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6月30日 今日で6月が終わり。あしたからいよいよ7月新月月でころちゃん月!今日は真夏日になるらしい。でも、「新月/新●月」を聴きながらふと思ったけど、ラジオから鬼が流れてきた時は、もっと、もっともっと暑かったにゃ。あれは、ほんとにいつだったのかにゃ。これだけが、わからない。新月の池袋の西口の記憶と同じか。 6月29日 んでもって今日も朝から新月を聴くころ。かつて務めていた職場は車通勤だったので、朝からずっと新月を聴きながら行ってたのだが、駐車場に着いて職場に入る1分くらいの間の切り替えが出来ず困ってしまい、行きは新月を聴きながら職場に行く、というのはやめた。だからもっぱら帰り道に聴いたっけ。そうそう、着いてから、まだ曲が途中だと、そこで切れないので、聴き終るまで車降りられなかったりしち。家でまたちゃんと聴けるのにね。へーんなの。 6月28日 今朝もフリーズのあと暴走ぱそ。でも来週には新しいパソコンが来るんだから、めどが立ったんだし、これは最小限の事だけするパソコンでとにかく「壊れているんだから仕方ない」と思えばだいぶストレスを感じなくなってきた。すかす、新月日記でなくて、壊れパソコン日記になってるなあ。 6月27日 昨日結構元気に動いていたのでだまされてた。パソコンは、今朝はダウンしたまま、かと思うと暴走したりして、勘弁して〜。本当に「壊れている」実感ありで、この間逝ってしまったXPはどれだけ健康体で天寿を全うしたか。ただ、いままでパソコンがいきなり逝く、という体験がなかったので、パニパニころちゃんなのだった。そして、この初期不良がほんとに参っただ。修行? 新月の大事な資料はすべてバックアップ済みで、いつパソコンが逝くかわからないのでヒストリーには手をつけてない。更新そのものは、ころの日記だけだけど、バックアップは取りたいので。出勤ぎりぎりまで格闘して、なんとかバックアップは取ったが、すごいストレス。ころの場合はテキストだけの話だし日記だしだけど、これが音楽ファイルとなると・・・大変な事だよね。ころ程度でストレスなんて言っちゃいけないか。 6月26日 初期不良デスクトップパソコンをだましだまし使ってるころ。、先日十六夜さんに教えてもらったALTを押してみたが、変化なくて、どこをどういじっても本来のメニューにもどんない。えーん。今朝になって気を取り直し、タクスバーのメニューをあれこれいじって、ツールというタブの中にエクスプローラーバーというメニューが隠れているのを見つけ、ここをいじったら、元にもどった〜。しかし、どうして何でもかんでも隠れているのか。かわいいXPちゃんが逝ってしまってからはや一か月。そのうえ初期不良でストレスが。でも昨日のランチも水族館も楽しかった。きっとこれで幸福度と不幸度の収支バランスはとれているのね、うんうん。と日記には書いておこう。 反対に、八幡平のクマ牧場の経営者が、クマを減らすために、餌を極端に少なくして奪い合いをさせてクマ同士殺し合いをさせ、残ったクマには餌を与えず餓死させ自然淘汰しようという計画を立てていたと報道されてて、怒り心頭。 命を一生懸命救おうとする努力と、自分の手を汚さず残酷な方法で抹殺しようとする浅知恵の両極端。どっちも人間。いろんな事に通じる。で、牛豚鳥鹿の肉や魚のこれがおいしいのなんのと言ってる自分が、いる。 6月25日 えーん。インターネットの画面変なところ触ったら、左側にいつもいるお気に入りとか履歴の画面が全部なくなってまったうえに、タスクバーもメニューもわけわかんなくなってるしどこ触っても元にもどんないし、もうやだ。ただでさえ壊れてる上、使い方もインターフェイスもじぇんじぇん違うしストレス200%。パソコンが壊れてる云々は別として、XPの時は何のストレスもなく使えていたのにぃ。はっ、新月日記に愚痴を書いてる。暗いと文句を言う前に進んで灯りをつけましょう・・・ってつけられないよぉ。くすん。もしも在庫なくて、修理になったばやい、このパソコンが戻ってきたらやだなすごく。 6月24日 新月掲示板に書いたようにパソコンは初期不良でした。前のノートもネットにつながらず、 仕方ないので新しいパソコンが来るまで、このすぐフリーズするパソコンをだましだまし使っていくしかないす。調子の良い時はこんな風に打てるのですが、くすん。来月のころちゃんの、お誕生日の新月の日までに来ますように(祈り)。いつフリーズしてすっとんでしまうかわからないので、ヒストリーには手をつけられないや(と、うまい言い訳)。毎日更新楽しみにアクセスしてくれる人には申し訳ないっす。一番謎の部分で更新止まっているんだもんね。じらしてるわけではないのだが。くすん。 記憶する限りラーメモにラーメンそのものが写真掲載されたのは初めてかも。 テレビ三昧。 フリーズの間隙を縫って書くだに。テレビ20時からは平清盛でおもしろすぎで震える。そりから21時から「大英博物館」古代エジプトで目が離せない。パピルスから解読する古代エジプトの庶民からの当時の様子が生々しく伝えられた素晴らしい番組だった。 6月22日 新しいパソコンダメなので、また休みます。 6月21日 朝殺意2の事書きたかったのに。新しいパソコンダメかも。 6月20日 ころは仕事早めに上がったので、無事帰宅出来たけど、昨日被害に遭った方や、帰宅困難になった方たち今日の暑さが大変だよね。遅れていたら、ころもまたいつぞやの台風の時同様昼から夜中まで電車の中で暮らしていたかもなので、他人事ではないだす。 今日は新月。 でもばたばたで今日は新月の事はできないや。えーん。新しいパソコンは、気持ち良いが使い勝手が違うので、まだメールがうまく送れなかったり、えーん。んでもって中国で開催されている選手権で、金メダル獲得、のメールを中国から?北さまからいただいたのだが、このメールが行方不明になってしまい詳細が書けないの、えーん。 仕方ないよね、台風が来るとわかっていながら、んでも行けるとこまで行こうって、思うからみんな乗ったのであって、これは自然の事だから仕方ない。が、どこにでもいるのだろうが、いきりたったおっさんが、案内していた若い駅員さんを大声で罵倒し始めたのよ。その子を怒鳴り散らしても回答できるわけないじゃん。 だいいち台風来るの分かってて乗ったんだろうが。SFの世界みたいに台風の上超えて成層圏飛行できる列車ができていればいいかもな。一通り怒鳴りおわってそのおっさんが気が済んだらしく去っていっただ、まわりもみんなむかむか。くそおやじが。 の瞬間、すっと、カジュアルな服装だったけどいかにも紳士のおじさんが、理不尽な罵倒になすすべもなくしゅんとしてる駅員さんに向かって落ち着いた口調で「君、在来線の〜〜は何時出発かな?」って言ったの。はっきり言って、新幹線が何時に動くかわからないので意味のない質問だったんだけどね。 でも、彼は、はっとして、ぱっと資料を開いて、さらさらって、答えてた。おじさんは笑顔で「そうか!ありがとう。」って言ってその場を去っていっただ。か、か、か、かっこいーーい。あなたの部下になりたいですーって、その時も思ったもんだった。 接客上理不尽な言いがかりはいくらでもあるけど、そのあと、自分の業務を与える事で、冷静さを取り戻させて、彼本来のスキルに立ち返らせたこの紳士、普段からどれほどたくさんの部下を掌握してきたのかな、なんてその時思っただ。あれから数十年! あの時は、若いお母さんが5歳くらいの女の子の顔にクレヨンだかで犬の顔描いて!(^^)!その子が走り回ってその顔みんなに見せて笑かしてくれたりとか、いまだに覚えてる、印象的な台風の思い出ずら。 6月19日 パソコン、2日目にして、いきなりフリーズ!初期不良なのか?まだまだ油断も落ちつく事もできないのだった。んでもU・Kの余韻でへへへ。 6月18日 わーい。U・Kの余韻が♪ 6月17日 今日もU・K!ダイエットできなかったけど仕方ないもんね。今回限りと言わないで、日本のファンの熱狂に気を良くして、また来るよって言ってほしいな んと、んと。 第二期U・Kがオリジナルメンバーで33年ぶりに演奏するのを観て、すでに第二期新月は2006年にオリジナルメンバーで演奏を行ってるけど、やっぱり、また・・・って思ってしまったって事を書くのはいけない事かにゃ。 6月16日 U・K。明日もクラブチッタ川崎にまた行くもんね。明日は2階席なのでむしろ良く見えるかも。んでも今日も、もしも抽選に当たってても、連日はきつかったかも。でも前日行く人もいるんだろなー。 79年の時は、ひたすらオーディエンスを圧倒するぶ厚い音が一体となって、おしよせてきたけど、昨日の演奏はさらにこまやかな、叙情的な部分が際立っていたと思う。 素晴しい演奏を聴きながら、時間軸だけではなくて、新月とかぶる部分を勝手に連想してうるうる。 感想はタべ忘れないうちに新月掲示板にー文字ー文字書いただす。もっとテリーについて書きたいけど、ううう。 6月15日 酔っぱらって力つきうう夕べの日記が途中で切れていたりしち。ー文字ー文字うっているんだ門。 U・K演奏よかった〜よかったよ〜。オーディエンスは男性が9割5分。ボジオ目当ての男性ファンも多いのかな。行かれてよかった(感涙)。心配だったのは、またエディがほかのメンバーとケンカして、いきなり公演中止になってしまったらどうしよおと思ってたけど、わー、演奏の息もぴったりで、何度も仲良く肩組んでにこにこでほっ。 6月14日 明日はU・K復活コンサートなのだった。79年をなぞる。今でも79年に着ていった服覚えてる。U・Kのブルーのきれいなインド木綿のレース調のチュニック。ただ美容院がソバージュパーマ失敗してポプコーンみたいなひどい髪型にされて直す間もなく泣く泣く行った覚えが(T-T)エディがちらっところを見て「ほかはいいけどその髪型だけはないだろう」と眉をひそめていたような(妄想) なんかへんなのは、こんなふうに細部にわたって覚えているのに、心臓ばくばくほどコンサートに緊張してないんだよね。 2006年の新月復活コンサートはこもこのままキゼツするんじゃないかと思ったけど、明日もめちゃくちゃ楽しみだけど、わくわくぐらいの楽しみ。違うメンバーと、もう何度も来日してるせいかな。 6月13日 夕べTVで市川昆監督「東京オリンピック」観る。全部は観られず挫折したけど、面白かったー。 ふふ。1979年6月に、新月メンバー二人も同じ会場に居て同じ演奏を聴いて観たU・Kが、33年ぶりにあの時と同じメンバーであさって演奏する。その半年後、ころ、新月のライブを初めて、この目で観る事になったわけだけど、おんなじ事がおこんないかな。念じるのは勝手だ門。すかす、ここまで日記書くのにものすごい時間がっ。 6月12日 気がつけば15日17日はUK!きゃーっ!どどどどーしよー!まずはダイエットだダイエット!Tシャッツパンフレットタオル全部ほしいけどうううう高いけど、Tシャッツパンフレットを買うとポスターもらえるし。今月はUKのグッズのために、お能のチケットがまんなんだ門。 6月11日 朝かLIVE1979なのだ。いつもとおんなじふつうの朝なのだ。 6月10日 時の記念日だそうな。新月は、終りのない時間の海。ずっと留めておきたいけれど、そんなことは絶対に出来ない存在なんだにゃ。 6月9日 会社帰りの電車の車窓から虹が見えて幸せだった。『雨上りの昼下り』だ。急に晴れてきたのでつばめが忙しそうだった。 6月8日 新月。新月。なんかうふふふ。 6月7日 十六夜さんのアドバイスとひらがなカタカナ50音表を組み合わせて打ってるだ。IMパットで漢字が書けるぞ。嗚呼希望の光が。絶望は愚かものの結論なのだった。すかす新しいパソコン月内納入ってすごい先なんですけど。 白銀屋のお店もかなりわかりにくかったんだけど、何年か前に北さまたちと行ったお店のそばだった。こっちのお店の方がわかりにくいと仰言っていただ。ころこの時20分泣きながらさまよっていたのだった。 ガリガリくんが丸ごと入っていたサワーがあったこのお店はこの日 やってなかっただ。 6月6日 SキーシフトキーFGLRYキー使えないのだ。手鎖の刑なのだ。日記の文は切り張りなのだ。 梅雨といえば、あじさいだけれど、派手なあじさいより先に咲くのは地べたに咲くどくだみのしろい花。どくだみが咲くと梅雨が近いらしい。そして派手なあじさいにバトンタッチ。すかす特に新月に大切な「ら」の字打てずこまる。 6月5日 録音始まってるといいにゃ。明日は金星だね。 6月四日 英数字の四も打てないのだった。 6月3日 能「葵上」すばらしかったでも着物着なかった。ころ飲み会は干物炙りまくり。キーボード駄目でやっぱし文打てない。BSキーシフトキーFGLRYキー使えず。この文はあちこちフランケンフッカーなのだ(意味不明)。ここまで打つのにたくさん時間かかっただ。まだ当分更新はむずかしいのだった。明日は、満月。 5月25日 お能について書くなら、もっと勉強てからでないと日記に書けない能。ほかの方の能鑑賞ブログを拝読してそう思った。くくぅ。 5月24日 昨年のシルエレで行われた高津バンドの映像を掲示板からリンク張ったので観てね。くすん、ころのパソコンは音声が壊れてるので、映像はパソコンで観て、携帯から観て音声を確認したけど、携帯では音はじぇんじぇんダメやね。くすん。でもこれでベーシスト応募殺到!になると良いねー。 5月23日 今日は夏日だって。わけわかんないね。からっと崩壊からっと『不意の旅立ち』でうーん朝にふさわしい。タケシ助からないけど。 3週間くらい前から突如万歩計を使い始めたころ。てかただ数字が出るだけのつまんないやつで「伊能忠敬万歩計」か「母を訪ねて三千里万歩計」のどっちかがほしいな。伊能忠敬はともかく、「母を訪ねて三千里万歩計」は、いっしょうけんめい(文学バンド風に言ってみよう)歩かないと、マルコがお母さんに会えないんだって!ひぇぇ。そだ、マルコはタケシだった。タケシはもうかあさんにもとうさんにも会えないのだ。わーん、たけしー。 5月22日 悪天候になるらしい。なんだか『科学の夜』日和である(意味不明)。 とーとつに、真○月の『手段』をもう一回ライブで観て聴きたいにゃ。 5月21日 雨降ってる(号泣)。 仕方ないので、テレビで中継を楽しむ。テレビで長野県塩尻から「ベイリービーズ」の生中継を見てその美しさにかんどー。 金環日食の時間帯暗くて、その時間が過ぎたら空が明るくなってきて、外覗いたら雲の切れ間から部分日食だけはかろうじて見えたので、よしとしよう、結局肉眼で見てしまったでわないか。しかも、金環日食が終わってから晴れてこなくても。くすん。 めがねも買ったのににゃ。でもこのめがね、まだ6月6日に金星の天体ショーもあるから、まだ捨てちゃいけないんだって。 金環日食が次に日本で見られるのは18年後に北海道だって。日本全国で見られるのは300年後だって。 テレビで見た木漏れ陽がリング状や日食の形になってるのが素敵。 5月20日 北さま佳境でもんどりうっておられる、おいたわしや。でもIQ160でなんとかなるでしょー。 それはそれとして(薄情もの)ころは今日国立能楽堂に行くのだった。 