向こう側、川の向こう側、橋のたもと、あるいは、「時代の境目」に鬼が現れるとの事で、本日の安達ケ原は実際に存在する場所で、二本松から松川に向かう「あだち」という駅があるそうな。高原にひとり住まいする老女がかつては雅な時代があったそうだが、今はこんなところでただ糸を紡ぎ生計を立てている。 内容はご存知安達ケ原なのでここでは省くが、先生はシテを最初から鬼と見てほしくないです、とおっしゃっていた。 この時代、食事はなくとも最大のもてなしは「囲炉裏に薪をくべて旅人に暖まってもらう事」で、すくなくともこの老女は山伏たちを何事もなく「もてなし」何事もなく帰そうと していたわけだ。 鬼と囲炉裏、という新月の『鬼』二大モチーフがここで揃ってしまったりしち。 馬場先生のおはなしの中に「見るなの部屋」は世界中にあるとの事。見るな、は、その反対で、見た、見てしまった、ってなるよね。 シテは観世宗家お家元観世清河寿さん(キヨさまと勝手に呼んでいたりしち)で、前シテ「霊女」の面は気品を残しながら、どこか「人生疲れちゃいました」という風情で、雅な糸紡ぎ歌を歌いながらも不穏な空気を醸し出す。やがて老女は旅人をもてなすための薪を取りに山へと向かう。 ワキ、ワキツレを巻き込みながらのアイ狂言に笑いをもらいつつ、決して見ないでください、と言い置いて、出て行った老女、老女は途中でまた、立ち止まり、さらに「決して見ないでください」と念までおした言葉に、一人の身分の低い能力のアイが、見るなと言われると余計に見たくなる、と、山伏たちが寝ている隙に、ついに覗いてしまうとそこには累々と人の屍が山積みになっており、それを伝えると驚愕する山伏たち。 そこに薪を背負って戻ってくる老女の姿は、すでに裏切られた事に対する「怒り」で白頭、白般若の面の鬼の姿になっており早笛の音と共にその怒りの凄まじいエネルギーのまま揚幕から橋掛へと飛び出してくる。 鬼、になってしまったんだ。それに至るかなしみ、鬼になってしまってからも、ふと「信じる」気持ちに戻ったのに、それを裏切られた、かなしみ、ゆえにその怒りのすさまじさが、再び彼女を鬼にしてしまった。鬼。 馬場先生の「鬼は境目に居る」の言葉はとても深いのだと思った。 11月7日 今日は、新月は「場」、について考えてた。むろんこの35年のスパンでね。 11月6日 もうすぐ、満月。 11月5日 まあ、毎朝『鬼』があたまの中で演奏されて続けて目が覚めるだけなんだけど。 なんで昨日そんな事を思い出したのか考えてみたら、2004年の来月に行われたSNOWパーティに向けて、北さまから「SNOW時代」が送られて来たのが今頃だったからだと気づいた。 それと、最近毎日のように、ニュースのスポーツコーナーでパラスポーツのさまざまな競技が紹介されているんだけど、北さまがクライミングの種目の中でも一番力を入れてるのがパラなのだが、どうしてクライミングは紹介されないのかなーと(もしかしたら、たまたまころが見てないだけなのかもしんないけど)ふと思ったからかもしれない。 北山真がロックを超えるためにロッククライミングの世界に入った、のは、この池袋西口の居酒屋で花本北山どちらともなく「もう終わりかな」「終わりにするか」という実質解散宣言があったからで、それが現在へと続いている。 SNOWパーティは、もちろ「ん文学バンド」、「動物界之智嚢」のCD発売記念パーティがメインだったんだけど、新月メンバー5人のうち3人だったけど24年ぶりに、新月メンバーがファンの前で演奏するとあって、もう今頃から発狂してたもんじゃった。 SNOWパーティが強烈な印象なのはメンバーに会えた事、文学バンド・劇団インカ帝国の方々に会えた事、そして新月ファン、に会えた事、まさにリアルな「新月事始め」、そして新月リーダーからの力強い再活動宣言があったからだ。 当日、ころ、風邪ひいてヨレヨレだったんだけどね(ここ一番に弱い)。 回顧録は過去から今へとあちこち飛びながらつづく。 11月4日 ふと、「SNOW時代」に書かれてた池袋の居酒屋の会話、を思い出した・・・。 11月3日 駄菓子菓子、11月に入ったばかりなのに、もう来月は12月、師走、忘年会だクリスマスだお正月の準備だととたんにあせあせ。だからこそ10月ってスタートを切る月だって思うのかも。 んでもって来月はプロジェクトライブやね。「新世界」ライブでかぎりなく新月なんだけど、新月ではない新月プロジェクトという「バンド」のライブを堪能できたので、あんしんして楽しみにするだだ。 んでも平日なんだね。ころ平日おっけなんだけど、2004年の12月17日のSNOWパーティが、平日だったために泣く泣くあきらめたという新月ファンのひとびとの声を聞いたけど、みなさんなんとか残業回避やアルバイトシフトやりくりとかして間に合うかなー。 11月2日 12月16日、の前の年の12月17日、は再活動がまさに現実になった日だったにゃ。今年35年の節目、再活動10年の節目なので、やたら回顧録になってしまうのは許してたもれ(ころ何者?) 11月1日 11月になった。1がいっぱい並んで嬉しくなる月だ。『白唇』月だ(意味不明)。 んでもってURLが告知される前に「別キャラで」と紹介されていたけど、読んで全然別キャラとは思えない、かまちんそのもの、って思ってしまったんだけど、ころだけ? ライフワーク、とあるので、かまちんそのものなのには間違いないね。 