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6月30日 「殺意への船出partU」久しぶりにじっくり聞く。冬聞くと、冬ふさわしいと思う。でも、今日のような真夏の練習日に聞くと、夏相応しいと思う。大好きなメロトロンいっぱい。メロトロン・マスター? 6月27日 へっへ〜、和田さんだ〜。 津田さんに、ケースバイケースで良いのでは、とお返事いただいたので、お言葉に甘えて津田さんが日記に書かれた部分をちょこちょこ引用させていただきます。 「メロトロンのオタクサイトの主宰が、花本氏のことを”メロトロンマスター”だと書いていた。 日本語わからないのに、臭いだけで新月を見つけた、俺ってすごいとかも書いてたな。 http://freespace.virgin.net/andy.thompson/のどこか。」 メロトロンマスターという言葉があるの? 上記とは関係ない、花本さんと津田さんのメールのやりとりが日記に書かれているのですが、これはさすがにわたしはアップ出来ませんが、津田さんと花本さん、いつもこんな難しい話をメールでやりとりしてるのかな。お酒飲みながら話してるのかな・・・。 6月26日 ん?しかし、ちょっと待てよ。わたしは新月コミュ二ティの管理人ではないのだ。新月コミュの管理人はPOSEIDON増田さんなのだ。・・・まあいいか。しかし、ついうっかり先日新月断ち破りした時、なんつーか風邪なんかでしばらく飲めなかった後回復して久しぶりに飲んだビールがうまっ!みたいな新鮮な感動だったよ、うんうん。 わ、わはははは。結局突如ガマンできなくなって、live1979聞いちゃった。先日中途半端にBGMで少女まで聞いちまったから、消化不良だったに違いない。まあ、新月断ち、長続きするわけないとは自分でも思っていたけど、ふふふ、新月、良いよ〜(泥酔日記のぱくり)。 6月25日 いかん。mixiで遊んでいたら、本業?のサイト更新がおろそかになってるやんけ。明日、新月掲示板のお返事、きっちりさせていただきます。 実のところ、mixiをご存知の方はすでに「新月コミュティ」に参加している方たちもいるかもしれない。 POSEIDON増田さんから、コミュ立ち上げを提案されたのだが、サイトとの両立は到底ムリなので、お断りして、増田さんが立ち上げてくださったのだが、まあ、その、メンバーは見てないだろーとやっぱりこそこそ遊んでいたわけね。 mixiは招待者がいないと参加できないサイトなので、限られた人しか見られない、という理由もあり、先日も書いたと思うが、わたしが書くことは新月日記・ニュース・掲示板に書かれた事だけを、書いていた。
駄菓子菓子(ふる)、先日、津田さんが新月と全く違うジャンルから偶然参加されて、津田さんが書かれていることや、津田さんの日記は、mixiを知らない人が読めないので、こちらのサイトにアップさせていただく事を快諾していただいたのだが、先日、以前招待状をお送りしていた花本さんが今回参加されたことにより、これ以上、私自身の作業を増やしたくない(てか勝手に自分でそうしようとしただけね)ので、自分の発想逆にして、そちらを見たい方はmixiに参加してね、と自分で決めた。だいだいこれ以上作業増やせるかい。 6月24日 うううう。新月断ちをわずか5日で破ってしまった・・・。いやその、コンポじゃなくて、テレコ置いてあるほうのお部屋でね、テレコの再生ボタン無意識に押しちゃったの。live1979だったのね。ま、いいか。誰も聞いちゃいけないなんて言ってないんだし〜・・・てか、しまった。書かなきゃ誰もわからなかったのに。 6月23日 なんかね〜、思うに、「新月断ち」してるのは、当時好きだった洋楽ばかりを聴いてる79年、突如FMから聞こえてきた「新月」という日本の新人バンドの曲、『鬼』を聞いた時の衝撃を再び味わおうという、新月BOX、ひいては新録音の「新しい音」を、そんな状態にリセットして聞くのに臨みたいという、本能のような気がする。 つまり、新月BOXを聞くために新月を聞かないという、一見矛盾した暴挙にでているが、これって、なかなか理にかなっていいかも。ほんとかー。
梅雨のじめじめと蒸し暑いさなか、待ち遠しくて、もうじきやってくる7月。 だからこそ、新月の月。そして来月7月、ついに新録音、それも『殺意』は津田さんによると、「うまくいけば、日本のバンド録音史上類型をみないものになる」ような流れにまでなって、リズム隊のお二人鈴木さん、高橋さん、僭越ながら、わたしが生まれて、その記念に新月ページ作って、お二人とおんなじ7月生まれなのが、さらに嬉しい。
第二次世界大戦中、住民を避難させた後地上戦が行われた硫黄島と違い、日本国内で唯一、一般住民を戦闘に巻き込んだ地上戦が行われた場所で、その犠牲者数20万人。そのうち一般住民の犠牲者は15万人に上るそうで、本土決戦前、米軍からも、日本軍からも攻められ、全人口の四人に一人が亡くなった計算になるそうだ。 そして、2ヵ月後、8月に長崎原爆投下、広島原爆投下、終戦を迎えるのであるが、戦争によって亡くなられた方たち、そして未だに心身に傷を負った方々のうえに、今の平和があることを忘れてはいけない。
以前、九州の資料館で、予科練兵が数日後、特攻隊として飛行機に乗る前に両親に宛てた遺書を読んだことがある。からりとした、まるで明日ちょっと旅行にでも出るような内容だったと思う。その中で胸に迫るのは、手紙の中に自分が搭乗する飛行機のイラストを描き、操縦席に座る小さな人物からひょいと矢印が伸ばされ、そこに「ぼく」と両親に説明してる図だった。
特攻隊のみならず、若い人たちの最後の言葉は、生き残った方の記録や、看取った方の記録を読んでもそこに書かれているのは、おかあさん、だったそうだ。 しかし、戦争があったがために、たくさんの、たくさんの人たちが不幸になった。わたしの直接の身内には、靖国神社に祀られている者はいないが、義理の伯父伯母には毎年参拝を欠かさない者もいる。戦争の犠牲になった者たちへ、祈りを捧げに行くのである。
そして、そのたくさんの不幸な人たちを作ってしまった戦争を起こした責任ある者たちが、共に祀られていることに、納得はいかない。
先日、「無言館」という、画学生戦没の慰霊碑に赤ペンキがかけられるという事件が数日前に起こった。到底理解しがたい事件である。表現なのか、悪意に満ちたいたずらなのか。
これからの未来、決してその過ちを繰り返さないためにも、単純な言葉で良いと思う。 6月22日 昨日は本当にビックリ。mixiに津田さんが参加されて、新月コミュニティにメンバーがついに登場で、腰抜かした人が多いかも。ただ、mixiは限られた人しか参加できないし、情報が散るのが嫌なので、(つまり、情報を得られる人と得られない人がいる)わたしはニュース等メンバーから得た情報および自分でサイト内に書いた事しか書いていないが、やはりトピックごとに分かれているので、書込みやすいのか、すごい盛り上がり、で、嫉妬深くて心狭いわたしはややフクザツな思いがあったりして。 ただ、こちらで貴重な情報をおもちの方に、資料を提供していただいたりして、いろいろ有効に使わせてはいただいている。
新月掲示板、そ、そうか、「愛想つかし」は、花本さんが小心者なるゆえの発言なのか〜。いずれにしろ、「赤目」に期待し、そしてそして「殺意」は、やはり小心者のわたしは、実際に聞く前にプレッシャーで寝込まないようにしなければ。しかし、まだまだ、なぜか新月絶ちはづつくころんたであった。↑
6月21日 「浪漫風」ブログ、結局おたけさんご自身に教えていただき、読むことができた。 小熊さんにもお問い合わせして、お返事もらった結果、どうやらわたしはおたけさんと、蛍火さんとほんの少しお話させていただいた部分をかなり混同してるみたいで、最後の居酒屋さんでお誘いいただいたのは、おたけさんの方だと思う。もう一度、ちゃんとレポート書き直さねば。本当に優しい方で、ビールいっぱいだけ飲んでいったら?とお誘いいただいたのを、お断りせねばよかったと本当に後悔・・・。あーあ、チャンスは前髪しかないのよ〜。反省すれども後悔せずがモットーだが、これは数少ない後悔のひとつ。 しかしっ。夕べ飛び込んできた、「殺意」のニュースには、本当にわくわくする〜。ついに日の目を見る「夜、海、星空を越えて」というフレーズから始まるというPartT。30年かけて、やっと、完成するのは、ニュースにあるように、その曲が完成するのに、30年、単に必要な年数だったんだね。こんな事実と照合すると、津田さんの1989年盤ライナーの文言がなんとなく理解できてくるような気がする。 「浪漫風」と「殺意」と、わたしの大好きな曲がちょうど同じ日に話題になって嬉しい。 おや、花本さんの書込みだ。黒い貫頭衣で竹林、どんなシーンだったのだろうか。「科学の夜」のライナーにも原題が「愛のテーマ」だったと書いてあったと思う。って、会社行かねばっ。 6月20日 おたけさんが書かれているという、劇団インカ帝国ブログ内の「浪漫風」の記事を読みたくて必死で探しているのだが見つからず・・・。ううう、レスがつけられない・・。すみません。 しかしっ。SNOWパーティレポートだが、当然わたしは事実関係に誤りがないか、何人かの方にWEB上にアップする以前にチェックをお願いして、1,2の部分を除いておっけを貰ったのだった。しかしっ、うそつきっ。おたけさんのお名前がぬけていることを誰も教えて下さらなかったのだ。つまり、花本さんはじめ、みんな絶対「自分のところだけ」読んでおっけを出したに違いない。ううう。書き直さなければ。おたけさん、さらにすみません。 全然関係ないが、数日前新月を最近知ったという水鏡ファンの方とmixiメールでのやりとりで、わたしが女性と知って驚いた、とあった。 まあどちらでもよいのだが、以前、よくネット上で男性と間違えられますと花本さんにお話したら、「文体では明らかに女性とわかりますが、酒飲んでよくぶちきれるからではないですか」とお返事をいただいたっけか。納得いくよないかないような。 今思うに、もともとハンドルは本名だったのだが、ありきたりなので、うちの猫のはるちゃんがおなかだしてかわいぶる姿をころんたすると言って、かわいいと思ってハンドルにしたのだが、やっぱ男名前のころん太と思われるのに違いない。だいいち、これ、遠くから呼ばれるとかなり恥ずかしいぞ。ハンドル元にもどそうかなって、いまさら、 「ころんた」もお固有名詞となってるので、誰も元の名で呼んではくれないだろーなー。 6月19日 すごい。劇団インカ帝国のメンバーの方からの書込みが先日の長嶋さんに続いて、おたけさんからだ。いつもながら、メンバーやインカ帝国の方の書込みには、すごくすごく緊張する。それでもって、嬉しすぎるので、お返事が遅れてしまう。嬉しい。もう少しお待ちくださいすみません。わたしの好きな、「浪漫風」がインカ帝国の劇で実際に新月によって竹林の中で演奏されたのは以前、実際に行かれた方の書込みで知ったけれど、実際に演じられていた方から、「美しい」「魂を揺さぶられた音」とお聞きして、この曲の力を感じる。 再び、なぜか新月断ち。理由は自分でもわかんない。でも、たぶんわたしは本能のままに従っておけば、なんかしらいい結果になるみたい。 6月18日 フランス・・ふ、フランスつながりでわたしは忘れてないぞ〜、「METAGAIA」、どうなってるんだフランスっ。昨年の悪夢が蘇る。 よく考えたら、無理に「新月断ち」をする必要はないのだった。新月を聞きたくなくなったわけではないし。時間いっぱいになったので、「赤い目の鏡」だけ聞いて仕事いこ。 6月17日 新月ニュース、加筆訂正再送あり。しかし、「小林古径展」前半・後半どちらに行くか迷う。うーーん。 6月16日 それにしても、 "今の社会や自分の反映であるこの音"の、"今の社会"そして"自分の反映"である"音"とは何だろう。まずは今の社会、から考えなければならないようだ。今回の「新月ニュース」は、ニュースではなくて、問題提起みたいな、2行だ。 ん?まてよベーシックな録音は終わった、"愛想づかし"だが、それは「島」と「赤目」に関してだよね。ま、ま、まさか「殺意U」は・・・いやあああああぁっ、やめてええええぇぇぇ(しっかりまんま受け止めてるじゃん)。! 東洋的死生観。そうそう、長寿で亡くなるとお赤飯炊いて振舞ったりする。うちのおばーちゃんの時そうだった。お赤飯炊いた。時々隣に居る感じがする。ぐーたらでダメダメなわたしが、こうしていられるのも、ぢーちゃんやばーちゃんのおかげなんだろうな。 う。小林古径展、やはり昨日行くべきだったか。前半も見たい。「展示替」で、時々お目当てがなくて呆然とした覚えあり。どっちも行きたいものだが。 6月15日 昨日の日記のつづき。お取り寄せした豆腐食べて酒飲んでいたら、ねぼーして、朝書きそこなっちまってい。昼間読みに来てくださった皆さんすみません。
わたしが所有しているデビュー当時の新月のテキストは、Fool's Mateくらいしかなく、従って肉声を伝えるものはこの2冊の雑誌と、先日資料室にアップした読売新聞の記事だけだ。 自負に満ちたエディの発言は自分たちの音楽をひっさげて、このパンク全盛時代の空気を充分意識して、いわば、殴りこみのような、ぴりぴりとした勢いに満ちた、このバンドに期待をかけたファンも含んでの挑戦状のようなものであったと思う。
しかし、果たして新月は当時の時代の空気、というものを意識していたのだろうか。 ここを読んでいる方はすでに先日の新月ニュースを読まれたあとだろう。さて、ここに、 "新録音の音群には昔の新月ファンの半分は愛想づかしか。"
なる実に注目すべき文言がある。
仮称「新月BOX」に収められると新月側から発表されている、4枚のアルバムのうち、リマスタリング盤、HAL&SERENADEのカップリング盤、未発表曲集は、いわば「ライブラリ」、である。 "しかしメンバーは今の社会や自分の反映であるこの音に対して、すこぶる満足している。"
