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6月30日 うん。短くて残念だったけど(アンジェラさんと、えー。もうおわり?っておもわず顔を見合わせてしまった)、やっぱり玉ゆらすごかった。幸せ。 すかす、ころオフ音源を一度聴かれたというつさまが、『風の橋』が、なんか曲がロックになってる・・・とおっしゃっていた。うっ。でも、つさまが聴かれたと掲示板で教えてもらったので、てっきりお持ちかと決め付けて、つさまにお送りしなかったのだが、ふと、もしもお持ちでなかったら、北さまがCDRで聴きましたって書き込んでくださったのに、なぜわたしには、送ってこないのだろう、ころんたがいぢわるをしてるのでわ、と思っていられるのでわないかと、さちさんの分といっしょにお持ちしたのだが、よ、よかった。 しかし、ころオフの時ははなさまと、昨日は、つさまとファンがお話していたんだけど、先日の宵の明星さんレポートではないけれど、(新月について)どうして誰も聞かなかったんだろう?だね。そうなんだよね。 ショパンの事情のけつろんは、ころが、一日くらいライブで熱狂しても、落ちないようにふだんからきちんと試験勉強をしておけばいいんじゃないの?とかあちこちから言われた。うううううう。 しかし、ころんたは、たんに新月が好きないたいけな少女だったのにねー。 昨日も、玉ゆら会場に来ていた何人かで、演奏者が来てくれる人たちがいるので、あとは、ほんとにリスナーのひとたちにも、なるべくたくさん来て語ってほしいねって、言い合っていた。 しかし、掲示板に告知しても、なんでいつも静まり返って、みんなメールなんだろー。とほほ。 きょうはまだしっけと低温だけど、あのうだるような暑い夏のいつかの日、新星堂に走って買ってきたあのLPを、『鬼』を聴いて、『雨上りの昼下がり』でB面にして、『白唇』を聴いて、『せめて今宵は』を聴いては、また、『鬼』から聴いたあの日々を思い出す。 6月29日 あ〜。富士山の定点観測の「霊峰冨士」とか、宇宙から地球を見つめる「地球のきもち」とか、すでに、つさまが10年以上前にもう音楽でやってるねー。 そういえば、先日若いドラマー「は」さんが参加してくれた時に、『赤い砂漠』やりたいって言ってくれたんだけど、わたしが「第三期新月」というのに、お返事に「?」マークがついていたっけ。 わたしたちが通常「新月」と言っているバンドは(あくまで時系列で説明する時に便宜上という意味で)第二期新月なので、紆余曲折期間が「第一期」とされていることを知らない人は、第三期新月、と言われると、なぜ三期なんだろうと思うかもしれないね。 ああ、そうか、ころオフでの、「新月とわたし」は、きっと2004年のSNOWパーティで、すでに、あちこちファンの間で交わされていたにちがいない。ファン同士がリアルで出会ったのも、ここが初めてだったから。 LIVE&RECORDSのレポートにも書いたけど、『光るさざなみ』が、初めて目の前で演奏されて、それからなんと『まなたす』、そして『島へ帰ろう』『ブーツのかかと』が、演奏されて、新月がほんとに、これから復活するんだって、実感を、あの場にいたファンは確信できたのだから。 そこから、本当にいろんなことが、実現して、ついに新月が復活コンサートやって、それからまたまたいろんなことがめまぐるしく変化していったなー。 スイッチを押したのは、「コンサートではなくて、あくまでパーティですから」と、この時、北さま笑いながらおっしゃっていたけど、やはり、新月メンバーが全員ではなかったが、24年ぶりに揃って現実にファンの前に姿を現して、演奏したんだから、このパーティが、いろいろ水面下で行われていたことを、表面に押し出したスイッチの役を果たしたと思うんだ。 いやはや、HAL全曲目解説での『サー・ボーデンハウゼン』の「最後の1行」について、ゆっくり考えよう・・・などと書いた日記は、もうずいぶん以前でそうれ以降考える間もなく、またどんどんいろんなことが、ファンの演奏も含めて、新月周辺で起こり、早くもHAL&RINGセカンドか。 置いていかれてなるものか。 6月28日 うっ。25日の日記の冒頭を読み返すと、souxouquitさんがまるで距離を置いたファンみたいな書き方になってしまっているようだ。自分の文章力のなさで、souxouquitさんのイメージがなんだかちがってしまうではないか。すみません。 「新月/新●月」について書かれた去年の日記に感動してリンク張らせてもらったんだけど、ほとばしる情熱はおなじ、ただ、そのスイッチの押しどころが、ころみたいに盲目的ではなくて、大きな視野で捉えられるんだよねー。6月7日の日記に追加された文を読んだら、前回と同じく、憑き物がまた落ちたそうで、よかった、よかった。 ころも、じぶんなりの感想を書こうと思ったけど、峯田さんが書いてくれた、ボリュームの例で、そういうことなのか、ってなんとなくわかるけど、やっぱり、「わかったふり」になってしまう。 むむ。つさまの「玉ゆら」と「HAL&RING」の告知と報告で、みんなほっとしていたりして。でも、新月メンバーお三方のアドバイス、そして北さまの「植物界之智嚢」のリリースにつづき、告知と嬉しいしね〜。"Alchemy"とは少し趣が異なるという、つさまのお言葉に想像力が働くね! 玉ゆら結成、北さまのソロ、そして、HAL&RING第二弾がついに始動。 変化とは動くことで、メンバー誰も、とまってないじゃん。ここだね。 ファンのなかでも、ごく一部の人たちが、先日の新月セッションで、新月的なものを同じ空間で共有し、そして、やはり、そこにはなさまがいらしたことで、「安心」したと思う。 そして同時に、症例ちがいの「新月病」は、あの場にいなかったファンの人にも、良い意味で感染しているのではないかと思うのだ。 「参加できなかった人にも無意識レベルでエネルギーが伝わっていると思いますので、それを感じていただければと。」 のはなさまの言葉が、またあらためてわかるね。 さて、空元気はあと5%だが、これは本家の姿を見るまでは、空元気のままだろう。でも、ころには、それまで、空元気できるエネルギーが充分ある。 新月を聴いているから。「新月/新●月」の『鬼』があたまのなかに流れる。 やだ〜。12月の中ごろ会社のめいれいで、たいして役にたつ資格でもないが、試験うけなくちゃいけないんだもん。11月後半にライブなんかこまるっ。だからまだ決まったわけじゃないんだってば。でもでも、諸般のじじょうって・・・なんだこのふくみのある言い方はっ。どれもこれもこまるっ。 またまた、SNOWパーティのことをやたらと思い出す。LIVE1979はもう9月に出ていて、それから3ヶ月、メンバーがまず3人で、ファンの前に現れた最初で、Metagaiaのこととか、新月ライブのこととか、新月BOXのこととかアナウンスされて、あらゆる新月的動きを目の当たりにしたスタートだったからかな。 あしたは「玉ゆら」なんだけど、なんだか、限定アルバム聴いて予習しないほうがいいような気がして。しかし、そうか、HAL&RINGか。HAL、じゃないんだな。 6月27日 あ〜、ついに演奏者からのコメントが!よ、良かった〜。峯田さんが書いてくれたー。だって、ころにぜったいにレスできないもん。若者らしくすがすがしい。目からウロコと言ってる。やはり、実際に演奏する者でなければ、メンバーの言葉は絶対わからないところがあると思う。そして、演奏者からの感想で、やっとメンバーが言っている言葉が、そういうことなのか、とわかるような気がする。演奏者の書きこみ待ってますぅ。 もっとも、症例は違えど、先日のころオフ参加者は、いまだ「新月病(ananの傑作命名)」罹患中のようだ。souxouquitさんのセッションの日の日記がさらに肉厚になって増えてるし〜。 ノミの話題は、セレナーデの、やたら暑い居住地兼練習場所で、にゃんこから大量発生して、みんなえらい目に、あったというエピソードを思い出す。新月メンバーが夏に弱いというのは、セレナーデ組のノミの寅午からきてるんじゃなかろうか。 カユカユしながら、あの美しい楽曲が生み出されたのは、カユカユさえ肉体に宿る煩悩と悟り、それから脱却せんがための、昇華した姿なのであらうか。ちがうと思うけど。 もういっこは、もっと駅から近いけど、見るからに料理がまずそーだし。まずいのいやだし。もっとおいしそうなところは2時間から2時間半だし、ああっ。駅近くて3時間でまずいのをとるか(きめつけてるけど)、遠くても個室で3時間をとるか、おいしくて(おいしいかもだな)でも時間短いところをとるか、どおしたらいいんだ。 ランチでたまに行く、ねだんのわりに、そこそこおいしい銀座のしゃぶしゃぶ屋さんの90分食べ放題飲み放題つき4350円も捨てがたいのだが、しゃぶしゃぶ食いながらは食べるのに忙しくて新月の話喋れないし、90分では短すぎるし、ここは却下。 てか、ある程度人数把握してからでないと店も決められないではないか。でも、候補はあげておかねば。来週あたり告知予定。 しかし、さがせば個室で5,000円ってけっこうあるのね。ワインが28種類てところもあったんだけど、ここは平日限定だったので、残念ながらあきらめる。平日だと、みんなふつーにかたぎに働いている人?は、こられない人がほとんどだし。 前々回演奏者のなかには、ばたばたしていて、「新月とわたし」を話すことができなくて、「北山さんに伝えられなかった・・・」という人もいた。 ただの飲み会なので、セッションの時の「新月とわたし」のつづきを、思う存分語ってもらおう。 「玉ゆら」の告知のみならず、いきなりHAL&RINGセカンドのアナウンスがっ。わーいわーいわーい!! 早速、新月ニュースにアップしたもんね。へへへ。 んでもって、今回のころオフで、はなさまが、みんなに向けてあらためて言われたこと。 新月の変化、メンバーは、それぞれの活動に入っています、ということ。新月は場であり、融通無碍であることを、やっと、ほんとに、ころもわかったのかな。 6月26日 来月25、26のイベントは、たとえば初日は、アルバム「赤い目の鏡」と「セレナーデ〜新月(スペシャルコレクション)科学の夜」の『せめて今宵は』を組み合わせて、当日のライブ演奏曲順そのままの体験で、2日目は、「LIVE1979」と、「赤い目の鏡」の中から『不意の旅立ち』と組み合わせて聴いたりしてもいいかも! でも、Harmishは事情により今年は、ほとんど活動できないことになってしまったそうですが、「当分ソロ活動一直線です!」とのことで、いまはちょっと、Harmishはおやすみでも、これはソロに専念しなさいとの、音楽の神さまのおぼしめしにちがいないです。 ファンの前で演奏・お話された、ころオフの時でなくてよかった(みがって)。なぜかここで、「人間椅子」の、ちゃんちゃちゃらちゃらじんめんそ〜じんめんそう〜♪が頭に流れてきた。いかん、『ヒロトウビ』を流さねば(意味不明)。きっとご本人は、じぶんではおちゃらけているが、ベムじょうたいはつらいにちがいない、うん。でも、ころがベムになったら、やっぱぜったいネタにするな、うん。 ころは国内盤しか持っていなかったのだが、ファンの方がMUSEA盤を送ってくださり、それぞれライナーと写真ちがい、音質違いで楽しんでいる。なぜかMUSEA盤の方が音がクリアで、一曲少ないので、ほとんど聴くのは国内盤。きょうも。 あらためて、この国内盤「光るさざなみ」のライナー読んで、このアルバムを買って、このライナーで、初めて新月のその後、そしてクライミングの世界に入られたこと、なにより、クリムゾンのコンサートに行かれて、音楽活動を再開されたことを知った。もともとしないがクリムゾンを北枕にはできないねー。 先日のころオフでも演奏された『石の心』の解説に、「新月ファミリーの性でどんどん音が追加されて・・・」が、うれしい。 しかし、このライナー、買った当時ちゃんと読んでいなかった、というか、「読みたいところだけ読んでいた」と思う。 わくわくしながら、この北山真のソロアルバムのフィルムの封を切るまで「北山真with新●月プロジェクト」の新●月の文字に、メンバー全員が参加と思いきや、そこに、花本彰、高橋直哉の名はなかったが、津田治彦、鈴木清生の名前を見つけてどれほど嬉しかったか。 そして、つまり、それ以外を読んでいなかったのだろう。そして何より、タイトル曲『光るさざなみ』に、魅せられるあまりに、ただアルバムを何度も何度も何度も聴く事にしか専念していなかったから。 今だから、フォノジェニック・スタジオ、アレポススタジオの意味も解るけど、頭には全然入っていなかった。 まだボックスが出来る前に、たまたまZELDAの事を思い出して書いたら、新月掲示板に、ZELDAのドラマー小澤亜子さんが新月最後のドラマーだったとはなさまに書き込んでいただいて、驚いたんだけど、その後ananが、それはちゃんと「光るさざなみ」のライナーに書いてあったはずだと、書き込んでくれて、初めて読み返してそれを知った。まったく読んでいなかったのだ。 女性メンバーが新月に在籍していたというのも、あまりに意外で驚いたのだが、1980年のライブをさいごに、新月は、もう解散(うう)したと思っていたから、まだ新月というバンドが、その後も続いていたことに驚いたのだった。 ちいさな、文字のひとつひとつを、ちゃんと読めば、きちんと歴史や事実が見えてくるはず。 音のひとつぶひとつぶは、わたしには直接わかんないんだけど、きっとその音が「この世に生まれざるをえなかった思い」を、感じることだけはできる。 「光るさざなみ」、「科学の夜」、「赤い目の鏡」。わたしの新月その後、を埋める大切な3枚のアルバムを、今日は、とことん、聴いた。 そして、いま、「Metagaia」「動物界之智嚢」「文学バンド」「植物界之智嚢」がある。 玉ゆらの新譜はあと数日後のライブで買えるのかな、北山バンドもアルバムが先か、ライブが先か、いずれにしろ、間違いなくその姿を、現わすのだろう。 そして、モノクロ画面の中に新月メンバーがリハをやっている、あのBOXのDVD映像にあるように、新生新月も、いつかは、その姿を現すのだろう。まあ、新月は目には見えないか。 空元気は、あと5%くらいまでに減ったか。ま、新月をみないうちは、やっぱり100%にはならないけどね。 すかす、だいたいクレジットって、ボーカル、キーボードかギターが先にくるのに「赤い目の鏡」では、ご自分のお名前が最後になっているのがおくゆかしい。うん。 あ、2曲か。まあ、LIVEはメドレーだし、実現してたらプログレなんでB面ぜんぶ一曲とカウントするか(乱暴な)。 6月25日 souxouquitさんの6月7日の日記は、もちろん 「新月セッションふたたび」というタイトルの、新月セッションの日記なのだが、今回は、はなさまそのお人そのものについての感想だ。 souxouquitさんは、高校生の時に新月と出会い、以来の新月ファンだ。常にグローバルな視点で新月含めてものごとをとらえていて、新月原理主義者というわけではなくて、また熱狂的ファンでもなく、一歩引いた目で新月、新月ファンをを見ている、でも、新月を心から愛している、だいじなわたしの「同志」だ。 そのsouxouquitさんが、やはり、はなさまから、新月のメンバーと名乗ってもいい、ってことばもらって、度肝を抜かれたそうな。 souxouquitさんの日記のしめくくりで、すとんと腑に落ちたのは、 >「バンドのファン」という枠組みを超えた人間のつながりの捉え方。 ああ、そうかそうか。「場」とはなにかということを、また、ひとつ、おそわった気がする。 宵の明星さんのレポートへ、お返事しようと思っていたが、もう、宵の明星さんのしめくくりってもらって、もうじゅうぶんだね。 あ、ころ、たさんの「竹光るボーカル」について、誤読してるかな。たさんは、あのボーカルが、はなさまじゃないか、と言ってるわけだね。しっけい。 自分のレポート読み返してみて、音楽的なことがわからないのもあるんだけど、やはり初回からのnew-getsuメンバーについては、じょうずであたりまえ、新月演奏しててあたりまえ、になじんでしまっているので、水鏡メンバーや、村上さん、峯田さん、ROSEさん、翡翠さんたちへの、感想が全然書いてないのが申し訳ない。 みんなは、総体的に満足のいく演奏であっても、常に「さらに上への挑戦」を意識しているんだよね。 ころんたの上、とはなんだろう。ちゃんと楽器のなまえとか覚えて、このギターはどうとか、ベースはとか、ドラムについては、とか、このキーボードのこの部分のほにゃららは、とかきちんと専門用語まじえて、書けるようになるとか?なんか違うような気がする。そんなん誰も求めていないような。 ここはファンサイトであって、評論サイトではないものね。でも、何を目指したら良いのだろう。もっとも、課題はまだまだ山積みだ。それをまず片付けていけ?その前に、せめて人様の半分くらいのてにをはのまともな文章を書け? へい。 たぶん、世界の宝なんだけど。何度読んでも、言い尽くせない思い。この3人のメンバーの解説で、ますます、ますます、新月が好きになる。たなごころのなかに、たいせつにたいせつに、持っていたい。 来月のきょうあした、毎年恒例・・・って2004年は、ころひとりだけだったけど、7月25、26日の18:40ごろ、新月がデビューコンサートした時間に合わせて、ライブ聴くイベントをまたやろうね。 おうちでも車の中でも、ウォークマン?ていうの、歩きながらでも出来る人は一緒に、仕事中の人は一瞬でも思い浮かべて、あるいはうちに帰ってからでも、どこでもできる、誰でも参加できる、全国規模の大イベント。えへへ。デビュー29周年だね。 6月24日 うーん。新月掲示板、やはり、みんな何度も読み返してるのかな。ころも何度も読み返してる。何度も。 しかし、演奏者がだれか、お返事してくれないかなー。ころだと、どうお返事したらいいか、わからないぞ。たしかに、新月ファンサイトやってるけど、たぶん他のリスナーの人たちのなかで、一番音楽的なことが、わかんないのが、ころだもんね(いばっていえることではないか)。「うわもの」とか書いたけど、このことばはごく最近まで知らなくて、かみさんに教えてもらったんだもんね。てへ。 6月23日 北さまの感想読んだ?『不意の旅立ち』は、北さまが一番お好きな曲(Q&A参照)!CDRお送りして、感想いただいて、掲載許可あらためてお願いしたら、再度感想リライト?どころかほぼ書き下ろしてくださったのでした。 すごいな、と思ったのはむろん北さまご自身で語られる「新月」の演奏についてですが、先日のnew-getsu(はなさまからは新月と名乗って良いと言われましたが、ちびっと紛らわしいので、日記上は新月セッションメンバーはやはりnew-getsuと表記させてくだされ)メンバーは「忠実にコピーしている」との上でのアドバイスなので、いかに3回目の新月セッションが、本家に肉薄していた証ではないかと思うのです。 当然、ボーカル全般についてのアドバイスに、あっ、と思われた方もいるのではないでしょうか。 ころは、新月がさらに好きになりました。感動しました。てなわけで、『不意の旅立ち』聴いてでかけます! "ドラムもベースもメロディー楽器と化しているから(爆)" ギターがメトロノームというのがうかんだりしち。 これが、新月なんだ。あ〜。そして、出た〜、英語がわかんないころにもわかる「ディシプリン」。 新月掲示板をなんどもなんども読み返して、ころは楽器なんかひとつも演奏できないのに、そうなのかって、うるったりして。 6月22日 わ〜い!!ワ〜ダさんだ!また高松なんだねー。 ころオフで、『ヒロトウビ』を、ネコメさん、Palさん、かなえさん、の女の子3人だけで演奏したのが、すごくかわいくてきれいだった。それから、いつもなら(ってまだこれで3回目だけど)、『せめて今宵は』でしめくくるところを、ネコメさんのボーカルで、「玉ゆら」の『風の橋』が演奏されて、感動的だった。ほんとに、ネコメさんには『天地』を歌ってほしいなと思った。 前にも書いたかもだけど『天地』ってふしぎな曲だな。さちさんが歌う部分は民謡調で、さちさんはじぶんの世界のなかにはいりこんでいるように、いっけん聴こえる。そして、楽器の演奏は演奏でちがう世界にはいりこんでるように、いっけん聴こえる。 さちさんの歌の部分と、この演奏の部分に、「隙間」を感じる。その隙間は、ほんの数ミリのわずかなようであり、無量大数のようであり、あるいは計測不可能な、あるいはちがう次元のような「すきま」。 この「すきま」が、天と地がくっついているように見えるところに、存在するすきまなのかな。「玉ゆら」はそこを行ったり、来たりしてるのかな。 そしたら、きょう、朝日新聞の朝刊に、70年代のヒットCMのTVディレクター「杉山登志」さんが、カメラのファインダーを覗いている写真に目を魅かれた。撮影したのは鋤田正義さん。T・REXやデビッド・ボウイを撮ったカメラマンだ。表現者が撮る表現者の顔。> むかしの人は「たましいぬかれる」って、言って写真を撮られるのを、いやがる人もいたというが、その「たましい」が強烈であればあるほど、撮影するほうが、被写体にたましいをぬかれてたまるか、みたいな、気迫を感じる。写真ってふしぎだな。 「奇跡の2日間」を見ながら、apiさんが歯を食いしばりながら撮影した、ということばを思い出した。 6月21日 雑感いろいろ。ころオフの時の、はなさまが、新月の変化とまた、メンバーそれぞれの活動を活発に行っていますって、すごく前向きなお話をいただいたことに、逆行してしまうが、『殺意への船出PART2』は、やはりころにはとくべつで、あの5人をいちばん感じる曲。自分の聖域のなかにある曲だ。 んでもって、ファンの演奏者たちが、この曲を演奏する事になったとしても(yanaさん、村上さんの解説によって、この曲がいかに難しいか、この曲を演奏するためには技術だけでは到底可能にしえないということが良くわかる)ヴォーカルはやっぱり北山真以外に考えられないな。しかし、ラーメモのセンター「北」で「鬼笑」。でき杉。 6月20日 宵の明星さんの、丁寧なお礼に恐縮っていうか、あまりに過大なおことばに照れ照れ(直球に弱い)。 ああ、なんで『殺意への船出PART2』が、ころにとって一番たいせつか、サイトつくるきっかけになったか、日記とかどっかには書いたけど、掲示板にも、ちびっと書かせてもらうかな。当時、曲名も知らなかった「あの曲」をもう一度聴きたい、この思いがあのページを書かせたようなものだったから。 しかし、仙台の黒松さんの安否は、宵の明星さんがまっさきに気付いたのを、ころが直接メールさしあげただけなのだった。 よほど新月掲示板から黒松さんへ呼びかけようと思ったが、あってはならないが、万が一・・・があった場合のことを考え、メールと、セッション打ち合わせ用掲示板からは、呼びかけさせていただいた。幸い震源地からは遠かったが、かなり揺れたとのことだが、だいじょうぶで、安心したので、表面には出さなかった。 宵の明星さんが真っ先に心配したのでころが動いただけなのだ。あとから、鶺鴒さんも仙台出身と知った。 すかす、こ、これではころがいいとこどりになってしまふ。あとで掲示板にかいておこ。いや、しかしあらためて、レポート、すんばらしい。やはりあの「輪」にころ、入んなくて正解だったな。たまには、ただしいことができるのだった、ころっ。 ちびっと今日はダメポなので、新月掲示板へのおへんじはまたあとでさせてもらおう。 英語表記、新月も水鏡もどれほどじぶんたちの曲をたいせつにしてるかよくわかるね。 宵の明星さんが、あとでお聞きしたかった、ということのなかに "何よりも今後の新●月の活動について(そういえばなぜ誰も聞かなかったのだろう?)" 誰も聞かなかった。それは、聞けなかった、とかマナーとか、意識してのことではないような気がする。だって、そこに、新月のはなさまが当たり前に、新月について語ってくださったんだからね。みんな、無意識のなかで安心していたんだと思うんだ。 待っていればいいんだなーって。 6月19日 ラーメモ写真、うんうん、最近すごくすてき。東銀座のお店は、外観ではなく、おされな店内写してるんだけど、お水がおいしそう。いいお水だから、よいラーかな。 第一回目のころオフは渋谷のB・Y・Gでやった。学生時代からわりとよく行っていたお店で、ふんいき好きだけど、プログレじゃないんだよね。てか、プログレ系のお店を知らなかったからね、新宿のサブマリンくらいしか(たさんから、あとでそんなところに行っていたのかと言われたっけ。だってそんなお店とは知らなかったんだもーん)知らなかったから、屋根裏なんかいつも通りかかっていたのに、新月ライブ(「新月とわたし」のコーナーで、souxouquitさんだったっけ?当時高校生で、屋根裏だったかクロコダイルか、ライブの整理券とって、一旦外に出ようとしたら、「花本さんに戻ってきてくださいねって、言われましたー。高校生がおこづかいで買ったチケットをむだにはしませーん」と言っていた、うらやましい人は)に行かなかったりとか、学生時代かなり損失多し。で、場所をどこにしたらよいのだ。やっぱりおへや貸切がいいよねー。どのくらい人がくるのかなー。 飲み会ころオフ、は、セッションは、演奏によって新月への思いや表現が出来るけど、今回は、リスナー参加の方たちにたくさん参加してもらって、もっと思いのたけを、語りつくしてほしいよねー。 しかし、 A 1『鬼』 2『白唇』 3『せめて今宵は』 B 1『赤い目の鏡』 2『殺意への船出PART2』 『鬼』ではじまり『殺意への船出PART2』でおわる。 そして、つぎは、どうする? ある繊細な素晴らしいドラマーの言い回し。寿いで一杯。秀逸。どろよひ日記復活切望。1979年。何していた?ころオフでのなかで、高校生が多かったが、うまれるずっと前の演奏者がいたのが、翡翠さんはもちろんのこと、最年少の「は」さん、それから2こうえの「ネコメ」さん。素晴らしい。 はなさまご自身が踏んだ数字。乾杯。 6月18日 あ、しまった。森村さん提案の曲順を記録をうっかり確認しないまま、宵の明星さんにおっけしちゃった。うーん、しかし実に興味深い。たさんから、ころが全然知らない新月史が語られてし〜。『Monkey Business』ってなんだ?でも、うんうん。宵の明星さん力作レポートだなー。 「玉ゆら」ライブもうじきだけど、玉ゆらサイトも静まり返ってるし、つさまのお姿がみえない〜。北さまのカキコもみたい〜。 ころオフでの『朝の向こう側』、作者であらせられるつさまが見られたら、どうだったかなー。きっと楽しまれたと思うなー。 6月17日 新月掲示板のお返事遅れてるだす。も、もちっと待っておくんなまし。 新月ファンの人たちからのメール読んでうふふふふ。 そおだよね、はなさまが自分の住んでるところに来られたと知ったらうれしいね。 メンバーそれぞれのイメージたのしい。 みんな新月、好きなんだなあ。そして本家メンバーを好きなんだなあ。 こっそりないしょでひみつで勝手になのだが、本家メンバーをおにいさんみたいにして、じぶんをそのどうしょもない末っ子みたいな位置にしていたのだが(そこまで近くないし。そんなスキルはない。いつも遠い星にいるので)、いまや、ファンの人たちがたくさん集まってきてて、知るかぎり、ころんたはファンの中では最年長!はなはだ頼りない最年長だが、本家もファンも、まあ運がわるかったと思ってもらおう。 ころオフでさいごあいさつさせてもらったとき、「最初に新月のことを書いてからまる4年の間なんの反応もなく(ページ書いたのが1999年の7月。こぐまさんからあの初メールをもらったのが2003年の7月だからほんとまる4年)」って言ったら、じぶんでは、笑いをとるところじゃないのに、それにみんなが笑って、ほぐれた。 もっとみんないっぱい語りたかったと思うので、たんなる飲み会オフ開催企画中。 6月16日 オフ会レポート英語タイトル編おもしろーい。以前からyanaさん気になると言っていたし、水鏡のタイトルもいろいろ楽しそう。しかし、アルバム制作にあたって、深いところでいろいろ苦労があるものよの。 そういえば、最近つさまのお姿を(この場合姿っていうのかな)全然お見かけしてないが、「玉ゆら」アルバム制作でお忙しいのかな。ananから、ハニフラセッソンで『風の橋』が候補にあがってるときいて、早速担当表見に行ったら、ほんとだ。『鬼』も候補にあがってる。 し、しかし、「タマゆら」って???み、見なかったことにしよう・・。 超多忙のなか『回帰』をお願いして、素晴らしかっただす。 で、だから、こか、だ。いいオープニングだ。 すかす、全員落ちた親連れは別のお食事会に行き、なぜかまったく親しくもなんともない、初めて口きいた、「哲学科」に受かった子と落ちたわたしが一緒に新幹線!にとなり同士に座って帰ってきた。泣きたいころと、にこにこで入学案内なんか隣で見てる子と一緒に帰ってきた、18の春だったにゃ。一人で行くつもりだったのに。単にまぬけか。今思うとなんでそうなったのか、じぇんじぇんわかんない。 