10月31日 12月16日のライブも新月が先の演奏で対バンにはいつも申し訳ないけど、ありがたい。んでもって新月プロジェクトなのかPhonogenixなのかその両方なのか、楽しみやね。 は〜、感動(涙) 『天国への階段』を完成させた「合宿」。新月の合宿は「新月/新●月」を完成させたロックウェルスタジオだね。 10月30日 プロジェクトVOL5が12月16日というのは、偶然なのかなやっぱし。偶然ならたのしい。 10月29日 今日はMETAGAIAの『HOME』だった。Phonogenixライブでは演奏されなかったけど、Phonogenixライブと言えば連想するのはこのライブだったけど、これからはまた違うPhonogenixなんだよね。Phonogenix百態? 10月28日 な、なんか『鬼』が全身から聴こえて来て目が覚めたんですけど。 10月27日 『赤い目の鏡』を聴いてふと、煉瓦の道が尽き果ててうさぎに会った後、やぎさんはこの道をまた引き返したのかな、そしたら、今度はその煉瓦の道が、うさぎの目みたいに赤い、砂の道になってしまったんじゃなかろうかと考えてしまった。 10月26日 今日は10月26日だ。『科学の夜』をしっかりと聴かなくちゃ。 10月25日 今日は朝から晩まで『殺意への船出PART2』があたまの中に流れてきたにゃ。 それから評論家から酷評されてきたが、ジョンのドラムを前面に出したスタイルに変更してから、みるみると評価が高まってきた、というところで、またなぜか「空気みたいな高橋さんのドラム」があたまをよぎった。 下北沢アレイは観ていないけど、新世界では京極さんの叩きまくるドラムが前面に出ていた。あれれ、と思った曲もあったが 、ただプロジェクトになってからのライブでは、高橋さんはエレドラを使うようになっていたので、新世界のライブを観た時、アンビバレントな感情に襲われたのも事実だった。 1971年の来日公演で世界に先駆けて日本の聴衆の前で初めて『天国への階段』が演奏されたそうだ。 アルバムには入っていない幻のセカンドアルバムに入るはずだった『殺意への船出PART2』を初めて高田馬場で観た聴いた時の感覚が蘇った。 ノーカット版『天国への階段』。うう。ひたすら感動した。 10月24日 今日は、新月。 10月23日 あしたは、新月。 10月22日 今日は、「新●月:Shingetsu Live 25.26 july 1979. ABC Kaikan Hall Tokyo」をとことん聴いた。とことん。思わず嬉しくなってわらえてきちゃう。『鬼』。何か知らない世界と繋がるこの感覚。『せめて今宵は』で胸がいっぱいになりそうなところで、ラストの軽やかなメロディに、ふと灯ったちいさなあかりを見つけて顎をあげて見上げたところに、心の中にも灯るひかり。うんうん。えへへへへ。 願いがまた叶うかな。その願いって何って?教えなーい。でも多分、ここを読んでるみんなとおなじ事だにゃ。 10月17日 新月プロジェクトvol.4「冬の唄」ライブまで、しばらく新月を聴かなかった、聴けなかった理由を考えてみる。単にバタバタしていただけではないよね。 10月16日 どうも当初の「新月最新情報」コーナーが消滅してしまってから、Orionだけが唯一の公式アナウンスコーナーだったので、今もついOrionだけしか見てなくて「最新情報」を見落としてしまふ。 10月14日 『殺意への船出PART2』がずっとこの数日あたまの中に流れ続けてる。それから『せめて今宵は』。えへへ。 ころ、ブログヒストリーでひとつしっぱいしたと思ったのは、新月のヒストリーの流れの中に「Phonogenix」を書いてるんだけど、Phonogenixは独立したこんてんつにすれば良かったかなー。フクザツすぎて簡単に説明できないので、ヒストリにリンク貼ってるんだけど、かなり下にスクロールしないと読めないもんね。 いずれサイトに補完する予定でいわば簡単な紹介のつもりで始めたのが膨大になってしまったので、収集つかなくなってしもた。ころちゃんは、ころちゃんは、ぱ・・・。サイトのPhonogenixこんてんつの中にファイル作って転載しなくちゃと思っているころ。自分に課した宿題は多いんだけどぉ。 10月13日 大型台風が接近中!目がぱっちりしてるのがこわすぎる。みなさん注意しましょうね! 10月12日 明日から、また、新月を聴こう。また、ってなんやねん。 10月11日 やはり『鬼』かなあ。イントロ前の直江さん上野さん、すごかったなあ。 10月10日 新月四半世紀の10年前の今頃、「新●月:Shingetsu Live 25.26 july 1979. ABC Kaikan Hall Tokyo」を聴きまくり、新月ボックスの事しか考えてなかったにゃ。ボックスはまだタイトルが決まっていなかった。それから同時につさまソロアルバム、これもまだタイトルが決まってなかった。そしてSNOWレーベルから「動物界之智嚢」、「文学バンド」の再発の決定があった。SNOWパーティの告知はまだされていなかったのかな。いろんな事が一気に動いて、本当にすごい年のすごい月の一つじゃった。 10月9日 やはり『殺意への船出PART2』かな。 