日本のプログレッシブロックバンド 新月について管理人ころんたがあれこれ勝手に綴っている日記です。

※転載の際は出典の明記をお願いいたします


6月25日
花本さん、体調絶不調のまま地方ロケへ旅立たれたようです。
ようですというのは詳細わかりません。
通常の映像のお仕事に加え、これから野村萬斎さんのお仕事で身動きがとれないようですので、当分テキスト部分の更新はストップですね、たぶん。

いよいよあとちょうど1ヶ月後に迫ってきた! おさらいに「赤い目の鏡」を聞きました。これはライブどおりの曲順で、ラストの「せめて今宵は」だけがカットされて、この一曲が「科学の夜」に収録されているわけだけど、今回のライブアルバムは、「せめて今宵は」が収録され、そのかわり「不意の旅立ち」がカットされなおかつ、それに伴い曲順が入れ替わるって構成されるとのことで、それはそれでまったく新しいアルバムという意味でとても楽しみ。

ふふ、そういえば先日花本さんと津田さんを「こまいぬさん」ってお呼びしちゃったんだよね。それで、津田さんをほんとにお呼びしてしまったのかな。いいなあ、津田さん。



6月22日
び、びっくりした〜!
みんなもびっくりしたろうが、わたしは本当に驚いて腰がぬけた〜 !しかし、嬉しいっ!
なんで嬉しいかわかるよね?


6月21日
ラフォーレ原宿のライブかあ。これがわたしが新月のライブを見に行った最後の(って3回しか行ってないけど)ライブだ。幸いいくつか記録があったためと断片的にビジュアルを記憶していたためライブレポート書けたけど、あのライブの映像も残っていないんだね。

今なら当然記録としてあたりまえに録画するライブの映像も当時を考えると、手軽に撮れる映像ってせいぜい8ミリくらいで、そんなもん、ライブ会場にもちこんでる人なんかいないものね。
新月側ですらとにかく音の完成度を100%あるいはそれ以上にする事に全力を傾けていたから、映像を残すという考えが全くなかったという事で、以前花本さんに確認した限りではプロモーションビデオ以外、新月の映像は存在しない。

ライブ会場で演ったライブのビデオではないため、プロモーションビデオのマスターが発見されたとしても、ライブの映像そのものは存在しないということだ。

タイムマシンがほしいね。

それにしても、この原宿でのライブ、ジョイントのスペースサーカスを見なかった、というたびにもったいないといろいろな人に怒られた。見ておけばよかったと悔やんでいる。
美狂乱は新月より先だったので、見ることができたが、スペースサーカスは新月の後だったため、見なかったのだ。
どういうことか。
怒られるのを覚悟で白状しよう。
その後友人と渋谷に酒飲みに行ったのだ。

酒の上での失敗、という話はよくあるが、これは酒飲む前の失敗、であろうか。目先の酒におぼれたため、貴重な体験をするべき機会をなくしてしまったのだ。

あ、今全然関係ないこと思い出した。
花本さんのお母様は美容師さんの西日本の連合会?の地位のある方で、お母様の依頼で、美容師学校の校歌を花本さんが作曲され、上野洋子さんが歌っている。
つまり毎日どこかの美容師学校で、花本彰作曲、上野洋子歌の校歌が流れているわけですね。あれ、上野さんは作詞だったかな。
どこかにメモしたと思ったのだが。訂正あるようならまた書きます。って、確認してから載せろよ?ごもっともですが、最近老化と共にとみに記憶力が衰え、思いついた時に書いておかないと忘れてしまうんだよ〜。

しかし、あらためて見るとうちのサイト、不親切だ。
まず新月知ってる人が見に来るという勝手な前提だから、新月が何かとか、メンバのプロフィールすら載せてないもんね。
そういえば、「はじめての新月」コーナーつくろうなどと言う事も言ってたのだが、ばたばたしてるうちに機会を失ってしまい、ま、いいかのままきてしまった。
で、いま不親切だな〜と思って、じゃあ親切に「はじめての新月」を作ろうかと思ったのかというと、ま、いいか。



6月19日
花本さん、地方ロケでしばらく不在です。ころんたもちと先日より仕事ばたつき日記書く時間がなかったです。また、明日も仕事なので、更新滞るかも。何かニュースがあるようでしたら、それはなんとかあげますです。

新月史の花本さんの前世の話から、ついネットで出来る占いなんかをついやってしまった。 いろいろあったけど、おぼえているところでわたしは動物だと羊で前世は花魁と町娘と女王様とほとんどわけわかんなかったが、実にリアルだったのが、「精神年齢占い」。

えーこれによるとわたしの精神年齢は「小学校低学年以下」だそうだ。
さらにその解説には「いいですか?可愛いのではなくて、単に幼稚なのです。これからこの幼稚を直さないととんでもないことになりますよ!」とネットの占いで怒られてしまった。

占いやって怒られたのはいつぞや酔っ払って手相みてもらったらその女性占い師がため息ついたあと吐き捨てるように「好き勝手に生きてきましたね。このままいくとあなたにはしっぺ返しがきますからね!」といわれた時以来である。
そのしっぺ返しは来たか来なかったか。しっぺ返しされたと思えばそれがそうかなと思うこともあるが、まあ人生楽あれば苦あり(っていう態度がこの占い師には気に入らなかったのかも)。
で、占いで幼稚を直せと怒られ、そ、そうかでは反省して人生きちんと生きないといけないっ!とふつーの大人は思うのかもしれんが、ころんた、思わず膝をたたき喜んだ。

だって、オマエは幼稚だとお墨つきもらったんだよ〜。そっかあ、わたしは幼稚なんだ、仕方ないんだ、幼稚だから!

わたしはガキである。ほしいものを手に入れるまで道路にひっくり返って手足じたばたするしょーもないガキ。

来月7月で、新月ファンクラブ会長小熊さんにメールをいただいて早や一年。7月はわたしの生まれ月なので、このことは素晴らしい誕生日プレゼントだった。

その時新月のメンバーが集まって、新月BOX製作を計画中だというお話を初めて聞いた。
それから、まずこの新月日記のコーナーが出来て、その後10月に花本さんからメールをいただいて、「新月史」「全曲目解説」「Q&A」「一筆箋」のコーナーが出来て、それからさらに、新月アルバム進捗状況を花本さんからナマの情報として掲載する「新月ニュース」のコーナーが追加されて、1年間ですごいスピードで進展しすごい充実ぶりである。

特に今年に入ってからは花本さんは仕事が超多忙の間隙を縫っての更新となり、ころんたも個人的事情で多忙となり、この半年は滝の瀑布から流れる急流の如しという感であった。

でも、来月、BOXに先駆けて、新月のライブアルバムが出る。その日に演ったライブのアルバムが。
ガキのわたしがどうしても25年前と同じ7月25日に出してほしくて無理だと言われても道路にひっくり返って手足じたばたして泣いてわめいて何人もの「おとな」を困らせて手に入れたこの日。

他の人がこの日をどう思ってるかなんかわからない。この日に勝手にすごく意義があると決め付けた、そう、幼稚なわたしだけがほしいと思っているものが手に入る来月。
わたしだけへの最高の誕生日プレゼントが来月25日、店頭に並ぶ。



6月16日
あ〜あ〜また酔っ払って書いてやんの。以前から読んでる人はまたかよと思ってるだろーけど、初めて見た人はな、なんだと思うかまあ消すのもなんだからまあいいか。
酒が残ってるなあ。あ、新月日記だってば。

NEWSの花本さんと津田さんに「降りてきた」という瞬間、あ、こんな瞬間がこまいぬさんなんだきっと。そしてはみ出してる部分なんだね、きっと。
ふふ、わたしの友人を介して、もしかしてちょっと小さな動きあるかも?

=== 新月ニュースが追加できた。そして、ついについに7月25日決定なんだ!ふふふ、ふふふ。



6月15日
「新月史」にある花本さんの『表現とははみだしている部分である』あるいは『意図せず思いもよらぬものである』と言い変えていらした事もあるが、というわたしの大好きな言葉がある。

私自身は、自身の表現のすべなど何も持てない凡夫の徒であるが、一ファンであるわたしが新月の音を受けることが出来る部分が自分自身の『はみだして』いるところなのだろう。
単なる受け手であるわたしの『はみだしている部分』それは意識して培った部分ではなく、自然に求めるもの、たとえば新月以外の音楽であり映画であり絵画であり本であり写真であり、映像であり、会話であり、一人小さな自分という世界の中で沈思黙考(そんな高級なもんじゃないけど した中で自分なりのぼやりとした中で何か見つけた感性のひとつかもしれない。

それが新月の音とわたしが出合ってはまった、という事なのかな。
↓のこまいぬさんは、あれ、どうつもりで書いたのかな。 あれ書いた時もたしか酔っ払っていたし今も酔っ払っているけど(酔っ払って書くなよっ!)、花本さんと津田さんがこまいぬさん、あるいはファンと新月が、なーんて意味で書いたのかなああ。ひっく。

連日、アクセスが増えていることが嬉しい。昨年10月26日より始まった新月コーナー、当初はサーチエンジンで「プログレ」と「新月」を組み合わせたキーワードでしかヒットしていなかったが、今は「新月」のみで簡単にヒットするようになった事も起因しているのか、いずれ、新月という名詞はこのバンド名を指すこととなるかも??

えーと、飲んだら書くながぢーちゃんの遺言でしたが(うそ。ぢーちゃんは一滴も飲めなかった)、あれ、新月日記になんでこんな事書いてるのかなあ、えととにかく、ダイアルアップしてこれ読んじゃった人ごめんなさい。 あ〜特に初めてきてここクリックした人ごめんなさいねー。もお年のせいか酔いがまわるのが早くていかんのお。

『浪漫風』が気持ちええのお。



6月13日
ばらしてやる。花本さんは森村さんから口述筆記したメモをなくした。ヒドイっ。


6月12日
今日、わたしがメールをお出ししたとある方からお返事いただきました。実はかなり思わぬ方向へのお申し出いただいてビックリしているところです。まだどうなるかはわかりませんが、いずれ具体的に発表します。お楽しみに。

NEWSによるとBOXへの計画がだいぶ具体化したようで嬉しい。
鬼の花本、仏の津田が揃って酔っ払ってどんな話をしていたのかな?
昨年新月ファンクラブ会長小熊さんにメールいただいて初めて聞いたB0X計画に始まり、それが、先行してライブアルバムがついに来月発売、北山さんのソロ第2弾も進行しつつあるようで、北山ソロでは間違いなく花本さんのメロトロン、津田さんのギターが再び聞けるはずで、もしかしたらBOXで新録もあり?花本さんの頭の中にはニューアルバムもあるようで、新月、ひとつ、動きはじめると、呼応してさまざまな動きが出てくるんだね。

新月、とひとつ放ると、新月がまた帰ってくる。
「こまいぬさん  あ
こまいぬさん  うん」



6月10日
へへ。お詫びメールに対して全然気にしてませんよ〜とのお返事。超ご多忙の中早めに返事をくださるとのことで恐縮する。というか、わたしは超ご多忙のまっただかなかに、メールをお送りしてしまっていたのだった(再び汗)。ううありがとうございます。メール心待ち

思い出した。先日引越しの荷物を片付けていたら(まだ片付いていなかったんですな)、雑誌の切り抜きをファイルしたものが出てきて、「FOOL’S MATE名盤委員会」と書いてある。100枚の日本の名盤をジャケ写真つきで50音順に短く紹介したもので、じゃがたら、シーナ&ロケッツ、ジューシーフルーツ、頭脳警察、スネークマンショー、スターリンetcにはさまれて新月が載っていた。「あのジェネシス(無論ガブリエル在籍時)」を彷彿とさせる構築美と、シンフォニックにしてシアトリカルな手法が、当時(70年代末)非常に高く評価されていた新月のデビューアルバム。現在も色褪せることなきプログレの王道が聴ける傑作」と書かれている。
ノヴェラのデビューアルバムのところで10年前、と書いてあるので1992年ころの刊行だったのかな。
他にゼルダだの、クリエーションだの四人囃子だの喜太郎だのグンジョーガクレヨンだのチャクラだのバウワウだの美狂乱だのフラワートラベリンバンドだの村八分だの紫だの憂歌団だの、根性があれば全部書きたいですが、そんなバンドが(バンドではないもののあったけど)ずらりと並んでいた。なぜ雑誌ごととっておかなかったのか悔やまれるが、また、これ、よくとっておいたものだとちょっと自分に感心。「明和電機」の「製品カタログ」と、エディ・ジョブソンの切り抜きと、ZEPの切り抜きが一緒にファイルされていた。わけがわからない。 花本さんの趣味は整理だが、ころんた整理は苦手なのだった。



6月9日
7月25日はデビューした日だから、はじまった日だからこの日じゃないとダメなんだもん!いつ解散したかなんか知らないし、セットしなおすんだから、この日じゃないと意味ないんだもん!ひっく。

アルバム発売にあたっては2ヶ月前にマスタリング、デザインすべてが完了して可能だそうだ。
7月25日に間に合わせるため、花本さんはわずか15日の間に地方ロケ、1週間の間に番組3本撮るという前代未聞のスケジュールの中マスタリングとデザインを完了するという作業を強いられ、未だに「リハビリ^^;」をしなければならない身の上。また7月25日はポセイドン社の本来のアルバム発売日ではなく、その上日曜日にあたるため、流通機構が当然休みになり通常ありえない発売になる。
でもでもでも、なんとか可能にしてほしい。



6月8日
ライブアルバムについて、「不意の旅立ち」はメンバー合意で削除されたとのことでそのため曲順がいれかわったそうですが、花本さんは自分たち自身が聞いてとても楽しめたので、皆さんも楽しんでいただける筈だそうです。
あとはなんとか7.25!
花本さんの頭の中にはいろんなアイディアがあるようです。BOXに向けての動き、またニューアルバムも?


6月7日
なぜ、お名前を間違えて打ってしまったかわかった。なんてまぬけな話なんだろう。昨日のしっぱい・・・タイムマシン欲しい。 今日も思い出すにつけ落ち込んでいたが、ただただ申し訳ない。
でもでも、落ち込んでいる場合ではない。お願いはとにかく届いているのだし、お返事をとにかく待つ。

花本さんの公式サイトの話は皆さんまだ有頂天にならないでくださいね。これからHTMLを勉強されるそうですから。



6月6日
花本さん、公式サイトの準備をすこしづつされているようです。
いつになるかはわからないそうですが。 なお、新月ライブアルバムに関して、くどいようだが花本さんは「やや」を強調されておられます。

これ書いていいんだっけ?アルバムは全曲入らずわたしが好きなある曲が少し削られてしまいました。でも「せめて今宵は」が今回は全部入ってるそうです。

今朝、大事なお願いごとをある方にメールする。送信ボタンを押したとき緊張してちょっと手が震えた。そのくらい大事なメールだったのに。何度も読み返して、推敲したつもりなのにとんでもない失敗をしてしまった!!!

花本さんにメールをお送りした旨連絡して、しばらくたってから花本さんからのご指摘で初めてお名前を間違えてお送りした事に気づき、顔から音をたてて血の気がひく。
あわててお詫びメールを書いているときにお返事をいただき無礼にも関わらず、多忙につき後日メールをくださるという文と詳細なご連絡先までいただき恐縮!
伏してお詫びメールをお出しする。

緊張するととんでもない間違いをするものだが、よりによって、お名前を間違えて打つなんて。それに、昨夜さんざんその方のお名前を連呼していたのに、なぜ間違えたのか信じられない!メアドもああ苗字とお名前組み合わせたのねとまで納得しながら確認してたのに???