能「蝉丸」狂言「盆山」舞囃子「西行桜」能「鵺」。同じ能楽師がシテを務める能を二曲続けて観るというのは初めての体験だった。 4時間に及ぶ長丁場。 「蝉丸」の囃子が始まった時、亀井さんの太鼓と小鼓の合いの手が聴きなれない感じで、独特の囃子だったのかな。出始めのシテとツレの謡がなんとなく合わないような感じだったけど、それはすぐに払拭されただ。 すかす、ころ、姉宮と弟宮の涙の感動のシーンで、これはつまらなくなったのではなく、ちと体調イマイチだったため、どうにもならなくて不覚にも睡魔に襲われ何度か逝ってしまい、肝心なところを見損なったりして。シテ玄さんとワキ片岡九郎右衛門さんの共演だったのに〜。 萬斎さんとゆうきくん父子「盆山」は可愛いし楽しい。片山幽雪さんの舞囃子はその重厚な気品に圧倒されて見所も水を打ったようだった(えーん。でもころちゃんプロポリス飴で必死に止めてたのに何度も咳しちゃったの。) 「鵺」は怪物=鬼の物語で、姿は鬼、心は人として世阿弥が完成させた能だそうだ。玄さんが「孤独な怪物」と表記していて、その哀愁が充分漂っていた。僧役の、宝生閑さんの相変わらず凛とした詞章の謡と「鵺」の対峙は、ぴんと一本刃のような線がお互いに通っているみたいな緊張感にこちらも引き締まる。ラストの華、激しい肝心の舞が、脇正面から中に入ったところだったので、人の陰で全く観られず残念だった。 見所で驚いたのは、おしゃべりと上演中にもひそひそ声が。それより何より、味方さんのテアトルノウはこれで三回目で国立能楽堂は初めてで、まさか、国立能楽堂ではこんなことは、ありえないので今回はそんな事はあるまいと思っていたのは、拍手。 2度の宝生能楽堂でも、曲が終わり、シテが揚幕に入る直前にいきなり、場内割れんばかりの拍手でびっくりしたが、まさか国立能楽堂ではそんな事はあるまいと思ってたら、まったくおなじで仰天しただ。 囃子方がまだ舞台上にいるのに、つまり囃子方が舞台から去るまでは「上演中」なのに、もう退場する人たちがたくさん居て、さらに驚く。三分の二くらいが拍手をしていたので、つまり味方さんのファンなのだろう。関西圏ではこれで良いのかな。でも演劇を観ていたとして、役者が台詞を語っている最中に拍手をするだろうか。 いずれにしろ、ちとかなり今日はちかりた。 5月19日 『殺意への船出PART2』と『鬼』を聴いて行くだに。 5月18日 金環日食の日は雨ではないらしいけど、今の段階だと雲の切れ間から見えるかも、だそーな。晴れてほしいにゃ、ころちゃん、観察用めがねまで買っちゃったんだもん。次に金環日食の時はもうしんでるし。 今日は上野に行くのでラーメモ調べたら、上野は★が殆どないので、ラーはやめよ。 18世紀画家で廃墟の素描を描いたり、国王の庭園のデザインを手がけた人。てか、ユベール・ロベールの名自体初めて聞いたのであって、ころの目的はむしろこの人の師匠である古代ローマの廃墟を描いたピラネージの版画なのだった。 ユベール・ロベールの廃墟も楽しめたが、晩年の国王の庭園デザイナーとしてのルイ16世の庭園を自分で描いた大作はすごかった。 巨大な本物の洞窟の中に、アポロンとニュムペの彫像を配し、滝が落ちる大きな池のほとりで、迫力あるそれを見上げて感動する人々、の大作を見た鑑賞者はさらに圧倒されるしくみになっていた。 展示室にピラネージの作品が何点か展示されていた。やはり師匠の作品は、その迫力とスケールと、何より廃墟の時間の止め方が圧倒的だったにゃ。 この人たち自体がすでに300年も前の人たちだけど、古代ローマの建造物はすでに廃墟の遺跡なんだけど、そこにさりげなく配されているのは、「廃墟」になった建造物にいるはずののない古代ローマの人たちで、当時そこで活き活きと暮らしていたまんま、そこに当たり前みたいに描かれていた。その巨大な廃墟の中に、それぞれ、ぴたりと止まった時間が封込めれられてて、飽きない。 版画室の方にもピラネージの「牢獄シリーズ」(現実の牢獄ではなく古代を意識した空想の牢獄)が展示されていたが、あまりつぼにはまらず、こちらより、企画展示の二点が素晴らしかったにゃ。この二点に満足満足。 ところで、このサブタイトルの「時間の庭」、って新月的じゃない? 5月17日 5月13日のテレビの放映日はそろそろJFAのサイトで発表されるらしき。それはたのしみ。 *なおこの大会は5月19日16時より朝日放送で「壁王・ロッククライミング世界最強決定戦」として放映される。 BSとかケーブルで見られるのかな。 んでもって、コンサートに集うのは人間だけ?でも演奏を聴かせようと思ってる側も、人間だからだよねー。てへっ。 5月16日 昨日の牛浜ブラザースレポート読み返したら、ヘンなところがあってこそこそ朝直したりして。北さますでに佳境の頂上らしき。すかす、テレビ番組名と放映局がわかんないとファンはこまりますー。 そういえば、ちょと気になったのは、駅に毎年巣が出来ていたのに今年つばめが来ていなかった。フンをよけながら、みんな可愛いヒナを見上げて朝夕楽しみだったのににゃ。 5月15日 今朝は12日の、和製ジョン・デンバー高津さんが歌った『緑の風のアニー』があたまの中を流れてるだ。 12日の「水鏡」のライブは気合が入ってそうな。それにananが着物も着ていたそうで、そういえば、一番最初に水鏡のライブを観に行った時、和風プログレとの事だったので、ころも着物着ていったのだが、ananがいろんな着物を組み合わせていたのが傾ぶいていて面白いと思った覚えがあるなあ。 目が、目がーっ。未だに石が全部でていない、物持ちの良いころちゃん。やっぱりビールの飲みが足りないに違いない。6月に入ったらユルイころオフ開こうかにゃ。 えへ。『鬼』だ。 5月14日 新月の話をファン同士でいっぱいしたいくせに、実際、帰りの電車のほんのわずかな時間で村上さんと新月の話を少し出来ただけで、ころ、嬉しいのに、なんで今年ころオフ自分でやらないのかな。んとんと。ちびっとだけ自分でもぼんやりわかってるんだけど。 いずれにしろ、暑気払いはやりましょうという事になっただ。来月はU・Kに二回行ったり能観に行ったりなので、ころオフは7月にやろ。そお、あれよ、真夏のしゃぶしゃぶ。ぷぷ。 あ、『殺意への船出PART2』だ。 5月13日 夕べもあんなに大量にビールを飲んだのだが、さすが最後の大物。まだ石が出きらないころちゃん。高津さんとは深夜までメールのやりとりずっとしてたりして。 今日は北さまは関西のクライミング大会の解説のためにテレビ出演。放映日を教えてほしーだす。 そうそう11日に牛浜ブラザースの、当時のテープがあったと高津さんがおっしゃっていたけど、この中にすずさまがベースで参加している曲と、『光るさざなみ』すずさま参加バージョンがあったそうで、すごーい。 5月12日 今日も経堂へかようころちゃん。ところで幸いな事に壊れたと思ったステレオは単なる接触不良だったらしく、ふっかつしただ。 Serenade、新月のリーダーがそこに居た。 んでもって、高津さんに紹介していだいて、ダンディで素敵な北さまのお兄様にごあいさつ。性格はまるで反対なのに、声質は似ていて、北山兄弟デュオが実現しなかったのは残念。 しょうじき、あまりフォークソング自体を知らないので、PPMくらいまでならころはわかったけど、村上さんとも言ってたんだけど、北さまのお兄様のメドレービージーズとかはまだわかるんだけど(でもころも全部は知らなかった)、日本の曲はよくわかんなかった。 んでもって演奏はもお高津さんは群を抜いてかっこよかった。昨日のまりこふんにも(開演前に古墳の話を少ししてしまった)「セクシーです」って褒められてて、うんうん。大好きな『抱き締めたい』を聴けてほんとに嬉しかった、素敵だった。 ただ、昨日のように一組が持ち歌を全部やるのではなくて、2曲演奏して次の人にバトンタッチ、また一周したら、また1曲歌うというシステムになっていて、中座は到底出来ず。 高津さんは飲めなかったのが残念と後でメールでおっしゃっていた。 特に高津さんは演奏のために、アルコールをガマンして壜入りの珈琲牛乳だけで過ごされており(ころのリクエストに応じてちゃんと腰に手を当てて飲んでくださった)高津さん村上さんころ飲み会が時間的に出来ずで、お話は出来なかったのがじゃんねん。 さばのゆは、店全体が被災地を応援しているとの事で、「くじらの大和煮」のかんづめを買って帰ってきただ。昨日もそう言ってもらえれば、みんなかんずめ買ったと思うので、残念。だから「石巻くじらピザ」だったのね。 んでもって、帰りは村上さんと、もちりん高津さんの演奏曲と、ひたすら新月の話しただ。 5月11日 うーん。痛さは針でちくちくちくちくつつく程度の痛さに和らいできたが、横ばい。 こりは今夜「さばのゆ」で大量にビールを飲まねばなるまい。腎臓結石はビールたくさん飲んでト○レにどんどん通って、昼間はナワトビしなさいってお医者さんが言ったもーん。ナワトビはしてないけど。 牛浜ブラザースのライブは30分だけど、内容濃そう。たのしみ〜。 ころちゃんラーは「季織亭」に行きたいにゃ。演奏の前に行くか後に行くか迷うところ。 やっぱり平日という事もあって、ファンの参加はヒロポンところだけじゃった。ヒロポンは大友克洋さんのイベントに行くためにライブ後すぐにアキバに向かっただ。 牛浜ブラザース楽しかった〜。面白かったのは高津さんと北さまの対比で動と静がくっきり。定番のナンバーはもう何十年も歌って楽しんでいるのがお二人から伝わってきてオーディエンスも本当に楽しんだ。『信号』は、もっと高津さん歌い上げればいいのになんでここで遠慮を〜なんてころ、思っちゃった。んでもってやっぱり『光るさざなみ』原曲完全版に胸が迫る。 この感覚はどこかで感じたと思ったんだけど、そだ、SNOWパーティのリハーサルの時の『光るさざなみ』かも。本番では、もっと抑えたトーンで歌われてたけど、リハーサルでは、「こんなに歌い上げるつもりはなかったのに」って、思わず北さまがぽろりとおっしゃっていた時のあの感じ。 この曲が公に演奏されたのは2008年の真○月ライブ以来で、真○月に来ていたオーディエンスは当然ほぼファンと関係者なわけだけど、今日は観客数は少ないとはいえ半数は何も知らない方たちだったわけなのでより「伝えたい」気持が直球で歌われたのだと思う。 それにしても、『信号』、『光るさざなみ』。この名曲を同時にライブで聴く事が出来たなんて、なんて幸せ。 5月10日 夕べ高津さんからのリーク。まさか牛浜ブラザースで『光るさざなみ』、それも完全版を聴けるなんてー。大物グループは大分減っているのでだいじょうぶだが、それにしても、平日でいかれなくて悔しがってる人がいっぱいいるだろーな。村上さん、ヒロポン以外に誰が来るのか不明。 5月9日 誰もどーでも良いと思っているころちゃんの石もんだいだが、いま最後の大物グループが居座っているが、少しづつおちてるので鈍痛ていどになっただ。しかし、さすが大物グループ。腰は軽くないのだ。まだちと居座るつもりらしい。腰は軽くないが腰からわきばらが重くて痛いわい。 ん?「腰が重い」。なんか聴き慣れてみょーに耳に馴染んでるこの単語はなんだったかちら。気のせいか。 んでもって、北さまから、さばのゆにナワトビ持参で来るようにと、さらに温かい言葉をいただいただ。石もんだいは、とにかくビールをがぶがぶ飲んで、○○レに通って、さらにナワトビをするだ。酔いがまわって却って危ないのではないのだろうか。 んでもって、大丈夫そうなので、今日は国立能楽堂にいくだ。だってチケット取ってあるし、曲が大好きな「海人」なんだもんっ。 「海人」は前回観たのは観世流だったが今回は金剛流。シロウトにも節回しが流派によって異なるんだっていうのがわかってなるほどって思った。この曲は母の愛がテーマの曲で、狂言ともども母の日が近いからなのかな。 ストーリーは前段は、知らずに訪れた海人の息子藤原房前(子方)に向かって、母である海人の亡霊によっていきさつが語られる。 藤原鎌足の娘が送った興福寺へ送ったみっつの宝のうち、一つが龍神によって海の底の龍宮に奪われたため、この玉を取り戻すために藤原不比等が身分を偽って貧しい海人の乙女と契る。 ひでー話である。不比等は海人だから利用できるこの娘と契ったのである。さいてーの男である。 まあこれは本筋ではない。というか、純粋なこの娘は全くこのことをうらんでいない、というか利用された事に気付いてないので、このひでー男のことは全く筋とは関係ないのだ。 で、ここに男の子が生れて、不比等は海人に、龍宮に取られた玉を取り返したら、この子を大臣にしてやる、と言う。さいていっ。 いや母となった海人はそんな事は思っていないの。この子が幸せになるならば、って海に潜って龍神と戦う決意をする。 でも。 ここに迷いがあって、海の底を覗けば龍宮に玉が飾られ悪魚や龍神がうようよそこを守っている。どうしよう、命がなくなるのはわかりきってる。我が子のためと言えども、怖い。 でも! このあたりで、ころちゃん、風邪抜けてない咳ハナに加えて涙でぐちょぐちょ。シテの海人は、橋掛かりの二の松まで舞いながら、この逡巡を行う。 海人は意を決する。再び舞台へ戻り、我が子のため海中へ飛び込み、死に物狂いで潜る。ここから息をも尽くせぬ速さで海人が悪魚や龍神との壮絶な戦う様子が舞われ、奪還した宝玉をふたたび取り返そうとする竜神たちに取られまいと、自らの乳を切りその中へ玉を隠す凄まじさ。海人から流れる血に、龍宮神に仕えるものは「死者」には触れる事は出来ないために(この時点で海人は死者なのかな)追手は諦め、海人はひたすら地上を目指して玉を託し、こときれてしまう。 海人の亡霊は息子の子方に供養を託す。 後段は、華やかな龍女の姿のシテが供養してもらった喜びの舞で大団円を迎えるが、この中に子方との別れと思いの涙の舞があり、一瞬たりとも目が離せない。それでも、ここで亡霊とはなったが壮絶な最期と引き換えに立派になった我が子と再会できてやっと安息を得た海人が、橋掛かりから揚幕へ去っていくまでに、見所も、ほっとした雰囲気があったと思う。 5月8日 誰も読みたくないだろが、ころちゃんの石情報。まだ溜まって鈍痛おこしてるやつがたくさんいるので予断をゆるさないのだった。 北さまから「無理してライブにきてください」という心温まる言葉をいただいただ。なんなんだ。 ただ、すこしづつ針でつつくような痛みに変ってきたところがあるので、少しづつ流れてはいるらしい。石出し切ってしまえばけろりと治るはずだ。思うに今年はころオフやっていないし、ビールの飲み方が足りないのかもしれん。 5月7日 ラーメモ東京西南部だって。わかんなかったの、ころだけ?牛浜ブラザースはかなり手ごたえありとのことで楽しみ〜。お二人がとっても楽しそう♪ 腎石のばやい、ものすごく痛いだけで、命に別状はないのだが、痛いものは痛い。なんとか11日までに治まると良いのだが。 ううう、今日も一日激痛との闘いで、道を歩く時と電車とバスの乗り降りが辛いのなんの。ヘンな歩き方なの。もしも道や乗り物の中、ヘンな歩き方してる人がいたら、それは腎臓結石か尿路結石かもしれないので、あたたかく見守るように。