新●月(1980年・4月3日ラフォーレ原宿)

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 最初に新月のライブを見たのは、1979年12月高田馬場BIG・BOXだった。
 デビュー直後で、日本のジェネシス「新月」と日本のキング・クリムゾン「美狂乱」のジョイントだった。
 当時「日本の・・・」という言い回しがはやっており、確かに影響されたアーティストはあるものの、あくまでも日本を土壌とした音楽をやりたい、と語る新月には多少は不本意であったに違いない。
 このライブは新月はもちろん、当時まだ名前を知らなかった「美狂乱」の演奏に圧倒され友人と感動したのを覚えている。

FOOL'S MATEより  しかし、このへんから記憶が曖昧で、この高田馬場BIG・BOXの後見たライブがこのラフォーレ原宿だったのか、吉祥寺シルバーエレファントだったのか、この前後関係をはっきりいって、全く憶えていない。  クリスマス近い日にシルバーエレファントで、新月のライブを見たと思うのだが、そうすると、このラフォーレ原宿が80年なので、解散はその後なので、解散ライブをやったシルバーエレファントではないことになる。

 シルバーエレファントでは友人にすっぽかされ、仕方なく一人で入ったのだが、ちょうど、ファンクラブの会長さんのお友達という人が一人で来ていて、一緒のテーブルに座って、いろいろ話した。
 クリスマス近くだったので、丸いテーブルに紅茶とケーキ?が出て、和気あいあいとしたライブだった。

 ボーカルの北山さんはメイクもなしで、ラフなスタイルで、独特のメイクや衣裳の雰囲気とは随分違い、終始明るく津田さんのモノマネをして「赤い目の鏡」を歌ったりした。
 大好きな「殺意への船出」(タイトルはすごいけど、星空を見上げる時のふとした切なさがこみあげてくる美しい曲)の「遠い星で待つ君のために、うたう」のフレーズを目の前で聞けて、こんな幸せなライブはなかった、来て良かった、と思った。

 その後、ファンクラブの会長さんやまた別のお友達と4人で吉祥寺の居酒屋で飲んで、新月だけでなくいろんな話をした。
 確か、全員、同じ年で学生だったような気もするが、はっきりしない。  あんまり印象的なライブと出来事があったから、これで最後だと思ったのかもしれないが、あとから、あれが最後のライブだったんだなーとも思った記憶がある。

新月詩集  私が後から後悔したのは、そんな新月に近いメンバーとお酒を飲んだのに、なんのアプローチもしなかったという事です。
 会長さんが、新月のメンバーにこの時一緒に行こうと声までかけてくれたのに!せめてボーカルの北山さんのサインをもらっておけばよかった(ころんたはミーハー)。
 この、吉祥寺シルバーエレファントでのライブを憶えている方がいらっしゃいましたら、是非、正確な日時と内容を教えてくださると嬉しいです。
 キーボードに、津田裕子さんも加わっていました。
 よろしくお願いします。

 このサイト内のあちこちですでに「新月」について書いていますが、念の為書いておくと、新月はシンフォ系の日本のプログレッシブロックバンドの草分けで、「新月」というアルバムを一枚だけ出して解散しまいました。

 すでに海外ではもうプログレは衰退しすでに「氷河期」と言われており、そんな中、レコード会社が次々と、日本のプログレとしてノヴェラを始めいろいろなバンドを売り出す前に解散してしまった、不世出のバンドでした。
 新月の、あくまで日本にこだわったスタイルは、他にはないバンドで、代表曲「鬼」は民話調の潜在的な恐れと不安を表した傑作です。  ファーストにしてラストアルバム「新月/新月」がマーキー社から再販されているので、興味のある人は聞いてみてください。

 このライブレポートはかすかな記憶をたどって書いています。



ラフォーレ原宿のチラシ  ラフォーレ原宿の中に入ったのはライブも含めて始めてだった。
 対バンが「スペースサーカス」というバンドだった。
 チケットがとれず後ろの方の席だったので、ステージには遠かったが、器材の後ろの月が描かれた和風の大きな衝立やセットを見て、友人と「『鬼』のためのセットだね」とささやきあった。