滝汗。落ち込み。




6月3日
お仕事&ライブマスタリング&デザイン疲れリハビリ中の花本さんより早速答えがきました。ここに書くと埋もれてしまってもったいないので、Q&Aにあげました。
ということはライブ、BOX、北山ソロの順番で発売ということがはっきりしましたね。

しかし、花本さんヒドイっ!年頭に「殺意」みたいなスケールの大きな新曲を作るとおっしゃっていたのに、完全に忘れていたのですっ。

作ってくれないと、掲載わずか1日で「こっぱずかしいからやめて〜!」の絶叫と共に削除されてしまったout of control時代の写真(ほんとに運のいい人が数人見たのみ)をアップしちゃいますよというイヤガラセメールをお送りするという卑劣な手段をとることもやぶさかではありませんが、これはまだまだ最後の手段ということで(使うつもりなのか)、再度お願いしています〜。



6月1日
ぬ、ぬけた。やっと日記が書ける。久しぶりに新月、クリムゾン聞きながら(BGMにするなっと花本さんお怒りになりそうですが)書いてるんだよん。
花本さんも、たぶん、今日抜けたはずですが、数日つかいもんにならんと思うとメールありです。
てなわけでなんの情報もありません。おわり。(゜o゚C=(_ _;バキッ。

まあそれではあまりに芸がないですが、いくつか質問(Q&Aに非ず)をお送りしているので、いずれは出していい情報がくるかもしれません。
北山ソロの進捗とか、ボックスに新録は入るのか?とかね。
ボックスは冬、という事ですがこの発売が果たして年内なのか来年なのかは、高津さん花本さんの言われる「島へ帰ろう」の原曲が入るのか、あるいは「殺意への船出」全パートが入るのか?そして、オリジナルメンバー5人が揃っての新録があるのか、によって変わってくるのではないかと思っています。
あと、幻のプロモーションビデオのマスター発掘はかなり大事な懸案事項で、とにかく、ビデオの方から姿を現してほしいですね。

ころんたとしては、これが来年になろうとも、上に挙げた全部が入ってほしいなあというのが希望ですが。ちょいと勢いがなくてすみません。
この年になると疲れがなかなか抜けんでのお。



5月23日
マスタリング完了、そしてジャケットデザイン完了!!
これで確実に2ヵ月後、ライブアルバムが発売になることが決定〜!!
早く7月にならないかな。7月は鈴木さん、高橋さん、ついでにいうところんたの誕生月でもあるんだよん。25日ではないけどね〜。
マスタリングの作業で書かれているエンジニアの方の後ろに「津田、花本、北山が陣取って」というのはその順番で並んでいたということなのかなあ。なんかすごいリアルな臨場感を感じてぞくぞくしてしまった。
音楽的成分が取り除かれて・・は、作り手としてはかなりつらい作業なのではと想像できるが、これリスナーであるわたしたちにどれほどわかるものなのかなあ。 いずれにしろ「赤目」を聞きなれてしまっているので、ノイズが取り除かれたクリアな音を早く聞きたいというのが単純な願い。
しかしわざわざフランスで印刷なのに花本さん希望のシルバーは結局使えなかったりと、精度が低いとはどういうことか?
増田さんの奮闘勝利を祈る!!
25日日曜日だから本当はだめ?なんらかの工夫?でも本当はだめだけど25日に発売、という意味にとっても良いのだろうか。と、嬉しい反面やたら??が飛ぶ今日の日記であった。でもでも、あらためて、25年ぶりに新月のアルバムが出るのだ。その思いをかみしめたい。皆さんもきっちりお小遣いとっておくように!飲み代を節約しておくこと!←オマエだろっ!


5月17日
きのうの続き。BOX発売が先、というのは実にいいことだと思う。「新春座談会」にもあるように、構想はまだまだひろがり、いい意味での「欲」が出てまだまだこれから精査される部分と発展する部分が時間的余裕の中で作業が行われる。加えて、プロモーションビデオのマスター発掘が難航しているため、発売までの時間的余裕があることは実に良いことだ。
きっと迫水さんの写真みたいに、ビデオの方が新月めがけて姿を現すに違いない。まずは「ライブアルバム」の発売を先に固めるために、今は遠慮して出てこないのだろう。
まずは、ライブの発売。たった1枚のオリジナルアルバムを出して解散してしまった新月の音源、カセットからおこした赤い目の鏡さえ、入手できないまま新月への思いを募らせている新月ファンにとって、これがどれほどの価値のあるものなのか。それはいずれ答えとなって表れるだろう。
しかし、写真、どんななのかな?早く見たい。7月25日はどんな卑劣な手を使っても会社休んで買いにいっちゃる!


5月16日
うう。仕事が忙しくニュースと共に預かっていた高津さんの「セレナーデの頃」アップができませんでした。今日やっとアップ!高津さん、楽しみにしていた皆さんすみません。
そのうえ書込みもいただいていたのにRES遅れて申し訳ないです〜。
花本さんのお知り合い、新月史に出てきた「STUDIO J」の管理人の方が書いてくださっていて嬉しい。花本さんに早速報告しておく。しかし、こうして花本さんが一ファンであるわたしに連絡を下さって新月コーナーが出来たこと、そしてこんなふうに関係者の方が書き込みをして下さったりという事ができるのもネットのおかげ。その恩恵を受けてるわたしはしみじみ幸せモノ。

ライブ発売予定の7月25日。これは、厳密にいうとなんとか7月25日に発売すべくマスタリング、デザインアップの締め切りにむけて努力邁進中だが、花本さんの読んでるいるだけでアタマがくらくらする仕事のすさまじいスケジュールの間隙を縫っての綱渡り状態で、実際7.25発売に間に合うかは今月25日すぎに答えが出るとのこと。でも、絶対間に合わせてほしい\(^o^)/!

今年の7月25日はちょうど25年前に新月アルバムデビュー&ライブが行われた日。
他の人はわかんないけど、ころんた一人この日にすごくこだわってて、だって25年ぶりに復活するなら、デビューした同じ日に再生するのがふさわしいと思うので、かねてより「2004年のうちに出来たときに出せばいいでしょう」というような意味でかる〜くおっしゃる花本さんに、「アルバムはなんとかこの日に出していただけませんでしょうか」と、おそるおそるお願いをしていたのだった。
当初BOX発売7月25日実現を願っていたが、芝ABCホールでの、「赤い目の鏡」のやや高音質盤(しきりにこの言葉を花本さん使っているので赤目に比べれば高音質ということなのだろう。)のテープが発見されたことでライブアルバムも発売のはこびとなり、BOXよりも25年前の同じ日に行われたライブがアルバムとなって蘇る事の方がよりタイムスリップ体験に近い、新月復活にふさわしい気がする。
うーーーん、間に合ってほしい!!



5月12日
ついにころんたがしぶとくこだわり続けていた25年前のアルバムデビュー及び芝ABC会館ライブが行われた同月同日、つまり7月25日にライブアルバムを発売するため、新月が動いているとのニュース!!嬉しい !!
プロモビデオマスターの発掘は難航しているのか・・。スタジオやライブハウスでのライブのフィルムが存在しない以上、新月の映像はプロモのあの3つの映像しかないわけで、切に発見を願う。ライブを見たものも、そしてたぶん、今新月を追っている人たちのほとんどはライブを見たことがないわけで、音はCDで再現され、写真でそのビジュアルは断片的に見ることができるけど、ステージアクトはやはり映像で見たいよね。


5月10日
「赤い目の鏡」のライナーに結成時のベースシストですぐ脱退した「桜井良行」さんと書いてある。「写真で綴る新月史」の花本さんのキャプションに名前失念と書いてるけどあの写真が桜井さんなのかな?


5月8日
花本さん生存確認。「息だけはしてるようです」との事です。


5月5日
あっ、思い出した!
以前 out of controlの和田輝夫さんカキコしてくれた「津田さん玉川上水事件」の続きを聞いたままだった。そのうち和田さんが書いてくれるかと思っていたら、和田さんほうりっぱなしなんだもん。和田さんと津田さんはおさななじみで釣りが大好きで、その時足がすべって玉川上水に落ちてあやうくおぼれるところだったそうな。
年とると忘れっぽくなっていかんな。
花本さんすき焼きにせ肉事件の方はまだ聞いてないので今度聞いておきましょう。
あと、野村萬斎さんの「藪の中」のビデオのラストにかかるピアノの曲ですが、これはただ花本さんが選曲しただけだそうです。



5月4日
現在花本さん6つの仕事を同時進行でこなし気が狂いそうだそうです。
む、むっつの仕事!このメール読んだころんたも気が狂いそうですが でも夏発売に向けてがんばってくださいという鬼の花本を超える鬼メール、もとい、励ましのメールを出しておきました。


5月2日
夕べ日記書こうとして酔っ払っていたので、日付だけ書いてアップしてしまったわい。 泥酔しながらなんか書いたまま↓アップせず、見たら日付だけがサイトに載っていた。 自分もダイアルアップになったので、カレンダーじゃあるまいし日付見るために電話代払ってるんじゃないぞころんたというお怒りの声が実感となって聞こえます。すみませんA^ ^;;)。

昨日やっとネットに繋ぐ。サイト再開。といっても新月ニュースを2つアップしただけだが、この2つはファンにとってほんとにほんとに待ちに待った情報だろう。 花本さん仕事が超ビジーだそうで、その間隙を縫っての作業、カラダが心配ですがでも【夏発売】と断言されているので、頑張ってください。←鬼。
ライブは「赤い目の鏡」よりやや高音質盤だが、「赤い目の鏡」では聞き取れない?効果音も入ってるということなので、こちらのアルバムを持っている方も、新たな楽しみ方が出来ますね。

久しぶりに「殺意への船出(しかしほんとーに曲の美しさと対極を成すタイトル。まあ、対極と対極は一致する、か)をゆったり聞きながら新月日記を書く。
『遠い星で待つきみのためにうたう』何度サイト内でこのフレーズを書いたかな。
新月の演りあきない曲はわたしの聞き飽きない曲なのだ。
コドモの頃、日々夜空見上げて星をぽかんと眺めてかといってそこで科学に興味をもつわけでなく天文学の知識を身につけるわけでなく、ただぽかん、と星の美しさをただただ飽きずに眺めていたバカコドモだったわたしは大人になっても、星空を見るとおなじようにただ、ぽかんとして、見上げている。そして今も飽きることはない。

「新月全曲目解説」で花本さんは10代の作品であるために云々という事を書いておられるが、技術的な事はわからないけれど、柔らかな時期の直感の感性というものはそういったものを超えているのではないだろうか。



4月24日
忙しすぎて、インターネットに繋ぐどころかパソコンの前にもなかなか座れないわたし。 サイトがどうなっているのさえわからない有様。ネットにつなげられるのはいつ?とじれったい思いのわたしに花本さんよりケータイメールあり。ついにアルバムのおよその発売時期がほぼ決まったらしい !!!アルバム発売が現実味を帯びてきた。ネットに繋げない為、掲示板に号外として載せておこうとおもう。嬉しいなあ!!


4月18日
留守中こっそり載せた花本さんのマンガ、縦に並んであちこち曲がってるのが良いと(そうデザインしたわけでなく、そうとしか出来なかったのだが)褒められて安心。
自分のお気に入りのマンガが載っていないと不満を漏らされてるが、これは単に最初から順番に載せているだけで、皆さんにも、ころんたが勝手に自分で選んで載せているのではないということをお断りしておきますです。
合間を見て、この日記を読んでいる人だけの特典として掲載して行く予定ですのでお楽しみに。
ひとつばらしてやる。森村さんの後述筆記のメモはラーメンの汁が飛んで読めないため、 とまってるのだ。ひどい。
花本さん、公式サイトを作る意欲かなりあり。


4月17日
花本さんが行ってこられたレバノンのお話を少し。
難民キャンプのこどもたちへ文房具を配る日本人ボランティアへスポットを当てるのが目的だったそうですが、実際はやはり難民キャンプへの取材に比重がかかってしまったとか。 キャンプの家などを見せてもらったけれど、日本の住宅事情を考えれば、かなり広い家に住み、支給物資は行き届いて、服もきれいだそうです。
日本のボランティアが重点をおいているのは「食料」と「教育」の部分で、特に宗教が深く関わってくるお国がらですから、改ざんひとつでいとも簡単に思想教育と本来の正しい知識を得るべき教育がすりかえられてしまうため、「教育」「知識」を伝えるということは本当に大切なことだと思います。

花本さんがレバノンへ行っている前後、また滞在中の出来事に、わたしははらはらしていましたが、実際、現地ではひりひりとしているわけではなく、そんな出来事は知らず、「日常生活のなか、突然ミサイルが飛んでくる。それが危険というもの」だそうです。正直、空爆に遭うのは運であって、わたしはむしろ、今回の日本人人質事件、あるいはイタリア人ジャーナリスト人質事件のような性質のほうが恐怖ではありました。

レバノンは輸入品に頼っていて、生産したものを輸出するという地場産業はないということですが、花本さんたち一行は、こちらでの心配をよそに美味しいレバノン料理、レバノンビールに舌鼓を打っていたそうです。特にそこらへんを走り回っているニワトリは、ほんとに美味しかったそうで。気候は軽井沢に近く、緑も多く中東の中のオアシス的な場所だそうです。

花本さんが行かれた付近は比較的のんびりと?していて、戦車の砲身も「やすめ」の姿勢をとって止まっていたそうですが、それにカメラを向けるとたちまちやめろと怒られたそうです(当たり前ですね)。

イスラム圏の人たちは本当にやさしくて、「マルハバ」と挨拶して道でも聞こうものなら、もうそれで仲間、家族、こっちへおいで、「もう道わかったからいいです」と言っても心配でついてきてくれる。それはそのおじさんだけがやさしい人なのではなく、みんながみんなそうで、挨拶して行けば誰でも受け入れるおおらかな人たちだそうです。

だから、こんにちはって言ってにこにこしてくれば仲間にしてあげるのに、攻める、襲ってくる、侵略してくる、そういう外敵に対しての怒りのエネルギーはとても強いそうです。だから、この土地はオレのものだ、といわずに、一緒にみんなで住もうよ、という単純な握手さえ最初からしておけば、戦争なんてものにならなかったのではところんた流解釈で、みんな家族、ゆえに、家族をおびやかす敵への憎悪は激しいものなのでしょう。

だからこそ、今回の自衛隊派遣も、日本人は大好きな家族だったのに、イスラエルへ加担して自分たちへ向かって攻めて来るアメリカと一緒になって軍隊を送り込んで攻めてくるなんて(そうとしか写らない。誰も人道支援などとは思わない)ほんとうに失望したという事だそうです。