焼け火箸がわき腹から下腹部に通っていくような痛みと戦っているんだからね。 家を出てから13時間半。やっと再び家に辿り着き、いてていててと言いながらビールを飲むころ。石をどんどん出さねばならんのだ。ほんとはこれにナワトビしないといけないらしいが。今朝まで右わき腹だけだったのに、夕方になったら右の腎臓のあたりも重くなってきた。ここまでひどいのは大学4年の時以来かも。大学4年ゆーのはあれよ、もんだいの1979年よ。33年ぶりじゃい。つーことは今年なんかあるわけかい。あるったらアレしかないじゃん。ほんとかー。 つまり、なんでころの持病の事なんか新月日記に書くのかというと、もしかしたら、いよいよほんとに新生新月がかたちになるのかなって、予感がこの痛さと引き換えに感じたりして。 で、でも、牛浜ブラザース観たいよぉ。だって、新月関係者・インカ帝国のみなさまの前でしか披露されたことがない、伝説のユニットの演奏だもんっ。 5月6日 11日は出勤してしまうとラー食べて「さばのゆ」に間に合わない可能性があるので、休みをなんとかキープしてるころ。ラー開拓王からさばのゆに行く前のラーをいろいろころちゃん仕様にコーディネイトしてもらってるだに。んでも、ラーメモ、「経堂」はどこを見たらいいのかわかんない、こんなところでも方向音痴のころちゃん。 5月5日 ややや。「さばのゆ」フォークジャンボリーだが、北さま多忙のため、もしかしたらキャンセルかも。そだ。5月は佳境の月やね。テレビ出演というのは、13日の関西でのコンペの解説にテレビ出演ですかす、現在ご本人もいつどこで放映されるか不明との事で、当日わかるのであろー。ロックを超えるためにロッククライミングに入った北さまのお姿をテレビで見られるとわ。一曲歌うってゆーのは無いのかにゃ。 5月4日 今朝は『鬼』だにゃ。王道の流れだにゃ。 んでもって、このごろずっとコンスタントにヒストリー読みに来てる人たちが居て嬉しいにゃ。決してたくさんじゃないけど、新月好きなひとたちが一日何十人か少ない時は10人くらいだけど、読みに来てくれてるのは励みになるし、ちゃんと完成させなくちゃ。あ、完成って、「今。現在」に追いつくって意味ね。 んとんと。今夜は先にラーメモ見た後orionを見るという、ころにはイレギュラーな順番をしてしまい、わけわかんないけど、なんかいきなり涙が出てきてその後へんなきもちになっただ。 昨年12月のorionにあった「フツーのドラムにエレアコとレスポールと自作ベース。 キーボードはnord waveとスタジオにあるピアノの音が出るシンセ。 音はおして知るべしですな」 それからが、どんななのかにゃ。 5月3日 やっぱし今日もあたまのなかには目が覚めるまえから『殺意への船出PART2』だったにゃ。 5月2日 早くも来週さばのゆ3日間やね。うーん、いなかもののころちゃん、3日間通うかどうか、考え中。でも毎日観たいしなー。えーん。 それから『殺意への船出PART2』。手も何かも止まってしまい、聴きにいってしまう。笑えてきちゃうの。それから、うるってくるから、ぐっと堪える。なんで堪えるのかな。じぶんでもわかんない。 無限が見えるような気する。って矛盾した意味不明なきもち。 「新月/新●月」聴き続けて聴き続けて、どうして飽きるどころか、繰り返し繰り返し聴きたくなるのかにゃ。だれか教えてほしい。 5月1日 今日から5月なのだ。いまだ風邪は完治しないが、良い季節に突入なのだ。『赤い目の鏡』〜『殺意への船出PART2』聴いてでかけよう。えへ。笑えてきちゃうの。新生新月の、笑えてきちゃう曲は、どんなのかな。 4月30日 今日で4月がおわりだ。ほほ、ヒストリーのしめきりを今月末とか決めていたんだけど、とんでもなかっただに。 なんでかな。 ふっと、ころ、新月から逃げようとしてるのかなと、思った。 だめじゃん。 いよいよ6月から録音開始(かも)。 いよいよボーカリストが決まった、って事なのかな。 4月29日 今日は国立能楽堂。風邪でげほげほしてるので、飴を大量に持っていたのだが、隣の席の方に申し訳なかった。すでに上演前に言葉を交わしていたので、上演後にお詫びしたんだけど、つつがなくすんだけど、とほほ。ほんとに風邪って社会の迷惑。誰とはいわないが、来月さばのゆで歌う某さまに、この時期風邪をひくとはとかののしられるし。ううう。 国立能楽堂で、世阿弥自筆本による能「阿古屋松」を観る。にゃんと600年ぶりの再演だそうで、舞うのは26代観世宗家清和さん。上演前に東大教授松岡先生による解説があり、600年ぶりというのは上演記録がないという事であって、15代に拠るアイ狂言のト書きが残っているので、上演された可能性はあるが、公には600年ぶりの上演。 前段の山の老人実は塩竈明神の仮の姿と、あくまで上から目線の在原実方のやりとりから、東北の方の辛抱強さ、が垣間見える師章があり、昨年の大震災で被災された方々の思いが被るような思いがよぎった。 先生の解説で、昨年の陸前高田の一本松への思いに象徴されるように、東北の方たちにとっての「松」は生命のシンボルである、とあった。シテの塩竈明神が阿古屋松を褒め称えての舞、後段都での在原実方の姿を偲ぶ舞いは、派手な動きは全くないが、重厚な気品に満ちて、ほんとにほんとに素晴らしかった。 チケットは、脇正面席がやっと取れたんだけど、揚幕の真横だったので、演者が登場するところが見えて良かった。楽屋の「ごめん」なんて声が聞こえたりして、おちゃめ。 ワキも囃子方も地謡もすごいキャストでがっちり固めてで、体調わるいのもなんのそので2時間全く長く感じなかった。 時間たっぷりの舞を堪能した。良いものは気持も体調も良くなるね。 4月27日 会社で雨に打たれて風邪を引いてここ数日完全にダウンしてるころちゃん。まだちとあだまががんがん。新月もずっと聴けてないの、くすん。 んでもorion見て、「6月あたりから録音を始めるかも。」にえへへ。やっぱり、便りのないのは水面下で進んでいたんだねー。 いつものよーに「かも」だけど、亀歩でもいいかも。そか。そか。 でもでも、えへへ、なんだけど、なんだか、なぜか、ころ少しきんちょう。 4月24日 この頃ブログの新月ヒストリーのアクセス数が上がってて嬉しいな。すかす、(つづき)を読みたいはずなのに、それに追いつかない亀歩のころちゃん。ううう。 4月23日 新月を聴いて、いつも新鮮なのは、ころが音楽のこと、なんにもわかんないからだよね。きっと。それでいて、新月を知る以前から、響いていた何かを思い出させてくれるような。 朱鷺のこの学名を最初に知った時、なんて美しい名なんだろうと、なぜか涙ぐんでしまった覚えがある。でもさ、この美しい日本の名を持つ鳥を絶滅に追いやったのは日本人だよね。たんぼを荒らす害鳥だって。でも中国では朱鷺にたんぼの害虫を食べてもらって、エコ農法として共存共栄してる。 先日のくまの事件。くまは20年間ものあいだ、ほとんどごはんも貰えず冬眠もさせてもらえず、ずっとコンクリートの中にいた。雪が積もって足場が出来てて、よしっって逃げ出したくまたちは、これで、自由だ、ごはんも自分たちで見つけるぞって嬉しくて歩き回ったていたところに、顔見知りだったはずの方たちに出会ってお互い驚いて、そして、くまはそのお二方を襲ってしまった。 くまに襲われ亡くなった方々はどれほどこわかったろう。射殺されたくまたちもこわかったろう。慌てて飼育場に戻ったくまも狙い撃ちされたそうだ。もう飢えもなくなり安息になったのかな。射殺しなければならなかった猟友会のひとたちの気持もどんなだったのか。それからいろんな地方で起こる人間たち同士の事件。どうぶつに対しても、人間に対しても、加害者はいつも人間だ。 本で読んだけど、神様は、常に、人間界のどの人間にも必ず使者を送っているそうだ。この使者に出会わない人間はいない。病人、老人、死者。この使者を見たことのない人間はいないのに、なぜいつも同じ過ちを犯すのか、神様はいつもため息をついてるという。 4月22日 朝から『手段』があたまの中に流れてた。これは北花共作だけど、ライブで 聴いた時、しっかり新月だった。新生新月の音は、新月みたいに、目に見えず音も聴こえず陰も見えないと思ってたけど、こんな形で新月の陰を、観る事が出来ていたんだ、って、思う。 4月21日 今日は新月。 PHONOGENIXの所を書いているわけなので、つさまのブログ、ストーンズのところを読み込んでうーんと唸ってしまう。すごいにゃ。んでも、ヒストリーの資料はあくまでフォノジェインタビューにしておかないと、ころがつさまブログにうっかり触れて間違った解釈で突き進んでしまうと大変な事になってしまうので、テキストは手元にある資料のみで、再び進む。しかし、新月聴きながらだとやっぱし手が止まってしまって困るなあ。とくに、あ、『殺意への船出PART2』だ。手を止めて、聴いてしまおう。 書き始めた当初は、自分が知らない新月。第二期が終わってしまい、それから個人へと拡散(この言葉をころ、どこかで使ってしまったような気がするけど、けど、今は違うって思う)してしまったんだ、って思ってた。今ヒストリーを進めているのはまさにこの部分だ。でもそうじゃないって、今、思う。 80年にすずさま高さまのリズム隊が脱退、その後オリジナルメンバーは第三期を経てそれぞれの活動に入っていった。 四半世紀を経て「わすれものをとりにきた」再結成が行われた。単なる同窓会のレベルではない新録音の音源を「新●月●全●史」で聴いたファン、そしてコンサートを観たファンは、新●月が伝説ではなく現在もゆるぎない、圧倒的な存在である事を確信した。 解散宣言後、ここに至る四半世紀の個々の活動。メンバーは全く意識せず、メンバー自身も過去のものと思っていた新月だが、実はこれが新月という「バンド」という範疇に収まらない「新月」という「場」を形成するための「はみだした部分」であったのではなかったのではないだろうか。 ころ、こゆところを表現したいんだけど、ぱあだから出来ないや。単にカテゴリ分けしてしまったけど、違うんだよね、ヒストリーを読み返すたびに、地団駄踏んでる。まして、メンバーにおいてをや。 苦しくて、でもとても楽しくて、でも申し訳なくて。ヒストリーはこの繰り返しで書いてて、亀さん。 「名月を取ってくれろと泣く子かな」 満月は目に見えていても取れないんだよね。まして新月においてをや。 4月20日 明日は新月。 20数年ぶりなので、とりあえず軽いハイキングコースのつもりで鶴巻温泉から秦野弘法山を目指すコースだっただ。駅降りて1時間ちょいで弘法山に着く予定だった。 すかす、小田急駅で配布されている地図があまりに不親切で、駅前から登り口までえんえんと住宅街と畑、細い側道だらけで、登山口への何の案内もなく、地図も目印が殆ど無く、わかんないところを迷いながら歩く。地元の人たちがとても親切で、3人で地図もってうろうろしてるのが哀れを誘うのか、聞く前にそちらから近づいて来てくれて教えてくれた。 すかす「こっちから弘法山は相当たいへんだよ」「弘法山はあっちだけど。わたしは登ったことないけど(そんなところに行く気もしないもんね)」と皆さんが口々に〜。 んでもって、だんだん誰にも会わないような道を何度も迷って行ったり来たりして、やっと登山口を見つけて、駅のちらしによると1時間で行くところを2時間半かかっただ。 途中急坂でへばって休んで「誰にも会わないね〜」などと言ってたら、おそらく東海大の学生さんであろう、短パンにTシャツ姿でふつーの散歩みたいにとっとととっとと駆け上がっていったりししち、唖然。 何部の自主トレなんだろね、なんて話をしてて、演劇やってる人かもなんてふっと思って、劇団インカ帝国の方々のお顔が浮かんだだ。 大山はもう一回くらいクツ馴らししてから挑戦することにしただ。鎌倉天園コースに観光兼ねていくよてい。あり、これ新月日記か? じぶんが美味しいと思うものを出すって言った二代目の言葉で、誰しもが、先代を超えんたって思ったと思う。すかす、なんつー罪な番組だ〜。とんかつ、食べたい〜。あり、これ、新月日記か? 4月19日 もうじき新月だにゃ。 4月18日 昨日は東劇で、玉さま主演の「天守物語」をシネマ歌舞伎で観る。映画の前に玉さまの解説があり嬉しかった。上臈や腰元たちが、露を餌にし秋草を釣る、という幻想的な場面から始まりいきなり泉鏡花ワールドが展開。玉さまも海老ちゃんもきりりと美しかった。玉さまの解説「富姫の男気」っていうのがよくわかった。 歌舞伎素晴らしかった。素晴らしかったが、なぜか見終わってから疲れてしまった。やはり歌舞伎座の舞台で生を観たかった。玉さま自身が当然編集にも参加していたが、舞台を映像にするってほんとにほんとにものすごく大変な事なんだな、ってぼんやり思った。 「藪の中」もディレクターズカット版のボックスが後から出たもんね。こゆ事なのかな? 4月17日 目が覚める前からえんえんと『殺意への船出PART2』があたまの中に流れてて嬉しい。だからやっぱし『殺意への船出PART2』聴いちゃった。 新しい新月から、あたまの中に流れるレパートリーが増えるよね。んでも新月の曲はほとんどが、とくべつな曲なんだけど、『殺意への船出PART2』は、ころの中で、もっともとくべつな意味をもってるんだ門。 4月16日 新月の事を何かやってる時、もちろん新月を聴いてるんだけど、これは結構困るのだ。なんでかゆーと、ついつい新月を聴きに行ってしまい、手も思考も止まってしまって、集中できない。だからヒストリー書く時なんかは、ステレオを止めて無音にせざるを得ない時が間々ある。 以前も誰かファンの方が、家ではじっくり聴く時間がないので、運転中に新月を聴いているのですが、特に思い入れのある曲は、聴きこみたいので、ついどこか駐車スペースに車を止めてしまいます、とか、ほかの方も、じっくり聴けないので、車の中で大音量で聴いてますが、ある意味危険です、とか(ほんとに危険ですー)言ってて、気持は良くわかるなー。困ったことに、新月はBGMにはならないんだよね。流せない。えへへ。 PHONOGENIXコンサートや新月コンサートを観た人は実際に、すずさまが「ドライバー」を弦を弾く姿を目の当たりにしたわけだけど、この「ベースにあるまじき奏法」の新曲は、新しい新月の前哨戦である事は間違いない。 新しい新月には、はなさまつさまの曲に加え、すずさまの曲を聴く事が出来るそうなので、楽しみ。 それしても、そもそも『生と死』は、新録の『赤い目の鏡』のイントロ部分になるはずだったが、長くなった(進化した?)ために一曲として独立したわけだけど、この『赤い目の鏡』を考えると、新しい新月はやはり東へ行くのだろうか。ただ・・・昨年、多くの方々が犠牲になり、世界を震撼させた、わが国に起こった未曾有の大震災によって、もしかしたら、当初の新しい新月の構想からはかなりの変化があったはずだ。 新月。1979年の夏前までは、ころは名前も知らなかった新月。その後それからとりこにされてしまった新月。 あれから33年(う、ついきみまろさんの口調になってしまう)。今はもう、その名も音も知ってる新月。 でも、どちらも、「かつて見たことのなものが書かれている」んだよね。 