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「SNOWレーベル作品発売記念パーティ」レポート ころんた@管理人

 当初、レポートは、メンバーの語りと、曲目だけを忠実に再現して、掲載するつもりでした。
 しかし、何度も書き直しているうちに、SNOW作品記念パーティなのは、充分頭では理解しているつもりなのですが、やはり、1980年を最後に、24年ぶりに、5人のうち3人の新月メンバーの演奏を聞くことが出来る、会える事が出来る。
 それが実現した、1ファンとしての目線で見たパーティの様子を書きたくなってしまいました。
 邪魔とは思いますが、結局、自分の思いも詰め込んでしまったレポートとなり、何度も書き直して、このボリュームになってしまいました。
 当然、メンバーの言葉だけを読みたい方のほうがたくさんいらっしゃると思いますので、わたしの部分は、読み飛ばしてお楽しみください。


 パーティのレポートに入る前に、少し、おさらいをすると、まず、「動物界之智嚢」は北山さんが立ち上げたレーベル「SNOW」の作品第一弾で1982年に発表されました。
 今回のCD化以前に、わたしの稚拙なアルバムレポートに、今読むとかなり恥ずかしい文を載せていますが、恥を承知で引用すると、「ボーカリストの北山さんが「あえて」ボーカルパートを全く設けないインストのアルバムを制作した事実は、ニジンスキーがあえて得意技だったジャンプの振り付けをせず牧神の午後を踊ることに挑戦、喝采を浴びたというエピソードを思い出す。」とあります(うう、恥ずかしい)。
 でも、今回CDを聞き、北山さんご自身のライナーを読み、パーティで実際に北山さんの言葉を聞き、それは、違う、と思いました。

 無論、最終的に「新月というバンドのボーカリスト北山さん」になり、今現在も新月のボーカリストの北山さんですが、それまでに、北山さんが聞いて来られて、作ってこられた曲のひとつ、ひとつが、蓄積され、さまざまな面が今の北山さんなのだ、という事です。
 ライナーにある、「たいがいのミュージシャンは複数の方向性を持っているものである」の北山さんの文章に、わたしは、新月だけの枠、新月だけの北山さんしか見ようとしていなかったのだ、と気づきました。

 それをふまえて、「動物界之智嚢」を聞くと、二曲を除いて、すべての楽器や効果音(らくだの鼻すすり、は傑作。うーん、何か二重の意味があるのかな)を一人で演奏されている、ひとつ、ひとつの曲に北山さんが見えてきます(さあかすの象だけは、不本意だと書かれていますが)。
 CD化以前に聞いたときは、どうしても、新月の影を見たくて、花本さんが参加されていてる「まなたす」だけに執着していましたが、今は、純粋に「北山真ソロアルバム」として楽しんで聞いています。
 うん?パーティでは触れられませんでしたが、「動物界之智嚢PART2」は果たして発表されるのでしょうか。
 そして、素晴らしい「オマケ」の、『端境期』と『光るさざなみ(原曲)』。この二つの曲に、自分自身が感じた事の答えがある、と思いました。

 文学バンドの「文学ノススメ」は1983年発表のSNOWレーベル作品第2弾です。すでに皆さんは、北山さんの「SNOW時代」を読んでおられると思いますが、「劇団インカ帝国の二人が、熱く文学について語っているのを聞いて思いついた」「もやもやのはけ口として?創られた文学バンド」とあります。
 わたしは残念ながら、劇団インカ帝国の作品は見ていないのですが、この「文学ノススメ」を聞きながら、地下のかび臭い小さな狭い劇場で繰り広げられていた、当時のアングラの世界を思い出しました。

 と、同時に、当時の空気を思い出しました。真剣に何かを考えているのが、だんだん「暗くかっこわるい」と言われだし、「しらける」などと言う言葉が流行りだし、決して、からりとはしていない、険のある明るさが、時代にだんだん浸透してきた頃でした。
 すでにプログレが衰退に入りパンクが台頭してきた同時期くらいに、わたしが知っていたアングラ劇の空気も、客層までもだんだん変わっていき、友人の劇団の劇を見に行っても、しらじらしい明るさに満ちていて、それに迎合するのに、だんだん嫌気がさしていた友人に「なんでこんな劇を見に来たんだよ」と、怒られたのを思い出します。客なのに〜。
 『少年愛の美学』の中で「どうして人は笑っていなくちゃいけないのかと真剣に考えた」という歌詞に、それが籠められているように、勝手に感じました。

  時代といえばライナーによると、『愛の渇き デモテイク』は、北山さんが小熊さんに、曲を教えていて、花本さんからかかってきた電話の音が入っている、というリアルなものなのですが、当時の真っ黒いダイアル式の電話器を思い浮かべる事が出来る人は何人いるのかな、などと思いました。

 そして、『わが解体』。北山さんの「SNOW時代」に、花本さんと北山さんの「本当の意味での共作が成立した」入れ込んで作った作品とあります。
 北山さんが言われるように、朗々と力強く語られる時任さんの台詞には心底震えがきます。津田さんのベース、花本さんのキーボードは、その詩の行間を埋めるが如く、この台詞の格調を高みに上げています。

 それから続く、情景を語り掛けるような歌が次第に歌い上げられ、ギターバトルへと続いていく。
 わたしが、このアルバム中、もっとも好きな、文学バンドの「文学」たる曲です。

 アルバムの中の、時任さん、小熊さんの歌詞は歌詞というより、舞台の台詞、散文詩、物語のようで、曲を聞かない時でも、歌詞カードだけをじっくり読んで、味わう楽しみ方もあります 。
 ライナーに写っている、当時の花本さんと北山さんの写真が嬉しいです。青春だ〜。