空爆で命を落とした息子さんの墓へ毎日来ているおじさんに花本さんが言われたのが↓で紹介した「日本人は人を殺さないで」というせりふだそうです。

わたしたち日本人が「人道支援」などとは到底思ってもらえず、自分の息子を殺された人に、同じようにじぶんたちを殺しに来たと思われている事が悲しいです。

花本さんの撮ったレバノンの難民キャンプの映像は夏ごろスカパーでオンエア予定だそうです。カメラとインタビュアーは花本さん自身。



4月13日
新月コンテンツの冒頭に掲げている「だらっとのんびり歩いたり止まっ たり」は、このコーナーを始めるまえに花本さんからいただいたメールの文章の一部です。それでも、新しい動きをやってみようという花本さんに同意して、今に至るわけですが、まさにいまが「止まったり」の状態です。レバノンから帰国したその足で花本さんはあちこち地方を飛びまわっているようですが、果たして間隙を縫って、親指を鍛えて原稿をパソコンに送り続けているのか、もうそれどころじゃないっ、という状態なのかはわたしにもわかりません。そして管理人ころんたのほうもほぼ止まったり状態に近づいてきました。 まだ手直しするところはいろいろあり、はがゆいところではありますが、来週あたりから管理人転居に伴い、ちょっとの間、インターネットにつなげなくなり、もし花本さんから原稿が来てもアップロードできませんので、BBSでお知らせしたように、今月いっぱいくらいは更新なしと、考えてくださいね。 わたしの「止まったり」は時期的に予定されていたことですので、あくまでほんの少しの間だけサイトがお休みになるだけです。遠距離通勤というのは予期してなかった事で、これでさらに更新にかける時間はなくなってしまいましたが、新月、まだまだ先は長いです。まだ前菜も終わっていないですので、あせらずゆったり、ゆったり楽しんでください。えー、今までの内容を何度も繰り返し熟読するもよし、アルバム聞きながら、解説ではこうだったとか、この曲の解説はどうつくのかななど、また、新月を聞いたことがない人は、これを読んで聞いてみたいと思ってくだされば嬉しいですが、新月、この「おやすみ」の間に、いろんな角度から味わいつくしてみてください。


4月8日
高津、花本方式で電車の中からケータイで日記とか考えて送ろうとしたが、やはりそんな短時間で文を考えたりまとめたりする「能力」というものに著しく欠けるころんた、なかなか難しいのだった。しかし、わずかな時間の有効活用しないと、もう更新ができなくなってしまうのだ。とにかくフル回転せねば。老骨に鞭打ってるのだ。年取ると愚痴っぽくなっていけねーが、脳で考えたことがパソコンに飛んでいってくれんもんじゃろか。 あ、そうそう花本さんはレバノンから帰ってきてすぐ地方のお仕事へでかけているので、預かってる原稿はないので、ころんたが止めてるわけではないので(まさかそんなことを思ってる人はいない思うが)、なまけてるんじゃねーよとか考えないように。


4月7日
中東でハマスの精神的指導者ヤシン師がイスラエルにより殺害され、イラクでは、その報復として、米民間人が殺害された。イスラエル・パレスチナ情勢悪化に呼応しイラクでは反米勢力と米軍が衝突し、武装勢力はモスクに立てこもり、ついに米軍は文化遺産であるモスクへ向け空爆を開始、イラク人が数十人が死亡した。

「新月」とは全く関係のない中東・イラク情勢をなぜ唐突にこの日記に書くのか、ころんた血迷ったかと、ほとんどの方がそう思われているのに違いない。
先日の日記に花本さんは現在映像のお仕事をされていると書いた。しばらく仕事のため不在だったが、それはレバノンのパレスチナ難民キャンプのこどもたちの取材ため、ベイルートへ発たれたのである。

お聞きしたのはそれだけで、仕事の詳細は一切わたしは存じ上げないが、出発される直前にヤシン師暗殺があり、当初、パレスチナの過激派はアメリカとその同盟国に報復を表明したと伝えられ、わたしは震え上がった。

後に幹部によりアメリカを攻撃することは方針にそぐわないと修正表明がなされたが、 レバノンではイスラエルの空爆によりパレスチナ人が死亡、イスラエルガザ地区の難民キャンプの一部が破壊されたと報道され、パレスチナ難民キャンプの取材に行かれている花本さんがそれに直面されていると思うと生きた心地がしなかった。

その対価としてはわずかな報酬で自爆テロを担わされた少年による生々しい映像、米民間人の殺害報道に戦慄し、個人の取材活動ではないので、単身危険な目に遭うことはあるまいとは信じていたが、新月の花本彰と今世界で最も危険な地域へ行っている花本彰が、なかなかひとつに結びつかず、しかし、連日の報道の現実味のない、しかし現実なのだという事を受け入れざるを得ず、かなり取り乱したりもした。
無事帰国のメールがパソコンに届いた時は本当に胸をなでおろした。

どのような体験をされたのかまではお聞きしていないが、 花本さんの文を許可を得て紹介する。

「マルハバ(レバノンのこんにちは)。
イスラームの人はみんなやさしかったです。
レバノンの人々は牧師(半数はキリスト教)からタクシーの運転手さんまで口を揃えて『日本人大好き。でも政府はまちがっている。侵略者アメリカの仲間としてアーミーまでイラクに送りこんできたので絶望した。日本人は人を殺さないでほしい』と言っておりました。 もちろん人道支援とは誰ひとり思っておりません。あたりまえですが。」

ここで日本の自衛隊の派遣うんぬんを話題にするつもりはない。
中東・イラク情勢の報道は目にするたび、眉をひそめ戦争反対を口にはしていただろう。あくまで対岸の火事として。

しかし、わたしたちの「新月」の花本さんが現実に行かれた場所で、間違いなく日々攻撃にさらされ命の危険に直面している人たちが「日本」を認識し、そうとらえている。
同じ地球上で、いま日本に住み平和に暮らしているわたしたちと対極をなしている人々、新月の花本さんからの肉声により、ぐいと身近に感じはしないだろうか。同じ地球人、対岸の火事ではない。

生きているということは素晴らしい。
生きているだけで、未来は無限にあり、あらゆる可能性がそこにある。わたしたち日本人は平和に生きているからこそ、苦も楽もあるなかで、こうして新月を聞き、話題にできる。

一日も早く平和を。当たり前に、血の通わないこの言葉を繰り返してきた。
しかし、今思う。一日も早く平和になり、同じ地球上のみな誰もが同じ音楽を聴いて、笑える日を。日本人は人を殺さないで。その祈りは戦争により殺害された人たちの数の論理ではなく、たった一人であっても語りつくせないその人の人生、歴史があり、未来をそこで寸断する権利は誰にもない。

いずれ花本さんの手でこの事が新月史のページに加えられるのか、それはわたしにもわからない。
新月メンバーのバックボーン、それは音楽活動のみならず、生活、仕事であり、またささいな体験、感動、気の遠くなるような蓄積によるものであり、聴き手である、 今これを書いているわたしも、これを読んでいるあなたもいまこの瞬間から未来が始まっている。いまだ書かれていない新月史1982年以降には(未来も入る)と見出しがつけられているが、わたしたちの命あるかぎり、メンバーのバックボーン、そして聴き手であるわたしたちのバックボーンは常に進化しつづけているのだ。

新月の歌詞はダブルミーニング。美しいメロディに乗せた「地球意識」をあらためて思いながら、花本さんが出会った人々、たとえばレバノンのタクシーの運転手さんが、そうそう前にタクシーに乗せた日本人が作った「新月」っていいよ、と国境を越えた人たちに笑って話す平和な日が必ず来る事を祈る。

「遠い星で待つ 君のために うたう」このフレーズをすべての生きとし、生ける者へ。
そして、亡き方々へ。



4月4日
「赤目」のコメント書き直したい〜。はがゆい〜。 後先日から気づいていたのだが、ころんたのアルバムレポートにだけインデックスがないのだ。これからまたボックス、北山ソロ、ライブ、そして未来にまだまだアルバムがでるはず(勝手にきめている)だから絶対インデックスが必要なのに〜。カセットレーベル見てから戻ると「新月/新月」に戻っちゃうんだもんな。どこかで時間作って作らねば(@_@)。ううう通勤時間がいきなり往復4時間弱増しになったころんた。更新にかけていた時間をすべて通勤にとられてしまうことになったのだった。ううう。でも通勤に慣れたらがんばります。


4月2日
すこーしだけ手を入れるが、もはやタイムアウト。残念!


3月30日
「動物界之智嚢」曲ごとの感想、なんだかいまいち伝わりにくい(-_-;)。はんぱなころんた節だあ。なんとか書き直ししよう。北山さんまだ見てないといいな^^;。花本さんが帰ってくる前に書き直ししたい。


3月29日
「動物界之智嚢」最後の方を加筆訂正。「赤目」なんだかはなもちならんことを書いたので削除。見れば見るほど全部書きなおしたくなる。「殺意」ちょっと加筆。とりあえず、自分のうけもち部分はなんとなく形になった。4月からあまり更新に時間がかけられなくなるが、後は花本さんが戻ってこられてから相談。多忙の花本さんに優先していただきたいのは、サイト更新も嬉しいが、やはりここはBOX、ライブアルバム、北山ソロの製作への全力投球だ。わたしも忙しくなるが、この3つのご褒美を糧に、がんばろ。


3月28日
やはり「殺意」コメント最後の方の部分わかりにくいなあ。しかし全とっかえしたいがうまい替わりの文章がうかんでこない、こまった。
いや、ほんと、新月全曲目解説にころんたが自分のコメントつけるってほんとに恐れ多いし恥ずかしいし、でも当初からの花本さんからのミッションでころんたがコメントつけよとのことでそれはすごく嬉しいし書かせていただける事自体幸せなのだが、ほんとにこの稚拙な文章を、花本彰、北山真というすごいラインナップのあとに掲載する蛮勇は常に冷や汗ものなのだということをわかってください(誰に向かって言ってるのだろう)。

花本さんから送られてくる原稿も、よくアップしてちょっとたつと手直しが送られてきたりする。
エディタ上で見るのと、アップされた状態で見ると印象全然異なるし、文章も明確にわかったりするから、見れば見るほど何度も手を入れたくなるのはよくわかる。
ぷぷ、一度徹夜明けで花本さんが書いた「白唇」が送られてきたことがあったが、あちこちわけのわかんない文章が散らばり、結局全部書き直しされた事があったっけ。文章書くって結構体力いるよね〜。

ころんたも夜書くことはしないが、まあだいたい酔ってるからだが、昼間、元気で集中力のある時間帯が一番いいかなあ。あるいは早朝。
その黄金の時間帯を使う機会を設けようとすると、なかなか難しいのが現状だが。しかし上記の白唇。手直しが何度も入るわ、挙句の果てに、花本さんはタイトルがしろくちびるとは知らなかったと今気づくわで、数奇な運命の解説なのだった。

いやーしかし、留守を守ると言いつつも、なかなかつなげないなあ。とはいえ、花本さん戻られてからもかなり多忙で時間がなくなるとおっしゃていたので、これから、つっかえ、つっかえ、進んでいくことになるようだ。もっとも、これもばらしてしまおう、高津さんを見習って?、ケータイからパソコンに原稿ちょっとづつ送ってまとめたのが「殺意」と「赤目」。だから連続してこの2つが来たわけですね。この方法を駆使して多忙だろーが、やはりどんどん書いていただきましょ!と言うとまたころんたさんはきびしいのこわいの、しまいには鬼の花本に鬼と言われかねませんが。

あ、いまさらだが、新月と光るさざなみのCDジャケ写真を掲載。カセットレーベルだけアップしてオリジナルがないというのもヘンだし、こーゆーサイトでアルバムジャケないのもヘンだし、花本さんが作る計画のある公式サイトはどーも、いわゆる一般的なイメージから激しく乖離しそうで、たぶん、アルバムジャケなど掲載されそうもないし、てなわけで、ジャケ、持っていない人には新鮮か?

「動物界之智嚢」「文学ノススメ」カセットレーベル背表紙の上に「SNOW」の文字が見えるがこれは、新月解散後、北山さんが設立したカセットレーベル名。花本さん、津田さんが結成した「フォノジェニックス」もSNOWからリリースされている(ころんたは未聴)。

「動物界之智嚢」アップする。ほっとした。もうあと数日でしばらくサイト更新にかける時間がなくなるので、実際ひとくぎりの、ころんたの受け持ち分の更新である。 あとは「殺意」の最後の部分考え直そう。



3月27日
やっと「殺意」「赤目」「島」(略すなっ)にコメントをつけることができた。 殺意はもっともっと気合を入れて書きたかったが、大好きなあのフレーズは、25年を経て新月からわたしへの、わたしから新月へのラブレターのようで実は大きな宇宙を越えた意識のゆさぶりみたいなことを書きたかったのに、どうもうまく書けなかった。また、気合が入ったら書き直してみよう。よーし、あとは「動物」(だから略すなっ)だっ!「まなたす」の最後が耳に残る。いまかかっているのは「不意の旅立ち」これもスケールの大きな大好きな曲。これも早く、解説つかないかな。北山さんと花本さんと両方で。 あ、「殺意」もいずれ作詞の北山さんから解説つくのかな?つくんだよね、きっと。


3月25日
花本さんしばらくお仕事の関係で不在です。パソコンも見られません。
パソコンも見られないということは、どうゆうことかと言うと、この新月日記も2週間以上もノーチェックという事です。ノーチェックという事はどーゆーことかと言うと、ころんたのすき放題なわけですねー。

はて、なんで?ころんた日記なんだからもともと勝手でしょ?単なる日記だし。とお思いでしょうが、花本さん、まず新月コーナーでご自分の原稿チェックする前に、まずこの日記をチェックされるんですね。
なぜかというと、元々の機能である情報を掲載した名残で、まあニュースとまではいかないがちょっとした情報(たとえばライブのフィルムは存在しないとか。これちょっとした情報ではないか)に、だいたい夜は泥酔してるころんたが読んだ花本さんからのメールを事実関係を間違えて載せていないかを厳しくチェックされているのです。恐ろしいですね〜、怖いですね〜、まさに鬼の花本ですね〜。

まあ、新春座談会でころんたやっちまいましたからね。「泥酔してるんだから座談会のアップは翌朝やった方がいい」という花本さんを振り切って、まんま整理してない出鱈目をアップして、めちゃくちゃな原稿直すの苦労したのは自分でしたからねー。信用できないわけですね〜。 運の悪い人は何人かわけのわかんない座談会内容読んじゃいましたね。いや、運のいい人かも知れない。花本さんのソースやきそばの秘伝まで載ってましたからね。 これ、花本さんの手で削除されちゃいましたね・・・。

へっへっへ。まさに鬼の居ぬ間のなんとかだあ。ここに書いちゃえ。ちなみに具はイカでソースは「イカリソース」を使用し、「いわしっ子」を入れ、さらにや きそばを蒸すための水の代わりにビールを入れる(もったいなー)、です。ぜーたくですねー。

あ、今不憫な宿命の子「島へ帰ろう」が流れています。かもめの鳴き声、これこそが「一筆箋」で語られた津田さんのキーキーだったんですね。いや、ほんとにプロコルハルム風の原曲に戻ってアフロから紬の似合う可愛い少女に是非戻してあげてほしいですね。

まあ、この日記を読んでいる人がどれだけいるのか(ほとんどいないと思いますが)わかりませんが、ぷぷぷ(^m^)この日記を読んでる人だけの特典つけちゃいます。これも鬼の居ぬ間にやっちまお。ぶたさんをクリックしてね。


実はかなり以前からお預かりしている膨大な量の原稿があるのですが、新月コーナーからはちとはみ出しているし、かといってこのままころんただけ楽しんでいてももったいないし、どこに入れようか考えているうちに今に至り、、今日はとりあえずこれだけ、実験的に掲載してみます。もっとも定期的に連載というわけにはいかないので、ころんたの気が向いたときにいたします。これは、TOPページには告知しないので、ころんたの日記を読んでる人だけの特別版ですね。ふふふ。

えー、中ががたがたなのはころんたにワザがないのとデザインセンス皆無、のためでだからこれをなんとかしろ、と言われても関知しません。 そしてさらに、なんで突然これを載せることとしたのかという理由が、アルバムレポートやコメントが書けないので「逃避」に楽しいことに走ってしまったわけでは【決して】ありませんので、ご理解ください。




