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12月31日 「このサイトについて」を補足、訂正してアップしました。 なんか、ビニールでぴっちり封されてると息が出来なくて、かわいそう。 お宝鑑定団に出すわけじゃあるまいし、売ることもないからね。 うんうん、これでいい。 新月掲示板との連動で、過去ログ知らない人にはちょっと分かりにくいところがあったりして、このあたりは申し訳ないです。 今年は花本さんが名づけた「プログレ元年」で、わたしが名づけた「新●月年」だったけど、来年は新●月ライブが行われる「プログレ二年」だね。 さらに、すごい年になりそう。 今年も書いたよ、「26年目の新●月」。毎年31日に書くの。何年まで続くかな? 今年もこれを書けた事が、嬉しくて仕方ない。 新●月がこれから本格的に再活動を行うことが、嬉しくて仕方ない。 それから、こうしてサイトを続けることができるのも、書き込みしてくださったり、メールをくださったりする皆さんのおかげです。 一人では、何もできない。 わたしに感謝と言って下さる皆さんの、言葉がなにより励みになりますが、わたしの方が皆さんに、感謝です。 今年も本当にお世話になりました。 そして、来年もよろしくお願いいたします。お世話に、なります! 12月30日 SERENADE。 昨日から、ずっと『青い青空』が頭の中に流れてる。北山さんの解説にあるように、最初、軽い小品か、とだまされながら聴いてると、あれあれあれ、と聴き込まされている。 曲名だけは聴いていて、素晴らしいとの事だったので、ずっとずっと、聴いてみたいと思っていた曲が、やっぱり素晴らしくて嬉しいと思った。 やはり、殺意。『殺意への船出パートT』。パートUへと続く壮大な物語に、そして、北山さんのシャウトに震えがくる。 以前、新月公認サイト1217の子鬼さんと、out of control時代の音源はないのかな?和田さんのプレイは聞けないのかな?などと話をしていたことがあって、その後、BOXの内容が発表されて、やはりないですね、などと話をしていたのだが、音源はないものの、『殺意への船出パートT』は、out of control時代にすでに作られていた、とあってずっと、ひとつのことが貫かれているのが嬉しい。 え"、と、一瞬たじろぎ、そ、そんなバカな、ころんた、約束破ったことと、ウソと坊主の髪はゆったことない(古)もん!!と思っただすが、こーゆー事を言うこと自体、うそついてるな〜。 しかし、花本さんの件(て、覚えがあるんかい)とは別に、実際、ファンの方に、年内にはやります、と、約束した事を果たせず、先日お詫びのメールをいれたばかりです。 そして、もうひとつ、年内にある程度整理する予定だった、「過去ログ集」なのですが、4月で止まってしまっています。 掲示板の書き込みをコピー&ペーストして、エディタに保存して、そのデータに、改行タグを打ち込んでいくという単純なものなのです。 ただ、保存だけはしていかないと、どんどん、古い書き込みは消えていってしまうので、必死にコピー&ペーストして、保存はしてあるのですが、すでに膨大なデータになってしまい、編集する作業に費する時間と集中力がなかったため、結局4月で作業が止まってしまっています。 花本さん、津田さん、out of controlの和田さんの書き込みを、最近来た皆さんも読みたいと思っておられると思いますが、もう少し待ってくださいね。すみません。 思い返して、先日もメンバーの皆さんの関係がとてもよい、事を目の当たりにしたと書いたと思います。 すでにお会いしたことのある花本さん、北山さん、津田さん以外の、他のメンバーの皆さん、とお会いして、皆さん、本当に優しくて、あと、写真でもわかるように、ブックレットにも書いてありましたが、小久保さんご本人の、あったかい雰囲気は、そのままで、しかし、このあたたかくてにこにこした小久保さんの曲が、「AMEBA」!! 同じくにこにこと明るくムードメーカーな鈴木さんが参加された(高橋さんが参加されていないのが残念!)この、挑戦的、攻撃的なかっこよさが全面に出ている曲に、わたしが大好きな花本さんの言葉、「表現とはみ出している部分である」を、お二人のお人柄に触れて、感じたのでした。ブックレットにも、普段は明るい鈴木さんも練習の時は鬼、とありましたね。 また、サイト内の、ロックウェルスタジオの写真のキャプションと、ブックレットにあるように「心労が一番」「わがままなメンバーに囲まれて疲労」していたであろう、高橋さんには、本当に細かく気遣いをしてくださり、恐縮しておりました。 花本さんが言われた、「新月は高橋くんの空気みたいなドラムが不可欠」と、どこかに書いたと思いますが、そんな気遣い、が、高橋さんの空気みたいなドラム、という表現につながっているのでは、と、僭越ながら感じました。 新月。新月なんだな。数日たって、実感なかったけど、新月、みんな、いました。 12月29日 でも、SERENADE盤、特に『殺意T』の北山さんのシャウトに、HAL同様、まるで違うどこかに行ききってしまってると感じる。 昨日は、朝ブックレット通勤中に読みふけっていたら、降りる駅に着いたの気づかず慌てて降りた。音も文も新月漬け。これ、危険かも。 HALの年齢が18歳〜19歳ということだけど、SERENADEもほぼ同世代。 この2つのバンドのカップリング盤、ほんとうにすごい。 いつもHALから始まって、SERENADEを聴く、という流れで、このDISC4を聴いてしまい、なんだかSERENADEをじっくり聴いてないような気がして、聴く。 回帰〜終末はすでにアルバム「科学の夜」で聞いたことがあるのでこの素晴らしさはすでに充分知っているけど、『ちぎれた鎖』『青い青空』で、ほっとするのは、なぜだろう。あのおまけの「プログレの逆襲」もそうだけど、自分も当時のメンバー達の年齢に戻って、ロック、という、嬉しい、楽しい、常に新鮮な「何か」をもたらしてくれる躍動感に浸れるからかもしれない。 うーん。来年のライブ二部構成になんないかな〜。高津さんにも来ていただいて、SERENADEの曲も演るとか(ファンの無責任な希望)。 HALは、無理か〜。 12月28日 それにしても、HAL。 ただ、「コスモスファクトリー」を聞きにきたお客さんは唖然・茫然として、最初拍手もなかったそうです。 ベースの桜井さんはこの時18歳!バンドに参加していた期間はわずか数ヶ月だそうで、こんな凄いバンドを当時ライブで見ることが出来たお客さんがうらやましいです。 HALのことを新月史の中で、セレナーデみたいに、練習中に「ポテチン」とかいってないんだろーなーと、花本さん書いていますが、あれ、これ書いていいのかな。おととい、セレナーデ馬のひひーん、なんて鳴き声までいれてふざけた時期があったそうで、なんか、びりびりした感じのHALとなんだか好対照? 余談ですが、飲食業プロデュースのお仕事をされている高橋さんが、スプーンを2枚片手で持って、みんなにチャーハンを取り分けてくださったのですが、その所作がかっこいいのなんの。やっぱ、新月はいろんな意味で、「美しい」です。 12月27日 ブックレットの花本さんの文を読むと「新月/新月」の時も、特に打ち上げはしなかった、と書いてある。 それから26年経って、ボックスセットが出来て、その打ち上げをすることになって、それにわたしが呼んでいただける事になると聴いて、驚くやら嬉しいやら緊張するやら。 ほんとに、直前まで心臓ばくばくで、おまけに花本さん指定の待ち合わせ場所がわからなくて泣きながら駅を一周まわってしまうし、やはり、ううう、そんなことは夢とかマボロシだったに違いない、などと半泣きになりながらも、待ち合わせ時間前になんとか、到着。 実は鈴木さんも、神崎夢現さんも、迷ってまったく同じ行動をされたそうで、ころんただけではなかったのね。 PHONOGENIXライブの時、ご挨拶できなかった鈴木さん、高橋さんとやっと、お会いできて、これで、新月メンバー全員とご挨拶出来て、少し遅れてこられた、小久保さんにも初めてお会いでき、そして最後に津田さんが見えて、わー、「新月/新月」のあのメンバーが一堂に会してる〜、とミーハーなわたしは単純に大喜びだったのでした。 感激! 緊張は皆さんにお会いした瞬間になぜか吹っ飛び、とにかく楽しくて楽しくて。 余談だが、津田さんとは、昨年のSNOWパーティの時に少し言葉を交わしたくらいで、今回がライブは別にして、2度目にお会いしたのだが、そんな気がしなかったのは、いつもmixiでお話してるからだと、ふと気づく。それに血液型おんなじBだし。関係ないか。 ブックレットで津田さんが、HALのところで書いておられる、「ラヴクラウド」(名前だけは可愛いねぇ・・。うう。)とか「アーサー・マッケン」とか、ころんた、なーーーんの知識もない、今後もおそらく読まないと思うのに(いや読めばさらにHALにシンパシィを感じるのだろうが・・・、かなあ?)、なぜかころんたのmixi日記がこの「異形」に覆い尽くされてしまっているの。ううう。 「でかい昆虫」とか「輪郭がぼやけた軟体動物」とかとどめの津田さんの「巨大半透明節足動物湿ってます、、」とか・・これがなんで新月・・・うううう。あ、この説明はまたいずれするね。いや、したくないかも。 「新月救いのないシリーズ」とか。あ、これも後日。み、みんな「新●月●全●史」を聞いて泣いてるんだからね〜。 は、話を戻さなくちゃ。あ、ちなみに、メンバーの血液型は、鈴木さん北山さんA型、高橋さん花本さんO型だそうな。血液型からの各メンバーについて分析してくださる方、ご連絡待ってます? 先日WDに予約していたボックスを取りに行った際、1994年の記事転載のお礼をマーキーのインタビューアーの中島さんに申し上げた時、「あの時から、まさか今、このようにBOXまで出来るとは、思ってもいませんでした。」と、お返事をいただいた事を津田さんにお伝えしました。 インタビューの場は、まさしく津田さんのフォノジェニックススタジオ。 しかし、「内容は覚えているのに、なぜか、絵、を覚えていない」とのことでした。文中お忙しい中、とあったけど、本当にご多忙の時期だったのでしょう。 新月ボックスの打ち上げだったのですが、あまり新月の話はなくて、むしろ和気藹々と、ひたすら音楽の話で、メンバーの関係がすごくいい感じで、それを目の当たりにさせていただいてうれしい。 北山さん高橋さん鈴木さんが、グループサウンズを話題にされていましたが、微妙にこの時期の年代差(子供時代って、ここで、わずか1、2歳の差なのに、小学生か中学生かで、かなり価値観が異なる)が、横でこっそり?聞いていて面白かったです。 そうそう、「新月資料室」の中にロックウェルスタジオの写真があって、ここから、スタジオの中に入ると、メンバーそれぞれの写真に、花本さんのキャプションがあって、それ、みんな読んだと思うけど、そこの鈴木さんの写真に、「彼は、みんなが録音に行き詰まった時、その明るい性格で、いつも和ませてくれていました。感謝。」とあったけど、本当に明るく、楽しいムードメーカーの方で、ああこれが鈴木さんなんだ、と嬉しかったです。 PHONOGENIXライブでの鈴木さんの演奏の素晴らしさや、当時の写真の鈴木さんのカッコよさや、アメリカ滞在中での体験談に盛り上がりました。 ここで新月ネタ! 高橋さんが、当時の事をとても良く覚えていらして、NHKに「新日本紀行」という番組があったのですが、この番組中流氷の映像が出てきて、ここで、『鬼』の歌が入る前までが流れたのをご覧になったそうです。 当時のNHKのスタッフが新月ファンだったのかな。テレビから流れる『鬼』聞きたかったですね。 そして、花本さんから、「なんとなく新月に決まった」と発表されているバンド名新月ですが、なぜ「新月」に決まったか、高橋さんから、真実がここで明かされたです。 「一筆箋」で、すでに発表されている、占い師の方が挙げたバンド名候補に「エンパイア」(ううう)、「ロック貴族」(ううう)、というのがあったのを読まれたと思いますが、さらにもうひとつ、候補があったらしいです。 そしてさらに「○○○の水溜り」(なんでこれが、バンド名候補なのか?そして、メンバー誰もこの○○○に入るナントカを思い出せないそうな)、そしてそしてっ、極めつけは「ブラック歯磨き」!! みな思い出しながら大爆笑。 「僕の歯を真っ白にしようとおもって歯磨いたら〜真っ黒になっちゃったよ〜♪」って 、こんな歌ならヒットしたかも。しないか。でも、案外いいかもと、その場では好評だったりして。 「ブラック歯磨き」の曲『鬼』。 誰が聞くんだろう。 つまりは、バンド名「新月」は恣意的に決まったのではなくて、これらの候補を並べた中に、「新月」があったわけで、結局、何が何でも花本さんがバンド名を「新月」にするという強い意志、があったわけですね(ってなんか、なにもこんなまわりくどい方法をとらなくても・・・「新月」でいいじゃん・・・)。 そして、重大発表(ここで発表していいのかな)。 HALのジャケット写真及びメンバーについてですが、発表後、指摘事項が発生し、あの音源は、「コスモスファクトリー」の前座を努めた時のものであり、従って、CD中演奏しているキーボードは、まさに作曲者鎌田洋一さんご自身、ベースも桜井良行さんという事です(だから、写真に写っててこのCDに演奏に参加してるのは、津田さんと高橋さんだけ)。 そして、年齢も18歳〜19歳、ティーンエイジャーであった、という事です。ものすごすぎる。 裕子さんは、鎌田さん、桜井さん脱退後のメンバーで、裕子さんが在籍されていた頃の平均年齢なら、22歳になっていなかった、という事なのでしょう。 小久保さんが、カビだらけの中、貴重なHAL音源を発掘してくださったことで、今、私達がこの素晴らしいHALを聞くことが出来るんですね。感謝です。 昨日、寒風吹きさすぶ中、強引に記念撮影をしていただきました。 せっかく、新月5人のオリジナルメンバーが揃ってるのに、ころんた邪魔だっ、とお思いの方が多数ですみません。しかし、ここで5人揃った動かぬ証拠?ですね。 今年は新録音という形でオリジナルメンバー5人が、音を出してくれました。 そして、来年は、ついに、このオリジナルメンバーがライブを演ります!! この5人が。 です。 12月26日 今日は花本さんのお誕生日。そして、26年前の「新月/新月」の時には行われなかったという、打ち上げが、新月ボックスのために、行われました。 メンバー以外に、小久保隆さん、デザインをされた神崎夢現さんと、ころんたも同席させていただき、待ち合わせ前にはきもちわるくなるくらい緊張していたのですが、ボックスの打ち上げ、というよりは、ロック好きな人たちの忘年会、という趣で、リラックスして、本当に楽しいひと時でした。 報告はまた明日しますね。 12月25日 「サイトについて」高橋さんより事実誤認のご指摘をいただき、一部削除。それから、まだボックスが発売予定となっており、発売に訂正。 こういうのは、ちゃんと「更新記録」のコーナーを作って書くべきなのだろうが、面倒なので、新月日記に書いておくだけにする(なまけもの)。 「新月資料室」に、新月記事掲載誌を追加。 掲載誌は過去のものまで手が回らないので、とりあえず、ボックス発売以降のもの。みんな、本屋さんで見たら教えてね。ふふん、「公式サイト」には負けないもんね(だからなんでこう鼻息荒く、意味なく負けず嫌いなのだろう)。 これは、公認サイトに掲載されている原稿が先に書かれて、それを推敲されたものが、公式サイト掲載の「新月史」だからである。 もともと、原稿書き溜めておいて、「いずれライナー等で発表するコンタン」の花本さんだったので、公式サイト編は、公認サイト編からさらに、きれいに整理された文章だけど、ころんた、やはり、最初に書き下ろした方が好きだな(ころんたの名前も入ってるし〜)。 実は「新月史」は1972−1975が一番最初に書かれて、送られてきて、当時のロック・ファッションの描写に始まる、バンド活動開始に、わくわくして、はやく次を読みたくて、原稿先に斜めに何度も読んだものだった。 今後、1979年以降は、公式サイトと同じ文章が送られてくるはずで、ちょっとさびしい?が、この公認サイト編「新月史」にも、新月が、これから新しいことをはじめようとしている、プロセスを感じ、なんだか、初々しく思う。 日付を見ると2003年12月23日で、公認サイト編新月史は中断しているが、文字には記されていないが、真に動き始めた新月史が、ついにここまできたか、と感慨深い。 ・・・でも公式サイトには負けないもんね(だからなんなんだ)。 そして、26年の歳月を経ての今、の新●月の録音「遠き星より」を全く新●月の情報を持たない人が、この2枚を続けて聴いても、まさかここにその歳月の隔たりを感じる人はいないだろう。 いや、むしろ、なぜかもっと元気な「遠き星より(あ、しつこいようだが、かちかち山にはあえて触れず)」。 さらに2006年は面白そうだ。 「目は前を向いていた」。 面白いに違いない。 12月24日 「プログレの逆襲」楽しいなあ。 とにかく楽しくて、でもうまく表現する言葉が見つからなくて、でも、hirohiroさんの日記で(許可を得て引用させていただきました)"当時のブリッティシュロック(PFMも入っているが)に憬れるロック青年たちの熱い想いが伝わってくる。"にすとんと納得。 そうそう、そうだよね、北山さんがすごく楽しそうで、それで私達も楽しいのは、この年頃で聞いていた、「ロック」が大好きで、楽しくて、それをセレナーデがタイムマシンに乗せてくれて、一緒に体感できるからだよね。 DU、WD、ありがとう! そして、素晴らしいファーストリマスタリング盤。 しかし、なんてわたしは欲張りなんだろう。だって、「新●月●全●史」は素晴らしいけど、決して安くはないこのボックスセットを購入するのは、熱狂的な新●月信者で、その信者だけが、この素晴らしい「新月/新月」を聴くのは本当にもったいないと思う。 もっと、あらゆる人たちに、早くこの「新月/新月」を聴いてほしい。きっと、新●月を知らなくて、でも、聞いたらきっと、新●月が大好きになるひとたちが、もっともっと、たくさんいるはずだもんね。 それにしても、なんてすごい宝物を、わたしは持っているのだろう。 クリスマス・イブ。やはり、感謝、は私から新●月へ。 12月23日 WDの方に予約しておいた、ボックスとりに行った。 カウンター前面新月関連のCDだわ、ブックレットからのコピー写真だわ、手書きの新月宣伝文だわ、嬉しくなって、おもわず笑えてきてしまう。 年寄りはずうずうしいので、つい店長さんに「新月ボックス売れてるんですか?」という失礼千万な質問をさせていただいたら「売れてます。年内にはなくなっちゃうと思います」、きっぱり、との事。 そして、この機会に再活動期待しています、また、「HAL」に感動された、とおっしゃるのに、うん、うん。 おまけのチケットのレプリカとか見ると、ライブへの期待がさらに高まる。 ころんたあと「キリングタイム」とPFMの「幻の映像」お買い上げ。 PFMも愚弟が全部LPで揃えていたのを聞かせてもらっていたので、CD買いなおさねば。 まだ未聴の「キリングタイム」期待大。WD初めて来たお店だけど、眺めているだけで、楽しいアルバムがいっぱいで、またこよう!知らなかった〜。帰り道、ボックスが重いんだけど、それが、嬉しい。 す、すかす後から窯元ヒデさんに教えてもらったけど、このクトゥルー神話って、暗くて怖くて気持ち悪いんだって。な、なんで、これが新月とむすびつくのぉ? って、ゆめゆめ、新月掲示板にはこの話題をふらないように!! そのうち、誰か分析してくれるかも。あ、メンバー自身だろか。 後、HALのメンバーの平均年齢が22歳になっていなかった、とブックレットにあったけど、それは実は18〜19歳、ティーンエージャーだったというのが事実だそうで、これはいずれ、ちゃんと訂正してもらいましょう。 次は何を見せてくれるのだろうか。あら、ころんたったら、なんて欲張りなんでしょー。 12月22日 へへへ〜、高橋さんが新月掲示板に書いてくださって、すごく嬉しい!!ブックレットに、わたしの事を書いていただいたところは、何度読み返しても胸が熱くなる。昨年大晦日に書いたあの文は、SNOWパーティで、まだ高橋さんがお仕事で忙しくて、予定がなかなか合わない、とお聞きして、書いたもの。それは「5人が揃ったらいいな」ではなくて、絶対に5人が揃うんだ、と自分自身に強い暗示をかけたような、いつもの、わたしの思い込みで書いたもの。それが高橋さんに届いた事が嬉しいを通り越して、たたただ、感激です。ありがとう、ございます。 DISC3『鬼』『殺意U』の順に並んでるのが嬉しいな。また顔がへらへらしてきた。 「遠き星より」の『殺意U』、なんでかぐや姫が、かちかち山や、さるかに合戦に思えるのかわかったぞ。 かぐや姫はお空を飛んで、宇宙へ行くけど、かちかち山やさるかに合戦はごく卑近なところで、地べたでどたばたしてる感じ。 なんか、聴いていたらまたどんどん、機嫌が悪くなってきた。いかん、またこの子の悪口書いてるじゃん。まずい。いじめに走ったら大変だ。再び封印!! こおなったら、お願いじゃなくて、絶対に今の新月の『殺意U』、完成させてもらいまひょ。 この、当たり前、がどれほど長かったかな。新月メンバーにしても、わたし含めたファンにしても、どこかで新月のことをずっと「忘れ物」として、考えながら、日々をすごさねばならなかった時間、ひいては、新月以外のことを考えねば生活できなかった時、というのがあって、それはメンバー自身もファンも同じことである。 今回、ついに新月ライヴが実現する。 本当らしい。 そして、この長きにわたった時間を待ちに待って、遠方から来られる方達、仕事帰り、学校帰り、あるいは休みであっても、なんとか今、予定を調整して、あるいは仕事を休むために苦労し、時間とお金をという大切なものを割き、楽しみにしている方達がいる。 「新●月」を見るために。 わたしが求めているのはひたすら「純度」 それはわたしのような立場のファンかもしれないし、後追いファンかもしれない、そして、もしかして、そこで初めて「新月」ってなんだろ、とライヴで初めて新月を見る人かもしれない。 その人たちが求めるもの、そこに必要なのは、新月そのもの。新月の純度だ。 ところで、ここで、ライブ活動に向けて、メンバーもファンの皆さんも「怪我したり、死んだりしてるヒマはないっ!!」 ゆめゆめ、注意、健康管理、危機管理怠ることなかれ! 12月21日 「公式サイト」と子鬼さんの「公認サイト1217」がふたついっぺんに立ち上がって、新●月について読むところが2つも増えてうれしいなあ。 今までは、自分で自分のところ読むしかなかったもんね。 あと、やっぱり、新月ニュースから、公式サイトの最新情報へバトンタッチした事は、ほんとにいろんな意味でやれやれ、ほっとした。 メンバーからの肉声、がもらえた場合は、また、この新月日記に書いていけばいいし〜。ふふ〜。 「遠き星より(これはDISC2って呼び方はしないで、遠き星よりってちゃんと呼ぶの。)」。先日『殺意U』を封印して聴かない、と書いたが思い直して、やはりアルバムとして、ちゃんと聞く事にした。パートTに続いてのパートU。やはりどうしても、へらへら笑えては絶対に来ないのだが、キライになったり、憎らしくなったりしなかったので、ほっとした。良かった。そうなったら、困るもん。 ぷぷ、確かに新月掲示板で花本さんが書いてるように、津田さんカラーが前面に出てて、津田さんフリークにはたまらないかも。 先日書いたように改めて不思議なのは、ブックレットに歌詩が存在しないと同様、わたしの中ではやっぱり、新解釈の『殺意U』は、わたしの大好きなあの曲と似てるけど、違うものみたいな気がする。4月のライブでは、一体どう演奏されるのかな。メロトロンたっぷりいれてもらわないと。 それに、ライブはあくまで「新月」だけ、を見に、聴きに行くので、新月あくまで単体でないと絶対に嫌だ。 「新月道」に則って、再活動(再構築というべきか)新月第一回目のライブはホールで、単体で、そして対バンをもってくるくらいなら、1時間でも、30分でも、新月だけで終わらせてほしい。でも、それから、ライブハウスで(わたしが楽しかった、そして、ここで小熊さんと出会ったことが、今に至るきっかけになったので)身近に新月を感じたい。 劇団インカ帝国も、再演は、初回は、きちんと「劇作品」で(ブディストホールで?)見たいな。どちらも、ついで、ではやだな。 先日17日に(そうだ〜、去年のSNOWパーティの日だね。新月のメンバーを3人まで生で見ることが出来たちょうど一年後に、ボックスをテッテテキに聴けるなんて幸せ)、あまりに一気呵成に聴いてラリってしまったが、今、やっと落ち着いて、聞き込みだしたところ。 今、「遠き星より」と、DISC3と、HAL&SERENADEを交互に聴いている。みんなみたいに、体系的な意味はなくて、わたしの場合は気分で思いつきなので、このへん、テキストなら、やたら時系列にこだわるくせに、聴くとなると、それが適応されないのが、わたしのおおざっぱさか。しかし、HAL、本当に鳥肌が立つ。 明日はWDに買いに行くんだけど、(そういえば、おまけのチラシや楽譜のレプリカについて、誰も何にも書いてくれてないけど、どんなんだろ。わたしは役得で、サイトに掲載するのに、お借りした、本物を見た事があるので、どれほどそっくりか楽しみ)、ほんとにDUでも2つ買ったし、全部で3つも買うの〜と言われたけど、いっこは保存用としても、聴き倒すのであとふたつあってもいいんだもんね。まあ、LPと違って、いくら聴いても、もう磨り減ることはないけど、すでに、いつもパソコンやったり、なんかつくりながら聴いてるキッチンのミニコンポのところにおいてるのなんか、出し入れ激しいので、もお箱なんかかなり痛めつけられてるもんね。 「新月/新月」や「赤い目の鏡」「科学の夜」は一枚づつしか買わなかったので、プラケースがみんな割れちゃってんのよ。この教訓を踏まえて、LIVE1979は3枚持ってるもんね。あ、7月25日発売間に合わなかったら聴くように、といただいた原盤コピー入れると4枚か。 新月CDの数でもまみれてるなあ。 12月20日 昨日日記に書いた「遠き星より」同様の思い、というのは、DISC3は・・・出なかった、出せなかった「竹光る」の原型だもんね。 とはいえ、どれが良いとか言えないよぉ。 新月掲示板で教えていただいた、「ストレンジ・デイズ」を早速お昼休みに買いに走る。 表紙に、小さいけど「新月」の文字を見て、嬉しい。 花本さんのインタビュー記事だ〜。基本的にはもちろん変っていないのだが、先日アップした1994年の記事を思い比べると、質問の切り口の違いもあるのだが、同じ時代のことなのに、発言内容がふくらんらんだりしてるのがおもしろい。 当然、11年経っているから、さらに思いが加算されているのと、まさに「今」活動するバンドととしての位置からの発言、と思う。 ひとつ、ひとつ、こうして新月の名をネット以外で目にして、じわじわ、再活動の実感が沸いてきた。 12月19日 津田さん、花本さんのコメント読むとDISC5がお二人ともお気に入り?らしい。 わたしには、いまどれがお気に入りだのそんなの言えなくて、全部嬉しい。 DISC3はね、でもちょっと「遠き星より」と同様思いがあるね。 『殺意U』嬉しい。 テイク違いの方にもね、フックついてるんだけど、アルバム収録の『鬼』と僅差で「行ききれない」の。不思議。 映像、ブックレットの解説を読むと、せめて今宵は、に見える町の灯りはレバノンのベイルートの灯り、と聴いて、2004年の4月7日17日、の新月日記に、昨年レバノンに行ってこられた花本さんのお話を少し引用させていただいているが、その時の日記を振り返るまでもなく、なんとも言えない感慨にとらわれた。 当時は販促ビデオの役割を与えられていたこの映像、そして現在の新月、これらがモノクロ映像であるのに対し、レバノンのこどもたち、そして町の灯りはカラーでくっくりと表されている。新月の単に記録ではない、新月の世界観を示したこの花本彰監督作品に、新月の音そのもののひろがりを感じる。 素晴らしい映像だ。 12月18日 ううう、夕方までアルコール抜けず、今日はさすがに聞く体力なし。 何やってんだか自分でも良くわからない。まあ、ころんたじゃけんね。 新月公式サイトからのリンクもあって15日からのアクセス数すごいなあ。 しかし、ボックス買って、公式サイト知って、このファンサイトがあること知った人たち、この年末忙しいだろうなー。 ボックス聴かなくちゃいけないわ、公式サイトの最新情報はチェックしなくちゃいけないわ、公式サイトに書込みしようかどうしようかドキドキするわ、花本さんの日記を読まなくちゃいけないわ(今まで、新月ニュースにギャラリー情報いただいていたけど、今度から花本さんの日記のこれがあるので、わたしはこれがとても嬉しい。新月ファンとして、そのギャラリーを観るのにこれ以上のガイドブックがあるだろうか)、えっ、ファンサイトなんてあったのと、覗いて見たら、公式サイトにない、メンバーの原稿とかあったりして、これも読まなくちゃいけないし、ぼくは、わたしは、ど、どおしたらいいのっ!!と悲鳴を上げているのに違いない。この年末忙しいのにどうしてくれるのっ、て。 ほほほ、北山さんや津田さんやセレナーデの高津さんの寄稿文や、山アさんの寄稿文もあるもんね。まだ公式サイトには負けないもんね(だから何に対抗心を燃やしてその勝ち負けの基準はいったいなんだというのだろう。でも、花本さんのまんがが読めるのはこのサイトだけだもんね。ほーほほほっ。 いま、他に嬉しいのはね、たぶん98年に初めてネットに繋いだ時(サイト作ったのは99年)、わたしが真っ先にやった、「新月公式サイト」を探してなくて、がっかりした事けど、今、日本全国(世界も)新月のサイトがあることも、再活動も知らなかったファンの人たちが、2005年になって、わたしがうれしがりたかった事を体験してくれてること。 