 ステージ右にテーブルが置いてあり、電話などの小道具がおいてあったが、これはこの日の曲目と合わなかったのか変更になったのか、確か小道具は使用しなかったと思うが、ちょっとはっきりしない。
 確か椅子にもスピーカー?があり、低音が体に響いてちょっと船酔いのような感じになった憶えがある。
 1曲目は私の大好きな「殺意への船出」なんでこの甘く切ない曲が「殺意への船出」なのか謎だけれど、「遠い星で待つ君のために、うたう」と北山さんがリフレーンを歌いあげ、ドラマチックな盛りあがりはオープニングにふさわしい。

 「新月」に収められていない「殺意への船出」「島へ帰ろう」「赤い眼の鏡」は、多分幻の二枚目のアルバム「竹光る(というタイトルになるはずだった)」に収められる予定だったはずで、当時ライブ以外では、聞けなかった曲だった。

 ボーカルの北山さんが劇団出身で、新月もこの劇団の音楽を担当していたと言う事で、これらの曲はストーリー性をもった歌詞になっている。
 実際、華々しいデビューを飾ったと言う芝ABCホールでのライブは3面マルチスクリーンを使い、北山さんがピーター・ガブリエルのような早替わりをしたり、小道具を使ったパフォーマンスが見られたらしいが、残念ながら私はこれを見ていない。

 今回もそのようなステージを期待したが、対バンありの短いライブだったので、それはなかったが、やはり「鬼」へのこだわりだけは特別で、北山さんは、白の着物、白の袴、白足袋の白装束に着替え、被衣は使っていなかったけれど、アルバムには入っていない鐘の音の中、確か面をあてて登場したと思う。

 セット、衣裳、パフォーマンスをこの一曲のために用意するに足る名曲で、もう一度、「鬼」をこの目で見てみたい。
 何年か前に、一度だけ新月の何人かのメンバーのライブに北山さんがゲストで来て、「鬼」を演ったそうで、その情報を持っていなかった自分が悔しい。

新月  しかし、これほど好きな「新月」なのに、当時の音源を聞きながら思い出せるシーンはたったのこれだけで、これは、まさか解散するとは思わず、そして、日本のバンドだからいつでも見られると、思っていたからかもしれない。

 記憶は薄れ、アルバムを1枚だけ残して解散してしまったがために、「新月」への思いは100年の恋のように、切ない。

曲目
1. 殺意への船出
2. 雨上がりの昼下がり
3. 島へ帰ろう
4. 科学の夜
5. 白唇
6. 赤い眼の鏡
7. 鬼



 このレポートを書いたのは1999年です。  あれから4年、  偶然ネットでわたしのサイトを検索してくださった、上記の新月ファンクラブ会長の小熊一実さんからメールをいただきました。
 なにげなく「新月好きな人がいるんだな」と眺めていたら、ご自分のことが書いてあって、驚いてメールをくださったのです。
 それがきっかけで、新月BOX計画のことをお聞きしたり、さらになんと、花本彰さんから直接メールをいただき、これだけでひたすら恐縮していたのですが、新しいコンテンツとして、新月史や、新月全曲目解説、一言コラムやQ&Aまで掲載していただくことになり、ファンサイトとしては、これ以上ない光栄です。
 解散してしまったバンド、ではなく、これからも新月は動いていきます。
 一緒に、新月の今後に期待し、そしてまた、いつかライブをこの目で見てみたいという思いで新月を応援していきたいと思います。

 ところで、今読み返すと顔から火が出そうな文章です。
 恥ずかしい。
これを花本さんや小熊さんに読まれていたとは、汗顔のいたり穴があったら入りたいようなレポートですが、あえてこのままおいておくことにしました。
 この文がきっかけで、新月コンテンツをこのサイトにおいていただけることになりましたので、その記念ということで、ご容赦願います。
ころんた。



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