最初に新月のライブを見たのは、1979年12月高田馬場BIG・BOXだった。 しかし、このへんから記憶が曖昧で、この高田馬場BIG・BOXの後見たライブがこのラフォーレ原宿だったのか、吉祥寺シルバーエレファントだったのか、この前後関係をはっきりいって、全く憶えていない。 クリスマス近い日にシルバーエレファントで、新月のライブを見たと思うのだが、そうすると、このラフォーレ原宿が80年なので、解散はその後なので、解散ライブをやったシルバーエレファントではないことになる。
シルバーエレファントでは友人にすっぽかされ、仕方なく一人で入ったのだが、ちょうど、ファンクラブの会長さんのお友達という人が一人で来ていて、一緒のテーブルに座って、いろいろ話した。
ボーカルの北山さんはメイクもなしで、ラフなスタイルで、独特のメイクや衣裳の雰囲気とは随分違い、終始明るく津田さんのモノマネをして「赤い目の鏡」を歌ったりした。
その後、ファンクラブの会長さんやまた別のお友達と4人で吉祥寺の居酒屋で飲んで、新月だけでなくいろんな話をした。
私が後から後悔したのは、そんな新月に近いメンバーとお酒を飲んだのに、なんのアプローチもしなかったという事です。 このサイト内のあちこちですでに「新月」について書いていますが、念の為書いておくと、新月はシンフォ系の日本のプログレッシブロックバンドの草分けで、「新月」というアルバムを一枚だけ出して解散しまいました。
すでに海外ではもうプログレは衰退しすでに「氷河期」と言われており、そんな中、レコード会社が次々と、日本のプログレとしてノヴェラを始めいろいろなバンドを売り出す前に解散してしまった、不世出のバンドでした。
このライブレポートはかすかな記憶をたどって書いています。
ラフォーレ原宿の中に入ったのはライブも含めて始めてだった。
ステージ右にテーブルが置いてあり、電話などの小道具がおいてあったが、これはこの日の曲目と合わなかったのか変更になったのか、確か小道具は使用しなかったと思うが、ちょっとはっきりしない。 「新月」に収められていない「殺意への船出」「島へ帰ろう」「赤い眼の鏡」は、多分幻の二枚目のアルバム「竹光る(というタイトルになるはずだった)」に収められる予定だったはずで、当時ライブ以外では、聞けなかった曲だった。
ボーカルの北山さんが劇団出身で、新月もこの劇団の音楽を担当していたと言う事で、これらの曲はストーリー性をもった歌詞になっている。 今回もそのようなステージを期待したが、対バンありの短いライブだったので、それはなかったが、やはり「鬼」へのこだわりだけは特別で、北山さんは、白の着物、白の袴、白足袋の白装束に着替え、被衣は使っていなかったけれど、アルバムには入っていない鐘の音の中、確か面をあてて登場したと思う。
セット、衣裳、パフォーマンスをこの一曲のために用意するに足る名曲で、もう一度、「鬼」をこの目で見てみたい。 しかし、これほど好きな「新月」なのに、当時の音源を聞きながら思い出せるシーンはたったのこれだけで、これは、まさか解散するとは思わず、そして、日本のバンドだからいつでも見られると、思っていたからかもしれない。 記憶は薄れ、アルバムを1枚だけ残して解散してしまったがために、「新月」への思いは100年の恋のように、切ない。
曲目 このレポートを書いたのは1999年です。 あれから4年、 偶然ネットでわたしのサイトを検索してくださった、上記の新月ファンクラブ会長の小熊一実さんからメールをいただきました。 なにげなく「新月好きな人がいるんだな」と眺めていたら、ご自分のことが書いてあって、驚いてメールをくださったのです。 それがきっかけで、新月BOX計画のことをお聞きしたり、さらになんと、花本彰さんから直接メールをいただき、これだけでひたすら恐縮していたのですが、新しいコンテンツとして、新月史や、新月全曲目解説、一言コラムやQ&Aまで掲載していただくことになり、ファンサイトとしては、これ以上ない光栄です。 解散してしまったバンド、ではなく、これからも新月は動いていきます。 一緒に、新月の今後に期待し、そしてまた、いつかライブをこの目で見てみたいという思いで新月を応援していきたいと思います。
ところで、今読み返すと顔から火が出そうな文章です。 BACK
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