 2004年12月17日。江古田フライングティーポット。
 まさか、こんな日がいきなり来るとは思いませんでした。
 北山さん、花本さんご自身からのメッセージにもあるように、あくまで北山さんのレーベル「SNOW」からリリースされた2作品、『文学バンド』『動物界之智嚢』CD化再販記念の「パーティ」であり、新月のライブではないことは皆重々承知です。
 でも、新月に関わりの深い劇団インカ帝国のメンバーであり、新月ファンクラブ会長の小熊一実さん、同じく劇団インカ帝国のメンバー時任顕示さんと共に、この2作品に参加されている、北山さん、津田さん、花本さんが演奏すると聞かされて、期待するなと言う方が無理と言うものでしょう。

 現実に、19時開場にも関わらず、寒い中18時には最初のお客さんが来られ、皆さんたぶん・・・眠れないほどわくわくして、この日を待っていたのに違いないです。
 ころんたに至っては、ここ一番という時に弱い、風邪をひく、というお約束どおり、1ヶ月も風邪をもちこしていた上に、ヨロコビのプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、なんとかこの日を迎えることが出来ました。
 当日も、異常な緊張で、リハの夕方に間に合えばいいものを、朝から都内を無意味ににうろつき、わざわざ自ら体力を消耗し、よろけながら、江古田の駅に辿り着きました。家にいたら、そのまま寝込みそうだったのです。

 後から増田さんに聞いたら30人のお客さんが来られたそうで、年末でもあり、平日でなければ行かれるのにと、無念にも、諦めた人もたくさん居るはず。ころんたよろよろしている場合ではなくて、この目で見て耳で聞いて、自分の感動も含めて、当日、行かれない方へレポートを、書かねばと、舞い上がりながらも、ファンであると同時に自分で勝手に自分に任命したレポート係として、ぼろぼろデジカメ握り締めて、パーティへ臨みましたっ。



 会場は写真で見るように、地下一階の明るいお店でした。店内もお客さんが入る前に、撮影したのですが、2枚持っていたスマートメディアを1枚紛失してしまい、どんどん容量が足りなくなってしまっていたので、写していたものを消しながらメンバーの画像を優先して撮影していたため、店内の様子も消してしまい、お見せ出来ずにすみません。
 地下を降りて店内に入ると、細長いつくりで、左側にカウンター。右側が、写真で見ていただいているような演奏スペースと、北山さんたちの正面に細長く、客席があり、座りきれないお客さんたちはカウンターに寄りかかって演奏を見る、という形でした。が、同じ目線にメンバーがいるのも、贅沢ですよね。

 リハーサルも終了し、早めに来られたお客さんがすでに、ドアの向こうで並びはじめました。寒いこともあり、時間より早めに開場し、皆さんに入っていただきました。皆さんの表情は、緊張と嬉しさとが入り混じった、おそらくわたしと同じ表情ですね。

 パーティ、ミニライブはもちろんですが、サイトの管理人であるころんたには、新月掲示板に、良く書き込みをしてくれている翡翠さん、hirohiroさん、子鬼さん、それに、「新●月LIVE1979」、「SNOW作品」をリリースしている同じポセイドンレーベルの「水鏡」のメンバーで新月ファンの、キーボードでコンポーザーの阿南順也さん、ドラムスの神山敬太さんがいらっしゃるとあって、それもとても楽しみでした。
 花本さんと北山さんが最初に組んだバンド、out of controlの和田さんはすでに掲示板で欠席宣言をされていて残念!

 受付は増田さん、北山さんのソロアルバムに参加されている歳森今日子さん(2月のSeffer/Cahenの来日公演に参加された際に、「あかねさす」を歌われたそうです)のお二人でした。
 皆さん一通り席に着かれ、客席をふと見やると、正面に陣取りコブシ握り締め、かちかちに固まっている若者発見。
 年格好から、翡翠さんか子鬼さんのどちらかだろうと、近寄って声をかけると彼はびくっと脊椎反応をおこし「ど、どちらさまですか」と明らかに怯えているご様子。
 そ、そんなに怖がらなくても・・・と、うっかり名を名乗っていなかったころんた、挨拶すると、安心していただけて、子鬼さんと無事対面。すると、子鬼さんの隣に座っていた入ってきたときからうれしそうににこにこしていた、いかにも優しそうな若者が立ち上がり「hirohiroです」と挨拶をしてくださいました。2人は偶然隣同士に座っていたのでした。良かった、良かった。

 と、子鬼さんの肩越しににっこり笑いかけてきた若者が、翡翠さんだったのでした。受付で翡翠さんを見て若い女の子のファンもいるんだな〜と思っていたのですが、失礼しました〜(良く間違われるらしいけど)。でもhirohiroさんにもころんたさんが女性とは思いませんでしたと言われたし〜。いいのよ、良く間違われるんだから、ほほほ。

 飲み物はソフトドリンクは自由でカウンター越し店長の目黒さんにお願いし、何種類かのピザがカウンターに並べられて、皆さん自由に取ってくださいと増田さんがお客さんたちに呼びかけたのですが、皆さん、やはり、演奏前という事で、かちかちに固まっていました。
 ころんたさんがまず取って食べないとみんなが遠慮するからと、増田さんに言われ、緊張のあまり食欲なかったのですが、ピザを1枚、半ば強引に食べましたが、無理に食べた感じ。でも、普段大メシくらいのわたしゆえ、食べだしたら、おいしい〜、と、ちゃっかり腹ごしらえ出来たのでした。
 客席の構造上、席に閉じ込められた?お客さんはそれを乗り越えてまでは、取りにはなかなか来られなかったようです。
 ライブが終わって、歓談に入ってから、皆さん、リラックスされて召し上がっていたようでした。
 さすがに酒飲みのころんたも、アルコールを飲む気にはならず、ソフトドリンクをいただき、でも、やはりかちかち。
 少し遅れて水鏡の阿南さん、神山さん。
 Asturiasの大山曜さんが来られたのには驚きました。  では、パーティ開始です。
 以下敬称略