で、なんでこんなことを新月日記に書くのかというと、数年経って、吉祥寺シルエレのクリスマスコンサートに、友人にすっぽかされて、一人でシルエレに行ったおかげで、こぐまさんのおともだちと話しが出来て、こぐまさんと飲みに行った。それがきっかけで、いまに至るわけだけど、この時すっぽかした友人の彼氏が、その大学の哲学科で、このとき一緒に帰ってきたころの高校の同級生と同じクラスで、彼女の話を聞いたりしていた。そして、あのシルエレの日に至ったんだよね。縁、てわかんない。まあ、よくかんがえたら新月とはかんけいないか。縁でもなんでもないか。 空。 ファンそれぞれにとって、どれほどの、「宝物」、なのか、さらに再認識。その思いが「宝物」。もしかしたら、新月メンバーが思ってる以上に、ファンは新月がもっと好きだと思う。たいせつな、たいせつな、「あずかりもの」。 それは、たぶん本家も「あずかりもの」なのかもしれないね。 それが「新月さま」と仮に名づけられているものなのかな。だから、この間「リーダー」から、みんな新月メンバーって、言ってもらえたのかな。 6月15日 干瓢のオミソシル・・・。本当にあるのかな?そして、10月のころオフの北さまの写真発見! 6月14日 今日は土曜日なのだった。ロックウェルの丸窓ってなんじゃろ、という人は、写真で綴る新月史を見てね。そして、先週の土曜日はころオフだったのだった。早くも1週間たったのだった。先週のころオフのはなさまと、さくさまだす。はなさまの左に写ってる手はyanaさんが一生懸命カウントとってる手ですな。 かえすがえすも、前回の北さまの写真をしっぱいしたのが残念だす。前回和田さんが写されたフォトをいただいたので、そちらを掲載と思っただすが、バンドやってて、じぶんたちの写真をサイトで掲載している演奏者の人たちはともかく、一般のファンも一緒に写っているので、やはりこれは断念。また、次回来ていただいた時に、ちゃんと写そうっと。『竹光る』についてのお返事はまたもうすこし考えてからにしよう。昨日の朝読んで、あれ?ころんたのレスが消えてる、とお思いの人がいたら、なんだか見当ちがいみたいな気がして削除しただす。ごめんち。 6月13日 みまちがう ほどに ふとり ねむる 一瞬ころんたのことかと思ったわい。 うーん。深くてすてきだ〜。もちろん、すぐに「科学の夜」を取り出して聴いちゃった。そうか、このボーカルはつさまだったのか。宵の明星さんレポート、楽しみ〜。 そして、でがけの曲はセレナーデ版『殺意への船出PART2』。 6月12日 anan日記のころへのレスに、はなさまが聞いているとふしぎなことにいつもより上手く弾けるってananからあった。 師匠が聞いてると緊張するけど、でも安心するけど、じっさい技術的には、どういう事かはわかんないけど、本来自分が持っている実力がさらに引き出され増幅されそれに、プラスアルファの霊的なちからをもらうとか、そういうものなのかな。やはり、演奏ができるというのはうらやましいな。 しかし、yanaさんのレス読んで、やはり殺意だけあって、『殺意への船出PART2』はおそろしい曲なんだなー。 しかしスルドイ人がいるもので、30%は空元気ではないですか、と見抜かれたことを、きょうのおひるやすもの道々で、思い出して苦笑した。オレも同じだからわかるんです、とは、やはりあの「立ち位置」のことなんだよね。 最近新月的に、パーセンテージ流行らしいが、ころんたの30%とはなんだろう。誰もがみんな知ってることで、ころんたも知ってることかもしれない。あるいは、みんなが知っていて、ころんただけ知らないのかもしれない。あるいは、みんなが誰もしらなくて、ころんただけが知ってるのかもしれない。あるいは、みんなも、ころんたも誰もわからないことかもしれない。いずれにしろ、新月ファン(いやもうみんな新月か)おそるべし。 でも、のこり30%が空元気だったとしても、『殺意への船出PART2』があるからだいじょうぶ。そして、この曲は、あたりまえだけど、ころんたにだけではなくて、みんなにも、たいせつで、とくべつな曲だって、あらためて、わかった。同じ意識を持ってるんだもんね。 新月につどう、一種宗教的な、あつまり、でははく、つまりは、やはり遺伝子のものがたりへと帰結するのかな。 やっと『赤い目の鏡』の、じぶんの勝手なイメージがもどったぞ。夏日星の赤い砂漠を四つ足で、白い綿雪の毛をまとったやぎさんが、ぴょんぴょんと誰かのあしあとを辿りながら、旅してる。旅には水がいる。水はナイフも錆びさせる。そして遠い星で鏡を持ち待つきみのために。 お店で焼いてもらった新月セッションのCDRを聴いてるんだけど、ほんとにみんなうまいなー。 あ、そだ。「サプライズ資料」のこと書いたっけ? 許可を得て、演奏者には、参考になればと、yanaさんにお願いして整理していただいたデータが、先に渡っていたんだけど、それは当時の習作やメモを含めた、はなさま手書きのノート(楽譜の一部)なのでした。 2003年に非公開資料としてコピーさせていただたノートを、プリントアウトして、ずっと保管していたんだけど、なにせ楽譜読めないし、大量のファイルだったうえに、これを落としてばらばらにしてしまい(うう)仕方ないので、ばらばらのまま、ころオフ用に、ある程度わかるところだけ、曲別にファイルにして、リスナー参加の方にも閲覧させていただいただす。 はなさまのプチ解説がついていて、ころにはわかんないのが情けないだすが、楽譜のノートの途中に突然『殺意への船出PART2』の一部が登場して、それが「大学4年の時のもの」という解説に息を呑んだものでした。 でも、演奏者の参考に、というつもりだったのですが、たとえ楽譜があっても、というか、楽譜があったとしても、演奏できる楽曲ではないそうです。 現実、これはかえって、見てはいけない、と閉じてしまった演奏者がいて、わたしにわからないのが申し訳ないですが、スコアどおり演奏しても新月そのものにはならない、という意味だったと思います。 演奏者がうらやましいと思うのは、こうして、ひーひー言いながら、新月をコピーして、新月に近付いているみんなの姿でした。 6月11日 yanaさんやananのカキコにお返事書きながら、『殺意への船出PART2』の文字を目にするたび、あの会場が凍りついた瞬間、が何度も何度もよみがえる。そして、当時、シルエレやBIG・BOXと、あの規模の会場で(いやさすがにもっと大きいか)、このイントロから、この曲を、わたしは間違いなく聴いてる。すでに記憶、ではないのだが、無意識のなかでの記憶ははっきりと甦った。うれしくて笑っていたけど、うるってるのを、目の前のはなさまに見られるのはやだったので(まけずぎらい)、すぐになみだはひっこめたけど、いまも思い出すと涙がでてきて、そして、笑えてしまう。 それにしても、あの場にいた新月ファン、どれほど衝撃だったか。 そして、新月は当時、ライブハウスでひんぱんにライブをやっていた「ライブ・バンド」だったのだ。それを思い出した。 ころは、いまは『こせう』『さごやし』『あけび』がすき。『れいたう』は、どうしたらいいのか。 あけびが、北さまから送っていただいた解説によると中2の時の作品と知ってびっくり。栴檀は双葉より芳し。あ、せんだん、がないぞ?おっといけない、これがころんたマジック。 6月10日 あ。新●月セッションレポートの、はなさまの曲解説の部分は、ころ、記憶ちがいと表現と意味が異なるところがあり、はなさまより添削いただき、訂正して掲載したので安心して読んでけろっぴ。 「新月に聞く」に入らなかったのは、例として、黒松さんが、はなさまにお会いできたら是非お聞きしたいと言っていた、「オルゴール」のことはころんた知ってたけど(てか何処かに書いてあったかも)、せっかくはなさまに直接お話できるのに、ころが同席して、黙っていたとしても、知ってる〜って、じまんするとハナの穴が大きくふくらむ、おどろくと目がひらく等、ロコツに顔に出るタイプのうえ、じぶんが知らないこととか話題に出たら、みんなを制して、つっこんで聞いてしまったりするにちがいないとか、とにかく、ろくなことはなかろう、その場に入ったら、せっかくみんながはなさまを囲んでる場をぶっこわすだろう、というのは、火を見るよりあきらかだったので、入らなかっただけだす。 それに、宵の明星さんが、メモを取っているのを見て、自分が知らないことでも、レポートしていただける確信があったもんで、という姑息さが働いていたので、心配しないでくだしゃい。 前回の、北さま囲んでの「プログレ談義」は、ほとんどはんたいに、口をはさむ余地はなかったので、ただおとなしう、黙って同席できたというだけずら。 6月9日 ワ〜ダさんご指名のスカイプカメラで実況中継はできなかったけど、せめてレポートはと、きょう、やっとレポート書き上げただす。拙いレポートだすが、新月掲示板を見てくんろ。 人間の姿をしているときは金髪巻き毛の美少年で、性格はお調子者で毒舌と皮肉屋の自信家の才子なのだが(あ、つまり悪魔って一般的にこういうやつか)、でもこのルシフェは、どこか、なにかかくしてて、おどおどした態度をとるときがある。それが、なんなのかは、寝ている時に「悪魔なんていやだ、悪魔なんていやだよ・・・」と汗をかいてうなされるシーンがあり、彼の負の部分が露呈する。ユダンするとやぎのしっぽや、毛が生えた足とひづめがでてきて、そのみにくさをのろって生きている、かわいそうなやつだ。 『赤い目の鏡』のやぎさんは、ころんたの中では、姿は、最初からどうぶつのやぎさん、四つ足の姿でぴょん、ぴょんと旅してるイメージだったの。 でも、はなさまの解説を読んだら、大昔に読んだ「妖精王」のルシフェが浮かんできて、でもお涼さまの華麗で繊細な絵のイメージではなく、毛だらけの足とひづめで二足歩行してて、顔だけやぎさんの、はんぱな姿のやつが浮かんできた。あ、学生時代に買った文庫のアンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」の表紙の絵みたいなやつ。顔と足だけやぎで、胡坐かいてるみたいなポーズだった(と思った。この本はどこかにいってしまった))。でも、だいいちあれたしか黒っぽいじゃん。こ、こまったぞ。しまった、人のイメージを狂わせる、ころんたマジックがじぶんの中に起きてしまった。どうしよう? それから、はなさまに、さいごにひとこと、をお願いした。 いろいろお話をいただいて、さいごに、すごいお言葉をいただいた。 「皆さん全員が新月のメンバーです」 みんな感動した。そして、セッションは終了した。 新●月は、「場」の名称の意味が、初めてわかった気がした。 それから、カウンターに寄りかかって、ビール飲みながら、本当に一人になった時間がしばらくあった。 目の前のテーブルでは、演奏終わってほっとした新月ファンの演奏者もリスナーも、大好きな新月のはなさまを囲んで、話をしている。 さくさまはじめ、演奏者たちが、店内のあちこちで、それぞれの演奏について語り合ってる。 誰もわたしを見る人も、気にする人もいない。 でも、それは、全然孤独なのではなくて、その光景を眺めながら、ああ、これが自分の立ち位置なんだな、と思った。 はなさまのお話のメモを一生懸命取りながら、宵の明星さんが、横に空いた椅子を手で示して、だいじなお話なんだからすわってくださいと、真顔で目で訴えていたのを、申し訳ないと思いつつ、首振ってお断りして、またしばらく店内を見ていた。 そしたら、そこで見えたものがあった。ここにはいない新月ファンのひとたちが、どこかでおんなじエネルギーをうけとってるすがたが。 それが、どんなことでどんな表現したらいいのかよくわかんなくて、その場では、漠然としたイメージだったんだけど、翌日掲示板のはなさまの "参加できなかった人にも無意識レベルでエネルギーが伝わっていると思いますので、それを感じていただければと。" を読んで、あ、そうか、これだ、これなんだ、わたしが見たものはって思って "たしかに、新月を好きなひとたちは、きっと昨日参加できなくても、しなくても、無意識のなかに同じものを共有し、実感しているとわたしも思います。" のお返事が、実感として書けたんだよね。 ころんた、はなさまとは結局ついにひとこともお話しできなかったな。でも、あの「輪」には、ころんたが入らなくて正解だったと思う。理由はじぶんではわかんないけど。 でもさくさまとは、いろいろお話できて良かったな〜。 あ。だんだん、ふぬけ状態になってきた。 6月8日 すかすレポートどうやって書いたらええんじゃろ。すごく良かったよ!じゃあまた次回!で終わらせたら、ふざけんなよと掲示板炎上だよなー。う。四の五の言わずに書こう、うん。 あの『殺意への船出PART2』のイントロ、ころんたうれしくて笑いながら、さすがにうるってきちゃったんだ。あそこで、村上さんがぽろんぽろんてギター入れて曲が続くんじゃないのかなと、みんな思ったって、言ってた。 レポートはもっといっぱい書きたい事があるんだけど、曲も途中だあ。でももうらめら。きょうはもう逝きますぅ。姑息にも明日もやすみをとってるので、つづきは明日書きますです。 6月7日 ついに今日ころオフ当日になってしまったのだった。 演奏者は、「あがる」「きんちょうする」「気絶する」「仕込みゆるいどうしよう」などなどといろいろたいへんだが、ころもものすごく、緊張してるんじゃわい。演奏者とちがう緊張じゃの。 なんか怒られるんじゃないかとか。いやべつに、悪事もはたらいておらんし、うそと坊主の髪はゆったことないし(もう飽きられたなこのギャグは)うしろめたいことは、いっさいない(はずだ)のだが、なんで、こんなにおどおどしてしまうのだろー。 しかし、ファイル2冊すげー重い。あと展示用に、ころは新月本隊以外のアルバム、できたてほやほやの「植物界之智嚢」とか、「Metagaia」やら、「Heaven and Earth」やら文学バンドやらいろいろ。さらに重い・・・。一泊とは思えない荷物になってしまった・・・。 6月6日 最終的に演奏者と演奏曲順がきまった!明日なのだった。前回は、ホテルの空調トラブルで、出るのが遅れてしまい、リスナーもみんな揃ったところへ、のこのこと入っていくというまぬけぶりだったが、明日は早く脱出せねば! 演奏の気合がすごいのに、リスナーが前回より少ないのが残念だけど、「ドタ参加」もお待ちしてまーす。 6月5日 「植物界之智嚢」は、けっきょく北さまにミュージックタームに載ってると教えていただいた。しかし、DUでは検索してもないしなー。果たして店頭に並んでるのだろうか?? 北さまも「発売日」がいつだかわかんないんだって。6月4日だけに「無視」だったか、と言い置いて(ううっ)おそらく今日旅立たれるのであった。 順番・内容はばらばらなのは、なかみがわかんないから仕方ないとして、ひとまとめになってるので、一枚一枚、クリアファイルに入れないと〜。かなりの枚数があるのだった。 データはyanaさんに整理お願いしてるが、ころのはプリントアウトしてあるので、これを、今回許可を得て閲覧。一度プリントしたのを落としてしまい、ばらばらになってしまったりしてごめんなさいです。 サイトには掲載しないので、今回、演奏意外のサプライズはこれかも。あ、しゃべってしまったら、サプライズではないか。まあ、もともと演奏者用の資料で、演奏者はもう見た人もいるから、サプライズでもないか。 当日は晴れるようだ。実は雨が降ったら高津さんが参加してくださる予定で、雨乞いしていたんだけど、高津さんの幸せのためには、晴れでよかった。小松さんもまたまた前回と同じく、毎週じゃないのに〜、練習日と重なり残念〜。『回帰』がさくさま参加で演奏されるのにな。前回と、演奏者ががらりと変るので、たのしみ。 しかし、曲順の調整とか、みんな走り回っている。わたしはそれをきちんと伝えるしかできない・・・。いよいよ明日だ! さちさんの「ひかりの素足」の神聖さ。 でも、それを待ってあまりある感動。 日光・月光菩薩さん、言葉にはなりませんでした。聖観音さんとも再会できたし、吉祥天さんのうつくしいこと。 しかししかし、やはり日光・月光、とりわけ月光菩薩さんから、ずっと離れられなかったです。生きてて良かった。 しかし、行く前は、るんるんで、お背中まで拝めるんだと、単純に喜んでいたいのですが、光背を外されたお姿を見ると、たしかに、フクザツな思いがありました。この仏像が作られた時代背景を考えそして、どんな思いでほとけさまを彫ったのか・・・。うーん、課題です。 とはいえ、素直に、この日光菩薩、月光菩薩の前に、いつまでも佇んでいました。 観世音菩薩。うつくしい響きですよね。自由自在に観ぜる、衆生の心の声である音を聴く。 ただただいつまでも、離れられなかったです。 6月4日 北さまにもわかんないみたいなので、直接POSEIDONに問い合わせ中。新月LIVE1979が延期になったときも9月5日だったので、6月5日かなとかふんでるのだが。 北さまは、国体リハのために、ころオフには来られず、大分へ旅立っていかれるのであった。 つさまは、きっといまごろも、「玉ゆら」のアルバム制作中だねー。新月でも光るさざなみでも、さいごはいつもひとりになっちゃって、一手にひきうける、っていうのがつさまのイメージだけど、家族の「玉ゆら」は、みんなでやってるのかな。 演奏者の数、現時点で21人!曲もこれだけ気合が入ってるので、少しでも多くの人に来てほしいな。 そうそう、「玉ゆら」で、つさまのMCに、「たまゆらは二世代バンド」ってあったけど、ころオフも今回最年少の方がドラムで参加。ころをカシラとすると(たぶん)、こちらファンのほうも、まさに2世代だ〜。 あと、フォノジェライブの時から何度もミルクティさんには会ってて、そのたび、江古田マーキーのMUSICAL BOXのライブのことを、今度こそ聞こうと思ってるのに、いつもゆっくり話ができないー。7日こそ、話聞けるかな。初めてお会いするファンや演奏者とも、話ができるのがうれしい。 新月曲演奏はもちろんだけど、やはり、新月ファンと新月の話が出来るのが本当にうれしいな。隠れキリシタンのころには、想像できなかったよね。みんな。 あの、新月のページ一枚だけ作って、4年のあいだ、誰からも、なんの反応もなかった事考えると、夢みたいだ。 というわけで?『科学の夜』を聴かないと死んでしまいそうだったので、LIVE1979を聴く。ROSEさんがライブコピーしようとしたら早すぎて弾けない〜って言ってたら、つさまがこれをほんとに人間が弾いたら手が見えないって〜。たのしみだ。 そして、ananキーボード参加で『赤い目の鏡』がフルパートで演奏されるのが、本当に嬉しい。タケシがLIVE1979に未収録なのが残念だな〜。みんなタケシには相当いじめられてるみたいだけど。 6月3日 というわけで、朝からLIVE1979を聴いて修行にはげんでいるころんた(どこかずれてる?)。へへへへ。 そだっ、ころんた、いままでじぶんが、ぱあだってことに甘えていたが、これからきっちりやるもんね(と、こぶしをつかんで空を見上げる。雨だ。いつも決意だけは固い)。 高津さんからの録音状況が定期便で送られてきて、たのしいね。いいところで「つづく」になってるなー。 すかす、「植物界之智嚢」のはつばいはまだか〜? ころオフ演奏曲、もうすぐ曲順が発表されるのでお楽しみに。開始時間が30分早くなったので、まちがえないでね。 明日は新月。 6月2日 気がつくと、『風の橋』を口ずさんでいたりする。やっぱり・・・「増えた」のかな? そして、「玉ゆら」のステージを観て、それがもちろんすばらしかったからなんだけど、だから、ころ、なんとなく、わかったんだ。 わたしが、こだわり続けた「5人」だけ、の新月はもう実体はちがう次元に行ってしまったんだ、わたしが願い続けていたことは2006年4月9日ですべて叶ったのだから、そこから、とっくに変化し続けてることを、わたしは知らなかった、あるいは、うすうす感じていながら、ついて行こうとしていなかったのだということを。 その顕著な「変化」がわずか1週間後くらいに知ったHAL&RINGであり、わたしはこの第二の波にいきなり翻弄されて、そこでえ?え?新月とちがう、新月とちがう、ってずっと思いながら、お手伝いをしていたと思う。むろん、スキルも時間もなかったけど、どうしてこの時、もっと、この奔流に正面から向き合わなかったかと、いまになってようやく思いはじめてきた。 そう、「玉ゆら」観て、なんとなくわかったんだ。宵の明星さんが「家族」と表現したけど、もう、そういうことなんだ。 新●月は限定された個人の集まりではなく、場の名称であることを、やっとわかったのかもしんない。 だから、もう5人ではなくても、「何か」につながっていることを。その何か、について、そうだ、こたえはもらっていたっけ。 発売がまだいつなのか、みんなじりじりしてるけど、間違いなく、ちかいうちには発売されるだろう「植物界之智嚢」、そして、間違いなく活動開始となる「北山バンド」。 わたしがこだわりつづけていた5人(そうそう、5人だけでライブを行ったことはないそうだ)という個人の集まりである新月は、もうとっくに「何か」につながるために動き出していたのだ。 そして、その98%の遺伝子は、ずっと新月を好きでいたファンたちの中に生き続け、ファンの演奏者によって、その場に集う人たちのなかに受け継がれる。 じぶんが知っていると思い込んでいた新月は、じつはもっともっと、大きく長い長いものだった。 でもでも、今週末、ふたたび新月曲が演奏されるんだなと考えると、そのへんなきもちが、わくわくに変ってきた。きのうも、多分今日も演奏者が新月の曲を弾いている。新月の音がでている。そう考えるとふるえがくる。 「すべては変り行く。怠らずに修行しなさい」というお釈迦さまの言葉は、ブックレットからの孫引きだが、同じくブックレットにメンバーの「修行の僧のようだ」と当時を表現する記事がある。 過ぎてしまえばその修行の姿も、歴史のなかで点で捉えられることだけれど、その点のただなかにいる時には、どれほどの数の手を、じぶんの体から、千手観音のように空に伸ばして、なにかをつかもうと努力しているのだろうか。とはいえ、新月にはあせくささ、どろくささはまったくない。この若い修行僧も、それが「単純に楽しかった」とあるのだから。 してみると、修行もごく限られた人にだけ許されることなのだろうか。 いや、凡人だからこそ、修行がなければ、何かを見る事も聴く事もできなくなってしまう。 すべては変る。それすら、見えなくなってしまう。 6月1日 つ、ついに今週末ころオフなのだった。どきどきしてきた。気を落ち着かせるために、朝倉さんの古楽器のユニットRing in Ringの『Ancient Stone』を聴く。うーん、なごむな。 しかし、なごんでいる場合ではなく、じぶんでできることをやらなくちゃ。と、今朝、ころオフの告知文を書いたのだが、書いたらぐったりしてしまった。告知書いただけでぐったりしてどうすんじゃ。てか、やはり、これをみんな演奏しようというのだから、new-getsuおそるべし。 新月、という絶対値。それに対峙するエネルギー。 5月31日 ううっ。「玉ゆら」前ににっこうがっこうさまに会っていこうと思ったのに、ぐずぐずと午後からでかけ、博物館に辿りついたら、なんと70分待ち!これを見たらライブに間に合わないので、泣く泣く上野をあとにしただす。 な、なんのためにきょう休みにしたのだろう?と思いつつ、銀座見物などして、「こもり」のラーメンをいただき、ゆったりと「玉ゆら」に観戦できてよかっただす。つさまに話しかけたとき、でもねぎくさかったと思うです。すみませーん。感想は新月掲示板に書いただす。ライブの余韻で幸せ。 ライブ待ってる間に、プログレ者、というか新月者のみんな会社の帰りにDUに寄ったり、チェックしたりと、「植物界之智嚢」の発売はいつですかねーと、言い合っていただす。 前回につづき、今回もころオフに来てくださる宵の明星さんとずっと当然新月話しをしていて、新月の話は、まわりに話しても通じないけど、ここでこんなに新月の話ができるなんて幸せですねーって言ってた。 隠れキリシタンみたいに、いやじぶんで隠れてるつもりはないのだが、新月ファンはみんなひとりぼっちでじぶん一人新月が好きなんだなー、って思っていたけど、こうして話しができて、そしてファンで演奏までされてしまうなんて、すごいですねーって。 宵の明星さんの「新月の遺伝子」という言葉を使わせてもらってるけど、こんなかたちで、受け継がれていくんですよね〜、なんて、すでにあと一週間後のころオフの話へとつながった。演奏者はたぶん今日も猛練習の一日を過ごすのだろう。新月を演奏するために。 5月30日 夕べ聴いたのはもちろん、きょうの「玉ゆら」のおさらいに「Heaven and Earth」。 やっぱり『天地』『風の橋』だな〜。それから、これはさちさんの、もしかしたら個人的な想い、がいちばん感じられるたましいのさけびみたいに聴こえる出だしのイントロ部分がほんとうに「玉」をころがすような『Sleepwalking』。この曲を聴くたびうるうるしてしまう。 この歌詞のうつくしさ、ギターのうつくしさはどうだろう?もちろん今日この曲も演奏されるにちがいない。 そして「Metagaia」。『白唇』が自己の女性原理へあこがれ、だというつさまの79年のコメントをふと思い出す。新月は新月だけど、いまの「玉ゆら」がその具現化したひとつなのかな。単に女性ボーカルだから、ではないような気がする。あ、また「ころんたマジック(たさん命名)」で脱線脱線かも。 5月29日 明日は「玉ゆら」!チケットもフォームから予約したし。どんな曲が演奏されるのか、音響あるのかな、楽しみ。でも、・・・さちさんのブログ読んだら、つらいな・・・。 ライブ前に日光・月光を観て行こう。 それから、ころオフが近くなってきたので、ころんたも緊張してきた。 今朝はずっとあたまの中に『赤い目の鏡』が流れてきた。前回赤目隊のリベンジは、フルパート揃っての演奏なので、すごいぞ。ころオフ来ないひとは後悔するもんね。あ、ワ〜ダさん北さまおいたわしや。 あしたの予習に、「玉ゆら」聴く。ふふふ。 新●月を演るんだ。ただそれだけ。 だから「新月」が何者か、その偉大さをこうしてあらためて知ることができる。 わたしはわたしで、出来る事をするしかないんだけど、きょうあらためて、新●月サイトは続けなければならないと思った。 5月28日 今朝もタケシ。頭上で青空が回転しながらねじ切れてブラック・アウト。 5月27日 「植物界之智嚢」は、「動物界之智嚢」がカセットでリリースされてから、25年ぶりの発売なんだな。なんで新●月は単位が半世紀単位なんだろーねー。 5月26日 うううっ。北さまより、ころんたの字が傑作なので、スキャンしてみんなに見せましょうって、そ、それだけはカンベンしてくだされ〜。 新月だから。 前にも日記に書いちゃったかもだけど、当時はまったく接点などなかったけど、ころんたの通う女子高のすぐ上にあった高校の、一年上が北村さんで、二年上が巻上さんだったんだよね。 社会に出てから、巻上さんの地元、さらに西に行った海沿いの町の、中学の同級生だったひとたちが「まきがみくんが」って言ってたのを最初ヒカシューの巻上公一さんとは思わず、あとから、もっといろいろ聞いておけばよかったと思ったっけ。 でもどくとくの存在感について、このひとたちが語っていて、つまりその当時から、都会には異論があるが「巻上さん」であったってことなのかな。 ころ、クローズアップ、にはつかれちゃう。これはきっと、しろうとだからだねー。 でも、巻上さんが虫の視点で、ということは複眼で、そうするとちっちゃいことからおおきな全体を見てるってことなのなかなー。あれえ。 5月25日 「植物界之智嚢」。出た!★★★!!! 一つ★の穴子ラーメン(ハーフ)+穴子丼(ハーフ)+下足焼売+海老餃子+卵焼で850円(絶句)。 ついにこの日の昼間、薬師寺展を見に行こうとおもっている。そして、一人でフレンチランチに挑戦しようと思っているのだが、一人だから、よやくは入れなくてもだいじょうぶかな〜。すかす、ラーメモの穴子ラーメン★が激しく気になってしまった。ううっ。写真見たらおいしそうだし。待てよ、終電間際までラーメンするとか、早めに四谷に行って「ぶちうま」する、とかいろいろ案がでていたような。どうしたら良いのだ。 かじかがあちこちで「からら、ころころ」と鳴いていてかあいい。 遠目で蛍がなんびきも飛んでいるの見た。 池の中に作られた人が行き違いできるくらい狭い細い散策路の両脇に竹灯篭が灯され、それが遠くに見えれば見えるほど、美しかっただす。 出かける前に、しんたまとサーモン作って、きのこやトマトやサフランにんにくベースの「シーフードミックス」を使ったブイヤベースもどきを作って、うちにもどって、きりりと冷やした白のイタリアワインでうまっ!! 5月24日 神奈川西部は早くも曇り。網戸にねこの手。想像するだに、スペクタルな絵がうかぶにゃ。 あ、そだ。北さまからいただいたれしぴはこれね。「新玉葱をおいしく食べるためにスモークサーモン を買うのです。