「ALCHEMY」


1975年、わずか半年の活動で解散した「HAL」のオリジナルメンバーである津田さん、高橋さん、桜井さんと、当時からHALメンバーと交流のあった小久保さんのRINGが合体したHAL&RINGが、HALの曲を新録、及び新曲を2曲加えたアルバム。
このアルバムは、あくまでHAL&RINGであってHALではない。それをふまえたうえでHALオリジナルとは、いっさい別もの、として、感想を書こうと思ったけれど、どうしてもHALオリジナルについて、触れてしまうのは仕方ないかな、と思って書きます。

・サー・ボーデンハウゼン
・TRIPLET COLORS
・花の乙女たち
・OPEN BEFORE KNOCK
・ALTERED STATES U
・悲しみの星
・魔人カルナディスの追憶


  • サー・ボーデンハウゼン

    HALの『ボーデンハウゼン』を聴いたときの初めての印象は、規則正しい禍々しさ。いきなりの重低音に胸騒ぎがした。
    そして制約なくして自由はない、そして自由を知ってこそ制約があり、その中でまた、人は自由になれる、そんな印象がボーデンハウゼンである。

    そして、この新たな、サー・ボーデンハウゼンのオープニング、一瞬、ややオリジナルに比較して、軽いのか?などというだまされ方をするところで、とんでもない、ヘヴィなプログレではないか。

    さらに30年の時を経て、制約を知った「おとな」であるゆえに、 オリジナルで感じた「自由」を、さらに楽しんでる。からりとした凶暴さ。高橋さん、桜井さんが、絶対笑顔で演奏してると、思った。

    そして、まるでこのまま暴走していくのかと思わせながら、津田さんが、次の自由のための制約を与える。そしてキーボードのデジタルなあそび。

    ロックだ。

    オリジナルとHAL&RINGのサー・ボーデンハウゼンさんは、たぶん違う人みたいだ。
    オリジナルのサー・ボーデンハウゼンさんは、重いフロックコートに体をくるみ、沈痛な面持ちで、しかし、その眉間の2本のしわは、じぶんのためにだけ刻まれたものではなく、あえて禍々しいかたちになった翼を広げて空のかなたへゆっくりと飛び去って行ったけど、このサー・ボーデンハウゼンさんは、ジャンプスーツに身をつつみ、科学のちからで空の向こうへ、加速つけて、行っちゃった。


  • TRIPLET COLORS

    わたしは、なぜか、曲に感動すると笑えてしまって仕方ない。このアルバム中、もっとも笑ってしまったのがこのTRIPLET COLORS。

    オリジナル同様、
    いきなり、高橋さん!そして、そこから展開する、なにか、もやもやした、不安な不安なリズムの繰り返しなのに、内側から、桜井さんが、高橋さんが、確実ないのちの鼓動のようなリズムを低く重く確実に刻み、そこへ、津田さんのギターが、あの音色で、音を編み続ける。うっとりと、「酔う」、という言葉以外に、ふさわしい言葉がみつからない。 が、そこでゆっくりと酔いしれようとすると、それを許さないキーボードがひそかに、いつのまにか、追いかけてきている。

    「毒」ってそのもののもしもお菓子があったら、なんだか食べるの不安なんだけど、食べたときおいしくて甘いんじゃないのかな。だけど、食べたあとから、心臓が、どきどきしてくる。毒だったんだって、気づく。
    だけど、やめることはできない。永久運動みたいに、食べ続けたい。なぜか、この不安が、たまらなく、快感になっていく。この「毒」のお菓子がこの曲。

    この曲の意味って、なんなのだろう?ベースとギターとドラムの3つの音色のことなのかな、などとわからないながらに、思っちゃった。


  • 花の乙女たち

    HAL&RINGの新曲。
    わたしはなぜか「チヒロとレオナ」の物語を思い出していた。
    手塚治虫さんの名作「火の鳥」のなかの作品である。手放してしまったので、詳細は覚えていないが、事故で、生命のあるものがみな、がらくたに見えるようになってしまった青年レオナが、恋した相手は、チヒロ何号、と呼ばれるロボットだった。

    レオナには、チヒロが美しい少女に見える。そして、ロボットであるはずのチヒロも、人間とロボットの実らない恋にくるしむ。

    レオナの周りのおとなたち、みんなみんな、生身の人間だけど、お金のこととか、欲望だけを口にして、それはきたないがらくたにしか写らない。
    チヒロは、鉄でできたロボットだけど、きれいな心をもっている。
    チヒロとレオナの目の前に、きれいな川が流れてる、でもそれは溶鉱炉。でもふたりにはきれいな川に見える。