4月15日 最近ころオフがないな〜と思われてるかも。ぢつはころちゃん最近は女子会で忙しかったりしち。んでも、5月は3日連続「さばのゆ」があるけんね。ここで、ライブ&ノミ行為が行えなえるにゃ。 4月14日 通勤電車の中でフォノジェインタビューの先を読んでみたが、やっぱし複雑。いろんな活動がキメイラ状に入り組んでるぅ。じぇんじぇんらくちんではないじゃん。ころに表現できるか、びびり始めてきただ。んでもんでも、第四期新月っていう新しいページが出来るんだから、ころ、ころ、にゃっ(意味不明)。音は、音は。音はおしてしるべしなんだよね。 4月13日 わーん、さくさく書きたいのに〜。『白唇』が今日はしみじみと染みる。 4月12日 むむ。昨日書いた分、やっぱしわかりにくいので、完全にブロックごとに分けていかないと混乱するにゃ。時系列表記は無理なので、SNOWならSNOW、PHONOGENIXならPHONOGENIX、で書かないとちゅうとはんぱだー。 それと、ころ、一点自分の誤りをはっけん!公式サイト見たら再始動は2003年ではなくて、すでに2001年から始まっていたんだにゃ。こ、こりはいけません。 というわけで、活動停止後大幅に加筆訂正したので、夕べから早朝に読んでしまった皆さん申し訳ありませんだす。えーん、どんどん書きたいのに、出かけなければ〜。 4月11日 おに。 しかし、ふしぎー。ころちゃん、昨日会社の人たちと突如「山ガール隊結成」したの。初心者なのでまず伊勢原大山、高尾山だねって話ししてた昨日の夜北さまから「山歩みち」のデータが送られてきてビックリしたの。偶然とはいえ、おもろ。 アクアポリスの部分を少し書くために、以前yanaさんから送っていただいた資料が見当たらず一人で大騒ぎになっただ。よくよく見たら何のことはない、新月資料と別に保管してあっただけで、ほっ。 第三期が終わり(やっぱり、解散って言葉は使いたくない)、いよいよ各メンバー活動入れ子状態になっていく。 ころちゃんが、なーんにも知らない、長い長い、期間。新月、とはもうこの時点で名乗ってなくても、んでもでもでもでも、ずっと新月だもん。 4月10日 公式サイトのちんもく。しずーかに水面下で激しく動いてるのかにゃ。 ・・・単に黙ってるだけだったりしち。 んでもorionにあったように「音はおしてしるべし」だから、新月は新月なんだよね。 4月9日 奇跡のような日だったにゃ。こんなお天気だったよね。原宿。 4月8日 あの日、は前の日から眠れなかったにゃ。雨が降っていたのに、晴れてきたのにはびっくりしたっけ。いきなり『白唇』。うふふ。 それから、今日はお釈迦様のお誕生日で花祭り。あ、そうそう、あの日は渋谷でハチ公慰霊祭もやっていたっけ。 4月7日 今日(今朝やね)は満月。 「さばのゆ」のライブについて、ぢつはキャパの関係でずっとシークレットライブでいきましょうとの事で、ひみつだったの。 んでも、んでも、ころちゃん、やっぱしみんなに後ろめたいし、告知したいしでお伺いたてたところ、「入れないかも」の一言を追記する事で、掲載おっけになっただ。 だ、だってだって、後から「オープンなライブだろ?なんでひみつなんだよ」「へーそうか、ころんたじぶんだけで行くつもりだったんだ」「うそつき」「ずるい」「ころんたって結局こうゆうやつなんだよな」等等のそしり(き、きゃああああああ〜)はまぬがれぬまいとびびっていたので(小心者)告知できてよかっただ。 当初土曜日予定の牛浜ブラザースだったんだけど、クライミング関係で、金曜日という平日になってしまったので、反対にこられる人の方が少ないかも・・・。伝説の牛浜ブラザースライブは、新月セッションでだけ披露されたんだから、観たい人、いっぱいいるよね? 近場の人でも平日だから、まして、地方だから行かれないってファンの人たちも、んでも、活動してるんだなって、情報があれば、安心すると思うんだにゃ。 4月6日 LIVE1979の『赤い目の鏡』〜『殺意への船出PART2』なのだった。このアルバムが発売されて、もう、8年近くになるんだね。 4月4日 今日の夜は国立能楽堂で蝋燭能「信長」。シテが甲冑を着けて舞う新作能との事でたのしみ。 BSで紹介されてた「ポロック展」も観たいなあ。ころちゃん知らなかったけど、「誰もいままでやらなかった事」を実践した画家なんだって。作品を生で観てみたい。 狂言は「地蔵舞」。山本東次郎さんの舞いと笑いは気品があった。 梅若玄祥さんの能「信長」いやー、面白かった。あまり謡のない派手派手の、つまりアクション系なので(これ修羅能のカテゴリなのかな?)、全く飽きず。前半若人姿の信長の霊が鞨鼓を打ちながら舞うわ、後半甲冑を着けて信長の正体を現してダイナミックに舞うわ僧の霊と切り合うわ、地謡囃子方は緩急に富んでるわ、終盤に地謡囃子方に舞台裏から天台声明が加わり、最後になって舞台に流れるのは、笛と天台声明、そして声明が止み、かそけき笛の音だけが流れ、そして、ぴたりと笛の音が止み、水を打ったような静寂となる。 能は仏教のプロバガンダの役を大いに担ってるので、最後、「信長ですら仏教に救われる」という部分がかなり誇張された演出が少し時間的に長すぎて、観ていて、少しこっぱずかしかったが、これは、信長が焼き討ちを行った延暦寺で、演じられるために作られた?新作能であるのでいたしかたあるまい。 ふっと、虚しくなる信長の心情を現す、あの一瞬の間。素晴らしかった。いやー楽しかった、良かった〜。 今日能楽堂でもらったちらしに10月に、ころが勝手に能のクリムゾンと名づけた、たぶん能の中で一番好きな「求塚」を喜多流で舞うそうで、こりは絶対に行きたいな。 「求塚」は、どこか『鬼』を初めて聴いた時に味わった感覚、それがなんだかわかんないけど、だから、なにかの琴線に触れた、ってくらいにしか言えないんだけど、そのくらい、いっぱいいっぱい好きで何度も聴いて観て密度濃く寄り添ってるのに、全く答えがわからない、ってところが共通してる。 手が届きそうなところにありながら、永遠にわからないもの。それって、自分の心もそうなのかにゃ??? 4月3日 32年前の今日が、いっこのおわり。おわりだったからまたはじまった。あの日も確かこんな風に晴れた日だったけど、今日は午後から暴風雨らしい。あの日、の音源を聴いてみるかな。って、つい先日も聴いてしまったが。そして、未知の第四期新月に、思いを馳せる。 4月2日 今朝も『殺意への船出PART2』だったりしち。この頃ずっとそうなのは、やっぱしこの曲に再会したくて、そして20年経って再会できた、ころにとって、よりたくさんの意味がある曲だからだにゃ。 今朝は、なんだか、せつない。 4月1日 新年度やね。4月ってやっぱし新月ファンには、きゅん、てならない?1980年と2006年と。あの、26年がぴったりと繋がった夢のような二日間を鮮やかに思い出す。 んでも今日はLIVE1979聴いてへへへ。 新月は、良いね。 ヒストリーに81年か82年の、池袋の居酒屋での宣言、を書く。 この事実をある日、書店で立ち読みした音楽雑誌で知った。フールズメイトだったような気もするし、ロッキン・オンだったような気もする。誰かに教えてもらったっけ?ひとつだけ、覚えているのは、この小さな囲み記事を目にした時、魂が抜けるような思いがした、って事だけかな。 でも終わりは始まり。始まりは終わり。2007年10月に、再び同じ思いをする事になったけど、これもはじまりのひとつ。はじまったまま、5年の歳月が流れたが、それはまだ、終わりに向けてではなく、進み続けてるからだろう。 今日書いたヒストリーは、まだアップできず。 あ、新月は、ラフォーレ原宿の音源になった。オープニングが『殺意への船出PART2』ときたもんだ。すさまじい演奏に圧倒される。『鬼』ライブでこれだけすごいんだから、オリジナルアルバムはどれほど凄いんだろう、と思う。 あ、『殺意への船出PART2』はないけど、すでにオリジナルアルバムは知ってるじゃん、ころってば。「新月/新●月」。持ってる。 思えば、活動停止したこの期間の方が長いわけだが、でもでも、この間、新月のヒストリーの中に、新月のし、の字もないと思ったら大間違いだもんね。合間合間に新月が顔を出す。つまり、忘れ物をメンバーは探し続けていたわけだ。 あ、『殺意への船出PART2』だ。今日、何度テイク違いの『殺意への船出PART2』を聴いた事だろうか。やっぱり、うれしくて、笑えてきちゃうの。 3月31日 「弥生尽」やね。夜は晴れるかな。上弦の月。そうそう、先日のあの夜見た、月の上下の星は、会社の男の子が、上が金星、下が木星だよって、ちょっと自慢そうに教えてくれた。ちょうど彼も同じ日同じ時刻、同じ夜空を見ていたそうな。得した気分だったよね、なんて話していた。 3月30日 ぷぷ。今朝もふんにゃらけた『殺意への船出PART2』なのだった。 じぶんが全く知らない歴史をなぞるおそろしさにおののきながら、すでに第二期は書いてしまったけど、ふにゃらけてるけど、確かな凄まじいこの新月の演奏に、そして同じこの場に、桜井良行、清水一登、美狂乱、が並び立っていたという事を想像すると震えがくる。 3月29日 メジャーデビュー前の1978年の『不意の旅立ち』の半分と、ふにゃらけた『殺意への船出PART2』、何を言ってるかわかんないMC。でもすごい演奏。ここで共演した目合(まぐあい)の方が新月はとっくにメジャーデビューしているプロだと思っていた、というコメントをどこかで読んだ事がある。うんうん。 新月。 3月28日 今日は4月並のあたたかさになるんだって。『浪漫風』が、陽を受けた新緑に相応しい。 3月27日 今朝はなぜか、めったやたらに『新幹線』なのだった。 3月26日 西の空に三日月が浮かんでて、ちょうどその月の上下にぴかぴかのお星様が一直線に並んでるのを見ながら帰ってきて、すごく得した気分。星の名前がよくわかんないけど、上のが金星?下のが、なんだろ??火星?木星?えへへ。もちろんあだまの中に流れてきたのは『殺意への船出PART2』だよん。 3月25日 たけひかるびよりなのだった。 セカンドアルバム、どんななのかな、第二期新月を踏襲してるのかな。タイトルどんななのかな。ぜんぜんいままでと違う、他の誰にも似てない「鬼っ子」だったりしち。いや、ほかの誰にも似てないのはフォノジェニックスか。 3月24日 2005年3月。初のリハーサル時の「新月ニュース」を読み返す。全員曲を覚えておらず大笑い、しかし、音を出したら、しっかり新月だった、という部分。 そして6月の「新録音の音群には昔の新月ファンの半分は愛想づかしか。しかしメンバーは今の社会や自分の反映であるこの音に対して、すこぶる満足している。」という部分。 んとんと。えとえと。 前者は当時と「この時の現在」が、一瞬にして手をつないだ時。後者は「この時の現在」から未来へ、か。そしてこの時の「未来」に当たる、いまこの時の現在の新月。楽しみにしていてだいじょうぶ、、にこっ、ってすずさまおっしゃってた。 3月23日 先日の接待(巣鴨観光案内)で、とびねこのあと開拓王と別れ、とげぬき地蔵へUターンしたのだが、庚申塚まで行けば良かったかな。六義園もあったんだね。六地蔵もスルーしてしまったし。恵比寿に行くあたまばかりあったので、勿体無かったな。また今度行って見よう。 3月22日 今日は新月。 タイトルどおりかぐわしい映画だった。この映画は全編音が流れてる。映画のために作られた音楽ではなくて、虫の音、鳥の声、雨の音、登場人物が奏でる弦やピアノの音。使用人の少女ムイが生きてるのは使われている主人の家の庭というごく狭い世界。そこにムイが慈しむ庭の小さな生き物と自然が美しい。 ベトナム料理がいっぱい紹介されるのも楽しい。しょっぱい、のはニョクマムだね。 何度かある登場人物の「洗顔」シーンが、清めのイメージ倍増で、さらに映像を清清しくしているように感じだ。 余計な台詞はほとんどなく、ちいさな生き物を微笑みと共に慈しみながら、何も主張せず、ただ黙々と働き、少女から女性へと美しく成長していったムイのラストシーンは玉座に座ったようだった。ベトナム戦争以前のベトナムを舞台にした物語である。 パパイヤの真っ白な種を、指でなぞる、ふたつのシーンがぞくっとする。じぇんじぇん関係ないけど、規則正しい集合体ではないけど、つさまは嫌かもとか思ったりしち。映画の感想とは関係ないか。 3月21日 小久保さんとは、waraさんがカバーした『AMEBA』の音源について、メールのやりとりしたくらいで、すっかりご無沙汰で、お姿を拝見したのは、HAL&RINGライブで直接お会いした時以来かも。あの時はライブに向けてかなりダイエットしたと言ってたにゃ。 そういえば、小久保さんのサイトを見て、大分以前からふしぎに思っていたんだけど、新月のアルバムとコンサートは掲載されてるのに、どうしてHAL&RINGのアルバムとコンサートは掲載されていないのかな。きょうれつ過ぎたのかちら。 それはともかく、そのあと、こんなおしごとをしてたなんてねー。たしかに嬉しいような、でもやっぱり鳴らないのが一番だよね。 3月20日 もうじき新月だね。今朝はまた新月に戻って『殺意への船出PART2』じゃった。 3月19日 なぜ今朝はブラック・サバスなのだろー。こりは前回の新月セッションの時演奏されたダーディウーマンじゃの。 3月18日 今朝も『殺意への船出PART2』じゃった。お天気が悪くて夜空を見ることができないからかな。今朝はこのあたりはすごい霧だよ。霧ってあんまり新月的じゃないよおな。 3月17日 今朝もあたまの中に流れていたのは『殺意への船出PART2』じゃった。 3月16日 ずっと『殺意への船出PART2』が頭の中に流れてて、明け方目が醒めそうになった時、まさに地震がきてこのあたりもかなり揺れた。ちょっとこわい。 それから開拓王と待ち合わせの巣鴨へ。生れて初めて降りる駅なのだった。 「とびねこ」に連れていってもらう。ころは基本の醤油ラーメン、チャーシューメンマ海苔刻みねぎトッピングで600円。油が浮いてるけどじぇんじぇんくどくなくてさっぱりで、煮干?の香りがいい感じのスープだった。★ふたつって思ったんだけど、ちびっとしたら化学調味料が舌にじわっときたので、★減らしていっこね。 開拓王のつけ麺味見させてもらってモツ煮はおいしいなーと思ったけど、スープがあまい〜。開拓王の★はいかに? 帰り道、「フラワー美容院(びみょうにちがう)」を開拓王がみつけ喜びあう。 お仕事に向かう開拓王と「とげぬき地蔵」前で別れ、ころはおばあちゃんの原宿を堪能。こんなに大きな通りとは思わなかった。とげぬき地蔵で両親にお守り買ったり、自分用に塩大福、なぜか塩麹など購入。 それから恵比寿へ行き、移転してから初めての「山種美術館」へ行っただ。目当ては松園さんなんだけど、入ってすぐ遠めに小品の中で娘が締めている帯の色に、あっと思って駆け寄っただ。なんともいえない緑とも青とも言えないあの色!絶対そうだっ、って傍に行ったら、やっぱり〜、古径さんの作品だった。えへへ。この、色。 松園さんの作品は、着物の柄や質感、長襦袢の浮き模様の細部に至るまでひとつも見逃すまいと思ってしまう、美だけがそこにある。