嬉しいサプライズが、実現してること。 今、当時から、そして今のファンもおんなじに、新月のおかげで幸せだってこと。 これがね、嬉しい。 そうだ、ブックレットには『殺意U』の歌詩が誤りによって掲載されていない。 これは悲しいけど、「なにかのおためしにちがいない」と水面下でこの表現を使っていたが、あくまで、ブックレットの歌詩、という文字上のことだけど、まるでこの「遠き星より」にだけは『殺意U』が存在していないかの如き事象は、きっと、いや、間違いなく、この新録音版『殺意U』だけは、ボックスの裏面に書かれているように「完結する」ことなく、未だ未成熟の曲から、さらに完結を目指すに違いない。 と勝手に確信した。 なんてプラス思考なんでしょ。 4月。 80年、オリジナルメンバー5人で行われた最後のライブが4月のラフォーレ原宿だった。 26年の再活動が再び4月、その原宿で行われるのは嬉しいことだ。 記念日好き(80年ライブは4月2日だけど)なので、こういった一致が、意図的か偶然かはわからないが、わくわくするではないか。 ブックレットに書かれていた言葉。 新月は、常に前を向いている。 そして、それは、ファンに夢を現実として見せてくれる、という事に違いないのだ。 1stがとにかく嬉しい。聴きにいきたかった音が聞こえるのが、ほんとに前と違うんだなと思う。嬉しい。 「遠き星より」、『殺意U』を飛ばして(たぶん、この日記読んでる人の中にはえー、そこまでしないだろ、と思う人もいるだろが、ほんと)うれしがって聴く、それからDISC3、テイク違い、嬉しい。それから、うれしいのはやっぱ最後の、まだきっと音薄いのだろうけど、えへ、嬉しくて笑ってしまうのね。 そしてHAL&SERENADE。ぞくぞくする。ライブがあるなら、明日にも見に行きたい。 なんだって私は、いろいろな宝箱を見過ごしてきたことか。 12月17日 昨日はお店きょろきょろして、えー、お店に並んでないじゃん。やっぱり、幻だったのではないだろうか、と、よろよろカウンターに近づいて、予約してる旨伝えてふとカウンターみやると、なんだ、ここに積んで、というか置いてあったのね〜。 電車の中でさんざん悩んででも、決まらないまま家に着いたとたん、やっぱり映像だ〜と、プロモ、そして、今本当に5人揃っているかどうかの、動かぬ証拠(犯罪者か)を見届けて、そして、今の新月を聴きたくて「遠き星より」を迷わず聴いた。 ブックレットの解説読んじゃうと先入観で聴きそうだから、読まずに聴く。 ジャケットの写真は、花本さん自作の電池で灯すオブジェだ。北斗七星と鼓星だ。 『生と死』フォノジェニックスライブですでに聴いた曲。でも、この曲のタイトルを知らなくても、前半部分「生」という言葉がくっきり浮かぶ。 だけど、「死」のほうはなんだろう?ひたすらわたしには生だけが聞こえる。でも死が再生を意味するものものなら、死も生であることに間違いない。なんのこっちゃ。 でもでも、新月健在、いや、それ以上だ。と思わず嬉しくなる。 続いて『赤い目の鏡』。あ〜、北山さんが歌ってる。79年のシルエレで津田さんのモノマネ聞いた時以来だ。あは、歌詩でちゃんとらぬき言葉を直してあったりして。 それでねそれでね、これ、今のアレンジ好き。新月全曲目解説で、花本さんがこの歌詩に、中近東の砂漠の映像がはっきりと見えた、と書いておられて、新月ニュースで、イスラームのモードを被せた、とあったと思うが、本当に、はっきりと、砂漠が見える。これ、好き!! そして、いつの日か聞きたいと思っていた、『殺意への船出パートT』。 花本さんのピアノ。きれい、きれいだ。 これも全曲目解説で最初の歌詩、夜・海・星空をこえて・・・だけは紹介されていたけど、こんなに、静かで、ああ、そうだ、とにかく懐かしい。初めて聴く曲なのに、なんでこんなに懐かしいのだろう。心に沁みるのだろう。これがパートT。 あ、今回ボックス聞いて、わたし全然自分で涙がでなかったのが不思議と、どこかに書いたけど、この曲にだけは、目頭が熱くなった。 そして、今回一番楽しみにしていた『殺意への船出パートU』。 「新解釈」になっていると新月掲示板で津田さんに教えていただいてた。 冒頭のオルガンがさらにオーケストラみたいでさらにえらそうだけど、新解釈って大人なのかな。 うーん。ころんたには、よくわかんない。 なんでかな。あ、わかった。ころんたはね、『殺意U』聴くと、いつも顔が自然にへらへらしてくるの。笑えてくる自分が抑えられないの。でも、なんでだか、わかんないけど、機嫌が悪くなってきた。 たぶん、わたしは花本さん10代の頃の曲にシンパシィを感じていたのなら、この大人の曲は、わたしの曲じゃないんだろうな。だから、そう感じるのは、わたし一人なんだと思う。 でも、なんだろか、この違和感は。絵本を開いて、そこに書かれてるのは確かに「かぐや姫」の物語なのだけど、描かれている絵は、かちかち山とかさるかに合戦とか、同じおとぎ話でも、全然違う物語が描かれている感じ。 やたら、なんだか長いな〜。ころんた、飽きちゃった。 「遠き星より」の中の『殺意への船出パートU』。これは、当分、私の中で封印して聴かないことにする。 わたしが、この曲を嫌いになって、憎みだしたら大変だ。10月5日の日記に書いたように、この曲があったから、新月がずっとわたしのなかにあった。 だからこの曲をキライになってしまったら、このサイトの存在意味さえなくなってしまう。 いつか、手直ししたいと花本さんが言われていたこの曲。またいつか、違う姿を見せる日が来るのだろうか。それとも、わたしが大人になったなら、この新録音のこの曲を好きになるのだろうか。 『島へ帰ろう』。花本さんが一番好きな曲。すごく気持ちよさそうに聞こえるのは気のせいかな? 『鼓星』先日花本さんと津田さんが、新月掲示板に、ヒマつぶしに2人で即興演奏をしたら、まるで譜面を書いた曲を演奏してるようにしか聞こえないという、鬼の原曲をモチーフにしているので、日本的な印象を与える曲、と先に教えていただいたが、本当に即興で作ったなんて信じられない。オリオン座、鼓星が目にうかぶ。津田さんが太鼓叩いてる。これ、好き。 すごい〜、綺麗。 「遠き星より」。自分で勝手に封印した殺意Uは別として、これ聴いて、今も変わらない新月は最高峰のプログレバンドだと思う! さ、さあ後はHAL&SERENADE残すのみ。プログレの逆襲も聴いたぜ。あだまがぐらぐらする。 こ、こんな聴き方をしていいんだろか。しかし、嬉しい、うれしすぎる新月まみれ。 し、しかし、さすがに疲れた。ちょ、ちょっとやすもお。 なぜHAL&SERENADEが最後に残してあるかというと、なぜか緊張して聞かなければならないような気がしてるの。 し、しかし、すこし新月から離れよう。さ、さすがに茫然自失。 1stリマスタリング盤のジャケット、素敵。 どこかで見たような、と思ったら、夏に銀座のギャラリーで作品展を見た高仲健一さんの書画だ。この作品そのものだったかは覚えていないけど、星空を描いた小品だったが、新月的な絵だと思って、見飽きなかったのを覚えている。 そして、マスタリング盤は、ほんとに、今まで、聞きたかった音が聞こえてくる。嬉しい。ほんとに嬉しい。 HAL&SERENADEすごすぎ!!この震えがくる感動はなんなのだろう。新月に、なる、ふたつのバンドの最も勢いのある生命力のエネルギーかな。息を呑む。 そして、新録音版と趣が異なる『殺意パートT』鳥肌がたった。 12月16日 「新●月●全●史」の日だーっ。どおしよお・・・。 ブックレット読んで、高橋さんの文に、泣いてしまう。そして、最後にクレジットされた私の名前。これは両親に見せて自慢しよう。思えばこの年になるまで、両親に自慢できたことなんかないかも。 まずは、DVDで5人揃っている証拠(とにかく疑いは晴れないのだ)を見る。 疑い晴れる。 次はやはりDISC2。 「今」の新月に会いたい。 ・・・26年。 今日は、これ以上何も書くことは出来ません。せっかく読みにきてくださった皆さん、すみません。 明日、明日お会いしましょう。あした・・・。 でも、今日はいいよね。 新月サイトの管理人じゃなくて、今日は、新月を聴いてるだけの、ただのファンでいいよね。 12月15日 もういっこ寝ると「新●月●全●史」だ〜っ。WDのおまけ情報もいただいて、すごいーと思っていたら、なんと、わたしはばたばたにまぎれてWDに予約を入れていないことに気づいて慌てて予約!!うーん、さすがに明日目白と新宿と二箇所は行かれないし、あんな重いもん3つも持てないし、で来週までお取り置きをお願いする。内容は変わらないものね。 と、早くも「新●月●全●史」が届いたの、書込みやらメールやら。いいなあ。通販にすれば良かったかもだが、記念日好きなのと、とにかく発売前までにやらなければいけない作業がいっぱいあるのと、とにもかくにも、LIVE1979同様、店に並んだ姿をこの目で、見ないと(とにかく、まだ信用してなかったりして)気がすまないもんね。 明日か・・・。お、と思っていると、新宿ディスクユニオンから「新●月●全●史」入荷のお電話いただいてありがとうです。明日会いに行きますぅ。 ふう。「新●月●全●史」のお詫びと訂正文を、朝アップ。これが、とにかく、預かっていた重たい宿題?だったので、何より安堵。 「新月全曲目解説」にも、指摘のあった魔笛"冷凍"が使われた作品に(注)つけた。 これも、おっけ。 後は公式サイトのURLを教えてもらって、明日、「新●月●全●史」発売と同時に公式サイトへのリンクを張って、おっきな作業はおしまい。 後は、たまりにたまった作業、「過去ログ集」なのだが、これはコピペした掲示板のログに、ひたすら改行タグを打ち込むという、地道な作業で、ちょ、ちょっと今日手をつけるのは、つらいかも。 いずれにしろ、ボックス聴いたり、見たり、ブックレット読んだりするので、体力・時間使って、ファンサイトのログまで手がまわらないだろうから、少しさぼっても目立たないだろう? それに・・・なんだか、一抹の寂しさもあるけれど、もう、明日からは、公式サイトが始まる。もう、みんなそちらへ行くだろうから、役目は終わったかな?なんて気もしている。 ん?始まったばかりで、なまける気かっ!?と、どこかで、声が聞こえるのは空耳かちら。過去ログは、ほんとに地道なわりに集中力いるので、もう少し待ってね。 どおせ、みんな、これからボックス聞いたり観たりするので、忙しいでしょう??ね?ね? 結構、占い好きでネットの無料占い、なんてのを、クリックしちゃったりする。 で、ころんたって人物は、ほほ、誠実で美しい物も愛し、見つける事が出来る、持って生まれたものは人に役立てるためにあるものです、なーんて自分で打ってても、こっぱずかしいが、かなりいいやつじゃん。へへ〜。 しかしっ。 半面、ひとたびキライになったものに対し、アンタそれでも人間か?というひどい仕打ちをするやつ、という記述があった。 え〜、ころんた、そんな事しないよぉ〜と、思わずぷぅっ、となったのだが、ん?ふと自分で思いあたることが一つあった(内省的)。 もお、ここまでくれば、いまさら言う必要もないと思うが、ころんたは新月が好きである。好きでたまらない。新月を愛している。 しかし、その愛する新月の中に、どうしても、許せない曲が2曲ある。 それが『パパと一緒に』と『少女は帰れない』。 この曲に対して、恐ろしいことに、この新月立ち上げたばかり、花本さんとも連絡を取り合って間もないくらいなのに、平気でこの曲は嫌いだ、と書いている。 惧れをしらないというか、とにかく、やなものはやなのだ。 理屈じゃないのだ。やなのだ。 この日記を最初から読んでいる人は、何度も何度も、おんなじしつこいこの2曲に対するいじめ?に、もういいよ・・わかったよ・・いい加減にしろよ・・メンバーも読んでるんだろ?せっかく作った曲にこんなひどいこと書いて・・・もっと大人になれよ、頼むから、もううんざりだよ・・と思ってるのはわかってるのだが、ものすごく好きな新月の中に、キライな曲が存在するという事自体許せない。 むちゃくちゃである。それは、自分でもわかっとる。 何かに、書いてあったけど「ものすごく好きなものがあるということは、ものすごく嫌いなものがある」と言う事で、この極端な好悪が、実はこのサイトを続けるエネルギーになっていると、自分でも思っている。 そのうえ、〜と比べて、〜は好きとかキライとか、そんな考え方もない、だから、日本のバンドはごくいくつかのバンドを除き、殆ど新月以外、興味がない、知らない。好きとかキライとかではなく、聴いていないから、わからないのだ。新月しか、本当に知らないのだ。 本当にむちゃくちゃだが、この視野狭窄さが、無ければ、わたしはこのサイトを続けてはいられなかっただろう。 それでいながら、我ながらしつこい『パパと一緒に』と『少女は帰れない』への、わたしの大事な新月の中に居ないでよっ、出てってよっ、というあまりにひどいいじめ?は、たぶん、手放しの新月礼賛との極端なバランスを、無意識にとっているのかもしれない。 アルバム聴いてても、この2曲のところにくると、とばしちゃうもんね。新月初めて聴く人が、え、これが新月、とか思われるのもやだ。 「新●月●全●史」にこの2曲が入らなくて、ああほんとに良かった。プロモーションビデオから、『少女は帰れない』がはずされてほんとに良かった。 ここまで、読んで、あきれ返る人たち多数続出。もう、わたしは、メンバーからも嫌われてしまうのに違いない・・・。 と、半ば自暴自棄になりながらも、まだこんなことを考えていたのだが、ブックレットはまだ当然未読だが、先に訂正がきたため、北山さんの「新月道」を読ませていただいて、おもわず、あっと、声が出てしまった。 わたし、間違っていなかったんだ。そうなのか「新月道」。あの2曲はやっぱり、新月道から外れていた曲なのか。 さて、早くも、発売日より、先に「新●月●全●史」を手にされている方がだいぶいらっしゃるようで、すでに、いくつかの音源を聴かれたり、ブックレットを読んでいらっしゃる方もいられるのだろう。 わたしが目にしたり耳にしたり出来るのは、たぶん明日以降だけれど、この心狭いわたしのいじめ?の相手が排除された「新月道」。 歩くのが楽しみだ。 明日、公式サイトが立ち上がり、ボックスが発売になり、何かが大きく変わるのだろう。 さびしい、と思うのは事実。でも、どうやら、ファンとして、新月道を歩いてしまっていたこのわたし。 まだまだ、続けるよ。「新月公認サイト〜新月」。 12月14日 あ、去年の今頃は、SNOWパーティ前でドキドキしていたんだっけ。5人全員じゃないけど、新月じゃないけど、北山さん、津田さん、花本さんが、目の前で演奏するんだって。1年たって、ついにボックス(すかす、この時5月にボックス発売って花本さん言ったけど、まあいいか。忘れよう。早ければいいんじゃないもんね。クオリティだもんね)発売。ついに、あと2つ寝るとボックスだよ〜!! 12月13日 後3つ寝るとボックスだよ!! でもでも、あと、発売までに「新月全曲目解説」の魔笛冷凍が親王宣下ってとこ直して、サイトについてもさらに加筆、(そうだった、つまり再活動はじまれば、情報はどんどん陳腐化するのだった)、ううう、過去ログ集は膨大な作業になってしまったので、間に合わないかも・・・をやらなくちゃ。こうみえても、管理人も仕事?しているのだった。 12月12日 ん?昨日の日記の前半部分、すでに貴重な時間を使って読んでしまった方がたくさんいるけど、うーん、ほんとに文章力なくて、いまいち脈絡がなくて、何を言いたいのか、わかんなくてすみません・・・。いまさら削除するわけにいかず、ちょっとへっこみ・・。いずれちゃんと書き直します。 注文していた「EURO ROCK PRESS」が届いたと連絡があったので、おひるやすみに、受け取って、カフェでいそいそ開く。 モノクロだけど、表紙の裏側3分の2を使っての「新●月●全●史」の広告。 世、に出てきたんだな・・。 おっ、キース・エマーソンの記事が横にあったりして、それは後の楽しみにすることにして、hirohiroさんが教えてくれた「新●月●全●史」のレビューを探す。 ・・・いきなり「遠い星で待つ君のために、BOX」のサブタイトルに、思わず泣きそうになる。 社服着てるんだよ。わたしゃ。 ぐっときたのをガマンした。 ボックスの表紙、北山さんの芝ABCの『殺意U』の衣裳の銀のマントの写真の脇に書かれたこのタイトルは、26年前のフールズメイト誌vol10の裏表紙一面を使って、同じく『殺意U』の綺麗な銀のマントの北山さんと、鈴木さん、津田さんの姿が写っている「新月/新月」の宣伝のキャッチにね、新●月の文字と、その北山さんの写真の頭上に「遠い星で待つ君のために、うたう。」のキャッチコピーが書かれていたのを思い出し、たぶん、この評を書かれたライターの方も、このフールズ・メイトを意識してこのサブタイトルをつけたのだろうな、と勝手に思う。 ちなみに、このフールズメイトの宣伝文をひきうつしてみると "限りない想像力と透徹した思考力によって構築された透明で緻密なアンサンブル・・・揺らめくファンタジアの鏡の中に我々の真の感性・真の意識を映し出す新月。日本のロック界の精神的主導権は既に彼等の手中にある。" なるほどね。26年、遅れたが、それは いま、だ。 12月11日 今から10年以上前だろうか。日本の某ロックバンドのリーダーが発言していた(何曲もヒットを出しているバンドがいくつかあって、どのバンドだったか忘れたのと、内容のこともあり、バンド名は出さず。またプログレバンドには非ず。ちなみに私はこのバンドの曲は聞いたことはないです)、「今の20代の子たちは、いい音楽(ポップス、ロック)を聞いて育っていないので、自分達はそれを逆手にとって、その子たちに受ける曲をヒットさせて、ライブで自分達が本当にやりたい曲をやる戦略」、という意味の言葉が印象的で妙に覚えている。 むろん、音楽は自分から聞きにいくもので、当時の若い人たちが、みんなよい音楽を聞いていないわけではないので、極端なたとえではあるけれど、つまりこの方が言いたかったのは、自分達が70年代に聞いていた良質の音楽がすでに排除?された中、否応なく、街に流れて聞かされていた音楽、つまり一過性のはやりものの音楽で育った子たちはかわいそうだけど、ヒット、を飛ばして、その子たちがライブに来てくれて、でも、ロックって、音楽ってもっとこんなに深いんだよ、って事を伝えたい、という事だったと思う。 なんで、こんな事を新月日記に書くのかというと、「BURRN!」に掲載されていた、山ア氏の「新●月●全●史」の評の中に、時代の描写があって、今おそらく後追いファンと言われる方たちの中心の年代のかたたち(と勝手にわたしが思い込んでいる)が、上記の年代とほぼ同じくらいだと思う。 新月と同時代、そしてその後の時代、巷にあふれていたこれらの音楽がセールスとして成功していた時代、上記のバンドがとろうとした方法は、また、自分達が愛しているロックへきちんと伝えたい、という積極的な方法だった。その方法が正しいかどうなのかはわからないけど、こういう熱は好きだ。 それとは正反対に、、新月という、良貨は、確かにこの時代以降、ひっそりと、どっしりとした、一目につかないところに大切にしまわれていた、宝石箱のなかにいたけれど、それを、時々、まさにその時代に育った方たちが通りかかって開けてみたり、そこにあるのを知っていた、わたしを含めた人たちが、取り出してみたりしていた。 良貨は悪貨に絶対に駆逐されない。 そして、その宝石箱が16日、いきなり、世の中に運び出され、その重い蓋が開けられる事になった。 「新●月●全●史」で検索してみたら、何人かの方のブログにヒットして、(足跡残さず覗き見ですみません)やっぱりあと何日、とか、高校生の方?が発売を楽しみにされている日記を読ませていただいたりして、嬉しくなった。 16日。 「一部の熱狂的ファン」は、実は当時より、かなり多いのではないか、と、と思っている。 今現在、このサイトを情報源として下さっている方たちが、たくさんいらっしゃると思うが、16日に公式サイトが立ち上がれば、その役割は公式サイトに移行するので、ここは、ファンサイトととしての性格がより明確になっていくね。 ま、くどいようだが、このサイト立ち上げ時花本さんから提示された「公式サイト」の名称を固辞したのは、ほーんとに、ころんたが、どれだけ賢かったか、手柄だと思うの。ふふん。いばることではないか。ほんとは看板が重すぎてこわくてびびってしまったのだ。あー、ほーんとに、よかった。 をを、公式サイトが出来るということは・・・そうかっ。今まで以上に好き勝手な事を書いていいのかっ(・・・もっと厳しいチェックが入ったりして)。 あ、あと5日。 やだなあ。なんかの拍子に、気づくと涙ぐんでたりする。今、ほんとに忙しくて良かったな。暇で、ずっと新月のこと考えていたら、泣きっ放しで、カラダもたないよね。ブックレットだけで40ページもあるのか。CD5枚、DVD一枚。確かにこれ、聞いたり、見たりするのは、年末年始にじっくり、だね。 ぜーぜー。 「新●月●全●史」発売までに間に合ったよ〜。 1994年のマーキーのインタビュー記事入力アップ完了!!目が痛え。 記事のコピーを提供してくださった、「水鏡」の柳川さんに感謝します。 以前にもこの日記に書いたけど、一度、資料として掲載したい、と花本さんにお送りした時は、掲載はやめましょう(インタビューという事もあり、表現にやや不適切な部分があったので)、というお返事だったので、そのままにしておいたのだが、(無論、普通に市販されていた雑誌なので、柳川さん同様、当時読まれた方も多いと思うが)、1987年、1988年の花本さん、津田さんの記事を掲載し、そして、目前に迫った「新●月●全●史」発売にあたり、この記事を読み返してみて、随所に、「今の新月」に至るキーワードがすでに散りばめられているように思え、やはりこれはどうしても転載して、まだ読んだことがない皆さんに読んでいただきたいと、もう一度花本さんにお見せして、添削をいただいて、アップした。 既読の方も多いとは思うが、ボックス発売目前に、読むと、11年前から今に至る津田さん、花本さんの言葉のひとつひとつが、また個人個人受け止め方が違うと思うが、感慨深いと思う。 インタビュアーの中島氏のプログレ、そして新月への熱っぽいインタビュー、中でもわたしは「収まらないものが我々の嗅覚を刺激する」という言葉が、花本さんの「表現とははみだした部分である」に共通したものがあると、心の琴線を揺さぶられた。 そして、花本さんの「やろうとしていたこと、新月全体のムードが醸し出しているもの。それらはまだ有効だし、今の、次の世代に合う、インターフェイスを付けてあげれば・・・それは全く過去のものではなくて、今もこの宇宙には流れているものだし。音楽としては死んでいない。」の思いが、こうして、今ボックスとしてもうじき私達の前に姿を現したのだと思う。 また、津田さんの「新月/新月」へのコメントの「ベストを尽くした」。 26年前にベストを尽くして制作された、アルバムが、あと何日かで、さらにメンバー自身の手で、リマスタリングされて「素晴らしい出来」になって、甦る。 12月10日 あら〜、WDのおまけ、が黒松さんの調査により、3分の2判明!! 当時の宣伝ちらしは、花本さんにお借りして、サイトにアップしてあるのと違うのかな。このグッズ、79年にタイムスリップだね。わたしもよ、予約しなくちゃ(予約してなかったのかい)。あ、いや、直接買いに行けばいいのか。 早く16日にならないかな・・。あ、いや、まだなったら困るのだ。ま、まだころんた宿題があるのだ。1994年のインタビュー記事掲載しなくちゃ。 12月9日 わー、あと一週間!!雑誌でもとりあげられているという、情報をいただき嬉しいなあ。当時以上に、「新月」の名が、街でもたくさん見られますように。 ううう。教えていただいた「BURN」。本屋さんに行く時間がなくて、明日に見送り。 なかなか、「活字」になった新月、を見られないぞ。明日行くもんね。 しかし、全然、考えていなかったんだけど、ボックス発売日からは、公式サイトの方にアクセス集中するだろうから、きっとこっちは、アクセスが減るだろうとわけのわかんないこと考えていたのだが、ちがーう。 初めて新月のサイトがあると知った人も、リンク辿ってこちらを見るだろうから、少なくとも「このサイトについて」は最新にしないと、すぐに陳腐化してしまふ。 てか、公式サイトには負けないもんね(いったいどういう土俵で何をどう勝負しようというのだろう。自分でも意味不明。まあ、公式サイト見てないから強気に出れるのかも。いや、見たとしても性格的に負けない、とか言いそうなころんた)。 「新●月」の全史。が出るね。それでもって、このサイトの未だ書かれていない「新月史 1982年以降」には、(未来も入る)ってサブタイトル?が入ってる。 「新●月●全●史」は、全史だから、1982年以降の未来、つまり、今、そして、これからずっと先の「新月」でもあるんだよね。 なんとか、ボックス発売前に、わたしのLPはもう、針飛びして聞けなくなってしまったので、十六夜さんにいただいた、「新月/新月」を聞くために、プレイヤーの前に座む時間を作らねば。 レコード屋さんから、急いで帰って、他の荷物をベッドの上に放り出して、「新月/新月」を、ジャケットから取り出して、LPのまんなかのちいさな穴を、プレイヤーのまんなかの突起に、注意深くセットして、それから、慎重に針をレコードに落として(ヤスモノだったからオートではないので、自分で針を置かねばならなかったのだ。若い人にはなんのことだかわからんだろうが)、ぱちぱち、そしてその後に『鬼』。 あの26年前の学生の時の自分のあの感動をよみがえらせるために。そして、今、を感じるために。 すごい、すごい事があと、1週間後。 最近、涙もろくていけないな。 12月8日 あと8日だーい。 みんな何から聞くか、決めた? 12月7日 昨日はおやすみだったんだけど、結局データのバックアップや、新月掲示板の過去ログのコピー等、表面にでる作業は出来ず。あ、ひさしぶりのフタまんがーッは楽しんだかな? まあ、メールしたりやっぱりネットでmixiで遊んでたりはしていたけど、1994年の記事は必ずボックス発売まで掲載するです。 あと10日をきりましたっ!! 12月6日 あ。最初にやること決まった。DVDの、2005年リハーサル風景を見るの。 5人揃ってるとこ、この目で確認しなくちゃ(まだ疑っているのか)。 そうそう、新月掲示板で、子鬼さんが、去年の大晦日には雪が降って、昨年は、確か雪を見ながら『鬼』『白唇』を聞く贅沢が出来たと言ってたような(間違っていたらごめんなさい)。今年の大晦日、関東も雪が降るといいな。 そして、毎年(って当たり前だが2003年から)大晦日に書くことにしてる「○○年目の新月」を雪を見ながら、書けるといいな。今年はすごいよ、ついに、BOX完成したんだから。 今、この時点で想像してこみあげてくるもんがあったりして(まだ早いって。でも、あと、10日でBOX聞けるんだよ!!)、「新月/新月」「赤い目の鏡」「新月LIVE1979」を今日交互に聞きながら、ちょっとね、一足先に、26年、て年月の長さを実感しちゃった(だからまだ早いって)。でも、とどめに『殺意U』きちゃった。もうダメだ。 半年ぶりのアップだ〜っ。もってけ〜。 12月5日 今ね、『殺意U』何度も聞いてる(新月のはライブ1979『赤い目の鏡』とメドレーね)。新月のはDISC3のスタジオデモは、ふたごの兄弟みたいなのかな?とか、「遠き星より(いいタイトルだよね。ほんとに、いいタイトルだよね〜。)」の2005年新アレンジの新解釈(津田さんが言われる)は、26年経って、今、どう感じるのだろうか?とかね。 ただ、この何度も引用させてもらってる、花本さんが「10代の頃の作品なので、手直しをいつかしたいと思っていた」曲、だから、わたしはそのまんまの『殺意U』が好きなのかもしれない。未だ精神的成長を遂げず、おとなになっていないわたしが、もしかしたら、おとな、の『殺意U』にどう向き合えるのかな?さて、どんどん、ボックスの日に近づいてくるよ。 楽しみ・・・は当たり前なんだけど、なんでどんどん、緊張してくるのだろうね。 12月4日 そかっ。タイムスリップするためには、DISC3かも。そもそも、私が願っていた、1STに入ってない未発表の曲をレコード(当時ね)で、聞きたい、は、こんなかに入ってるんだもん。 すごく反則な聞き方しちゃうかも。作者の曲順の意図無視して、まっさきにDISC3『殺意U』聞いて、『不意の旅立ち』聞いて、『鬼』聞くという、つまみぐいをして、DISC3のはじめに戻って、全部聞いて、それからリマスタリング盤聞いて、「遠き星より」を聞こうっと!!し、しかし、ディスクユニオンのおまけ、も楽しみだけど、これもまた、まっさきに聞きたくなるに違いない。 ううううっ。ブックレットもすぐに読みたいっ。でもでも、ボックスをBGMみたいにはしたくなし。いやいや、ボックスを聞きながら、メンバー自身のライナーを読めば更に感慨深いかも。 悩みが〜っ。 もお2週間きったんだよね〜。みんなも悩んでいるんだろうなあ。悩みといえば、ディスクユニオンと、ワールドディスクで、おまけ違うから、両方で買うことにしたの。すかす、DUにはすでに2セット予約したから、全部で3セット買うことになるのか。3つもどうするんだ。って、1セットは永久保存版で、いっこはミニコンポのところにおいて、いっこはラジカセのところにおいて、もういっこの保存版は飾り棚に置いて、あっ、レコードプレイヤーのあるステレオのところにもういっこあってもいいかも・・・って(汗)。 今日は、本屋さんに行って、hirohiroさんが紹介してくれた、EURO ROCK PRESSをみつけなくちゃ!そうか、これから、雑誌に載ったりするんだね。