花本 彰
この曲が新月のファーストアルバムに入らなかったのは、北
山が言う通り、セカンドアルバムに入れるつもりでいたからで
す。僕としては10代の頃の作品ということもあり、細部への不
満もいろいろあって「もうすこし手直ししたい」と思い続けて
いた曲です。しかしライブでは「鬼」と並ぶ大曲として大変重
宝しました。またこの曲は緊張と弛緩、決めのパートと自由な
パートが程よく配置されていたために、何回やっても「やり飽
きない」曲でもありました。ちなみにこの曲を最後に演奏した
のは北山の結婚記念パーティー。「鬼」も演りました。ベース
担当はたしかアストゥーリアスの大山くん。しかし結婚記念パ
ーティーで「鬼」と「殺意」とは。「バイバイラブ」を演るよ
りはましか。
ころんた
新月といえばもちろん『鬼』ですが、『鬼』は別格とするとわたしは『殺意への船出パートU』が最も好きな曲なのです。
この長い曲の「どこが一番好き?」と聞かれると答えに窮してしまい、「全部!」というマヌケな答えになってしまうのですが。
ロマンティックな「あなた」と「わたし」の語らいと、北山さんがささやく「眠れ、眠れ」のフレーズのまま目を閉じると、津田さんの胸をしめつける星の粉を撒くようなギターと花本さんの満天の星を思わせるメロトロンの甘いメロディが、切なく響き、わたし自身がここで満天の星空を仰ぎ見るような思いにとらわれ、抒情詩の世界へ誘われるまま甘く漂い、しかし、そのままゆらゆらと漂っていようとすると、高橋さん、鈴木さんの橋渡しにより曲はすさまじい速さで走り出し星の渦が一瞬甘さをひき寄せて、そして再び高速の勢いで星の渦は無限に拡大しながら宇宙へとワープします。
ロマンティックな抒情詩でありながら、まるでギリシア神話の神々の戦闘を描いた叙事詩のようなスケールの大きな「殺意への船出パートU」。
花本さんの解説を読んで、「緊張と弛緩」の技法に納得しつつ、そのパートごとの緊張と弛緩が最終的にわたしという聴き手に厚みのある「層」として届いていると思うのです。つまり上層で叙事詩が歌われながら下層で抒情詩が、そして下層と上層が入れ替わり音を綾なしていく曲だと思います。
わたしの「聞き飽きない曲」が新月の「演り飽きない曲」で本当に良かったと思います。
星をみあげ、胸をしめつけられるようなミクロの浪漫をささやきながら、壮大な宇宙というマクロの舞台で広げられる物語を冷徹な観察眼で描きだす新月。
あくまで「鬼」は
別格ですが、新月最高の曲だと思うのです。
そして、「殺意への船出パートU」を聞くたび、プログレに限らずバロック、ジャズ、ロック、フォークとわたしの音楽原体験をくすぐられ、「遠い星で待つきみのために」のフレーズからジャズを聴いているような間奏、そしてここから一気に曲が徐々に加速しワープし地上から見上げる星空から宇宙へと飛んでいく時、メロトロンの洪水とうっとりするギターの美しさと決して前へでずゆえに完璧に曲を支えるドラムそしてベースと切ないボーカル。5人の奏でる音はすべて絡み無限大に広がり今度は壮大な叙事詩を描いてみせ、わたしはこの曲でもっとも新月のメンバー5人を感じるのです。
「遠い星で待つきみのために うたう」25年間、このフレーズに何度酔ったわかりません。
これは新月がわたしへ向けて歌う言葉であり、わたしが新月に向けて歌う言葉であるからです。
このフレーズは、地球規模を超え、宇宙から、いや、その宇宙さえもミクロのひとつにすぎないかもしれないこの世を形成しているすべての広い広い、大きな意識の中からの「愛している」をわたしに注ぎ、そして宇宙というミクロの中のちっぽけなちっぽけなさらにミクロの中のわたしがすべてを形成しているその大きな大きな意識へ向けて「愛している」を宇宙をつかみとった人、北山さんが「遠い星で待つきみのために うたう」と言葉を代えて、花本さんのキーボード、津田さんのギター、高橋さんのドラム、鈴木さんのベースに乗せて気の遠くなるような時間旅行へといざなってくれました。
好きで、好きで、語りつくせない「殺意への船出パートU」ですが、花本さんの解説で、どの部分がどのようにすきなのかすとんと納得し、音が映像になりました。いずれはわたしたちの耳にも届く「パートT」も楽しみですが、「いかにもパート3がありそうだ」の花本さんの意味深な言葉は、いずれ何かの形で解説されるのでしょうか?
それにしても、新郎自ら「藁の手首はくびれそうな色してゆらゆら」とか「腐り果てたマストの影」と歌う結婚記念パーティすごいです。新月、ただものではありませんね。