10月8日 あ、いっこ忘れてたー。開演には海を思わせる波の音が会場に流れてそれに直江さんのラジオが流れてきたんだった。んでも『殺意への船出PART1』のオープニングとは全然違うけしきだったよ。今日いちにち、いろいろ細かいところ思い出してみよう。 チェロの音が響いて来た時、何年かぶりでライブ会場で白唇の情景が浮かんできた。 10月7日 音楽を、つまり新月を久しぶりに聴いたのがライブ、というていたらくだったのだが、再び新月の曲を聴いて、ああ、やはり新月じゃなくちゃだめなんだなあって、しみじみ思った。 ちゃんとレポートを後日書くつもりで、掲示板にはさらっと雰囲気だけ紹介(どっちみち機材の事とか書けないし。てかどっちみち雰囲気しか伝えられないころ)のつもりが、ついついどんどん盛りたくなってしまいいかん、やめておかねば。 10月6日 楽器の事がまるでわかんないので、ライブレポートは肝心な部分がいつもいつも書けないし伝わらないや(泣)。思い込みがあるので、ふつうのフルートにチェロの音の再現じゃなくて、メロトロンフルートとかメロトロンチェロとかなのかなとかぐるぐる。んでもこれはちゃんと音楽や楽器がわかる人達に任せよう。ころぱあだもんっ(ひらきなおり)。 10月5日 開場ぎりぎりに行ったら長蛇の列でぎょうてん。入場してかろうじて一番後ろの席が一つだけ空いてて良かったが、つさまだけを正面から拝む事ができ、はなさまが演奏されてる指先のみが見えるという席だったがそれはそれでおもしろかったかな。 濃いライブだった。10人のメンバーでの新月曲演奏だったがお馴染みの第二期曲が、リズム隊、ボーカルが変わるとこんなに表情が変わるんだと感じたが、実に楽しいライブだった。 ほんとに直江さんのラジオが入ると何倍もイメージが万華鏡のように変化する。小澤さんのパーカッションが、随所でアクセントになってきらきらと輝く。 はなさまピアノA.m.u.さんボーカルで聴いた事がある『牡丹』がバンド編成、それも直江さんのラジオがフロントに立ち演奏され静から少しづつ音が増えて行き新曲『夕影』へと繋がっていった。ちびっとPhonogenixを感じた。 可笑しかったのは、ここで演奏が終わるのかまだメドレーで何か演奏されるのか、オーディエンスが拍手していいのかわからずしばらく沈黙が続き、能舞台で最後の囃子方が揚幕の中に退場するみたいな「間」があり、はなさまが「・・・演奏終わりました」の一言でやっと安心して拍手が起こったりしち。 ここから上野洋子さんが登場し、いよいよ第二期新月曲が始まる。『白唇』〜『殺意への船出PART2』のメドレーになった。 見た目は可愛らしいのに上野さんの空気感はステージをぴんと引き締める。 正直フェスでの『白唇』では違和感があったのだが、今回、高音低音を変えながらの上野さんのボーカルを再び目の当たりにしてやはりすごい方なのだと思った。三声でのコーラスは上野さんA.m.u.さんつさま。 メロトロンチェロの音が深ーく心にまで響いてきて、ああ、新月だ。 つさまのギターがいろんな糸を織り上げてきて、ああ、新月だ。 『殺意への船出PART2』は、オープニング前に直江さんのラジオが演奏されすでにオーディエンスも宇宙にいる。 そしてそしてあのつさまのギターが、はなさまのオルガンが、たっぷりと堪能できた。 今回一番興味津々だったのは鈴木・高橋組とは真逆なリズム隊で、控え目な石畠さんのベースだけどしっかりと軌道を描き、高橋さんの「空気みたいなドラム」と全く対極の京極さんの叩きまくるドラムは船にさらに強力な起爆装置がついたような炸裂ぶりで、この曲では面白かった。 『島へ帰ろう』はMCでも華やかにアレンジしましたと紹介があり、女性お二人のコーラス(輪唱?)で島へ帰る船は、今までちいさなフェリーボートでイメージしてたんだけど、それが花で飾られた綺麗な豪華観光船になった感じ。ここでA.m.u.さんが退場。 そしていよいよ『鬼』。はなさから「新月と言えば『鬼』です」のMCがあり、はなさまから『鬼』についてふられたつさまが、笑いながら「演奏技術の事になりますが、足のペダルを切り替える?ところが難しいです。・・・よる年波で(大意)」で、ほんわかしたところで、演奏前に空気が一気に変わる。 『鬼』での上野さんと直江さんとのコラボの表現が、あの「鬼」がまた違う知らない世界からやってきたとイメージが膨らんだ。 『鬼』、といえばしんとした空気の中にキーンコーンから始まるのが定番と思い込んでいたが、直江さんのラジオ演奏が始まると、上野さんがささやくように何かをつぶやく。そのつぶやきは、何かに憑かれた媒体としての巫女が伝えるメッセージなのか、「何者か」自身のメッセージなのか、ささやくように聞こえながら、実はどこかから噴出する「何者か」のすさまじいエネルギーの噴出なのか。 わからない。わからないので、鬼。 そしてキーンコーンが始まり、つさまのギターが始まり・・・。 『鬼』だった。 ふーっと息をついたところでA.m.u.さんが再び登場。あの『せめて今宵は』も、女性お二人が歌い上げると、良く知ってる同じ曲なのにまるで違う情景が浮かんだ。やはり、ラストには『せめて今宵は』だね。 次回12月(日付聞きそこねた)に新月プロジェクトライブがあるとアナウンスされ、ライブは終了した。 