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新月歌詩カード
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日本のプログレッシブロック〜新●月


「島へ帰ろう」
  • エピソード

    花本 彰 
     この曲は「せめて今宵は」と同時期に生まれました。が、こ の子だけが何故数奇な運命を生きなければならなかったのでし ょうか。まず歌詞は公募され(たらしい)アレンジも歌詞に合 わせてレゲエチックになりました。着物の似合う少女がいきな りアフロになったようなもんです。この子にはいつか、ちゃん と紬の着物を着せてあげたいと思うのは僕が単に親バカだから でしょうか。

     

  • 詞と曲

     花本 彰 

     この楽曲のもっとも大きな特徴は「無限転調サビ」を持って いることです。ぱっと聞いただけでは分かりませんがCで歌い 始めたメロディーが二度上のDで解決する仕組みになっている のです。つまり北山がいい気になって歌い続けているとだんだ ん音が高くなり、喉が苦しくなって、ついには歌うことを断念 せざるを得なくなるのです。何故そのようなことをしたのか? なんとなくそうなりました。

     録音物になった時の想定としては最後のサビで歌が3コーラ スぐらい入り、後はオルガンがメロディを受け継いで転調を繰 り返しながらフェイドアウトする予定でした。そしてここがポ イントですが、音が消えるか消えないかのところでメロディに 控え目なオブリ、つまり装飾音が入る。くーっ。たまらん。
     このフェイドアウト寸前でのちょっとした小技は全てのミュ ージシャンの夢であります。そうでもないか。


  • 演奏と録音について

    花本 彰 
     さて、この曲の演奏では津田のキーキー奏法が堪能できます 。ボリュームペダルを駆使してヴァイオリン奏法できめようと するのですが、ペダルの油が切れていてギターの音よりペダル のキーキーという音の方が大きかった。しかしこの音が偶然カ モメの鳴き声に似ていたことから、メンバー内では新たな効果 音として黙認されていました。
     またこの曲は海つながりということで「不意の旅立ち」とメ ドレーで演奏されることが多かったように覚えています。ただ 歌詞をご覧になれば一目瞭然ですが、内容的には何の繋がりも ありません。

    ころんた
    紬の似合う可愛い少女がアフロになってしまったのでは親はたまりませんね。 なぜか運命に翻弄されている「島へ帰ろう」。
    Q&Aであえて一番好きな曲は?の質問をさせていただいたとき、花本さんの答えは「島へ帰ろう」でした。てっきりわたしは、花本さんが尾道ご出身なので、歌詞も花本さんだと思っていたのですが、高津さんの証言によると公募?された歌詞だったのですね。
    「何も見えなくなる前に、島へ帰ろう」の部分がわたしはすごく好きなのですが、やはり是非、ハモンドオルガンで静かに演奏される原曲で聴きたいです。
    しかし、そうか、かもめの鳴き声が津田さんのキーキーだったのですね。偶然の産物がそんな効果をあげる曲作りというものは、生き物なのですね。


「赤い目の鏡」
  • エピソード

    花本 彰 
     この曲は大変珍しい組み合わせで作られました。作詞花本作 曲津田。ということは北山が新月に入る以前の曲ですね。津田 がヴォーカルを担当しているのでコンサートでは北山の鬼装束 へのお色直し用によく演奏されていました。赤目から鬼へ。こ のカップリングはそんな現実的な理由から不動のものでした。 しかし着替えのない時は北山はどこで何をしていたのでしょう 。永遠のなぞです。
     また、コンサートにいらっしゃった方は覚えてるかもしれま せんが、イントロの前には必ず、兎の人形が回るオルゴールを キーボードの横で鳴らしていました。枕元で母が絵本を開く光 景が目に浮かぶような好演出。えへん( ̄^ ̄)。あのオルゴ ールは確か横浜で購入したものです。ちょっと切ないメロディ ーが好きでした。あ、まだ物置にあるかも。

     

  • 詞と曲

     花本 彰 

     なぜこの曲に僕が詞をつけることになったのか、誰か覚えて いる人はいませんか?とにかく津田のメロディーが先にあった ことは確かです。曲を聞いた瞬間にピンと来るものがありまし た。特に中間部は中近東の砂漠の映像がはっきりと迫って来ま す。つまり僕としては見えたものを誇張して書き写せばよかっ たわけです。
     曲はどこを切っても津田。彼のメロディーメイカーとしての 才能に脱帽した曲のひとつです。


  • 演奏と録音について

    花本 彰 
     この曲はセカンドアルバム用にロックウェルスタジオでのレ コーディングを始めていました。ベーシックトラックの録音は 終わり、オーバーダブとヴォーカル録りを待つばかりの状態で した。このようにみんなの演奏を待っているテープがあったと いう事実はしかし、新月の活動がそこで終わったのだという痛 々しい現実をつきつけられるようで、複雑な思いです。
     幸運なことに、最近この曲の仮歌入りオープンテープが見つ かりました。近い将来、この録音物が長い眠りから醒め、再び 新月の音楽としてみなさんの耳に届くよう、がんばってみよう かと思っているところです。

    ころんた
    この曲を最初に聴いたときこんな可哀想な主人公の詞を作った人は誰だ!?と作者を見たら花本さん。「不意の旅立ち」と共に花本さんの詞の主人公はなんでみんな可哀想な目に遭うのでしょうか?

    かわいいイントロと(解説を読んで初めて思い出しました。オルゴール!)せつない主人公の物語。この主人公は絶対わたしだと思うときは、自分がへこんでるときです。「愛した母に別れを告げ・・・」のフレーズは、自立して、主人公が他の世界へ飛び出していくのだけど、聞きながら、行かなくてもいいのに・・と引き止めてしまいたくなるような思いになってしまうところが自分自身、自我に閉じこもってしまえば楽だなと逃避にもぐりたくなるところをこの主人公は振り切って行ってしまい、やはり彼は傷つく。 傷つかなければ、真実はわからないことがありますが、人が傷つくと自分がさらに傷つくという事がありますから、この主人公には旅には出てほしくなかったです(しかしこれでは歌詞になりませんね)。

    前半部分のイメージでわたしが感じたのはエルトン・ジョンさん(花本さんにならってさんずけ)の「グッバイ・イエロー・ブリックロード(今も大切に持っています。アナログ盤)」のジャケットです。あのジャケットの道を主人公が一生懸命ぴょんぴょん?走りながら旅から旅へとめぐり、やがて花本さんのおっしゃるように浮かんでくる中近東の砂漠へと迷い込んでしまう。
    そこでの、彼が知った現実の悲しさと残酷さ。あたたかく、あまく、やわらかいメロディゆえにその突きつけられた現実が胸に迫り、またまた、うっかりへこんでいる時に聞くと、彼はわたしだ、と感じることはしばしば。