25年ぶりに活動再開した新月が、初めて時代を意識した発言、とわたしは受け止めた。 そして、これらの文言は、これから新しい音を発表しようという、「新月」からの、まるで、そう、かつてのエディ・ジョブソンの発言のように、わたしたちにもある種の緊張をもたらす、挑戦状のようだ。 この「新月ニュース」が送られてくる前から、それまでは、ひたすら新月と新月関連のアルバムばかり聞いていたわたしが、どういうわけだか、やたらと70年代当時聞いていた音が聞きたくなり、洋楽ばかり、日々、とにかくそんなアルバムばかりを聞いている。 先祖帰りかと思ったが、まあもともと本能だけで生きてるような人間だが、そうか、これは、たとえば、ずっとモノも食べずに同じ酒を飲み続けていたら、何の味もわからなくなるように、当時、それら優れた音楽を聞いていたからこそ、「新月」に出会えて「新月」をここまで愛せるようになったように、今、再び、優れた音を聞いてこそ、この新しい新月の音に臨めるという、本能のなせるわざに違いないと思う。 昨年25年ぶりにライブアルバムが発表され、そして現実に新月が動き出した時点で、もう、新月に飢える必要はなくなったということだったのだ。
さて、もう、単純に「楽しみ」などという台詞は使うまい。「愛想をつかす」かどうか、それは「新録音盤」を聞かせてもらってからの話だが、そう、百年の恋の相手が、百年前よりカッコ良くなってなかったら許せない。受身になってたまるか。
梅雨は確かにうっとおしいが、梅雨がなければ、米も育たず、わたしたち日本人のいのちの糧を作る自然の作業がはじまらない。 そして、梅雨が終わり、7月を迎える前が好きだ。7月は「新月」の月であり、わたしの月だ。わくわくする。 なお、 「小林古径展」は7月までやっているようです。紹介されている作品を見ていると、行かれる環境の方は確かに必見かも。わたしはおそらく7月になってから行きま〜す。 6月14日 「ぼくらの音楽はパンクにナイフを突き刺したような音だ」。これは、1979年に来日したU・Kのキーボード&ヴァイオリニスト、エディ・ジョブソンの言葉だが、実はこの言葉の前半部分で、パンクを形容するのに、ある差別用語が使用されていて、かなり激しく非難されたのを覚えている。しかし、当時ロックといえばパンクという風潮にうんざりしていたわたしには、胸のすくような言葉であったのは間違いない。再び、正統派のプログレに光があたるのだ、という期待にわくわくしたものである。 そして、U・K来日から約1ヵ月半後、新月はデビューした。 う、時間切れ。続きはあとで・・。 6月12日 通称「新月BOX」。だいたい、普通アルバムには、「新月」とか「新●月 shingetsu Live」とかちゃんとアルバムのタイトルがついていて、新月のアルバムは「新月アルバム」というタイトルではないよね〜。だから、今、みんなで新月BOXとか、BOXとか呼んでるけど、絶対BOXにはタイトルがつくはずだっ。どんな名前になるのかな?わくわく。いよいよ、今週末から、レコーディング開始なんだよね?!BOXがついに制作されていくんだよね。ふっふっふ。 今週、花本さんおすすめの小林古径展に行ってこようっと。 ううう。ころんた、階段から足を踏み外して、膝を階段の角で打ったです。かなり、痛いです。そ、そうだっ!新月メンバーの皆さんはレコーディング終了まで余計なことして、指怪我したり足怪我したりしないでくださいねっ。くれぐれもお願いしますよっ。 6月11日 新月の名前どころかプログレも全く知らない若い友人が遊びに来て、話の流れで新月を聞いてみたいというので、オリジナルをまずはかけるべきだったのだが、わたしは酔っ払っていて、うっかりライブ1979の方をかけた。先入観でハードロックを想像していたらしいが、しかし、まず『鬼』を聞いて「こんな音楽を聞いたことがない」と目を瞠る。そしてとにかく彼女はひたすら津田さんのギターに注目、何この綺麗なギター。すごい、広がっていく。綺麗、すごい。え?津田さん?津田さん。すてき。『白唇』でさらに、津田さん津田さんとうわごとのように呟き、北山さんのボーカルを、あ、新月ってヴォーカル北山さん以外じゃないとだめなんだろーね、と嬉しいことを言ってくれる。アルバムを聞き終わった彼女の全体の印象は「舞台音楽のような」だった。そして、全曲目解説の「鬼」だけ読んで??さらに「フタまんがーッ!」を読んで大喜びして嬉しそうに帰っていった。わたしも嬉しかった、まる。==でもオマエ、そこまで喜ぶならちゃんとCD買えよっ。 6月10日 そうなの。「鬼」。完璧なものって、はじめから当たり前みたいに存在してて、最初からそこにあったみたいに感じるけど、そうではないんだ、完璧であるために、すさまじい、あらゆる努力がなされているのだ、というのをあらためて感じる。新月ファンでもある水鏡のメンバーによって、『鬼』が演奏されたことは、かなり嬉しいことだと思うけど、どうかな。 6月9日 新月掲示板、書き込みが濃くてすてき。この方がいらっしゃらなかったら新月はもしかして生まれなかったかもしれない和田さん紹介の異常な食い物から、オモシロおかしいサイトの紹介から、津田さんの肉声だわ、花本さんの鬼コーチだわ、当然だがなんと新月の話まで、融通無碍(しつこい)。しかし、最近休みの日じゃないと新月はじめ音楽全然聞いてないなあ。やっぱりウォークマン買うべき?ちょっと抵抗ある。部屋の構造上、わたしはLPも聞くことのできるステレオは、あくまでそこにずっと居て、いやおうなくきちんと聞く形になるので、ほんとに時間がある時だけそこで集中して聞くことになる。通常は、ミニコンポでCDを聞きながら、このパソコン打って夜は酒飲みながらパソコン打って聞いてる。 みんなはどんな聞き方してるのかな。 「鬼」。待っていた報告がついに。しかし、さすがに酔っ払ってはレスできん、明日。しかし、あらためて鬼って本当にすごいのね・・・。 6月8日 花本さんの書き込み「鬼のコピー法」を読んで、融通無碍(ゆうづうむげ)という言葉が浮かぶ(意味は各人で勝手に調べてね)。だから、「新月」メンバーはオリジナルメンバーでなければならないし、だから、あの「音」が出るのだと思う。BOXに入る「タケシ」の劇団インカ帝国コント版、楽しみ!!!これからどんどん楽しいことばかりだね。コピーしたバンドのメンバーの感想早く聞きたいな。 この世のものは全部べつべつではなくて溶け合ってて、それでいっこで、でも、それぞれが、もともと持ってる姿をくずしちゃいけない、みたいな意味だったような気がして、それで「新月」だと思ったんだんだけど・・・。年取るといろいろ思い違いもあってのぉ。 「果てないなーがーれー〜越えてきみのもとぇーたどりつけたら〜なにもいらーないー(歌ってごまかす)」。 6月7日 変わらない音。変らない新月。うふふ。 6月6日 津田さんだ〜っ!き、聞いた?来週末からついに録音に入るって。それから、新月が昔の新月のまんま、戻ってくるって。ほんとにね、次が出るよ、新月の次のアルバムが。 おおっ、なんと続けて花本さんの書き込みがっ。そうなの、実は「鬼」のコピー演奏が行われるという情報は事前に流れてきてたんだけど、その日は都内で泥酔する予定だったので、予定どおり泥酔してしまい、見に行くことが出来なかったの。
むずかしいことは良くわかんないけど、全曲目解説の「雨上がりの昼下がり」にあったように、ロックウェルでレコーディングが押してて、ディレクターの森村さんが身を挺して、レコーディングの時間に割ける時間はこれしかないのだ、と示したのにも関わらず、新月は延々と自分たちに姿勢を崩さなかったと書いてあったけど、つまり25年たっても、誰一人「自分たちの癖を直そうとしない」、これが89年盤の津田さんのライナーにあった、良く言えば「自己治療的」悪くいえば「自己満足集団」の表現の一端なのかな(違ってるかもしれないのですみません)。でも、これが、変らない新月の音となる、という事が、「新月」なのかな、などと思ってしまった。
6月5日 何年前だったかまだ、サイトもほんとに個人だけのサイトで、もちろん新月コーナーもできるずっと前に、メールボックスに一通のDMが届いた。 英語だったので、あんまり良くわかんなかったのだが、要するに、「もしもアナタが死んだらサイトをどうしますか?」というような内容だった。
その時は、単に、内容は別に猫と日記くらいだし、別に困らないからいいもん。とそのメールを捨ててしまったが、今、そのメールとっておけばよかったと思う。
とりあえず、バックアップは不定期だが取ってあるけれど、さて、その先どうなるのだろう。 あっ、みんな笑ったなっ。でも、この中にはまだ未掲載の「フタまんがーッ」と別のシリーズのまんがもあるんだぞ、どうだっ、困るだろうが、え、困るだろうがっ、え、え(誰も何も言ってないのに勝手に逆ギレ)! とはいえ、実際どうなるかもわからない未来の、「負」の部分を今から心配しても意味はないのかもしれないし、わたしなんだか一生死なないような気がするし、それはその時だけど、いつまでも、いつまでも、続けるつもりだけど、そんな心配もふとよぎったりするわけね。
サイトを持っている人には、おそらく、わかってもらえると思うが、サイトを続けるというのは、本当に楽しいことなのだけれど、かなりくるしい時がある。 でも、それは自分だけのサイトが、嫌になったから、くるしいから、つづけたくない、やめたい、などと言うのとは絶対違って、続けたいから、もっといろんな事をやりたいから、でも、できないもどかしさがくるしくて、つづけるために、もちろん、メンバーの原稿やニュースを長く止めたことは過去ないはずだけれど、サイトの管理人としてやらねばならないこと、たとえば掲示板、を休ませてもらったり、この新月日記を書かなかったりと、そういうやり方で、時間的、精神的バランスをとらせてもらっている。続けるために。
それに、サイトを続けるためにわたしが必要な大事なもの、新月の音はもちろんだが、後は、もうわかると思うけれど、言わずと知れた、一番最初に花本さんにいただいたメール。これは、ケータイにも送ってお守りにもしてるので、これさえあれば大丈夫。
もちろんこの時点で、小熊さんから、すでに、通称「新月BOX」の計画や、オリジナルのリマスタリング盤、新録への意欲もある、という事をお聞きしていたのだが、ここに紛れもなく、新月が再び動いているという確信を、たぶん、わたしならずとも、新月ファンならこの5文字に、誰でも同じ思いを抱いたのではないだろうか。
なので、時々おやすみしてしまったりすることもあるけれど、たぶん一生死なないころんたのこのサイト、ずっと続くので、せいぜい覚悟して付き合ってもらいまひょ!!
6月4日 和田さんが教えてくれたインド音楽作曲?最高〜!いろんなサイトがあるんだね〜。爆笑!! 当時の、そして後追いと言われるファンの方たちも、きちんと個々のプレイヤーとして各メンバーを捉えている方たちは、解散(したらしい)後に、津田さんや花本さんや鈴木さんや高橋さんが参加されたバンド音源をきちんと聞き、その演奏に酔うのだろう。 しかし、わたしは、以前どこかに日本のプログレを、新月しか聞かない、この異常さ、熱がこのサイトを作らせたと書いたと思うけれど、新月メンバーとしての活動、ソロアルバムにはもろてを挙げて大喜びするくせに、かつてメンバーが、新月から離れて、他バンドのメンバーとして活動していたことに、わたしはしっとするというむちゃくちゃな感情を抱くのだ。
だから、その後、北山さんはフリークライミングの世界へ、花本さんは映像の世界へ、高橋さんは飲食業へ、津田さんはソロミュージシャンとして、鈴木さんはジャズミュージシャンとして、つまり、全くフィールドが違う世界、またミュージシャンを続けておられても、違うジャンルで活躍されてるから、わたしは安心して、新月再活動を喜べるのだという、われながら、歪んだ感情があったりする。
オリジナルメンバーでなければ新月ではない、その新月が新月でなければ嫌だ、絶対値でなければ嫌だ、と思うのは、やっぱりわたしの中で時が止まっているから。
現在、詳細は伝えられないけれど、リハが間違いなく進んでいる。
新月の次のアルバムを待つ気持ち。25年ぶりに味わえるこの気持ち。
「新月のセカンドアルバムのタイトルは『竹光る』に決定した」
まったくトシヨリが、おんなじことを何度も何度も、と笑ってもいいよ。 6月3日 新月ニュースは、リハ報告だけど、曲に関しての進行には全然触れられてないので、ひみつ?余計に期待してしまうよね。 おすしいいなあ。小林古径展は調べたら東京国立近代美術館で7日からですね、武道館そばの。始まったら行こうっと。隣で見てる人が実は新月ファンだったりする可能性もあるわけだと思うと楽しい。 ふふふふふふふふふ。 6月2日 リハのニュースはいつも、終わってから、リハがあった、って教えてもらうわけだけど、2日にリハ、と聞くと、新月オリジナルメンバーが今日集まってこれから演奏するんだなと思うとなんか嬉しくてぞくぞくしない?ふふふ。
「新月全曲目解説」で花本さんは 6月1日 更衣びより。花本さんのシャツは白かな青かな。 LIVEの感想書いた時以来また新月はもちろん音楽全然聞いてないや。ウオークマンでも買えば良いのだろうが、わたしはきっと2ついっぺんのことは出来ないから、音楽聞きながら転んだりしそう。 5人が揃って写ってる写真て、たぶん、資料室に貼ってある、ビクターのライナーに掲載されていた写真と、ロックウェルの3枚だと思うけど、これから26年か〜。一瞬と言えば一瞬、長いといえばとてつもなく、長い年月だな〜。 5月30日 ぞ、そうか。28日の新月ニュース、改行してみてわかったが、花本さんが新しいシャツをおろすのは更衣の1日。つまり、2日のリハの日は、新しい白か水色のシャツじゃないわけね。しっつれーしました〜。でも、わたしはやっぱり更衣は2日にしよ。 BOX計画がすでに現実のものになっている、という感覚、実感。これで、わたしを含め、新月ファンは、これからやってくる、この夏予想される猛暑を乗り切れるよ、ね?