目福。 着物姿の女性客が多いな〜と思っていたら、着物の来館者にはプレゼントがあったそうな。むむ、そうだったのか。でも着物でラーは食べないもんね。 3月15日 音はおしてしるべし。 やっぱり早く聴きたいにゃ。 3月14日 79年。新月をラジオで聴いてしまった瞬間からとらわれてしまった。それから4月3日のライブを観て、わけのわからないまま、新月は伝説のバンドになってしまった。ミッシング・リング。このわっか、が未だにわっかでないところ、を、ころ、なんとかしたいんだけど。したいんだけど。 3月13日 今朝もライブを聴く。メンバー25、6歳の頃の演奏を今も聴き続けてる。新月から、絶対離れられるわけないや。たぶん、当時新月を聴く前から、決まっていたことなのかもしんない、って思った。 2時間半の講演と座談会だったんだけど、面白かった〜。山形の千歳山萬松寺のご住職、東大、山形大の先生お二方の講演のあと、観世家宗家観世清和さん(前から面白い方だと思っていたがやっぱりかなり面白い方だった)交えての座談会であっというまだった。 これが主題の能と歴史と震災との細かな関わりあいがそれぞれの専門分野の方たちの視点と伝承をふまえて研究で語られた。笑いを取りながら、古典芸能と、現在、と、この震災との深いかかわり。特に阪神大震災でご自身が被災し、昨年は東京に居て自身を体感した観世さんが3.11に千歳山萬松寺に赴いた時のお話など、あっというまに時間が過ぎて、有意義だった。 山形大の先生がおっしゃってた、地名を忘れてしまったがその松には波が被らないように、自分たちの絆も固い、というような意味の歌があるのだが、大震災前まではただの「波」の事と思っていたがその波は「津波」の意味であったこと、そして、実際に津波はその松の手前までで止まった事が興味深かった。 ご住職は笑いのツボをおさえつつ、松はたとえ見た目が老いても、いつまでも緑豊かな公達であることなどを、阿古屋姫伝説と共に語られおもしろかった。 東大の先生は柔らかな口調で詞章を解説してくださり、山人(実は塩釜明神)と実方の会話の中にある「心の奥はありけりと、心の奥はありけりと」に、東北の方の気持の奥深さを指摘され、うんうん。最初は上から目線の実方が謝罪し和解し大団円。 清和さんが「実はあんな小さな穴から客席は良く見えるんです。そして、ああ、もっとここで大振りの舞を舞えばよかったと思うことがしばしあります」と言うと東大の先生が「つまり、寝てる、のが良く見えるわけですね」とつっこんで客席爆笑。 「そうなんです。ただ良い能はアルファルファが出るので、実は能を観て寝てる方が健康で、寝ないで観てる方のほうが不健康なのでしょう」(ほんとかー)。 つまり、世阿弥は謡が非常に多く、語りが多いため「寝ちゃう」人が多くなるかも?というわけではないが、この取捨選択が難しいそうで、それと、若い頃の曲が残っておらず、現存しているのは登場人物も老人が多く華やかな作品がないそうで、つまり、目を瞠る派手な曲ではないため、来月の公演に向けて、囃子方と演出を企画中だそうで、楽しみ〜。 3月12日 2月なみの寒さだそうで、新月メンバーはきっとさむくて元気だね。ライブ聴いてえへへ。 3月11日 あの日の事は、昨日の事のように鮮明に覚えている。だけど、それを言葉にする事は、自分には出来ない。 だから、ただ、新月を聴く。 あの時刻、に一分間の黙祷を捧げる事しかできなかった。 3月10日 ずっと朝のおめざ前にはたいてい新月の曲が流れてくるのに、最近ずっとそれがなかった。エネルギー不足と連動してたのかも。今朝はずっと『島へ帰ろう』が流れてきてた。うん、こりでどんどん元気になるかも。良い選曲だ(誰に言ってるのだろう)。 3月9日 きょうはなぜかレインボーの『キルザキング』がエンドレスで一日中あだまのなかをっ。 3月8日 今日は、満月。 新月を一日中聴くつもりなのだった。 てなわけで、今日は一日新月を聴きながら再びヒストリー考えつつ、一行でもいいから書くだに。二期も三期ももこうなったら壁はなし。新月は新月だ。全部で新月だいっ。「新●月●全●史」がそれを表してるもん。 自分で書いたヒストリー部分で、あれっ?これ本当に事実か?というところを見つけてしまい、うーん、とか、『赤い目の鏡』のロックウェルバージョンについての記事が、ころサイト内のどこかにあるはずと探し回って、「だから全曲目解説に決まっとるだろーが!」とひとりぼけつっこみやってたりして、こんなんやってたら一生すすまんな。うう。こんな事考えてあたまのなかが、雑雑してて、ダメだ。 すかす、新月の記事ではないのだが、他のバンドの事で「ウエノさんのジャップスに書いてあったから、こっちが正しいんじゃないの?」ってのを見つけて、あーあ。 高津さんと最近何度かこの「ジャップス〜」の記事について文通してるんだけど、大分経ってこの本を入手されて、新月もセレナーデも間違いが多すぎて、「なんでオレに聞いてくれなかったんだ」と思いつつ、この時期すでにご自分が「行方不明者」リストトップに入っていたのかも(笑)で締めておられただ。 うううやっと80年。あと32年、あううっ。「新月小史」とフォノジェインタビューは出来ているのに〜。 今、「遠き星より」の『赤い目の鏡』が終わって『殺意への船出PART1』がはじまった。 すこし、くるしい。 3月7日 明日は、満月。 3月6日 録画してた「カーネーション」見て土曜日の回見てかんどー、うるうる。尾野真千子さんすごいよね。ほっしゃん。さんとの掛け合いもさいこー。 何年か前に観た「火の魚」は作品も原田芳雄さんも素晴らしいけど、主演の若い女優さんがすごい、とその時も新月日記に書いたけど、その女優さんが尾野真千子さんだったんだよね。先日も再放送途中からだったんだけど、「火の魚」観る事ができて、再び尾野さんに感動した。素晴らしかった。知的で冷静な編集者の顔も、入院してパジャマ姿でふっと顔をあげた時のなんともやるせない表情も、たまんなかった。「カーネーション」でさらにファンになってしまった。 んでもって夏木さんの糸ちゃんの回が始まって、今までのたいせつなひとたちがみなごろしになっててビックリ。みんな写真になってるー。北村〜。わーん。それにまさちゃん〜恵さん〜春太郎〜奈津〜いずこへ。すかす、ころが録画までしてドラマにこんなにはまるなんて初めてかも。 んでもって今日の回で出演者のところ良くみたら、恵さんもまさちゃんも、写真になってた・・・。で、今日の回は、はっきり言っておもしろくなかった。作り方ががらっと変って、スタッフも変ったのかな??? なんかちがうぞ。今まで「小原糸子」物語だったのが急に「コシノアヤコ」リアル自伝になったからかなー。くすん。朝ドラに夢中になるなんて初めての事だったのに、なんかこう、大好きだったひとたちが、みんないなくなってしまった、みたいな喪失感でかなりがっくり。あ、唯一「直子」は大好きおお朝ドラのことをこんなに日記にかくとわ。思いいれができてしまうと、変化を受け入れにくくなるのかもしんない。とふと思ったけど、別にこれは新月の事とかぶって思ったわけではないよ。 で、五行ではあんまりなので、十三行書いてアップ。あっぷあっぷあっぷっぷ。 3月5日 遠い星で待つ。遠い、星。この遠さってどのくらい遠いのかな。空を見上げると、星には一見手が届きそうに見えるけど、絶対に手は届かないもんね。 3月4日 今日は朝倉さんのイベントがあるので、行かれる方は楽しんでね。 3月3日 今日は一日中あたまのなかに流れてるのは『殺意への船出PART2』だったにゃ。ある日、偶然、とんでもない世界への扉を開くための鍵を渡されてしまった。それがこの曲だったにゃ。 3月2日 新月以外に、今実はヘヴィーローテで聴いているのが、北さまをついベースの音だけを聴きに行ってしまうと言わしめた「East Wind Pot」(和名「こちかめ」って、これ高津さんがおっしゃったですぅ。ころじゃありません〜。わーん)。聴きながら、ほんとに風を感じる。インストルメンタルってふしぎだな〜。 あちこちに「元新月」とか「新月活動後」、とかいう言葉が散りばめられていて、この文学バンドのアルバム(カセット)が発表されたのは、あの「解散宣言」後、はっきりと活動停止が公になった後なんだな、という事がわかる。もう83年だもんね。 あの、池袋の「解散宣言」は81年か82年かわからないとのこと。 公式サイトでは「1979-1981 新月の終焉」となってる。セカンドアルバム制作を断念し、ビクターとの契約が完了したのが81年春なわけだけど、もしも「解散宣言」が82年だったとしたら、81年春以降それでもまだなお「新月」として活動し続けようとしていたのかな。 「動物界之智嚢」は81年から82年に録音されてて、同年には津花フォノジェニック・スタジオが設立されているので、やっぱり「宣言」は82年に入ってなんじゃないのかな、なんて思ったりしち。 なーんて事を考えてると、またここで止まったまんまになっちゃうな。第三期だ。 ふつうに考えたら、第三期の事やってるんだからDISC5とMetagaiaと文学バンドと動物界之智嚢を聴くべきなのだろうが、第二期と「こちかめ」(ほんとなのかな)を交互に延々と聴いているころちゃん。 種を明かせば、2006年1月のつさまフォノジェインタビュー後、増田さんとつさまで補足資料も併せてメールで着合わせして、記載の方法は、時系列ではなく活動ごとのカテゴリにしましょうという事で合意し、すでにこのファイルはつさまはなさまの検閲?済みで5ページ分まるまる完成しているのだった。 ただ、あまりの文章のひどさにこのまま掲載できず、そうこうするうちに新月コンサートで舞い上がり、その後のんびりと纏めるつもりがHAL&RINGが始まりその資料のお手伝いをして、それからなんやかんやでまさかの大変化やらで、なかなか手を入れることが出来なくなり、6年経ってしまったのだった。 本来であれば、ころサイトにちゃんとインタビュー記事として掲載されるはずだったのに、それがちっとも掲載されないので、増田さんは増田さんで纏めた概要をPOSEIDONサイトに掲載している、というわけで、すんません。 本来つさまのPhonogenixインタビューとして独立したカテゴリになるべきファイルを結局ヒストリーに挿入する形で先に掲載することになってしまい、申し訳ないと思いながら、こうしていかないと、一生お蔵入りになってしまうので、まずはこうして進めていくしか、ころちゃんのキャパでは出来ないので、くすん。 今あたまを抱えているのは、フォノジェと同時進行している第三期新月とSNOW、そしてそこにタペストリーやアクアポリスやすずさま渡米前のマコさん藤田さんの壮絶なセッション、アストゥーリアスライブなどの活動を、どう「入れ子」にしたら良いのかその表現方法がわかんないのだ。えーん、ころちゃん、ぱあだからっ。 3月1日 3月だ。Marsだ。火の星だ。2005年も2011年も新月のリハーサル始めは3月なんだよね。 フェルメール良かった。フェルメールブルーの美しさもだけど、描かれてるひとたちの、表情が、好き。えへへ、行って良かった。フェルメール作品には列に並び直して2度じっくりと鑑賞する。フェルメールセンター銀座にも行かねばなるまい。 ダ・ヴィンチ「美の理想展」の前売り券を売っていたので購入。そだ、国立西洋美術館で「ユベール・ロベール展」も開催されるので、前売り券を買わねば。忙しいのぉ。 2月29日 雪はこのあたりは3センチくらい積もってる。7時くらいにはみぞれになってきた。このまま雨になるかと見せかけて、8時くらいになったら、またどんどん雪が降ってきた。『白唇』。 2月28日 だから今朝は『鬼』。 2月27日 なので今朝は『回帰〜鬼』 2月26日 ライブハウスでライブを観るのは10月の高津昌之with T-Friendsワンマンライブ以来、同じくクロウダディクラブ(オーナーさんがとても良い人なんだって)で4ヶ月ぶりで久々だけど、やっぱりライブはいいな、楽しかったな〜。 ブログの新月ヒストリーからリンクを張ってる(一見親切に見えるが、賢明な読者はお気づきであろーが、ぢつは文章表現不足を画像へリンク張ることによってごまかそうとしているのだった)ファンのWAKATAKAさんからお借りした79年にシルエレで行われた新月クリスマスコンサートの写真を久しぶりに見ながら、唯一新月をライブハウスで観たんだなと思い、当時、いつも通りかかっていた渋谷「屋根裏」に行っていれば、結成直後から、新月を何度もライブハウスで観る事が出来たのに、と思う。 にゃ、歴史に「もしたられば」は無いにゃ。くやちーが、歴史はその過程が何十通り存在しようがたったひとつの「結果」へと、全力をかけて修正をかけるからにゃ。 そういえば鬼ってなんだろ。鬼ってなんにもしてないのに、勝手に押しかけてきた桃太郎に退治されちゃったり、豆ぶつけられたりして、けっこう苛められてる。神様はなんで鬼を作ったのだろう。神様からはみだした部分なのかな。新月の『鬼』のモチーフはなぜ突然出現したんだろ。やっぱ神様か。 九州ラーといえば、ころ、先日用事があって本厚木に行って前から気になっていた、濃厚とんこつラーに入ったんだけど、入ったら全然お客さんがいなくて不安に。んでもって、プラス味玉の濃厚とんこつのチケット買っただ。 濃厚スープはまじめに作ってるかもだけどなんだこりは、しょっぱすぎる。だからおねーちゃんがランチは小ライスサービスですとか言ってきたのか。 もともと固めが好きなころですら、ちとこりは違うんでないかい、がちがちやんけ、で、スープもものすごくしょっぱくて、100円ふんぱつして味玉トッピングしたんだけど、これだけがみょうにふつーのユデタマゴだったのがふにに。780円は高杉しんさく。店出てから、他に気になっていた横浜家系ラー店は行列していたし、これが答えなんだなー。ラーメモで見たら、ころが行った店の姉妹店は無星だった。にゃるほろ。 2月25日 今日は仕事の後月兎ライブ&プチ飲み会なのだ。「クラブ愛」まで無事辿りつけますように。なんせ能のチケット代がたいへんで、新月関連以外のライブに殆ど行ってないので、実に久しぶり。結局10月の高津昌之with T-Friends以来かな。場所も同じクロウダディだ。カンちゃんでブタバラ食べたいずら。 高津さん、峯くん、宵のちゃん、朝倉さんと観戦。 朝倉さんとはものすごく久しぶりで「12弦ギター愛好の会」世界の山ちゃん以来だった。「ころんたさん随分雰囲気が変りましたねー」と朝倉さんに言われてなんでじゃろと思っていたら、ころは着物のイメージが強いらしい。水鏡ライブには和に敬意を表してよく着物で行っていたからかな。 月兎、演奏良かった〜隣に座っていた若い男の子たちも「すげ〜」「良かった〜」を連発していた。うんうん。 高津さんと誓い合っていた「カンちゃん」。お通しの手羽元じゃがいもにんじんの煮物がすでに立派な一品料理で美味しかった。5人静かにプチ飲み会をしていたところ、月兎メンバーと関係者の方が合流して賑やかな宴会になる。 