3月24日
今日はちょっと違う話をしましょう。
今日、新月以外の花本さんの表現物を見ました。
現在花本さんは映像のお仕事をされてます。と言ってもお仕事の話なのでころんた詳しい事はほとんど存じ上げませんが、先日たまたま野村萬斎さんの狂言を見に行き、そこで人間国宝茂山千作さんや野村万作・萬斎さんのビデオやDVDを販売していたので、能・狂言は過去数えるほどしか見たことのない初心者のころんた、ひとつ買ってみようと手に取ったのが「藪の中」。
ご存知芥川龍之介原作で何度読み返してもうーんしか出てこない真相藪の中の飽きない物語、黒澤明監督の映画も傑作でしたねー。古典を買おうか迷ったが、シアターコクーンで上映された、萬斎さん自身が狂言的手法を生かして演出された平成11年度文化庁芸術祭新人賞を獲得した注目作、と書いてあったので、これにしました。
で、もらったちらしとDVDを良く見れば、あれれ全部これは花本さんの監督作品でしたね。

音楽というご自分が演じる側から、反対にご自分が撮る、という側のお仕事をされている花本さん。DVDを見ながら、こちら側に花本さんが居るんだなーと思いながら見るというへんな見方をしてしまいました。
作品はあのくらーーーーい原作を忠実に辿りながらも、狂言の魅力で楽しみながら物語を見ることができ、あの暗澹たるラストの余韻をひきずらずにすんだ、一気に現代劇へとワープしたラストの演出は、ああ楽しかったと笑ってスイッチを切れる作品だと思います。

やはり茂山千作さんはさすがで登場した瞬間笑ってしまうし、茂山家、野村家の演者の方々の魅力満載で、やはりこれは古典もきちんと見てみたいと思いました。
ラスト、登場人物が羅生門?をあけるとそこはほんとに雨の降っている外で、登場人物が今度は外へでると、外で待ち構えているカメラに向かって今度は皆さんが歩いてくるのですが、そのカメラ側に花本さんがいる、というのもまた妙な気分でこんな見方をしてる輩もなかなかおるまいと思いました。

エンドロールに「監督 花本彰」と映し出された文字を見て感無量。劇・狂言は演者のものですが、この映像は花本さんの作品であるのだと実感しました。
一度には買えんのですこしづつ買っていくつもりですが、狂言の映像を、新月のリーダーでコンポーザーでキーボーディストの花本彰の別の作品、という見方をするもんは数少ないでしょうね。

しかし、北山さんはフリークライミング協会の理事長で国際審判員。ネットで検索すると花本さんも北山さんも新月と今のお仕事の両方でお名前がヒットしますが、新月側と、現在のお仕事での側の花本さんと北山さんがそれぞれ同一人物だと知っている方はどれほどいらっしゃるのでしょうか。
いいですね、二足のわらじ。
しかし、ラストにピアノの曲が流れるのですが、「音楽」だけはどこにも名前がないのですよ。もしかしたら、花本さんかな?今度お聞きしてみましょう。



3月23日
えーと、とにかく花本さんの留守を守らなくちゃ。
前からずっと書きたかった「光るさざなみ」を新月コーナーではなくて、従来のわたしのコーナーにあげた。
新月のコーナーに入る相応しい箇所がなかったのと新月ファン以外にも読んでほしかったので(しかし、見事に住み分けが出来ている。新月ファンと、新月に興味のない人と。こういう音楽系サイトも珍しいかも)。アルバム『光るさざなみ』については、いずれきちんとアルバムレポートを書かなければ。

『動物界之智嚢』入手して数年たつのになぜアルバムレポートかかなかったか今聞いていてわかった。難しいからだ。
ボーカリストの北山さんが「あえて」ボーカルパートを全く設けないインストのアルバムを制作した実験的な意図は、ニジンスキーがあえて得意技だったジャンプの振り付けをせず牧神の午後を踊ることに挑戦、喝采を浴びたというエピソードを思い出す。

しかし、北山ソロの先入観を排除してインストルメンタルの曲に入り込むのは実に難しい。
しかし、何度か聞いて、当初なぜ聞き終わってからやっぱり「新月」だと思ったのだろうという疑問が解ける。
最後の「まなたす」にだけ花本さんがキーボード参加しているのだ。だから最後に聞き終わって新月を感じたのだ。
『光るさざなみ』は逆に津田さんが参加されていて、トーンを抑えた新月と感じたのだ、こちらには花本さんは参加されていない。それぞれのメンバーが一本、一本の糸でそれが縒り合わされて新月サウンドとなっていたんだね。しかし、実際に自分が音楽やバンドを演っている人も新月コーナーに来てくださっているが「動物界之智嚢」は音楽を演る側の人にはどう聞こえるのだろう?ソロ第2弾発売時に、「光るさざなみ」についていたように特典として再びファンの耳に触れるようにはならないのかな?



3月21日
今日花本さんの「島へ帰ろう」が来るはず。明日から花本さん仕事で不在のためしばらくメンバー側の更新はストップ。森村さんのメモ花本さんが森村さんにフィードバックしなければならないのに花本さんそれをせず止まったまま(あ〜あ、ばらしちゃった)。 ころんたも来月から更新にかける時間が減るため、今月中に自分のところ書かねば。えーと整理すると「動物界之智嚢」のレポート「殺意への船出」「赤い目の鏡」と今日来るはずの「島へ帰ろう」のコメント。『全曲目解説』は次に何が来るかわからないので、ほんとに楽しみ。アルバムの曲目順ではないので、選択に意味はあるのか書きたいものからなのかな?春なので2ndアルバムのタイトルになるはずだった「竹光る」「浪漫風」の解説も早く読みたいなあ。と、花本さんに催促する前に自分も書かなければ。単に寄稿文アップするだけではわたしのサイトでなくなってしまうのだ。

言いつつ文章を書くエネルギー欠け、カセットレーベルと歌詞カードのビジュアル資料アップで終わらせてしまった。いずれにしろ、半端なエネルギーで書いては新月と北山さんに失礼である。しかしテンション不足。どこかでサイト更新用に休みとったろか(ううう、やっぱり無理だあ)。

ころんたの夢のひとつを叶えてもらうため、友人のドラマーのぢるさんに原稿を頼んだが、そろそろ来るかな・・と、こう書いておけば逃げられるまい。最近阿漕なころんた、花本さんにもきびしいだのこわいだの言われているが、ええぇぇぇい、こわくてけっこう。イメージは着流しの着物姿で火鉢の前に座ってキセル銜えて「びた一文負かんねーよ」とすごむ因業じいさんか。人には厳しく自分に甘く、自分の分は手付かず。

「動物界之智嚢」再度聞く。やはりA面とB面では表情が違う。A面は動物の持つ特性の音による模写のダダ(バンドの名前じゃないよ)的表現、B面は音が複雑で観念的だと思う。はんめう、眠れるきうゐ、てんじくねずみ可愛い。島、来る。不憫なコだったのね、このコ。



3月16日
おっと、ちらしに掲載された北村さんの文は、「赤い目の鏡」のライナーに紹介されていた。でも「赤目」は今ほとんど入手困難だから、やっぱ読んだことない人も多いだろう。 ちらし、ライナーに書かれた部分は後半の新月を紹介した、北村さんの文にしては平易な表現で前半部分は花本さん言われる「えらっそうな文」でわたしには難解でよくわかんなかった。「新月」オリジナルの北村さんのライナーノート紹介したいけど書き写していいものかわからない。いけないんだろうなやっぱり。でも部分紹介しちゃえ。えらっそうなところではないとこ「複雑で高度なテンションを次々と生み出す緻密な曲構成もさることながら花本彰の流麗でリリカルなキーボードプレイ、津田治彦のヴァイオリンのようになめらかでメロディアスなギター・ワーク、そして北山真の語るような異色のヴォーカルと妖しげなステージング、それに力強くまた正確無比のリズムセクションが一体となって創造される彼らの驚異的なアンサンブル・・・」「そして彼らはこれほどまで豊かなイマジネイションとしなやかな詩情を秘めたデリケートな作品をステージにおいてはより一層演劇的な趣向を凝らし、ストーリー性を協調しつつ、映像、照明、効果といったよりトータルな舞台芸術として完璧に再現してしまうのである・・」(ビクター音楽産業鎧ENレーベル「新月」オリジナルアルバム北村昌士ライナーノートより転載)。この前後にたくさんの難しい漢字と横文字を駆使した修辞がえんえんと続くのだが、難解ではあるが北村さんがいかに新月が好きか、そしていかに新月に期待をもっていたのか、新月へ向けて書いた文章の熱が、当時北村さんが新月を世に出したいと願っていたことを感じる。


3月14日
「殺意」何度も読み返してしまう。本当に好きな曲で、でもどこが好き、と言われてもうまく言えなくて、で、花本さんの解説でそうそう、そこ、そこ、あっ、そうそうそこなんだよー(肩揉んでもらってツボに入った時みたい)とすとんと納得し音が映像になる。星の粉が撒かれるような美しい津田さんのギターはそういうことなのね。「いかにもPART3がありそう」だ、という花本さんの思わせぶりで意味深な一言は、いずれ解説されるのであろうか?花本さんの解説を読みながら、また、聞く。「やり飽きない曲」がわたしの「聞き飽きない曲」で本当に良かった。 早く高音質盤を聞きたい。解説による「緊張と弛緩」の技法に納得しつつ、「層」という言葉が間違っていなければ、そのパートごとの緊張と弛緩が最終的にわたしという聴き手に厚みのある「層」として届いていると思う。つまり上層で叙事詩が歌われながら下層で抒情詩が、そして下層と上層が入れ替わり音を綾なしていく曲。

やっと最後の預かり物のビジュアル資料をアップ。やっぱり重過ぎるかなあ・・・。これ以上落とすと文が読めんのよ。たぶんCD盤しか知らないファンはオリジナルの北村さんのライナーの文を読んだことがないと思うので、読んでもらいたくて、強引に掲載してしまった。
2つのちらしをアップする作業で、ところどころの紙の染みに25年の歳月を実感した。わかい5人のメンバー。そして、オリジナルアルバムのライナーの一部である北村さんの文に、胸ときめかせてレコードに針を落とした瞬間を感慨深く思い出す。ちらし裏側の北村さんの結びの言葉。「時代は移る。時は流れる。新月の登場が、日本のロック・シーンにとっての新しき時代を告げていることに、誰もが確信を抱く日もそう遠くないはずだ。」25年の時を経て、なんら色あせることのない現在の新月へ向けての言葉とわたしは感じている。



3月13日
どうしちゃったんだ花本さん?昨日に引き続き今日は「赤い目の鏡」が来た! うわ、でも読んで思い出した!そうだオルゴールだ!! 近い将来、長い眠りから覚めた「赤い目の鏡」が聞けるんだ!うれしい!!「殺意」と「赤目」大大大好きな曲。うう早くコメントつけたい。


3月12日
ついに「殺意」くる 。「鬼」と同じくらいに好きな曲、そして聞いていて飽きない曲。新月も「演りあきない曲」なんだね。しかし、北山さん結婚パーティで新郎自ら「わたしの藁の手首はくびれそうな色してゆらゆら」とか「この男には瞳がみえない」とか歌ったわけで、す、すごい。


3月11日
高津さんの訂正原稿来る。前のより、高橋さんのひととなりが明確になった感じがする。


3月10日
やたっ。高津さんの原稿届く。高津さんは前回のレコード評読んだ時も思ったけど、新月メンバーの「おにいさん」なんだねー。そ、そうか、「重苦しい」バンドだったわけね。5人のそれぞれのちいさなエピソードにバックボーンが少しづつ明らかになって、それぞれ一言でのメンバー評、いいっ!北山さんドッペルゲンガーの謎、「光るさざなみ」の原曲はもっとすばらしいんだ・・。花本さんが笑わない人(新月ライブでステージに上がってきたときいつもにこにこしてたと思ったが錯覚か?)「島へ帰ろう」はQ&Aにもあったけどやっぱりもとの曲を聞きたいね!鈴木さんの手紙の話は感動的。やはり、明るくてやさしい人なんだ。しかし、花本さんセレナーデ脱退の理由はそうだったのか(ほんとか)。うんうん津田さん、本当に優しそうでにこにこステージに上がってでもギターはほんとにすごくて、天才ってこういう人のことを言うんだなと思った、高橋さんはやっぱり地に足がついた人だったんだ。うーん、高津さんのこの明るい文体最高!読んでてうれしくてうれしくて仕方ない!!どうやら不定期連載になるらしい。誰も止めません!!
ここまでメンバーのこと知ってしまうとやっぱり「ライブ」を是非見たい。5人揃って新録→せっかく5人揃ったんだから→やっぱりバンドはアルバムとライブでしょ!ってなる筈だよね(勝手な妄想か)。
Qもたくさんお送りしてあり、一筆ネタにも事欠かないようですが花本さん当分多忙のため原稿無理でしょう。ロンブーわ〜ださん最近来てくれないなあ。これに乗じてもっとエピソードたくさん欲しい。

==えーと。なんだあ。新月コーナー、自分のサイト内ながら、ほんとにいいねえ。ころんたが書いてるわけじゃないけどさー。えーと、イメージは年寄りが縁側でひなたぼっこしながらむかしがたりしててえー人がすこーし増えたり減ったりしながら、思い出話しながらとろとろうとうとしたりしてー、たまーにわかいもんが遊びにきてくれんのよ。理想じゃの。ひっく。なんかせかせかしないでのんびりいきたいもんだよな〜。おっとおやぢになると愚痴っぽくていけないやね。いけね、またビール大量に飲んで書きもんしちまったよ。ひっく。



3月8日
なぜわたしはこんなに「殺意U」が好きなのだろう?バロック、ジャズ、ロック、フォークと、プログレというより音楽原体験で、好きだった要素がすべて入っているからだろうか?「鬼」同様飽きない。
北山さんのソロを聞く流れ?で「光るさざなみ」も聞く。本当に表題曲「光るさざなみ」は北山さんの最高傑作だと思う。詩もメロディも。詩の中の自然事象が知らない間に聞いている私自身の心的風景に沁み込み宇宙観へ導き最後の数行の詩は、もし悲しい事があった時なら希望を、嬉しいことがあった時ならもっと明るい未来を、いまもしいきずまった時なら自分自身の方向を、自分で考えさせてくれる。
一見甘い愛の詩のようでもしかしたら実は愛のことなどまったくうたっていないかもしれない津田さんの詞。シーンごとに切り取った美しい光景にうっかり酔いそうになると実は残酷な事象を突きつけてくる花本さんの詞。
それに対し、北山さんの詩はこちらから一歩足を踏み入れても決して逃げていかない、ぬくもり、を信じて良い言葉のじゅうたん。


3月7日
「殺意」感想まとめないと花本さんの原稿がちかじか来てしまうかも。まあいいか、ころんたのコメントは別にどーせだーれも読んでないだろーし。
北山さんのソロ「動物界の智嚢」は曲ごとに感想つけるのはちょっと難しいので、全体の感想になるかなあ。といってもまだ全然書いてないのでかなり先になるかも。これは数年前偶然入手したもので、「公認サイト」になるはるか前からアルバム紹介に書こうと思いつつ数年経過してしまった。現在このようなサイトになり、入手する手段がなく入手できないものに対してどうファンの皆さんが思われるかわからないが、新月の過去の表現物をすべて掲載するのも役割かと思いアルバムレビューを書こうと思い立った。
ボーカリストである北山さんが、なぜインストルメンタルのアルバムを作られたのだろう。北山色を出さずにあえてインストルメンタルという北山真ソロを制作した意図をわたしごときが問えることではないが、なんと表現したら良いのかわからないが、「面白いアルバム」とだとわたしは感じた。