今日は4月並に気温が低かった日だけど、26年前の今頃、新月はロックウェルでのレコーディングを終わったころかな。わたしはデビューの日に間に合わなかったけど、うだるような暑さの中「新月/新月」を買って聞いたの。 5月29日 二転三転。先日の「新●月 shingetsu live 1979」のライブレポートに関しての、お詫び日記は削除しました。なんでかっつーと、お詫びしなくてもいいのにお詫びしたからです。お詫び日記を読んでしまった方にお詫びします。わけわかんねーんだよ相変わらずっ、 とお怒りの皆さんのお怒りはじゅうじゅうわかりますが、詫びなくもいいのに詫びちゃったんだから、もおなかったことなのっ(また勝手に逆キレ)。 というか、わたしがお詫び書いたことで、余計なご心配をおかけしてすみません。でも、もう一度添削した結果、やはり「不適切」な部分が一箇所ありましたので、この部分は削除しました。 ふふふ、でも、一番褒めてもらいたい花本さんに、さらっと褒めていただきましたので、ころんたゴキゲンです。褒められたのは2度目か3度目くらいかな〜。僅少。 新月ニュースで、ついにBOXへの具体的な形が見えてきましたね。ではわたしも2日は何か新しいものを身につけようかな。デビューが7月だったから、やっぱり夏がちかづく事で、新月をぐいぐい、感じるね。 な、なんか、時間たったらあとからどんどん腹たってきた。「新●月ライブ」の感想をわたしが気合入れずに書くわけないっ。勝手にがっかりするな〜っ。 5月28日 ところで、当サイトの検索ですが、2003年のたちあげ当初は「新月」と「プログレ」、あるいは「新月」と「花本彰」のキーワードの組み合わせで、やっと下位にヒットするくらいでしたが、現在は「新月」のみの入力で、MSNなら1位に、Google、Infoseekなら2位でヒットします。外からこそこそ検索する時(たとえばいけないんですが会社からこっそり自分のサイト見る時とか)、とっても便利ですね〜。 「ひきこもり」なんとかちかぢか脱却するつもりです。すみません。 5月26日 「新●月 shingetsu live 1979」午後から聞いた。2回聞いた。そして感想をやっと夕方書けた〜。今日しかないと思っていたので、嬉しい〜。 もっともっと、書きたいことはあったのだが、基本的に、昨年のデビュー25年目の7月25日である、同日同時刻に初めてこのアルバムを聞いた時に感じた事を書きたかったので、今日聞いて感じた事ではなくて、昨年の日記からの引用が主になってしまったけれど、ほっとした。 でも、もっともっと、それぞれの曲について、感想目いっぱい書きたかったかな。なにせ、ちゃんとした音楽的なことはわかんないので、短い言葉では書けないの。 こんなに遅くなるつもりはなかったのだけど、昨年発売のはずのMETAGAIAも、やっとジャケが出来たくらいだから、新月関連には遅延がつきもの。べつにわたしのレビューが遅れてもなんの影響もないけれど〜。もちろん、こっぱずかしいので、トップでは到底告知しないもんね。
レビューにも書いたけれど、すでに新月は完全に再活動しているのだと考えると、本当に嬉しい。
もっとも、新月史やQ&A読んでもわかるように、当時のバンド活動中の新月は、どうやら自分たち新月以外には一切興味がない、というか私生活はともかく?新月にのみ専念していたようで、「重い腰」があがったらあがったで、当然、余人には立ち入れない新月だけの世界に入ってしまっているのだろう。
和田さんが見つけたプログレマシーンオモシロっ。それに駄菓子屋掲示板にリンク張ってくださったねこねこ、なごみまくり〜、可愛い〜。和田さんやっぱりころんたの王子さま(最近はこの言葉使わないほうがいいのか)だ〜、うれしい〜。
って、バカなこと書いてる間に、管理人ならちゃんと新月掲示板も管理してレスしろよっとお怒りの皆さん、もちっと待っててくだされ、新しく来てくださった、若い方のスレにはレスつけさせていただきましたが、もう少し、自分サイト内ひきこもりになっちゃうかも。ちょっと、自分の書き込みに編集を加えたので、実際、レビューのアップ時間は夕方です。いずれにしろ、他の皆さん、ううう、すみません・・・。
それからもう一回、「新●月 shingetsu live 1979」聞く。『殺意U』で涙出てきちゃった。
5月25日 ここ10日、他の音楽はもちろん、新月全く聞いてない・・。明日は休みっ、新月聞くぞっ。 新月掲示板を放置してしまっているが、時間があれば、自分サイト内ひきこもり?から脱出しする予定ですが、もちっと時間かかるかも・・、本当にすみません。でも、ころんた日記をうけて子鬼さんが話題に乗ってくださって感謝です。ネガティヴな話題以外は、みんなで、なんでもわいわい、楽しんでいてくださると、なまけもんの管理人も嬉しいです〜(なまけるなって?)。ううう新月聞きたい〜。 5月23日 一週間以上管理人が掲示板を放置してしまっている。自分のサイト内引きこもり状態。 メンバーの記事以外は、みんな掲示板を一番楽しみにしているのはじゅうじゅう承知だが、でも、新月コーナー始めた頃に、限られた時間、掲示板と更新といっぺんにできないからどうしようって、ちょっと悩んでいたけど、花本さんに、わたしは自分のペースで優先順にものごとを片付けていけばいいって、メールいただいたんだもん。 まずは、わたしは、自分のやりたいことを優先していく。 いずれにしろ、今週半ばには落ち着くはずなので、その頃にはレスつけられるはず、って、掲示板しか読んでいない人もいるので、ここは読まないか。 まだ、文字にしてない部分だけど、書きたいこともいっぱいあるし、表面に出てないけど、ころんた、新月さぼってないよ〜。 5月21日 以前から早くアップしなければと思っていた、1979年の新月デビューの読売新聞記事をやっと今朝アップしました。 水鏡の柳川さんに送っていただいたもので、こんな貴重な資料をきちんと保管してくださっていたことに本当に感謝です。 記者側からの記事は、「想像力を刺激して無限のかなたへ連れてゆく」、『雨上がりの昼下がり』で、まさにわたしが最初に感じたルネ・マグリットの世界に触れていてるなど、そこかしこに、わが意を得たりという箇所があり、思わずふふんと喜んでしまう。 新月側からの、「聞く人々のイマジネーションがどこまでもふくらむロック・サウンド」「想像の世界の入り口にあるのが僕たちの音楽」と、いう当時の花本さんの肉声が、今だ全く色褪せることのない新月サウンドの根幹だとあらためて感じる。 そして、芝ABCライブでの新人としては異例の千人という異例の動員数や、巨額の制作費と制作日数、一ヶ月で4千枚を売り上げたという「新月/新月」と、こうして記事で読んでみると、当時の新月がやはりいかに恵まれたデビューを飾ったかが伺える。 反面、まだまだ広範囲の人気は望めないと見られ、ラジオでもなかなか曲をかけてもらえないという渋い顔のマネージャー(遠山さんですね)の言葉に、わたしが、FMで新月を聞くことが出来たのが、いかに運が良かったかと、しみじみ感じた。
冒頭に日本のロックとして挙げらているアーティスト・バンドの名を見ても、これらが一般的に支持を得ている花形であるならば、当然どのカテゴリにも当てはまらない新月が、広範囲の人気、を得るとは考えにくい。
さて、今年発売の新月BOX。現在リハが行われ、未発表曲がアレンジされ新録が行われる。再活動の新月が、今の日本のロック・シーンにどれだけの影響を及ぼすのか、楽しみだ。 5月18日 わたしの持っている新月新月は1944年盤で、1988年の津田さんのライナーがない。十六夜さんが、88年盤のライナーのコピーを送ってくださっていたのだが、なかなかじっくり読むことができなくて、お昼休み、ひとりでゆっくり出来るところを探す。近くのレストランは2件とも休みだったので、カフェに入る。カフェの椅子は堅かったが、わーい、やっと津田さんの文章読める〜っと、読み始める。 ・・・っと、うーん、うーん、読み始めたものの、わたしの脳みそと読解力では到底理解できない難解な文章で、ううう、と思わず唸ってしまった。 しかし、わたしでも理解可能な、キーワードがいくつかあって、というか都合よく勝手に解釈してしまう。 しかし、津田さんの文に書かれている年代を読んで思ったのは、そうか、新月は確かにメジャーデビューして、昨年で25年だが、1975年には、すでに「萌芽を形成した」のであって、実際、もう、30年の年が流れているのだった。 ちょっと、まだまだかなり単に構想だけど、年譜、のことがアタマにあって、この75年はベトナム戦争が終結した年だったり、新月始動の76年は、ロッキード事件があったり、お隣中国で文化大革命が一応終わりになった年だったとか、当然世界の動きが、そして、音楽に関しても、新月がいかに今なお、色褪せることのない不動の感動を与える楽曲を今に残そうが、当然時代の流れがそんな影響下にあり、それがパンクの嵐の真っ只中、逆風がこれからますます激しくなる中デビューを果たしたのだという事実に繋がっていくのだと感じた。 それまで、むしろ今より多様化していたジャンルをそれぞれが聞きたい音を聞き、ロックであろうとフォークであろうとジャズであろうとクラシックであろうと歌謡曲であろうと、好きな音を、きちんと自分たちの耳で聞いていた。この話は何度も書いているので、重複するのでやめておくけれど、こんな歴史の縦糸の横へ、花本さんの新月史を参考に、新月を並べて、はめこんでみると(あくまで、まだアタマの中だけの話)このライナーが書かれた「新月/新月」CD化再発売の1988年は昭和最後の年で(実際は翌年しばらくの間平成元年と昭和64年が重なっていた)こんな節目、節目に新月が、といろいろこじつけるのも、一興なのだが、それよりも、あれ?たとえば北山さんが書かれた「光るさざなみ」のライナーには、「新月/新月」CD化が1944年、つまりわたしが持っている盤と同じことを言われている。
この時期花本さんも殆ど映像の世界のお仕事しかしていないので、実際、「新月/新月」「赤い目の鏡」「科学の夜」の、つまり昨年2004年、ビクター音楽産業発売のオリジナルアルバム以来、直接新月が関わった「ライブ1979」以外は、実はメンバー自身でさえ全員がアルバム発売の流れを良く把握しているわけではない、ということに気づく。
アナログ盤が再発されていたことは昨年のSNOWパーティで初めて知ったし、新月オリジナルが1988年にCD化されていたのを、ごく最近、十六夜さんに教えていただいて知ったし、この二つに関してライナーも違う事まで知らなかった(アナログ再発のライナーも読んでみたいものである)。 ところで、この津田さんのライナーを未読の方も多いと思うので、「新月資料室」に全文いずれご紹介します。ふふふ、実は、それに、ただご紹介するだけではなくて、もんのすごい、スペシャル企画としてご紹介しますので、お楽しみに。わたしも楽しみです。
新月掲示板のレス激しく遅れております。必ずお返事しますが、もう少し時間をください。なまけもんの管理人がなまけていても、みなさんで、レスつけあって会話がもりあがっているのは、ありがたいですし、楽しいです。みなさんよろしうに〜。
5月15日 9割がた治ったので、久しぶりに新月聞く。「新●月 shingetsu live 1979」。元気になったので、ボリューム上げて聞く。うふふふ。「鬼」だ。鬼だ、鬼だ鬼だ鬼だ。 「えー、どーもこんばんは、え〜、新月です」。絶対、これ、みんなの目の前で、ライブ会場で、いつか言ってもらおうね!! 「白唇」だ。果てない流れ、越えて君の元へ・・・泣きそうになる。 「朝の向こう側」、今日は素直に歌詞をそのまま聞く、そのままの愛の歌。 「発熱の街角」、発熱中はこのシュールさが実感だったなあ・・・。 「雨上がりの昼下がり」、そう、最初に聞いたとき、この曲が一番、シュルレアリスム絵画をそのまま目の前にペイントしてもらったような鮮やかな印象があったんだよね。 「少女は帰れない」、は北山さんの早代わりの演出を目の前に浮かべないと、もしかしたら、後追いファンと言われる人たちにはわかりにくいんじゃないかな・・、すでにモチーフは、バーチャルな世界から、恐ろしいことに現実になってしまい、昇華できない世界のものになってしまった。 「科学の夜」、あらためて聞くと、最初聞いたとき、SF映画のフラッシュのような・・とコメントしてたけど、コドモの頃、図書館でこんな本を広げて読みながらぼーっとして、空想の世界に遊んでいた時を思い出したりした、こんなにアップテンポの曲なのに。 「赤い目の鏡〜殺意への船出partU」、新録で、新たにアレンジされようとしている(されている?)、共に大大好きな曲で、赤目は、花本さんの詩を、津田さんが澄んだ声で歌っていて、あ、これ、北山さん加入前に作られた曲なんだなって思うと不思議な感じ、そして、よく鬼のお色直し用に、津田さんがボーカルとるから、鬼の前に演奏されてたって事だけど、このライブの場合は、「殺意U」の北山さんの金銀マントお色直し用に津田さんが歌ってて、ここには北山さんがステージには居なくて、それとほんとに新月加入前の曲だから、北山さんが居ない時があった新月が本当にあったんだな〜って考えると妙な感じ・・ってわたし何言ってるのかな、曲の感想じゃないか。 「殺意U」言わずもがな、抒情詩の切なさ繊細さ、叙事詩のスケールの綾なす大作、メロトロン、うふふ。どんなアレンジになるのかな、本当に楽しみ。 「せめて今宵は」あ〜、終わっちゃうんだ・・でもね、このラストの曲があるから、また始まりに戻るのね。 25年ぶりに、新月自身でマスタリングが行われたこのアルバムが、思い出のアルバム作りではなくて、再活動の一歩だったみたいにね。 5月14日 わははははは!なんでわかんないけど、今日午後から突然風邪が9割がた治ったのだっ。多少アタマがじんじんするくらいで、さっきビールまで飲んじゃったっ。これ、まなたすの熱冷ましの魔法かもっ。わーい!・・・っでも、やっぱもう寝よ・・・。蟹味噌も牡蠣も大好き・・・。 5月13日 せめて、『まなたす』を聞く。水鏡のキーボーディスト阿南さんに、「キーボードの魔法がたくさん散りばめられている」曲、と教えてもらった。聞いてると、水の中に光の帯がゆらゆら揺れて見えるみたいで、熱っぽさに心地よい。 5月12日 「島へ帰ろう」=「ベイシティローラーズ」説?が勝手にインプットされてしまったおかげで、熱のせいなのか、ワルツ風「殺意への船出U」とか、マーチ風「赤い目の鏡」とか、わたしの好きな曲が、へんなリズムとメロディでっ。 皆さんこの時期の風邪には気をつけましょうね。ころんたまだ治りません。恐ろしいアレンジを勝手にしてしまう風邪ですぞ。 5月8日 セレナーデのメンバー小松さんのお友達のカワカタさんがmixiというサイトに当時のライブの思い出を書き込みをされていました。 貴重なレポートですので、これは、皆さんにご紹介しなければ勿体無い!!と、カワカタさんの許可を得て、全文掲載させていただきました。
「カワカタ
私が新月を最初に観たのはプログレの聖地、吉祥寺シルバー・エレファントでした。