「いかにも続きがありそう」(2005年はなさま)「殺意はまだ未完成と気づいてしまいました」(2006年つさま)「殺意は未完でパート5までの構想があります」(2007年北さま)だ門。 7月の下北沢アレイでアナウンスされたという「キタモト」も進んでいるとよいなー。 10月4日 一時間のライブだが、とても濃いライブになりそう。フェス以来のライブだ。そして、ふと気づいたが、ころ、新月を聴くこと自体が、久しぶりだ。 10月3日 いよいよ明日やね。六本木でライブとはおしゃれ。 10月2日 第三期新月活動停止後、Phonogenixの活動が始動、だから石畠さんと京極さんの共演はなかったわけで、今回そのリズム隊で新しい新月曲演奏と聞いてわくわく。、 10月1日 いろんな意味で大事な新月月のうちのひとつ、10月が始まった。単なる新月ページが新月ファンサイトになった、ころにとっても大事な月だ。 公式サイトによると、今回プロジェクトライブではあるけど、限りなく新月であるとの事で、上野さんがフロントに立つ事や、石畠さん京極さんでの初新月曲演奏との事でかなり期待大だにゃ。 9月27日 新月。言葉に出してみる。新月。新月。とてもたいせつな、新月。新月。 9月26日 タレコミあり。今日本屋さんに行って確認するだに。うふふ。 9月25日 ひさしぶりにあたまの中に『殺意への船出PART2』が流れてきた。キーボードの話を聞いたからだにゃ。 9月24日 今日は、新月。 9月23日 以前新●月掲示板に連載?されていた「潜水艦物語」は、文字で描く動画みたいじゃった。読んでない人がここ読んでいたらはよ纏めろと、いらいらしてるかもだけど、もうすこし待ってつかあさい。 9月22日 新月は「場」。新月に大きな変化が訪れた時の、この言葉の意味を、今いろいろ考えてる。今がまた再び、その変化の時なのかもしれない。 9月20日 あたまのなかが『鬼』まみれ。新月と言えば『鬼』、という言葉が妙に支配してる。同時に、「新●月プロジェクトvol.2 『響き』」が行われたアレイホールが浮かんだ。そういえば、ここしばらく『殺意への船出PART2』が全く流れてこない。なんでかな。 9月19日 新月プロジェクトvol.4「冬の唄」のライブ会場はあの「赤のれん」の近くなんだね♪ 秋なのに、冬の唱とは、意味深やね。10月はいろんな意味での新月の変化のだいじな新月月。たのしみだ。 9月17日 おぉ、ヒロポンからcode_oneのレポートがアップされて嬉しい。前回はトリオだったんだ。ジェネシスぽいってなんか深い。つさまの歌声がそんなにたくさん聴けたなんていいないいな。 9月16日 Phonogenix・・・しみじみ。 次のプロジェクトライブの場所がすてき。ボーカルが上野さんでまた嬉しい♪ 9月15日 かまはな連作潜水艦物語みつけたので、これを整理し直すのと、ヒロポンが折角書いてくれたので「HYMNS FOR SAVANNAH」について纏めてレスしたいので、これが今課題だなー。 9月14日 朝から『鬼』まみれ。昨日の阿漕の余韻もあるかも。 表先生の解説によると殺生を行って地獄に落ちるのは「阿漕」「鵜飼」「善知鳥(うとう)」の三曲で「鵜飼」は救われるが「阿漕」「善知鳥」は地獄に落ちたまま救われない。 「善知鳥」を観た事がないので調べてみたら、のシテは鳥を捕る猟師で、亡霊のシテが我が子の傍に近寄ろうとすると、決して近よる事が出来ない悲しみを語る。「善知鳥」という鳥は親鳥が「うとう」と鳴くと雛が「やすかた」と答えて鳴くので、親の鳴き声を真似して雛の居所を知り、おもしろいようにたくさん雛を獲るのだが、それを上空から見ている親鳥は血の涙を流す。 猟師はその罪で地獄に落ちるが、鳥もまた地獄に居て猟師を責める。 「阿漕」の冒頭、漁師に家に生まれた自分は、自分が生きていくために殺生をしなければならないと言うが、禁を犯した密猟がやめられずその掟を破った罪で猟師仲間に凄惨な方法で殺され、地獄に落ちる。 死してなお猟師は漁がやめらず、地獄で、自分が殺した魚たちが悪魚毒蛇となり襲い掛かり波すら猛火となり地獄の責苦が続く。 どちらも僧に助けを求めるが救われない。それだけ殺生の罪が重い、という事なんだよね。 でもころが一番好きな、能のクリムゾン暗黒の世界か太陽と戦慄かREDかという「求塚」も主人公の菟原処女(うないおとめ)が地獄に落ちるのだが、「求塚」「善知鳥」「阿漕」も、被害に遭った殺された側の水鳥や、ひな鳥や、魚も、地獄に落ちてる、ってところが不思議だった。んでも考えてみたら、殺された側のかなしみ恨みがまた執念となって復讐せねばならない心を持ったゆえに、成仏できずに地獄に落ちてしまうのではないか。 人間として生まれたからには殺生の罪を犯さない者はいない。鳥や魚とて、他の生き物を殺さずには生きて行かれない。ここで、お坊さんにも救われないまま地獄の業火に焼かれ責められる者たちは、いわば皆の罪を代わりに一身に背負ってくれている。こんな考え方をしたら、キリスト教も仏教も同じ、道は違えど行きつく先は同じではないのだろうか。 なのに今もつたえられるあまりに酷い情勢のかの国の神様も、同じはずだと思うのだが、なんで、なんで、なんで、問いたいのは神ほとけさまたちではないだろうか。 鬼とはなんだろう。『鬼』、とは。 