A面の「狂犬・てふざめ・眠れるきうゐ・はんめう・てんじくねずみ・かばの乾肉・くまのゐ・どぢゃうとたぬき・ごまふあざらし・さあかすのぞう」はそれぞれはぐらかすようなメロディとユーモアとアイロニーに彩られ、B面「かつをのえぼし・ごくらくてう・らくだの悲嘆・へびのしっぽ・たかあしがに・まなたす」の一連の曲は一曲一曲の色がそれぞれくっきりと異なり、A面をダダイズムとするならば、B面はシュルレアリスムの香りを感じた。A面一曲目から始まりB面のまなたすでの終わり方は全くひとつのアルバムの印象ではなく、不思議な余韻で終わる。全編途中で北山さん?と思えるコーラス部分以外はほんとにインストルメンタル。しかし、B面の複雑で多彩な音の重なりはうっすらと闇のベールの向こう側に新月がわずかに見え隠れするかな。もっと聞いてちゃんと書かねば。

しかし、先日花本さんとのやりとりで、このサイトに来てくれるファンは「何が欲しいのだろう」ということと、それがいまひとつ「みえてこない」という事があがった。掲示板がにぎわうとかそういうことではなくて、いま提示されている少なくとも3種類のアルバムが出ることに関しての情報だけ必要なのか,その他に求めるものがあるのかが、まったくみえてこない。

先日のように「ライブ」を望むいくつかの声は実に嬉しいことで、新月もそれを実行できるかどうかわからないが、ファンの声はメンバーに届いており、貴重な意見として視野に入れているのは間違いない。くどいようだがここはあくまでも新月「公認サイト」。日本のプログレは新月しか知らないと公言してはばからないヘンクツなころんたが運営しているファンサイトなのである。たとえ直接メンバー・関係者の文言をすべて掲載していようがあくまでもファンサイトなのだ(しつこい)。実現するしないは別として、新録のアルバムを出して欲しいとか、絶対ライブを演ってほしいとか「公式サイト」をはよ作れとかそんな声が届けばそれが直截的な実現に結びつかなくてもメンバーのアイディアが広がり、新月の活動に新たな息吹を吹き込んでくれると思うのだが、新月ファンはシャイなのだろうな、きっと。


とはいえ、高津さん、森村さん、花本さんの原稿はだいたいは出来ているようだが、改めて、メンバーの原稿は仕事で遅れ・・と書くたびにみなそれぞれ「生活者」としての本業・生業があり新月は決してバンドとして再結成されたわけではないのだと実感する。 その間隙を縫って、再び新月をやろうとしているメンバーたち。わずかながらも、新月をキーワードに日々新たにアクセスしてくれるひとたちがいることが、声はなくともファンが新月を求めてやまない、そして何を見せてくれるのかと自分たちの未知の期待を抱いていることの証明なのだろう。むしろ、ファンの予期せぬ姿を見せてくれることを望んでいるのかもしれない。伝説のバンドゆえに、声の届かない遠いところに居てくれ、という事なのだろうか。

でも、ころんたは望みを言う。 そして、ここにはまだ書けないけれどころんたの望みのひとつは叶いそうだ。 残念ながら当時の「ライブ」を見ることはタイムマシンでもない限り、不可能となったが、後はフルメンバーによるライブ、新録である。今現在4人のメンバーが一同に会したことは、Q&Aの花本さんの回答やout of contorol時代の和田さんの書込みで嬉しい報告としてあがっていた。あとは高橋さん。「赤目」のライブでのドラムソロを聞くと、他のドラマーのどのドラムソロとも違う。大抵の場合、派手、華やかさ、自分の技術はどうだ?!を全面に押し出すのがドラムソロ(で、聞いていてだいたい飽きちゃう)なのに、高橋さんのドラムはドラムだけなのに新月のひとつの曲みたいだ。高橋さんのドラムの音ひとつひとつがすべて新月の曲そのものだから、飽きることなく聞けるのだ。絶対高橋さんに参加していただいて、5人、揃って、新録、ライブをやってほしい。
あ、ころんたの望みそのものがもしかしたらみんなと同じだから、ファンのみんななんにも言わないってこと?

そして新月ミーハーファンであるころんた自身も環境の変化を迎え、おそらく来月からは更新作業に割ける時間がますます制限される。思えば、昨年このコーナーを立ち上げてからの数ヶ月はすごいスピードと勢いだったので、いずれこうなる前にという流れだったのかもしれない。なにしろ花本さんからメールをいただいて迷う間もなく数日で動き出したのだ。良く考えたら躊躇もせずいきなり走り出している。重責、とか全然考えなかったわけだ。ころんたいい度胸だ。



3月3日
残念ながら高津さん仕事の関係で原稿も遅れ。昨日の日記読んじゃった皆さんごめんなさい。でも、メンバー評、すごく楽しみな内容ですので、期待していてくださいね!ところで、わたしの勘違いがあり、どこかに「芝ABC会館ホールのライブフィルムが存在する」と書いてしまったような気がするのですが、ライブのフィルムは一切存在しないそうです。
ということはどういうことかと言うと、新月の当時の映像を見られる可能性は、プロモーションビデオのみ、になってしまった。発掘を切に祈る。
当時のライブをどうしてももう一度この目でみたい、というころんたの望みは叶わなくなってしまった。今は家庭でもビデオカメラを所持している時代だが、映像を撮る、という事は機材や技術面からも大掛かりな事でバンド側も曲をつくり、ライブを行うことで映像を残すことまでは考えが廻らず全く考えていなかったとの事で当然かもしれない。あとは趣味で8ミリをやってる人くらいだろうが、ライブ会場にそんなものを持ち込む人はさすがにいなかっただろう。ん?いたら連絡ください。
でもでも、当時のライブ映像の望みは絶たれたけど、サイト内には書いてないけど、ころんたこだわりの望みは叶いそう !同じことを考えてる人が何人居るかな?もしかしたら、ころんたひとりでこだわってるだけかもしれないけど、嬉しい、本当に嬉しい!!


3月2日
高津さんから今度は「メンバー評」が今現在半分ほど花本さんのところへ送られてきたそうな。すごいすごい高津さん!親指が心配。でもどんどん打ってください!!!これで「LIVE&RECORDS」のコーナーが全部埋まる。早く読みたい 。
「動物界の智嚢」本当に久しぶりに聞く。最初に聴いたときの印象が新月で北山さんだと感じたと書いたが、やはりそれは誤りで「新月の北山さんが作ったんだ」という著しい思い込みでそう感じたのだろう。先入観なしで聴いたらやはり北山さんの曲と感じたかどうかはわからない。一曲目から、「光るさざなみ」を想像しているとこのテンポにかなり戸惑うが、後はギターの柔らかな流れと後半にすすむにつれシュールな「発熱の街角」を彷彿とさせるイメージの曲、また演劇的イメージの部分もあり、北山さんが作ったのを知っているので「お、北山さん」と感じた。
いずれレコードレポートにちゃんと書かねば。しかし「はんめう(はんみょう)」という曲があるが、今の若い人はこの虫を見たことがあるかな?道案内してくれる虫なんだ。この曲、まさにこのはんみょうの動きそのまま!


3月1日
↓の「殺意・・」について、叙情的な部分は北山さんの世界、と書いてしまったが、これだと北山さんのボーカルパート部分だけみたいではないか。叙情的な部分の美しさは花本さん、津田さんの世界でもありながら、クールな叙事的な部分と並行した曲だみたいな事を言いたかったのだが、あれ、書けば書くほど文がへん。


2月29日
いい。高津さんのレコード評あったかいなあ。
花本さんはちがうと思うと言われていたが、高津さんもわたしと同じくジャケットの少女をアリスか?と書いておられるのがちょびっと嬉しい。新月ではなくてセレナーデ時代のメンバーであった高津さんからの曲の解説、感想は当時の思い出と熱とあいまって、いまここで「新月/新月」を聞いていなくても、曲が耳元で聞こえる。うれしい。
高津さんの中での「せめて今宵は」のポジションは、「新月/新月」というコンセプトアルバム自体の価値そのものだと感じた。この曲がアルバムのしめくくりの曲であるがゆえに、また新月を聞きたくなり「鬼」へと針を落としてしまうわたしの行動は、なるほどこういうことだったのかと、高津さんのアルバム評を読んで納得。
しかし、この文章を250字づつ打っては花本さんへ送る作業をされていたのですね。お疲れ様でした。そして本当にありがとうございます。


2月28日
くるぞくるぞ、高津さんの原稿が。いまごろ花本さんのところに来てるはず。楽しみ〜!!早く読みたいなあ。===
きたきたきた。高津さんの原稿が!ケータイメールで250字づつ、花本さんのところへ送られてきたものなのだった。アップは明朝。


2月27日
ひさしぶりにGENESISをゆっくり聴く。
アクセス数があがっている。爆発的ではないにせよ、日々必ず新しいお客さんが新月で検索して、訪問してくださっている。 嬉しい限りだ。
数年前わたしが「新月」を必死で検索しても、新月を扱ったサイトはほとんどなかった(検索のやり方が少し甘かったせいもあった)。やっと見つけても、リストの中のひとつくらいの扱いでがっかりしたことしばしば。しかしアルバム紹介や「鬼」への賞賛など断片的にはみかけることができた。しかし、新月そのものを深く扱っているサイトはまだまだ少なかったと思う。かなりの根気、というかものすごいしぶとさでえんえん新月を探っていき、ようやく行き着けたがKAZUKIさんのサイト 『異端者の庭』の中 の『新月』だった。
現在はわたしが最初に訪問した時よりかなりリニューアルされているが、「新月/新月」の曲ごとの解説は目からうろこだった。
いわゆるライナーノート的な解説ではなく、曲のイメージをKAZUKIさん自身の「詩」に昇華し別の響きで新月の楽曲を紹介している。短い端的な文で表現するのが苦手なわたしには目を瞠るページだった。
冒頭、アルバム1枚をわずか3行で語りつくした文に、「そうそう、こういう事をわたしも言いたかったのだ」とすとんと納得し、『鬼』の解釈にふむふむとうなずき、 『発熱の街角』に唸り『雨上がりの昼下がり』に思わず微笑み・・・と、他に類のないアルバム紹介と、それぞれの新月の曲のイメージの解釈の違いなどに感心したり、うなずいたりととにかく新鮮なページであった。今残念ながら掲示板を削除されてしまったが、それから時々遊びに行かせていただいた。読書家のKAZUKIさんの日々の読書量とそのタイトルにも目を瞠った。
バンド側にメンバーそれぞれのバックボーンがあり、それによって作り出され構成される音を聴くリスナーであるわたしたちにも、当然バックボーンがある。 両者のバックボーンの、なにか、がかちっと合ったとき曲にシンパシィを感じ作り手と聴き手が手を結ぶのだろう。それが本であったり、そのアーティストに会う以前に聞いていた音だったり、まったくちがう心象風景や自然現象であったり。 そんな思いをKAZUKIさんのサイトで感じた。

ところで、わたしのこのサイト内かなりタグががたがたという指摘を友人から受けた。タグ間違いが多くてぼろぼろなので、(ネットスケープだと見られない?)今すぐというわけにはいきませんが、いずれ時間を作ってちゃんと書き直します。



2月26日
一筆箋の「シンセの中で最も美しいシンセ」ってどんな音・デザインなのだろう。北山ソロでそれが明らかになるわけだ。出来れば写真も載せてほしいなあ。北山ソロにむけて、花本さんがシンセを購入されたことで、新月のメンバーが、もしかしてフルメンバーで再び演奏する日が来るのだという事が現実味を帯びてきた思うと、うれしくて笑えてきてしまう。北山ソロは今回アレンが花本さんなので、実際はかなり新月の音に近いものになるらしいし、期待が膨らむ。


2月25日
ABCの写真のニュース、北山さんがあの「公園のベンチ」を背負って登場。濡れてるのかな、ちゃんと?絶対みんなこの写真見たいよねー、使ってほしいねー !
しかし、北山さんといえば、ソロアルバムの話題だけど、今度のソロを「2枚目」とは言ってるが実際は「動物界の智嚢」があるからソロとしては実際は第3弾なんだよね。
う、そ、そういえば「動物界の智嚢」のアルバムレポートをあげようと思いつつあれから何年たったのやら。「ボーカリストのインストルメンタルゆえに失敗」と『光るさざなみ(この表題曲、落涙ものの感動曲。大好き)』の北山さん自身の手によるライナーにあったが、わたしの印象はボーカルがないのに「新月」で「北山さん」だった。 もう一度じっくり聴いてレポートも書かねば。
1日50時間くらいあればいいのにね。だいたいこの年になると夜は目がかすんで字見るのも書くのもいやんなっちゃってだから早朝から昼が長いといいなあ・・・おっといけない。


2月24日
ニュース、いままでの「聞き伝え」をアップするより花本さんの「肉声」で伝えていったほうが絶対臨場感ある。みんなも読んでて嬉しいはず。コーナー別にしてよかった。よかった。


2月22日
いよいよ新月メンバー、スタッフによってBOXに入れる音源セレクト作業が始まったらしい。考えただけでわくわくする。わたしだけではなくて、ファンはみんなニュース読んでわくわくしているよね。BOXの現実味、具体性が出てきたのだもの。写真も発見され、音源セレクトが行われ、後は幻のプロモビデオマスター発掘か。「新月/新月」を初めて聴いた時のあの感動と同じものが、また味わえると思うと感慨深い。==高津さんの原稿、月末にはくる!森村さんの「出会い」も!皆さんきちんと真剣にどんなかたちで書こうか考えてくださっている。いろいろな切り口で新月が浮き彫りになってくる。人によって聞き方は千差万別だろうが、音、だけではなく新月がなんだったのか、わたしは知りたい。ゆえに、新月のために書かれる当時の関係者、メンバーの原稿を心待ちにしている。==昨日書いた日記でふと思ったのは、別にわたしは洋楽至上主義でないのだが、やはり新月出現の時はすでに、そこで欧米のプログレももう終わりと考え、プログレ復興をかけて出てきたU・K最後に自分でENDマークを刻んだんだろうな。そこへ同時に出現したのが新月だったので、新月が解散したことによって、完全にプログレ終止符を自分で打ったのだろう。なにせキャパの狭いわたし。いまはあるCD・レコードを聴くだけでせいいっぱいなのだった。


2月21日
最新情報を「新月ニュース」のコーナーを作りそちらに載せていくことにした。やはり日記とごっちゃになってしまうと経過がわかりにくい。日記読みたくない人もいるだろうし。ここが日記になってから久しいので、やはりここだけはわたしが自由に書きたいな、ということで。やっぱネタ帳として書いていこ。いい形だ。わたしには。
カキコみると「ライブ」の声がいくつかある。他の日本のプログレバンドのことはあまり知らないし特に興味はないのだが 、いや、ひととおりアルバムはいろんなバンドの購入して聴いたのだが、とにかくどれ聴いてもやっぱ新月じゃないや、と残らず手放したんだよねー、アナログ盤を。今はわたしの手放したレコードたちの市場価値が高いにせよ、その時わたしには必要ではなかった音だったのだが(なにしろこれらすべて新月解散後の話である。新月知ってしまった後は何を聞いてもだめだった)、ただ、一連の往年の日本のプログレバンドの再結成や再活動の動きには興味がある。