新月のことを少しでも知りたい、と情報に飢えて、切望していた頃を思うと、夢みたいだな。 ああ、新月の記事を、雑誌で見る事自体も、26年ぶりなのか・・・。 んでもって、今日またまた、あらたな悩みがっ。雑誌からの連想で、やっぱりビジュアル〜。まず、DVDで映像見たいかも。ころんた、どおしたらいいの?どおしたら(ハンカチの端をかむ)。 12月3日 『殺意U』はころんたの曲だもーん。 やっぱ、もしかして、一番聞きたいのは、DISC3の「殺意への船出 パート2(スタジオデモ1979)」かもしれない。当時、まんまの。 12月1日 12月だっ!! 今月は、新●月年の締めくくりであり、新月の1979年からの総決算でありながら、なおかつプロローグである「新月BOX」が16日に発表される。 同日、「新月公式サイト」もアップされるので、新月再活動の準備は揃った、というところか。 あと2週間少し。まだファンサイトとしても、発売日まで、やることがある。1994年、ここで、一時新月再燃の時があった。 この資料をとにかくBOX発売日までにアップするので(締め切り決めないとナマケモノなので〜)、お楽しみに。 11月30日 新月掲示板、みんな楽しそう。わたしも楽しい。おまけのCDの内容まで発表されて(しかしここ本当に公認サイトか?最近はもっぱらファンの方から情報をもらっている。わたし最近なんにもしらないもんね)、この内容がすごすぎるのは、一連のみんなが大好きなプログレバンドを、セレナーデが演奏してるのを聞ける、ってとこだもんね。 うん。わたしも多分このオマケから聞いてしまうと思ふ。 みんな、ボックス発売日までは絶対風邪ひいてはいかんよ!! 「もし、窓を覗いて、オフクロがそこにいたら、オレはもうここにいなかったのかも。お地蔵さんにお礼を言いにいかなくちゃ・・・」と、普段信心とは全く無縁の不良のおぢさんは、そう言ってた。 あら、なんで新月日記にこれを書くのかな。ころんたってば。 ころんた、この話ね、お地蔵さんがみんな「にこにこしてた」って、すごくいいなと、思った。 当のおぢさんは、よれよれだったけど〜。 11月29日 津田さんの、屋上デパートネタ営業ぷぷ。 う・・。以前ころんた自作自演のケンカ書き込みして、何人か真に受けたファンのひとたちを怖がらせたことがあって、花本さんにすげー怒られたの思い出しちまったい。 しかし、BOXのオマケを教えていただいたけど、す、すごすぎるっ。 11月28日 津田さん1988年、花本さん1987年の文章を続けてアップしてあるのに、誰も感想述べてくれないのが寂しいなあ・・・。ん?もしかして、その感想をころんたが書いてないからかちら?書けって?? 当初、津田さんの文章には、花本さんの感想がついてアップの予定だったのになあ〜。もお、さすがにボックス製作やらお仕事多忙やらで、そこまで追求できんし、この一年違いで書かれた文章の、「当時」の、しかし、それが「今」に繋がるものはなんなのか、ころんたなりに書きたいのは(う、こんな事書いていいのか。し、新月メンバーが読んでる、と時々正気に帰ってこわくなるけど、ころんた蛮勇の徒でもある←ほんとにいいのー?)やまやまだけど、ころんた自身、ちょっと作業先行で(この間、時間かせぎか?)、文章表現は違えど、わたしには難解とも思えるお二人の文章なので、これは、わたしなりに、きちんと書きたいと思うです。 11月27日 ふふふ〜。新月掲示板、見た?『鼓星』。作者の花本さんと津田さんが、直接解説してくれてるんだけど、即興演奏なのに、譜面書いてるとしか聞こえなくて、津田さんが太鼓叩いてて、花本さんが弾いてるの、よくわかんないけど、いい音だって(ちょっとは勉強しろよ)。 星座の名だから、当たり前なんだろうけど、聞く前から、視覚にくるね。瞬く一等星をもつ鼓星。 即興で演奏されて、曲の後名前がつけられたんだから、きっと、聞きながら、鼓星が脳裏に浮かぶに違いないね。 1987年「MARQUEE 第26号」に掲載された花本さんの寄稿文「プログレッシヴ・ロックを想う」をLIVE&RECOARDSにアップしたので、読んでね。 まったく9月に資料借りたって言ってたろうが、もう11月終わりじゃん、まったくころんたは、おそいんだよやることが、って、思ってるだろうけど、だってころんただって、酒のまなくちゃいけないしっ・・・って、また誰も何も言っていないのに、勝手に逆ギレ。 ほんとは、津田さんのライナーの一年前に書かれた花本さんの文を、同時に掲載しようと思っていたのだけど、時系列からしても逆になってしまって、申し訳ない。 しかし、たまたまリアルタイムで新月を知ってるわたしは、時系列、と思うけれど、この津田さん花本さんが文を書かれた時は、もう全く、私自身、音楽業界のことも新しい音も知らなかったし、この時々で、新月を知った方たちには、時系列が狂おうが、新月を知る上で、なんの障壁もないだろうと、いまさらだが、気づいた。 過去形で語る必要もなく、これらの文章は、今、につながっているのだから。 11月26日 朝、NHKで来年公開されるエルサルバドルで12歳の時ゲリラ軍に参加した経験のある人が作った映画が本人インタビューと共に、紹介されていた。参加といっても、自主的に参加するのではない。ある日突然、学校に軍がやってきて、こどもたちを連れて行ってしまうのだ。主人公たちは脱走して政府軍につかまり、ともだちは目の前で射殺されてしまう。 彼もあわやという時に、ゲリラと政府の戦闘がはじまり、彼も生まれて初めて銃をもつが、彼は討てなかった。 その先に居た「敵」はおなじくらいの年のこどもだったから。 脚本の方が、その瞬間に平和、の意味をこめたと言っていた。 「こどもはみんな平和が好きなんです。あのシーンに、すべてをこめた。それは自分が子供時代に奪われたものだから」という言葉が、重い。一家団欒の最中に、いきなり、戦闘がはじまり、家庭の中に、いきなり兵士たちが乱入してきて、すべてが壊れる。戦慄のシーンがあった。昨日日記に書いたことは、わたし、まだまだ、何にも知らない、ところで書いたものだ、と感じた。 11月25日 ものの見方、について、ふと。 茂山千之丞さんの「狂言じゃ狂言じゃ」という本の中で、狂言が生まれた下克上激しい、中世という時代について、の「私見」が嬉しくなってしまった。 つまり、戦乱・飢饉・加茂の河原には餓死者がごろごろし、末法思想がひろがり、今がすごく不幸で、来世の幸せしか願っていない、と、歴史では語られてるけど、それは、日記なんかに書きとめることができた一部特権階級のヒマをもてあましていた人たちの、いわば上、から見た表面的なことで、その日、その日、を懸命に生きてきた、庶民の人たちは、そんな環境でも、現実を肯定し、現世を享楽して、健全な生活を送っていた、だからこそ、この時代に、ドライで明るい「狂言」が生まれた。「和楽」。和気あいあいのうちに、現実を楽しみ阿々大笑する。それが狂言の真髄ではないか、とおっしゃっている。 幸い、わたしはそんな極限状態に陥ったことはないけれど、些細な日常のできごとで、びりびりしたり、ちょっとばかり深刻な緊張状態にある時でも、そう、車窓から見える山々の紅葉の彩りが増えて、鮮やかに移ろっている風景が目に入れば、そこで、美しさに感動することができるし、そんな時だからこそ、さらに明るく見える。 すでに、何度か引用させていただいた、昨年のレバノンでの花本さんの、「日常生活のなか、突然ミサイルが飛んでくる。それが危険というもの」、という体験からくる言葉に、危険と隣り合わせの住民の方々も、日々、びくびくとしてるわけではなくて、人として、普通の生活の営みの中、当然、何かを楽しんだり、笑ったり、している。 先日、新月掲示板に、鈴木さんが、書いてくださった、ベース「ソウル」も、そんな迫害やくるしみの中でも、束の間の喜びを感じているわけで、に、通じて、それが「文化」というものではないかと思う。 わたしは、ほんとに、音楽的にむずかしいことなんかわかんないけど、でも、どんな時だって「新月」を感じることは出来る。感動することができる。明るい光だ。 新月掲示板でコロッケ5えんのすけさん(ぷぷ。これだけで、コロッケ5えんのすけさんが、過ごされた時代・年齢まで推測できるHNの傑作!)が、「プログレの範疇にとられてはいるけれど、実は中身はそんなことを超越していて、本当に名盤だと思います。」と、言われているとおり、新月、というバンドは、光を「見せてくれる側」として、最高位に座しているのだと思う。 だから、こうして、たった一枚のアルバムを、みんな、当時のファンも、最近知った後追いファンも、いつまでもいつまでも、聞いているわけだよね。 明るい光に飽きる人なんかいないからね。 ああ、鈴木さんの「スピリッツ」だ。 11月24日 鼓星/Orionのタイトルが昨日から気になって仕方ない。鼓に見えるね。 ぽん、という鼓、ぱちぱちはぜる薪の炎と火の粉、に映える重厚、美の粋の能衣裳の衣ずれ、の音が冬空のぴん、と張り詰めた空気の中に一体となって響く。 オリオン。勇者。輝く一等星を抱いて、そして、7人のプレアデスへの憧れを持ち続ける者。 どんな曲なんだろう。いままで、出たきたことのない曲名だものね。 あ、以前新月日記にコドモの頃プレアデスは7つみえた、と書いてしまったけど、6つのまちがい。今はわたしの目でもっと見えないので、かつては7つ全部見えたと、勘違いして書いてしまった。調べたら、もともと6つしか肉眼では見えないらしい。すみません。 全然関係ないが、小田原にオリオン座という映画館があったのだが、つぶれてしまった・・・。あ、なんでこんな関係ないことをつい書いてしまうのだらう。 詩のひとつぶひとつぶ、音のひとつぶひとつぶ。 あのねー、この曲は、わたしだけの曲なの。 んでもって、みんなそう思って、聞いてる人がいっぱいいるね。 11月23日 わははははは。新月のからおけだってー(ちなみにころんたからおけはやらんです)!デパートの屋上では子供が目むいて、からおけぼっくすでは部屋にいる人全員が"冷凍"になっちゃって、『鬼』なんかあったりしたら、やっぱ白装束のコスプレも用意してもらわんと。ぷぷぷ。 う、もしかして、こういうネタは、北山さんいやがるかも・・・。 11月22日 新月掲示板、おへんじ書きました〜。書き込みがいっぱいあって、嬉しいなあ。 いっとき、鈴木さん、津田さん、花本さんのスレがそれぞれ並んで、すごいー、と思ったです。 新月リアルタイムのバンド、を実感〜。 新月掲示板への、鈴木さんのスレに書かせていただいたけど、 スピリッツとソウル、と名づけられた鈴木さんのベースのお話は、最初、かたや、スピリッツは、美しい女神、肉体を伴わないから、この世でないもの、と、ソウルは、正反対の生身の人間の、対照的なものなのかな、と思いながら何度も読み返していました。 でも、もしかしたら、肉体にとどまっているのか、肉体をもたないか、その違いであって、人が誰しも持っている、美しいもの、楽しいもの、透明なもの、信仰、叫び、つらいもの、抑圧されているからこそ、輝くよろこび、その両方を表したのが、スピリッツとソウルは、おなじ、おんなじ、人間のこころ、なのかな・・・・。 表現・・・そこで出される音、に至る、こんな深い思い、色ひとつにも籠められた、歴史、ことば、 メッセージ、生きてきて、そこで積み重ねられたこと、あるいは瞬間的に啓示をうけたこと、森羅万象の、なかで、培われたことがらすべてが、音楽となって、わたしたちの前で、感動を伴って、広げられたちあがってくる。新月の音、を刻んでいる。 新月、って、ほんとうに、すごいね。 11月21日 う。昨日の新月日記読み返してみて、花本さんのCD2への思いに対して、何も、こんなにムキになって書かなくても・・・。と思ったけど、もう何人もの人が読んでしまったか。 仕方ないから、このままにしておくか(恥)。 ただ、製作者自身からの評論的な表現で、ややCD2への固定された先入観が入ってきそうで、ちょっとムキになってしまったかも。 いずれにしろ、「遠き星より」のタイトルどおり、花本さんの文を読めば、このCD2、期待にたがわないものであるのは、間違いないものね。 「新月」だからね。ノリのバンドじゃないんだから。 そして、読みもらさないよん。ボックス内封盤とは別に、「セカンドアルバム」として、「遠き星より(おんなじタイトル?)」が制作されるんだね。 そうか、ほんとにほんとに、BOXは、新月再活動のプロローグ、なんだ。 掲示板、お返事書かなくてすみません。もうすこし待ってね。 11月20日 わーん、わーん。ワ〜ダさんのいじわる〜。名古屋で大笑いしてなごんだあとに、なんだよー。ZEPこわいよー。鳥肌が立っちゃよおおおおっ。ひええええ。偶然なの???ううう。 一旦再発されたCDも廃盤で、現在入手困難のため、今回、BOXには新月自身の手になる、リマスタリング盤で、あきらめていた「新月/新月」をもう一度聞きたい、という、こんなファンの方の夢もかなうね。 でもねー、なんだかわかんないけど、現実にBOX発売日が近づいているのにも関わらず、なんだか、反対にどんどん現実から、新月が乖離してくみたいな、へんな感覚。 これは、わたしの勝手な思い。 自分のサイトの中に閉じ込めてあった、わたしの新月が、現実になるから、わたしから離れていくって、いう、つまり心狭く嫉妬深いわたしの一人だけの感覚だね。 それに、たぶん、こぐまさんと花本さんのミーティングは、BOX作業が終わったのだから、「公式サイト」のことではないのかな。もうねー、新月、ここだけのものじゃなくなっちゃうんだよね。おや、早く公式サイトができたら、らくちん、と言ってたのは、じぶんなのにね〜。 こぐまさんの、書き込みにあった「世界に通用するバンドだと確信します」。これ、1979年時で、確信されていたはずだったけど、それが、今、になっちゃただけだもんね。 だからねー、元々、手の届かないとこにいたのが、ちょっと、降りてきただけかもしんない。いいな。どんなのなのかな? "鬼"用に必要で、作り始めたベースが、津田さんのライブに焦点を合わせて制作されたというお話、は、PHONOGENIXライブで、貧血状態の中でベストを尽くされた、というのは演奏のみならず、表現されたのは、現実にあらざる、何かを超越した女神の衣を纏った「スピリッツ」、と、まごうかたなき人としての重い歴史、おしこめられたからこそ、その叫びは激しく、そしてその中、どんな逆境の中にも人として生まれたからには、必ずあるはずのつかの間であっても喜び、を感じることのできる「ソウル」の2本のベースに籠められた、鈴木さんの思い。 30日のライブ、で、そんな素晴らしい一瞬に、立ち会うことが出来た幸せを、また、あらためて、「METAGAIA」を聞きながら、そしてまだ、これからあと、約一ヶ月後に聞くことが出来る、「遠き星より」に思いを馳せて、かみ締めることにする。 「ほんとうに、どうもありがとう! I LOVE YOU!」 うふふ。うふふ。本当に嬉しいです。えへへ。ぽ、ぽ。 津田さんの「CD2は、またしても類型を見ないもの」、北山さんの「今回のBOXは再活動のプロローグ」 なので、これから、はじまりなので、これから、もっともっと、鈴木さんにそう言っていただけるように、応援していきます。 嬉しいな、うれしいな・・・。 まだ、ほけほけしていられないという、ことか。 しかし、なんだろう、新月BOX製作者であるはずの花本彰自身の、他人ごとのような評論??は。捨てがたい?魅力という表現はなにか。 むろん、これは自身の筆になるように、さまざまな方向からの悔いが残ったため、ゆえであろうことは、読んでのとおりで、そして、BOXに内封されるCD2ではなく、どうやら、「セカンドアルバム」が制作されることへの宣言であるが、この、2005年の、「新月」に対して、たしかに、動的エネルギーとか、みなぎる振動という言葉はあるものの、2005年 の新月の音、懐古編は期待していないのだが、これは、またまた、わたしの読解力のなさか?? でもこれが、あの時代には生まれていない、あるいは時代は共有していても、並行社会で起きていることをしらなくて、でも「今」を生きているわたしたちが、同じに感じることができること、を感じることならば、納得はいくことか。 11月19日 先週いただいた、お料理のデザートが、梨と柿に、リキュールベースのシロップがかかったものに、柘榴の実、が、何粒か散りばめられていて、がルビーを散らしたみたいに鮮やかだったのだ。 コドモの頃は、祖母の家に遊びに行くとそこいらへんに、アケビやら柘榴(時期って一緒だったっけ?)がなってるのをもいでもらって食べたけど、ほんとうに久しぶりに、食べる、というより、見た、食べ物だった。 ギリシア神話を思い出した。 ペルセポネーは、これを4つ食べちゃったから、冥府に4ヶ月止まることになっちゃって、、農耕の女神のお母さんデメーテールがその間落ち込んで、つまり、その4ヶ月が冬、なんだよね(興味がある人は、ギリシア神話・ローマ神話で検索してみてね)。 冬の始まりを示す柘榴が、あまりも目に鮮やかな美しいルビー色だったのが、なんだか意外だったのと、そうそう、7月の誕生石は、ルビーなの。 12月は新●月の月。7月は私の生まれた月。 新月月は冬だけど、実はわたし7月のルビーからはじまるのね。 皆さんの新月への「思い」が、これからBOXが発売になるまで、そして発売になってから、どんどん膨らんで、発信されてくるだろうから、これから、皆さんの「思い」をわたしは、自分の中に入れながら、共有して、いくのが、12月だね。 津田さん、花本さんのお誕生月でもあるし。 あ、子鬼さん、十六夜さんもだっけ? そのためにも、「ころんた」は、しっかりしないといけないね〜。 高橋さんと違って?すぐ自分でめそつくころんたですが、へへ〜、励ましって、好き。 一緒にね、感動する日を共有するために、自己管理に励みますです。 いっぱい、書込みがあって、嬉しい。鈴木さんから、こぐまさんから(いいなー!もう新月全史聞いたんだ!)、ファンの方の思い。は、はやく「ころんた」にならなくちゃ。 ・・・でも寒いのはキライだっ。 11月17日 昨日、1988年に津田さんが書かれた1989年再発盤「新月/新月」のライナーを、LIVE&RECORDSにアップしたので、読んでくださいね。公約?してからだいぶたってしまってすみません。BOX発売までには、花本さんの「プログレッシブ・ロックを想う」を掲載しますので、待っててね。 ちと体調悪く、明日津田さんが参加されるライブは泣く泣くキャンセルします・・・。無念。 鈴木さん、優しいな〜、ひとり、ひとりに、お返事書いてくれて、って思って新月掲示板を見てたんだけど、今朝見て、感激!! えへへ。ちょっと元気になりました。今日から当分、幸せな気持ちで過ごせます。わたしも大好き!! あっ、それに、わたしの王子様、ワ〜ダさんが帰ってきたし〜。ころんた果報者っ。 11月16日 津田さんの日記から、もってきちゃいました〜。 皆さんにいただいたコメントです。 「作期間中もつねにネット上でフォローしてくれた、ころんたさんとサイトの皆さんに感謝」。 嬉しいですね。 発表された、それぞれの曲をゆっくり眺めながら、そして、ほんとに後は、発売日を待つばかり!! 11月15日 新月ニュース、見た? ついに新月BOX完成!! "前人未踏"の事を成し遂げた1stアルバム、1979年の「新月/新月」以来、26年後に発表される、「遠き星より」は、かつてわたしが夢見ていた、未発表曲を再び、聞きたい、の思いを、さらにさらに凌駕する、すべて、2005年の新月の新しい音、今度は、"類型をみない"、新月のセカンドアルバム。 津田さん、日曜日朝の段階で、右手がしびれていたそうですが、大丈夫なのかな・・・。 結局最後まる一昼夜作業し続けていたんだ。 本当に、本当に、孤軍奮闘お疲れ様でした! ゆっくり休んでくださいね。 睡眠ゼロだけど、花本さんも、最後に参加できたんだ。 2003年に、花本さんが、もう一度新月をやってみよう、新月BOXを作ろう、音楽に、人の心を変える力があるかもしれない、と、計画したことが、200511月14日についに実現して、花本さん自身の手で、最後に完成したんだ。 良かったな、良かったな。 良かったね。 誰かがね、何かくれるとき、わー、なんだろ?って、聞くと「いいもの」って、言ってくれる時があるとうれしいでしょ? 新月BOXは「いいもの」なんだよね。 「いいもの」楽しみにしています。 11月14日 今頃は、津田さんマスタリング中かな。体力維持と、脳内麻薬が津田さんにいっぱい出てますように(もお、お祈りがわけわかんなくなってる)。 鈴木さんが、書き込みしてくださって、バンド演ってた人、ころんたみたいなただのミーハーと違って、さらに嬉しいよね〜。 憧れのミュージシャンと、同じ場で対話できるだもんね。 でも、ころんたってば、高橋さんが「笑ってた」まで気づかなかった〜。目あけたまま、何見てたのかな〜。ただ、感激してただけだったのか。 嗚呼、津田さん・・・。 11月13日 新月ボックス、最後のCD2作業状況は、津田さんより、ファイル整理に10時間かかりTDモードに入って、今朝10時時点で36時間経過していますが、後8時間ほど、かかる予定、 それから、マスタリングに入り、14日午後までに、納品すれば、クビの皮一枚?でオンタイム。だそうです。ここで、偉業達成!津田さん、今、そろそろマスタリングに入っているのかな。それともTDスパートかな。いまはただ、津田さんの体力維持を祈るばかりです。 11月12日 いまも津田さんは、ひとりぼっちで作業してるのかな、ううう。 花本さんのはがゆさ、思い、も含めて、文字通り、心血注いだ作品になるんだね。 発売日が待ち遠しい、なんて、まだ、そんな段階のその前に、ひたすらBOX完成へ向けての、制作過程を聞きながら、完成を祈る。 こんな、リアルタイムで、新月再活動の証言者になれるなんて、21世紀の新月ファンは、この幸せものっ(意味不明)。 な、なんか、こっちまで、緊張に耐えられなくなってきた。きもちがわるくなってきた〜(ふつかよいにあらず)。 「しんげつ」と、声に出してみて、それから書いてみる。 「新月」 沈静と、覚醒。 11月11日 夜中、はるちゃんに起こされたわけではないのに、虫の知らせで目が覚める、というのはウソで、飲みすぎて喉が渇いて水のみに起きたのだが、ふと、パソコン電源入れて、新月掲示板見て、あ、花本さん帰ってきたんだーと、思いつつ、書込み読んでひえええぇ。 花本さん、もう次の仕事でボックスに関われず、津田さん、今も一人ぼっちで、トラックダウン(あるいはまだギターを弾いている???)なのね。そういえば、先日の津田さんの日記に「がけっぷち」なるお言葉が書かれていたような。 ボックスの最後の仕上げに来て、直接関われない花本さんご自分でも、書かれているように、はがゆいだろうなあ・・・。 頑張ってください、と、言っても「がんばっとるわい」としか思えないでしょうが・・・、しかし、新月すさまじ。 新月再活動、ボックス製作をリアルタイムで知ることが出来るのは、私たちファンは、非常に幸せだが、ここまで固唾を呑んで、共に証言者になるとは、誰が考えただろうか、いや、ない、と反語を使うところだけど、いや、やっぱりなあ・・・新月だもんな・・・。 予約が告知されたたからって、へたへたなってる場合ではなかったな〜。 "花本ボロボロです。私もレッドゾーンぎりぎり。 がんばりましょう。いいものを作ります。" 「新月」がいいものを作る、と言っている。これを受け止めて、ほんとに、ボックスを手にした時、26年の歳月と、それとはまた別の「重さ」を感じるに違いない。 津田さん、今朝の時点で "30時間ファイル整理して、殺意P2は一曲で5ギガになって大変です。 CD2は現時点で2曲完成。あと3曲は日曜までかかる見込みです" がんばれーっ!! びりびり、する。 11月10日 えへへ。昨日は、ちょっと体調悪かったけど、甘くてすっきり美味しい純米焼酎を飲んで、自分でいろいろ作ってぱくぱく。一度はるちゃんに起こされたけど、後はぐっすり。 まだ、まだやりたいこといっぱいあるもんね。体調悪くしてる場合じゃないもんね。 88年の津田さんのライナーは、エディタに打つだけは打ってから、後はタグ打ち込むだけ(う、アラビア文字問題がしんぱい)。 87年のマーキー誌の花本さんの記事をやっとスキャンして、プリントした。後はこれを見て、打つだけ。 94年のインタビュー記事は、史実部分と、掲載できそうな部分を抜粋して打つだけ。 たったこれだけの事をなんですぐできないんだよ、いつまで待たせるんだよ、早く読みたいんだよっ、と、思ってるだろうけど、ころんただって、日記も書きたいし、スキャナもプリンタも繋がってないから、いちいち運んできて繋ぐんだもん、酒も飲まなくちゃいけないし、ゴハンも食べなくちゃいけないんだから、いろいろ事情があるんだもんっ(また、誰も何も言ってないのに、勝手に逆ギレ)! ディスクユニオンの、「新●月●全●史」の説明に、"メンバー自身による詳細なヒストリー/解説を掲載したブックレット"と、あるので、聞いても、読んでも「全史」なんだね。 うん、とにかく、ヒストリー&解説と、並行するのか、補足になるのか、それとも、当時のライナーや寄稿文、インタビューと、現在との間に変化があるのか。 そんな検証の意味もあって、サイトとして、掲載したい。 しかし、実際BOXを手にしたら、どうなるのかなあ。 やっぱり茫然としたまんま、しばらく聞くことも読むこともできないみたいな気がする。 夢の一つが叶う瞬間、なんて、今から、予想なんて、到底出来ないけど。 そうか、夢の一つが、叶うのか。 11月9日 今度はアラビア文字の魔手が、トップページにまでっ。もお、本当に心臓に悪い〜。 わけのわかんないまま、CDタイトルの英語表記のところを削ってみたり、いろいろやってみて、なんとかなったけど、とにかく原因がわからない。 時々、時間がない時、プレビューしないまま朝そのままアップして仕事行っちゃったりする事があるけど、これからは、必ずプレビューしないと。しかし、なんでこうなるのだろー??? 昨日、告知より先に自分がディスク・ユニオンに予約いれちゃってすみません。 電話して、お店で買うように予約したんだけど、(とにかく、自分で、店に行って、この手で、買わないと、現実にそうしないと、その時点まで信用できないもん。そこまで、まだ、新月を疑っているのか。疑っている。だって、だって、もしかして、まだ、やってるんじゃないのだろうか??)お店の人が普通に「あー新月ですね」って反応が、当たり前なんだろうけど、いつもいつも活動してるみたいなバンドの名前みたいに、言ってくれて、それに、なんだか感激してしまって、お店の人もすごく感じが良くて、それから、それから、現実なんだなと思って、なんにもしてない、ころんたが、気が抜けるってのは、すごくへんなのだけれど、へたへたって、なっちゃった。 ディスクユニオンで紹介してる小さなボックスのデザインの写真?はなんなのだろう。 昨日も書いたけど、嬉しいより、高揚するより、へんな気持ち。 なんでかな、へんな気持ち。 11月8日 掲載予定の「1987年の花本さんの文章」と「1988年の津田さんの文章」のほかに、わたしの手元には「1994年の花本さん・津田さんインタビュー記事(水鏡柳川さん提供。感謝)」が、ある。これはわたしはすでに、音楽誌や他の情報などをいっさい得ていなかったので、全く知らなかったが、一般の書店に売られていたものなので、読まれた方も多くいるだろう。 「全く熱心ではないファン」のわたしのところへ、熱心なファンのみなさんが資料を提供してくださる。本当にありがたい事で、それをここでご紹介するのが、わたしの役目なのだ。 この記事、「新月/新月」CD再発と、「赤い目の鏡」発売に伴うインタビューなので、是非、皆さんに全部ご紹介したいのだが、わたし同様、この記事をご存じない(忘れていた?)花本さんにお見せしたところ、掲載はやめましょう、という事だった。 自身が推敲された文章ではないお二人が語った「インタビュー記事」、という事もあり、表現等の問題もあるので、残念だけど、確かにこれはこれは見合わせたほうがいいかも、と、わたし一人で読んで、しまいこんでいた。 しかし、先日、もう一度読み返して、87年、88年、そして94年と、時代がこちらに近づいているわけだが、インタビューの中にも、新月再活動への布石のような部分があり、「史実」にかかる部分だけを抜粋して紹介しようと思う。 なんでこう思うかというと、BOXにも、おそらくバイオグラフィに当たる表現はライナーに書かれているだろうと、勝手に、想像しているが、BOXまで、「予習」と「おさらい」、 の意味で、今に至る、新月再活動への空白の部分を、少しでも埋めたい、と感じたからだ。 そう、いきなり、再活動になったわけではない。切れていたわけでない。 そうそう、「だらっとのんびり歩いたり止まったり」、これ、このサイトについて、だけのことだけはなかったのだよね。 ・・・しかし、花本さん、帰国して、ここ読んで、またわたしの暴走行為におこるべか。 しかし、先日、竹場さんとお話させていただいた時に「1994年以降、若い人たちの間で『新月』の名が、盛り上がっている」と、お聞きしたのだが、あ、そうか、と、今日この記事の事で思いあたった。 ネットのおかげで、今、このような流れになったが、伏線、は必ず存在するのであって、11年前の、ネット人口などまだまだ少ない頃、やはり、得る情報は、メディアから発信されるものであって、わたしが新月を知ったようにラジオ(竹場さんによると、『鬼』はFM局ではなく、AMでのみ、流されたそうである。わたしの記憶違い)や、紙媒体を通じて、多くの人の目に触れたことにより、「一部の熱狂的ファン」からさらに後追いのファン(それも未聴のファンも含め)に新月の名を知らしめた事も一因かもしれない。 が、現実、新月が、現実、になった事実は、直接ネットのおかげであって、一つの偉大な業績が完成するのに、要因は複数存在するのは、当然だろう。 