ステージには左手にキーボード群がセットしてあり、その横のやや中央よりにハイワットのアンプとスツールがあり、ロック系でも椅子に座ってE・ギターを弾くのは、ハケットとフリップに代表されるプログレの明かし…中央にマイク・スタンド、その左にサンのベース・アンプ、通常のバンドだとほぼ真ん中に在るであろうドラムキットは右端の方にセットされていました。
このキーボードセットの中には知らない人にはただの白い箱、知っている人には涎物のメロトロン400Sもあり、オルガンがローランドの2段鍵盤ヴァイキング、シンセが同じくローランドSH-1000(鬼用)とアープ・プロソリストそれにCP-70エレクトリック・グランド・ピアノ等。
メンバーが大きな拍手に迎えられステージに姿を現わし、最初の曲を演奏した時からずっと興奮しっぱなしでした。
そこで断片的に思い出した事を書きますが、ヴォーカルの北山さんが白い着物の他2、3回お色直しをした様な気がします。 開演前は本当にこんな緻密な演奏をライブで再現出来るのかと、半信半疑でしたが、いざ演奏が始まってみると、家で聴くレコードの何倍もの音量で緩急が激しく素晴らしい演奏でしたね。
その他生まれて始めて聴く生のメロトロンも良かったです。
キーボードは花本さんの他にもう1人サポート・キーボードの人がピアノ系を演奏していました。このサポートの人はソプラノ・ サックスも演奏したような気がします。 まあ、とにかくこの日のライブは終わっても数日間余韻に浸れた位素晴らしいひとときでしたね。
その後、ラフォーレ原宿で観た時は新月の単独ライブでは無くスペース・サーカスの演奏が先にありました。
お目当ての新月の演奏でシルエレと違った所は途中の曲で竹を格子状に編んだ小道具が出て来て、劇団の人数人が出演していた事ですが、最初に真近で観たシル・エレのライブの印象が強烈だった為か、このホールでの記憶はあまり残っていませんでした。
シルバーエレファントのライブレポートは、正直、臨場感に鳥肌がたちました。 5月7日 リハが着実に行われてる〜。うれしいーね。風邪も少しは良くなってきたわい。 え”、紬の着物を着せてもらえるはずの少女が、イギリスの若者バンド・・・??なぜかベイ・シティ・ローラーズが浮かんでしまったが、これは熱のためであろう。・・・うううむ・・・。 高橋さんの改造カプチーノって、なんだかイメージに合ってて嬉しい。終始一貫黄色にこだわってるのも素敵。津田さんがアルファロメオ!温厚なイメージの津田さんとこちらはちょっと想像できない。花本さん免許取りに行かないほうにフタマンガーッのブタ一頭賭けます。 5月5日 う、うううう。もう5月に入って5日なのだ。やっと夕べから動けるようになったのだ。 驚くなかれ、1日からずっと熱を出して寝込んでいたのだ。 いつもは熱あまり出ないので、中途半端に動けて会社行けたりするのだが、今回まったく動くこと叶わず、パソコンのスイッチだけは入れるものの、頭がくらくらして、何も書くことは出来ず。 それでも送られてくる「新月ニュース」だけは【皆さんのために】必死にアップしたのだ。頭と目は痛いわハナは垂れるわセキはでるわくらくらするわ。なんか、最後に通勤途中で親切な人に駅でティッシュとボールペンもらったのが、唯一人になさけを貰ったような、いや、もしかしたら親切でくれたわけではないかもしれん。ティッシュにはなんか借りて欲しいって書いてあるし。
それにしても、みんな楽しそうじゃの。 それなのに、ころんたのことなんか、だーーーーーーーれも気にかけてくれず、みんなで、楽しそうにしおってからに、どうせころんたなんか、新月ニュース黙ってアップでしてればみんなそれでいいんだ。ころんたのことなんか、どうせ、そんな程度のもんなんだ。いいんだいいんだ、ふーんだ。 と、マルドロールのように、呪詛の言葉を吐く元気が出てきたので、少しはもとに戻って来た気がするが、この上天気に情けない。熱がやっと下がった(と言っても体温計がぶっ壊れていたので、何度あったか知れず)とはいえ、相変わらず頭はじんじんするわ、ハナはでるわ、セキはでるわで、好き勝手なもの食べて好き勝手な酒飲める不健康な生活が送れる健康になるのはもう少しかかりそうだ。しかし、この風邪、完全に誤算だぜっ。無念! でもでも、そこへなんと、津田さんからMETAGAIA完成と10月30日ライブのお知らせ!やたっ!遅くなっても、デザインが納得ならおっけだよねー。これで、ぐんぐんとよくなるような気がする。早く発売日が発表されないかなっ。
やたら書き散らす元気がない分、新月日記や、ライブレポート、を読み返す。 4月27日 日常生活がある瞬間から、いきなり終わりを遂げさせられる。人生をなんの準備をしないまま、幕を閉じなければならない。その無念さはどれほどものなのだろう。 誰しも、いつか死を迎えることは知っている。それまでに、いろんなことをして、やりたいことをやって、悔いのない人生を送りたい、いや、そもそもそんなことまで念頭にないほど、今、を必死でいきなければならない、すこし、余裕があったら、最後はこんなふうに、とか、いま元気いっぱいの頭のなかで、そうだな、たとえばわたしなら、お葬式に新月かけてねとか、そんな準備もいつかしておこう、なんてことも考えるかもしれない。 「わたし、なんだか死なないような気がするんです」とは宇野千代さんの言葉だが、ころんたも、なんだか一生死なないと思ってるのだが(それは、まあ、おめでたい、という理由もあるかもだけど)、そんな、日常生活をなんの前触れも、心の準備もなく、いきなり命を絶たれた、今回の列車脱線事故の犠牲者の方々の無念を思うと、やりきれない。 ただ、ただ、ご冥福をお祈りし、生存者の方たちの一日も早い回復をお祈りし、未だ車内に閉じ込められている方たちの救出をお祈りし、非常にデリケートな作業にあたっておられる方たちの労に感謝をするばかりです・・・。 4月25日 出掛けに、「赤い目の鏡」を聞いて、間奏部分のあまりに美しいパートに涙が出そうになる。ぐっとこらえる(化粧崩れちゃうでしょ。そのまま外出たら、軽犯罪法に触れちゃうかもしれないもん)。これが、新録でどんな風に変るのかな。楽しみ〜、ふふふ。 和田さんのお宝アルバム、ついに津田さん北山さん登場だっ。クイズの答えあってるかな。津田裕子さんだと思うのだが・・・綺麗な方だったという事だけは良く覚えてるの。
会社の人がウォークマンであり、ラジオであり、カメラであって、その上電話がかけられて、メールもできるという、新しいSONYのケータイを買って、音もすごくいいんですよ、と、イヤホンで聞かせてくれた。サザンだった。 サザンのデビューの年等、ファンの方に確認させていただき、この日の日記を読んでいただきましたが、面白がってました〜。 4月23日 津田さんの写真、保存しそこなった・・・。もお和田さんに消されてた。もおお。 ところでころんた、まだ、ころんたのアルバムレポート、に「新●月 shingetsu live 1979」のレビュー書いてなかったことにふと気づく。日記に書き散らしていたので、書いた気になっていたみたい。ちかじか書かねばっ。 「殺意」新しいリズムパターンの試行中ってなってるけど、最後だけは変ったらやだな(ちゃんとしたわけはない)。 4月22日 バカ。うううう。酔っ払って書いたとはいえ、あまりにもばかばかしい・・・。 ・・・まあ、いちおうせっかく書いたし、怒られたら消そう・・・。 いや、おもしろいかもしんないっ。これを劇団インカ帝国で演じてもらって、花本さんに撮ってもらってビデオ作って、営業宇宙人のその後をワ〜ダさんの「小田原の思ひで」って名前で写真集作って、タイアップして、売りまくって、大もうけしてみんなで豪遊するのだっ。ひっく。すでにビール2本とワイン半分。と思ったら、小田原の思ひでがなくなっていて、なんと、津田さんの中学生時代の写真がっ。 4月21日 小熊さんが立ち上げたインカ帝国のサイトがどんどん更新されている。メールのやりとりしながら、いろいろ進捗を聞くのも楽しい。 春の館改訂版のちらしは、わたしもライブ会場のどこかで貰って所持しているが、今貸し出し中。こぐまサイトで新月の広告記事を、今一度しげしげと見て、間違いなくわたしも、同時代に居たのだと、感じて、自分自身にも、今に通じる、この時代があったことを再認識して嬉しい。 「秘宝館」には、「新月・文学バンド・SNOW」のコンテンツもばっちりあって、「SNOWパーティ」で小熊さんが新月ファンクラブ会報をサイトで紹介したいと、おっしゃっていたが、いずれここで見ることができるだろーなー、と期待するのがまた楽しい。 活動の証と記録が一致していく。
それにしても、わたしは新しく買ったアルバムの帯はすぐにはずして(まあCDだと帯つけたままってことはないか)すぐに中に入れてしまってあんまりちゃんと読んだりしないのだが、いまさら、ふと「新●月 shingetsu live 1979」の帯をなにげなく見たら、「公式オープンリール録音」てなってた。そういやー、ニュースで花本さんからは、「ソースはカセットテープ」「森村さん所持のマイク録りのオープンテープからのコピー」で、「カセットで音がつぶれてるけど、マッシヴなエネルギーがある」、また、7月の津田さんご自身の掲示板への書き込みで「オープンリールからのカセットコピーが安定していたので、これを使いました」、「上がりはオープンの音源にほぼ匹敵するものになったと思っています」とあったと筈で、つまり、つまりは、メンバーはきちんと、このオープンリールからの直接の録音ではないわけと明言してるのに、「「公式オープンリール録音」というコピーが出歩いてるのかと、再確認してしまって妙な気持ち。
実は、もうひとつ、考えていると書いたかもしれないけど(書かなかったっけ)、こんなむずむず、たとえばわたしは、自分が所持しているCD「新月/新月」が1994年発売とは知っていたが、これは再プレス版で、初回プレスには津田さんご自身がライナーを書かれていることを最近、十六夜さんに教えていただいて初めて知ったのだ、あるいは、SNOWパーティでhirohiroさんが持っていらしたアナログ盤が再発で、アナログが再発されていることを知らなかった、等、検証したいことがいろいろあり、「新月年譜」を作りたい、と漠然と考えているのだが、ちょっとあまりにも途方もないアイディアでどう手をつけたらいいのかと考えている最中だ。 この写植詰めうち名人とか、音効職人というのはさっぱりわかんないが、雪山で遭難したいろんなワザを持った人が集まったパーティが、閉じ込められた山小屋の燃え盛る囲炉裏のその炎の周りでなんとか力を合わせて助けを求めようと、みんなで相談して考えた挙句、写植詰め打ち名人が、やっとの思いで、雪の中から、小さな小石を見つけ出し、ちいさなちいさなSOSの文字を雪の上に書くの。で、これを拡大鏡で拡大して、お空へ向けて照射して、巨大なSOSを空いっぱいに描くアイディアなんだけど、これは一回しかないチャンスなの。ここに出てくるのは、鏡職人?レーザーの開発者?まあそれはともかく、みんなでどきどきしながら、いざ、びーむ!とSOSをお空へ向けて照射したはいいけど、そこへ運わるく、UFOが通りかかって、このSOSは空に描かれず、このUFOの横っ面に書かれてしまうんだわ。 慌てるパーティ、そして驚いて飛び去るUFO。パーティはせめて、このSOSの文字がどこかで目に触れて、自分たちの居場所を特定する手がかりになるんじゃないかと、期待して見送るの。ちなみに、鬼とUFOのイントロは良く似てる、いやそんなことはどうでも良いが、このUFO、別に地球の偵察に来た宇宙戦士でもなんでもなくて、単に銀河系を旅してる営業マンがたまたま、さぼっていたら、地球に来ちゃっただけなの。それでもって、SOSの文字を書いたUFOが飛んでるもんだから、NASAとか大騒ぎになっちゃって、この民間宇宙人のUFO追い回して、UFO営業マン怖くて泣きながら遠い星で待つきみのところへ早く帰んなくちゃって、彼女に電話してワープしてどっか行っちゃうの。パーティは別の手考えようと、音効職人のワザを駆使して大音響で「たすけてぇ〜」をさけぼうということになって、それは今度は見事に成功するんだけど、その大音響で、雪崩が起きちゃって、救援に来てもらおうにも、道が全部ふさがっちゃうの。呆然とするパーティ。 絶望感に襲われるパーティの中、ソムリエが、ふと、この山小屋は、そだっ、と、はたと膝をたたいて、急に床をごそごそ探し始めて、ひみつの地下室の扉を見つけて開けるの。そこはワインのカーヴになってて、そこにはワインがたくさん!うまいやつ片っ端からソムリエが選んでチーズも発見されて、みんなでこの際飲んじゃえ飲んじゃえで大宴会がはじまっちゃって、みんなすっかり愉快な気持ちになっちゃって、わはは、わはは、とやってるところへ、お空の照射ビームや大音響の発信元が、最新技術で特定されて、空から待ちに待った救援隊がくるんだけど、憔悴しきってると思った遭難パーティが宴会開いてて、大顰蹙に怒り買うんだけど、やたら陽気なソムリエがまあとにかくうまいワイン飲んでシアワセになりましょうと、うまいのどんどん救援隊にも飲ませて、わははわははの大団円。 だめぇ〜?もお、明るいうちからビール2本飲んじゃったんだよおお。ひっく。明日消すかもお。ひっく。 4月20日 ニュース、さらに新たな新月音源が見つかるかも、というすごいニュース。そして、小熊さんが突如(いや、べつに突然出来たわけではないはずだが)立ち上げた、新月と深いかかわりのある「劇団インカ帝国」のサイト。常々、ひとつが動くと、連動してさまざまなことが動くと思っていた。ここで、ビジュアルではっきりと、新月と劇団インカ帝国のかかわりを見ることができて、また、これでひとつ、同時代の歴史が鮮やかに再現された。思い出、ではなくて、間違いなく今へ通じる活動の証がここにある。 ちらしに見ることが出来る、花本さん、津田さんのお名前、それから劇団のメンバーの中に写る今もお変わりのない北山さんに、今へ通じる、一本の太い道を感じる。 4月19日 しかし、新しい新月ニュース、まずは北山さんの目が色以外はなんともなくて本当によかったこと、HALの音源が見つかるかも知れないことが、という素晴らしいニュースがあるが、そのなかに、とてつもなくアヤシイ花本さんの一文がある。だいたい、そんなに太ってないのにと思うが、それはともかく、実はとんでもない情報あり。4月2日、ついに新月オリジナルメンバーが5人揃った記念すべき日、ここで、北山さんが5人揃った写真を撮られ、それをサイトでアップできるように、花本さんに送られたらしいのだが、それは、いまだに、わたしの手元に届いていない。もれ伝え聞いた情報から、勇気を出して北山さんに、「花本さんは、ご自分の写真写りがお気に召さない、というだけの理由で、いまだにわたしに写真を送ってくださっていません。いくらリーダーだからといって、歴史的意義のあるこの日北山さんが撮られた写真をこんな理由で隠ぺい工作して良いのでしょうか。」と告げ口、いいつけメールをお送りしようか、いま、ころんたは真剣に悩んでいる。 