カンちゃんお薦めブタバラ味噌串、たまごやき(高津さんが「10月に花本が美味いと言っていた」どおりうまっ)、山形(ここがポイント)のなすのお漬物を頼み、あとはモンゴリアンサラダ(キラー・カーンさんはモンゴリアンチョップだからね)、尾崎豊さんも愛したカレーライス(サラダ付。うまっ)、やきそば、サーモンサラダ、鳥なんこつからあげ、ビールやらハイボールやら。高津さんだけは日本酒に〆鯖を召し上がっていらっしゃった。んでもって朝倉さんは、明日プログレバンドの初リハーサルとの事で(古楽器はじめ今いろんな音楽活動をしてるそうな)わずか30分しか居られず(初リハならもっとアルコールひっかけていった方が良いですよと助言したのに断れただ)、ころも終電のため1時間しか居られなかったのだったが、んでも楽しかった〜。 高津さん村上さんで結成したお笑いコンビ「セレ兎」を、是非新生高津バンドのオープニングアクトでやってくださいとお願いしたら、高津さんに「そしたらオレはずっと出ずっぱりじゃないかっ」ところ突っ込まれて、ちゃんちゃん。 尾崎豊さんも愛したカレーライスをうまいうまいとみんなで分け合って、高津さんが何口か食べた後のカレーを峯くんにもすすめたところ「お昼もカレーだったからぼくはもうカレーはいいです」と断ったら高津さんが「そうか、スプーンだな。オレが使ったスプーンがイヤだって言うんだな」と苛めて峯くんが困ったところで、村上さんが「ぼくは一日三食カレーでも大丈夫でーす」と平らげたところで、ころはシンデレラタイムなのだった。 みんな何時まで飲んでいたんだろうね。カーンさんとみんなで帰りに記念撮影しましょうとか言ってたが、くすん。 おとなりの席のカップルがカーンさんの大ファンで、カーンさんにカラオケを歌ってもらってた。歌い終わってから麗奈さんがカーンさんに「プロはすごいですね、ピッチが全くずれないですね」って言葉をかけて、カーンさんは嬉しそうに照れ照れ。 高津さんはそういう麗奈さんに感心してて、後から「自分たちはカーンさんが歌ってる最中おしゃべりしながらBGMで聴いて、終わったから拍手〜だったのに、麗奈さんはずっと歌うカーンさんを見て耳を傾けて、きちんと拍手をしてた。すごいね」って、ころにおっしゃってた。うんうん、ころもオフステージでも麗奈さんは素敵な人だなと、気持が良くなっただ。 そしてそして、それをおっしゃった高津さんのお人柄に、ころは、さらにますます高津ファンになったのだった。 2月24日 駄菓子屋掲示板に朝倉さんのライブの告知があるから見てね。 じぇんじぇん関係ないけど、以前読んだ佐藤愛子さんのエッセイのなかに、とある地方で神様を怒らせてしまった地元の人の代わりに、愛子さんの知り合いのご住職がお酒をお供えして謝りに行ったら、神様はすぐに許して下さったそうな。神様は、謝る者はお許しになるそうだ。 どうぶつは神様に近いのかも。人間以外のどうぶつは「罪」を絶対に犯さないので、しぬと、光より早いスピードで天界に行かれるってゆうし。傲慢なのは人間だけだもんね。いつまでも許さなかったりとか。 なんとなく『光るさざなみ』があたまの中に流れてきただ。 すかす、プリントアウトしたこの第三期、SNOW、Phonogenixの資料の厚さ、みんなに見せてあげたい・・・くくぅ。 第三期新月は劇団インカ帝国への提供曲、文学バンド、そして、Phonogenixは北SNOWレーベルから出ている劇伴津花フォノジェ、アルバムMetagaia音源で聴く事が出来る映像音楽中心の津フォノジェ、ライブバンドのフォノジェというみっつの形態が存在しているのでこれがほんとにややこしいやら複雑やらで、あっ、ころちゃんの脳みそが〜。 2月23日 昨日は新月。新月の日に新月ヒストリーをアップできて、ほっ。 2月22日 今日は、新月。ブログの新月ヒストリーに「ラフォーレ原宿」までをアップしたので、読んでね。 もお泣いたりしてないのだ、泣いてるヒマはないのだ、いよいよなんせそれぞれの活動がインターロッキング状に入り組んでるの複雑混乱の第三期に入るのだった。えらいこっちゃ。 ふに、メンバーが読んだら、ころがウィキペディアを読んだ時以上にむずむずどころか、いらいらするのでわ。くすん。 2月21日 北さますでに五合目まで下山との事でよかったよかった。んでもって、明日は222のにゃんにゃんのねこの日なのだ。わーん「とびねこ」行きたい〜。いつ行けばええんんじゃ。すぐに行きたい〜。 んでもって、明日は、新月。 かわいい。 まだ第二期については、読み返さないとアップできず。あくまで、さらっと書いたつもり。 すかすそもそもヒストリーまとめようなどと思いついたきっかけ、新月初心者向けの「初めての新月」構想は、いずこへ?(チャーリーころちゃん)。 2月20日 澄みわたった青空。なので、なにがなんでも『鬼』なのだった。 2月19日 今朝もちらちら雪が舞ってて綺麗。んでもさむーい。くちびるが白くなっちゃう。 うぃきに記されてるセカンドアルバムについての記述は「資金難を理由に制作を断念」てなってる。まあ間違ってはいないのだろうが、新月はメジャーデビューしてるのにも関わらず、これだとなんだか新月が自費でやってたみたいに感じるのはころだけかにゃ。 実際プロダクションの倒産があり採算も取れず、音楽会社との二年の契約更新の際、「新月/新●月」の五分の一の予算を提示されてしまい、この予算でセカンドアルバムを制作するのは現実的には不可能のため断念したのであって、「資金難」という単語ひとつでくくられてしまうと、すこーしニュアンスが違うと思うずら。この部分は花さまご自身が表現されている「原版制作予算の削減に伴い断念」という言葉をサイトとブログの両方に掲載しているのだが。 まあ、ころだけが勝手にむずむずして、誰も気にしてないかもしんないけどね。いかん、ひとさまが書いたものをあーだこーだゆっとる。もううぃきは見ないもん。 んでもって言葉ひとつひとつで、受け取るイメージって違ってしまうんだなと、自分でさらにはんせい。 そしてさらにさらに、自分でヒストリー書いてる事が怖くて怖くて仕方ないよぉ。文章がひどいのは今更なのだが、きちんと丁寧に伝える事が出来てるのか、どこかに事実誤認がないだろうかと、えーん、こわいよ〜、自分で始めて、自分で逃げたいって思う事がいつもいつも、ころちゃんは小心者。 んでもって、新月の音楽ジャンルって、「サイケデリック・ロック」なの?て、サイケデリック・ロックってなんじゃろ? 2月18日 今朝の雪化粧も綺麗だった。時間があれば『白唇』を聴いて行きたかったにゃ。 2月17日 2月らしい清潔なぴんぴんに張った空気にお陽さまのぬくもりが加わってきて、綺麗な雪化粧がだんだん溶けて来た。 タイムマシンがあったなら、この時の新月メンバーに言いたいにゃ。ファンはいっぱいいっぱいいたんだよ。それからいまもっともっとファンは増えてるんだよ。 2月16日 25日に!が高津さんとの合言葉で、どっちみちころちゃん、飲みは1時間くらいしか行かれないんだけどね。んでもって、ころ、すでにカンちゃんに居て、楽しく飲んでいて、ふと時計を見たらもう終電なくなってるーっ、でパニックになって目が覚めたりしち。ううう、夢で良かった。 んでもって、ころもフルセット(ラーメン+炒飯+餃子)は完食できないけど(そもそも頼めないけど)、ころの自慢は「味の大西」の「かつどん(カツが2枚入っている)を完食したことがある、えっへん。もう二度と出来ないけど。 やはり、うぃきのきまり?を見ると、あくまでも「出版物」に書かれていることを「絶対」的なテキストとするようで、ゆえに1994年のウエノさんの「バイブル」が、未だに正しくて、メインの出典をこの「バイブル」に拠って書かれてるからだなー。 うーん。どうしてもベラドンナとHALがいっしょくたになってるんだよね。HAL結成時、確かにベラドンナはまだ存在はしていたけど、すでにキーボードとベーシストが抜けて、すでに活動停止になってるし、そもそも、HALとベラドンナは音楽的にも別物とメンバーが言ってるのに〜。ここが一番むずむずするな。 つまり、メンバーがそう言ってるのにも関わらず、「バイブル」にはそう書かれていないから、こっちが正しい、って事になるんだよねー。 北さまが演劇を学んだことになってるとかね。確か中学〜高校時代に演劇部にはいたけど、それは別として、劇団には在籍してたけど、北さまはあくまで「音楽」をずっとやっていたんだってところを強調したいずら。 文中のHALオリジナルメンバーに、さくさまのお名前がなかったり、Serenadeには鈴木さんと同時に加入した小松さんのお名前がなかったりと歯抜けにむずむず。 HALが結成されてベラドンナというバンドは少し重複はしていたが(「ビックトゥゲザー」のライブに、ベラドンナとHALメンバーが出ている)すぐにベラドンナは解散してるし、1975年にはHALオリジナルメンバーから鎌田・桜井両メンバーは脱退していて、1976年の時点で津田・高橋両メンバーはすでに第二期HALであって、この時点でベラドンナの名を記す必然性は皆無。あーむずむずする。ころ、史学出身なので、ころだけがこういう部分にむずむずするだけなのかな。 (敬称略)歴史的にはベラドンナというバンドのメンバーだった高橋・津田が、その後鎌田・桜井とHALを結成し、OutOfContorolというバンドのメンバーだった花本・北山が、小松・鈴木・高津とSerenadeを結成した。その後両バンドのメンバーの高橋・津田・花本・鈴木・北山で新月が結成された、という直線的な歩みについて、複葉として、前身であったさまざまなバンドの名が記される。新月メンバーの場合、同時期に、いろんな複数のバンドをかけもちして活動していたわけではないからにゃ。 例外としてOUT OF CONTOROL時代に、一度だけ、違うメンバーで「新橋のビアガーデンバンド」というのがあった。ビアガーデンの意向を無視してユーライヤ・ヒープだけを演奏して一回でクビになったというバイトバンドがあったっけ。 それから小澤亜子さんをスカウトしたのは、べつに新月メンバーがスカウトしたわけではなくて、タケバさんだね。このあたりはころヒストリーでは、ブックレットに書かれている事だけ書いて、さらっとだけであまり触れないよてい、音源ないし。 ってひとさまの書いたものをあーだこーだゆーのは、ただの評論家になってしまふ。いかん、気になるなら自分でウィキペディア書けよってところだにゃ。 うう、ころが書いたものも、メンバーや関係者が読むとむずむずするのだろうという事を実感して、ころちゃん、さらに、いかに怖いことやってるんだとあらためて、思う。えーん。こわいよぉ。自分で始めた事なのに、時々逃げ出したくなる。 んでもって、はい、ころは黙って自分の新月ヒストリーを書きますです。 んでも、ウィキペディアにどなたかの手で「新●月」の項目がちゃんと立ったことで、あんしん。これで、いろんな人がいっぱい新月の事読んで、「新●月●全●史」を手に入れたいって声がいっぱい上がって、「新●月●全●史」を再発しましょうってなって、もっともっとたくさんの人が新月の音源をたくさん聴いてくれるようになると良いな。 新月。新月。新月。 2月15日 くすん、今年は、自分の分も含めてバレンタインチョコを買いに行かれなかっただ。イベントは気合入れて早いうちから準備しないといかんのぉ。 2月14日 プレバレンタインに北さまからヒロポンにCDプレゼントが着いたのね。さすがヒロポン、の感想が嬉しい。 2月13日 最近ころ宛てに写真を送ろうとして送れないという苦情多し。ううう、ころが悪いわけではないが、怒りモードがころへ。えーん。すかすいただいた「歌謡スタジオ 北花」笑える〜。あらためて、パーティの写真見るとたのし。 2月12日 一点の曇りもない『青い青空』。空見たらいきなり曲があたまの中に流れてきたよ。 駄菓子屋掲示板にQuaserの森田さんからライブ告知があるから見てね。 ヒロポンに聞いたけど、やっぱしU・Kのチケット争奪戦はほんとに激戦で、1日当たっただけでも、かなりらっきだったんだ。初日は夜遅いので、できれば日曜日か土曜日が良かったんだけど、そんな贅沢言えなかったのねー。友人も3日とも落選だったし。で、初日が当たったので、では一日置いて最終日と友人と相談して、今日の第二回抽選に申し込んだだ。当てにいくずら。すでに当選した15日だけど、あんまり後ろだと、ころはちっちゃいからなんにも見えないよ〜。脚立持っていくようかちら。 2月11日 北さま2月は恒例の佳境でおいたわしや。 2月10日 新月。新月。んと、んと。新月。新月。 2月9日 今朝のふんいきは『朝の向こう側』 もちりん、ころは手は出さない。ころが手を出すべきと、思ってる人もいるのだろうが、アプローチがすでに異なるしね。それに、こんな書き方、は、ころには出来ない門。んでもって、うまく言えないけど、ころなんかが地道に書いてるヒストリーなんか、手が届かないところに行ってほしいような気がする。 そして、あらためて、掲示板含めて「公式サイト」の存在というのは大切なんだなと実感した。ころサイトが、単なる「ファンサイト」になったことで、良かった。かも。 2月8日 今日は再び寒くなって新月日和になりそうだ。 2月7日 もあっとした気温に雨。およそ新月らしくない日だ。『雨上がりの昼下がり』になるかな? ただ、反対にバイブルとされていた雑誌媒体等にある事実誤認があった部分を信じてる人が、今、なんとか正しい記述にしたいと、ころが必死に書いてる部分を、たちまち古い情報に上書きしてしまう可能性があるので、いたしかゆしてんもうかいかいかゆみにムヒ(意味不明の上ムヒのまわしものにあらず)。 2月6日 ばらしてしまえ。「全県制覇パーティ限定CD」秘話。 パーティが終わって、会場を出て下のロビーで集合したら、さっきまで一緒に居たはずの高津さんが神隠しにっ。どうしたんだろうとみんなで思って待っていたら高津さんが「ごめんごめんCDに北山のサインもらおうと思って引き返しちゃったんだ〜」って、えー、高津さんいいなー。思いつかなかった〜でくやちかったりしち。 最初ケースにサインしてもらったんだけど、よくかんがえたらCDはプラケに入れ替えるので紙ケースは捨ててまうのでとCD本体にもう一度サインしなおしてもらったそうな。んでもって、ケースはいらないので、という事で、そのサイン付きケースをころがいただいただす。つまり、本体へのサイン付きCDは高津さんが、ケースへのサイン付きはころが持っているのじゃった。ころも、本体へのサインがほしいのぉ。 ヒロポンへのプレゼントはどっちにサインがつくのかな。 新しい新月、つさま曲が量産体制に入ってるなら、つさま曲いっぱいなら、それぜんぶ『朝の向こう側』みたいに、つさまが全部ご自分で歌えばいいんだ。 あとはそーだなー、ピーガブならゆるすかな。でも日本語はむずかしいだろなー、いくらピーガブでも。何を言ってるんじゃろ。 んでも2007年の公式発表によれば「そしてヴォーカリストについては、特にパーマネントなメンバーではなく、あくまでも作品の魅力を最大限に表現してくれるヴォーカリストに参加を要請する形を取って行きたいと考えています。 従って1回のライブで複数のヴォーカリストが参加するパフォーマンスも有り得るということです。」