9月13日 おおヒロポンがライブのレポートを書いてくれて嬉しい。いつも感謝です。北村昌士さ んとPhonogenixコラボ「HYMNS FOR SAVANNAH」を連想するくだりPhonogenixを聴きこんでいるヒロポンならでわだね。おへんじちょっと待ってつかあさいです。 ひたすら地味な静かな能だ。ゆえに満席の見所は終始水を打ったような静けさに満ち、舞台も見所も一体感があり時間があっと言う間に過ぎて行った。囃子方が揚幕の向こうに姿を消す最後のひといきまでの、このぴん、と張りつめた空気を味わう瞬間が一番好きだ。 9月11日 3.11からは3年半。 11という日にちは、あまりにすさまじい決して忘れてはならない出来事が起こった日だ。 日本時間ではじっさいには明日だけど9.11。安易なコメントは書けない。ただ、HAL&RINGの『Alterd States2』が静かにあたまの中に流れてくる。そして2006年12月26日のHAL&RINGの『終末』から『Alterd States2』ライブの情景があたまに浮かぶ。 いろんな思いが交錯するけど、ひとつだけわかる事は、あらゆる惨事は、人間が関わらずに起った出来事はない、という事だ。 9月10日 ううすみません。なんとKURSKの綴りを間違えていました。HALの皆さんごめんなさい! 9月9日 今日は、満月。 9月7日 すかす津花コンビ激しく動き回ってるよね。8月もライブはないけど、レコーディングだったんだし、今日もライブ、来月もライブ、うんうん。 9月6日 KRUSKの動画は飽きないなー。と、同時に最近音楽をほとんど聴いていなかったのに、つまりずっとHAL2nd.KURSKも聴いている、という事になる。 んでもって、ふと、陸空となれば海、で、たしか、2006年に「けー×はな」の連作で、潜水艦物語が新●月掲示板で連載?されてはずでこれを見つけ出してまとめてみようかな。とっくにこの記事は消えてしまっているので、当時読んでない人もいるだろね。バックアップから見つけてみる、がちとお待ちを、てかしばらくお待ちを。 9月5日 今日は再活動の先駆けとなった「新●月:Shingetsu Live 25.26 july 1979. ABC Kaikan Hall Tokyo」が店頭に並んだ日。この日買ったCDはもうないんだよね。聴きすぎたかなんかして、傷がついてしまったので、泣く泣くさよならして、今は二代目だ。 1979年の、白の被衣に白装束、新月ファンには鬼装束と呼ばれるこの衣裳でこのジャケットを飾っている北さまは、今日からフリークライミング世界選手権でスペイン遠征だそう。時は流れる・・・ 9月4日 ほんとにHALには驚かされるね!うまく表現できない。ただただ、笑えてきちゃう(昔からの読者はご存知と思うが、極めてボキャブラリーの少ないころの最大限の愛を籠めた称賛なのだった。 いつぞや、新橋ZZでのBibleBlackとの共演で、観たことがあるが、いろんなアイディアに富んだ楽しいライブだった事を記憶してる。 9月3日 10年前の、ころサイト内の「新月ニュース」を読み返して、そか、今頃は「新●月:Shingetsu Live 25.26 july 1979. ABC Kaikan Hall Tokyo」以外に、すでにPhonogenixライブやSNOW再発、もちろんすべて根底は新月ボックス制作にあり、それがすべて同時進行してたんだね。 ちょうど10年後、35周年の今もおんなじように、いろんな事が同時進行してるね。メンバーは違うけど新月名義でのフェスへの参加、レーベル立ちあげ、プロジェクトラあイブ、code_one、Phonogenixレコーディング。動き回ってる。月は常に変化し続けてるもんね。んでもって、ころちゃんの守護星は月。見上げてるだけではいかんのぉ。 9月2日 すっきりと晴れた。今日は上弦の月だ。十年前は、四半世紀ぶりに、再活動のスタートを切るライブアルバムの発売を、わくわくしながら待っていた。こんな綺麗な空が続いていたんだろね。 9月1日 9月になった。10年前はあと五日に迫った「新●月:Shingetsu Live 25.26 july 1979. ABC Kaikan Hall Tokyo」の発売をただただ今か今かと待ち焦がれていたっけ。POSEIDONからフランスからこのアルバムが空輸されて成田に着いた時の映像を送ってくれたのだが、悲しいかな、当時のころパソコンのスペックではこの動画が再生されず、とっかかりの静止画しか見ることが出来なくて、それはそれはくやしい思いをしたもんじゃった。 8月29日 大きくて重いオルガンもんだい。久しぶりに「新月の一筆箋」を読んで面白かった。 ふぁいとーのエールを新月に送ったから、35年経ってもきっと体力は大丈夫だよね、うんうん。 休憩はさんで、笛、小鼓、太鼓のみの若手囃子方による素囃子「楽」、うーんロックだ。そしてぴんとした空気のまま小鼓太鼓が今度は向かい合わせに座り、笛小鼓太鼓が能楽堂に響く中、茂山七五三さんの法華僧、人間国宝山本東次郎さんの浄土僧登場で、宗派争いのおもしろおかしい応酬が続き、最後入り乱れて相手のお題目をそれぞれ唱えてしまい、お互いにお釈迦様の教えは道は違うが同じだと、小謡で格調高く舞が終わる。