4月18日 ニュース見た? 北山さんの目、なんともなくて良かった!!! 小久保さんのお名前、それに、HALのオープンリールの音源、見つかりますように!!全然関係ないけど、ころんたんちの猫のはるちゃんの名前は映画「2001年宇宙の旅」のコンピュータの名前からとったのだ。単に語感がいいからだけで、この時、まったくバンドのHALの事は念頭になかったので、すごい偶然だと思う。ところで、当時流行ったクイズで(淀川長治さんが発見?したらしいけど)、なんで、このアメリカのコンピュータの名前が「HAL」なのでしょうか?答えは・・・。 4月17日 猫のはるちゃんに4時半にたたき起こされた。今日はどうせ仕事に行かねばならんので、そのまま起きて、過去の新月日記を開いてみると、削除したつもりの顔文字がかなり残っていて、それを削る作業をしながら、日記を読見返すが、こんなことを書いていたんだ、へー、という部分があって面白かった。 無論、日記の始まりの小熊さんや花本さんにメールをいただいたり、無我夢中でコーナー作っているあたり、それから、花本さんがレバノンに行かれていた頃書いたこと、は殆ど覚えているが、作業日記からはなれて、こんなことを考えていたんだんな、という自分も忘れていることがあって、「日記」って面白いな、と思う。しかし、ほんとうの「泥酔日記」だなあ・・・。ま、過去はいいか・・。 昨日は一日新月漬け(こんな漬物どっかにありそう)で、シアワセな一日を過ごす。いただいたアナログ盤レコードを聴いて、LIVEを聴いて、1979年から、遠い星で待っていたわたし、に26年前の新月の歌が届いて、たちまちワープして、新月がいる星はすぐそばに来ていると、確信できた日だった。 ==== わたしは何度も過去に「もし」はありえないと書いている。もし・・はない。 4月16日 先日の日記に書きましたが、新月掲示板へ時々書き込みをしてくださる十六夜さんから、メールをいただきました。 許可を得てご紹介できる部分を引用させていただいております。 身に余るお言葉と、熱い新月への思い、感激のあまり、しばらくの間、涙が止まりませんでした。 それから、本当に良いのだろうかというお申し出なのですが、アナログ盤「新月/新月」をいただいたのです。 ファーストアルバムを2枚所持しているほどの新月ファンである十六夜さんが、偶然中古屋さんで発見した新品のアナログ盤。 CD世代の十六夜さんですが、アナログを買われたのは、やはり「新月」だから、という理由以外に他なりません。 レーベル部分にSAMPLEの文字が書かれており、これは花本さんに確認させていただいたところ、アルバムをプリントする時同時にSAMPLE盤をプリントし、メディア、評論家等に配布するためのものだそうです。当然、メンバーが所持しているのはこのSAMPLE盤だそうです。自分が買いたくて、ではなく、ただ、貰ったものなので、聴いていない可能性もある。新月が好きで買われた十六夜さんですが、未だ針を落としていないので、つまりは26年ぶりに音を出すかもしれない、というアルバムです。
もちろん、そんな貴重な盤をいただいて良いのだろうかと、恐縮と戸惑いはありましたが、わたしのアナログ盤が擦り切れて聞くことが出来ないことを知った十六夜さんの、聴いて喜ぶわたしが持っているのがふさわしいというありがたいお言葉、そして、やはりアナログ世代のわたしですから、もう一度アナログで新月を聴きたい、という気持ちがまさってしまい、図々しくも、いただいてしまいました。
夢を夢で終わらせなかった、と書いていただいたのですが、これは、新月にもう一度活動してほしいという夢を抱いていた、すべての新月ファンの中の、一人にすぎない、わたし、という人間が、たまたま十六夜さんの言葉をお借りするなら、すべての偶然は必然、であるように、新月再活動の引き金になる存在であったと思います。
「気持ちが切れるとバンドは成り立たないということがよくわかります。」と、やはりバンドをやってらした十六夜さんは言ってらっしゃいます。これが、良く言われる「バンドの寿命」なんですね。
花本さんが、わたしの新月のページを読んで
新月は確かに解散こそ一度したようですが、花本さんがこう思われたのですから、新月のバンドとしての寿命など、全く尽きていなかったわけです。
この必然に、わたしにお礼を言っていただくことは、本当に恐縮で却って申し訳ない気持ちでいっぱいですが、十六夜さんも針を落としていない、このアルバム、今日、思いを籠めて聞かせていただきます。本当にありがとうございます。 ==== もしかしたら、26年ぶりに、いや、26年間一度も音を出した事がないかもしれない1979年7月25日発売のレコード「新月/新月」に、今日針を落とした。 早く聞きたいと思いつつ、ついで、の流れで聞くことだけは避けたかったので、今日になってしまった。 正座して聞いた。 この、待つわくわくは、昨年、Preview Onlyの「新●月 shingetsu live 1979」を7月25日になるまでじっと我慢して、当日5分遅れでライブが始まったまさに19:05にPLAYボタンを押した時以来のわくわくだった。 針がレコードに触れた瞬間の、アナログ盤独特のぱちぱちとした音、そしてあのイントロが、津田さんのギターが、静かに「鬼」への扉へといざない、それからいきなり見たこともない、聞いたこともない、いや、本当は知ってるのかもしれない、見てしまった、聞いてしまったことがあるのかも知れない戦慄の世界へと叩き込まれる。
「鬼」が始まった瞬間、思わずこみあげてくるものがあった。 A面が「雨上がりの昼下がり」で終わる。それから、レコードをひっくり返す。B面に針を落とす。それからぱちぱちの後にはじまる「白唇」。このまだるっこさ、この間、が、小説の行間を読むが如き効果で、アルバムへの期待を膨らませてくれるのだ。 そうだ、26年前のたぶん8月、小田原駅地下街の「新星堂」へ走り、目指す「新月/新月」を買ってすぐさま家へとんぼ帰りし、ベッドの上に荷物を放り出し、わくわくしながら、ステレオプレイヤーに盤を置き、針を落とし、「鬼」が奏でられた瞬間、先に書いたような、そんな思いを抱いたのだ。そして、この日、驚愕と喜びと共に、こうやって、何度も何度もA面とB面をひっくり返しながら、何回繰り返し新月を、このレコードを聞いたかわからない。 わたしが所持しているこの時聞いたレコードは、すでに擦り切れて、もう何年も前からばちぱち音を立て、針飛びだらけで、聞くことはできない。それを承知で2003年の大晦日にかけてみた時と、年明けて聞いてみて以来、もう、アナログ盤で「新月/新月」を聞くことはできないだろうと思っていた。
聞くことが出来なくなったわたしのレコードはすでにインテリアになってしまった。
どれほどタイムマシンがあったら、いいなと思ったか。あの日に時間を戻したいと思ったか。
ねえ、わたしを含む新月ファンのみんな、わたしと同じアナログ盤を聞いてたリアルタイム世代も、CDしか知らない後追い世代も、共通の願いはもう、新録が行われている事で、もう、叶っているよね。新月は、ほんとにほんとにほんとに、今活動してるんだもんね。
今「新●月 shingetsu live 1979」聞きながらこの日記を書いて、いただいたメールとお手紙を読み返しているんだけど、やっぱり涙がとまんなくなってきちゃったよ。 4月11日 このサイトを「お気に入り」に入れている人は、まず最初どこを読むのだろう。 やはり、完全に活動を開始した新月の動向が、直接メンバーから送られてくる「新月ニュース」。それから、どんな新月の話題と世界の珍味の話題で盛り上がっているのだろうと、新月掲示板。それから、ころんたのように繰り返し繰り返し新月全曲目解説、新月史、一筆箋やQ&A、そして、この新月日記を読んで下さる方もいるかもしれない。
すでに、新月ニュースに書かれているように、「島へ帰ろう」「赤い目の鏡」「殺意への船出」は新録が行われることが決まっている。
紬の着物が似合う少女がなぜかアフロになってしまった「島」はたぶん、レゲエ調?から、当初の青い影のようなアレンジ、つまり元の姿で新録が行われるのだろうな、と想像しているが、果たしてどうだろうか。
北山さんが赤い目の呪い、にかかってしまわれたようだけど、早くよくなるといいなあ。
北山さんの体調がすごく心配。 それにしても、全曲目解説、これは新月コーナー当初からの花本さんとの約束?で、わたしが感想をつけているのだが、「鬼」「殺意」に関しては、感想はもちろん聴くたびさまざま変るが、根底は常に不動だ。しかし、他の曲は手直しをしたい部分多々あり。
4月8日 先日、新月掲示板に来てくださっているある方に、素晴らしいメールと、それから、アナログ盤を送っていただきました。 わたしのレコードが擦り切れて、聞くことが出来ないことを知り、なんと、プレゼントして下さったのです。 コレクションではなく、聞いて喜ぶわたしが持っていて欲しい、感激で涙が止まりませんでした。 実は、まだ、針を落としていないのです。ばたばたしていたせいもあり、もしかしたら、26年ぶりに音を出すかもしれないこのアナログは、心穏やかなときに、ゆっくり聞きたいのです。 そして、果たしてアナログ盤を聞くのが何年ぶりなのか、覚えていませんが、この感想と下さった方の思いと共に、いずれその時に、じっくりと書きたいと思います。 きちんと書く時に、お名前を出させていただきます。 ==== 天敵のからすが減ったので、鳩が増えすぎて困るので、鳩にえさをやらないようにして、効果が出たそうで、上野公園では、鳩が減ったそうだ。 「減った」鳩はどこへ行ったのだろう。 小・中・高、全部お城のそばの学校で、お城にはたくさん鳩が来ていたので、小学校の時には、写生とかで公園に行き、通学の行き帰りには上空を鳩が飛び、電線に止まったりしてたので、うっかりすると、鳩の落し物がかかったりする。 かかったやつは、これは運が悪くてマヌケ〜って、みんなで笑ってオシマイだった。その糞が害があるからだという。ほんとはいけないのに、給食の残りのコッペパンを、鯉や鳩にあげていたけど、もうそんなことをしてはいけなくなった。 通勤先の駅のホームに、いつも同じ鳩が何羽かいる。その中の一羽を良く見ると、ヘンな歩き方をして、足の片方がつぶれている。飛ぶことは出来ず、へんな歩き方で、歩き回ってるだけだ。平和の象徴と言われていた鳩が、今はそんな害鳥として、おなかすかしてみじめな姿で歩き回っている。 家から散歩に出かける先の、小さな神社の陽だまりに、そっくり同じ柄の野良猫の親子がふくふくと寄り添って眠っていた。仔猫はお母さん猫のお腹に埋もれて、幸せそうな光景だ。でも、その脇には「猫にえさをあげないでください」の看板が立てられていた。 人間もごはんは上のほうから降ってくるのを待ってなくちゃいけなくて、どこかで見られてて、おや、人間、数増えすぎちゃったから、減らさなければって、ごはんもらえなくなって、死ぬまでおなかすいて、おなか空いたまま死んじゃって、だいぶ数が減ったから、じゃあごはんやるかって、おなかが空いてから、ごはん食べるのは美味しいけど、死ぬまでおなかがすいていたら、やだな。 信じられないような、嬉しいこと、たとえば、わたしが新月サイトを作ってこんな風な流れになったこと、あるいは、去年みたいに、猫のたんちゃんが行方不明になっちゃって、すごく辛くて、でも20日たって帰って来たとき、神さまはいるのかもしれない、案外、いいやつじゃん、と思ったりする。 でも、ちっちゃなことでわたしが神様をいいやつじゃんと思う事と同じに、、鳩一羽だって、猫いっぴきだって不幸にして、それからぐんと大きなこと、洪水や災害自分で起こしておいてその後にまだ、地震を起こしたり、いつまでも、戦争が終わらせなかったり、するのを見てたら、アンタ、相当さじ加減下手だね、とんでもないひどいやつだね、無能じゃないの、何考えてんの!と思う。 神様ではない、一人の人間。一宗教を超え、信者ではないすべての人へ語りかけてくれたローマ法王ヨハネ・パウロU世が亡くなり、葬儀が今日行われている。 神さまが出来ない、人間だから伝えられる、法王の魅力によって抑止されてきたことを行ってきた法王が亡くなった事は、花本さん、和田さんが言われるように、「見えないところのバランスが崩れる」は、感覚的にひりひりと解る。 花本さんの、「日本人の心の支えは何か」の問いに、即答できる人はどれだけいるのかな。個人的には、いくつか答えは出るかもしれない。でも、日本人の共通意識となると、それは、果たして何だろう? そんなことを考えながら、外へ出たら、満開の桜。今はこれか。一斉に咲き、一斉に散る。まさに短い期間の華をめでる心。桜の花の満開の下、でも、おなかがいつもいつも空いているのは、いやだな。 4月5日 夕べ届いたニュースによると、4月2日、ついに5人揃った、と確信していいんだ!そして、新録に向けて、新たな試みがどんどん成されている。実に、嬉しいニュースだ。 もう、後はBOXに向けての進捗状況を、ただただ楽しみに、待っていれば良いようだ。 ライナーは、誰が書くのかな?かつて、オリジナルアルバム「新月/新月」のライナーにある、北村昌士さんが書かれたような文を読みたい。 細い小さな清流が集まっていくつもの太い流れになりやがて大河になるような、いのちのみなもとの心臓というポンプから、どくどくと太い血管に送り込まれて、体内を駆け巡るほとばしる血流のような、あの、フールズメイトで、新月を取り上げ、いつか新月があらゆる音楽界のトップに立つであろう事を、おそらく信じていたに違いない、北村さんのような文をわたしは読みたい。
評論も分析もいらない。
1979年のオリジナルアルバムの、予言のような北村さんの文を引用させていただく。 4月3日 ワラスボをなんだか知りたいが、検索するのがまんしてる。えらいっ。(ほんとうはなんだかコワイからだが) ==== 新月のライブ映像が、全く存在しない事は、以前新月掲示板に、この話題が出た時に、悲しいかな、すでに新月に確認済みで、存在しない事は間違いない、と書いたと思う。 そしてその理由は「新月が演奏する事にのみ集中していたために、映像を残すことにまで、考えが至らなかった事。そして今でこそホームビデオがあれば個人であっても手軽に映像を撮影できるが、当時は映像を撮影する事自体、大変だったこと(SNOWレポートで小熊さんの発言を読んでもわかるように、録音だって、今でこそMDだのCDだの他いろいろあるけれど、一般にはカセットテープ、の時代だもん)」だった。 しかし、この教訓がありながら、もう、新月に「映像を残す事など考えも及びませんでした〜」とは、誰も言わせないだろう。今は21世紀。あの当時の自分の視点からしてみれば、想像がつかなかったはるか先だった未知の未来が今となった2005年。ケータイ電話でさえ動画が撮れるこの時代、ライブ演る時は、ライブの映像撮影も同時に行われるといいな。 そうだっ!いい事を考えたっ。花本さんは映像のプロなんだから、花本さんに、最高のライブ映像を撮ってもらえば、いいんだっ!!