だから、誰に決まった、という事はないんだよね、きっと。てかいろいろ考えるよりも、ただ、遠い星で待つ。 2月5日 ヒロポンすごーい。くくぅ、ころはぜんめつじゃった。ころの滋賀県ものすごくいいところに接近してたのに〜。 2月4日 立春なのだった。んでも消失メールもんだいで、ころちゃんにはまだ春は来ないずら。昨日見つけたサイトのやり方でやってみて、これでダメなら諦めよう。これだけやってるわけにいかない門。くすん。ヒストリーがあっ。ウェキペディアにも手を出したい気持はうずうずだけど、それやってしまうと、なに一つ完成せずになってまう。んでもってウィキペディアは英語版Shingetsuの方が詳しくいっぱい書いてあったりしち。読めないけど。 あれから検索かけて、これかも!というサイトをふたつ見つけ、夜はもおビール飲んじゃったので、今朝からやってみて復元できたー(大喜)。 ちんぷんかんぷんだったんだけど、北さまのお知り合いの方に作業前に拡張子や隠しフォルダを表示しておくようにとか.dbx拡張子の事とか事前に教えていただいていたおかげで、手順がだんだんだわかってきて、なーくしたーファイルが戻って来たのを確認したときは嬉しくて声に出してしまっただ。んでも、最初せっかく復元できたのに、間違ってフォルダごと消してしまい、タイムマシーンでたちまち過去に戻ってしまったりと、なんだかんだで3時間かかったが、出来たよおおお(嬉)。むろん全てが完全に復元できたわけではないが、とりあえず必要ないくつかのファイルだけは手元に戻ってきて、感涙。 これから、不要メールはすぐ削除して、こまめにバックアップを取る事が大事と実感しただ。こりで心おきなくヒストリーに専念するど。すかす、この立春の天気の良い日、ころちゃんてば。んでも、昨日残った豆で「福はうち」「鬼もうち」にしたので、鬼に助けてもらったかな。 まあ早々ころとおんなじ目に遭う人はいないかもだけど、一応参考までにリンク張っておくね。 OutlookExpress最適化で消えたメールを復元 Outlook Express 受信トレイのメールが消えた 2月3日 つさまが量産体制に入って曲がどんどん、どんどん。わあ。それにやっぱし冬寒いと新月は元気なのかちら。 アンチンボルドのお野菜とか火とかの一連のシリーズも好きだけど、「みかけハこハゐがとんだいいひとだ」に、軍配を上げてしまう。「金魚づくしぽんぽん」も可愛いのなんの。でもおたまじゃくしのおねえちゃんが、なんで金魚なのかなって、ヤボなはなしやね。 どうやら原因は、OutLookexpressが勝手に行う「最適化」のタイミングと、ブレーカーがとんで強制終了してしまったタイミングが合って?ファイルが壊れてしまったためらしい。bakという拡張子のファイルがすべてゴミ箱にあるのを見つけ、元に戻せばいいやと、素人のくせに「元に戻す」にしてしまったが、元に戻らず。拡張子をdbxに変えてみたけど、インポートできず、メールとして認識してくれない。ここでもうお手上げ(号泣)。 さらにさらに、パソコンいじりながら、蒔く前に、今日の節分の、ま、豆を食っちまっただ〜、えーん。 2月2日 2と2が並んでにゃんにゃん。 2月1日 もうじき鬼の受難日だけど、鬼も内、って言ってあげるからね。 1月31日 むむ。沖縄でも新潟でもなかったか。 1月30日 さむーい。んでもって、もしかしたら消失メールに救いの手が。んでも、録音編集をちくちくとされている方々には、メールくらいでさわがないように、と思われるかもだけど、ころちゃんには、大問題なのだった。 それはともかく、このヒストリーに使ってるブログ機能がバージョンアップした、と自慢げだが、真逆で(かなり苦情があるらしい)、いままでさほど問題はなかったのに使いづらい。改行スペースなど、読みにくいのはころの文章力だけではないので、すんません。 デザインだけは気にいっているんだけど。いずれにしろ、ちゃんと纏めてからの話なので、こられえてくんろ。 1月29日 駄菓子屋掲示板に、水鏡、破畜のライブ告知があるから見てね。すかす、U・Kチケット争奪戦。勝ちぬかねばっ。 1月28日 すかす、ころ能の、前段では睡魔に襲われ、間違いなく5分は逝ってたと思ふ。だって夢まで見てたもん、気付いたら、茂山七五三さんのアイが始まってたしりしち。能を観ながら寝てしまうなど、かつてなかったのだが、前回に続き二度目やね。でも充分睡眠をとったおかげで(ほほ)すっきりして、後段は集中して鑑賞できただ。 「清水」は鬼をテーマのお話だった。七つ下がりの日暮れ時に鬼が出る。 「難波梅」。ツレの梅の精が後半、木花咲耶姫の姿になって、宝冠に小面に綺麗な衣裳で舞う姿がもう、きれいきれいで、春。は〜、良かった〜。シテの梅若玄祥さんの舞は重厚で品格高くて1月の締めくくりにふさわしくどっしりと満足。 1月27日 消滅したメール。くすん。すっぱり諦めて、前に進むかもう少しもんどりうつかだなー。くすん。 当時の新月について、ヒストリーオブジャップスプログレに記載されたものが全ての基本テキストになっていて、これを事実として元にして書かれた文言がライナー等へ「史実」として、多くのファンが目にしている。 ころがヒストリー書こうと思ったのはいろいろ理由はあるけど、新月メンバーに確認したところ、このなかに何箇所か事実誤認の部分があり、このあたりを正確に記録に残したい、というのが、強い動機のひとつやね。 んでもって、ウィキにころが新月の事を掲載するにあたって、出版物が重要な参考文献で、それを元に書かれている事が条件である、という事なら、ころがウィキに書くこと自体、記録物として、本末転倒になりかねんのぉ。 なぜならば、仮に、ころちゃんが、いっしょうけんめい(文学バンドのメロディ?で)精査したヒストリーをウィキに纏めたとしても、出版物である参考文献と異なってる、と思ったファンの人に「編集」されて古い情報を上書きされては、意味がないもんね。なので、まずはとにかく、ころちゃんは、ヒストリーを完成させる事だけ考えて、ウィキのことは、いま考えないでおこうと思ふ。 1月26日 消滅したメール。くすん。 1月25日 な〜くした もの〜なら〜 た〜く〜さん あると〜♪。メールが全て消滅しただ。困ったなあ。資料でもあったのに。ショックのあまり、激やせ(大嘘)、立ち直れず。まわりにパソコンに詳しい人がいないのでくすん。 スライドショーの中に、新潟の「イタリアン」の写真が出てきて、新月掲示板で話題になった時、ヤスさんやいろんな方から情報いただいたのを思いだしただ。美味しい、いや、けっして美味しいわけではない、と新潟県の意見が分かれながらも、つまりは新潟県民の「スローフード」です、っていうのが結論だったね。 「特筆性」の条件を全く満たしていない、のが理由だ。ネットで検索しても資料がない、というのが心外だが、それに対し、新月を全く知らない編集?の方二名が公式サイト、ファンサイトを読んで、調査するような姿勢を示していた。音楽家本人(団体)から離れ、自費出版でない出版物やメディアに取り上げられている実績、がどうやら「特筆性」のガイドラインらしい。 興味深いのは、新月の音楽云々についての議論ではなく、このウィキペディアという百科事典に掲載される条件を満たしているかどうかを新月を全く知らない人が、新月について、調べる、という事実だ。この一件で、全く違う方向から客観的に、新月へのアプローチが行われるという事が、なんか、いいかも。 1月24日 誤字とか脱字とか直したりして、パーチーのレポートちびっとだけ加筆しただす。すかす、あらためて、北さま、天才なんだなあ(しみじみ)。 1月23日 今日は新月。それから「お地蔵さん」の日でもあるにゃ。 んでも新月掲示板からリンク貼ってるフォト山さんのサイトに、プロのフォト山さん、世良田さんの写真が掲載されているので、肝心の写真をこちらをみんなダウンロードするからいいよね。 あと、北山ご夫妻はなさま高津さんと、ころと一緒の写真を、山口さんに撮ってもらってきれいに撮れてるんだけど、これは、なんとなく、アップするのをやめただ。 新月関連ファンの目玉は、やっぱし、ステージの北さまとアンプ調整するはなさま高津さんのせなかであらう。うん。クライミング関係のプロの方々の写真にはこの写真はない。ころサイトだけの特典よの、ほっほっほっ。ってクライマーの方々のきょうみはひかないわなあ。 曲順、のところで、いつぞや新月掲示板で「今セカンドアルバムを作るなら?」って北さまからの提案があって、北さまはなさま案を紹介したいところだが、ヒストリーからは逸脱してしまうので、「今この曲順を並べるなら」にとどめて、ガマンしよう。 ブログには、デビューも書けなかった。のに、一気にリアルタイムでの第二期新月ラストコンサート「ラフォーレ原宿」のオーディエンス録音を聴く。この部分書くときのもんごんも、もう決まってるんだ。 『殺意への船出PART2』ではじまり、『鬼』で終わっている。この「曲順」も、きっと意味があるんだと思う。 「この曲をやろうぜ」から年月を経て今この時点から未だに進化し続けている(はずの)未完成の曲から始まり、おなじくSerenade時代にちらっと姿を現し新月で完結した曲で、コンサートは終わっている。 ・・・。 感傷的にはなってない。ころ、確かにこのコンサートをこの目で観た、聴いた。 ここから30年以上、横たわる歳月の存在を、数日前に、確かに確信した。 変化、進化、多様が綾なす。 が、決して変らないものがある、という事がある、という事も確信した。 新月の、ファンで、良かった。ほんとうに、良かった。 今日は、新月。 1月22日 あらためて、昨日のパーティは、クライミング界ではそうそうたるメンバーの皆さんが参加されていたわけで、クライミングやっている人たちには、たいへんな集まりなんよねー。 BGMの北さまソロ以外に、流れてきた曲が、あれーこれなんだっけ?と、わかんなくて、山口さんに聞いたらひと言で「フォーカス」。あ、そか。なんでフォーカスだったんじゃろ?それから、クライミング、ラーメン、音楽、って紹介されていたけど、あと仏像、がなかったにゃと後から気付いたころじゃった。 北山真 ルート開拓全県制覇記念パーティ 1月21日 昨年夏、観世喜正さんの大輪の花が舞台上で咲いては舞うような「巴」を観ているので、今回宝生流の辰巳満次郎さんの「巴」が、どう舞われるのか興味があったので、能楽堂のチケットを流してしまったのは残念だったが、昨日夜遅く帰ってきたら、さらにヨレヨレに違いないので、こりで良かったのだ、うん。 79年の青年館ではなくて、今回はクラブチッタだそうだが、コンサートではないけど、今日33年ぶりに日本青年館に行くことになるなんて、なんかふしぎ。 迷うとたいへんなので、おまわりさんにしっかり道を聞いて迷わずついた。U・Kのコンサート以来の日本青年館なのだった。 前日までじぇんじぇん関係ないことでメールやりとりしてたのに、高津さんもころも、お互い参加というのを、お互い当日知ったので、2人でビックリ。 後ろの方の壁際にでも目立たないように、ひっそりといればいいかと思っていたら、「音楽関係者」はなんと一番舞台に近い席にかたまるようにというお気遣いを、主催者側からいただいてて、知っている方たちと一緒に居られて、あんしんでほっ。 はなさま高津さん山口さんインカの皆さんと、クライミングの世界を一緒に垣間見る事が出来て、歓談タイムも楽しかった〜。高津さんとおたけさんとお話して、高津さんが還暦というのもビックリだけど全く見えない高津さんの若々しさにビックリで、あと「目の前で見た、高津さんのお姫様だっこかっこよかった〜!わー、目の前でお姫様だっこ見られて感激でしたー」ところが言ったら高津さん照れ照れで困っていたとか(あれ、これ書いちゃいけなかったんだっけ)とか、通称グルメトリオのイタリア旅行の写真を見せてもらったり(あのお船と同型?のお船もで、えーっ)。 お料理はたくさん種類があって、高菜のチャーハンとかワカサギのフリットとかサラダとかホタテのローストとかやきそばとかビーフシチューとサンドイッチを食べたけど、お寿司もピザもお蕎麦も食べなかったと後から気付いた。デザートはプチケーキ2種類とフルーツポンチを食べただ。 企画は北さまの歌にスピーチにスライドショーにゲームと、3時間、あっという間だった。 クイズタイムは、北さまがころに、カンニングをしてくださったのだが、なぜかそれが違う回答になってたりしち。音楽関係では、はなさま、こぐまさんの奥様、高津さんが賞品ゲットされていただす。 すかす、北さまが『ブーツのかかと』を歌っているさいちゅう、はなさまがアンプを調整されていたのだが、音がどんどん、はっきし言って、なぜかよくない方向に変ってしまい、北さまがはなさまを見る目がどんどん例の横目にらみの表情になっていったのがおもしろかった(しつれい)。 それから、青子さん(やっぱし新月ファンには「よひら青子さん」なの)とお互いに言ってたんだけど、これが自分たちが知らない「クライミングの世界」の北さまなんだね。なんか、なんか、すごくふしぎ。 ころの中では、やっぱし、あのラフォーレから、ばっさりと無くなってしまい、そこに横たわる長い年月、をしみじみと感じただ。 参加者へのおみやげは限定CDでうわーい! このパーティの写真は、フォト山さんが数日中にアップしてくださるとの事で、たのしみ〜。 1月20日 そういえば、元旦の日は、小田原で地震があった。 なにを受けての、そういえば、なのだろう。 もうすぐ 新月。 全部で平塚には三店舗あるんだけど、寒いので駅から2分の駅前店に入る。 昨日昔からの呼び名「花水ラオシャン」と書いてしまったけど、「老郷(ラオシャン)」が正しいのだった。さらに書き忘れたけど、このタンメンは「すっぱい」のだ。んでもって、今日久しぶりに行って出されたタンメンを見て、さらに訂正。トッピングの大量のワカメが漂っている、のではなくて、大量のワカメが麺を覆い尽くしているのだった。透明なスープ、たまねぎのみじんぎりにメンマもまんまやね。ふふふのふ。たっぷりラー油を入れて、いっただきまーす。 大学一年の時、合宿してた宿のすぐ近くにあった秦野店(おばちゃんが一人でやってた。今はもうない)で初めて食べた時以来、かれこれ数十年前から食べているのだが、毎回必ず思うのが、おいしいのかまずいのかよくわかんない。わかんないのだが、必ず完食してしまったりしち。 で、ラオシャンのタンメンは好き嫌いが激しく分かれるたべもので、一回食べてはまってしまう人と、一生食べたくない、とトラウマ(?)になってしまう人と極端なのだった。 ラーメモでは評価不能、なので、もいっかい開拓王に是非召し上がっていただきたいと、元平塚市民は思うのであった。 誰にもわからない。」 むずかしいことは、なーんにもわかんないもん。新月をだいすきでだいすきでだいすきで好きで好きで好きで好きでたまらなくて、だから新月を聴きたい、って、いっしょうけんめい思ってるファンのひとたちが、いるだけじゃだめなのかにゃ。 もうすぐ 新月。 1月19日 で、ロックアンドスノーだが、明日から寒くなって雪が降るらしい。