そして・・・、今日たまたま見たディスクユニオンのHPで、ついに新月ボックスが予約開始になってた。ぼんやり見えるジャケットの写真?が写ってた。 ほんと。なんだな。 なんだかね。 嬉しいより、へんな気持ち。 へんな気持ちになる、わたしがへん、だね。 鈴木さんが書き込んでくださった文体に、高津さんが「新月メンバーについて」(OTHERSを読んでね)で、紹介してくださった "80年代中頃、一枚の葉書が届く。 「元気ですか? 今僕はニューヨークに住んでいます。 先日、セントラルパークにいてボンヤリしていると、突然ジョンの『イマジン』が流れてきました。 そうしたら、急に高津君の事が思い出されて、何だかとても手紙を書きたくなり、今こうしてペンを取っています。……」 その葉書は今も私の宝箱の中にあって、我々の友情の証としてひときわ輝いている。" を、読んだ時、なんだか、一陣の風が通り過ぎていったみたいな、感覚を思い出す。 ・・・嬉しいね。ほんとに。 11月7日 へへ〜。先週ライブ後の翌朝とは、また違う〜。鈴木さんのおかげで、うれしい週明け。へへへ〜。 な、なんか昨日の日記、だらだら書きすぎかも。まあ、読む気のない人は飛ばして読むだろうし(ほんとに言ってることが、違うだろっ)。 BOX聞く順番、やっぱりリマスタリング盤から、聞くべきか、新録音盤から、聞くべきかにしぼってきた!あと、問題がっ。ライナーから読み始めてしまったら、聞く前に全部のライナー読みたくなって、今度は聞く時間がなくなったりして・・・。乙女の悩みは続く。 11月6日 この頃、全然和田さんが来ないよ〜。さびしいよ〜。自分で張った結界にはまっちゃったのだろうか。 きっと、特にボックスがまだ進行中という事で、メンバーの皆さんもだけど、和田さんもお仕事で忙しいんだよね・・・。 この新月日記、当然花本さん、そしてメンバーの方々が、読んでくださっている事が 、はっきりわかってて、常々冷や汗かきつつも、まだ、花本さんと連絡取る前から、書いてるものだし、むずかしいことわかんないし、単純なファンの日記なので、かっこつけても意味ないので、「ころんた」まんま、で書いてる。 そだっ。花本さんが、アルゼンチンに行ってて、ここ見られない今のうちに書いてやるっ。 新月コーナーを始めるに至っての「お守り」の話はさんざんしたけど、でも、実際コーナーを作り出してからは、試行錯誤の繰り返し、なんとか、今の形におさまったけど、そりゃー、原稿まっさきに読んだり、世界でただ一人の幸せもんで、それはいまだにそうだと思ってるんだけど問題は、唯一のころんたコーナー、この新月日記よ。 新月史や全曲目解説がどんどん送られてきた頃は、わーい花本さんのメールだ〜、と、無邪気に喜んでいて、当然、ここはわたしの日記で、自由に書いていいのだが、あーた、「無邪気な可愛いおとめちっく」な感傷は一時で、うっかり、「書いてはならぬこと」を書いてしまって、怒られることしばしば。 昨日、カウンタ、の事を書いたけど、毎日ニュースがあるわけではないし、皆さんが、必ずこの新月日記を読まれるとは、限らないと思うけど、せっかく、来てくれて、読むところがないと、申し訳ない、のような、おもてなしをしようなどと、ちょっと背伸びが、自爆を招くわけね。等身大でいいわけなのに。 花本さんからのメールが来ると読む前に「う。こ、こんどは何怒られるんじゃろか(しかし、学習能力がないのかも。確信犯で怒られることをやってるわけではないのだ)。」とびくびく?してんのよ。 いつどこでチェックされてるのか、ユダンしてると、「不意のお叱り」がきたりすんのよ。い、いや別に毎回怒られてるわけぢゃないけど〜。ここまで書いておいてなんだけど、大半訂正依頼ですな。んでももって、たまにあるわけね「不意のお叱り」が。 あー、可愛いオトメの頃に戻りたい。 んでも、時々、怒られてても、今みたいに、花本さんが見てくれてない状況、てのは、なんだか不安だったりする。 昨年のレバノンロケのように、危険(もっとも、それは日本にいて、日常生活を行っていても、事故とか、普通に危険はあるものではあるけれど、その比率が非常に高いわけで)が伴う地に、行かれている時は、わたしがサイト守んなくちゃー、みたいな思いがあったけど、今は違って、新月がほんとにほんとに現実になったから、ただの「ファン」のサイトの管理人は、バンド「新月」に、追随していけば、いい、みたいな依存心かも〜。 おっとっとと、でもそれは本末転倒。 先に、「思い」ありきで、だから、今があるわけだからね。 え〜、先週、お会いした時、わたしの新月への心狭い発言に、竹場さんが呆れておられたが、「このくらい心が狭くて嫉妬深くないと、ファンサイトはやっていられませ〜ん」とのさらなる発言に、さらに呆れられてしまったわたくし。 あ、そして竹場さんによって決まった?のは、「心狭くて嫉妬ふかくて」さらに「運動神経が鈍い」から、新月サイトを、続けられるという事なのだった。 ふかーく、納得。 運動神経といえば、かつて4年間勤めていた職場に車で通勤していた時があったが、わたしは車の運転が大の苦手で、まっすぐ走ることは出来るが車線変更したり、曲がったり後ろに下がったり止まったりすることができないのだ。 よく無事故ですんだものである。あ、一度自転車の中学生が衝突してきて、人生終わったかも〜というときが一度あったっけ。 あ、原付に追突されたこともあった。あ、止まってる人の車にぶつけたこともあったっけ。 もう車は手放して、運転は全然してない。運転なんかきらいだ〜。 だいたい、なんなんだろう、車でなければ、行かれないところにある、どの地方に行っても、同じ景色のホームセンター。 そのおかげで、駅前が空洞化するのである。 歩いてどこでも行かれるところに、お買い物が出来る場所がなければ、ますます、ご老人たちは、お金を使ってくれず、このままでは、団塊の世代が定年退職を迎えても、経済効果は認められないであろう。 そのためにも、国土交通省は、インフラ整備して、車運転したい人だけ用の、車両専用道路と、路面電車を全面復活すべきである。 あっ、でもそうすると、宅配便でお取り寄せができなくなるし、飲んで夜遅く帰ってきたとき、タクシーに乗れなくて困るじゃん(なんという心狭くて身勝手な)。 しかし、「サイトについて」の書き換えとか、いろいろ、更新しなければならないことがたくさんあるのに、なんだって、えんえん、日記書いてるのだろー。 逃避である。コドモの頃からの、なんかやる事がたくさんあるのに、違う事をやってしまう逃避癖は、いまだに治っていないのだった。もちろん、これは、上記に書いた、「おもてなし」の精神からなどでは、全くない、という事を告白しておく。 で、もって、もう1週間経っちゃった。先週の今頃、そわそわわくわくにこにこしていた時が懐かしい。 まだ、ハイな気持ちは続いてて、でも、もう一週間経っちゃったんだ。 記憶の中で、何度もエンドレスで、ライブの様子が浮かんでて、MetaGaiaの曲と、新月の新曲と、わずか30分だったのに、両方聞けて、なんて贅沢。 MetaGaiaはほぼ新月同様エンドレスで聞いてる。 不思議なことに、気分がまだ、こんな状態の時は「光るさざなみ」を聞けないの。 自分の中に、今必要ない、とかではなくて、反対に、今聞いてしまったら、怖い、という自分でも理解できない感覚があるのは、なんでだろう・・・。 先日、おひるやすみに、外へでた。乳母車を押している若いお母さんと、その横に、何かやって叱られたのか、3つくらいの女の子が、泣きながら歩いていた。 女の子が、お母さんのショルダーバックの紐をつかんだら、重いからやめて、とふりほどかれていたが、女の子は泣きながら、はなさない、はなさないー、としっかり、また、紐をつかんで、おかあさんはそれ以上、ふりほどかず、女の子は、またわあわあ泣いて、ほんとは、きっとお母さんの体のどこかにつかまりたいんだろうと思うけど、お母さんは、弟だか妹の、ベビーカーの取っ手を握り締めてるから、おねえちゃんだから、女の子は、バックの紐をしっかりつかんで、後ろを歩いてた。なんでか、わかんないけど、涙が出てきた。 ううう、白状すると、いままでの「このサイトについて」は、冒頭と、SNOWパーティとかいくつかの部分と、後半部分の自分のサイトについてはころんた自分で書いたんけど、史実部分は、ベースは自分で書いたんだけど、花本さんに書き直してもらったの。 でも、もお到底、頼んでる時間も、書いてもらう時間もないに決まっているので、こわごわ自分で書いたです。 みんなが頻繁に見るところでは、ないけれど、初めて来た人が見る、いわばサイトの「顔」なので、チェックなしでアップせざるをないけど、へんなところないか、心配・・・。 早朝派?のころんた、えんえん日記書いて、新月掲示板を見ないまま、一旦ネットから落ちたんだけど、お昼に新月掲示板を見て仰天。 すすすす、鈴木さんだーっ。 ちょうど一週間前の今日、当時と変らないスタイルで、かっこいいベース弾くお姿を拝見した鈴木さん〜!感涙。 うれしいな〜。どきどきしちゃった。いまだ、お返事書けず。書かねばっ。きっと、見てる人、一体なにやってるんだよ、ころんたはっ、って思ってるのに違いない〜。きゃああ。 それでもってね、何度聞いても、うれしいのはね。「新月の」ってメンバーが名乗ってくれること。ふふふふふふ。 新●月年まだまだ。 11月5日 このサイトには、カウンタ、つけてて、新月掲示板にもカウンタついてるんだけど、ふと気づいたのは、掲示板のほうは1まわりして、今のカウンタプラス20,000。んでもって、サイトの方が、約57,000弱。閉じる前のサイトのカウンタの18,000から引き継いでいるので、実際新月コーナー設置してからは、39,000だけど、サイトより掲示板のカウンタが多いってことは、わいわい盛り上がり、より、「新月ニュース」が目当てでクリックする人が多いという事の表れだと思う。 と、同時に、実は掲示板とメールで、別々の方から、ボックスに関する情報の不備をご指摘いただき、トップページに慌てて、発売日と発売元をアップした。 これは、継続的に、ニュースや、この新月日記を読んでくださる方なら、発売日や発売元を、流れで理解されていることだが、ごく限られた時間で、新月の情報を得たい、という方には、あまりに不親切だったと思う。 ニュース、は、ライブ前々日に、送られてきたもので、ライブ直前も徹夜、リハ、ボックス製作、そして、ライブ後も出発ぎりぎりまで、新録音盤にかかって、アルゼンチンに出発された花本さんが、必死で?打ってこられたもので、このあたり、わたしもきちんと、常に、その時、新しくサイトに来られた方が読んですぐ、わかるように、伝えなければ、と反省しきり。 しかし、いただいたメールや掲示板で、CDショップで、初めて新月がCD化されていることを知った、あるいは、業界に詳しい人でも(新月再活動・ボックス発売について)何も知らない、の発言に、まだまだ、このサイトを含むごく一部のネットでの情報でしか、新月再活動は知られていないのだな、と再認識。 もっとも、12月16日以降、ショップで初めてボックスを見てびっくり仰天。という方の様子を想像すると、ぷぷ、なのだが、もともとこういう方たちは、ネットやってないから、感想聞けないのか。つまらんのぉ。 つまり、全国的に、大々的に、「新月」を知らしめる事が出来なかった。そのため、売り上げを伸ばすことができず、採算がとれなかった。 そのため、セカンドアルバムも、原版制作予算の削減に伴い断念せざる得ず、結果、親会社の倒産、メンバーチェンジの末新月は池袋の居酒屋で解散(ううう・・・)となった。 しかし、この史実に、一つのパラドックスがある。 広宣まで費用を使い、結果、「誰でも知ってる新月」にはならなかったけど、でも、当時のプロデューサーの方が、新月に、とことん納得がいくまで、「新月/新月」を制作させてくれたから、こうして、26年経っても、色褪せず輝かしい、クオリティの高いアルバムが、残されたのである。 だから、いま26年経っても、「新月」を求める熱いファンの声がこうして、ある。 そして、新月メンバーも、ステージと、客席にこそ、別れていたけど、それは新月ライブでは、なかったから、だからだけで、もうね、「新月」の名を、ステージから聞いたもん。 12月16日、新月ボックスセット発売。ふふふ。津田さん、今頃も仕上げに入っているのかな。花本さん、アルゼンチンから帰ってきて、最終的な仕上げになるのかな。 当時は知らなかった、新月、が、できるまで、をリアルタイムで知ることが、できる今のファンのわたしたち、当時を知るファンも、後追いファンも、本当に幸せだよね。 いつもなら、花本さんから送られてきた、メールをそのまんまエディタに、コピー&ペーストして、改行タグ打ち込んで、FTTPでアップ、という、今回くらいのボリュームでもせいぜいかかって15分程度の作業なのですが、なぜか、タグを打ち込んでプレビューすると、日本語のところが、すべて、アラビア文字になってしまうのでした。 いろいろ、やってみたけど、わけわからず、今日まとまった時間がとれたので、いろいろ方法を変えてやってみただす。 どうやら、半角と全角スペースと、数字の半角全角が原因らしかったのですが、コピペしては、全角スペース入れたり、2桁の数字を全角にしてみたりして、一行、一行、作業してはプレビューして見ただす。 途中まで調子がいいので、つい、数行まとめてやってみたら、たちまち、過去のニュースまで全部アラビア文字になってしまい、そのたび、心臓に悪いのなんの。 わけわかんないのは、鬼、と、殺意が何度やってもアラビア文字になってしまい、なんか呪いがかかってるのではないかと思うくらいでしたが、なんとか、出来ました、ううう。 しかし、「新月ボックス」のニュースを始めるために、そもそも始まったこの新月日記が、「新月ボックス」の事を、挙げようとして、1週間もトラブルとは、新月おそるべし。 わたしゃてっきり、ボックス製作でカラダぼろぼろの花本さんが、ころんただけ、らくちんしやがって、と、タグ打ち込むとアラビア文字になるような、おまじないを仕込んでいったのではないか、とか、津田さんが、新月新曲『生と死』がなんで、あのような雰囲気なのか、わかるように、します、ということだったので、こ、これが、そうなのかと思ったが、確かにアラビアンな雰囲気を感じた方もいられたようだが、わたしが感じたのは インドであって、ちと違うぞとか、そもそも、大事な新月ボックス全内容に関するニュースアップを、新月自身が、邪魔する理由は何もないのであった。 ううううう。しかし、 一行打ってはファンのため、二行打ってはファンのため、三行打っては新月の、ボックスはなしに喜べど、陽も高くなるその頃に、地獄の鬼が現れて、アラビア文字に変えるなり (新月和賛。意味不明)。 11月3日 花本さんがアルゼンチンに行ってしまったから、津田さん一人で黙々と、ボックスの仕上げに入っておられるのだろうか? ううう、わたしも今度のおやすみに、ボックス内容の新月ニュースちゃんとあげられるようにします。すみません。 津田さんの1988年の新月/新月のライナーの文章(十六夜さん、hirohiroさんよりデータ提供していただきました。感謝!)と、花本さんの1987年発売のマーキー誌(花本さんよりお借りしています)掲載の「プログレッシブ・ロックを想う」も、ボックス発売前に掲載しなければ。
ライブレポートもともと下手な文だが、文になっていないところがまだある〜。 今日は、水鏡の朝倉さんの「古楽器の演奏会」に行きたかったのだが、残念ながら、仕事のため断念。友人が行くはずなので、後で話を聞くことにしよう。
MetaGaia何度も繰り返し聞いてるけど、津田さんのアルバムだから、新月から浮気してやるっ、て気持ちにはならないね。当たり前か。
11月2日 今日は、新月。 ライブレポート、ちょっと表現がへんなところ手直し。あーあ、せっかく、津田さんが、ステージで高橋さんがちゃんと見えるようにして下さったのに、アップの写真しっぱいしてばかばかばか。手ぶれです〜(涙)。 でもでも、写真見て、あらためて、ステージに、メンバーが居るって、嬉しいなあ。 素敵だったもーん。 新月じゃないとか言っちゃったけど、旧曲ではない、今の新月の曲を、ライブで聞かせてもらって、すんごく嬉しかった。 んでもって、確かに打ち込み中心のPHONOGENIXはライブでは無理、なんてのを密かに信じていたけど、いや、だからこそ、さらに融通無碍で、わたしの好きな『HOME』含めて、 今回のライブでは演奏されなかった曲を次のライブでは是非、映像つきで見たい聞きたいな〜。もちろん、新月メンバーで!! "「Home」は地球そのもののことなんです。 それを、歳を経た女性に例えておりまして、あの声は、北極圏に住んでいたお婆さんが歌った子守歌なんですね。 100歳くらいだったみたいだけど、もうその人はこの世にはいません。 素であの声のテープを聴いたときには、唐突に涙がでましたね。 同時に曲の構造も勝手に生まれました。 こういうことは新月でもよくあるんです。 手法としては「Home」はDeep Forestに近いけど、たしか私のほうが先にやってるんじゃなかったっけ(記録にうとくてあやふやですが)。 個人的には、私は女性の力を全面的に信じたいという思いもありますね" 今も、METGAIA聞いています。そして、『HOME』。 アポリジニの男性ではなくて、北極圏の100歳くらいの女性が歌う子守歌だったんですね。 おばあちゃんが歌う、子守歌だったんだ。だから、いつまでも聞いていたかったんだ。 安心して、いつまでも、ゆらゆらしていたいような気持ちになって。 津田さんが、素で聞いて、唐突に涙がでて、瞬時に感動したと同時に曲の構造が生まれて、それを津田さんが、私たちに伝えてくれる。 だから私たちがその曲を聞いて感動するのは当然で、新月でもこういう事は良くある、という事に、今、1988年の津田さんの文章の(早くサイトにアップせねばと思っているのですが) "新月をある回路構造とすれば、それは今も機能しており、むしろこれからが本番と言えよう" という予言のようなしめくりの部分を思い出しました。 ↓に勝手に引用してしまった花本さんの文(う。後でまた怒られんじゃろか。まあ当分帰ってこないからいいか。そういうもんか。)で、紹介してくださった映画も母・地球の視点から描かれているという事で、津田さんが、地球を歳を経た女性に例えているという言葉に、自分自身、女性の力、は確かに地球のようにすべてを包み込む偉大な力がある、とさらに確信を深めました(笑)。 うん、津田さん優しいし、モテたのわかりますーとその場でも答えたけど、さらに、うん、うん。 北山さん談:「なぜか僕は、みんなに虚弱体質だと思われていて、何か持とうとすると、あ、持たなくていいよいいよ、と横から必ず誰かが持ってくれていました」 そうで、そこにすかさず竹場さんが 「それが実は、岩に登ったりして、実は一番の体育会系ではないか!」 のような突っ込みを入れていました。 しかし、MetaGaia聞きっぱなし。それから、何度も聞いてる『HOME』。100歳のおばあちゃんが歌っている子守歌を聞いてどこかに「帰りたい」と、思い、そして思い込みが激しいわたしが『殺意U』とおんなじくらい、思い込んでしまった曲で、『光るさざなみ』みたいに、思わず涙ぐんでしまった曲。 つづく『WATER HARP』の美しさに余韻がいつまでも漂って。 11月1日 丸一昼夜あけて、やっと落ち着いた感じ。ライブから帰宅してすぐからずっと、ハイテンションで、帰宅後すぐに掲示板に、まとまりつかない長い書き込みをしてしまった。 前々日のボックス内容告知もあってか、すでに百数十人の人がご覧になってしまったので、もういまさら削除できず申し訳ないが、でも、その時の生の感想という事で、許してください。 ライブとアルバムを聞いたのがほぼ、同時、という事になるわけで、昨日書いた感想も、ライブと、アルバムと、やはりこれは新月ファン、新月メンバーが、揃った、ということに感動してしまったけど、新月曲も演奏されたことだし、無理に分けて考えなくてもいいかなと、身勝手に思う。 「THE STAR OF D.O.G」をあげておきながあ、「まぼろし」の事を落としていたり、だから、なじみがあるから、すっと入れた曲なのに、それにきづかず、かなり、アタマおかしいのではと、後から自分で思った。この件に関しては、今月ライブを行う某和風プログレバンドのリーダーより「まぼろしにきづかないなんて、まだまだ〜」というメールを貰い悔しい。 ところで、PHONOGENIXライブの後、北山さんたちと、飲みに行く約束をしていたため、ライブ後早々に会場を出て、それから北山さんたちは楽屋でメンバーの方と一言、お話をされていたが、狭い地下で、すでに機材を搬出している最中で、わたしは、結局楽屋へ入るのをご遠慮させていただき、メンバーのどなたにもご挨拶を出来ないまま、ライブハウスを後にしたのだが、対バンの演奏が終わる頃を見計らって、会場に戻ったら、なんと、わたしを呼び出しのアナウンスがあった事を聞き仰天。 後からお聞きしたら、津田さんの方から、高橋さんをご紹介してくださる計らいで、わたしをわざわざ呼び出してくださったそうで、恐縮だった。 そのまま、しばらく、外へ食事に出かけられた津田さん高橋さん鈴木さんを、竹場さんと一緒にお待ちしたのだが、最終電車に間に合わなくなることもあり、会場を後にしたのだが、ほんの数分後に、津田さんたちは戻ってこられたそうで、何もかも行き違いだったらしい。残念だったけど、津田さんによると、「来年早いうちに機会がある」そうで、今度は30分以上のライブも期待できるのかな〜、で、それまで待ちます〜。 しかし・・・会場に「ころんたさん、ころんたさん」というアナウンスが流れたのか・・・。かなり笑えるが、またまた、この話をわたしが別行動した後、北山さんと居酒屋で偶然遭遇したという、某和風プログレバンドのリーダーにメールすると「ころんたさまころんたさま、ってかなりまぬけ。もっと人間らしいハンドルにすれば良かったのに」と罵倒メールの返事が来てむかむかする。 もっとも、その場にいたら恥ずかしくて、名乗れなかったりして。やはり、ハンドルは当初使っていた本名の○○ちゃんにしておけば良かったなあ・・・。もおいまさら「ころんた」は完全に固定されてるし、いまさら変えられんが。 ライブでお披露目された、新月の新曲『生と死』についての解釈がさまざまにあるようで、津田さんのいわれる、何かの方法でなぜ、そういう雰囲気なのかわかるようにする、という嬉しいコメントがあるので楽しみ。 新月ニュースで、以前鈴木さんが頭を刈り上げて、タイの僧のようだったと書いてあったと思うが、もし、ライブでもそのようなお姿だったら、『生と死』、さらになにやら意味深げだったかも。 昨日、METAGAIAを繰り返し繰り返し、聞いていた。新月の香りのする『THE STAR OF D.O.G』は別として、ライブ前日見たNASA映像でも使われていた『HOME』が特にお気に入り。 地球。HOME。そして流れる男性の、祈りのような、呟きのような、歌?モノローグ?がいつまでもいつまでも、胸に響く。 わたしには、アポリジニの祈りのように聞こえる。ジャケット写真は、津田さん自身が西オーストラリアのピナクルズという場所を撮られた写真だそうで、そこがどういう場所か、勉強不足でわからないけど、そのイメージからの連想かもしれない。 そして、もうひとつ。 わたしのお守りが一番初めにいただいた花本さんからの「新月の花本です」というのは、前にも教えてあげたけど、仕方ないから、みんなにも、ひとつだけ、教えてあげるね。 それからしばらくしていただいたメールに、オーストラリアの短編映画「ONEMOON LIGHT」というアポリジニをモチーフにした、母と地球の視点から描いた映画を紹介していただいたの。 恵比寿で上映されていたそうだけど、残念ながら短期間でわたしは行かれなかったのだけど、そこで花本さんが(今アルゼンチンに行ってる隙に無断掲載)「映画に人の心を変える力があることを再認識しました。音楽もそうかも、と最近25年ぶりに思い直しているところです。」 という感想を述べられていて、ここに、新月再活動へ向けての、太い道筋をつけようとしている花本さんのエネルギーを感じて、いま、『HOME』を聞きながら、花本さんの、この言葉がだぶる事も理由かもしれない。 わたしは、ここに、引用させていただいたこの部分へは、今書いたみたいなお返事は書いてない。もう、すでに、サイトへの作業は、動き出していたから。 そして、新月再活動に至った現在このはじめの一歩、「お守り」がわたしの「HOME」であるような気もする。 そして、人の心を変えるとは、何だろう。 変化、と変質、は違うと思う。変らぬもの、変らないものを芯に持ちつつ、感動させる力。 そこへ引き寄せられる力。 『HOME』 素晴らしいです。 わたしの、「新月ニュース」アラビア文字問題。まだ解決せず。自分で打ち直ししてみるしかないか・・・。なんでここ一番の時に、いつもわたしったら・・・。うううう。 10月31日 未だ、興奮さめやらずで、整理できず。とりあえず、セットリストは、METAGAIAから「DIVINITY RISING」「COSMOS-SPHERE」「THE STAR OF D.O.G」なんと新月の新曲「生と死」、アンコール「WATER HARP」。 そしてアルバム「METAGAIA」、良いです。 感想は「LIVE&RECORDS」にレポートをあげたので、あいかわらず拙い文ですが、良かったら読んでね。しかし、高橋さんのアップの写真を失敗してしまったのが、申し訳ないです・・・。
開演前に子鬼さん、翡翠さんとお茶をのみ、生プログレ話が嬉しい。 和田さんが最近全然、遊びに来てくれなくて寂しい。昨日も和田さん来られるのかと思っていたのに・・・。 しかし、ライブ前に、子鬼さんが、かちかちに緊張していたのを忘れ、席に戻るときに思わずぽんと肩をたたいたら、本当に椅子から飛び上がっていた。あ、ごめんね。 ライブの途中、さすがに、やっぱり新月メンバーが目前にいることに、感極まって、ちょっとタオルハンカチ使っちゃったよ。 「誓い」を完全に守れなかった。
でも、そうそう、体中でリズム刻みながらベースを弾く鈴木さんのスタイルは、あの地味な?新月の中でも「あ、ロックミュージシャン!」ていう華があったと思う。 わたしは何しろ、3回しか行ってないし、到底そんなことできないんだけど、やっぱり歌の時はもちろん北山さん見てて、んでももって、もちろん花本さんが好きだったんだけど、それ竹場さんに行ったら、体育の成績が悪かったに違いないと指摘され図星(5段階評価でずっと3だった)。つまり体育会系明るいノリが鈴木さんで体育できない系が花本さん好きなんだって。へえ。
リハーサルを終えてやってきた、水鏡のメンバーが機材抱えて後方でライブを見ていたが、子鬼さんと阿南さんががっちり握手して、はじめましてのあいさつを交わしていたのが、ほほえましくもおかしい。 来月は、水鏡ライブに、その対バンに津田さんが出るわけで、来月も津田さんのギターを見られるのだ。毎月贅沢。それに、津田さん、来年早いうちにまたPHONOGENIXライブやるみたいなので、楽しみ。
ここで、ひとりで驚愕の事実が!わたしは昨日の昨日まで『浪漫風』を、ろまんかぜ、と読んでいたのですが、「ろーまんふう」なのだそうです。わたしだけが、知らなかったのだろうか・・・。
北山さん、竹場さんとのお話で、わたし自身の新月年譜ではっきりしていなかったところが、解明。
北山さんのMCにあった「第一期新月の総決算」は、鈴木さん、高橋さんが脱退することが分かっていたからこその、その言葉だったそうです。 つまり、鈴木さん、高橋さん在籍は80年までで、先日の日記に、ボックス参加メンバーは鈴木さん、高橋さん在籍時のみかなと推測していたのですが、違うメンバーのテイクも収められているそうです。 そして、「光るさざなみ」への、竹場さんの熱い思いをお話していただき、感動しました。 徹夜明けの昨日のライブの後、今日、花本さんは、NYとアルゼンチンへロケに旅立たれましたが、その5分前まで、ハモンドを弾きまくっていたそうです。ライブとボックス製作の同時進行すごすぎる。PHONOGENIXライブレポートの津田さんのMCにもありますが、相当花本さんボックスでお疲れのようで、体が心配です。 10月30日 アクセス数がとっても少なくて、つまり、ボックス内容が発表された事を知らない人がまだまだたくさんいるという事だよね〜。 会社でだけこっそり?ネットやってる人も多いだろうから、明日会社で仰天する人もいるのだろう。 mixiのPOSEIDONの新月コミュにも告知したのでネットはmixiしかやっていない人もいるという事で(出来れば、このサイトも見てほしいけど)、mixiケータイからも見られるから、わたしが把握できないだけで、案外、水面下で、すでに、みんな感動してるのかも。
今日のライブの事を考えると落ち着かないよ〜。新月ではないって分かっていても、ステージには北山さんが居なくても、目の前に、津田さん、鈴木さん、高橋さん、花本さんが、間違いなく今日居るのだ、と考えるだけで、やっぱり胸にこみあげてくるものがある。 ・・・えーと、しかし、ステージで、津田さん、花本さんがぶっ倒れませんよおに。
「新●月●全●史」の内容をざっと見て、思ったのは、DISC5鈴木さんのセッション除いて、収録されている新月曲の年代見たら、1981年までなんだ。
うわー、これ書きながら、今日、鈴木さん、高橋さんの演奏を、生で見られると思ったら、すでにうるうるきちゃたよ〜。 昨年12月のSNOWパーティ、そして今年のPhonogenixライブ、それぞれのソロ活動を前哨戦として、ついに再活動のプロローグのボックス発売と、まだまだ、そうそう、これから、これから。
泣くのは、早すぎる。泣くのはいやだ、笑っちゃお!!
