「プログレッシヴ・ロックを想う」 花本彰(1987年「MARQUEE 第26号」より転載)


 私の友人に、大山曜という、才能のあるミュージシャンがいます。彼の曲作りの方法は、ほとんどコンピュータへの打ち込みなのですが、その美しいメロディーと卓越したアレンジはとても人間的で暖かみがあり、日向敏文氏の音楽にも共通する透明感も持ち合わせたすばらしいものであります。

 読者の方々の中には、ご覧になった方もいらっしゃると思いますが、その彼の、初めての本格的ソロ・パフォーマンスが、さる8月23日"プログレッシヴ・ロックの殿堂"シルバーエレファントで行われました。

 本質的には彼の一人舞台なのですが、形を重んじるプログレッシヴ界の伝統を守り、"アストゥーリアス"という、グループとしての、ライヴという体裁をとりました。  そのグループに私も参加したのですが、はっきり言って、これが私にとって80年代はじめてのプログレッシヴ体験でありました。

 そして、そのライヴでいろいろお世話になった上野氏経由でこの原稿のお話があったのですが、なにしろ'80年代のプロブレッシヴに関しては、何もわかりませんので、まずその筋の愛好家の方々にはこの段階ですでにワビを入れさせていただきます。
 というわけで、以下に書かれている文章は全て、'70年代のプログレッシヴ・ロックシーンについてであります。
 あとは読者の方一人一人の個性と知識で'80年代との差異を読み取っていただければと思います。

 さて、みなさんもご存じの通り'60年代後半から'70年代にかけては大変なプログレッシヴ・ブームで、本当に多くのバンドが存在していました。

 現在も活動しているイエスやジェネシスをはじめ、マグマ、エクセプション、ニューヨーク・ロック・アンサンブル、ホークウィンド、カヤック等々、玉石混交、酸いも甘いも一緒になり、レコード店内プログレッシヴコーナーに一大マンダラを形成しておりました。

 日本のプログレッシヴ界も頑張っていて、ファーイースト・ファミリーバンド、クロニクル、瀬戸龍介といったあたりを中心にまずひと盛り上がりがあり、'70年代後半から'80年代初期にかけて、ムーン・ダンサー、ノヴェラ、美狂乱、そして私がやっていた新月などの一群が次の集合として、世に出て行ったわけです。

 当時の音楽誌には、よくプログレッシヴ系統図なるものが、見開きで載っていました。
 '60年代から'70年代にかけての"プログレ家"の流れをどうにか把握しようという企みだったわけですが、一見収拾がつかないくらいに肥大していたこの世界にも、編集者を系統図製作へと駆り立てるある一定の法則性があったようです。
 それは、ファンにも言えることで、ローリングストーンズファンやレッドツェッペリンファンとは明らかに一線を画す特徴が見受けられました。
 それは多分、アカデミックでテクニカルなものへの憧憬と、オカルティックなものへの異常な興味だと思います。

 当時の海外のプログレバンドの多くは、'60年代後期のカウンターカルチャーの影響を受けつつも、キリスト教的世界観を色濃く投影したクラシカルな曲想で、今までの熱狂型ロックに不自然なウソを感じていた人々を引きつけました。

 しかし、その音楽的許容量の広さから、セミ・クラシックファンや、イージー・リスニングファン、しまいには、カンツォーネファンまでも巻き込んでしまったようです。 バンドの中にも割り切った連中がいて、クラシックの曲をただアレンジして演奏したり、ロマンチックなコードを延々と繰り返したりして、その筋のファンをしびれされる、という状況もあったようです。

 そんなこんなで、この誤解したバンドや勘違いしたファンをも内包するはめになったプログレッシヴ界ですが、一部の良心的なアーティストはハイテックなツールを使いつつ、極めてイマジネイティヴな作品を次々と発表してゆきました。

 ピーター・ガブリエルなどはまさしくその典型で、昔の作品が今でも鮮度が落ちないのは、彼自身の非凡な音楽的才能もさることながら、当時のプログレッシヴ界及び社会全体の底流から湧き出ていたオカルティックな集合意識とのコミュニケーションが、彼の中で非常にスムーズに、しかもダイレクトになされていた証拠ではないでしょうか。

 '70年代中期になると、日本でもオカルティックな文献がほとんどブームのごとく出版され、ルドルフ・シュタイナーやグルジェフといった実践者からコリン・ウィルソンやセオドア・ローガクのような紹介者の著書まで、ひと昔前なら見つけ出すのも大変だった書物が、いとも簡単に手に入るようになりました。

 日常の感覚世界では、ネクラで内向的と言われ、かわいい女の子からはほとんど相手にされなかったかわいそうな"プログレファン"の多くは、ふと立ち寄った書店でこれらの本を見出し、自分の呪わしい短所だと思っていた内向性の中に、意外な抜け道を発見すると同時に、一部のプログレッシヴ・ロックグループが共通して持っている独特のムードが、どこに由来するものかを学び取りました。

 当時の日本のプログレッシヴ・シーンに目を転じますと、前述しましたように、神道系のメッセージをしっかりと前面に出すアーティストから、ヨーロッパ系のサウンドで勝負するグループまで、多種多様でありましたが、意識の差こそあれ、みなさん必死でありました。そしてそれだけのエネルギーを実際持っていました。

 ところが'70年代も末期になりますと、地球全体のエネルギーの表出口がスライドし、物語性とか音楽的形式美といったものの持つパワーが急速に失われてゆきました。
 スタイルとしてのプログレッシヴ・ロックは正にこの時点で淘汰されたわけです。

 社会に対する有用性を再獲得するため、プログレッシヴ系のアーティストの多くは次なるスタイルへと移行しましたが、プログレッシヴ・ロックに情の移ったやさしい人々はそこに留まりました。

 この様にして、'70年代のプログレッシヴ・シーンは幕を閉じたのですが、その時代に持っていた基本的なエレメントは現在でも、表出の場所が違うにせよ、むしろ、強力な形で私たちを取り囲んでいます。

 ハイテク機器による神秘体験は、今ではコンサートホールの中だけではなく、街中のアミューズメント施設でも簡単に味わえてしまいます。

 '80年代のプログレッシヴ・ロックシーンはひょっとしたら、ゲームセンターの中にあるのかもしれません。
 そんな中で、これからのアーティストが、敢えて表現手段として音楽を選ぶ時、これはもうオカルトしかないです。
 日本から発信される日本人ならではのハイテク・オカルト・ミュージック。

 ’90年代は、はっきり言ってこれです。

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