新玉葱対サーモン3対1ぐらい。これにケッパーをぱらぱらとのせて。塩胡椒+酢で、待つこと30分で完成。そろそろできたかな? あくまでもメインは新玉葱。これならワインでしょう。軽めの吟醸酒でも良いけど(純米でないやつ)。1本飲みませんように。」どす。 5月23日 羅臼人を羅須地人と読み間違えてしまった。「下ノ畑ニ居リマス」。 こんぶはいつも水からいれてふやかしてるもーん。えっへん。 けっきょく朝からどたばたで、肝心の更新はできず。できなくて、ほっとした面もあったかも。きょうはしない。できない。 勝手にもらってきた火星の写真はちっちゃすぎて、ちと壁紙にはきびしいな。まあいいか。この赤い砂漠と水の流れた後を眺めるんだ。 北さまは「おやじが」と書いておられるので、海にちかい本店に行かれたと思われる。ころんたは平塚駅前右側を地下に降りていったところね。紅谷町のまんなかあたりにもう1軒あり、知る限り平塚市内に3軒の「ラオシャン」がある。おばちゃんがいきなり「ラー油をお使いください」と言ってくれる。知ってるよん。 どんなものかは、すべて北さまの書かれているとおり。とにかくうまいとかまずいとかではなく、「ラオシャン」なのだった。量的に麺は完食できず残してしまったけど、おいしいわかめも、食感がすてきなメンマも、ラー油が浮いた、たまねぎみじんぎりいりの、すっぱくて透明なスープも飲み干し、麺以外は完食。 12時ちょっと前に行って空いていたんだけど、それからすぐに店内いっぱいになってしまった。まんぞくまんぞく。 5月22日 きょうは暑くなるらしい。すでに朝から気温が上がってきた。『赤い目の鏡』を聴きながらのやぎさんが旅する砂漠は、ひるまは暑いかな。夜になったら、きゅうに気温がさがるかも。旅たいへんだ。煉瓦の丘に行く前に、やぎさんは水を飲めたかな、と思う。やぎさんも、きっとあしうらに熱を感じながら、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら旅をしていたんだろうな。火の星がうかぶ。 あり?もしかしたら、やぎさんのあしうらって、ひずめかな。でも熱かったらひずめも熱いよねー。 あしたはおやすみなので、午前中サイトをほんのすこし更新する。量だけならほんの数行だが、たいへんなエネルギーが要る。 いままでずっと、パソコンの壁紙は、クエストホールの表のちらしだったんだけど、勝手にもらってきた火星の赤い砂漠の写真に変えた。ちびっちゃいから、中央にぽつんと、だけどいいな。なんで変えたのかといわれても、うまく説明はできない。 5月21日 今朝も『回帰』を聴いてる。うーん。夕べ頭痛緩和のためにビール飲んで酔っ払って、月を見ながら『ボーデンハウゼン』と『回帰』を並べて書いてるが、泥酔していたとはいえ、我ながらむちゃな。強いていえば作曲された年が同じだっていうだけだ。やっぱり、錯覚だろう。満月に惑わされたんだな、うん。 きょうは帰ったら、HALのつづきを聴こう。『トリプレットカラーズ』。 ところで、6月のころオフで、また『回帰』が演奏されるんだよ〜。 前回は、北さまご自身が『回帰』を歌うってすごいサプライズがあったんだよね。前回とは演奏者がだいぶ変わっての演奏なので、発表をお楽しみに。 もともと、HALの曲を聴いて映像は浮かんではこなくて、浮かぶとしたら、図形とか、映像にはならない情景(憧憬?)なのだが、とくにこの『トリプレットカラーズ』は、情景が浮かばない。 それが、いい。ただ、ただ、酔う。 でも、ころんたが超えられない、公式サイトにある「最新情報」にある記述、は、やっぱり、まだ書けないや。 つぎになにかあるまで、そうだ、このままでいいんた。だって、ここは、ころんたのファンサイトだ門〜だ。 5月20日 いまは土砂降りだけど、夜は晴れるだろう。今日は満月。夜こうこうと光る満月を見る事ができるかな。Metagaiaのシグナルからを聞き始め、窓ガラスに流れるなんぼんもの雨の糸を眺めていたら、ウオーターハープが流れてきた。どちらが現実なのだろうか。 「最新情報」はもう冷静に読めるようになったけどね。ころサイトについて、も、いいかげん更新しなくちゃいけないんだろうな。 HALはやっかいだ。やっかいだというのは、むろん賛辞、というか尊敬だ。 しかしやっかい、というのは、どうやら「答え」というのがきっちりと決まってるらしいので、当然紆余曲折を描きながら果たしてそこへ到達できるのか、その過程を果たして辿ることができるのかと、考えねばならないことが、やっかい、なのだ。それは楽しいやっかいではあるが、楽しいと笑うと怒られそうだな。あ、だから、HAL曲目解説があるのか。 そして、Serenade、『回帰』のラストのなだれこむような演奏部分に、『ボーデンハウゼン』ときれいな対極を成すように今日は感じた。うまく言えないや。どこにも属さない者が居場所を求めて、いや居場所を作ろうと上へ上へ上へ。おや、そうしたら、両者は対極ではなくて同じになってしまう。 わたしの錯覚だな。 そしていままだ、くっきりとは見えないけれど、薄い雲のかさなりあいのむこうに、きれいなきんいろの満月がいるね。きれいだ。次の新月の日をめざして、輝く。 5月19日 ころんた、会社に行くと、「元気だよな〜」ってうんざりされたりする。元気なのはね〜、朝新月を聴いてくるからさっ。今朝も『赤い目の鏡』〜『殺意への船出PART2』聴いていくぞ〜。 いまタケシにだいぶ苦しめられているそうで、やっぱりタケシはただの少年ではなかったんだねー。 5月18日 わー。orionに青子さまだ!(以前はこの青ではなくて正しい字で表記されていたのだが、機種依存文字だったらしくいま?になっちゃう)。「さとのはなし」これはたのしみ!受賞すごいおめでとうございます。青子さまの文章に、あの新月のコンサートの時の演技のパワーが甦る。 そして、「日本のおかず」。うーん。やっぱり本屋駆け込みか。 山谷(ブルースはいま労働でめちゃくちゃ疲労してる人に捧げまーす。)じゃなかった四谷の「玉ゆら」で会いましょうが今合言葉になってるのだが、ぶちうま問題に揺れていたりして。ライブ前に食べておかないとしまっちゃうし、どおする、と、ライブに行くにも悩みは多いのだった。やっぱり行きたい〜。 5月17日 今朝はなにがなんでもボックスの「Serenade」なのだった。『ちぎれた鎖』を聴くと、青年とか青春とか、草(といっても石で打たれたじゃないぞ)いきれみたいな青っぽいにおいを感じる。 そして『回帰』。なんと言っても高津さんのギターが胸に響くのだけれど、この主人公は、いったいどこに行こうとしているのだろう。海の水平線と空がくっついているところが見える。最高潮の曲のラストちかくから泣きたくなる。 が、『終末』が流れてくると敬虔で荘厳な思いで、涙がひっこむ。HAL&RINGコンサートでのメロトロンソロで見えたふりそそぐものの影が見える。 『青い青空』は、新月の『発熱の街角』、『雨上りの昼下がり』を水彩画にしたみたいなイメージだ。あれ、ここまで書いてみたら、共通の色のイメージは青、水だなー。 が、『殺意への船出PART1』の海は青ではなくて、夜の海だ。この夜の海は、新月コンサートで演奏された、かすかなさざなみの海とまるで様相が異なり、主人公が錆びついたナイフを手に、星明りをたよりにさまよう姿にかき乱され、荒れ狂う海だ。 再び『回帰』。アルバム「セレナーデ〜新月(スペシャルコレクション)」を初めて聴いていて、いきなりこの曲のなかに『鬼』の旋律が流れてきて、戦慄した、のを思い出す。このカップリング盤に収録されたSerenadeの楽曲を聴いて、2年間の活動の中で、3回しかライブ(1回はクリスマスコンサート)を行わず、すべてを練習、すなわち音楽の神に捧げていたバンドだったということをあらためて感じた。厚い厚い殻に守られたたまご。 この盤に、Serenade盤『殺意への船出PART2』が収録されていないことが残念だが、これは「セレナーデ〜新月(スペシャルコレクション)」で聴く事が出来るが、いま流通してるのかな? 「日高川」の清姫の手のかたちについて、テレビでもキャプションでも、飛んできた清姫が川岸で止まるためのポーズってなっていた。やっぱそうなのかな。ころんたは、まっすぐ突き出した手では、清姫がくらいみえない川へ飛び込む先をさだめるため、折り曲げた左手はそのじぶんを、ふわっ、ておしだすためのポーズだとずっと思っていた。今回の展示は全段ではないのは最初から承知なので、きょうは「日高川」のみ観ていた。 ずっと観ていて飽きない。 「斑猫」はさわりたくなるようなねこ。毛づくろいをしながらもカメラ?目線のねこ、かあいかったなー。 5月16日 ころんたとしたことが。きのうの日記に書いた「自己実現の欲求」を、だから新月は、満たしていなかったから、25年経って「忘れ物をとりにきた」んじゃん。そして、そこで満たしたのだと思ってしまったら、もう次に絵を書く必要はないものね。伝説のバンドとして、その名だけを残せばいい。でも、そうじゃない。階段のてっぺんなんて、自分で決めるもんじゃないよね。 5月15日 きょうは、15日は、はるちゃんの月命日で、それからさらにその3ヶ月前に、大きな変化を聞いた日でもある。そうすると、一気にいろんなことが思い出されてくる。きのう、「新●月●全●史」のなかのDVDのリハーサル風景を観ながら、へんなきもちがした。わくわくするんだけど、ざわざわ。 でも、これからどんどん新しいことがおこるはず。きょうは、「玉ゆら」それから、「植物界之智嚢」のリリースやら、「北山バンド」のデビューやら(すかす、良く考えたらデビュー前の北山バンドがころオフに来たかもと考えるとすごい〜。しかし「国」に負けた〜。)北山ソロセカンドアルバムやら、高津ソロアルバムやら、それから新生新月。15日。毎月、こんなふうに、きもちに区切りをつけながら、新しいことへ目を向ける日になった。 でも昨日みたいろんなブログや掲示板にもあったけど、やっぱりコンサートのDVD観たい〜。くすん。「奇跡の2日間」を眺めよう。沈黙、静止のなかに新月が聴こえる。 5月14日 今朝は『浪漫風』を聴かないと死んでしまいそうな気がして、元気になる。女声コーラスが美しい。んでもってやっぱり『赤い目の鏡』〜『殺意への船出PART2』のメドレーで元気。そうそう、今回のころオフは「玉ゆら」が演奏されるので、ころオフ初の女性ボーカル登場だねー。明日「玉ゆら」ライブがあるのねー。ころんた行かれないけど、誰か行くのかなー。四谷があるので、あしたはがまんね。あしたは神楽坂だって。行った事ないなー、神楽坂と言えば神楽坂はん子さん。なにを言ってるのだろう。 プロの執筆者の方による『鬼』の表現に戦慄する思い。新月は一生聴き続けるのだが、果たしてどんな言葉で今後語ることができるのだろうか。というか、いま「耳にはしている」が「聴いてはいない」のではないのでは?などと、他の方の新月への表現に思う。 それから、じぶんのサイトの旧URLがなぜいまのURLより優位にいるのかふしぎだったが、つまり、2年前当時旧URLにリンクを張ってくださった方たちがいるからだった。旧URLの表紙だけをこのサイトのリンク用に残してあって、削除しようかと思っていたが、これは残しておかねば。 5月13日 うん。「ふとふと」が、かあいいと思う。 5月12日 しっけと寒さでちびっと元気ないす(パンパネラみたい。「どうぞぼくはきみからもらう。」きゃっ。あ、少女漫画ネタね)。「植物界之智嚢」のリリースまだかな。突如現れた「玉ゆら」以降、ほかに新●月の新しい音を受け取っていないしねー。「人工睡眠」も新生新月もだけど、こんな日は、まるで知らない「新しい音」を聴くのがなんだかこわい、ような気がする。 5月11日 ころオフの演奏曲の調整等は、今現在到底わたしは、何の役にもたたないので、それはひとまずお任せして、自分のできる事を考えよう。いまわかってる時点での参加者の名簿作成とか。もっとリスナー参加者増えてほしーなー。ワ〜ダさんからいきなり欠席とどけでたしー、くらくら、んでもって、北さま聴きにさえこられなくなってしまった(泣)。 そういえば、前回のころオフは、加須のフリークライミング「ワールドカップ」のリハ、そして今回は「国体」のリハと重なり、なんでこうやたらスケールのでかいリハと重なるのだ、ころオフは。それもワールド、は加須だったから来ていただけたが、国内の国体は遠いので、来ていただけないのだった。国内の地理的距離的な条件か?なんかちがうか。 しかし演奏者はふだんはふつうにカタギに働いていて、それでもって、自分のバンドで活動してる人は自分のバンドのライブとか録音までやって、それでなおかつ、他のセッションもやってて、そのうえで新月セッションやっちゃうんだからすごいよねー。集中力がちがうのかな。 あと、ころんたやることは、メーキャップね。メーキャップ。マニキュアもいるのかな、いらないか。こういうことをのぞんでるのでないだろうな、ぜったい。依頼してきた人は。 あと、第一回目、二回目と、2度にわたって写真をしっぱいしてるころんた。今度はやっぱり前回の新しいのではなくて、昨年5月の一回目にワ〜ダさんに「博物館行き」と笑われた博物館カメラもってこ。なんとWIN95の時代から使ってるやつ。これが一番使いがってがいいんだもん。しかし、壊れてないだろうな。あとは記録に大事な録音機器と。 ほとんど、気だけばたばたしてて、名前だけの主催者でまったく用をなさないが、落ち着かなくなってきた〜。 5月10日 わわわ。さちさんからの書きこみがあってびっくり。うれしいな!「玉ゆら」の視野はゲーム業界なのか〜。あ、でも、もともとつさまは、任天堂のスーパーファミコンの曲など、ゲーム音楽を作曲されていたのだから、自然な流れなのかも。「ももちゃりでGO!」こ、このタイトルの謎はなんだろう。 それから、経験とかそんなことではなくて、あくまで作曲上の技術とか構成の効果だったんだ。「東欧」「北欧」のバイブレーション。そうか、この街は、夜男の氷の城に近い、もっと寒いところなんもんね。 前回のころオフでみんなに見せた、たとえば79年の2色刷りのいかにも手作りのちらし。ロッキン・オンの企画のクロコダイルのライブだが、ただ、これをスキャニングして、はいって、アップしたらそれでおしまい、かんたんだ。でも、そんなカタログみたいなライブラリだったら、いらない。 このちらしをくれた、たさんに解説してもらったけど、この企画は、昼間にやって、チケット代を出来る限り安くして、普段ライブハウスに来られない高校生にも、足を運んでもらっていろんなバンドの演奏を楽しんでもらおうという主旨の、そんなイベントのちらしだ。 総数を把握してるわけでは到底ないが、new-getsuもそうだけど、当時高校生だった層が、新月ファンに一番多いと思うのだが、こんな、企画の努力の波及効果ではないかと思うのだ。new-getsuメンバーにも当時の新月を観た人は殆ど(あれ、誰もいなかったっけ)いないが、こんなライブに行かれないにしても、ロッキンオンのこんな企画があるんだと、地方の高校生であっても、紙媒体で知ることができたわけで、イベントに参加できなくても、アルバムをその時買えなくても、どこかに新月の名をとどめたひとたちがいた、ということなんじゃないのかな。 なんてことを、キャプションにぜんぶ書くわけではないが、そんな思いを馳せないと、ちらし一枚でもアップできないわけなので、ぼちぼち、待ってけろけろけろっぴ。あ、どぼしてころんたってば、おちゃらけてしまうのだろー。 5月9日 朝から新月聴いて今日も元気! しかし、フランス映画って、独特のにおいがする。新月曲なら、ころんたが即座に同じにおいを感じる曲は『科学の夜』だ。 どんなにおい、とは説明できないんだけど、フランス映画のなかのパリの街とか郊外の森とかそんな風景から連想するものではなく、ただ「映画」に漂うにおいだ。 特に曲の中間部の静かな、流れるような部分、ここに、フランス映画と共通するにおい、を感じる。そして、そのにおい、を感じる曲は『科学の夜』だけだ。 『科学の夜』は新月曲の中でもっとも若い(知る限り。第三期についてはまたべつに)曲、ということはつまり、『鬼』や『殺意への船出PART2』に代表される、10代のころにすでにモチーフが出来上がっていた曲と異なり、メンバーがすでに20代半ばになった頃急遽作られた曲なので、それまでの経験や見上げる位置がこの曲だけ異なっているせいなのかもしれない。 まあ、いずれにしろ、この街、は日本の街ではなさそうだ。 5月8日 朝一メール開いて、いきなり寝込みそうになったころんた。き、北さまが北さまが、ころオフに不参加・・・ボーゼンハウゼン。北山バンドの中のコアなメンバーと一緒に何か1曲ということで、楽しみにしていたんだけど・・・。詳細はネタにして良いということなので、新月掲示板に書いたとおりで、うううう、いかにころオフと言えど国には敵わなかったか〜。 でもなんでよりによって6月7日にやるんだよー。グレて国に抗議を・・・あ、だめ、北さまにご迷惑がかかってしまふ。ううう。とにかくこの借りは体じゃなくて、必ず返してくださるそうなので、次回はリクエスト攻めにしちゃうかも。 あっ、昨日「動物界之智嚢」を聴きたくなったのは、虫の知らせだったのであろうか。 いずれにしろ、北山バンドのお披露目は、真のデビュー時でなければならないという新月さまの意思かも。 すかす、よく考えたらリスナーは全然サプライズ知らなかったんだから、いっそ知らないほうが幸せだったりして。北山バンド参加がサプライズになるはずが、不参加サプライズになってしまった。 朝いちで寝込みそうになったが、寝込んでいる場合ではないっ。とすっくとおきあがるころんた。ふふーんだ、まーだサプライズあるもんね。ほーっほっほほほ。 つさまの「微妙」もびみょうじゃなくなるといいな〜。 でも、なんと言っても、当然毎回のころオフサプライズは、new-getsuの演奏だよね。昨年の5月の初回から、いきなり2度目の、10月の演奏曲目といい、新月を演奏してしまう人たちの演奏力といい、まさにサプライズ! 一ヵ月後に迫った新月曲演奏に向けて、目に見えないけど(新月だからね)ものすごい熱気を感じる。主催者がこう言ってはなんだが、たのしみだ。 ananに送ってもらった前回の映像を見て、みんな演奏すごいなー、じょうずだなー、そしてみんな楽しそうだな〜、う、でも自分がところどころ写ってるけど、顔がこわいっ。 主催者って言っても、みんなにお任せで、なんにもしてなかったのに、正直、ほとんど記憶にないくらい、緊張していたんだなー。やっと映像見て、こんなに楽しかったんだと、思った。演奏者の緊張はどれほどだったのか。それに向けたエネルギーは、と思い、そして、改めて、次回もまた、リスペクトしている新月曲を演奏してしまうnew-getsuに、ころんたもリスペクト! 5月7日 あ、はなさまもどってこられたんだね。ころ、いま、お祈りすることがものすごくたくさんあって、各案件ごとに新月さまにお祈りしてるんだけど、聞いてくれるかな〜。数多いからなー。気難しそうだからなー、新月さま。もうこんなもんはきかーん、とか言って、けりって、されちゃうかも。ダイエット成功のお祈りもこっそり混ぜてるんだけど、これは却下かなあ。 でも、やっぱり、まなたすだな〜。んでもって『光るさざなみ』の原曲。いまの『光るさざなみ』は宇宙に行っちゃうけど(あっ、96%のいりぐちだ)、この原曲は等身大で見える、きっと4%の宇宙だね。 でやっぱり、Metagaiaのシグナル・・を聴いてしまう。北山ソロ、津田ソロのそれぞれの曲。なぜか同じところへ行き着いていくような。そして、その旅のための船は、やっぱり『殺意への船出PART2』なんだ。 5月6日 あ、はなさまは生存あそばされていたのね。ただしいゴールデンウィーク、って、ころんたにはあんまり関係ないけど、でも平日休むけど、を過ごされていたのか。ん?仕事って書いてあったような?すかす、ゴールデンウィークが明けてしまふ。つ、つまり「植物界之智嚢」発売はどうなるのだろう?すでに北さまの手を離れ、まだニュースなし。なんか新●月LIVE1979の時の遅延を思い出すな。まあ、待つか。でも、自分の時間を割いて発売の情報を得ようとしてるファンの方がいる。ころんたも同じきもち。 5月5日 今夜は新月。んでもって、たんちゃんのおたんじょうび(推定)で、9歳だ〜。今夜は小田原のお祭り最終日の、御神輿が一騎一騎神社に突っ込んでいく、お宮入りを見に行くのだが、くくぅ、寒そう。 薬師寺展はもう少し先になって見に行くけど、北さまに東寺や新薬師寺や三十三間堂のためになるお話メールでいただいて、やっぱり奈良京都に行きたいな〜。展示物、ではない仏像を拝みに〜。 以前、「清姫」を話題にした時に、スペースサーカスの豊田さんにメールをいただき、熊野古道や那智の滝、日高川のことをお聞きして、清姫のふるさとに、さらにイメージが広がったことを、番組見ながら思ったけど、この清姫を辿る旅もしてみたいなー。実はこの位置関係が全然わかっていないのだが。うーん、旅心。 5月4日 「美の巨人たち」は、だいたいいつも、みっつの切り口から番組が構成されていて、ひとつはもちろん作品の解説、ひとつは画家の歴史、ひとつは、画家あるいは作品をモチーフにしたフィクションを語り部がたどる。 昨日の清姫は第六段「日高川」をとりあげ、みっつのハイライトが並行して番組が進んだ。もちろん清姫の物語、それから古径さんの、生い立ちからはじまりその歴史と作品。フィクションは、亡き妻の思い出を胸に熊野古道を歩き道成寺へと向かう仕事人間だった初老の男性で、「君の思い出を追いかけてる、ぼくは清姫の気分だ」、がなんかいいな〜。 土門拳さんと古径さんとの対峙、古径さんの色彩と画品、そして古径さんの「無心の線」。 安珍を追いかけ日高川の川岸で立ち止まり左手をてのひらを川に向け折り曲げ、これから飛び込み龍にならなんとする、この見飽きないシーン。清姫が鬼として、ついにそのかたちまで変えようとするシーン。『鬼』 清姫のたなびく髪の毛いっぽんいっぽんの緊張が、この無心の線で描かれていて、土門さんとの対峙、そして清姫という作品自身の画品、がすべてこの「無心」に尽きるように描かれていたと思う。 清姫の物語は安珍を追いかけ、龍と化し、安珍を鐘と共に焼き尽くしてしまうという道成寺縁起をモチーフの、古径さんの作品をそのまま解説されていた。 そして、ふたたびフィクションの初老の男性がやっと道成寺に辿りついたそこで観たもの。それが満開の入相桜。亡き妻が、一緒に見たかった満開の桜。ああ、これだったのか、と。 番組内では、花びらひとひらひとひらを、清姫が浄化された涙だと解説していた。 2005年の小林古径展と、昨年の清姫全8段が展示された時に、この「入相桜」を何度も何度も穴の空くほど観たけど、この時、どう感じたっけ?その時どうだったか忘れてしまったが、いま、この満開の「入相桜」は清姫の笑顔みたいに思えるな〜。たぶん、まえ観たときもそう思ったと思う。 あ、だって、『鬼』聴くたび、たしかに緊張するけど、ころんた、笑えてくるもんね〜。 そんでもって、完成したら、ころオフに来ていただけるってことだにゃ! 連休中はひきこもって、新月セッションの仕込みに全力投球してる演奏者もいて、い、いよいよ約一ヶ月だ。メーキャップのお手伝いは、ひそかにイヴ・サンローランのパーティ用のゴールドゴージャスアイシャドーをついに使う日が来たかとよろこんでいたのだが(だって、いまだにそーゆー「パーティ」に呼んでもらったことないもんね。いつどこであるんだろう。パーティ。)どうもそーゆーイメージではないようだ。あ、だから、だいたい、もともと新月だってば。 すかす『科学の夜』。今回のころオフで、みんなが挑戦する難曲だが、この知る限り一番若い曲(第三期新月は別として)の歌詩で、先生が「わからない」というのは本当に、わからない、だったんだー。わからない、というのは、なぜわからないのかわからない、という事だよねー。そのわかんない96%に向かうという挑戦と、のこり98%のDNAの一部を受け継げついでいるひとたちによって、次回もころオフはつづくです。 5月3日 ううう。ちびっと日常瑣末時にばたばたして、ろくに新月日記もメールも打てないだす。 でも、子鬼さん、翡翠さんの掲示板にも、告知させていただいたが、いまや伝説?となった子鬼さんの参加なるかなー、今回も、翡翠さんも参加できそう(まだ???つきかな)で、夕べ鶺鴒さんと新月話というか今回のころオフでの表現について話してて、うんうんと頷く。ほんとに、いろんな意味でころオフはさらに楽しみ!ワ〜ダさんかあいそー。でもライブカメラってなんじゃい?会社から 離れてる当社の施設の出入り状況がパソコンの画面で監視できるあれかな???でも、ころんたわかんなーい。と、とにかく、ちびっとエネルギー取り戻さないと、なんのためにmixiやめたんだかわかんないよぉ。 5月2日 わーん!告知していきなりワ〜ダさんの欠席届けがっ。グレるかも。ころんた今回メーキャップ係りもやるのに〜(ワ〜ダさんにするわけではないか)。 ううっ。気を取り直して 『鬼』と『赤い目の鏡』〜『殺意への船出PART2』つまみぐい?して出かけよう。 5月1日 わーい、今日から5月だっ。さわやかだ〜。ころオフの演奏曲が決定!まだ、3回目なのに、曲数といい、さらなる難度といい、初回からわずか1年ですごいな〜。 新月の曲がこうして演奏されることが本当に嬉しい。曲名見てるだけで嬉しい。演奏者は、それはそれは大変だけどねー。 『朝の向こう側』はころんたのリクエストね。もう「玉ゆら」の曲が演奏されることにおどろく。いつの日かMetagaiaとHAL曲も演奏されるといいな〜。 HAL&Serenadeを聴いてにやつく。並行する時間軸がそれぞれの支柱としてがっちりと立っている。たかだか30年前か。 4月30日 かまちんより、28日の日記を読んでいただき、メールをいただいた。 わたしが目を瞠った、この「最後の1行」は"非常に重要且つ難解"だそうだ。『サー・ボーデンハウゼン』かなり気になる「彼」だな。 「うり坊」かあいいっ。一瞬、まるでかあいいもの好きのころんたのために紹介されたラーメモかと思ったが、そうは恐れ入谷の鬼子母神だった(意味不明)。これで945円も払うのやだ。なので、連日のラーメモのなかで、北さまジュニアのかあいさと、場所が根津ってところで「松島」が気になるね、でも海苔なしかあ。★ついてないしな〜。 ころ、まだ「薬師寺展」を見に行っていないので、来週か再来週あたりに行って、そこから谷中方面一人旅を計画しているのだが(基本的に美・博は一人で行く。ってみんなそうか)、そうするとけっきょくお昼はカレーの「じねんじょ」かビストロ「筆や」になっちゃうんだよねー。 「植物界之智嚢」のはつばい延期は、まあ、たのしみは先に延ばしたほうがいいからね、うん・・・。 4月29日 あうう。大事なメールがたくさんで、いろいろ書きたいが、仕事行くので時間切れ〜。またあとでかきますぅ。夜も書けないかも。だいじなお知らせは、「植物界之智嚢」の発売は延期だそうでGWかも、だそうです。 4月28日 79年当時、「YOUNG GUITAR」で新月を取り上げていたと、ある方から教えていただいた。つさまのギターに着目しての新月へのアプローチなんだねきっと。 ふしぎだな、以前、ちゃんと読んでいたはずなのだが。アポロンのような人間ぽい「神」ではないと書いたが、こういった「種」の区分け自体、この曲を聴くに当たって無意味だったか。 いや、そんなことはないよね、それはガイドだ。先日、北鎌倉のお寺に、年に一度は会いに行っている「閻魔さま」がいる。 閻魔さまはこわい形相で、罪人を容赦なく裁き地獄へ落とし塗炭どころか業火の火に焼くくるしみをあたえるこわい存在だけど、閻魔さまは、その罪人を苦しめる罪で、地獄に落ちるどんな罪人よりひどい苦しみを受けるんだよね。だったら、罪人を地獄に落とさなければ、閻魔さまも苦しまずにすむのに、閻魔さまはそんな不正はゆるさない。 そして、閻魔さまはお地蔵さんの化身だ。地獄にまで救済の手をさしのべにくるお地蔵さん。 あ〜、もちろん原作を知るわけもなく、西洋的な思想世界のボーデンハウゼンさんと、閻魔さまが一緒になるわけなくて、これはころんたの妄想だけど、閻魔さまとお地蔵さんが対極をなすようで、実は化身、同一身。 してみると、神とはまるで無関係の「存在 」と、ころんた捉えてしまったが、ぢつは翼のあるボーデンハウゼンさんは・・・おっと、うっかり堕天使、なんて安直な妄想を浮かべるところだった。インスト曲って、ふしぎだ。 4月27日 きょうは一日新月関連の資料の整理。既掲載資料のCDRが、ごちゃごちゃになっていたわ、いただいた未掲載資料のデータ化とかね。 未掲載分は、ごく数は少ないとはいえ、これは一体なんのちらし(フライヤーっていうの?)なのか、キャプション部分との照合が重要なので、ちびっとだけ時間かかるからほんとに少しづつ、掲載していく。 