「SNOWレーベル作品発売記念パーティ」

増田  「今日はパーティの一部としてメンバーが喋ったり、演奏したりします。CDをかけて解説をしたり、近況を話したりします。
 ひととおり歓談が終わりましたら、サイン会を行います。ひとつおことわりをしておきますが、花本さんはサイン会が非常に苦手なので、会場ではサインをしません。あらかじめ、CDには花本さんのサインがしてありますので、ご了承ください。まず北山さんからお願いします。」

北山  「どうも、25年ぶりの方もいらしゃると思います。すごいもので、25年たってしまいました。はじめにお断りしておきますが、今日はライブでは、ないので・・。パーティの中にちょっと演奏もありますよ、という事です、と、いう事を先に言い訳をしておきます。 パーティの中にライブが少しあるという感じです。
 ポセイドンより、以前SNOWから出したカセットのCD盤が2枚が出るということで、何かやったほういいのではないかという話が、増田くんからあり、ライブできるような代物ではないので、発売記念パーティをやろうという事になりました。
 場所はどこにしようかという事で江古田のフライングティーポットでやろうということになりました。

 江古田は新月関係には重要な地で、文学バンドの時任顕示も同じ高校だったのですが、東長崎、江古田、椎名町あたりにみんな生息してました。
 僕もこのあたりを、うろうろしてました。
 僕は、シンガー・アンド・ソングライターを目指していまして、ギターを弾いて一人でやっていましたが、ギターが下手という理由があり、どうも一人ではうまくいかない。
 あまり知られていませんが、ちゃんとオーディションを受けて、レコードを出すという、ところまで行ったのですが、どうしても、一人だけではライブができない。
 いろいろ考えてるうちにバンドを作ろうと考えました。ジェームス・テーラー、キャット・スティーブンスあたりを目覚していまして、そんな人たちも、もちろんみんなバンドを持っているし、ギター一本では無理だと思い初めていました。

 ちょうど、クリムゾンが出た頃だったのでしょうか。宮殿、ポセイドン、リザードと順を追って聞いた覚えはなく、まとめて3枚をぐちゃぐちゃ聞きました。そして、それから聞いた、4枚目のアイランズでものすごく感動し、これをやりたいな、と思ったのです。
 しかし、こんな音楽を演っているバンドが、日本にあるとは、思わなかったし、当時のバンドと言えばディープ・パープルみたいなバンドばかりで、そんなのは歌えるわけないし。

 そんなクリムゾンみたいなバンドが出来るだろうかなと、池袋をふらふらしていたら、ヤマハでメンバー募集のはりがみを見たんです。
 イエス、クリムゾン、PFMの名があり、「そんなバンドをやりたい」
と書かれていました。そして
 「(北山さん力をこめて)叙情的なボーカリストを求む(会場笑い)。
 というはりがみを見て、これはオレだろう。と。(会場笑い)
 そのはりがみしたのが花本だったのです。
 それから30年経ちましたね。花本は当時椎名町に住んでいて、日芸のメンバーで最初に out of controlというすごい名前のバンドから、セレナーデになり、いろいろあって新月に至ったわけです。

 一曲SNOWからCDをかけますので、一曲聞いてから、CD買うかどうか考えてください(笑い)比較的まともな曲「ごまふあざらし」です。
 いきなり買ってうわーと思われても・・」

「ごまふあざらし」CD演奏(花本さん再生ボタン押し係:贅沢)

 (氷が太陽を受けて光のかけらがきらきらする中で、ごまふあざらしが、ころげて遊んでいるような、大きな体をくねらせて泳いでいるイメージの可愛い楽しい曲です。
 ライナーを読むと、ここに「オートハープ事件」という因縁深い?エピソードがある曲だそうです。)

北山   「もうすこしプログレっぽい曲も入ってます。というわけで、時代がたって、新月解散した後、SNOWレーベルを作りました。
 花本と津田は亡くなった如月小春さんの劇団の音楽をやっていて、フォノジェニックスで5本くらい出しました。

 SNOWでも当時の情報誌「シティロード」、「ミュージックマガジン」にデモテープを募集しました。
 3本デモが来てその中の一本が、良いもので、金子卓司くんといって岐阜のヴァンゲリスと僕は名づけました。
 音はテクノで、プログレではありませんでした(SNOWレーベル「NoFuture」)。当時、全然売れなかったが曲は良かったです。

 そして今は、検索という珍しいものがありまして・・、いや検索が珍しいんじゃなくて、俺が使うのが珍しいのか(会場大爆笑)。いや、検索という便利な機能がありまして、検索したところ、金子くんのサイトがありました。

 その当時のサウンドはヴァンゲリスではなかったのに、25年たって、サイトに彼のサンプル音楽があり、聞いたらまさにヴァンゲリス。
 やはり、わたしに見るところはあったと思います。かなりいいんですよね。SNOWで出したのもいいのですが、曲をちゃんと聴いてくれればとても良いです。どうですか増田君?さらに安いし。(増田さん苦笑)
 コンタクトとってみたいです。金子卓司くん。
 エジソンとか5番街とかに出して、2、3年SNOWをやっていました。最終的に回収したどうかわかりません(笑い)。今でも売っていたら困っちゃいますが。
 いまから、では、動物界から1曲、花本とやります。(拍手)
 その前に、花本から新月の近況など一言お願いします。」(拍手)