・・・・・・・だめじゃん・・・・・・・・。
4月1日 ころんたわ、朝ごはんに、ポンテギ入りオムレツを食べました。お弁当は、ごはんに目玉を乗せて羊さんのキャラのランチボックスに詰めました。おやつはバロットです。 3月31日 仕事から帰る途中に、頭の中に「殺意」の美しいメロディーが流れていた。それから、家帰ってきて、1979聞く。「せめて今宵は」今日はこれに酔う。 3月29日 「新月」が「新月」として、音を出した。ただ、一言、うれしい。北山さんが参加されなかったため、5人が全員揃わなかったが、子鬼さんが言われるように、「奏者」がまず揃ったのだ。
しかし・・・ちょっとまてよ。
しかし、「全員が曲を覚えていない」(ん?)にも関わらず音を出したら、しっかり「新月」だった。
確かに「腰の重い」新月だが、新月は絶対約束守るもん。 BOXに関しては、もちろん誰もが一刻も早く聞きたい、と気持ちではそう思うのは当然だが、「新月」が「新月」として、戻ってくるのに、スピードなど誰も求めていないだろう。ゆっくり、じっくり、皆、待てるはずだ。
さて、別れたくて別れたわけではない、百年の恋の相手が、別れた時より、どれほどカッコ良くなって、戻って来てくれるのかな。 3月28日 急速な進化を遂げる掲示板。最近初めて来た人がいるかどうかわからないが、人間長い文章より、短い言葉でインパクトの強い言葉に惹かれるものである。 そう、「目玉」とか「虫」とか。 この「新月」掲示板で「花本彰」本人が、目玉とヤギと羊のびみょーなかかわりをキーに「赤い目の鏡」についての話題を振っているのにも関わらず、花本彰の発言をまったく無視して、めんたま料理の話題に、どどどとなだれ込む、自称「新月ファン」。 新月で検索し、えっ、こんなサイトがあったのと、うれしはずかし初めてこわごわ、新月掲示板覗いた人は、あれ?おっかしい〜なあ、日本のプログレ新月公認ファンサイトって書いてあったんだけど、間違えたのかなあ〜、この「花本」ってのは、そういうハンドルネームの人で、新月の花本さんじゃないいよね。ここは、きっと「新月掲示板」と書いて「世界の珍食材掲示板」って読むんだよ。うんそうに違いない。ごめんね関係ないのに覗いて、と勝手に納得して、去って行ってしまうに違いない。い、行かないで〜。 目玉や虫に埋もれて、影うすく「赤い目の鏡」のタイトルがむなしくはかなく揺れている。虫や目玉の傍らにひっそりと咲く花、あたかもルドンの絵の如きである。これは、短くインパクトだけがあるパンクが音楽界を席捲していた中にあったプログレバンドの姿そのもののようである。・・・ほんとか〜。でも・・・ワラスボって何かしらっ。うふ。 ==== 新月ニュース見た?新月が音だした・・・・。 3月26日 見直しすると、まだまだ誤字脱字。あんなに見たのに〜。まあ、自分の部分だからいいかという問題ではなくて、脱字があるために、意味が通らなかったりで、あんなに何度も見たのに〜。 で、来た。いや、来たのは、ぼこっとした喪失感ではなくて、なんかわからないもやもやしたもの。北山さんは、「モヤモヤのはけ口」に文学バンドを作った、と書いておられるが、平々凡々人のわたしのもやもやは、どんな形で昇華したらいいのかわからない。 何かをまだ、自分の中で総括してないみたい。 だいたい、3ヶ月もだらだらと、かかっていたのがいけないのであって、それも、思うに3ヶ月もかかったのは、レポート書こうとしながらも、同時に新月掲示板と新月日記と日記開いて、ちょっと飽きたらこっちとか、掲示板寂しいから自分でスレ立てちゃおとか、あ、日記ネタを思いついたとか、更にひとんちに遊びに行ったりしていたせいである。WINDOWSだから窓いっぱい開いていても、いいじゃんて、そういう問題ではないのだ。注意散漫、集中力なく、ナマケモノのころんたらしいペースで、長く関わりすぎたのだ。だから、あの一日を、なかなか、切り離せなくなってしまったのだ。その先に行かれなくなってしまったのだ。 総括には何が必要かな。やはり、「光の渦に突入して、全ての物質が光の粒子となり、宇宙と一体化する瞬間、そして、扉が幾重にも閉まるような音の錯綜の大団円」。これだ。 3月25日 というわけで、やっとレポートアップ。 レポート内に書いたとおりだけれど、最初はただ、来られなかった人へ、メンバーの言葉と、演奏された曲が、忠実に伝わればいいかなと思っていたのだが、そこは、ミーハーなこのころんた、自分の思い入れの方がボリュームをとり、あのような「大作」になってしまった。 新月のライブじゃないけど、新月のメンバーがファンの前に立つ。あくまで、文学バンドがメインなのは、わかっているけれど、同じフロアに新月がいる嬉しさが勝ってしまった。 ただ、パーティという形式ゆえ、今後ライブが行われるとしても、メンバーが、ファンの前で、あれだけ、いろいろな事を語ってくれる事はそうそう、あるまいと思い、メンバーの言葉を文字として、残すため、何度も聞きなおし、校正したので、多少、話言葉なので伝わらない部分があり、編集した箇所もあるが、ほぼ、忠実に再現できたと思う。 ほんとは、もっとメンバーの表情とか細かく実況レポートしたかったが、そのへんは、写真レポートでカンベンしてもらうことにする。 なにしろ、今日あげないと、3月中に上げることが出来なかったので、直前まで、誤字・脱字、表現をまた直したりとやっていたが、これでは一生上げることができないので、妥協して、アップした。 アップした段階で、もっと、ぼこっとした喪失感みたいなものがあるかと思ったら、全然そんなものはなくて、これで、やっと、サイトとして、真のスタートラインにたった感じでほっとしてる。
これでやっと新月聞ける〜!!「Live●1979」今聞いてる。 でも、SNOWレポートに書いたように、わたしたちファンの声は「新月に待たされるのは慣れたし(慣れたくないけど)」でも、「いつか」、をみんなは待っていられるし、わたしは、わたしがもらった言葉、「だらっとのんびり歩いたり止まったりしながら」行けば、いいのを安心して、信じている。 ==== 水鏡の神山さんのお名前を間違えて敬を圭と表記してしまいました。申し訳ありませんでした。訂正させていただきました。ううう、片眉そぎ落として山へ修行に行きます。とほほ・・早くも、不備な点が。まだまだ、見直さなければ。 3月24日 神にな〜る〜、神にな〜る〜、わたしわっ!ううう、子鬼さんに一足さきに昇天されてしまった。 め、目玉が、目玉がぁっ・・・。 過去味わって、好き嫌いのないわたしが、唯一、喉に落ちなかったたべものは「亀ゼリー」だったが、見て一番すごかったのは、ブタの顔だけってやつかなあ。「蠅の王」みたいに文学的な比喩じゃなくてよ(直接の言葉の意味は新月掲示板で皆さんおなじみの検索すればヒットしますね。もっと深い意味を知りたい人は、根気を出して読んでみよう。ウィリアム・ゴールディング ノーベル賞受賞作品「蠅の王」。一言でいうと、裏「15少年漂流記」って内容ですね)。
それはね〜、そのまんま。ブタさんの顔の丸焼き。 ==== お・終わった〜!!今終わった〜。何がというと、「SNOWパーティレポート」!後は、最終的な誤字・脱字をチェックして、明日の朝上げる。 なんで、今晩読ませないんだよっ、と、いたたたた、ぶたないで〜っ。 明日あげるって決めたんだもん(大安だし)。自分で決めたことを守らなければいけないって、平太郎じいさんの遺言を守らなければいけないんだもーん。 それに、新月始めた頃から、新月初めは朝なんだもーん。 と、言うわけで、みんな明日を楽しみにしていてね。読んでね。いま、かなり・・・嬉しいです。 3月20日 保健所に閉鎖される可能性のある掲示板。よもや新月掲示板がそのような運命を辿ろうとは、誰が予想しただろうか。 しかし、人間、生きている限り、人智を超える出来事には何度か遭遇することもあろうが、これもその事例のひとつ、そして、試練のひとつに違いあるまい(大泣)。
長くなるので、こっちに書いておこ。サイト確認したら、返事書くのがめんどうくさいので、リンクもネタも出典がはっきりしてれば連絡不要とあるので、ネタにしよう。
さらに、この食べ物?の写真もさることながら、この食べもの?を調理し、食すという「恐怖」のレポートをぐいぐいと読ませてしまう、この方の文章の力、にわたしは猛烈に感動しているっ。
あらゆる手段を用いた結果、この方は「食べ物とは認めん」とおっしゃっている。万策尽きての結論である。食べ物ではないのだ。
じゃあそんな事を言ってるころんたお前がまず食えよとおっしゃるでしょうが、管理人として、そうしたいのはやまやまなれど、残念ながら、ころんたの死んだ平太郎じいさんの、「ポンテギだけは生涯食してはならぬ」という遺言を守らねばならぬ。なにせ、頑固者で有名だったじいさんの遺言を破ったら、どんな災いがふりかかるかもしれん。その災禍は、新月掲示板を読んでいるすべての者にも及ぶであろう。そのうえ、最近、なぜか突然虚弱体質になってしまっておかゆくらいしか食えんのだ、ごほごほ。
・・・って・・・、これで難易度中かよ〜。こ、これからどうなる?(泣)
3月18日 最近の新月掲示板は、地球上に存在はするが、まだわたしたちが未知なるものを検索して、己の目で直接確認する事が、流行っている。実に新月的でよろしい。ほんとか〜(大泣)。 ==== 昨日書いた日記は、きれいごとだ。ヨソ行きだった。
SNOWパーティレポートは9分どおりやっと書き上げ、これが自分で言っていた作業の最後になる。
今回は、何もない状態から花本さんと相談をしながら、作り上げていた一昨年と違って、新しい部分は2つのファイルだけで、「このサイトについて」内の事実の確認は除いて、全部ひとりぼっちの作業だった。 でも・・・一昨年の頃みたいのがいいな。思いのたけを新月日記に書いて、その合間に、花本さんから送られてきた原稿や、アイディアをどんどんもらって、ページを増やしていったり、整理したり、これからの新月の事を教えてもらって、わくわく、どきどき、しながら、ついに新月のページをWEB上にアップした時の嬉しさ、達成感は、なんともいえない悦びだった。それで、このページは殆どまだ、わたしだけのものだった。
・・・わたしは何を言ってるのだろう。何を言っているのか。新月はテキストじゃない。バンドだ。
でも、やだ。自分だけのものが良かった。
現実に、いよいよ録音に入るというニュースが花本さんからあり、こうして、新月が新月になって戻ってくるという願いがどんどん叶うというのに、なのに、新月が、どんどんどんどん現実になっていけばいくほど、不安で不安でたまらなくなってくる。
何言ってるのかな。何を言ってるのだろう。
先日、知人のサイトへ遊びに行ったら、心理テストが紹介されていた。
その答えは
ハワイにひまわりか。
可憐やヨーロッパはともかく、たそがれや野に咲くのもわたしに違いないのだが、素晴らしい想像が、思いが、現実に変るパワー。
そうだった。今年は新●月年。
3月17日 ファイル整備中です。 ==== 何度も書いてるけれど、新月コーナーを作った当初から、当然サイトが大きくなるのは予想していたし、いつかは、個人サイトと切り離す時が来ると思っていた。 すでに、このサイトは個人が運営しているファンサイトとはいえ、完全に公的なもの、とっくにわたしだけのものではなくなっているのも重々承知だ。 でも、大きく新月特化のサイトとして、より公的な存在に押し上げた分、自分の存在が少しづつ、浮き上がってくる感も否めない。なんとも、座り心地が悪いのは、今、自分がいるべき位置にいないからだろう。
さて、今やっているのは「作業」である。公的な新月ファンサイトを整備するための「作業」。
でも、サイトが大きくなって、怖い、と感じる時もたま〜にあるけれど、こればかりは、役得と主張してしまうが、原稿を最初に読める幸運や、そして、メンバーの言葉のご褒美(片手で数えるほどしかない)があるから、新月というバンドの、こんなに、幸せな1ファンはいない(えっへん)という自負と、同じファンの皆さんがかけてくださる心に沁みる励ましが、わたしがこのサイトを運営して行く事ができる大きなエネルギーになっている。 それにしても、しばし指摘される常軌を逸した?わたしの性格「思い込みの強さ」だが、思い込みが強くなければ、ここまでやってこられるか〜。 そして、ここがこのサイトになるまでの大きなきっかけになった、初めて花本さんからいただいたメール(誰にも教えない〜)と、昨年暮れ、SNOWパーティ会場で、花本さんが皆さんに、わたしの文が、新月を動かす力のひとつになったと言ってくださった、こんな最大級の言葉のご褒美をもらったので、これをとにかく信じて、これからずっとずっと、わたしはサイトを続けて行けるはずだ。
ライブアルバムは出たけれど、まだ、新月が本当に活動している姿はまだ全く見ていない。 全然関係ないが、「百年の孤独」という名の焼酎があるそうだ。わたしは焼酎は殆ど飲んだことはないのだが、ご存知ガルシア・マルケスの著書からとったこの名の焼酎、時と場合によってはこっぱずかしそうだが、今(あ、今は朝だ、夜になったら)ちょっと飲んでみたい気分。 ==== あらためて、トップを見て、新月だけになって、すっきりして、ほれぼれする。 左上の広告バナーは、見苦しいですが6月のサイトの更新時に一緒に取り払いますので、それまでガマンしてください〜。 本日、やっとパーティレポートざっくり書き終わりました。後は多少の加筆訂正を加えて、今月中にアップします。もう少し、お待ちくださいね。 3月16日 ファイルまだへん。精度あげねば。 掲示板、わーいわーい、「はしやすめ」と和田さんだ〜〜っ!! ・・・う・う・う。これで、難易度「低」なわけね。 しかし、ころんたの自作自演で痛めつけられた人々のココロの癒し・・・になるであろーか?ころんたは再起不能です。当分更新できないかもしれません。因果応報。 しかし、自分で過去ログ集作っておいたなんだが、自分がコメツキバッタみたいに謝っているスレも、記録に残さなければならないのか・・・。過去ログ集作りながら、さすがに泥酔して書いているとこなど、管理人特権で削除したろかと、何度マウスに手がかかったことか。 し、しかし、事実をねじまげてはいかんのである。えらいっ!←じぶん。 3月15日 見直すと、まだファイルに不備な点があり、この日記の戻り先が旧新月のトップページになっていました、すみません。 頭でいろいろ、最終的にサイトを形として整えるため、考えているので、3月いっぱいまでは、「思い」は書けないかも。 でも、掲示板見ると、みんながニュースを受けて「思い」を書いてくれてるので、嬉しい。 ところで、「自首」。 あ、あの自作自演がウけたら、ほとぼりさめた頃、第二弾自作自演をするつもりだったのだった・・・きゃあああ。ぶたないでっ!! 3月14日 猛反省してますっ!!!! 皆さんごめんなさい!!! ううう。謹慎しなけらばならんのだが、しかし、謹慎してる間はないのだ。 昨日確かに再開はしたが、積み残しがある。 12月17日のSNOWパーティレポートが、まだ写真だけで、レポートが全然できていない。 サイト再開と同時にレポートもアップしたかったのだが、間に合わなかった。 とにかく、レポートをなんとか3月中にアップすることで、ほんとの意味で、サイト再開になる。 しかし、1ヶ月足らずだけど、休みの日もひたすらパソコン一日やってて、3月中、と思うとどこへも出かける気がなくなるのも不思議。 ほんとにどこへも行かず・・・しかし太る太る。 3月13日 リニューアル記念はやっぱりこれだっ! 招き猫かわいい〜。耳無し芳一こわすぎ〜。 ====
というわけで、今日から個人サイトの中にある新月ファンコーナーではなく、個人が運営する「新月」が公認する「ファンサイト」になった。
これから、新月で検索して最近来た人、これから来た人が初めて訪れてきても、わかりやすい、サイトにするのが一番の目的。 「過去ログ集」に関しては書き込みはコピー&ペーストで、他はぜんぶ手打ちだったので、これがちょっと作業だった。他になにかやり方かあるのかもしれないが、これからはちょっとづつやっていけばいいので、この形で掲載していこう。 一番大事な「このサイトについて」はアップ直前まで何度も書き直した。一番大事だが、初めて来た人が、一度読めば、次の更新までは、読むことはないので、一番下に配置してある。 新月と直接関係ない、本来個人サイトの方におくべきものころんたの個人的な日記、新月以外の書込みが出来る掲示板をこのサイトに置いてあるのは、2つのサイトの管理が出来ないのが最大の理由だが、こういう、ころんたという個人が運営しているサイトであるので、これはご容赦ください。 いままで、新月コーナーだけを、お気に入り、ブックマークに入れていた方には特に変化は感じないと思うが、今日の新月ニュースにあるように、(どうも元旦以来ニュースがなく、アヤシイと思っていたら、やっぱり大山曜さんが言われていたように、『新月は腰が重かった』のだ。もおおおおぉっ!)いよいよ、録音が始まるようで、ついに、新月がバンドとして再活動する今、個人サイトから新月コーナーを切り離したのは、わたし自身にとっては、とても意義のあることだ。