どんな要素が働いて今そんな動きが連鎖反応的に浮上してきたのか?理由はわからない。先日もそんな話題が出たのだが、新月も意識してか知らずかその流れに同じく乗ることになった。いかなる意図なのかわからないが、歴史はその時々にそこで必要なものを歴史自身の手で配置する。歴史が日本の音楽界の中で、「日本のプログレ」を再燃させようとしている意義、その結果をわたしたちは、新月はじめ他のバンドの活動の方向でこれからの未来に見ることができるのだろう。果たして新月が再び「ライブ」を演ってくれるのかどうかわからないが、歴史がその手で、デビューして25年後に再び世の表面に出るようにセットした「新月」。ライブに結びつくかどうかわからないが、まず5人、フルメンバーが揃って演ってくれる姿、音に出会いたい。



2月14日
説得されるもんかっ(あ、すみません。独り言です)。


2月13日
「殺意への船出パートU」は、「鬼」と同じに好きな曲だ。というと少しちがうかも知れない。「鬼」は別格で、別に数えると一番好きな曲なのだ。どこが好き?と聞かれると答えに窮してしまい「ぜんぶ!」というマヌケな答えになってしまうのだが、前半のロマンティックな「あなた」と「わたし」の語らいと、津田さんの胸をかきむしるようなギターとメロトロンの甘いメロディが、切ない思いにかきたられ、わたし自身がここで満天の星空を仰ぎ見るような思いにとらわれ北山さんが語る抒情詩の世界へ甘く漂う。
「遠い星で待つきみのために」ジャズを聴いているような間奏、そしてここから一気に曲は徐々に加速しワープし地上から見上げる星空から宇宙へと飛んでいく。5人の奏でる音はすべて絡み無限大に広がり今度は壮大な叙事詩を描いてみせるのだ。
ロマンティックな抒情詩でありながら、まるでギリシア神話の神々の戦闘を描いた叙事詩のようなスケールの大きな「殺意への船出パートU」。
星をみあげ、胸をしめつけられるようなわたし自身のミクロの浪漫に浸りながら、壮大な宇宙というマクロの舞台で広げられる物語を冷徹な観察眼で描きだす新月の最高の曲だとわたしは思うのだ(あくまで「鬼」は別格)。未だ聴いたことのない「パートT」と共に高音質の「パートU」を聴ける日を楽しみに、そして、これから来る花本さんの「全曲目解説」を楽しみに、また今日も聞いてしまうのだった。「遠い星で待つ、きみのために、うたう」。なんど繰り返し聞いても、わたしはこのフレーズに酔ってしまうのだ。
あ、書いてから思ったが叙情的な部分はまさに北山さんの世界、そして叙事的な部分は津田さん、花本さんの世界なのだそしてその2つの世界の橋渡しをするのが高橋さん、鈴木さんなんだ、そうか、そうなんだ。


2月11日
「新月史」届く。「本当の新月」の誕生の瞬間の部分は何度読んでも感動する。ライブ活動の北山さんのマイクスタンドにスイッチをくくりつけてご自身で照明をコントロールしていたというエピソードは、直接花本さんからお聞きしていたが、(実際わたしはおぼえてはいなかった)そういえば「赤い目」のライナーによると北山さんは「一に照明、二に舞台セット、三にPA、最後に演奏」とおっしゃっていたとか。そうそう、フールズメイトの北村さんの文章は難解?でうーーーんと唸りながら読んでいた。同時に進行する音楽的環境の時代背景、すでにこの時点でプログレは過去のもので、パンク全盛時代、プログレはもう古い、という風潮になっていた。これからメジャーへ向かって歩む新月と、すでにプログレを演るにはかげりがみえてきている時代背景に、すでに知っている新月の悲劇を先に感じてしまい(まだ早すぎるってば)、次に語られる最盛期のレコーディングの部分を早く読みたいような、読みたくないような、そんな思いにとらわれてしまった。


2月10日
芝ABCホールで行われたライブの高音質版が発見された。

わたしはこのライブには行っていない。ほんとにタイムマシンがあったら1979年に戻って、このライブに行きたかった。ライブ自体非常に評価が高かったそうで、カセットから起こした「赤い目の鏡」によって、音質は非常に悪いがライブアルバムを聴くことができ、ある程度思いは叶えられたが、今回、25年ぶりに高音質のテープが発見されたということで、期待が膨らむ。特にオープニングナンバーの「鬼」は演奏中にPA調整が行われており(ライナーノートより)特に音が悪いので、これがどれほど改善されているのだろうか?楽しみである。

そろそろ『新月史』黄金期のライブ部分が届くと思うので、ここで花本さん自身から語られるライブがどんなものだったか、こちらも期待している。

しかし、あらためて、25年前かと思うと年月の重みを感じるが、完全に活動を停止したにも関わらず未だ語り継がれその高い評価は褪せることのない新月。そして25年を経て再び世に出ようとしている新月。

この新月日記が当初BOX計画進捗状況を伝える唯一の新月コーナーだった頃から、ここを読んで 下さり、時々掲示板にも書き込んで下さる翡翠さんという若い新月ファンの方がおられるが、彼のサイト『翡扇庵』の中に 『新月語り』というコーナーがある。
「私的殿堂入りの曲」に「白唇」をあげているほどの新月ファンの方だが、わたしは翡翠さんのこの『新月語り』のファンなのだ。
そこに書かれている新月への思い、熱。新月解散後数年後に生を受けられた若いファンと、リアルタイムで新月を知っているわたしと、世代を大きく隔てた両者だが、しかし共にたった1枚のオリジナルを発表して解散した新月の音をもっともっと聞きたい、ライブに行きたい、しかしそれはもう出来ない叶わない思い。
私は百年の恋という表現を使っているのに対し、翡翠さんは決して叶わぬ恋と表現しておられるが、このファンの思い、これが今新月を再び動かしている言動力なのだと思う。
新月はこのファンの思いに応える義務がある。

翡翠さんの「白唇」を引用しての結びの言葉にうなずきながら、そう、わたしにとって翡翠さんの思いに匹敵する「殺意への船出(しかしすごいタイトルだよなー。曲があんなに美しいのに)パートU」のなかの「遠い星で待つきみのためにうたう」のフレーズを新月へ向けて、再び動き出した新月が見せてくれるもの、もう過去のものではないこれからの新月へ、あらたな「思い」が切なさではなく歓喜に満ちたものであることを期待し、確信している。


わたしの作業は、後まだ、ビジュアル資料としてお預かりしているちらし数点のアップが残っている。あとは果たしてコーナーをどこにもってくるかどうかと、ころんた自身の時間的な問題で掲載見送っている膨大な資料?があるのだが、とにかくできることからこつこつとしていくしかないだろう。 下読み返すと多忙といいながらいろいろ違うことやってるじゃん、書いてるじゃん、それなら更新どんどんしろよと思われるかもしれないが、本や映像からの栄養とらないと、ただでさえ薄い中身を使い果たしてしまうわたしですので、ご容赦ください。



2月9日
一番最初の新月コーナーはこの日記しかなかったのだ。改めてすごい進化。ライブアルバムに関しては、別に情報が伏せられていたわけではなくて、ころんたが単に確認を怠っていただけということが判明。故意に情報操作を行っていたわけではないのだが、ファンの皆さんごめんなさい〜。
夕べ花本さんからいただいた写真の件は本当にビックリした。写真を奥様がすでに1週間前にみつけてらして、そして新月からその連絡を受けられたのだから、さぞ驚かれただろう。しかし、写真、新月を待っていたのだね。25年間。何もかも、新月に向けて動いてるんだね。たまたま、昨日新月ではないけど写真のことをこの日記に書いたばかりだったので、わたしも驚いた。


2月8日
えー、出せる情報を確認・精査したうえでこの日記をもともとの「新月BOX等最新情報コーナー」の機能をもたせてトップからリンクさせる予定だが、まだちゃんと確認とれていないので、しばしまだ日記(ネタ帳ともいう)のままつづける。最初を読み返すとこぐまさん、花本さんにメールもらった時のヨロコビはしゃぎようが、じぶんながらなんだかかわいいじゃん。しかし、花本さんと「時間がほしい」が合言葉になってしまっているが新月コーナーできてやっと3ヶ月が経過したばかりなんだなあ。水面下のアルバム実現への動きも併せるとやっぱりすごく活発な動きだと思う。 今年はみんなおこづかいためておいてもらわないと!

新月とはまったく関係ないのだがわたしが新月同様強烈なシンパシイを感じるふたたび一ノ瀬泰造の話。「もうみんな家へ帰ろー」をぱらぱらめくる。タイゾーのお母さんによる写真と文章とお母さん自身がまいにちこつこつと30年前の膨大な量のタイゾーの写真を現像する作業の「暗室日記」で構成されている。戦場カメラマンなので、つらい写真もあるが、彼がライフワークとしていた「有田」の写真が好きだ。有田焼の職人さんの筆を持つ手と刻まれた深い皺、そして有田の風景。どこに居ても、根っこである故郷の土、日本人であることを忘れなかったんだなあと見飽きない写真に時間を忘れる。そして今年没後30年になるタイゾーの写真を焼き続けるおかあさんの「暗室日記」は、当初はおとうさんとの共同作業だったタイゾーの現像をいまは一人でされている日々を綴ったもので、毎日浮かび上がってくる写真の向こうにいるだろう息子に語りかけ、作業に夢中になりすぎるとふとおとうさんの「もういいかげんにせんかい」の声がふと聞こえたりと、単なる作業日記ではなくて、たとえそこにいなくても、家族のきずな、そして「何か」をし続ける熱を感じる。感動する。興味のある方はどうぞ。窓社から出版されてます。一ノ瀬信子著。3200円です。

まあ、ここで強引に「新月日記」と関連付けるワザはないが、わたしは終わりや完成を目指しているわけではなく、まだ自分にも見えない「何か」をやりつづけ、綴れることは誰かにほめてもらいたいわけでもなく単に自分の幸せだからというエゴであって、時折花本さんがすまないねーありがとねーなどということをおっしゃってくださるが、それは全然必要のないお言葉なのですぞ。ラプンツェルに出てくる魔法使いみたいにじぶんのサイト内に新月を閉じ込めてしまっているわたしですからね。

24年目の新月にも 歴史にもしはありえず、もし。という仮定にあてはめて歴史を語るのは無意味だと書いているが、歴史の検証は絶対に必要である。 無意味だと思うのは、失敗事例に対し、もしこうだったらと悔やむことが無意味なので、過去に於いていかなる選択肢、偶然があろうとも、過去は変えられない。新月は解散してしまった。25年の間、メンバーもわたしを含むファンもそれぞれの人生を送っている。しかし、25年経て再び新月は再生しようとしている。
「LIFE」の言葉の中にはIFが入っている。 過去のもし、は変えられないが、未来に於いては無限のIFがある。未来へのもしも、はあらゆる可能性を持っている。これから作られる歴史のIFはすべて自分の手の中に握られているのだ。 いったいどれほどの夢がいまこの瞬間から先、無限の可能性を秘めているのだろう。 もしもこうしたら、の選択肢、そこに加わる偶然、そしてまた必然、未来への手ごまは無限なのだ。 その中のひとつが「新月」これからどんな無限を見せてくれるのだろう。それを見るために新月コーナーはわたしの「LIFE WORK」であるのだ。(って、この部分、いずれなんかのネタにするつもりがみえみえ)



2月6日
仕事がめちゃくちゃ忙しいのと文を書く元気がなくて日記すら書けず。若い新月ファンの方にはわからんだろうが、このトシになると一晩寝ても疲れが取れなかったり肩こったり 夜目がかすんだりすんのよ、パソコン打つ手が震えたりするのよ、まったく。あ、ここ新月日記だった。愚痴ってどうする。
花本さんも仕事多忙で新月史はすすまず、高津さん、森村さんの原稿も遅れている。バンドが再結成されたわけではないので、みなそれぞれの主たる仕事の間隙を縫いながら、ということなのだが、しかしBOXへの準備は着々と進行中。高津さん森村さんの原稿が遅れてはいるが、お二人はテープ発掘中でその内容はかなりの期待大で、BOXに入る音源の質がどんどん向上していく。早く読みたい気持ちもわかりますが、まずはBOXに入る音が先決だと思いますが、どうですか、皆さん?
掲示板に新しい方の書込み、以前からの方の書込みが並ぶとうれしいなあ。 自慢だが、新月コンテンツ、新しい方も以前からの常連さんも同じ楽しみ方が出来る読み物だと思う。書かれていることがすぐに陳腐化してしまう情報誌ではなく、メンバー自身による新月への思い、生の声、歴史、曲の解説、エピソードとどこから読んでも飽きることはない。だから、最近来た方が何かを読みそこなうということもなく、また立ち上げ当初から来てくださった方は繰り返し、おそらくアルバムを聞いては読み、アルバムを未聴の方には興味をもっていただければ幸いだし、またこのような読み物に興味のない方は、たまに来てBOXや北山ソロの情報だけを持って帰るのだろう。たまたまわたしは幸運にも、自分のサイト内に新月コーナーを持つことができたが、自分自身がこのコーナーのファンである。
今から思えば幸いだったのは、逆に掲示板から先に盛り上がってはある程度形になるまでの2ヶ月間は更新に支障があったかもしれず、いま、ようやくすこし小休止状態の時に、こうしてぽつぽつ、書込みが増えてきたのは実にありがたいことだと思う。 流れはちゃんとうまくいくように出来ているのだなあ。 1日のうちに更新に割ける時間はわずかと限られているが、これ、時間ありまって全部書きたいこと、欲しいものはいっぺんに手にはいってしまうより小出しにしたほうが幸せらしい、ほんと(と、思い込みたい)。
高田馬場BIGBOXへ行った友人に昨日会ったが、にべもなく「まったく覚えていない」だと。期待してなかったが20年以上も前のことまでそうそう覚えてないと言われたが覚えてろよ〜。というわけで、これ以上高田馬場についてはもう語れない。残念。


2月3日
ううむ。実験失敗だ。何の実験かというと自分のサイトの日記に経過をつづっていたが、ジェネシスを知らずしてピーガブ好きのわかいもんにプログレを聞かせると果たして先祖返りを起こしてプログレ好きになるであろうかというものだった。 まずフォックストロット。いわずと知れたジェネシスの傑作。しかし、やつから返ってきた言葉は「いまいちです。リズム隊が弱いとおもうんですよ。なんかわけわかんないし」という生意気なせりふが返ってきた。「絶対にピーガブはソロのほうがかっこいいですっ!」ち。ではクリムゾンはどうだ?とここでいきなり 「太陽と戦慄」を渡してしまった。やつから返ってきたのは「ボク、憂鬱になっちゃったんです。だいたいなんすか?あれはっ。最後まで聞くことはできませんでした。ボク、耐えられない。」うううむ。ころんた一押しの太陽と戦慄パートUを聴かなかったというのだ。だいたい大作は殺意への船出のようにパートUを聴くものなのだ。 ピンクフロイドはCDで持ってないし、唯一持ってるイエスのこわれものを貸そうかと思ったが、これは原点に戻り「宮殿」だろうと渡すと「蛭子さんの絵みたいですね」とジャケを見て言う。ううむ。それからしばらく、やつは体調を崩しきっところんたさんのCD聴くと絶対にカラダ壊すと思って聴かなかったといい、昨日やっと返してよこしたそのせりふ。「ボク、もういやです」だと。「今回ガマンして最後までききました。2曲目(ムーンチャイルドね)でちょっと救いがあったんですが、後はわけわかんないです。落ち着かないしなんですかあのリズム。だいたいおわるかおわんないかわかんないし。ボク、だめです」だそうだ。

そうか、だめか。先祖帰りはならず。順調ならついに新月まで持っていこうと思ったのに被験者の拒絶により、実験中止である。 そしてやつは言った「いまのピーガブが一番です」 なるほどひとつ結論が出た。 ころんたの新月同様、自分の唯一無二のものをもってるやつにいくらルーツ、同系のものを聞かせようとしても、だめなのである。ころんたが新月以外に日本のプログレを聴くことができないのと同じなのだ。 やつはたぶん一生ピーガブソロを聞き続けるのだろうな。実験中止だが、なんとなくそれはそれでうれしいのであった。しかし、最近新月日記からどんどん内容が離れてるなあ。

最新ニュースで写真の所在がつかめたということがなによりうれしいが、果たして存在してるのか?そして状態は?