花本 「まあ一緒にやりましょう(なぜか一人になりたがらない花本さん)」
北山 「一緒に?(苦笑)」
花本 「どうも(あの、花本さんの、「どうも」だっ)、あらためまして、花本彰です。新月、解散はしたんですね、一回ね、たぶんね、1982年あたりに。北山の記憶によると、どこかの居酒屋で、やめようか・・・と。どういう原因で?やめようと?」
北山 「(笑い)どうでしょうね。」
花本 「自分に合わなかったんですか?(ものすごすぎる北山さんへの問いかけにころんた仰天)」
北山 「いやいや。ドラム、ベースが抜けた後、1年くらいやってたんですか。」
花本 「新しいベースの方とか、ドラムの方にいろいろ手伝っていただいてやっていたんですが。どうも・・終わりましたね。」
北山 「結局、いわゆるプログレを続けるべきか悩んでいたのが、大きな原因で、多分、そのままのスタイルで貫いていればよかったのでしょうが、何か新し目の事もやらねばならないという、そのへんのぐちゃぐちゃが原因ではないでしょうか。」
花本 「津田君に伺うといい意見が聞かれるのではないでしょうか。」
津田 「(笑い)」
花本 「この頃、世界的にプログレの人が自分の音楽が、嫌になってるということがありまして、違うテイストのアルバムを出したりするような、熱病のような時期があった頃だったと思います。わたしも一回音楽を止めまして、映像の仕事をやっていたんです。
 ひょんなことから、文学バンドがきっかけで、また、みんなが集まっているのですが。
 小熊君がSNOWのCDを出すという企画がありまして、じゃあ、新月のBOXもいいじゃん、という事になって、こちらが主流になっています。今の流れではBOXになっています。

 そのBOXの話になりますが、BOXはいまのところ・・そうですね、来年の5月ですかね、4月は難しいので、5月あたりに発売されるという段取りで行こうかと思っています。是非その時はご購入ください。お願いします。
 ライブもね、その時やってもいいかなと、思っています。
 (会場大拍手。わたしを含めて、みんなもう、大感動です。本当に驚きました。到底予想していなかった発表でした。)
 ちょっと、ひとつね、不安要因がありまして、忙しい方が一人いますので、その方の具合によります。まだ、大きな声ではいえないのですが。それに向けてやっています。

 あ、そうだ。言うのを忘れてましたが、新月とか文学バンドの、こういう流れが大きく盛り上がったのも、ひとつね、新月ファンのころんたさんがサイト作ってまして、そこの文章が、皆さんご存知かもしれませんが、新月を熱く愛してくれているのが、滲み出ている文章がありまして、それを僕が見まして、そんなファンの人がずっと聞き続けてくれているんだ、と、それが大きな力になったというのが実は、あります。
(わたしは、思いもよらない花本さんの言葉で、カラダが固まってしまっていました。感無量です。不思議な事に、涙は出ませんでした。だから、動揺せずに、花本さんの言葉の一字一句を心に刻みこむことが出来ました。)

 ライブアルバムも出ましたし、だんだんね、本当にライブをやってもいいかな、という気持ちになっていますので、その時はまた、いらっしゃってください。という事で、演りますか。」

北山  「演りましょう。(苦笑)え〜〜?ライブ、なんか、決定してるみたいですが(会場笑い)・・わからない・・・ですよ。
 皆さんはただ、演奏すればいいからいいですけど、わたしはどうしたらいいのか、困りますね。  いろんなことを期待されても・・・。
 昔のようにやんなきゃいけないのか(インカ帝国のメンバー大爆笑)。新しいパターンを考えなければならないのか、と、いろんなことを思いますが。
 是非、劇団インカの方に又、登場していただくことになるかもしれません。そのへんでお茶を濁さないと厳しいのではないかと思うんですけれど。
 では、アルバムの最後に入っている、まなたす。をやります。今度のアルバムにはボーナスが入ってるので、本当の最後の曲ではないですが。
 まなたすってわからない人がいるみたいですが、マナティのことです。
 そうだ、動物界之智嚢の原本を置いておいたので、ご自由にみてください。昔のことなので、発音がわからなかったのか・・どぜうと書いてどじょうと読みますよね。で、まなたすと書いて、マナティと読むのかもしれない。
 いちおう演りますけど・・たぶん最低3回は間違うと思うので(会場笑い)3回以内にとどめたいと思います。」

 『まなたす』演奏。
 (北山さんと花本さんの演奏が始まる。
 わたしを含めて、リアルタイムで当時ライブを見た方ならば、20数年ぶり、殆どの方が初めて、生で北山さんのギター、花本さんのキーボードを聞くわけです。新月ファンにとって、歴史的な意義もある最初の曲の演奏でした。
 ただ、ただ、美しい曲です。

 北山さんのギターからはじまり、それを花本さんのキーボードが追っていき、静かに、北山さんが奏でるギターと花本さんのキーボードが寄り添っていき、今度は花本さんのキーボードを、北山さんのギターが追っていく。
 北山さんと花本さんが描く世界は水中でゆるやかにたゆたうまたなすの動きにつれ、光が動いていくような、夢のような数分間でした。)