ふぇぇ、ころちゃん、明日千駄ヶ谷だがやで、能狂言の予定なのだが、えーん。 1月18日 なーくした ものーならーたくーさん あると〜♪のくりかえしがじんせいだが、北さまのなくしものが裏ワザで無事解決してよかった。よかった。 というわけで、あたまのなかは、エンドレスで、『鬼』。 んでもって、ラーメモでも評価不可能の平塚「花水ラオシャン」について知らない人に、ふたたび解説しよう!透明のスープ、白いふとくふんにゃりした麺のタンメンで、トッピングはそこに漂う大量のワカメ、そしてたまねぎみじんぎり、メンマ。これまではふつうだが、ポイントはとにかく「ラー油」を入れねばならない、ゆーところやね。 、体調悪い時に、もしも東京に住んでいたら、これ食べたらすぐ治るのになー、と思うのが谷中の「じねんじょ」の薬膳カレーだなー。そりからorionで紹介されてから行ってみた赤坂の「赤坂一龍 別館」のソルロンタンなんだけど、そういう体調悪いの意味ではなくて、二日酔いのダメダメの時に、めちゃくちゃ食べたくなるたべものなのだった。すかす、あれれ、ころちゃんが読んでるのはロックアンドスノーなのだがなんで食べ物の話に??? 新月曲名以外にものすごく気になるルート名は、2003年の「路傍の石」かのー。なんとなく目頭が熱くなってきただ。 1月17日 今日という日に被災された新月ファン(というか有名なプログレファン)が、ちっちゃなお子さんたちを連れて何度か新月セッションにリスナー参加してくれた。生れた時から新月聴いてるゴン汰くんとジェネ子ちゃん。幼稚園児のジェネ子ちゃんが『鬼』が始まったら大喜びだったね〜。リアルタイムファン、後追いファン、解散後に生れたファン、二世代ファン。ずっとつながってるんだよね。 1月16日 『殺意への船出PART2』。遠い星で、待つ。 1月15日 さらにその彼女から、いろいろ新月の事を聞きました!、と、いっこいっこ確認メールがくるのが、ころのミーハー心もそそるし、かわいいし、嬉しい♪ 「北山さんは登山や演劇もやっていたんですね?」とか、「花本さんは漫画家でもあったんですよね!」「ぶたまんが(この誤読はおやくそくだよねー)って漫画を描いていたんですよね?」とか、「新月の前身バンドはアストゥーリアスっていうんですよね?」とか、全部微妙に違っているところがコソバユくてたのしい。もちりん、いっこいっこちゃんとお返事してるずら。 『少女』が気に入っていて、入っているCDを手に入れたいと言っているそうなので、LIVE1979が発売されていてその中に収録されていますよ、とご連絡した。 『少女は帰れない』の事を『少女』と言っているのでYOUTUBEでこの曲の事を知ったんだよね。持っているのが「新月/新●月」だけという事は『赤い目の鏡』も『殺意への船出PART2』も聴いていないという事だよね。もしLIVE1979を入手して、聴いてくれたら、感想が楽しみだな。 んでもって、いっこいっこにお返事を書きながら、今日挙げたこのしつもんて、つまり第三期以降の事なので、ちょうどこれからころが書かねばならないヒストリーにも関わってくるので、そうか、そうだ、といっこいっこころ自身のおさらいにもなってる。 あらためてこの33年の月日の膨大さとスケールを感じる。と、同時に、あっという瞬時の時間でもある、という事も。 1月14日 今朝はずっとずっと『殺意への船出PART2』が流れてた。 1月13日 先日のメル友が、知人の新月ファンが好きな曲はこれです、と教えてくれた。『鬼』、『せめて今宵は』、『雨上がりの昼下がり』、『少女は帰れない』だそうな。そか、女の子でも『少女は帰れない』が好きなコがいるんだなーと少し反省(何を?)そういえば新月セッションでも演奏者に人気のある曲だしね〜、と少し反省(何を?)。おかげで今朝からずっと『少女は帰れない』が頭の中を流れていたりしち。すかす、この曲が本当にシングルカットされていたら、どうなっていたのだろう(って歴史的には言ってはならない事だが)。 1月12日 高津さんと先日からちびっとやりとりがあって、ぷぷぷ。高津さんはパワー全開でげんきだ。ころ、年末から、ちびっとエネルギー不足なので、げんきもらって嬉しいなー。 1月11日 111と並んで綺麗な日だ。 そういえば、参加予定されていた新月セッションも、直前でお仕事が入りキャンセルという事があった〜。 小松さんとリアルにお会いしたのは2006年の新月コンサートの時ほんの一瞬、お会いした事があるだけで、あとはお電話でしかお話した事がないんだけど、なにか「くすくす」ってきもちが、湧き上がってくる。あったかい。 というわけで、オフにも、しつこくお誘いするので、みなさんお楽しみに。最後?のなぞの新月関連メンバーだよね、小松さんは。お話できてほっとした〜。あったかい。お元気でなにより。 1月10日 あしたは111と大好きな数字が並ぶ縁起の良い日で、鏡開きの日なのだが、年末年始を風邪で寝込んだころちゃん、111を迎える前に、今度はバランスを崩して転倒虫の三馬(意味不明)、全体重が右腕にかかって腕があがらないという惨事になっただ。みなさん気をつけましょう。ううう。 昨日成人式で、通勤途中にもいろいろ振袖のコを見たけど、折角の古典柄に、いま流行の盛り髪でなくて、髪をきちんとアップして古典柄の振袖姿のコ見てほっとしたとたん、そのコが立ったまんま、手で口もおさえずにおおあくびした姿にがっくりしたところで、テレビに映った澤さんの、なんて潔くて凛とした着物姿だったかと、気持もすがすがしくなった。澤さん、本当に素敵な人だなー。 1月9日 にゃるほろ。銀笹はスープを飲みにいくところだったのかにゃ。ころは、ただがつがつと食べるのみじゃったが、開拓王はひとつひとつじっくりと味わって分析されながら召し上がっていらっしゃっただ。ここがしろうととちがうところやね。 1月8日 なんか、あのスープのおいしさがまだ漂っている。しょっぱくなかったら飲み干したかった。ラーメモ評価がたのしみ。 んでもって「松前漬け」うまっ。あさごはんにいただいただ。スルメと麹が絡み合ったところが特にうまっ。ピークぎりぎりゆーところがまたうまいやね。 なんか、知り合いなのに、新月とは無関係だった人が、全然違うところで「新月」の音楽と出会った、ところがなんともふしぎ、で嬉しかった。 1月7日 体調はハナがたれる程度にふっかつなのだった。七草ガユにお餅も入れて、これでかんぺきにふっかつなのだった。 今朝の「カーネーション」はきつかった。糸子ちゃんと戦災孤児の女の子。朝からぼろぼろ。 んでも狭い店内は清潔で紙エプロンとかこまごましたものが用意されていて、なーんだ、新年会もあったので、ほんとは着物着ようと思っていたんだけど、ラー食べるならとふつーのフクにしたんだけど、これなら着物でもよかったにゃ。時間ずらしていったのに、ぞくぞくとおきゃくさんが。ちょうど良いタイミングで入れただ。おしぼりがちいさな籠に立てて入れてあったり、いい感じ。 別皿で、後で自分で入れてくださいと、別皿になんかのお野菜を揚げたチップと細かいお海苔が供される。自分で注ぐ麦茶のポットの使い方がふめい、って、開拓王に注いでいただいちゃったんだけど、こりはなぞ。 スープはかなり魚介が強いが、コンセプトの「和の椀」て言葉が浮かんで、いいかも。綺麗な透明のスープにトッピングがいっぱい入ってて、水菜はあんまりいらなかったようなが気がするけど、つみれがふたつも入っていて、これはなかなかおいしかった、あとメンマにチャーシュー細い糸のようなとうがらしも入ってるし。麺がもうすこし固いところちゃんにはおっけなのだが、ちびっとこのスープと麺の相性はどうなのかなー。 どんぶりに注ぎ口がついてて、このスープを鯛めしにかけるのが正しい食べ方だそうだが、しょうじき、スープがころには、かなりしょっぱくて、その口直しに鯛めしを食べて、ほっとしたりしち。しょっぱかったけどスープおいしかった。 美味しかったけど、あとからかなりお口がかわくくらいしょっぱいスープだったのと、麺がなんとなくふにふにしててあれれだったのと、水菜が入っていたので(水菜じたいはすき)ころちゃんは★いっこ。こりはころの★なので、開拓王のラーメモ評価がたのしみ〜。 すかす、すごい人気店で、時間をかなりずらしたにも関わらず、同じように時間をずらしたお客さんたちがぞくぞく来店なので、食べ終わってとっとと出る。こんどは塩にして半鯛めしにスープを注いで食べてみたいもんじゃ焼き。あの相席の仕方は少しつらいかも。 1月6日 体調ふっかつなのだった。ヒストリーもちびっとづつ書いていくのだ。げんきなのだ。ころちゃんはげんきがウリなのだ。 1月5日 昨年は新月関連としては高津昌之with T-Friendsのライブが3回もあって、ゲストにはなさまが2回参加されてキーボードを聴く事が出来た事、さらに、ワンマンライブでは、はなさま、北さまゲストで、高津さんのギター、はなさまのキーボード、北さまのボーカルという夢のような演奏が実現した事が嬉しかったにゃ。 それから、音楽の世界から一旦は離れた北さまが、クライミングの世界に入った理由として 「それはロックを極めるためです。言い換えればロックを超えるため。超えるためには登らざるを得ない。有名なロックンロールの曲にロール オーバーベートーベーンという曲がありますが、正にその心境です」 と、ファンサイト開設当時、ころの質問に答えてくださったんだけど、昨年、「ルート開拓全県制覇」という偉業を達成された。 「LIVE&RECORDS」に高津さんが寄せてくださった「新月メンバーについて」の中で、北さまを表した言葉に「彼をひと言で言うと…『すべてを超えた人』 たとえば宇宙というものをひとつかみで捉えている、といった大きさを彼には感じる事がある。」と、いう印象的な文章がある。 この時から約8年経って、北さまは、じめんをその手で足で踏みしめながら天に近づいて行って、宇宙をひとつかみにしてるんだなーっ、て。ロック&スノウの日本地図を見て、そんな風に、ころ、思っただ。 うーん、フォノジェインタビューをどんなんだっけと、ちらっと読み返した。2006年当時にすでに纏めたのだが、そのままお蔵入りにしていたもの。で、読み返したら、あくまでつさまインタビューなので、こり、つさまの一人称で纏めてあるんだよね。 でも、この原稿は、すでにつさまはなさまの「赤」が入っている。そのおそろしさを背負って、ぱあのころちゃんなりのスキルで最大限に、伝えていかねば。 今迷っているのはね、レコーディングの部分をブックレットから引用すべきか、それとも単にさらっと記述するべきか。後者で良いのではないかと思っている。だって、レコーディングへの思いは、バンド経験がない人以外は書けないのではないかと思う。つまり、この部分は、ころの言葉では書けないと思う。 おそろしいのは、ちゃんと赤をもらって検閲してもらった原稿を、そう、つさまからも、当時「ころんたさんの言葉で纏めてください」といわれたまま止めている事をどう、纏めるか。えーん。 ずっと新月、HAL&SERENADEを聴いていて、やはりついつい、聴きに行ってしまって、手が止まってしまう。OutTakesの『殺意への船出PART2』は、相変わらず切ないにゃ。そして「遠き星より」の『殺意への船出PART2』。これから、どこへ、行くのかな。 1月4日 すごいのはもう4日も経ったのに、まだ新月を聴いていない。別に新生新月を聴くまで、封印してるわけではないのににゃ。新年早々ダウンしてるからかにゃ。 ころちゃん、体調回復してネジまかねば。歴史が現在に追い抜かれてしまう。新月セカンド、真○月、HAL、そしてもしかしたらPhonogenixも???わーん、ころちゃん、すぐそこの未来との競争だ〜。 1月3日 誰とわいわないが、ノリが悪いと、新年早々ののしられる。くくぅ。だいたいイナカの子には体調不良で上京するだけでたいへんなのだ。ダウンしているものはしかたないのだ、ノリではなくて、タイミングなのだ。まあいいか。他のうれしい事もあるしでえへへ。 それはともかく、いつもなら沿道で応援してる箱根駅伝復路を今朝はソファでごろごろしながらテレビで観戦なのだった。とにかく今日は体力温存のために、家でじっとしているのだ。なんで新年早々ぐちなのだ。箱根寒そう。 もう新月ヒストリーと新月ニュース以外のカテゴリはいじる事はなく固定だから良いものの、ヒストリーは一旦全部新たにバックアップを取った上で全て編集しなおさねば。正直ヒストリーは全て、ブログではなく、サイトに掲載すべきものなのだが、ヒットしやすいブログに途中まで連載しているので、ブログ掲載を止めるわけにはいかない。新月本体が録音と並行して音を固めてるというので、それをヒントに、エディタで下書きしながらそれをブログにアップして完成(ってまだまだ未来があるがとりあえず現在までだが)したら、サイトに一気に掲載、というもくろみ。まで考えていたら、いかん、発熱の街角になってきた。ふたたび寝正月。ううう。 1月2日 年末に喉がいがいがして、元旦からダウン。毎月一回風邪をひくというお約束を守ってるころ。んでも、毎年どおり箱根駅伝の第4区の応援に行って、元気をもらっただす。 テレビ中継を見て、そこから沿道へ行って応援して、またテレビ中継を見るのが恒例だす。 日大は今年出場せずで、青学の奮闘がすごかった。ころの母校が青学に抜かれるのは、フクザツな気分じゃった。 劇団インカ帝国の皆さんの母校東洋大福島いわき市出身の山の神の快走もすごかったけど「自分が苦しいのは1時間ちょっと、福島の人に比べたらきつくはなかった」というコメントも素晴らしい。 反対に最後を走る東農大(母校である新月ファンもいるね)の選手が、途中ブレーキになりながらも(一緒にテレビを見ていた母が、親御さんが〜とか呟いていた)、絶対に諦めないで、最後まで走り続けて(でも放映時間切れでゴールするところまでテレビ中継されなかった。えーっ。)、ゴールした姿をニュースで見て、良かった、感動した。 すかす、スポンサーのご好意ってないのかなあ。寒い箱根の沿道で20分以上ブランクがあったわけだけど、もちろん帰る人なんかいないすごい応援で、現地に行かれない視聴者は、彼がゴールに着く瞬間を見たいのにねー。 すかすこれで4ヶ月毎月風邪をひくころちゃんて、ころちゃんて・・・あっ、ぱあじゃなかったのかも! 1月1日 今年は新月メジャーデビュー33年なのだ。何かが起こるか。たぶんたぶん、わーい!!を連発できる年だと思うよ、うんっ。 お天気は良いけど、不意に思い出した、というか昨年書き忘れた事がいっこあった。 24日の能楽堂で観た「山姥」の中に「鬼一口の雨の夜に」という詞章があったっていうこと。なんで、これを元旦に思い出すのか、ころも、よくわかんないんだけど。 HOME 2003年の日記 2004年1〜6月 2004年7〜12月 2005年1〜6月 2005年7〜12月 2006年1〜6月 2006年7〜12月 2007年1〜6月 2007年7〜12月 2008年1〜6月 2008年6〜12月 2009年1〜6月 2009年7〜12月 2010年1〜6月 2010年7〜12月 2011年1〜6月 2011年7〜12月 |