10月29日 新月ニュースがちょっと不具合があり、ニュースを新月掲示板に書き込んだが、見た皆さんも茫然としているのだろうが、わたしも茫然。 ファンの方から、今年だけ11月がなしで、来月いきなり12月になったらいいのに、というメッセージをいただいたけど、本当。 まさに、「新月全史」にふさわしい。 実際、BOXを手にした当日、なんだか、なすすべもなく、ただ、眺めている自分が居そうだ。
新録音盤を今頃まだ、仕上げに向けて作っているだろうことがすごい。明日のライブのリハもやってるのがすごい。 感動はもっと余裕ができてから、怒涛のような勢いで、来るに違いない。新月ニュースが上げられず、エディタのアラビア文字化けは、謎。こまった〜。 良く考えないと、過去のニュースもすっとんでしまうので、(むろん、バックアップは完全にしてあるけど。うんと遠い将来だけど、このファイルをいつか、誰かに託す日が来るかもしれないような事も考えて。)原因考えないと、等などで、まだどっぷり浸って感動できんわい。 連日の、ほんのすこーしの疲労もあって、勢いもなし。勢いがないと、ころんた節が冴えなくて、いけないね〜。読みに来てくれたみなさん、すまんのぉ。 この一大ニュースをアップしたわりに、アクセスがほとんどないのは、みんなお出かけしてるからかちら?
「負」の部分での感想を先に書いてしまうのは、ネガティヴでどういうつもりか、と、言われてしまうかもしれないが、『パパと一緒に』と、『少女』が、映像含めてカットされていて、ほっとする。 しかし、当時なら、一種カルト的表現として、許されていたかもしれないが、26年前と違い、現在の社会状況、背景から見て、残念ながら、歌詩そのものが、すでに現実に存在する負そのものを表現してしまっていて、歌詩のダブルミーイング・トリプルミーイングを考慮しても、それは、ファンだけが分かっているもので、おそらく一般社会には到底受け入れがたく、通用しないものである。それを鑑みて、カットされたとのだと、勝手に思っている。 何びとにも、少しでも、矮小化した負のイメージを新月が与えたら嫌だ。 そんな意味で、良かった。ほっとした。[ 「全史」と銘打ちながら、アルバム「科学の夜」「LIVE1979」ですでに、発表されているこの二つの曲を、カットしたことは、やはり綿密な精査が行われ、より、新月のクオリティを上げる為だった、と思う。 まずは、ひとつ、ひとつの曲に憧憬と思いを馳せる前に、負から、そんな感想を書いてしまったが、新月の曲は、微笑み、あらゆる生ける者の体温、愛、冴え冴えとした美、重厚な美、時間、歴史、宇宙、その他森羅万象に、曲を聞き、詩を読んだ者の意識をそこに飛ばすのである。それが、新月、だもん。
しかし、明日新月メンバーもへろへろのまま、ライブを行うはずで、あいこか。ころんた如きと、あいこでたまるかっ、と怒られそうだけど〜。 新月メンバー、今日、すさまじい作業をこなしている。遠き星よりのメッセージ、今、の新月のパワーが、ここで凝縮されるんだね。 再び、「凍りついた夢の結晶のよう」に、そして、より硬く、美しい結晶として。 だって、当日、いきなりこれ手にしたら、卒倒してしまうもん。ネットやってなくて、お店でいきなりこれ見た人は、卒倒してしまうかもね。 10月26日 2年前の今日は、このサイトが立ち上がった日だ。当日の新月日記と過去ログを読み返すもなくおぼえているのは、まさかこの日にいきなり原稿が届くとは思わず、ぼーっとしてるうちに、あれよあれよと、まず花本さんの最初の「新月全曲目解説」の曲の解説が、書かれるたびに、どんどん送られてきて、あっというまに原稿が揃ってしまい、大慌てで、WEBにデビューさせのだ。 その曲は『科学の夜』。 平面的なテキストデータから、楽曲が立ち上がってきた瞬間。 その鮮やかさは、目の前に突然、あかるい光が開けたような、目を開かれたような瞬間で、いまも記憶に新しい。 「新月」のサイトが、これから、アクセスしてくるであろう、ファンの目に触れるために、誕生した瞬間でもあった。 そして、「新月/新月」が北山さんの手により 「アルバム全体が夢-夜-朝-昼-夜-夢と、ひとめぐりするよ うに整えられました。」 に、わたしは目を瞠ったっけ。 今日はね、10月2日のわたしの個人的?な記念日ではなくて、新月ファン(新月サイトファンと書くべきか)にとって、ファンが新月のことを共有できるようになった記念日なんだよね。 サイトは続くよ。たとえば、うんと遠い将来、わたしがいなくなって、それから新月のメンバーがいなくなる日はいつか必ず来るけど、新月という芸術は残る。 その後も、引き継ぐファンは永遠にいるはずなのでサイトは永遠だと、思う。 10月25日 『殺意U』の新月版を聴けるのは2枚のライブ盤で、どちらも必ず『赤目』から聴かなければならないのだけど(へんな書き方だ)、かわいそうなやぎが、ふわりと、砂漠の地平線から宇宙へ跳ねて消えていくみたいな絵を描いてしまうような(新録ではイスラームのモードがかぶさるのかな)、このやぎからバトン渡されたメドレーで、それでもって、もし、アルバムにカウンターがついていたら、わたしはいったい、何回、この曲を聴いているのだろう。
最初の「眠れ、眠れ・・・」の歌詩の後からの、ゆるやかな星間旅行に入る前みたいな部分が、実は一番すきなんだけど、まだ言ったことはないかもだけど、これが花本さん10代の頃の曲で、だから細部にやや不満があって、だから、今回新録で、新解釈の曲になって、つまりは10代から、30年以上たって、成長する曲であったということならば、いまだ現実にはまったく成長してないわたしの心の琴線をゆさぶる曲である今聞くことが出来る『殺意U』から、新録は、わたしをも成長させてくれるのかな。 10月24日 ↓、津田さんの新月掲示板へのコメントで「普通」だって。ふ、ふつうなんだ・・・。 10月22日 津田さんからの新月ニュース。「CD2はあとたったの(汗)数十時間で完成予定。 発売日の変更は無しの予定(油汗)。」 ひええええぇっ。 10月21日 書くとまた怒られちゃうかな・・。でも書いちゃえ!後で怒られればいいやっ。花本さんのmixiの表札にキーボードからいっぱい線みたいのが出てる写真のと、キーボードがいっぱい並んでいる写真があって、わくわくしてたら、「メロトロンのテープのかけかえ中。」と「『鬼』のイントロで聞けるSH-1000がその中にしっかり写ってる」ってファンの方に教えてもらった。 えへへへへへへ。 嬉しくて、わくわく。 10月20日 津田さんのニュースによると、新録音盤の『殺意U』は新解釈だって。どんななのかな? 今まで、知ってるのは、セレナーデのと、芝ABCの新月ライブ、そして、遠き星、じゃない、はるかに25、26年前の聞いたライブでのかすかな記憶での『殺意U』で、それぞれ、違うの。
セレナーデ版と新月版とどっちがいい?なんて愚かな比較はしないよ。 同じ曲なのにね、その時によって、セレナーデ版聞きたい時と、新月版(LIVE1979が出るまで、「赤い目の鏡」ね)聞きたい時と違うんだ。ほとんど、新月版を聞くんだけど、 それがなんだかわかんなかったけど、最近確か新月日記のどこかに書いたけど、コドモの頃ぽかんと眺めた星空が、セレナーデ版なんだよね。
セレナーデ版の『殺意U』は、大きな一等星から、スターダストまで、空いっぱい星だらけ。 新月版の『殺意U』は、もう少し「科学」なイメージで、自分がいろんな経験して、大人?になって、もっと宇宙とか歴史とか、いろんなものが意味をもちだした事知ってから見上げて、星の名前も知りはじめたような時の星空・・・って、確かおんなじような事を前にも書いたねえ。 1979年・80年当時のライブでは当然、そんな聞き比べ、なんてしていなくて、ただ、ライブで圧倒されていた曲。さてそれが、2005年の新録音で、一体どんな表情を見せてくれるのだろう。
「HAL&SERENADE」版にもあるのかな?それから「第二期新月未発表テイク」にもあるのかな。 今日のマスタリングはどうだったのだろう??発売前から、これだけドキドキさせてくれたり、はらはらしたり、感動したり、と、やっぱり新月はタダモノではないね。
10月19日 うーん、若いファンの方が増えてくださるのは実に嬉しい。新月を聞いて、うんと好きになってくれればさらに嬉しい。そして、もっと若い方、もっと年配の方、いや、年齢層を超えた、うんと広い、世界へ、うんと遠いところへ、とっとと、手の届かないところへ行っちまえ。 掲示板にレス書きながら、また、子鬼さんの文を読みながら、そうそう、あらためて、新月と視覚、情景、そして「シアトリカル」という新月を表現したことばを思い出した。 ライブを見ていなくて、北山さんのステージアクトを観ていなくても、音だけで、視覚に訴えてくる新月の楽曲。 ゆえに、ライブへの憧憬がさらに深まる。 し・・・しかし、インカのBBSをちらと覗いたら、小熊さんの記事見て再確認してしまった。先月小熊さんとの打ち合わせのとき、花本さんが「綱渡り」というお言葉を発せられたような記憶があるのだが、そ、それは聞き間違いではなかったのか・・・。ひぇぇ。新月がんばれー。 10月17日 聞いて楽しい新月、読んで楽しい新月公認サイト。なんのこっちゃ。 津田さんの、リマスタリング盤に関するコメントを読み返すにつけ、メンバー自身が「確かに前人未踏のことをやってきていた」「今までの再発盤とまったく違うレベルで仕上がっている。」「当時関わった人たちの思いまでがよみがえる」にわくわく。 北山さんの「ボーカルも少し前に出ている」「これまでラジカセ(ラジCD?)などで聞くと、すごーく地味だったのが、そこそこの音で聞けるようになったはずです」(た、たしかにラジカセで聞くと地味)に、うれしいうれしい。 ど、どうすればいいんだあ。(発売日まで悩んでいそう)。 ここで言われてる第一期とか二期というのは、遠山さんがヴォーカルをとられていた時の時代が第一期なんだよね。 「第二期新月未発表テイク」てえのは、以前の新月ニュースによると、スタジオJで津田さんと花本さんがセッションした時に、勝手に奇跡のインプロと呼んでいる二人だけの鬼セッションとか、新月ネイキッドともいえる白唇、鬼のラフミックス、、後期の新曲「赤い砂漠」「新幹線」、などが聞けるのだろうか。 あと想像は「青い青空」とか「絶望の架け橋」(すごいタイトル)とか。
それに、 10月16日 ころんた悩んでるの。悩みが尽きない。何を悩んでいるかって?? もちろん、BOXを入手したあかつきに、真っ先にどのCDを聞くかに決まってるでしょ。 だってだって、山アさんの「新月評」の感想を、15日の新月掲示板にも書いたけれど、1STのリマスタリング盤てば、新録同様、新月の「今」の音にちがいないわけでしょ? 実は密かにCD2「遠き星より(仮)」を一番最初に聞こう!と決心していたのだった。 新録音はまぎれもなく、再活動のあかし。ライブラリは、それは魅力だけど、「今」の新月の音を聞きたいもん!でそう決めていたのだが、山アさんの評を読むと、やはりむらむらと1stを聞きたいではないか。まして、津田さん北山さんの新月ニュースを読むと、ほんとにいますぐにでも聞きたいもん。
ほんとうに、新月には難解、大仰などという表現はあてはまらない。 どれが正しいとか、えらい、とか、そんなの全然関係ない。ほんのコドモの時見上げた星空の美しさの感動だったかもしれないし、探しているものを見つけたくて、書物をひもといて答えが分かったとき、アルキメデスみたいに「ユリイカ!(みつけた。わかった)」と叫びたくなった一瞬かもしれない。 そんな、ひとつ、ひとつ、の出来事はすべて、新月、に通じるのだ、と思う。 10月12日 「新●月●全●史」の内容が発表になって、わたし同様、ファンは今頃、ボックスについてあらゆる「妄想」をめぐらせているのに、違いない。 しかし、津田さん、花本さんによると、たぶん今週中に原盤制作(発売日の2ヶ月前に納品しないといけない??)必死で行ってるはずで、つまり、まだできていないのだろ・・・。 その後がジャケになるのかな。だから、まだ、ボックスってもんは、そこにあるわけではないんだよね。 津田さん、北山さんの新月ニュースにあったけど、1stのリマスタリング盤は中低音がしっかりパワーアップ! で、北山さんから「ラジカセ?」で聞いてもそこそこの音で聞こえるという嬉しいコメント。環境が多少悪くても大丈夫?ということなのかな。 しかし、6枚もいっぺんに新月のディスクを手にしたら、聞く前見る前に倒れちゃうかも ころんたがコドモの頃は、プレアデスが、もう7個全部ではなかったけど、この辺りでも、肉眼で見えたよ。 本当にきれいなものが、目に見えた頃もあったんだよ。 新月の曲はもしかしたら、殆どが「星」を歌ってるのかもしれない。『せめて今宵は』も、遠い星、みたい。 「星」そうだよね、「星」だ。「星くん」だと花形満になってしまうが、そうじゃないってばっ。ううう、なんでつい、おちゃらけてしまうのだろう。 「新月」から小出し?にされるBOX情報。みんなの妄想はいろんな方向でそれぞれ膨らんでいるのだろうけど、わたしは『殺意』が好きで好きで、なんでって、そんな、たぶん、理由みたいなもんを、何日か前に書いたけど、先日見に行ったダ・ヴィンチのレスター手稿展にあった、天文学の部の素描に、で、あ、これ、『殺意』だって思ったんだ。 月の満ち欠け、地球と太陽。むろん、天文的、物理的なことなんかわかんないけど、みんな、ね、軸、で繋がっているの。 これが、わたしの、「新月」。
10月11日 朝から、時間ないから、でもせめて『鬼』1曲だけ聞いた。胸がきゅんきゅんする。 ううう。会社いこ・・・。 帰りの電車の中でぼんやり「遠き星より」って反芻してみた。 なんかね、ほんとにね、じわじわ、嬉しくなってきた。 DISC2にあたる「新録のアルバム」は、だから、25年前に出るはずだった「竹光る」ではなくて、紛れもなく、1stに続くセカンド、つまり「今」の「新月」が出すセカンドなんだってことだよね。 で、このタイトル(仮?)は、うわーい、ではなくて、じわじわ、じわじわ、嬉しい。 『殺意U』を聞きながら、呟いて、さらにさらに、うれしい。わたしへの返し歌、と勝手に自己満足に浸っている。 ご了承ください。リマスタリング盤はなにしろ「中低音」なのですね。 しかし、マニアックな変化とは?? ふふふ。ニュースに、北山真、花本彰、津田治彦って、名前が並んでいて、すごく嬉しい。 10月10日 ついにBOXの正式タイトル、内容が発表になり嬉しい。うれしい。 「中身は現在必死に制作中」との事で、明け方3時半に、そだっ、ディスクの内容が気になり、花本さんにディスクの内容確認させていただいたら、すぐお返事が来て、いまDVDの編集が終わったところ、という事で徹夜でBOX制作作業されているので、もう、信用していいでしょう(まだ疑っていたのか)。
ディスクの内容は 「新●月●全●史」のタイトルにふさわしい、新月集大成で、しかし「新録音盤」がなにより、再活動のあかし。待ち遠しい。 し、しかし、新月掲示板にも書いたけど、ボックスに先駆けて、発売されるはずの津田さんのソロ、「Metagaia」はいつ聞けるのか?? 新月年のしめくくりの3ヶ月は、ファンはユダンできないね。 "BoxのCD2にあたる、新録のタイトルは、 「遠き星より:From a Distant Star」ということになっています。 (但し10月6日現在)" が気になって気になって仕方なかったんだけど、あまりにどたばたしていたので、 ゆっくり吟味していられなかった。 えと、なんかねー、微妙に嬉しい。先日、大好きな『殺意U』の歌詩の中、「遠い」が年月、「星」が記憶、だって思ったばかりだから、なんだか、わたしの思いのアンサーみたい。 でもあくまでこれ、仮?なんだよね。 10月9日 津田さんからの1stアルバムリマスタリングに関してのコメントをご紹介させていただきます。 「ほんとにねえ、改めて現状で最高に近い環境で聞き直してみて、自分たちでも驚きましたね。 当時、確かに前人未踏のことをやっていたんだと確認できましたよ。それが、ちゃんとアナログテープに全て記録されていたんですね。
チーフエンジニアの宮沢さんはすでにこの世に居ないけど、彼の思いまでが蘇るようです。こういうのは、いままでのCDのコピー環境では再現できなかったという感も強いです。
やっと、今頃になって技術環境と「思い」のようなものが、対等に融合できるような状況になってきましたよ。
"自分達でも驚いた"
そして、 この言葉に、なんだか、新月が真の活動を始めるのはまさに「今」なのだなと、26年かかる必要があったのだな、と感じる。時代のほうがノロマで、新月に追いつくのに、26年かかったのだ。
26年前に、前人未踏のことをすでにやっていた新月は、当たり前に、道の真ん中をずっとずっと、歩いて来ていたんだ。
サイト内に掲載してある、ロックウェルの写真の中に、キャプションに、新月のためにご苦労されたという宮沢さんのお姿が2枚写っている。 また当時新月の写真を撮っていてくださった、カメラマンの迫水さん(「新●月LIVE1979」に封入されているセッティング図の左半分の写真が迫水さん撮影)も、亡くなられ、いま、この世にいらっしゃらない、当時新月に関わった方たちの思い、までもが、デジタルと手を結び、蘇る。
そして、北山さんからは、
という、メッセージをいただいた。
新月の活動は、これから。 新月BOX発売が、完結じゃない。
10月7日 津田さんからの、マスタリング報告の新月ニュース見た?? わたしのmixi日記にコメントくださったんだけど(まだBOX見てないから泣くのははやい。だいいち新月そんなに信用してないもん。につけてくださったコメントなのだ(汗。)) 「細部に亘って、当時関わった人間の思いまでが蘇るようです。」 この感動をみんな待っていたんだよね。 しみじみと、さらにあの時以上の感動が得られるのに違いないと、まだ聞く前から、確信できたことが、とにかく嬉しい。 嬉しい。 早く聞きたいね。寒いのやだけど、早く12月にならないかな。
津田さんによると、「わたしも、かなりギリギリでやりきっているというところ、来週中にはBOXの原盤を完成させる予定で頑張っているところです。ジャケも鋭意進行中。」だそうで、新月の作業が完全に終わるまで、まだ、なんだかこちらも緊張してしまうけれど、「まじめに」進行しているそうなので、皆さん、「新月」を信用しましょう(ん?疑っていたのはわたしだけ?)!!
10月6日 今日はいよいよファーストアルバムのリマスタリングがビクターで行われる。BOX発売が12月16日だから、2ヶ月前の完成に向けて、今メンバー超多忙なんだろうな、と思うとなぜかわたしまで、緊張してしまう。夢が現実になっていく。 6月30日の津田さんからのニュースでは「『鬼くらいやるべ』と言ったら、紛糾中(笑)。北山はフォノジェセクションでは微妙。」だったので、やはり、あくまで、 新月メンバーの何人かがゲストで参加」する「津田治彦のソロ」のライブになったわけで、わたしは、自然なかたち、だと思う。 ここに新月のオマケ?はたしかに聞きたい気もするけれど、津田さんのソロはソロ。やっぱり津田さんのソロきっちり聞きたい。たのしみ〜!! あるていど、新月の香り、はするかも??なので、でも、それはそれで楽しみにとっておこ。 津田さんによると、やはり皆さんかなりの多忙の中、「来週中にはBOXの原盤を完成させる予定で頑張っているところです。ジャケも鋭意進行中。」との事だそうで、いずれこれは「新月ニュース」で語られるのだろうけれど、にわかに活発な新月周辺。
外のキンモクセイの香りが鼻腔にふくらんでくる。
10月5日 湿気と低温。こんな日は一番ダメで、はるちゃんにまた、明け方起こされたのもあるけど、朝から調子が悪くて、でもいつもと同じ5時半には起きて、なんかやるものの、やすみだから寝てればいーのに、結局こんな調子では、有効なことは何も出来ずとやっと気づき、「新●月LIVE1979」かけたまま、横になってうとうとするすることに決めた。 眠ることはできないけど、目をつぶっているだけで、なんだか心地よい。
もちろん『鬼』から始まって、新月の曲が流れる。幸せだ。 それきり、2度と、この曲を聞くことはできなかった。オリジナルアルバムには収録されていなかったので、ライブに行く以外に、聞く方法はなかったから。曲名も知らなかった。それから、ライブには行かなかったし、しらない間に新月は活動停止していた。
それから20年たった。あっという間に20年経ったのではなく、誰しもそうだと思うが、20年なりの月日を数えた新月デビューの20年後である1999年に「赤い目の鏡」「セレナーデ+科学の夜」を購入して、初めてこのこの曲名を知った。この大好きな曲に再会できて、本当に嬉しかった。
横になって、目をつぶったまま、『殺意U』が流れる。涙があふれてきた。胸がきゅんきゅんする。 「遠い星で待つきみのためにうたう」。 遠い、は年月、星、は記憶、待つきみ、は「新月」そのもの、うたう、のが、わたし。 遠いあなた、はわたし。
年譜、を作りたいと思っていた。そして、作るのは、かなりの作業だと思っていた。 10月2日 いつものころんたの日常。 仕事から帰ってきて、まずやることは、はるちゃんたんちゃんのおトイレの掃除やごはんのお世話。それから、パソコンの前に座るが早いか、スイッチを入れて、まずメーラーを開ける。 んでもって、2003年10月2日もほけほけと、仕事からいつもの日常どおりのことをやって、 メーラー開いて、いきなり目に入ったのが、差出人hanamoto akira。 えーとー。 これ、もしかして、はなもとあきら、って、読む?? え、え、え"っ!! それからメール開いて椅子から落っこっちゃった。 何度も書いてるから、もおいいよ、わかったよ。と読者の心の声も聞こえるけど、 仕事でも勉強でも(あ、どっちもころんた出来わるいけど)趣味でも、「最初に戻る」事が大切だって、教えてもらった。 でも、この場合は、教わらなくても、大切だから、嬉しいから、感動は何度もでもしたいから、何度も書いて、人は変る、環境も変る、でも原点に戻って、2年前の今日があるから、今がある。 ねえ?面白いね、生きているって。それでもって、素晴らしい。
今日、やっと先月POSEIDONからいただいてきた、「新●月LIVE」のポスターとちらしをアップできた。ちょっと画像がきれいでなくてポスターなんか曲がっちゃってるんだけど、、どちらも、この写真そのものを撮影した、カメラマンの小熊さんがちゃんと撮ったものが、「新月公式サイト〜新月」に載る予定だけど、それまでの"つなぎ"に見てね。 10月1日 うふふ、10月になったね。明日は、わたしの中で、新月再活動が現実になった2周年記念日。早いな。そして、嬉しいな。 9月30日 "愛した母"について、考える。しかし、なんで、『赤目』に限って、新月の歌詩が、ダブルミーイング、トリプルミーイングの事を忘れて、素直に悲しいやぎさんのお話をそのまんま、読んでいたのだろうか。花本さんがやぎ座だからだらだろうか、関係ないか。いや関係あるか。
"愛した母に別れを告げて"、なので、愛していた地球を見放してしまったのだろうか。
「新月全曲目解説」の中でこの曲の詩について、花本さんは、津田さんの曲に、中間部では自分に見えた、「中近東の砂漠の映像」を誇張して書けばよかった、という意味の事を書いておられる。 以前、、Q&Aコーナーで、新月の歌詩の意味について質問をしたことがあるのだが、それに対し、花本さんは「表現は全て、受け手のインスピレーション領域で結実するもの」「作家の考えを鵜呑みにすることは、受け手の中でせっかく膨らもうとしていた萌芽を摘み取ってしまうことになりかねません」と答えてくださっている。 これは、ゆっくりと、かみしめながら、考えてみる事にする。いや・・・考える必要など、ないのかもしれないね。正解、なんかないんだから。 あ、"わたしの"「殺意U」の演奏がはじまった。
明日から、10月が始まる。7月以外に、わたしの中で、真に新月が再活動を開始した大切な月だ。 9月29日 「赤い目の鏡」を聞いていて、ぼやっと思ったこと。"愛した母に別れを告げ"、の、"母"って、何だろう。あら、今頃こんな疑問が。 「新月」の歌詩だったのを忘れて、単純に可哀想なやぎさん、で今まで聞いておった。 新月マジック。あら、ころんたにだけ??