  北山  「ということで、いよいよ本日のメインに行きましょう。文学バンドのお二人お願いします。では、あとは2人は喋るのが専門ですので、よろしくおねがいします。」

小熊  「文学バンドの小熊一実です。」
時任  「しがない作家の、しがないやです。これは、芝居初めて2本目の台詞ですが。まったくうけませんでした。まず先に小熊くんの話から、お願いします。」
小熊 「こういう会が開けて、うれしいです。これまでのことは、新月ファンの皆さんにも面白いと思うのですが、簡単に話したいです。(簡単、と小熊さんは言われましたが、ここからが・・・)
 劇団インカ帝国には、今から30年近く前に、入団しました。
 劇団は毎日夕方集まって3、4時間練習してて、終電すぎても飲み続けるという日々を送っていました。ずっと一緒に過ごしていました。音楽担当は北山さん。劇中歌を北山さんが中心になって、北山さんが作曲、新月が演奏に参加してお互い交流が生まれました。ラフォーレで、新月が生バンドで劇やったりしました。
 そのうち、北山さんから新月というバンドでデビューすると聞きました。わあ、すごいなと思っていました。本当にレコード出すんだと思いました。
 79年にシティロードという情報誌がありましたが、新月は音楽部門でベスト21位ではいっていて、LP部門では15位でした。
 1位はパンタ&ハル、2位Y・M・O、3位がサザン、4位がたくろう、5位がP-MODEL。
 アルバム1位はパンタのマラッカ、2位が沢田研二のTOKIO。3位がYMOのソリットステートサバイバルでした。
 ちなみに、演劇では7位に時任さんが入っています。これは松本幸四郎さんが染五郎の時より人気が時任さんの方が上だったという事です。(会場笑い)
 北山さんと新月のファンクラブを作ろうと言う話になりました。
 僕も小説家になりたい、文章を書きたいと思い、自分の媒体を持ちたいと思っていました。そこで、ファンクラブ会報を出すという思惑から、ライブ会場のシルエレ、ロフト、ラフォーレにノートを置いて、希望者を募り、スタッフも揃って、会報を出しました。
 北山さんとみんなで読売ロータリーというところで仕事をしていました。町の印刷屋さんでしたが、なぜそこかというと、芝居をやるために全員休んでいいという社長さんで、そこの印刷機を使って作りました。

 (新月ファンクラブ会報をお客さんたちに見せる)月刊新月という名前の会報です。中には、花本さん直筆の楽器のレイアウトとか説明も入ってます(会場より、すごい、の声)。花本さんの4ページロングインタビューです。ディレクターの森村さんのインタビュー、花本さんの漫画。北山さんの新月の道、小熊の雑感。こんなものを出してました。
 そのうちサイトで出して紹介したいと思っています。
 (注:小熊さんがいずれ作るであろうサイトで、という意味です。わたしも、小熊さんにいただいた創刊号のみ所持していますが、現在貸し出し中。もしも、わたしの方が早かったら、小熊さんの許可を得て、せめて、内容の概略だけでもテキストでざっと紹介したいなとも勝手に思っていますが)
 3年で読売ロータリーをやめて、文学より、音楽をやろう、と決意したのが、ミュージックカセットがでた頃でした。
 インディーズでは、当時「帰ってきたヨッパライ」がヒットしたくらいでしたが、 カセットならなんとかなるのではないか。ジャケットさえ作ればなんとかなるから、出そうよ、ということになりました。
 当時宝島からカセットで音楽を出し始めるということが始まった時代でした。  やるなら北山さん主催者ということになり・・・・
 (ここで北山さんから巻きが入る。カウンターで額に手をつき、疲労する北山さんの写真参照))

小熊 「ボクいつも長いんですよね(と、いいつつ全然巻かずにあせらない小熊さん)。
 花本さんの家に、8トラックのオープンリールがあったので、そこで録音始めました。
 一回作ったものを消してしまったのがオルタナバージョンではいってます。
 それぞれ一曲ごとにイメージを変えているので、一曲だけ聞いて、こんなものと思わないでください。
 一曲だけ聞いてもらいます。
 足踏みオルガンは北山さんが自宅で録音してきたものです。」

『桜の森の満開の下で』(花本さんCD再生係)

 (日本の古い民話の中には、何かしら、暗い影のようなものの雰囲気を漂わせたものもあります。
 それは、人間が見てならないものを越えて見てしまった瞬間、あるいはその狭間、そこで感じる、ぞくっとするような、でも、どこかひなたくさい、懐かしいような、奇妙な思い。一見ユーモラスな中にそんな感じを受ける曲です。)

小熊 「桜の森の満開の下での、最後のコーラスは北山さん、時任さん、わたしは栃木県出身ですので、栃木県民の歌をお別れに歌ってます。」

時任  「時任顕示です。インカ帝国初代の皇帝はマンコ・カパック、劇団インカ帝国の主催者は伊野万太でした。
 劇団インカ帝国は、わたしが芝居に入って始めは劇団員は20数名でしたが、最後には4人しか残りませんでした。伊野万太、よひら子、蛍火亮子、時任顕示。あわてまして友人知人隣近所に声をかけ、集めたのですが、高校時代の友人北山くんには音楽を担当してもらい、ずーっと最後までやっていただきました。。
 長い間ありがとうございました。(カウンターに座っている北山さんに一礼)
 小熊くんはある北関東の宇都宮というところの酒場でつられて、劇には3本出ましたが、 「わたしは痛い」といって退団していきました。
 何が痛かったのか、どこが痛かったかわかりません。ただ、ひとこと言うならば、芝居は非常に下手でした。
 わたしには、実は、特殊な事情があり、看板俳優ではありましたが、女優にからむ、日常会話ができないという役者でありました。
 その当時は事情がありました。事情を察していただくとわかりますが、いろんな事情の上流で雲が渦巻いて・・・
 青春だったんです。
 その当時について、よひら子さん、文学一筋で作家デビューした現在は長島槙子さん、お願いします。」

長島   「『旅芝居怪談双六(ムー伝奇ノベル大賞 優秀賞作品)』という作品で、ホラー作家としてスタートしました。
 19歳でインカ帝国を立ち上げました。でも、10年間アマチュア劇団を続け、結局劇団で食っていけず、でも、みんな、今現在就いている職業につながった10年だったと思います。
 新月とのつきあいがものを書く事に関係なかったわけはなく、あらゆる周りにいた友達が今の土台になっています。」

時任  「わが解体、について。
 高橋和己が好きでしたが、とても太刀打ちできず、どうしたかというと、机のまわりに高橋和己の本を並べ、かたっぱしから読み、気に入った台詞を抜き出してまとめました。
 きめの台詞は伊野万太の作品からわたしの台詞を勝手にとりました。
 現在は我が解体もせず、日常的に台詞しかない世界で生きています。」

