津田治彦ライナーノーツ



「新月/新月」再発盤 津田さんのライナーノート(1989年盤ライナーノートより転載)


 西暦1988年、人類は意識の下降曲線を下り切り、この宇宙で最も物質的な意識に到達した。その幾何学コードは、333であり地球では、東京がそのフォーカスポイントを担当している。これは逆説的に宇宙の辺境を象徴しているものであり、ある意味で全ての宇宙民族が東京を注目している。

 今となっては、人類は限定のマスターの名前をほしいままにし、個人性の牢獄の中に自らを呪縛することによってその自立性を保持している。
 全ての物質的構造エリアは上位の次元階層構造を持ち、決してそれ単独で機能することはない。この地球にも太陽系の通例に習って9次元の階層構造があり、これは一つのユニットとして機能している。
 その中でも8次元は、少なくとも地球全体の物質及び意識のコントロールユニットとして第3次元と通底しており、東京は、幾つかあるうちでも特殊なポイントとなっている。

 各世紀はその最後の四半世紀のあいだに次の100年間のシミュレーションを行う。
 今世紀においては、1975年が21世紀をうかがわせる最初の年であった。
 この時、新月もその萌芽を形成したのであり、このことはメンバーの何人か、もしくは全員が次の世紀に対しある責任をもっていることの傍証であり、実際歌詞をみれば分かる人には分かるだろう。

 このバンドは個別化してから数億年を経過した意識体の集合したユニットつまり回路装置であったのであり、単にその間の経験を音楽として表出していたに過ぎず、下位の集合意識とのコミュニケーションを意図していない自己治療的、悪く言えば自己満足的集団であったので、このことがこのバンドを比較的短命に終わらせた要因である。
 しかしながらこの自己治療的要件は結果的に言ってうまく満たされ、メンバー各自の個人の歴史のなかで今も悪からぬ回路として機能している。
 そして1988年11月、新月の唯一のLPが再発されると聞き、なにか時代の変動のリアクションを感じる。これは社会全体から見れば、取るに足らないことだが、決して偶然でもない。

 当時、新月は音楽的インスピレーションをアルトラル領域から拾いだしては現実的なテクニックを通して再構成していたが、この構造は現在でも通用しているらしく、いわゆるプログレッシブロックとしてカテゴライズされているが、これらは、すべてある種のアストラル領域にインスパイアーされるという構造において同一であり、個別のフィルターとなるバンドの構成員の意識上の回路特性が個別となるのに過ぎない。

 この回路特性がくせ者であって、どれだけの次元を突破できるかによって表出された作品の深みが違ってくる。これは高次元のイメージをより直接的に表現しようとすればするほど、それに賛同する聴衆の数は減る傾向にある。だが、これを都合の良い言い訳にしようとしても現在では、もはや本物の言い訳にしか過ぎないところまで新しい集合意識は進化してきている。
 特にこの日本の東京ではそれが顕著であり、宇宙的に多種多様な集合意識のフォーカスが集中している。

 今後この集合的な意識のシフトは破局的な飛躍の臨界点に近付くにつれて地球の地軸の移動を伴う地学的な変動を引き起こすようになるだろう。この変動を災厄の兆しと見る必要はない、どのみち我々が自身で、直接的にも間接的にも引き起こしていくものだから、ある意味ではこういう未来を望んでいるとも言えるだろう。
 この変動によって個人が失うものは多いだろう、しかしそれによって獲得するものもあるに違いない。進化は生物学的に言ってもその種が滅ぶかどうかのぎりぎりの瀬戸際で起こるものだ。我々もここまで来るのに、その都度同胞の9人を犠牲にしてきたのだ。

 これは周期的な法則のもとに起こり、今年から2013年までのあいだに斬新的に成就するだろう。
 これは前世紀末からルシファーライジングと呼ばれてきたものの本番であり、個人が何等の帰属集団にも依存せず、完全に自立するための儀式でもある。

 人類は最終的に2分されるだろう、先へ行く者と滞る者へと。
 新月は前者のために第8次元にある回路を設定するための予備段階の儀式の記念碑であり、本質的にはアストラル領域をはるかに越えた作業構造をもっていた。
 従って、新月をある回路構造とすれば、それは今も機能しており、むしろこれからが本番と言えよう。

 今後もこの見えない名前は使用されると最後に言っておこう。

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