しかし、「うそつき」と言われそうだが、先日の新月日記に書いたビジュアルやメンバー自身の過去の原稿アップ、なかなか手をつけられない状態で、最後に書いた花本さんのマーキーへの寄稿文もいまだデータ化していない。 9月27日 最近、全然新月ニュースがなくて寂しい。自分も新月日記更新ずっとさぼっていたけど、ちょっとニュースや、更新滞ると、あっという間に、アクセス数が落ちるのね。お客さまは、ほんとうに「正直者」ですわ。いや、これ、褒めてるんですよ、ほんと、ほんと「正直者」。 で、ニュース滞るといろいろ想像してしまうのだが、それと、先日の日記に書いたみたいに、新月に何して欲しい?みたいな問いかけを、いっそ新月掲示板でやってみようかとも、思ったけど、これはやめておく。 「再結成」って言葉をなんとなく使いたくないのも、先日の日記に書いたけど、あと、自分でも良くわかんないのは、まったく26年前と同じ、「新月」クローンみたいに、そのまんまを求めてるのか、 今、の音を求めてるのか、それとも、全然違う新月を求めてるのか、こればかりは答えが出ない。 こっそり、わたしに耳打ち?してくださるファンの思いは千差万別。 でも、みんな共通しているのは皆さん同じで、「新月メンバーがやりたいように」、「あの時できなかったことを今、思う存分やってください」で、みんなそれぞれ思い描いているシーンは別々だけど、「新月の何々を」見たら、聞いたら、泣いてしまう、というもの。 バンドの性質上か、殆どが男性ファンからのものだが、大の男を平気で泣かせる、新月。 花本さんに「かなりの外圧(笑)」と言われたが、もう一度書いちゃえ。 やっぱり、カッコ悪かったら許せない。新月の看板は重いのだっ。 9月26日 そうそう、最近来た人は知らないかもしれないけど、そもそも、このサイトの発端は、新月ファンクラブ会長さんで、劇団インカ帝国で、文学バンドの小熊さんと、1979年に吉祥寺シルバーエレファントの新月Xマスライブで知り合って、ライブの後、文学バンドの合田みさをさんや(時任さんも同席されていたと小熊説、そういえばそんな気がだんだんしてきたような???)、お友達と飲んだことを、20年後、わたしがサイトに書いて、それをまたさらに4年後新月で検索していた小熊さんが読んで、メールをくださって、こんな流れになったわけなのだ。 でも、思うに、これは絶対に偶然ではなくて、もう、このあと、新月は鈴木さん高橋さんがいずれ抜けて、そのあと82年で解散?して、それは決まったことだったのかもしれないけど、79年に小熊さんとわたしを出会わせたことは、わたしがそれを書いたことも、またそれが小熊さん、花本さんの目に触れることも、全部、新月は再活動をするための、偶然、ではなくて必然として、配されていたに違いない、と思う。 最初に小熊さんからいただいたメールに「人との縁は大事にしないと」という意味のことが書かれていたと思うが、しみじみそう思う秋なのだった。 9月25日 ところで新月ファンてシャイなのか、なかなか新月掲示板には書いてくれないのに、結構メールではいろいろ思いをいただく。 新月掲示板に書いてくれればメンバーも、読めるのに、これ読んだら励みになるのに〜、という文もしばしばだが、それが、なかなか、内容によって、全部を新月掲示板に書くことは難しいから、メールを下さるので、あって、なかなか、微妙、なところが嬉しくも管理人として、歯がゆいところ。 たぶんに・・・わたしの場合はこの新月日記があって、思いを書いているわけで、思いのたけを書くことが、それが応援なのか、外圧?になるのか、きわどいところ?で、結構皆さん、遠慮されているのかな〜、などとも、思っているが。 あ、最近、トップに貼りつけてあるWEBメールアドレスに、メールを以前にくださった方と、たまたま連絡がとれたのだが、そのいただいたというメールをわたしは観たことがない。そういえば、何度か、WEBメールと普段使ってるメールと両方にメールを下さった方が、いて、そこではじめて、WEBにいただいたメールは時々迷子になって、わたしのところに、届いていないということが判明した。 というわけで、以前、こんなことを教えてあげようと思ったのに、ころんたに無視された。とお怒りの方、おそらく、わたしが読んでいない可能性があるので、懲りずにまたください、すみません。 ただ、質問等、読んでいる方に共有できる内容の場合は、掲示板に書いてくださいね。よろしくです。
あら、mixi、小熊さんが参加されたと思ったら、和田さん抜けちゃった(あ、小熊さんはわたしがご招待しました)。
でもね、今は、どれもこれも「新月」というたった一つのキーワードで、こんなに枝葉が広がってる、という事実、が一番だね。
9月20日 なんかねー、ワ〜ダさんと仲良く花さんが内緒話してたから、つい、ジェラシッコパークしちゃった〜。だって〜ぇ。読んでるみんなにはわかんないもーん。あれえええぇ、わかんないのころんだけ〜? 9月19日 今日は十六夜。でも、雲の向こうでぼんやりとその光の影を伝えてるだけだけど、その向こう側では、こうこうと、冷たい光を放っているのだろう。 「遠い星で待つきみのために」 なぜ、この曲がこんなに好きなのかな。この自分への問いに、その都度、いろんな答えを書いてみたっけ。でも、理由なんか、ないんだもん、ぜんぶが、わたしのものって、曲だから、と思う。今日。 9月18日 そうなのだ(何を受けてそうなのか)。15日の新月日記に書いたみたいに、BOXやライブのこととは別として、新月にこうして欲しい、なんて、のは、わたしもないんだよね。 ただ、これから「何を見せてくれるのかな」、急いでないから、なんだよね。 まずはね、BOX、だよね。ちょっとづつ、ちょっとづつ。 ただねー、わたしひとりが、この新月日記の中で、騒いでいるだけなので、ファンのみんなに問いかけてみたい気もむらむら。 第2章、なんて、勝手な言葉が浮かんでくる。 9月17日 明日は、十五夜、あさっては十六夜。里山にかかる月が、満を持して美しい。満を持して、ね? 9月16日 一気に涼しくなってきたので、暑さに弱い、花本さん、津田さんも少しは元気になってきたかな〜。ころんたの方は、秋は良いけど、寒くなると今度は動きがぴたっと止んでしまうです。 でも、寒い12月にBOX発売なんだから、寒くなっても、無邪気な?可愛い???ファン(なぜか抗議文がきたぞ)として、まだまだこれからも、うんとミーハーしようっと。 11日の新月日記に書いた「公約」まだ、全く手をつけられず。 9月15日 新月は再び動き出している。「再び」。むろんこの言葉を使うのは、一度活動を中断したから。 対外的にはやはり、新月を紹介するにあたっては、1982年に解散した、新月、と言わざるをえないのだが、わたしは解散したとは思ってなくて、だからこのサイト内では、再結成ではなくて、再活動、という言葉を使ってる。 それは、単に25年のスパンがあっただけで、ほんのちょっとおやすみしていた(地球規模、宇宙規模でいえば、ほんのちょっとでしょ)新月が、ちょっと伸びをしてから、動き出した、という、イメージもある。
でも、再結成という言葉を使うと、なんだか、違う気がする。
しかし、頂点、で、ぶつり、と新月は、わたしの前から姿を消してしまった。
だが、新月は再び動き出していた。2003年7月に、おそらく、世界で初めてわたしがただ一人、ファンとして、このニュースを小熊さんから聞いた時、どれほど、どれほど、感動したか、ファンの方たちなら、わかっていただけると思う。「新月は、まだ動いているのだ」。この思いをかみしめて、喜びが、未来へ向けてひろがっていった。この日の日記に(まだ新月日記じゃなかったっけ)「新月がまた現実のものとなることを想像すると震えがくる」と書いたとおりだ。
そして、以前からこの新月日記を読んでいる方は、もう飽き飽きした、という方が殆だとは思うが、10月に、とどいた一通のメールを開く前に、差出人の名を見て椅子から転げ落ちたこと、そして、そして、メールを読んで、どれだけ感動したか。
「遠い 星で 待つ きみの ために うたう」
でも、二度と、見ることは出来ないんだと、思ったことは一度もない、という事は、今思えばそう思っていなかったんだな、と、感じるけど、そんな意識はなかったのだ。
新月は、頂点で、ぶつり、と切れて25年経った。最高のクオリティ、そして、そのまま、出るはずだったセカンドアルバムをださないまま。
だが、繰り返し言うけれど、「百年の恋の相手」が、カッコ悪かったら許せない。
「再結成」だと、なんだか、また、そのきずながいつかばらばらになってしまうような、そんな言葉の強さがある。それは、嫌だ。
その絵巻物の名は「新月」
それにしても、ファンのみんなは、これから、新月にどうして欲しいのだろう。
期待は膨らむけれど、再活動後、今、現実に私達が手にしているのは、「LIVE1979」のみ。だけど、昨年9月にこのアルバムが発売されて、津田さんのソロ「METAGAIA」発売のニュース、SNOWパーティでのメンバー3人による演奏、そして、北山さんからのセカンドソロのタイトル曲が「人工睡眠」に決まったこと、2003年よりの計画どおり、新月BOXが制作されていること、新月再活動のあかしである、「新録音」が着々と(・・・)すすめられていること、そして、津田さんのPHONOGENIXライブ、12月16日BOX発売予定の頃に合わせて、新月公式サイトがたちあげられること。 なぜか、躊躇しているのだが、新月掲示板で思い切って、皆さんに問いかけのスレをたててみようかと思っているが・・・。 メンバーが「仕事で忙しい」。 仕事って、なーに??? そうなんだよね、メンバー、誰も、全部、新月じゃないんだよね。 9月12日 「METAGAIA」アルバム、い、いつになったら聞けるんだろう??? BOX、花本さん、ついに具体的にデザインの打ち合わせに入ったんだ〜。神崎夢現氏は、METAGAIAのジャケットのデザインをされた方・・だよね?・・・しかし、花本さん、自分で細かいって、言ってるんだから、本当に細かいんだろうな・・・(常にわたしの不安、は、間に合うんだろうな、なのだった)。 そして、感動した。 9月11日 「公式サイト」を花本さんが作られる、と聞いたのはずいぶん前で、かれこれ一年以上前ではなかっただろうか。まあ、それはともかく、嬉しいのは別として、「新月史」「新月全曲目解説」を「公認サイト」から、切り取られて持っていかれちゃうのかな〜、ていうのが、ほんのちょーっと、心配だったんだけど、まったく変らないのに、一安心。 わたしが、新月を語るのに、繰り返し、繰り返し、新月のアルバムを聞くのと同じくらい、読むところなので、全く同じ文であるにも関わらず、それを「公式サイト」に読みに行くのと、自分のサイトで読むのとは、距離感が違う気がする。 いずれにしろ、いままでと変らないとはいえ、「公式サイト」が立ち上がれば、「公認ファンサイトー新月」は、アクセス数は減るだろうが、その分、なんだか解放されて、さらに自由に書けるのだろうとは思う。 ふっふっふ。 しかし、なんかその、寄る年波のせいか、最近、とみに、脳みそにメモができなくなり、シマ状に記憶が薄れ、先日の花本さん、小熊さんとの打ち合わせで、ひとつ、当時のことを質問させてもらったのに、答えがなんだったか忘れてしまった・・・。てか、何を質問したのか、忘れてしまった・・・。ライブの時の小道具の棺おけについてだったような・・・。とほほ。 というわけで、いや、何がどういうわけだというと、自慢の記憶力(ってもともと機能してなかったに違いないが)が全く役にたたなくなっきた昨今、いろいろダンドリとか、頭に入れたつもりがいや、ほんと、まったく頼りなくて、まだまだ公認サイトでやることを、先に書いておかないといけないっと、最初はころんた個人の日記にメモしておこうかと思ったが、流れていってしまうので、こちらに書いておこ。 そしたら、読んでる人たちが、ころんた早くやれよっ、と忘れそうになったら、厳しく催促してくるに違いない、うん(他力本願)。
1.POSEIDONから提供していただいた「新●月LIVE1979」のポスターとちらし(新月ボックスの概要が少し告知されている)写真掲載。これは、当然、公式サイトで、カメラマンの小熊さんが撮ったちゃんとした写真が掲載されるのですが(というか、ポスターもアルバムジャケットの北山さんの鬼装束の写真ですが、この写真そのものが、小熊さん撮影ですね)、それまでのつなぎ、に、わたしが載せます。 2.「光るさざなみ」のライナーですが、日本盤とMUSEA盤では掲載されている写真が異なり、わたしが持っている日本盤では、北山さんのカラーのステージ写真が一枚ですが、MUSESA盤では、白黒のおそらくABC会館の北山さんの写真が3枚、メンバー全員の写真が1枚、それから、北山さん、津田さん、花本さんの3人のスナップ写真が1枚掲載されています。
この白黒写真は小熊さんが撮影されたそうですが、なぜかお名前がクレジットされていません。MUSEA盤をわたしは持っていなかったのですが、先日、わざわざアルバムと共に、写真もスキャナで撮ってくださった方が送ってくださったものです。
3.1989年再発の「新月/新月」に、1988年に津田さんご自身が書かれたライナー・ノート。こちらも、わたしは所有していないのですが、お二人のファンの方に、お願いして、送っていただきました。 津田さんのライナー掲載が伸びたため、先日発見されたという、1987年に花本さんが書かれた、マーキー誌への寄稿文「プログレッシブ・ロックを想う」を同時に掲載する予定なのですが、こちらはまだ、資料をお借りしてはいますが、まだ、まったく手付かずで、データ化していない現状です。
いずれにしろ、新月BOX、公式サイト立ち上げ前までには、必ずアップする予定ですので、お楽しみに。
9月10日 『茜さす』。昨日の子さまの書き込みに、北山さんが第二番は大海人の皇子の返歌に躊躇された、というエピソードが、かなりわたしは、嬉しい。 史実、は別として、この返歌がそのまま歌詩になると、大海人の皇子の生の感情がそのままあまりにストレートに、メロディに乗ってしまい、「新月的」ではないと思う。
「新月史」に、
で、新月史で続く記述は、 9月9日 昨日、思い切って、「劇団インカ帝国」掲示板に書込みしてよかった。劇団インカ帝国の公演は見たことがなく、しかし新月と深く関わりのある劇団で、わたしにとってはまさに、もうひとつの、あこがれの「伝説」なのだ。 SNOWパーティや、ブディストホールでお世話になった、おたけさん、よひら子さんにお返事いただき感激。 さらに今日は、青子さんに、新月掲示板に劇「浪漫風」と新月曲『浪漫風』『竹光る』『茜さす』について書いていただき、恐縮と共に嬉しくて仕方ない。 観たことのない、インカ帝国の劇、と新月。タイムマシンでもない限り、叶わないことだから、余計に夢みたいな、わたしが知りたかった、「記録」と情景だ。「紙上ライブ/浪漫風」嬉しいな〜。楽しみ!! 余談だが、ラフォーレでのライブは、『赤い目の鏡』と『鬼』の間に、大道具・小道具のセッティングがあり、かなり間があったのと記憶している。 9月8日 ものすごく暑くて、さすがのわたしも、クーラーを入れてしまう。でももう夏、じゃないんだよね。 昨日の夕方の空は、泥絵具で描いたみたいな雲、の上下に茜に縹。 美しいけどなんだかまがまがしい空だった。けど、今日は抜けるような青空。
今日は、「新月/新月」「科学の夜」「赤い目の鏡」「新月LIVE1979」。聞きながらパソコンに向かって、至福の時。着物出してあれこれ、触って考えてる時とほぼおんなじくらいに幸せ。
公式サイトが出来ても、やることかわんない。作業は一番楽しい。 んでもって、それがきっかけで、「マッチ売りの少女」と「フランダースの犬」の事を考えてしまったんだな。 音楽劇は、イラストのスライドをバックに「おねえさん」が物語りを読んでくれたんだけど、マッチ売りの少女は、雪のなかはだしで(ううう)マッチ売って、マッチが売れないと、うちで待ってる「おとうさん」にブン殴られてしまうのだそうだ。 働かないオヤジがいたとはしらなかった。とんでもないっ、と、働かないでのんだくれてるおとうさん、を連想してしまったが、良く考えたらこの場合、「おとうさん」は呼称であって、日本ではいわば角兵衛獅子の親方みたいなもんで、可哀想なマッチ売りの少女は、マッチ売り会社という組織の中の、単に「ごはん」を対価として、収入を搾取されている幼いながら、労働者として、この「おとうさん」に雇われているのではないかと思ったのだった。 マッチ売りの少女は、「町」でマッチを売って、売り手は全部「他人」だ。 おかれた環境はかわいそうだけど、なんだかそこにドライな客と売り手、という図式がある。「町」だから。 ちょっと、それるけど(そもそも、この話自体は直接は新月とそれてるんだけど。でも、すべての理は新月的である)、「町」の中の可哀想な幼い労働者、として、マッチ売りの少女、というともう一つ、連想するのが、日本では江戸時代の蜆売りの少年、とか、納豆売りの少女と同じように、ロンドンの町を「sweep、sweep」とすす払いをしましょうと流して歩く少年煙突掃除夫の話で、これは「エリア随筆抄」の中で紹介されている話なのだが、その解説の中でウィリアム・ブレイク(わたしが、ブレイクの詩を知ったのは、EL&Pの「恐怖の頭脳改革」だった〜)は、その「sweep」が「weep」泣きましょう、と聞こえると描いている、とコメントがついている。
「フランダースの犬」のネロが違うのは、ネロが生きてるのは「村」。みんな、知ってる人だ。知ってる人に牛乳売って、雇用されて酷使される労働者、ではなくて、「家」の生計を担っている。「村」との関係が保たれている間はいいいのだけれど、そのバランスが崩れた時、ネロの悲劇がはじまる。
いま、いろいろなニュースで、目をそむけたくなるような事件がある。「ムラ」どころか「家」で。コドモの頃、ほんとうに、ほんとうに怖かったのは梅図かずおさんの「へび女」で、安心して、帰れて、ぬくぬく、いられる筈の「家」で守ってくれるはずのおかあさんが「へび女」になっておいかけてくるシーン。 9月5日 今日は津田さんのライブのチケット販売の日で、お店に直接電話してチケットとったりしたことないので、早くから電話して予約しようと思い、どんなキタナイ手を使っても会社やすんじゃえ、と思っていたのだが、さすがにきょうは絶対休めないことが判明。しかしっ。それを知った方が、ころんたの分も予約を取ってくださるとおっしゃていただき、うれしい〜。人は一人で生きてるんじゃないのね〜。 9月4日 うっかり、変な錯覚があって、これで、役目が終わったとか(意味不明)、もう安心していいんだ、なんて、気が緩んだことを思ってしまったが、ちがーう。公式サイトが出来るのは、まだ3ヶ月先! だいたい、「公認」サイトの看板しょってるんだからね、と、我に返る。「負けないもんねっ(さらに意味不明)。「新月」と「新月ファン」の正しい図式が並び立つのは、本当に嬉しい。いずれにしろ、スタイルは変わるわけないので、ただ「公認」の看板に恥ずかしくないようにね。と、言っても、今のままだけど。 しかし、どこで売ってるんだろう。「アタマのよくなるクスリ」。ううう。 9月3日 ふっふっふ、ふふふのふ。 公式サイト、本当に嬉しいな。 楽だ、といいつつ、ころんたも、まだまだ、やること、実はたくさんあるんだもんね。 公式サイトに負けないように(勝負なのか?)、みんなを飽きさせないようにするもんね。待っててね〜。 9月2日 花本さん、小熊さんと、ついに花本さんが立ち上げる「公式サイトー新月」、と、この「公認ファンサイトー新月」とのリンクについての、打ち合わせをしました。 いよいよ、公式サイトのかたちが、明確になってきました。
「新月ニュース」は、公式サイトから発信されます。 公式サイトには、「ビジュアル資料」が置かれます。 新月ニュースは、公式サイトから発信されますが、このニュースは公認サイトにも、リンクされ、いままでのウィンドウではなく、公式サイトのスタイルのウィンドウが、別ウィンドウで開きます。 「新月史」「新月全曲目解説」は公式サイトに掲載されるので、これを、このまま、公認サイトにもおくのか、公式サイトだけの掲載にするのかを、選ばせていただいたのですが、「新月史」は、データをファンサイトとしても保管したい、という理由と、個人的に、新月日記を書く時の大事な史料を、自分自身のサイト内で読みたいために、このまま置きます。 「新月全曲目解説」も、「新月史」と同じ理由と、それプラス、ころんた感想文が各曲についているので、これはファンサイトらしく、ミーハー的に継続したいので、こちらも、このままのスタイルでこのまま置きます。 つまり、新月ニュースが、正しく「公式サイト」から発信されるという事以外は、全くこのサイトは変わらないので、「公認ファンサイトー新月」をこれからも、このままよろしくお願いいたします。 「公式サイト」立ち上げまであと3ヶ月です。花本さんの具体的なイメージと、小熊さんの技術が、どんな風にわたしたちの前に表れるのか、楽しみです。
デザインという言葉は全く無関係な、ひたすら、地道に、HTMLで書かれているファンサイトの、寄らば大樹の影?の「公式サイト」が立ち上がる事が、本当に嬉しいです(あー、楽だ)。
9月1日 10月30日のPhonogenixライブについての感想を書いた先日の、わたしの新月日記を読まれた津田さんから、メールをいただきました。 販促ライブ、という冠詞をつけてしまったのですが、これは事実とは異なり、あくまでPOSEIDONフェスティバルに参加する、という事で、CD販売が主目的ではありません、という事です。すみません。 なので、先日の日記から、「販促」という冠詞をはずして、文を訂正しました。 また、ライブは、CDの内容よりも少し踏み込んだ内容にしたいとも思ってられるそうで、さらに、30日のライブが楽しみですね。
チケット発売日の5日は会社を休めないことが判明!なるべく早く帰って電話しようっと。お店に電話して、チケットを取るという事をしたことがないので、ちょっと、見当つかずで緊張してます〜。
8月31日 現実に新月が動き出している。 そして、ここは「新月公認」サイトだ。ファンサイトだけれど、この管理人であるわたしは、ミーハーな気持ちだけではいけない、という自覚が必要だと実感する。 しかし、失敗つづき。やっちゃった!の方が多いくらいで、正直、いろんな方にご迷惑かけどおし。いずれ、みんなに見捨てられてしまうのではないか、と危惧を抱く日々だけど、またそれに落ち込んでいるヒマがないくらい、怒涛のようにおしよせる出来事、落ち込んでるヒマがないくらい、また、やっちゃったよ〜(涙)。自分でしでかしたこととはいえ、メールボックスを開くのが、ちょっと怖いような日々。だが、そんなヒマもないのだ。動くというのはこういう事なのだ。 いまのわたしに要求されるのはただひとつ「冷静な判断」なので、これだけは肝に命じていこう。 8月28日 順番に、順番に、考えていくと、津田さんのソロアルバム&ライブ。それから、新月のBOXセット発売。確か、BOXセット発売の半年後くらいを予定して、北山さんのソロアルバム発売が予定されていると書かれていたと思うので、たぶん、BOXの制作が完了してから、北山さんのソロアルバム制作が具体的になるのかな、などと、勝手に想像している。 それから、BOXと同じ時期に立ち上げられるという、花本さんの「公式サイト」。 ふっふっふ。ふっふっふ。
いやしかし、津田さんが10月30日に、「鬼くらいやるべ」っと明るく発言して下さったのは嬉しかったよね〜。 8月27日 すでに、ニュース、新月掲示板を見た方はご存知だと思うが、10月30日のPhonogenixのライブで、新月曲の演奏は多分無理、という事だ。 むろん、5人のメンバーが揃うことが最大の悦びだったけど、うれしすぎるのと、最初から、対バンあり、演奏時間は30分という事で、ど、どうなるんだろー、と、心臓ばくばくだったが、なんだかね、これは新月ではないし、実のところ、今は、正直な気持ちで、「新月の曲が演奏されないことになって良かったかもしんない」と思ってる。 この新月日記の熱心な読者?は、ご存知かと思うが、2003年の、まだ、花本さんから、メールをいただく前の、小熊さんとのやりとりの中のお話で、新月はライブを録音するなら、最高の状況で、最高の機材で、と、思ううちに、ライブ録音の機会を逸してしまった、とある。 という理由で、結果的に、先にオーディエンス録音の1979年のライブが発売されたり、昨年の、ニュースを読むとLive1979のマスタリングで苦労されたりと、いう事をわたしたちは知っている。 でも、だから、5人揃うというニュースはすごく嬉しくて、もちろん、新月の期待もあったのだけれど、 常にクオリティの高さを求めている「最高の状況で、最高の機材で」が、新月。 急いで、無理やり30分の中に新月がなくても、いい。百年の恋の相手が、眉間にシワよせて、小走りで汗かいて、こっち向かってきたら、ちょっとやかも。うーんとカッコ良く、スマートに、ゆったりと、ゆったりと、微笑んで来て欲しい。待たせたね・・・って。その待たせた年月を経た分、大事にしまっていて、見せてくれるものは、なんだろう。
なにしろ、25年待ったからね〜。もお、急いでないもんね。「新月」として、ライブ演るなら、最高の条件で。
そして、また、そういった新月らしからぬ、一発録り、がまた、新しい側面で、新月BOXが楽しみであるわけね。
8月26日 うん。「新月公式サイト−新月」の文字が嬉しい。日記の最初の頃にも書いたとおもうけど、このサイトをたちあげ当初、花本さんは公式サイトでも、公認サイトでもどちらでも、と言っておられたが、わたしは公式サイト、の名だけは固辞した。 ほんとに、ほんとに、これは手柄?だったと思う。 メンバー・あるいは関係者が運営する「公式サイト」があって、ファンが追っかけていきたいものね。 このファンサイトへのリンク方法も懸案事項、という事だが、花本さんの頭の中には、すでにイメージが出来上がっているのだろうか。 BOX、サイト、と、新月側から発信される表現物は、想像以上のスケールと、いよいよ、確信して良いのだろう。 8月25日 50000ヒット。キリの良い数字って、気持ちよい。 30,000ヒットに続いて(40,000の時は知らない間に40,000になっていた)。また和田さんが踏んでくださって、すんごく嬉しい〜。 というわけで、苦しがっている場合ではないのだ。翡翠さんの言われるように、まだまだこれから、どんどん、新月を応援していかねばならんのだ。 ニュースに、ついにベールに包まれていた「新月公式サイトー新月」の立ち上げが花本さん自身から発表された。「新月ファンクラブ会長兼文学バンド小熊氏」の記述が、当時のようでこれが嬉しい。ほんとに、想像以上に、新月は活発。 そして、BOX、はさまざまな「新しいこと」を巻き込んで発売されるわけだ。 「新月」。永久にたどり着けない地平線。永遠に終わりのない宇宙。百年の恋の相手は、相当カッコ良くなって帰ってくる予感があるね。 ・・・しかし、新月掲示板にもしばしば暑さに弱い津田さん花本さんの、弱気なぼやきが見えるが、夕べの翡翠さんの厚いの「シンドイ」を読むと、暑さに弱い人にとって、暑さというのは、本当にエネルギーを奪うのだなあ、と実感。ころんたは、寒いのやだけど、早く涼しくなりますように。 8月24日 先日、ころんたがころんたに、戻った、って書いたけど、大嘘。「光るさざなみ」レベルだと思ったのだが、「光るさざなみ」でも効かない。 「でも、くるしいか?と聞かれたら、実は、ほんのすこーしだけ苦しい。 ほんのすこーしだけね。」? いや、かなり苦しい。 すでに、12月16日、新月BOXは必ず発売になると、花本さんのニュースや、新月掲示板にもある。そして、PHONOGENIX発売と、その販促ライブが、30分とはいえ、新月オリジナルメンバーによって、行われるニュースが先日津田さんから届いている。81年以来、実に24年ぶりに、5人がファンの目の前で演奏するのである。 新月ファン全員、みんなで、大喜びで、小躍りして、生き生きしてる中、ころんた一人で、何くるしがってるのぉ〜?へん。と思うのはごもっとも。
確か春先にも、これは花本さんに言われた言葉で、「新月を客体化して自分の中での比重をもっと小さくすること」。 「新月日記」はわたしの個人的な日記とはいえ、新月の名を冠してる限り、読んでくださってる方は、たとえば、新月掲示板の延長の、ひとり書込み、をROMする、ような感覚で読んでくださっていると思うので、泥酔してようが、寝ぼけていようが、そこに書かれている「新月」への思い、を読みにきてくださっている。 けど、いま思えば、なんで、ファンの方たちがそんなメールを下さったかというと、やはり「新月日記」を読んで、ちょっと疲れ気味、とかつじつま合わないような文だと感じる時に違いない。当然、この新月日記を厳しく(汗)チェックしている花本さんからも、「やすんだら」のメールを一度、いただいたこともある。 小熊さんからメールをいただいて、まずは、立ち上げた、「新月日記」。そこから数えると、もう丸二年経過した。 で、何度か書いたけど、10月2日の時点で、もう、わたしはここで、寝ぼけてるのではなくて、「こんなにサイトが大きくなるとは思いませんでした」などとは、夢にも思わず、サイトどころか、新月が動き出しているのだから、間違いなく、こうなることが、分かっていたはずである。 当時、朝、出勤前の、4時半から6時半が、サイトのハコ作ったり、原稿整理する時間で、最高に楽しい、朝の作業だった。だから、わたしは、がんばってもいないし、楽しいことをしていただけだ。今は、勤務地や引越しの関係で、朝こんなに時間は割けないが、その分、テキストが減り、今度は本当に新月再活動になり、そこまで時間は必要にならなくなった。 今は、もう、待っていればいいだけなのだ。で、ちょっと、自分自身、「やすみ」を実感してる。別に、これ、日記を書かなくなっちゃう、のではなくて、精神的に、の話で、ふと、一番はじめの日記に戻ってみた。 なんだか、アルバムをめくるみたいだ。 2003年から、ずっとずっと、新月関係者が、こうやって、ていねいに、ていねいに、作り上げていこうとするBOX。 つい先日、これは、わたしのとほほ、について、新月同時期のとある大物バンドの方から、大事なのは、スピードではなく、内容だという事を、新月が身をもって、教えてくれた、という、ありがたいメッセージをいただいたばかりだ。 急がないようにしよう。だから、「やすむ」。いまとことん、「新月を客体化して自分の中での比重をもっと小さくすること」を実践しなければと思う。
・・・おっと、ここまで書いて気づいたけど、こう書いてる事自体、全然「新月を客体化」も「比重を小さく」もしてないじゃん・・・。でも、こう書くことで、もう、大丈夫。 8月23日 POSEIDONより、10月30日のチケット予約方法が、告知された。現実なのかな。新月の5人が、揃って、ファンの前で音を出す・・・。夢みたい。 8月22日 な、なんか、なにがなんでも『不意の旅立ち』を聞かねばならない衝動にかられ、朝から、タケシ。 しかし・・・新月ってすごかったんだな〜。「かった」という過去形なのは、こんなすごい曲を、ゴマカシ?きかないライブで演っていたなんて。 そしてまた、いくつかのホールは別として、小さな、ライブハウスで演奏されていたなんて、砂粒の中に宝石が隠れていたみたいだ。 タケシ、スタジオ録音盤を早く聞いてみたいな。 一番情けないのは、きちんと相手の意図を理解しなかったり、また、反対に伝えられなかったりで、ひとさまに、迷惑をかけてしまうことだ。 ダメダメだなあ。 今日はさすがに、堪えた。人の意図を汲めなかった。自分の思い込みで見切り発車をしてしまったために、困らせてしまった。すみませんでした(数こなしていても、謝るのに慣れる、なんて、ないよ〜。情けない〜。) でも、くるしいか?と聞かれたら、実は、ほんのすこーしだけ苦しい。 ほんのすこーしだけね。 時々、自分の、能力以上のことをしようとしてるのではないか、ただ、わたしはただ黙って、情報を伝えていけばいいだけで、ファンの人たちはそれだけで、充分満足で、わたしの感想など、邪魔なだけではないのか・・・(もっとも、そういう人は最初からわたしの書いたとこなど読まないか)。ここ、数日のことのように、へんに新しいことをしようとして、地雷を踏みに行く。 じゃあ、新月をただ、聞いていた時に戻りたいか?などと言われたら、絶対に、絶対に、絶対に、戻りたいわけがない。 今が最高だもん。 ある日、突然、「新月」という、日本一重い看板の一端をしょってしまった、ただの一般人、ころんた(笑)。 そして、最高に幸せな一般人であることに絶対間違いは無い。誰にも譲れない。 ゼロか100。重い看板、時々落としかけるけど、まあ頑丈だこと。 「新月」という、唯一無比のバンドを、応援していくために、まだまだ、かなり失敗もするかもしれないけれど、耳の痛いことも時々言っていただければ、もっと、もっと、良い方向が見つかるはず。きっと、もっと良いこと、が見つかると思う。
「新月」。 8月20日 昨日は、本当に新月をたくさん聞いた。BOXが発売になったら、さらにさらに、どれほど、また、新月を聞くことになるのかな〜。以前、新月掲示板で、もし発売になったら、今発表されてる、リマスタリング盤とか、新録音盤とか、HAL&SENADE、未発表曲集、とどんな順番で聞く?みたいな話題が出ていたと思うけど、いざ目の前にしたら、混乱して、いっぺんに聞かなくちゃと、わけわかんなくなりそう。 わたしも、どこへ行こうとしてるんだろう。 でも、 最後は、花が咲いている。いつか、土に帰るのは、同じ、だね。 気を、鎮めなければ。 って、日高川は越えなかった(越えちゃったら大変だね。)。 でも、本当にわたしが、あこがれなければならないのは、「かぐや姫」か。 8月19日 うわーい、新月ニュースだ〜。ベースにあるまじき。新月にあるまじき。なんだか良くわかんないけど、新しいことやってるんだ〜。ふっふっふ。 でもでも、暑さに弱い花本さんが、「新録音も出来ないほど多忙」だなんて・・・心配だ・・・。 セレナーデ版『殺意U』は、うんと小さなコドモの時、なーんにも知らないで見上げた星空の旅みたい。 新月版『殺意U』はそれからちっと知恵ついて、歴史とか、科学とか、勉強じゃなくてそんな「ことば」をなんとなく知り始めて、すこーし育ってから、見上げた星空みたい。 こうやって、新月一日中、聞いていると、すごく幸せ、すごく嬉しい。でも、なんだか苦しいような気にもなる。 「世の中に絶えて新月なかりせば 夏の心はのどけからまし」
なんでかな?なんで、わたしは、新月を聞いて、知ってしまったのかな?