 『わが解体』(花本さんCD再生ボタン押し係)

 (実は、パーティで、文学バンドの曲が演奏されると聞き、この『わが解体』が演奏されるのではないかと、密かに期待していました。
 時任さんのこの台詞を生で聞くことが出来るかもしれない、また、北山さん、花本さん、津田さん、高津さんのギターバトルが生で聞くことが出来るかもしれない。とりわけ、大学に入学するまではギタリストだった花本さんの(入試のためになんと高校3年で初めてピアノを始めたというキーボーディスト花本さん、新月史にある「一浪してしまった」のはそのためだそうですが、すごいエピソード。)、ギターを是非生で聞きたい、などと勝手な想像を巡らせていたのですが、ちょっと考えれば、パーティで、この大作を演るわけがないのですが。)

  小熊  「長い曲ですので、ちょっとフェイドアウトします。これから、北山さん、花本さん、津田さん、セレナーデの高津さんの4人のギターバトルが、えん、えんと、繰り広げられます。」

北山  「今のわたしが歌っているところのドラムは生ではないですね。ドラムすごいですよ〜。 ドラムだけ最初に録ったの。
 セレナーデの小松君。すごいですね。 どんな曲だかわかんないのに、えんえん叩かせた。たぶんこのへんで盛り上がるはずだ。ということで叩かせた。すごい事やらせましたね。
 では、せっかく津田君がきてくれたので・・・この間は、なんとデビッド・クロスと競演して、うらやましいですね、ひとことお願いします。」
津田 「なにいえばいいの。 あ〜、あの〜デビッドクロスね。わが解体よかったね。最近、とある事情で通勤電車に25年ぶりに乗っているのですが、わが解体が似合うなと思います。」
花本 「たまってるわけですね。」
津田 「たまってますね。」
花本 「いっきょに吐き出して。」
津田  「いっきょに吐き出したのが、夏にフォノジェニックスというのを、8曲入りのを、10年間作り溜めたものをまとめてCDにしました。
 それを増田くんがこんなのどうせ売れないや。CD-Rで一枚づつ手売りだ〜、と言ってたのが、2,3日したら電話がかかってきて、やっぱりいいからコピーしてばらまくとか言って。『METAGAIA』という名前にして今度出すんですが、ジャケットを神崎夢幻という、わりと有名なデザイナーが、8月に出来るというのにまだ出来ず、で、これができたらムゼアとポセイドンから出ます。よかったら買ってね。
 増田くん、出るとオレに一枚300円はいるんだっけ(増田さん苦笑)。長いといわれるので退場〜〜させてもらいます。」
 (花本さん、津田さんで音量の調整)
北山  「文学バンドでやれる曲はこれしかありません。
 新月でプレイヤーとして一番人気があったのは津田でした。追っかけがいましたが、追っかけと言っても、女の子ではなくて、男(会場笑い)。ギター小僧がいつも津田の前に陣取って観察していました。
 人間的にはいろいろ問題がありますが(笑い)ギタリストしては素晴らしいです。」

 時任さん、小熊さん、津田さん、北山さん、花本さんによる『少年愛の美学』
 (ブルース。爆笑!)

北山  「と、まあ・・・こういう曲でした(笑い)。ずいぶんちゃんとやれましたよ。 小熊 「カラオケで練習しました〜。」
北山 「 前はぜんぜずれてて、どこが、ワンコーラスかぜんぜんわかりませんでしたが。今回はワンコーラスごとにまとまっていました。
 (会場を見渡して、気遣う北山さん)みなさん、飲み物是非飲んでください。僕もはやく飲みたいんですよ〜。
 では、まったく歌わないわけにいかないので・・、歌います。」
 (演奏前のメンバー3人の打ち合わせ、花本さん笑い声をたててなにやら楽しそう)

   『光るさざなみ』
 (セレナーデ時代の曲を北山さん、津田さん、花本さんが演奏している。
 『光るさざなみ』を新月の3人が演奏している。
 北山さんの左後ろに津田さんが居る。そして、華麗なギターを弾いている。
 「津田さんの」ギターの音が聞こえる。
 ソロアルバムには、参加されていない花本さんのキーボードの演奏が、ここで、ライブで実現している。
 花本さんの、繊細さが痛い、ピアノの音色。
 そして、北山さんの歌声。まったく変わっていない、北山さんの歌声。
 この歌声が、どれほど会場の皆さんの心に響いたかわかりません。
 でも、この感動を、この感動を体験したかった。
 運良く、この場に来られた皆さんも、残念ながら来られなかった皆さんも、同じ思いに違いない。
 やはり、会場の皆さんは、わたしと同様、全身全霊で、『光るさざなみ』を何ひとつ逃すまいと、聞いていたのだと思います。)

 『島へ帰ろう』
 (のイントロで突如、中断。)
花本 「はい(笑い)?」
津田 「チューニング」
 (ここで、突如チューニングはじまる??)

