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高津さんが、小松さん、鈴木さんに質問してくださり、纏めていただいた原稿を掲載します。

小松さんとのQ&Aです(以下敬称略)
  • 高津:小松さんがセレナーデ(当時は名前がなかったと思いますが)に加入されたのは、何年何月ごろですか?どうやってそのグループを知ったのですか?

    小松:加入は1975年、春あたりではないかと。鈴木(BASS)と一緒に池袋ヤマハに行った時、メンバー募集(花本)のハリガミを見て。

  • 高津:その時の他のメンバーは?

    小松:Guitar:桐谷君 Vocal:北山君 Kbd:花本君

  • 高津:それから、誰が辞めていったのですか?

    小松:ギターの桐谷君が辞めた。手負いのゾウとか言ってた。

  • 高津:加入した時のグループ全体と他のメンバーの印象をきかせて下さい。

    小松:ちょっとシビアな感じ。でも花本君だけニコニコしていたと思う。

  • 高津:セレナーデに入る前のことを教えてください

    小松:上京してバンド探しに明けくれる毎日で色んなバンドのオーディションに行っていた。
    上京する前は、仙台でトリオのバンド(ローズマリー)でディープ・パープルのコピー、ジミ・ヘンやロリー・ギャラガーなどの曲をやっていた(ライヴは3回くらい)。
    このバンドの前のドラマーは稲垣潤一でした。

    このバンド(ローズマリー)でボーカルを入れ(アベくん)ロッド・スチュワート風な感じの上手い唄。一の関(岩手)でコンテストに出る(結果は×)。

    ちなみに、曲は「ハイウェイスター」。審査のひとりに四人囃子のドラムの岡井君がいた。

  • 高津:セレナーデ加入する決め手となったのは、どんなところですか?

    小松:当時、鈴木(BASS)とはやるならオリジナルな曲をやるバンド(グループ)と決めていたので。

  • 高津:セレナーデの曲で一番好きな曲は?

    小松:「回帰」かな。

  • 高津:セレナーデのメンバーで一番好きな(気の合う?)人は?

    小松:鈴木とはバイトを一緒になり、プライベート的にも一緒だったような。

  • 高津:セレナーデの練習は、どんな風に行われていたのですか?

     小松:米軍ハウス(サンハイツH-11)の一室で、同じ曲を何度も繰り返し練習していた。これが、プレッシャーで、自分がこのバンドを辞めるきっかけになったようです(ライヴ活動が少なすぎた)。

  • 高津:セレナーデの練習において特に印象に残っていることは?

    小松:テクニックのない自分はこのバンドにいるため必死だった。ついて行かなくてはの毎日、オリジナルな事をやる大変さをおぼえた。

    練習の合間のエピソード・・・北山君が賞味期限のきれたパンを食べていたのと、インスタントコーヒーに砂糖と塩をまちがえて入れて、全員がハキだしたのをおぼえてる。

  • 高津:セレナーデのこと、あるいはその頃について、何でもよいですから記憶に残っていること、あるいは、ファンの人たちに伝えたいことを書いてください。

    小松:セレナーデの中の自分は、音楽をやっているというより、やらされていた感じ。
    バンド(グループ)は全員がアイディアやアレンジ意見など出し合い曲を完成する事だと思う。
    花本、北山中心のバンドであると思う。

    当時、プログレが下降していた時期にもかかわらず、自分たちのやりたいものだけをやっていたセレナーデ(新月も)は、すばらしかったと思う(イタリアにも77年頃、セレナーデぽい曲をやっていたバンドがあった。バンド名はロカンダー?)。

    今となっては、かなり貴重なバンド。ファンのみなさんは、死ぬまで聞いて下さい。

    76年頃だったと思う。ひとりの知り合いの女の子、いまでも名前だけ憶えてるS・Iさん。
    セレナーデのテープを聞いてもらったところ、すごく気にいってくれって、うれしく思ったのを、いまでも思い出します(当時19歳)。

    高津:ありがとうございました。

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鈴木さんとのQ&Aです(以下敬称略)

  • 高津:まず清生君自身の音楽歴から。清生君が音楽に目覚め、バンドをやろうとしたきっかけは? それからどんなバンド遍歴を?

    清生:爆発的に音楽が好きになったのは、中学校の2年の時でミュージック・ライフを買ったり、深夜放送を毎晩きいたり、ビート・ポップスやモンキーズを見たりして、興奮の日々。ウクレレとギターを質屋で購入。
    高校では、ブラスバンドでトロンボーンを吹いてたのだけど、ロックの方が、カッコ良いやと思い、ベースを質屋で購入。クリームやジミヘンを文化祭で、はんなり演奏。

  • 高津:小松君とは何年ごろ、どんなふうにして知り合った?

    清生:あれは、1973年だと思います。冬でした。
    小松君と同郷の泉沢君(身長1.9m)という友達の紹介で知り合いました。

  • 高津:その時の彼の印象は?

    清生:東京に出てきたばかりで、大変そうでしたね。
    今でもそうですが、少し言葉になまりがあり、どこか”ほんのり”した雰囲気をもった人でした。東小金井に住んでいました。

  • 高津:セレナーデ加入前に二人で他のグループとセッション、あるいはオーディションなど受けた? としたらそれ(ら)はどんなグループだった?

    清生:セレナーデの他に、”ぬりかべ”というバンドのオーディションを同時期に受け、両方ともうまいこと合格しました。
    ”ぬりかべ”も、なかなかのプログレバンドでしたがふたりで話し合い、セレナーデに決めました。
    今なら両方やったでしょうが、その頃は、そんな感覚がなかったんですね〜。
    その後、小松君は練習場(花本ハウス、牛浜)の近くのアパートに引っ越しをし、後に、花本ハウス内に転居。
    小松氏の住んでいたアパートに、高津氏が転居、となった訳です。

  • 高津:小松君のドラミングについて、何でも。

    清生:バスドラよりも、スネアの方に重点がいくドラミングだったと思います。
    大きいノリの良さを知っている人でした。

  • 高津:高津の前任者の桐谷仁クンってどんなギタリスト? 高津との違いは?

    清生:ごめんなさい。
    両者の違いが分かる程、桐谷さんを知りません。
    ただ、桐谷氏は、象の雄叫びを表現しようとしてた、のは確かです。

    高津:ありがとうございました。
高津:そうそう、小松君、清生君の文中に出てきた“ぬりかべ”。
それから桐谷君のバンドとは、数少ないセレナーデのライブで共演しましたよ(清生君は覚えてないらしい)。
桐谷君は「手負いの象」という曲を書き上げ自身のバンドで演奏しました。
確かにギターで象の雄叫びを表現していて、当時セレナーデの間でも話題になっていました。
(27 /jan/2007)



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