2月2日
花本さん超多忙のうえ風邪で体調崩し更新ストップ、せめてこの日記を多少機能させようと思っていたのがころんたも多忙で風邪でパワー不足。せっかく来てくれた皆さんに申し訳ないが、しかし、新月、水面下でかなりの動きがあるので、期待していて欲しい。

花本さんおすすめの「古道具界の新月」坂田和實さんの「ひとりよがりのものさし」。注文してとっくにとりに行ってきたのだが、こんな調子でまだ読んでいないのだがぱらぱらと写真をめくってみたら、想像していたのは茶道具等のいわゆる高級品だったのだが、むしろ古民具や生活用品だった。かつて、民俗資料の調査収集の仕事をしていたころ、こういう「ぼろ」や民具を扱っていた頃を思い出し、懐かしく写真をめくる。人の使っていたもの、というのは、ところどころ指のあとがなんとなくくぼんでいたり、その人のくせ、みたいな痕跡が残りなんとも不思議なぬくもりがあるものである。当時は仕事だったので、実際は「資料」「もの」としてしか見ていなかったかもしれないが、ガラスの蝿とり器、や夏用の格子の障子など昔の人の知恵に感嘆した覚えもある。じっくり落ち着いて文を読んでみなければ。右の一ページに写真、左のページに坂田さんの文が載っている。興味がある方はどうぞ。新潮社:5800円

昨日偶然つけたNHKで、わたしの大好きなカメラマン、一ノ瀬泰造のドキュメンタリーをやっていた。タイトルのどこにもタイゾーの名前がなかったので、見逃すところだった。没後30年。カンボジアアンコールワットの撮影に向かいそのまま消息を絶ち、後年両親によって遺骨が発見された。戦場カメラマンであるタイゾーが、転機を迎えたきっかけのタイゾー自身が回しらたらしい、NHKのムービーフィルムに、解放された捕虜たちが川を走りながら向こうからやってくる家族や友人と抱き合って喜びそれを夢中でシャッターを切るタイゾーも涙がぼろぼろとまらなかった、と母に手紙を書き、一時帰国したとき、この話を父と焼酎をくみかわしたという。そしてタイゾーの写真は、戦場でもつかのま、人々に笑顔がある。その笑顔をとりたいと誓い、戦火のなかでも市井のひとびとの輝く笑顔を撮り続けていた。ひとはどんな状況でも笑顔がでるのだ。しかし、なぜだろう。タイゾーは、西の人間が決して足を踏み入れることができない当時クメール・ルージュが占拠していたアンコール・ワットに魅せられ不意に単独潜入を試み、26歳の命を処刑という形で絶たれた。母は、たいちゃんは、クメールルージュの兵士に遭遇したときも笑顔でこんにちは、ごきげんいかが?と明るく挨拶したにちがいないといまも信じている。わたしも信じている。 昨年渋谷のギャラリーにお母さんが焼いた写真展を見に行った時、年代はさまざまだけど、若い人がたくさんいた。劇のほうは残念ながら時間がなくて見られなかったが、若い人たちがノートに真剣に思いを綴っていた。当時高校生だったわたしは、同じ時世界で戦争が起こってるなどとせいぜいニュースの片隅でしか知らず、ちょうど10歳年上の日本のおにいさんが、そんなところへ行っているなんて想像もしていなかった

なんでこの話を新月日記のほうに書くかというと(まあおなじ話をさんざん自分のコーナーには書いてるんでみんなまたかよと思われるだろう)、新月とタイゾーは、わたしの好きで好きで好きで好きで好きで好きでしかたないものなのだ。そしてどちらも、現実には一度形を失ったけれど、かたや30年、かたや25年を経ても当時を知る人、そして知らない世代にも色あせるどころか輝きを増してその思いを受け継いでいる。

やっと新月を知る世代の方からの(外部からの)書き込みもあり、日々、必ずひとり、ふたりと新月を検索してこのサイトを見に来てくださる方も増え、間違いなく昨年からの流れで新月側からも、新月を求める側からも互いに動きが出てきた。

まだ出せない情報がほとんどだが、間違いなく今年は新月に動きがある。爆発的な、衝撃的な、という形はわたしは全く新月には望まないが、昨年からの光るさざなみに見え隠れするちいさな妖精の羽ばたきのような波動が今年は波のうねりとなって盛り上がる姿をおおいに期待している。
ちかじか、あのBIGBOXに一緒にいった友人と会うのだが、果たして覚えているだろうか。でもたしか以前にも会場がせまいことしか覚えてないと言われたような気がする。あれから何度もあってるので、彼女が覚えていたら、ライブレポートにもちゃんとBIGBOXのことも書けたはずなので、あまりあてにせずいくか。



1月27日
現在更新まったくストップだけど、とにかく水面下の動きにわくわくとどきどきしているころんた。表面にはだせないが、3つの要素が動いている。 花本さん多忙にさらに拍車かかるが、3つ同時に動かしているのだからリーダーはえらいっ。
水面下の動きとは別に、ころんたがすごく気になるのは、ころんた勝手にもう一人の新月とお呼びしている当時のレコーディングディレクター森村寛さん。 ソプラノサックスでレコーディングに参加しているし、スタッフでありながら新月のファンでもある森村さんは、異なるバックボーン、異なるスタイルを持った集合体である新月の重要な構成員ではないだろうか。rockwellのキャプションや、全曲目解説にも書かれているように、森村さんなくしては「新月/新月」を完璧なアルバムとして完成できなかったかもしれない。今回、レポートを書いてくださるにあたって、森村さん自身の「新月活動期以前」から始まる『新月史』にメンバーと一緒に執筆していただけたら・・などと勝手に考えてしまいました。


1月26日
うん。別に背伸びする必要ない。おととい新月ファンの友人に言ってもらった言葉は、「ころんたちゃんは感覚一発なんだから、ここでギターがとかそういうことは、ちゃんとそういう事をかける人たちがレポートするんだから、そちらに任せておけばいいんだよ」。うんうん。技術的な難しいことなんか全くわかんないんだから、コメントはあれでよし。今、日記とネタ帳になってるこのコーナー、ちかじか、当初のBOX進捗、北山ソロ進捗を知らせるコーナーとして機能させる。今花本さんといろいろ調整中です。皆さんお楽しみに。


1月23日
「鬼」考。4年前のライブレポートで「鬼」についての「遠くからじっとみつめている鬼」は、日本書紀かなにかに書かれていた蘇我入鹿が殺された後笠をかぶった鬼となり、斉明天皇の葬儀を遠くからじっと眺めていた、という記述をヒントに書いたものだけど、復讐するわけでなく、ただ天敵の葬儀をじっと見つめている・・ という点に不気味さは感じることなく、また悲しみではなく、なぜ自分が鬼となってしまったのかという荒涼とした心象が、ヒトが鬼になってしまったあはれ、を感じたのだった。この説明書こうと思ってやめて、あのひとことで終わらせてしまったのだった。 この鬼、がいちばん新月の鬼に近いかも。
他に書いた、腕とりかえしにくる鬼とか食人鬼はむしろ「ばけもの」であって、いま、読み返すと新月の歌詞のイメージにはしっくりこない。
全曲目解説に、歌詞がどのようにして生まれたかは書かれていないので、歌詞に関して「鬼の花本」にもっとじっくり聞いてみたいもの。 これ新たなQ&A?
新月、北山ソロも含めてかなりいろいろ動きあり。この日記もわたしのネタ帳になってしまったが、本来の機能を再び備えるかも。今年はやっぱり新月年!


1月22日
忙しくて、ネタ帳さえかけなかった。
花本さんも多忙のため、新月史あげられず。
ネット検索してげげええっ。な、なんで新月プログレで検索すると当然うちのトップページが1位なのはいいとして、な、なんで暮れにかいたやつが2位にきてんの。いや来てるのはうれしいが、タイトルがっ。そ、そうだ、これ、「24年目の新月」なのに、タイトルのところは「新月へのラブレター」ってなにげに書いちゃったんだっけ。こ、こっぱずかしい。メンバもこっぱずかしかろ。タイトル正式にかきなおそ。はずかしいー。どうせなら「新月慕いて24年」とか「新月慕情」とかにするか、いや、な〜にを言っとるか♪っておちゃらけてる場合ではない。ひえええ。は、早く直そう。は、はずかしー。
うーーん。新月全曲目解説のコメント。ここでメロトロンが〜とかギターがベースがドラムスが〜というのを全然入れてない。やっぱ読みかえすともっときちんと書き直したくなる。むむ。
一筆箋「みつごのたましい」秀逸。なんかまじめなシーンでもこれ思い出すと思い出し笑いでたいへんなことになりそうになって困る。おもしろい〜。

「殺意への船出」ひさびさの赤目のライブ盤で聞く。鈴木さんのベースがばりばり、高橋さんのドラムソロものすごくかっこいい。これでもか、ではなくてタイトに決めてすっと去ってく。かっこいい〜!


1月17日
読み返して手を加えたくなるのだけれど、そうするとさらに長くなりそうなので、やめておこ。もちっとスリムにできないもんか。だけどやはり鬼はやっかい。あれ、これ読むと曲ではなくてライブの鬼の感想じゃん。書き直そうかな。おっとタイムアウト。==いや、もう、長くなったっていいや。この際めいっぱい美辞麗句並べちゃる。どうせ、邪魔だと思う人は飛ばして読むんだし、しろーとなんだからそんなワザはないからいいのだ。あっ、だいいちわたしのサイトじゃん。ついでに言えばライブの生き証人だぞ。どうよ?「鬼」のコメント書いていたら、やっぱりライブをもう一度見たいという気持ちがむくむく湧き上がってきた。

「朝の向こう側」津田さん作詞作曲のこの美しい曲も歌詞の意味はその通りとってはいけないのだろうか。これも「白唇」と同じくタイトルからして不思議。朝の向こう側って何だろう。あかるい、朝の情景が小さな水彩画のように描かれて、鬼で不安のどん底?に突き落とされてどおしてくれるのよこれ、の後にほんとにほんとにお地蔵さんの救いのように「夢も星屑さえも遠い幻」と歌ってくれて、やっと安心できます、という曲なのだ。朝が来て、「またひとつ増える昨日の思い出」。なんて綺麗な曲なんだろう。
「せめて今宵は」と同じく、ひざを抱えながら聞いていい曲、と自分で勝手にきめている。



1月16日
うーん。読み返すと、なんとなく解説と整合性がとれてないってか、曲のことにあまり触れてないような・・。なんでこう文がだらだらしてしまうのだろう。コンパクトにまとめられない。うーむ。<br> 1999年に書いたアルバムレポートを読んでみる。はずかしー。自分が書いたものを読み返すのは本当に恥ずかしい。これをネットで公開してるんだからいい度胸だ。でも、今回書いた稚拙な文だけど「せめて今宵は」は一番気に入ってる。で、1999年に書いたもののなかで「せめて今宵は」は、今もまったくおんなじ印象(てか、最初に聞いたときの印象を書いてるんだからおんなじか)だった。それにしても忘れてた。ああ、そうかマグリットの絵ね。 しかし、おもしろいな。ライブの記憶がないといいながら、あれから一生懸命思い出して、今結構記憶から発掘されてる。とはいえ、もはやこれまで。もう思い出せない(と、思う)。


1月15日
新月、動いてる〜 。 さらにさらに、高津さんと森村さんが今レポート執筆中!うれしいっ。ものすごく楽しみ。
なんだかんだで3時になってしまった。このネタ帳からまとめて「新月全曲目解説」に恐れ多くもコメントつけてしまおう。4年前に書いた「アルバムレポート」は読み返さないで書いてみよう。4年前とそれぞれの曲に対する印象は同じなのだろうか、全然違うのだろうか。あれ、でも、まだアルバム全曲ではないな〜。1曲足りな〜い、いっきょく足りな〜〜い(番町皿屋敷風に言ってみよう!ちなみにこのお菊さんて平塚出身なのだ。碑が公園にあるのだ。て、これ実話ってこと?へ?実話?おっと新月と全然関係ない話だった)。
書き出してから、ですますやめて文きり調で書いてみたがあまりにも生意気な。恐れ多いところへ何考えてんだ、と自分でびびってですますに変える。
「白唇」にだけはなかなかコメントつけられない。これ、曲は2人でかわりばんこに作られ、解説は花本さんが何度も書き換えて、おまけに正式なタイトルを24年も知らされず、わたしは曲聞く前に津田さんのフールズメイトのコメントを読んでしまい・・という複雑な来歴の曲で、すなおーにそのまま聞けばロマンティックなきれいな曲、ですんでしまうのだが。

ってこの日記書いて間にあとの曲目解説にコメントつけろって。ただいま逃避中。集中力なし。
また、わ〜ださんカキコに来てくれないかな。
あっ、高田馬場BIGBOXでひとつ思い出したっ。北山さんがものすごくかたーいこわーい表情で、それで次に行ったシルエレで全然リラックスした感じだったので、ほんとは明るい人なんだと思ったのだった。
新月の更に新しい動き。虻蜂とらず、とか、二兎を追うもの一兎をも得ず、て言いますね〜。両方欲しいけど、両方欲しがる欲張りは結局ひとつも手に入らないってことですが・・・両方欲しいなあ・・・なんでもありません。ひとりごとです。
記憶。もうすこしがんばれば、まだ思い出せることあるかなあ。がんばれ海馬。
コメントつけた〜。この中からネタを探すのが結構手間だった。でもまた、曲聞くとその時感じたことがあるから、やはり、ここに書きとめて、あとでまとめることにしよう。
うーん、やっぱり「鬼」「白唇」は難しい。コメントつけていいのかなと思う。とりあえず、アップはしてしまった。
あとはちらしをなんとかアップしたい。1日36時間くらいあればいいのにね〜。でもこのコーナー、みなそれぞれの間隙を縫って原稿書いたりしてるわけで、ゆえに限られた時間、凝縮されたエネルギーが新月コーナーを充実させているゆえんでしょう。しかし、最近とみに目が・・。


1月14日
うれしいが、まだコメントつけられず。しかし、メンバーのまとまった原稿はなかなか難しそうなので、でもやっぱバンドだし、一言コメントでもメンバーの名前が並ぶと本当にうれしい。あとここに、高橋さんの名前が入る時が早くくるといいなあ。