後半宗派争いでお互いのお題目を唱えながら法華僧と浄土僧が激しく舞う場面は圧巻だった。楽しかった〜。 「宗論」は、茂山千作さん、茂山千之丞さん兄での、装束をつけず座ったままの 語りだけの素狂言で観た事がある。全く動きのないにも関わらず、お二人の掛け合いからまるで目の前に二人の僧が激しく舞う姿が目に浮かび、派手な動きが全くない分、墨絵の世界のような舞台だったのを思い出した。 8月27日 ややや。誤った情報を流してしまった。新月資料室長のチェックがはいりありがたい、ありたがたや。すかす、すごい動きやね。毎週ライブかあ。フェスの音源も年内に出るらしい。フェスで初めて新月を聴いてファンになった方が公式サイトに書き込みされてて、こういうのは、同じファンとして本当にうれしいね。 8月26日 『浪漫風』と『薔薇(仮デモ)』が交互に頭に流れてる。 8月25日 今日は、新月。 8月24日 ころオフ最少催行人員は過去4名という記録だったが、今回は6名。yanaさん、ROSEさんが久し振りの参加で、面白かった。当初、演奏者のみの参加で正直違う方向に行くかもと思っていたが、それどころか、演奏者からの新月に対して、深い意見を聞くことが出来て、本当に有意義で濃いオフ会だった。掲示板には書かなかったけど、あのジャップスプログレの本へは、オフ参加メンバーも資料提出したが、かなり間違っていることが話題に出た。なので新月についても間違っている記事がそのまま他のCDのライナーに掲載されてため流布されているので、それを訂正するためにヒストリーをなんとか書きたいという事を、聞いてもらって、それが自分の中でなんかひさしぶりにスイッチが入った気持ちになった。 8月23日 今日はころオフ。どんな話題になるやら? 8月22日 広島土砂災害の被害について毎日報道されている。言葉もない。ただただ亡くなられた方のご冥福と、行方不明の方々のご無事を祈っています。もしも、もしもという言葉は用意に使ってはならないのだが、ダムがもっと早く出来ていればと思う。連日の報道に胸が痛い。 しかし、今回残念なのは、最近ころが行かれていないライブに行っていてる貴重なリスナーファンが無念の不参加ですみません。仕切りなおしますので、次回宜しくです。 8月20日 自分が行ってないのに「新●月プロジェクトvol.3 『記憶』」の下北沢アレイホールのライブの様子が目に浮かぶ。みなさんのレポートから、想像しての映像だ。ふんいきはあかるくかるく、でも演奏は複雑に重く、そこに音楽俳句? 8月19日 すごい猛暑。だからかな、serenadeの『殺意への船出PART2』の涼やかな間奏部分があたまのなかに流れてきた。もやっている夜空に星が見える。 8月18日 長年の夢だった真夏の鍋。おいでませ、真夏の、鍋。でも、どぼして欠席届が続々と提出されるのか、ころ、わかんなーい??? 8月17日 ころオフの参加希望はぽつぽつといったところ。 8月16日 今朝はあたまの中は『鬼』にまみれてた。 8月15日 今日は寒川神社にて開催される戦没者慰霊能狂言に行く。 8月14日 明日は格別な意味の日だ。いろいろな特番があるけれど、市井の、何の罪もない生き残った方がたが、その罪悪感を背負ったまま生きる。おかしくないか?ただ、今出来ることは、一人一人全員が戦争はいやだ、という事だと思う。「新●月●全●史」の『せめて今宵は』の街の灯がもっともっと広がりますように。 8月13日 朝三月の「ジャパニーズ・プログレッシヴ・ロック・フェス 2014」のライブのステージが『浪漫風』と共に、目の前に浮かんで目が覚めた。二曲目の『白唇』が始まる前だ。と、同時に「遠い星より」のステージの映像も浮かんだ。きりっと唇をかみしめ、両脇にかるくこぶしを握って佇む上野洋子さんの姿、にこりともせずにすたすたとマイクに向かって歩いてくる北山真の姿。どちらも、圧倒的なオーラを発していた。 8月12日 夕べは雲のむこうに隠れておぼろ月夜かと思ったら突然切れ切れの雲の間から見事な満月が見えた。スーパームーンだったんだね。うふふ。 8月11日 今日は、満月。 満月で、11の日。あしたは12日。きもちが、わさわさ。 8月10日 今日は朝から久しぶりに、頭の中にめったやたらに『鬼』が流れてきただ。 8月9日 今日は、ナガサキ。 黙祷。 8月8日 今日は、はっぱ、の日? んでもって、次回のプロジェクトライブでは、もしかしたらオルガンの音を聴くことができるのかにゃ。 8月7日 きょうは、はな、の日? 8月6日 ヒロシマ。広島は今日は快晴ではなく雨だそうだ。 黙祷。 8月5日 「新●月プロジェクトvol.3 『記憶』」で演奏された新曲。どんな曲だったのかな・・・。ふたつのプロジェクトで演奏された新曲が何曲かYOU TUBEにアップされているので、またアップされるかな、わくわく。でもやっぱし全部観たかったりしち。 鈴木さん高橋さんのころと同じく7月生まれのメンバーはあついといいつつへーきであろう。 んでもって、オルガンの音。口にふくむと柔らかくあまいようなしょっぱいような複雑な味がいっぱいふくらんでいろんなことを思い出して笑顔になるような切なくなるような、キャラメルとか飴とか思い出して、えへへ。 8月4日 初スマホ。とにかくアドレス変更のやり方だけは教えてもらって送ったが、後から知ったがいっぺんに送る方法があったんぢゃん・・・。