新月に特化というのはこういうことで、メロトロンサイトを運営している同志(むろんころんたはメロトロンのことなど、つまみひとつわかんないけど、内容は違えど同志なの)に、アドバイスもらったとおり、ここにしっかりと、いまある資料のライブラリを作っていく。 実際、mixiへの発信を断ち切って、そのエネルギーと時間を作ろうということ自体、いろんな人に迷惑かけたり悲しませてしまった。とにかく不器用だ。 知りえる情報を少しでも発信しようなどと思ったのは、mixiしかやっていないファンの人たちが、新●月関連(new-getsuも含めて)の情報を受信するためには、ころんたが発信するしか、などと思い上がってしまったため。それに、やっぱりついつい他の人の記事を読みに行ってしまったりで気が散るわ時間はつかうわ、書いたらやっぱりコメントつかないかなとか気になって、これが他の人たちも言っていたけど、そんな自分にいやになっちゃうの。こうゆーのがやで、他の人からさんざん勧められたけど、絶対ブログはやらなかった。でもmixiでやっちゃった、ということだね。 結果、新月ニュースをあっちにも張らなければ、mixi日記にも張らなければ、なんて欲を出したんだよね。つねに本家情報発信の場は「公式サイト」と案内すれば良いだけだったのに。 新月復活コンサート会場で、たさんからもらったちらしが結局2年間、まだ誰の目にも触れないまま(前回のころオフ参加の方には、とくべつにファイルで見せてあげたねー)というありさまなので、いまこの状態の方が無責任だ。ほんとにすこしづつだけど、きちんと前に進まなくちゃ。 「清姫」の絵葉書を眺め続けてる。「竹取物語」を持っていないのだが、これは象徴的かもね。だから「奇跡の2日間」の『殺意への船出PART2』を眺める。 4月26日 今朝は『ブルー』が頭の中に流れてきて目が覚めた。それから『ブーツのかかと』お天気はくもりでさむくて、小鳥の声も聴こえないけど、ひとつの歌のおわり、の歌詩に、前に進むんだって、きもちになる。 そんでもって、今朝も「清姫」眺めた。 4月25日 わーい。さっそくJなんさんや、たかCの、mixiつながりの方たちが来てくださってうれしいな。メールもほかの方からもいただいて、しんぱいしてくださってるけど、あくまでネガティヴな脱会ではないという事をわかっていただく。もう日記が読めなくなるとおっしゃっている方たちがいたけど、mixi日記は単にこの新月日記のコピペということをご案内した。 いや〜、気分は晴れ晴れだが、でも、きのう気がゆるんで飲みすぎて、ころんた、きもちがわるいの。 そして、頭をクリアに。 『鬼』を聴きながら、ひさしぶりに古径さんの「清姫」の絵葉書を順番に眺める。じめんを、踏みしめよう。 4月24日 よし、今日mixiを抜ける。以前から、いつ退会しようかと思いつつ、なかなかふんぎりがつかず、今日になってしまった。べつに今日がなにかの記念日ではなくて、たんにやすみなので、もろもろの整理をつけてから抜けられるからにすぎない。 mixiを大切にして参加していらっしゃる方たちが大勢いるし、なにより自分からmixiにお誘いした方たちには大変申し訳なく思っている。でも、ほとんどの皆さんが、わたしの「サイト特化」に理解を示してくださり、前向きにとらえてくださっているので、安心した。 しかし、mixi日記に、お別れのあいさつを書いてもほとんどコメントないのは、裏でみんな本音を語ってるからで、みなさん、バンドであれサイトであれ、ゆるぎない骨子をおもちの方たちばかりで、まったく同じ気持ちであることに、読んでいて、おかしくて(失礼)たまらなかった。 なかには、さびしいので籍だけおいておけば、と言ってくださった方たちが、なんにんかいたが、わたしは、そういう器用でかしこい事ができるたちではない。 そういう事ができる方達は、わたし同様mixiに、座り心地のわるさに?を飛ばしながら、続けてるわけで、いずれにしろ、もともとサイトのつながりがある方たちばかりで、みんなEメールあるいは携帯アドレスも知ってるし、直接お会いしたことのあるかたがほとんど。 お会いしたことがなくても古くからのおつきあいがある方ばかりなので、人とのつながりとしてはなんら問題はない。mixiだけやってた方も、サイトをこれから覗いてくださるそうで、ありがたいことだ。むしろ、mixi抜ける今後の方が、ファン同士のつながりが強靭になるような気がする。 新月ファン、みんな大好きなひとたちだ。 なにより、本当に、うれしかったのは、mixiに籍だけは置いてはいるが、いまは、mixiを覗く時間やエネルギーをサイトに集中させているという方で、共に内容は違えど目的は同じ。サイト同士の強力なつながりは変わりないことを確認しあって、ブレなく前に進める。 そう、彼が行っていることから、わたしは一年以上遅れをとっている。おいつかなければ。 新月メンバーのところをもう覗けないことは残念だが(つさまのところは難しくてわかんないけどー)、そして200人ほどの新月コミュニティへの発信の中断がやや気になっていたが、(いずれは抜けるつもりだったので、この管理はPOSEIDONにお任せしていた)これもわたしが心配することではなかったので、安心。 むしろ、わたしが抜けることで、本来のコミュニティの役割りにもどるのではないだろうか。よし、これでなんの未練もない。 mixi内の資料の吸い上げしたり、メールになんだかんだで、1日かかるな。退会は夕方か。 去年のいまごろは武相荘に行って龍神さまに会ったっけ。ほんとうはきょう薬師寺展を見てとんぼ帰りすればいいかなと思っていたが、そういうばたばたはやめておこう。よし!今日も一日中、新●月ざんまいだーい。 新月コミュへの発信の中断ということは、対象を自ら減らすわけで、数の論理からいえば、リスクだと、このことを心配してくれた人がいたが、そのリスクより、やはりわたしは、ここで、しっかりと資料を保管し、取り出せるように管理する方を選ぶ。 さて、退会しよう。断ち切ろう。 4月23日 「奇跡の二日間」を眺めて、楽曲はあたまの中にだけ流して、よしでかけよう!新●月。わたしの絶対値。 4月22日 今日から数日中に身辺?整理をする。4月の新月コンサート以降、本来するべきことだった事をするためだ。新●月に特化する。むろんこれは場の名前だ。 4月21日 このところ、アクセス数がぐっと落ち込んでいる。mixiじゃないから、むろん誰が読んでるなんてわかるわけなく、けっこう掲示板しか見てない人が多いから、そちらの数までわかんないけど、2年前のライブ前後のピーク時に比べたら十分の一程度のアクセス数だ。かなりさびしい。しかし、でも、まだ読んでくれている人たちがいる。数じゃないね。 はじめた当初は誰もいなかったんだから。 以前、まだ新月復活がほとんど知られなかった頃、ストレンジデイズのはなさまインタビュー記事を読んで、他はいろいろ割愛するけど、"100人が浅く聴いて終わっちゃうより、二人だけでもじっくり聴いてくれるほうがいって気持ちがあるのも事実です"ってところで、子鬼さんにこれはまだわたしたち二人だけだから頑張りましょう、なんてかんちがいメールを送ったことがあったっけ。もちろん翡翠さんもその前のサイトから来てくだっていたし、いまは残念ながらサイトを閉じてしまったけど、新月のコーナーを作ってくださっていた方も来てくれていたが、新月のファンサイトをやってるのはじぶんたちだから、なーんて気負いがあったんだよね。 もちろん、いまはたった二人だけなんてことはなくて、もっともっと、たくさんの人がじっくり聴いてることがよくわかってるけどね。きっといまは、みんな新月のことを忘れているわけではなくて、ファンにもいろんな変化があるから、なんだと思う。いまあまり人が見ていない時ほど、はじめたころとおなじく、いろいろ、考えておかなくちゃ。つぎのわたしへ。 4月20日 日付変わって今日は満月。新月が見えない。あたりまえか。でも、新月が見えず、なんだかさびしい。 この、皮肉などという低俗なものが一切介在しない純度の高い毒はどうよ。 『ボーデンハウゼン』がやはりあひるの刷り込みで、いちばんなだれこんでくる。なんと言ってもさくさまのこのベース。HAL、HAL!とボックス購入後みんなで、言い合ったことが甦る。そうか、2年前のいまごろHAL&RINGが始動していたので、なぜか今年は2年前をなぞりたくなる年らしい。だから、ふたたびHALを聴きたくなったんだな。HAL。 以前、はなさまの「男のロックHAL。女子供のロック新月」発言に過剰反応したころんたがはなさまをいじめたとひどい誤解をうけ?それをかまちん(おっと)が王子さまの如く現れて庇ったというころんたいじめっこ事件(誰も覚えているわけないが)があったが、この時HALを例えて太陽神アポロン、新月を月の女神アルテミス・あるいはダイアナになぞられて、どちらも矢を射掛ける者としてこの日記に書きかけて、なんかちがうので途中でやめてしまったが(ごめんです)、HALは魔人であるので、時ににんげんくさい「神」ではない。怒りや復讐などという感情では動かないのではないかと思う。ゆえに、より「純度」が高いのではないかと思うのだ。 その「純度」とは、先に書いた毒だけでは簡単に表現できない「なにか」なのだが。これは、さらに聴きこんでいくうちにみえてくるのか、それともさらになぞになるのか。それはまったくわからない。 4月19日 ひさしぶりに、もってけ〜。 4月18日 お天気はもって、ゆったり散策できたです。小町通りで、能面展をやってた。釣狐の面て初めてみて、こうなってるのか。あと、もう一つの面は狐が、半分人間に化けてるんだけど、口元がけものっぽくて、いつ正体がばれてしまうのだろうとやや怯えが目元が現れているのが、なんともリアルだった。異形は、どこか悲しい。きのうは結局お天気がもって、歩くのにはやはり楽だった。今日は荒れるらしい。 『赤い目の鏡』〜『殺意への船出PART2』を聴いてでかけるだす。 4月17日 今日は大雨の予想のようだが、ころ、今日は鎌倉行ってくるだす。雨の鎌倉も良いもので、ちびっとまったりするだす。というわけで、もちろん朝から『鬼』ざます。 4月16日 「植物界之智嚢」はつばい日とか詳細まだかな。ジャケもたのしみだなー。 ころオフも若い新しい演奏者の方が参加表明してくださって、これはたのしみ!そして、今度こそ、子鬼さんにも参加していただかねばっ。そして、ボーカルに限って書いちゃうけど、翡翠さん今回もなんとかスケジュール調整して参加してくださいっ。前回の『鬼』装束の演奏の舞妓さんみたいな着付けが許せないころんたなので、着付けリベンジしたいす。鶺鴒さんの今回の表現も気になるし、souxouquitさんの『鬼』かあ〜!これは予想つかないす。 4月15日 やった〜!「植物界之智嚢」が完成したんだ!わーいわーい。驚愕のボーナストラックってなんだろ?わくわくどきどき〜。 4月14日 ううっ。突然、白目のはんぶんが、血の池地獄のような色になってしまった。血の池地獄をじっさいに見た事はないので(ほんとよ)わかんないが、きっとこんな感じにちがいない。でもこれ何度もあるんだけど、別に痛いわけではなくて、しぜんに治るんだよね。でも、すごい色なので、みんなぎょっとするね。 すかす、ちびっとだけばたばたで、疲労が疲れが赤い目の血の池地獄が、いろんな案件で飛び交うメールがっ。でも、内容うれしいメールの項目がふたつも!おもしろいのはうんと若い方と、ころんたとほぼ同世代の方から同時に新月の話題。まったく、とまんないね、新月は。 でも、言霊ってあるのかなー。前者は、先日、HAL、HAL&RINGのことを日記に書いたら、『サー・ボーデンハウゼン』を演奏したという若い方(新月曲はもちろん、『青い青空』も!)からで、タイミングにびっくりした。後者の方の報告はもうちびっと後ね。 後者は、LIVE&RECORDSにこっそり?載せてしまったころんた書いたものを通じて、新月とは全然関係ない方とのご縁が生まれて、そこから、当時の新月のことをお聞きできるご縁がさらに発展して、で信じられないよ〜。 また当時の情報など進展したら、ここに書きますです。 高津さんから、ソロアルバムの定期報告をいただけるのはほんとにうれしいねー。止まってない、留まっていないって、なんてすごいことなんだろう。それを、また、こうして、聞かせてもらえる幸せ。 今日、ことし初めて、つばめを見た。すごく幸せな気持ちになる。それからきらきらした太陽のひかりに向かっていくつばめがはばたくたびに、そのまわりに光輪ができているように見えて、そしたら『浪漫風』が頭の中に流れてきた。竹、光る。 ライブ1979の『殺意への船出PART2』を聴きながら、2006年ライブの『殺意への船出PART2』の写真を見られる幸せ。掲示板にまだお返事できないー。余韻にひたりすぎてしまった。 4月12日 ころオフについて若いお問い合わせをいただき、どうもわたしの告知の仕方が身内でかたまっているようなふんいきがあるらしく(猛省)おそるおそるのお問い合わせだった。なんとか参加検討していただけますように(祈り)。 ころオフのこと考えていたら、きょうは『回帰』を聴かないと死んでしまいそうなので、『回帰』聴いて出ます。わーん。レスつける時間なくなりごめんちゃい〜。 4月11日 新月掲示板にお返事書こうと8日当日から思ってるんだけど、うまく言葉にならないや。またあとで書きます。 反則って感じだけど(ほら、トップから行かないとなんか玄関以外の裏口から入るみたいな。じぶんのサイトだからいいのか)、えへ、ころんた「奇跡の二日間」だけは実は、お気に入りにいれいたりして。写真てふしぎ。翡翠さんの言われるように、静寂・沈黙のなかから、音が聴こえてくる。見飽きない。その静寂のなかから聴こえる音は、聞き飽きない。 アピさんの写真、オープニングの『白唇』の、この張り詰めた空気はどうよ。 『殺意への船出PART2』を聴きながら、『殺意への船出PART2』の写真を眺めている。ほんとにほんとに、すごくすごく幸せ!そして、いつもみたいにへらへらうれしくて笑えてきてしまって、それから涙が出てきた。泣き笑い。ころんたってば、コンサートから2年もたってから泣いてやんの。 しろうとが作るファイルなんで、なにかソフトでも使ってただ写真をはめこめば簡単なんだろうけどね。いろはのい、くらいのタグしか打てないけど、カレー作るのにバーモントカレーを使うか自分でコナからいためるかの違いかな。バーモントカレーももちろん大好きだけど。じぶんがアップする新月のものは、すべて自分の手でひとつひとつ打ちたい。 デザインのセンスなど全くないので、とにかく、じぶんなりに、よけいなものをいっさい排除して、ただシンプルに、無言の行間を読むように、写真を置きたかった。 2年前の今頃は、新月コンサートの余韻と興奮さめやらないうちに、すでにHAL&RINGの構想が練られていた。そしてそれをお聞きするうちに、HAL&RING公式サイトの管理人をとのお話があったが、これはとにかくほんとにほんとに固辞させていただいというのは以前も書いた。新月公式サイトの名称を固辞したのとは、また、まったく違う理由だが。 かけもちをできるほど器用ではない、第一わたしにそんなだいそれたことができるスキルはない。 そして、なによりの一番の理由は、やるからには心血を注ぐが、新月という絶対値があるかぎり、同じエネルギーを注ぐのは不可能だからで、それをはんぱに受けては失礼にあたる。わたしにはできない。偉大なバンドに敬意を表して固辞させてもらって、ほんとうに良かった。ファンとしてお手伝いできることだけをさせていただき、あの、素晴らしい年末のライブを、心から感動して観ることができた。 昨年の新月の変化と、はるの病気とお別れでのなか、やはり、HAL、HAL&RINGの楽曲は強烈過ぎて、まだ半年ちかく殆ど聴いていないのが事実だが、このコンサート写真を眺めながら、やっとほんとの区切りがついたようで、そろそろ、今度こそ聴く事ができるかもしれないと思い始めてきた。あの「新●月●全●史」で初めて聴いた時の感動は鮮烈だ。 HAL&RING公式サイト掲載の、年末のコンサートのアピさんの写真を見ながら、2年前の、2006年という年が、いかにすごい年だったかを、あらためて思う。 あのコンサートの新月の写真をこうして、やっと見る事ができて(ユーロ・ロック・プレスにいくつか掲載されていたけど)、それを、ひとつ、ひとつ、自分の手でアップさせてもらえて、ここで、なんだかやっと真に(あ、北山真の真だ)、今度こそ、いろんなことの気持ちの折り合いがついたみたいな気がする。 んでもって、昨年公認の看板もとっぱらったんで(公認ではなくなったんですかとか、マイナスイメージでしんぱいした人もいたが)、事実誤認とかまあその怒られることはいろいろたくさんあるけど、曲の感想とか、めちゃくちゃかんちがいかものこと書いてもぜーんぜんおっけだもんね〜。だからいまとってもらくちん。ちがうだろーとか、突っ込みいれられてるかもだけどぉ。 4月10日 きょうもきょうとて朝から『鬼』を聴くころんた。8日からは、曲ごとに写真を見ることができるからいいね。でも、『朝の向こう側』と『発熱の街角』は、ライブではやらなかった。『生と死』『赤い目の鏡』がないのがさびしい。 そういえば、新月コンサートの時、渋谷でみんなと待ち合わせていたらハチ公慰霊祭をやっていたっけ。月命日だからだったのかな。ハチ公、と聞くだけで、うるうる。渋谷駅ではいじめられていたんだよね。でも、やさしい人に、せめてヤキトリもらえてよかったよね。ううっ。きょう渋谷に行きたかった。 4月9日 2年前の今日は、昨夜観たライブの興奮と感動で、ほとんど一睡もできないままホテルで朝をむかえたっけ。そしてホテルのたまごやきの朝ごはん食べてから、やっぱりまったく眠れなかった子鬼さん翡翠さんと、黒松さんと待ち合わたんだった。おひるはムルギーカレーに行ったんだよね。この時はおいしかった。 写真、何度も見てしまうね。コンサート会場では泣かなかったのに、写真見て泣いて、アピさんへのお礼にお返事いただいて、読んでまた泣いちゃった。2年もたったなんて信じられない。みんな、写真を何度も見て、壁紙にしちゃったり、ブロマイド(古っ)にしたりしてる人もいるかも。 ペパーミントグリーンのカットソーは、気に入っていてさんざん着倒してほんとはもうよれよれで、おうち用だったんだけど、まあいいか。白のジャケットもあの日から太ってぱんぱんだけど〜。シフォンのスカーフは、エトロだけを何種類しか持っていないのだが、はてどれだっけと思い出した。 でも、おんなじ服だけどきょう、肌寒かったのは、あの日はもっとあったかかったんだね。いや、そう感じていただけだったのかな。光だけをくりぬいたみたいな輝いたあの日の今日は昨日のことみたいだ。でも、あの日に着たカットーソーのよれよれが、2年の歳月を確実に物語ってる。 アピさんの写真を見る事ができて、ほんとうに良かった。写真でも原稿でも、データは、アップするまでは当然大事な預かりもので、ちゃんとコピーを取っているにもかかわらず、預かりものになんかしちゃいけないって、緊張する。 ここで白状すると、データ送っていただいて、写真に曲名が書いてあるわけでなく、ナンバーが振ってあるだけで、ライブ中もちろん一曲ごとに着替えなんかしてないわけで、前半、う、こ、この曲名は、な、なんだろ?というのが数枚あって、おそるおそるお聞きしたりして。全部正解だったから良かったけど〜。 『不意の旅立ち』の三面スクリーンに写ってるのは、海の中のぶくぶく水泡なのかな。やだな、覚えてないや。 やはり『殺意への船出PART2』の惑星が出現してくる映像とこの星男には、一瞬息がとまる。 SNOWパーティでお会いした、かわいらしいふんいきのアピさんが、この日は、すごく厳しい表情で、あの日写真を撮影していらしたのを思い出す。そして2年たって、そのわけをお聞きして、涙がとまらなかった。 4月8日 ころオフ告知は、ほんとうは2ヶ月前のきのうアップするよていだったのが、事情があり1日延びた。「奇跡の2日間」とかぶってしまい、見てる人がすこし混乱するかも。 まだ開示されていないが、『不意の旅立ち』は寸劇つきらしい!『科学の夜』も演奏してしまおうというのだから、new-getsuすごい。『鬼』『白唇』はぜったいはずせないねー。『少女は帰れない』がついに常連曲になるとわ。 じつは、この二週間のあいだ、ひそかにすこしづつ、このページを作っていたのだった。だから、ワ〜ダさんにふぁいあーふぉっくすいれろと言われたけど、ちょっと待ってだったわけねー。きのう、最後の仕上げをするため、一日パソコンに向かっていたのだった。 当初は、ほんとにセレクトされた写真のみだったのだが、結局、北さまが写ってる全曲を送っていただき、追加で最後に『武道館』がとうちゃくだったので、昨日はもちりん『武道館』を聴きながら、ファイルを作って楽しかった。 あくまで北さまセレクトなので、演奏された全曲の写真はないけれど、遠景がまたうれしい。 ほんとに、コンサートに行かれなかった方にも、新月のステージはこうだったんだと、マルチスクリーンの映像と共に、伝わる事だと思う。 映像に関しては、もっといろいろ写っていたと思うが、当日そこまで記憶にメモできず、リハ当日いただいた進行表に書かれていた部分と、あとはかろうじて、『不意の旅立ち』で船が写っていたことを記憶しているくらいだった。『赤い目の鏡』の白い鳥は子鬼さんのレポートを読んで思い出した。 それにしても、あの2日間のコンサートは、うれしくてうれしくて、ただにこにこへらへらと笑っていただけだった。リハ含めてあのコンサートのことを思って泣いた事はない。 なのに、昨日、完成したページをめくり(クリック)しながら、『殺意への船出PART2』のスクリーンに「惑星」が出現しようとしている映像の写真を見た瞬間、初めて号泣している自分がいた。 まさに、「奇跡の二日間」だったんだ。 わたしは、あれから2年間、まだここにとどまっていたらしい。みんな、もう、会場から立ち去ってしまった。さて、ころんたも、どこかへ、行かなければ。 4月7日 ううう、orion見たら、つさまのコメントに、な、なんか効率のわるさがうかがい知れるような、ううう。いつもつさまはイタコ状態なのね。おまけにつさまの貴重な時間が通勤?に6時間も。で、でもだいじょうぶだよね。うん。ぜったい。 4月6日 オリオンにやっと音楽・楽器系のはなしが。なんだ仕事曲か。なんだということはないかってことはないか、こればっかり、いや、仕事曲を仕上げねば、新月いかれないじゃん。いいのだ、働いているのだなー。でも、よくわかんないけど、が、楽器だけが増え続けてるみたいに思うのはころんただけじゃろかい。てか、まあ書いてある意味がわかんなかったりして。 自分自身に、一般的な日常におこる事で、たのしいこと、うれしいことはたくさんあるけど、2度とないこの体験は、人生で初めての最高の至福の時だった。そしてさらにその2日後3日後と、たいへんな体験をしてしまった。 2年前のきょうの日記を読み返してみたら、「散る桜 残る桜も 散る桜」と、良寛さんの辞世の句を引用していた。 なるほどね・・・。今日は新月。 4月4日 昨日は、28年前にラフォーレ原宿で新月のコンサートを観た最後の日だった。 昨日は「光るさざなみ」「Metagaia」でしめた(しめたっていうのもへんだけど)。 どちらも、28年前のコンサート以後、わたしが全然メンバーの活動を知らなかった頃から、それぞれのソロ活動で、作り続けられていたアルバムだった。わたしが知っている新月は一度28年前でとまったけど、その後もずっと、DISC5にもあるように、ずっとつながっていた。 今朝はなにがなんでも『殺意への船出PART1』を聴かなくちゃいけないような気がした。聴いてでかけよう。 4月3日 きょうも新●月聴きまくりじゃあ。 おでかけもしたいけど、ウルビーノのヴィーナスと薬師寺展はまだまだやってるからだいじょうぶ。 ラーメモ5日間連続更新。関係ない話が北さま日記みたいで楽しい。 しかし、昨年5月の第一回の時に、とにかく新月セッションをやるためにフルメンバーそろったことがまず奇跡的と言っていたのを思い出した。と、とにかくたいへんなことなのだった。今回はさらに前回よりパワーアップ!まさかのあの曲やこの曲が演奏されるとわっ。と、ひっぱっておいて・・・告知を震えて待て〜。 yanaさん提案で新月セッション開催の頃は、まだ、新月のファンだけのつどい、と限定して考えていたけど、そういえば、新月コンサートについて、他のブログや書き込み、新月掲示板の書きこみを読んで、新月知らないけどコンサート好きな耳の肥えた息子さん、あるいは、ぜんぜんプログレも新月も知らない奥さんや家族を連れて行ったけど、楽しかったと言ってましたというのを読み、新月を知らない人も、new-getsuの演奏で新月を知って楽しめるのではないかと思い始めてきた。 むろん、根底にあるのは、新月の楽曲の素晴らしさだけど、セッション参加のメインの演奏者たちの新月へのリスペクトと情熱がそれを伝えてくれるので、それは、来た人に必ず伝わるから。 『光るさざなみ』。きょうのお天気が、なんかひかりもの(ちとちがうか)に魅かれる。"とんでいくだけ つぎのわたしへ" この言葉だけで、何億ものひかりを超えた次元に行かれるね。レゲエ?版『島へ帰ろう』のつさまのキーキーは、かもめが、おひさま受けてこまかく輝く波の上を風の流れに乗って、ゆったりと、翼をときどき羽ばたかせて島をめざしていくみたい。『浪漫風』に陽光を浴びて透ける竹の葉がきらきらして見える。今日は新月メンバー以外のボーカルは聴きたくないのでひたすら新月セレナーデのみ。アルバム「赤い目の鏡」「科学の夜」「LIVE1979」「新月/新●月」。清姫のまんまでよかったな。だめか。 今日ずっと新月聴いてた。で、思ったんだけど、新生新月の活動は、新生新月にやっぱり女性ボーカルがパーマネント参加でなくても、女性ボーカルはやっぱりやだな。女性ボーカルがきらいなのではなくて、好きなボーカリストであっても女性ボーカルだったら、新月ではないみたいな気がする。バンド名を太陽にするとか。 ころんたなんにも知らないんじゃないの、月の神はたいてい女神だろう?とか言われそうだけど、月読神は男神だもん。 4月2日 ころオフで演奏される曲が何曲か、かたまったらしい。近日中に最初の告知しよう。難曲が何曲もで、みんなすごいな。 新月のこと、考えるだけですごいエネルギー使うのに、それを演奏してしまおうというのだから、new-getsuおそるべし。 4月1日 新年度にふさわしいじょうじょうのお天気! エイプリルフールなので、なんかこじゃれたウソをつこうと思ったけど、浮かばないや。 もうころんた朝から『鬼』を聴くのをやめます、とか。こりだと、ウソなんだかほんとなんだかわけわかんないか。 しかし、ころんた以外に朝から『鬼』聴いてるひといるのかな。新月メンバー聴いてるかな。聴いてないような気がする。new-getsuは聴いてるね。ぜったい。6月7日じゃけえ。 そして、8、9日へとつながった。決して、夢ではなかった。 いまさら、泣くもんか。 じぶんでこれ以上の言葉を思いつかないので、やはりこれはPOSEIDON増田さんの言葉を引用するか。 「新月は日本の宝」。これに尽きるね。 朝、車窓から目の前を走って流れて見えるのは、愛らしい、まさにさくら色のけむるような満開のさくらの木々の並木、それから家々が過ぎていき、こんどはじめんに、いちめんのなのはな、いちめんのなのはな。 夜、家路に着く時見上げる空の、「鼓星」は、おなじ時刻なのに、冬空から、すでに西に移動しており、星空の星座の位置は確実に季節と共に変化している。春なのだ。 変らないものは、なにもない。 そうか、28年前にあさって、を、2年前に6日先、8日先、9日先を指折り数えていたわたしは、思いはおんなじわたしだけど、確実に、変化はしてるんだよね。新●月と共に。 しかし、決して変わらないものがひとつある。それは新●月。さっき書いたことと矛盾してるか。いや、してない。変化しつつ唯一無比。絶対値。それが新●月。 遠い星で待つ。新月は肉眼では見えないからね。これから、バンドのかたちは変わろうが、5人の才能を信じるのみ。 3月31日 わー。夏日星月さいごの日に高津さんのソロセカンド情報が届いてうれしい。 ずっと進捗がなかったので、さびしいなと、思っていたころだったので、へへへ。 こうやってふりかえると、メンバーの発言は、いろいろ意味があって、おもしろ。 つさまがライブ後「星男セット」を車に積んで走り回ってるけど検問うけたらあやしいので、早く届けに行きたいです、というのが、とにかくおかしかった。 3月30日 28年前と2年前の新月コンサートの日が、近いから・・・なので、放置プレイだった過去ログ、せめて2006年の4月分は、と、なんとかここだけは読めるようにしただす。 なにせ単純に、掲示板をこぴぺして、あとは手打ちで改行タグ打ち込むという地道な作業、ものすごい書きこみの量に、目、目が〜っ。 でも、作業しながら、一度きり書き込んでくださった方含めて、ファンの方たちの熱い思いを読み返し、あのコンサートがどれほどすごいものだったかをあらためておもいだす。 