北山  「リハーサルに津田がこられなかったので、チューニングができなかったというが・・・
じゃあ今まではなんだったのだろう。(苦笑)」

 『島へ帰ろう』
 (新月の曲です。新月の曲。わたしは、新月の曲が、北山さん、津田さん、花本さんで演奏されるという事に、先に感動してしまいました。
 短いイントロから「流れる雲に身をゆだね/鳥よ帰ろうあの島へ・・」と北山さんが歌いだし、新月の曲が、津田さん、花本さんで演奏されました。
 サイト内にもあるように、これは花本さんが一番お好きだという曲で、もう一度原曲で演奏したいとおっしゃっています。
 そして、セレナーデの高津さんも是非もう一度原曲を、と書いていらっしゃいます。
 海辺で育ったわたしには、懐かしくも、明るく海に続く空を見上げて鳥を眺める情景が、詩からだけではなく、メロディから浮かびます。わたしがこの曲を最後に聞いたのは、ラフォーレ原宿です。24年ぶりに、この曲を生で聞くことができました。
 暖かい優しい北山さんの声、柔らかな花本さんのキーボード、この小品の華の部分の津田さんのギターに、いつか原曲で演奏される可能性を秘めたこの新月の曲が、いまこうして、現実に3人の新月メンバーで再び演奏された事で、今日はSNOWパーティではありますが、やはり、わたしは新月が現実に動き出すのだ、という実感を先に感じてしまいました。)

北山  「ありがとうございました〜。」

 (アンコールの大拍手)

北山 「たぶん3人にアンコールだと思うのですが、3人で演るナンバーはもうないので、一人でやります」

 『ブーツのかかと』
 (メロディの美しさもですが、わたしはこの曲の北山さんの歌詩がとても好きです。特に「朝焼けの雲をちぎって/小さな小鳥にみんなあげる/ひとつの歌の終わりに」の部分が本当に好きです。
 北山さんが奏でるギターの音色と、北山さんのひとつ、ひとつの言葉、が生きて、胸に沁みる。
 北山さんの弾き語り・・・。このパーティに参加できた方はやはり、本当に幸せだったと感じたアンコールではなかったでしょうか。
 小さな鳥がかわりに歌ってくれる・・・これからは・・と、北山さんが、呟くように歌い、そしてライブは終わりました。)
北山 「ありがとうございました。」
 (うまく表現できません。ありきたりの、「感無量」という言葉で、ライブ部分のレポートは締めくくらせていただきます。)

 (北山さんが、「(客席が近すぎて)大きなホールの方がやりやすいです」とわたしに話しかけてきて下さって、どきどきしながら北山さんとお話しして、舞い上がりながらも、来年やると花本さんがおっしゃった「大きなホール」でのライブに期待してしまいました。)

 Asturiasの大山曜さんがパーティの締めくくりのご挨拶をしてくださったのですが、ここで、意外な事が発表されました。
大山  「新月とのつながりを説明します。昔、津田さんと花本さんに手伝っていただいて何枚かアルバムを出しました。
 実はメキシコのイベントで、ポセイドンは世界に誇る新月を出したいという事でしたが、花本さんが頑として5人でなければならないという事で、辞退されました。かわりに、アストゥーリアスが行くことになったのです。」

 (わたしは、大山さんの言葉に本当に驚きました。新月がメキシコで演奏するかもしれなかったのです。
 でも、花本さんがオリジナルメンバーに、頑としてこだわった、という点にわたしは、本当に感動しました。

 しかし、皆さんご存知のように、心狭〜く、了見狭〜く、しっと深〜い心を持つ、このわたくし。
 心の中で、
 『わたしメキシコまで行かれないもん。新月がメキシコで演奏しちゃったら、わたし見られないもん。
 新月が行かなくて、あー良かった。
 わたしが最初に新月のライブ聞きたいもん。』
 と、大山さんの言葉を聞きながら、とんでもない事を考えていたのでした。
 もっとも、メキシコに新月が行って、当たり前だけど大喝采を浴びたと、聞けば、当然よね、と、それはそれで大喜びするのに違いないのですが。)

 これから、サイン会がはじまり、でもサイン会が終了しても、皆さん帰られる方は少なく、あちこち、いくつかのグループになって、歓談していました。
 メンバーは、あちこちで皆さんに声をかけられていたようです。



 わたしは、パーティ、ライブはもちろん別として、79年の吉祥寺シルバーエレファント以来の、小熊さんとの再会、それから、劇団インカ帝国のメンバーの方と、お話出来たことが嬉しかったです。ころんた=小熊説というのがあって、竹田のりこさん、長島槙子さん、蛍火亮子さんからも「男性だと思った」と言われました〜。やっぱハンドルが「ころん太」のイメージかも。
 プロの作家の長島槙子さんに、新月日記を読んでますと、おっしゃっていただき、もう、これは全身冷や汗でした。
 蛍火さんに「新月のことをずっと思っていてくれて、ありがとう」と言っていただき、本当に嬉しかったです。

 小熊さんとの会話のなかで、やっぱり小熊さんはわたしのことはまったく覚えておらず(なにせわたしは印象薄いタイプなので〜)、でもシルエレの帰りの居酒屋で、わたしの記憶では、小熊さん、小熊さんの大学の同級生のわたしと同じ年の女の子、劇団インカ帝国の会田みさおさんだけだったのですが、小熊さんは時任さんも一緒だったはずだと証言。
 わたしも時任さんがなんだかとても懐かしいような気がしてきて、もしかしたら、記憶違いかとも思い始めているのです。実は時任さんとも再会か?
 記憶力にはかなりの自信と定評があったのですが、なにやら自信がなくなってきた・・・。
 ただ、時任さんは、どなたにも「懐かしい。一度会ったことがある」と言われる方だそうで、今となっては「藪の中」です。

 そして、新月掲示板に来てくださっている翡翠さん、子鬼さん、hirohiroさんと、新月の話をしました。
 メンバーの演奏を聞いた後、新月の話を、同じファンとするのは、24年ぶりです。新月の話題をファンとできたことが本当に、本当に楽しかったです。こんな機会を与えてくださったこの北山さん、ポセイドン増田さんの企画に本当に感謝です。
 新月を本当に愛しているファンとの語り合いは何にも変えがたい素晴らしい楽しい時間でした。  翡翠さんが、自分のサイトでも、この日の感想を書いているので、「新月語り3」をどうぞ。