あ 8月18日 なんか、憑き物が落ちたようにすっきり!カラダはもともと元気だが、ころんたがころんたに戻った感じ。暑いけど、夕方の風はもう秋だ。 しかし、改めて、わたしは、オリジナルメンバーの「新月」だけしか知らないんだなあ。と思う。 でもね。仮に・・・。ラフォーレ以降、というか、高橋さん、鈴木さんが脱退して、それから、ZELDAのメンバーが新月メンバー(津田裕子さんみたいに、サポートメンバーと違って、やっぱり女の子が新月メンバーって、なんだか違和感あるな〜。特別新月が男の世界、ではないのに。これは、やっぱり、オリジナルメンバーしか頭に浮かばないからかも)に参加してライブを行うなり、アルバムを出すなりしていたら、わたしは、ライブに行ったり、アルバムを買っていただろうか? どちらもしなかったと思う。ZELDAはZELDA。新月は新月。北山さんのソロアルバム、とはまた違う。いやほんと、わたしは熱心なファンではないね〜。わたしの新月は、オリジナルメンバー5人の新月だけ。 面白いもので、図録より、絵葉書を一枚、一枚、めくっていった方が、より、物語性が強調される。その、シーン、シーンが切り取られているせいだろうか。次の、絵葉書をめくる前に、わくわく、どきどき、がある。何度も見て、知っているのに。 この、間、に、花本さんが、新月全曲目解説で、使われている「音景色」という言葉が浮かぶ。新月を聞いて、なお、このような美しい絵がさらに美しく感じるのか、このような美しい深い物語の絵画を感じることが出来るから、新月をもっと聞きたくなるのか。 8月17日 朝、この時間で、早くも、ものすごく暑くなりそう。しかし、お盆過ぎた今朝は、なんだかすっきり、して、心身共にものすごく元気だっ。ダメダメから脱却したような気がする。 まだまだこれから、新月で、やりたい、いろんなことがたくさん残ってて、元気でなければ何にもできないっ。わたしには、暑いのが気持ちいいが、暑さが苦手な、津田さんはメーターが振り切れてるそうで、もう少しで涼しくなりますからね〜。 さらに「阿」さんのご指摘の「光るさざなみ」で確認して、確かに小澤亜子さんのお名前が、いくつかの曲の中にあった。
わたしは過去、どのアルバムでも、殆ど、参加ミュージシャンとかに注意を払わず、ここでは当然、津田さん、鈴木さん、のお名前だけ見て、高橋さんも花本さんも参加していないや〜(とにかく、この「光るさざなみ」も、本当に偶然、北山さんのソロが出ているのだと知って、慌てて、注文してとりよせたのだった)がっかり、と、いう読み方しかしていなかった、不真面目なファンだ。
確か、夜の時計、をモチーフにした曲があったと思う。この曲が好きで、今思えば、発熱の街角、のように時間が逆回転したような世界を、「女の子バンド」らしく一見ファンタジ風の世界にくるみながら、描いた曲だったと思う。思う、を連呼してしまって申し訳ないが、久しく、聞いていないため、当時、聞いた断片的なイメージで書いている。LP発掘して、これは是非、もう一度聞いてみたいと思った。 しかし、ちゃんと、新月のアルバムを聞いて、新月メンバーのソロ聞いて、ライナー読んで、それからメンバーがどのバンドに参加して、・・・と、認知している正しい新月ファンは、こうして、いろんな、メンバーが参加していたバンドや、後期新月に参加していた方たちのアルバムの情報を集めて、聞いて、・・・そうして、今に至る新月に対しての音や気持ちを構築してきたのに対しそんな意味では、わたしは、新月の事を全く知らない。新月の傍系を、なんにも知らない。 もしかして、新月掲示板を見て、そんなことも知らなかったの、と哂っていた人も多いかもしれない。でも、知らないから、もっと、今になって、新月のことをもっと知りたい。
が、なので、ただ、たとえば、今日なら、また、『殺意U』を聞いて、胸がきゅんとなる。きゅんきゅんする。それで、嬉しがっている。
8月16日 新月掲示板を読んで新月日記を読んでない人は数多いと思いますが、この、新月日記を読んでる人は、必ず新月掲示板を読んでいるはずなので、お詫びです。 昨日の日記の最後の部分で、mixiに触れて、また、きわめて乱暴な言葉で花本さんの技術日記について、不用意な引用についての発言で、花本さんにご迷惑をかけてしまいました。 あくまで、紹介者がいないと参加できないサイトですので、つまりはあくまで、誰が見てるかわからないが、誰もが閲覧できるこのファンサイトは「公」であり、いわば会員制のmixiは「私」。にのっとって、書き分けをされている花本さんの意向を全く無視した発言で、花本さん、そして、この新月日記を読んでくださった方にお詫びいたします。
歌詞はこわいけど、あっかるい曲で、このね、東京タワーってところがポイントで、かなり、歌詞が好きで、今思うと、結構新月に通じるところがあったように思う。ワ〜ダさんのミュージック・バトンのおかげで、他のバンドの事を書くのが、抵抗なくなったです。新月よりはだいぶあとのバンドだったかな。2枚のLPがどこかに埋もれているはず。 それ消化して整合性とって、より精査してさらにいい方向へむかわねば。 もう走り出しているんだもんね。 サイトが出来た2004年10月26日ではなくて、まちがいなく、もういきなり、10月2日から、その日から、新月が走り出す事になっていたのだ。「新月」というバンドそのものが再度具現化する、その事実がたぶん先にありきで、実はサイトが後から来るものだったのかもしれない。 掲示板より、この日記読んでる人の方が少ないのはまちがいないのだが、ここ読んでるみんなも同じ気持ちだろう。 「新月」を知りたい。 わたしも新月を知りたい。いまや、思い、は思いのままに、ここまで新月が姿を現したから、だから、さらにさらに、もっと新月を知りたい。 失敗するけど(多すぎか?)、さらにさらに、新月を知りたい。 とほほ。ばかりだが、正直、新月の看板重い〜と思うこともあるけど、わたしは絶対値が好き。たった一人で良かったのだが、それがたまたまわたしだったのだが、だから、ゼロか100で、100を誰に渡すものか、と、思う。世界で一番贅沢な位置づけではないか。唯一無比のバンド新月の、ファンサイトの管理人。誰にも渡さないもん。今日からちょうど4ヵ月後、BOXが発売になる(新月掲示板で花本さんがきっぱり、断言してたよね)。夢がひとつ、叶う。間違いなく。 8月15日 60回目の終戦記念日。今日も、暑い。 津田さんmixiの件、お返事まだしなくてすみません〜。盆明けには、エネルギー補填して、動き出しますが、その前にもう少し、きっちり方向性を決めてからでないと、お返事できないので、しゅみません。mixiとこちらと両方見てる人がどうやら、ほとんどだと思いますが、わたしは、あくまで新月サイトのためにmixiを使う、というスタンスですので、mixiからの情報を、こちらに反映させるという方向で行くと思います。 しかし、花本さんも、いちいちニュースでここへ送るのがめんどーなご様子で、ご自分のmixiブログに書くほうが、らくちんらしく「技術日記」の更新めざましいし、ちとフクザツな心境でございます。
次の贅沢は、「新月全曲目解説」を読みながら、新月の曲を聞くこと。 花本さん、北山さんが書いて下さっている、言葉、ひとつ、ひとつがすべて、「新月」だ。そして、津田さん、鈴木さん、高橋さん、が作る音ひとつぶ、ひとつぶがすべて、ひとつぶも欠けてはならない、「新月」だ。
だから、そんなひとつぶ、ひとつぶを、絶対にこぼしてはいけない。 8月12日 疲れたので、何が何でも新月を聞く必要性があるので、「新月」。 他の、どんな音楽を聞いてる人より、わたしが一番幸せだ。 『鬼』から『せめて今宵は』で、地球一周一瞬のうちに、くるりと回った気がする。 『鬼』。 やっぱり、プログレ史上とか、ロック史上とか言うよりもはるか、津田さんが以前言われていたように、「日本の音楽史上、類がない」、曲。 『鬼』。 8月9日 7日は、日記書いた後、築地本願寺ブディストホールで行われた劇団インカ帝国の小熊一実さん企画制作の音楽劇「マッチ売りの少女」へ行ってきました。 「こどもと親のためのコンサート」なので、どこからから子供を借りようかと思いましたが、もちろん、そんなもん誰も貸してくれず、大人だけ(友人と水鏡の朝倉さんというおもろいトリオ)で、伺いました。
キーボード、チェロ、ヴァイオリンの生演奏に、マッチ売りの少女の物語がシーン、シーンごとに、柔らかなイラストで映し出され、「おねえさん」がおはなしをして、後半はうた、という構成でした。
劇団インカ帝国の、時任顕示さん、長嶋槙子さん、おたけさんがスタッフとして参加されていらっしゃいました。12月のSNOWパーティの時と同様、インカ帝国の方たちが、当時、新月と共演されていたと、思うと、舞い上がってしまい、情けないことに、ろくにご挨拶も出来なくなって、再び失礼をしてしまいました・・。おたけさんには、また、気を使っていただいて、本当に恐縮でした。
たぶん、小熊さんにお誘いいただかなかったら、まず、自分からは行かないだろう子供向けの音楽劇ですが、満席の客席から、真剣に見ている子供たちの姿は、わたしも自分がこのくらいの時に、たぶん、幼稚園やテレビで見せてもらった、「何か」をおなじように感じ取っているのだろうと思い、新鮮で、楽しませていただきました。
8月7日 まさに夏。という暑さ。 わたしが初めて「新月/新月」を聞いたのはこんな暑いうだるような8月だったはずなのだが、残念ながら、それがいつだったかは、もう、わからない。しかし、真夏になんて爽やかな響き「新月」。 8月6日 新月掲示板。わーい、津田さんと和田さんが会話してる〜。今、花本さん韓国ロケ中なので、しばらく新月ニュースがないのだが、津田さんがミニニュースだー。 新月のダビングはちゃんとされているようで安心、安心。あー良かった、良かった。へっへっへへ。しかし、暑さに弱い津田さんはほんとにへこたれてるようで、体調気をつけてくださいね〜。 8月5日 POSEIDONのDairyを読みに行ったら、10月30日のPnogenixの新月メンバーのライブ時間は30分。 でも、確かにゆっくりと、再スタートしていってほしい。
SNOWパーティの前にも、増田さんから、25年間人前で演奏していないのだから(津田さん、鈴木さんはミュージシャンを続けていらっしゃいましたが)、ゆっくりと、再活動してほしい、という意味のメールをいただいて、ここに、わたしたちファンは、性急に、早く出てきて、演奏して、という思いばかりが先行してしまうけれど、そんな現実的な言葉を聞くと、やはり25年てすごいな、と思う。
暑ければ暑いほど、食欲が増して、ダイエットに励まなければならないという、困った体質のころんたがお昼求めてふらふらと歩いていると、歩道橋の影に、鳩がたくさん集まってて、だれがあげたのか、夢中でえさをついばんでいた。鳩ネタが多いのは目に付くからであって、わたしはべつに鳩愛好家ではない。
だいいち、今ダイエットに励まなければならないほど、街には食べ物があふれていて、空腹はこれからおいしいものを食べる前のいわば快感に近いわけで、だから、かわいそう、などという、言葉が出るに違いない。
でも、戦争中、犬を飼ってる人は何月何日に犬を供出しろって言われて、いつもの散歩の時間じゃない時間に、首輪に綱つけられて、犬はまた、散歩に連れてってもらえると思って大喜びで尻尾振って、で、うれしがりながら、いつもの散歩コースではない道を通って、広場に着いて、知らない人にいきなり綱が渡って、なんにも悪いことをしてないのに、いつも自分が可愛がっていた犬が怒られながら、ひきずられて車に詰め込まれて、泣いてる声を背中に聞きながら、自分も泣きながら、家に向かって走って帰ったって親戚から話を聞いた。悲しくても、だれも、さからえない。 夏は好きだ。春が再生を告げる季節なら、この時期、その芽がぐんぐんと幹や枝葉となり、そのすみずみまで何かがどくどくと注がれているような生命力を感じる。暑ければ暑いほど、夕暮れになって、風の涼しさ、爽やかさが、素晴らしく感じる。
しかし、すでに60年前に、戦争の終わりを告げる、といえば実に耳障りの良い言葉だが、日本が世界初の被爆国となる日が、刻々と近づいている。
わたしの両親はすでに当時戦地に行くまでの年齢に達していない、逆に成長期にいつもおなかをすかせていた世代だが、当然、目の前でいきなり友人が死んでしまったり、腕を吹き飛ばされたりしているのを見ている。
ところで、R25の今週の特集は「60年前の25歳に会いにゆこう」だった。今の同世代の若者たち取材班が、60年前の25歳世代が戦時中、いかに生きたか、そして、死んでいったか、の記録を残す鹿児島県知覧町の「特攻記念館」と広島の呉市海事歴史科学館や原爆ドーム、また東京にある各資料館をそれぞれの地で、レポートした記事だった。 8月3日 ものすごく、暑いね。で、こんなくらいの日に、わたしは新月を聴いたのね。だから、よけいに、全部の曲が清冽に聞こえる。暑さにうだる中、不意に吹いてきた爽やかな風みたいにね。 未だに、色褪せないとかなんとか、言うけど、風は有史以前から吹いてるじゃん。 しかしね〜、いろいろきれいごと?書いてるけど〜、やっぱり、タイムマシンに乗って、26年前に帰りたいよ、ほんとに。 8月2日 しかし、mixi侮りがたし。だって、いきなりわたしが森村さんとお話することになるなんて。不思議。ネットのおかげで新月の世界が広がる。しかし、インターネットやってない人は、いまだに新月が再活動してることもまだ、知らないひともいるんだろうなあ・・。 8月1日 今日から8月。さらに暑くなるぜいっ。花本さん、津田さん、体調気をつけてくださいね。 ほんとにっ。 おととい、昨日と仰天・腰が抜けるニュース連発だけど、さらに、新月月の最終日の昨日、なんと!新月/新月のディレクター&サックス担当の森村寛さんから、当時のRockwellと新月のことなど教えていただいて感激に浸っている。わたしは勝手に、森村さんを以前から、6人目の新月、とお呼びしているのだが、森村さんと新月との出会いがなかったら、「新月/新月」はなかったと思うし、そして、芝ABCライブの時、森村さんが録音をして下さらなかったら、こうして、良質のライブ盤をわたしたちは聞くことが出来なかったのだから、わたしが勝手にそうお呼びしてるのも間違いはないと思う。 帰ってきてから、内容書きます。ぷぷ。しかし、今日会社でニュース開いたひとたちが腰抜かすと思うと・・ぷぷ。
森村さんは、ロックウェルスタジオの社長で新月プロデューサーの塩次氏と、お兄さんがお友達だった関係で、高校生の頃から、ロックウェルに行っていたそうです。 7月31日 今日で新●月年の新●月月が終わりになる。新月が始まった月の終わりだから、初めの一歩が次に行くってことだよね。 7月25日の新月ニュースを読みかえして、久々でも、当たり前みたいに、メンバー5人のお名前がある。当たり前みたいに、じゃなくて、当たり前、なんだよね。昨年の同じ日に23年ぶりに、全員揃って、それからちょうど1年、活動が再開されて、レコーディングのために久々に5人揃ったって、つい1ヶ月とかそんな前からの久々って表現が、嬉しい。 うーん。「まにあうかちら」を見ると不安と同時に、なにかがぷちっと切れそうだが、12月16日BOX発売は決定なんだし、当たり前に5人揃っているのだから、これは信じて待つことにしよう。
mixiに参加していない人には分かりにくいかもしれないけど、(もっとも、希望があれば招待状おくりませすぜ、とここでさんざん、言ってるがいまだにそういう人が現れないところを見ると、実はみんなこっそり参加してるのかな)、そちらに、花本さん、津田さん、も参加されていて、花本さんの技術日記とか、津田さんの趣味の翻訳とかが読めるわけですね。
しかし・・・、新月掲示板にも書いたけど、そう、新月ではないけれど(SNOWパーティでもそうだったよね〜。でも島へ帰ろう演ったもんね)5人いきなり揃っちゃうのは、朝、書いたように、今、新月メンバーが5人揃うのは、もう当たり前だから、普通のことだから、特別のことじゃないから、津田さんが、フォノジェやるから、じゃあみんなで演るかって、事なのかな。
当たり前、普通、これがいかに贅沢か、わたしは知ってるけど、こんな形で、新月が体現してくれるとは、思わなかったな。
ってうかれていたら、花本さんからの新月ニュースが届いて、釘さされちまってい。新月ではないって。フォノジェの販促ライブである。なので、新月の先入観は払拭するか。 7月28日 今日もさらに暑くなるようだ。 花本さんが新月掲示板の書込みに、「少量のパワーを有効に使って」と書かれているが、そ、そのパワー早くも使い切ってはいないでしょうね?心配だ〜。つ、津田さんもクロスさんのレポートいただいて、ほんとにほんとに嬉しいですが、続き読みたいですが、ま、まだがまんします。そのエネルギーは、ひたすらレコーディングにとっておいてくださーい。 今日は高橋さんのお誕生日。高橋さんの「空気みたいなドラム」(花本さんの表現。これ以上、高橋さんのドラムを表現できる言葉はわたしには、ないです)を、もういちど目の前で聞きたい、見たい。あっ、そうそう、高橋さんとわたしは、おんなじ小田原出身なんです〜。 猛暑だ。8月の猛暑の中、生まれて初めて新月を聞いたので、やっぱりわたしにはこの暑さを肌で感じると、新月、を感じる。わたしの、新月のインプリンティングが猛暑って、リーダーが暑さに弱いのに、なんだかおかしいね〜。 いまさらだけど、いつぞやの新月ニュースにも書いてあるんだけど、大宰府での萬斎さんのイベント告知もあるから、事実なんだけど、「花本彰」って新月のリーダーでメインコンポーザーでキーボードの人だよね。でも、花本彰さんは、萬斎さんの映像の監督さんなんだね。 時間がね、やっぱりね、本当に止まってるの。花本さん、なんで新月ずっとやってないのかな。とかね。 SNOWのパーティで、水鏡の阿南さんが北山さんに言われていた、偶然つけたテレビで、北山さんが、フリークライミング の番組に出てるのを見て、驚きましたって、それとおんなじかなちがうかな。このごろ、時間軸がなんだかへん。 7月27日 うううう。ライブは2回聞いたが、あとは泥酔してよくわからず。でも嬉しかった。やっぱり新月は良かった。今日は台風一過ですでに暑い。さらにものすごく暑くなるらしい。頭がじんじんするが、来るなら来いって暑さだ。わたしには来るなら来いなのだが、暑さに弱い津田さん、花本さんが心配。たしか昨年のニュースに「ふたりともやる気がなくなる」みたいな意味のことが書いてあったような・・・。頼みますよっ。 7月26日 新月ニュース・・・。しばらくニュースがないので、実はものすごくアヤシイと思っていたのだ。新月に関しては、たよりがないのは無事のしるし、じゃないもんね。そんなに信用してないもんね。ほんとになんにもやってないもんね。 レコーディングの手順の事など、あんまり良くわかんないが、いずれにしろ、6月中にベーシックが録り終わったのだから、あとは個々のパートのオーバーダビングと歌入れだと思うので、順次、作業を行っていけばいいはず???確かに『島』の歌いれが終わったのはめでたい。北山さんの歌が入ったんだ〜嬉しい。北山さんの今の歌声が聞けるんだ。嬉しい。
しかし・・・。これなに? 昨年の25日は、森村さん、小熊さんも同席されて、23年ぶりに、新月オリジナルメンバーが5人、一堂に会した日。 結局、この日の様子は伝えられなかったので、メンバーやスタッフだけの、内緒の宝物なのだろうね。 それから、一年、こうして、新月年の新月月の25日にライブが聞けて、もう、新月BOXの発売日まで決定して、また、オリジナルメンバーで、レコーディングが行われて、もう、とにかく待っていればいいのに、それがわかってるのに、朝(怒りくるって?)書いた、池袋西口の居酒屋での北山さん花本さんの実質解散宣言が、なんだか今、悲しくて悲しくて、北山さんが書かれた「SNOW時代」の、「どちらからともなく『もう終わりかな』『終わりにするか』」の部分を読み返してしまい、涙がでてきてしまったりして、ほーんと、おかしいよ。おかしいね。 もう、再び、新月動き出していることがわかっているのに、時間軸が今度はぶれている。なんなんだろ、この感覚。
「終わりのない 時間の海 終わりのない 鏡」。
だから、わずか25年の時間軸が多少ぶれたって、あたりまえなのだ。 だって、『タケシ』を聞きたかったんだもん! おまけにもおビール飲んぢまってい。ひっく。 ころんたは、大酒のみだが、ライブ見る時は一滴も飲まないの。飲むとへろへろになっちゃうので。SNOWパーティでも飲まなかったよ。でも、昨日も今日も、めでたいし、おうちライブだから、いいやね。ね?ひっく。 7月25日 7月25日だーっ。 7月24日 今日は鈴木さんのお誕生日。メッセージをどこかで見てくださっているといいな。 えーと、あれ津田さんのレポート、「クロスのボールペン」て、カッコイイタイトルだと思ったんだけど、もしかしてこれ、タイトルではなくてファイル名だったんじゃろか。 ま、かっこいいからいいか。もう無くしちゃったけど「クロス」のボールペンは手になじんで書きやすいし。
それでもって、明日は7月25日!ファンなら、みんな知ってる新月が26年前にデビューした日。そして芝ABC会館ホールでライブが行われた日。
そしてそして、もうひとつ。昨年7月25日は、23年ぶりに、新月オリジナルメンバー5人が、一堂に会した日。デビューの日に、23年ぶりに、再び新月が活動を開始した日。 7月23日 涼しい。えと、な、なんか皆さんころんたにカンチガイをされているような気がするのはころんた、決して「暑いのがすき」なのではなく、「暑さには強い」んですな。 人並み以上に汗かきだし、それがいかにも暑苦しくて夏はみんなに嫌われるし(うう)暑いのはそれはやなのだ。でも、ぎらぎら、くる太陽見ると「負けるもんかっ」てえ感覚は好きですね。 やっぱ、夏涼しいとへん。 この建物はまだ存在して機能しているらしい。そして、この建物のデザインは、ムーディー・ブルースも使った事の有る、ロスのインディゴ・ランチというスタジオをモデルにして作られたとお聞きして、26年前「新月/新月」が録音されたこのスタジオの「由来」が、一つわかって、嬉しい。ネットってすごいな(TOYOさん感謝)。
さて、明後日25日は、26年前に、このスタジオで録音された「新月/新月」が世に出た日。 開演20分前から、客席に流されていたあの鐘の音の中、5分遅れて19:05に始まった『鬼』の演奏に合わせて、25日、「Live1979」を聞こうと思う。
日本全国、どのくらいのファンの方が同じ時間にライブを追体験できるかな。 わたしは、性格上、絶対そんなことはできないのだが、聞き方千差万別、みんな、いろんな意味で1979を25日に楽しめるね。 しかし、それが迷子になっていたらしく、再度、本日無事に、昨年8月17日の津田さんと、デビッド・クロス氏のジョイントコンサートのレポートを送っていただき、アップしました。何より楽しい、メンバーからの原稿にタグ打ち込んで、推敲してアップする作業は、これだけは、わたしの特権だもんね〜。
国籍も違う初対面のミュージシャン同士が、リハもやらずに即興でこれからライブに臨むという楽屋での音あわせや会話のやりとりに、相通じる精神性などが見え隠れして、わたしのようなミーハーには、津田さん、クロスさんの会話が、とても楽しい。 7月22日 「終わりのない時間の海 終わりのない鏡」・・・うふふ。 7月21日 今日は猛暑ですが、さらにお誕生祝いのEメールやらmixiメールやらでメッセージをいただいて、夏が暑いのと、心が温かいのはまるで別物。こんなにたくさんの方に、お祝いしていただいたのは初めてです。本当に嬉しいです。いろいろな事の励みになります。皆さん、ありがとうございます。これからも、ずっと、よろしくお願いいたします。 「盲導犬クィール」のドラマ思い出しちゃって、その健気な姿にうるうるきちゃった。 何年か前に、わたしは見損なってしまったんだけど、ニュースかドキュメンタリーかで、「勝手に盲導犬になった犬」の話題がとりあげられたそうだ。これは飼い主のお父さんが、事故か病気で失明してしまったんだけど、そのお父さんと一緒に再び散歩にでたその犬が、自分でいろんな合図を決めて、お父さんを外で守るんだって。 細かいことは良く覚えていないんだけど、たとえば、信号が赤だったら、お父さんの前に出て、お父さん体ごと止めてから、お父さんの今度は後ろからまわりこんで両足の間から顔出して、両方の前足をお父さんの両足の靴の上にかけて、「行っちゃダメ」って合図で、青になったら、それを離して、また歩き出す、とかね。
これ、再放送もあったらしいんだけど、それも見損なってしまって、直接見てないので、ちょっと聞いた話と記憶違いで違うかもしれないけど、見た人がいたら教えてね。
話は飛ぶ。、来月小熊さんが企画制作の「マッチ売りの少女」が上演される。この話は、わたしの個人サイトの日記かなにかに昔書いた覚えがあるので、読んだ人もいるかもしれないが、またネタにしてしまおう。
でも、そうだ逆の例として、「フランダースの犬」。 世の中にこんな可哀想な話を思いつく人はどんな人かと思いますね〜。 ちなみに、「フランダースの犬」の作者は豪華なガウンまとって、編集者を散々待たせて、書いた原稿床に撒き散らして、編集者がはいつくばってそれを拾うのを女王さまのように喜んでいたという、エピソードが「少年少女世界の名作文学」の解説に書いてあって、これ、コドモ向けの全集モノにも関わらず、へーきでそんなことが書いてあって、今よりは純真だったころんたたまげたもんじゃった。
この全集は、コドモ向けといいながら、海外・古典も、ダイジェストでも表現を平易にするわけでもなく、ただすべての漢字にルビがふってあるのと挿絵が入っているだけで、かなり真剣に、読まねばならん質の高いもんじゃったと思う。表紙は世界の名画だったし。
まあ、それで、確かに、感覚的にだけれど、「フランダースの犬」の主人公が少女だったら、もしかしたらあそこまで万人の紅涙を絞ることはなかったかもしれない。 しかし、じいさんと少年ではそうはいかん。たとえじーさんであろうと子供であろうと、男なら、自力でなんとかせんかい、その上犬まで飼ってからに、という無言のプレッシャー、主人公ネロは、圧力、孤独に耐え、ヘンクツオヤジのイジメに耐え、好きな絵を描くのもままならず、頼みのおじいさんは死んでしまうわ、しまいには放火犯の疑いまでかけられ、仕事はなくなるわ、家は追い出されるわ、何も食べるものはないわ、絵は落選するわ、もう絶望の果てにパトラッシュと共にルーベンスの絵の下で・・あ、ストーリー追うと、わたしもぐちゃぐちゃになるので、やめておこう。原作読んだのはあまりに子供の頃だったので、詳細は覚えてないから、この、フランダースの犬、のストーリーはむしろアニメの方かもしれないね。
これを考えると、やはり、マッチ売りの少年では、最後に何が来ても、救いにはならないような。いや、とにかく、フランダースの犬も、犬だから涙を誘うのある。恩返しなのか、牛乳の荷台を自らひいてお手伝いをするなんざ、「勝手に盲導犬」がいるのもおかしくはない習性だろう。猫ではそうはいかない。