ほかのブログ等でも2年前当時共通のコンサート後の感想は、ライブを観た後、さびしくなることがあるけど、新月だけは、なぜか寂しさを感じなかった、というもの。 そして、新月どころかプログレをしらない人を同伴したが、一緒に観て「楽しかった」という感想を言っていた、というところが、すごく嬉しかったのを思い出す。 青子さまの、ご自身も23年ぶりに舞台に立たれるのに、北さまの当時のパフォーマンスの再現に、あらんかぎりのお手伝いをしようと思った、の書きこみに、思わずこみあげるものがあって、当然あの「新月」のコンサートだからこそだが、おそらく青子さまだけではなく、こんな関係者の方たちの思いが、むろん、メンバーの思いと同様、あのコンサートのクオリティをあそこまであげた要因のひとつだろう。 いま新月は静かだ。 あの時、当時のコンサートも観ていて、あのコンサートをわたしみたいに観ることができたひとたち。 当時のコンサートを観ることができたけど、あのコンサートに来られなかったひとたち 当時のコンサートも、あのコンサートも観ることができなかったひとたち。 いま新月は静かだけど、そんなひとたちのなかに、いま、ほんのすこし、新月のことを忘れているひとたちもいるかもしれないけど、あのファンのひとたちの声を読み返してみると、それはいっときで、絶対にみんな忘れていないと思う。 「遠き星」。目に見えない遠い星は、太陽すら覆い隠してしまうちからがあるのだから。 だからあの日、ころんたは、ほんとにうれしくてわらっていただけなんだけど、まさかのこの変化があるとは夢にも思っていなかったけど、それはそれでいっぱい泣いちゃったけど、だから、いまになってあのとき、泣いておけばよかった・・・なーんて、まったく思わないよ。 遺伝子。まず、それはメンバー自身によって受け継がれていくものだからね。 いまいちど。あのコンサートは、観たひとたちを幸せにする素晴らしいものだった。 ゆえに、戦慄のコンサートだった。 3月29日 3月がもうじき終わる。4月に入ったら、新月のライブがもうすぐだ!特に、28年前は4月3日だったんだから、ほんとに4月に入っていきなりですでに心ここにあらずだったにちがいない。いや、2年前もね。 3月28日 あ"〜、アローンアゲイン、クレア、落ち葉のコンチェルト〜。「レコード」持っていたもんね。すかす、『海にとけこんで』秘話そおだったのかあ。ピアノにはアクを投入する予定だったのであろうか。 しかしすごいっ、やはり音楽的なレポートは、ころんたの主観レポートとぜんぜんちがう。 リズムセクションのところとか、『武道館』のこととか、いやとにかく、衣裳から音楽のことから映像、パフォーマンスについても、すみずみまで網膜と脳裏に焼き付けないと書けないよねー。 いや、いろいろすでに自分では忘れていたことが甦ってきた。 じぶんの読み返してみたら、はずかしかった。翡翠さんも、「新月語り」に書きますとおっしゃっていたんだけど、忙しくなってしまって、残念。でも昨年のころオフで、曲を体現していただいて、ころんた満足。 しかし、やっぱり、もう一度観たいな。やっぱり、DVDはぜったい出してほしいな。LIVE1979の『殺意への船出PART2』を聴きながらえへへ。 とくに、黄色い人のところは、「女」に「ひと」ってルビがふってあるの。だから、当時の歌詩の表記で読んだ方が、黄色いうさぎの登場が、なぜなのか、ぐっと、近くなるような気がする。 3月27日 きょうはおやすみなので、一日中新●月聴きまくるもんね。そして、じぶんでよかれと思って、けっきょくは、ぐちゃぐちゃにしてしまったLIVE&RECORDSのコーナーを元にもどさなくちゃ。とほほ。 いまの状態だと、勝手に作ってしまった各メンバーのコーナーからでないと、SNOWレポートとかPhonogenixライブレポートとかが読めず、初めてきた人が気づかずスルーされてしまふ。おまけに、ここから各メンバーばらばらに階層深くしてしまったので、「新●月」は場であるというコンセプトをこわしてしまったことになってしまったのだった。おまけに見るとこれ、ころんたコーナーみたい。みんなおこってる・・・かな。えーんえーん。ころんたは、ころんたは、ぱあだからっ。 でも、昨年秋のころオフ参加の方にはお見せしたけど、まだサイト未掲載の新月詩集(「砂金の渦」の歌詩が掲載されている)とか、北さまが自ら印刷された79年のちらしとかがまだほかにも未掲載資料があるので、これからのために、いま整理しておいてよかっただす。 new-getsuのおかげで、以前はライブを聴いていて、おもわずここにくると、ぶちって、切っていた『少女は帰れない』を聴く事ができるようになってきた。 「遠き星にて」『殺意への船出PART1』〜『殺意への船出PART2』でやっぱり涙でる。 新月以外で女性ボーカルのアルバム2つ聴いた。「玉ゆら」、やはり『天地』でトリハダ、『Sleepwalking』でナミダ。「夕掛け」『流転〜雨』間奏部分の、硬めの紙を丁寧におりたたんでいくようなところ(音楽的にどうゆうところだと言われても説明できないが)が、きょうはとても良い。この曲ライブで聴いてると思う。ずっと水鏡ライブには行かれていないので、もしかしたら2006年の新月コンサート後のシルエレかもしれない。 3月26日 やっぱり春だから、まだまだ、なんだか、くすくす動き出しそうな予感。はなさまは、寝ちゃってるみたいだけど。 そうそう、さくさまも「火」と「金」。ワ〜ダさんもころんたと同じ「火」なんだよねー。 やはり80年の4月3日のラフォーレ原宿のライブを待ってるとき、06年4月8、9日のライブを待ってる時も、両方ともいまごろわくわく最高潮だったんだから、なんか気持ちがくすくすするのもあたりまえだね。 夏日星。すてきな和名だなー。赤い砂漠、やぎさんの後ろ姿が見える。 3月25日 唐突に、はなさまの『薔薇』。原曲は原曲でどこかで発表されないのかなー。聴きたい。新月もまだ未発表の曲たくさん隠して?いるはずだしー。きょうも徹夜なのかな。 夢ではあるし、わけわかんなかったんで、こりは、はなさまがいつも買い食いするレストランの、定休日が日曜と火曜なのだろうと強引にオチをつけたのだが(新月のことらしいを完全に無視したりして)、ずっとこの夢のことについて考えていた。 このあいだ、火星の写真をぼんやり眺めていた時に、気づいたの。 火星はMars(マルス)で、今月3月はMarch、あー火星の月なんだって。そして、火星の和名は「夏日星」。 日と火だ〜。 でね、新月メンバーのうち、七曜では、つさまが「日」と「水」で北さまは「火」なのね。 「日」のつさまからは、全然予想もしなかった「玉ゆら」結成がいきなり発表されてライブまでやってしまうし、「火」の北さまの、「植物界之智嚢」は、リリースは伸びてしまったけど、3月発売予定だったし、北山バンドは順調とのことで、これは、3月に「日」と「火」が活動開始すると、夢で教えてくれていたんだねー。 だからやっぱりレストランの定休日ではなくて、新月本家ではなく、まずは新●月という場が増えるという未来の、暗示ではなく、きっぱりとしたスタートを、教えてもらっていたんだ。 思えば、あの夢の中で、にこにこしていた男性は清水一登さんにも似てるなと思ったんだけど、3月23日にピアノ演奏されたんだから、もしかしたらそうかもしれない。 「日」と「火」がまずはうごいた。あとははなさまの「金」と「水」。 「金」と「水」が言っている。4月5月は音楽で、うごく、と。 すずさまの「木」と「土」、なさまの「月」がうごいて、七曜ひとめぐり。 夏日星。おもしろいね、新月の苦手な夏、が入ってるよ。でも夏はころんたの季節だからね。へへ、そして、ころんたも「火」なんだ。 でも、「日」と「火」は、夢のなぞが解けておもしろかった。真実だと思う。これだけは、きっと、どんな専門家が分析したとしても、新月ファンでなければわかんないよね。 んでもって、パンクの北さま、まんまのつさまって・・・。うーん。 ふと思ったのは、SNOWのこと思い出したからで、劇団インカ帝国の、おたけさまたちが 当時のままのふんいきで、北さたまちに接しているのを目の当たりにしたから、きっところんたが断片的に覚えてる、若い頃のまんまだったんだ。 だから、たぶん思うにひょっとしてもしかしたら、当時、音楽の時流は、まさにパンク全盛だったけど、新月のバンド名を決める時、この時流にのっかって、候補にあがっていた「エンパイア」とか「ロック貴族」とか「ブラック歯磨き」とか「○○の水溜り」とか、まさにパンクの申し子のようなバンド名に、決まっていたとしたら、北さまですら、こーんなキャラになっちゃうんだよ、たしかにこの時は、そうしてれば、いっときいい事があったかもしんないけどねー。 でもちがうでしょー、って、だからいまのまんまのつさまが、ガイドとなって?にこにこわらっていたのかも。を、いまMetagaia聴き終わって新月LIVE1979聴きながら、そう思った。 3月24日 へんな夢みた。どこかの公民館みたいなところへ土砂ぶりのなか、ライブに行ったの。 あまりまよわず。渋谷公会堂みたいなところだった。 で、いきなり画面がライブ終了後で、そこに北さまとつさまがいらっしゃったんだけど、北さまが若いころで、その上なんかキャラが全然ちがう軽いヒトで、やけに饒舌。 そのうえ、パンクのヒトみたいに、顔にいろんなメダルとかくっつけてるの。 この人はほんとに北さまなのかなーと思いながら、横見ると、つさまはいまのつさまでにこにこわらって黙ってるの。 そのうち、じゃあ次のライブで会おうねと、つさまと北さまはいっしょに出て行ったので、あ、やっぱり北さまだったのかなー、でもなんでパンクなんだろ。と思ってテーブルの上のチラシなんか眺めてると、なんか10代くらいのパンクの少女たちがにこにこわらってころんたを囲んで、「なんのバンドを見にきたんですか?」って聞かれて、あれっ?なんのバンドを観たのをまったく覚えてない。 しどろもどろしてるうちに、少女たちは、ニコニコしながらライブたのしかったといいながら行ってしまい、残ったころんたも、帰ろうと外にでるとまだ土砂ぶり。 あれ、どうやって帰ったらいいんだろ、でもたしかにこっちから来たなと右に下ったら、もうそこで、道がわかんなくなってしまい、どうしよう、もう暗いし・・・と泣いているところで、目が覚めた。 しかしなんなんだこの夢は。な、なんでパンクなんだろ。まるで新月デビューのころではないか。でもなにも北さまがパンクにならなくても。 ライブに行った夢は、たぶんバイブルブラックのライブにつさまがいらしてたと速報をもらったせいもあって、5日こそは行かねばと、思っていたからかもだけど、いやはや。 最近、新月を考えると、以前よりエネルギーを使うのはなぜだろう、それはきっと「増えた」からよけいにエネルギーがいるからだと、責任転嫁?しようとしていたけど、そうじゃないや。もっともっと、深く新月に近付こうとしてるからだ。 3月23日 いまNHKでやってるけど、薬師寺展ぜったい行くもんね。日光・月光菩薩さま、後ろのお姿まで拝んでしまった。うつくしい・・・。 SNOWパーティでは、「動物界之智嚢」の原本をみんなに見せてもらったけど、「植物界之智嚢」をまたあんなパーティで、見せていただける機会があるのかな。 やはり、初めて新月メンバー3人にお会いしたのがSNOWパーティだったので、あひるのすりこみで、一番強烈な印象がある。それから、おたけさまや青子さまや亮子さまに「まこちゃん」とか「津田くん」「花本くん」て、10代そのままに、新月メンバーが呼ばれていたのが、おもしろかった。 防波堤に守られてというより、その旧東海道があるあたりは海よりもはるかに高い位置にあり、そこから小田原駅に向かうにしたがい、低くなっている。高波が来たとしても、海の水がわたしの家のあたりに来る可能性はまず、ない。 ただし、家から海を見る事はできない。しかし、ざざ、ざざという波の音は風向きによってはっきり聞こえ、潮の香りがしてくる。 コドモの頃から、気分転換は庭の柿の木に登るか、夜だったら部屋から屋根に登り星空を眺めるか、箱根側に目を向けて、小田原城を眺めるか(いまはもうマンションが林立して部屋から見る事はできない)、この道を超えて西湘バイパスの下をくぐって、階段をくだり、砂浜に降りて、テトラポットに腰掛けるか、波打ち際まで行って、海を見つめていた。 海を見つめていると、時が止まる。吸い込まれそうな青や、白くくだける波頭、波の動きにつれて、きらきらと輝きながら逃げていく太陽の光、それを何も考えずに、飽かずに眺め、それから、はっと、これはいけない、と、気づいてから、ゆるい傾斜の砂浜を歩き、階段を登り、うちに戻ったものだった。 中学教師の友人から聞いた話だが、いつものように、子供がどこかへ行ってしまって帰ってこないと、家庭から連絡があった生徒を、同僚と探し回り、繁華街を探してもみつからず、海ではないかと懐中電灯を持って、曇って月も星も見えない、まっくらな海にみんなで降りていき、ふと、テトラポットに人影が見えたので、生徒だ、と思って、懐中電灯の灯りを向けたが、その人物は大人で、生徒ではなかった。しかし、友人はそこで戦慄したそうだ。 懐中電灯の灯りを向けられても、その人物は微動だにせず、その無礼に反応するわけでもなく、ただ海を見つめ続けていた。 友人たちが来るまえまでは、漆黒の闇だったわけで、ただ舟のあかりや遠く江ノ島の明かりがかろうじて見えるくらいで、しかし、その人は、そのまっくらな中、海を見続けていたわけである。 服装からしてホームレスさんだったようだが、友人たちは、何も言えずあわてて、無礼もそこそこに、そこを立ち去ったそうである。 友人も海辺の育ちなので、あまりに長い間、海を見続けることがどんなことか、よく知っていた。吸い込まれてしまう。 わたしは、歩いている時、人が左側に立つとなんとも具合がわるくなる。むずむずする。というか困る。 理由がわからなかったが、それを以前新月掲示板に書いたら、はなさまが、人間の心臓は左側にあるので、それを守ろうとする意識が強いと、人がそちら側に立つと不安になるらしいという意味の書きこみをいただいた覚えがある。 『不意の旅立ち』。 「赤い目の鏡」と「Out Takes」と両方を聴かれた方は、それぞれの「寸劇」タケシを聞いて、ちがいに気づかれていると思う。 わたしは、はなパパバージョンが好きで、「Out Takes」版だと、パパとママと両方から厳しく責められて、逃げ場がないよーと、思い、はなパパバージョンだと、「このごろ人生がむなしいんだ」となんとなくタケシはつぶやきパパがひきとめてくれてるけど、「Out Takes」版では、きっぱりと「ぼく、人生がむなしいんだ」と言い切って、扉をばたんと閉めてしまう。 どちらの寸劇にしても、タケシは、いつものように左に曲がらず、心臓のある左側を、内側に守らず、外に開放して、右に登った。 そして、この、"門を出て、右にまがるというのはいつもの日常を意志をもって変えていくということなのだ"と、作者のはなさまから、新月掲示板に、解説していただいた記憶がある。 タケシは、思い付きではなくて、自分で決めて、学校に行かず、右に登って、海に向かい、波止場へ行った。旅。それは、計画されたものでも、不意であっても、意志によって旅立つものだ。タケシは、自分で決めて右に登った。海へ。 3月22日 ふふふ。「玉ゆら」ライブでさいごのほう、ずっとギターを立ったまま弾いてるつさま、すごくうれしそうでにこにこしてた。79年当時観た、シルエレの新月のライブの時みたいなにこにこね。 5月30日のころんたの勝手な妄想対バンは、2005年の時MCにあった新月メンバーによるPhonogenixなんだけど、そしたらつさま自分で自分の対バンやることになるから無理か。 全然関係ないけど、ヴィーナスも西洋美術館に観に行かねば。さらに全然関係ないけど、わたしの中ではサロメは巫女なのだった。綺麗なままに、いるために、純愛を貫いたんだよねー。このサロメそのものの逸話とは別に、あの、「玉ゆら」のフライヤーのからくさもようは高潔なシンボルにみえたなー。 3月21日 うーん、朝から頭の中に流れるのはやっぱり『殺意への船出PART2』。これがまず基本で、わたしはいろんなことスタートさせるんだね。 だから、『鬼』を聴きたくなって『鬼』を聴いた。それから、こちらではもう朝とっくに雨は上がったが、『雨上がりの昼下がり』を聴いて、こちらから迷宮としりつつ迷い込みに行った。そしてまた『殺意への船出PART2』と。やはり、逃げ込み先(なにから?)は新月だ。笑えてくる。 3月20日 はなさまは、北海道に住み着いてしまわれたのだろうか。 ・・・しかし、新月本家活動ありきで、メンバーそれぞれ別働隊でのソロ活動、ではなく、本当に「増えた」んだな・・・。やっぱり思いはフクザツ。うまく表現できないが、逃げ込み先がないような。これで北山バンドが、デビューしてきたら、どうなるんだろう。 ええい、さらに、忙しくて仕方ないわい。がんがん行くしかないわい。 3月19日 うーん、村上さんの「玉ゆら」&「Heaven and Earth」レポート、ものすごい気合だっ。まだ「Heaven and Earth」未聴なのでこりはきっちり聴かねば! 5月30日のレコ発ライブも楽しみ。ころオフの1週間前だが。つさまも立って弾かれるそうだし! 3月18日 いかそーめん定食とかいくらどんぶり朝ごはんではないのか。朝からやきそば、むしろ非日常で、やってみたいねー。でも、「朝からカレー」ってわりとやらない?夕べの残りのカレーを、洋皿にばっちりかけるんではなくて、おかず、のひとつとして小皿で。これがんまい! 終わったあと、みんなで、つさまと、すこしお話できて、ライブ1979の『科学の夜』がめちゃくちゃ早いのは、元がテープから起したからで、新月/新●月」のスピードが本来のスピードで、ほんとに、このスピードで弾いたとしたら手が見えない、ケイレンする、とつさまに教えていただく。そ、そかっ。 水鏡セカンドにも話がおよび、ファーストにわたしも感じた違和感がセカンドでは払拭されて、オリジナリティを追求した「水鏡」というひとつのジャンルを確立したのではないかと、絶賛。 ううう。すかす、ころオフ名ばかり主催者の、ころんたの「仕事」が一番遅れてて申し訳ない。きのうもヒロポンをころオフナンパしたのだが、「都内でやってくださいよぉ」と泣かれる。しかし、どこを基準として「遠い」とするのかわかんないねー。前回、静岡から仙台や大阪から参加者いたんだからねー。 しかし、new-getsuのみんなが、新月を演奏すること自体じぶんたちはものすごい無謀なことやってるって言ってた。とにかく新月曲は、いっけん、ふつうに聴こえるのに、演奏するとものすごく難しい、『鬼』をそもそも一発あわせのセッションでやることじたいがむちゃで、それで、1回目のセッション前に、anan日記にもあった(ばらした?)おきてやぶりの「コソレン」をやることになったそうな。 2007年yanaさんが発起人となって、新月を愛するファンの演奏者たちによって、新月曲が演奏されつづけてる新●月セッションころオフ。 時々思うけど、もしもこれがなかったら、復活コンサート後の新月の沈黙、そして新月の変化、とふたたびの沈黙を、ただサイトだけ続けてても、もしかしたら、みんなもう、新月のこと忘れちゃうんじゃないかとか、そんなことばっかり考えてて、ネガティブになっていたかも。 だけど、こうして難曲ぞろいの新月曲を演奏しつづけて、挑戦しつづけているファンのひとたちがいる事を知って、聴いて感じているだけのファンのわたしだが、曲を聴いても、なにひとつ理解できないかもしれないけれど、演奏者のみんなとおなじように、すこしでも、近付く努力をすることによって、忘れないどころか、さらにさらに、深く新月を好きになって、それをすこしでも伝えられたらと、思う。 原点にかえって、このサイトが始まった頃に戻る。だれもこのサイトの存在すら知らないし、新月のなまえも、忘れられていたか過去のものだった。でも、いまは誰も知らないけど、それはいつか大きな力になると信じていた。 そして、それはほんとうで、当時新月を知っていた人たちは、新月を忘れていなかった、新月を知らなかった若い後追いファンがいた、同時代を共有していたけど、当時は知らず、いまになって新月と出会えてよかったというファンがいた。そして、新月曲は難しくて、演奏したくても、メンバーが集まらないけれど、新月が好きでコピーしつづけていたというファンがいた 別に誰に見てもらうわけでも、認めてもらおうなどと思うわけでもなく、ただ、新月が好きだから、というファンの人たちがたくさん、いた。 2003年10月26日。このサイトが始まって、ほんとにほんとに、いろんなことがあったけど、変化し続けているけれど、でも、いま、何がちがうのか。 思いは、何も変らない。 ゆるぎない。 玉ゆらもどうやらパーマネントな活動開始で、そしてこれから北山バンドが、がんがんと活動開始。 うれしい。とてもうれしい。とてもうれしいが、ここにこそこそ書くが、さっき、原点にかえって決意を新たにしたが、たしかに思いはゆるぎないが、ただまあその、原点当時、復活して大きくなってねとは願ったが、増えてくれとは願っていなかったぞ。ひとつの場が強く太くと思っていたが、場が増えるとわ夢にも思っていなかったぞ。応援が忙しくてしかたないわい。 あー、北さま無事退院されて良かった、よかった。しかしちょっと待て。入院する前と入院中と退院して今日いきなりラーしてるんですけど。 でも今日のラーメモ「オリオン食堂」★★(店名もすてき)は、ラーのことは一言も書かれていないのに、ミニエッセイ「青春の光と影」を読んでると、この店に行きたくなる。禁断の街、「幸い」変貌していた街、その当時はなかった、素敵なラーメン屋さん。 変らぬ歩幅だけが現実で、まるで『発熱の街角』のよう。 このラーメモを読んでいると、この「青春の光と影」の日々のなかで、培われたことがらからの表現のひとつ、新月の詩の世界が、やはりことごとく「鏡像」の世界を持っているのではないか、と感じた。 3月17日 はなさまの夢、もしかしたら、『殺意への船出PART2』そのままなのかな。いいな、いいな。 終わったあとのラーは「ぶちうま」が全員一致だったのだが、ライブ終わった時点で、すでに22時ちかくなっており、にゃんとお店は20時30分でラストだということが判明。しかたなくはなまるうどんに向かうが、すでに閉店間際で、ちかくの、うこっけいラーメンで、生ビールとぎょうざでかんぱい。むろん、話題は新月、次回ころオフのことなのだった。来ない人は後悔するでしょう。うふっ。 3月16日 ふふふ。あしたは玉ゆらライブだ〜。たのしみ〜。でもでも、どおしたらいいのっ。なにがって、あれよ、ラーをどこで食べるだ〜。からいのはな〜と思いつつも「ぶちうま」のスープおいしそうだし、でも醤油にも、はげしく魅かれるし・・・。ダイエットしないといけないのに、どーしよー。 日食は、新月の日にしか起こらないんだよね。 新●月が復活したから、SerenadeやHAL音源が30年の時を経て、ファンの元へと音源が届き、新●月の復活コンサートを行ったからHAL&RINGが結成されて、新月の日には、古代のひとたちには信じられないような自然現象が起こったんだけど、この新月も、ファンにはまさかのうれしいサプライズが起こった。でも、それで、また新月はやみのなかに身を隠してしまうんだよね。 3月15日 きょうは「月兎」のライブ、行かれず残念。来週の「BIBLE BLACK」も無理だ・・・。でも「BIBLE BLACK」は4月もあるそうなので、こちらには行かれそう。 いや、とにかく17日の「玉ゆら」があるもんね。10月以来のつさまのギターだっ。 朝から紹介してもらった『RED REIN』の映像を観て感涙。そしてOUT TAKE盤の『殺意への船出PART2』を聴いて出かけよう。 でもねー、新月もやったよ、プラネタリウム。 復活コンサートの時の星男セットで。 『殺意への船出PART2』で、あのカブリモノの中は鏡張りだから、北さまの顔と豆電球の光が、内部の鏡に写って、その写った鏡の向こうがまたさらに、いくつもいくつもあって、それを最初に発見したのが、子鬼さんで、それライブ観ながら教えてもらって、ころんた、おおっと思った。 そして、マントにすみれ色の照明が当たって、星が燃えるみたいに輝いた瞬間、プリズムを通して見える虹色のひかりのようにとりどりに、マントの上に輝きが細かく砕けて、そのあたかも無数の燃える星のようなひかりが、宇宙をそこに見せてくれたの。ステージ上のプラネタリウム。 でも、あの新月のみっつのモノクロ映像は、実はもっと深い意味があるのかなと思ったりして。 「無明」って言葉が浮かんだ。ほんとのことがわからないってことかな。とするとモノクロ画面はきれいな鏡なのかな。あれそれが、赤い目の鏡かな。あ、しまった、新月の詩についてなんか、考えるんじゃなかった。 3月14日 あ、感想はあくまでころんたが勝手に感じたことで、ほんとは全然ちがうかも。 ボックスが出た直後、当時のプロモビデオを見たひとたちが、自分たちが観たのはカラーだったのに、なんで白黒なの〜、カラーで再現してほしかったという声をあげていたのを見た事がある。 みんな新月の映像に飢えていたから、忠実な再現を望んでいたのだろう、とそれは気持ちはわかる。 ふとこの時思ったのは、映画「東京オリンピック」だ。 市川昆監督のこの作品は、記録映画ではなく監督の芸術作品だった。芸術ではなく記録をのぞんでいたひとびととの間で、賛否両論あったようだが、わたしはこの「作品」は好きだ。 反面、たしかにだらだらと、そのまま競技の再現も見たいとも思ったが、この作品を通じて、世界一に挑戦する競技者たちの崇高な姿に、さらに肉迫し、感動できたと思う。 新月のDVDに、わたしが感じたことは、作者の意図とはかけ離れているかもしれないが、新月の演奏の記録、を超えて、なにかを感じさせようとする、それが新●月の意図だと思う。 new-getsu演奏者が新月を演奏することは通常以上の集中力とエネルギーが必要だ、それは曲の難度だけではない、というような意味の事を言っていた。 わたしは、楽器もなにもできないが、たとえ解釈が違っても、新月と真剣に向き合って感想を書こうとするとき、ものすごいエネルギーを使って、へとへとになる。 ただ、それは心地よい疲労感でもあるのだが。だから、ランナーズハイみたいになって、新月から離れなれないのかも。 3月13日 すかす。ころんたの新月史の中から、『パパと一緒に』とおなじくけしごむでけしちゃお、もう語り継がれなくていいもんね、プロモ映像?見なくていいもーん、ボックスにも入らなくてああよかった、解説もいらないもんね、あっちにいっちゃえ、といじめていた曲『少女は帰れない』が、語り継がれないどころか、新月ファンの演奏者の人気曲となって、演奏し続けられることになるとわ、まっこと、世の理は予想のつかんもんですのぉ、ほっほっほ。ananに花ぱぱのパフォーマンスのマネもしてもらおっと。 以前、「新●月●全●史」が出た直後だったと思うが、子鬼さんと翡翠さんと、どちらの掲示板か失念して申し訳ないが、『殺意への船出PART1』の歌詩の内容について、お二人がやりとりをされているのを読ませていただき、わたしが想像した以上にさらに深いアプローチに、目からうろこが落ちたような思いをしたことを覚えている。 新月の詩世界を、ただ聴いて読むだけではなく、演奏、表現する。演奏者の新月へのアプローチを、最初にうらやましく思った一瞬だった。むろん、まだ新月セッションが行われる前の話だ。 前回のセッションから加わってくださった鶺鴒さんは、かつて『鬼』を演奏するためのバンドを組んでいた方で、新月曲を歌われるにあたり、新月詩の世界を常にみつめ、表現し、伝えることに、日々努力しておられる方だと思う。 次回のセッションで、演奏される曲が、どのように表現されるのか、楽しみだ。 とわいえ、主催者が楽しみだなどと客みたいな事を言っていてわいかーん! むずかしいことはさっぱりわからないながら、楽器を演奏する皆さんの、より難度の高い曲へのチャレンジ精神と実現に向けての気合を、新月ファンなら体感したいでしょう? さあ、【6月7日(土)ハニフラ】みんな帳面に書きましたね?! 最初に映し出された写真を見て、わたしには、それが何なのか、わからなかった。 最初、おばかなわたしは、白樺の幹かな?と思ったが、すぐにそれは違うと思った。 思ったが、何なのか、わからないままでいた。 きれいなカラー写真だったので、当時のプロモ映像も、カラーで再現されるのかなと、思ったが、『鬼』も『せめて今宵は』も白黒の映像だった。 『せめて今宵は』に映っているレバノンのベイルートの家々の灯りだけが、カラーだった。 現在と過去の映像が、カラーと白黒で表現されているのかな、と思った。では、現在の、リハーサル風景で、今のメンバーの姿は、カラーで見る事ができるのかな、と思った。 でも、これも白黒だった。