    まるでこの主人公が見てしまった現実そのもののように、みんなの演奏を待っているテープが、そのまま、活動停止を物語る悲しい現実を花本さんは見ておられますが、仮歌入りのテープの発見が嬉しいですね。 そのテープがわたしたちの耳に届き、そしてその時また、感想を述べさせていただく日が来るのを楽しみに待っています。


「殺意への船出 part1・part2」
  • エピソード

    花本 彰 
     この曲のpart1は「OUT OF CONTROL」時代に作りました。北 山花本コンビの初作品です。「夜、海、星空を越えて」という フレーズで始まる北山の歌詞を今読み返し、他の作品と並べて みると、なるほど一つの世界観で貫かれています。物の見方が30 年以上もブレないというのは、尊敬に価することだと僕は思い ます。しか しこの曲は「セレナーデ」時代を含めて数回演奏された後、な ぜかお蔵入りになってしまいました。プログレ初心者ゆえに曲 が習作の域を出ていなかったからです。
     気をとり直して取り組んだpart2は、プログレ手法?に馴れて きたこともあり、お蔵入りの憂き目にあうことは免れました。 このpart2は多くの人の礎、あるいは人柱によって完成しまし た。頭の方からちょっとずつ、屋上屋を架し、増築を繰り返し て作っていったために壁の塗り直しや柱の立て替えが絶えるこ となく、鈴木などは「せっかく必死で練習していったのに翌日 、あ、それなくなったからと言われてガックリきた」ことが幾 度となくあったそうです。そうか、そんなことがあったのか。  この曲がまだ半分しか出来上がってない頃、福生周辺をバド ワイザーを半ダースぶら下げながら、よくフラフラ歩いていた 黒人兵(名前失念)が友達を連れて練習場に入ってきたことがあ りました。この曲を聞いた彼らは、たいへん喜んでくれました 。酔っていたので何でもよかったのかも。たぶん彼らがこの曲 の最初のリスナーです。

     

  • part2の詞と曲

     花本 彰 

    part2の作曲
     僕はハモンドオルガンの歪んだ音が大好きなので、この曲の ようにボリュームペダルをめいっぱい踏み込んで弾くオルガン ソロがあったりすると、ああ、オルガン弾きで良かったとしみ じみ思います。もっともそうなるように自分でこしらえたので すが。
     オルガンソロで始まるイントロパートは、これから始まる大 叙事詩の露払いの役をはたします。えらっそうな感じを出すた めに、感情を支配する3度の音を排し、4度や5度といった、い にしえの響きをもつ和音を多用しました。いわば「ベンハー」 「十戒」の世界です。
     それからおもむろに登場するのがギターのアルペジオ。実は この曲、このアルペジオが最初に出来ました。津田はこの早い パッセージを、なんと全てピックで弾きこなしていました。驚 異的ですね。彼、うまいかも。
     やがてベースとシンバルが大きくクレッシェンドしていき、 突然鳴り止むと、ギターの美しいハーモニックスと共に、語り のような歌が聞こえてきます。
     サビの歌メロはヴォーカリスト泣かせです。このパートはピ アノを使って作曲したために、僕の右手の癖がそのまま出てし まっています。申し訳ない。
     その難易度の高いサビが終わると、いよいよ銀河を超える航 海の始まりです。このパートを最も特徴づけているのは、フー ガ形式のように同じモチーフを他の楽器が追いかけてゆくとこ ろです。ギターのメロをシンセで追いかけていくうちに、いつ のまにかギターの方がうしろから追いかけてくるかのように聞 こえ始めます。
     この追いかけっこが終わり、いよいよ光の渦に突入するとこ ろで、メロトロンが壮大に響きわたります。勝手に映像つけて すみません。 僕はこの瞬間が一番好きです。全ての物質が光の粒子となり、 宇宙と一体化する瞬間。と一人勝手に想像しています。
     そして新月にしてはとてもめずらしい、フリーフォームのパ ートに入り、高橋くんのカシッとしたドラムソロ、歌詞の断片 が散らばるヴォーカルの変奏を経て、やりたい放題のギターソ ロに移ります。変拍子のない(むずかしくて出来ない)新月らし くなく、このパートは7拍子です。プログレの面目躍如。そし て大団円。扉が幾重にも閉まるがごとく音が錯綜する中、曲は 唐突に終わりを告げます。うーん、いかにもpart3がありそうだ。


  • part2の演奏と録音について

    花本 彰 
     この曲が新月のファーストアルバムに入らなかったのは、北 山が言う通り、セカンドアルバムに入れるつもりでいたからで す。僕としては10代の頃の作品ということもあり、細部への不 満もいろいろあって「もうすこし手直ししたい」と思い続けて いた曲です。しかしライブでは「鬼」と並ぶ大曲として大変重 宝しました。またこの曲は緊張と弛緩、決めのパートと自由な パートが程よく配置されていたために、何回やっても「やり飽 きない」曲でもありました。ちなみにこの曲を最後に演奏した のは北山の結婚記念パーティー。「鬼」も演りました。ベース 担当はたしかアストゥーリアスの大山くん。しかし結婚記念パ ーティーで「鬼」と「殺意」とは。「バイバイラブ」を演るよ りはましか。

    ころんた 
    新月といえばもちろん『鬼』ですが、『鬼』は別格とするとわたしは『殺意への船出パートU』が最も好きな曲なのです。 この長い曲の「どこが一番好き?」と聞かれると答えに窮してしまい、「全部!」というマヌケな答えになってしまうのですが。
    ロマンティックな「あなた」と「わたし」の語らいと、北山さんがささやく「眠れ、眠れ」のフレーズのまま目を閉じると、津田さんの胸をしめつける星の粉を撒くようなギターと花本さんの満天の星を思わせるメロトロンの甘いメロディが、切なく響き、わたし自身がここで満天の星空を仰ぎ見るような思いにとらわれ、抒情詩の世界へ誘われるまま甘く漂い、しかし、そのままゆらゆらと漂っていようとすると、高橋さん、鈴木さんの橋渡しにより曲はすさまじい速さで走り出し星の渦が一瞬甘さをひき寄せて、そして再び高速の勢いで星の渦は無限に拡大しながら宇宙へとワープします。

    ロマンティックな抒情詩でありながら、まるでギリシア神話の神々の戦闘を描いた叙事詩のようなスケールの大きな「殺意への船出パートU」。

    花本さんの解説を読んで、「緊張と弛緩」の技法に納得しつつ、そのパートごとの緊張と弛緩が最終的にわたしという聴き手に厚みのある「層」として届いていると思うのです。つまり上層で叙事詩が歌われながら下層で抒情詩が、そして下層と上層が入れ替わり音を綾なしていく曲だと思います。
    わたしの「聞き飽きない曲」が新月の「演り飽きない曲」で本当に良かったと思います。