「このサイトについて」で書いたように、新月特化のサイトとして、でも、今までと、まったく変らない新月について綴っていくサイト。
わたしのものであり、新月のものであり、みんなのものであると思うが、どうかな。 3月11日 げっ。ま、ま、まさかと思うが、ころんたの自作自演をみんな本気で誰かとケンカが始まったって思ってるわけじゃ・・ないよ・・ね。 ひっこみがつかなくなっちまったぞ。 みんな大笑いすると思ったんだがな・・・。ま、いっか(いいのか)。
しかし、そろそろ、再開の時だ。思ったより、早く再開できそうだ。
最終的なチェックに入る。 3月9日 と、とりあえず、新月掲示板の過去ログ集だけ、直近まで出来たぞ〜!後は「このサイトについて」を精査して、サイト総とっかえ。 みんながこれを読む頃は「新月公認サイト〜新月」として、独立している。
壊れたのはちょっとショックだったけど、本当にネットに依存してた自分をいったんリセットする、いい機会だった。 以前から、すでに日記以外は、全く更新されない自分のサイト内の個人部分が重たく感じ、今後BOXやソロアルバム制作に関して新月情報を求めてのアクセス数が増えるであろうこと、それが新月で検索してきた、初めて来た人には実にわかりにくいつくりになっていること、決定的なのはすでにサーバーの容量がパンク寸前だとその直前に気づいたことで、大容量のサーバーを借りなおそうかと、水鏡の阿南さんより、サーバー情報(感謝)をいただいたり、同じサーバーで乗り換えるか(でもURLが変るのがまためんどー)などと考えていたが、この機会に、個人サイトのコーナーのひとつである「新月」をサイトとして独立させようと、おやすみ期間中決心したのであーる。
新月掲示板にも書いたけど、パソコン壊れてる間は、不思議なことに日記をまったく書く気がしなかった。さらに不思議なのは、新月も聞かなかった。というか、音楽を全然聞かなかった。とにかく、どうしようかとひたすら考えていた。 今こうして読み返してみると、「まずは更新」とそちらにばかりに集中して余裕のないあまり、掲示板のレスがかなり遅れたり、きちんと答えていなかったり、素っ気無かったりで、せっかく来てくださった人たちに、かなり申し訳ないことをしていたと思う。すみません。 ともあれ、「このサイトについて」で書いたように、新月が新月として再び活動を始めたように、6年近くころんたの個人サイトに封じ込めていた新月を、独立したサイトとして、アップする事を決めて、ほっとしている自分と、本当の意味でこれからがスタートなんだなと、ほっとしている間はないんだなと、いう事を実感している。
ネットができないからといって、手をこまねいているころんたではなかっただ。わはははは!再開したら見て驚け(って、新月コーナーだけお気に入りに入れてる人はほとんど何の変化も感じないか)。 2月18日 い、いや、いらないっ。な、何いってんだ。新月史やLIVE&RECORDSがあるんだからっ。 最近は「自分」が削れてしまったみたいに感じてた。タイムマシーンがあったなら、26年前ではなくて、ほんの直近に戻りたいと思ってた。 これは私らしくない。過去の歴史を、検証する必要は絶対あるが、戻る事などはない。絶対無い。 今日は、新月を聞きたくない、となぜか思う日だったのだが。ちくしょう。「鬼」聞いちゃったぜ。 2月17日 今日思ったけど〜、新月年譜とか活動履歴とか一表でいるよね〜。わけわかんないもんな〜。あ、でも思いつかなかったことにしよ。ころんたもメシ食うし酒も飲むわい。ひっく。 2月16日 10時まで寝てた。珍しいことだ。午前中洗濯やらばたばたして、午後から・・・てもう14時だが、新月聞き続けるぞ〜。 でね、あのねえ、いまさらだけど・・・新月って、すごいよね! わたしも、ナマモノだから仕方ないけど、いたみかけたり、弱ったり。でもそれで、ちょっと、たちどまるのはいいけど、後ろに戻ったりしゃがみこむのは、時間が勿体ない。 わたしには時間がない。100歳までは生きられるかも知れなけど(生きるつもりなのね)、200歳までは生きられないからね。「人間じゃないもの」として生きることができるかもしれないが、いずれにしろ、うしろに戻っていては時間が勿体ない。
「Live1979」「光るさざなみ」「科学の夜」「新月」「赤い目の鏡」 2月14日 さすがに、暴走しすぎ(させすぎ)なので、流れをいったん変える。でも掲示板が盛り上がるのは楽しい。 このコーナーができる以前、まだ新月の話題が、ウェブ上であまりなくて、かなり大きなプログレサイトに、物凄い勇気だして新月の話題を書き込みした事がある。
数人の方がレスをつけてくださり、しかしいずれの方も年齢的に新月をリアルタイムではご存じないが、なつかしい、と言うコメントをいただいた。しかしその中に、北山さんが飛び入りで「鬼」を歌ったライブを見た事がある、という方が居て心底驚いた。
また、別の掲示板に書き込んで(結構勇気だしていろいろ情報を得ようとしていたんだよね〜、当時)いただいたレスでは、屋根裏で新月を何度か見たという方がおり、屋根裏の前は良く通りかかっていたのに、一度も入る事がなく、反省はしても後悔はしないがモットーだが、本当に悔やまれる。
でも、過去に帰るだけがタイムマシーンじゃないね。新月ファンはそれを去年から、じわじわ実感してるよね。
2月13日 わははははっは。新月掲示板、おもしれ〜。この際、やれ、やれぇ〜。 でも、メンバーが掲示板に書込みするのはごく自然なことで、良い流れだと思う。しかし、このようなネタで盛り上がるとは、さすが新月(ほんまかいな)。 掲示板、つい、新月ネタよりレスが長くなってしまうのは、なぜかしらっ。な、なんか、カウンターの廻り方もいつもより余計にまわってるような・・・。 わたしは、アナログの昔から、アルバムの帯はすぐ全部とってしまうのだ(ころんた日記の1月に載せた「新月/新月」の帯は写真撮るために、わざわざ被せたの)が、殺意パート3と帯に乗ってるとの水鏡の阿南さんより指摘あり。へ?ほんと?と・・・さがしてみたら・・・あった!「科学の夜」の帯、おまけに曲名が「殺意の船出ーパートV」になってる。ライナーの方は合っているのに。へ〜。おもしろい。回帰がパートT、Uだからその流れで、Vになっちゃったんだろうね。なんか、卵割ったら黄身が2つ入ってたみたいに得した気持ち。 流れで「科学の夜」を聞く。セレナーデ&新月。ふふ。 それから、新月●ライブを聞く。幸せ。 そして、「白唇」で果てない流れ・・・と歌われてしまったら、・・・なにもいらない。 2月11日 「唐招提寺展」に行く。結局、鑑真像と、廬舎那仏と四天王の像だけを見たのだが、寺院に安置されている時は「拝む」対象である仏像が、博物館に展示されたとたん、「鑑賞物」になる。 「小さな」あの鑑真像を一瞬だが一番前で鑑賞する事が出来て、感無量。 唐招提寺の廬舎那仏をこんな間近で、フトコロに抱かれるように下から見る事など出来ないので、じっくり、じっくりいつまでも眺める。仏像の半眼と目が合うと、思わず「ごめんなさい」と言ってしまいたくなるような、常に見透かされているような気持ちになるのが、実に心地よい。 金箔の後がまだまだ残る美しさと、お釈迦様の半眼といつまでも向き合う幸福感に酔いながら、あの螺髪(らほつ。パンチパーマの部分ね)に触りたい、などとむらむらと不埒なことを考えながら眺めていると、ふと、ころんたある事に気づいてしまった。 こ、こ、これはっ。 お釈迦さまのおつむりに、規則正しく埋め込まれているこの螺髪、こ、これは、まさしくいま新月掲示板で花本さんが津田さんに「帰国早々だしやがった」飛び道具といわれている「規則正しい集合体」ではないか! さ、さらに、お釈迦様の肉髻(にっけい。おしゃかさまの頭頂部の盛り上がった部分ね)、思うに、もしもお釈迦様のおつむりを真上から見たならば、これは頭という輪の中にさらに肉髻の部分の輪が正しく同心円を描き、その中にびっしりと埋め込まれた螺髪は曲線上に規則的に配置された小さな円形! おそるべし、新月。お釈迦様のお姿さえ、鑑賞する角度を変えさせてしまうとわっ。 ・・・何がおそるべしだっ。どうしてくれるんだあああっ。 2月10日 昼間、携帯で掲示板チェックして花本さんがついにじきじき登場したのに仰天! 花本さんの書込みを見たら、2月7日の日記で「パターン半島」と書いてしまいましたが、正しくは「バターン」ですね、すみません。 掲示板の記事はいずれ消えてしまうので、ここに掲示板の記事をそのまま書き写します。 過去ログはすべて取ってあるので、昨年、津田さんが「LIVE1979」に関して書いてくださった記事や、和田さんの記事も、OHTERSにまとめる予定です(いつになるのだろう。宿題多し)。 「フィリピンロケから帰ってきました。場所はバターン(パターンではない)とインファンタ。前者は日本軍がマラリアにかかった捕虜たち12万人を歩いて移動させその後のひどい捕虜生活もあって生き残った人がたった550人だったという「バターン死の行進」のゼロポイント。後者は昨年の12月の大洪水で町のすべてが流されたのにも係わらず、直後におきたスマトラ沖地震だけが世界のメディアで大々的に報じられ、支援の手がほとんど届いていない「忘れられた被災地」。フィリピンは今回初めていきましたが、みんなの暖かい笑顔が特に印象にのこりました。田舎に点在する豪邸はジャパゆきさんの家族の家だとのこと。料理は鶏と豚が特にうまし。残念ながらエビは一尾も食べませんでした。」
2月7日にわたしが書いたのは、バターンの事件をわたしは知らなかったが、花本さんのフィリピンロケの話をお聞きして、伯父の沈黙の連想から、書きたかった事だった。
過去の史実として残るバターンと、直近の被害であるのにも関わらず、スマトラ沖地震の影に支援の手が届かない忘れされた被災地インファンタのことも、共に60年の年月の隔たりがあり、人災と天災の違いはあるが、どちらもわたしは知らなかった。 わたしたちが知らない事、は世の中にたくさんある。むろん、史実、ひとつ、ひとつを知ることは難しい。インファンタのことすら、これもほんの2ヶ月前の直近の史実なのに、わたしは、知らなかった。
くるりと丸い地球は、たった一つの星に過ぎない。この星の表面で表面で、過去からこの今にかけて、辛い悲惨なことが起こっている。運良くいまたまたまそんな目に遭わない自分だけど、この表面を構成するひとり、ひとりが持っている宇宙は無限、歴史は無限だが、なんと人とはちっぽけなものだろう。 2月9日 新月掲示板に津田さんだ〜っ! そ、そうかっ、海ではなくて、呑みこまれる方に問題があったのかっ。花本さんの、いない間に津田さん秘密暴露で、世の中えてしてその場にいない人間のことがサカナになるものだ。おそるべし、欠席裁判。 それにしても、25年前のセッティングや音が再現されたって!「殺意」も録音出来るって!! 一日幸せにすごす。 2月8日 「不意の旅立ち」。これは花本さんが当時、肺のまわりに穴が開く病気で尾道で入院中、メンバーに「、ヒマなんだから曲くらい書いて来い」と、言われて書いたもの。(水鏡の柳川さんにいただいたマーキーのインタビューより。感謝) この曲のスケールから、太平洋の大海原、を連想してしまうのだが、花本さんが尾道で書いたということは、この海は瀬戸内海なのだろうか。海は荒れ狂うわけでなく、穏やかにいつもどおりさざなみをたてていただけなのに、タケシを呑みこまざるをなかった運命の暗転の不思議が余計に感じられる。 2月7日 花本さんの現在のロケ地はフィリピン。 詳細をお聞きしてはいないのだが、第二次世界大戦中、第二のパールハーバーと言われている事件で、日本軍が10万人の捕虜の人たちを徒歩で行進させ、何万ものマラリアにかかった人たちが次々と亡くなり、生き残った人たちはわずかだったという取材との事で「パターン半島死の行進」の足跡のロケと思われるのだが、いい加減な事は書けないので、これは、いずれ確認させていただいた上で、間違っていたら、この部分を訂正します。
わたしの両親やその兄弟は、年齢的には、戦争には召集されておらず、従って、戦地には行っていない。
唯一父の長姉のつれあいである伯父が、戦地に行っている。
しかし、この酒を飲めず、甘いものが好きで温和でにこにこしている伯父が、親戚が集まる席で、なんとなく流れが戦争時代のことに及ぶと、たちまちその顔が曇り、苦々しく吐き捨てるような言葉を口にする。そして絶対に語ってはくれない。 従って、伯父から聞いた話ではないが、別の人から、パターン半島の事件とは違うが、赤痢にかかった人たちを同じ列車に載せて輸送する途中、赤痢の蔓延を抑えるために、だまして、置き去りにして、帰国した、という話を聞いたことがある。
伯父も、そんな人たちのしかばね、人柱を乗り越えて、生きて帰ってきたのかもしれない。
戦争は一人一人が、戦争反対の意識を持てば、絶対に起らない。これは誰でもわかりきっている事だ。 2月6日 さぼりたくてさぼっていたわけではないっ。新月日記、日記書けないとストレスがたまるが、時間なかったっ。てか、時間はあるのだ、酔っ払ってるんだから。でも、最近、酔っ払うとすぐ寝てしまうので、当然、日記を書く時間も減るわけなのだった。だったら飲むな、と言われても、困る。 花本さん現在海外ロケ中なので、当分ニュースないから、プレゼント〜。てか、花本さんも、ご自分でも見られないわけね〜。この中ではうりうりが好きっ。あっ、そうかっ、鬼の花本が居ない間に、好きなこと書いちゃえっ。
==== 「前世」を調べてもらう。 戦国時代、海外との交易が盛んな南の港町に生まれ、酒好きで、旅好きで冒険心旺盛で権力家族に縛られるのが大嫌いで、明日のことは考えずに今日のことだけ思い切り楽しむ楽天的な性格で、団体行動がキライで、同じところにじっとしていられず、大きな夢ばかり抱いて世間からは評価されず、酒好きなのは「トリップ」したいからで、お金を貯めることも出来ず、計画性なく、お寺が好きで、自分でなんか書くのが好きで、でも世には出られず、恋愛はプラトニックラブで初恋の相手を生涯愛し続け、よく言えばウブ、悪く言えば発育不足でいつまでも相手が綺麗なままでいて欲しいと望むあまりに現実な恋愛が成就せずヒサンな結果悲嘆の果てに死んだ10代の独身男性。
ほ、ほとんどころんただ。そ、そうか、だから「ころん太」などと男と間違えられるハンドルネームをつけてしまったのか。
当たりすぎるほど当たりすぎている。
だから、新月の最初のページを書いたんだ。
・・・しかし、最後のヒサンな末路がすこーし気になるが・・・これだけは間違いだろうっ。
==== 2月1日 「Live1979」をちょっといつもと違う聞き方をしてみる。見てないライブなので、封入されていた写真や、かつての記事から、ステージのビジュアル面を想像してみる。 裏ジャケの写真に見える三面マルチスクリーンにはどんな映像が映し出されたのかな。 これだけは、自分の記憶にもあるオープニングの「鬼」の北山さんの白装束、 「どうもこんばんは、え〜新月です」花本さんは笑顔だよね、たぶん。「白唇」での、「夜明けのカケラよ」の後の大好きな煌き音の時、照明効果はどんなだったのかな。 「雨上がりの昼下がり」では、北山さんが、かついできたベンチがどんな風な使われ方をしたのだろう。このCDに収録されてはいないけれど、「不意の旅立ち」でタケシの鞄を使っての北山さんのパフォーマンスは、「科学の夜」の複数の登場人物たちがどう演じ分けられたのかな、と想像すると楽しい。 津田さんがボーカルをとっておられる「赤い目の鏡」は、通常のライブでは、鬼装束へのお色直しのため、不動のカップリングだったと「全曲目解説」に書かれている(わたしは、吉祥寺シルバーエレファントで、北山さんが津田さんのモノマネをして「いま、はなそう〜」と、ほんの1フレーズだけ北山さんが歌った赤目を聞いているのだ、ふふん)。