何人の方は、ころオフのお知らせと思われたようじゃった。23日のおじぞうさんの日が候補日なんだけどまだ未定。 8月3日 ライブがかっぱつにあると、今回行かれなくてもまた次回があるからって思うと、残念であっても悲しくはないかな。そして、今月はレコーディング中心との事で、ライブは嬉しいけど、やはり録音物をしっかりと聴きたいな。 8月2日 「新●月プロジェクトvol.3 『記憶』」ではゲストの若いベーシストの方が素晴らしかったそうで、やはり35周年にふさわしい良いライブだったんだにゃ。ううじゃんねん。 んでもって、MCのさいごではなさまが北さまとのプロジェクトも進んでいるというすごいお話があったというタレコミもあったのだが、賞品の件といい、なんか自分が行ってないライブってどこまで書いていいのかよくわかんなかったけど、これは素直にわーい!わーい!と公になって良い事だっただねー、キタモト。 2008年の秋葉原グッドマンの北さまライブで北花共作『手段』(『殺意への船出』外伝?)が演奏されてファン大感動だったけど、どんなプロジェクトなのか、たのしみ〜。 8月1日 35年、サイト15年の節目の7月に突然何も書けなくなった。自分でも焦ったしわけわかんなくかったけど、これは卵の殻に包まれたのかもって感覚で、新しい事がひろがる殻から透けて見えるあかるい外側にむけてこつこつ、こつこつ、殻を割っていく前の、じっとしている期間なのかも。 ライブに行かれかったのは残念だけど、今月はPhonogenix名義?の録音物に集中との事で、やはりファンとしては、活発なライブ活動はもちろん嬉しいけど、世界中のライブに行かれないファンが平等に聴くことが出来る音源の完成を楽しみに待ちたいね。 7月31日 今日で一年のうちで最初の新月月がおわり。そういえば七月って文月っていうんだよね。いろんものを書かないといけなかったのになー。 7月30日 一等賞についてタレコミあり。おそろしーことにほんとうに緘口令が敷かれていたそうな。ひええ。ぶるぶる。 2004年、7月25日に「新●月:Shingetsu Live 25.26 july 1979. ABC Kaikan Hall Tokyo」が発売延期になってしまったのは残念だったけど、楽しみが先に伸びただけだから、ってファンの人達と言い合ったのを思い出した。 なにかがゴールでもエンドでもなくて、まだつぎ、このつぎ、って未来がつながると思えばなんでもたのしい。 7月29日 ヒロポンが教えてくれたので、ここにヒムロックが出てきた意味がわかった。なんつーか、清少納言の「香炉峰の雪」みたい。 ひええ。でもど、どおして誰も一等賞、いやそれぞれのレアなお宝について教えてくれないのだ。わーん。だから自分で行かないとこゆことになるわけやね。くすん。でもなぜ、なぜ、口をつむぐのだ???危険物なのか?それともメロトロン一台贈呈するから終生可愛がって面倒を見るようにといういわば生き物プレゼントとか。 7月28日 演奏は本当にすばらしかったんだね。すかす、なぜ一等の賞品がひみつなの??なぜ誰も教えてくれないの?? 7月27日 今日は新月。 25日、26日のイベントに参加してくれた人はいたかな? 宵ちゃんのライブレポートほんとにありがたい、嬉しい。 やはり行かれなかったファンに、レポートってほんとうに大切だなーと実感した。うう、ころも頑張らねば。 良いライブだったようで、新曲も披露されたようで、そかそか、そかそか、新月はプログレ、うんうんうんうん。新曲やらレコーディングやら、今回を逃しても、新月、また次がある。だから安心できる。うん。 そ、それにしても、その第一位のブツに関してなぜ誰も言わんのだ???なぜひみつ? 7月26日 今日新月35年と1日の日にころ、ライブに行かれなかった。新月メンバーは二人というプロジェクトライブだけど、またこの手でレポート書けないのが残念だ。 7月25日 今日は新月35周年。ちょうど10年前、25周年の日の今日を思い出す。わくわくが止まらなかったっけ。芝ABCのライブの事はしらなかった、てか「新月/新●月」を知ったのもこのライブ後だもんね。うーん、観たかった、この手でレポート書きたかった。すごい猛暑だ。当時はここまで暑くなかったはず。んでもって、7月のライブには行かれず、ちょうど半年後の12月のライブにころは2度行かれてる。常にどっちかが大きな新月月で、この間の10月に節目がある。ぐるぐるぐるぐる、めぐる。 7月24日 デビュー前夜かあ。この日の事はどこにも記されていない、てかメンバーも覚えてないのかな。たぶんゲネプロだよね。35年。なかなかの年月だと思うけど、決してこの年月はただ今と当時の間に横たわってはいない。エネルギーの発露の場所を求めて激しく静かに変化し続けていたのだ。 7月23日 新月が変化を遂げて七年目のプロジェクト「新●月プロジェクトvol.1『あの音が聞こえる』」で旧曲(この表現はちと考えないとね)、回りにいたひとたちと新曲で良かった曲を挙げたら『浜百合』(『薔薇』仮デモあらため)だった。ころはこれに『それからの日々』が加わる。 「新●月プロジェクトvol.2 『響き』」では、『鳥は海を渡る』だった。 