    星をみあげ、胸をしめつけられるようなミクロの浪漫をささやきながら、壮大な宇宙というマクロの舞台で広げられる物語を冷徹な観察眼で描きだす新月。

    あくまで「鬼」は 別格ですが、新月最高の曲だと思うのです。

    そして、「殺意への船出パートU」を聞くたび、プログレに限らずバロック、ジャズ、ロック、フォークとわたしの音楽原体験をくすぐられ、「遠い星で待つきみのために」のフレーズからジャズを聴いているような間奏、そしてここから一気に曲が徐々に加速しワープし地上から見上げる星空から宇宙へと飛んでいく時、メロトロンの洪水とうっとりするギターの美しさと決して前へでずゆえに完璧に曲を支えるドラムそしてベースと切ないボーカル。5人の奏でる音はすべて絡み無限大に広がり今度は壮大な叙事詩を描いてみせ、わたしはこの曲でもっとも新月のメンバー5人を感じるのです。

    「遠い星で待つきみのために うたう」25年間、このフレーズに何度酔ったわかりません。 これは新月がわたしへ向けて歌う言葉であり、わたしが新月に向けて歌う言葉であるからです。
    このフレーズは、地球規模を超え、宇宙から、いや、その宇宙さえもミクロのひとつにすぎないかもしれないこの世を形成しているすべての広い広い、大きな意識の中からの「愛している」をわたしに注ぎ、そして宇宙というミクロの中のちっぽけなちっぽけなさらにミクロの中のわたしがすべてを形成しているその大きな大きな意識へ向けて「愛している」を宇宙をつかみとった人、北山さんが「遠い星で待つきみのために うたう」と言葉を代えて、花本さんのキーボード、津田さんのギター、高橋さんのドラム、鈴木さんのベースに乗せて気の遠くなるような時間旅行へといざなってくれました。

    好きで、好きで、語りつくせない「殺意への船出パートU」ですが、花本さんの解説で、どの部分がどのようにすきなのかすとんと納得し、音が映像になりました。いずれはわたしたちの耳にも届く「パートT」も楽しみですが、「いかにもパート3がありそうだ」の花本さんの意味深な言葉は、いずれ何かの形で解説されるのでしょうか?
    それにしても、新郎自ら「藁の手首はくびれそうな色してゆらゆら」とか「腐り果てたマストの影」と歌う結婚記念パーティすごいです。新月、ただものではありませんね。


「鬼」
  • エピソード

    花本 彰 
     「憑く」ということばは、ひと昔前までは日常用語でした。
    実際に戦後の貧病争といわれた時代にはまだ「キツネツキ」に なった人を九字をきって治療する霊感治療が日常的に行われて いました。肉体と肉体以外の部分との距離がまだそんなに離れ ていない時代だったのかもしれません。

     新月の代表曲とされているこの曲の、予想を大きく上回る評 価の声を耳にする時、僕はなにかとんでもないことをしてしま ったような感覚に襲われます。どうもこの曲には、楽曲の出来 不出来を超えたある部分に、違う世界と行き来するためのフッ クがついてしまったようなのです。僕はこの曲への評価は歌詞 やメロディーというより、聞いた人が「見た」「見てしまった 」光景への評価ではないかと思っています。それはひょっとし て日本人にしか見えない光景なのかもしれません。すべての日 本人(的人)が体験した何かの残像です。

     日常と非日常、あるいは肉体をもったこの3D世界とそれ以外 のすべての世界という風に幼稚に二分させていただくと、音楽 をはじめとする芸術は、その両方を生きている自分の全体像を 感覚的に取り戻すためのドラッグなのだと僕は思っています。  そういう意味では、この曲は非常に良く出来た音楽であると 共に、違うバイブレーションの人に対してはその光景が封印さ れている、不親切きわまりない作品でもあります。

     

  • 詞と曲

     花本 彰 

     この曲のメインモチーフ(間奏のフルートの部分)は、すでに 「セレナーデ」時代に出来上がっていました。そのままになっ ていたこのモチーフを再び弾きはじめたのは大学4年の暮れで した。当時の僕は大学で学ぶガチガチの音楽理論や譜面づらば かりを重視する現代音楽のあり方にうんざりしていました。
     たまたまこのモチーフを弾いた僕は、びっくりしました。音 がひとひとつ、生きて動いているように感じたのです。久しぶ りに本当の音に出会った気がしました。その日から僕はこの日 本的なモチーフをひとつの曲として仕上げることに集中しまし た。
     まずこのモチーフはどうみても間奏部分に収まるべきものだ ったので、前後のヴォーカル・パートを作ることにしました。 この頃は自分なりの反省もあり、ヴォーカル部分は自分でギタ ーを弾いて歌いながら作ることにしていました。最初出来てい たモチーフがあたかも変奏に聞こえるように最初のヴォーカル ラインを作っていくのは、ちょっとおもしろい体験ではありま した。
     そして作曲上もっとも気を使ったことは、それまでにあった 琴や尺八を使った和風ロックのえげつなさを排除することでした。それは、陽旋 法や陰旋法は日本人の心とは全く関係ないものだと認識するこ とで、どうにかクリアできました。外に出ることでまん中に入 れたのです。
     詞は僕が書きましたが、それを読んだ北山は一言だけ赤を入 れました。「暖炉」を「囲炉裏」に変えたのです。たった一言 の変更で、舞台は古びた洋館から豪雪地帯の民家へと大きくワ ープしました。例のフックがついたのは、たぶんその瞬間だと 思います。


  • 演奏と録音について

    花本 彰 
     ライブ会場のテープレコーダーが壊れていない限り、この曲 の前には必ず鐘の音が流れました。効果音とはよく言ったもの で、寺の鐘がゴーンと流れると、そこはもう雪の比叡山延暦寺 。新月の曲の中でも毛色が違うこの曲は、事前の雰囲気作りが 必須で、そういう意味ではお寺さんには随分助けていただきま した。

     演奏的にはドラムの高橋くんの役割が大きな位置を占めてい ました。ロックドラマー然とした派手なパフォーマンスを極端 に嫌う彼ですが、その精細でストイックなドラミングは新月の 核をなすものです。以前スタジオで他のドラマーと鬼を演奏し たことがありますが、僕はその時はじめて高橋くんの偉大さを 実感しました。
     また、津田のギターワークにも一言ふれるべきでしょう。彼 はレコーディング直前まで様々なフレーズを試していました。 その取捨選択の基準は、彼も気づいていたであろう例のフック への貢献度でした。コーダのリフが始まる前の、鋭利なチョー キングはその好例です。彼独特のオカルティックなギターは、 北山のソロアルバムでも堪能できます。「光るさざなみ」の間 奏部分では、小さな妖精の羽音をギターでみごとに再現してい ます。興味のある方はぜひご一聴を。

    ころんた 
    「鬼」。この曲に関してはいったいどうコメントしたら良いのかわかりません。
    「LIVE&RECORDS」の中に1999年にわたしが書いたアルバムレポートがあるのですが、このコーナーのコメントを書くときはそれを読まずに書いています。
    果たしてその時の印象と今と同じなのか異なっているのか自分自身でもわかりません。 特に「鬼」は。