1月12日
新月ファンではない友人からのメールで、対談について、「リアルすぎるとむずかしいので、ああいう感じで、ざっくばらんの対談は、読みやすいし、面白いなあと思いました。これからも続けてほしいですね。」とメールをもらってうれしい。やっぱ、前にふと思いついた「初めての新月」コーナー必要かなあ。
まとまった時間が出来れば、またここに書き散らした曲の感想まとめたいのだが、って、だらだらこの日記書いてるのがいけないんじゃない〜。
おおっ。またロンブーわ〜ださんから書込みだあっ。うれしいっ。そうなの、この宴会がしんぱいで花本さんに低姿勢でへりくだってQ&Aお願いしたのだった。よ、良かった。読むと面白い〜。特に津田さん・・。


1月11日
さすが花本さん忘れてなかったみたい。よかったよかった。詳細をまつ。お正月から、すこしづつ「新月」で検索してくれる方が増えてきたが、この連休でまた増えてうれしい。掲示板朝あけてみてビックリ。クェーサーのメンバーの方からの書込みが。HP見に行ったらやはりhistoryがあって同時代を共有していたころの息吹を感じてうれしくなる。だけどビジュアル使ってあってかっこいいサイトだなー。うちのよーに地道にHTMLで打ち込んでるテキストサイトはやっぱ地味だよねー。ま、いっか。ごはんに納豆すきだしちょっと写真も載せてあるから刻みねぎくらいはかかっているか。

それはともかく、テキストサイトとしては新月サイト、かなりの充実ぶりだと思う。数多く見ているわけではないが、オフィシャルサイトでも、単なる情報誌ではなく、本人、あるいはメンバーが直接書いている生の声が掲載されているサイトの「熱(ボキャブラリー貧困ゆえ、この表現しかできないのだった)」には、そこにあるのは2次元上の文字しかしないのに、そこにはリズム、メロディ、電圧を感じる。

思ったけど、たとえば新しい情報なら、新月BOXにしろ北山真さんソロアルバムにしても、手っ取り早く端的な情報のみ欲しい人は、TOPにビジュアル貼り付けて欲しいところだけ、つまり何月何日発売で発売元どこで誰が参加、でいいわけだ。そういう読者にはきわめて不親切な、つまらないサイトかもしれない。
でも、なぜいまこれが作られて、どんな動機でこうなって、メンバーがこんなふうに考えて、津田さん花本さんだけではなくて、鈴木さんも参加することになって、高橋さんも参加するかもしれない、その北山ソロはどんなアルバムになるんだろう、というプラスアルファの想像力まで刺激される「読み物」を読みたい、そういう方たちがいま、リピーターとなって、この地味なテキストサイトに来てくれているのだと思う。
これから出る新月BOX、未発表音源や構想20年の幻のアルバム等、いくつかのものは確実に世に出ると、花本さん自身が確約してくれた。このことで、伝説のバンドがこれからまた作るであろう伝説に大いに想像力と期待を刺激され、「読み物」であるこのサイトが3次元的に立ち上がってファンの方たちに見えるようになれば幸いだが(わたしが書いてるんじゃないけど)。

「鬼」オリジナルをさんざん聞いていて、オリジナルには入っていないあの鐘の音を初めてライブに行って聞いた時、その効果抜群だったなあ。この曲を聞いていて「わくわく」の全く正反対の気持ちがもやもやしているのだが、それは一種こわいものみたさの「わくわく」であり、すでにアルバムを聞いていてそれをとっくに知っているのにも関わらず、ライブではよりまたその不安が何か具現化するのではないかという期待と、北山さんのステージアクトにより、さらに空想力をかきたてられ、しかし、では「鬼」とは何だったのだろうと、いつまでもひきずる。これはもしかしたらライブの余韻ではなくて、そう、それが「全曲目解説」で語られている「フック」なのだろうと思う。
解説を読んでも結局わからないのだ。新月といえば「鬼」しかし、新月の「鬼」って何?に戻る。
やはり名作である。



1月10日
Q&AのトップにあったBOXの内容は、座談会ですでに最新情報が出てきて陳腐化してきたので、一番下に移動。花本さん提案でこれから新しいものを上に持ってくることにする。ほんとはある程度まとまったら、ジャンルごとにブロックわけしようかと思っていたが、ランダムの方が楽しいかも。ところで、今日花本さんに頼んだQ&A、忘れないで返ってくるかな。整理が趣味の花本さんだもの。絶対に「忘れる」なんて事がないはずなので、明日が楽しみ。「忘れる」わけないよね〜。


1月9日
うーん。読み返せば読み返すほどなんか情けなくなってきた。なにがって、座談会。聞くべきところを聞いていない。もっとも、情報の上限がこれでよいなら役目はこれでよかったのかなあ・・・。もうじきカウンタ20,000。誰が踏むのかな?


1月8日
わたしはうそをつきました。座談会の全面張替えはめんどくさいので、部分はりかえでごまかしたのですが、ばれてしまいました^^;。あたりまえか。また時間のあるときに全面張り替えてみますが、チェック通ればこのまんま。検閲きついのよ、結構。
メンバーの好きな曲、面白い。いま花本さんと北山さんの2人のだけど、それぞれ作詞作曲がじぶんの曲ではないんだよねー。花本さんは小品の「島へ帰ろう」で、作詞は北山さん、沈むタケシが最後に見た光景らしい。これは作詞も花本さんだと思い込んでいたら、北山さんだった。花本さんが島の出身ということでふるさとを歌った詞なのかなと、勘違いしていた。そうそう、新月の歌詞をうっかりひとつの意味でとらえてはだめだよね。
北山さんは花本さん作詞作曲の 「不意の旅立ち」。この曲、小さなタケシくんの日常がちょっとした、違う鍵を回してしまったために大きく反転し悲劇になるのだが、中盤からの壮大なオペラのような盛り上がりはまさに圧巻で、厚い音の渦のなかで北山さんが歌うではなくて演じきるという表現がぴったりの大作だ。うん、北山さんの言うとおり、グランドファンクもぶっとびます。
他のメンバーは、どれが好きなんだろう。気になるところ。座談会によるともしかしたら一同に会するときがくるみたいで、また新たな新月の情報、記憶が刻まれるかも。うれしい。ほんとうにうれしい。早くBOXできないかな。未発表音源を聞きたい。早く聞きたいね。と思っているのはわたしだけではないよね。
すごい〜。ouf of controlの和田さんから書込みがっ。なんか本当に今年は新月が動き出すのをひしひしと感じる。でもねー、サイトは去年の秋からわずか2ヶ月だったけど、全部良いタイミングで動いていると思う。まずサーチエンジンへの登録が遅れたことで、却ってかなりその間手直しいろいろ出来たし、何度も試行錯誤の途中でファンの目に触れずにすんだこと、花本さんの仕事も忙しくなってきたので、それ以前にできるだけの形にできたこと、マーキーの再プレスで新月が再び目に触れるようになったこと、今年は新月メジャー25年目の区切に向けて、何かが新月のために微調整を行っているようだ。2ヶ月間はたぶん、小さな種を播いて、水をあげて、発芽を待つ期間だったのだろう。



1月7日
夕べ手直し入る。花本さんが間違えたと思って罵詈雑言を書いたメールを何通も送ってしまったが、朝見たら、うあ、ころんたが間違えていたのだった。やば。また酔っ払っていたからなあ。もお酒におぼれるのはやめよう。と、言い続けてはや何十年・・。スリムに手直ししてもらった座談会、今朝無事アップ。しまった、映像について何も聞かなかった・・!


1月6日
ううう。二日酔いだ。あだまがいだい。おまけにアップしてしまったファイル見てビックリ。ひどい、ひどすぎる。寝坊してしまったので、とにかくリンクだけはずして直す時間なく出かける。午後戻り、結局、全部最初からやりなおしである。途中肝心の花本さんの回答部分が飛んでるし、わけわかんない部分があるし、ふつー、聞き手はれいせーによわないよーにするもんだろーが。
花本彰相手に新月の話してるんだぜー。信じられん、じぶんが。お正月からじわじわと増えている新月で検索して来てくれてるファンが、これを見たら怒るにちがいない。見られてしまっただろうか。ついつい、裏座談会のことまで書いてしまったので、午後じゅうかかってしまった。あとは花本さんのチェック待ち。いらんと言われたら裏座談会の部分はざっくり切って。
でも、読みながら思ったけど、ほんとに今年は新月年なんだね。夢みたい 。この座談会がなるべく多くの新月ファンの目に触れると嬉しいなあ。しかし・・飲みすぎ反省。もっと聞く事あったはずでは?


1月5日
新春メール対談実現。わたしも知らないいろんなことがいっぱい。うれしかった。そしてすごい内容だった。面白かった〜。しかし、チャットを連想していたのに、あまりのタイムラグにビール飲みすぎて泥酔。それに8時から3時間もかかったのだった。しかし、インタビューする側が泥酔して、座談会中断してどうすんじゃ。しかし、すごいのは花本さん。あれから、再び仕事へと出かけられていったのだった。ころんた完全に沈没。


1月4日
新月史驚愕の事実発覚!新月史書き換えになるので、また変更は別途お知らせ。どう変更が語られるのか、楽しみ?はたまたころんた新月へのラブレターもかきかえか?
今日は、花本さんよりセレナーデのメンバー!新月メンバーの名前を聞いて、また新たな動きに大喜び。明日、詳細が明らかに!!
新月今年で人前に出て25年。ほんとに今年は新月年になりそう。すごいなあ。ほんとに新月今年は動くんだ!!


1月3日
最近は針飛び無視してアナログ盤を聞くのがもっぱらのお気に入り。このコ、24歳と6ヶ月。若いのにずいぶん疲れちゃって・・って酷使されてたすけてーって言ってるわけね、針とびは。
んでもって、マーキー山アさんのライブレポート読んで24年前の記憶をふりしぼってみる。 正直高田馬場BIG・BOXのライブに関してはほとんど覚えてないのだ。しかし、それにはわけがある。
これを読んだ人は絶対に新月のメンバーには内緒にしておいてね。 ・・というのは、とにかく対バンの美狂乱がすごすぎて、あまりに強烈で圧倒されてしまったからだっただった。
まず演奏順序は美狂乱からだったと思う。違っていたらすみません。わたしは当時美狂乱を全く知らず、BIGBOXに来て、初めて新月の対バンが美狂乱というバンドだということを知った。 美狂乱が日本のクリムゾンと言われていることも知らなかった。 もちろん新月のライブに行くのも初めて、でも、もうアルバムを入手して何ヶ月もたっており、レコードを繰り返し聴いていたし、とにかく新月を見に行きたくて、BIGBOXに行ったのだ。どうやって情報を入手したかは全く覚えていない。とにかく、あの新月のライブに行かれるのだと、卒論も出し終わったところでほっとして、友人と2人、安心して出かけたのは覚えている。
会場が以外に狭いのにちょっと戸惑った。椅子はパイプ椅子だったと思う。そしてマーキー山アさんの言われているように、なんでこんなに空気がびんびんに張り詰めてるんだろう?ライブ会場なのに?と、思った覚えがある。 そして、わたしのは何の予備知識も無い美狂乱の演奏が始まった。すごかった。ものすごかった。特にリズム。圧倒、のひとことに尽きた。独特のリフレイン(曲名忘れた)をメンバー全員でコーラスして美狂乱の演奏が終わったとき、友人とただ「すごい・・」とつぶやくしかなかった。
そして、新月はたぶん安心して聞いてたのだと思う。あーこれが新月なんだ〜、と。アルバムでいつも聞いている新月のライブなんだ〜とぼーっと喜んでいたのだ。 もうビジュアルのことは全く覚えていないが、吉祥寺シルエレで北山さんを見てノーメイクだー、鬼もこのまま演るのかなと思ったので、BIGBOXではきっとフルメイクだったに違いない。衣裳は?残念ながら覚えていない。いずれにしろ、どちらが後にしろ、先にしろ、美狂乱が強烈過ぎて、脳ミソに新月を刻み込む余裕がなかったのだ。
でもライブの後友人と確かに「日本のプログレはこれからやるんだね!」と2人で喜んだ。 そして、ここでたぶん、吉祥寺シルバーエレファントのライブを23日にやることを知ったのだと思う。前売りを買ったのか、どうだったかわからない。この時一緒に行った友人とは違う友人と待ち合わせてすっぽかされていたので、当日券だったのかなあ。
いずれにしろ、美狂乱と新月のジョイントコンサートという、後にこの話をすればファンなら誰もがすごい!うらやましい!といわれるこのライブの模様をあまり覚えていないとうことに、自分が悔しい。
「記憶」で語れるのはこのライブの事が最後かも。
ライブ、自分はここに行きました、この時のライブはこうでした、という読者が現れないものかなあ。 ・・・しかし、なんで覚えてないかなあ・・・。
春までにいまのうちにやれることをやっておこう。預かっているビジュアル資料のハコ作りが残ってる。とにかく、時間があるときに機械的にアップできるような体制さえ整えておけば大丈夫。
自分の文はいつでも書けるんだし。送られてくるテキストのアップはもうばっちりだし。さて、新月、今年は何を見せてくれるかな?


1月1日
夕べは結局泥酔して力尽きて寝てしまい、気づいたら年が明けていた。24、読み返してみるとやっぱ切り張りだなー。自分の文は読み返すとやはりこっぱずかしい。4年前のレポートのほうがよっぱど素直ですっきりしていいかも。良く見ると、段落とか一字下げがものすごくへん。つらいちで揃えちゃえ。読み返すと文章あちこちへん、う、いやぜんぶへんといえばへん。あっ、第一いちばん肝心な最初の新月ページが新月デビューのちょうど20年後ってのを書いてないじゃん。書き直し始めたらとまらなくなってしまった。ちゃんと書き直してから花本さんに連絡すればよかった。かっこわるー。
花本さんがあの流麗な文で私は文句ないと思うのに、ご自分で読み返すとどんどん直したくなって、校正原稿どんどん送ってよこすのがわかるような気がする。うれしくないけど。
めんどくさいからこれは24には7月にあげたと書いてしまったが、確かに新月の最初のレポート「新月/新月」を書いたのは7月だが、実際にサイトをたちあげたのは9月。since1999.7.1となっているが、実際「赤い目の鏡」「科学の夜」を手にいれたのが7月26日だったのだから(しかしこの日付にも後から気づいてほんとうにビックリしたのだった)、7月1日にレポート書けるわけないのである。あれでもほんとは文には何度か手を入れ、実際はアップまでに2ヶ月かかったのだった。ここまで書くと脇にそれそうだったので、やめたのだった。しかし読み返せば読み返すほど文章ヘン。ひっこめたくなってきた汗汗(((^^:)
今年は新月25年目。動くね、新月 。

2003年7月、わたしのサイトの「新月」ページを見てくださった新月ファンクラブ会長小熊一実さんからメールをいただきました。
20数年前、小熊さんには一度お会いしただけですが、わたしが数年前に書いた新月のページを偶然読んでくださり、ご自分のことが書かれていたのに驚かれてメールをくださったのです。
懐かしさと嬉しさと更に嬉しい情報をいただきました。
そこには新月がBOX出す計画中であるという、新月ファンには夢のように嬉しい内容だったのです。
このページは、新月ファンクラブ会長小熊一実さんの許可を得て、メールの内容をご紹介しつつ、ころんたの、新月への思いを綴った日記と、最新情報を載せていきます。
また、新月リーダー花本彰さんにもメールをいただき、花本さんのアイディアで、新月についての新コンテンツを当サイトに置き、掲載させていただくことになりました。
ファンとして、これ以上の幸せはありません。
これからも、新月を応援していきますので、皆さんよろしくお願いいたします。

2004年7月以降の日記を読む
2003年の日記を読む
HOME