そして、切り替わった画面の、中東のこどもたちの姿は、カラーだった。 どういうことなのかな? ずっと、わからないままでいた。 それから、orionにはなさまが、あのDVDの冒頭のカラー部は弾痕の残る壁だと解説されていたのを読んだ。 こどもたちの国の名(パキスタンだったか。う、パキスタンは中東だっけ?)と、この弾痕の残る壁を残す国の名が、orionに、記されていたはずだが、残念ながら、もう流れてしまって、わからなくなってしまった。情けないが、記憶していない。 そして、ああ、そうなのか。と、この時、そう思ったが、なんか繋がりそうで、つながらなかった。 それから、何度も新月の映像観ては、ただ、わーい、と思っていただけだ。 ブックレットの解説の「DVDのリハーサル風景は、これからの表現活動の予告編」という一文も、単純に受け止めて、今の新月はまだまだこんなにすごいんだ、と、思っていた。 それに、いまのメンバー5人が全員映ってる。これだけでうれしくてうれしくて仕方なかった。 でも、なにかがずっと繋がらないことが、ひっかかっていた。どうして、新月だけ、白黒の映像なんだろう。そして、唐突に、こどもたちの映像に切り替わって、DVDは終わる。 なんでなんだろう。このごろ、ずっとそれを考えていた。 でも、ふと思った。白黒の世界。このブックレットのデザインそのもの。新月はやみの向こうで見えないもの。でも、存在しているもの。白黒の映像は新月の世界だった。 そして、カラーの部分。これは間違いなく現実、そして起こっていること、それから、束の間の平和のなかで、日本ならあたりまえにこどもたちは当然の権利として「勉強」しているけど、初めて「勉強」ができてよろこんでいるこどもたち。 白黒の世界にいる新月はやみにかくれてみえないけれど、この、カラーで描かれた人間たちが起している世界を、闇のむこうから、見つめ、さいごのこどもたちの、本来あたりまえのねがいを、あたりまえに叶えたいと念じてる。 弾痕の跡が残る壁。どれほどの、人の悲鳴が恐怖が悲しみが絶望が、しかし生への思いが籠められているだろうか。 『せめて今宵は』の中で、街のなかの家々で灯されるあかりがあたたかくうるむ。 人が点けなければ、灯りはともせない。人がいるから、あたたかい灯りがともる。 せめて今宵は 星を降らせて 星は誰にでも、どんな状況でも、平等に、見上げれば、その光を、わたしたちに見せてくれる。当たり前に。 そして、平和であれば、当たり前に、灯る、誰しもが帰るそれぞれの家で灯る灯り。 これからの、表現活動の予告とは、音楽を通じて、モノクロの世界から、新月が、弾痕が過去のものとなり、街に平和な灯りがともされ、こどもたちが当たり前に元気に過ごせる世界を、願っているということではないだろうか。 このDVDは、最初からおわりまで、通してみるべき「作品」なのだ。 ふと、じぶんが、2004年の4月に書いた日記の事を、思い出した。 はなさまが出会った、たとえばレバノンのタクシーの運転手さんが、そうそう前にタクシーに乗せた日本人が作った「新月」っていいよ、と国境を越えた人たちに笑って話す平和な日が必ず来る事を祈る、と。このDVDは、記録の再現ではなく、新月からの、ぶ厚い手紙だったらしい。 3月12日 新月掲示板にお返事する時間なくなってしまった。ころオフ、ころんたもがんばってすこしでもたくさんの人に来てもらわなければ。 香道などという高尚な趣味には到底手が届かないが、香って、かおりをかぐのではなく、「聞く」っていうんだよね。 香りを聞く。音を観る。うん。 3月11日 「北山バンド」はかなり順調だそうで、たのしみ!! じぶんが行かれなかったライブ、レポートしてもらえるとすごくうれしいもんな。 サロメはモローは、もちろんだけど、ワイルド版の挿絵がビアズリーでこれもまた大好き。サロメはいじらしい乙女の純愛つらぬいたんやね(かなり異論ありそうだが)。 3月10日 朝からOutTakes版『殺意への船出PART2』朝から聴く。昨日なぜかいつもこの曲を聴くと笑えてしまうころんたが、聴いて泣いてしまったが、やっぱり今日はいつものように、笑えてしまった。夢と希望の曲だ。む。キーボードの調子がわるくて、うまく打てないぞ。それから、「赤い目の鏡」の『不意の旅立ち』。 そういえば、寸劇タケシは、この、ライブ版の、もそもそしたパパとタケシの会話がいいねって、復活コンサートのあとみんなで言ってたな。 でも、朝から、パパとタケシだけにして、ママはどこにいるんだろう。洗濯かな、それとも朝早いパートに出てるのかな、でもパパママなんて呼んでるんだから、すこし違う意識があるおうちかな。なーんて。 はなパパとタケシの会話は、うすぼんやりと、パパのタケシのようすへの疑問と対話の余地をのこしつつ、そんななか「このごろ人生がむなしいんだ」って、タケシは自らの意志の余韻をのこしつつその言葉を言い置いて、それから待ちなさいって、パパがひきとめてるに、タケシは出て行ってしまう。まだ迷っていたよなーぜったい。 それに対して、前にも書いたけど、OutTakesの「タケシ」はパパとママの猛攻撃で、これではタケシ、逃げ場がありません。だからいきなり「ぼく、人生がむなしいんだ」って、パパママに引き止められる前にいきなり結論出してドアしめて、それからパパママはもう、いないタケシに向かって「入ってらっしゃい〜」って、「送り出してしまう」んだもんなー。 どこにすくいがあるのだろー。もう、右に曲がるしかないよー。さらに容赦なく変化したのかな、この劇は。タケシかわいそう。 3月9日 いいな、ほっかいどー。いいな旭山動物園(だからはなさまは、行ってないんだってば。会社で行った人がペンギンの散歩見られてすごく幸せだったと言っていた)。「北」のラー情報、北海道のひとは頷いているのであろー。いいな。「男山」は一時はまって飲んでいたなー。八角って、ちゅうかのざいりょうと、あと一角を思い出してしまったが、おいしいんだなーいいなー。全然関係ないけど、いくら冬が好きでも北海道の深夜ロケはやっぱ寒いんだなー。あ、ひとりごとす。 来週はいよいよ玉ゆらライブ。まずは玉ゆらライブを糧に生きていくだす。 いま、つさまが、あまり登場されないのは、きっと、玉ゆらに向けて働いているからにちがいない、うん。 そして、「植物界之智嚢」がリリースかも、と、北山バンド♪いっつかなっ。 これをキーワードに、先日来、気になって何度も見てしまっている。そして、リハーサル風景の最後に(中東のこどもたちではなく)、それがなんなのかうすぼんやりと見えるような気がした。 それに気づいてから、このDVDは、つまみぐいではくて、最初のカラー部分の弾痕のあと、そして、リハーサル部分のあとのカラー部分の最後のこどもたちの姿、それに「挟まれた」かたちの、みっつの演奏のシーンを続けて観なければいけないんじゃないのかと思った。この白黒部分とカラー部分の映像の意味。 ヒントがorionに書いてあったような気がしたが、見つけられなかった。というか流れてしまったか。じぶんで感じるしかないか。 先日テレビで放映されていた、フェデリコ・フェリー二の「道」。むろん「サテリコン」も大好きなのだが、「道」はフェリー二への道である作品だろう。 何度観たかわかんないくらい折にふれて繰り返し観たけど、このなかで、もっとも好きなシーンは、サーカス団の青年が、おつむのうすいジェルソミーナに、道の石ころをひろって、神様が作ったもので役に立たないものは、ひとつもないんだよ、って、照れながら教えるところ。ここでジェルソミーナは元気になるけど、それがさらに切ないシーンでもある。 役にたつ、というのは利益をもたらすか、ということではなく、存在に意味がある、ということだと、ころんたも、うすいあたまでぼんやりと思った。 表現として、発表されている作品に、意味が無いことがらなど、ない。 まったく、新月を観る聴くことは永遠に旅することみたいだ。『赤い目の鏡』と『殺意への船出』が、そう言ってる(ほんとかー)。 もっとも、そんなこと、なんにも考えずに、このリハーサル風景を観るたび泣きそうになるけどね、もちろん。 3月8日 いつも手元においたり、持ち歩いたりして、新●月の参考書にしているブックレットは、もうぼろぼろ。こんなに薄いのに、一生読破、なんてできないような気がする。 朝から、DVDの『鬼』を、見る。 そう、あの鬼を見て怯えるパフォーマンス、あれがなぞをさらに深めるんだよね。 あ〜きのう、北さまふたつにわかれたって書いたけど、観たら、ふたつではなくてみっつだった〜。 やはり、映像で『鬼』を観て聴くと、世界に類のない曲だと改めて実感し、そして、このパフォーマンスと一体の表現によって、『鬼』はさらに遠く深く広くわたしの目の前に映し出される。 「新月史」によると、はなさま作詩の『鬼』は、北さまの手により、ただ一箇所「暖炉」を「囲炉裏」に書き換えられた。そこで、詩にもフックがつき、あの世界が完璧になた、だと思う。 やはり・・・思う。新月が北山真を欠く。北山真を欠いた新生新月だけが、そのあとの表現を知っているわけだが、やはり、ライブでは過去曲を封印して欲しいのも本音だ。 『殺意への船出PART2』も、もう変化進化しなくていい。北山真が歌わない『殺意への船出PART2』は聴きたくない。 「新生新月」ではもう、北山真の詩を読むことはできないのだろう。いや、それは北山バンド(バンド名はこのままなのかのぉ)で読むことができるんだから。 公式サイトの最新情報はあの10月18日でとまったままだ。はるちゃんが体を投げ出してくれたんだから、もう泣いたりしないけど、やはり、この文を読むと、ぼこっと穴が空いたような気持ちには変らない。あの5人じゃなきゃやだ・・・。 だが、「空」か。この意味は、むなしいのではない、変化しないものはなにもない。 「新月道」を読んで、ひどく気になった部分がある。 北さまは、新月に「加入」した。そこで音楽活動の中で初めて「完成された」曲を歌うという"新鮮な作業"に没頭する、という内容の部分である。 ここでの作業は、曲を自分のものすることだとある。『殺意への船出PART1、2』のようにSerenade時代から踏襲された曲もあるが、ほとんどは、すでに完成された曲を歌ったわけだ。 この歴史的事実、は何を語っているのだろうか。いまの「変化」と照らし合わせて、たまたまそうだったとは思えないのである。 「新月さま」。これは、北さまが新月の音楽的インスピレーションをそう名づけたわけだが、そのはかりしれない大きな意志、これに、何か想像を超えた意味がこめられているような気がしてならない。 新生新月、北山バンド。それぞれが新●月という場で行っていく音楽活動にそのこたえがあるのだろう。どちらも、かつて見たことがないものが書かれている絵。見せてもらおう。 かっこ悪かったらゆるさない(こればっかり)。 でも"細部を聞き込むと〜"とあるので、音楽的なことがきちんと分かる人はきちんとした理由で、ちがうことがわかるんだね。 ころんたが、ちがう、って思ったのはなんだろう。演奏そのものも『鬼』なんだけど、『鬼』をなぞってはいるけど、でも、ぜったいちがうって、思ったんだけど、それ以外に、さらに足りないって思ったのは・・「情念」かな?あ、またさらにわかんなくなった。 3月7日 今日は新月。 『科学の夜』。そうか、「神になれなかった夜男がかわいそうです」というコメントもらったが、、夜男挫折のストーリーでもあるんだなー。キーボードの事を書かなかったので(書けなかったので)、またこれは別の機会に。 だけど、この曲が1曲目に来ていたら、まったくアルバムの表情が変っていたね。 『鬼』の解釈についても、すぐコメントくれた人がいて、以前はわたしが書いた解釈だったが、いまは、わたしとは違う解釈だそうだ。これはたのしみ。 もっとも、この時はそう解釈したが、わたしも次に考える時は、どう解釈するかは、わからない。 はなさま自身も「未だにわからない」と、おっしゃっている。 そして、『朝の向こう側』について、わたしと同じく、一行一行、ちがう世界を描いてると感じたということ、それからこのあたりは微妙にちがうかもだけど『鬼』に通じる、見た、見てしまった、ということを同じように感じたと言ってもらったことで、これは本当にうれしかったな。 もっとも、ころんた、『朝の向こう側』でこわいこわいと言ってるが、彼はまったく怖がってはいないが。 新月を演奏する演奏者、新月を聴くリスナー。演奏者のたいへんさも、演奏できなくても聴こうとするリスナーも、どちらも、新●月に対して真剣勝負で向き合わねばならない、それが新●月。 新生新月、北山バンド。共にさらに期待せずにはいられない。 3月6日 函館のあと「再び」が今度は、旭川になってるが、なんか移動の経過があったのであろー。たべものはラーのことだけなので、ラーの旅なのかな。ちがうか。 ラーメモにアップされてなくても、まだまだ北さまのお薦めあるんだなー。いずれにしろ、「間違いない」んだから、玉ゆらの前に食べるラーきめておこう。なぜならば、「ころんたはもれなく道に迷う」ので、ラーに行き、そこからOUTBREAK!に移動するというむずかしいことをしないとけいないので、あらかじめ決めておかないと危険なのでR。 あっ、「こもり」★★のサイト見てみたらはリニューアルしたみたい!駅から3分なら、ころんたも迷わないかも。「ぶちうま」★★も徒歩4分か〜。写真見るとトッピングもおいしそう。でもころのようにラー初心者が、つけ麺、それも辛いつけ麺にチャレンジできるであろーか(小心者)。「ビヤシリ」★☆は駅から5、6分かー。 北さまのおすすめは、醤油なのだが、お店情報のサイトはみんな味噌だなー。やっぱり、駅からの時間と 「醤油」に、「こもり」かな〜。 す、すかす北さま、ラーは連日の方が楽って・・・。塩分へのチャレンジか。 玉ゆらライブでは限定CDぜったい買いたいから、ラー食べてから迷って遅刻しないようにしなくちゃ。わ、まだチケット予約してない、しまった! まあ、シングルカットしようとしたくらいなので、演奏者に人気があるってことは、そゆ曲なんだな〜。でもこの歌詞ぜったいに許せないし、ボックスから外れてほっとしたのは本音だし、どっちみちいまだと倫理規定にひっかかるし、歌詞だけ「チワワは帰れない」に差し替えて、再販するってのどおかちら?もっとも、ころんたどこかに替え歌書いたけど黙殺されたが。 サイト開設当初からの読者の方はご存知だと思うが、全曲目解説の連載スタートを切った曲である。 その理由は、「新月/新●月」のA面1曲目を意識して作られた曲であるのではないかと、わたしは、勝手に思っている。 詳細な解説は、新月全曲目解説『科学の夜』を読んでいただくとして、エピソードに、この曲は、アルバム制作が決まってから、急遽作られた曲であり、曲順がアルバム全体で夢-夜-朝-昼-夜-夢と、ひとめぐりするように整えられた後に作詩されたという。 新月のなかでは「若い」曲である。 「新月/新●月」を初めて聴いた時、ほかの曲調とは全然違っていて、このアルバムの中にも、、こんなアップテンポな曲もあるんだなーと思った覚えがある。 この当時は、他の曲ほど思い入れはなくて、ロックしてるなーというのと、この対話形式の歌詩が、演劇的な部分をより、顕著に打ち出しているように感じた。映画のフラッシュを見るような視覚イメージを抱いた記憶がある。 そして、1曲目が鬼でバンド名が新月、一連の美しいメロディがあったが、ゆったりした「和」を打ち出すバンドというくくりではなく、日本という土壌を意識したバンドなのだ、ということは、すでにアルバム入手前にフールズメイトを読み、予備知識としてあったため、ことさらに、アルバム全曲に『鬼』のような(ような、という言葉自体が無理があるが)曲を求めようとは、思わなかった。 しかし、その中でも、このアップテンポな曲はインパクトがあった。 そして、20数年の時を経て、新月作品のなかであえて順位をつけるとしたら一番好きな曲は何でしょうという、メンバーへの質問に、なさまから、"『鬼』『白唇』『せめて今宵は』『殺意への船出partU』『雨上がりの昼下がり』と散々悩みましたが、ドラムを叩いている時の陶酔感からいくと、この曲が一番です。"という答えをいただいた(ちなみに、つさまは『鬼』、北さまは『不意の旅立ち』はなさまは『島へ帰ろう』すずさまは『白唇』ね。 この力強いドラムが、当初から感じている、SF映画の短いシーンがぱぱっぱぱっと残像を残すまもなく次のシーンを映し出すような、少年が取り戻そうとしてる、赤い星や青い星の、何万光年の向こうからやってくる瞬時の輝きをより鮮明に伝えてくれていると思う。 そしてその星の輝きそのものみたいな、美しいギター。 音楽的なことが、ちゃんと言えないので、解説を引用すると"中間部のギターアルペジオによる多重録音は、一つひとつの音が複雑に紡がれていて、まるで美しい縮や上布を見ているかのようです"と、ある。 単純にアップテンポの曲、などと言ってしまうような新月曲はなくて、やはり、紡ぐ、織る、染める、幾重にも重なる、という、緻密な構成がされているのだなと、思う。 それでいながら、メロディーとリズム両面から同時にアプローチできるというベースギター本来の特性を活かしきり"というベースとドラムの連携プレーで、スタジオ録音のアルバムなのに、そこに展開されるのはまるでステージの前で、ライブそのものを観ているような、圧倒的なボリュームで空間をつきぬけようとするこのパワー。" 『科学の夜』。 タイトルを見ただけで、少年の頃に見た「なにか」が、再び現われるようでわくわくするではないか。 さあ!演奏が始まる! 時折思う。この主人公は、天窓にいた鬼を見ても、鬼に怯えてはいない。 先月節分の時、ふざけて、鬼の方が中の人見てこわかったんで逃げちゃった、って書いたんだけど、けっこう、ほんとにそうじゃないかなと思っていた。 「わたし」という一人称が使われているため、つい、主人公と鬼、という主体と客体で、この詩を読んでしまいそうになるが、もしかしたらこの主人公と鬼は、同じモノ、なのではないかと思ってみたりする。 ねこが怒ってるのは、天窓に向かってではなくて、この「わたし」にではないかとも思ったりしてみる。 そうしてみると、じぶんにさよならしてる藁の手首の持ち主が、わたし、であり、鬼かなとか。 ・・・最近、『朝の向こう側』といい、新月の詩を「読もう」などというかなり危険?なことを、してしまっている。なぜかはわからない。わからないが、もう、そんなことはやめておいた方がいい、と何処かから声が聞こえる。そして、それがなぜなのか、それも、わたしには、わからない。 明日は新月。 3月5日 あ、『朝の向こう側』についての向こう側については、もう考えないようにしよう・・・と思いつつ、またやってしまった。わーん。こんな映像みたくなよぉ。 さらに向こう側があるみたいだけど、それはもお、こわすぎて考えられないや。でも、よく考えたらみんな、いっぽんなのかな。 わーん。ちがーう。鳥たちは浜辺で憩ってるんだもーん。 ・・・安心できないよおっ。。この男って、瞳が見えない顔さえも。 なんで、いまになって、新月の詩を読んでしまったんだろー。ううっ。 3月4日 というわけで、気持ちをあらたに、結成30年活動期間1年半、さらに変化を迎えてしまったという、ややこしいあつまりの「新●月」の応援していくだす。 3月3日 今夜は雨が降るらしい。はるちゃんが来た日は七夕の日で夜は土砂降りだった。そして帰って行く日がひなまつりで、夜が、雨。記念日好き、イベント好きのころんたのねこらしい台本なのだった。 気、気を取り直して他の曲のこと考えよう・・・『鬼』の主人公が目が醒めた、「いつものところ」ってどんな夢のいつものところだろう、だいたいこの人は、なんか編みかけていたんだから、寝ていたわけじゃないよな・・・って、だからそんな意味では「まっとうな」曲は、新月にはないんだってば。 しかし待てよ。新月曲は、ぜんぶ、ダブルミーイング、トリプルミーイングだって、もともと、ころんたよく知ってるじゃん。そうだそうだ、なにもこわがることないんだ、あ、あははは・・・は。 でも、きっと、はるちゃんのことで泣かなかったら、ころんた、いまもまだきっと新月の変化のことばかり考えていて泣いていたと思う。いやまちがいなく。 新生新月のことも北山バンドのことも、きっと素直に未来を見ないでいたような気がする。 はるちゃんは、新月ねこ。はるちゃんが居なかったらホームページは作らなかったし、新月のページもなかった、だから、このサイトもなかった。そして、とにかく、このサイトを続けるエネルギーも、たくさん、もらっていた。 だから、新月ねこはるちゃんは、新月の変化への、悲しみ、を全部自分にそらせて、持って行ってくれた。 新月が復活するずっと前からいっしょに新月を聴いて、そして復活を見届け、そして、じぶんがいなくなることにより、新しいスタートを切らせ、新しい新●月、つまりはバンド名ではなく場である新●月を、あとはじぶんの力で見て行ってねと、言ってる。 相思相愛、だったからね。 つまり、まったく未知の世界、新しい世界を見るためには「流れ」ではできない覚悟がいるってことだ。 「わたしにはなにもあげるものがないから」って、炎にとびこんだインドのジャーダカ神話、月の兎のお話みたいに、はるちゃんは体を投げ出してくれたのかな。 新月のサイトとして出発したのが、2003年の10月。そして新月の変化を聞いたのが、10月15日。はるちゃんが行ってしまったのが、ちょうどその3ヵ月後の1月15日。はるちゃんが来たのが七夕で、ほんとにお別れがきょうのひなまつりで、どれも絶対忘れないような日にセットされてるなー。しかしきれいに10とか5とか77とか33とかならぶなー。 3月2日 いくらごはんといかそーめんいいな。どこにもそれを食べるとは書いてないし、ほかにももっとたくさんおいしいものがあるはずだが、思い浮かばなかったりして。朝市はどうだったんだろう。日光の隣だったのかなー。それとも収穫があったのかな。 なんでこんなこと、新月日記に書くんだよ、うすきみわるいって、思う人もいると思うけど、思うならそれでいいや。はるちゃんと、新月を切り離して考えられもん。 48日間ずっと泣いていたけど、その前の16年何ヶ月も笑いをくれていたんだもんね。うん、ほんとにたよりきりだったなー。orionで、「おつかれさま」って、ワ〜ダさんはなさまに、はるちゃんに言ってもらったけど、だから、今日ほんとに、やっとわかったけど、はるちゃんはほんとうに「おつかれさま」だったんだね。だから、明日から、ゆっくりやすんでもらおう。でも、あの初七日前の、ほこほこ体験考えると、はるちゃんはいそがしくて、もう遠い星でいろいろ駆け回っているみたいだ。 あしたはひなまつり。春のはじまりだ。 3月1日 いいないいな、はなさまいいな。いまごろは、いくらどんぶりとかいくらとうにとほたての三色どんぶりとか、いかそうめん定食かにのオミソシルつきとか、朝からラーとか食していらっさるのであろうか。しゃけのちゃんちゃん焼きランチとかおやつにミルクたっぷりアイスクリームとかお花畑キャラメルとか。ころも、もう10数年北海道行ってないけど、そういえば、上にのってるいくらとか魚介類はもちろんおいしいのに、なぜかごはんがどの店も、なんとなくどれもいまいちで上下?が、アンバランスな気がしたけど、いまはごはんもおいしいのかなー。 10月30日のサキエレでは、じぶんの中では勝手にサロメの「出現」のイメージがあったので、うれしいな。 歌姫で舞姫の紗姫さんのボーカル、そして、つさまの世界が、さらにどのように表現されるのか。 3月17日ほんとにたのしみ! 2月29日 今日で2月がおわる。いよいよ3月がはじまるぞ。 それはともかくたまにハラたつ書きこみもいくつもあるが、へえそうなのかと、いろいろ、勉強になるなー。 まあ、ころんたには全くわからない、こういう音楽的なこととか専門的なこととか、プログレのことはこういう人たちに任せておけばいいわけで、てか、感じたことしか書けないからね。 いろいろな人の書きこみを読んで、新月がいかにすごいか、あらためてわかった。 やはり復活コンサート直後の、いろんな人の熱のこもったレポートを読んでいると、あの日が甦ってきて、感無量。やっぱりDVDいるよ〜。。 ころサイトの過去ログ未整理で申し訳ない・・・。 この言葉だけの部分が、一人歩きしていることに対し、はなさまが、以前orionに、反省か苦言を呈していたと思う。 これはイマジネーションの扉を開いて自由な旅をしていただきたいという意味で、「新●月●全●史」及び「新月/新●月」の解説あるいは雑誌インタビューで、こういった表現をされた、新月の音楽を具体的な映像にとらわれすぎないようにしていただきたい、というような、内容だと記憶している。 このはなさまの文が掲載された直後、「自分は、「新月/新●月」を聴いても、少年も少女も雪原も、ほかの映像も、まったく見えなかったので、自分には新月を聴く資格がないのかと思いました。でも、花本さんの文を読んで安心しましたー。良かった〜。」という意味のメールを、ファンの方からいただいた。この日記内でも、さんざん、新月曲と映像について、過度に力説してしまっていたことを、わたしも猛省した。 新月の曲を聴いて、曲の素晴らしさにただ、感動する人、音を採ろうと、楽器に、曲作りに、演奏に、技術に、全体に思いを馳せてと、聴きかたは、千差万別であろうと思う。 音楽的な知識も、プログレも深くも浅くも聞き込んでいるわけではない、単なるリスナーであるわたしは、特に聴きかたなどない。わたしは非力だ。 ただ、感動するために、新月を聴く。そして、新月を聴くと、やはりわたしには、何かが見える。 なにも見えないときもあるけれど、映像が見えることではなく、見えた映像に対して、感動する。新月に喜ぶ。 それはそういう「聴きかた」をしているわけではなく、新月を29年間ちかく聴きつづけてきて、たまたま見えるものを見ているだけにすぎない。 そんな意味で、新月の曲のなかで、『朝の向こう側』だけは、わたしにとって、かなり特異な存在だ。 79年当時、純真でただかわいいだけのいたいけな女子大生(ここに来てるひとは、当時だれもしらないもんね。こぐまさんも覚えていないって言ってたし〜)だったわたしは、初めて「新月/新●月」を聴いて、映像が見える、などいうことについては、意識はまったくしていなかったと思う。 ただ、見えてくるものに対して、単純によろこんで、何度も何度もLPをひっくりかえしていたのだろう。 しかし、そう言った意味で、『朝の向こう側』は、わたしにとっては、極めて特異な曲だ。 この詩に描かれている風景・光景がまったく映像として浮かんでこないのだ。つまり、何もわたしには見えない。 とても美しい歌詩だ。でも、どうして映像が浮かんでこないのだろう??? 文字で歌詩を追ってみた。すると、ふしぎなことに気づいた。 歌詩を一行を読む。そして次の一行に行く。すると、それは、一見つながってるようで、先の一行とは、一見似ていながら、まるで違う世界に行ってしまっているのでは、ないのだろうか。 詩の一行がいっぽんの糸だとしたら、この詩は、何本もの違う世界の糸で成り立っていて、だから、ぜんぶをひとつの世界の光景として捉えても、映像が見えないのはあたりまえではないか、と。 首をひねりながら、2003年に、このサイトに「新月全曲目解説」が掲載された時、『朝の向こう側』についても、解説されるのではないか、そこに答えがあるのではないかと、期待していたのだが、解説はされず、しかし2005年の「新●月●全●史」のブックレット及び公式サイトの全曲目解説に、つさまご自身の文が掲載されていた。 それは直接読みに行っていただくとして、恥ずかしいがわたしは「ナルニア国物語」を未読で、この世界観が、何なのか、わからない(先に読んでから書けと言われるだろうが)。 しかし、ここの後半部分は、わたしにとっては衝撃だった。 「鏡のような倒立像があるとすれば・・・」 この一文を勝手に解釈して、わたしはあることを試みた。これは、おそらく、詩に対しての冒涜であると思う。 よいこがまねしないように、何をしたかは、書かない。 詩をそのまま読んでいるときには見えなかった映像。しかし、この、あることをしてから、そこには、総毛立つような、目をそむけたくなるような、しかし必ずどこかで目にしているはずの「映像」がくっきりと、これでもか、これでもか、と見えてしまったのだ。 詩をそのまま読んでいたときは、一行、一行がちがう世界だったのに、この「あること」をしたとたん、それは、すべて一つの世界の映像として見えてしまった。 「見た」「見てしまった」は、『鬼』の解説文のはなさまの言葉であるが、わたしにとって、ある意味『鬼』より怖ろしいものを、この『朝の向こう側』で、「見た」「見てしまった」のだ。 むろん、上記のことすべて、これは、作者つさまの意図と到底かけ離れた、たわごとにすぎないと思う。わたしがやったことは、詩に対していけないことだと思う。 しかし、そうしたことで、「皮肉」の意味が、すこしわかったような気がしたのだ。 