    「鬼」に関しては、アルバムを聞いたときと、ライブでの印象は多少異なります。 アルバムでの「鬼」の印象は、「編みかけの糸玉」「寝る前に誓った・・」「わらの手首」の言葉に、いろりを中心にした自分自身の内的な世界の惧れと不安を呼び覚まされ、何かわからない胸騒ぎに、ありもしない天窓を探してしまい、そこにこの胸騒ぎの形があるのではないかと、内へ、内へと曲が入り込んでくるのです。

    そして、アルバムをさんざん聞いていて、レコードには入っていない、あの鐘の音を初めてライブに行って聞いた時、その効果に息を呑みました。ステージで鐘の音が鳴り、「鬼」が始まるんだという「わくわく」と、アルバムで知っているとおりの「わくわく」の全く正反対の不安な気持ちがもやもやしているのですが、それは一種こわいものみたさの、内から一歩でた「わくわく」であり、ライブではよりまたその不安が何か具現化するのではないかという期待と、北山さんのステージアクトにより、さらに空想力をかきたてられ、しかし、では新月の「鬼」とは何だったのだろうと、結局何もわからないまま、何か、をいつまでもひきずるのです。

    これはもしかしたらライブの余韻ではなくて、そう、それが花本さんのおっしゃる「フック」なのだろうと思うのですが、結局、解説を読んでもわかりません。
    新月といえば 「鬼」。日本のプログレ史上最高傑作と言われる「鬼」。未だにその評価はゆるぎないものです。
    しかし、新月の「鬼」って何?に戻る。 語りつくせない名作ですね。

    「鬼」をおにと読まず「き」と発音するとき、これはたましい、つまり目に見えないものをさすそうですね。新月の「鬼」は音楽なのでもちろん目には見えないけれど、「鬼」の「き」が楽曲となって姿を現しイメージが膨らみかすかな不安と湧き上がってくる不可思議で漠然とした像が描かれる時、「き」は「おに」の形をもって映像となって立ち上がってくる不思議な曲です。そして、そうですね、確かに見ようとしない人には見えない曲で、見える人にだけ見える曲なのかもしれません。


雨上がりの昼下がり
  • エピソード

    花本 彰 
     アルバムのレコーディングは大幅に押していました。人のこ とは言えませんが、メンバー個々のオーバーダブの時間が思っ た以上に多くかかったからです。決まりものの一発録りではな く、ライブでは出来なかったことをあれもこれもと一人ひとり が試していくものですからたまったものではありません。下手 だったこともあります。

     時間をコントロールする立場のレコーディングディレクター 森村は一人悩んでいました。「メンバーにどこでふんぎりをつ けさせるか」彼はそれを自らの行動で示すことにしました。彼 自身が吹くことになっていたこの曲の間奏部分、ソプラノサッ クスのプレイを、時間がないことを理由に数テイクで終えてし まったのです。音程が下がりきらない場所などひどく気にはし ていましたが、これがこのレコーディングで割ける時間の限界 だということを身をもって示したのでした。しかしそれからも 、何事もなかったように、オーバーダブは延々と続くのでした 。

  • 詞と曲

     花本 彰 

     作詞に関して北山は、ある興味深い試みをしています。彼自 身の曲には(たぶん)ないことですが、この曲と「島へ帰ろう」 では、フレーズ自体が要求する歌詞の意味的区切りを無視し、 いくつものフレーズをまたいで一つの長い文章をかぶせていっ たのです。一聴すると違和感があるものの、なかなか趣のある 手法だと思います。韻のふみ方も北山の面目躍如といったとこ ろです。

     作曲は僕。僕は前世の影響か、教会のオルガン曲にめっぽう 弱くて、オルガンの前に座るとつい、そっちの方に流れていっ てしまいます。一回キース・エマーソンの真似をしてナイフの 代わりにアイスクリームの棒をさしてみたりしましたが、所詮 はただのオルガニスト。最後にアーメンというコードを弾いて 心を落ち着かせたがる人種なのです。  その影響がもろ出ているサビの部分を中心に、前後の体裁を 整えたのがこの曲です。新月唯一のモノホンの管楽器入りの曲 。管ひとつで随分雰囲気が変るものです。なんか大人の感じ。

  • 演奏と録音について

    花本 彰 
     やはり演奏のうまいやつの功罪というものは、ちゃんとある のだなと思ったのがこの曲のイントロです。
     最初のギターストロークは初期のデビット・ボウイのような 、あるいは北山のようなヘタウマ(失礼)なアコースティックギ ターがガサガサ鳴っているイメージだったのですが、津田の手 にかかると透明感なるものが出るんですね。ロックのエグクて 猥雑な部分が抜け落ちていくのです。
     この一例は、新月という共同体のあり方を、とても良く表し ていると思います。
     ダイレクトにスピリチュアルな風景を描き出そうとする津田 と、あくまでも音列や音律の構造そのものの中に美を見い出そ うとした僕のアプローチ。二人の、ともすれば個々人への現実 的なやさしさに欠ける視点の狭間で、人を見つめ、人を愛し、 人を描き続けようとした北山。そうか、だから北山だけがモテ たんだ!

    ころんた 
    曲以外の解説で新月が人の背中をみないワガママな集団であることが判明しましたね。
    当時わたしはシュルレアリスムの絵画や写真、文学が好きだった時期がありますが、この曲にもその香りを勝手に抱いていました。
    明るくてのどかな雨上がりの昼下がりの1シーンを描いた曲、と思っているとソプラノサックスにリードされ、まるで様相の違う迷宮へと入り込んでしまう大好きな曲です。
    歌詞に関して、当時友人が演じる一人芝居を見に行き、芝居の内容は殆ど忘れてしまったのですが、台詞の中のいくつかの印象的な部分が、「雨上がりの昼下がり」「島へ帰ろう」の歌詞の解説にあった「いくつかのフレーズをまたいで文章をかぶせる試み」を連想させました。
    ミュージカルではなかったあの芝居が音楽的だと感じたのは、北山さんが試みたことと反対の、つまりせりふまわしを歌のように読み上げながらもフレーズを区切らず一人で芝居を完結させた方法との共通点で、これが果たして北山さんが演劇的な要素を意識してなのか何か別の音楽的手法にのっとった試みだったのかわたしにはわからないのですが、このことを思い出し演劇的表現を北山さんに感じたのです。
    演奏についての記述で、北山さんだけが「なぜモテたか」という結論を導き出した、新月共同体を構成する個々の表現に対するそれぞれの姿勢の差異に、納得した人は多いのではないでしょうか。新月の音とはつまりこういうことだったのか改めて腑に落ちました。
    確かに自分の内的な世界へ導いていく津田さんのギター、セオリーにのっとって構築される花本さんの様式美のキーボード、は2人とも雲の上の人、に対し、北山さんの詞や曲は聞き手という人間を対象に開かれたあたたかい身近な存在に感じたのです。
    アナログ盤の帯のキャッチは「まるで凍りついた夢の結晶のようにロマンと戦慄のシンフォニー」でしたね。「凍りついた」、「結晶」の語句がアルバムにふさわしいと思いましたが、北山さんのボーカルにより、それが凍りついて手の届かないものではなく、あたたかい手渡しでわたしたち聴き手の元へ渡されたのです。


