※すべての著作権は筆者、新月にあり無断転載を禁じます

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当時の関係者が寄稿してくださったレポートを随時掲載していきます

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「新月」アルバム評

高津昌之(シンガーソングライター・ギタリスト/元セレナーデ):

 新月ファンの皆さんこんにちは。元セレナーデの高津昌之で す。今はギターデュオでビートルズのカバーなどをやったりし ています。この度「新月」のアルバム及びメンバーについての 原稿依頼があり、久しぶりにペンを取りました。いや、正確に は親指を使っているだけですが…。「新月」は結果的にセレナ ーデのメンバーが多く参加することになり、彼らには常に、嫁 いだ妹に対するような思いを抱き続けてきました。時にはシビ アに、時には厳しく(おいおい、優しさはどうした!?)見てきた つもりです。
 今回、これを書くにあたり、本当に久しぶりにデビューアル バムを聴いてみましたが、てゆーかー(急に女子高校生になる なっ)'92年に買ってあったCDの封を初めて切ったんだけどおー 、昔の事とかぁ思い出したりするわけぇぇ。

アルバム『新月』のジャケットについて

 初めてそのジャケットを見た時、何と美しいイラストだろう と思った。モチーフは不思議の国に落ちていくアリスだろうか? 金色(というより山吹色に近い)の髪にエプロンの青とワンピー スの紫(裏地は臙脂色だ)、深紅のハイヒールに白い長い脚と、 その色使いひとつ取っても非凡を感じる。バックに星の軌跡を 配したのも効果的である。何より、新月とくれば月のイメージ からは逃れられない。それを見事に無視し、更なる想像の翼を 広げて完成させたところにもこのイラストの素晴らしさがある 。ただ唯一惜しむらくは、私のお気に入りだった「新●月」の ロゴが失われていたことだった。このイラストを描いた佐々木 ゆたかという画家を私は存じ上げないが、ぜひ他の作品も見て みたいものだと、ずっと思っている。

アルバム『新月/新月』について

 一曲一曲については新月のメンバーがライナーを書くらしい ので、今更私が筆を取るまでもないが、どうしても書きたい、 述べておきたい曲が2曲ある。

1曲目「鬼」

 この曲は確か、北山君が新月加入前に作られた曲で、「花本 君も詞を書くんだ!!」と驚いた記憶が。それまでは作詞はすべ て北山君に任せていたからね。『新月+セレナーデ』のCDを聴 かれた方はご存じと思うがその主旋律はセレナーデ時代に既に 書かれていたもの。“和モノ”を取り入れた事にも驚かされた が、何より「独創」を重んじる花本君ならではのアプローチで あると感心。その“和”もいかにも外国人の喜びそうな、よそ いきの「フジヤマ、ゲイシャ、ハラキーリ」調でないところに 好感がもてる。その花本君の得意とする緻密なサウンドに津田 君のギターが融合して、「新月」のカラーが確立された、と思 う。「鬼」はその嚆矢である。
 不気味さを漂わす詞と幻想的なリフとの美しい対比も、他に 類を見ないものだった。ただひとつ、今も謎なのは「私の藁の 手首」というくだりである。「私」は既にこの世のものではな いのか?! 恐ろしくて未だ花本君に訊けずにいる。余談だが私 のデュオ(牛浜ブラザースではない)の相方は、学生時代にプ ログレバンドでこの曲を完コピし演奏した事があるそうだ(彼 はドラマーだったが)。

8曲目「せめて今宵は」

 私のフェイバリットソングであるこの曲は「科学の夜」を受 けて演奏される曲であり、単独で語られるべきものではないか もしれない。しかし、「新月はこの曲のために存在した」と言 いきれるほどのポジションを、私の中に占めている。
 私の記憶によれば、発表当初はイントロなしで「ああー」と 始まる曲だったが、妙なるイントロを得て、えも言われぬ美し い、綾織りのような曲に仕上がった。
 新月が冬の時代に向かいかけた頃、私はこの曲を自分のバン ドのレパートリーにしよう、と本気で考えたものだった(バン ドの解散により実現しなかったが)。おそらく新月というバン ドは、この先数十年を「鬼」と共に語られていく事であろうが 、もし百年後にも忘れ去られる事がなかったとすれば、それは この曲「せめて今宵は」が歌い継がれてゆく事によってではな いか、と秘かに私は思っている。



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