でも、これは怖いので、聴きながら、めったにしたりしない。 「まっとうに」、一行一行を、絵葉書のようなうつくしい、さわやかな光景を、一枚、一枚にゆだねて、安心して、聴く事にしている。安心して。 とはいえ、『白唇』の作者つさまの作品である。なにか「しかけ」があるに違いないと、ついつい思いながら、聴いてしまうじぶんがいる。 何せ、タイトルが、朝の「向こう側」だもんね。 2月28日 今朝は、『海にとけこんで』をずっと口ずさんでいた。間奏のピアノ、そして、高津さん以外の何者でもないあのギター。きょうの陽射しにぴったりだ。 ころんたの努力不足で、リスナーをあまり集められず第一回は本当に演奏者のみんなに申し訳なかった。 でも、ワ〜ダさん、ヤンマさん、たかCが来てくれて、リスナー四人で演奏を聴くとという贅沢をさせてもらってしまった。 また、次回、10月の時くらいのたくさんのリスナーに来て欲しいな。サイト、mixiを見てる人は情報を把握してるので、別として、前回もだけど、仕事で忙しくて、全然ネットはできないのでころんたさんのところも見られず、情報知らなかった、でもメールのチェックだけはしてますので、是非も次回教えてくださいという人たちにも、発信せねば!今回こそは来てほしいからねー。 2月27日 すかす、公式サイト、ファンサイト共にラーの話で盛り上がってるの。けっこうけっこう(ころんた何者?)。 きょうはワ〜ダさんとはなさまは仲良なおり?して仲良く並んでわんたんめんを食べたのであろうか。 それから『殺意への船出PART2』と『朝の向こう側』がずっとあたまのなかを流れていた。 『朝の向こう側』。このごろのころんたのキーワードね。 2月26日 鶺鴒@月蝕(鶺鴒さんのかつて『鬼』を演奏するために組んだバンド名ね。復活するらしき?)さんのレス読んでいたら、プロジェクトXのテーマソングがあたまから離れない〜。 まあその新月は融通無碍だから(明らかな誤読)。ころんたは音楽ファンではないんだなー。きっと〜。 2月25日 あ、ラーメモ三ツ星確認だ。特殊なラーメン? 2月24日 わーいわーい!玉ゆら公式サイトが出来た〜。ミニアルバムのタイトル「Heaven and Earth」。すごい。壮大なこのタイトルが、つさまの世界、常に一貫した世界を現していると勝手に思った。新月にもPhonogenixにも通じる世界。サイト完成たのしみ。3月17日楽しみ! 玉響。たまゆら。うつくしい言葉だよね。繊細で、心がきれいで、でも力強いイメージの紗姫さんにぴったり。と、「同時にジャンルを越えたまだ知らない音楽」に、ぴ〜んとする。 それから、 やっぱボーカリストのソロなので、「おまけ」ほしい。 ころんた欲張りなので、ほしいものばっかり。 2月23日 コンサートのCDもほしい。コンサートの写真も、もっといっぱいみたいなー。 行かれなかった人は、星男マントがライティングされて燃えるように輝いたあの「新●月●全●史」のボックスの扉の写真が26年ぶりに再現されたところなんか絶対に見たいと思うよね、そーだよねー。 2月22日 昨日の日記飛ばしすぎて、きょうはかなりへたり気味。なので、OutTakesを聴いて寝る。 2月21日 たまゆら、早くサイト公開にならないかな〜。はるちゃんの喪明け3月3日以降、「植物界之智嚢」ひたすら楽しみにしていたんだけど、その前に、つさまのライブがあるとは、これは、いっぽんとられたぞ。音源も楽しみ!絶対買うもん。仕事をいかに早く切り上げて脱出できるかが問題だ。 北山バンドのライブもぜったい年内にあると思うし、ふふふ。 それから、新生新月、Phonogenix進んでるのかな。 すかす、今度たまゆらコンサートやる四谷OutBreakでの、2005年10月30日のPhonogenixの時、つさまのMC「新月メンバーでライブやっていきます」を、ころんた忘れてないのだが、こりはいつ実現するんじゃろかい(こういうのはしつこく覚えてる)。いやいや、いまは、まず「たまゆら」! ふふふ。3月はたまゆらコンサートに限定CD発売に、「植物界之智嚢」リリースかもで、5月はたまゆら公式CD発売。ふふふ、ふふふのふ。 しかし、そうか、みんな新月掲示板見てるんだなーとか、みんな冷静に分析してるんだなーとか、やっぱ新月好きなんだな〜とか。でも関係者が書きこみしているとしたら笑えるが。読み返すと、やはりDVD切望してるね。むろん、ころんたも同じく。 こりは、発売制作に向けて、新月自身を動かすために、ファンの組織票が必要と思われる。 お正月に十六夜さんが投げてくれたけど、こりは一気にいかねばなるまい。 当時のライブも観られず、積年の願いがかなった復活コンサートも仕事学業病家事子育介護地方海外在住etcで行かれなかった29年のファンの怨念を果たす、いやなんでこっち方面にいくのだ、純愛か、純愛成就のために、DVD制作発売嘆願書をファン一丸となって新月に提出せねば。 新月の、純愛にこたえていない罪悪感をちくちくつつくのと、せこいアイディアと両方からいくか。しかし、新月ファンは無口でなかなか書きこみしてくれなもんなあ。 みんなoni@shingetsu.tvのoniが怖くて直接メールできんのか、ころんたに遠慮がちに、ライブに行かれなかったのでDVD欲しいです、とか今年のクリスマス過ぎたけど、また来年のクリスマスに必ず出ますよね?とか、涙に染まるメールくれるんだけど、ころんたに聞かれてもわからん。こりはころんたに声をあげる先鋒になれってことだろなーやっぱ。ころんたもDVDほしいよお。 なので、嘆願書出すにしても、こけたら、新月、なーんだやっぱみんなそんなにライブDVDほしいと思ってないじゃーん、いらないじゃーん、自分のために自分でお金だして自分にプレゼントするクリスマスプレゼント?そんなこと言ったっけ〜、もうスルーだなスルー、つくんくていいなやっぱし、とかすっとぼけて、そっぽ向くかもしんないし、ことは隠密裏かつ成功するようにすすめねば。どこが隠密なんだ。 お気に入りはやっぱり『理宇』『流転ー雨ー』だな〜、良いなー。『流転ー雨ー』の展開がとにかく好き。見せてくれるね〜、と喜ぶころんた。ドラマティックなのに、気負いがなくて、とにかく、曲の方からやってきてくれる。歌詞が美しい。 それから『月の草 露の草』。この繊細さは花パパの遺伝子か。 いやー、4月19日はレコ発ライブではないそうだが(どう違うの?ワンマンではないってことかな)ライブ楽しみだなー。 2月20日 とつじょ飛び込んできた、たまゆらのライブ&音源発売のニュース!嬉しいな〜。3月はたのしいな。月末には「「植物界之智嚢」も発売かもだし! へへ、津田治彦(新月/Phonogenix)のクレジットがうれしい。どっちも現在進行形にちがいないっ、ておもうもーん。 2月19日 うげげ。ころんたは紅茶党なので、クリームは使わず牛乳を使うのだが、たまに紅茶たのんでるのに、このクリームがついてくることがあり、そりは使わないのだが、使わなくてよかった。うげげ。 竹光る、浪漫風、あかねさす、海からの手紙、の曲、つまり新月のあまり知られていない部分、この部分のエッセンスを、オリジナリティのコンセプトに反する感想かもしれないが、水鏡は気づいて汲み取っているのかもしれないなとも勝手に思った。 2月18日 ほえ。いまは創世時ってことかな。 2月17日 そうか、たまといえばロシアのパンだ。でも、おねいさんが買ったロシアのパンてなんだろう。ピロシキしかしらないや。あ、パイが上にのっかってるつぼ焼き食べたい。 本当に新月が好きなみなさんで、新月が演奏されるのがこれでもう3回目になるんだね。 ハニフラセッションで、前々回前回の『回帰』『OPEN BEFORE KNOCK』『発熱の街角』につづき、三月八日は『白唇』が演奏が決定し、セレナーデ、HAL、新月が、ファンの演奏者によって、演奏されるようになったんだなと、そう考えると本当にすごいことだよね。 「新●月●全●史」が発売された頃には、よもや、新月、そして前身バンドの楽曲が演奏される日が来るなんて、夢にも思っていなかった。 2005年12月16日で、公式サイトが出来て、うれしいのとちょっぴりさびしいのもあったけど、ころんた、音楽的なことはまったくわかんないから、これから、新月の曲について、ファンの人たちがどんどん書いてくれればいいなって思っていたけど、それが「演奏」されてしまうのだから、これ以上のことはないや。うれしいな。 そして「新●月●全●史」の制作によって、まずは新月LIVE1979がボックスに先駆けて発売され、それから新月の未発表音源のみならず、いままで未発表だったセレナーデ、そして、まさかの坂のHALの音源が発見され、こうして、ファンに受け継がれ、演奏(それも、来ていただけた、それぞれのご本家の方たちの前で!)されるようになったんだもんね。 楽曲のちから、ファンの演奏者のちから、それぞれ、より高度なものを完成させようとするちからが、予想もつかないことを実現させてきたんだよね。 新●月おそるべし。 『八咫烏』はライブでおなじみのロックしてる曲。ベースがかっこいいな。大作『花見酒』もライブでおなじみで、とにかく演奏ひたすらかっこいい。 やはり、『理宇』がかなりのお気に入り。ころんたが、龍好きだからというわけではないが、細部に渡り作りこまれそれを聞き込みに行きたくなる。 『月の草 露の草』は、静かでやわらかくこんな曲も作るんだなと思ったが、きっと素直に、さっと描いたように見せている曲なのだろう。 『雨−流転−』これ、いい。静かに展開するかと見せかけてドラマティックに展開していくこの構成大好きで、この曲は歌詞が耳にきちんと届いてくる。うつくしい歌詞だ。 作曲者・演奏者すべてが、微に入り細に入り構築し展開し、見せてくれるので、作者の繊細さがすみずみに織られた何か、を観ることができる。 うんうん。「夕掛け」良い。 2月16日 あの〜。いまになって気づいたんすけど、新月日記の昨年分へのリンクが間違ってました。7月〜12月をクリックすると1〜6月にリンクされてました。すんまへん。まあ、いまさら・・ですが・・・。ぺこぺこ。 カメラ?はその一直線に迷わず歩いている膝から下の足とくつと、その横のはるちゃんしか写していない。 霊能師(キトーシではなかった)だという男の人の声で、はるちゃんは、この人がずっと歩けるように、いま、付き添ってるんだと言っていて、はじめ、うちの母に付き添ってるのかと思ったが、それはどう見ても男性の足だった。あ、新月だって、思った。 はるちゃんは、ころんたの背後霊になってるのかと思ったけど、そうか、いまは、遠い星にいるんだから、もっとおっきな、新●月って場を守ってるのか。バンドじゃない、新●月ぜんぶ。 はるちゃんは、生きてる間はころんたの面倒みるの忙しかったけど、今はさらに忙しいらしい。 怒涛の10月15日から、昨日をくぎりに、いろんな変化、は、ころんたのなかでやっと痛みを超えて、おおきなけしきへと生まれ変わりそうだ。 はるちゃんの四十九日が、お雛祭りの三月三日なので、これがすんだら、つぎのけしきが、かなりはっきり見えてくるような気がする。 まずは三月末に、「植物界之智嚢」のリリースがある。広がった場を、観ることができる。 はるちゃんの喪が明けたら、前に日記に書いた、ころんた考案のせこいDVD&CD制作計画を新●月掲示板に書いちゃる。 これ出さないと、新月は「やくそくをやぶった」ことになるもんね。 2月15日 今朝あたまにながれてきたのは、『島へ帰ろう』。 イギリスの若者風のほうね。今朝の陽光が呼んだのかな。 帰る。帰るところはいろいろあるね。 「島」は、ただ海に浮かぶ島なのかな、それとも、「島」って名称をたまたま与えられたどこかなのかな。 レゲエ調?の曲は、キーキーの効果もあいまって、ものすごく潮の香りがして、のんびり船から海を眺めているような気がして、曲ははなさまなので、島だから詩もはなさまかと、ふと錯覚しそう。でも、新録の「島」の曲に、北さまの詩を読むと、この主人公は、海をはるか下方に見下ろしているようにも思える。 今日ははるちゃんの月命日なので、「帰る」に反応したせいかな。 今日は、はるちゃんと、いつもずっと一緒に聴いていた、新月とMetagaiaと光るさざなみだけを聴く。 Metagaiaの『A SIGNAL GLOWS IN THE DARK』。なにかに失望して、もしもその先に絶望があるかもしれないと思ったら、その前に聴いてみる。もしも、直接聴く事ができないならば、あたまに思い浮かべる。 いや、どんな状況下にあっても、ひかり、は必ずどこかにあるはずだ。それは、待っていても見えるものではなくて、じぶんから、つかみにいくもののような気がする。そしてHOMEへ。それから、そのひかり、ひかりを受けてまたいのちの息吹を返し、そこに在る、光るさざなみ。『殺意への船出PART2』へと、わたしのなかで、つづく。 2月14日 今日水鏡セカンドとりおきしてもらっていたDUで買った。まだ、一度だけで聴き込んでいないが、いいじゃん! 曲と演奏に時々にんまりする部分あるね。 正直、ファーストでは、歌詞の擬古文?が、かなり曲をざらざらとして伝えていて、イメージは多少わかるものの、せっかくの曲と演奏の内容と、かなり乖離していてつらい印象があったんだけど、「夕掛け」ではそれがさほど気にならなくなった。 ここがオリジナリティ追求で、いままで、曲げない部分が昇華されたところなんだろうね。ライブで聴いていた曲を除いて、現時点では4曲目「理宇」がかなりお気に入り。 水鏡のmusic termヒットチャートいきなり一位嬉しいね。じっくり聴き込んだら、のちほど新●月掲示板に感想書くです。 アンジェイ・ワイダ監督作品映画「カティン」はまだ日本では配給会社が決まっていないらしいが、公開予定だそうで、ポーランド以外では、初の海外公式配給になるらしい。 見ておくべき映画のひとつだと思う。勇気があれば。 2月13日 明日かあさってには取りにいかれるぞ水鏡セカンド。 はなさまがあまやかさないねぇ、口調が。で、賛辞なんだな。期待しよう。オリジナリティ。いいな。 2006年の4月22日。つまり新月コンサートの2週間後の水鏡コンサートを思い出す。 鮮やかに素晴らしいライブだった。オリジナリティ、という言葉をいくつも聞いた。この稀有なかっこよさか。聴くのがたのしみだ。結局先入観ばっちりだが、あっしはやっぱり素のリスナーなんで 、やっぱガイドはうれしいかも。 2月12日 あ〜はなさまの水鏡セカンド感想だ! ころんたまだ未入手なので、とうぜん未聴なのだが、和をつらぬいているんやね。英語のサブタイトルなんなんだろう。気になるな〜。 デザイナーさんが某大手食品メーカーの会社案内のデザインを手がけている方だそうで、たしかにジャケのデザインの色合いが、少し値段高いけど正しい魚肉ソーセージをイメージさせるなたしかに(意味不明)。 「夕掛け」買いにいけるのはあと数日先になるけど、たのしみだな。いまのところ、感想は、はなさまと、mixiのコミュの管理人さんだけなので、先入観なく聴くことができるね、って超自己チュー。 でも、はなさまが、最後の曲『流転〜雨〜』が良いとおっしゃってるので、影響されやすいわたし。そうなのかなと思ったりして、なんと矛盾してるどころか同調しやすいというか体制べったりか。なんて。とにかく、まだ聴いていないのだ。 たとえ、どんなに見当外れの感想でも、結構一番最初に聴く、見る(もしかしたら「観る」ことができるかもしれない)ことをけっこう自分で大事にしてるので(的外れなこと書いて、作者にしつれいにならないようにしないといけないけど)さいしょ、って大切。『鬼』との出会いがそうだったから。 あれれ!北さまと、ワ〜ダさんと、ころんたとおんなじ(わーい)胃宿だ〜。だから北さまもワ〜ダさんも2月7日から「新年」ですぜ。28年ぶりのターニングポイント。 北さま四元素だと「地」。七曜では「火」。 はなさまは四元素だと「地」七曜だと「水」と「金」。 つさまは四元素では「火」。七曜だと「日」と「水」。 すずさま四元素では「火」。七曜では「木」と「土」。 なさまは四元素では「火」七曜では「月」。 さくさまは四元素では「水」で、七曜では「金」と「火」だ。 ワ〜ダさん四元素では「風」で、七曜では「火」だ。 ころんたは四元素では「水」で、七曜では「火」。じぶんで火つけて自分で消すんじゃろかい。わしらしいの〜。 と、並べてみたが、だからなんだと言われても自分でもよくわかんないけど、日から土までぜんぶいるんだなと思って。まったく偏りないのが、なんてバランスが良いのだろう。 でも、見てみると、はなさま以外はどちらかに「火」が入るのね。「日」があるのはつさまだけ。うーん。なんかヒントがあるようなないような。 でもまあ、けっきょくこの間の夢のなかの「日」「火」のこたえはでなかったので、あれはやっぱりどこかのお店の定休日だったんだろう、うん。 もっとも当然みなさん、特にいまの時期は仕事で忙しいので、いつになるかわかんないけど、ただ語学堪能だけではなくて、Metagaiaを聴き込んでいる人でないと、きっと微妙なニュアンスは伝わらないだろう。つまりそういう方にお願いしたので、気長に待っててけろ。 って、きっとみんなころんた以外はわかってるんだわ。くくぅ。 そして、2005年のPhonogenixのライブのことを思い出した。あの新月ボックス制作佳境のさなか行われたライブ。『WATER HARP』をライブで観たんだ。 それから、新月、HAL&RING。それから。 それから。 それから、北山バンドだ。 2月11日 Out Takesばっかり聴いてる。なんでかな。 2月9日 まだ、はるちゃんにどっぷり浸っていてはるちゃんの四十九日までふぬけでいることにしてるんだけど、でもその前からもこれからも、どんどん、やっぱり新月が好きになっていく。 そのピアノ教室はYAMAHAだった。「やまは やまは の おんがく きょうしつぅ〜」って校歌?があったような。 新月のルーツは、新月史を読んでるよいこは、もう良く知ってるだろうが、YAMAHAのはりがみなのだった。 当時の、国産初の量産型「キーン コーン」シンセもYAMAHAで購入されたんだー。 当時新月唯一のシンセローランドのSH1000。YAMAHAなくしては、『鬼』『白唇』の音なかったんだー、ありがとうYAMAHAさん。 よくかんがえたら、なにも今、人差し指ですら何も弾けないころんたの昔話を書く必要もないのだが、新月に縁の深い、YAMAHAにちびっとかかわりがあったのを思い出して、それがただ嬉しかったのだった。 2月8日 ううっ。新●月掲示板のMetagaia翻訳読んでると脳みそが溶けそうじゃ。 でも、Metagaiaがすごいんだと言ってることだけは、なんとなくわかるかなー。 2006年の2月は、すでに原宿クエストホールでの、復活コンサートが4月に行われることが告知されたので、もう、4月に向けて、わくわくしていたころだ。 そして、1980年の今頃も、ラフォーレ原宿の新月コンサートに向けて、わくわくしていたころだ。2月って、新月が表面に出るために動く月なのかな。 もしも、このデモを先に聴いてから、本編を聴いたとしたら、安心しきっているだけに、その衝撃は、素で、聴くよりさらにすさまじいものだったにちがいない。 おやおや、ころんたとしたことが。もしも・・・だって。マルコム・マクダウェルのデビュー映画のタイトルじゃないんだから。 あ〜、でも、「新●月●全●史」の曲目解説によると、Out Takesの『鬼』は、デモも本番もこれほど変わらない曲もめずらしいって書いてあるんだよね。変らないのか・・・。最初からこれ読んでいていつもころんたにはそれがはんたいにわかんないやと思っていた。作曲者が言ってるんだから、音楽的には変わらないのか。音楽のことわかんないころんたがまるでちがうと感じてしまうのは、なぜだろう。 2月7日 えーんえーんえーんえーん。Metagaiaレビュー・・・しくしくしく。 2月6日 今日もさらに寒いらしい。寒いの嫌いだが、外へ出て、空気がぴん、と張ってるのは大好き。 どんなに寒くても変温どうぶつ(フタまんがーッの変温どうぶつの巻、好き)じゃないので、いつも体温発熱してないかぎり、おんなじだが、これが発熱すると、目やあたまのなかに、ぐにゃぐにゃのいろんな色が見えたり渦巻いたり叩いたりして、わたしをくるしめる。 さて、それが、街が発熱してるのでたいへんだ。ぼってり厚い原色の油絵具があちこちで、溶け出しそうだ。 発熱しているのは誰だろう。街なのか、この主人公なのだろうか。 2月5日 今日は一日中『朝の向こう側』が頭のなかに、流れてきて、見えてきて、ものすごく元気になる。 なぜ、元気になったのか。この曲を聴いて、見て、地面に立ってるみたいではないような気がしたから。 ふたつの鏡が向かいあわせに立っていて、描かれた光景心象風景森羅万象がそれぞれ反対の世界として写ってる。ものすごく綺麗な世界と、見てはいけない世界と。 こっちの鏡から見る世界、あっちの鏡から見る世界。 でも、どちらも、実は全て現実で、神様の目はそれを瞬時に同時にみることができるらしい。 うふふ。だから、やっぱりこの曲は「愛のうた」。 2月4日 今日は立春。しかし、さむい〜。 昨日の日記を読んだファンの方から、今月の新月の日、昨年の2月7日は、「新月/新●月」紙ジャケ発売の告知がされた日と、教えていただいた(新月ニュース参照)。 今年の春節の日も2月7日だそうだ。 そして、「皆既日食の日に新月を見ることが出来る」と、教えていただき、あ〜。 回帰、いや皆既日食と新月の日が重なる時に遭遇するって、いったい、一生のうちにあるのかな。 2月3日 滅多に夢はみないのだが、夕べ夢を見た。 あの北さまの、SNOWパーティが行われたフライング・ティーポットのテーブルみたいなのに、はなさまが座っていて、カメラ?は、ややはなさまの右ななめうしろ姿からのアングルで、その正面に、細身の、顔も細くて長い、40代はじめくらいの知らない男性が座っていて、テーブルに肘をついて両手を顔の前で組んで、にこにこしてる。 はなさまの前に白いカードがいっぱいあって、そこにはいちまいいちまい、漢字一文字でなにかが書いてある。 その男性は占い師なのかな、でも、ごく普通の白いシャツを着て、神秘的とは全然無縁な、きさくなふつうの人、という感じ。 部屋のようすは全くわからないが、はなさまがトランプを横に一列に並べるみたいに、並べたカードに字がふたつだけ見えた。 はなさまの右隣には誰かいて、はなさまは横を向いて、そのカードを隣にいる人に見せながら、何か説明しだした。 ここで、カメラ?は少し引いて、その説明されている人まで画面に写し、そのどこかで見たうしろあたまは、ありゃりゃ。ころんただった。 カードの一番上は「日」だった。それからカードはいっぱいあるのに、他はマスクがかかってて、何が書いてあるのかわかんなくて、唯一はっきり読める、もうひとつは文字は「火」だった。 はなさまは、まじめな顔でその意味を説明してくださっているのだが、それが全然聞こえない〜。正面の男性は相変わらず、ただにこにこしてるだけ。 説明されていることは、新月のことにまちがいないのだが、なんにも聞こえないよー、うーん、うーん。 で目が覚めた。 なんだったのだろう。「日」ってのは今日が日曜日だから?うーん、安直するぎるな、関係ないか。 占いでいうと、新月メンバーの四元素は、つさますずさまなさまが「火」、北さまはなさまが「土」なのね。 ちなみに、ワ〜ダさんが「風」、さくさま、こぼちん(おっと)、ころんたは「水」。さらに、ころんたの守護星は「月」なのだ。えっへん。 「火」が今後の新生新月の活動のポイントだということだったのだろうか。とすると、「日」は太陽の陽ってことなのかな?月と対照の。 たまに夢を見るとおもしろいなー。 そういえば、夢のなかの色もみんな白だった。知らない男性のシャツも、テーブルの色も、はなさまのシャツもあのSNOWパーティの時の白いシャツだった。ころんたもあの時の白のセーターを着ていた。 今日が雪になるという天気予報から、雪、SNOWパーティの連想だったのかな。 夢の意味を知りたいな。 奇しくも2月7日の月齢は新月。 それから、はて、28年前ってなんかとくべつなことが、あったっけ、などと一瞬すっとぼけたことを考えたが、な〜に言っとるか、だからラフォーレ原宿の、あの5人での最後の新月ライブを観た年じゃん。 この28年ぶりの、じぶんのなかで、なにか新しいことが始まる日が、美しい浄化のエネルギーに満ちあふれる新月の日であること、そして守護星「月」に守られて、前に進もう。 そして、10月18日を区切りに、新たな活動の先陣を切った「植物界之智嚢」のリリースを楽しみに、北山バンド始動、新生新月の活動を見ていこう。 赤い砂漠の地平線のはるか先までつづく、あしあとが見える。 豆で打たれた夜は みんなで泣き疲れ〜 、朽ち果てた天窓でやすんでただけなのに、なかの人と目が会っちゃって、なんだかその人のほうがこわかったから、またすぐ逃げて、そしたらまた豆で打たれて・・・あれー??あっ、よいこのまじめな新月ファンは、怒ってころんたを豆で打たないで〜。 いたいいたいいたいいたいいたい。豆ぶつけないで。よ、よいこのまじめな新月ファンは、ここは読み飛ばすように。 2月2日 やったあー!!! 「植物界之智嚢」ついに完成だーっ(大喜び)。そして北山バンド始動!朝から、笑いがとまりませーん! どんな植物が登場するのかたのしみ。というか、どんな植物が根をおろし花を咲かせあるいは咲かせない植物なのか、植物からの曲なのか見てる人からの曲なのか、北さまが観たことがある高山植物もあるのかなとか、想像すると、いろいろ楽しいね。 それから、CD版の「動物界之智嚢」につづき、やっぱり"おまけ”は、かなり期待しちゃうなー。 2月1日 やや。ころんたってば、なにをすっとぼけたことを。『朝の向こう側』は歌ってるのつさまじゃん。だからだー。 『朝の向こう側』を歌ってるのはつさま、当然知っていながら、聴きながらこれは北さまが歌ってるのね、と思い込みながら昨日は聴いていたんだから、耳が悪い以前のはなしかも。 こんなころんたが、新月ファンサイトを運営してるのは、こっぱずかしいので、この際潔く管理人の座をどなたかに譲ります。希望の方はメールください。 しかし、『朝の向こう側』ボーカル勘違い問題で、北さまをおもしろがらせてしまったでわないか。 でも、そう思ったのは、新月のボーカルイコール北山真って、思い込んでるからかな。 『朝の向こう側』、歌詩に導かれないと、昨日書いたけど、そうじゃないや。この歌詩にしっかり導かれているから、倒立像が目に見えるわけだもの。 ぶるぶるっ。 ううん。それでもこりは、書かれてる詩のまんま、愛のうたなのだっ。 1月31日 「NO NUKES」のライブやっぱり、良かったんだなー、いいなー。完全アンプラグドだったそうで、野外のアンプラグド、その分つたえたいきもちが、ストレートに客席に響いたのではないかと、勝手に想像をする。 じぶんはじぶんなりに、Metagaiaをあたまのなかに流す。 しかし、なぜかその対極に、『朝の向こう側』が居て(居て、ってなんかへんだけど)なんかちがうけしきを見せる。 「ロッカショ」について考えようとすると、『朝の向こう側』があたまに流れてくる。「新●月●全●史」のつさまの解説にある、"鏡のような倒立像"、"最大限の皮肉"の暗示に勝手にかかっていると自分でも思うが、前にも書いたけど、この解説を読ませていただくはるか昔から、この曲にだけは、この歌詩にある映像はまったく浮かんでこなかった。 歌詩に導かせない、曲のちからとはなんだろう。 そういえば、『朝の向こう側』は新月コンサートでは演奏されなかったが、この曲を歌う時、北さまはどのような思い、どのような視覚イメージで、歌われていたのかな、などと、思ってしまった。 いや、ころんたも素直に、浜辺や舟が出て行く港や、鳥さんや愛の歌や星屑を思い浮かべればいいんだけど、ある意味、『鬼』よりこわい?曲なんだもん。 『鬼』が地(球)『殺意への船出PART2』が天(球)であるということだが、『朝の向こう側』は、では、なんだろう。神の目みたいな気もする。 あっ、これもころんたがいつものように、勝手な感じ方をしているだけなので、よいこは、またころんたが、けんとうちがいのわけわかんないこといいやがってとか、はんたいに、えっ、そうなの、とか思わないように。 1月30日 朝からLIVE1979の『鬼』を聴いている。オープニングナンバーで、レベルの調整が行われていたという、ちびっと不安定なところがライブの緊張感と臨場感を伝えていて、たまりません。 はー、やっぱ、新月を聴くと落ち着くな〜。『白唇』を聴き終わったところででかけなくちゃ。 なんで、音楽で感動すると、ころんたは笑ってしまうのだろう。 そして、『殺意への船出PART2』で、おおきな優しさに包まれる。 それから、ひさしぶりに「プログレの逆襲」。とことん楽しそうだー。いや、楽しいんだよねー。 そして、out takes。 1月29日 水鏡セカンドアルバム「夕掛け」が2月4日に国内盤発売だそうで、こりはたのしみ!!!! 