魔笛「冷凍」
  • エピソード

    北山 真 
     当時私はインカ帝国という劇団の音楽を数年に渡り担当して きていた。一部の紹介文に私が演劇をやっていたということで 同劇団に所属していたとの説もあるが、これは間違いで、私が 演劇をやっていたのは中学〜高校時代である。
     この曲はインカ帝国の「春の館(だったと思う)」に挿入さ れたもので、ゆえにタイトルと発想は団長であり劇作家の伊野 万太氏による。なぜこの曲が新月のファーストに入ることにな ったかには諸説あるが、曲自体よりなんといってもこのタイト ルによるところが大きいだろう。言葉のイメージがまさに新月 にぴったりということ で、一時はアルバムタイトルを「冷凍」にしよう、というアイ ディアもあって花本によるジャケットの原画も製作された。

    注:「劇団インカ帝国」より指摘があり"魔笛"「冷凍」が使われた作品は「親王宣下」だそうです。(管理人:ころんた)

    花本 彰 
     アルバムタイトルは「冷凍/新月」こそふさわしいと僕は思 っていました。当時の(若い)僕たちの気負いもあり、熱狂より 覚醒を、という意識が大きく働いていたからです。当初のジャ ケット案は小高い丘の草原に大小様々の氷の塊があり、その高 天原的原っぱを行き来する和服の女性やウサギややぎなどの動 物が全部もしくは部分的に氷の中に入っているというシュール なものでした。そのジャケを写真撮影と合成で作ろうという段 階まで一時は進みましたが、その後の紆余曲折でこの案は廃案 になりました。そして「魔笛冷凍だけが残った」というわけで す。

  • 詞と曲

    北山 真 
     曲自体ははっきり言って、稚拙とさえ言える単純なもので、 私の得意技である半音階の連続。作曲に5分とかかっていない 。

  • 演奏と録音について

    北山 真 
     まずはファーストが録音されたのがいつかをよーく思い起こ して欲しい(思い起こせない年齢の人はがんばって想像して欲 しい)。録音されたのは1979年。それまで単音しか出ない ものと思っていたシンセサイザーにポリフォニックというもの が登場して間もない頃だ。
    そしてこの「冷凍」にこそ国内で始めて(たぶん)プログレ にシークエンサーが使われたのだった。小久保氏が操る巨大な シンセから低音が自動的に(まさに機械的に)流れ出したとき のわれわれの驚きを察して欲しい。

    花本 彰
     この曲の録音は、平沢君や小久保君が参加していたバッハ・ レボリューションのスタジオを借りて行われました。秋葉原の 裏手にあるビルに入っていくと巨大なシンセモジュールとマル チレコーダーが部屋の中にドンと置いてありました。そのシン セはコルグだったのかもしれません。アルバムのジャケ裏に機 種名が書いてあるので。小久保君はこのモジュラーシンセのつ まみをくりくり動かしながら、僕と北山が言うあいまいな音色 表現を見事に具現化してくれました。
     専門的な話になってしまいますが、キーボードを押さえてい る間はレコードの逆回転のような迫ってくる音が出続け、キー ボードを離すとリリースのかわりにドカーンという音がする仕 組みにしてくれたり、女性の叫びそのままの合成音を作ってく れたりと、彼は正に日本のワルター・カルロス?でした。
     当時としては最新の機材を使い、シンセの自動演奏を主体に した曲作りでしたが、この中にどうにかアナログライクなニュ アンスを入れたいという思いもありました。曲の終わりにシー クエンサーをボソッボソッと鳴らしたり、メロトロンの打鍵を 再生ヘッドぎりぎりのところで留めて、かすれたバイオリンの 音を出したりしたのは、そのためです。

    ころんた
    花本さんの原画を是非見てみたいですね。 そして、1979年。25年前ですね。今では子供のおもちゃにもあるような音を作り出す事は大変なことだったのですね。
    国内はじめて(たぶん)の試みだという音をふまえてもう一度「魔笛”冷凍”」を聞くとさらに感慨深いものがあります。
    それにしても、このメンバー自身による全曲目解説は、花本さんの表現によると「いわゆるみんなの意識の集合体文章」ですが、わたしが感じたのは、単なる作者による解説文ではなく、異なる文体、異なる視点、異なる切り口、異なるバックボーン、個々ばらばらのメンバーが集合し、つくりあげ変り進歩していく文章上でのプログレバンド、つまり「新月」です。


せめて今宵は
  • エピソード

    花本 彰 
     いい曲は美しいメロディーをもっています。僕は昔からポピ ュラーのスタンダードが大好きでした。そのメロディーとコー ドが鳴った時にたち現れる光景や感情が人の心を癒してくれる からです。「スターダスト」「星に願いを」「オーバーザレイ ンボー」こう列記してみると空を仰ぎみてうたうものが多いで すね。「せめて今宵は」は、僕もシンプルで美しいメロディー をもった曲を作りたいと、意識しながら作った曲です。
     福生のハウスの中で深夜、小さなアップライトピアノを前に ちょっとずつ丁寧に作っていきました。

  • 詞と曲

    花本 彰 
     1950年代までのアメリカのポップスには甘く切ない響きをも つ曲が沢山ありました。その立て役者が四度のマイナーコード です。トニック、つまり解決音に戻る前にこの四度のマイナー コードが奏でられると、胸がきゅんとなるような切ない気持ち になってしまいます。「せめて」が持っている、ある種の寂寥 感はこのコードに負うところが大きいと思います。この作品はD メジャーの曲ですから、Gマイナーのコードがそれにあたりま す。
     またこの曲は、ヴォーカリスト泣かせの曲でもあります。ギ ターを使って曲を作る場合は、歌いながら作るのでまだいいと しても、ピアノで作るとつい、右手の運指の癖がそのままメロ ディーになってしまうことが多く、この曲もサビの下降音など 、歌いにくいことこの上ないと思います。もっとも北山は後に 、この部分を歌いやすいようにメロディーを(勝手に)変えて歌 ってはいましたが。
     詞の方は、最初僕がつけていたものを使っていましたが、正 直いってあまり出来のいいものではありませんでした。この曲 と「科学の夜」とのカップリングが決まった時点で北山は、タ イトルと「今宵かぎりで 消えた街路燈 せめて今宵は 星を 降らせて」の部分を除き、すべての歌詞を書き替えました。そ してそのことで、この曲の品位は格段に上がりました。