でも、本当、昨日見た盲導犬ちゃんは、ほんとに健気で感動的だったよ。犬って、えらいね。盲導犬・聴導犬はさらにえらいね。 7月20日 さらにお祝いありがとうございます。しかし、花本さんのmixi(紹介者がいないと入れないサイトなので、誰も招待してくれないっという方は招待状送りますのでメールください)技術日記を読むと、花本さんのシンセが破損させられたまま着いたの、あらためてすごくハラがたつ。大事なレコーディングの時なのにっ。破損して「ラ」の音が出ないそうだ。新月にとって「ラ」の音は地球の振動の倍数で、新月にとってとても重要な位置を占めているそうだ。音ってひとつひとつに深い意味があるんだな〜。 7月19日 感涙・・・子鬼さんはじめ、お祝いメッセージ皆さん本当にありがとうございます。ひとつ年をとるとはいえ、お誕生日のお祝いは自分だけの日なので、やはり特別な日で、本当に嬉しいです。
まあトシヨリのくりごとで、またまた、タブーの「もし」を書いてしまうけど、26年前の自分のおたんじょうび前に、新月のアルバムが25日に出ること知ってたら、それでもって芝ABC会館のライブのチケットなんか持ってたら、最高の、自分へのお誕生日プレゼントだったのにな〜。 7月18日 しかし、なーんとなくソフトの話かと思ったけど、ネタにしてしまったけど、ワ〜ダさんに向かってはじめはみんなガレージバンド、とはなんと失礼なっ。ごめんなさいっ! デビューライブ25、26日を目前に、たぶんもっと暑かっであろう26年前に、新月は猛練習をしていたのかな。 暑い。 いいね。 この感じ、いやもっと暑くて、ぎらぎらしてて、でもこんな暑さに負けるもんか、という頃、初めて、FMから聞いた「新月/新月」。 暑い。 暑ければ暑いほど、みなぎる生命の力、を感じる。 新月が真の意味で世に出るにふさわしい、季節だった。新月が発信する。それを受信する。幾多の織り成す、それまで聞いてきた音の背景、読んで見て感じて、生きてきた背景の、自分が辿りついてしまった音?絵?メッセージ?風景?それとも皮膚感覚?のどれとも説明できない「新月」を受信してしまった夏。アンテナを知らずに立てている強さがあったから、受信できた「新月」。万人がふわふわと安全に油断してる季節では、新月は触手を伸ばせないのだ。受信する側の「何か」を求めるアンテナが弱かったら、新月はそこへは届かないのだ。強さが必要なこの季節、だから新月に相応しい。 好きだ。大好きなこの季節がはじまる。 暑さにぐったりとしている人もいるかもしれないが、ここで自らに『鬼』を投入してみると良い。謎多いこの曲が、単純ではない、謎かけをほどくうちに、どんどん生命力を与えてくれる。そして、あなたのお気に入りの、新月、この一曲を聞けばもう大丈夫だろう。 くすくすと嬉しい。なんて生命力の強いバンドなんだろ。26年だって。 7月17日 げ。な、なんじゃこれは・・・。掲示板に書かなくて良かった・・・。
高校生の時、日曜日、新宿を友人と2人で歩いていたら、真正面から英語の先生が一人で歩いてきたのにビックリ。先生は、普段と同じスーツ姿だった。先生は「これ、一枚しかないけど、やる。見て来い」と、国立近代美術館の招待券をくれた。友人と一枚分をはんぶんづつ払って、美術展を見た。ポール・デルヴォーだった。国立近代美術館に入ったのと、シュルレアリスム絵画を生で見たのが同時だった。わたしはこの不思議な絵に魅せられた。 7月16日 暑いとおにぎり美味しい〜。ばとん、思い入れのある曲追加〜。藤正樹「あの娘のつくった塩むすび」。ひっく。 7月15日 今日はおやすみなので、やっと日本画界の新月小林古径展に行ってこようっと。隣にいたら声をかけてね・・って誰も知らないか。
昨日、高橋さんのお名前を朝、この日記に書いたら、駄菓子屋掲示板の方に(新月掲示板が怖かったのかな〜)なんとアクアポリスの音源を聞いたことがある方の書き込みがあってビックリ。先日の日記に書いたように、わたしはメンバー参加のバンドの情報や音源に関する知識は皆無なのだが、こうやって、みんなが知ってる事を書いてくれて、情報を共有できる、「今」ネットの恩恵を一番受けているのはわたしかもしれない。 あー、いまごろになって花本さんの「お豆腐狂言」検索してわかったりして。秋に行ってみたいなあ。 悔やまれるのは、なんで前半の展示も見なかったのか、という事です。ひさしぶりに後悔しました。 どの作品も線・色、緊張感と美しさ、いずれも「息を呑む美しさ」が一番ふさわしい表現だと思います。 メインとなる展示部分は、必ずしも時系列ではなく、それぞれ、人物、静物は花と果物、生物もまた動物、鳥、その他のテーマごとに展示されていて、異なる制作年代のまったく同じモチーフ同じ構図の作品を並べて展示してあったり、と分かりやすかったです。 大作や、切手になっている「髪」、ポスターになっている極楽井の美しさはもちろんですが、少女がお手玉を空中にほおりなげた瞬間のお手玉から少女の手までの空間が、まるで時間がとまったかのような作品、初期の、若武者が手柄を得たほうびを受け取ったシーンの嬉しげな笑みを浮かべつつ、その先に居るであろう大将を見る目配りが描かれた作品、伊勢物語の「蛍」の女御の十二単の美しさ、同じく伊勢物語の「筒井筒」、そして、ヨーロッパ修行時代の前田青邨との緻密な共作などが目を惹きました。 花々、人々、動物、すべてが美しく、尾長鳥がつつく花の周りにちらばるガクなのか、この色はなんなのだろう?水浅葱?と、とにかく、いつまでも居ても飽きませんでした。 動物ものはすべて緊張感のある作品だったのですが、中では、花の影にいる白黒ブチ猫のかわいらしさ、黒くてむくむくとした仔犬が、いかにも、これから、いたずらしちゃうぞ、という目でどこかを見てる狗子はほんとにほんとにかわいらしかったです。 そして、2つの大作「竹取物語」「清姫」。竹取物語は入り口近く、清姫は出口に展示されていました。竹取物語は、別れのシーンで絢爛豪華な衣裳をまとった姫とまわりの者たちがよよと泣き崩れているなか、降り注ぐ花びらに、すでにおつかいが天からやってきている予感、姫が天へともどっていく昇天は圧倒的な豪華さとしか言いようがありませんでした。 そして、「清姫」。日高川に向かって逃げる安珍。次のシーンは、日高川の岸にこれからにまさに飛び込もうとする清姫を描いた作品で、これが、遠くから目に入った瞬間、総毛立ちました。
次のシーンは、文字通り、蛇と化した清姫が鐘に隠れた安珍を焼き殺してしまうすさまじいシーンが美しくも地獄図絵のように描かれていました。 古径さんの作品は、特に物語を追うのではなく、そのシーン、シーンを凍結させたシーンごとのあくまで物語であっても古径さんの「作品」です。 しかし、かたや、言い寄る男たちに無理難題をおしつけて、ひでー目に遭わせて(この花本さん言われる難破のスペクタルシーンの作品見たかった!!)、自分はやわやわと豪華な衣裳まとったままめそめそして自我の中ぬくぬくとしている竹取物語の姫(あれ、名前あったっけ)と、片や、間違ってはいるけれど、かなりこわいけどストーカーだけど、必死に自分の思いを遂げようとした清姫の方に、共感を覚えるのはなぜ? わたしの勝手な解釈で「竹取物語」が「緩」だとしたら「清姫」は「急」でした。これは前半の「竹取物語」の「急」の部分を見ていないせいですが、この2作品の緩急が緊張と豪華という、バランスによって、その美しさがまるで一本の糸のように、結ばれた素晴らしい作品、展示でした。 7月14日 新月掲示板、やっとお返事書いただす。
先日、Q&Aで高橋さんにお答えいただいた、「ドラムを叩いている時の陶酔感」が一番という理由で、新月の中で一番好きな曲は「科学の夜」。 7月13日 でね(昨日のつづき)、ころんた新月デビューの新月月の生まれで、新月年しめくくりのBOX発売日の月が「気」が弱る12月なので、新月BOX聞く準備って、健康第一かも、などと思ってふと気づいたんだけど。 鈴木さん、高橋さんのリズム隊のお二人の誕生月が、嬉しいことにころんたと同じ、7月。 そして津田さん、花本さんが、その半年後の12月。 そして北山さんがまんなかの9月。 なんかすごい、見事なバランス。
津田さん、花本さんは暑くて夏は全然動けない、と発言されているのだが、夏生まれで、ころんた同様7月はとっても元気に違いない(勝手に決めている)鈴木さん、高橋さんのリズムに強力に支えられて7月25日の芝ABCのライブデビューを果たして、今度は、たぶん元気になる12月に(いや、高橋さん、鈴木さんが元気がなくなるかまでは存じませんが。違ったらおこられちゃう)、高橋さん、鈴木さんと共に、新録完成に向けて、再びデビューではないけれど、わたしの中ではセカンドアルバムの位置になる、BOXを出すための活動が、また7月に行われているって偶然なのかな。
なんかね〜、お誕生月からね、オリジナルメンバーでないとダメって、偶然かもしれないんだけど、こんな風にお互い引き合うバランスがあるからな、などと勝手に想像したの。 最初のファイル書くまでのちょうど20年、蓄えた思いがここにある。だから、いいのだ〜。いいって、おもわなくっちゃ。 7月12日 また、新月掲示板のお返事遅れてる。すみません。でも、あたたかい交流が生まれているのは、嬉しいな。 昨日書いたことでふと思い出したけど、友人から聞いた話だが、自分の生まれた月と、その半年後、というのは実は、「気」が落ちるらしい。霊感の強いお父さんから聞いたという事だが、だから、お誕生月とその半年後は気をつけなさい、という事だった。確かに、わたしは7月めちゃくちゃカラダは元気なのだが、メンタル面が弱くなったり、自分で到底予期しないことで足元すくわれてしまったりする。 神様が、毎年、せめてカラダだけは夏の暑さに強く作ってくれたのだと思っていた。そして代わりに12月は、気持ちは前に行ってるのに、必ず1ヶ月くらい風邪をひく。必ず。こうやって生き物として、いろんなバランスがとれるようになっているのかな。 う、会社行かなければっ。 7月11日 と、頭ではそう思うのだが、実際はね、自分の中で時間は止まっちゃってるの。乙女?心はフクザツなのだ。 最近、mixiはじめ他の新月を取り上げているブログなどを見て、わたしは実はあまり熱心な新月ファンではないのでは、と思いはじめてきた。 みんな、活動停止後の新月メンバーの情報や参加したバンド、音源を一生懸命追いかけている。調べ上げて、苦労して手にいれている。みんな、わたしの知らない新月メンバーの音をいっぱい知ってる。わたしは、Asturiasでさえ、数年前に知ったのだ。 わたしは、ずっと長い間何の情報も得ようとせず、ただただ「新月/新月」しか聞いていなかった。「新月/新月」だけを聞いていた。 それから、「赤い目の鏡」「科学の夜」を買って、聞いて、それだけ。 もしかして、日本で一番不熱心なファンがやってるファンサイト。いいのかな? ・・・ま、いいか・・・。???いいのかな。 7月10日 もお泥酔するのはやめる・・・。とほほ・・・。反省(何度反省したかなあ・・・)。
そ、それはともかく、さすがに新月と直接関係ないので、新月掲示板には貼らなかったが、もうひとつの掲示板に、劇団インカ帝国の小熊一実さんが運営する「ブディストホール」行われる、アンデルセン生誕200年記念「音楽物語/マッチ売りの少女」の告知を貼ってあるので、興味のある人は見てね。 あらためて、ニュースで発表されたように、新月のBOXが全国のCDショップで購入可能というのがとにかく嬉しい。 新月を全く知らない人が、何気なくショップに行ってふと目に留めた「新月」って何?まあボーナスも出たし、なんか興味そそるな〜、買ってみるか〜、って、買って聞いてぶっとんで、新月って何これ何これすごすぎるって、もう新月ナシでは生きられないカラダになっちゃって、新月聞いたいままで新月知らない人が新月新月ってうわごとのように、言うもんだから、学校で職場でご家庭で新月新月って、みんな、なんだなんだと思わず新月買っちゃって、みんなたまげて、もうみんな新月聞かないと生きていかれなくなっちゃうの。食前食後にみんな新月。 BIG・BOXライブをご覧になったORANGEさんの書き込みがほんとに嬉しい。 mixiの新月コミュニティで、POSEIDON増田さんへライブの感想を質問に答えていただいたが、 「ホールでのライブで完成度が高かったのは、やはりレコ発のABCホールでしたね。 対バンはないし、2日間あったし、準備も万端だったし。音響もよく、衣装などの演出も凝っていて、壮大なライブだった、という印象があります。 サポートキーボード奏者は時期によって代わっていたのですが、みなさん新月に溶け込んでいて、というか新月の音楽の完成度が高かったのでしょう、あまり違いは感じられませんでした。もちろん各人特徴はあるのですが。 ライブハウスでは、ちょっとワイルド気味に、どちらかというとキャッチーな曲が似合う演奏でした。」との事だった。
わたしが見た、たった3回のライブの中、衝撃が一番だったのに、BIG・BOXのライブの内容は良く、というか「すごかった」という以外あまり覚えていない。 ラフォーレのライブは、ホールという事もあり、出来上がった、まとまったステージだったのではないかと思う。ただ、こちらは対バンあり(スペースサーカス!)で時間も短かったが、花本さんのニュースの中で、ABCのマスタリングを行った時「初々しい演奏。初々しい歌声に苦笑」という文章があるが、また、それに対して、「写真で綴る新月史」のラフォーレ原宿のキャプションには「こなれた演奏」とある。
これはさらに「こなれた演奏とは裏腹に、お互いの心は少しづつ離れていっていた」と悲しい言葉がつづくのだけれど、おそらく、こなれた、完成度の高いライブをわたしは本当に満足して見て、聞いたのだと思う。
しかし、BIG・BOXのライブが殆ど詳細を記憶していないにも関わらず、なぜ新月掲示板に書いたように、後にも先にも経験したことがないくらい、衝撃的だったのか。
あれだけの大きなデビューを果たしたのに、デビュー直後に、いきなり事務所倒産して解散の危機のバンドなんて他にあるかよ〜、と今だから思う。 もし、順調に新月がメジャー市場にとどまり、精力的にライブを続けて世間に新月を浸透させ、2nd「竹光る(今、わたしたちが、未発表音源と呼んでいる優れた曲たちが入るはずだったアルバム)」を出し、そこで評価を得て、それから、新月こうあるべき、という要求事項が、マーケットという俎上に上がり、新月はもしかしたら、あの時代にマッチした、他の方向性を求められ、そのニーズに答えざるをなくなり(まあバンドの性質上絶対ありえないけど。鬼と仏がいるし。)、新月ではなくなってしまったかもしれない。
何度も悲しいけれど、そこで、新月が活動を停止したのは、間違いない。
「もし」、80年に『殺意』『赤目』『島』がそのまま2ndとして発表されていたら、10代の頃の作品で手直ししたかった曲がその時点で発表したがために固定化され、「今」だからこそさらに進化を遂げて広がり奥深くなった筈の曲が固定化され、原曲から離れたイメージの曲が固定化され、それはそれで、新月だから、満足のいくものだから、聞き手はなんの不満もなく、賛辞と共に聞いているだろう。
新月ボックスが製作されつつある。
新月掲示板バージョンで、今、新月抜きでの音楽的背景を、新月ファンの皆さんに書いていただいている。
さて、腰の重い新月が動いている、ここまでは腰が重くて、25年かかったけど、これからは急いでもらわねば。 7月9日 いや〜、昨日はハイで、なんか書きたい〜と、よっぽど会社さぼったろかと思ったが、あんなに明るく元気で声がるんるんしちゃうのに、仮病が使えるわけなし、だいたい休みの翌日いきなり休みってへんじゃん、飛び石で今日も休みだしで、行ったらすんげー忙しくてさぼったら、おのれがクビを締めるところじゃった。
バトン、いや〜yanaさんの自分史&音楽史、これはすでに読み物で読み応えあって嬉しい〜。こういうの大好き。
でもそうか〜、お忙しいんですね(だから7月中にオーバーダビングするって書いてあるだろーが)。花本さんからは、はや1ヶ月、津田さんからはかれこれ【1年】、いただけるはずの原稿がまだ来ないの。これ、ころんたが「おねだり」したんじゃないもんね。書いてくださるゆーから、待ってるんだもんね。くれるゆーもんはもおもらった気になってるもんね。花本さんへなんか、ご自分で打つというワープロまでお忙しいだろうと私が、打ってお送りしてるんだもんね。
いろんなこと、いろんな新月的な事がいっぺんに動いている感じがする。新●月年の新●月月、新録。そして新●月年の最終月に念願のBOXが発売になるんだね。それも、今度は全国で、新月ファンでない人の目にも触れるんだね。
7月8日 笑えてくる自分がおさえきれない〜。祝杯(まだ早いって)勝手にあげすぎて、寝坊しちまってい。 7月7日 七夕。今日は休みだったので、ついに発表された新月BOX発売日を午前中にアップすることが出来た。そうか12月16日。12月16日なんだ。 あとはなんだかぼーっとしてた。なんかしてたんだけど、ぼーっとしてた。 パソコンはずっと開けていたような気がするんだけど、夕方になって、新月掲示板見て、なんと新月BOXを出すマーキー山アさんのバンド仲間の方から、それも、あの、おそらく衝撃のあまり私が詳細を覚えていない、高田馬場BIG・BOXの美狂乱とのジョイントコンサートを見た方が来てくださっていて、感慨ひとしお。で、そうなの、BOXはマーキーから出るんだな、と思ったら、ニュース見てから半日たって、やっと実感が湧いてきた。 やっと、新月が現実に再び姿を現すんだって、思ったら、ダメダメ。 しかしっ。わたしとしたことが。まだBOXが出来たわけではない。発売日が決まっただけなのだ。それに向けて、今、進行形で動いているのだ。 だから、ずっと、なんにもニュースがなかったんだよね。 だけど、発売日のニュースと、当時のライブを知る方が来てくださって、新月年の新月月の七夕、すごいね。 おっと、ところで、嬉しいからって、バトン渡された人は、落としちゃだめだよん。 7月6日 わははっは。新月バージョンミュージカルバトンいいねー、たのしいいっ。ほとんど曲がかぶんないのが面白い〜。 しかしっ。ふと気づいたのだが、先月末から、津田さんからも、花本さんからもぶっつりニュースも進捗状況も途絶えているので、これは和田さんの友情盛り上げイベントなのかなあ? 7月5日 新しいファンの方が増えるというのは本当に嬉しい。また、みんなもあったかいね〜。嬉しいね〜。バトン、おもしろ。わはは、子鬼さんの署名がなかったら、同世代の書き込みかとおもったぜ〜。 わははははははっ。新月掲示板バージョンミュージカルバトン、おもしろ〜。新月の曲がNGなのは大正解だねっ。ほほ〜。 しかし、みんな油断してやんの。 いずれにしろ、掲示板内で止まるイベントなので(新月掲示板限定だからね)ぢつは、バトン回せる人もおたがいに限られているだろうし、わたしも普段書いてくれてる常連さん以外、どこまで指名していいのかわからないので、渡す人に詰まったらもおあとは「フリーバトン」という事で、置いてもらって、後は指名されていなくても、バトン取ったっ、て形で発言してくれる人がいたら、そこで語ってもらって、そこでオシマイなら、もお、メンバー指名してオシマイ、にするつもりだったのだけど、ワ〜ダさんが○○カエル以来のピンポイントでお名前挙げてくださったので、CAMEL、CAMEL(ぶたないで〜っ。トシヨリのたわごとよぉ)そこで、繋がるかな? しかしっ、ころんた最初のご指名ゆえ、トラウマまでカミングアウトしちゃって、これで、みんな、この曲を聞くと、ズタボロになって、涙とハナミズが一緒にでます、みたいのを期待してたのに、みんなキレイじゃん、なにこれ???え?何これ?けっ、どうせ管理人の発言なんか捨て石よ、ふんっ。・・とここまで書けば次に期待しよ〜。 7月4日 しかし、言ってる事とやってる事がちがうやんけ・・。まあいいか。「赤目〜殺意」メドレーいい。やっぱり使っていいよね。BOXに入る、アレンジされた、この2曲を聴くのが楽しみ。 最近、通勤の行き帰りの駅のホームでよく足を痛めた鳩や、骨折した鳩を見る。それでもって、鳩を蹴飛ばすやつとか、結構見る。鳩嫌いなやつでも、前はただ逃げたり、よけたりしていただけで、たぶん、平和の象徴とか益鳥みたいにいわれてたから、鳩をいじめちゃいけないって抑制力があったのだと思う。 それでもって、先日は足にレジ袋をくくりつけられて、そのまま飛んでいて、それが歩道橋にひっかかり、宙吊りになってしまった鳩が発見された。みんなが手をこまねいて見てる中、歩道橋の手すりを乗り越えて、助けてあげた男性の話が載っていた。鳩を苛めたやつは超みっともない、助けた男性はものすごくかっこいい。 でも、こんなことをするやつが出るのも、平和の象徴鳩が一転して、社会から糞に害があるから、えさをやってはいけないから、迫害してよい、という風潮だから、今まで培われていた抑止力が、タガがはずれたために違いない。 そんなことを日々感じつつ、ちょっと、昨日の新聞記事から思った事。 関東大震災時、デマにより多くの在日朝鮮人の方が虐殺されるという事件があった。昨日の毎日新聞に、300人の朝鮮人の方をあくまでそれはデマであると、守り通した警察署長の記録が発見されたという記事があった。デマを信じた群集に、引き渡せば、朝鮮人の方たちはリンチに合い、いのちを落とすのは明白だ。引き渡し要求を迫られる中、一人、300人もの方を守り通した勇気って、すごいことだと思う。しかし、根も葉もないデマが、多くの朝鮮人の方の命を奪った。確か、デマを流したこの犯人は検挙され、厳しい処罰を受けたと記憶している。 ある日、誰かが、ある対象を「悪」と決め付ける。それはいきなり正義になって、正義の名のもとに、何をしても良い、という大きな空気、波になる。おそろしいことだと思う。みじめな鳩の姿は、いつわたしたちの姿にかぶるかわからない。 しかし、ここで、鳩がかわいそう、とその場で思っても、わたしは何も出来ない。鳩を蹴らないで、とも言えない。そこでえさをやることも 出来ない。ただ見てるだけ、見てるだけだ。 どうしようもないこと。これも自分。だけど、とことん、言ってる事とやってる事が違うな・・・。 『鬼』を聞く。新月断ちをしていたので、一層新鮮、目を瞠るあらためてすごい曲。今日、魂魄(こんばく)という言葉を偶然目にして思いだす。どちらも、たましいの意で、魂は空へ帰り、魄は土へ帰るらしい。どちらも、へんをとってしまうと鬼、か。いろいろなものが削ぎ取られた人間の姿が鬼、か。 この曲には、鬼が何か、などという問いかけもないし、答えもない。ただ、耳で聞こえる音が鬼、だ。何か見えてきてしまいそうな、でも、見たくない、鬼、だ。だが、しかし、この曲を五感で感じるとき、ここに恐怖はあるだろうか。いや、ない。ないのに、このだまされてしまいそうな甘いメロトロンに感じる、うすら寒い感覚は何なのだろうか。そちらへ行ってはいけない、それがわかっていながら、ふらふらと行ってしまう、苦くて甘い恐怖。鬼。なんでこんなとんでもない曲を知ってしまったのだろう。 7月3日 同じわたしが書いた文。 ひとつはお願いごとだから、鄭重に書けばよいだろうと、書いた文。自分では、せいいっぱい、誠意を籠めて丁寧に伝えたいことを書いたつもりだった。しかし、丁寧であるが、なんのあたたかみもない事務的な文とのコメントつきでお返事をいただいた。 もうひとつは、特に誰に宛てたわけではない文。 ただ、書きたいから書いた。それは、体験さえしていないけれど、ふとした日常で感じる事を、とあるきっかけがひきがねで書いた文。 最初の文は、とにかく、お願いという形で人を動かそうとして形だけの文だったに間違いない。次の文は、特に誰を感動させようなどとは考えず、多少意識したとしたら、おんなじことを一人でも感じてくれればいいなと、思った程度にすぎない。 どちらがいいか、悪いか、などという比較はするまでもないが、いずれにしろ、前者の文が「ころんたらしくない」文であったのには間違いない。 今日は、じわりと、自分の書いた二つの文の事で信頼とは何かをしみじみ感じながら、わたしのような個人の文でもひとたび発信することの責任を感じた日だった。 ころんた、新月日記と新月掲示板では、自分だけは他のバンドのことには触れまいと思っていたのだった。だって、そんな掲示板はいっぱいあるし〜。ここだけが新月語る掲示板なんだから〜とストイック?に自分のオキテ守っていたのよ。でもぉ、昨日のミュージカルバトンでルール考えていたら、180度変ったね。これは新月以外のバンド・音楽の事書かなくちゃ、面白くないじゃん。新月のことに触れないから、新月が見えてくるって事もあるし〜。よけーなことついでにコドモ時代のトラウマまでカミングアウトしちまったぜぃ、ひっく。まあいいか〜、新月は「ノリのバンド」だし〜。ひっく。 7月2日 何かはじまる感じ。わくわく、そういいながら、昨日一行書いた後、昼間寝込んでしまったりして、7月1日に新●月月開始の日に、いただいたアナログ盤を聞きたかったのに〜。ころんたらしいですわね、ううううう。
しかし、現実にもう、新月はレコーディングを開始したわけで、今月、間違いないなく、少なくとも伝えられている3曲の録音が、完成に向けて、新月のオリジナルメンバーで行われる。
先日、メンバーの古いお知り合いのTOYOさんから、「時代が、今ごろに成ってヤッと彼らに追い付いたか・・・。」というメールをいただいた(許可をいただいて引用させていただいています)。 「今の社会や自分の反映であるこの音」として「進化」を遂げた10分を越えることになるらしい『赤い目の鏡』。レゲエ風から、紬の似合う少女へそれからイギリスの若者(実はこれだけは意味がわからんです)へと変貌する『島へ帰ろう』。それから津田さんが言われている、「今の時代になって録音することになってよかった」、という「日本のバンド録音史上類型を見ないものに仕上がるでしょう」という、完成までに30年かかった『殺意への船出partT』、そして『partU』。
新月はあまりにも、「プログレッシブ」でありすぎたのだ。 それで、ピアノ無理やり習わされていたのはあまりに恥ずかしいので、ひみつだったのだが、先生もこわかったよ〜、手をぶたれたりしたもん。とにかく、自分からやりたくて、行ってたわけではないから、それでますますレッスンに行くのもやだったし〜。 後年、ロック系の雑誌でキーボードだけは、天性のもので、才能の無い者がいくら努力しても無駄な楽器、というのを何かで読んで腑に落ちた覚えがある。 だから、ギタリストだった花本さんがなんと高校3年で受験のためにピアノを始めて、それが、押しも押されぬキーボーディストというエピソードは、あくまでもキーボードは才能ある者の楽器なのだと、なんだか納得してしまった。 なんだかわからないけど、自分でしばらくしていた新月断ちのおかげで新月が新鮮。しかし、パソコンやってるとステレオのある部屋に行かれず、アナログ盤をじっくり聞けないよ〜。 7月1日 新●月月のはじまりだ〜っ。 |