この二つのライブで『牡丹』が演奏されたが、「これが花本さんがこれからやりたい事なのではないでしょうか」と言う人たちがいた。 さて、「新●月プロジェクトvol.3 『記憶』」では、また新しい曲が披露されて、こんな風にまた新しい良かったって、どんな曲が「記憶」されるのかな。 7月19日 いろいろ考えたり迷ったりしていたけど、やっぱり、変わらない。おんなじように、おんなじ気持ちで、応援していく。35年間、ブレはない。 7月18日 「新●月プロジェクトvol.3 『記憶』」が行われるのは、新月前夜。10年前の今頃は新月デビュー25年目の7月25日に発売予定だった「新●月:Shingetsu Live 25.26 july 1979. ABC Kaikan Hall Tokyo」が延期になる事が決まりしょんぼりしてた。んでも、79年7月25日、5分遅れで開催されたコンサートの時刻に合わせて新月を聴こうって、決めてた。 35年と1日目に開催される、新月ではないけれど、プロジェクトのライブが新月前夜というのも何かふしぎ。 7月17日 ものすごく久しぶりに音楽を聴いた。つまり新月を聴いた。「新●月:Shingetsu Live 25.26 july 1979. ABC Kaikan Hall Tokyo」何か月ぶりなのか数日ぶりなのかわからない。ただ、デビューの日が近づいてる。つまり、それだ。 7月16日 んでも昨日からあたまの中に『浪漫風』と『薔薇(仮デモ)』が交互に流れてる。ジャパニーズ・プログレッシヴ・ロック・フェス 2014で客席に『浪漫風』が流れていて、美しかった。なぜこのこの曲なのかなと自分で勝手に理由つけてる。 7月15日 「新●月プロジェクトvol.3 『記憶』」ライブがはやあと10日とちびっとだね、 記念プレゼント、まで読んで、おおっと思ったら抽選なのね。この時点でもうくじ運ないのでかなしみが。「掘り出し物」って新月の音源とかだったらさらに悲しみが。 ってこっちにひきずられてかなしんではいかん。 オリジナルメンバーのライブから35年、記憶が現在に展開し、新しい表現を追求し続けてる。 7月14日 今日は『発熱の街角』だね。 7月13日 ヒロポンレポートのおかげでcode_oneのセットリストの上にレポートまでわかってうれしい。いきなり『Come Together』ってリスナーは嬉しいよね。くすん。 7月11日 code_oneのライブが始まった頃だね。コンスタントにライブを行ってるんだね。そして「新●月プロジェクトvol.3 『記憶』」で今月は津花とPhonogenixメンバー参加のライブが二つもあるんだね。 7月10日 へんなの。先日はちゃんとインストルメンタル曲生と死の事書いてるのに??へんなの。 7月9日 今『鳥は海を渡る』の事ばかり考えていた。昨年のアレイホールオープニングで、この新月初の試みの曲の衝撃は大きかった。そしてたった今気づいた、なんで失念していたのだろう。新月による新曲『生と死』が新月名義のインストルメンタルではないか。誰からもなぜか苦情が来なかったが、2005年Phonogenixコンサート、2006年新月復活コンサート、「新●月●全●史」を聴いたひと以外はこの曲の存在を知らないから、という言い訳をするひきょうなころなのだった。それはともかく『鳥は海を渡る』なのだ。 7月7日 纏まりつかないまんまいきなり日記ですんません。ちゃんとまとめてから浮上するつもりだったのでまたそりは後日書くだす。 んでも7月1日からうすぼんやりと考えていたことは、インストルメンタル。新月初のインストルメンタル(れいたうは別として)『鳥は海を渡る』だ。えとうまく書けないが、『鳥は海を渡る』は素晴らしい「曲」であって「映像」だったから、新月がもっとどんどんインストルメンタルに挑戦したら良いのになあと思ったりした。それにしても、Phonogenixメンバーがここまで揃うライブすごいよね。ころブログは操作間違えてMETAGAIAがニュースの下、つまり新月ヒストリーより上に来てしまったが、きっとこれも偶然ではなくて仕組まれていたことなのかもね。METAGAIAのフォノジェとバンドのフォノジェは別物とはいえ、ここでPhonogenixの名が浮上して、大好きなMETAGAIAをもっといろんな人が聴いてくれると良いな。すかすじぇんじぇん関係ないけど、「新●月プロジェクトvol.3 『記憶』」出演アーティスト見ると「あ行」のお名前って多いんだなー。 7月6日 もうちびっとしたら復活します。すんません。お休み中何か大きな更新してたとかではなく、単なる充電でしたので、期待されていたらごみんなさいです。 7月3日 ちびっとだけやすみます。いつも読みに来て下さる新月ファンの皆さんすみません。すぐ復帰します。 HOME 2003年の日記 2004年1〜6月 2004年7〜12月 2005年1〜6月 2005年7〜12月 2006年1〜6月 2006年7〜12月 2007年1〜6月 2007年7〜12月 2008年1〜6月 2008年6〜12月 2009年1〜6月 2009年7〜12月 2010年1〜6月 2010年7〜12月 2011年1〜6月 2011年7〜12月 2012年1〜6月 2012年7〜12月 2013年1〜6月 2013年7〜12月 2013年1〜6月 |