通訳の機転でそれを笑いに替えたらしいが、その前にその質問を、通訳する前に、止めるやつがいなかったのだろうか?? あらやだいけなーい、わるぐちを書いてるぅ。鰤っ。 ここんとこで、『白唇』と「般若心経」ってどこか似てるって、思った。 あ、こりは、ころんたが、勝手に感じた事なので、よいこは、わけわかんないことゆうなっ、とかいちゃもんつけないように。 1月28日 プルトニウムって、自然界には存在しないんだよね。 で、自然界に存在しないのに、あるってことは、作ったもの、で、この世で一番の猛毒、それも住む環境まで汚染するほどの猛毒をわざわざ作るなんて、おおよそふつうの生物にはまったく必要のないことなので、やっぱ、人間が作ってるわけだよね。 今回のデモの目的は、電気を生み出す原発とは別に、この毒を取り出す再処理工場反対だったわけだけだけど、原発ありきで、再処理なわけで、この副産物をふたたび世にだす必要がどこにあるのかなと、単純な頭でかんがえたです。 1月27日 放射能のごみを集めて、この世で一番の猛毒を取り出すなんて。 日本の原発の数っていま55基。世界で第3位の保有国だそうで、こんなに地震がたくさんあって、こんなにちいさな国に、そんなものがこんなにたくさんあるなんて、ほんとに、おそろしい。 日本は四方海に囲まれて、川もあるし、水力発電でいいじゃん、そしたら、燃料のウランをすべて輸入する必要もないし、毒出ないし。 あれれれれ??なぜか『朝の向こう側』が見えて?聴こえてきたんだけど、見えてきた。たぶん、かんちがいだと思うのだけれど。 1月26日 朝からLIVE1979を聴いている。 「ライブ」で演奏された『鬼』が、はいってくる。 ほこほこでもなくあったかくもなく、しかし生身のエネルギーのたましいの波動が、はいってくる。 『白唇』に、じぶんの胸の奥底に降りつづける冷たい雪のけしきが見える。 あの、ほこほこ体験、それが何かを初めて知って、それから、ふたたびあのほこほこを思い出して、もう悲しいのではなくて、なんだかうれしくて、涙が出てきた。 それから、ほこほこ以外にも、もうじぶんはずっと前から、たましいが、「入ってくる」体験は何度も何度もすでに知っていたということも、あらためて実感してうれしい。 『殺意への船出PART2』が始まった。どんどん、どんどん、入ってくる。嬉しくて、涙が出てくる。 『せめて今宵は』 「新●月」を知っていて、良かった。 霊体験そのものがあまりないので(いまだかつて説明がつかない怖い体験が2度、それからたぶんあれはおじいちゃんだと思う、いや思いたい、というこれも説明つかないよくわかんない体験が1度。これらの話はまたいずれ。だって思い出すと怖いんだもん)悲しい魂が抜けていく経験はないけれど、ああ、もしも悲しい魂が来たら何かしてあげようではなくて、ただ、じぶんにできること、やさしくしてあげればいいんだね。 わたしがこうして、みんなに優しくしてもらってるみたいに。 やっぱね、新月はプラスの音楽だから、新月の再会から、じぶんひとりでは知らないことを、ファンを含めてあらゆる新月にかかわるひとたちから、いろんなことを教えてもらって、いろんな悲しい体験はあったけど、でも、さいごは、きちんと、幸せになれるように、なってるね。 四方海という水にある意味遮断され、しかし守られている国に、なんで、って気持ちは前からあった。 ただ、じぶんちもいま灯油のストーブとかなくて、電気の空調だけで温度管理してて、この供給がなくなったら、と思うと、やや不安はあるが、それよりなにより、この世代でニガヨモギを地球に流す前に、ストップ!てしたいね。 1月25日 わーん、そうだったんだ。優しい魂が通り抜けたから、ほこほこしたんだ。で、あれ、はるちゃん居ないって、はっきりわかったのは、それまで、なんとなく、遠い星とこちらと行ったり来たりしてたけど、遠い星に永住するために、ころんたのカラダをとおり抜けて行ったんだね。だから、居ないって、はっきりわかったんだ。 そして、「そこに居ない」と思ったつぎの瞬間に、カラダがあったかくなったのだから、生身の体みたいに物理的に移動して、ころんたのカラダの中に飛び込んできたのだろうか。 一瞬、ぱーってあったかくなったのはまさに「入ってきた」瞬間だったんだ。うれしい。ものすごくうれしい。 あのほこほこの至福感・・・そうだったんだ。ワ〜ダさんありがとうですぅ〜。ふたたびほこほこ。 でもっ、それとはまるではんたいに気温は寒杉。こんな寒いのがいいなんて信じられん。 うう、やだやだ。活動停止。ひきこもろうっと。ぶるぶるっ。 でも、思い起こすに新月ファンて、秋冬生まれ多いんだよね、で、寒いのがいいですとか。 まあ、ころんたは、おつむがあったかいので、寒すぎるとその温度差のダメージが大きいんだな、きっと。 全然関係ないが、火星人はやはり居るのだろうか?? そして、この寒いうちに、『鬼』ではない見たことも聴いたこともないものが、描かれるのかな。 1月24日 水鏡ライブは4月19日に決まったのね、たのしみ。 そう、29年前に、すでにやっていたこと。音楽の専門的なことはわかんないけど、どれほどの色目が重なっているのだろう。 なんでこんなことを思ったかというと、もう昨年4月に竜神さんと接触しかねた武相荘の土砂ぶりの日以来、ほとんど着てない着物が出来る工程にふと思いがいったので。 まず、絹の糸をつくるために、お蚕さんの死から始まる。それが、紡がれ織られ染められ描かれ重ねられ、仕立てられ、それがふうわりとあるいはかっちりと。 それだけでは着る事はできない。 どんな長襦袢で、どんな半襟で、そしてどうやって染められ織られ縫われた帯を合わせるか、そしてどんなふうに織られた帯締めを締めるのか、どんなふうに染められた帯揚げを合わせるのか。 何とおり、何十とおり、なんびゃくとおり。 「新月/新●月」。 1月23日 はるちゃんの写真を、会社の人にたくさんかわいいパネルにしてプレゼントしてもらったので、パソコンの壁紙を、ふたたび新月のクエストホールのちらしにもどす。 しらないうちに口ずさんでいるのは『あかねさす』と『ブーツのかかと』。梅が咲き霜が去ったら春風と・・・、ちいさな鳥にみんなあげる、ひとつの歌の終わりに・・・を交互に。 その頭の中の裏側に、『殺意への船出PART2』のあの星間に向けて急上昇する間奏部分が、地鳴りのように響いている。 すかす、烈辛味噌から烈黒味噌担々麺に名前が変わってさらに味がおいしくなってるというが、なんだか想像つかない。とにかく味噌味で辛くて深いのかな。 冬に弱い小心者ゆえ、寒いと刺激のある辛さより、極上しょうゆとか、とんこつに魅かれてしまい、先日三ツ星の「おんぱと」は是非行ってみたいな〜。 ううっ。あしたのランチはとにかくラーメン食べようっと! 地元ではまだ雨だったが、会社のある駅に着いたらきっちり吹雪いていた。 このまま三好達治の詩にあるような「太郎を眠らせ 太郎の屋根に雪降り積む・・・」のしんしんとした風景になるのかなと思っていたが、午後になって、雨に変っていった。 はるちゃんは、雪みたいにまっしろで、ふわふわの毛だけをさわると、小麦粉みたいにひんやりとして、でも深くさわるとあたたかい体温が手のひらから伝わってきて、でも行ってしまってから、しばらくしてからさわったら、やっぱりかたくつめたくなっていた。 今日は、お地蔵さんの日で、朝、ほんの何百分の一くらいの時間だったけど、はるちゃんが会いに来て、でもそれは、ふわふわのあたたかい体をもう一度体験させに来てくれたのではなくて、あの澄んだ目で、なんだか裁くみたいに、おかあさん、しっかりしてね、だったみたいだ。 終わりのない、時間の海。 もっともレンジでチンするだけのカップぜんざいだが。 そか、やはり雪にはぜんざいなのか。 しかし、さむいっ。さむいのはきらいだっ。 すかす、夏が苦手な新月は夏はみんな倒れてうちで寝ていて寒い冬に活動し、冬が苦手なころんたは、冬は引きこもってあったかいお部屋でビール飲んで(なんか矛盾してないか)、夏は元気にがんがん行くので、ファンサイトとしては、バランスよいかも。 たぶん。 1月21日 昨日の、ふしぎなカラダほこほこ体験。以前1度だけ体験した事がある。 父が入院中、わたしが付き添っていた日、かなりあぶない時があって、これはいよいよと、覚悟したんだけど、亡くなったわたしのおばあちゃんがにこにこしてやってきて、そしたら、カラダがほこほこしてきて、父が持ち直したのには、おどろいた(ころんたには霊感等いっさいなし)。 なにかふしぎなちからって、絶対に存在するんだね。 ねこが行ってしまうのは、マイナスのエネルギーを持っていってくれるとねこ先輩に教えてもらった。 風邪ひきはじめが12月17日で、はるちゃんのお葬式が1月17日で、ちょうど一ヶ月ということに気づいた。そして、はるちゃんの四十九日が女の子のおまつりの3月3日。いろいろ、今日の初七日はずっと前から仕事やすみになっていた。はるちゃんにしくまれていてるみたい。 亡くなる前の日、じっところんたを見つめていて、「お別れ」をしてくれた。 それは、充分な介護をできなかったころんたを許してくれたんだと思った。 亡くなった日も、ころんたが仕事から帰るの待っていてくれて、そして、職場の人の配慮で早く帰らせてもらって、長い時間一緒にいることができて、病院に行く車のなか、ころんたの膝の上で撫でてる手のなかで行って、病院に着いたら、いつも見てくれてる先生に診てもらって、うちで行ってしまったら、そのままだけど、病院できれいにしてもらって、お世話になった先生やおねえさんたちに見送ってもらってと、まるで、はるちゃんの台本どおりにことが進んだみたい。 そして、風邪は、はるちゃんの看病のためにひかされた、と思い込んでいたけど、きのうのカラダほこほこ体験で、そして、はるちゃんがもうほんとに遠い星に行ってしまったと、はっきり感じて、そこで、いまやっと気づいた。 ひどい風邪ひいて、ずっところんたが外へ行かれないように、はるちゃんがしてくれて、はるちゃんが行ってしまったのは、もしかしたら、外へ出かけたら、事故に遭っていたのかもしれない、あるいは、風邪どころではない病気になっていたのかもしれない、まあ、飲みすぎるなということだったのかもしれないけど、とにかく、なんだかわからないけど、すべてころんたに起こる「悪い事」を防いで、そしてそれを全部持って行ってくれたんだ。 だから、ぜんぶ、はるちゃんの台本どおりなんだ。 だから、はるちゃんが亡くなる前日、のお別れは、許して、なんてそんな狭い了見ではなくて、はるちゃんの方が、わたしに「これで安心していいからだいじょうぶ」って言ってくれていたんだ。 翌日のはるちゃんのくるしみは、わたしが得るはずのくるしみだったにちがいない。それをぜんぶ、はるちゃんは持って行ってくれたんだ。 このはるちゃんのことが、新月日記なのは、はるちゃんのおかげで、ホームページを作ることになり、それから、ころんたの生活だけではなくて、こうして新月に再会できたきっかけのひとつを作ってくれた、ころんたの人生にまで深く入り込んだねこが、16年間病気を知らなかったのに、新月に変化のあった10月なかばから体調を崩して、今年が始まってから行ってしまったのは、これからまったく知らない未知のこと、新しいこと、この変化に伴うわたしの痛みも全部持って行ってくれたと思うから。 そして、再会は果たしたんだから、あとの新しい事は、すべて流れに任せて、じぶんの目でだけで見るように、はるちゃんの台本に書かれていたんだと思う。 いなくなってしまったことは、もちろん、まだ悲しいけれど、ひどく大きなちから、にわたしは包まれているような気がする。 そうか、遠い星にいる、せんぱいにゃんこわんこと一緒に、この新しい変化を、見てるにちがいない。 1月20日 ハニフラから、みんなに電話もらったりメールもらったりして、気がふさいでいたのが、だいぶ元気になりつつある。やっぱり新月の話になるね。 電話の向こうに音楽聴こえてきて、やっぱり音楽はいいな。新月通じて好きな音楽を一緒に演奏する輪が広がってるのが、なんともうれしいな。 だいたい、ころんた、なんの演奏もできないんだから、そんな意味ではなんの役にもたたんのだ。スケットにもなれないんだから。反省。 よく考えたら、昨日超サプライズでかまちん(こう呼んでいいのか)が『OPEN BEFORE KNOCK』を聴きにハニフラに見えたと、現場からの報告で、それは驚いたが、それをまたここで、思わせぶりにひみつにする必要はないわな。 その登場にたまげただけで、詳細はいっさい知らずなので、やはりレポートを待とう。 そして、ちらと演奏者の話を聞いて、あらためて楽曲のすごさ、を感じた。HALすごし。 おとといの夜くらいまでは、なんとく居たみたいんだんだけど、もう、ほんとに居ないや。ということは、完全に「遠い星」に引越ししてしまったらしい。 あれれ??すごくふしぎな感触で、もうほんとに、はるちゃんここにはいないや。 ふしぎ、ふしぎすぎるけど、これが、いないことが悲しくないどころか、なんだかカラダがほこほこしてきた。 「本当のおかあさん」とは会えるのかな。会えなくても、おかあさんねこミーちゃんにかわいがってもらっているし、寝相が悪くて落っこちてるドジねこせんぱいもいるし、ワダニャンチやジョンくんに会ってるし、たぶん、かなり忙しいだろうし。あれれ、居ないのが、うれしいなんてなんだかへんだけど、いないや、ほんとに遠い星に居るんだな。 1月19日 昨日バスから降りて、そういえば、はるちゃんの介護中は、走って帰っていたので、夜空を眺めるよゆうなんかなかったけど、ひさしぶりに空を仰ぎながら帰ってきた。 オリオンが光ってるけど、はるちゃんがいる遠い星はどれかなと思ったけど、「遠い星」なので、見えるわけがない。 でも、はるちゃんによると、遠いけど、近い星らしい。 こちらでは、孤高の美人ねこはるちゃんも、遠い星に行ってからは、せんぱいたちにかわいがってもらって、一緒にあそんでもらって、それから、こちらのみんなの(もちりん、ころんただけではなく)めんどうをみるミーティングををいつもひらいているらしい。 ときどき、上からくるものは、これだったのか。 みんなが、はるちゃんに優しいので、安心していいみたい。 それから、はるちゃんダメージが強くて、まだそんなことを考える余裕もないと自分では思っていたが、すでに次回ころオフの仕込みとか、日程とか、みんな考えてるので、そろそろそのことも考えねば。みんな、新月を見つめてる。誰もたちどまってないね。 1月18日 えへ。はるちゃん、すでにせんぱいたちに遠い星で可愛がられてるみたいで、良かった良かった。orionにまで登場してすごいね、はるちゃんは。 はるちゃんの、動く映像は携帯の短い3つしかなくて、もっと撮影すればよかったと後悔しきり。 そのなかの、ひとつには、しっかりBGMに『殺意への船出PART2』が流れていて、ころんたが聴いた数だけ、はるちゃんも『殺意への船出PART2』を聴いていたはずと、あらためて、はるちゃんすごい。 はるちゃんのおかげで、ほんとうに世界がひろがったころんたなので、はるちゃんは、やっぱり、ころんたの、めんどうをみていたのでした。 1月17日 はるちゃんに、おくやみメールをいただいて、はるちゃんもうれしい。新月関連でもっとも知られたねこ、はるちゃんとたんげ。 1991年、土砂降りの7月7日の夜に、生後1ヶ月くらいで迷いこんできたはるちゃん。 このはるちゃんがいなかったら、ホームページなどというものをつくろうとは思わなかった。 はるちゃんサイトのなかに、「新月」のページだけが場違いにあって、それがファンサイトになって、新月の再活動をみつめ、10月になって、新月再活動が、またべつの変化になり、それと同時に、16年間病気しらずだったはるちゃんが、体調崩しはじめて、年明けて、、1月15日に行ってしまったのは、なにか、新しいものへつきすすむ、ひとつの時代のおわりの象徴みたいだ。 はるちゃん。実は、ころんたが意識するずっと前から新月にいちばんかかわっていたのは、はるちゃんだったかも。 はるちゃんの「お迎え」がくるまえに、一緒にLIVE1979を聴いてる。いままさに『殺意への船出PART2』がかかっている。 それから、はるちゃんが、ちがうかたちになって戻ってきて、Metagaiaを聴いた。それから、またLIVE1979。それから、10月のころオフのときの北さまの『スカイライン・ピジョン〜光るさざなみ』。そして、アルバム光るさざなみ。『光るさざなみ』 ひとつのクールが終わり、はじまるのだが、やはり、こんなふうに悲しくて弱っていてふつうではないときに、新月を聴きながら、やはり新月の名をもつ「バンド」に北山真の歌声がない、ということはどういうことなのだろうと、ふとじぶんのなかに翳りを感じる。 でも、これからなにもかも新しい事がおこるはず。 変化の痛みというのは、こういうことなのか。 ひとつの歌のおわり。 きょうははるちゃんのお葬式なので、新月と光るさざなみとMetagaiaで送る。あれ、つまりいつもとおんなじか。でも、さすがにHALは聴けない。 そして、虹の橋のたもとには、ぜったいはるちゃんは居ないな。プライド高子の孤高のねこだったので、そもそも、そこでなかまと一緒に遊んでる、わけがない。いまふぬけになってるおかあさんに、「まだやるべきことがあるでしょ?」と、遠い星からなんか送ってきてる。 1月16日 天国のすこし手前に「虹の橋のたもと」があって、そこで、死んでしまったどうぶつたちが仲間と一緒にあそんでいて、自分を愛してくれてる人がくるのを待って、そのひとが来たら、一緒に虹の橋をわたる。 でもそこに、生まれてから一度も誰からも愛されないで飢えたり辛い目にあって死んでしまったいろんなどうぶついて、そんなとくべつなひとと一緒に虹の橋をわたる仲間をうらやましそうに見てるんだけど、そこに、やっぱり現世では愛されなかったひとりぼっちの人が来て、そこにそんな愛されなかったどうぶつたちが集まって、みんな一緒に虹の橋を渡って、天国にいくらしい。 すごくすてきなお話で、つらいめに会ってたどうぶつや人が、そこで、出会って一緒に虹の橋を渡って天国に行ってくれるならいいな。 はるちゃんは、どうかな。 赤ちゃんの時から、新月を聴いて育ったので、あと、性格的に、虹の橋のたもとで、ころんたがくるのをうろうろ待っていないような気がする。 というか、光速で「遠い星」で待ってるんだろうね。 はるちゃんサイトありき、だったから、やっぱり新月的に考えるべきだね。いま、「遠い星」にいるね。 1月15日 変化。変化っていろいろ痛い。 サイトというものを作ったのがはるちゃんのためで、そこから、ころんたにとって、新月的なことが、いろいろ始まったので、じつに新月とはかかわりのふかいねこなのでした。 おつかれさま、と、声かけました。 1月14日 orion問題はざんげしたが、や、やっぱりみんなわけもわからずどんびきやね。 「無」べんりなことばとして、ころんたインプットしたりして。 やっぱり、あまりにすごすぎた10月から、はるちゃんが体調を崩したことは、ほんとは、わたしがしょうべき、ものすごくいろんなことが、はるちゃんに注がれてしまったと思う。よくわかんないけど、そもそも1999年に、はるちゃんのホームページ作ったなかに新月があって、それが新月との再会のきっかけになって、そのねがいがかなって、しかし、それが、10月になってからの再びの変化。 まだうまくじぶんのなかで説明できないけど、はるちゃんはいろんな答えを知ってるような気がする。 わたしがくるしむべき、なにか、を持っていこうとしてるのかもしれない。 1月13日 あ、そか。orion見てる人には、説明なしで、いままでorionには登場してなかったころんたが、なんでいきなり登場して謝ってるのか、わけもわからず、おどろくわな。はなさま解説すみません。 そ、そういえばワ〜ダさんのカキコもまちがえて消したことがあるぅ(でも一回だけだぞ。いばることではないか)。ううう、かわいそうなmeridianaさん、ヒコーキ野郎だったの?? つながりがなくなるのは、さびしいけど、もうこれ以上、なんかやらかすより、一元管理おまかせが一番だよね。うんうん。しくしく。 あ、「ころんたほんとにしょーがねーなー」って、ため息と声が聞こえる。そらみみかしら。 げげっ。なんぼなんでもつさまのカキコをかいざん削除できるわけはないので、こりは、またメンバー間のまたちがうはなしじゃあ。そんなことが行われていたのかー。 ワ〜ダさんのは、編集をかんちがいして削除して・・・。 meridiana?さん、メアド収集家ってなんじゃろ???でも メルアド収集家以外には疑わしいところはなかった・・ううう。 うーむ。今年初の「どかん」は、けっきょくおやくそく通り、ぺこぺこ、ひらあやまりになってしまった・・・。 1月12日 今、年末から、寝たきりねこはるちゃんの点滴に毎日行かなければならないので、はるちゃんが元気になるまで、当分ライブに行ったり、おでかけもいっさいできない状態だけど、新月や光るさざなみやMetagaia聴いてるから大丈夫。 ラーメモまた三ツ星が出た!雑味がないというのがすてき。揚げたまねぎごぼうもおいしそう。東京なので、行かれるなー。 きのう2本削除したおぼえがある。英語よくわかんないから、これ個人のなのかなってのは残したりしてるんだけど、夕べはちゃんと見なくて、削除してしまった。ごめんなさい!貴重な海外ファンに申し訳ないことをしてしまった!じぶんの書きこみ削除されるなんて、どれほど傷つくかな・・・。 新月日記もおとなしく自粛しよう・・・。どつぼの落ち込み。 いまこんな状態で集中力のないときに、よけいなことしないほうがいい。10月18日も、それで北さまとはなさまのクライミングの会話まちがえて削除しちゃったんだから。わたしは、やることなすこと、ぜんぶダメなんじゃないかって、こういう時思う。 1月11日 あー、10月のころオフの時、北さまに『鬼』をおねだりすればよかった〜と、あとからさんざん思ったんだけど、new-getsuメンバーから、まだあのレベルでの『鬼』で北山さんに歌っていただくのは失礼です、とのメールをもらった。 でも、やっぱりおねだりすればよかったと、思うのはころんたのエゴじゃろかい。 1月10日 ああっ、この店名になってる「ブッタガヤラーメン」をめちゃくちゃ食べたくなった。このラーメンには、チャーシューというより骨付きカルビみたいなのがどーんと乗ってるかなりのボリュームだったと記憶してる。うーん。二つ★半いくところだったのが、小田原人としてうれしいではないか。でも、教育的指導は誰がしてくれるのだろー。 すかす、いままで「時間がない」だと思っていたが、二度寝して昼間で寝てるって・・・こりは単に時間の、無駄遣いをしてるのでわ。 いやなにしろ、うさぎにかく、仕事曲はとっとと作ってしまって(なんでこう腰が重いだのろー)、あたらしい曲〜。 と、同時に、わたしは、当時タケシも赤目も殺意もライブでは聴いていたとはいえ、デビューアルバム未収録なので、当時、ライブに来られなかった人たち、そしてアルバム「赤い目の鏡」を未聴の人には、未知の音、聴いた事のない曲、であることにまちがいはない。 『鬼』になりきれない『鬼』を聴いてnew−getsuの演奏を思い出した。 new−getsuは、完成された『鬼』に近付こうとしてる鬼、当然新月のほうは『鬼』を完成させようとしている鬼であって、それぞれ反対のアプローチでありながら、じわじわ、鬼の後姿が、こちらを向こうとしている情景が目に浮かぶ。 『鬼』は、地であって、移動があっても質量は変らないゆるぎないもの。 そして、「録音の良い方」が収録に選ばれた、常に変化し続ける『殺意への船出PART2』。不変の地に対して、変化・進化し続ける旅。 この曲に、つねに思いを馳せながら、不変を思いつつ、融通無碍であるすがた、を新月に見てきた。 それが永遠であると、思っていたが、北山真が歌わないなら、『殺意への船出PART2』は、もういいかな、などとも思っている。 ただひとつ。 いままでは、未知といいつつ、過去の存在したものであるが、これから生成される曲は、誰一人知らない曲、新月のまったく新しい曲だ。 そして、北山ソロもしかり。 今年初の新月の日がすぎ、さて、当然わたしはいかなる想像もせず、いや、できず、みたこともないきいたこともないものを、待つとするか。 むろん、思いは、永遠に、「遠い星で待つ」。 1月9日 おおおっ、ついに小田原「ブッダガヤ」が登場して嬉しい。最初に食べたのが、学生時代で、ここ10年くらい行っていなかったけど、あのぶたさんくさいスープと、厚いチャーシューが、ラーメンというか「料理」ってイメージだった。ただ、最後にたべたとき、スープがぬるかったのと、ちびっと駅から遠いので、なんとなくしばらく行ってなかったけど、ラーメモ読んだら行きたくなったな。あと前進の一歩はキクラゲなのねー。 1月8日 おおおっ。十六夜さんついに声をあげてくださった〜。 DVDほしい。DVDほしい。DVDほしい。 きょうは今年初の新月。 1月7日 今日は七草。きのう買った七草セットでおかゆ作ってたべるとなんだかカラダがキレイになるような気がする。 しかし、きのう、あしたと春の陽気だそうだ。 冬寒くないと、新月が・・・。 1月6日 ワ〜ダさん、不肖ころんたの代わりを務めようとしてくださったのねー。うるうる。 おのれが風邪とはるちゃんの介護で、箱根駅伝も見られず、母校の総合優勝を大分後から知った。 わが母校は前身がお坊さんの学校なので、学生手帳に「般若心経」が書いてあり、入学式では、講堂で待っていると、この読経とともにいきなり釈迦三尊像ご開帳で、みんなでぶっとんだ覚えがある。 果たしてどんなキャンパスライフになるのかと、不安になったわたしたちに、学長だかのあいさつが「一般学生の皆さんにはもう2度とありませんから、安心してください(笑)」だったのをおぼえてるなー。 最近の実験だか研究だかで、「写経をすると脳がイキイキして活性化する」そうだ。 昨年、一度写経をしたが、脳がイキイキしたかどうかは、全く自分には証明されなかったが(一度じゃん)かなりの集中力が必要で、ちょっと、落ち着いて筆ぺんといえ、墨で写経をするのは中々良いものだ。 わたしのような初心者は下敷きをなぞるだけだが、慣れた人は、白紙にそのまま綴っていく。より集中を要するわけで、やはり、それだけ、般若心経が「入る」ということなのか。 また、時間をみつけて、やってみようと思う。暗記できたらいいなと思う。 新月ファンは北さまからつねづね?正月も誕生日も、「冥途の旅の一里塚」(終末思想のルーツか?)と、教えをいただいているが、俳人でも文人でもない若者が、正月に詠んだ名作でもない句を思い出した。 「年一つ もろうて死ぬる あしたかな」 これは、赤穂浪士大石主税良金が、12月に討ち入りを果たし、罪人としてお預けになった先で正月を迎え16歳になったが、ちかい日に、切腹で死ぬことを詠んだ句で、つまり、そのまんまの句なのだが、なんだか印象に残っている。 新年迎えて、ひとりひとり、みんな見つめるものは、全員ちがうと思うけど、今こうして生きてるってことは、やっぱりすごいことなんだな、と思う。たいせつに、生きないと、ね。 1月5日 と、あのあとダウンして果てたあと、すでにもう5日になっていますな。まあ、公式サイトが5連休もしてるんだからいいのだ(まだまけずぎらい)。 みうらじゅんさんといえば、年末に「イカ天」の、当時のビデオやっていて、みうらじゅんさんの率いるバンド「大島渚」を久しぶりに見て懐かしかった。 あの某テレビ誌・・・で、うっ。いつもなら、年頭のおとしだまに、はなさままんが、掲載していたのが、今年はできなかったのを思い出した〜。でも、新月もDVDでないし、昨年、ころんた、できなかったことだらけで、公約違反だけど、これはドローということで(あくまでまけずぎらい)。 1月1日 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。 すかす、年末にひいた風邪が再びぶりかえし、かなりヒサンな元旦を送っておりますが、良い子の新月ファンは元気にお正月、暴飲暴食美食してね!! とほほ。まあ、これもかつて経験したことのない正月、という新年らしくライフスタイルがオリジナリティでほかに類をみない(意味不明。日本語ですらない)。ふたたび腹筋を鍛えねば。 なにもかもが、新しい事が始まる今年2008年、平成20年。新の名がついた新月、これからもまだまだ新しいことを見せてくれるのだろう。 「前よりカッコ悪かったらゆるさない」は、昨年「応援というよりかなりの外圧(笑)」って言われたけどぉ。 『殺意への船出PART2』を聴きながら、ころんたの2008年は明けたけど、ファンの皆さんもそれぞれ、好きな曲で新年を迎えたのだろう。 すでに、あらたな自分のバンドの再始動を表明してくれたファンや、新生新月・北山ソロへと期待に胸躍らせるファンなど皆さんさまざまなメッセージをいただいて、嬉しい。 どかんところんたも行きます! |