 ここで、ちょっと会話の裏話。
 BOX発売日、ライブの日程について、目の前で花本さんが宣言されたのにも関わらず、
 「BOX5月だって花本さん言ったけど、もし遅れてもいまさら驚きませんよね。」一同、うんうん。
 「7月が9月になりましたからね。」うんうん。
 「ボク、本当に7月になるの待ってたんですよ。それが8月になって」うんうん。
 「でも、新月ですからね」うんうん。
 「出ればいいです」うんうん。
 「ライブも実現さえしてくれれば」うんうん。
 「新月に待たされるのは慣れましたよね」うんうん。
 「わたしはなにせ25年待ちましたから〜」うんうんうんうんうんうん。

 それから、皆さんから離れて新月ファンでもある、阿南さん、神山さんとお話をしていた時の事でした。
 この時の気持ちをどう言ったらいいか・・・。
 私の視界に写ったのは、、北山さん、津田さん、花本さんの3人が、明らかに、「ああ居た、居た」というような感じで、こちらへ向かって来られる姿ではありませんか。

 『えっ?』

 この時の心の中での言葉は

 『し、新月がこっち来る!』

でした。

 高校時代から新月ファンだという、阿南さん、神山さんの顔にも、わたし同様さっと緊張が走ったのを、見逃しはしませんでしたが、人にかまってる余裕などなく、カラダはかちかち。
 しかし、そんなわたしたちの、緊張などおかまいなく、にこにこ笑って、3人はどんどんこちらに近づいてくるではありませんか。

 『う、うわー、ほんとに新月がこっち来た〜!』

 うろたえているわたしにおかまいなくあれよあれよと、私の右横に花本さん、私の左横には北山さん、正面に津田さんが立って、なんと新月に囲まれているわたし。
 こんな、卒倒しそうな瞬間が来るなんて、最初に新月を聞いたときには予想だにしなかったことです。雲の上の人たちがわたしの周りに居る。
 表現しようのない夢みたいなひと時でした。
 さらに阿南さんが、花本さんの右横、その隣が神山さんという円陣でした。
 阿南さん、神山さんの顔を見てると、人間緊張しすぎて嬉しすぎると表情がなくなってしまうというのが、良くわかりました。
 当然、わたしも、そうだったのに、違いないです。

 しかし、それなのに、いきなり、津田さんに「すみません」と謝られてしまったころんた。
 津田さんが書いてくださる筈の、デビッド・クロス競演レポートが遅れていることを、お詫びして下さったのですが、そこで、いえ、いいんです、そんな、と可愛く言えず、ついつい、「はい、お待ちしてます」、と生意気な言い方で口走ってしまったわたし。なんで、なんで素直な返事が出来ないの〜。つ、津田さんに謝られて恐縮しろよ〜ばかばかばか〜。ううう。

 さらに、神山さんの「泥酔日記」、阿南さんの「おべんとう日記」のファンでもある花本さんが、津田さん北山さんにその紹介をして、以前わたしの旧サイトのお弁当を見てくださっていて、「ピーマンの肉詰めない」というネーミングを気に入ってくださっていたのですが、「彼女のお弁当日記もすごいんですよ」と言ってくださったのに、つい、「最近はもう、お弁当日記つけてません」と、生意気に口走ってしまうわたし。な、なんで素直に花本さんに、可愛くありがとうございます〜と言えないわけ〜ばかばかばか。ううう。

 さらにさらに、津田さんに、如月小春さんになんとなく似ていると言っていただき、花本さんもそういえばそうだねと言ってくださって、この時ばかりは、照れたり、喜んだりしていると、北山さんが横向いて、いたずらそーに「それはあぶない」と呟いたのに思わず素で反応してしまい、「あっ、それは、死んでしまうって事じゃないですかっ!」と、口走ってしまった〜ばかばかばか。わーん。
 もっとも、メンバー皆さん、新月日記読んでくだっているわけで、いまさら、ぶりっこしても、無駄な話ですが。

 それから、北山さんが、にこにこと笑いながら、花本さん、阿南さんに向かって 「『科学の夜』の話した?」と言われました。
 水鏡のアルバムの中に『科戸の風』という、新月ファンなら、曲名を見て大笑い、曲を聞いて笑い転げてしまう作品があり、北山さんは、その話題を振ったのですが、ちょっとうろたえる阿南さんに、花本さんが笑って「意図はちゃんと理解していますからね。」と、フォローを入れる一幕が、傍観者として面白かったです。

 花本さん、阿南さんのキーボーディストとしての、お二人の話、神山さんが、高校生だった当時、新聞で芝ABCライブをやる事を知ったのに、行かれなかった事とか、阿南さんが、テレビをつけたら、偶然、北山さんのフリークライミングの番組で、北山さんが写っているのを見ました、と北山さんに話しかけたり、いろいろな話を、わたしは横で聞いていました。

 結局お話したいこともろくにせず、もっともっと質問したかったのに、何も言えず、贅沢な夢の時間は、あっと言う間に終わりました。

 それから、メンバーの記念撮影がはじまったのですが、スマートメディアがいっぱいだったころんた、メンバーの古いお友達の素敵な女性カメラマンの、アピさんが、メンバーと一緒に写ったらいかがですかと、すすめてくださったのですが、泣く泣く諦め、撮ったのが最後の一枚です。なので、皆さん、心して見てくださいね〜。わたしがメンバーとの記念撮影を諦めて撮った一枚ですからね(大泣)。わたしが諦めて・・(しつこい)。
 その上、わたしは、なんと津田さんのサインを貰うのを忘れていた・・・(大泣)。

 これで、本当に、名残惜しくも、お別れの時が来ました。でも、本当に本当に素晴らしい時間でした。
 そして、これから、間違いなくいろいろなことが動く。新月が動く、誰もがそう、感じた素晴らしいひと時でした。



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