    いずれこの二人の物語は、ただひとつの望みだけを叶えられて、悲しい結末になるが、心だけは生きつづける。

    どっちがほんと、どれがニセモノ。人間なのにがらくた、ロボットなのにうつくしい。 目に見えるもの、見えないもの。

    オープニングの甘さに幻惑されていはいけない。
    ややアップテンポ気味の皮肉っぽいリズムと展開、そいつがどんどんこわれていく。
    そこからほんのすこし、あまずっぱい、胸をくすぐるメロディがつづき、一瞬乙女たちが、白いローブをひらひらさせて、花の冠を戴いているように見える。しかし、乙女たちの目はこちらをみていない。

    乙女たちが摘む花は元素記号で出来ている。なにか、自然のかおりがしない風が吹いてきて、毒をはらみながら、一陣のちいさな竜巻を起して、その花々を空中に舞い上げる。 その花ばなが、ひらひらと落ちた先は溶鉱炉の川。

    乙女たちは、それをみながらけらけら笑う。錬金術で出来上がった、金を見ながら、けらけら笑う。お互いの姿を見ながら毒をふくんだ目で、けらけら笑う。
    乙女たちは、しろい腕をのばし、風に舞い降りるはなびらを受け止めながら、けらけら笑う。

    みえるもの、は見えないもの。見えないものは、見えるもの。どっちがほんとか、わからない。癒しと凶暴さ、この混在。どっちがほんとかわからない、どっちも、ほんとう。


  • OPEN BEFORE KNOCK

    先にあやまっておこ。
    このかっこいい曲、「ドアを蹴破り会場に参上!」だけは、HALオリジナルメンバー10代の頃のじぶんたち、に叶わないのではないかと思っていた。
    とんでもなく失礼なことで、すみません。みんな天才だー!というわけで、とにかく、ひたすら笑えてきます。
    とにかく、なぜみんなこんなに元気なの?


  • ALTERED STATES U

    なつかしいようなひなくさいような、あの新●月の「まぼろし」やPhonogenixの「The Star of D.O.G」のモチーフを思わせる部分が、現実と違う世界を行ったり来たりするように思えたのですが、先にこのことを書いたら、津田さんから、「使ってる和声がリディアンクロマチックというたぐいなんで似た雰囲気になってるだけですう。
    これはオクターブの中心、C調だとF♯を中心に同心円上に並ぶスケール群をクオンタムジャンプするように旋律を繋げるこころみでやんす」との解説をいただきました。

    そして、この曲はずっと、なぜか津田さんの顔が浮かびます?

    このなつかしいような感覚、が胸漂いながらも、この曲の全編を多い尽くす、無機質感と「無常感」は、なんのだろう。悲しみ、とはまたちがうような、やはり、「無常感」としか表現できないのだ。

    それが最後に車の音、街の音がはいって、ふと生活のにおいがするのかな、と思いきや、車は人が動かしているのに、なぜか、そこには体温がない。
    現実とちがう世界を行ったり来たり、そして、津田さんの顔が浮かぶ、不思議な曲。


  • 悲しみの星

    HALの原曲を聴いたとき、全編重苦しい悲しみと不安に覆われしかしこれもなつかしい星だと思った。HAL&RINGもほぼ原曲を忠実に再現しているように思う。


  • 魔人カルナディスの追憶

    永遠という言葉をこの魔人カルナディスにあてはめるとしたら、それは「とじこめてしまうもの」「かわらないもの」「かためられたもの」では決してない。

    永遠であるカルナディスさん(なぜかさんづけ)は、いつも背中を見せてる。
    それは後ろ向き、なのではなくて、ずっと、いつも、いつも、進んでいるから、わたしに背中を見せているのだ。
    カルナディスさんはいつも前にすすんで、扉を次々に開けていく。その扉は道にあったり、空にあったり、心の中にあったり、いろんなところにあるから、カルナディスさんは忙しくて、こちらを決して振り向かない。

    ここに、新●月の曲を持ってきては申し訳ないのだけれど、変化し、成長し続ける『殺意への船出PartU』の星間旅行の歪んだ次元のあちこちで、カルナディスさんと新●月はすでに何度か出会ってるような気がする。