  • 演奏と録音について

    花本 彰
     レコーディングに入る前に新月のライブを聞いた人は、突然 歌から始まる旧バージョンを聞けた幸運な人です。ロックウェ ルでの録音の際、「なんかイントロあったほうがいいんじゃな い?」というレコーディングディレクター森村の一声で、この 曲にイントロをつけることになりました。その場で適当にぽろ ぽろピアノを弾いていると「お、それいいじゃん」ということ になり、わずか数分でイントロが決まりました。レコーディン グとはおもしろいもので、自分の曲にもかかわらず、ヘッドフ ォンからディレクターのでかい声が聞こえると、そっちの方が 偉い人のような錯覚に陥り、「へい、すいまへん」と、つい従 ってしまうのでした。
     バッキングの録音で僕が一番悩んだのは、ピアノをアコース ティックにするかエレピにするかということでした。それぞれ 違う良さがあり、どちらも捨てがたかったのです。さんざん悩 んだ挙げ句、僕が選んだ道とは?
     アルバムを聞いていただければわかるように、その両方を弾 いてブレンドしたのでした。安易。しかし重くなり過ぎず、暖 かくもなりすぎないその音色は、この曲にぴったりとはまりま した。成功。
     次から次へと無分別に音を重ねていく新月方式は、ここでも24 トラックテープをあやつるミキサ−諸氏を悩ませるのでした。
     最後にやはり間奏部分にもふれておくべきでしょう。津田の 泣かせのギターの後にくるテンポルバートの部分はボコーダー とノイズジェネレイターを使って作りました。実は10ccの「ア イムノットインラブ」のまねっこをしようとしたのですが、似 て非なるものになりました。
     ともあれ、アルバムの最後を飾るにふさわしい曲に仕上がっ たことは、バンドのメンバー全員の貢献の賜物であるとともに 、気紛れな音楽の神が、たまたま宿ってくれたおかげさまと感 謝しています。

    ころんた
    胸がきゅんとなるメロディにもちゃんとセオリーがあって、聞き手がそのとおりにきゅんとさせられてしまっていたとは。まんまとわたしたちはその術中にはまっているわけですが、それを知ってなお、その「きゅん」を求めて良い曲を聴いてしまいます。
    「せめて今宵は」別れの歌なのだろうか、出会いの歌なのだろうか。 アルバム『新月』を手に取り、「鬼」に出会いそして夢と夜と朝と昼に出会いそしてまた夢へと誘われる。
    良いものに出会ったとき、わたしたちは感動すればするほど至福の中、次第に近づく「ラスト」の予感に胸を締め付けられないでしょうか。良い映画しかり、良いお芝居、良い本、良い曲、良いアルバム。出会いがあれば別れはどんなシーンにもありますね。
    はじめて『新月』を聞いたとき、アルバムのラストに、この曲が始まり、そしてこの曲が終わったとき、ああ、アルバムが終わってしまった・・という曲そのものと、ここでこのアルバムが終わってしまうという寂寥感と二重の胸きゅんをさせられてしまいました。シンプルで美しい空を仰ぎ見る曲が、『新月』との出会いに余韻を残しその感動がまた「鬼」へといざない、わたしのアナログ盤は磨り減ってしまったのです。


発熱の街角
  • エピソード

    北山 真 
     ファーストアルバムの曲のラインナップはすでにセカンドの 製作を想定したものだった。新月の3つの大作、「鬼」、「殺 意への船出」、「不意の旅立ち」のうち「鬼」、そして結果的 に4番目の大作となった「科学の夜〜せめて今宵は」のメドレ ーがファーストに決定した時点で、残る2曲はセカンドに回さ れた。つまりファーストの残る曲で、確定していたのは「白唇 」だけであった(と思う)。
    あと3,4曲という時点で私自身の作品も1曲は入れたい気持 ちがあった。さらにこのまま行くと、私としては新月の(とい うか花本の)駄作は言い過ぎだが、とても傑作とは言いがたい 「少女は帰れない」「パパといっしょに」などが選択されるか もしれないという危機感もあった。
     当時私は100曲を越えるオリジナルがあり、その中からとい うことで「光るさざなみ」もふくめ何曲かをデモとしてメン バーに聞かせたのだが、反応は「曲としてはいいが新月がやる には…」というものだった(と思う)。中にはベイティローラ ーズを思わせる「夏のお嬢さん」なんてのもあったりして、こ のあたりは自分でもいったいなにを考えていたことやらだが、 要はもうすこしプログレ色がほしいということなのだろうと解 釈し、さりとて変拍子などに逃げる(?)のはいやだったので 「ユニークなもの」ということだけをお題目に曲を作ろうとし た。“ビートルズのホワイトアルバム中の1曲”といったもの を目指したような記憶もかすかにある。

  • 詞と曲

    北山 真 
     それまで曲を作るのに2時間以上かけないのが身上だったの だが、この曲には2日かかった。歌詞はそのころ(というより セレナーデ時代あたりか?)多少傾倒していたシュールリアリ ズムの雰囲気を持たせている。「カフェの椅子…」の部分は「 風の椅子…」とも考え、こちらのほうが新月的なのだろうが、 アルバム内の役割分担を守るため「カフェ」を採用した。
     デモを聞いた花本から「やればできるじゃない」という誉め 言葉(と思っていいのだろうか?)をもらったような気がする 。新月としては異色と感じるのかもしれないが、私のなかでも 「作ろうとして作り上げた唯一の曲」という意味で異色なので ある。

    花本 彰 
     最初に聞いた印象はスパークスでした。デモカセットでの北 山はギターをかき鳴らしながら(今までのほとんどの曲はデモ の方が彼らしさが出ている)Aメロはよりエキセントリックに、 サビはよりやさしく丁寧に歌っていました。それは明らかにバ ンド形態のアレンジを意識したものでした。僕が「やればでき るじゃない」などと、畏れ多いことを言ったかどうかは失念し ましたが、新月の土俵の中で新月の幅を広げてくれる曲だった ことは確かです。

  • 演奏と録音について

    北山 真
     曲は当時としても古さを感じる「逆回転」から始まる。この アイディアは私だったか花本だったかは定かでないが、ホワイ トアルバムを嗜好していた私にとっては歓迎すべきものだった 。マーチ的アレンジ、とりわけバッキングが秀逸である。津田 のギターも珍しくストレートで気に入っているのだが、唯一今 でも解せないのが、この間奏でバックがなぜか水を打ったよう にことごとく逃げ出してしまう所である。
    も うひとつ理解に苦しむのがエンディングで、シンフォニーのエ ンディングのパロディであるピッコロのグリッサンドまでは素 晴らしいのだが、ほんとうの最後に来る「ドットド」である。 これは私の原曲にあったということになっているが、いまでも 信じがたい。まあ、いわゆる若気の至りということになるのだ ろうか(すでに若くはなかったが)。