このライブでは「赤い目の鏡」〜「殺意への船出partU」なので、津田さんが歌う間に北山さんが、いつもなら鬼装束へ着替えるかわりに、金銀マントをはおり、豆電球のついた帽子?の衣裳を身にまとって、「殺意」への準備(と書くとへんな感じ)してらしたんだな〜と想像すると、臨場感が増す。このアルバム「赤い目の鏡」でも「Live1979」でも、このメドレーを聞くといつも、しょんぼり遠くに去っていって、やがて地平線の向こうへ点になってそれから見えなくなっていく、かわいそうなヤギの旅が、そのままお空へと続いて、そして、ふわりと浮き上がって、これから無限の宇宙への旅へと一気にワープするような錯覚がある。 そして「せめて今宵は」。ラストの曲だ。なんて美しい曲なんだろう。これで、ライブが終わってしまう。見たこともないステージなのに、この場に居たオーディエンスの気分になる。
先日、掲示板に、2年間の活動中、わずか3回しか行われなかったセレナーデのライブ(新月史参照)をご覧になった幸運な方の書き込みがあったが(心底うらやましい)、未だに芝ABCのライブを見た!という方は現れない。ほんの一瞬の記憶の断片でも、教えていただきたいと、切に思う。
==== サイトを一時閉じて、再開した時には、何度も書いているが、花本さんとのメールのやりとりを始めたのが、新月コーナーを立ち上げたきっかけだが、当然産声をあげたコーナーゆえ、「読み手」の事などまったく考えておらず、むしろ、わたしという個人の「新月」への返し歌としての、今度は逆に、個人的な日記のつもりだったと思う。 昨年あたりから、読んでくださる方がいるということを意識し(なにせこれまで、日記を読んでいる、というメールも書込みもいただいた事はなかったので、来ても誰も読んでいないのだろうな〜と思っていたのです。しかし、これまた、読まれていると意識しすぎるとまた、技巧に走る。)て書いているのが新月日記だ。 新月日記を読んでくださる方の中にわたしの日記を読んで下さっている方もいらっしゃるかと思うが、以前はコンテンツ外に置いて、完全に「はけ口」に使っていた。読み手はまったく意識してない、と言い切り、書きなぐっていたのでそれはそれで許された。
しかし、昨年からコンテンツ上に「日記」を置いた。日常生活の垂れ流しではなくて、読み手を意識しようと、思ったからだ。
先日花本さんに「僕は最近のころんたさんの日記は読みません。読む人の事を全く考えずに書かれているので、読みに来た人がわからない文ですから。」というような意味の指摘を受けた。 しかし、とある料理人の方の素晴らしいお料理をいただき、料理という一瞬、一瞬の芸術をその都度完成させる思いのお話を聞く機会があり、そこで、「一期一会」という言葉を思い出し、自分を恥じた。 個人のサイトではあるけれど、ひとつのサイトを持ち、管理人の看板しょっているのだ。 どんなジャンルの、プロであろうが、アマであろうが、少なくとも、ここで、看板しょってるところへ、こんな拙い文でも、これもわたしの「表現」であり、これを読みに来てくださる方がいるのだ。
なのに、書き手が読み手に読ませようとして書いてない文を、花本さんが、読む価値なしと、感じられたのは当たり前だ。
このサイトは、一生続けるつもりです。
むろん、今後もわたしのスタイルも文体も変えるつもりは全くありませんが、一層精進していく所存です。 1月31日 もう、1月が終わるというのに、SNOWパーティのレポートはいつまとめられるかわかりませんっ、すみませんっ(ほんとに来られなかった皆さんすみません)。いずれ、必ずレポートはいたしますっ。 ファンサイトのくせに、日記には書き散らしているのに、『LIve&Records』のころんたコーナーに、「Live1979」のレビューも、「動物界之智嚢」「文学バンド」のCD盤レビューも載せてませんっ。載せてないどころか、書いてませんっ。すみません。最近、公私共にミスやら自分のカンチガイでやたら謝る事が多いので、もう、頭ならいくらでも下げますっ(おいっ、誠意はどうした?)。
ライブ部分の雰囲気は、写真レポートで感じ取っていただくとして、そして、文学バンドメンバー新月メンバーのメッセージは出来る限り正確に再現いたしますので、これを待っていただくことにいたします。 ====
わたしを含めて、皆さんなかなか立ち去りがたく、また、いくつかのグループになって、ファン同士、話が盛り上がっていた。
hirohiroさんはわたしを男性と思っていたそうで(良くあることだが(^^;)、まさかわたしが「ころんた」とは思ってなかったそうな。
翡翠さんはすでにご自分のサイトで「新月語り」のコーナーで新月への思いを綴っておられるが、ここで、なんと、子鬼さんが「新月サイト」たちあげの宣言をされて、ころんた大喜び。
なにしろ新月が解散して何年も経ってから生まれた若い世代の新月への思い、そしてご自分でもギターを弾いている方が作る「新月」サイトなのだから、これを楽しみにしないわけがない。
「水鏡」はメンバーのうち4人が新月ファンであり、パーティ前にライブを見に行ったこともあり、お会いしたのは2度目。
「新月」は「新月」だが、「美狂乱」はやはりクリムゾンフォロワーをつい感じて嬉しいため、「水鏡」は、随所に散らばる「新月」へのオマージュが耳に心地よいためである。
いや、歌詞(個人的には「篁」の歌詞が好き)すべてが擬古文で書かれているほど「和」への徹底したこだわりがあるバンドなので、むしろ「新月」との相聞歌、「新月」への返し歌、と表現すべきか。
新月ファンで構成されているバンド「水鏡」と、リアルタイムで新月を知らない世代の新月ファンの方たちと、「新月」の話を出来る幸せ、思えば、WEB上以外で新月のファンの方たちと実際に話が出来たのは初めてのことだった。 1月27日 26年間。本当に何回何百回もしかしたら単位は千かもしれないくらい、新月の曲を聞いたのだろう。飽きることなど、無い。座談会のファイルからの連想で、Q&Aを読み返してみると、「和へのこだわり」へのころんたの質問があって、それに対し、花本さんは、「オリジナリティへのこだわりはあっても、和へのこだわりはなかった」と発言されている。 ここだ。唯一無比の「新月」が在り、「新月」であること。 わたしの選択肢は、何と比べて何が良い、という知的な比較が出来いので、好きか嫌いかという動物的な本能だけで音楽に限らず、すべての価値判断基準がそれである。 新月の音という他に無い比類ない音ゆえに、飽きるわけがないのだ。 1月25日 やたっ!高津さんからの「セレナーデ加入」が届く!「連載」を信じていなかったわけではなかったけど(ほんとですよ〜)お待ちしておりました。 高津さんの明るい筆致が何より嬉しい。そして「新月」以前(この表現は高津さんの本意ではないか)のメンバーの印象や当時の様子が、そしてその時高津さんが確信した「日本一のバンド」が、目の前に浮かび、これから始まる素晴らしいことに、期待が高まる。これから始まることに。 1月24日 ああ、少し違うかもしれない。花本さんのキャプションでは、まだ「少しづつ・・」なのだから、やはり北山さんのMCはセカンドアルバムへ向けての準備をしていると、とるべきで、みんなの心が完全に新月から離れていったのは、まだ先の事だったのかもしれない。 いや、この時すでにロックウェルは倒産していたはずだから、「竹光る」の製作はすでに中断を余儀なくされていたのもかもしれない。憶測でしかないけれど、いずれにしろ、いままでと違う「新月」が方向性を求めて模索していた頃で、それが「第一期新月の総決算」という言葉の真の意味かもしれない。。 でも、でも、箱根ロックウェルスタジオで、録音されていたセカンドアルバムに入るべき、未発表音源の数々が、発表に向けて新月の中で動いていたにも関わらず、結局それは達成出来ずに、解散(やだなこの言葉)してしまったのだが、今年5月に(と、SNOWパーティで花本さんがはっきりとおっしゃった)発売になるBOXへ向けて、また25年経っての今、それが再現されようとしている。
面白いね。去年も25年ぶり、今年も25年ぶり。 1月23日 初詣に行く。毎年同じ神社に行くのだが、なぜかわたしは、正月の初めにこの神社に初詣に行くと、その年ろくな事がないので、だいたいこの時期に行くのだ。 お参りすませて、おみくじをひく。当たり前だが当然「大吉」。今年が大吉でなくてなんであろう(と、書いてるが、ひいたときは『わ、ほんとに大吉ひいたよっ』と少々驚いた)。まあ、昨年暮れにおみくじひいたら「凶」だったんで、あれは昨年の残りの日数を厄払いしてもらったようなものだね。 仏的にはお地蔵さんの日である今日ひいた「大吉」が、今年の新月の大きな動きを暗示してて、ころんたひときわ機嫌がよろしい。 機嫌がいいのはいいが、ちょっと日記をさぼってた。「ニュース」も今途絶えてるのは花本さんがお仕事で忙しいためだけど、おそらく間隙を縫ってBOX等へじわじわ準備は行われていると思うので、「せっかく来たのに読むところがないじゃないかっ」とお怒りの皆さん、『便りのないのは無事のしるし』という昔の人の正しい言葉を信じましょう。
25年、がこのサイトのキーワードのひとつだが、逆算すると25年前は1980年。
その事を思い出しながら「写真で綴る新月史」の中の、「ラフォーレ原宿」に書かれた花本さんのキャプション"こなれた演奏とは裏腹にお互いの心はすこしづつ離れていっていた"を読むと悲しくなる。
この時は知らなかったもんね。メンバーチェンジしたことも、それからいつとも知らないときに解散してしまったことも。
「白唇」の歌詞を今日は、そのまんま読めばいいよね。 1月16日 13日の日記は一行だけ手直し。最近の新月日記「固い」「地でいけ」との指摘あり。でもぉ、読み返してみるとそんなに変りはないと思うけどぉ。最近は酔っ払うと寝てしまうので、酔っ払って書かないからか?そうか?そういうもんか? === 明日は、阪神・淡路大震災から10年だ。この日のことは良く覚えている。能天気なわたしは、当時、2夜連続のライブに行き、ライブの興奮か、なんとなく早く目が醒めてしまい、テレビをつけたら、戦争が起こったのか?と思ってしまったくらいの、信じられない光景だった。 特集を見るのも辛いけれど、そんな事を言えるのは、まるで対岸の火事だと思っている、単なる視聴者の思い上がりだ。新月ファンの方の中に、被災された方がいらしゃるのもわたしは知っている。 10年はたったの10年で、でもとてつもなく長い10年で、わたしはテレビで見た特集でスポットを当てた姉妹のこの10年の姿に涙し、そして、その姿に感動し、でも、皆さんの誰もが傷は癒えたりしないという事を実感して、本当に辛かった。
映像で見るだけで辛い現状。ひりひりと、被災者の方たちの辛さ、でも、ひとつひとつを乗り越えて生きてこられた現実が伝わってくる。そして、花本さんは今頃、阪神・淡路大震災の取材というわたしたちに伝える側の、お仕事をされている。直接、被災者の方に向き合っている。辛い思いをされていると思う。
同じ日本の中越地震の爪あとは未だに豪雪に覆われながら深く深く残っている。オマエに何が出来るのかと言ったら、何も出来ない。わずかな寄付金を送るしかない。 戦争は人間の意志で起こるもの。しかし、災害は人智を超えたところで突然起こる。平面的な次元で人間同士で諍っている場合ではないのに。
これらの災害で亡くなられた方に、ただただ、ご冥福をお祈りいたします。 1月13日 掲示板のRESがはげしく遅れてしまった。 さすがに曲の返事となると、聞いてからでないと(何度も聞いているのにも関わらず)返事書けないので、ゆっくり聞いてからと思っていたので、こんなに遅れてしまった。 不意の旅立ちのドラマチックで壮大なスケールは、「鬼」「殺意」同様何度聞いても圧倒され、北山さんや皆さん同様「たたみかけるような」の表現しかない展開に息を呑み、平凡な日常から一気に、タケシがいつもと同様見上げていた筈の空が青いまま運命が一気にぐるっと暗転していく姿がひとつの劇を見るようだ。
それにしても、以前にも書いたが、新月は歌詞、曲共に全く難解ではない。 だから新月の歌詞を、わたしは「歌」と同音同意語の「詩」だといつも思う。 北山さん、津田さん、花本さんの詩の力が、やさしい言葉で、タケシの悲劇の世界へと、愛の歌だと油断していたら多元世界の裏側へと、囲炉裏端に座っていただけなのに自分の心の見えない部分へと、宇宙を時空を超える壮大な旅へと、いざなってくれる。 「詩」は「歌」だ。
今年が始まって2週間近くたつ。 1月11日 掲示板お返事遅れてすみません〜。でも、本当に、ボックスに向けて確実に動いているようです。ちらし、いいなあ。わたしも欲しい。 1月9日 北山さんの「HAL&セレナーデ」のちらしはプレゼントではなく、わたしがサイト用に一時預かっただけという事が判明。北山さんがサイトでどう使っても結構ですとおっしゃったので、もお、自分のもんだと思い込んでいた。そういえば、あの時、北山さんはあげるとは一言もおっしゃらなかったし、花本さんも「預かっててください」とだけおっしゃったけ。ありゃりゃ。 1月8日 高円寺北口庚申通り「喫茶プログレ」。初めて行ったけど、すごくいいお店だった。 店長さんが、わずか10年でコレクションしたというアルバムの数々に目を瞠る。 それにしても、新月の曲を、家以外で、店の中で聞きながらみんなでお酒を飲む。 すごく不思議な感じがした。そしてこの初体験は、とてもとてもとても嬉しかった。
『新月/新月』『赤い目の鏡』が店内に響く。かつてこんな事を体験したことはない。
1月7日 まだ新月の事をネットで殆どとりあげていなかった、わたしがネットを始めたころ、新月/新月の評を載せていたサイトがあった(どんなサイトであったかは失念)。 そして、その評は「貧乏くさい」。 思わず大笑いしてしまった。当然、新月には全く好意的ではなく、酷評・一言のもとにこのアルバムを切り捨ててしまっていたのだが、こんな表現があるのだなと関心(寒心)?した覚えがある。むしろ、まだ新月を碌ににとりあげたサイトはまだなく、また確か全くジャンル違いのサイトオーナーさんがなぜ新月を聞いたのか不明だが、良くも悪くも、新月を当時とりあげ、そう言わしめた新月の力をわたしはむしろ感じたのである。 ステーキの肉汁がしたたり香草が香りバターの焦げるにおいがあふれ毛皮にくるまりあるいは石で造ったものへぎらぎらと太陽が照りつけるようなものとは一切皆無な、一曲目の「鬼」にはじまる、全編通じて、ぱちぱちはぜる火の粉や表面的にさらりと心のうわべを撫でて通り過ぎてしまうような細さ浅さ、あるいはマグリットの光の帝国のような不思議だがなぜ不思議かわからない一見普通に見えてしまう世界や歌詞やメロディが、「貧乏くさい」という表現を使わせたとしたら、これは、まさにやはり新月的には成功だったのではないか、新月の力はすごいなと思ったのだ。 と、なぜか5、6年前のこのことを、ふと、思い出した。 1月3日 お年玉2連発!
1月2日 1月31日に書いた「25年目の新月」時間なくて慌てて書いたためと(もちろん文章力のなさのせいでもあるが)、まとまりなくて、なんだか読み返してつまらない。最後の3行だけでいいやと、そこだけ残して、全部削除してアップしなおそうかと思ったが、せっかく書いたし、もう一度、そのうち加筆訂正しよう。 昨年は、思いを、そして夢の垂れ流しだった。でも、今年は違う。本当に新月が現実になって戻ってきたから、後は、25年前同様、リアルタイムで、さまざまな世代のみんなと一緒に、今の新月を語って行こう。 すでに、ライブやBOXソロアルバムに向けて、花本さんが、新月が、確実に、着実に、動いている。 願いって、叶うんだね。 今日は『赤い目の鏡』と『新●月LIVE1979』を続けて聞く。
1999年に、ライブCDが出ている事すら知らず、たまたま行った新宿ディスクユニオンで、このCDを見て、新月の音源だと取り乱しながら購入し、貪るように聞いたこのアルバム。 1月1日 明けましておめでとうございます。今年は新月年ですね!はい、お年玉っ!!
しかし、いきなり年明けてニュース!すごい!元メンバーでその後マネージャーだった遠山さんの話題、それから、再録音の話題。しかし、ん?ライブ可能性50%・・・。いつもフェイントが入る新月。油断できない。高橋さんのスケジュールが、きちんと決まってライブが出来るように、みんなで祈りましょう! 新月は5人揃って新月だもん。 というわけで今年もよろしくお願いします!
「新月資料室」にアップしたちらしは、「SNOWパーティ」の時、北山さんがわたしにプレゼントしてくださったもの。なんと花本さんもお持ちではないそうで、ふっふふふ。
1976年という年、そして「HAL」と「セレナーデ」という、新月結成の母体となったこの2つのバンド名をFLYING・TEAPOTで見た時、思わず息を呑みました。
ここから新月が始まった、貴重な資料です。北山さんありがとうございました。
2004年7〜12月 2004年1〜6月 2003年の日記 HOME |