    花本 彰 
     逆回転のアイデアはミキシングブースで偶然、この曲の逆ま わしの音を聞いたことに端を発します。曲の雰囲気そのままに 、すこしイビツに変型したその音はこの曲の導入部に相応しい ものでした。逆回転でモニタリングしながら、楽器を一つずつ 抜いていき、ちょうどいい緊張感が出るポイントを探っていき ました。かくして時間は、このテープの音と共に巻き戻され、 記憶の中のカフェへと入っていくのでした。

    ころんた 
    北山さんの文章を読んでいて、ライブの時の北山さんのMCの口調を思い出していました。
    「発熱の街角」を最初に聞いたときのイメージは、ヨーロッパの街角を描いた分厚い絵の具を何層にも重ねた原色の街です。
    マーチ風部分が、赤と白の街を連想し、また発熱という言葉から、北山さんが意識してもたせたというシュルレアリスムの雰囲気に、熱にうかされ現実を生きながら現実から乖離してしまった主人公が浮かびます。
    わたしがシュルレアリスムという言葉から連想するイメージのひとつは、閉塞感から脱けたいのに街を彷徨った挙句さらなる閉塞感のとりこになってしまう人物で、北山さんの歌詞はまさにそんな人物が街をさまよっているように思えます。
    導入部の逆回転の手法の新旧はわかりませんが、まさに「発熱」の街へねじり落とされるような効果をわたしに与えてくれました。


白唇
  • エピソード

    花本 彰 
     この曲はおもしろい場所で、しかもかなり珍しい方法で作曲 されました。そのことはこの楽曲が最終的に得た大きな音楽的 成果を考えると、はなはだ滑稽でもあります。この作品は新宿 の、とあるキャバレーで産声をあげたのです。
     当時僕と津田は、生活費を捻出するためにキャバレーやクラ ブで、いわゆるハコバンと呼ばれているコーラスバンドで演奏 していました。ステージのメインはフルバンドで、来店する有 名無名の歌手のバック演奏やジャズのスタンダード曲を演奏し 、彼等の休憩時間を使って僕たちコーラスバンドが歌謡曲やポ ップスを演奏するというスタイルです。メインヴォーカルとベ ースは「破天荒」というEL&Pタイプのバンドで活動していた阿 久津徹君(後にマンドレイクに参加)。彼の声は太く伸びやかで 、このコーラスバンドには無くてはならない存在でした。彼は グレッグ・レイクやポール・マッカートニーを意識しているよ うでした。顔の丸さは確かにグレッグ。
     そんなある日、最初のステージが終わり、おそろいのピンク のジャケット姿で楽屋にどやどやと戻ってくると津田がいきな り、「いいリフが出来た」とイントロのフレーズを生のストラ トで弾きはじめました。津田らしい、クールでいいフレーズで した。しかしそれ以降がまだ出来ていないということだったの で、2人でこの曲を仕上げることになりました。譜面をやりと りしながら、休憩時間毎に8小節ずつ交代で作曲していったの です。
     したがって歌メロの部分も前半が僕、後半が津田とまん中か ら作者がばっさりと分かれているという、奇妙な構造になって います。まあ30分の休憩時間が8小節の作曲にちょうどよい長 さだったということでもあるのですが。
     というわけでここに津田的でもあり、花本的でもある摩訶不 思議な曲が出来上がりました。
     

  • 詞と曲

    花本 彰
     この曲全体のコンセプトは完全に津田が握っていました。ア ルバム「新月」には津田が作詞を手がけた曲が二曲ありますが 、そのひとつがこの「白唇」です。一見男女のロマンチックな 話のようにみえる歌詞ですが、実は色々な意味が隠されている ようです。
     さて、ご存知のようにピーター・ゲイブリエルやスティング クラスになると、ダブルミーニング、トリプルミーニングの歌 詞がずらりと並んでいます。スティングのヒット曲「見つめて いたい」の「私」を「地球意識」と読み替えると、随分おもむ きのある内容になるんだと以前津田が言っていたのを思い出し ました。
     はたしてこの曲も私という存在と君という存在が登場するの ですが、多くを語らない津田の数少ない説明によると、曲中の 「君」は自分の中にある女性原理のことらしい。どうやら彼は 自分や地球が、女性原理が象徴するなにかに回帰することを望 みつつ、この詞を書いた風なのです。しかし「夜明けのかけら 」とは一体何か?

       間奏部分はさすがに我が家に帰ってから書き上げました。こ の部分は歌メロの頭のモチーフだけを活かした変奏パートです 。新月の曲はいくつかの特徴をもっていますが、そのひとつが この間奏で聞ける旋律と音色のつづれ織りです。一本のメロデ ィラインを様々な楽器を使って変奏することで、日本庭園の中 を散策するように、ゆっくりと音景色を変えてみせることが可 能になるのです。
     さてその景色とはどんなものか。僕たちは当時、太陽に象徴 されるものが嫌いでした。僕が思い描いた風景は、太陽の光を いっぱい浴びる木々とは全く逆相の、雪の結晶がその冷たい氷 の枝葉を伸ばしていく光景です。それらの結晶が描き出す精緻 で意味深な図形は、この作品のもうひとつの表情でもあります 。

  • 演奏と録音について

    花本 彰
     この曲はベースを聞くためにあると言っても過言ではありま せん。鈴木のメロディーメイカーとしての才能が如何なく発揮 された作品のひとつです。また、楽曲を主旋律とコードの組み 合わせでハーモナイズするのではなく、複数の旋律の集合によ って形作るという新月的手法は、この曲でもいきています。
     「新月」の多くの曲は、主旋律の下に併走するメロディック な対旋律を持っています。
     この曲では、イントロでは鈴木が「勝った」ので、彼が晴れ て対旋律を演奏し、僕は静かに白玉(ベタで和音を弾くこと)に 徹しています。ライトミュージックの作曲で絶対避けなければ いけないことは、多すぎる要素による混乱です。
     サビからの対旋律は私が弾かせてもらっています.このサビ のようにふたつのメロディの組み合わせだけでハーモニーの骨格 が出来上がると、あとが非常に楽ちんで、たとえば二回目のサ ビの最後のように、ヴォーカルとチェロ(メロトロン)のみに音 が削ぎ落とされても、それだけで曲として成立するわけです。
     そしてこの曲のもうひとつの聞き所は津田のギターです。彼 はガットギター、スチールギター、エレキギターと幾重にも重 ねて録り、それらを最終段階で微妙にミックスしたのです。耳 を済ませて聞くとその音色変化を楽しむことが出来ると思いま す。
     また、イントロの後半で聞こえるレコードのスクラッチノイ ズのような音。あれは降り積もる雪の中を歩く人の足音を効果 として入れたものです。え? そうは聞こえない? 失敗か??

     P.S.この曲のタイトル、何と読んだらいいのでしょう。
    「ハクシン」?「シロクチビル」?ここで告白しますが実はこの 曲の正式な呼び方は未だに決まっていないのです。バンドの中 では「しろくち」で通っていたので問題なかったのですが。ス テージで北山は何と言って紹介していたのだろう? そういえ ばこの曲だけ突然始めることが多かったような。

    ころんた
    わたしは、幸か不幸か先に『フールズメイトvol.9』新月インタビューで津田さんの「白い唇の女というのは女性原理への憧れ」という内容の記事を先に読んでしまってから聞いたので、ロマンティックな曲、としては捉えられずに聞きました。
    「白唇」の英語のタイトルがFragments of the Dawnでつまり夜明けのかけら。タイトルだけで謎かけですね。
    これ、なまじ最初から自己の女性原理の憧れ、などというインタビュー記事を読まずに素直に聞いたらどう感じたのでしょう。でも新月のことだから、普通のラブソングとしては聞くことは出来なかったと思います。
    果てない流れ超えて君のもとへたどり着けたらなにもいらない・・・。うっとりする歌詞ですが、歌詞もメロディも、もっともっと大きな流れでとらえないと、きみ、を自分と読んでしまったら、その流れに押し流されてしまいそうです。
    2人の作曲者と1人の作詞者によって作られそしてその歌詞は謎。何度聞いても深い、ふかい曲ですね。
    そして、花本さんの解説文「旋律と音色のつづれ織り」「音景色」「結晶が描き出す精緻 で意味深な図形」こんなきらきらした言葉を散りばめていながら、薄絹物をふわりと被せたような贅沢な文章を読むと、 言葉とはなんて絵であり舞踏であり芸術であり、『音』なのだろうと思うのです。。




科学の夜
  • エピソード

    花本彰 
    この曲は、アルバムの制作が決まり、曲の配列を決めて いく中で、アップテンポの曲も入れようということになり、急 いで作ったものです。
    A面1曲目のイメージを描きながら作った 記憶があります。
    曲順に関してはレコーディングディレクター 森村寛くんの大きな貢献がありました。
    彼は当初、理想的な曲順 として以下の並びを僕たちに提案しました。
    A面・鬼・赤い目 の鏡・白唇 B面・殺意への船出part2・せめ て今宵は
    僕は「赤目」と「殺意」はアレンジ面でまだ未消化の部分があ ることと、北山、津田という強力なソングライティング能力を 持ったメンバーの出番が少なすぎるとの思いがあり他のメンバ ーとも相談し合って曲の最終ラインナップを決め込みました。
    したがってこの曲の歌詞は曲順が決まった後にアルバム全体の 流れに沿うように書き直されました。そして北山の手により 、アルバム全体が 夢-夜-朝-昼-夜-夢と、ひとめぐりするよ うに整えられました。
     

  • 詞と曲

    花本彰
    構成的には、動・静・動というオーソドックスなスタイ ル。
    最初のモチーフと中間部のモチーフが最後に合体して新た なメロディーになるという方法は、曲に統一感を持たせるため に当時の僕が好んで使った手法のひとつです。
    また一曲中のメ ロディーラインを一本の繋がった線として捉え、その稜線をヴ ォーカルパートとインストパートに切り分けるというやり方も 曲作りの上では特徴的でした。
    僕が渡したメロディーテープを 聞きながら北山が詩をつけたわけですが、出来上がったもの を聞いてみると自分がインスト部分だと思っていたところにヴ ォーカルが入っていたりしてびっくりしたのを覚えています。
    ここがバンドの良さですね。こうしてこの曲は僕自身の思惑を 超えたところ、つまりメンバーみんながすこし見上げる共通の 場所に、すこしずつその形を現していきました。

     そしてこの曲を特徴づけているもう一つのポイントは最初か ら4つ目の音です。
    その音は通常のスケール(音階)に逆らい、 半音上がっています。
    その音を半音上げた時点でこの曲の性格 が定まりました。
    ジミー・ペイジが「DANCING DAYS」などで多 用したこのモード的スケールは曲に砂っぽい中近東イメージを 加えてくれます。
    僕もいろんな理由で中近東の雰囲気が大好き でした。
    しかし実際にハーモナイズしてみるとクラシックの楽 曲のいわゆる五度五度の導音、あるいは装飾音的な響きになり 、僕の最初の狙いに反して、楽曲全体に東欧的な切ない空気感 をもたらすことになりました。
    そしてそれが大きな効果をあげ ているのは言うまでもありません。

    「鬼」に用いたスケールの 関係で日本的なイメージを持たれることが多い新月ですが、東 欧や北欧に近いバイブレーションも新月の音から感じていただ けたら幸いです。

  • 演奏と録音について

    花本彰
      この曲ではギターの津田が大活躍しました。
    中間部のギターアルペジオによる多重録音は、一つひとつの音 が複雑に紡がれていて、まるで美しい縮や上布を見ているかの ようです。
    音と音がポリリズムの中で自在に行き来する姿は見 飽きる(聞き飽きる?)ことがありません。
    鈴木のベース、高 橋くんのドラムスも聞きものです。
    鈴木はメロディーとリズム 両面から同時にアプローチできるというベースギター本来の特 性を活かしきり、トップノートに対する3番目の対旋律という 考えからメロディックなベースラインを作るとともに、高橋くん との連携プレーでこの曲に力強いスピード感をもたらしてくれ ました。
    ライブでは時々そのスピード感が災いして、つまり早 くなりすぎて、徐々に元のテンポに戻すのに四苦八苦した記憶 もあります。
    鍵盤楽器ではイントロの二巡目で聞かれるクラビ ネットD6(ピアノとギターのあいの子のような音)の低音がポイ ントといえばポイントかも。一巡目のメロディーは少年のよう に軽やかに、二巡目は叡智の人を表す堂々とした音にしたかっ たのでこれはピッタリとはまりました。

    ころんた
    あのアップテンポな曲がA面一曲目のイメージだったなんて驚きました。アルバム全体のイメージが全然違ってきますね。最後に書き直された歌詞、では最初はどんな歌詞だったのだろうかと勝手に想像を巡らせております。 インスト部分だと思っていたところに歌詞がついたりと、楽曲には誕生するまでにさまざまなエピソードがあり、生き物なんだなあと思います。
    そういえば、科学の夜、だけは「和」から一線を画していますよね。 新月というと徹底的に「和」にこだわっていた、という印象ですが、この曲を一番最初に聞いたとき、音楽なのに、視覚を激しく刺激されSF映画のフラッシュを見ているような錯覚がありましたが、東欧、北欧の要素が、そんな効果をもたらせてくれたのでしょうか。
    そして何より、北山さんの手によって夢-夜-朝-昼-夜-夢と巡る構成に整えられたアルバム。このエピソードは何よりもアルバム「新月」を聴く上で、わたしたちにより深いものを与えてくれました。




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